外伝1:ハゴロモ
 ドアの前に佇む、冷たい目をした婚約者。
 「待っていてくれたとは光栄だな」
 眉一つ動かさずに、皮肉る。
 「今日は来るだろうと思っていたわ。あなたの行動パターンは一定しているから、統計を取ればいつ来るかなんてすぐに判る」
 「現生界に行くそうだな」
 表情は全く変わらないが、語気は微かに荒い。
 …怒っているのか?
 「相変わらず情報が早いのね」
 「お前はいつも突然に騒ぎになるようなことをやらかすからな」
 「最近のお騒がせは誰かさんとの婚約ね」
 「どういう事だ?」
 こちらの皮肉が通じているのかいないのか、そもそもこちらの話を聞いているのかどうかも怪しいが、フィーヴは常に自分が答えたいと思う事柄にしか答えを返さない。それが余計にミシェルをイライラさせる。
 「近衛軍総指揮官と、賢人議会総議長の婚約ですもの、噂にならないはずがないと言われたわ」
 だからミシェルも、わざとフィーヴの質問を曲解して答えを返す。フィーヴの眉が、わずかに寄った。
 「私が言っているのは、そのことではない。判っているだろうが」
 「…おそらく貴方が聞いた通りよ。明日から二三日間、現生界の情勢調査を命じられたの。ミカエリスから」
 「腑に落ちんな。何故今?何故君が?正規の調査団が、もう十年も前に調査済みだろう」
 「そこまで考えられる頭があるのなら、想像することは簡単でしょう?そしておそらく、貴方が考えている通りよ」
 「体のいい休暇というわけか…ミカエリスは君には甘いからな」
 「エルフィは私のことを気遣ってくれているのよ。誰かと違ってね」
 「…私が君のことを気遣っていないと言うのか?」
 今度の皮肉は通じたらしい。
 「気遣っていてくれたのならごめんなさいね。私には全くそうとは思えないわ」
 「それは残念だな」
 皮肉なのか本心なのか、フィーヴがそんなことを言う。
 「それで?ミカエリスが出して下さった休暇に、ほいほい乗って現生界くんだりまで行くのだな、君は」
 「何かいけないことがあるかしら?」
 「…休息が必要だというのか、君は?」
 フィーヴの声の調子が、微妙に変化した。
 「仕事も私生活も放り出して、違う世界に逃げ出すほど…今の世界は君にとって苦痛だというのか?」
 「私に一番わからないのは、私のことだと言ったはずよ。私には、私が苦しいのかどうかもわからない…でもエルフィが言うなら、そうなのかもしれないわ。だったら私はエルフィの言葉に従う」
 「君はミカエリスが死ねと言ったら死ぬのか?」
 ミシェルは眉をひそめた。
 「そんな子供じみたことを言うなんて、貴方らしくないわね。でも答えましょう。エルフィがそう言うなら、そうすることが私にとって一番いいことなのでしょう。でも彼女はそんなことを言ったりしないわ。だから私は、彼女といい友情を築いていけるの」
 「…」
 フィーヴは黙って、ミシェルを見つめている。
 やがてくるりと向きを変え、顔だけこちらに向けて、告げた。
 「…婚礼の準備はしておく。帰ってきたら日取りを選んで式を挙げるぞ」
 簡潔にそれだけ言うと、ドアを開けて部屋を出て行った。
 ミシェルはしばらく黙ってそれを見送っていたが、やがて何事もなかったかのように支度の続きをはじめた。