「いたたた…」

まだずきずきと痛む身体をさすりながら、リンはサロンにやってきた。
陽はすでに昼に近いほど高くなっている。普段は城にいる者がここに集まって適当に朝食を取るのだが、さすがにこの時間になると誰もいなかった。
テーブルの上には、リンのために取っておいたと思われる一人分のパンとスクランブルエッグ。
「アウラかな…」
悪いことをしたなと思いつつも、リンは素直に好意に甘えることにした。この体で今から食べるものを見繕うのはかなりしんどい。
「…ったく……少しは手加減しろっての……」
腰を押さえながらどうにか椅子に腰掛けるリン。
朝方近くなるまでリンをさんざんに酷使したテッドは、ほとんど寝ていなかっただろうに、早朝に元気に次の遠征先へと旅立っていった。今更だが彼の体力には感心を通り越して閉口する。
自分はこんなにだるいやら体の節々か痛いやら、散々な状態だというのに。こういうものだと知識はあったが、こんなにきついとは思わなかった。世の女性はみんな一度はこの状況に耐えるということだろうかと考えると、そろそろ女性に生まれてきたことを呪ってもいい気がする。
魔法で痛みだけでも取ってしまえば楽なのだろうが、もはや魔法を使うだけの体力がないし、痛みのせいで集中できない。しばらく休んでやっと起き上がれるまでになったのだ。とりあえず栄養を摂取して魔法が使えるまでに回復しなければ。
「いただきます…」
はく、とパンと卵を口に運ぶ。
スクランブルエッグは冷えていたが相変わらず美味しい。城の食事は何故かいまだに全てアウラが作っているのだ。
曲がりなりにも王女なのだからそんなことはしないでいい、コックでも雇おうと言ったのだが、今までずっとしていたことだし、ずっと一人だったから大勢の食事を作るのは楽しい、と言われてしまうと強引にやめさせることもできなかった。アウラの食事はとても美味しいし、スカウトしてきた戦士や技師たちにも好評で、ヴィルも無言で完食しているところをみると気に入っているのだろう。当のアウラも楽しそうであるから、まあこれはこれでいいのだろうと思う。
そんなことを思いながら、リンが黙々と食事をしていると。
「まあ、リンさん。おはようございます」
サロンの入り口から声がして、リンはそちらを向いた。
「アウラ、おはよう。おはようって、もう昼だけど」
「ふふ、珍しいですわね、リンさんがお寝坊なさるなんて」
アウラは持っていた本をテーブルの上に置くと、リンの前の皿に目をやった。
「あ、スープもありますわ、温めてまいりますから少々お待ちくださいね」
「え、いいわよこれだけで」
「すぐですから、お待ちになって」
リンの遠慮の言葉も笑顔でするりとかわして、サロンの隣の給湯場に向かうアウラ。
ややあって、スープカップとスプーンを持って戻ってくる。
「はい、どうぞ」
「ありがと、ごめんね」
「調子がお悪いのでしたら、温かいものをお腹に入れたほうがよろしいですわ」
「え」
きょとんとするリンに、わずかに心配そうな表情になって。
「いつも寝坊などなさらないリンさんが、こんな遅くに起きてこられるのですもの。お体の調子がお悪いのかと思って。
お食事、お部屋にお運びしようかとも思いましたけれど、起こしてしまうのも悪いかと。大丈夫ですか?」
「え?あ、うん、ちょっとだるかったの、大丈夫」
あわてて笑顔を作って見せるリンに、アウラもやわらかい笑みを見せる。
「女性には色々ありますものね、あまりご無理をなさらないで」
「え」
ぎく、とする。
色々、という言葉に含みがある気がして。
だが、どういう意味かと聞くとさらに薮蛇になるような気もする。
(…普通に、体調のことよね、うん)
女性には普通に体調の差が激しい時がある。きっとそのことを言ったのだろう。そうに違いない。
とりあえず臭いものには蓋をして、リンは無理やり納得することにした。
「う、うん、ありがと」
ぎこちない笑顔で取り繕うと、受け取ったスープを口に入れる。
アウラはにこりと微笑んで、リンの正面に腰掛けた。
「あら、リンさん、それ」
「え?」
