第1週・ルヒティンの刻

からん。

「こんにちは、マスター」

やけに上機嫌な様子で入ってきたのは、長い栗色の髪を三つ編みにし、いかにも魔術師らしい黒いローブを着た青年。
名を、ミケといった。
カウンターの中にいたマスターは、笑顔で彼に声をかける。

「おっ、ミケくんいらっしゃーい。ちょっと久しぶりかな?」
「そうですね、最近ちょっとご無沙汰だったかな。
……仕事が、1個終わりまして。懐が温かいので、お茶飲みに来ました!」

言いながら、カウンターに腰掛けるミケ。
肩に乗っていた黒猫のポチがすとんとカウンターに下りたところで、マスターが水とお絞りを出した。

「はいどーぞ。ご注文は?」
「じゃあ、アールグレイを。で、この子に温めのミルクを」
「かしこまりー」

マスターはにこりと笑って、早速作業に取り掛かる。
手早く紅茶を入れながら、席に座るミケに話しかけた。

「忙しいの?最近」
「そうですね、最近、ギルドのお仕事が多めにもらえたんです」
「ギルドって、魔術師ギルド?」
「あっ、はい。先日、魔導師ギルドで受けたウォークラリーのお仕事が呼び水かなぁ……。
冒険者として、バイトとしてはお金稼いでいましたが……こんなに魔導師としてのお仕事しているのは初めてかも知れない……」
「あっはは、それ魔術師としてはどうなの」
「ですよねー。でも、おかげで先日してしまった先生からの借金が返せそうなんです!」
「先生って、洸蝶祭のときに連れてきた美人のエルフさん?」
「あっ、はい。先生が買い求めたものを壊してしまって、それで借金を」
「あはー災難だったねー」

詳しくは「洸蝶の宴」をご覧ください(宣伝)

「はいどうぞ、アールグレイねー。ポチたんにはミルクねー」
「あっ、ありがとうございます」
「にゃー」

出された紅茶とミルクを飲み、一息つくミケとポチ。
そこに、マスターがにこりと微笑みかける。

「良かったじゃん、お仕事増えて。確か前お金ないーみたいなこと言ってなかった?」
「ええ、はい。本当に………おなか一杯食べられる……幸せですね」
「にゃっ!」
「どんだけー」
「いや、それもそうなんですけど、ね」

ミケは改めて、にこりと嬉しそうに微笑んだ。

「ちゃんと、一人前の魔導師に、なれたかなぁ、って。ギルドで任せてもらえる仕事が増えて、ちょっと、そんな気がしたんです」
「そっか、自分の分野で認められるって、嬉しいよね。
お兄さんに胸張れる日も近いかな?」
「そ、その節はご迷惑を……」

マスターの言葉に、恥ずかしそうに俯く。
詳しくは前回のハーフムーン第2話をご参照ください(宣伝)

「まだ微妙なの?家族とは」
「あ、ええ……まあ…」

マスターの言葉に、複雑そうに視線をそらすミケ。
マスターは苦笑した。

「ま、気持ちはわかるけどさー。
けど、認められてきたなってのは、ミケくんも感じてるんでしょ?」
「うーん……そうですねえ……」

ミケはそらした視線を遠くにやって、ポツリと呟く。

「…………実家に手紙でも出してみようかな」
「手紙?」
「…はい、以前出そうと思って…でも結局、出せずにいたんですよね」

苦笑してマスターに視線を戻して。

「僕、実は家出してきちゃってるんですよ」
「いえで?」
「はい」
「…ミケくんいくつだっけ?」
「…20歳ですけど」
「いえでって年でもなくない?」
「出たのはもうずいぶん前の話ですっ」

むう、とむくれてから、嘆息する。

「…以前、話したと思うんですけど。僕の家は、騎士の家系で…父も立派な騎士で。
兄たちは騎士としてとても優秀で…でもどういうわけか、僕だけまったくその素養を持ってなかったんですよ」
「うん、それで、魔道士になるって決めたんだったよね」
「はい。けど、父に話したら大反対されて。家業につけって言われて…説得しても無駄で。
つい…その、父を殴り倒して家出てきちゃったんですよね…」
「わぁお。ミケくんたまに大胆だよね」

マスターは目を丸くした。

「かっとなってやった、今は反省している?」
「通り魔ニュースじゃないんですから」
「騎士になったら負けだと思ってる、とか」
「ニートの言い訳ですか」

ひとしきりツッコミをくれてから、再び嘆息するミケ。

「まあ、そういう流れで家出してから、一度も実家には帰ってないし、連絡もしてないんです。
こないだ連れてきた兄は、割とあちこちを飛び回ってる人なんで、会いに来たり連絡をとったりもするんですけど…」
「ああ、こないだのイケメンおにーさんね」
「イケメ…まあ、その通りですけど」
「くさらないくさらない。もう帰る気ないの?」
「いえ……一人前の魔導師になれたら…ちゃんと胸を張ってこれが自分で選んだ道なんだよ、と言えるようになったら。
そうしたら、家に帰ろう。そう決めてたんです」
「一人前になるまでは、帰らないし連絡もしない?」
「いえ、そういうわけじゃ…でも、出てきた流れが流れなだけに、その」
「まあ、連絡はしにくいよね、父さん殴り倒して出てきちゃいました、だとねー」

けらけら笑うマスターに、憮然とする。

「……生存表明くらいは、しておいた方が良いかな、と。
兄と話をして……自分が家族に心配かけっぱなしでどうしようもない子どもだということも、分かったから」
「まーまー、実家ってのは心配と迷惑かけるためにあるんだよ。
でもミケくんがそう思うなら、手紙、書いてみたら?」
「……そうですね」

やっと微笑んだミケに、マスターはひょいと何かを差し出した。

「そしてこちらが、便箋・封筒・ペンのお手紙セットになりまーす」
「うわっ。…準備いいですね」
「や、手紙書こうって今思い立ったなら、便箋とか持ってないだろうなーと思って。
帰るまでに決意が鈍るかもしれないしねー」
「うう、僕信用ないんですね……」
「今まで一回も連絡してないっていう実績があるからねー」
「…返す言葉もありません」

