命の限り アタシを愛すると誓っても

アナタの命が尽きたら
アタシはまた
アナタ以外の誰かのものになるのよ?

アナタに それが耐えられる?

耐えられないと言うのなら

辞めることね
人を愛することなんて



吟遊詩人 ミニウムの歌より

「レアさん!レアさん!!」
ミケは雨の激しく打ち付けるテラスから懸命に4階のバルコニーにいるレアに呼びかけた。
しかし、レアは錯乱した様子でぶつぶつと何かを呟いていて、彼の呼びかけに応える様子はない。
「何だ、あの女…?!」
そこに、やや遅れてバルコニーを見上げたウルが、それを見止めて言った。
「まさか、アイツがクロを突き落としたのか!」
「…っ」
ミケは睨むようにそれを見やり、それから再びバルコニーを見上げた。
「風よ、この身を高く高く天へ!」
ごう。
呪文と共に、ミケの周りに風が渦を巻く。
「ミケ!」
慌ててそちらに駆け寄る千秋。
しかし、それに構うことなく、ミケは魔道を発動させて空高く舞い上がった。
「あっ!」
呆然とそれを見上げる他の面々。
近寄った千秋も何故か同時にその場から消えていたが、それに気を払えるほど落ち着いた人間はこの中にはいなかった。
「くっそ、ずるいぞ空飛ぶとかよー!」
何がずるいのかは判らないが、ウルは悔しそうにそう言うとすぐさまその場を駆け出した。
「あっ、ウルさん!」
慌ててその後を追うクルム。
それらをざっと見やってから、ストライクは改めてクロの体を見下ろした。
「医者を呼べ……って言いたかったけど、こりゃ無理だな」
手足と首がありえない方向に曲がっている。口の端からと、見開いた目の端からは薄く血が流れ出ていて、どしゃ降りの雨に早速流されていた。まだ息があれば何か聞けるかとも思ったが、脈を取るまでもない。どこからどう見ても彼はすでにこの世のものではなかった。
「と、とにかく、出来るだけ雨に濡れないようにしないと…」
ファリナがおろおろと辺りを見回し、ストライクも嘆息してそれに同意する。
「さっきまであんなに晴れてたのにな…まるでクロが落ちてきたショックで雨が降り出したみたいだ」
冗談めかして言うが、それはあながち絵空事とばかりも言えなかった。
「しっかりなさって、セラさん」
その傍らで、転落死体を見てすっかり腰を抜かしてしまったセラをどうにか落ち着かせようとするベル。
今日、馬車でセラと共にヴィーダにやってきていたベルは知っていた。このどしゃ降りの雨は、間違いなくセラが降らせているものであることを。天候を操る……というよりは、天候を振り回す能力を持ったこの少女をどうにか落ち着かせないことには、この雨はやまないのだ。
「す、す、すいませ、わた、わたし、こ、腰が、ぬけて、しまっ」
セラはがたがた震えながら、流れる涙をぬぐうことすら出来ずにいた。無理もなかろう、初めて死体を、それもこんなに凄惨な死体を見れば誰でも動揺する。
ベルはその様子に嘆息すると、目を閉じてすうと息を吸った。

ほどなく、その形の良い唇から綺麗な旋律があたりに響きわたる。

いきなり歌を歌いだしたベルを、ファリナとストライクは驚いて見やった。
セラも目を丸くして、歌うベルを見上げている。
が、不思議ともう涙は止まっていた。ベルの紡ぎ出す旋律が、心の隅々に染み渡るように広がっていき、気持ちが落ち着いていくのが判る。
魔道に長けた者ならば、ベルの歌が呪歌と呼ばれるものだと気づいただろうが、今ここにそれを指摘できる者はいない。
しかし、ベルの短い歌が終わる頃には雨はかなり小降りになっていた。
歌の響きの余韻が消え、ベルはにこりとセラに微笑みかける。
「…落ち着かれました?」
「あっ……は、はい!あ、ありがとうございます!ベルさん、歌がお上手なんですね…!」
「ふふ、これでも旅芸人の歌い手ですから」
「あっ、そういえばそんなことも…」
と、和やかな会話を遮るように、上から声が響いてきた。

「てめえがやったんだろ!あぁ?!」

驚いてそちらを見やるベル。
ファリナとストライクも僅かに眉を寄せてそれを見上げた。
「上は大変なことになっているようですね…セラさん、わたくし上の様子を見てまいりますね」
「あっ、はい!」
緊張した面持ちで立ち上がるベルに、力強く頷くセラ。
「まだ体の自由はききませんけど、私なら大丈夫ですから!ベルさんはどうぞ心のままに動いてください!」
フォローどころかさらに不安にさせるような発言にベルが心配そうに眉を顰めるが、しかし上の状況の方がよほど心配なのだろう、小さく頷いた。
「…此処のこと、セラさんにお任せしますわ」
「はっ、はい!そうだ、私レアさんの荷物、見てますね!高価なものだったようですし…」
「ええ、お願いいたします」
ベルはセラにそう言い置いて、ファリナとストライクにも会釈をすると、急ぎ足で屋敷へと入っていった。
ようやく立てるようになったセラは、テラスから部屋に戻ってレアの荷物を手に取る。
ついでに自分の荷物からごそごそと何かを取り出すと、まだおぼつかない足取りでテラスへと戻った。
「あの…すみません、よかったら…」
クロの遺体を濡れないように保護しながら、辺りの様子を調べているファリナとストライクに、開いた傘を差し出すセラ。
ファリナとストライクはきょとんとしてそちらを向き、次に笑顔を返した。
「わあ、すいません!ありがとうございます!」
「サンキュ。ずいぶん用意がいいんだな?」
「はい、こういうことはよくありますので…」
「こういうこと、というと?」
「あの、ショックなことがあって、雨を降らせてしまうことが…ごめんなさい、お寒いでしょうに」
やや、間があって。
セラの言うことをいまいち理解できないストライクが、冗談めかして問うてみる。
「降らせてしまう、ってナニ?キョーレツな雨女ってこと?」
「えっ、あ、その、雨だけじゃないんですよ!晴れさせることも出来るんですけどっ、今はちょっと…心が落ち着かなくて。雨もやませられないんです、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるセラに、ますます混乱して顔を見合わせる2人。
しかし、それ以上追及すればさらに混乱することが容易に想像できたので、ひとまずその追求は諦めて遺体の調査に戻ることにする。
セラは死体を見るのが怖いのか、二人に傘を差し出すと再び部屋の中へと戻っていった。
「パッと見、転落死…だな。刺し傷も殴られたような傷も無い。毒……は、見た目だけじゃわかんないか。とりあえずざっと見る感じ死斑とかも出てないな。…見えない場所はわかんないけど」
ストライクが言うと、遺体の周りを調べていたファリナがそれに応えるように言葉を続ける。
「周りにも…特に怪しいものは無いですね。雨で流れてしまうほど小さなものだと…ちょっとわからないですけど」
「何か持ってたりは…しないかな」
ストライクは言いながら、死体を強く動かさないように注意して衣服を探り始めた。
雨でじっとりと濡れている黒いスーツはぺたぺたとはりついて調べにくい。ポケットの中には何もないようだった。
「ん、何か握ってる?」
クロの右手の先に何か違和感を感じたストライクが、慎重にその部分を手に取る。
見れば、クロは右手にしっかりと何かを握っているようだった。指の隙間から、銀色の飾り台のようなものが見える。
「髪飾り…でしょうか?」
「うーん……っと、こりゃずいぶん強く握ってるな…」
ストライクはクロの手を開かせようとしたが、死後硬直なのか、それとも死ぬ前から相当強く握っていたのか、なかなか開く様子はない。
「中を見たいところだけど、さすがに死体を傷つけるわけにもいかない、か…」
力任せに開かせては死体を傷つけると判断したストライクは、そのまま腕を地面にそっと戻す。
「とりあえず調べられるのはこれくらいですかね……」
「だな。上はどうなってることやら…」
ファリナとストライクは立ち上がって、喧騒が聞こえるバルコニーを見上げた。
雨は、もうすぐやみそうだった。

「レアさん、レアさん!しっかりしてください!」
少し時間は遡って。
風魔法でベランダに降り立ったミケは、ベランダでうずくまっているレアの肩を掴んで揺すった。
「何があったんですか、レアさん!」
「なぁ、信じて?ウチやない、ウチそないなことせぇへん」
レアは焦点の定まっていない目つきでミケを見返し、その腕を逆に取り返してがくがくとゆさぶる。
「ウチただ、追いかけて……追いかけてたん。あの兄さん、追いかけて、そしたら……ぁぁああ!」
泣きそうな顔で頭を抱え、かぶりを振って。
「嫌や!ちゃう!ウチのせいとちゃう!あの兄さん、勝手に落ちたんや!ウチやない!なぁ、信じて?!」
「レアさん…!」
ミケは取り乱すレアに焦れたように、さらに肩を揺さぶった。
「お願い、落ち着いて!冷静に、あったことを話してください!」
「ウチやない、なあ、信じて?!」
全く言葉が通じない。
ミケは悔しげに眉を寄せ、さらに言葉をかけようとして…
「ミケ、まずお前が落ち着け」
「千秋さん」
なぜか傍らにいた千秋に押しとどめられ、そちらを向く。
霧に姿を変えることが出来る千秋は、ミケが魔法を発動するのに便乗して一緒にバルコニーまで上がってきていたのだが、今のミケにそこまで考える余裕は無い。
「パニックになっている人間に落ち着けと言ったところで余計にパニックになるだけだ。ちょっといいか」
千秋はミケを手で退かせて彼の座っていた位置に膝をつくと、レアに正面から向き直った。
「少し落ち着け!そのままじゃ何を言っても分からんぞ!」
ぱしっ。
雨に濡れたレアの頬を、千秋が平手打ちする音があたりに響く。
ミケは驚いてそれを見やり、レアも目を丸くして叩かれた頬を押さえた。
しかし、先程までの混乱ぶりは嘘のようになりを潜めている。焦点もしっかり定まって、目の前の千秋をちゃんと認識している様子だった。先程の平手打ちは、どうやらただの物理的なものだけではないようだ。
「落ち着いたか」
「…あ、アンタ誰や?」
千秋に至極当然の問いを返すレア。千秋は納得した様子で頷いた。
「落ち着いたようだな。とりあえず中に入れ」
当然だが、激しい雨はバルコニーにも容赦なく打ち付けていた。レアもミケも千秋もずぶ濡れである。
レアは頷いて立ち上がり、ミケたちと共に部屋の中へと入った。
と、そこに。

「おいコラあぁぁ!!」

派手な怒鳴り声と共に、ウルが部屋に駆け込んできた。
「若旦那」
千秋が驚いてウルを呼ぶ。ミケとレアも目を丸くしてそれを見やって。
ウルは1階から4階まで一気に駆け上がってきて、息も絶え絶えという様子だったが、その表情にはくっきりと怒りの色が現れていた。
ウルの後ろから、クルムも遅れて到着する。
「オマエ!オマエ、何してんだよ!」
つかつかつか。
ウルは早足でレアの元へと歩いてくると、その肩に掴みかかる。
「ひゃ!ちょっ、何すんのん!」
驚いて睨み返すレア。しかし、ウルはそれ以上の勢いで、噛み付くように怒鳴りつけた。
「それはこっちのセリフだ!この人殺し!」
「人殺し?!」
「クロを突き落として殺しただろうが!てめえがやったんだろ!あぁ?!」
「ハァ?!ウチやないわボケ、なんでウチが顔もよう知れへん兄さん殺さなかんねん!」
「んなの知ったことかよ!この期に及んで言い逃れか?!オマエしかいねーだろうが!」
「ちゃう言うてるやんか!あの兄さん、勝手に落ちたんや!ウチは何もしてへん!」
「んだとコラ!自警団を待つまでもねえ、オレが今この手でクロの仇打ってやらぁ!」
ウルは激昂してレアに掴みかかった。
「ちょっ、何するんですか!」
慌ててレアをかばうミケ。
「落ち着け、若旦那!」
「やめてください、ウルさん!」
千秋とクルムはウルを止める方に回って。
「…レアさん!」
そこに、1回から駆けつけたベルが到着した。
ベルはレアを見止めると、駆け寄って手を取った。
「ベルはん…」
心細そうにベルに視線を向けるレア。
ベルは元気付けるようにその手を握り返した。
「大丈夫です、とにかく落ち着いて……」
「ウチ、やってへんよ。信じて?」
「ええ、もちろんです」
ベルはしっかりと頷いて、ウルのほうを向いた。
「貴方もです、ウルさん。とにかく落ち着いて…」
「これが落ち着いてられっかよ!!クロが、殺されたんだぞ!その女に!」
「そんな……」
ウルの言葉に、ベルは眉を寄せ、しかし落ち着いて言葉を返した。
「この方は、わざわざ此方に荷物を届けに来ただけです。
そんな……そもそも人殺しなどをする所以はありません、それにそもそも人殺しをしようと思ってした人ならば、その後にここまで憔悴するわけがないじゃありませんか!」
「知るかよ!演技かもしれねーだろ!」
「……ちょっと静かにしてください!」
ベルとウルの口論を、、ミケが叱りつけるように遮る。
「事情も分からないのに、いきなり怒鳴らないで!
レアさん、違うって言っていますし!ちょっと落ち着いて話を聞いて!」
「ンだオマエ!」
ウルは千秋とクルムに抑えられたまま、そちらの方にもくってかかった。
「オマエ、ウチのボディーガードだろうが!ボディーガードのくせにクロをむざむざ殺されて、その上殺したヤツをかばうたぁどういう了見だ!」
「え、え?」
ウルの言葉に混乱するミケ。
ウルが部屋に入ってきたとき、ベルとセラだけが客として座り、ミケは千秋たちと話していて、千秋がガードだと名乗ったため、一緒にいたミケもガードだと認識されたのだろう。
千秋はああ、と思い到って、ウルに訂正を入れた。
「若旦那、あいつは違う。俺達と話していたが、クロに雇われたガードではない。あの女性と一緒に、屋敷に来たんだ」
「あぁ?!一緒に来た、だと?!」
ウルはますますいきりたった。
「じゃあ、人殺しの仲間じゃねえか!お前ら人殺しの仲間と何話してたんだよ!!」
「だから、違うって言ってるでしょう!落ち着いてくださいって何度言えばわかるんですか!」
再び、お前が落ち着け状態になるミケ。
「彼はオレの友人です。絶対に人殺しなんてする人じゃない!」
ウルを抑えながらクルムもミケをかばって言い募るが、ウルは耳に入らない様子で。
「人殺しはみんな殺してねえっつーんだ!信用できるかっつーんだよ!」
ウルの言葉に、ミケは激しく彼をにらみつけて。
「……じゃあ僕が犯人じゃないことを証明しますっ!」
叩きつけるように、言った。
ウルは鼻白んだ様子で言葉を失い、それから負けじとミケを睨み返した。
「んだと、テメエ……」
レアをかばっているミケとベル、ウルを抑えている千秋とクルムの構図のまま、場はさらに混乱の様相を呈してきていた。
と、そこに。