きょとんとしてアウラの視線を追うと、自分の首にかかっているネックレスに行き当たる。
言うまでもなく、昨日テッドがくれた紅い宝石のネックレスだ。
「リンさんがアクセサリーをつけているなんて、珍しいですわね。
テッドさんからの贈り物ですか?」
「ふえっ?!」
いきなり直球で切り込んできたアウラに、思わず変な声が出る。
アウラはきょとんとした。
「あら、違いましたか?」
「えっ、いや、あの……」
リンはしばらく混乱した様子で口ごもっていたが、やがて気まずそうに頬を染める。
「…そう、だけど」
「ふふ、とてもよくお似合いですわ」
アウラは嬉しそうに微笑んだ。
「テッドさんは帰ってくるなりまたとんぼ返りでしたわね。
リンさんもお寂しいでしょう?」
「え?いやまあ、その……」
「わたくしたちも頑張って、早くテッドさんに頼りきりにならないようにいたしますわね」
「そ、そう?」
なんと答えたらいいのか。
アウラの口調も当たりもいつもとまったく変わらないのに、何かその裏に潜む気迫がいつもと違う気がする。
そのことも含めて多少混乱しつつ、とりあえず一番気になっていたことを聞いてみることにした。
「アウラ」
「はい?」
「…ヴィルから、何か聞いてるの?」
「何か、とは?」
「…あたしとテッドのこと」
「え?」
アウラは無邪気ににこりと微笑んだ。
「あの子の口からお2人の事を聞いたことはありませんわ?」
「…ホントに?」
「あの子がそういった事柄を軽々しく口にするような子と思います?」
「そりゃ…そうだけど」
口が堅いという意味でなく、他人の色恋に興味がない、という意味で。
リン自身、昨日のヴィルの発言にひどく驚いたほどなのだから。
「じゃあ、なんで…」
「ふふ、お2人の様子を見ていれば判りますわ」
「っ、そう?」
そこまで判りやすかっただろうか。
リンはますます顔が熱くなるのを感じた。
「お二人は、いつからのお付き合いですの?」
「え」
が、アウラはそれは楽しそうにさらに押してきた。
若干動揺しながら答えるリン。
「つ、付き合い、って」
「ご同郷と仰っていましたわよね?いつごろお知り合いに?」
「ああ、えっと、親同士が近所で、小さい時から」
「まあ、幼馴染でいらっしゃるのね、素敵ですわ。
この旅に出られたのは、どういった経緯で?」
「テッドに誘われたの。魔王を倒しに行こうって」
「2人きりで?」
「うん」
「まあ」
アウラは嬉しそうに胸の前で手を組んだ。
「命がけの旅に、愛しい女性を連れて行きたかったのですね…お気持ちはわかりますわ」
「いっ」
アウラの大げさな言葉に絶句するリン。
アウラの暴走は止まらない。
「リンさんが魔法を修めていらしたのが幸運でしたわね。
もしや、リンさんもそのために魔法を?」
「えぇ?うちは魔法屋だったし、あたしも魔法が好きだったからなだけで…」
「まあ、ではお2人が結ばれるのは天がお定めになった運命なのですわね」
「う、うんめいって…」
矢継ぎ早に質問されて最初は混乱していたリンも、だんだん冷静になって状況が理解できてきた。
これは、もしや。
小さいころ、学校に結構な割合でいた、やたらと人の色恋沙汰に敏感な女子。
好きな子のことを話そうものなら、次の日にはクラスの女子中に話が回っている。酷い時には勝手に相手の男の子にそのことを告げられ、付き合ってやれと強制し、クラス中に囃し立てられる。多感な年頃の児童にそんなことをすればどうなるか推して知るべしといったところだが、本人は「すごくいいことをした」つもりなのだからたちが悪い。
リンはもともと女の子よりも男の子のほうに混じって遊ぶのが好きだったし、そういう経緯もあって決して彼女たちに好きな男の子の話はしなかったものだ。
もちろんアウラもいい年をした女性なのだから、その子らよりもずっと分別はあるのだろうが…
(まずいな、これは……)
距離を取っていただけに、このタイプの女子に対する免疫がない。ましてやアウラには色々と恩もある。上手く流せず問われるままに喋ってしまいそうだ。
それはなんというか、かなり恥ずかしい。
リンがこの状況をどう切り抜けるか考えをめぐらせていると。