ミケはしゅんとして便箋を受け取ると、早速手紙をしたため始めた。
マスターも気を遣ってカウンターを離れ、窓やその側のフィギュアなどを丁寧に掃除している。
しばし、さらさらとペンの音だけが店内に響いた。

「これでよし……と」

最後のサインを入れ、封筒にしまい、封をする。
ミケはしばし、両手で持ったその封筒を難しい表情で眺めて。

「マスター……」
「んー?」
「ごめんなさい、出してもらっても良いですか?」
「えぇぇ?」

半笑いになるマスター。
ミケは渋い顔で俯き、ぐい、とマスターの胸に押し付けるようにして封筒を渡す。

「なんか、出すまでに決意が揺らぎそうな気がするんですっ!」
「よわー」
「ほっといてください」
「ま、いいよー、なんかのついでに出しとくね」
「すみません、ありがとうございます」

ミケはほっと一息ついて、残りの紅茶を飲み干した。

「よしっ、お仕事しよう!ポチ、帰りましょうか?」
「にゃっ」
「マスター、おいくらですか?」
「んっと、銅貨5枚ね」
「はい、では……」

ちゃりちゃり、とマスターの手に銀貨を渡して。

「それじゃあ、ごちそうさまでした。また来ますね」
「うん、待ってるねー。ありがとー」

マスターがひらひらと手を振って見送るのを横目に、ミケは店を後にするのだった。

第1週・ミドルの刻

時刻は、そろそろお昼時。
閑古鳥と仲の良いこの店も、それなりに客がやってくる。

からん。
ドアベルを鳴らして入ってきたのは、異国の装束を着た地人の女性だった。
腰までの黒髪を三つ編みにし、意志の強そうな茶の瞳が印象的だが、それ以上に身体のあちこちについた傷跡が痛々しい。
地人であるにもかかわらずのその傷跡は、彼女の激しい戦闘経験を思わせる。
彼女は、名をおりょうといった。

「いらっしゃーい」

愛想よく挨拶をするマスターに、笑みを見せるおりょう。
マスターが自分と同じ地人種族であることに親近感を覚えたようだ。

「主殿、ご無礼仕る。
それがし、ひと時の安らぎと旨いものを所望致す」
「はいはーい、どうぞ好きなところに座ってね」
「では」

一礼して、カウンターに腰をかける。
マスターに差し出された水とお絞りでひと段落。
それから、おりょうはメニューに目をやることなく、マスターに言った。

「麺類でお勧めのものがあればそれを頂戴しようかの」
「めんるい?」
「うむ。できるだけこの街を代表するものが良かろう。
要するに、ナノクニなど他の地方では食べられぬものを所望いたそう」
「ここでしか食べられない麺かー!お客さん、難しいこと言うねえ」

マスターはははっと陽気な笑みを見せた。

「見たところナノクニの人かな?ナノクニのソバって美味しいよねv僕大好きなんだー」
「なんと、ナノクニのソバを知っておるとは。主殿、侮れぬな」
「んっふふー、僕結構ナノクニマニアなんだー」
「そうであったか。ナノクニの名人がうったソバは実に素晴らしい。
それがしはナノクニには戻れぬ身ゆえ、もう叶わぬが……。
ワンコソバ、見かけたら挑戦すると面白いぞ。ソバ好きにはたまらぬ」
「わんこそばなら食べたことあるよー。あんまりたくさんは食べられなかったけどね」
「そうか。では主殿はかなりのソバ通であるのだな」
「いやいや、ソバは奥が深いよー。って、ソバの話じゃなかったね」

てへ、といたずらっぽく笑って、話を元に戻す。

「ここで出せる麺類って言うとパスタになっちゃうけど、パスタはどこでも食べられるしねー」
「ふむ、パスタは色々と食べてきたゆえ面白みがないのう。
そういえば一月くらい前にラザニアを食ったのう。あれは麺類ではないが絶品であった」
「お客さんもこのあたりを満喫してるみたいだねぇ」

にこり、と笑ってから。

「このあたりの郷土料理で麺類ってなると、シュペッツレっていう、人差し指くらいの長さのやつがあるよ。
チーズソースと絡めて食べると美味しいんだー。
「おお、それこそまさに今食べるべきものであろう。人差し指くらいか、刀削麺よりさらに短いのう。
出会ったことのない麺。それこそが、それがしの望みぞ」
「ただ、これ作るとなると麺から打つことになっちゃうから、ちょっと時間がかかっちゃうかな。
それでもいい?」
「なに、時間など麺を打つ主殿と話しでもしておればすぐに過ぎよう」
「そっかー、じゃあ早速作るね。出来るまでこれでもどうぞー」

こと、と、いつの間に入れたのか、緑茶を差し出すマスター。
おりょうはかたじけない、と一礼してそれを飲みつつ、麺を打つマスターに機嫌よく話し始めた。

「さて、馳走を待つ間は雑談でもしようかのう。
ついでに麺を打つところから見学仕ろう。麺を打つには体力と技術がなくてはならぬな」
「あはは、どうぞどうぞー。僕これでも男の子だからねー、それなりに体力はあるよ?」
「主殿は修行してどのくらいになるのか?
それがしは六つのときより剣の道に進んだのう。ひたすら剣を振っておったな」
「そうなんだー。見るからに百戦錬磨って感じだもんねー。僕は剣は無理だなー。
修行っつか、料理は好きでよく作ってるんだよー。面白そうだったらあれこれ手を出してるから、いつからとかもう記憶にないなー」
「ほほう、それにしては中々の手さばき。
さすが、ナノクニのソバに目をつけただけのことはあるの」

カウンターの中で手早く生地を練っていくマスターの手つきを感心したように眺めるおりょう。

「あー、どこまで話したか。おお、剣で暮らした話か」
「そうそう、6歳のときから修行なんて、すごいよねー」
「それがしの近隣では未だに領主共の諍いが絶えぬのだ。
特に地人の集落はあまり大きくもなかったからいつも周りのご機嫌伺いだ。高い税をとられ、戦に人を引っ張り出されての」
「そうなんだ、ひどい話だねー」
「あー、いわゆる地人は怪我の直りが早いのでな、弾除けにはちょうどいいわけだ。
そんなこんなで、子供はまず剣士としての資質を問われるのだ」
「領主の考えそうなことだよねー」