「……ちょっと、うるさいわよ、ウル」

熱くなった場に冷水をかけるようにして、チャカの声が響いた。
一瞬にして全員が口を閉ざし、声のした方を振り返る。
部屋の入り口に寄りかかるようにして、チャカがそこに立っていた。
傍らにはサツキが姿勢を正して控えている。ユリの姿は見えない。
静かになったことにか、満足そうに笑みを浮かべて、チャカはゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
「気持ちはわかるけど、今は冷静になりなさい」
「でもよ、チャカ!」
なおも言い募ろうとするウルの唇にそっと人差し指を当てるチャカ。
ウルは驚いて言葉を止めた。
チャカは、にぃ、と妖しい笑みを浮かべて、言葉を続ける。
「もしアナタの言うことが本当なら、アナタは何もしなくたって周りが勝手に鉄槌を下してくれるわ。
自分の手を汚すなんて…力を持たないコのすることよ?アナタは、そうじゃないでしょう…?」
彼女を知る者にはぞっとするほどのその言葉に、軽く青ざめる冒険者たち。
しかし、その言葉はウルには己を称える言葉に聞こえたらしかった。
ぱっと勝ち誇ったような笑みを浮かべると、頷く。
「…そう、だよな!へっ、オレが手を下してやるまでもねえか!」
おお、と、なんとなく感心してしまう冒険者たち。
ともあれ、ウルが落ち着きを取り戻したことで、場の空気は一気に熱さを失った。
今更のように、人が一人、ここから落ちて死んだのだ、という事実が、それぞれの肩に重くのしかかる。
「クロ……くそっ、殺されちまうなんて……!」
ウルは改めて、俯いたまま小さく毒づいた。
この中でただ一人彼だけが、物言わぬ骸となったクロの死を心から悼んでいるように見えた。
冒険者たちと…レアも、それを痛ましげに見守る。
チャカはその様子を薄い笑みを浮かべて見渡した。
「あとは、プロに任せましょう」
チャカが唐突にそう言ったことで、部屋にいた全員が彼女の方を見やる。
チャカはそれに応えるように、鷹揚な笑みを作って見せた。
「カレがどんな理由で死んだにしろ……まずは、調べてもらわなくちゃね?」
チャカのそのセリフを待っていたかのように。

「チャカ様、自警団の方々が到着されました」

ユリの高く澄んだ声が響き、全員が表情を引き締めた。

「自警団団長のフレッド・ライキンスです」
そう名乗った男は、堅苦しい仕草で一礼した。
40代後半ほどの、エネルギッシュな雰囲気のある男である。丁寧に整えられた髭がどことなく威厳を醸しだしていて、なるほどいかにも団長ですといった風情だ。
「男性が転落したとの通報を受け、ただいま調査をしております。ご不便をおかけするが、是非とも捜査にご協力いただきたい」
部屋にはウルとチャカ、それにレアを含めた冒険者たち全員が集められていた。
使用人は別室で取調べを受けているようだ。ユリとサツキはそちらにいるらしい。
「以前にご協力頂いた方々もいらっしゃるようですな。お久しぶりです」
フレッドは冒険者たちの方を見て笑みを浮かべると、それに応えるようにしてミケが笑顔を返した。
「お久しぶりです、フレッドさん。お変わりないようで何よりです」
「久しぶりだな。また世話をかけるが、よろしく頼む」
「お久しぶりです。ムーンシャインの事件の時には、お世話になりました」
それに続き、傍らにいた千秋とクルムも挨拶をして。
「なんだ、お前たち自警団に顔が利くの?」
驚いたようにストライクが言うと、ミケは苦笑した。
「顔が利く、というほどのことではありませんが…以前関わった事件で、ちょっと」
「この方々のおかげで、世間を騒がせた怪盗と連続殺人事件が解決の運びとなったのですよ。そのせつはこちらこそ、お世話になりました」
フレッドが嬉しそうにそれを補足する。
他の冒険者たちは一様に感心の表情を見せたが、当の3人は微妙に浮かない顔だ。
なにしろ、その「怪盗」と「連続殺人事件」の張本人が、ここで涼しい顔をして座っているのだから。
詳しくは「月明かりの魔術師」を読ん……いや、あまり読まないで下さいすんません。
「さて、ここにいらっしゃる皆さんに、とりあえず事件当時の状況をお一人ずつ詳しく伺いたいと思うのですが…」
フレッドはそう言って、一同をぐるりと見渡した。
「お一人ずつ順番に事情をお聞きすることになると思います。この人数ですと…おそらく朝までかかってしまうと思われます。お辛いようでしたら休んでいただいて構いませんが、屋敷を出ないようにお願いいたします」
何も断定しないが、とりあえずこの屋敷にいた全員が容疑者なのだと。
そう言っているようなフレッドの言葉に、全員が表情を引き締める。
「その前に。いくつかお伺いしたいことがあります。よろしいでしょうか?」
「いいぜ、何でも訊いてくれよ」
ウルが真面目な表情で、積極的に返事をする。
フレッドはそちらの方を向いた。
「お話では、被害者が落ちた真上の4階のバルコニーに、そちらの…レア・スミルナさんがいらっしゃったということですが……」
「ああ、その通りだ。だから、そいつが犯人だよ。取り調べるまでもねえだろ、早く捕まえてくれよ!」
ウルの言葉に、何人かがきつい視線を彼に向け、何かを言おうと腰を浮かせかける。
が、フレッドは手でそちらを制し、さらにウルに言った。
「それは、お話しを聞いた上で、すべての状況を鑑みてこちらが判断します。今は、質問にお答えいただきたい」
「……何だよ?」
出鼻をくじかれ、不機嫌な様子で、ウル。
フレッドは頷いて、言葉を続けた。
「その、バルコニーのある部屋とは、どのような用途に使用されていた部屋なのでしょうか?」
「……っ」
ウルはその質問に顔色を変えた。
「……それは……」
答え難そうに視線を逸らす。
冒険者がその様子に、不審げに首をかしげる、が。
「ありがと、ウル」
横からかかった声に、全員がそちらを向いた。
ウルの横の椅子にゆったりと座っているチャカは、面白そうに唇の端を歪めて、言葉を続ける。
「アタシをかばってくれるのね?その気持ちは嬉しいわ。
けど、そんなこと、すぐに判るものでしょう?隠すことに意味は無いわ」
「チャカ……」
ウルは複雑そうにチャカを見返した。
チャカはそちらからフレッドに視線を移して。
「あそこは、アタシの部屋よ。この屋敷で一番見晴らしがいいからって、ウルがアタシの部屋にしてくれたの」
「そうですか、わかりました」
フレッドは淡々と頷いて、質問を続けた。
「それから、被害者であるクロノ・スーリヤさんの遺体はこちらの方で調べさせてもらいますが、ひとまず一点だけ質問をさせてください。
被害者が、右手に強く握り締めていたものがあります。こちらなのですが」
フレッドはハンカチに包んだ何かを手に取り、一堂に見えるようぐるりと示して見せた。
「なっ…」
再び、ウルの顔色が変わる。
フレッドの手にあったのは、中心にルビーがあしらわれている、凝った装飾の施された髪飾りだった。先ほど、ストライクが見つけたものである。
「これっ……クロが握ってたのか?!マジでか?!」
「…ええ。ご存知ですか?」
ウルの苛烈な反応に、眉を寄せるフレッド。
ウルは再び言いにくそうに視線を逸らす。
と。
「………アタシのものよ」
チャカがさらりと言い、ウルは再び複雑そうな表情で彼女を見た。
チャカは指で髪の毛を弄びながら、面白そうな表情で続ける。
「ウルにプレゼントしてもらったの。鏡台に置いておいた筈だけど…ないと思ったら、カレが持ってたのね」
「……なるほど。わかりました」
フレッドはやはり淡々と頷くと、再び一同を見渡した。
「では、お一人ずつお話をうかがいたいのですが、よろしいでしょうか。
まずは…レア・スミルナさんから」
「ウチから?」
名前を呼ばれ、嫌そうに眉を潜めるレア。
フレッドは慣れたことなのか、冷静な様子で頷いた。
「型通りの質問をするだけですから。ご協力願えますか」
「え、ええけど…」
不安そうにベルの方を見るレア。
ベルはその瞳をまっすぐに見つめ返して、頷いた。
「安心なさって、レアさん。わたくしはレアさんを信じておりますわ」
「ベルはん……」
「私もです!大丈夫ですよ、レアさん!」
「あなたは何もしていないのですから、堂々としていてください」
続けてセラとミケも言い、レアは泣きそうな笑顔を作った。
「おおきに。ほな、ウチ行ってくるわ」
少し安心した様子で立ち上がり、フレッドの方まで歩く。
フレッドは一礼して、部屋を退出しようとし……
「おい」
イライラした様子のウルの声に呼び止められて、足を止める。
「何か?」
「屋敷から出なければ、どこにいてもいいんだろ?」
「ええ、まあ。順番が来ましたらお呼びしますから」
「なら、オレもうここにいなくてもいいよな?」
ウルは言って、忌々しげに冒険者たちの方を見た。
「人殺しの仲間と一緒の部屋にいたら、何されるかわかんねーし」
刺々しいウルの言葉に、あからさまにむっとするミケと、困ったような表情のセラ。ベルは僅かに眉を寄せ、それでも黙って彼を見返す。
フレッドは嘆息した。
「…構いませんよ。どちらの部屋にいるか、知らせておいてください」
「オレの部屋にいる。場所はメイドにでも聞いてくれよ。行こうぜ、チャカ」
ウルは言うが早いか立ち上がって歩き出した。レアの横を通り抜けざまに厳しい視線を投げ、ちっと舌打ちをして部屋を出て行く。
チャカはゆっくりと立ち上がると、その後を追って部屋を出た。
「じゃあ…チャオ」
楽しそうに手を振って、ぱたんとドアを閉める。
冒険者達はそれを、複雑な表情で見送るのだった。

「どうしてこんなことになってしまったのでしょう……」
ベルは憂い顔で、ふうとため息をついた。
ウェルドで出会ったレアの手伝いで、荷運びに付き合っただけのはずだった。それが、殺人事件に巻き込まれ、当のレアが犯人扱いされるとは。
「…僕は、納得いきません。レアさんが人殺しだなんて…何かの間違いです」
ミケは真剣な表情で言って、千秋たちの方を見た。
「状況はどう見てもレアさんが犯人です。この取調べのあと、レアさんが容疑者として拘束されるでしょう。
でも、僕はそれが真実ではないと思う。
だから、レアさんの無実を証明したいんです。
協力……していただけませんか?」
「協力?」
首を傾げるストライク。
ミケは頷いた。
「ええ。あなた方は、被害者である…ええと、クロノ・スーリヤさんの依頼を受けたんですよね。
僕達はレアさんに連れられて初めてここに来た。だから、被害者のことは何も知りません。
でも逆に、僕達が知っているレアさんのことをお教えすることは出来ます。
あなた方もこの状況に納得が行っていない…自分達の手で調査をしていくつもりなら、協力し合いませんか?」
ミケの申し出に、クロの依頼を受けた冒険者達は顔を見合わせた。
が、すぐにクルムが笑顔で頷く。
「ミケが一緒に調査してくれるなら百人力だ。
オレは、ミケの申し出を受けるべきだと思う」
「ありがとうございます、クルムさん」
好意的なクルムの返事に、嬉しそうに笑顔を返すミケ。
「そうだな、レアの情報をもらえるという点でも有利になるし、ミケの推理力と判断力は捜査においても大きな助けになると思う。
俺も賛成だ」
千秋も同様に頷き、それを見てファリナが笑顔を作った。
「クルムさんも千秋さんもそう仰るのでしたら、きっとミケさんはすごい方なんですね」
ミケのほうを改めて見て、頷く。
「僕も依存はありません。よろしくお願いします」
「俺も問題ないよ。クルムと千秋も評価してるし、自警団とも繋がりがあるなら相当なもんだろ。
よろしく頼むよ」
最後にストライクも綺麗な笑顔を作り、ミケは頷いた。
「ベルさんとセラさんも、それでよろしいですか?」
改めて自分の方を振り返り、ベルとセラに確認するミケ。
ベルは真剣な面持ちで頷いた。
「ええ、もちろんですわ。必ず、レアさんの無実を晴らして見せましょう」
「あっ、あの、私も……その、同じ気持ちです!」
セラは少し落ち着かない様子で、それでも頷いた。
「私にどれだけのことができるかわかりませんけど…が、がんばります!」
何か必要以上にミケに対して構えている様子が気になるが、ミケはそれは気にしないことにして、改めて一同を見渡した。
「では、簡単な自己紹介と……お互いのこれまでの経緯を、話していきましょうか」
そうして、冒険者達はこれまでの経緯をお互いに話し始めた…。

