第2週・ミドルの刻

「マスター、お久しぶりですー!」

からん。
ドアベルを鳴らして元気よく入ってきたのは、大きなリュックにラフなTシャツ姿の少年。名をファリナといった。

「あれー、久しぶりだねえ、お客さん」

どうやら過去に来たことのある客であるらしい。
マスターは相変わらずの愛想のよさでファリナに水とお絞りを出す。

「前に来たの、デートのときだったっけ?ずいぶん久しぶりだね、最近忙しかったのー?」
「だ、だからデートじゃないですって…忙しくはなかったですが、このあたりからは少し離れていましたので」
「そう?お疲れなのかなと思って。なんか元気ないじゃん?」
「…はは、わかりますか」

言って、苦笑するファリナ。
彼も自覚するほどに、そしてマスターも一目で看破するほどに、最初の元気はあからさまに空元気だった。

「その、色々と…って注文がまだでしたね、冷製パスタとかありますでしょうか?作りながらでも、少しお話しませんか?」
「冷製パスタねー、今ならシーフードが美味しいと思うけど、それでいいかな?」
「はい、お願いします」

マスターはファリナの注文を受けて手際よく材料を洗いながら、カウンター越しにファリナに話しかける。

「んで?何で元気ないの。話してごらん?」
「はい……」

ファリナは少し肩を落としてから、ぽつりぽつりと話し始めた。

「…ボクは今、旅のひとまずの目標として、誰かの役に立っていけたらと頑張っているのですが…上手くいってないんですよ…」

はあ、とひとつため息をついて。

「この前とあるお屋敷での事件に巻き込まれた時、復讐だとか、強く欲することとか、そういうのに触れて。
人それぞれの考え方とか、分からないことがたくさん出てきたんです。
魔族の方ともお話したんですよ。ボクの考えてた『悪いこと』って何なのかあやふやだってことにも気が付きました。
それらが分かりたくて、悩んで、上手く動けなくなっちゃったんです」
「そっかぁ。難しいこと考えるんだねえ」

魔族、という不穏なワードには特に動じることなく、頷くマスター。
ファリナはふっと自嘲するような笑みを漏らした。

「冒険者として、気になる依頼があったら引き受けて…それが人の役に立てているのか、みんなの幸せにつながるのか、不安になってきたのです。
今の自分の力じゃ駄目だと思って、体を鍛えたり勉強してみたりしても、それからどうすればいいかも分からないんです…」
「んー……」

マスターは料理の手は止めずに、しばし何かを考えているようだった。

「つかさ、お客さんは」
「はい」
「なんで人の役に立ちたいと思ったの?」
「えっ…」

急に根本的なことを聞かれ、ファリナはきょとんとしてから、少し考えた。

「えぇと……まぁ、何かきっかけがあったわけじゃないんですよ。
だって、誰かが幸せそうだったり、笑顔でいたり、そういうのっていいと思いませんか?心が温かくって、安らかで…。
そういうことが、ボクは大好きなんです」

穏やかに笑って。

「そして、誰かが何かを望んでいるなら、ボクなんかが力になれるなら…手を貸したいと、いつの間にか思っていました」
「なるほどねー。で、何でそれで旅をしてるの?別に旅をしなくても人の手助けはできるんじゃない?」
「それは…ボクの両親も冒険者だったからです」
「へえ」
「…まぁ、そのせいで友達にいじめられたりしたけど、これはまた別の話ですね」

一瞬暗い表情になってから、気を取り直して続ける。

「両親は定期的に家に帰ってきて、ボクに土産話をしてくれました。
依頼をこなして、人々に感謝されているという両親の話を聞いて、ボクは冒険者に憧れていきました。
そんな両親が急に出かけちゃって、ずっと帰ってこないから自由にしていいという置手紙だけが残されまして…」
「なんていうか、かなりフリーダムなご両親だねー」
「あはは、そんな適当な両親なんですよ」

マスターの率直な感想に苦笑しながら答えるが、その笑顔はまんざらでもない様子で。
ファリナが両親に対し、素直な尊敬と愛情を抱いていることがよくわかる。

「だから、この機会にボクも両親のような冒険者になろう と、そう思ったんです」
「なるほどねぇ」

茹で上がったパスタをボウルの中で絡めながら、マスターはさらに訊いた。

「じゃあさ」
「はい」
「お客さんの中で、『人の役に立つ』ってのは、どういうことなの?」
「えっ……」
「誰かに喜んでもらうこと?
誰かの利益になること?
それとも」

そこで、ふと手を止めて。
まっすぐなまなざしをファリナに向ける。

「……『誰かの役に立ってる』って、自分で思うこと?」

いつもののほほんとした笑みの無い、真剣な眼差し。
ファリナはその表情と言葉にびくりと身体を震わせ、それでも真剣な表情で答えた。

「『誰かの役に立ってる』と自分で思うこと…では絶対にありませんね。
ボクが役に立てているかどうかは、相手が決めることですよ。だからこそ、よく分からないんじゃないですかー…。
喜ぶことをすればいいのか、利益になることをすればいいのか…そんなの相手次第ですし…」

ファリナの言葉に、マスターははじかれたように笑い出した。

「あっはは、ヘンなの。お客さん、自分で矛盾してること言ってるのわかってる?」
「えっ…?」

戸惑った様子で、ファリナは短く声を上げた。
マスターはいつの間にか出来上がっていた冷製パスタを出してから、続ける。

「『誰かの役に立ちたい』って言いながら、お客さんはその『役に立つ』の判断基準を相手に丸投げしてるんだよ。
自分で判断してないんだから、わかんないのは当然だよね。
相手に判断を丸投げしてるから、お客さんにとっての『役に立った』は、相手に『役に立ったね』って言ってもらえること、っていうことになる。
それは、”『誰かの役に立ってる』と自分で思うこと”とどう違うの?」
「っ………」
「だって、お客さんは、『役に立ったね、ありがとう』って言ってもらえないと自分が役に立ったかどうかさえわかんないんだよ?
『相手次第』って綺麗な言葉で飾って、自分で考えるのをやめてる。
でも『自己満足』にはなりたくない。だからそれは絶対にない、っていう。
やってることは自己満足以外の何者でもないのにね」

笑顔でバシバシ辛辣な言葉を投げかけるマスター。
ファリナは言葉を返すこともできず、目を丸くしてマスターの言葉を聞いていた。

「もうちょっと具体的に言おうか。
例えば、ケガをした人を一生懸命看病するね。
ご飯を作ってあげて、お部屋を綺麗にしてあげて、動けないその人の代わりにものを取ってあげたり、足が痛くて歩けないから、おぶって歩いてあげる。
その人はお客さんにすっごく感謝して、ありがとうって何度も言ってくれた。
これは、『喜んでくれること』だよね」
「………はい」
「でも、お客さんがそうして何でもやってあげたおかげで、その人は練習すれば自分の足で歩けたかもしれないのに、歩けないままになっちゃった」
「っ………」
「果たして、お客さんのやったことは本当にその人のためになったのかな?」
「………」
「足が痛くても練習しないと歩けるようにならないよ、ってびしびしやったら、その人はありがとうって言わなかったかもしれない。
余計なことするなって、痛いのはイヤだって泣いたかもしれない。
お客さんに『役に立った、ありがとう』なんて絶対言わなかったかもしれない。
じゃあもしそうなったら、お客さんの中では『役に立たなかった』ことなの?」
「………」