地味に残酷なおりょうの話も、まるで他人事のようなコメントを返すマスター。
まとめた生地から指先で器用に短い麺をひねり出していく。

「ふむふむ、マカロニよりも長くだな。これをチーズと一緒に、か。食欲をそそるのう」
「でしょー、美味しいんだよー。
で、小さい頃から剣士として修行してきたんだ?」
「おお、そうじゃった。
そんなわけで、それがしは幼くしてそこそこの力を見せた。初陣は十のときであったな」
「うーん、アンバランス武器萌えの世界だねえ。残念ながら僕のストライクゾーンからは外れてるんだけど」
「なんと?」
「ううんこっちの話ー。で?」
「うむ…最初は生き残るだけで精一杯だったがの、運よくここまで生き残った。身体中の傷跡はそのときの名残だ。
地人だって傷跡は残るのだ、勘違いするものが多くて困る」
「そうだよねえ、命をご主人様に預かってもらってるわけじゃないんだからさー、そんなに綺麗に治るわけないじゃんねえ」
「なんと?」
「ううんこっちの話ー」
「今そのネタがどれくらい通じるのであろうな」
「好きだったんだけどなー」

マスターは形を整えた麺を湯の中に投入し、もうひとつのフライパンで具材の調理を始めた。
チーズの香りがふわりと店の中に広がっていく。

「ふむ、良い香りではないか。味は食べてのお楽しみ……だの」
「んふふ、もうちょっと待っててねぇ」
「こうして、それがしは剣士になった。剣士になってからは……まぁ、色々だ」
「いろいろかぁ」
「そうだ、色々だ。また機会があれば、その時にでも話そう」
「あはは、美味しかったらまた来てねぇ」

と、2人が和やかに会話を終わらせたのを見計らったかのように。

からん。
再びドアベルが鳴り、来客を告げる。
入ってきた人物を見て、おりょうは眉を上げた。

「おお、アフィアどのではないか」
「……おりょう。久しぶり、偶然、すごい」

カタコトでそう返事をしたのは、15歳ほどの少年だった。青みがかった白い髪に、表情の無い金の瞳。ごく普通の旅装束を着ていたが、冒険者と言うには精彩が欠けているような印象だ。
アフィアと呼ばれたその少年は、カウンターまで来ると、おりょうの2つ隣の席に腰掛けた。

「いらっしゃい。お客さんたち、知り合いなんだ」
「…以前、依頼、一緒に受けた」
「おお、マヒンダで海賊退治の依頼をな」
「そっかー嬉しい偶然だね。おにーさんはご注文は?」
「……お兄さん」
「男の子でしょ?おにーさん」
「お兄さん……」

アフィアは微妙に嬉しそうに呟いて俯くと、すぐに顔を上げてマスターに言った。

「お店のお勧め、ください」
「おすすめ?」
「お勧め、一番美味しいもの」
「んっと、ごはん?お茶?スイーツ?」
「……お腹、すいてます」
「んじゃあ、ご飯ね。せっかく材料出してるから、パスタにしよっかー。
おにーさん肉食系っぽいから、お肉たっぷりで作るね」
「…肉食系」
「ほほう、アフィア殿は肉食系であったか。人は見かけによらないものだ」
「肉食系、違う、思います」

微妙に慌てた様子で否定するアフィアをよそに、マスターは完成したシュペッツレをおりょうの前に出す。

「はい、おねーさんにはシュペッツレねー。フォークでも良いけど、スプーンで十分食べられるよ」
「おお、かたじけない。では早速いただこう」

おりょうは早速、スプーンを使ってシュペッツレを食べ始めた。

「これは良い。スパゲッティやソバのような食感ではないが、良い舌触りだ。
シュペッツレとか申したか、こしがあって良いな。しかもこのチーズがまた……」
「はは、ありがとー、美味しく食べてもらえて僕も嬉しいよ」

嬉しそうに感想を述べながら食べていくおりょう。
マスターはニコニコしながらそれに相槌を打ち、手際よく料理を続けながらアフィアのほうを向いた。

「マヒンダで依頼を片付けてから、2人ともヴィーダに来たんだよね?またお仕事?」
「…お仕事、今のところ、無いです」
「それがひもこれからら」
「おねーさんは食べるのに集中してくれて良いよー」
「む、これは失礼した」

こくん、と飲み込んでから、静かに食事をし始めるおりょうを横目で見つつ、アフィアはゆっくりと言葉を続けた。

「人、探してます」
「人探しかー、それじゃあマヒンダよりヴィーダのほうがいいねえ」
「青い髪、青い目の、うちとよく似た女の人、見ませんでしたか」
「青髪青目かー、どれくらい青いのかにもよるけど、割と目立つよね。見てないなあ」
「そう、ですか……」

しゅんと肩を落とすアフィア。
マスターはそれを慰めるように、ニコニコと笑いながら言った。

「青髪青目って言うと、クール系だよねー。最近人気じゃない?クール系」
「……は?」

だがその発言のあまりの斜め上さに、きょとんとするアフィア。
マスターはなおもニコニコしながら、続けた。

「やっぱ女の子の髪には色がついてないとさあ。ピンク髪ったらヒロインだよね。青髪は頭脳明晰なクールキャラって感じ。ツンデレは金髪ツインテが定番でしょー、緑は意見が別れるけど僕的にはおっとり系かなあ。眼鏡とセットで倍率ドンさらに倍だよね!」
「はあ……」
「で、おにーさんと似てるってことは、おにーさんの肉親か誰か?」
「……っ、そう、です、姉……」

唐突に戻った話に戸惑いながら答えるアフィア。
マスターはまたにこりと微笑んだ。

「そっかー。ごめんね、僕も見かけたことないや。おねーさんは?」
「んぐ、いや、それがしも心当たりは無いな。すまぬ」

食べるのを中断してそれだけ言うおりょう。
マスターは苦笑した。

「目立つ人みたいだし、ヴィーダにいるなら誰か見てるかもしれないね。
ただまぁ、僕らに訊くよりお仲間さんの伝を当たったほうが良いんじゃない?」
「えっ……」
「蛇の道は蛇、って言うじゃん。まあ、おにーさんは蛇じゃないけどさー」
「っ………」