「…なるほど……」
一通りお互いに状況を説明し、冒険者達はうーんと唸った。
「今日ヴィーダに来たばかりのレアがクロを殺すというのは、やっぱりどうも腑に落ちないね」
真剣な表情で、クルム。
「確かに、彼女の取った行動は不審と言われても仕方のないことだと思うけど。
でも、その状況だけで彼女を犯人とするには、決定的な証拠に欠ける」
「ええ…けれど、クロさんが亡くなったのは事実です」
重い表情で、ベルがその後を続ける。
「わたくしはレアさんではないと信じております」
「まぁ…真犯人は、人を殺した後ちんたら上にいて顔を見られたりしないし。突き落としたのなら尚更、内側にいてしかるべきだから顔なんか見られないものですし。暢気に上から覗いているなんてこと、しないと思うんですよね」
ミケはまだ何かがくすぶっているのか、少し投げやりな様子で言って、息をつく。
「レアさんの状況は演技じゃないと思うから、助けようと思ったんです」
「あの……私も」
セラはミケに気を使うようにして、恐る恐る同意した。
「私も、レアさんが犯人だとは思えないです……
か弱い女性のレアさんに、大の大人を突き落とせる腕力があるとは思えないですし。
それにクロさんだって抵抗して、大声を上げて助けを求めるでしょうから、それが同じ建物の中に居た私達に聞こえなかったのは不自然です。
も、もちろんレアさんが実は怪力の持ち主だったり、クロさんは声を上げずに落ちたのかもしれませんけど……」
自分で言ったことを自分で先回りして否定して、また沈み込む。
ベルはゆっくりと頷いた。
「…ええ。レアさんが犯人でないのはわかります。
そしてきっと…チャカさんでもないのでしょうね」
慎重に言葉を選んでいる様子で、ゆっくりと言うベル。
「あの方はわたくしたちと一緒にいましたし…配下だというお話のメイドさん方も一緒でした。
あの状況から、ベランダに回って突き落とすのは不可能です」
「念のため、魔力感知もしてみたんですけどね」
面白くなさそうに嘆息するミケ。
「あのベランダ一帯から、魔力は感知されませんでした。
離れた場所から魔法を打ってクロさんを突き落とされたように見せかける、あるいは精神魔法などを使ってクロさんを操り、落とす…そういった『魔道』を使った痕跡が少しでもあれば、魔道士にはわかるんですよ。それが、誰が使った魔法なのかも。
しかし、ベランダからも、ついでにクロさんご自身からも、魔力は感じませんでした。魔法は、使われていません」
使われていたら楽だったんですけどね、というように、もう一度嘆息して。
ベルは俯いた。
「冒険者を雇った矢先の事ですから、自殺の線もきわめて薄いと思いますし…。
事故というのも不可解ですし。何だか、犯人の色が見えませんね…」
「俺、考えてみたんだけどさ」
ストライクがいつものように、軽い調子で一同を見渡した。
「クロが死んだことは、事故か、自殺か。はたまた、事件か」
真剣な表情で、彼を見つめ返す一同。
ストライクは自分の考えを述べ始めた。
「事故なら、問題ない。いや、問題ないことはないんだろうけど、これ以上拡がりはない。
自殺の場合はどうだ?役者がそろったところで、クロが、混乱を狙って自殺したって線は、考えられるか。
でもそれなら、わざわざ自腹で冒険者は雇わないだろう。それに自殺なら、遺書が見つかるはずだ。自警団の調査結果が出たらわかるね」
その言葉に、セラが僅かに眉を顰めるが、何も言わなかった。
ストライクは続けた。
「事件だったら?これは3パターン考えた。
ひとつは、クロ個人への怨恨。この場合も、犯人の目的は達成しているから、拡がりはないだろう。
もうひとつは、クロ個人ではなく、商会そのものへの怨恨。
この場合はややこしい。そして、この可能性が一番高いと思う…山師の感。ヤマカンだけど」
ははっ、と軽く笑ってみせるストライク。
ひゅうううぅぅぅぅ……
「うわっ、窓の外が吹雪?!」
「セラさん、どうか落ち着いて」
急に外が吹雪、ベルは慌ててセラをなだめた。
「あっ……あの、す、すみません……」
セラは恥ずかしそうに肩を縮め、外の吹雪もすぐに収まった。
「……そんなにサムかったかな……」
ストライクは不満そうに呟いてから、気を取り直して続けた。
「最初にクロを狙ったのは、単純に狙いやすかったのと、一番商会へのダメージが大きいから。大黒柱だったんだろ。
でも、あと三人、ターゲットが残ってる。
そのうちの二人は、先代と当代だ。商会のアタマだもんな。とーぜん!」
ストライクはそこまで言って、肩を竦めた。
「さっきも報告したように、俺はいろんなところで、商会の悪い噂を聞いた。恨みを持っている人間も多い。
そんなのが犯人だったら……あの親子はやはりターゲットとして、外せない」
「…残りの1人、というのは?」
千秋が訊き、ストライクはそちらを向いた。
「残りの一人は、レア。
何せ、犯行現場を目撃している。
この三人は十分マークしておいたほうが良いと思うんだけど」
「マーク、というのは……守る対象として、ということですか?」
用心深くミケが訊くと、ストライクはそちらに顔を向ける。
「……どう受け取ってもらっても構わないけど。どちらにしろ、目を離さない方がいい、と思わない?」
軽い感じでそう答えると、ミケも真剣な表情で頷き返した。
「そう…ですね。ウルさんはこのお屋敷にいるでしょうし、レアさんは…不本意ではありますが、無実を証明するまで自警団に拘束されるのは否めないでしょう」
「ある意味、最高の護衛と監視と言えるな」
ミケの言葉に頷いて、千秋。
「じゃあ、残りは先代か……俺たちで護衛というわけにもいかないしね」
ストライクが嘆息すると、クルムがそれに答えた。
「じゃあ、自警団にお願いしてみようか。先代…カエルスさんのところに何人か行ってもらえるように。
何か合ってからじゃ遅いもんな」
「頼めるかな?俺は残念ながら自警団にコネはないからさ」
やはり軽い調子でそう言って、ストライクはクルムに微笑みかけた。
それから、再び一同を見渡して、続ける。
「事件だったら、の3パターンめ。愉快犯やテロリストの無差別殺人のケース。この場合、俺の手に余るな。自警団に任せよう」
自分でもその可能性は低いと自覚している、というように、冗談めかしてははっと笑って。
「……ぶっちゃけ俺、チャカはあんまり気にしてない。彼女の部屋で事件が起こったことも、あんまり気にしてない。
知らない強み、かな。
チャカって、自ら手を出すことがあるのか?裏で操ってるのかもしれないけど。
どっちかっつーと、何か企んで、それでヒトが右往左往するのを、高みの見物するタイプじゃね?」
その質問は、チャカを知るであろうミケたち3人に向けられたものらしかった。
3人は顔を見合わせ、それから答える。
「…自ら手を下すというのが、自分の手で殺すと言う意味ならば、それはないな」
千秋が慎重に言い、残りの2人も頷く。
「だろ?」
ストライクは自分の読みが当たったことに気を良くした風に、続けた。
「彼女の部屋が犯行現場だってのも『チャカの部屋だ』ってだけで、みんなが動揺するからじゃないか。
犯行しやすい客間を、チャカが陣取っていた。
それだけのような気がする。もちろん、彼女が共犯者だとしたら、トリックとかは仕掛けやすいのかもしれないけど」
「なるほど……」
冒険者達はつぶやいて、また考えに沈みこんだ。
セラはそれを困ったように見渡して、口を開きかけ、やっぱり思い直して閉じ、を繰り返して…そして、ようやく声を出した。
「あ、あの……あの」
何か言いたげにしているセラに全員が視線を向け、ミケが声をかける。
「どうしたんですか、セラさん」
「あっ……」
セラは一瞬びくっと体を震わせて、ミケに怯えたような視線を向け…そして、恐る恐る口を開いた。
「あの…ほ、本当に…自殺じゃない、んでしょうか?」
「…というと?」
ミケが促すと、さらに怯えたように肩を縮め、か細い声で続ける。
「あの…一連の騒動で、私がとくに不思議に感じたのは、『クロさんはチャカさんのお部屋から落ちた』ということです。
クロさんはどんな目的でチャカさんの部屋にいたのか……」
言っているうちに自分の発言に自信が出てきたのか、セラの口調はだんだんしっかりしてきた。
「その点について考えると、ひとつの仮説が立ちました」
「仮説、ですか?」
ベルが言い、そちらに向かって頷く。
「はい。…レアさんとチャカさんを見間違えたという説です」
「見間違えた?」
「はい。チャカさんが自分を突き飛ばしたなら、ウルさんもチャカさんを嫌いになる。
その為に、クロさんは自ら、あのバルコニーから身を投げたのではないでしょうか。
他殺に見せかけた自殺…どこかで聞いたことがありますね」
セラの突拍子もない発言に、冒険者達は絶句し…顔を見合わせる。
セラは続けた。
「冒険者を雇ったのはカモフラージュで、たまたまチャカさんの部屋に入ったレアさんをチャカさんと見間違えて、飛び下りた……」
「カモフラージュ?って、何の?」
やっとのことでストライクが口を挟み、セラはああ、とそちらを向いた。
「もちろん、『自分は自殺などするはずがない』と見せかけるためのカモフラージュです。
チャカさんに自分を殺した罪を着せる気なら、クロさんが自殺であっては都合が悪いでしょう?遺書が出てこないのも不思議じゃないですよ」
かなり自身ありげに言うセラ。冒険者達は微妙な顔を見合わせる。
が、セラは手を組み合わせ、祈るような格好で感情移入を始めた。
「自らの命を絶って主君であるウルさんの目を女性から商会に向けさせようとした、なんて……うぅっ」
ぱらぱら。
窓の外は小雨が降っているようだった。すぐやんだが。
「でも…自分の命を懸けた一世一代の作戦なのに、人を見間違えるなんてクロさんの人物像と何か違うので、私は自分の仮説に疑問を持っています」
最後はそう締めくくって、セラは自説の展開を終了した。
なんともいえない表情で互いに顔を見合わせる一同。
「うーん……そういう考えもあるんだねぇ」
ストライクはどことなく子供を相手にするような表情で、苦笑した。
「でもさ。人違いをするとか言う以前に…ウルの目をチャカから逸らすために自殺、ってのが、俺としてはクロの人物像に合わない気がするなぁ」
「そう…なんですか?」
不思議そうに首を傾げるセラ。
ストライクは苦笑をさらに深めた。
「依頼人の、しかももう故人になった人のことを悪く言いたかないけどさ。
クロの考え、俺が言うのもなんだけど、はっきり言ってユルユルだよ?ウルが女にうつつ抜かしてるのが不味いなら、いっぺん丸裸にして放り出して鍛え上げた方が、チャカを遠ざけるよかよっぽど有用なやり方でしょ?でも、クロはそうしなかった。ウル本人をどうこうするのは本末転倒、なんだってさ。ウル本人は無傷のまま、チャカを排除しろって、あいつ俺にそう言ったんだよ?
そんな、商会第一、ウル第一な奴が、さ。たかだか女から目を逸らさせるためだけに、自分の命を犠牲にするかね?なんだかんだ言ったって、今の商会はクロでもってる、クロがいなくなったらあっという間に商会はガタガタだ。それこそ、ウルを丸裸にして放り出すのと大して変わらないだろ?そんなことは、クロが一番良く知ってたと思うよ?」
「は、はい…そう、なんですね……」
セラはしゅんとして俯いた。
「でも…状況を考えると、自殺の可能性も無くはないですよね?」
そこに、ファリナが真面目な表情で割って入る。
「レアさんは何もしていないと言った。チャカさん達はボク達と居て何も出来ないはず。それなのにクロさんは落ちてきた。他の誰も何もしなかったのならば、クロさんは勝手に落ちたことになります」
「そうですね。それならレアさんの『勝手に落ちた』という言葉も納得できます」
頷いて、ミケ。
ストライクは眉を顰めた。
「でも、何で自殺なんて?」
「そこまでは…分かりませんが。ボク達を雇った時は自殺する雰囲気なんてなかったですよね…」
うーんと唸るファリナ。
「今分かっていることは『事件の時にレアさんはクロさんを追いかけた』という事くらいですから、ボクはこれくらいしか言えませんね」
「……そう、何故そんなことをしたか、なんですよ……」
顎に手を当てて考えながら、ミケが言った。
「どうして、レアさんはクロさんを追いかけたんでしょうね?
何か、彼に用事でもあったんでしょうか?」
「確か…お手洗いに行かれたのでしたよね?」
ベルが言い、頷くミケ。
「ええ。そこで思い出したんです。昼間、レアさんが生き別れのお兄さんの話をしていたのを」
「あっ……もしかして」
思い当たることがある様子でベルが言うと、ミケも真剣な表情で頷いた。
「ええ。クロさん、もしかしたら…レアさんのお兄さんなんじゃないかと思ったんですよ」
「まあ…!」
ミケの仮説に、一同はまた驚いた様子で顔を見合わせる。
ミケは続けた。
「人の家で、場所がわからなくて聞こうとして逃げられても、他に絶対誰かいるだろうから、追いかける必要はないでしょう。だから、関係者…すなわち、お兄さんかな、と思ったんです。
僕には他に、クロさんを追いかけて他人の部屋まで入る理由が思いつかないんで」
ふ、と嘆息して。
「まぁ、運び屋の依頼を受けた理由がお兄さんに会いに来たでも、あのとき僕らに言わなくても良いことだから、言わなかったのかも知れないし。何か関係があったのかな、と。
…チャカさんが何かを仕込むなら、そういうことがあってもおかしくないと思いますし……」
ミケはそう言ってから、きつめに眉を寄せて考え込んだ。
「あとは、カエルスさんです。少し、気になったことがあるんですが……」
言うべきか迷ったという風に、言いよどんで。
「カエルスさんは、基本的になんだかウルさんに対して、親としてちょっと無関心というか冷たい気がするんですよね」
「そうだね、それはちょっと、オレも思ったな」
同意して頷くクルム。
「自分の息子に対してまでも、まるで他人事みたいな感じがして、気になってた。
でも、その割には…なんていうか、クロに対しては、経営を事実上任せたり、依頼を断らなかったり…とても信頼していたんだなって。
クロが亡くなったことを知ったら、どう思うだろう…」
「そう、それなんですよ」
クルムの言葉に、ミケはさらに頷いた。
「関わりたくない、と言っていた割に千秋さんに面会してくれたり。なんとなく、ですけど……クロさんはカウさんにとって特別な存在……」
そこでいったん言葉を切って。ためらいがちに、考えを口にしてみる。
「例えば……息子だったりするんじゃないかな、と思ったんですよね」
「クロさんが、カエルスさんの?」
驚いた様子で、ベル。
「じゃあ、ウルさんとクロさんは兄弟っていうことですか?」
こちらも驚いた様子で、ファリナ。
ミケは自信なさげに嘆息した。
「まぁ、可能性の域ですけど、ちょっと気になって。確かめてみてもいいんじゃないかな、って。
そうしたら、クロさんが殺された理由も…説明がつくような気がしたので」
「なるほど……」
頷いて、千秋。
「しかしまあ、まだ何も判っていないに等しい状態だ。どれも状況証拠に過ぎん。
これからの調査次第…だな」
嘆息して、改めて一同を見渡して。
「俺たちも順々に事情聴取をされるだろうが、その合間を縫って、明日どう調査するかを話し合っていこう」
千秋の言葉に、クルムも頷いた。
「そうだね。これだけ手がいるんだし…オレたちで手分けして調査をすれば、かなり収穫があると思う。
ストライクの雇った探偵は…時間もかかるし、クロが亡くなって…調査料のこともあるし。これ以上はオレたちの手でやった方がいいと思うよ」
「そうだなー。まさかクロが死ぬなんてなー」
ストライクはお手上げといった様子で肩を竦めた。
「がめつそうな探偵だったし、スポンサーが外れたらあっさり仕事放棄しそうだ。了解、できるだけ自分達でがんばろう」
ストライクの言葉に、笑顔で頷くクルム。
そうして、冒険者達は向かい合い、早速明日の捜査方針を相談し始めた。

