アナタのすべてがほしいの
アタシが生きてる限り
いいえ、アタシが死んだ後も
アタシがいないのにのうのうと生きてるなんて
そんなアナタは許さない

ねえ だから
アタシのものになってよ
アナタのすべてをアタシにちょうだい

それが無理だというのなら


アタシを永遠に アナタのものにしてちょうだい



吟遊詩人 ミニウムの歌より

「…では、調査の結果をお話し願えますかな」

翌日。
再びガイアデルト邸に集まった冒険者たちは、事件が起こった時にいた応接室に再び集まっていた。
冒険者たちと向かい合うようにして、上座にウル。その傍らの椅子にチャカがウルの椅子にもたれかかるようにして座っている。チャカの後ろにはメイド2人が控えて立っており、ウルの斜め向かいにフレッド、そしてその隣にレアが座っている。冒険者たちは立っている者もいれば座っている者もいた。
フレッドの言葉を受け、ミケが頷く。
「では、クロさんがお亡くなりになったことから、順を追ってご説明します」
ミケに続いて、遠慮がちに、それでも必死な様子でセラが前に出た。
「あの…っ。これは、前にも言ったことですけど、レアさんは、突き落としてないと思うんです」
その言葉に眉を顰めるウル。
「あぁ?まだんなこと言ってんのかよ。あの部屋にはこの女しかいなかったし、オレらは全員、クロが落ちてきた時にはこの部屋にいただろ」
「でも…でもっ」
セラは勢いに負けそうになりながら、それでも反論した。
「足元の不安定な岩場や、柵のない場所ならばともかく、テラスにはしっかりと手摺がありました。
それを飛び越えて、男の人を突き落とすなんて女性のレアさんには絶対に無理です」
「まあ、レアさんが見かけによらず力持ちだとか、どんな事態でも起こりうると思うので絶対に無理、と断言するのは危険ですけど…」
ミケが割って入り、少し泣きそうな表情でそちらを見て。
ミケは嘆息して、続けた。
「ただでも、現実問題として無理はあると思いますよ。
ベランダには特に異常はなかったことは、みんなで上に行ったので分かっています。場所による事故ではなさそうです。
そして、ウルさんたちが室内から。僕と千秋さんが窓から回りました。部屋の中にはレアさんしかいなかった。
レアさんが犯人だったら、いつまでも部屋の中には残っていないだろうし、突き落としたならすぐに外へ出ていればいいかと。姿を見られたら完全に犯人に認定されてしまいます。それもしていないし、彼女は犯人ではないのではないかと思われます」
ミケの様子は、時折見せる直情的な彼の様子とは少し違っていた。淡々と、事務的に言葉を紡いでいる。
「無論、魔法やその他の細工で『事故を装って』殺された可能性は無くはないだろう」
その続きを、千秋が引き継ぐ。
「だが、現場検証からそれを疑わせるような証拠は何一つ出ていない。先ほどミケが言ったように、外からは俺とミケ、内からはウルやその他の者が現場に駆けつけている。また、屋敷に多数いる使用人も不審者の類は見ていない。第三者が絡む余地は無かろう」
そこで一呼吸置いて、ゆっくりと付け足す。
「レアがクロを殺害しようとする自覚的な動機も、調べた限りでは浮かび上がらなかった」
「……あの、私っ」
再び、セラが身を乗り出して言い募る。
「私は、クロさんは自らテラスを乗り越えたんだと思います」
「なっ…」
驚きに目を見開くウル。
「自分で…飛び降りたって…自殺ってことかよ!」
と、その傍らで、くすり、とチャカが鼻を鳴らした。
「…彼の命を奪ったのは、彼自身…というわけね?」
「はっ……はい……」
そちらを見てうっとりとした表情で答えるセラ。
チャカはにこりと笑った。
「面白いわ……聞かせてもらえるかしら?彼が…どうして、自殺しなければならなかったのか」
「チャカ……?」
ウルは呆然とした様子で傍らの美女を見下ろした。まるで、初めて遭遇する生き物を見たかのような目で。
冒険者たちの中の何人かが、複雑そうな視線を彼に送る。
セラは頭を振って正気を取り戻すと、言った。
「たぶんクロさんの思い描いていた計画はこうだったのではないかと――」
自信なさげな表情で、視線を動かしながら。
「病で自分の死期を感じていたクロさんは……」
「ちょっ、おい、待てよ!」
早速つっこむウル。
「病って…死期って、なんだよそれ!クロ、病気だったのか?!」
「…そうです」
そちらには、ミケがやはり淡々と、事務的に答える。
「彼は、重度の病に冒されていて、余命は1年弱くらいだそうです。これはカエルスさんの主治医でもあるハンス先生の診断です。痛み止めがなければ立つこともままならない、そんな状態だったそうです」
「なっ…なんだよそれ!聞いてねーぞ!」
「そうでしょうね、クロさんは誰にもそれを言っていなかったようですから」
やはり淡々と言うミケに、ウルは言葉に詰まり、それからショックを受けたようにうなだれた。
そんなウルの様子を痛ましげに見やりながら、セラは続けた。
「病で自分の死期を感じていたクロさんは、ガイアデルト商会とウルさんに近づくチャカさんを一刻も早くなんとかしたかった。
そこで、自らの自殺をチャカさんに殺されたように演出することで、チャカさんをこの屋敷から追い出そうとした…」
「チャカを…追い出す、だって?!」
ウルははじかれたように再び顔を上げた。
「そのようですね」
やはりそちらに、淡々と返すミケ。
「クロさんは、クルムさんたちに、このような依頼を出していました。
『当代が、1人の女性に夢中である。当代はなんでも言うなりにしていて、いつ事業にまで口を出されるか分からない。そうなる前に止めたい。その女が何者で、何をたくらんでいるのか…調べて頂きたい。そして、そのたくらみがこの商会と…それが抱える莫大な富であるならば、どんな手を使ってでも、別れさせて欲しい』
そのために、彼らはここにいました」
「なん、だって……」
呆然とするウルの横で。
「あらあら、ずいぶんねえ」
くすくす。
肩を揺らして可笑しげに笑うチャカ。
「ミケさんの言う通り…ボク達はガードではなく、チャカさんとあなたを別れさせるために雇われていたのです。今まで偽っていてすみません」
若干申し訳なさそうに、しかし意思のこもった瞳でファリナが謝辞を述べた。
「そんな…冒険者を雇ってまで、チャカを追い出そうとしてたのかよ……」
ウルのショックはさらに深くなっていたようだった。
それを辛そうに見やりながら、セラはさらに続けた。
「作戦決行の当日、冒険者を雇い入れ自殺などするはずがないと入念にカモフラージュをする。
その一方で、脅迫文を人目に付きそうな、廊下に面したチャカさんの部屋に貼る。チャカさんの髪飾りを握り飛び下りるなど、チャカさんに罪をなすりつけようとした。
最後の仕上げに、チャカさんを部屋まで誘導して彼女を犯人にしたてる。
ところが、病で視覚系に異常があったクロさんは、外見の雰囲気が似ているレアさんとチャカさんを見間違えた。
かくして、犯人扱いされたのはチャカさんではなく、レアさんになった……」
そこまで言ってから、目を閉じて一呼吸置き、それから顔を上げて一同を見渡す。
「……ということだと思います。
もしも、クロさんが落ちたとき、上から顔をのぞかせていたのが、レアさんではなくチャカさんだったら。
『髪飾り』や『メモ』から、私たちはチャカさんを犯人に考えたと思います。
けれど」
表情を引き締めて。
「クロさんの部屋で見つけた手帳には、これから先の予定が書かれていませんでした。
部屋もとても綺麗で身辺整理をしているようにも見えました」
「手帳を書き込まなかった…のではなく、『書き込まなくてもよくなった』……つまり、クロさんは最初から死ぬ気だった、ということですね?」
確認するようにファリナが言い、そちらに向かって頷いて。
「ですから、クロさんは自殺だと思います」
「でも、アンタ昨日言ってただろ?」
横から口を挟んだのは、ストライクだった。
「クロが死んだら、ウル一人では商会は成り立たない。クロがウルを遺して自殺するとは考えにくい、って」
「うっ……じ、自分で言ったことですからスルーできると思ってたんですけど…」
セラは苦しげに眉を寄せた。
「うーんと、私はウルさんが社長さんになっても商会は傾かないと思います」
「そ、それは昨日言ってたこととずいぶん違うね……」
苦笑してクルムが言い、少しうなだれる。
「そ、そうですよね…すみません……でも!」
が、気を取り直して力説した。
「確かに、今のウルさんは船の運航表一枚どうすればいいかわかりません。けど、そんなウルさんの傍には優秀なクロさんが居たじゃないですか。チャカさんも寄ってきました。
人を惹き付ける力、カリスマ性がウルさんにはあるんだと思います。
それって、トップに立つ人には喉から手が出るほど大事な力だと思います。きっと、ウルさんの傍には優秀な人材が集ってきます。それをクロさんは分かっていたんじゃないかな…」
しん。
セラが言葉を終えて後に、微妙な沈黙が広がる。
冒険者たちもウルたちもフレッドたちも、セラの言葉に納得している者は誰一人いないようだった。
再びしゅん、としょげかえるセラ。
「……やっぱり、ない、ですよね…」
本人を目の前にして身も蓋もない言い草だが、肝心の本人すらそう思っている様子で全く反論しない。
ふ、と嘆息したのは、ミケだった。
「かりに、クロさんがそう思っていたとして。
もう1つ不自然な点を、昨日千秋さんが仰ってましたよね?」
「え、え………?」
きょとん、とするセラ。
千秋がミケに続くようにして嘆息した。
「ウルの目を覚ましてやり、チャカを追い出すことが目的なら…なにも、クロが死ななくてもいいんじゃないかと思う、と言ったんだ、俺は。
殺人の罪を着せなくても、かなり関係にヒビを入れることが可能な…チャカに関する致命的な情報を、すでにクロは持っていたんだからな」
「致命的な…情報?」
「なんだよ、それ」
きょとんとするセラに続いて、ウルも聞き捨てならぬ様子で身を乗り出す。
チャカは相変わらずの微笑みを浮かべてその様子を見ていて。
が、ウルの質問にはミケが答えた。
「ウルさん。チャカさんのフルネーム、ご存知ですか?」
「フルネーム?」
眉を寄せるウル。
「…そういや、知らねーな。別に、興味もねーし」
ウルの発言に、彼とチャカたち以外の全員が『恋人のフルネームも知らないのか…』という空気になったが、あえてそこまではつっこまずにミケは続けた。
「彼女の名前は、チャクラヴィレーヌ・フェル・エスタルティ。
……魔界の名門貴族、エスタルティ家の一族に名を連ねる、正真正銘の、魔族です」
「なっ……!」
「なんですって…!」
そのセリフに驚いたのは、ウルとフレッドだけだった。
レアは苦い表情で、黙ってミケの話を聞いている。
「魔族……って、はっ、な、こんなときに何タチ悪ぃ冗談……」
信じられぬ様子でそう言うウルに、ミケはなおも淡々と告げた。
「冗談ではありませんよ。僕と、クルムさん、それから千秋さんは、魔族の彼女が引き起こした事件にかかわり、多くの方が亡くなったのをこの目で見ています」
「はっ…何言ってんだ……ウソだろ?なあ、チャカ」
救いを求めるようにチャカの方を向いたウルを、チャカはゆっくりと見上げた。
「…本当よ?」
「なっ……」
一気に青ざめるウル。
「おまっ……そんなこと、一言も……!」
「言ってないわ。訊かれてないものね?」
「っ………」
フルネームさえ問わぬ彼だ。種族など問うはずもあるまい。
絶句したウルを痛ましげに見やる冒険者。
彼のその様子に満足したように微笑むと、チャカはミケの方に視線を移した。
「アタシが魔族だとウルに言えば、今みたいにウルはショックを受けて、アタシを放り出す…無理のない推測ね。
命を賭けてアタシを犯人に仕立て上げるより、よっぽど効率的…余命が短かったとしても、自殺するよりは、長くウルをサポートすることが出来るわ」
「そっ…それはそうかもしれませんけど……!」
セラは必死な様子で言い返す。
「でも、自殺する事だって方法のひとつだと…思います…」
言いながらだんだん語尾が弱くなっていく。
チャカはにこりと笑った。
「確かにそうね。でも、彼のようなタイプの人間は、効率的でないことを好まない…他に効率的な方法があるのに、上手く行くかどうかもわからない方法を取るとは思えないわ?」
「そう……ですよね……」
セラは再びしゅんと肩を落とした。
「なら…やっぱり、事故なんじゃないのか」
そこに割って入ったのは、ストライク。
「病を得ていても仕事を続けるような人間が、自殺するとは思えない。常用していた痛み止めの副作用で、感覚が麻痺して、誤って転落した……」
一同は黙ってストライクの話を聞いている。
「無理やり自殺と考えて動機を探すと、外部の手で、ガイアデルト商会内部にメスが入ること。俺が思いつくのは、それぐらいだけど…死の理由とするには薄いな」
「そうね、それが理由なら自殺をする以外にも方法があったと思うわ?」
チャカが相槌を打つと、そちらに複雑そうな視線を向けて。
「チャカの部屋に行ったのは、レアをチャカと見間違えた為、っていうのは、俺も同意。
チャカの部屋で、あのメモにある『秘密』の話をするつもりだったんじゃないかな。秘密とは、彼女が魔族だと言うこと。俺たちと会ってそのことを知り、メモを貼っておいたんだと思う。ウルと別れさせるつもりだった。
俺たちを雇った時点では、クロはチャカが魔族だとは知らなかった。だけど、知った。知ったからには、冒険者に任せておけない。そう考えたのかもしれない」
真剣な表情で、考えながら言葉を紡いでいく。
「ハンス医師によると、彼は病を得ていた。手術し、療養に専念すれば、治ったかもしれない。けど、彼は健常者のように振る舞い、仕事を続けた。なぜか?」
そこで、言葉を区切って。
ゆっくりと、続ける。
「……復讐を遂げる為…」
「復讐?」
不穏な響きに、ウルが顔を上げる。
「クロが、復讐?誰かに恨みを持ってた、っていうのかよ?」
それには、再びミケが答える。
「ええ。彼の経歴については、調べがついています。
本名はクロノス・オリンピア。昔、カイアデルト商会に潰された企業の社長令息で、お父様は19年前にここに乱入して、お亡くなりになっています」
「なっ……」
本日何度目かの衝撃的な事実に、絶句するウル。
しかし、もっと苛烈な反応を示した者がいた。