アフィアの表情がこわばる。
と、ちょうどそれにかぶるように、再びドアベルの音が響いた。
からん。

「あ、いらっしゃーい」

マスターの挨拶に出迎えられたのは、2人の女性。片方はまだ少女といっていいほど若い。
まあもう片方も14歳ですけど。

先に入ってきた少女は、赤いショートヘアから3対の角が覗いている。快活そうないでたちと表情が彼女の気性を現しているようだ。名をカイという。
続いて入ってきたのは二十歳ほどの女性だった。肩でそろえた藍色の髪と穏やかそうなグレイの瞳、纏っているのは僧服のようで、僧侶であることがうかがえた。
こちらは、名をオルーカといった。

「えーっと………あっ」

店内をきょろきょろと見渡したあと、マスターを見て固まるオルーカ。
目を丸くし、頬をうっすらと染めて、まさしく「見惚れている」様子で。

「オルーカ?どうかした?」

足を止めたオルーカを振り返って、カイが目の前で手をひらひらさせる。

「あっ、はい!すいません!」
「早く座ろうよ。カウンター…は微妙にいっぱいかな」

再びカウンターのほうに目を向けるカイ。
小さな店の狭いカウンターは、おりょうとアフィアが座っているだけで2人分の席を確保するのは難しそうだった。
と。

「…あれっ、アフィアさんですか?」

オルーカがカウンターに座っていたアフィアを見て声をかける。
マスターをじっと見ていたアフィアは、その声に驚いて彼女を振り返った。

「…オルーカ。久しぶり」
「ご無沙汰してます。羊の一件以来ですね」
「アフィア殿、そちらのご婦人とも知り合いであったか」

食べ終わったおりょうも感心したように言い、アフィアは浅く頷いた。

「…仕事、あちこち、してます。オルーカ、海賊の仕事の前、請けた仕事、一緒だった」
「アフィア殿はそのお年で場数を踏んでおられるのだな。それがしも負けてはおれん」

アフィアとおりょうのやり取りが始まったので、オルーカはカイの方を見る。

「カイさん、ではテーブルのほうに…」
「え?あ、うん」

カイはといえば、やはりなぜかアフィアのほうをじっと見ていた。

「どうかしましたか?」
「いや、たいしたことじゃないんだけどね。あのアフィアっていう子、仲いいの?」
「いえ、一度お仕事をご一緒しただけですから、名前以外のことは何も」
「そっか」

カイはそれっきりアフィアには触れずに、オルーカににこりと微笑みかけた。

「じゃ、テーブルの方行こうか」
「あ、はい」

オルーカはテーブルへと方向転換したところで出窓のフィギュアが目に入ったが、すぐにふるふると頭を振って席につく。
見なかったことにしたらしい。

「さて、馳走になった、主殿」

そこに、綺麗に食べ終えたおりょうが満足げに言って立ち上がる。

「良い仕事だ、主殿。感服仕った。お代わりがないのが実に残念だ」
「あはっ、気に入ってもらえたならまた来てね。次はソバも打っちゃうよ」
「なんと。それは楽しみだ、ぜひ寄らせていただこう」

おりょうは嬉しそうに言って、会計を済ませた。

「では主殿、アフィア殿、それがしはこれにて失礼仕る。
それがしもアフィア殿に負けぬよう、これから飯の種でも探すとしよう」
「がんばる、いいです」
「まいどありー♪」

2人に見送られ、おりょうは軽く会釈をすると店を後にする。
ドアが閉まると、マスターは水とお絞りを持ってテーブル席に向かった。

「ごめんね、おまたせー。いらっしゃい。ご注文決まった?」
「あ、はい。あたしベーグルサンド、サーモンとチキンひとつずつね。あとポテト。ドリンクはトマトジュースで」
「サーモンとチキン…ポテトと、トマトジュースね、かしこまりー。そっちのおねーさんは?」

カイの注文をとったところで、2人がオルーカに視線を向ける。
が、オルーカはまた、メニューで顔の半分を隠したままマスターを凝視していて。

「オルーカ?決まった?」
「えっ?!ああはい!すみません!」

カイの声で我に返ったオルーカは、あからさまに慌てた様子でメニューに目を落とした。

「あ、あの、オ、オムライスを…あ、肉が入ってたら抜いてもらえますか…」
「オムライス、肉抜きねー。教会の人は大変だよね。お飲み物は?」
「飲み物は…アイスティー、ストレートで」
「アイスティーね、かしこまりー」

マスターはさらさらとメモを取ると、おりょうの皿を片付けて再びカウンターへ戻っていく。
オルーカはまだメニューで顔を半分隠したまま、その様子をじっと目で追っていた。
首をかしげるカイ。

「オルーカ?さっきからどうしたの?」
「いえその…」

オルーカはまだ横目でちらちらとマスターを追いながら、内緒話でもするようにカイに言った。

「…ちょっと、素敵ですよね、あのマスター」
「…ああ、イケメンだねぇ。なんでこんなとこで喫茶店なんかやってんだろうね」
「はい、イケメンです…」

カイの言葉も半分届いていないような様子で呟くオルーカ。
しばらくは出先の店で芸能人を見つけてはしゃぐ少女のようにマスターの様子を伺っていたが、やがて我に返った様子でカイに話し始めた。

「え、えっと。外部講習の件、早速提案してくださってありがとうございます。こんなに早く回復魔法の授業が受けられるなんて嬉しいです」
「うん、まさかあたしもこんなに早く開いてくれるとは思わなかったよ。あの人の行動の早さには脱帽だね。バイタリティが違うよねー」

カイの通う魔法学校で、外部向けの特別講習が開かれることになり、オルーカはカイと一緒にそれに参加してきたのだった。
かねてから回復魔法をきちんと学びたいと思っていたオルーカが、先日受けた依頼の依頼人であるカイにそういう企画は無いのかと尋ね、カイから学校長に提案してみたところ、意外に早く実現の運びとなった、というものだ。