途中、順番に事情聴取を挟みながら、冒険者たちの相談は、実に明け方まで続くことになったのである。

「一晩に渡るご協力、ありがとうございました」

翌日。
再び応接室に集まった一堂の前で、フレッドは徹夜の疲れも見せぬ様子でそう言った。
冒険者たちもまた、一晩に渡る相談で大なり小なり憔悴の色が見える。
ウルとチャカは聴取の時間以外はゆっくり休んだ様子だったが、ウルはやはりあまりよく眠れなかったのだろう、少しイラついているように見えた。チャカはいつもの様子で、後ろに控えているメイド2人もいつもと変わらぬ様子だ。
レアは聴取が終わった後は別室で休んでいたのだが、こちらもやはりあまりよく眠れたわけではないらしい。昨日はあんなに明るかった表情には翳りがさし、肩を落として俯き加減で座っていた。
「色々な状況を鑑みた結果、レア・スミルナさんに任意でもう少しお話しを聞くことになりました。自警団までご同行いただきたい」
「そんな……」
ベルが悲しげに声を上げる。
他の者たちは納得がいかないまでも、予想通りの結果に複雑な表情をしていて。
フレッドは改めて一同を見回した。
「他の皆さんについては、ひとまずは自由に行動していただいて構いません。ただ、事件が解決するまでは、念のため私達に所在を明らかにしていていただきたいのです。どこに滞在しているか、程度のことで構いません」
「オレとチャカは、ずっとここにいるぜ」
ウルは面倒げにそう言った。
「他のヤツらはどーすんのか知んねぇけど」
「そのことなのだが」
ウルの言葉に、千秋が一歩前に出て彼に向かって言う。
「俺達は、引き続き自警団と協力体制を取って、この件を調査したい」
「はぁ?」
千秋の言葉に片眉を顰めるウル。
千秋はフレッドの方を向いた。
「構わないだろうか、団長殿」
「それはもちろん」
フレッドは少し驚いた様子で、しかし快く頷いた。
「あなた方にご協力いただけるのなら、こちらとしては願ってもないことですが…」
言葉を濁したのは、やはり彼らを雇ったのが被害者であり、被害者の雇い主であるウルに決定権があると判断したためだろう。フレッドは言葉を途切れさせ、ウルのほうを伺っている。
ウルは不機嫌そうな表情のまま、千秋に言った。
「なんだってアンタらがそんなことすんだよ?アンタらを雇ったクロは死んだんだ、依頼はもう終わりだぜ?
安心しろよ、クロが約束した分の報酬は払ってやるからよ」
ウルにしてみれば、クロにボディーガードとして雇われただけの彼らが、雇い主にそこまで忠義を尽くすことなど無いと思ったのだろう。
ストライクは肩を竦めた。
「いや…俺は自分の無実を自分の手で証明したい。だから、引き続きこの屋敷に居させてくれ」
「は?何言ってんの?」
さらに眉を顰めるウル。
「アンタ、別に疑われてねーじゃん?犯人はそこのレアとかいう女なんだろ?」
その言葉に何人かが厳しい表情になるが、ストライクはそちらを目で制して、答えた。
「犯人じゃない、まだ参考人だろ?それに、俺達の所在を把握しとくってことは、完全に疑いが晴れたわけじゃない、ってことだ。この事件が解決するまでは、俺達は容疑者の一人…自警団に動向を把握される生活なんて、正直ぞっとしないんでね。自分の手で解決を早めたいんだよ」
「………」
ウルは胡散臭そうな表情で黙ってストライクの方を見ている。
と、横にいたファリナがぺこりと頭を下げた。
「お願いします、ウラノスさん」
ウルは突然のファリナの礼に驚いたようだった。
ファリナは顔を上げ、真剣な表情でウルを見た。
「ボクはクロさんが死んでしまったこの事件が、なぜ起きたのか知りたいのです。
まだ犯人がレアさんと決まった訳でもありません。誰が、どうして……それをはっきりとさせるべきだと思います。
少なからず関わってしまった事件です、最後まで関わらせてはもらえませんか?」
ファリナの言葉に、ウルの寄った眉が少し緩む。
そこに、クルムも続いた。
「クロさんの死は、レアの犯行による殺人か、それとも事故か。
ガイアデルトは大きな商社だけに敵が多いと、クロさんから聞いていました。
もしかしたら、レアは罪をなすり付けられた被害者で、真犯人が他に居るのかもしれない。
その場合、次に命を狙われるのはウルさんかもしれない。
事件の全容が解明されなければ、安心出来ません。クロさんもきっと、生きていたらそう思うはずです」
「………」
ウルは黙ったままクルムの話を聞いた。
「お願いします、オレを引き続き屋敷の警備として雇ってください。
クロさんが亡くなられた原因の調査をさせてください。
警備として雇われながら、今回の件を防げなかった罪を償わせてください」
自分のため、ではなく。
雇い主のため、クロのため、という言葉が引っかかったのか。
ウルは仕方なさそうに眉を下げ、肩を竦めた。
「……しゃーねーな。依頼料は、クロが約束した分しか払わねーからな。オレ、そういうのよくわかんねーし」
「構いません。ありがとうございます」
クルムとファリナは嬉しそうに頬を緩めて、もう一度礼をした。
と。
その後ろから、ミケがずい、と一歩前に出て、ウルの正面に立つ。
真剣な表情で、ウルをじっと見て。
「…な、なんだよ」
それに気圧されたようにウルが言うと、ミケはやおら頭を下げた。
「昨日は…怒鳴ったりしてすみませんでした」
「っ……」
また昨日のような怒声が来るかと思いきや、一転丁寧な謝罪の言葉に、ウルは狐につままれたような顔をする。
ミケは顔を上げると、真剣な表情のまま、落ち着いた声音で言った。
「でも今も、僕は彼女が犯人だとは思えない。
だから、証明したいと思うので、捜査させて……欲しいんですけれども」
昨日激昂したことを彼も反省しているのか、少しばつの悪そうな表情で。
自分が証明してみせる、と、ガラにもなく大きなことを勢いで言ってしまったばつの悪さもあるのかもしれないが。
すると、それに続くようにして、ベルも前に出る。
「わたくしたちやレアさんをお疑いになる気持ちもわかります。
でもどうか信じて下さい、生まれて初めてヴィーダに来たレアさんがどうして出会ったばかりのクロさんを殺さなければいけないんです?何かの間違いです」
頭ごなしに言うのではなく、切々と訴えるように言われ、ウルもさすがに怒鳴り返すわけにも行かない様子で困惑している。
ベルは続けた。
「どうか……それを証明する為にも、どうぞわたしたちがこの件を調査することをお許しください。
ウルさんのご協力なしには、この事件を解決することは出来ないのです」
「オレの協力だぁ…?」
困惑した表情のままで、ウル。
ベルは頷いた。
「ええ。亡くなったクロさんを一番知るのはあなたです。この屋敷もあなたのものです。
わたくしたちも尽力いたしますが、なによりあなたのお気持ちが無くては捜査もままなりません」
「……けどよー……」
ウルはまだ困惑の表情で、返事を渋っている。
ベルの後ろで、セラが哀れむような表情で手を組んだ。
「まだレアさんが犯人と決まったわけじゃないのにウルさん……、クロさんが死んで気が動転してるんですね。
それだけ亡くなったクロさんが大事な方だったという事なのでしょう…」
ほろり。
セラの瞳から涙が一粒落ちるのに合わせて、窓の外にぱらぱらと小雨が舞う。
が、セラはすぐにその涙をぬぐった。
「けれどお2人ばかりに同情していられません。きちんと調べてみないと。
自白したわけでもない、決定的な証拠も何も挙がってないのに、レアさんが逮捕されるのは見てられません。
もし冤罪だったら、という事を考えると……」
セラは組んだ手にあごを乗せて辛そうに俯いてから、顔を上げてウルに言い募った。
「お願いです、納得できるまで捜査させて下さい」
「……だー、わかったわかった!わかったからその辛気臭い顔辞めろ!」
ウルはヤケになったようにぶんぶんと手を振り回すと、叩きつけるように言った。
「好きにすりゃいいだろ!そのボディーガードのヤツラと知り合いみてーだし、捜査でも何でも勝手にしろよ!」
ウルの言葉に、ベルとセラはぱっと表情を輝かせた。
「ウルさん…!」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに頭を下げる二人に続くようにして、ミケも無言で頭を下げる。
それを複雑そうな表情で見やってから、ウルはちっと舌打ちして踵を返した。
「あームシャクシャする!おいチャカ、行こうぜ!」
一方的にそう言って、ウルはチャカの返事も待たずに部屋を出て行ってしまった。
「あらあら……しょうのない子ね」
チャカは楽しそうにそれを目で追って、ゆっくりと立ち上がる。
妖艶な視線で一同を見渡して、くす、と鼻を鳴らして。
「じゃあ……がんばってね?チャオ」
チャカは一同にそう言い置くと、ウルの後を追って部屋を出て行った。それに付き従うように、2人のメイドも部屋を出る。
ミケはそれを複雑な表情で見送ってから、息をついて、改めてフレッドの方を向いた。
「…そういうわけで、僕たちも捜査に協力したいんですが、いいでしょうか?」
「もちろんですとも。あなた方にご協力いただければ、心強いです」
嬉しそうに破顔するフレッド。
ミケはやっと安心したように微笑むと、冒険者たちの方に向き直った。
「では、皆さん。昨日相談した通りに」
「ああ、判った」
千秋も真剣な表情で頷く。
「みんな、がんばろうな」
穏やかな表情でクルムが言うと、一同は表情を引き締めて頷き合った。

「ミケ」
クルムに呼び止められ、ミケは振り向いた。
屋敷の出入り口まで駆け寄ってきて、ミケのそばで足を止めるクルム。ミケはやわらかく微笑みかけた。
「クルムさん。お疲れ様です」
「自警団に行くのか?」
「ええ。クルムさんはこちらの方でウルさんたちの事情聴取に同行するのですよね」
「ああ。お互い、がんばろうな」
声を掛け合って微笑み合う2人。もうすっかり気心の知れた冒険者仲間という様子で。
「実は…ミケとはそろそろ会える気がしてたんだ」
「え?」
クルムの唐突な告白に、ミケはきょとんとした。
「依頼主から、チャカの名前を聞いた時から。依頼を一緒に受けたわけじゃないけど、どこかでミケと会えるんじゃないか、って」
「ああ……僕もびっくりしましたよ、たまたまお使いに来た先でいきなりリリィさんにドアごと吹っ飛ばされるんですから」
玄関のドアは、もうすっかり直っているようだ。それこそ、彼女にかかれば朝飯前なのかもしれないが。
ミケはどことなく悔しそうな表情でドアを見上げ、クルムはそれを見て苦笑した。
「そうか、さっそくリリィの歓待を受けたか…」
「はは、あの方らしい歓待ですよね……いつか見てろ」
ぼそ。
ドスの効いた声で付け足された呟きはとりあえず聞かなかった振りをした。
クルムは辺りを見回し、誰もいないことを確認して…おもむろに、表情を引き締めてミケに向き直る。
「ミケ。実は…今回チャカと会う事は、事前にある人から聞いていたんだ」
「ある人、ですか?」
やはりきょとんとして、ミケ。
クルムはゆっくり頷いた。
「ああ。ミケも知ってるだろ、『ハーフムーン』のマスター」
「ああ、ええ」
つい先日、何度か通って馴染みになった、喫茶店のことを思い出す。
「あのマスターさんが、チャカさんのことをご存知だったんですか?」
少し意外そうにクルムに訊くが、クルムの口から飛び出たのは想像以上の事実だった。
「彼は…チャカの兄だったんだ」
「えぇぇ?!」
声を上げて驚くミケ。
「そ…本当ですか、それ」
「ああ。彼から告白されて、妹をよろしくって言われて…」
厳密には少し違うのだが、かいつまんで事情を伝えるクルム。
「えー……本当なんですか。いや、少しショックかも…いい人そうに見えたのにな……」
ミケは呆然として、呟くように言った。
しかしそれならば、彼の語った、やたら殺伐とした兄弟の話も頷ける。そして、猫を…一番下の妹に返した、というのは、もしかしたら。
急に色々なことが腑に落ちて、ミケはなるほど、と納得してしまった。
詳しくは「喫茶ハーフムーンへようこそ!」をご参照ください(宣伝)
「近々チャカに会う事になるんじゃないかと思っていたらこの依頼の話が来て、ミケは、偶然この屋敷に現れて…
オレたちは、こういう『縁』なのかもしれないな」
かなり愛の告白に近いこのセリフも、クルムが言うとすんなり耳に届く不思議。
ミケはまだ少し混乱した様子で、それでも気を取り直して頷いた。
「そうですね…そうだと嬉しいな。
教えてくださってありがとうございました、クルムさん。
少なくともこれで、チャカさんが『意図的に』この件に関わっているということが判ったことは、収穫です」
「ああ、気を引き締めていこう。これで終わる保障も、どこにもないから」
「ええ。頑張りましょう、お互いに」
2人は真剣な表情で頷き合って、それぞれの調査場所へと向かうのだった。

「あの。こちらのお屋敷に、クロさんが使っていらしたお部屋があったら、教えていただきたいんですが…」
セラは通りがかったメイドに声をかけ、自分の行き先についてを訊いた。
メイドはやはりこの事件で少し憔悴している様子で、セラの質問に少し眉を寄せると、それでも頷いて答えた。
「理事補佐のお部屋でしたら、こちらをまっすぐ行って突き当たりに執務室と…真上の2階に私室がございますが」
「えっ、私室もあるんですか?」
驚いて問い返すセラに、メイドは無機質に頷いた。
「理事補佐はこのお屋敷で暮らしていらっしゃいました」
「まあ、それは好都合です」
セラは嬉しそうに手を合わせた。
「ということは、クロさんは殆どこの屋敷の中で生活していたんですね。食事もウルさんとご一緒にとられていたんですか?」
「そうされることもありました。お忙しそうでしたから、ごくたまにですけれど」
「そうなんですか…でも、一緒に食事まで取るなんて、まるで家族みたいですね。ふふ、私は家出中の身なので少し羨ましいです」
「はあ……」
あなたのことは別にどうでもいいです、と言いたげなメイドの様子には気づかずに、セラは彼女に丁寧に頭を下げた。
「どうもありがとうございました」
「いえ…ああ、でも今は、執務室も私室も、自警団の方が調べていらっしゃると思いますよ」
「えっ。あ、え、そうですよね……お邪魔にならないようにしなければ…では、失礼します」
もう一度メイドに頭を下げてから、セラは彼女の示した執務室へと足を運んだ。

「フレッドさんが言ってた冒険者の人でしょ?いいよ、一緒に調べてもらって。どうせ大したものはなさそうだし」
入り口にいた自警団員に声をかけると、彼は気さくな様子でそう言った。
なるほど、彼がそういうのも頷ける、この執務室はとても綺麗に整理された、もっと言えば殺風景な部屋だった。
クロのきっちりとした性格がよく伺える、無駄なものの一切無い部屋、と言っていいだろう。この中を調べるのは整理されているだけにそう大変なことではなさそうで、調べている自警団の人間も入り口の彼一人のようだった。
「じゃあ、失礼します」
セラは丁寧に言って部屋の中に入り、まずは中央に置かれた執務机に向かった。
こちらもよく整理されており、書類は『処理済』と『未処理』と書かれた箱に整頓されて収められている。書きかけの書類が机の中央にあり、傍らには羽ペンとインク、文鎮と定規。いかにも仕事の途中でしたといった様子だ。
「ウルさんが調べてもいいと言ったのだから、商会の経営に関する書類も見てもいいです、よ……ね?」
セラは恐る恐る書類を手に取り、パラパラとめくった。
「うっ……」
そして、みるみるうちに眉が寄り、窓の外は雲がかかって暗くなっていった。
「わ、わかりません……」
自分が思ったより専門用語だらけで、何のことかさっぱり分からない。シェリダン、ウェルド、オルミナ、リュウアンなど、自分が知っている都市らしき名前もあるにはあったが、それ以外の言葉は全く理解できなかった。
まあ、巫女として暮らしてきた彼女に、商社の専門的な書類を読むことは難しいだろうが。
セラはため息をついて、書類を元の箱に戻した。
「はぁ…クロさんが以前から命を狙われていなかったか、チャカさんウルさん以外にも悩み事がなかったか、事件に繋がる手がかりを見つけようと思ったのに…これでは、商会関連の悩みがあったとしてもまったく分かりませんね…」
セラは気を取り直して、さらに机を探った。
「ええと…手帳や日記……みたいなものはないでしょうか…」
「無いみたいだよ?」
セラの呟きに、入り口にいた自警団員が答える。
「ここ、仕事部屋みたいだからねえ。あるとしたら私室の方じゃないかな?」
「あ、日記はそうですよね…でも、手帳はお仕事に使う方も多いんじゃ?」
「とりあえず、ここには無かったよ?手帳、使いそうな感じの人なのにねえ」
「そうなんですか…私室を探してみようかな…」
セラは残念そうに眉を寄せ、机に視線を戻す。
「あとは…引き出しですね」
セラは執務机の引き出しに手をかけた。
鍵はついておらず、さしたる抵抗もなしにすっと開く。3段あったが、どれも同様だった。
「鏡と…串と。…男性用コロン?ず、ずいぶんお洒落さんなんですね…」
「ああ、それオレ知ってる」
再び、先程の団員が口を挟んだ。
「コロンつってもそんなに匂いの強いやつじゃなくて、むしろ体臭消し用みたいな感じだよ。スポーツやるヤツとか、肉体労働の人とか、汗をたくさんかく男に好評なんだってさ」
「そうなんですか。じゃあ、身だしなみに厳しい人だったんですね…」
それならば、神経質なクロのイメージとも合致する。セラは納得して、引き出し漁りを続けた。
「こちらは…筆記用具と、ピルケースですね。鉛筆もどれも尖って整頓されて置いてあります。本当に几帳面な方だったんですね…」
2段目の奥と3段目には仕事用のものと思われるファイルが詰まっており、やはりこれも中を見ても良くわからなかった。
セラはため息をついて引き出しを元に戻し、机から離れて部屋の様子を探って回った。
種類ごとに整理され、アルファベット順に並べられた本棚。タイトルを読んでも良くわからない、おそらく経済学か何かの本のようだった。セラは本棚を指先でつついて、横に回りこんでしげしげと眺め、それからその隣にあった額を持ち上げて裏を確認した。
「あんた…なにやってんの?」
訝った団員が半眼で訊ねると、セラは笑顔でそれに答える。
「私は運がいいのか悪いのか、隠されたお宝を見つけるのは得意なんですよー」
「あんた…何しに来たの?」
さらに半眼で尋ねられ、セラはようやく本来の目的を思い出したらしかった。
「はっ。あやうく目的を見失うところでした…」
恥ずかしそうに肩を縮めて、窓から外を眺めてみたりする。
屋敷の奥まった場所にあるこの部屋は、昨日通された応接間のような、見晴らしのいいテラスなどは無い。窓からは丁寧に手入れされた庭が見えるだけだった。