「ちょっ……ちょっと、待ってえな!」

がた。
座っていた椅子を動かす勢いで立ち上がったのは、レア。
それは予想の範囲内という様子で、冒険者たちは彼女を見た。
大きく目を見開いて、わなわなと唇を震えさせて。
声を出すのも恐ろしい、というように、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「オリンピア……その兄さん、ホンマに『オリンピア』いう名前なん?」
「……ええ、そうです」
しっかりとレアを見すえて、ゆっくり答えるミケ。
「んな…アホな……」
レアは呆然とした様子で、かくん、と膝を折り、どさ、と再び椅子に座った。
「オリンピア……オカンの、離婚前の苗字や……」
「……な」
さらに驚きに目を見開くウル。
ミケは僅かに頷いて、静かに続けた。
「……そうです。クロさんは、レアさんのお兄さんだったんですよ。
2人のお母さん…クリオ・オリンピアさんは、離婚をしてレアさんだけを連れ、シェリダンに移り住んだ…その時、レアさんは赤ん坊だったそうですから、レアさんがクロさんの顔を知らなくても無理はありません」
ミケは続けた。
「クロさんがその後、どのような経歴を辿ったかは分かりませんが、髪を染め、名を変えてガイアデルト商会に入社。そして功績を認められ、理事長補佐に就任。その後はあなたの方がご存じだと思われます」
「髪を染めて…名前を、変えて……」
「髪の色は、出自を隠すためのいわば変装のようなものだったのでしょう」
その後にベルが続く。
「そうして、彼は慎重な人でした。過剰なまでの掃除癖は髪の毛を染めていることを見破られることにたいする対策でしょう。また、ボロを出さないためにも自分の痕跡を最大限残さないように苦心していた可能性もあります」
「そうか…なるほど、そう考えれば納得がいきますね…」
そこは疑問に思っていたのか、ファリナが納得顔で頷く。
ミケの説明を受け、ストライクが再び続けた。
「クロの父親イアン・オリンピアは、ガイアデルト商会に殺された。クロは復讐を誓った。身分を偽り、潜入した当初は、自分が商会を乗っ取って、復讐を果たそうと考えていたんじゃないかな。
けど、病を得ているとわかった。療養に専念しても、治るかどうか分からない。また、自分が経営を支えないと、商会そのものが潰れてしまう。復讐を捨てることはできない。けど、死が近づいてくる…
そこで、せめて似たような境遇にあり、想いを託せる人物を、自分の手で育てて、復讐?夢?を果たそうと考えた」
「想いを…託せる人物?」
ベルが不思議そうに首を傾げると、ストライクはそちらに顔を向けた。
「ウルだ」
「……オレ?」
眉を寄せるウル。
ストライクはそちらを向き、しばし何かを言おうか言うまいか逡巡して…それから、口を開いた。
「ウルは、幼い頃に母親と別れて、父親にも冷たくされてきた。カエルスを決して好んではいないだろう。ウルが理事長として立派に勤めを果たすことが、自分の目的を果たすことにもなる。
だから、遊びに出ているウルを屋敷に連れ戻し、連れ込んでくる女は、遠ざけようとした。自分には時間がない。ウルを一刻も早く一人前の経営者にしなければならない。
そう思っている矢先に事故が起こった……そういうことじゃないのかな」
ストライクの言葉が終わり、再び部屋に沈黙が訪れる。
「……僕には、そうは思えないんですが……」
僅かに眉を寄せて、ミケがストライクに言った。
「クロさんは、ウルさんを理事のポストに付けはしましたが…彼に実質的な仕事は何一つさせていませんでしたよね。
とても、育てようとしていたようには思えませんが…」
「それは、ウルが仕事をするのを嫌がっていたからだろ?甘いやり方だと思うけど、時間をかけて説得して育てていくつもりだったんじゃないか?そういう事情があれば、クロがウルに対して甘くなるのも無理はない」
「では、髪飾りは?」
淡々とミケが言い、ストライクは、うっ、と言葉に詰まった。
「チャカさんを呼び出すためのメモ。これはいいとしましょう。でも、彼女に罪を着せるための自殺でなく、ただの事故だとしたら…何故、クロさんはチャカさんの髪飾りを持っていたのでしょうか?」
「それは……」
ストライクは言葉を続けられず、くしゃ、と頭を掻いた。
「…そうか。それがあったな。じゃあ、このセンはハズレか……」
「復讐の為に会社に潜り込んだ、という意見には、俺も同意だ」
僅かに頷いて、千秋。
「クロが身元を偽って商会に入り込んだときも、カルエスの目利きでは最初は復讐に来たんだろうということだ。
俺の知り合いにも、そういう目利きが出来る。これはまず、信用していいだろう」
「知り合い……?」
きょとんとするファリナ。
「いや、今はそれはいい。そういう奴がいる、というだけだ」
適当に誤魔化す千秋を、何か言いたそうな表情で見つめるミケとクルム。
「その後重く用いられるほどに働いていたようだったが、『自分がいなければ何もかもが回らない』という状況を作り出し、失踪することで商会に大きな不利益を与えようとしていたのではないか」
「自分がいなければ…何も回らない」
クルムが反復し、そちらに向かって頷いて。
「ああ。ウルに仕事をさせなかったのも、全てその為だ。
自分が実質上商会のすべてを取り仕切り、そしてその自分が突然いなくなれば、商会へのダメージは計り知れない。
クロは、それを狙ったんじゃないか。
……失踪の方法が自殺だったのなら、救われない話だが」
痛ましげな表情で俯く。
が。
「ふふ、それこそ、さっきのミケのセリフだわ?」
それに横槍を入れたのは、チャカだった。
「自分を『失わせる』方法が自殺ならば、それは相当ショッキングでしょうけど?
じゃあ、アタシを呼び出すメモは?アタシの髪飾りは?ちょっと、意味不明な行動じゃない?」
「……む。そうだな……」
低く唸って沈黙する千秋。
「その……両方だったのではないでしょうか?」
そこに、思いつめたようなベルの声がして、一同ははっとそちらを向いた。
ベルは胸の前で手を組んで、痛ましげな表情で、それでも言わないわけには行かない、というように言葉を続ける。
「そちらの…ユリさんが仰っていたように、クロさんの立場なら『やろうと思えばいつでも先代を殺すことは可能であった』。
つまりクロさんの復讐は先代を殺すことではなかった」
それは、冒険者たちは皆承知のことのようだった。黙って、ベルの言葉の続きを待つ。
「彼の復讐とは……『全てを奪い取る』ことだったのではないかと思います」
「全てを……奪い取る?」
クルムが繰り返し、そちらに頷くベル。
「ええ。そうして、相手が必ずしも先代でなくてはならないという理由はありません」
「…どういうことだ?」
さらにクルムが問う。
ベルは視線をクルムから一同にゆっくりと移しながら、説明を始めた。
「例えば誰か痛めつけようと思った時に、本人を直接痛めつけるという方法のほかに、本人の大切な物……あるいは者……を傷つけるという方法もあるでしょう。而して、そのような間接的な復讐は直接的な復讐よりも性質が悪く陰湿です。……経緯からするに、クロさんが商会を相当恨んでいたのは間違いない事実でしょう。しかも、彼は頭が良かった。彼の父親やその他大勢の犠牲者のように商会に討ち入るという直接的な方法ではなくて、経歴を隠して商会に潜り込むという方法をとっておられます。
クロさんは商会で理事長補佐まで上り詰めた人物です、商会を乗っ取ろうと思えばそれは容易に出来たはず……ということは彼の目的は商会を乗っ取ることではなかったのではないでしょうか」
「乗っ取ることではなかった…?」
眉を寄せるクルム。
ベルは頷いた。
「クロさんは自分が実質的に商会のトップであったに関わらず、ウルを理事長のポストから下ろすことは断固拒否していました。クロさん本人も『それでは意味がない』というような趣旨の発言をしていたというのを聞いた記憶がありますわ。
それはつまり『ウルさんが商会の事実上のトップでなくてはならない理由があった』ということでしょう」
「それは、まあ、そうですね」
同意して頷くミケ。
ベルはさらに続けた。
「……もし、それがクロさんの復讐を遂行するために必要であったからだとすると……
かつて『被害者の息子』という立場であった自分を、『加害者の息子』であるウルさんに投影し、その彼から何もかもを取り上げてしまうのが、かつて先代により何もかもを失ってしまった彼の『被害者の息子』としての復讐であった可能性があります」
「カエルスの代わりに、ウルに復讐するためだった、っていうことか?」
かなり驚いた、信じられないという様子で、クルム。
ベルは頷いた。
「いまさら商会がなくなったとしても先代は全く困らないでしょう。むしろ、困るとしたらウルさんのほうでしょう。例えウルさんが心情的に困らなくとも対外的な地位は完全に失墜するとみて間違いないでしょう。ウルさんが今まで豊かな暮らしを甘受できていたのは、この商会のお陰……ひいてはそれを支えていたクロさんのお陰であるわけです。クロさんを失うことにより商会が潰れ……その結果として、ウルさんは自身の生活基盤を失うことになります。
……この先は、もともとの計画にあったのか、それとも計画を練るうちに考え付いたことなのかは、定かではありません。恐らく後者であろうと思いますが」
痛ましげにぎゅっと目を閉じて。
そして再び目を開き、さらに続ける。
「次に彼が考えたのは、チャカさんをウルさんから奪う事……つまりは、ウルさんの大事な人をウルさんから奪う事です」
視線をチャカに移して。
「恐らく……あの脅迫状にあった『お前の秘密を知っている』というのは、ただ単にチャカさんをおびき出すための脅し文句のようなもの…いわば『はったり』なのだと思います。
彼はチャカさんをおびき出そうとそのような脅迫状を送りつけた。
その目的は『チャカさんを商会から追い出す』ことではなく、チャカさんを『クロさん殺害の容疑者』に仕立て上げ、ウルさんからチャカさんを奪うという所にあったのだと思います。そのために、クロさんはチャカさんをおびき出しチャカさんが現れた所でバルコニーから転落する必要があった」
自分で納得したようにひとつ頷いて。それから一同を見渡す。
「後は、異変に気が付いた冒険者たちがチャカを取り押さえる。
もしかすると、その目的の為にクロさんは冒険者を雇ったのかもしれません」
「目撃者を増やすため、という訳ですね…」
自嘲気味に笑って、同意するファリナ。
ベルはそちらに向かってまた頷くと、続けた。
「そのような状況下であれば、間違いなくチャカさんは自警団に連行されます……レアさんのように。……思わず、溜息を付きたくなるような内容なのですが……」
実際にため息をひとつついて。
「クロさんがレアさんをチャカさんと見間違えたということに関しては、わたくしもセラさんと同じ意見ですわ。彼は病から来る痛みを和らげる薬の副作用で、感覚神経に異常をきたすことがあったそうです。
近くで見るとそうでもありませんが、遠目で見て似ているチャカさんとレアさんを見間違えたというのは、十分ありうることだと思いますわ。
そもそも、クロさんはその時レアさんのことを知らなかったはずです。
つまり、彼が知っていた黒髪に褐色肌の女性は商会の中にはチャカさんだけしかいなかったはずなのですから、少しくらい可笑しいと感じてもチャカさんでないという事を疑うことはしなかったに違いありません。
そうして、彼は後ろから付いてきたレアさんをチャカさんだと勘違いしたままにバルコニーから飛び降りてしまったのではないでしょうか」
説明をそう締めくくって、改めてウルの方を見た。
「そうしてクロさんは、ウルさんから『自分』と『チャカさん』という大切な人を、同時に奪ったわけです」
「そ…んな……」
呆然とベルを見上げるウル。
しん、と室内が静まり返る。
「……面白いお話ね」
沈黙を破ったのは、チャカだった。
そちらに厳しい視線を向けるベル。
チャカは、にぃ、と妖しい笑みを彼女に向けた。
「…でも、アタシはそれ、違うと思うわ?」
「根拠を…お伺いしてよろしいかしら?」
厳しい表情のまま、チャカに問い返すベル。
チャカはにこりと笑った。
「ウルがカウの息子だから、カウの代わりにウルに復讐を実行した、っていうことでしょう?
それは、ありえないわ」
「ですから、それはどうして」
焦れたように言い募るベル。
チャカは、くすりと鼻を鳴らした。
「だって……」
すい、と指先をウルに伸ばして。