黙り込むファリナに、マスターはにこりと微笑みかけた。

「お客さんにとっての『役に立った』ってどういうこと?っていうのは、そういうこと。
結果どうなったかはともかく、相手に喜んでもらえれば良いの?
それとも、相手に憎まれても、相手のためになると『自分で思うこと』をしたほうがいい?
それが、お客さんの中で決まってないから、お客さんはいつまでたってもグラグラしたまんまなんじゃない?
お客さんに『こうすれば相手のためになってるんだ!』っていう自信がないから、何やっても『自分は役に立ってないんじゃないか』って思うんだよ。
それだけのことだと思うけどね」
「…そうか、そうですね……」

はあ、と息を吐いて。
ファリナの丸い目がだんだんと元に戻り、それにつられるように肩を落としていく。

「なんだ、言われてみれば簡単だ。相手にしか分からないことが、自分に分かるわけない…。ボクのやってることは自己満足なのか。
はは、ボクは何を悩んでいたんだ。マスターの言うとおり、矛盾してるじゃないか。そんなの、どうしようもない…」

悔しそうな、しかしどこかスッキリしたような複雑な表情で、ファリナはまた自嘲気味に笑った。

「そういえば、チャカさんも言ってたっけ。『人は自分が正しいと思うことしかできない』って。あの時はわからなかったってけど、こういうことだったのかな…」
「ははっ、その言葉だけを見ると正しいこと言ってるように聞こえるねー。
自分が正しい、って思ってないと、お客さんみたいにグラグラしちゃって結局何もできなくなる、ってのは、まあそうなのかもね」
「…そうですね」

ファリナは苦笑して、マスターに問うた。

「マスターにとっては『人の役に立つ』ってどういうことですか?」
「えー、手伝ってほしいって言われてお手伝いしたら、役に立ったってことなんじゃない?」
「このお店でお仕事していて、人の役に立ったと思えたことは?」
「んーそうだなあ、お手紙の受け渡ししたりとか、欲しいっていう食べ物を入荷したりとかさ。
ありがとうって言われれば嬉しいしね」

相変わらずの軽い口調で、マスター。

「でも別に、僕は誰かの役に立ちたいと思って生きてるわけじゃないし、僕がやりたいと思うことを、やりたいようにやってるだけだよ。
それで、誰かが喜んでくれても、誰かを傷つけたとしても、それは僕の行いの結果がそこにあるだけで、いいことでも悪いことでもないと思うし」
「なるほど、マスターはそう考えるのですね…」

ファリナはぼんやりと呟いて、思いにふけるように遠い目をした。

「……みんなが幸せになることって、できるのかな……」
「え?」

マスターが言うと、ファリナは改めてマスターに向き直る。

「世の中、どちらかを選択するしかなくて、何かを犠牲にするようなことが、多いと思うんですよ。
それでも、みんなが幸せになることってできると思いますか?」
「えー、無理でしょそんなこと」

マスターは軽い調子で即答した。

「同じ出来事があったって、幸せと思う人とそうでない人がいるわけでしょ。
要するに、心の持ちようだよね。物理的なことじゃないでしょ。
僕が幸せだと思えば、僕は幸せなの。
同じように、不幸だと思えば不幸だよ。
それを、お客さんが変えることは出来ない」

にこり、と微笑んで。

「そのお客さんの考え方を、僕が変えることが出来ないのと同じように、ね」
「うーん…」

ファリナはまだ諦めきれない様子で、言葉を続けた。

「なれないのなら、なれるようにすることはできるのかな?それにはどれだけの力がいるのかな?」
「だから、無理だよ、って」

自問自答するようなファリナの呟きを、マスターはにべも無く否定した。

「どんなに力があっても、人の心は変えられないんだよ。
お客さんのそれは、『人のために』っていう綺麗な言葉で飾った、『暴力』そのものだよ」

にこり、と、とても優しげでいて、その実空虚な微笑を浮かべて。

「たくさんの力があれば、お客さんはみんなを幸せに出来るって思うんだね。
確かに、さっきの僕の言い方なら、『みんなの幸せがそれぞれに違う』からみんなが幸せになることはできない、つまり『みんなの幸せを全部同じに』してしまえば、みんなが幸せになることができるよ。
でもそれってすごい、『暴力』だよね。
お客さんの『幸せ』にみんなを染めようとする、さしずめ『幸せ教』の教祖様、ってところかな?」
「暴力…ですか……」

ファリナは辛辣なマスターの言葉に傷ついた様子で、うつろな笑みを浮かべた。

「でも、その暴力が必要となれば、ボクは手を染めようと思いますけれど」
「それが、誰かを傷つける結果になっても?その人の幸せを変える、って、その人の心を捻じ曲げるってことだよ?わかってる?」
「……っ…」
「ほら、もう流されてる。人の役に立ちたいって言いながら、人を捻じ曲げるかもしれない『暴力』に手を染めていいって言ってみたり、矛盾してる。
お客さんの中で『何が正しいのか』が定まってないっていうのが問題なのに、そうやって僕の言葉尻だけ捕らえて言い返したって何も変わらないよ、そうでしょ?」
「………」

はあ、と。
ファリナはもう一度ため息をついて、顔を上げて笑みを浮かべた。

「マスター。ボク、決めました。まずは自分のやりたいこと、やっていこうかと思います」

その瞳には少しだけ生気が戻っているように見える。

「相手のためになると思ったことをやって。それが違ったのなら、謝って…。
今までと同じかもだけど、それが自分で決めたことになるから。
逃げずに全部、背負っていこうと思います」
「そっか。まあ、がんばって。また上手くいかなくっても、ここに来て愚痴ればいいよ、ね?」
「はい……ありがとうございます!」
「で、それはそうと、カッペリーニって伸びるの早いから早く食べた方がいいと思うよ?」
「あああああっ?!」

見れば、すっかり放置されている冷製パスタ。

「ごごごごめんなさい美味しいうちに一気に食べますっ!!」

ファリナは慌ててパスタを一気にかっこんだ。

「ふぬ、もひひひへふぅ(うん、おいしいです!)」
「うん、美味しいのはわかったから、ちゃんと飲み込んでから喋ろうね」

ばりっ。

「ふぐふっ?!ひひゃい…(痛い…)」
「貝ごと食べるから…痛くなかったらおかしーよ」
「うぐぐ……」

涙目になりながらファリナがパスタを食べていると。

からん。

再びドアベルの音がして、来客を告げる、

「いらっしゃーい」
「…こんにちは」

訪れたのは、青みがかった白髪に金の瞳の少年、アフィアだった。

「わ、また来てくれたんだー。いらっしゃい。えっと、アフィアくん、だっけ?」
「…そう。また、来ました」

嬉しそうなマスターとは対照的に淡々と言って、アフィアはカウンター席に腰掛けた。

「今日は、お店の自慢の品、ください」
「自慢のアレ、だね?」
「自慢のアレ?」
「芸人さんがね、食べた後にアピールタイムで美味しさをネタにしてくれるんだよー」
「マスター、ローカルネタ、よくないです」

