Happy New Year!!


「……お……終わらん…」
ディセス特有の褐色肌でそんなに目立たないが、目の下にくっきりと隈を作って、アルディアは搾り出すような声でつぶやいた。
まだ早朝。やっと山の端が白み始めた頃だ。
滞在している、大通りからやや離れたところにある宿。窓から差し込んでくる光が必要以上に眩しい。
「…くっ………め、目が……。…目が重い……。身体も重い…。頭が痛い…。
うぅ…こ、このような仕事、受けねば…………い、いや、受けたのは紛れも無く自分の意思だ。そんな事を思うなど身勝手にも程が有る……」
勇んで森へ出かけたまではよかったが。
冬眠前の最後の餌探しといった風情の獣には襲われるわ、季節柄目当ての草がなかなか見つからないわで、結局必要な薬草が全部そろったのは昨日の夜の話だった。
急いで調合しなければ間に合わない。休む暇も無く調合を始めたアルディアだったが、夜が明けても、まだ全工程の半分も終えていない状態だった。
これでは、こんなぎりぎりの依頼を受けた自分に呪いの言葉を吐きたくなるのも無理は無い。
アルディアは力なく首を振った。
「…はぁ、どうかしているな、私も…。
と、兎に角……何とか……何とかして、時間までに薬を完成させねば……」
次は……と、傍らの調合表に目を通す。
「チルマァの葉とハウレの根…か。確か、この瓶の中に…」
ごそごそ。
胴当てのポケットを探る。
「………んなっ……?!」
アルディアの妙な声と共に、指はポケットの底を貫通して再び外へ。
無論、中に入っていた瓶は存在しない。
「…ひ、日頃から常々自分には運が無いとは思っていたが……。何故……何故、よりによって、こんな……。
……もう…もう、止めたい………こんな事……」
がっくりと机に突っ伏して、うめくように呟いて。
が、次の瞬間がばっと顔を上げる。
「ハッ、いかんいかん、そんな事を考えては駄目だ、しっかりしろ、私」
一瞬で立ち直ったアルディアは、立ち上がって腕を組んだ。
「…く…っ……しかし…私は一体どうすれば良いのだ…。
今から森に行って来た所で、昼までに街へ帰って調合を終わらせるなど到底不可能だ…」
ひとしきり策を考え、しかしもともとギリギリのところで受けた依頼なのだから、いい案など出ようはずもなく。
アルディアは、窓から本格的に差し込み始めた陽の光を、恨めしげに見やった。
「………あぁ……此れ程までに太陽の光を疎ましく感じた事があっただろうか…」