「ウルは、カウの子供じゃないもの」

「なっ………」

チャカの言葉に絶句したのは、ウルだけではなかった。
冒険者たちの誰もが、驚きに目を見開いて彼女を見る。
特にストライクは、先ほどウルを慮って口にしなかったことをあっさり口にされ、呆然とチャカを見やっていた。
「……それは」
驚きから立ち直ったベルが、厳しい表情のままチャカに言う。
「……ネクスさんのことを仰っているのかしら?」
チャカは再び、にこり、と笑った。
「ウルの母親のことね?ええ、ずいぶん行動に謎の多い人だったようね?」
「それは…否定しません」
用心深くベルは頷いた。
「ネクスさんはかつて結婚を約束していた、リオンという男性がいた。けれど、その男性の会社がガイアデルトに潰され、決まっていた結婚も破談になってしまった…その経緯からすると、ネクスさんは何かしらの目的を持って商会に来た……のでしょうね。わざわざ選んでまで恋人の仇の屋敷のメイドになるくらいですから、目的がそれ相応のもの……例えば復讐……であった可能性は非常に高いでしょう」
「でも…それは、カウを殺す、ということではなかった」
「……ええ。クロさん同様、目的の判然としない復讐です。
彼女が商会に来てからの出来事といえば。メイドとなり、ウルを身籠り、恋人の仇と愛の無い結婚をし、かつての恋人が夫に殺され、幼い子供を置いて家を飛び出し、自殺…」
「……な」
ベルが淡々と語った内容に、ウルは再び愕然としたようだった。
しかし、チャカもベルもそちらには気を払うことなく、続けた。
「けれど…これだけでは、ウルさんが先代の子供でないと断言は出来ないのではないかしら?
たとえば…そもそもの彼女の計画が『リオンさんの復讐の手助け』であったら、どう?」
ベルの言葉に、チャカは笑みを深めた。
「…面白そうね?続けて頂戴」
「つまり、商会に復讐しようと考えていたリオンさんの手助けをするために商会にもぐりこんだというお話です。そもそもがネクスさんが先代と……どうこうなるということは仮定されていないでしょう。しかし、思いもかけないことが起こり、ネクスさんは身籠り先代の奥方様になり、男の子まで生まれた。
リオンさんの衝撃は計り知れないものがあるでしょうね」
「なるほど。復讐の為に潜り込ませた恋人を、逆に敵に寝取られた…怒りのあまり屋敷に突撃する理由としては、申し分ないわね?」
妖艶な笑みを浮かべるチャカ。
「でも、解せないことがあるわ?」
「…何でしょうか?」
「リオンがここに殴りこんできたのは、ウルが3つの時でしょう?妊娠の期間も含めると4年ね。どうして4年も待ったのかしら?周到に計画を練ったとしたら、簡単に返り討ちにあうような方法で屋敷に侵入するのは不自然ね?怒りに任せたとしたら、4年のブランクが不自然。知らなかったなんてことはないわよね、復讐のために潜り込ませた恋人と連絡が取れなくなったら、当然何があったかと調べるはす。2人が結婚したことを調べ上げられないはずがない」
「……それは」
ベルは眉を寄せて言いよどみ、そしてさらに厳しい表情でチャカに言った。
「…では、貴女はこう仰りたいの?」
き、と視線を鋭くして。
「ネクスさんは、先代ではなく、他の誰か……一番濃い可能性としては、リオンさんの子を身ごもり、自ら泥酔した先代の寝所に潜り込んで既成事実があったように見せかけ、責任を取れと迫った…と」
「……っ」
ウルを始め、一同の表情が再び驚きに染まる。
ベルは続けた。
「女にとって、血のつながらない子供を実子として育てさせるのは、ある意味で最上級の復讐たりえる事ではあるでしょう。しかも、ウルさんは将来的には商会の跡取りとなる。自分を苦しめた商会を実質的に彼から奪いとることが可能……。
つまりは彼女の復讐は『血のつながらない子供を我が子として育てさせ、その子に商会を継がせることによって商会を先代から奪い取る……』いわば『商会を奪い取る計画』であった、と…」
「そう考えた方がしっくりくるんじゃない?」
にこりと笑うチャカに、ベルは不快さをあらわにして言い募った。
「しかし、その場合……そんなに都合よく身籠ることができたのか、現実的に先代を酔わせて子供の父親に仕立てることが可能であるか?という点において、少々疑問が残りますわ」
「あはは、アナタやアタシみたいに、長命だからタイミングを狙うことが難しい種族ならともかく。人間なら月に一度はチャンスがあるわ。体温や身体の兆候でタイミングを測ることは決して難しくない。そのタイミングでリオンと何度か寝て、同じタイミングでカウのお酒に睡眠薬でも入れれば完璧。メイドだものね、そんなことは造作もないわ。
調べてみて妊娠していなければ、また同じことをすればいいだけの話だもの」
チャカの口から出た生々しい表現に、ベルは一瞬口ごもりながらも、さらに言った。
「そっ…それに、そんなことをして彼女に一体何のメリットがあるというのです?」
「愛しい恋人から家も金も何もかも奪い、決まっていた結婚まで取りやめになった。復讐の動機としては十分じゃない?」
「それだけではありませんわ。彼女の婚約者であったリオンさんがそんな復讐を果たして是とするのでしょうか?」
「だから、目的を達成したら連絡を絶ったんでしょう?だからこそ、4年もの間、リオンはその事実を知らなかったのよ」
チャカは余裕の笑みで言って、足を組みなおした。
「普通の男なら、そんな復讐、止めるに決まってるわ。だから、彼女はガイアデルトにメイドとして雇われることになったことすら、内緒にしていたんじゃないかしら。
でも、彼女の恋人を陥れ、地位も財産も全て奪い、結婚も破談にして、約束されていた彼女の幸せな未来を根こそぎ奪い去ったガイアデルトが、気性の荒い彼女にはどうしても許せなかった。だからあえてガイアデルトに潜入し、おとなしい女の振りをして復讐の機会を虎視眈々と狙っていた…」
に、と笑みを深めて。
「自らが潰した男の子供を育てさせ、商会を継がせるっていう…最大の復讐を実行するためにね」
ベルはもはや口をつぐんで、蒼白な表情でチャカの話を聞いていた。
チャカは視線をすべらせ、どこか歌うような表情で続けた。
「彼女が連絡を絶ったなら、恋人が、彼女が結婚したことも子供が出来たことも知らなくても無理はないわ。
家も財産も失って、婚約者もしばらくは会っていてはくれたけれど、やがて連絡が取れなくなった…失意のまま暮らしていた彼が、何年か経って事実を知ることになる。かつての恋人はよりによって自分の会社を潰した男の妻となり、子までもうけていた…
…さあ、彼はどうするでしょうね?」
「あ……っ」
チャカがそこまで言って、冒険者たちは彼女の言わんとすることに思い当たったようだった。
チャカは満足げに笑って、続けた。
「会社や財産だけでなく、愛する女性まで自分から奪っていったガイアデルトに…当時は諦めた復讐をもう一度する気になったのね。
でも、彼の復讐は実を結ばず、あっさり返り討ちにあって命を落としてしまう。
さあ…肝心の愛する女性は、自分の目の前で死んでいったかつての恋人に、何を思うかしら?」
「もう、ここにはいられない……」
呆然と、クルムが言った。
「ネクスのその言葉は、暴漢が怖いからでも、カエルスに愛されていないからでもなかった…
……自分が復讐をしたことが、恋人を死に追いやった…彼女が復讐をすることに、もう意味がなくなってしまったんだ……」
「そう考えたとしても、不思議ではないわね」
チャカは鷹揚に頷いた。
「ウルを残していったのは…心中に巻き込みたくないと思ったのか、それとも息子に自分の復讐を託したのかはわからないわ。
どちらにしろ彼女はこの屋敷を出て……自らの命を絶った」
「……期待、はずれ……」
やはり呆然と、ミケが呟く。
「…そう、言ったんですよね。カエルスさんは。目的のためには何もかも、自分の子すらも犠牲にする獅子の子ならば、あるいは、と思ったが、期待はずれだったと」
「…え、ええ」
カエルスに直接話を聞きに行ったベルが、戸惑いがちに頷く。
ミケはなおも呆然とした表情で、ゆっくりと視線を下に落とした。
「カエルスさんは…知っていた…ウルさんが自分の子ではないことも、ネクスさんがその子を利用して復讐を遂げようとしていることも。全部知っていて、彼女の言う通りにしたんですね…」
「な、なんでそんなことを」
理解できない様子で、ファリナ。
その質問には、チャカが答えた。
「カウは、自分と同じ『獅子』の気性を持つ人間しか、認めなかったのよ」
一同が彼女の方に視線をやる。
「カウは商会に興味なんかなかった。でも継がせるなら、自分と同じ『獅子』が相応しい、と言っていたそうね?」
「え…え、ええ」
やはり戸惑いがちに頷くベル。
チャカはにこりと笑った。
「何もかもを犠牲にして復讐を成し遂げようとする、強い『獅子』の気性。それがあったから、カウはネクスを認め、彼女の言う通りにしたんだわ。名前も変え髪も染め、敵の会社に入り込んで自分に認められるほどにまで仕事の腕を必死で上げたクロと、同じようにね」
「カエルスがクロを認めていたのは、そういうことか……」
納得した様子で、クルム。
チャカは頷いて続けた。
「だから、そんなに強い『獅子』の気性を持つ女の子供なら、あるいは自分の会社を継ぐに相応しい『獅子』となるかもしれない。
カウはそう思って、ネクスの言う通りにしたんでしょうね」
「でも…思ったとおりにはならなかった」
ようやく気を取り直した様子で、ミケが続く。
「ネクスさん自身は恋人の死に直面して自殺をし、残されたウルさんも……自分の置かれた環境を嘆き、反発する割に与えられたものを享受して遊びほうける…獅子とは程遠い存在に育ってしまった。
だから……期待はずれ、だったんですね……」
しん、と。再び、部屋に沈黙が戻る。
話題にのぼった当人…ウルは、ショッキングな事実が許容量を超えたのか、焦点の定まらぬ目つきで呆然としているようで。
「で…ですが」
ベルはまだ納得の行かぬ様子で言い募った。
「それも…全ては、貴女の想像ではありませんか。確かに、わたくしが最初に申し上げた説も不自然な点はありますけれど、4年の間必死に耐えて、それでも耐えきれなかったと解釈することも出来ます。
けれど、ウルさんが本当に先代の子供かどうか、もう知る術はない…それを知るネクスさんはもう、亡くなっているのですから。
真実は永久にうかがい知ることは出来ないのではなくて?」
「そうでもないわよ」
対するチャカは、やはり余裕の表情で。
「ウルが、カウの子供であるはずがないの」
「ですから、何故そうと言いきれるのです?」
再び焦れたように言うベル。
チャカは先ほどと同じように、にこりと笑った。
「……無精子症」
唐突に飛び出した聞きなれない響きに、何人かがきょとんとした顔をする。
チャカは一同を見渡して、言った。
「知ってる?精子を作り出すことが出来なくなる病気よ。
カウはね、成人してからすぐに、酷い熱病にかかって、精子を作り出すことができなくなってしまったの。
彼には、子供を残す能力がなかった。物理的にね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて言葉を遮るミケ。
「な、何なんですかそれ、今更。あなた、何でそんなことを……」
そこまで言って、満面の笑みを浮かべたチャカに、がくりと肩を落とす。
「…知って、ますよね………くっ、なら教えてくれたって……」
「訊かれないことには答えられないわ?」
にこり。
綺麗に笑うチャカに、恨めしげな視線を送るミケ。
「な…なんだ、どうなってんだ?」
ようやく目の焦点が合ってきたウルが、さすがにこの発言を看過できずに立ち上がって言い募った。
「なんだよ…どういうことだよ?チャカ、何でオヤジのこと…オヤジが、子供作れねーって、知って……」
「カウから、直接聞いたのよ?」
「だから、なんでだよ!」
「チャカさんはかつて、カエルスさんと関係を持っていた、からですよ」
誤記を荒げるウルに冷めた視線を送って、ミケが淡々と言った。
「なっ…チャカが、オヤジの恋人だった、ってことか…?」
「恋人だったかどうかはともかく、関係を結んでいたことは確かです。
カエルスさんは彼女を手に入れるためにこの屋敷を建て、商会を興した。彼女を手に入れることに一生を費やした方だったんです。
あなたが彼女に与えたあの『VIPルーム』も、奇しくもカエルスさんが彼女のために作らせた部屋だったんですよ」
「んな…嘘だろ?んなバカなこと、あるわけ…」
「バカなこと、ですか?」
ミケは淡々と言って、首を傾げた。
「彼女は先ほども申し上げた通り、魔族です。エルフであるベルさんよりもずっとずっと長い寿命がある。
カエルスさんとあなたの年の差なんて、彼女にとっては一瞬のことですよ」
「なっ……そ…っ、そんな、だって、チャカはそんなこと、一言………っ」
ウルはそこまで言って言葉を詰まらせ、それから呆然と傍らの恋人を見下ろした。
彼にも、もうさすがに判ったのだろう。彼女がそれに対して、どんな答えを返すのか。
『訊かれてないから、言ってないわ?』
どさ。
力が抜けたようにソファに座り込むウル。
冒険者たちは、それを痛ましげに見やった。
「…っ、たとえ、そうだとしても、です」
ベルはまだ納得が行かぬ様子だった。
「事実はそうだったにせよ、クロさんがそれを知らなければウルさんを息子だと思い込んで復讐することは考えられますわ」
「そうねえ」
チャカは頷いて、それから首をかしげた。
「でも、彼は知っていたと思うわ?」
「何故、そんなことが言えるのです?」
「ねえ、おかしいと思わなかった?」
チャカはにこりとベルに笑いかけ、それから冒険者たちを見回した。
「カウの主治医、ハンス。クロの父親と親しくしていた、と言っていたそうね?
なら、クロの父親がカウに殺されたのは知らないはずがないわ。そんな男の主治医になるかしら?
カウを憎んでいるクロが、その病気を治すために父の友人に診せたりするかしら?」
「それは……」
そこは、考えても答えが出なかったところらしい。ミケが言いよどんで俯く、
「ネクスのことを少し調べれば、今と同じ推論は出てくる。
クロはそれを医学的に証明するために、親しくしていた医者にカウを診せたんじゃないかしら?」
「あ……っ」
チャカの推論に目を見開くミケ。
チャカは続けた。
「無精子症を確かめるためだったのではないにしても…カウの体調を完全に把握するためにあえて知り合いの医師を選んだ、と考えると、その不自然さに説明がつくわ。
なら、クロはカウの体のことを…彼に子孫を残す能力がないことを知っていたことになる。
肉体的にも精神的にも、ウルにカウとの繋がりはない。むしろウルは、カウに振り回されて道を誤った母親に巻き込まれて振り回された被害者。
クロがウルに復讐をする理由がないのよ」
「………そう、なのですね…」
ベルは暗い表情で呟き、俯いた。
「なら…やっぱり、彼の行動は…カエルスさんに復讐をするためのものだったんじゃないのかな」
そこに、クルムが真剣な表情で言う。
冒険者たちは彼のほうを見た。
「カエルスさんに復讐…ですか」
ミケの言葉に頷いて。
「ああ。クロは病を患い、1年も持たない命だった。だけど、消息がわかった妹に会うこともしなかった。
それは…このまま、『クロノ・スーリヤ』として死ぬためだったんじゃないのかな」
「…わかんないな。身分を偽ったまま死ぬことが、何の復讐になる?」
首を傾げるストライク。
クルムは僅かに眉を寄せて考えた。
「もしかしたら、クロは……自分の身をもって『カエルス・ガイアデルト』のコピーを演じていたんじゃないのかな」
「ど……どういう、ことですか…?」
混乱した様子で、セラ。
クルムはそちらを向いて、続けた。
「カエルスさんの片腕として、人には言えないようなことにも手を染めたクロ…
カエルスさんと同じ金髪に染めて、カエルスさんと同じことをする……目的のために平気で人を傷つけ陥れる、そんな罪深い人間を客観的に見せるためだったんじゃないか?」
「え、えぇ?」
思いもよらない推論に目を丸くするファリナ。
クルムは続けた。
「クロが理事補佐になって1年でカエルスさんが体調を崩したのは、その精神的ダメージによるものだったとは、考えられないかな。
カエルスさんは生きる気力を失っていて、それが病状を進行させている状態だった、ってハンス医師も言っていたし…」
しばし黙して考え、そしてさらに続ける。
「…そして、このままカエルスさんのコピーとして、無茶な仕事の末に体調を崩して死ぬことで、さらにカエルスさんにダメージを与えるつもりだった…だからクロは、ハンス医師が止めるのにも応じずに、治療をしないまま無理を押して仕事をしていた」
「な、なるほど…」
驚きつつも納得顔で頷くセラ。
クルムはさらに続けた。
「だけど、執事さんからチャカの事を聞いて…カエルスさんのコピーである自分がチャカに殺されることで、カエルスさんに決定的なダメージを与えられると思った。
だから、クロはチャカに罪を着せるために自殺した…」
クルムは考えを述べ終え、口を閉じた。
再び部屋に沈黙が戻る。
「うーん……」
難しい顔で唸るミケ。
「カエルスさんの病気の原因が何だったのか、よく考えてみたら僕たちは一切調べていないので、その可能性はありますが…
……けど、僕にはカエルスさんがそんなことでダメージを受けるような人間だとは思えないんですよね」
「そう……かな?」
首を傾げるクルムに。
「わたくしも、そう思いますわ」
ベルが妙に実感のこもった表情で頷いた。
「あの方をただの『善良で孤独な老人』とするのは誤りでした。人を人とも思わぬ…理解しがたい考えの持ち主であったと思いますわ。
そのような人間が、自分の行いを客観的に見せられたとして、それで身体を持ち崩すほどの衝撃を受けるとは思えません」
「だけど……」
「クルムさん、カエルスさんに生きる気力がなくなったのは…どうしてでしょう?」
ミケが改めて問い、クルムは首を傾げた。
「えっ……自分の人生が無駄だった、というようなことを言っていたと思ったけど…それは、自分の行いを悔いていたからじゃないのかな…」
「クルムさんは、優しいですね。みんながクルムさんのような人だったら、よかったんですけれど」
ミケは苦笑して言った。
「ベルさん、カエルスさんが昨日、最後に何と言っていたか、もう一度教えていただけませんか?」
「えっ…ええ」
急に振られて戸惑いつつも、ベルは答える。
「寿命の違うものを、完全に手に入れることは出来ない。それが全てで、全力で抗うべきもの。それに一生を捧げたことを、悔いてはいない……と」
「ええ。カエルスさんが一生を捧げた目的とは…『寿命の違うものを、完全に手に入れること』」
ミケの言葉に、ベルは頷いて続いた。
「手に入れたいというのが、行き過ぎた愛情なのか所有欲なのか……それは定かでありませんけれども、先代がチャカに異常なほどに執心していた事は事実らしいことね。
魔族であるチャカが自分の死後に他の男を平気で愛することと許せなかった、彼女を完全に『自分のもの』にするには、彼女と同じくらいの時間を生ることが必要だった……ということかしら」
ベルの言葉に頷くミケ。
「ええ。その為の手段として貿易会社を設立し、世界中の流通に関わった。得た利益を、オカルトに関わるものにほとんどつぎ込んでいたのも…寿命を延ばすための手段を探していたのだと思います。
ですが、それは実を結ばないまま、自分が身体を壊してしまうことになった…だから、カエルスさんは生きる気力を失ったのです」
「商会に用がない……商会での商売でいくら金銭を稼いでも、彼の望みが金銭と引き換えに叶う類のものでなかったゆえ、もう用はないという意味なのでしょう」
「ええ。彼が一生をかけて望んだものは…結局、手に入らなかったのですから」
ふ、と息をついて、ミケはさらに続けた。
「そもそも、カエルスさんはチャカさんが魔族であることを知っていました。現在はウルさんの恋人になっていることまで『そうでなくては面白くない』と笑い飛ばした。そんな方が、自分のコピーがチャカさんに殺されることでダメージを受けるとは、僕には思えません。
それは、ずっとカエルスさんの側で働いてきたクロさんも、よくご存知だったと思いますよ」
「そうか……」
クルムはどこかさびしげな表情で俯いた。
「それに…今までの皆さんの意見だと、クロさんがレアさんをここに呼び寄せたことに全く触れられていませんが」
ミケは言って、クルムから全員に視線を移した。
「クロさんはレアさんの消息を突き止め、ヤマニー商会と取引を始めることで彼女をここに呼び寄せました。
しかし、彼女に直接会うことも、名乗り出ることすらせずに亡くなられています。
これについては、どうお考えですか?」
「それは…偶然、なんじゃないのかな」
クルムが顔をあげてミケのほうを向く。
「クロはヤマニーと契約して商品を発注し、レアのことも聞いていたようだったけど…運び人を指定することは出来なかったようだし。
事件の日にレアがガイアデルトに来たのは、クロが呼び寄せたからではなく、偶然だと思うよ」
「わたくしも、そう思いますわ」
それにベルが続いた。
「クロさんはレアさんのことをご存知だった。
ただ、『どうしても会いたい』とまでは思っていなかったのかもしれません、会えた所で、身分を偽っている自分の元に妹を呼びよせることはできませんもの。
ですから、妹がどうしているのか、少しでも情報を知りたくてヤマニーと取引した。
恐らくレアさんがその場に居合わせたのは、本当に偶然で……巡り合わせというものだと思います」
「そうかな……俺はそれは、違うと思うんだけど」
反論したのは、ストライクだった。
「普通なら土地勘のないところには行かせないヤマニー商会が、『たまたま』他に誰も行くやつがいなくて、『たまたま』レアが来ることになったまさにそのタイミングで自殺?それはちょっと、無理があるんじゃないかな」
「もちろん、運び屋が妹であれば……考えなかったわけではないと思いますが、ヤマニーから『それは出来ない』と言われたのでしょう?運び人の指定が出来ないというのであれば、諦めざるを得ないのではなくて?」
「だから、取引を始めてから1ヶ月以上かかったんだよ。レアが来るのに」
ストライクは平然と答えた。
「レアを指名できないのなら、荷物の発注量を増やして、運び人全員に、商会関係の運搬をさせれば良いんじゃないかな。どうにかコントロールできると思うけど。実際、その通りになったわけだし」
「でも、クロさんはレアさんを呼び寄せておきながら、何もせずに亡くなっていますよね?」
ミケの言葉には、僅かに眉を寄せて。
「それは…推測だけど。ガイアデルト商会の実力者ともなれば、手も汚れる。だから、兄だと名乗って、まともに会うのは抵抗があったのかもしれない。けれど、死ぬ前にひと目、見ておきたかった……」
それから、またしばし口を閉じて何かを考え…やがて、首を振る。
「一目、妹の無事な姿を遠くから見て…それで、思い残すことはなくなった。そう、思うんだけど」
「でも……チャカさんとレアさんを見間違えている訳ですよね?レアさんの姿を確認して、認識しているのに」
ミケに即座につっこまれ、ストライクはまた眉を寄せた。
「あー……そうか。じゃあ、違うか…?」
「あの……」
そこに、遠慮がちにファリナが割って入る。
「こう、考えてはどうでしょう」
彼の言葉に、全員の視線が彼に集中した。ファリナはそれにやや気後れしたようだったが、きゅ、と表情を引き締めて。
「ボクは、レアさんがチャカさんに似ている事が、どうも気になったんです」
「えっ」
驚きの声を上げるベル。
「いえ…先ほどは遠目なら似ていると申し上げましたが…以前申し上げた通り、わたくしにはお二人が似ているようには思えません」
「あ、いえ、あの。その、遠目で似ているレベルで…つまり、『人から伝え聞いた特徴』で似ている、ということです」
慌てて補足するが、ベルは意味が量れず眉を寄せた。
「人から伝え聞いた特徴、ですか……?」
頷いて続けるファリナ。
「ええ。チャカさんではなく…いえ、結果としてチャカさんなのですが、『30年前に屋敷を訪れた女性』に似ている、ということです」
ファリナの言わんとすることがわからず、一堂は黙って彼の言葉を聞いている。
ファリナは続けた。
「あまり良い言い方ではなく申し訳ないのですが、レアさんの風貌は、チャカさんに似せて『作られた』のではないでしょうか?
クリオさんは商会に怨みを持っていた。だけど自分の力ではどうしようもない。それなら社長を魅了した女を使えばいい。本人が無理なら偽物を作ればいい。自分がダメなら子供で作ればいい。本気で怨んでいたらこれくらいの事、考えついてもおかしくは無いかもしれませんよね」
「そんな…」
思わず声を上げるセラ。しかしそれは、残酷な内容にというよりは、突拍子もない考えに驚いている様子で。
ファリナはそちらを見て、続けた。
「そう思わせるほど、レアさんは30年前の女性…チャカさんに似すぎている。偶然とは、考えられない。
クリオさんは復讐の為にイアンさんと結婚、2人の子供を生んだ。1人目はクロさん。2人目はレアさん。目的の女の子を手に入れたクリオさんはイアンさんと離婚。
ガイアデルトへの復讐のために使われた…そう思ったのならイアンさんがお屋敷を襲ったのも無理はないでしょうね」
うん、とひとつ頷いて。
「残されたクロさんは妹のレアさんを探していた。復讐に使われる妹を助けたい一心で。
妹の情報などは、昔から父親と親しかったハンス医師に聞けばある程度手に入れられたはずです。
ヤマニ―工芸で仕事を受けているという情報を得て、ガイアデルト商会に来るように仕向け、おびき寄せようとした。
ですが、現れたのは妹ではなく、30年前の女性…チャカさん本人だった。
しかしチャカさんをレアさんと勘違いをしたクロさんは、母親の計画を阻止するため、ウラノスさんと別れさせようと冒険者を雇うなどした」
「アタシのことを…妹だと勘違いした、ということね?」
チャカが相槌を打ち、そちらに向かって頷いて。
「そうです。『お前の秘密を知っている』というメモも、レアさんに向けたものだった。
ウラノスさんと別れさせるためとはいえ、彼女は私の妹だ、なんて冒険者に知らせることなんてできないでしょう?ボク達に知らせてくれなかったことの説明がつきます」
何人かが納得のいかない表情でファリナの話を聞いているが、反論はしない。
ファリナは淡々と、続けた。
「…まあ、結局はさっきも言った通り、クロさんは元から死ぬつもりで、ボクたちも目撃者を増やすために雇ったんでしょうけど…
既に体がボロボロだったクロさんは、最終手段として自らを犠牲に、妹だと思っていたチャカさんを殺人犯に仕立てあげることで計画を阻止することにした。
そして、追いかけていたのはチャカさんではなく本当の妹だと気づかずに、そのまま飛び降りをしてしまった…」
そこで、僅かに辛そうに目を閉じて。
「そう考えれば、妹を呼び寄せようとしておきながら、妹に会わずに飛び降りたことの説明がつきます。
クロさんはすでに、妹に会っていると思っていたんです。実際はそれは、チャカさんだったわけですが……」
「なんか、ヘンなの」
くすくす。
チャカが可笑しそうに笑って、ファリナはそちらを向いた。
「ヘン、ですか?」
「ええ。妹が復讐するのを止めるなら、アナタだったらまず何をする?」
「ボクだったら……ええと、ボクには妹がいないからよくわかりませんが…」
ファリナは少し考えて、難しい表情で言う。
「まずは…バカな事はやめろ、と説得する…でしょうね」
「でしょう?説得してそれでも聞かなくて強硬手段に出るならわかるけど、彼は説得すらしなかった。
アタシはこの屋敷で彼と1対1で話したことは一度もない、彼のほうが避けてたみたい、って言ったわよね?」
「あ……!」
チャカに指摘され、口をあけるファリナ。
「それに、おかしくないか?」
クルムが眉を寄せてそれに続く。
「クロはオレたちに依頼を出した時点で、オレたちからチャカが魔族であることは聞いてるだろ?
クロの妹はどう頑張っても魔族にはなりえない。その時点で、人違いだってわかるんじゃないか?」
「そ…それは、ええと……クルムさんたちの方が人違いをしたと思ったんじゃないでしょうか?」
あわあわと答えるファリナ。
「オレたちが人違い?」
「ええ。魔族なんてそんなに人間にかかわるものじゃありません。クルムさんたちはたまたまチャカという名前の魔族を知っていたけれど、それは偶然妹が名乗っていた名前と同じなだけで、今回いる『チャカ』は妹だと思った…んじゃないでしょうか」
「そう…かなぁ……?」
少し無理のあるファリナの説に、首を傾げるクルム。
そこに、チャカがくすりと鼻を鳴らした。
「まあ、アナタの話が本当だったとして……じゃあ、クロの母親…クリオ、だったかしら?
どうして彼女は、そこまでガイアデルトを憎んでいたのかしら?」
「それは…ネクスさん、もしくはその元許嫁のリオンさんの死が関係しているかと思われますが、想像の域を出ません」
「はい、アウト」
くすくす。
チャカは面白そうに笑いながら、指先で小さく×の形を作って見せた。
「え、え?」
きょとんとするファリナに、首をかしげて。
「ネクスとリオンが亡くなったのは、いつのこと?」
「え、えっと……」
「23年前、ですな」
その質問には、フレッドが答えた。
「リオン・ヘリオトールの傷害事件が起こったのは23年前です。ネクスがそのすぐ後に亡くなった、ということでしたな」
「そう。それじゃあファリナ」
「はっ、はい」
「…クロは何歳?」
「えっ」
ファリナはきょとんとして、それから依頼の時に聞いた情報を思い出した。
「ええと……31歳………あっ」
「そう」
にこり、と綺麗に笑うチャカ。
「計算が合わないの。仮に原因がネクスとリオンにはなかったとしても、アタシがこの屋敷に来た30年前にはすでにクロは生まれていた。復讐の為に、カウを魅了した女性のクローンを作ろうとした、その為にイアンと結婚したという理屈がそもそも成り立たないのよ」
「そ、そう、か……」
ファリナはしまったなあというようにぎゅっと眉を寄せた。
「それにね」
「ま、まだあるんですか」
「どうしてクロは、レアの外見を知っていたんだと言えるかしら?アナタは、レアとアタシが遠目で似ていることを知っているからそう思う。けど、母親からそういう計画を聞いていたわけでもない…当然ね、母親とは連絡も取ってなかったんだもの。さらに、レアと会ったこともないクロが、どうして『黒髪で褐色肌の女性』を、自分の妹だと思ってしまったの?」
「え、だって、クリオさんはレアさんとそっくりだったんでしょう?それは、クロさんもヤマニーさんから聞いて知っていたはずですよね?」
きょとんとするファリナに、チャカは笑みを深めた。
そこに、クルムが言いにくそうに割って入る。
「ファリナ。レアはシェリダンに来てから日焼けした…当然、クリオもそうだよ。オレ、昨日レアにそう聞いたって、言っただろ?
クリオはもともと、黒髪に白い肌の女性だった、って」
「あ……!」
再び口をあけるファリナ。
チャカが楽しそうに笑った。
「そう。クロにとっての『母親』は、黒髪に白い肌の女性だったの。アタシを見て妹と思うことがそもそも、おかしいのよ」
「それに、ですね、ファリナさん」
「うう、ミケさんまで…」
ミケも少し言いにくそうに続き、ファリナは泣きそうな表情をそちらに向けた。
「クルムさんもベルさんも、お忘れなのか誤解しているのか、それとも問題にしていないのかわかりませんが。
クロさんは、他でもないレアさんその人が、あの日、屋敷を訪れることをご存知だったんですよ」
「えっ……」
きょとん、とするファリナに、気まずそうな表情を返して。
「ガイアデルト商会に保管されていた、今回の商品の売買契約書。そこには、運び人の名前として、レアさんの名前が記してありました。クロさんは約束のあの日、レア・スミルナという名の女性が屋敷へ来ることを、確実に知っていたんです」
「あ……!」
そういえば、そんなような報告があった。今更ながらに思い当たって口をあけるファリナ。
「じゃあ……レアがあのタイミングでこの屋敷に来たのは、偶然じゃないってことか?」
クルムが言い、そちらに無言で頷く。
「し…しかし、こちらから運び人の指定は出来ないのですし、ストライクさんの仰るように発注を増やして運び人がレアさんになるよう仕向けたとして、あの日に来るよう細工をするのは不可能ではありませんか?」
ベルの質問に、ミケは冷静に答えた。
「あの日に来るように細工をした、のではないんです」
一呼吸置いて。ゆっくりと、続ける。