サイレントヒル民にしか通じないネタです。

マスターは手際よくパスタを仕上げていくと、ぼんぼんぼんと豪勢な盛り付けをして、アフィアに出した。

「はいっ、ハーフムーン特製・プリンセスミューたん☆パにポにスペシャルだよー」

出されたのは、妙にピンクがかった色をしたパスタが山盛りにされ、そのあちこちに原色の野菜やフルーツ、何を混ぜているのか青いクリームなどが盛り付けられた、一見してゲテモノ感の漂うパスタ。
出されたアフィアどころか、まだ涙目でパスタを咀嚼しているファリナまでがドン引きして見ている。

「ささ、たべてたべてー♪」
「い………いただき、ます」

アフィアは意を決した無表情でパスタにフォークをつきたてた。
くるくる。ぱくり。
思い切って口の中に入れると。

「…………うそ。おいしい」
「でしょー!」

信じられない表情で呟いたアフィアに、マスターが嬉しそうに笑みを浮かべる。
アフィアは意外な美味しさに、山盛りにされたパスタをあっという間に平らげてしまった。

「……ごちそうさま、でした。美味しかった、です」
「んふーそう言ってくれて嬉しいよー」

素直に感想を述べるアフィアに、マスターも笑顔で食器を下げる。
皿が片付くと、アフィアは少しだけ身を乗り出して、マスターに言った。

「マスター」
「うん?」
「この前、人探し、聞いたお話、考えました。
人探し、得意な知人、いません。
専門家、依頼出すお金、ありません」
「そうだねー、なかなかねー。興信所って高いって言うしねー」
「うち、考えました。
張り紙、出してみようかと」
「張り紙?」
「マスター、ここ、張り紙出す、させてもらう、できますか?
できる、いくら、必要ですか?」
「えっ、別に張り紙をするのは構わないよ。お金も要らないけど」
「お金、いらない、ですか?」
「え、なんで?お仕事の依頼とか、広告とかじゃないでしょ?別にいらないよ?」
「そう、ですか」

アフィアは少しほっとしたように肩の力を抜いた。

「あとは、似顔絵、描いてほしい、です。
マスター、描けますか。もしくは、描ける人に心当たり、ありますか」
「絵だったら僕も描けるけどー……お客さんはどう?」

マスターがファリナに水を向けると、それまで少し興味ありげに話を聞いていたファリナがぱっと表情を輝かせる。

「似顔絵、ですか?人探しって言ってましたよね」

興味津々で近づいてきたファリナを、警戒するように無言で身を引くアフィア。
ファリナは慌てて自己紹介をした。

「あっ、ごめんなさい。ボクはファリナと言います、はじめまして」
「………アフィア、いいます」

まだ警戒気味のアフィア。
そこにマスターがへらっと笑って茶々を入れる。

「お客さん、ファリナくんっていうんだ」
「えっ?!ぼ、ボク名乗ってませんでしたか?!」
「名乗ってませんでしたよー前回から1回も。名前呼んだ人もいなかったし」
「ほ、ホントですか……あ、改めまして、ファリナ・フェリオンです!よろしくお願いします!」
「はいはいよろしくー♪」

気を取り直して。

「アフィアさんは、人を探していらっしゃるんですか?」
「……そう、です」
「お姉さんを探してるんだよねー。アフィアくんと似た感じの」
「お姉さんなんですか!」

マスターが横から注釈を入れると、アフィアは若干眉を寄せたが、ファリナは素直に驚いていた。

「それはまた大変な旅ですね…絵を描くのは上手くないですが…
人を探す役に立てるなら、頑張らせていただきます!」
「だって、アフィアくん。描いてもらう?」
「…マスター、は」
「ああもちろん、僕も描くよー。人手は多い方がいいもんね。
紙も画材もあるから、2人で描いて、いい方を採用すればいいじゃん、どお?」
「……それ、いい考え、です。お願い、します」

飛び入りファリナの参加に少し緊張気味ではあったが、アフィアは乗り気の様子で頷いた。
かくして、マスターとファリナの似顔絵描き大会が開催されたのである。

「姉様、うちと似ています。
うち、少し大人にする、姉様、似てる、なるらしいです」
「男前なお姉さんなんですかね…」
「違うよ、アフィアくんが若干女顔なんだよ」
「瞳、髪の色、海似てる、青です。
髪型、ショート、ロング、毎日みたい、変えてました」
「獣の槍?!」
「マスター、それ何人に通じると思います?」
「でも、長さ、肩くらい、多かった思います。
あ、髪の色、変えてたこと、ありました。赤、紫、白など。ゼブラ、ストライプだったとき、ありました」
「ファッショナブルっていうか……」
「……ヅラだったんじゃないかな」
「羽の模よ………」
「はね?」
「もよ?」
「……関係ない、でした」

アフィアから特徴を聞きながら、2人はマスターの用意した画用紙に似顔絵を描いていく。
ファリナは色鉛筆を使い、ガシャガシャと謎の音を立てながら懸命に描いているようで。

「あれ?おっかしいなぁ…」
「あっはみ出た?!」
「あぁここもミス…直さないと…ってさらにひどく…」

などと、傍で聞いていて不安要素しか与えない独り言と共に絵を描いていく。

一方のマスターは、さらさらと鉛筆を走らせて、驚くほどの短時間で満足げに頷いた。

「うん、こんなもんかな」
「マスター、筆、速い、ですね」
「みてみてー、じゃじゃーん」

そう言って、マスターがひっくり返して見せた画用紙には。

確かに青髪青目ではあるが、何故か眼鏡にカチューシャさらには猫耳までついており、さらには何故かスク水を着ている萌えロリ少女が描かれていた。

「………………マスター、これ」
「可愛いでしょ!ロリロリ天才科学者マーシャたん!このネコ耳は彼女の発明品でねえ、半径3キロの音波をばっちり計測…」
「マスター」

アフィアが少し怒ったような無表情でマスターの言葉を遮る。

「……真面目、やって、ください」
「……はい」

そんなやり取りをしている間に、ファリナの絵が出来上がったらし……
…いのだが。

「…ごめんなさい」

土下座しながらファリナが差し出したのは、人と判断できる要素の何もない、色も混ざって淀んだ絵とも言えぬ何かだった。

「…………」
「すっ、すみませんっ!はみ出したり間違えたりしたところを直していったら泥沼に…」
「……これ、さすがに、姉様、言う、無理」
「うう……すみません……」

残念そうに嘆息するアフィアと、がっくりとうなだれるファリナ。

「…しかしここで力になれずとも、ボクも旅をしているものですから、情報が入ればお伝えしますよ!」
「……ありがとう、ございます」

拳を固めて力説するファリナに、アフィアは微妙な表情で生返事。
と、そこに。

「できたよー、こんなんでいいかな?」

マスターの声がして、アフィアは期待していない表情で振り返った。
すると。

「!……姉、様………」

アフィアが思わず目を見開くほど、精密で写実的な絵がそこにあった。
顔のつくりは先ほど言った通り、アフィアをもう少し年かさにしたような。肩までの青い髪に青い瞳、アフィアの着ているような旅装束が描かれている。
ファリナも感心して目を丸くした。

「マスターすごい!料理も出来て絵もできるなんてかっこいいです!」
「やだなー褒めても何もでないよー?で、アフィアくん、こんなんでいい?」
「…すごい、です。これ、使います」

アフィアは若干呆然とした様子で、それでもマスターの絵を手に取ると、下の余白にさらさらと字を書き始めた。
先ほど言ったような、外見特徴。髪の長さや色は違う可能性があること。情報提供者には薄謝があること。
それらを簡潔にさらさら書くと、うん、とひとつ頷いて、再びマスターに差し出す。