結局、セラはそれ以上何も見つけることは出来ず、表情を曇らせて執務室を出た。
すると。
「あ……!」
廊下の向こうに人を見つけ、セラは目を丸くした。
「あれは……ちゃ、チャカさん……」
ぽ。
機能、お互いの情報を交換して、彼女が魔族だということは知っていた。驚き、恐怖を感じた反面、あの美しさは魔性のものだったからなのだ、と納得したのだった。
警戒しなければならないのは分かっていたが、どうしてもあの美貌を前にすると鼓動が高鳴る自分がいる。ウルがたぶらかされた、と、クロや冒険者たちが称していたのもわかるというものだった。
が。
「あっ……」
チャカの隣にいた女性に、セラの眉が曇る。
背中までの亜麻色の髪にメイド服。
昨日派手なパフォーマンスでミケたちを出迎えた、ユリというメイドだった。
(チャカさんの…部下、なのでしたっけ…)
これも事情を聞いた限りだが、ユリはチャカに人ならぬ力を与えられた配下なのだという。しかし、ミケとの派手なやり取りが相当怖かったのだろうか、同じ魔性の力を持っているはずなのに、セラはチャカと違ってユリのことはあまり好きになれなかった。
チャカにはついフラフラと寄っていってしまいそうになるが、その傍らにはユリがいる。二階に行くには彼らの側を通らねばならなかったが、さてどうしたものか、とセラが逡巡していると。
「じゃあ…頼んだわね、ユリ」
「はい、チャカ様。お任せください」
いつもの口調で言ったチャカに、ユリが嬉しそうに返事を返す。
チャカは鷹揚に微笑んで、ユリの頭を撫でた。
「いい子ね」
そうしてユリの頭を引き寄せたチャカに、セラは目を丸くした。
ユリを引き寄せたチャカは、そのままその唇に口付けたのだ。
(え……えええぇぇ?!)
セラはどうにか声に出さずに盛大に驚いた。
廊下なので見えないが、窓の外では再び雷が落ちている。
ぴしゃーん、という鋭い音に、2人は驚くそぶりもなく顔を離して入り口の方を見やる。
「嫌ね…また雨?」
「やだなー、これからお出かけするのに…」
ユリは眉を顰めて言って、それからまた笑顔でチャカを見た。
「では、チャカ様。行ってまいりますね」
「ええ、いってらっしゃい」
ユリはもう一度チャカに礼をすると、くるりと踵を返した。
セラの方に。
「あっ……」
セラは気まずげにもじもじしたが、ユリはにこりと綺麗に微笑むと、そのままそばの階段を登っていってしまった。
セラが複雑そうな表情でそれを見送っていると、それに気づいたチャカが歩み寄ってくる。
「チャオ。ミケと一緒に来た子よね?」
「あっ……は、はい!」
急に声をかけられて、セラは慌ててチャカを見上げた。
にこり、と微笑みかけられて、早くもぽうっとなってしまうセラ。
「名前を聞かせてもらっても構わない?アタシは…ウルが紹介したわよね?」
「あっ、は、はいぃ!チャカさん、ですよね!あの、わ、私、セラ・アンソニー・ウォンといいます!」
「そう。じゃあ、セラ…ね。良い名前ね」
「あっ、あ、ありがとうございますぅ…」
もはや完全にへろへろのセラ。
チャカはにこりと妖艶に微笑んで…
それから、言った。
「……ユリのことは、嫌い?」
「えっ……」
いきなりド直球で心の中を言い当てられ、セラは再び目を丸くした。
にこり。
綺麗な微笑みに、なんだか突然自分が酷く悪いことをしているような気になって、眉を寄せる。
「あ、あの…も、申し訳ありません…チャカさんの、メイドさんなのに、私……」
「いいのよ、誰にも好き嫌いはあるわ?」
くす。
チャカは楽しそうに鼻を鳴らして、黒髪をかきあげた。
「ウチのユリが……何か、失礼なことをしたかしら?」
「えっ…い、いえ…そういうわけじゃ…あまり、というかぜんぜん、お話もしていませんし…」
「えぇ?」
チャカは珍しく、苦笑のような笑みを見せた。
「一言も話したことないのに、そんなに嫌いなの?…おっかしい」
「で、ですよね……」
セラはしゅんと肩を落として、それでも言い訳のように、小さな声で呟いた。
「で、でも…あの、私、あの喋り方が…あの、どうしても…イライラしてしまって。なんていうか…人をバカにしているように聞こえるんです」
おずおずとチャカを見上げて。
「あの、上手く言えないんですけど…彼女は何か幼少の頃に人を嫌いになるようなトラウマがあるんじゃないでしょうか」
「トラウマ、ねぇ……っふふ」
チャカは楽しそうに笑うだけで、何も答えない。
セラは俯いて、続けた。
「恐らく、話していてもギスギスした感じになるので出来るだけ、傍に寄らないようにしたいんです。それがお互いの為だと思うんです」
「そうね、それがお互いのためだわ?」
「そうですよね!」
セラはチャカの同意が得られたことで、やっと嬉しそうに表情を広げた。
チャカは綺麗な微笑のままで、言葉の続きを紡ぐ。
「アナタの喋り方にも、イライラしている人がもしかしたらいるかもしれないものね?」
「えっ……」
思いがけない言葉の続きに、セラの表情が凍る。
「そういう人は、自然とアナタから離れていくものだわ。それが、アナタがしているように自然なことですものね」
「えっ……でも……私…」
セラはたちまち表情を曇らせた。
面白そうに笑みを深めるチャカ。
「どうして?アタシ、何かおかしいことを言っているかしら?アナタが言ったことを、そのままアナタに対して言ってるだけよ?」
「そっ…私は、そんな…そんなこと口に出したり、しません……」
「でも、アタシが気付くくらいには、態度に出ているわよね?アタシが気付くくらいだから、ユリもきっと気付いたわ?」
「それは……」
涙目になるセラに、チャカは笑みを少し鋭いものに変えた。
「…一言も話したことのない相手を否定するのは良くて、自分を否定されるのは嫌?」
「……っ……」
びくり、とセラの肩が震える。
仲間と話し合う時。仲間の…特に、ユリとのやり取りであれだけ豹変したミケの機嫌を損ねることが怖くて、なかなか意見を言い出せなかった。自分の考えが否定されるのが怖かった。
しかし、自分は一言も話したことすらない相手を、勝手な感想と想像まで交えて全否定している。
わかりやすい矛盾だった。
チャカは、もう一度くすりと鼻を鳴らした。
「……いいのよ?」
「えっ……」
顔を上げるセラに、チャカはにこりと綺麗な笑みを浮かべる。
「自分の痛みには敏感でも、他人の痛みには鈍感……他人にして欲しくないと思うことを、自分は当然のようにやってしまう……
…人間って、そんな生き物だわ?
そんな……醜くて、可愛らしい生き物……それで、いいのよ?何も間違ってなんかいないわ?」
「………」
言葉もなく、チャカの妖艶な微笑を見上げながら。
このひとは、確かに魔族なのだと。
セラは改めて、そう思った。

一方その頃。
千秋はクロの落ちてきたテラスに立ち、バルコニーを見上げていた。
先程少し雷が落ちたようだったが、今は問題も無く晴れている。おそらくまたあのセラという少女が何かしているのだろう。事件当時はショックで降り出した雨で証拠が流れてしまったかもしれないし、なかなかに厄介な能力である。
実際、今この辺りを見回しても何も手がかりは残されていない。自警団ももうこの辺りの調査は終了したようだ。事件当時、ファリナとストライクが調べたという話だし、それで無いというならもうここには何も無いだろう。
「まあ、そうなってしまうものは仕方が無いな…」
千秋は嘆息して、握っていた右手を開いた。
そこには、一筋の髪の毛。
昨日、クロの遺体が運ばれていく前に頼んで1本失敬したのである。
「この術を本当に使うのは、ずいぶん久しぶりだな…」
髪読みの呪。
人の髪に込められた記憶を読む、ナノクニの廃れかけた呪術だ。
ずいぶん前に砂漠を彷徨った一件で使って以来、使おうとはしたが結局使えなかった。こうして本当に、髪を手に入れてそれに込められた記憶を読むのは久しぶりだ。
「とはいえ、死者の記憶だ……適当なところで辞めておかんと、そのショックまで追体験することになる。慎重に…ん?」
千秋は手に握られた髪を見下ろし、ふとあることに気づいた。
「何だ……根元だけ、黒い…?」
クロの髪の毛は短い金髪をきっちりと撫で付けたものだったが、毛根からの僅かな長さだけ、色が違う…ような気がする。本当にほんの僅かなので、気のせいと言われれば気のせいかもしれないのだが。
「…まあいい。始めるか」
千秋は再び髪を握り締めて、目を閉じ、意識を集中した。
閉じたはずの目に、ぼんやりと景色が浮かび上がる。この「髪」が持っている記憶だ。この屋敷の景色。ずいぶんぼんやりとしているのは、久しぶりに術を使うからだろうか。
この景色は、1階の廊下のようだった。執務室の近くのようで、入り口から応接室とちょうど反対側に位置する。
やや離れて正面玄関が、そしてその向こうに応接室の入り口が見えた。割と遠いようだ。
景色は動かない。ここで立ち止まっているのだ。
と、応接室のドアが開いて、中から黒髪の女性が出てきた。ぼんやりとして良くわからないが、おそらくはレアだろう。
すると、唐突に景色が動いた。レアを確認したかしないか。すぐ側にあった階段を上り、上へ上へと上がっていく。
時折後ろをちらりと確認しているようだった。何度か見た景色の中には、景色の隅の方にレアがちらりと見えるものもあった。
なるほど、この状況は、彼が彼女から逃げているように見えるだろう。何故逃げたのか、そして何故レアが追いかけているのかは謎だが。
やがて、クロは4階まで上がると、まっすぐにチャカの部屋へと歩いていった。ためらわずにドアを開け、中に入る。
そのまま、バルコニーまで歩いていくクロ。足取りに迷いは無い。
(……おい、まさか)
千秋は感じ取った景色に驚きを隠せなかった。
バルコニーに出たクロは、踵を返して部屋の方を向く。
入り口には、レアの姿。
それが見えたのも、一瞬のことだった。
(おい……!)
ふわり。
そう表現するのが一番ふさわしかった。
目の前に、綺麗に晴れ渡った空が広がって。
(……しまった!)
思ったときには、もう遅かった。
あまりの展開に、死の間際で読むのを辞めることを忘れていた。

ずしゃ。

そういう音が、聞こえたわけではなかったが。
落下したときの強烈なショックが、髪を伝わって千秋に襲い掛かってくる。
「く……!」
ナノクニの出ということもあり、人より強靭な精神を持ち合わせているつもりだった、が。
さすがに、死のショックをまともに受けるのは堪える。
がくり。
千秋は苦悶の表情で膝をつき、そのまま肩から地面に倒れこんだ。
「……あれ…は……」
薄れ行く意識の中で、千秋は自分に近づいてくる誰かを見た。
地面に倒れこんだ千秋のそばで足を止めるのが見える。
「……メ………」
千秋の意識は、そこで途切れた。

ベルは郊外にある先代の家に辿り着いていた。
決して小さくは無い家だが、本宅と比べるとあまりにも規模が小さく、装飾も簡素なものだ。まずそのことに驚かされる。
ベルは表情を引き締めて、ドアのノッカーを叩いた。
ややあって、きぃ、とドアが開き、中から老人が顔を出す。
「…どなたでいらっしゃいますか」
丁寧なれどどこか突き放すような彼の言葉に、ベルは一呼吸おいて訊ねた。
「すみません、此方はカエルス・ガイアデルト様のお宅で宜しかったでしょうか?」
「そうでございますが…」
ますます不信の色を濃くする執事。
ベルは丁寧に礼をした。
「わたくし、ベルグリット・パーシーと申します。先触れもなく申し訳ありません。されど…昨日の事件のことはもうご存じかと。その事件を調べている者です。……事件の早期解明の為にも、なんとか先代様からお話を伺うことはできないでしょうか?」
「…お伺いしてまいります。少々お待ちを」
執事は淡々と言って、再びパタンと扉を閉めた。
ベルは不安そうな表情で、良い返事が来るよう祈る。
ややあって、再び扉が開いた。
「……お会いになるそうです。どうぞ」
執事の言葉に、ベルはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます…!失礼します」

「はじめまして、わたくしはベルグリット・パーシーと申します」
カエルスの部屋に通され、ベルは改めて丁寧に礼をした。
「今回の事件について調べている者です。今回のこの事件…クロさんに対する怨恨なのか、それとも商会へのものかは存じませんけど。後者の場合ですと御身にも害の及ぶ危険性もありますので、万が一の為にも自警団がこの屋敷も警護することになるかと思います…勝手な判断で申し訳ありませんがご了承ください」
千秋の言っていた通り、ベッドに横たわったままの老人…カエルスは、鋭い青い瞳を無遠慮にベルに向けていた。
ぼそり、と低い声で、告げる。
「……屋根の下で、人と話をするのに、被り物をつけたままか」
「…っ……これは…申し訳ありません」
ベルは外出することもあって、最初に被っていたショールをつけてきていた。人間の前ではあまり取らぬものだが、ここで失礼に当たるのはよくない。謝罪をして、ショールを取る。
現れた美貌と長い耳に、カエルスは少しだけ驚いた様子を見せた。
「…森の耳長か」
「……はい」
耳長、という侮辱めいた響きは気になったが、ベルは極力表情に出さずに頷いた。
「ですが、他の者ほど人間を嫌ってはおりません。この事件を早く解決するため、お話をお聞かせください。
応えるのに憚りの無い範囲でも宜しいですから、出来るだけ詳しくお願いします」
「……構わん。聞いてみろ」
カエルスはもうもとの様子に戻って、低く言う。
ベルは頷いて、昨夜仲間たちと相談した時にまとめた質問事項のメモを見る。
そうして、表情を引き締め、カエルスに訊いた。