「レアさんが来る日に合わせて、自殺をしたんですよ」

「レアが来る日に合わせて、自殺……?!」

ミケとチャカ以外の面々が色めき立つ。
「それって……、クロが、意図的に、自殺の現場にレアが来るようにしむけた、ってことか…?!」
驚きの表情で問うクルム。
ミケは冷静な表情で、ひとつ息をついた。
「偶然でなければ、作為であったと考えるのが妥当でしょう。ガイアデルトにいる面々の中で、その作為を行えたのはクロさんしかいません」
「でも…一体、何で?」
こちらも驚いた様子のストライク。
ミケは落ち着いた眼差しをそちらに向けると、淡々と言った。
「クロさんが、何故そんなことをしたのか。
クロさんの目的は、カエルスさんの命ではなかった。また、ウルさんの命でもない。彼らを肉体的・精神的共に痛めつけることでもなかった。これは、今までのお話の中で判っていると思います。
最初の依頼から、彼は一貫して、ウルさんの位置はそのままに、商会の危機だけ排除する、という姿勢でした。彼はあくまで、ウルさんに、『そのまま』でいてほしかったということになる。
では、彼の目的は何だったのか」
視線を一同にゆっくりと移しながら、淡々と続ける。
「彼は復讐したいと思って、入社した。
上手く潜り込み、社長にも接近し、その息子であるあなたにも接近し、会社を動かせるところまできた。
しかし、病気が見つかった」
視線を落とし、僅かに辛そうにして。
「病気は進行していきます。けれど彼は療養することを選ばなかった。
彼には長期療養することはできなかった、したくなかったと考えられます」
「……どうして……」
か細くセラが言い、そちらを向いた。
「例えば。例えば、ですが。
僕が仕事をしていて、辞めようと思ったら、当然のように後任を考えます。仕事を引き継いで、任せられる状態にして辞める。
他にも、仕事ならできる人はいるのでしょう?カエルスさんの下で生き抜いてきた人たちです。相当仕事ができるものだと想像します。仕事は投げても大丈夫でしょう。
だけど、彼は、それを選ばなかった」
「…それは」
クルムが身を乗り出す。
「クロは、ウルのことが心配だったんじゃないかな。他の人に任せられないと思っていた…とか」
「…そうですね」
ミケは無表情で言って、ふ、と息をついた。
「…………純粋に、クロさんがウルさんを心配していた。大事だと思っていた。だから、側を離れられなかった。ウルさんの我が儘を聞き、信頼関係を築いていた。
他に任せようと思うほど他の人を信用しなかった。
悪友達とも手を切らせ、チャカさんとも離したかった。
全部、ウルさんが心配だったから」
すい、とウルに視線を移して。
「そう、考えられます」
淡々と紡いできた言葉を切り、沈黙が訪れる。

「でも」

逆接の接続詞に、一同は少なからずぎょっとした表情をミケに向けた。
ミケは相変わらずの無表情で、淡々と言葉を続ける。
「それだと、どうしてもおかしな部分があります。ずっと……引っかかっていたんですけれど」
「引っかかっていたこと…?」
クルムの言葉に、ミケはゆっくりと頷いた。
「クロさんからの依頼を受け、彼から話を聞いた時に。ウルさんの立場はそのままに、チャカさんだけを排除したいというクロさんの言葉に、ストライクさんはこう言ったそうですね。
『じゃあ、1回追いだしてみたら?』と」
「あ……ああ、確かに」
戸惑った様子で頷くストライク。
「ウルを追い出して、クロが社長になればいい、って言ったんだ。本気じゃないよ?クロの覚悟を見るために、さ。
でも結局、ウルを理事から外すなんて考えられない、っていう甘い答えが返ってきただけだったけど」
「甘い答え……そうですね」
ミケは目を閉じ、ゆっくり頷いた。
「本当にウルさんのためを思うなら、丸裸にして鍛え直すべきだ。本当の忠誠ってそういうものだろう。ストライクさんの言う通りです。僕もまったくもって同意です。
あと寿命が1年保たない。本当にウルさんが大事なら、仕事を教えて、自分がいなくてもウルさんが自分の力で立っていることの方が大事だろうって。ウルさんが、大事だというなら……そうするべきだった」
そうして、目を開けて、ウルを見る。
「けれど、クロさんはそうじゃなかった。
あなたは、あなたのままで。……仕事ができない、女性にのめり込んで、遊び暮らす。そんなあなたでいてもらいたかった」
呆然と、ミケを見返すウル。
ミケはウルを見つめたまま、続けた。
「後任を作れば自分も死なないし、商会も存続する。それをしなかった理由は何か。
そこに他人を入れては駄目な理由があったから、です。
少なくとも、仕事ができる方々は、ウルさんよりもずっと年上でしたたかでしょう?
あなたをどうにかして、自分で会社を乗っ取る人だっているかもしれない。
それに、あなただって経営を少しでも学んで彼の帰りを待つかも知れない。
それを、クロさんは嫌ったとしたら」
「どういう……ことだ?」
ゆっくりと。
呆然とした表情のまま、ウルは問うた。
「あなたの自立を望まなかった。他に仕事上でも頼れる人を、作らなかった。作らせなかった。病気になっても仕事を辞められないのは、代わりを作れないから。自分でやらなければ意味がないから。
……そう」
ミケは無表情で淡々と言葉を紡ぎ、そこで言葉を切って。
ゆっくりと、続けた。
「ガイアデルト商会を乗っ取る、という、自分の復讐は。自分でやらなければ意味がない。
あなた自身に。または、他の有能な社員に。せっかく乗っ取ったも同然だった商会を、奪われるわけにはいかなかったんですよ」
「な……」
言葉も出ないウル。
仲間の驚きの表情にも囲まれ、ミケはさらに続けた。
「あなたに頼られ、仕事を一手に引き受けて。あなたには、回ってきた書類に印を押すだけでいい、と、一見優しさに見える甘いことを言います。
あなたが仕事をしない、困ったね、と言いながら、自分で商会を回していく。引退してしまったカエルスさんはもう商会には興味がない。……事実上、商会は彼のもので、彼の意志一つで潰すことも可能だった。
…そう、クロさんは……」
ミケはもう一度、言葉を切った。
僅かに、辛そうに眉を寄せて。
ゆっくりと、告げる。