「…どうしたの?ぼーっとしちゃってさ」
さして広くは無い部屋。
ひとつだけあるベッド。
それに腰掛けていたジルは、隣からの声にわずかに微笑を返した。
「……ん、ああ。ちょっと考え事をしてただけ。」
獅子の獣人である自分とは違う、色白ではかなげな人間の少女。灰色の長い髪に、同じ色の瞳。
彼女はジルを元気付けるように、明るく笑って見せた。
「そんなに考え込んでばっかりだと、人生楽しめないぞっ!気楽にいこ、気楽に」
「…うん、そうだね」
返事をしてはみたものの、ジルの表情は沈んだままで。
長い髪の彼女は、むぅと眉を寄せた。
「…今日はいつもに増して元気ないよ?何か悩み事でもあるの?」
「……いや、別に。で、何の話だっけ?」
「ジルが漢気あるねって話…じゃない!こら、話を逸らすな〜」
「…うっ…ばれちゃった?」
彼女が怒った真似をしてみせたのが何だか可笑しくて、ジルは少しだけ微笑んだ。
それが、感情を出すのがひどく苦手なジルが唯一心を許している相手なのだということを感じさせる。
少女は、おどけた表情から一転、心配そうに眉を曇らせた。
「悩んでるなら私に打ち明けてみてよ。大したことじゃなくてもいいからさ。喋ったら案外すっきりするかもよ?」
「…でも…」
逡巡するジル。彼女は、再び元気付けるように笑った。
「気にしない気にしない。私達、友達でしょ?ほら、笑ったりしないからさ。話してみてよ」
「……。」
暫くためらった後、ジルは重い口を開いた。
「……私の周りの人が辛い思いをする、不幸な目に遭う。そんなのを見てると、時々思うんだ。もしかしたら、それは私の所為なんじゃないかって……だとしたら、私は何のために生きてるんだろう。やっぱり私、いない方がいいのかな。」
口に出すことが、さらにジルを陰鬱な気持ちにさせる。
ぼそぼそと喋るジルの言葉を、彼女は黙って聞いて…そして、怒ったような表情を作った。
「…そんなこと、言わないでよ」
彼女は、怒ったような、でも怒っているのとも少し違うような声で、そう言った。
「……?!」
ジルは辺りの様子に驚いて立ち上がった。
突然周囲の風景が硝子のように砕け散り、辺りには闇が広がっていく。
小さな部屋も、ベッドももうなく。闇の中で振り返ると、彼女はジルに向き合うようにして立ち、俯いて表情を隠していた。
「……ごめんね。きっと、私がジルを縛り付けてるんだ。そういう風に考えちゃうのも仕方ないことなのかもしれない……」
「そんなこと…っ」
ないよ、と言ったあとに名前を呼ぼうとして、ジルは喉がはりついたように声が出ないことに慄然とした。
彼女は俯いたまま、言葉を続ける。
「でも、そんなジルは、嫌いだな」
「……っ!」
彼女の紡いだ言葉が、想像以上に自分の胸を刺す。
彼女に真意を問う言葉も、自分の悲しみを訴える言葉も、何一つ出てこないのがもどかしい。
彼女の名前、さえも。
「………!」
声が出ないまま必死に手を伸ばせば、彼女はそれから逃げるように後ろにすいと下がる。
そのまま、彼女は後方の闇に吸い込まれていった。
追いかけようとどんなにもがいても、体に何かが纏わり付いているようで、全然前に進めない。叫ぼうと腹に力を入れても、声は全く出ない。
そうしているうちにやがて、彼女は闇に呑まれて見えなくなってしまった。闇に消える間際に、彼女は何か言いかけたようだった。何を言っているのかは聞き取れなかったが、そのときに見えた彼女の表情は、とても辛そうだった。
ジルは、何かどろどろしたものに全身が包まれたかのように緩慢にしか動かない自分の手足を必死に動かしながら、声の出ない喉を振り絞って叫んだ。
彼女の、名前、を。

「……っエレーナ……っ!」
がば。
絞り出すような声と共に跳ね起きて、ジルは肩で息をした。
「…ゆ……め……」
ゆっくりと、辺りを見回す。
大通り沿いにある小さな宿屋。アマンから帰ってきて、しばらく滞在している。何も変わらない。運動もしていないのにびっしょりと汗をかいて、息を切らしている自分以外は、何も。
「……嫌な夢、見ちゃったな…」
ぼそりと呟いて、ベッドから降りる。
外を見れば、まだ空が白んでいるくらいの早朝。
とはいえ、もう一度寝ようにも、また先ほどのような夢を見るのではという怖さがある。
はぁ、とため息をついて、ジルは机に置かれた剣に触れた。
精巧な細工。ジルには判らないが、魔道が施されているのだろうか、少し変わった雰囲気がある…ように思える。彼女との思い出が詰まった剣。
『でも、そんなジルは、嫌いだな』
夢の中の彼女の声がよみがえって、ジルは目を閉じてそれを振り切るように首を振った。
夢だと自分に言い聞かせても、壊れてしまった蓄音機のように頭の中に繰り返しリフレインする。
そうではないと、彼女に否定してほしいけれど…会って確かめることは、もうできなかった。
彼女は…もう、この世にはいないのだから。
「…エレーナ…」
もう一度、夢の中で呼べなかった彼女の名前を口にしてみる。
そのことが、余計に胸を締め付けて。ジルは、胸を押さえて俯いた。



ルヒティンの刻−中央公園へ

ルヒティンの刻−真昼の月亭へ

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