「これ、お願い、します」
「りょーかーい。ばっちり貼っとくね!」
「また、来週、来てみます。
連絡、何かきた時、よろしく、お願いします」
「うん、情報集まるといいねー」
「ありがとう、ございます。お会計、お願い、します」
「はーい、まいどー」

笑顔のマスターに会計を済ませ、アフィアは静かに会釈すると店を後にした。
それを穏やかな笑顔で見送るファリナ。

「見つかるといいですね、お姉さん」
「そうだねー」
「じゃあ、僕もそろそろ行きますね」

そして、マスターに向き直り、会計をして。

「マスター、今日はありがとうございました。おかげでひとまず悩みは解決です」
「そ?それならよかった」
「いつかまた、ごはん食べるだけじゃなくて、相談しに来ちゃうかもしれませんが…その時は追い返してもかまいませんので。では!」

ファリナは早口でそう言うと、マスターの返事を待たずに店を飛び出した。

「ありがとねー」

マスターは手を振ってファリナを見送ってから、うーん、とひとりごちる。

「ありゃ、泣いてたなー。ちょっといじめすぎちゃったか」

苦笑して言って、しかしさほど気にも留めていない様子で、似顔絵を壁に貼る為に入り口の方へ歩み寄って。

「……うん?」

マスターは似顔絵を改めてしげしげと眺め、ポツリと呟いた。

「…これ、肝心のお姉さんの名前、書いてないな。アフィアくん、忘れちゃったのかな?」

第2週・レプスの刻

からん。

「へ~!ここがオルーカおすすめの店?かわいいじゃん!ちょっと狭いけど」
「こら、モモ」

ドアベルの音と共に入ってきたのは、色黒の少女と青年、それから先週も訪れた僧服姿の女性――オルーカだった。
マスターは笑顔で3人を出迎えた。

「いらっしゃーい。あれ、お客さん今日も来てくれたんだ、ありがとー」
「えっあっ、はい、あの、あっササさん、あっちの席にしましょうか」
「ん?どしたんだ?」

マスターにうっかり見惚れそうになって慌てて我に返ったオルーカに促され、きょとんとしながらテーブル席につく青年。
浅黒い肌に短めの金髪、彫りの深い顔立ちは黙って立っていると少しガラが悪いようにも見えるが、身に纏っている白衣が緩和しているように見えなくもない、そんないでたちだ。
オルーカが呼んだ通り、彼はササと呼ばれていた。

「悪いなオルーカ。結局一日付き合わせちまって」
「いえ、私も楽しかったですから」
「なにしてんの、兄貴、オルーカ!早く座ろうよー、疲れたし!」

2人より先にテーブル席についた少女の方は、『兄貴』という言葉の通り、ササとよく似ている。
ササと同じ金髪をふわりとカールにして花のヘアピンで留め、原色のキャミとミニスカにキャラもののバッグと、いかにも若い少女らしいいでたち。
ササの妹である彼女は、名をモモといった。

ササの実家からヴィーダまで遊びに来ていたモモを、今日一日案内していたようだ。
ササがモモの隣に、そしてオルーカがササの向かい側に腰を下ろすと、モモは楽しそうにササに言った。

「ねーねー!兄貴奢ってくれんでしょ?それともオルーカ?」
「あのな、一日その調子で。小遣い貰ってるんだろ。ここの金くらい自分の分払え」
「えーマジで!?ケチくない!?つかここ高いし!」
「高くないだろ。普通だ!」
「高いよぉ~!」

ササの実家・アスンシオンは、のんびりとした田園風景の広がる……まあありていに言えばド田舎なので、ヴィーダとの物価の差は深刻らしい。
頬を膨らすモモに、オルーカは苦笑して助け舟を出した。

「まだ学生さんですし仕方ないですよ。モモさんの分、私が払います」
「やりぃ!オルーカ、話分かんじゃん!」
「オルーカ、こいつを甘やかさないでくれ…」
「いいじゃないですか、食事くらい」
「いや…オレが払うから」
「え。そんないいですよ。ササさんもまだ学生なんですし」
「こないだ実入りのいいバイトしたから少し懐あったかいんだ。ここの食事別に高くないしさ。今日一日付き合ってくれた礼に奢らせてくれ」
「でも…」
「あたしね~、カルボナーラパスタ!あとパフェ食べたい!やっべ、この十二星座パフェ超気になるんですけど!あ、兄貴兄貴!スムージィって何!?」
「あーうるさい!黙ってらんねーのかお前は!」

自己主張の激しいモモをどうにかなだめるササ。
兄弟のいないオルーカは、その様子を微笑ましげに見守っている。

結局モモはササに怒られてパスタとスムージィだけを、オルーカは肉抜き和定食、ササはカツカレーとコーラを注文した。

「モモさん、ヴィーダはどうでしたか?」
「マジ普通に超やばかった!人いすぎだし、建物いっぱいあるし、全然見たことないもんばっかだし!」
「楽しかったですか?」
「ちょ~楽しかった!兄貴ずるいよね~、毎日ヴィーダにいるんだからさ」
「あのな。オレは遊びに来てるわけじゃねーんだぞ」
「んなこといってちゃっかり女だって作ってんじゃん!ね、オルーカ」
「え?」
「オ、オルーカはお前、その…!と、友達だからな!」
「きゃはは!親父とかにーちゃんねーちゃんに言ってやろーっと!」
「モモ!」

ササが頬を染めてモモに怒鳴ったところで、注文の品を持ってマスターがやってくる。

「はーい、お待たせー。こっちのお嬢ちゃんにはカルボナーラとスムージィ、おねーさんには和定食、おにーさんにはカツカレーとコーラね」
「あっ、ありがとうございます」
「はい、お嬢ちゃんにはヴィーダ観光記念、ミニパフェだよー。サービス!」
「えっうそマジで?!超嬉しいんですけど!」
「え、いいのか?何か悪いな…」
「いーのいーの、またヴィーダに来たらここにも来てね」
「絶対来るし!そしたらまたオマケしてよね!」
「こら、モモ!」
「ははは、そうだねー、また来てくれたらオマケしちゃうよ」
「すみません、マスター」
「いーのいーの、おねーさんもまた来てね。そんじゃ、ごゆっくりー」

マスターはへらっと笑って手を振ると、カウンターに戻っていく。
モモは早速、やってきたカルボナーラを一口食べて。

「何これ!?マジうめーんですけどー!」
「ホントだ、うまいな」
「ですよね?美味しいんですよ!」
「マスター気前いいしイケメンだし!また絶対来る!」
「ふふ、じゃあまたヴィーダに来たらここにしましょうね」
「うん!」

3人はしばらく夢中になって料理を食べた。
あらかた平らげたところで、ササがモモに尋ねる。

「で、今日帰り、何時の乗り合い馬車だ?」
「え~…まだ帰りたくないっつーか」
「バカ言うな。親父達が心配する」
「いーじゃん、一泊くらい!」
「ホテル代なんてないだろ」
「兄貴んとこ泊めてよ」
「アホ。オレのとこはドミだ。帰れ」
「え~!折角憧れのヴィーダに来たのに、一泊もできないなんてありえないし~!」
「お前なぁ。一日来れただけでも兄貴に感謝しなきゃなんだぞ。分かってんのか」
「そりゃー分かってるけどぉ」
「じゃ、帰れ」
「一泊!一泊だけさせてよ~。ね~兄貴金持ってんでしょ!?」
「余分な金は持ってねえ」
「さっきバイトで金あるって言ってたじゃん!」
「あれは必要なことに使うんだよ」
「あー女とかね。ちぇっ、オルーカはいいなぁ!」
「え」
「だから!オルーカは友達だって!」
「…」