「クロさんは、あなたのことを。
復讐の道具だと、思っていたのではないでしょうか」

ウルも、そして他の冒険者たちも。
呆然とした表情で、言葉もなくミケの説明を聞いている。
「自分が、会社を乗っ取るための、都合の良い傀儡。意志など持ってもらっては困る。会社に口出ししてもらっては困る。だから、チャカさんが邪魔なのです。チャカさんのために、あなたが商会に口を出すようになったら、困るから。
『あなたはそのままで、商会存続のために』というのは、そういうことではないのでしょうか」
「…そんな…」
愕然とした表情で呟くクルム。
ウルのことを一心に心配していたように見えたクロに、そんな裏のたくらみがあったとは。
他の冒険者たちも、一様に呆然とした表情をしている。
ミケはふぅ、と息をついた。
「実際、彼のたくらみは成功していました。あなたは彼の思惑通り、名前だけの社長に収まり、商会の仕事には口を出すことなく、放蕩の限りを尽くしていた。引退したカエルスさんも口を出してこない。商会は名目こそあなたのものですが、実質的にクロさんが支配していたと言っていい。
そんな仕事への姿勢がたたったのか、クロさんは身体を壊してしまった。ですが、それすら彼にとっては予定調和だったかもしれません。自分の仕事を引き継げる社員はいない。特に話は聞きませんでしたが、仕事をしない理事に失望して優秀な社員が辞めていった、というようなことも少なからずあったのではないでしょうか。実際、経済紙でもこの理事では遠からず商会はダメになるだろうという見解だったようです。仕事のできる社員ほど、沈むと判っている船からはさっさと逃げ出して、別の会社に行くなり、独立するなりするものじゃないでしょうか。そうして、優秀な社員はいなくなっていく。当然、あなたも仕事はまるで出来ない。
自分が死んだら、商会はつぶれるだけです。復讐心を持っていたクロさんにとっては、願ってもない結果でしょう。
自分を不幸に陥れた商会を手中にし、意のままに操って、自分の死と共に幕を下ろす。千秋さんの仰っていたことはある意味正しかったのだと思います。
クロさんの目的は、商会を完全な意味で手に入れること…奇しくもカエルスさんが言っていたのと同じように、自分が死んだ後に存在していることさえ許さない…自分の死と共に幕を下ろすことだったんですよ」
「なんという……」
やっとのことでそれだけ呟く千秋。
ミケは嘆息した。
「カエルスさんは、クロさんのことを『獅子』であると言ったそうです。『自分の望みのためには、自らの身体も、得られるはずだった幸せも、自分の子すら犠牲にする、そんな獅子の子』だと。
先ほどのお話も合わせると、これはウルさんのことも示していたようですが…カエルスさんの言葉通り、クロさんは、己の目的の為に名前も身体もすべてを犠牲にしてきた『獅子』だったのです」
「獅子……」
複雑そうな表情で呟くベル。
ミケは改めて一同を見渡した。
「話を戻しましょう。クロさんの計画は上手く行っていました。ウルさんと信頼関係を築き、自分以外のものを遠ざけ、仕事からも遠ざけ、自分の死後は商会がつぶれるように仕向ける。
彼の寿命は後1年でした。けれどそれは、問題なかった。自分が死ぬことで、彼の復讐は完遂するのです」
「…けれど、そこで誤算が起こった」
唐突にミケの説明に割って入ったのは、チャカ。
「…誤算……?」
きょとんとするセラに、ゆったりと答える。
「…ウルが、アタシを連れてきたことよ」
にこり。
言葉の内容とは裏腹な、極上の笑みを浮かべて。チャカは言葉を続けた。
「ウルはアタシに恋をして、あろうことか屋敷にまで連れてきて一緒に暮らし始めた。今までそこまでした女はいなかったそうね?
クロは焦ったでしょうね?せっかく今まで苦心して、ウルが頼れる人を遠ざけ、仕事からも遠ざけ、自分が死んだら全てが潰れるようにしていたのに。
今、この状態で自分が死ねば、間違いなく商会はこの女のものになってしまう……それが、彼には許せなかった」
「それで……邪魔だと」
千秋が呟き、そちらににこりと微笑みかけて。
「だから…彼は考えたのよ。
この女を排除すると同時に、自分の復讐を続ける、文字通り命を賭けた策をね」
「命を賭けた…策……?」
意味が量れずに眉を寄せるベル。
チャカはくすりと鼻を鳴らした。

「この女の代わりに、生き別れの妹をあてがえばいい、ってね」

「なっ……!」
続いたチャカの言葉に、冒険者たちは絶句した。
そしてまた、言うべきでないと胸の内にしまった言葉をあっさりと口にされ、呆然とするストライク。
チャカはにこりと笑って続けた。
「恋人にしていた女が、彼女を追い出そうとした兄代わりの存在を疎ましく思って殺してしまった。
ショックを受けるウルを優しく慰める女性……愛が芽生えるシチュエーションとしては満点ね?」
「そんな……」
チャカの口から出た言葉に、表情を蒼白にして呟くセラ。
チャカは微笑んだまま、目を閉じた。
「アタシが魔族だと言えば、アタシを追い出すことそのものは可能だった。
でもそれだけじゃダメだった。アタシを追い出し、なおかつそのポジションに妹を据えなければならなかった。
だから、アタシが原因となるショッキングな事件を起こし、その場に妹が居合わせるようにセッティングした。
それが、妹をわざわざ呼び寄せ、冒険者を雇った状態で、あえてそこで自殺をしなければならなかった、理由」
「なる…ほど……」
あまりに無慈悲なチャカの説に、納得しながらも呆然と呟くクルム。
「クロさんは、こう思ってたんじゃないでしょうか」
そこに、ミケが続いた。
「レアさんのお母様が、レアさんに『あなたは本当はお金持ちの家の子だった。ガイアデルト商会が、お父さんの会社を潰してお父さんを殺したの。こんな貧乏なのも、お父さんがいないのも、全部ガイアデルト商会のせいだ』と、教えたとしたら」
やはり感情の見えぬ表情で、淡々と説明していく。
「現実はそうではなかったようです。お母様は何も彼女には教えなかった。だからあるがままレアさんは成長した。誰かを恨むこともなく、貧乏でも妬むことなく、頑張る人になった。
けれど、そう教えられていたら、レアさんはガイアデルト商会を憎むようになり、復讐をしようとしていたかもしれません。
むしろ、クロさんはそうではないだろうかと、考えたのではないでしょうか。
彼が、ガイアデルト商会行きの仕事を用意し、レアさんの前に下げて、どうするかを見ていたと思います。
そうして、彼女は自ら強く望んで、土地勘のないヴィーダ行きを志願した。……レアさんは、『自分で仕事しないと干されるから』と仰っていましたが、クロさんはこう思ったのかも知れない。『復讐するチャンスだと思って、飛びついてきた』と。名字も離婚しているせいか、オリンピアではありませんしね」
ふ、と嘆息して。
「自分は余命幾ばくもない。このまま商会を意のままにはし続けられない。けれど、もしも同じ境遇の、同じ血を分けた妹が、復讐をするならば。後を託せるかも知れない、と思ったら。
女性が家の乗っ取りを考えたとしたら、一番手っ取り早いのは仕事上ではなくて、結婚して子供を作って丸ごと乗っ取るやり方でしょう。ネクスさんのような…と、ネクスさんはもう一歩先までをたくらんでいたわけですが。
ともかく、その為に邪魔なチャカさんを排除し、なおかつ、妹の復讐のための最高の舞台を用意できる……その方法を、クロさんは取ったんだと思います。
生き別れの妹さえも、自分の命さえも。クロさんにとっては自分の復讐のための道具だったんですよ」
「……」
レアは厳しい表情で、黙ってミケの話を聞いている。
ミケは続けた。
「せっかく探し当て、再会できた妹ですが、兄妹の名乗りを上げてしまったらそこから自分たちがガイアデルトに潰された会社の子供だとバレて、復讐が難しくなってしまうかもしれない。だから、正体をお互い隠すためにも名乗らない方がいいと考えたのかもしれないかな、と」
「あるいは……」
さらに、チャカが続く。
「2人が関係している事実があったら、2人で共謀して理事の愛人を追い出し、商会を乗っ取ろうとした…兄の命さえ利用して理事をたらしこんだ女という烙印が押されることになる。だからクロは、あえてレアとコンタクトを取らなかったのよ。
レアはあくまでも、『偶然』その場に居合わせた、『何も知らない』人間である必要があった……」
「で……でも、おかしいだろ」
動揺を隠せない表情で、それでもストライクが言った。
「そうやって引き合わせたからって、レアがクロと恋人になって、結婚するかなんて判らない。
クロの思惑通りにチャカを追い出せたからって、クロの思惑通りに2人がくっつくとは限らないだろ?
実際、この2人は会ったそばから大喧嘩してたわけだし」
ストライクの言葉に、複雑そうな視線をウルに送るレア。
「…もし、レアさんがどうもしなかったら」
ミケはあくまで冷静に、答えた。
「…どうなると思いますか?」
「…どうなる……って、クロもチャカもいなくなって、ウルは一人で商会を………って」
そこまで答えて、ストライクも思い当たったようだった。
ミケはゆっくりと頷いた。
「そう。どちらにしろ商会はつぶれます。
レアさんがウルさんと結婚したならば、商会はレアさんのものに。そうしなかったら、商会は終わりを迎える。
どちらにしても、彼の復讐は完了するんですよ」
「そう……か……」
うなだれて口を噤むストライク。
ミケは嘆息して続けた。
「そうして、レアさんが運び人となってガイアデルト商会まで来ることを知ったクロさんは、その日に合わせて冒険者を雇い入れます。
ファリナさんやベルさんが仰ったように、目撃者として……いえ、もっと踏み込んで、チャカさんを罪に問うための道具として」
「罪に問うための…道具?」
きょとんとして呟くファリナ。
ミケは頷いた。
「ええ。冒険者を雇い、あらかじめチャカさんを『商会の財産を狙う女』として調べろ、と言う。チャカさんは商会の金目当ての悪女、クロさんはそれを追い出そうと画策している理事補佐、という印象を与えるわけです。
さて、その状況でクロさんが死に、その現場にチャカさんがいたとしたら、雇われた冒険者はどういう行動に出るでしょう?」
「あっ…!」
「追い出そうとしたクロさんが邪魔になり、手にかけてしまった…そう、判断する……というわけね…」
苦々しい表情で、ベル。
ミケは頷いた。
「レアさんは確かにあの場所で拘束されました。しかし今日もこうして、フレッドさんに連れられてここにやってきている。本格的に犯人と確定されている訳ではないんです。確定されるには、足りないものがありますから」
「…足りない、もの?」
首を傾げて、セラ。
それには、チャカがゆったりと答えた。
「……動機、ね」
「そうです」
頷くミケ。
「現場にいた限りなく疑わしい人間であるけれども、彼女はクロさんとは何の面識もない、ただの『取引先の運び人』なんです。クロさんを殺す動機がない。
ですが、これがチャカさんだとしたらどうだったでしょう?」
「呼び出しのメモ、髪飾り。これに、アタシを追い出すために雇われた冒険者がいれば、動機も状況証拠も完璧、まず犯人として扱われるでしょうね」
面白そうに微笑みながらチャカが言い、冒険者たちは複雑そうに顔を見合わせた。
ミケは嘆息して、続ける。
「冒険者を雇ったのは、チャカさんを犯人として仕立て上げる動機を確立させるため。
レアさんが商会に来る日に合わせて雇い入れ、先ほど言ったような印象を与えます。
…しかし、ここでまた、誤算が起こりました」
「…誤算?」
クルムの問いに、そちらを向いて。
「……チャカさんが、魔族だったことですよ」
「ああ……!」
「雇い入れた冒険者の中に、チャカさんを知る人がいたんです。
彼女が魔族であり、クルムさんや千秋さんが彼女の企てた事件に関与したことを聞いたクロさんは、それまでの冷静な彼とは打って変わって酷く動揺していたそうですね?」
「あ、ああ…確かに、魔族というのは普通の人は関わることのない恐ろしい種族だけど、あの動揺の仕方はおかしいと思ったんだ」
納得顔で頷くクルム。
ミケも同様に頷いた。
「ええ。普通の女性なら、もっと確実な『他殺の偽装』の仕方があったかもしれません。髪飾りを盗み、脅迫文を貼り付け、おびき出すように仕向けたはいい…しかし、相手は魔族です。自分の思い通りに動いてくれるかは判らない」
「逆に取り押さえられてウルに突き出されでもしたら、計画は台無し……」
歌うように続くチャカ。
「だから、かすむ目で目標物をはっきり確認できないのを押して、距離を取っておびき出し、絶対に止められない距離で落ちるしか方法がなかった。
結局は、それが致命傷となった……彼がアタシだと思っておびき寄せたのは、他でもないレアだった。無理もないわ、彼の中で妹は『母親にそっくりな姿』…つまり、黒髪に白い肌の人間だったんだもの。
彼の中で『自分を追ってくる褐色肌の女性』は、アタシしかいなかったの」
しん。
再び、部屋に沈黙が戻る。
彼らが語って聞かせた『真実』が重くのしかかり、誰も口を開こうとはしなかった。
とつ。
静かな室内に、ミケが足を踏み出した音が妙に大きく響く。
ミケはゆっくりと足を進め、再びウルの前に立った。
「………で」
その表情は、相変わらず冷たいもので。
呆然とした表情をそのままミケに向けたウルに、ミケは淡々と言い放った。

「…あなたは、これからどうなさいますか?」

「………は?」

呆然と。
ミケを見上げたウルは、気の抜けたような声を出した。
なおも無表情でウルを見下ろすミケ。だが、彼らしくもない彩に欠けた表情は、逆に感情を必死で殺しているようにも見えた。
こんなに残酷なことは、心を殺しでもしなければ口になど出来ない。過剰なまでに感情のない表情は、それを悲痛に訴えていた。
「僕は、レアさんの無実が証明されたらそれでいい」
淡々と、ミケはウルに告げた。
「……長々喋ってきましたが、クロさんは、商会を望んで、手に入らないなら壊してしまえばいいと思っていたようです。自分が駄目なら妹が。そのために邪魔だからチャカさんを排除。そのために自殺して事件に見せた。
だから、レアさんは巻き込まれただけで、無実です」
「ミケはん……」
複雑そうに呟くレア。
ミケはふ、と嘆息した。
「で、あなたはこれからどうなさいますか?
チャカさんは、昔カエルスさんと何か約束したようで、そのときの何かを確かめに来て、戯れにあなたの愛人をやっている。そして、あなたの元には残らない。だって、気まぐれに覗きに来ただけだから。
仕事をしてくれたクロさんはもういない。
これから、大変ですね?あなたの手元には商会しかないですが。頑張ってください」
「……な……」
完全に他人事の口調で、淡々と事実を突きつけていくミケに、返す言葉のないウル。
目を見開いてミケを見、それからのろのろとチャカに視線を移す。
「…うそ……だろ……なあ、これ何もかも悪い冗談なんだろ……?」
魂の抜けたような声でそうチャカに言うが、彼女はいつもの綺麗な笑みを浮かべるだけで。
「もう、判っているんだろう」
僅かに哀れむように眉を寄せて、千秋。
「チャカは魔族だが、その実、空虚な女だ。お前は、この女から本当の愛を得てはいない。
お前が来いと言うから屋敷に来た。お前がやると言うから贈り物も受け取った。
だが、一度でもチャカの方から、お前に何か要求したことがあったか?」
「……っ……」
愕然とした表情で言葉に詰まるウル。
千秋はさらに続けた。
「金目当ての女とは違う、とお前は言った。その通りだな。チャカの目当ては金ではない。
だが決して、お前自身でもない。
チャカは見届けに来ただけだ。
30年前にカエルスと結んだ『約束』…それがどんなものだったかは判らんが、おそらくはその約束を果たすために、カエルスはなりふり構わない経営をし、多くの人を不幸に陥れた。それがクロやお前のような子供を生み出し、不幸の連鎖を重ねていった…」
つ、とチャカに視線を移して。
「この女は、自分が撒いた『種』がどんな『花』を咲かせたか、直接見に来ただけだったんだ。
30年前に誑かし狂わせた男が、どんな不幸の模様を織り上げていくのか。それを間近で観察するのに都合がよかったから、お前に近づいた。ただ、それだけのことだ」
「そんな……」
千秋の言葉に、チャカは微笑みを浮かべたまま黙っている。
ウルは呆然と彼とチャカとを見比べ、それから、どさ、ともう一度ソファに座り込んだ。
「は……ははっ…そーかよ…」
額を押さえながら、乾いた笑い声を上げて。
「クロのことも……オフクロのことも、チャカのことも、オヤジのことも……全部、オレだけが何にも知らなかったんだな……
何にも知らないオレを……騙して、いいように利用して…クロも、チャカも、オフクロも、オマエらもだ!さぞかしいい気分だったろうよ!」
「わ、私たちも…ですか?」
驚き慌てた様子で、セラ。
ウルはそちらをぎっと睨んだ。
「クロの依頼受けたヤツはもちろんだ!それ以外のヤツだって、コイツらから聞いてみんな知ってたんだろ!
知ってて、オレに黙ってたんだよな!楽しかったか?!オレがまんまと騙されて踊ってるサマを見るのはよ!」
「ウル……」
怒鳴り散らすウルを、千秋は痛ましげに、そして罪悪感をもって見つめた。
ことこの事件に限っては、自分たちがウルに対してやっていることはチャカとそう変わらないような気がする。
だからといって、かける言葉も見つからず。
冒険者たちが気まずげに見やる中、ウルはもう一度立ち上がると、露悪的な表情で周囲を見渡しながら、大きく足を踏み出した。
「おおよ!それがクロの狙いだったっつーんなら、その通りにしてやるよ!
オレはもともとこんな会社どうでもよかったんだよ!クロがどーしてもっつーからしたくもねーシャチョーやってたんだ!
こんな会社、お望みどおり潰してやらぁ!!」