「姉上」

サロンの入り口から声がして、2人は話を中断してそちらを見た。
「ヴィル」
アウラに名を呼ばれたヴィルは、いつもの無表情でかつかつとサロンに入ってくる。
「…庭師が探していたが」
「まあ、本当に?何かしら」
ぼそりとヴィルに言われ、アウラは立ち上がった。
「お話の途中で申し訳ありません、失礼いたしますわ」
「あ、うん、スープありがとね」
心なしかほっとした表情で手を振るリン。
アウラはまたにこりと微笑んだ。
「続きはいずれまたじっくりとお聞かせくださいね」
「……はは…」
乾いた笑いでアウラを見送り、姿が見えなくなったところでリンは嘆息した。
「……サンキュ。助かったわ……」
もちろん、傍らに立つヴィルに向けての言葉。
ヴィルは目を閉じて嘆息した。
「…今までこのような話題に無縁だったから、飢えているのだろう」
「それには同情するけど、生贄になるのはちょっと…」
「耐えろ」
「冗談よしてよ」
リンは半眼でヴィルを見上げ、それからにっと意地悪げに笑った。
「…ていうか、あんたが話してあげればいいじゃない」
「……私が?」
わずかに眉を上げるヴィル。
「私の口から、貴様らの情事を話せと?」
「じょっ……あんた、その直球表現辞めないと姫様にドン引きされるわよ?」
「…努力しよう。だが私は貴様らの事に興味などない。話せと言われても困るが」
「あたしだってんなことペラペラ喋るあんたとか想像するだけでゾッとするわ。なんでそうなんのよ。
あんたたちのこと、話してあげればいいでしょ、っつってんの」
「……私達のこと、だと?」
ヴィルは今度は困惑げに眉を寄せた。
に、とまた笑みを浮かべるリン。
「そ。あんたと、姫様のこと。あたし達のことより、アウラもきっとそっちのほうが気になるんじゃない?なんたって生き別れの弟のことですもの。故国を再興させるっていう大変なこと成し遂げてまで貫きたい想いなんて、幼馴染の勇者と魔法使いよかよっぽどドラマチックだしねー。
ていうかあたしも気になるわ。考えてみれば一度も聞いたことなかったもんね。
姫様はなんであんたの気持ちに応える気になったの?つかそもそも、なんであんたは姫様のこと好きになったわけ?接点ないじゃない」
「…………」
ヴィルはたっぷり沈黙してリンをじっと見てから、おもむろに目を閉じて不快そうに眉を寄せた。
「……貴様の言いたいことは解った。だから勘弁してくれ」
「解ればよろしい」
「…姉上には私からそれとなく言っておく」
「頼むわマジで…あたしからアウラにそんなズバズバ言えないし」
「私とて同じだ」
ふ、と息をつくヴィル。
「私には、幼いころの姉上の記憶などない。姉上との付き合いは、むしろ貴様のほうが多かろう。
姉上とどう接して良いかなど、解らぬ」
「ヴィル……」
リンは複雑そうにヴィルを見たが、すぐにまた微笑んでポンと背中を叩いた。
「わからないから、たくさん話して勉強するんでしょ。あんたが落としてきた言葉を取り戻すには、気まずくてもたくさん喋ってみるしかない。
姫様だって、そう言ってたじゃない」
「………」
この冷たい美丈夫は、ヒルダ姫の名前を出すととたんにおとなしくなる。その様子が可愛らしくもあり、そしてそこまでの想いを向けられている姫が羨ましくもあった。
リンはくすりと微笑んだ。
「ま、そういうわけで積極的にアウラの話し相手になったげなさい。そのほうがアウラも喜ぶだろうし、あたしもターゲットにならずにすんで一石二鳥だわ」
「………」
ヴィルはまた不快そうにじっとリンを見る。
リンはニヤニヤしながら見返した。
「何よ」
「………いや」
「まあそれはそれとして、あんた達の馴れ初めはまたいずれ聞かせてもらうけど」
「勘弁しろと言っただろう」
「だってあんたばっかりあたし達のこと知ってるのは癪に障るし。姫様がいたら姫様からお聞きするんだけどなー」
「……………」
「なに?」
「……それが、あの男からの贈り物か」
「っ」
唐突にネックレスをネタに切り返され、リンは頬を染めて言葉に詰まった。
「っ、そうだけど?てかおかしくない?あんた、テッドに何か言ったの?」
「……私がそのようなことを言うように見えるか?」
「……見えないけど……」
「…ずいぶん消耗しているようだな。回復の術も使えぬか」
「へっ?」
「清童は加減を知らぬからな。ことにあの男は体力も有り余っていよう」
「っ……!!」
今度こそ真っ赤になって絶句するリン。
ヴィルはなおも無表情のまま、言葉を続けた。
「…我慢を重ねさせた報いと思うことだな」
「あっ…あんたねぇっ、直球やめろっつってんでしょ!それもうセクハラよ?!」
「それは済まなかった、以後気をつけよう。詫びに回復術でもかけるか?」
「~~っっ、結構ですっ!!」
例によってまったく謝る気のない棒読みで言うヴィルからぷいと顔を背け、リンはすっかり冷めてしまったスープに口をつける。
「まったく、あんたたちはやっぱり姉弟だわ……!!」
からかっているつもりが見事にからかい返され、憮然とするリン。

「…………」
そのリンの傍らで、ヴィルは静かにその頬を緩めるのだった。

“The next morning” 2010.12.7.Nagi Kirikawa

次の日の朝の話です。ははは、アウラがどうしても根掘り葉掘りたいって言うものですから(笑)
デバガメ姉弟にからかい倒されるリンの図、といったところで(笑)アウラはともかく、ヴィルが意外に喋ってくれて楽しいです。ヒルダの名前出すと素直になるところも萌えポイント(笑)この2人のアレコレも、テドリン萌えが落ち着いたら書いていきたいなあ。