きっぱり言い切られて複雑そうに苦笑するオルーカ。
モモはふくれっつらで、今度はオルーカの方を向いた。

「ねーオルーカからも頼んでよ!つかオルーカんち泊めて!」
「うちですか?」
「こらモモ!オルーカに迷惑かけんな!」
「うっさいなぁ!オルーカは迷惑なんて言ってないじゃん!ねえ!?」
「私も僧院に居候してる身なので、そこの宿舎でよければ、一泊くらいなら…」
「ぃやったー!」
「モモ!お前仕事は?!畑だってほっとけねーだろ。帰れ!」

どうやら実家は農家のようだ。

「一日くらいよくね?」
「バカやろう!何度も言うけど兄貴に迷惑かけんな!」
「んなん分かってるよ~!何さ、偉っそーに!兄貴なんか毎日ヴィーダで遊んでるくせにさ!」
「んなわけねーだろ!オレは学校に通ってんだぞ!」
「そんなの、ほとんど遊びじゃん!仕送りも女に使ってるって、親父にちくってやる!」
「モモ!」

ばしっ。

ササがモモをひっぱたき、オルーカは驚いて絶句した。
ササはモモを見下ろして、静かに告げる。

「帰れ」
「…兄貴がぶったぁぁぁ!」

わっ、と泣き出すモモ。

「モモさん!」
「オルーカ、放っといてくれ」
「そういうわけには…というか、何もぶたなくても!」
「言って分からない奴にはこうするしかないんだよ。ヴィーダに来たからって浮かれやがって…ったく、わがままなのは変わりゃしねえ」
「ちょ…言いすぎではありませんか?」
「…?」

オルーカはモモをかばうように肩を撫でながら、ササを咎めるように見上げる。

「このくらいの子が都会に憧れるのは当たり前ですよ。そりゃ、おうちのことはあるでしょうけど…一泊くらいどうにかならないのですか?こんなに必死なのに」
「オルーカは…うちのこと、知らないから」
「それは…知りません、すいません。でも、何も叩く必要はないと思います。兄妹なのでしょう?言葉で伝わらないことなんて、ないんじゃないですか?」
「伝わらないから、こうして躾が必要なんだろ」
「!そ、そんなこと言う方だとは思いませんでした!モモさんが可哀相です!ササさんは女の子の気持ちが分かってません!」
「気持ちより、優先させなきゃいけない事態ってのがあるだろ!」
「あまりに感情を無視しすぎです!モモさんの気持ちも考えて…」
「これは家族の問題だ!オルーカには関係ない!」
「!」

ぴしゃりと言い切られて、再び絶句するオルーカ。
ササも、言ってしまってから気まずそうに顔を背ける。
モモはといえば、2人がケンカを始めたあたりから、つっぷしたまま泣き声はやんでいた。

店内に気まずい空気が充満する。
と、そこに。

からん。

「こんにちは、マスター」

空気読まなさにかけては右に出るもののいないミケが、最悪のタイミングで、暢気に店のドアを開けて入ってきた。

「って、え……」
「どしたの、ミケ」
「いや、あの……」

さすがにただならぬ空気を感じたミケが足を止めると、後ろからミケの兄のクローネが中を覗き込む。
そして、クローネも中の空気を察したらしかった。

「……っ」

ササは無言で席を立つと、バン、と乱暴にカウンターに金を置き、ミケとクローネを押しのけて店の外へ出て行ってしまった。

「あの…え?えっと、オルーカさん……?」
「……ミケさん……」
「あの、さっきの…ええと、ササ、さんですよね。新年祭の時の……」
「ああ…はい」

オルーカはぼんやりとした表情で、ミケの問いに頷いた。
そういえば、ミケとササとは新年祭で面識があったことを思い出す。

「何か…あったんですか?」
「………」

オルーカはミケの問いには答えられず、表情を曇らせて俯いた。
と、そこに。

「オルーカ」

モモが顔を上げたので、オルーカは驚いてそちらを見た。
モモはいつの間にか泣き止んで……というか、涙の跡すら見えない。どうやら嘘泣きだったようで。
ばつの悪そうな表情で、モモは上目遣いにオルーカを見た。

「なんか~ごめん。あたしのせいで兄貴と喧嘩になったかんじ?」
「モモさんのせいでは…ありませんよ。それより、ほっぺ大丈夫ですか?回復魔法かけましょうか?」
「ううん、ヘーキ。兄貴にはちっちゃい頃からばしばし叩かれてたし、大して痛くないし。これくらいなんでもないっつーか、ただのスキンシップ?」
「そう……なんですか……」

へらへら笑うモモに、再び表情を曇らせて肩を落とすオルーカ。
そこに、ミケが心配そうに声をかける。

「兄貴…というと、ササさんの妹さん、ですか?」
「うん。モモ」
「どうしてこんなことに……?」
「なんか~あたしのせいで喧嘩になったってかんじ?」
「モモさんのせいで?」
「ん。あたしが兄貴怒らせちゃってさ、そのせいで」
「うーん……」

ミケは心配そうな表情で、モモに言った。

「あの、どんな理由なのかは良く分からないんですが。ササさん、あんまり困らせたら駄目だと思います。いくら、ご家族でも、です。
ササさんの気持ちを考えてあげて欲しいかな、と思いますよ」
「お前が言うなって」
「いたっ」

こつ。
クローネに小突かれて、ミケは小さく眉を寄せる。
クローネは苦笑して、オルーカに言った。

「大丈夫、レディ?……ね、『彼氏』と喧嘩したからって、そんなに顔を曇らせないでよ。君にも彼にも言い分はあるだろうけれど、少し落ち着いたら、もう一回お話ししてみたらどうかな。それまでに言いたいこと、君の中でまとめて、君の思いを伝えてみたら?ね?」
「はい……」

彼氏というワードに反応することも無く、生返事を返すオルーカ。
クローネは仕方がなさそうに肩を竦めた。

「彼の事、君の事、お互い分からない状態で考えを言い合うから、喧嘩になっちゃうのかも。
君がそう考えるようになった理由とか、お互いのことをもっと話して理解し合えたら、喧嘩にならなくなるかも知れないよね」
「相互理解が足りないのは、うちも一緒ですけどね……」
「お前もそういうこと言わないの」

まさに『お前が言うな大会』になったところで、不意にカウンターにいたマスターが声を上げた。

「あれー?ねえこれ、ずいぶん多いけど」

全員がそちらを振り返り、マスターは皆に見せるように金貨を1枚ひらひらと指先で踊らせる。
先ほど、ササが乱暴にカウンターに置いていった金だ。
ここの食事は割とリーズナブルなので、3人分とはいえ金貨1枚ではお釣りのほうが多いほどだ。
モモはそれを見て、大げさにため息をついた。