「ええかげんにせんかいこのアホボンが!!」

ぱしっ。

景気のいい音と共に怒号が響き渡り、部屋にいた誰もが驚きの表情でそちらを見やる。
怒りの形相でウルの頬をはりとばしたのは、それまで黙って座っていたレアだった。
「レアさん……」
驚きの表情のまま呟くミケ。
ウルは頬を押さえて呆然としていたが、やがて状況を理解したのか、言い返そうと口を開いた。
「なっ…おま、なにす……」
「うっさいわアホ!さっきから聞いとけばなんやヘタレなことばっかぬかしよって、ええ大人がなに甘えたこと言うてんねん!」
しかし、その倍の勢いで噛み付き返され、思わずたじろぐ。
レアはなおも噛み付くようにウルに言った。
「騙された騙されたて、大の男がなに悲劇のヒロインぶっとんねや!何も知らんガキならともかく、アンタの場合は自己責任やろ!
アンタ、騙されへんように何かしたんか?!オトンやオカンのことも、ウチの兄ちゃんのことも、本気で調べよ思たら調べられたやろ!
自分で何もせえへんとあれしてくれへんこれしてくれへん知ってたのに教えてくれへん騙されたて、ちゃんちゃらおかしいわ!こんなアホボン、ウチでも騙せるで!」
早口のシェリダン訛りでまくしたてられ、言い返す隙すらも見つけられない。
完全に気圧されているウルに、レアはさらに続けた。
「もっぺん訊くで。アンタ、なんかしたんか?
オトンに放っとかれて、オカンに捨てられて、しかも自分はオトンの子とちゃうかったんて?ああそら可哀想やねえ。
せやけどアンタはなーんもしてへんやろ。オカンのこともよぉ調べんと、オトンにもオカンにも見捨てられたオレ可哀想やーゆうてやさぐれて、そのくせあったかいゴハンと寝床と好き放題使える金のある家からは出ようともせんで、自分に言い寄ってくる女にホイホイ引っかかって、その女のこともよぉ調べんと、デレデレしてホイホイ家ん中入れてやで。
ぜーんぶ、楽な方楽な方へと流されとるだけやないの!あげくこのザマや!この結果は、アンタ自身が招いたもんなんやで!」
「なっ…お、オレが……?」
驚きの表情を浮かべるウルに、レアはふんと鼻を鳴らしてチャカのほうに目をやった。
「あの姉さんの、種族もフルネームも知らんかったて?ありえへんわ。ホンマの恋人やったら、相手のこと少しでも知りたい思うし、知って欲しいて思うもんや。
どうせアンタのことやから、過去がどうだろうと関係ない、今だけ知ってればそれでいいとかキショいことぬかしとんのやろ?」
「うっ」
図星をさされて言葉に詰まるウル。
レアはそちらをぎろりと睨んだ。
「そういうのんはなあ、どんな過去でも受け入れる度量を持った人間が言うて初めてサマになんねんで?
アンタのは、都合の悪い過去を聞きとうなくて逃げとるだけやないの。そんなヘタレが言うたってサムいだけや、アホ」
「なっ……お、オレだって…!」
「ええかげんにしとき、口だけオトコが。事実この姉さんが魔族やった、アンタのこと別に好きでもないいうのを受け入れられんやないの」
「恋人が魔族だったという事実は大抵の人が受け入れられないと思いますよ…」
こっそりつっこむミケ。
「そこ、うっさいで。ウチは心意気の話をしてんねん。実際、このボンのオトンは知っとったんやろ?大した度量やないの。ま、似たモン同志やったっちゅうオチやけどな」
そちらに半眼でツッコミをくれてから、もう一度チャカの方を見る。
「この姉さんの言うことは間違ってへん。訊かれてないから言うてません、そらその通りや。
けど、詐欺師の論理やね。普通は自分から言うもんや。けど、それはどうでもええ。
問題は、こんな単純な詐欺師の論理にあっさりひっかかるアンタのおめでたいアタマやろ」
そしてもう一度、ウルに目をやって。
「なあ。なんで何の理由もなく、ヒトがよくしてくれると思うん?
ヒトがよう知りもせん他人によくするんは、見返りが欲しいからや。そんなん、あたりまえのことやないの。
なんでかて、ホンマに一度も考えへんかったん?なんでやろて思て、調べたり、問いただしたり、せえへんかったん?
アンタのことも、兄ちゃんのことも、商会のことも全然知らんこの人らがここまでホンマのことにたどり着けたんは、この人らが自分らで一生懸命調べはったからやろ?ミケはんたちはウチのために、兄ちゃんが雇いはった人らは兄ちゃんやアンタや、自分自身のために、自分の力でがんばったからやろ?
がんばったもんが結果をつかむ、それもあたりまえのことや。
何にもせえへんアンタは何にもつかめへん。あたりまえのことやろ?アンタ、騙されるのもしゃあないわ」
「うるせえよ!」
さすがに言い返すウル。
「オレが騙されやすいから悪いっつーのかよ!騙すクロは悪くないってのか?!」
「そんなこと言うてへんやないの!!」
負けじと、レアも言い返した。
「兄ちゃんはアホや。大アホや。騙されて奪われて悲しい思いしとんのに、仕返しに同じことする大アホや!
けど、兄ちゃんの罪を裁くんはアンタやないやろ!悪いとか悪くないとか、ここでアンタが決めたところで何が変わるんや?!
兄ちゃんは生き返るんか?罪を償わすことができるんか?商会を立てなおせるんか?!」
「っ……」
再び、レアの迫力に気圧されるウル。
「ここでアンタが下向いてウジウジしたところで何も変わらんやろ!
騙されて悔しかったら、自分でがんばって兄ちゃんの思い通りにならんようにせえや!
アンタの力で商会立て直して、アンタを騙した兄ちゃんを見返したったらええやないの!!」
「なっ……」
ウルは驚きに絶句してから、苦々しげに顔をゆがめた。
「そっ……そんなこと、出来るわけ、ないだろ…!」
「何でや?やったらええやん、アンタ社長なんやろ?」
「会社のことなんかなんもわかんねえよ!クロはオレに仕事させなかったし…」
「やってみて無理やったん?」
「やんなくたってわかるだろ!」
「そんなもんわからんやないの!アンタがやろうとしないだけや、アホ!」
レアは再びウルを怒鳴りつけた。
「なあ、わからんの?
兄ちゃんは確かに、ミケはんの言うようにアンタを思い通りにして会社を乗っ取ったかもしれん。
けど、そうせんことだってできたはずや」
「は……?」
「……どう、いうことですか…?」
ウルのみならず、ミケも訝しげに問う。
レアはそちらを向いた。
「考えてもみい。兄ちゃんは、このボンが先代の子供やないこと知っとったんやろ?
オマケに、魔族と同じ思考の先代のオッサンは、自分の子やなくても自分と同じ『獅子』やったら商会を継がせてもええと思うとった。
わざわざこのボンを理事に立てる理由がないんよ。
兄ちゃんが、このボンは先代のホンマの子供やないて暴露して追い出して、自分がその後釜に座ることだって出来たはずや。
自分で直接商会を乗っ取って、死ぬ間際に潰すことだって出来たはずや。
それやったら、商売ド素人のウチをわざわざ探して呼んで、殺人に見せかけて自殺なんて面倒なことせんでもええはずやろ。
何で、そうせえへんかったと思う?」
「そう……言われてみれば……」
呆然と呟くミケ。
レアはもう一度ウルに向き直った。
「同じやったんよ。
アンタは、兄ちゃんと同じやった。ガイアデルトに人生を狂わされて、復讐いう名前の歪んだ荷物しょわされた子供やったん。
兄ちゃんは、自分と同じ境遇のアンタのこと、ほっとかれへんかったんよ。
せやから、自分の復讐計画にアンタを組み込んだ。自分の復讐は変えられへんけど、アンタに少しでも長く安楽な暮らしが出来るように。
そんで、もし上手く行けば、ウチが兄ちゃんの後を継いでアンタの面倒を見られるように。
ウチとアンタが結婚すれば、アンタんとこのオカンの復讐も達成したことになるやろ。アンタは何も知らんでもや。
兄ちゃんは、そう考えとったんと違うか?」
「そんな……」
ミケは静かに驚きの表情を見せた。
「そんな……そんな、今更そんなこと…言われたって…」
呆然と呟くウル。
レアは彼をぎっと睨みやると、やおら彼の胸倉を掴んで引き寄せた。
「うわっ」
「わからんやろ?わからんよな。アンタはちいとも知ろうとしなかったんやもんな。
兄ちゃんが何のつもりで商会に来たんかも、兄ちゃんがなんでアンタの面倒ようみとったんかも、不思議にも思わんかったもんな。
……兄ちゃんが……可哀想や………」
ほろり。
怒りにつり上がったままのレアの瞳から、涙が一筋零れ落ちる。
「…っ……」
驚いて絶句するウル。
「アンタだけやったんよ……」
レアは涙を流しながらか細い声で言い、それから掴んだウルの胸倉をがくがく揺さぶって怒鳴りつけた。

「アンタだけやったんよ!
この屋敷で、兄ちゃんの気持ちわかってやれるのは、アンタだけやったんよ!
兄ちゃんを止められるんは、アンタしかおらんかったんよ!!」

「…………」
レアに揺さぶられながら…ウルは、初めて悲しげな表情を見せた。
レアはなおも涙を流しながらウルを睨みつけ、それから振り落とすように手を離す。
ぐい、と、片腕で涙をぬぐって。
「…アンタがやらんなら、ウチがやるわ」
「…は……?」
レアの言葉の意味が判らず、眉を寄せるウル。
レアは決意のこもった表情で言った。
「商会を立て直す。兄ちゃんの思い通りにはさせへん」
「なっ……何言ってんだよ!んなこと……」
「もし、兄ちゃんがホンマにウチに自分の後を継がせる気があったんなら」
ウルの言葉を遮って、彼に指を突きつけるレア。
「多少商売に顔つっこんどってもウチは所詮ど素人。
ウチでも判るように、自分の仕事内容の整理書類に見せかけてマニュアルを用意しとるはずや。
それ見ながら必死にやったったら、どうにかなるやろ。
残った社員さんらも、どうにか説得する。やるしかないねん」
「おっ、おい!」
声を上げたウルの方を、変わらぬ厳しい視線で睨みやって。
「アンタは、好きにしいや。
今までみたいな贅沢はできへん。けど、生きとればどないもできる。ウチは、今までそうして生きてきてん」
ふん、と皮肉げに笑って。
「オヤジも、会社も、この家も嫌いやったんやろ?どーでもよかったんやろ?せいせいするやん。
ウチは兄ちゃんみたいに優しゅうないで。やる気がないんなら出ていきや。この家は、アンタのもんちゃうねんから」
「………」
ショックを受けたような、悲しそうな、複雑な表情で黙り込むウル。
レアはそちらにはもう興味がない様子で視線をフレッドに移した。
「フレッドはん。ウチの疑いはもう晴れたんやろ?
もう、好きに動いてかまへんよね?」
「あ、え、ええ…もちろん」
戸惑い気味に答えるフレッド。
レアは確認して頷くと、今度はミケの方を見た。
「ミケはん。この家の構造は知ってはるんやろ?
兄ちゃんのいた部屋に案内してくれへんやろか?ここに住んどったんやろ?仕事部屋と自分の部屋と、両方」
「え……あ、はい、いいですけど…」
戸惑いがちに答えるミケ。
レアはそのままドアのほうへ踵を返した。
「ほな、いこか」
軽くそう言って、足を踏み出し。
その時だった。

「待てよ!」

ヤケクソのようなウルの叫びに、レアは足を止めて振り返った。
ウルは彼女を睨むように見やり、ぐっとこぶしを握りしめる。
「……なんやねん」
冷たく言うレアに。
「………オレも、やる」
今までとは違う、強い意志の宿った声で、ウルは言った。
「仕事のことはわかんねー。でも、それはオマエだって同じだろ。
オレがフラフラしてたせいで、クロが死んで、商会が潰れそうになってるっつうなら、オレにできる最後まであがいて、責任ってやつ、取ってやるよ」
そして、言いにくそうに眉を寄せて、続ける。
「…その。情けねーけど、一人じゃどうしていいかわかんねー。
けど、一人じゃダメでも、オマエとか…まだ、商会に残ってるやつらにきいて必死にやれば、どうにかなるんじゃねーかと思う」
一呼吸置いて。
なおも言いにくそうに、しかしレアのほうをまっすぐに見て、言った。
「手伝って……くれるか?」
レアはそれをじっと見つめ返し。
やがて、破顔した。
「よぉ言うた!」
ウルに向き直り、胸を張って腰に手を当てて。
「ウチも兄ちゃんがやらかしたことの責任とらなな。ウチに出来る限りで手伝うで。
大丈夫や、みんなで力を合わしたらきっと上手く行く!前と同じまでは無理やっても、潰れんようにはできるはずや。
忙しゅうなるで、覚悟しぃや」
「わかってるよ、うるせーな」
ウルはうるさそうに、しかしまんざらでもない表情で頭を掻いた。
そんな2人の様子を、ようやっとほっとした様子で見やる冒険者たち。

この先のことはまだまだわからない。
が、クロがもっとも望んだ穏やかな未来がやってくるような、そんな暖かな予感を感じさせた。

「……で」
ウルはひとつ息をついて、振り返った。
視線の先には、チャカ。
「…オマエはどーすんだ、チャカ?」
その声は、冷たくも暖かくもなく。
表情にも、蔑みの色も、そして慈愛の色もなかった。
チャカは面白そうにそれを見返し、そして首をかしげた。
「…アナタは、どうして欲しいの?」
その言葉に、妙にすっきりとした表情で苦笑するウル。
「もう、どうもしてほしくねーよ。オマエの、好きなようにしろよ。オマエが見たかったモンは、見れたんだろ?
…悪かったな、今までつき合わせて」
にこり。
チャカはまた極上の笑みを見せると、おもむろに立ち上がった。
「…楽しいものを見せてもらったわ。ありがとう」
「こっちこそ、イイ思いさせてもらったぜ。けど、こんなのはこれきりカンベンだな」
苦笑を崩さずにウルが言うと、チャカはまたにこりと笑った。
「ユリ、サツキ、アタシは一足先に帰るから。あとはよろしくね」
「かしこまりました」
鷹揚にメイドに言い、彼女たちもそれに答えて丁寧に礼をする。
チャカは一同をゆっくり見渡すと、微笑んでひらりと手を振った。
「それじゃあ……チャオ」
短くそれだけ言い置いて。
チャカはゆったりとした足取りで、部屋を後にする。
ぱたん。
彼女が出て行った扉が、音を立てて閉じて。