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「あたしも回復魔法には不安があったからさ。やってもらえてよかったかなって思ってるよ。
オルーカが言ってくれたからかな、ありがとね」
「いえいえこちらこそ。大変貴重な機会をいただけてありがたいです」

オルーカはにこりと微笑んで、さらに続けた。

「今日の授業は基礎学術だったんですけど、実は理論からちゃんと習うのって初めてなので新鮮でした。
頭を使ったので少し疲れましたけど…でもすっごくタメになりました!」
「そっか、オルーカの糧になれたならよかったよ」
「学校っていいですね。向上心を刺激されてもっと勉強したい、って気分になれます。
そういえばカイさんは回復魔法どのくらい使えるんですか?以前、苦手、とおっしゃってましたけど」
「んー、切り傷くらいなら治せる程度、かな。ホント大したことないよ」

少し渋い顔のカイ。

「冒険者やってた頃もあったけど、旅をするのに最低限必要、ってくらい。
もちろん魔法が使えるようになったのは学校に来てからだから、当時は薬草持ち歩いたりしてたかな。ホント、それで事足りるくらいしか使えないよ。
旅をするだけならそれで十分だったし、危険な依頼とかはパーティー組んで行ってたから回復に不自由することはなかったな。
あたしは前衛タイプだからね、かならず魔法使える人を探してたよ」
「卒業後はどうするんですか?また冒険者に戻るんですか?」
「そうだね、今のところは冒険者に戻るつもりだよ。研究者とか、職業魔道士とか、あたしのガラじゃないしねー」

苦笑して言うカイに、オルーカも苦笑を返す。

「確かに、カイさんっぽくはないかも…冒険者してるって方が、らしいかんじはしますね。
冒険者時代は、どういう依頼を受けたりしてたんですか?」
「ヤバそうじゃないのは結構受けたよ。護衛からダンジョン探索とかまでさ。
ダンジョンの奥に封印されてる宝を取ってこいっていう依頼の時にさ、棺っぽいの開けたら中からもこもこした白い綿みたいなのが大量に出てきて、あっという間に部屋がいっぱいになっちゃって、あの時は参ったなぁ」
「ええっ、大丈夫だったんですか?
モンスターの類ではなかったのですか?見た目は可愛い感じですけど…」
「モンスターじゃなくて、単純に罠だったみたいよ。
それで死ぬようなものじゃないけど、身動き取れなくなっちゃってさあ。火をつけるわけにもいかないし、あの時は参ったなあ。
結局魔道士の子が水を出す魔法を使って、それで萎れたからよかったけど」
「そうだったんですか…そういうのもあるんですねえ」
「オルーカは今までの冒険で印象強かったのってなに?」
「私は…そうですね」

カイの問いに、オルーカは少し遠い目をして答えた。

「パフィさんとレヴィニアさんの事件が印象に残ってますね。
確かレティシアさんがカイさんに話を聞きにいったんですよね。あの事件です」
「ああ、うん。そういえばあれ、オルーカも受けてたんだったね」
「ヴィーダに出てきてから初めて受けた依頼だったので、とても印象に残ってます」
「そうなんだね。そういえばあれ、結局どうなったのか聞かなかったな。パフィはいい子だから、いい方向で落ち着いてほしかったけど。
結局どうなったの?」
「ええと…依頼人のレヴィニアさんという方が、パフィさんを逆恨みしていたというか。
パフィさんのクリムゾンアイズを狙っていて、だまし討ちされた形で奪われちゃったんですけど。
でもなんとか戦って、説得して、クリムゾンアイズは無事パフィさんに戻してもらうことができました。
パフィさんは本当にいい方ですよね。パフィさんの説得で、レヴィニアさんも心を開いてくださったんですよ…」
「そっか。やっぱり、そのレヴィニアっていう女の言ってたことは嘘だったんだね。よかったよ。
パフィが傷ついたり、いなくなったりするようなことにならなくて良かった。
ありがとね、オルーカ」
「いえ、とんでもない」

ほっとした様子で微笑みあう2人。

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「楽しかったのだと、アイドルの護衛なんてのがありましたよ。
護衛には失敗して誘拐されちゃったんですが、私や他の皆さんの華麗なる機転で無事救い出せまして、ふふふ。
いやー、あれは楽しかったです…思えばあそこから始まったんですねぇ、私のアイドル街道」
「あ、アイドル街道?」

唐突な言葉に驚くカイ。しかし、それには触れないことにしたのか、話を微妙にそらす。

「じゃあ、結構活躍したんだね。誘拐されたのを奪還なんて、お手柄じゃん。
いいなあ、あたしそういう派手なのはあまり請けたことないんだよね。護衛も隣町までの商隊をモンスターから守るとかさ、そんなんばっかり。
ま、あたしにそういう派手なのなんて、ガラじゃないからいいけどさ」
「いえいえ、派手な冒険がいいってもんじゃないですよ。堅実な内容も大切なお仕事です。
私も普段は、おつかいとかが多いですもん」
「はは、地道なのも大事だけどさ。
たまにはハデなのやってみたくもなるよ。学校に入ってからは、あまり身体を動かすこともないしねー」

うーん、と窮屈そうに伸びをする。
と、そこにマスターがオーダーの品をもってやって来た。

「はーい、おまたせー。ベーグルとポテト、こっちのおねーさんはオムライスねー」
「わ、おいしそ」
「ありがとうございます、いただきます」

マスターがカウンターに引っ込んでから、早速口をつける2人。

「おいしい」
「本当ですね、すごく美味しいです」

2人はしばし、無言で美味しそうに食べていた。

「そういえばさ」

ポテトをつまみながら、カイが妙ににやにやして言う。

「ササとはどうなの、その後」
「な、なんでそんなにこやかなんですか。どう、って?」
「いや、ウォークラリーの時はいきなり押しかけて迷惑かけちゃったなーと思ってさ。
あたしも改めてお礼に行かないとな。オルーカはあのあと、行ったの?お礼」
「いえ、行ってないです、会ってないです。
お礼…言いにいかなきゃですよね。なんか、タイミングがつかめなくて」
「そうなの?」

カイは意外そうに眉を上げた。

「いいじゃん、すぐに行けば。ササ、忙しいの?」
「そうですね…学生さんなので試験とかレポートとか。あとは外部の依頼受けたりもしてるみたいで。
暇…ではないみたいですけど」