「おお。もしかしてホテル代?ったくー、結局甘いんだからなぁ、兄貴は!」
「…モモさん、どうしますか。ホテルに泊まってもいいですし、私のところに来てもいいですよ。お金なんてとりませんから」
「んーん、あたし帰るし」
「え?」
「一日仕事ほっぽってきたから畑とか心配でさ~。今日はリフレッシュできてよかった!明日っからまた頑張ろーっと」
「…」
「オルーカも付き合ってくれてあんがとね。マジすげー楽しかった。乗り合い馬車の時間近いし、そろそろ行かなきゃ」
「ササさんに挨拶は…」
「あ~いい、いい。ま、次会った時には忘れてるっしょ。兄貴って短気だけど怒りが長続きしないっつーか」
「…そう…ですか……」

兄妹だからだろうか。自分には判らない何かがあるのかもしれない。
そのことに何故か落ち込む自分を感じながら、オルーカは顔を上げた。

「じゃあ…馬車乗り場まで送ります」
「あっ、あんがとー!じゃ、ごっそーさんっ!」
「…ご馳走様でした。ミケさん達も、また…」

オルーカはミケたちに一礼すると、モモと共にその場を後にした。
その後姿を心配そうに見やるミケとクローネ。

「……大丈夫、でしょうか?」
「んー……彼らの問題だからねえ」

何かしてあげたそうなミケと対照的に、現実的なクローネ。
と、テーブル席を片付けに行ったマスターが声を上げる。

「あれー、あのおねーさんもお代置いてっちゃったよ」

そちらを振り返れば、テーブル席に置かれた銀貨三枚を前に苦笑するマスター。

「こっちも微妙に多いんだけど、まあお代としてもらっとこうかな。
あのおにーさんの分は、次に来た時に返せばいいよね。いわゆるひとつの、フラグってやつ」

うんうんと独り言を言いながら手際よくテーブルを片付けると、マスターはミケとクローネに言った。

「ミケくんとおにーさんも、まあ気を取り直して座ってよ?今水とお絞り用意するからさ」
「あっ、はい」

頷いてカウンター席に座る2人。
マスターが水を持ってくると、クローネは微妙に気まずそうに受け取ってアイスティーを注文した。
以前来た時に、かなりマスターに言いたい放題言われたことを思い出して、ミケも微妙な気持ちでダージリンを注文する。
オーダーはすぐに出され、マスターも皿磨きに入ったところで、クローネは真面目な表情で切り出した。

「……ミケ」
「な、なんでしょうか」
「……最近、仕事とか、どう?」
「え、えーとえーと……頑張ってますよ。あれ、手紙、まだ届いていませんか?」
「……うん、まぁ、届いたことは届いたんだけど、俺、中を見てないんだ。他に何かあったとか、緊急事態とか結婚しますとかじゃないんだよね?」
「え?あ、はい。手紙が読めないような状態になっちゃったとか?」

ミケは不安そうに聞きながら、とりあえず手紙の内容をはしょって伝える。
クローネは安心したように息をついた。

「手紙は、無事に届いていたよ。そっか。それなら……良かった。俺も、兄貴も、父上も、心配してたんだ」
「ご、ごめんなさい……でも、手紙……届いたんですよね?なんだか、誰も読んでいないような言い方ですよね」

訝しげにミケが問うと、クローネはたっぷりの沈黙の後、アイスティーのグラスに視線を落とす。

「お前のタイミングの悪さというか、空気の読めなさ加減は、むしろ神業の域だと思う。無用に人生ドラマチックにしてない?」
「……喧嘩を、売りに来たんですか?買いますよ……?」

カウンター席に並んで座ったまま、視線を前に向けてぼそりと返すミケ。
まあ、先ほど最悪のタイミングで入店した手前、否定もできないが。
クローネは嘆息すると、半眼でミケに言った。

「どーして、お前探して旅に出たノーラがたまたま帰ってきて受け取るようなタイミングで、うちに手紙寄こしたんだよ?お前に会いに行くんだって、手紙持って家を飛び出していったんだけど」
「…………え」

絶句、という言葉が一番近い。
クローネの口から飛び出た名前に、ミケはこわばった顔でクローネの方を見る。

「姉上が、会いに来る?」
「住所、書いてあったんだろ?」
「…………」
「もしやお前に何かあったのかと、心配したし……お前、ノーラのこと、どっちかっていうと、苦手じゃない?心の準備くらいは、と思って」
「…………」
「ミケ?」
「…………」
「み、ミケー?おーい」

人形のようにこわばって動かなくなったミケに、クローネは目の前で手をひらひらとさせてみる。
と。

がっ。
ミケはやおらクローネの襟元を掴むと、普段からは信じられないような力でがくがくと揺すぶった。

「な……なんで、姉上を止めてくれないんですか!?」
「いや、止める間もなかったから」
「…………」
「どーする?」

クローネが苦笑して問うと、ミケはようやく襟元から手を離し、かくん、と再び椅子に座った。
まだ呆然として焦点の合わない様子の表情に、眉を寄せるクローネ。

「そもそも、さ……なんでノーラが苦手なの?」
「出来が良い兄姉を持つと、大変なんです」
「まぁ、そうだけどさ」

ふ、と嘆息して、当時のことを思い出すクローネ。

「母上が亡くなってから、すごかったからね、ノーラは。
『わたくしが、ミケを、まもるの!おかあさまと、やくそくしました。だから、だいじょうぶよ、ミケ。ないちゃだめよ』って。口癖だった」
「………ええ」
「武術にも勉学にも一生懸命取り組んで、その上達ぶりもすごかった。ミケを守るんだっていう気持ちがそうさせたのかもね。
その言葉の通り、お前といつも一緒にいたし」
「………………ええ」

若干青ざめているミケの表情。
クローネは首を傾げつつも、続けた。

「…それが、お前にとって負担だった?」

自分よりも綺麗で、優秀で、強くて。
何もかもが秀でている『優秀な兄弟』の話は、ミケにとっては鬱スイッチなのは、不本意だがクローネもよく知っている。
比較され、何もできないとミケを追い詰めている『優秀な兄弟』の中には、自分も含まれているのだから。自分にそのつもりが無くとも。

だが、ミケの、自分に向けるまなざしと、ノーラに向けるそれとは、少し違うような気がする。
自分への視線は、嫉妬と、羨望と、敬愛の入り混じった複雑なものだが、ノーラへの視線はそれにさらに『恐怖』が加わっている。
それが、クローネにとってかなり不可解だったのだ。あれだけ一緒にいて、面倒を見ていた優しい姉だというのに。

ミケは何かを考えている様子で、自分の手元と、クローネとに交互に視線をやった。

「兄上」
「なぁに?」
「お願いが、あるんですけど」
「……うん」
「姉上に、来週、待ってるから……って、伝えてもらうこと、できますか?」
「勿論」

何かを決意したような表情に、にこりと柔らかく微笑みかけるクローネ。

「手紙とかにしておく?」
「……書きます」

ミケはぎこちなく頷くと、先週のようにマスターに便箋と封筒をもらい、さらさらとしたためた。

「兄上、あの、これ……届けたら、姉上に」
「うん」
「……一旦家に帰って、心を落ち着けて、馬車とかなんでもいいから使って来るように伝えてください。間違っても自分で早馬飛ばして強行軍で来るとか、不意打ちとか、止めてくださいねって。あと、僕が送った手紙はちゃんと他の人にも見せてくださいってお願いしてください」
「……わ、わかった……」
「……か、感動の再会とか言って、全力で抱きつくのは止めてねって!来る途中の進路上の物を粉砕したりしないでねって!あと、あとは……」
「……あのさ、ミケ」
「なんでしょうか?」
「……ノーラは、そんな、攻撃的な子じゃ、ないよ?」