この屋敷に、ようやく静寂が戻ったのだった。

「ミケさん、クルムさん」

門の前にたたずんでいたミケとクルムに、ベルは笑顔で声をかけた。
「ベルさん。お疲れ様です」
「大変だったな、今回は」
優しい笑顔をベルに向ける2人。ベルは2人のところまで歩いてくると、足を止めた。
「これから、お帰りですか?他の皆様は…」
「千秋さんは、早々にお帰りになられましたよ。もともと、ナノクニからのお使いの目的があったようですね」
「そうなのですね…」
「ストライクは、探偵のところに行くって言ってたよ。無報酬になるかもしれないから、謝って、手伝えることがあったら手伝ってくるって」
「そうですか……意外に、律儀な方なのですね」
「他の方は…僕たちは、見てないですね。まだお屋敷の中にいるんじゃないですか?」
「ああ、セラさんとファリナさんにはもうお別れを申し上げてまいりました。千秋さんとストライクさんにもきちんとご挨拶したかったですわ」
ベルは僅かに寂しそうな表情をして、改めて2人に向き直った。
「名残惜しくはありますが、これも定め。またご縁がありましたら、めぐり合う日も来ましょう」
「ええ、それまでベルさんもお元気で」
「また、会えるといいな。旅芸人の一座にいるって言ってたかな?旅の途中で見かけることがあったら、ぜひ見せてもらうよ」
「ええ、ぜひ。わたくしの一座は『二代目ヒューズ座』と申します。ヒューズというのは一応、座長の名前ではありますけれども……ネーミングセンスに乏しいものですから余り言いたくなくて。けれど、もしどこかで名前を聞けば、わたくしのことを思い出していただけるのではないかしら?」
「二代目ヒューズ座、だね。どんな人たちがいるの?」
「そうですね…ええと…………っ」
楽しそうに話し出したベルが急にきょとんとした表情になる。
胸に手を当て、辺りをそわそわと見回して。
「…どうしたの?」
「いえ……これは…」
「どなたかが、魔力走査を行っているようですね」
やはり何か感じるのか、同じように辺りを見回すミケ。
「魔力走査?」
「特定の方の魔力を探す術ですよ。その方の魔力がわかっていれば、居場所を探すことが出来ます」
「ああ……以前、マヒンダで女王を探した、あれか…」
納得顔で頷くクルム。
「これは…この魔力は、ロゼね」
「お知り合いですか?」
「ええ、お話した一座の座長ですの。でも、魔力走査なんて高等な魔術は教えた記憶はありませんし、あてずっぽうに出来るものでもないでしょうに…ずいぶん苦労しているのではないかしら。
そんな高等魔術を使えるわけではないのだから、わたくしから連絡するのを待っていてくれれば宜しいのに……少し心配をかけすぎてしまったかしら?」
ベルはそう言って、困ったようにため息をついた。
「一座の方が探してるなら、早く行ったほうがいいですよ。お気をつけて」
ミケが言ったので、ベルは苦笑して一礼した。
「そうですね、随分と心配をかけていますから…わたくし、そろそろ参りますわ」
言って静かに一礼し、肩にかけていたショールを被りなおして。
「では、ごきげんよう。お二方も、お元気で」
「またな、ベル」
「ベルさんもお元気で」
小走りに駆けていくベルを、クルムとミケは笑顔で見送った。
と。
「あっ、ベルさん……行ってしまったんですね」
後ろから高く澄んだ声がして、2人は振り返る。
そこにいたのは、セラだった。
「セラ。お疲れ様」
「あっ、はい!クルムさんも……あの、ミケさんも、今回はお疲れ様でした…」
言ってぺこりと頭を下げるセラ。
「ずいぶん時間がかかったね。何かしていたの?」
クルムが問うと、セラは恥ずかしそうに苦笑した。
「あの、すっかり忘れてたんですけど、私がこのお屋敷にきた当初の目的は、船の運航表をお届けすることだったんです」
「そういえば、そうでしたね」
「クロさんは亡くなられて、ウルさんにも拒否されましたし、この上はカエルスさんの家の執事様にお願いしようかと思って」
「な、なんで……?」
至極もっともな質問をするクルムに、セラは意外そうな表情を向けた。
「ええっ、でも、ベルさんのお話を聞く限り、とっても頼りになりそうな方でしたし……!」
「でも、引退した先代のお世話をしてる人に運行表を渡してもしょうがないんじゃ…」
「そ、そうです…よね……というより、そうしようと思ってお屋敷の方にお話を聞いたら、つい昨日、その執事様は解雇されてしまったのだそうです」
「ええっ?!」
これにはさすがに驚きを隠せない2人。
「え、またどうして?」
「さあ……そのあたりの事情は、お屋敷の方にもよくわからないのだそうです…そうしたらレアさんが通りがかって、預かってくださったのでよかったんですが…」
「そうなんですか…まあ、レアさんに渡せば大丈夫でしょうけど…」
「で、ですよね……」
ミケの言葉に同意しつつも、まだ萎縮した雰囲気のあるセラ。
ミケはさすがに眉を寄せた。
「あの、セラさん?」
「はっ、はははいぃっ?!」
びく。
あからさまに驚くセラに、少し悲しそうな顔をして。
「あの、あの……僕、あなたに何かしましたでしょうか……?いや、今日のことでっていうなら、それは仕方がないですけれど、最初からですよね?どうして、でしょう?教えてもらえないと、直しようがないし……」
無表情で淡々と推理をし、残酷な現実を次々とウルにつきつけていったことは、ミケも自分なりに感じるところがあったらしいが。
セラはなおも怯えの表情を隠せずに、それでも恐る恐る言った。
「えっと、それは………、お屋敷でユリさんに激しいツッコミをしてるのを見て、あんなこと私がされたら、怖くって気絶しちゃいます…」
「え、いえ、あんなこと、普段は言いません!」
ミケは慌てて否定した。
きょとんとするセラ。
「そう……なんですか……?」
ミケは苦い顔をして、言い難そうに言った。
「……その、ちょっと、彼女には負けたくないっていうか、対抗心があって。だから、つい突っかかってしまうというか。でも、多分言うにしても彼女に対してくらいなので、あなたにはやりませんし」
「そうなんですか……」
セラは少し驚いた様子で目を瞬かせ、それからほっとしたように微笑んだ。
「じゃあ、ユリさんはミケさんの特別な人なんですね」
「……言い方が少し引っかかりますが……まあいいです、あなたに何もしてないならほっとしました。
さて、僕も宿に………って」
はた。
そこまで言って、ミケはようやく気づいたようだった。
「どうしたんだ、ミケ?」
クルムの問いに、引きつった苦笑を返すミケ。
「僕、宿のご主人にお使いを頼まれてウェルドまで行って、そこでレアさんに会ってここに来たんでした……」
「えぇ?!」
驚いて声を上げるクルム。最初の日から、すでに4日ほど経過している。
ミケは乾いた笑い声を上げた。
「は、はは、どうしよ。仕事は無事に終わったからいいようなものの……凄く心配かけていますよね……?」

「私が説明してあげますよー」

そこに唐突に能天気な声がして、ミケは慌てて振り返った。
「ぅわ」
その背後には、桜色の風変わりなローブを纏った15歳ほどの少女。長い長い亜麻色の髪に、楽しそうな微笑みを浮かべたその表情は、確かに先ほどまでユリと名乗っていた女性によく似ていたが……
「え、え……?ユリ、さん…?あれ、こんなに若く…それに、人魚……?」
若返っただけでなく髪も伸びて人魚の鰭のオプションもついた彼女に混乱した様子のセラ。
「うふ、この姿の時はリリィって呼んでくださいね」
ユリ……リリィは、それだけ言って再びミケのほうを向いた。
「私が、ミケさんは朝も昼も夜もずーっと私と一つ屋根の下にいたので帰れなかったんです、って宿のご主人にお話しておきますから、大丈夫ですよミケさん」
「ある意味そのとおりですが、ニュアンスが違う意味に取られるので、却下します」
「ええー、喫茶店でケーキ食べてお茶して、楽しくお話もしたじゃないですか。その辺りも詳しくあること無いこと説明してあげます。怒られないように。私、優しいですね。あ、お礼は億倍返しで、勝手にいただきますから」
「嫌です、お断りです、絶対に拒否します。ふざけんな、魚類」
「うふふ、やめてほしかったら、止めてみたらどうですか?止められたらの話ですけど」
「……………………あはは」

ずどーん。
ガイアデルト邸では割と日常茶飯事であろう爆発音が響き渡る。

「ミケ!ここは住宅地だから!ロープロープ!」
「止めないで下さいクルムさん!こいつだけは、この女だけはぁぁぁ!!」
「ほほほつかまえてごらんなさーい」

目の前で繰り広げられる生死をかけたどつき漫才(ただし、ミケのほうがかなり分が悪い)を目を丸くして見つめながら。
「………や、やっぱりミケさん怖い……」
セラは自らの認識をさらに強固なものにするのだった。

「失礼ですが、セラ・アンソニー・ウォン様でいらっしゃいますか」
「はいっ?」

そこに、後ろから落ち着いた声で呼び止められ、セラは慌てて振り返った。
そこには、いつの間にか豪奢な装飾の施された馬車が止まっていて。
「天候を自在に操れる巫女様、とお聞きしましたが。間違いはございませんね?」
どうやら声は、馬車の中からしているようだった。
「あ、はい、そうですが……?」
馬車から降りて顔を見せることもせず、一方的にこちらのことを訊いてくる声に不信を露にするセラ。
声は構わず続けた。
「どうか私と一緒においで下さいませ。どうしても晴れにして頂きたい日がございます」
「どうしましたか?長い航海に出られるのですか?」
ヴィーダに来た時の船と同じ理由をとりあえず尋ねてみる。
が。
「主のガーデンパーティーでございます」
「ガーデンパーティー、ですか?」
セラはますます眉を寄せた。
「お断りします。人命に関わることが優先です」
「そうですか、残念です……」
ふう、と、馬車の中の人物は沈鬱そうにため息をついた。
「本当に残念です。麗しい主の顔が、曇るのを見ることになろうとは」
「う、麗しい…?」
ぴく。
セラの耳が動く。
「はい。我々の主は、遠方の貴族のお嬢様方がごぞって嫁に行きたい、と申し込まれるほど、見目麗しい方です」
「…………」
揺れ動くセラの心。
声はさらに畳み掛けた。
「ちなみに、ここからは少々余談ではございますが。招待者リストの中には、医者、弁護士、王宮警備隊に宮廷魔術師、貴族などを中心に、美男美女、多数」
「くっ……。ロ、ロン毛枠は……?」
「ヴィーダ音楽学校を今年卒業したオーケストラをお招きしております」
「メガネは?」
「草食系、肉食系、各種」
がちゃり。
そこまで言って、馬車の中の人物はようやくその扉を開け、姿を現した。
「そして私も、この通り」
かつ、と硬い音を立てて地面に降り立ったその青年は、切れ長の瞳に通った鼻筋、染みやそばかすのない白い肌、唇に弧を描く、まごうことなき美男子で。
「行きますッ!!」
セラは嬉々としてそう叫び、いそいそと馬車に乗り込むのだった。

「ふう、なんだか軽くなった気分です」
執事服を返し、元の軽装になったファリナは、屋敷を出て青い空を見上げながらしみじみと言った。
門の方でなにやら爆発音が聞こえるが、気にしない。
「今回の事件…色んなものに出会えたな……」
ファリナはまたしみじみと言って、ここ数日の出来事を思い返した。
チャカの言葉、カエルスの言葉。ウルの、レアの、この事件に関わったすべての人たちのたくさんの言葉が次々に思い出されていく。
すぐには理解できないこともたくさんあった。それは旅をしながら、じっくり考えていくことにしようと思う。
「………」
ファリナはふいに俯いて、表情を曇らせた。
「…ボクは………」
これで正しかったのだろうか、と思う。
事件のことではない。
この事件で彼は決して、「レアの無罪を証明するために捜査をする」とは言わなかった。
「真実が知りたい」、と。ただそれだけで行動をしたことを、実は少し気にかけていたのだ。
(あの時点では、レアさんが無罪だとはわからなかった。だから言わなかった。
それは、普通のことだと思っていたけど……)
レアの無罪を一心に信じて行動していたミケやベル、セラ。
彼らと自分が、酷く違う生き物のように感じられて。
(……レアさんのことを、知らなかったから?
……ううん、レアさんがどんな人か知っていたとしても、ボクは……言わなかったと思う)
「……だって」
ぽつり、と。
ファリナはその続きを口に出した。
「だってボクは、みんなが大切だから。
あの時、何も分からなくて、みんなを疑い、そして信じたボクは間違っていたのかな?
悩んでどうなるか分からないけれど、悩みたいな」

ファリナはもう一度、空を見上げた。
答えは見つかるのだろうか。
否、見つからなくとも。
迷いながら、学びながら。
彼の旅はまだまだ続くのだ。

「こんにちはー」
がちゃ。
探偵事務所のドアを開けたストライクは、探偵のぎろりという視線に迎えられた。
「…何の用だ。仕事は終わったはずだが?」
「いや、ちゃんと謝っておこうと思ってさ」
ストライクは苦笑して、事務所の中に足を踏み入れ、探偵の前まで歩いて行った。
「今回、無報酬になるかもしれないこと。本当に、申し訳ない。反省するよ」
言って、深々と頭を下げる。
「俺が代わりに払えるわけじゃないけど。せめて何か手伝えないかな。何でもするよ?」
探偵はしばしじっとストライクを見つめていたが、やがて面白くもなさそうに嘆息した。
「……必要ない。報酬は全額頂いたからな」
「………はっ?!」
驚いて問い返すストライク。
探偵は淡々と言い返した。
「最初にお前が依頼に来た日、お前が帰ってから俺は即座にクロノ・スーリヤと連絡を取り、契約内容の確認と前金を徴収した。奴が死亡した時点で、俺はガイアデルト商会に彼の個人契約に関する未払いの申し立てをした。
結果、本人の残した資産から支払いされると連絡があった。だから調査を続行した」
「な、な……」
唖然として言葉も出ないストライクを、冷ややかに見返す探偵。
「なら何であんなことを言ったか、と訊きたそうな顔だな」
こくこく、と頷くストライク。
「お前が、甘く見ていたようだったからな。依頼を受け、契約を結び、依頼人の望む通りに動く、ということに対して」
「…っ………」
ストライクは若干ショックを受けたように言葉を詰まらせた。
「自分の行動には責任が伴う。自分がやったことは、自分自身に返ってくる。
上手く動けばそれだけの結果が、下手を打てばそれなりの結果がな。だから、人は迷い、慎重になる。それが、お前には見えなかった。
自分がやっちまったことの責任は、時には自分以外の人間に及ぶことがある。
全てがお前の思うように、都合のいいように進むわけじゃない。それは、身体で覚える必要があるんだよ、坊主」
「………ははっ」
ストライクは、参った、降参だ、というように笑い声を上げた。
「その通りだ。
世界には、俺の知らないこと、想像を超えることがたくさんある。思ったように行かないことなんて、山ほどある。
今回、嫌ってほど思い知ったよ」
「たかだか20年生きただけで世界の全てが判るわけがねえ」
なおも仏頂面で、探偵は言った。
「だが、自分がやらかしちまったことを謝れるお前なら、これから全てを知っていくことも出来るだろうよ」
「そう言ってくれるならちょっと救われるかな。
ま、世間を知るために、手始めにあんたの仕事手伝わせてよ。
普段、あんたがどんな風に調査をするのか、ちょっと見てみたいんだ」
にこりと綺麗な笑みを浮かべて言うストライクに。
「………好きにしろ」
探偵は相変わらずの仏頂面でそっぽを向くのだった。

「ふぅ……なんだかすっかり時間が経っちゃったな」
ミケとリリィの激しいどつき漫才を仲裁していたら、いつの間にか陽はかなり下がっていて。
クルムは少しぐったりした様子で、通りを歩いていた。
と。
「あれー、クルムくんじゃん。やっほー♪」
聞き覚えのある声がしてそちらを向くと、そこには如雨露を持って水撒きをしている喫茶『ハーフムーン』のマスターの姿があった。
驚いて辺りを見回すクルム。
「あれっ、マスター……って、ここ、そうか、サザミ・ストリートか…」
マスターはへらっと笑った。
「お仕事の帰りー?お疲れみたいだねえ、何か飲んでく?」
「…そうだな、じゃあ、そうしようかな」
クルムは軽く微笑んで、ハーフムーンに足を踏み入れた。