オルーカは微妙な表情で、飲んでいたアイスティーを置いた。

「…うん、それもそうですね。行けばいいんですよね、別に。
そうだ、せっかくだから、このカフェに誘ってみようかな…ここ、ステキですもんね」

店を見渡して、呟く。
出窓のフィギュアからは意図的に目をそらしているようだが。

カイはにこりと笑って、オルーカに言った。

「 そうだよ。オルーカから誘ってみればいいじゃん。
2人、つきあってんでしょ?デートのコースの中に入れてみたら?」
「え。つ、付き合ってませんよ」

驚いて首を振るオルーカ。

「ササさんが私のことどう思ってるのかは分かりませんけど。
私が片思い…してるのかなあ?まだその一歩手前、というかんじではあるんですけど」

言葉の通り、ふわふわと落ち着かない様子で。

「これから友達としてお付き合いして、
友達以上に仲良くなれるかどうか、ってところですねぇ…」
「そうなの?よくわかんないな」

カイは不思議そうに首をかしげた。

「 好きならたくさん一緒にいればいいと思うけどね。
一緒にいたければ自分からたくさんその機会を作るだろうし。自然に一緒にいる回数が増える状態を『付き合ってる』っていうんだろうね。
オルーカが好きだっていうんなら、別に問題ないじゃん。たくさん誘ってみたら?
ササも好きなら誘いに乗るだろうし、そうでもなければ乗ってこないでしょ」
「そうですね…うん、誘ってみます。
それからどうなるかは、分かりませんけど。ササさんの気持ちもありますもんね」

オルーカは少し照れた様子で俯いた。

「あは、どうもこういうのは苦手ですねー。
私もレティシアさんみたいに、可愛く恋できたらいいんですけど」
「あー、レティシアは可愛いよね、うん、まさしく女の子って感じ」
「カイさんは、今現在は恋人いないみたいですけど、
過去にいい人いなかったんですか?」
「いい人、って、恋人って意味だよね。いたよ?それなりに長く生きてるしさ」
「わあ。ぜひ聞きたいですね!」

興味津々で身を乗り出して。
カイは照れる様子も無く、あっさりと話しだした。

「冒険者やってたのが長かったから、相棒になってるのが多かったかな。くっついたり離れたり。まあ寿命も違うしね。
たださあ、あたし、なんていうの?愛情表現に乏しいみたいでさ。恋人への態度と、友人への態度があんま変わんないんだよ」
「あー、それはちょっと…分かるかもしれません。
私もちょっと乏しいというか、どうも枯れてるみたいで」
「いや、もちろん気持ちは違うよ?親愛と恋愛は違うよ、あたしの中ではね。でも相手はあんまそう思わないみたいで。
なんか、必要以上にベタベタしたり、甘ったるい言葉言ったりするのってあたしのキャラじゃないじゃん?そんなことしなくても好きは好きなんだしさ。
でもまあ、相手はそう思わないんだよね。『俺ってお前の何なの?』っていうのは、よく言われたよ」

そこまで言って、苦笑して。

「ま、生まれも種族も感性も違う者同士なんだから、すれ違うのは当たり前でさ。
相手の思うことに応えるっていうのは、やりすぎてもやらなすぎてもしんどいよね」
「そうですねぇ…こういうの、正解ってないですからね」
「そうだね、難しいよ、こういうのはさ。
だからまあ、オルーカのやりたいようにやんなよ。後悔しないようにさ」
「ありがとうございます。
また何かあったら、相談させてください。うまくいったら報告しますね」
「うん、楽しみにしてる」

最後は恋愛相談というより、アラサーの恋愛事情トークのようになりながら。
穏やかな午後が、ゆったりと過ぎていくのだった。

第1週・レプスの刻

からん。

「ずっと気になってたんだーこのお店」

ドアを開けて入ってきたのは、かなりの身長差があるが仲睦まじそうに腕を組んだ美男美女のカップルだった。
といっても、ウキウキしているのは少女のほうだけで、男性のほうは腕を組まれていると言うより腕を引っ張られているような様子で苦笑している。
長い茶髪の、あどけない顔立ちをした美しい少女の名は、ユキ。
鮮やかな金髪の見目麗しい青年の名は、アルといった。

2人がカウンターに座ると、マスターが水とお絞りを持ってくる。

「いらっしゃーい。はいこれメニューね」
「わ、ありがとー!どれにしようかなー」

マスターが差し出したメニューを見ながら、楽しげにオーダーを決めるユキ。
アルのほうはメニューは見ずに、マスターに言った。

「俺はコーヒーで」
「コーヒーね。そっちのおねーさんは?」
「うーんうーん…どうしよう……えっと、じゃあ僕は紅茶と、えっと、イチゴパフェ!」
「紅茶とイチゴパフェね、かしこまりー」

マスターがメモを取ってカウンターに引っ込んだところで、再び、からん、とドアベルが鳴る。

「いらっしゃーい」

入ってきたのは、制服のようなきちっとしたスーツを身に纏った男性だった。眼鏡の奥の瞳でぐるりと店内を見渡したあと、カウンターから一番離れた隅の席に座る。
アルがその男を見て僅かに表情を動かすが、ユキは楽しそうに店内を見回している。
マスターはそちらにもお絞りと水を持っていった。

「はいどーぞ。ご注文は?」
「コーヒーをお願いします」
「コーヒーね。かしこまりー」

マスターはメモを取ると再びカウンターに戻ってきた。
そこに、店内を見回していたユキが楽しそうに話しかける。

「このお店、すっごく可愛いね!僕こういうお店好きだなあ」
「そうお?んふふ、ありがとー。内装はねー、僕もこだわって作ったから気に入ってるんだ」
「えっ、このお店、マスターが作ったの?」
「ま、趣味の延長みたいなもんだけどね、ちょっとしたもんでしょ?」
「うん、すっごい!」

話しながら、マスターは手早くコーヒーと紅茶を入れ、カウンターの2人と、テーブルの男性に出していく。
再びカウンターに戻り、今度はユキのパフェの盛り付けに入りながら、話を続けた。