「単刀直入にお伺いします…クロさんは貴方の御子息ですか?」

ミケに、カマをかけてくれと頼まれたのだったが…訊いてみてから、これでよかっただろうか、とベルは思う。
ベルの質問に、カエルスは少なからず驚いたようだった。
が、動揺するというよりは、全く想像もしなかったことを訊かれたという様子で。きょとんとしている、と表現するのが適当だろう。
「クロが、儂の息子……か」
カエルスは呟いて、俯き……肩を揺らした。
「カエルスさん…?」
その様子は泣いているようにも見えて、ベルは心配そうに視線を向ける。
が。
「……っふ、はは、はははは」
突如カエルスが上げた笑い声に、ぎょっとする。
呆然としているベルに、カエルスはまだ笑いが収まらぬ様子で、言った。
「クロが、儂の息子、とは……また、面白い冗談を、言うものだ」
けほ、けほ。
病体に爆笑が良くなかったのか、乾いた咳をして。
カエルスの息が落ち着くのを待ってから、ベルは目を閉じて軽く頭を下げた。
「浅慮で失礼を致しました」
「謝罪は要らん。何故そんな結論になったのか、言ってみろ」
「えっ……は、はい……」
ベルは少し困惑した様子で、しかし昨日ミケが言ったことをそのまま言ってみた。
カエルスはしばし黙考し、やがて再び、にぃ、と唇の端をつり上げた。
「クロが、息子……か。それも…面白いかもしれんな…」
可笑しそうに、しかしどこか嘲笑するように、再び肩を揺らして。
ベルはしばらくその様子を不審げに見ていたが、カエルスにそれ以上何も言うつもりがないのを見て取ると、質問を続けることにした。
「では、クロさんの経歴についてお伺いしてよろしいでしょうか」
「…クロの経歴?」
「はい。…そうですね、彼の現在の家族構成と両親の所在とフルネーム。また本人と御両親の出身地。また兄弟姉妹がいたか。この商会に入社するきっかけと入社した時期、それから彼の友好関係についてもご存じの範囲でお願いします」
「知らん」
「は?」
にべも無く言ったカエルスに、ベルは眉を寄せて問い返した。
「何度も言わせるな。知らん。儂が知りたいのは仕事が出来るかどうかだけだ。経歴なぞは人事の仕事だ。家族にも友人にも興味はない」
「はっ……はぁ…あの、では、入社の時期は…」
「儂の側で働くようになるまでのことは知らん。興味もない」
「はあ…あの、それで……いい、のですか?」
「…何がだ?」
「一緒にお仕事をするのに…その、相手のことを知らないで、いいのですか?」
「何度も言わせるな」
カエルスは不機嫌な様子で息をついた。
「儂が知りたいのは、仕事が出来るかどうかだけだ。プライベートになど興味はない」
「そう…ですか……」
「仕事のできるやつなら、どんな過去を背負っていようと構わん。たとえ……」
そこで、言葉を切って。
「…たとえ、儂を殺しに来たヤツだとしてもな」
「えっ……」
ベルはカエルスの過激な言葉に目を丸くしたが、カエルスはそれ以上語る気はないようだった。
ベルは困ったように質問のメモを見下ろした。
「では、クロさんに遺恨のある方について、思い当たる方…というのも……」
「家族も知らんのに、知るわけがなかろう」
「…ですよね…」
嘆息して。
「では…御子息のウルさんとクロさんの仲、また貴方とクロさんは仲が宜しかったのですか?それとも仕事上の付き合いのみなのかしら?」
「儂のことは話した通りだ。ウルのことは知らん」
「そうですか……」
やはりにべもない返事が返ってきて、またこっそりとため息をつく。
「では本邸のほうの内装についても…随分と高価な調度品がそろっていたように思いますけれども、あれは貴方の在宅時のままですか?それともウルさんの代になって模様替えなぞ致しましたか?」
「儂が出て行った後のことなぞ知らん。ウルが模様替えをしたかを何故わしに訊く。ウルにでも訊け」
「そ、そうですよね……では、貴方は高価な調度品をお買いになりましたか?」
「儂が買ったものなぞ無い。会社がそこそこ大きくなれば、見てくれだけのガラクタを手土産に擦り寄ってくる輩なぞいくらでもいる。捨てるのも面倒で置いてあるがな」
「そうですか……」
ベルは嘆息してメモを見下ろし、質問事項が終了したことを確認すると、ゆっくりと頭を下げた。
「有難うございました。ご病床のところ、無理を申し上げてすみません」
カエルスは黙ったまま何も答えない。ベルは内心ため息をつきながらも、部屋を出るために踵を返し…
そして、そこで足を止めた。
「…もう1つだけ、よろしいですか」
「何だ」
淡々としたカエルスの返事に、ベルは顔だけそちらを向けた。
「貴方が手に入れたかったもの…それは何でしょう?」
沈黙が落ちる。
カエルスをまっすぐ見つめるベルに、カエルスはゆっくりと口を開いた。
「……永遠の命……」
「……えっ」
「と、でも言えば満足か?」
カエルスは皮肉げに笑った。
「儂にも1つだけ聞かせろ、耳長」
「……何でしょうか」
ベルは少しだけ反感のこもった瞳で、カエルスを見返した。
「お前が、もし人間を愛してしまったとしたら、どうする?」
「えっ……」
思いもよらぬことを訊かれ、ベルはきょとんとした。
「愛を誓った相手が、お前がさして年を食わぬままに死んでしまう運命だとしたら。
お前は、どうする?」
カエルスの瞳は、ひどく表情がないようにも、そしてひどく真剣なようにも見える。
「…………」
ベルはその問いに答えることも出来ず、ただその青い瞳を見つめ返すのだった。

「昨日のことなんですけど、少しお聞きしていいですか?」
「いいですよ。けど、昨日ほとんど自警団の人に話しちゃったけどな」
一方、ファリナは屋敷の使用人に聞き込みをしていた。
聞き込みをしたのはこれで3人目だ。彼女はメイドの一人であるらしい。黒髪をお下げにした、利発そうな女性だった。
「自警団とは別口で調査してるんです。重複する質問もあると思いますが、お願いします」
「いいけど。それで、何?」
早速敬語を崩す女性。ファリナが年下で気弱そうだからか、あからさまに下に見た様子で。
「ええと…」
しかしそれは気にならないのか、ファリナはメモ帳に目を落とし、質問事項を話し始めた。
「当時のことですが、事件の前に、クロさんやレアさん、他に怪しい人などは見ませんでしたか?」
「怪しい人?なにそれ」
彼女は少し馬鹿にするような笑みを漏らした。
「いえ、お屋敷の中に誰か、関係者以外の見知らぬ人がいなかったかどうか、訊いているんですが」
「いたらソッコーでお引取り願ってるよー。家の中に不審者いたら怖いでしょ?」
「そ、そうですよね…では、クロさんやレアさんは?」
「レアって、犯人でしょ?あの、チャカみたいな感じの子」
「えっ……そ、そう、ですかね?」
犯人はともかく、チャカみたいと言われ、ファリナは戸惑った。
「うん。あたし自警団に連れてかれたの見て、チャカが捕まったんだと思ったもん。肌黒いし、黒くてモッサモサな頭してるでしょ。
ま、ぬか喜びだったけど」
「ぬ、ぬか喜び…?」
「え?だって、ようやくあの女が出てってくれると思ったし。ウル様の愛人だかなんだか知らないけど、ウザいよね。あたしの友達、あいつに追い出されたみたいなもんだし」
「ああ…」
チャカの不興を買ったと誤解されて辞めさせられたメイドがいるという話だった。彼女は、その友達なのだろう。
「それで、レアさんは見なかったんですか?」
「んー、見なかったと思うなあ。見たら覚えてるよ。チャカに似てるもん」
「そう、ですかねえ…」
つかみどころのないチャカと、陽気で親しみやすいレアが似ているとはファリナはとても思えず、首をひねる。確かに、外見だけなら似ていると言えないこともないだろうが。
「では、クロさんは?」
「クロさんは…だって、いつもいるでしょ。見てもあんまり記憶に残らないなあ。見たような気もするし」
「そこを何とか」
「んー………階段で見たような?はっきりとしないけど」
「階段、ですか?それは、どこの?」
「えーと、執務室の近くの。入り口すぐの真ん中の階段と、執務室の近くの北階段と、応接室の近くの南階段があるでしょ。北のほう」
「そうですか。では、応接室とは離れてるんですね…それは、いつくらいのことですか?」
「その割とすぐ後に、雷が落ちて騒ぎになったと思うな」
「なるほど。では、事件の直前ですね…」
メモを取るファリナ。
「それで、クロさんは何をしていましたか?」
「んー、特に何かをしてるようには見えなかったけど。入り口の方を見てたかな?」
「入り口、ですか」
「うん。あたしも仕事があったし、そんな長い間ずっと見てたわけじゃないし、そもそもうろ覚えだけど」
「ありがとうございます、参考になります」
ファリナは丁寧に礼を言ってから、質問を続けた。
「事件のときに、お屋敷に客はいましたか?」
「いたよ?応接室に」
「あ、ああ…それは、知ってます。他には?」
「応接室以外に客はいなかったよ」
「そうですか…では、事件当時やその前後で、何か変わったことはありませんでしたか?自分の仕事内容、物の配置、匂い、雰囲気など…細かい事でも構いません」
「匂い、って」
女性はまた可笑しそうに笑った。
「別に変わったところはなかったなあ。気づいてないだけかもしれないけど」
「そうですか。では、今度はチャカさんのことをお聞きしたいんですが」
「えー」
女性はあからさまに嫌そうな顔をした。苦笑するファリナ。
「まあ、そう言わずに。ええと、チャカさんの部屋は、チャカさんが選んだのですか?あの部屋は以前から客室だったのでしょうか?」
「ウル様が選んだみたいだよ。あの部屋、VIPルームって呼ばれててさ」
「VIPルーム、ですか」
「そうそう。南向きだし最上階だし、見晴らしいいでしょ。スイートだし。何であんな豪華な部屋作ったんだろうねって言ってたんだよ。大旦那様がいらしたころだって、別にあそこに大旦那様がいた訳でもないし」
「大旦那様…カエルスさんのことですね」
「そうそう。あの部屋、大旦那様や、ウル様の部屋より豪華なんだよね。
だから、ものすごく大物のお客様が泊まる時に使われてたわけ。それを、ウル様がチャカの部屋にしちゃった、みたいな感じかな」
「そうなんですね…」
メモを取るファリナ。
「チャカさんの部屋に行くルートにはどのようなものがありますか?」
「ルート?うーん、さっきも言ったけど、階段は3つあるでしょ。北と、中央と、南と。中央は、入り口すぐが2階までの吹き抜けになってるからそれ用にかかってるだけで、2階までしかないけど。北と南は4階まで通しでかかってるからね。あとはしいて言うなら、裏の方に非常階段があるけど…あれは外側を通るから、あんまり誰も使わないよ」
「なるほど…」
ファリナはメモを取りながら、続けた。
「前に、誰かが命を狙われるような事件があったことは?」
「あはは、ここは年に2~3回くらいはナイフ持って突っ込んでくるヤツがいるよ?」
「えぇ?」
彼女の言い草に驚くファリナ。
「ま、あんま表沙汰にはしないけどさ。ここの会社、結構あくどいことやってんでしょ?相当恨み買ってるみたいだしさー、大旦那様がいた頃はもっと多かったよ。ウル様に変わって、やっと少なくなったかな、みたいな」
「た、大変じゃないですか?それって」
「そうだね、だから、使用人もある程度戦えるのをっていうんで選んでたみたいだよ」
「ええっ?!」
さらに驚くファリナ。
「し、使用人さんって、戦えるんですか?!」
「そうだよー、あたしも執専の出だし」
「しっせん?」
「フェアルーフ王立執事養成専門学校。あそこの理念は、お屋敷の雑事というだけでなく、経済学・帝王学・戦闘知識などなど、ありとあらゆる知識と技能を身につけ、全力で主人のサポートをする人材を養成すること。あそこを出た人は、たいていの知識と戦闘技術を身につけてるよ」
「そ、そんな人が何で執事やメイドなんかやってるんでしょう…」
まったくだ。
ファリナは自分の知らない世界があることに驚きながら、情けない表情で自分の執事服を見下ろした。
「じゃあ、ボクなんかがこの服を着てるのは間違いでしょうか…」
「あはは、あんた見るからに戦えなさそうだしね!クロさんも、なんであんたみたいのをガードに雇ったんだろね?」
「あっ、その、ええと、ぼ、ボクはこう見えてもそこそこやるんですよ!」
「へぇ?」
見え見えの大見得を切るファリナと、全く信じていない女性。
「え、ええと!質問、続けますよ!」
ファリナは半ばヤケ気味に、無理やり話題を戻した。
「ええと、話は少し変わりますが、ウラノスさんはどんな人ですか?」
「どんな人って、あんな人よ?」
女性は半笑いで答えた。
「典型的なアホボンよね。あ、あたしがこんなこと言ってたって内緒よ?でもぶっちゃけ、みんなそう思ってると思うよー。抑え役のクロさんも死んじゃったし、いよいよこの会社つぶれそうよね」
「は、はあ…」
否定も同意も出来ず、苦笑するファリナ。
「でもね、根はいいヤツだよ。いろんな意味で、自分に正直だよね。上から目線で決め付けるようなヤツにはものすごい勢いで噛み付くけど、自分が仲間や家族だと思った人のことは徹底的に守るタイプ。敵か味方でしか人を区別しない、みたいな?でもその分、頼られると弱いみたいよ。あたしたち使用人のことも、言いたいことは言うけど大事にしてくれてるみたいでさ。それもみんな、分かってると思うなあ」
「そうなんですか…」
意外な高評価に、少し驚くファリナ。
「では、クロさんはどんな人でしたか?」
「んー、あんまり喋んないし、なんとも。ウル様の世話係、って感じだったなあ。しょっちゅうサボって遊びに出るウル様を引っ張って連れ戻してさ。苦労してそうだったなー。厳しい人だったみたいよ?ウル様よく愚痴ってたもん。でもなんだかんだ言って、ウル様もクロさんの言うことは聞いてた感じだったな。ウル様の中では、クロさんも仲間とか家族のカテゴリだった、みたいな?クロさんの言うことに逆らってみたりしてたのも、結局は甘えなんだと思うよ、あたしは」
「へぇ…」
こちらも意外な話に、少し驚く。
「あとは…ウラノスさんのお母さんって、どんな方でした?」
「ウル様のお母さん?って、大旦那様の奥様だった人?」
「はい、そうです」
「んー、あたしが来た時にはもういなかったからなあ」
「そうですか…どなたか、知ってる方はいませんか?」
「ここにはもういないと思うよ。さっきも言ったけど、ここの使用人って、ある程度戦えないとダメなんだよね」
「ええ、そうでしたね」
「だから、ある程度年齢行っちゃうと、もうここではやっていけなくなっちゃうんだよ。リタイヤして、他の、戦闘技術の要らない家に移るの」
「あっ……なるほど」
合点が行った様子で、ファリナは頷いた。
「では、このお屋敷は、使用人の入れ代わりが結構激しいのですね?」
「そうだね、最初からいるのは、たぶん、今大旦那様のところにいる執事さんくらいじゃないのかなあ」
「ああ……」
千秋から聞いた、カエルスの屋敷にいる執事のことを思い出す。
そちらの方はベルに頼んだから、きっと上手く聞いてくれていることだろう。
「あ、でも、いっこだけ知ってるよ」
「え、何をですか?」
ファリナが聞くと、女性はにやりと笑った。
「大旦那様の奥様ね、メイドだったんだって」
「えっ、本当ですか?!」
「うん。お約束の、お手をつけてデキちゃって、みたいな感じだったらしいよ?それで、メイドから奥様に昇格。
でも、せっかく社長夫人になっても、会社がどんどんきな臭くなって、年に何度もナイフや爆弾もったアホがつっこんでくるんじゃ、思ったのと違う、って思ったのかもねー。ウル様放り出して、雲隠れ。っていう経緯、らしいよ」
「ひゃー……」
自分の世界とあまりにも違って、言葉もないファリナ。
「その、先代の女性関係についてなのですが…、ウラノスさんのお母さんの他にも女性がいませんでしたか?その人との間に、子どもができていたりとか…?」
「さー、あんまり聞かないよ?少なくとも、あたしが勤めてる間にそういう話は聞いたことないなあ。あたしから見ても、大旦那様って女には淡白なタイプみたいだったし。むしろメイドに手をつけて子供できたっていうのが不思議なくらい」
「そうですか…ちなみに、あなたはここに来てどのくらいですか?」
「4年よ。他の人も、大体似たようなモンじゃないかな」
「そうですか…」
ファリナはそこまでメモって、メモ帳を閉じた。
「ありがとうございました。大変参考になりました」
「そう?ならいいけど。あたし達も、クロさん死んじゃってそれなりにショックなのよね。
がんばって、事件解決してね!」
そう言って手を振る女性も、ウルと同じように、言葉はぞんざいだが根は暖かいのだろう。
「はい、がんばります!」
ファリナは笑顔で彼女に手を振り返すと、次の使用人に聞き込むべく足を踏み出した。