「お仕事、じゃあカタがついたんだねえ。お疲れさまー」
マスターはクルムにココアを出しながら、笑顔でそう言った。
「ありがとう」
礼を言ってから、辺りをきょろきょろと見渡すクルム。いつもの通り客はいない。それに……
「…キャットがいるって、ミケから聞いたんだけど…?」
ミケから話を聞いていた、ネコミミメイド姿のキャットも姿が見えなかった。
「ああ、チャカちゃんが帰るっていうから、猫ちゃんも帰っちゃったよ」
「あ、そうだよな……」
クルムは納得して、改めてマスターを見た。
楽しげに食器を磨いているその様は、魔族とわかっていても、純粋にこの喫茶店の『マスター』でいることを楽しんでいるように思えて。
仮にも魔族なのだから気を許しすぎるのもどうかと思うが、警戒しすぎる必要もまたないだろう、とも思う。
クルムはココアを一口飲んで、マスターに言った。
「マスターは…チャカとは、仲がいいの?」
「えぇ?」
クルムの質問に、マスターは少し驚いた顔を見せた。
「よくないよー!全然。うちの兄弟たくさんいるけど、仲は良くないねえ。クルムくんもロッテちゃんとこの事情、知ってるんでしょ?」
「あ、うん……確かに、そうか…」
クルムの友人であるロッテの父親……つまりは、マスターやチャカの長兄に当たる人物が、自らの弟に殺されたというのは聞き及んでいる。確かに、仲良く和気藹々という感じではないのだろう。
「それにチャカちゃん、僕のことあんまり得意じゃないみたいだし?避けられてるよ、ばっちり」
「え、そうなんだ…?珍しいな、チャカに苦手なものがあるなんて…」
意外そうな顔をするクルムに、またへらっと笑うマスター。
「ま、僕のこと得意だって人もあんまりいないけどね」
「じゃあ、兄妹喧嘩とかは…」
「あははは、チャカちゃんとケンカなんかしたら僕ボッコボコにされちゃうよー」
マスターは苦笑してパタパタと手を振った。
「うちの兄弟、なんつーかこー、個人主義ってゆーか?殺伐としてるんだよねー。他の人に興味ない、手や口出してきたらコロすよ?みたいな。そのくせ、なんか物頼んできたり…つーか、利用しようとする時は上から目線だしさー、もーつっかれちゃうよー」
「そ、そうなんだ…」
マスターの言うことは冗談でも比喩でもないのだろう。クルムは軽く引いた様子で相槌を討つ。
「オレは兄弟いないからよくわからないけど…それじゃあ、あまりお兄さんに甘えたりっていうことも…」
「ないねー!」
オーバーアクションで答えるマスター。
「チャカちゃんが甘えるとか!珍しく僕に頼みごとする時だってあの態度だよ?何様?女王様?みたいな。
ツインテの妹なのにあそこまで萌えないってある意味すごいよね!」
「つ、ついんて……?」
きょとんとするクルムをよそに、そのまま話はマスターの萌え談義に移行し。
日は瞬く間に暮れていくのだった。

「ただいま……」
やっと帰り着いた頃には、日はもうすっかり暮れていた。
「おかえりなさい、クルム」
「テア、ただいま」
出迎えたのは、同じ家に下宿している少女で、クルムの想い人でもある、テア。
「お仕事お疲れ様。もう少し早いって聞いていたけど、ずいぶんゆっくりだったのね」
「ああ、途中でお茶をしてきて…」
「お茶って、前にクルムが連れて行ってくれたお店?」
「ああ、そう……っ」
そこまで答えて、しまった、と思う。
案の定、テアは嬉しそうに微笑んで、言った。
「ハーフムーン、ね。素敵なお店だったわね。私もまた行こうかな」
「テア」
クルムは真剣な表情で、テアに言った。
警戒しすぎる必要はないが、やはり相手は魔族だ。無防備なのも危険だろう。
「ハーフムーンに行く時は、オレも一緒に行くから。一人で行かないで、必ずオレに声を掛けて」
妙に真剣なクルムに、テアは混乱した様子で、それでもうなずいた。
「?…そう?わかったわ」

(ちょっっっ!デ、デートの誘い?!)
そしてそれを、柱の影でテンション高く盗み聞きしていたのは、2人が下宿する家の夫人、アリシア。
(クルムに何があったの?ハーフムーンのマスターに聞かなくちゃ!)
かくして、テアを魔族から守るという目的は達成されたが、別のところで危機が生まれていたとかいなかったとか。

「……というわけだ」
ナノクニに帰った千秋は、柘榴にことの顛末を説明した。
柘榴はチャカの名前にだけ僅かに反応したが、それ以外は黙って面白そうに話を聞いていた。
「ふうん……それはまた、厄介な話だったねぇ」
完全に他人事の様子でそれだけ感想を漏らす柘榴。
千秋は黙ってそれを聞いていたが、それ以上彼女が何も喋るつもりのないのを見て取ると、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「…それで…結局、カエルスに返したものとは一体なんだったのだ?」
初日。柘榴の使いといって、カエルスに返した髪飾りがあった。カエルスは一瞥して興味なさそうに脇に退けたが、結局あれは何だったのか。
答えをそう期待しない問いだったのだが、意外にもあっさりと柘榴は答えてくれた。
「あれはね、祝福のペンダント、だそうだよ」
「…祝福のペンダント?髪飾りではなかったのか」
「…中を見たのかい?」
「手紙を見るなとは言われたが、預かり物については言われていない。それに、カエルスが開けた時にちらりと見えただけだ」
「そう。紐を取った状態だったから、髪飾りに見えたのかもね。本来は祝福のペンダント、紐をかけて下げるものだよ」
柘榴は言って、視線をどこか遠くへと移した。
「魔力を蓄えた年月と同じ時間だけ、術者の寿命を削り取るマジックアイテムなのだそうだ」
「ちょっと待て。それのどこが祝福なんだ」
千秋がツッコミを入れると、柘榴はにっと笑みを返した。
「いつの時代かに、種族としての限界寿命が人間より短い少数種族の娘に恋をした人間の魔術師が、共に生きそして死ぬために神に祈って練りだした自分用のペンダントなのだそうだよ」
「…っ……」
「まあ、ちょっとした笑い話だよ」
そう言って笑う柘榴。

カエルスは愛した女のために永遠の命を求めていた。
もしかしたら、あのペンダントはカルエスが必死に買い集めていたもののひとつで、鑑定のために柘榴に送られたものだったのではないか。
そして、柘榴が調べてみたが、それは彼の望みを叶えてくれるものではなかった。だから、そのまま柘榴の手元にあった。
20年以上ぶりにカエルスがどんな手紙を送ってきたのか、それに対して柘榴がどんな返事を返し、あのペンダントを添えたのか。
今になっては判らないし、柘榴も答えてはくれないだろうが…
柘榴がカルエスに自分の素性を明かせなかったのは、人間より長い時間を生きる種族として、カルエスの事情を知ってしまったが故に話すことが出来なかったのではないか。
ふと、そんなことを考えた。

「………」
何気なく懐に手を入れると、いつか知り合いの魔具製作者に頼んで作ってもらった指輪に指先が触れた。

「柘榴、ちょっと言っておきたいことがあるんだが……」

かちゃ。
ドアが開いたことで、部屋の空気が僅かに動き、窓から吹き込んだ風がカーテンを揺らす。

「………チャカか」

カエルスはゆっくりと、訪問者の名を呼んだ。
チャカはゆったりとした足取りで、カエルスの横たわるベッドに歩み寄る。
「とっても面白かったわ。アナタの咲かせた『花』は」
「………そうか」
チャカの言葉に、目を閉じて笑みを見せるカエルス。
「……儂は、ついにお前を手に入れることは出来なかった。
お前と同じ寿命を得ることも……そして、お前を殺す手段も、見つけることは出来なかった」
「………ええ」
「だが、それに一生を捧げたことを…儂は、悔いてはおらん。
望むものは手に入れられなかった…が、儂は満足している」
「そう」
にこり。
極上の笑みを見せるチャカを、カエルスはゆっくりと見上げた。
「……約束だ。
儂の一生をかけても、お前を手に入れることは出来なかった。
だから………」
やせ細ったその手を、チャカに向かって伸ばして。

「……儂を、お前のものにしてくれ」

チャカはカエルスの手を取ると。

再び、にこり、と笑みを深めた。

がちゃ。
カエルスの家を出たチャカは、そこに待っていた人影に気づいて足を止めた。

「……なんや、遅かったみたいやな」

彼女と同じ、褐色の肌に長い黒髪の女性……レア。
チャカはくすっと鼻を鳴らすと、レアの前まで歩いてきた。
肩を竦めて苦笑するレア。
「ウチがヤったろ思うとったのに。惜しいことしたわ」
「ごめんなさいね、敵を奪っちゃったみたいで?」
「ま、汚す手ぇが勿体無いゆうこっちゃな。しゃあない、諦めとくわ」
ひらひらと手を振って、自嘲気味に笑う。
その様子は、冒険者たちに見せたような明るく天真爛漫な彼女の姿とは違って。
「……驚かんのんね?ウチがここに来ても」
問うレアに、チャカはにこりと微笑みかけた。
「ええ。だって」
す、と手をあげ、レアを指差して。
「アナタも、カウやクロと同じ……獅子だものね?」
「へぇ」
レアもさして驚いた様子もなく、笑って首をかしげた。
「何でそう思うん?」
「だって、アナタ」
チャカはすうと目を細め、大きな唇を妖しく歪めた。

「アナタ、知ってたわ。アタシのこと」

レアは黙ってチャカを見つめている。
「アナタはミケたちに連れられて『商品の運び人』としてガイアデルトに来た。
商会に着いて、応接室で待たされていた間…クロに雇われたクルムたちがミケに事情を説明していたそうだけど、アナタはベルやセラと一緒にお茶を飲んでいて、その話には加わらなかったそうね?もちろん、屋敷の他の人間に知られては困る話ですもの、ミケたちも他に聞こえないように話していたと思うわ。
そうこうしているうちに事件が起こり、アナタは容疑者として自警団に連行された……」
ふ、とひとつ息をついて。
チャカは改めて、レアを見やった。
「でもアナタ、昨日ユリにこう言ったそうね?」

『ああ…!あのチンピラボンボンが家に引き入れよった愛人の?』

「あー、アレは言った後しもたーて思たんよ」
レアは仕方なさそうに苦笑して肩を竦めた。
「ミケはんもクルムはんもつっこまんかったからセーフや思とったけど。
やっぱりあのニコニコメイドはんは聞き逃さなかったんやねえ」
「ええ、あの子はとっても頭がいいから」
にこりと微笑んで、チャカは続けた。
「ミケは『チャカさんが連れてきたメイド』と言っただけだった。けれどアナタは即座に、アタシの名前を『ウルが引き入れた愛人』と結びつけたわ。
おかしいわよね?アナタには一度も、『ウルがチャカという名の愛人を引き入れ、専属のメイドまで連れてきている』ということを知るチャンスはなかったのよ。
つまり……」
チャカはもう一度、すい、とレアを指差した。
「アナタは知っていたんだわ。クロが、何をしようとしていたのか。自分が何故、ガイアデルトに呼ばれたのか。
だからアタシのことも知っていたし、アタシが魔族だということを聞いて、クロと同じように極端に驚いたんだわ。
クロがアタシが魔族だということを知ったのは事件当日。それは、アナタには伝わっていなかった」
レアはまた黙ってチャカの話を聞いている。
「でも、アタシが言ったように、『クロと繋がっている』ことがバレたら、クロと共謀してアタシを追い出そうとした悪女のレッテルを貼られかねない。
だからアナタは最後まで、『兄に利用されただけの何も知らない妹』を演じたんだわ。それは最初から、そういう計画だったんでしょうね。クロもきっとそういう指示をしたんだと思うわ。
アナタは何もかも知った上で、兄の立てた計画に乗り、ちょっとしたアクシデントはあったけれど、結果としてクロの後釜に収まった。あの様子なら、その内ウルのハートを本当の意味で射止めることになるでしょうしね?
何もかもアナタたちの計画通り、どっとはらい、というわけね」
「人聞きが悪いわぁ」
レアはまた苦笑して肩を竦めた。
「人のこと、そんな悪女みたいに言わんといて。
兄ちゃんは確かに、どういうつもりやったんか、ウチに連絡をよこしたで。けど、それは決してウチに計画の相談をするモンやなかった。
これこれこういう女が屋敷にいて、追い出して後釜にお前を据えたい。だからお前を呼び寄せ、自分は愛人に殺される。お前は何も知らない振りをして、傷心の理事を慰め、妻の座を射止めろ、て。一方的にウチに言ってきただけやったんよ。ウチの意思なんてお構いなしや。ホンマ、兄ちゃんにとってウチも復讐の道具やったんよね。
ウチは兄ちゃんの言う通りに、兄ちゃんからの手紙を焼いて、ヤマニーはんの依頼に乗ってヴィーダに来た。ウチがヴィーダに来るのは初めての、兄ちゃんとは何の繋がりもないただの運び屋やて証明するために、ウェルドでヴィーダに行く人らに声をかけて、一緒に来てもろた。何もかも、兄ちゃんの言う通りにな」
自嘲気味に笑みを浮かべて。
「ミケはんに持ち上げてもろて悪いけど、ウチかてどうしても、ガイアデルトは許せへんかったん。
それが兄ちゃんの意思なら、ウチもそれに乗ったげたいて、思たんよ」
それから、苦笑して頭を振った。
「けど……悪いことはできんもんやね。
兄ちゃんがウチのこと、日焼けしててわからんかったように……ウチにも、髪を染めた兄ちゃんが、兄ちゃんやいうこと……わかれへんかったんよ」
はは、と、泣きそうな表情で自嘲気味に笑って見せる。
「アホみたいやろ?こんな周到な計画立てといて……肝心の、お互いの見てくれも知らんかったんや。
いんや、知らんかったんちゃう…お互いに、お互いの姿、わかっとるはずやて思いこんどった。兄ちゃんはオカンにそっくりやから肌が白いはずやて…ウチはウチの兄ちゃんやから髪が黒いはずやて、疑ってへんかった。
兄ちゃんが落ちて……下であのボンが『クロ』て名前を呼ぶまでな」
レアは何かをこらえるように言葉を詰まらせて、それから気を取り直したように表情を引き締め、チャカを見やった。
「その後はミケはんやアンタの言う通りや。黙っててくれてありがとう、言うたらええんかいね?」
「あら、どういたしまして?でも、別にアナタの為に黙っていたわけじゃないわ。
黙っていた方が面白そうだったから。それだけよ」
「そらどうも」
レアは皮肉げに笑って、さらに言った。
「なら、ウチもアンタのこと、ひとつだけ言うてええ?」
「ええ、どうぞ」
チャカが鷹揚に頷くと、レアはにっと唇の端を吊り上げた。

「アンタ、兄ちゃんに頼まれてあのボンに近づいたやろ?」

レアの言葉に、チャカは少なからず驚いたようだった。笑みを浮かべたまま、僅かに目を見開く。
レアはその反応に満足したように笑みを深めた。
「アンタがわざわざ『この屋敷では』クロと1対1で話したことはない、言うのんがひっかかっとったんよ。
それに…おかしいやろ。
兄ちゃんはアンタが邪魔やったから代わりにウチを据えようとした。
けど、兄ちゃんの手帳に『ヤマニー』の書き込みがあった…つまり、ウチを見つけ、ウチがよう使てもろてるヤマニー商会に辿りついたんは、1ヵ月半前のことや。
けど、アンタがあのボンと会って屋敷に来たんは1ヶ月前。計算が合わんやろ?せやから、もしかして、思たん」
「アタシも、まさか殺人の罪を着せられるために近づかされたとは思わなかったわ」
くすくす。
チャカは面白そうに肩を揺らしながら、言った。
「面白いから、黙っていてあげたけどね?アナタたち兄妹がどこにたどり着くのか、このまま見ていたかったから」
「そらどうも」
レアはもう一度言って、肩を竦めた。
「兄ちゃんはそこまではウチに言わへんかったけどな。
要するに、病気になった兄ちゃんは、最初からウチを後釜に据えるために、ウチを探しだし、アンタをあのボンにけしかけ、メロメロにさしたところで殺人の罪を着せて追い出し、傷心のボンをウチに優しゅうなぐさめさせ、金目当ての女やない、妻としての地位を確実なものにしようとした。
傷ついてヘコんどる時ほど、優しゅうしてくれるヒトは輝いて見えるもんや。兄ちゃんはその状況を全部、お膳立てしたったわけやね」
やはり、どこか自嘲気味に笑って。

「これは全てが、兄ちゃんがあのボンに仕掛けた、甘い罠やった……っちゅうこっちゃ」

ふう、と。
疲れたように息を吐いて、レアは顔をあげた。
「でもな。ウチは兄ちゃんに利用されたんちゃうで」
に、とまた不敵な笑みを見せて。
「ウチが、兄ちゃんを利用したったんや」
「へぇ?」
面白そうに促すチャカに、自信にあふれた表情を向けた。
「ウチの復讐はこれからやで。
あのボンと一緒に、商会を立て直す。
今までの、弱者を踏み潰す経営やない。客の立場に立った経営をし、他の会社と競い合いながら助け合える、そんな会社に生まれ変わらせる」
にこり、と笑って。

「それが、ガイアデルトに踏み潰されたウチの、一生をかけた復讐や」

日はすでに暮れ、よく晴れた空に星が瞬いている。

さまざまな罪を、言えぬ闇を背負ったまま。
これから彼女が歩むことになる道を、月と星のかすかな明かりだけが、やわらかく照らし出していた。

“Sweet Trap” 2010.5.27.Nagi Kirikawa