「おねーさんみたいな可愛い子に似合うお店、って感じで考えたんだよ。
僕のミューたんにふさわしい可愛いお店にしたくてがんばったんだぁ」
「ミュー……たん?」

不思議そうに首をかしげるユキ。
傍らのアルも、何を言っているのかわからずきょとんとしているようで。
マスターはそれには構わず、盛り付けたパフェをユキに出してから、フルスロットルで続けた。

「そそそ、あそこのね、窓のところに飾ってある子、あれがミューたん。
可愛いでしょー、マヒンダで人気絶頂のアイドルなんだよ。デビュー曲はね……」

その後も続くアイドル萌え話を、カウンターの2人は呆然として聞くばかり。
やがて話が一段落したところで、ユキが屈託なく微笑んだ。

「なんだか話はよくわかんなかったけど……
いろんなこと知ってて、こんなお店も作れて、マスターってすごくかっこいいね!」

ひゅう。
ユキの発言とともに、室内の温度が3度ほど下がった気がした。

「………っ」

アルが若干慌てた顔で、その原因のほうをちらりと見やる。
テーブル席の男性は、一見、入ってきたときと変わらない穏やかな表情をしているように見えたが、なにやらどす黒い殺気のようなオーラを放っていた。
慌てた顔をするアルとは対照的に、ユキはまったく気づいていない様子でマスターに笑顔を向けている。
マスターも気づいているのかいないのか、のほほんと笑顔を返した。

「えへへ照れちゃう。おねーさんも可愛いねー、アイドルにもなれるんじゃない?」
「ええっ?そんなこと初めて言われたよ。そうかな?」
「うん、その気になればおねーさんも大人気だと思うよー?」
「い、いや、この子はこう見えて、一人前の冒険者なんだよ」

慌てて話題に割り込むアル。
マスターは大げさに目を丸くした。

「へえっ、こんなに可愛いのに冒険者さんなんだー」
「うん、そうなんだ。今日はこれから依頼で郊外の屋敷に行くんだよ」
「ふたりで?」
「えっ?あ、ううん、依頼を受けたのは僕一人。他にも何人か依頼受けてて、現地集合なんだ」
「そうなんだー、どういう依頼なの?お屋敷ってことは護衛か何かかな?」
「うーんとね」

ユキは視線を動かして何かを思い出しながら、依頼の内容を話し始める。
話題が移ったことで、テーブル席の男性から殺気は消えていた。

「郊外にもう没落した貴族の屋敷があってね。そこで男の人の幽霊が出るんだって。
ポルターガーストとかもいっぱい起こってたくさんの人が怪我してるの。
それで困った管理人さんが幽霊を退治して欲しいって依頼出したの。あ、追い出してもオッケーだって」
「へぇ……」

その話はアルもはじめて聞いたらしく、感心したように呟いてから、ふと首をかしげる。

「…あれ、お前幽霊嫌いじゃなかったか?」
「偽物は怖いけど本物は平気なんだ!」
「なんだそれは」

満面の笑みで言うユキに、呆れたような声を返すアル。
だが、意外にもマスターが笑顔で頷いた。

「わかるわかるー。二次元と三次元って別物だよね!
三次元はぶっ飛ばせば消えるけど二次元は消えないもんね!」
「うん、そうだよね!消えるもんね!」

二次元と三次元の意味はよくわかっていないようだが、勢いで頷くユキ。
アルは呆れたように苦笑している。
テーブル席の男性が、何か言いたげな表情でそちらを見やっていた。

「んー……でも、幽霊かぁ。退治って、どうやってやったらいいんだろ?」
「そうだねー、剣とかじゃあ効かないっていうからねー」
「………十字架と木の杭………?」

首をひねりながらのユキの的外れな発言に、アルは苦笑し、テーブル席の男性がコーヒーを吹く音がする。
マスターが軽くははっと笑った。

「あっは、それは吸血鬼だよー」
「あれ?……そうだっけ」
「幽霊は魔法で消すしかないんじゃない?僧侶とかが使う浄化魔法ならてきめんだと思うよ。あとは、それ系の魔法がかかってる武器とかかな。
おねーさんは、魔法とか使える人?」
「僕はそういう魔法覚えてないなぁ……誰かいてくれるといいな。今度はそういう魔法覚えてみよう」

よし、とひとつ頷いて納得すると、ユキは空になったパフェの器に長いスプーンを置いた。

「じゃ、僕そろそろ行かないと。ごちそうさま、マスター。パフェすっごく美味しかったよ!」
「わ、ありがとー。また食べに来てね」
「うん、絶対来るね!お代、いくらになる?」
「ユキ、ここは払っておくから早く行け」

そこにアルが横槍を入れ、ユキは驚いてそちらを見る。

「えっ、悪いよ。僕が食べたものなんだから、僕が出すよ?」
「こういうものは年上が奢るもんだ」
「むっ。僕もう子供じゃないですけど」
「まあまあ。いつもがんばってるご褒美だ。素直に受け取っておけ」
「やっぱり子ども扱いして……でも、ごちそうさま。ありがとね」

ユキの屈託のない笑顔に、微笑するアル。

「アルさんはどうするの?」
「俺はもう少しここでコーヒーを飲んでいくよ」
「そっか。じゃあ、また遊びに行くね」
「ああ」

そこまで頷いてから、ふと気になったという様子でさらに質問を重ねる。

「ところでその幽霊ってどんな奴なんだ?」
「えーと………その屋敷のお嬢様に一目惚れして、何回も手紙を送ったり、危険がないようにいつも見守ってたんだけど、拒絶されて無理心中を計ったけど自分だけ死んじゃった男の人だって」

ぴき。
店内の空気が再び凍りつく。

「じゃ、いってきまーす。アルさん、ありがとねー」

やはりそれには気づかない様子で、ユキは明るく手を振ると店を後にした。
唖然とした表情で見送るアル。
マスターがユキのパフェグラスを片付けながら、しみじみと言った。

「んー、どう見てもストーカーです本当にありがとうございました、って感じだねえ。
あのおねーさんは別になんとも思ってないみたいだけど。今時あんな純粋培養の子がいるんだねえ」