「やあ、お買い物だね。野菜が値上がりしてるって聞いたけど、本当?この不景気に大変だよね~」
近くの市場で。
ストライクは、買い物をしていた主婦たちに笑顔で話しかけた。
野菜を手にとって品定めしていた主婦たちは、きょとんとして彼を見やる。
「なあに?あんた」
おおよそこんなところに買い物に来そうもない美丈夫がいきなり話しかけてきたことに、不審そうな目を向ける主婦たち。
が、ストライクは変わらぬ愛想のよい笑顔で彼女たちに言った。
「これは申し遅れました。みなさん、はじめまして♪俺はストライク。この先の、ガイアデルト邸で働き始めた新米さ。よろしく!」
「はぁ……」
不審の表情は変わらないが、とりあえず逃げるところまでは行かないらしい。警戒しつつも、主婦たちは話しを聞く体制を取った。
「ガイアデルトでも、夕飯の値段を気にするようになったみたいでね。俺みたいな駆け出しが下調べをやってるんだ」
ははっ、と軽く笑って、ストライクは頭を掻いた。
「ちょっとした事故もあったみたいだしね、詳しくは知らないけど」
「ああ、今朝新聞に出てたよ。人が落ちて死んだんだって?」
「そうそう、それそれ。身近で人が死んだなんて大事件だろ?けど、俺如きの身分には、何も教えてもらえないってのが、世の常らしくてね。だから、興味本位でちょっと聞きたいんだけど。知ってたら教えてくれないかな」
「あんたが知らないもん、あたしらが知るわけないでしょ」
半笑いで言う女性。ストライクは大仰に首を振った。
「いやいや、事件のことじゃなくってさ。今の当主のウルっているだろ?イケメン君。先代とあんまり顔、似て無くない?俺そう思うんだけど」
カエルスの顔を見たこともないくせに、いけしゃあしゃあと言い放つストライク。
が、主婦たちの反応は芳しくない。
「先代って…なに、あそこ代替わりしたの?」
「知らないわぁ…あんな大きなお屋敷と、ご近所づきあいなんかしないものねえ」
「そうそう、何かしょっちゅういろんな人が出入りしてるし」
「しょっちゅう騒ぎになって、ねえ?人死には今回が初めてだけど、暴漢だの殴りこみだの、よく聞くじゃない?怖くておちおち近づけやしないわよ」
ねー、と仲よさげに同意する主婦達。
ストライクは困ったように頭を掻いた。
「えー、じゃあ今の当主のこと、知らないの?」
「ウルって、あのしたい放題のバカボンボンでしょ?あれが当主になったの?はぁ、あの家ももう終わりねえ」
主婦の一人が大仰にため息をつく。
「おっ。知ってるんだ?ウルのこと」
「そりゃあ、この辺じゃ有名なクソガキだったものぉ。ウチの子も痛い目に合わされたわぁ」
「ウチもウチも」
「へぇ、荒れてたんだ?」
興味津々でストライクが訊くと、主婦は渋い表情をした。
「荒れてた、なんてモンじゃなかったわよ。学校でも街でも、したい放題の暴れ放題。また親も、文句つけてもいくら払えばいいって訊いてくるような毒だったからねえ、この辺の人たちは苦労させられてたわよ」
「女覚えてからは暴れる回数も減ったけど、その代わり二股だの三股だの、取っただの取られただののトラブルが絶えなくてさ。ウチの娘も直接じゃないんだけどね、えらい迷惑こうむったわよ」
「そうだったんだ。それは大変だったねー」
ストライクは同情するように言った。
「お母さんがいないんだよね。何か、ずっと昔にいなくなったとかで。
みなさん、ウルのお母さんのこと、何か知ってる?」
「お母さん?」
主婦達はきょとんとして顔を見合わせた。
ストライクは畳み掛けるように言葉を続ける。
「噂程度で良いんだ。たとえば、名前とか出身とか年齢とか、どう?
そこの美人のおねいさん。顔や姿の特徴とか、今はどこにいるとか、旦那と別れた理由なんか知らない?」
美人のおねいさんと指名された中年女性はまんざらでもなさそうだったが、困ったように首をかしげた。
「えぇ?でも、エレメンタリーの頃からいなかったわよねえ、ママ」
「どうせ他に男作って逃げたとかじゃないの?」
「えっ、あたしは旦那のDVが原因って聞いたけど」
「えぇぇ?地下室に閉じ込められたまま行方不明扱いになったって噂だったわよ」
「あー、そんな噂もあったわねえ」
「年下ホストに貢いで逆上した旦那に殺されて埋められたって聞いたわ、あたし」
「あたしはねぇ……」
噂程度でいいと言ったばかりに、次々ととんでもない噂がついて出てくる。これでは、どれが嘘でどれが本当やら、そもそも本当のことがあるのかどうかすら判らない。
ストライクは情報収集先を主婦にしたことを少し後悔し始めていた。
「あ、ね、ねえ、あのさ」
噂話からさらに関係ない話へと発展しかけていた主婦達を遮って、別のことを訊くことにした。
「じゃあ、昨日この辺で不審者、見なかった?自警団も捜査してるんだろうけど、お屋敷側でも調べろって事になってるらしくて。
何かと物騒な世の中さ。だからこそ、ご近所同士の助け合いが必要だね。
いつもと違うな~みたいな事とか。無かった?どんなちっちゃな事でも」
「不審者?」
話を遮られて少し不快そうに、主婦達は眉を寄せた。
「いるじゃない、今。あたしたちの目の前に」
「え、えぇ?俺?まいったなー」
苦笑するストライクに、主婦達は半笑いで言った。
「だって。人が落ちたってのに、落ちた人でも落とした人でもない、全然関係ないボンボンとそのママのこと聞いて回ってるなんて、おかしいじゃない?」
「うっ」
主婦なのに、なかなかどうして、鋭い。
「そもそも、あんたがあのお屋敷の新人かどうかだって、確かじゃないわけだし」
「この辺で見ない顔なら、誰だって不審者よねえ」
「そんな綺麗な顔して、あのお屋敷で働いて市場で値段の下調べとか。そんなわけないじゃない。嘘ならもうちょっと、上手くつきなさいよ」
「何調べてるんだか知らないけど、下手な嘘つくと余計不審に思われるよ?」
「いやー、まいったなー、あははは」
おばさん軍団から畳み掛けられ、ストライクは乾いた笑いを浮かべながら、年季の違いというものを肌で実感するのだった。

「亡くなっているとはいえ、男の人の部屋に入るのはなんだか緊張しますね…」
気を取り直して、セラはクロの私室に来ていた。
ここにも、自警団の調査が入っているようで。窓の側で、なにやら丁寧に調べている男がいる。
彼に許可を得て、セラもここに入れてもらったのだった。
「まずは…机の調査は基本ですよね」
セラは窓辺に置かれた机に近づくと、その引き出しを開け、丁寧に中を調べ始めた。
やはりよく整頓されている。筆記用具にメモ用紙、インクと羽ペン。
「こちらの引き出しには…あ、またありましたね。男性用のコロンと…櫛と鏡。あ、ここにもピルケース。男の人なのに、お洒落な方だったんですね…」
ごそ。
その引き出しを漁っていると、奥に何やら箱のようなものがある。
「?なんでしょう…」
セラは身長に引き出しの奥に手を入れ、その箱を取り出した。
手のひらより少し大きいくらいの、紙の箱。開けると、その中には…
「…何でしょう、これ?……整髪料と……毛染め剤……?」
パッケージを見る限りでは、髪を脱色して色をつける毛染め剤であるらしかった。色は明るめの金。ちらりとしか見なかったが、クロの髪はちょうどこんな色だったような気がする。
「髪の毛まで染めていらしたんですね…本当に、お洒落な方です」
セラは感心したように言って、また丁寧にその箱を元に戻した。
「こちらの引き出しは……あ、ありました!」
左の引き出しを調べると、綺麗に整理された書類の上に、黒い表紙の手帳があった。
早速取り出して、パラパラとめくってみる。
中は、スケジュール帳のようだった。一週間ごとに区切られ、かなり細かく予定が書き込まれている。
「すごい、几帳面な方ですね…」
予定を書き込み、その予定が遂行されたかどうか、その結果を細かく書いているようだ。やはり専門用語が多くて分からないが。
「ええ…と……あれ?最近のことは、あまり書き込まれてない…んですね…」
ここ1ヶ月くらいは、予定だけが書き込まれて、その他のことは一切書いていない様子だった。
さらにパラパラとめくって、確認してみる。
「このあたり…からでしょうか?1ヶ月半くらい前ですね……あら」
ちょうど、書き込みが止まるすぐ前の欄に、大きく丸で囲っている記述がある。
「ええと……テーベィ…あ、シェリダンの首都ですね…と、ヤマニー……人の名前でしょうか?」
セラはその記述を心のメモ帳に刻み付けると、さらにパラパラとめくった。
「……あれ?あ、ここにも……」
何度か同じページを行ったり来たりしていると、時折、欄の隅に同じ記述があるのを見つけた。
「ハンス…これは明らかに人の名前ですね。えーと……だいたい、ひと月おき、くらいでしょうか…」
ひと月に1回、曜日はバラバラだが、かならず「ハンス」という名前が書かれている。スケジュール帳に書くからには何かの予定なのだろうが、他の記述と違って予定以外の遂行や結果の記述がない。
「これは…なんなんでしょう?」
セラは首をひねりつつも、そのことも心のメモ帳にしっかりと記した。
「このメモ帳は…これくらいですね。日記は……ないみたいです、残念」
話しを聞くのと、これまで机を調べた限りでは、大変几帳面な性格の人物だったようだ。日記をつけそうな感じはしたが…無いということは書いていないのだろう。
「じゃあ、机はこんなところですね」
セラは手帳を丁寧に元に戻して、引き出しを閉じた。
「あとは…ベッドの周りも調べてみましょうか。今回、女性関係が複雑のようですからね」
真剣な表情で、クロのベッドの回りを探る。
「クロさんのものでない髪の毛とか口紅の跡があったりしないでしょうか…」
丹念に、絨毯やシーツを隅々まで調べてみる。
…が、やはり彼はここでも相当几帳面らしかった。クロ以外の髪の毛どころか、クロの髪の毛すら一筋も見つからない。シーツは今ベッドメイクしたんですかというほどに何も乱れは無かった。事件が起こってから、自警団の調査の為に部屋の掃除などはしないようにメイドたちには通達があったので、当時のままの状態のはずだ。まさか毎朝、自分で隅々まで一通りの掃除をしてから仕事に出ているとでも言うのか。
「ゴミ箱……も、何もありませんね……」
掃除をしているとするならば、ゴミ箱の処理もしていくだろう。そういえば、書斎のゴミ箱にもほとんど物が入っていなかったことを思い出す。こまめに処理しているのだろうが、几帳面にもほどがあるというものだ。
「うー……」
セラは結果が出ないことに焦れ、やおらベッドの枕を手にとると、それに顔をつけ、匂いを嗅ぎ始めた。
(な…何か変な匂いです…男の人の匂い、なんでしょうか……)
女性のベッドからは決して香ってこない、男性特有の体臭が鼻につく。男性のベッドになど入ったことの無いセラに、その匂いの原因が分かるはずもなかったが。
かすかに、何かすえたような匂いもした。整髪剤、あるいは毛染め剤の匂いだろうか。こちらも、およそ嗅いだことのない匂いなだけに、何の匂いだかさっぱり分からない。
「あ、あんたなにやってんだ?!」
窓辺にいた自警団員が、ぎょっとしたようにセラのほうを見た。
慌てて顔を上げ、首を振るセラ。
「べ、別にヘンタイではないですから! これは立派な調査活動であって、レアさんの無実を証明して、犯人を捕まえる。正義の為で…」
そこに、外にいた自警団員が部屋を覗き込んで言った。
「おい、なんだか急に暑くなってないか?」
セラは慌ててそちらに向かっても首をぶんぶん振る。
「し、知らない知らない、私じゃないですよ!!!!??」
「はぁ?」
見るからにおかしな挙動でわけのわからないことを言うセラに、自警団員は盛大に眉を寄せた。
セラはあわあわと2人を交互に見てから、真っ赤になって部屋から駆け出していく。
「し、失礼しましたーっ!!」
ものすごい勢いでセラが駆け去って行った後には、呆然とした表情の自警団員が2人取り残されるのだった。

「なるほど。ウェルドで彼女に会って、商品を届けるために、一緒に」
「ええ、そうなんです」
一方、自警団に来たミケは早速フレッドと情報交換をしていた。
「故郷から出て、ガイアデルト商会が発注した商品を届けに来てるって。ヴィーダのことをよく知らないから、案内してくれって言われたんですよ」
「ふむ。ヴィーダの場所も、ガイアデルト商会の場所も知らないのなら、被害者との接点もない。動機も無い、ということになりますな」
「ええ、そうです」
「ただし」
真面目な顔で頷くミケに、フレッドは釘をさすように付け加えた。
「その言葉を額面通りに受け取るとするなら、です」
「…はい、判ってます」
計画的に殺すための演技でないという保障はどこにもないのだ。
ミケは用心深く頷いた。
「その為に、彼女の経歴を…確認して欲しいんですが。後でお話をお伺いしますけど、ご家族の方とか、そのあたりも含めて」
「もちろん、手配しています」
フレッドは頷いた。
「しかし、なにぶんシェリダンから来たということで、ヴィーダで調べるようには簡単に情報が来ないのですよ。
向こうの機関とも協力体制を取ってはいるのですが、どんなに早くても明日になってしまうと」
「まあ、シェリダンは遠いですし、仕方が無いですよね」
ミケは嘆息して、続けた。
「彼女の持っていた荷物については?」
「ああ、そちらの方は確認しました。砂の薔薇、と呼ばれる工芸品で、高値で取引されているようです」
「ガイアデルト商会の発注なんですか?」
「中に入っていた売買契約書の写しによれば、そのようです。受注はシェリダンの首都テーベィにある、ヤマニー工芸という会社ですね」
「ヤマニー工芸……」
「こちらで確認できる記録では、地元での工芸品を広く世界に輸出している会社のようです。被害者の執務室にあった書類と照合してみましたが、発注しているのは間違いないですね。記録によれば、1ヶ月少し前から取引を開始したようで、割と頻繁に取引をしていたようです。
今回の売買契約書には、運び人として彼女の名前も記されていますね」
「そちらの会社の方には…」
「ええ、同様に問い合わせをしています。レア・スミルナに運びの依頼をしたのは、そのヤマニー工芸でしょうから」
「では、そちらも報告待ち、ということですね」
ミケは頷いて、昨夜の相談の時に取ったメモを見た。
「あと……あの現場にはいなかったんですが、もう引退された、商会の先代についてなんですが」
「先代というと、カエルス・ガイアデルト氏ですか?」
「ええ」
ミケは頷いて、フレッドの方を向いた。
「大分カエルスさんは恨みを買っていたようです。クロさんは商会を支える人だったとか。彼が心血注いで大きくした商会は揺らぐでしょう。カエルスさんに強い恨みがあったりするようなら、彼も害そうとするかも知れないので、カエルスさんも警護していただけると安心かな、と思うのですけれど」
「なるほど。それは気づきませんでしたな。早速、何人か向かわせましょう」
「ありがとうございます」
ミケは丁寧に礼を言って、続けた。
「あとは、目撃者がいなかったかどうか…落ちたベランダ側の住人とか、ですね。事件の瞬間の目撃者は、いなかったんでしょうか」
「それは、もちろん調べましたよ。というか、最初に通報があったのが、ベランダから人が落ちた、というものだったんです」
「へえ」
ミケは少し驚いて声を上げた。
「付近の住民からの通報だったんですけどね。その後、ガイアデルト邸から連絡があって、われわれが向かったと言うわけです」
「なるほど、どうりでやけに早いと思いました」
ユリが呼んだにしては対応が早いと思っていたのだ。ミケはなんとなく納得した。
「それで、その方にはもうお話を?」
「ええ、もちろん。
下から見上げる形だったので、ベランダの縁と落ちた人しか見えていなかったようです。他に人がいたようには見えなかったが、いなかったかと言われると自信がない、という角度だったようですよ」
「突き落とされたともそうでないともいえない、ということですか…」
ミケは少し悔しそうに呟いた。
「それから…クロさんの遺体は?」
「こちらに運んで、調べさせていただいています」
「見せていただいても?」
「構いませんよ。行きましょう」
ミケはフレッドに連れられて、クロの遺体のある部屋へと移動した。