錯乱している子供を諭すように。
表情にくっきりと『なに訳わかんないこと言ってんだこいつ』と貼り付けて、クローネは言う。

ミケは焦点の合わない目でぶんぶんと首を振った。

「騙されてる、騙されているんだ。10年もたったんだ……熊が絞め殺せるようになっていたっておかしくない、いやもっと強くなっていたらどうしよう、怖い」
「……待って、ミケ。ノーラがそんなコトするわけがないじゃない」

本当に、思いもよらないことを言われたという様子のクローネ。
ミケは一瞬逡巡したが、やがて意を決したように言った。

「だって、姉上、護身術の練習とかいいながら、大人をぶん投げてましたよ、昔!」
「……え?いや、まさか。それにあんまり重い物は持っているところは……いや、俺たちも持たせないようにしてたけど」
「小麦の大袋だって、僕の分も含めて軽々持ってましたよ!僕がいじめられたって聞いて相手の子を締め上げようとしたときには、殺すと思いましたね!あれは護身術の域ではありません」
「まっさかー」

はは、と笑ってから、ミケが依然青ざめた硬い表情をしているので、眉を寄せる。

「……マジで?」
「……あなたたちは、お姫様のように姉上を扱ってたから、知らないだけだと、思います」

ミケの必死の訴えに、クローネはまだどこか信じられないような表情ではあったけれども、頷いた。

「でも……うん。真っ正面から向き合うっていうのなら、応援するから」
「……ありがとう、ございます……」

硬い声で言って、ダージリンを一口飲むミケ。
その顔はまだ青ざめていて、目は虚空を睨んでいる。

クローネはその横顔を見つめながら、こっそりと嘆息するのだった。

第2週・ストゥルーの刻

「マスターこんばんは!」

からん。
ドアベルを鳴らしてひょこりと顔を出したのは、先週訪れたユキだった。

「あー、こないだのお客さんだー。いらっしゃい」
「へへっ、また来ちゃった」

笑顔でマスターが迎えると、ユキはうれしそうにちょこちょこと店内に入り、カウンター席に腰掛ける。

「今日は一人なんだ?」
「うん、こないだは1人で入る勇気がなかったからアルさんに来てもらったんだ。
でももう今日は平気だから、1人で来たの」
「そっか、嬉しいなー。ご注文はー?」
「えーっとー……」

ユキはメニュー表を見ながらしばらく考えて。

「…じゃあ、オムライス!」
「オムライスね、かしこまりー」

早速料理に取り掛かるマスター。
ユキはそれを妙に嬉しそうに見やりながら、マスターに話しかける。

「あのね、この間の依頼が終わったから、マスターに教えようと思って来たんだ!」
「そうなんだ、お疲れさまー。
ストー……熱愛な幽霊は退治できた?」

とりあえずストーカーという言葉はひっこめるマスター。
ユキは嬉しそうに頷いた。

「うん!なんとか!
なかなか現われなかったけど、ようやく出てきて、浄化の魔法が使えた戦士の人が倒してくれたんだ」
「そうなんだ、そういう人がいてよかったよねえ」
「うん、ホントによかったよ。その幽霊ね、なんでか僕が一人になった時に出てきたんだよ。
憑かれそうになったけど、すぐに戦士の人が助けてくれたんだ」
「そっかー。その戦士の人も、お客さんを気にかけててくれたのかもね」
「えっ、どうして?」
「んー、お客さん可愛いから、お嬢様の代わりの新しい恋のターゲットに選ばれちゃいそうだし」
「えーっ、そんなことないよー」

ユキはけらけらと笑って手を振る。本当にそんなことはありえない、冗談で言っているのだと心底思っている様子で。
しかし、それから少し表情を曇らせると、続けた。

「でも、その戦士の人、お礼言おうとしたらもういなくなってたんだ。
お礼くらい言いたかったのにな……」
「そうなんだ。依頼って何人かで受けたんでしょ?他の人と面通しとかしなかったの?」
「面通しはしたよ。その時まではいたんだけど……」
「だよね。それに、お仕事終わったら、依頼受けた人でまとめて事後報告とかありそうなのにね。なかったの?」
「うん、報酬を受け取ったときにはいなかったんだ」
「そっかー。さっさと倒して報酬もらって帰っちゃったのかな?」

首を傾げて、不思議そうに言うマスター。

「奥ゆかしいっていうか、変わった人だよねー。
むしろその人も幽霊だったりしてね!あはは!」
「幽霊でもやっぱりお礼はしたかったなー」
「お客さんは律儀だねえ」

まあ、その幽霊さんは、先週ユキの後をつけるようにして入ってきて、ユキの先生だったと名乗ったあの男性なのだろうが。
マスターはそれは口には出さずに、出来上がったオムライスをユキに出した。

「はいどうぞー、オムライス」
「うわぁ、美味しそう!いただきます!」

満面の笑顔でオムライスを食べ始めるユキ。

「うん、美味しい!マスター本当にお料理上手だね!」
「えへへーありがとー」

ユキはしばらく幸せそうにオムライスを食べていたが、あらかた食べ終わったところで、ふと思い出したようにマスターに言った。

「あ、そうだ。マスターなら知ってるかも」
「うん?」
「ここっていろんな人が来るよね?じゃあこういう人見たことない?
ちょっと長い銀の髪に、黒い目をしたカッコいい男の人!
黒い服着てる黒い翼の翼人なんだけど………」
「ふぅん。お客さんも人探しかぁ。
名前は何ていうの?」

先ほど肝心の名前を書き忘れたまま帰ってしまったアフィアを思い出して、問うマスター。
ユキは眉を寄せて考えた。

「うーん……名前言ってもいいのかな……マスターなら大丈夫だよね。
名前はね、リグトゥっていうんだ」
「リグトゥさんね。男の人で、黒服の翼人と」
「うん。僕の師匠なんだけど……ずっと探してるんだ。試練だって」
「試練?」
「うん、師匠を探し出す試練……」

ユキは少し俯いて、それから不安そうにマスターを見た。

「ね、知らない?こういう人」
「んー、残念だけど知らないなあ」

マスターは眉を寄せて肩を竦める。
ユキはため息をついた。

「そっかぁ……もし見かけたら、教えてくれる?僕また来るから」
「ま、それは構わないけどさ」

マスターはあまり興味がなさそうな様子で頷いた。

「でもさっきお客さん、『試練』だって言ってたでしょ?
今言ったような特徴で探してて、見つかるのかな?」
「えっ」

きょとんとするユキ。
マスターは続けた。

「だってさ、『試練』ってことは、そのリグトゥって人は意図的にお客さんに見つからないようにしてるんでしょ。
変装してたら?服も声も喋り方も変えてカツラかぶってたら?
今みたいな探し方で見つかるのかな?
少なくとも、僕が身を隠す側だったら絶対にそうするけど」
「あ………そう、だよね……」