マスターの言葉でようやくわれに返った様子のアルが、嘆息して、テーブル席の男性に話しかける。

「…………お前、あいつに何を教えてきたんだ」

すると、テーブル席の男性はそれまで纏っていた穏やかな雰囲気から一転して、暗く重い雰囲気でため息をついた。

「……さすがにああいう知識はつけたほうが良かったか」

マスターはきょとんとして、2人を交互に見やった。

「あれ、お客さんも知り合いだったんだ?お連れさんじゃなかったんだねえ」
「……ああ」
「ちょっとした事情でな」

あまり言いたくなさそうに言葉を濁す2人。
だが、その口調も、そして男性にしては綺麗な顔も、2人に何がしかの血縁関係があることを窺わせる。
眼鏡を外した教師風の男性は、アルの弟で――名を、リグといった。

「ふぅん。でー、そっちのお客さんは、あのおねーさんに何か教えてきたんだ?」

訊かれたくなさそうな雰囲気を察していないのか、あるいは察していてわざと訊いているのか、マスターは呑気な様子でさらに問う。
リグは嘆息した。

「一応……授業で戦闘能力、一般常識、護身術程度だ」
「へぇ。でも、元生徒さんならさ、一緒にお茶すればよかったのに。
こっちのおにーさんは平気で話すのにさ、あのおねーさんにだって声くらいかけてあげればよかったんじゃない?」
「………」

じろり。
リグは質問には答えぬまま、マスターを冷ややかに睨みやる。
並の人間なら震え上がるほどに鋭いその視線も、マスターは意に介する様子もなくにこりと微笑み返す。
2人の間の妙な雰囲気に、アルが慌ててフォローに回った。

「こいつはこの容姿だろ?変に女といれば勘ぐられてどろどろの愛憎劇に巻き込まれるからな。
元生徒でも俺が一緒でも、出来るだけ避けたかったんだよ。女は怖いからな」
「ははっ、男の子でも女の子でも、本気で恋したら怖いのは同じだよー。
さっき、あのおねーさんが言ってた、ストーカーの幽霊みたいにね?」

やはりあっけらかんとして言うマスターの言葉を流すように、リグは視線をそらして低く言った。

「汚いものに触れさせないようにしてきたつもりだが……綺麗過ぎるのも問題だな……」
「まったくだ」

少し怒った様子で、嘆息するアル。

「下手すれば今度はあいつが憑かれる。なんとかしてやってくれ」
「言われなくても」

リグは言って立ち上がり、テーブルに銀貨を置いた。

「釣りはいらん」

短くそれだけ言うと、足早に外へと出て行く。
マスターはそれを見送りながら、やはりしみじみと呟いた。

「んー、あのおねーさんにはもうストーカーがいるみたいだねえ」

その言葉に苦笑するアル。

「ストーカーねぇ……ある意味ストーカーよりたちが悪いぜ。あいつ」

そう言って、かなり冷めたコーヒーを一気に飲み干すのだった。

第1週・ストゥルーの刻

からん。

薄闇が店内を侵食し、ランプの明かりが灯る頃。
ドアベルを鳴らして、一人の女性が入ってくる。

「いらっしゃーい」

陽気なマスターの声に出迎えられ、彼女はゆったりとした足取りでカウンター席に向かった。

その心根を表すような、まっすぐな金の髪。
くっきりとした化粧で彩られた、挑戦的な緑の瞳。
質の良さそうな服に身を包み、背筋を伸ばして歩く姿は、多くの人間を魅了するだろう。

彼女を知る者は、尊敬と畏怖をこめて、フェアルーフ王立魔道士養成学校校長、ミレニアム・シーヴァンと呼んだ。

「ご注文はー?」

マスターののほのんとした声に、ミリーは薄い笑みを返す。

「…ジントニック」
「かしこまりー」

手際よくカクテルを作っていくマスターを、ミリーは面白そうに眺めていた。

こと。
細いグラスに注がれたカクテルを、静かにミリーの前に置く。

「おまたせー」
「ありがと」

く。
ミリーはグラスをあおり、少ないカクテルを半分ほど喉に通した。

「美味しいわ」
「ふふ、ありがとー」

ごく普通の、マスターと客の会話。

だが、次の一言で穏やかな空気は一気に凍りつく。

「…何か入っているかと思ったけど。なにせ、魔族の作るものだから」

ミリーの言葉に、マスターは変わらぬ笑顔を返した。

「やっだなー、天使のおねーさん相手にそんなつまらないことするほど僕もバカじゃないよ」

しん。
店内が静まり返る。

「……あなた」

くす。
ミリーの笑みが響いた。

「面白いわね」
「ははっ、おねーさんほどじゃないと思うよ?」
「妙な気配がしたから入ってみれば…思わぬ収穫だったわ」
「でもおねーさん、降下してるんでしょ?」
「ええ」
「天界に報告とか、できなくない?」
「できないし、するつもりもないけど?」
「じゃあ、収穫って?」

こと。
ミリーは飲み干したグラスを、再びカウンターに置いた。

「美味しいお店のレパートリーが増えた、ということよ」
「やー、光栄だなー」

にこり、と笑って言うミリーに、へらり、といつもの調子で返すマスター。

ミリーは金貨一枚をカウンターに置くと、立ち上がった。

「あたしはミリー。あなたは?」

ミリーが名乗ると、マスターはにこりと笑みを返す。

「カールヴェクトロ・デル・エスタルティ。カーリィ、って呼んでよ」
「エスタルティ………そう」
「あっ、言っとくけどヤル気まんまん大危険人物のツー兄と一緒にしないでよね。
僕はここで美味しい料理と萌える女の子に囲まれてればそれでいいんだから、さ」
「…ふふ。どっちでもいいわ。あたしはもう天界とは関係のない存在なんだから」

こつ。

「ごちそうさま」
「まいどありー」

こつ、こつ。
ミリーは勿体つけるようにゆっくりとした足取りで、出口に向かう。

からん。

ドアを開けると、顔だけを振り返って、マスターに言った。

「また来るわ」

「待ってるねー」

ひらひらと手を振って見送るマスターに背を向けて、薄闇へと帰っていく。

ハーフムーンの一日が、静かに幕を閉じるのだった。

…To be continued…

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