まったく思ってもみないことを言われた、というように、呆然とユキは呟いた。

「いろいろ試して見つからないのは、当たり前かぁ……。
そうだよね、アルさんだって見つけられないんだもんね。
師匠変装名人だから、頑張らないと………」

少ししゅんとしてそう言って。
しかし、すぐに気を取り直した様子で顔を上げると、マスターににこりと笑いかけた。

「うん!僕、一生懸命頑張ってみる!
ありがとう、マスター!!」
「いやいや、僕は何もしてないよー」
「でもどうしようかな。変装しちゃったら僕には見分けがつかないし……。
あ、でも師匠の性格はわかってるから、雰囲気からでも解かるかも」
「雰囲気?」
「うん!あのね、師匠はクールで冷たくてプライドも高い人なんだ」

あまりプラス要素ではない特徴を、嬉々として語るユキ。
マスターは苦笑した。

「うーん、クールで冷たい人がこんな可愛い系のカフェに来るかなー。
裏通りの酒場とか探した方がいいんじゃない?」
「うーん、そうかぁ…」
「でも、クールで冷たくてプライド高いって、面倒そうな人だね?大丈夫?」
「面倒そう?かな?そんなことないよ!」

ユキは首を振って力説した。

「ちょっと酷い人にも見えるけど、本当は優しい師匠が僕は大好き!
僕の憧れの人なんだ!」
「そっかー」

その様子は、どう贔屓目に見てもただの『師匠』への感情とは程遠く。
マスターは再び苦笑すると、ユキに言った。

「じゃあ、見つかるといいね」
「うん!早く見つけるように頑張る!」

ユキは大きく頷いて、オムライスの最後の一口を食べた。

「じゃあ僕、そろそろ帰って寝ないと。また来るね、マスター!
ご馳走様、おやすみ!」
「はーい、まいどありー。また来てねー」

ユキは慌しく会計を済ませると、足早に店を後にした。
その背中を見送ってから、マスターは苦笑してユキの皿を片付ける。

「……まー、心当たりがないわけじゃないんだけどねー」

ユキの『師匠』。
変装が得意で、本性は冷たくクールで、プライドが高くて。
ユキの後をつけるようにして店に入り、そしてユキの後を追って依頼の現場へと赴き、ユキを助けて去っていった。
自分を探すようにユキに命じておきながら、自分は変装をしてユキのすぐ側で見守り、必要があればひそかに助けていく。
おそらくは、ユキが彼に『師匠』以上の感情を抱いているのと同様に、彼もまたユキに対して歪んだ愛情を向けているのだろう。
他人が不用意に触れれば、バラバラにしかねないほどの鋭く歪んだ愛を。

「なるほどねー、確かに、ストーカーよりタチ悪いわ」

マスターはそうひとりごちると、カウンターに戻って皿を洗い始めるのだった。

第2週・マティーノの刻

「おっと、もうこんな時間か」

時計を見れば、もう閉店の時刻はとっくに過ぎていた。
紙粘土で人形を作る作業に没頭していたマスターは、立ち上がってクローズの札を取る。
と。

からん。

「カー兄ー、やっほー!」

元気よくドアを開けて入ってきたのは、褐色肌に金の髪の少女だった。
その声を聞いて、嬉しそうにそちらを向くマスター。

「おー、ロッテちゃんじゃん、久しぶりー。相変わらず可愛いねぇ」
「カー兄も相変わらずオットコマエー!」

ひし。
お互いに冗談のような麗句をかけ合って、親しげに抱きしめあう。
ロッテと呼ばれたこの少女は、マスターの姪であった。

「あり、お店閉めるとこだった?」
「うんそう。もう閉めるけど、ロッテちゃんはゆっくりしてって?」
「いいの?」
「ん、今日はあの天使ちゃんもいないしね?」
「んふー、リー連れてくるとイロイロうるさいしさ、不本意だけどオトコに押し付けてきた」

ロッテはひらっと手を振って、カウンターに腰掛ける。
マスターはドアにクローズの札をかけてからカウンターに回ると、ロッテに訊いた。

「何飲むー?」
「んーっと、ジンジャーエール」
「かしこまりー」

手際よくコップにジンジャーエールを注いでロッテに出すと、カウンターから出てロッテの隣に腰掛ける。

「どう、元気にやってる?」
「ん、ぼちぼちー」
「キルくんは?今度は一緒に来てって言ったじゃん」
「あはは、ボクんとこ来るか来ないかはアイツの都合次第だからなー」
「んー、そうだよねえ、ツー兄の目を盗んで来るのは大変だろうねー」
「やっぱそうなの?」
「そうそう。目ざとくて地獄耳で、オマケにしつこいんだー、蛇みたい」
「あはは、さっすがキルのパパだねえ。そっくし」
「まったくだねー。でもそれ本人に言わない方がいいよ?」

などと、軽口を叩いていると。

「残念ながら、もう聞いてしまいました」

唐突に、2人の後ろから声がかかる。
2人が振り返ると、そこには紫色のローブ姿の少年が笑顔で立っていた。

「キル!」
「キルくん、久しぶりー」

驚いた様子のロッテと、いつもの調子で軽く手を振るマスター。

キルと呼ばれたその少年は、マスターと同じ褐色肌に長い黒髪、濃いオレンジ色の瞳をしていて、面差しもよく似通っている。ロッテよりかなり色濃く、血の繋がりを思わせた。
マスターの甥であり、ロッテとは父親同士が兄弟の従兄弟で、そして恋人同士でもある。マスターは、彼らの父親たちの末の弟だった。

「いつからいたの?」
「つい先ほどから。まさか叔父様の所にいらっしゃるとは思いませんでしたが」
「…どっからきいてた?」
「私が目ざとくて地獄耳で蛇のようにしつこい父そっくりだと」
「あちゃー」

ロッテは苦笑して言ってから、キルの首にするりと腕を回した。

「でも、そぉでしょ?」
「否定はしませんが」
「んふふ」

2人はかなり親しげに軽く唇を重ねると、身体を離す。
マスターは苦笑した。

「いやー、ラブラブだねぇ、2人」
「んふー」
「畏れ入ります」
「キルくんはここ来るの初めてだっけ?」
「ええ、叔母様からお話だけは伺っていましたが」
「ああ、チャカちゃん確かにこないだ来たねえ。何か仕掛けてる最中だったみたいだけど……まあ、それはもう終わったみたいだね」

昼間、ファリナがチャカの名前を出したということは、そういうことなのだろう。
マスターはにこりとキルに微笑みかけた。

「今度は、キルくんが何か仕掛ける番?」
「私が、ですか?とんでもない」

キルはにこりと、マスターとよく似た微笑を返した。

「私は今のところは、私の姫君の他に興味などありませんから」
「うっはー、キルくんの口から惚気聞くとは思わなかったよー」
「それに……」

キルは思わせぶりに言葉を切って、ロッテに視線を移した。

「ん?ボク?」
「いえ、姫君ご執心の半天使のお嬢様に」
「リーが?」

きょとんとするロッテに、にこり、と綺麗な笑みを投げるキル。

「お嬢様に、何かが起こりそうな予感がしますよ」
「えー、キミ何か知ってんの?」
「ふふ、秘密です。
叔父様、私には赤ワインを頂けますか」
「おっ、飲むの。いいのが入ったんだー、一緒に飲もうよ」
「ええ、是非」
「ちょっとキル、教えてよー!」

魔の血族が集う店内で。
和やかな会話の中、夜は静かに更けていくのだった。

…To be continued…

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