クロの遺体は腰ほどの高さの台に載せられ、もう目も閉じて穏やかな顔になっていた。
体にはシーツのような布がかけられている。落下したときは首や足がありえない方向に曲がっていたが、それも直されていて。あちこちにある擦り傷や体の穴から流れ出る血の筋などが無ければ眠っているように見えないことも無い。
ミケはその死に顔を、初めてまじまじと見た。生きている間には会うことのなかった人物。
(なんか、きつそうな顔の……職務命の固そうな人、という印象を受けるな…)
口には出さずに、そんな感想をいだく。
「……あれ?」
ミケはふと気づいて、クロの頭に顔を近づけた。
「…この人…金髪だと思ってましたけど。何かこの辺だけ、黒くないですか?」
「えっ?」
ミケに示され、クロの遺体を調べていたらしき自警団員が驚いてやってくる。
ミケが指差したのは、額の生え際。ごく僅かだが、髪が黒くなっていた。
「…ホントだ。よく見つけましたね」
「…染めていたんでしょうか?」
「じゃ、ないですかねえ。黒髪を金に染めるなんて勇気あるなあ。ほっとくとすぐプリンになっちゃうから、こまめに染め直さないといけないのに」
団員はそう言って嘆息し、金に染められた髪の毛をひと房、指ですくった。
「ああ、やっぱりパサパサですね。相当こまめに、何度も染め直してたと思いますよ。何か金髪にポリシーでもあったんですかね」
「ですかねえ……」
ミケはなんとなく腑に落ちない表情で考え、それからまた団員の方を見た。
「それで、死因は…」
「転落したときの全身打撲で間違いないでしょうね」
「毒とか、他の原因は無いですか?」
「んー、とりあえず打撲傷とかすり傷以外の外傷がほとんどないんですよ。毒を飲んだ時に出る独特の死斑も無いですし。魔法をかけられた痕跡も見当たりません。十中八九、転落死とみて間違いないと思いますよ」
「そうですかー……」
うーん、と唸るミケ。
「他に、何か目立つような特徴はありませんでしたか?今回ついた傷に限定せず、例えば先天的なものと思われる痣とか…」
「んー、綺麗なもんでしたよ?見ます?」
がば。
ミケの返事も待たずに、団員はクロの上にかけられたシーツをめくりあげた。
「わっ」
同じ男とはいえ、いきなりの全裸死体は心の準備が必要だろう。ミケは驚きつつも、打撲傷や骨を折ったときの内出血と思われる傷だらけの体を見た。
確かに、それ以外の目立つ特徴は何も無い。
「あ、ありがとうございます」
少しどぎまぎしながら言うと、団員はあっさりした様子で再びシーツをかけた。
ミケはこそっと息をついて、フレッドの方を向く。
「レアさんの方は……」
「今、女性団員にボディーチェックをさせています。もう少しかかるでしょうから、自由にして下さって良いですよ。話を聞く段になりましたら、お呼びしますから」
「あ、はい。ありがとうございます」
いくらやらなければならないこととはいえ、死体と一緒に窓の無い部屋にいるというのは気が滅入るものだった。ミケは言葉に甘えて、外の空気を吸ってくることにした。

「うーん、いい天気ですねぇ」
聞けば、昨日事件当時に雨が降ったのはあのガイアデルト邸の一角だけらしい。まあ、広範囲に雨やら雷やら呼ばれても困るが、セラの能力が局地的なものだったことに少しほっとする。
「あのまま荷物をメイドに預けて帰っていれば、今頃レアさんをヴィーダ観光に案内していたかもしれないのに…くっ」
返す返すも悔やまれる。
まあ、あのメイドにだけは何かを頼むのも御免蒙りたいところだが。
と。
「!………」
ちらりとでも頭の端に思い浮かべたのがまずかったとでも言うのか、そうなのか。
何の気なしに見回した町並みに、見てはならないものを見て、ミケは戦慄した。
昨日と同じように本能が危機を告げ、見なかったことにするべきだと勝手に体がきびすを返す。
だが。

「あらー、ミケさんじゃないですかー♪」

昨日同様に、能天気にかけられた声がそれを許さなかった。
ミケはしばらく声がした方に背をそむけたまま、無視するべきか追い払うべきかいっそここで死ぬべきかとぐるぐる迷ったが、やがて諦めたようにため息をつくと、振り返った。
「…何であなたがここにいるんですか、リリィさん」
「やだぁ、この姿の時はユリって呼んで下さいよ♪」
メイド服姿の彼女……ユリは、この上なく楽しそうに微笑んだ。
はぁ、とため息をついて。
「…何でここにいるんですか、ユリさん。チャカさんのお世話はいいんですか」
「うふ、そのチャカ様のご命令でお使いなんです。あとはサツキちゃんに任せました」
「……お使い?」
片眉をひそめるミケ。
「チャカさんが、あなたに何のお使いを?」
「うふー」
ユリは楽しそうに笑った。
「聞きたいですか?」
「…そりゃあ、聞きたいですが」
「そっかー、何してもらっちゃおうかなー♪」
「ちょっと。何で僕が何かするのが前提なんです」
「えっ。ひょっとしてミケさん、私がタダで教えるとか思ってます?」
「……思いませんけど」
「つまりは、そういうことです♪渡る世間は鬼ばかり、社会は何でもギブ・アンド・テイク。鬼さんに何かしてもらおうと思ったら、それ相応の犠牲を払ってもらわなければ」
いつかも言ったセリフを言って、可愛らしく微笑む彼女。
その笑顔の下に、鬼よりも怖い何かがいることなど、ミケにはよくわかっていた。
「じゃ、いいです」
「えっ、いいんですか?」
「あなたに借りを作ったら、どんな犠牲を払わされるかわかったもんじゃない」
「そんなーミケさん、つまんないですよ。柘千にファンサービスの余裕が無い今、私たちが頑張らなければ!」
「何ですかそれは。つうか、教える気ないんならとっとと行きなさい」
「んもー、ミケさんそんなつれない態度だからあの細っこい女の子に嫌われちゃうんですよ?」
「細っこい…ああ、セラさんのことですか」
さすがのミケもセラの怯えっぷりは伝わっていたらしい。嘆息して。
「…嫌われるほど喋った覚えはないんですけどねー」
「私なんて一言も喋ってないのにすごい嫌われようですよ!ミケさんのせいなんですからね?今なら間に合いますよ、私たちのラブラブっぷりを見せつけてあげましょう!」
「あなたとの愛とやらを示すくらいなら僕は怖い人のままでいいです」
いつものグダグダなやりとりが延々と続きそうな勢いだったが、ミケは嘆息して追い払うように手を振った。
「もう教えてもらわなくて結構ですから、早く行きなさい。僕だって暇じゃないんです」
「うふふ、もっと構ってあげたいところですけど、私もお使いがあるんで。また今度、ゆっくり遊んであげますねー♪」
「いいから早く行けー!」
ミケのキレ気味の怒声に、ユリはきゃははと楽しそうな笑いを残して去っていった。
ふ、と嘆息するミケ。
チャカがわざわざ彼女を使いに出すなど、何があるというのか。
知りたいのは山々だったが、今はレアに話を聞くのが先決だ。
ユリの去っていった方向を名残惜しげに見やって、ミケは踵を返し、自警団の建物の中へと戻っていった。

「なんだよ、まだ話しなきゃなんねーの?」

クルムは自警団員と一緒にウルの部屋に来ていた。
ウルは面倒そうに言って、座っていた大きな椅子の背もたれに盛大に寄りかかる。
「そう言わずに。事件解決のため、ご協力ください」
自警団員はそういう態度は慣れているのか、笑顔でやんわりと言った。ウルはちっと舌打ちをすると、自分の正面の椅子を示し、面倒げに言う。
「わかったよ。座れよ」
「失礼します」
クルムは一礼して、団員と並んで椅子に座った。
「では、事件周辺のことをもう一度お聞きしたいのですが」
クルムは昨夜の相談で取ったメモを片手に、早速質問を始めた。
「クロさんのことですが、応接間に来る前に、彼とは一緒ではありませんでしたか」
「いや?午後はクロとは一緒にいなかったぜ」
肩を竦めて、ウル。
「メシ食った後、部屋で昼寝してたんだよ。で、客だっつってユリが呼びに来たんで、あそこまで出かけてったんだ」
「ウルさんの部屋、というのは?」
「3階だ。チャカの部屋のちょうど真下辺りだな」
「なるほど」
クルムは頷いて、質問を続けた。
「彼がどこで何をしていたか、報告されていませんでしたか」
「報告?」
「ええ…例えば、『文書室で書類の整理をしてます』とか…」
「知らねーよんなの。執務室にいたんじゃねーの?オレに仕事やってほしきゃ、クロのほうから来るしよ。別に気にしたことねーよ」
「そう…ですか」
クルムは何とも言えない微妙な表情をした。
「では、次の質問ですが……」
「オマエさあ」
クルムの言葉を遮って、ウルは苛々したように言った。
「はい?」
「年、いくつよ?」
「えっ…」
唐突な質問に、クルムはきょとんとしながらも答える。
「14歳ですけど…」
「14ん?」
ウルは盛大に眉を顰めた。
「なら、ガキじゃねえか。ガキならガキらしく、敬語とか使ってんじゃねーよ、気持ち悪ぃな」
「え……」
ウルの言葉に、クルムは目を丸くした。
ウルは不機嫌な表情のまま、続ける。
「タメでいいっつってんだよ。オマエ、仲良いヤツらとかにも敬語で話してんの?」
「いえ、違いますが…でも、ウルさんはクロさんの雇い主ですし…」
「だぁから!ガキのくせにンな余計な気ィ回してんじゃねっつってんの!さん付けもいらねぇよ、ムズムズする!」
「……」
クルムはなおもしばし、驚きの表情でウルを見…やがて、ふっと微笑んだ。
「じゃあ、普通に話させてもらうよ。ありがとう」
「別に礼言われることじゃねーよ。敬語とかオレがウゼーだけだし」
ウルはやっと不機嫌顔を崩すと、またどかっと背もたれに寄りかかった。
「で?続けろよ」
「あ、ああ。ええと……」
再びメモを確認するクルム。
「最近、仕事上で何かトラブルなんかは…」
「あーオレ、仕事のことよくわかんね。知らねーよ」
「……そうか」
クルムは僅かに眉を寄せた。ここまで仕事のことが分からないと、彼の仕事とは一体何だったのだろうと考える。どうやらクロが商会のほとんどを動かしていたというのは間違いではないらしい。
「じゃあ…最近彼に、何か変わった様子とかはなかった?私生活で何かあったとか…」
「アイツ、自分のことあんま喋んねんだよなぁ」
ウルは眉を顰めて、頭を掻いた。
「女がいんのかも、ダチがいんのかもわかんね。全然、そういうの見せないやつだったしさ。
まー、あの性格じゃどっちもいなかったかもしんねーけどさ」
言って、仕方がなさそうに苦笑する。
その表情には、神経質で融通の利かない「家族」を仕方がないと思いつつも受け入れているような、そんな暖かさがあった。
クルムはその様子に微笑を浮かべて、質問を続けた。
「オレたちが雇われたのは、クロがウルのことを心配してたから、だと思うんだ」
「…みてーだな」
ウルは神妙な表情で言った。
「この屋敷は使用人はみんな戦えるヤツらだし、何で今、冒険者なんか雇うんだって思ってたけど。
クロが殺られる、ってことは、アイツなんか勘付いてたんだな。…クソっ」
悔しげに吐き捨てるウルを、痛ましげに見やるクルム。
「…クロは、どういう人だった?」
いたわるように言った質問に、ウルはちらりとクルムのほうを見て、そこから遠くを見るような目をした。
「クロに雇われたんなら、知ってんだろ。あーいうヤツだよ。
オヤジの片腕として、5年前にこの屋敷に来て……仕事だけしてりゃいいのによ、オレのやることなすことにいちいち文句つけてきて……ウゼーったらねえよ。ダチとも手ェ切らせようとするしさ。なんだコイツ、って思ったよ」
不機嫌そうな、そしてどこか切なそうな表情で、故人の思い出を語っていくウル。
「怒鳴っても暴れても、アイツ引こうとしなかった。どころか、何でそれがダメかとか、あのダチとつきあってるとどんな危険があるだとか、懇切丁寧に説教しやがんだ。
それまでは、オレのやることに文句言うヤツなんかいなかったよ。ガキの頃はオヤジが金で解決してたし、そうじゃなくたってちょっと暴れりゃみんなおとなしくなった。
…でもよ。ヘンなもんでさ。クロがそんな風にうるさく言うようになってから、そんな風に周りのヤツラがおとなしくなっても、なんか…なんつーのかな、物足りねーっつーか…思い通りになってんのに、おもしろくねー、みたいな…」
「…空しい?」
「そう、そんなヤツだ。結局、オレの周りのヤツらで、あんな風に正面からオレにぶつかってくるヤツなんて、クロだけだったんだよな。
オヤジが病気んなって引退するって言い出した時だって、オレ別にシャチョーなんてなりたくなかったんだよ。つか、オヤジの跡継いでオヤジと同じになるなんてうんざりだったしよ。
でも、クロが……私がサポートするから頑張れって言うからよ、じゃあ面倒なこと全部オマエにやってもらうっつって……」
はあ。
ウルは肩を落として、辛そうにため息をついた。
「だから、クロだって辞めりゃあよかったんだよ。あんなクソオヤジの、こんなクソ会社、オヤジがいなくなって潰れちまえばよかったんだ。オヤジだって、てめーがいなくなった後の会社なんて興味ないっつってんだろ?
そうしてたら、こんなことになんかならなかったんだよ…クソっ!」
だん。
耐え切れないといったように、椅子の肘掛を拳で打つウル。
クルムと、傍らにいた自警団員は、痛ましげにその様子を見やる。
「あの…私は少し、中座させていただいてよろしいでしょうか」
この状態のウルに色々訊くのははばかられたのか、自警団員は席を立った。
「あっ、はい。お疲れ様です」
「何か判ったら、知らせてください。よろしくお願いします」
団員は短くそう言うと、ウルに会釈をして退室した。
クルムも少し迷ったが、しかしここで聴取を辞めるわけにもいかない。改めてウルに向き直ると、落ち着いた声音で言った。
「話は少し変わるけど……昨日の、レア・スミルナという女性が持っていた荷物のことで」
「レア?ああ…クロを突き落としたヤツか」
すでにそれはウルの中で確定事項になっているらしかった。クルムは少し気になったが、それには触れずに質問を続けた。
「あの荷物の中身は、工芸品だという話だったんだけど。シェリダンの会社から、ガイアデルト商会に宛ててのもので、彼女はその運搬を引き受けた、ということなんだ」
「へぇ」
完全に他人事のウル。
「…宛先が、ガイアデルト商会の、ウルの名前になっていたらしいんだけど…これは、ウルが発注したものなのか?」
「オレが?んなわけねーじゃん」
ウルは半笑いで答えた。
「会社が商品を発注するなら、オレの名前でなきゃやべーんじゃねーの?実際にどこで何を買うのかを考えてたのはクロだよ。オレはただ、クロが持ってきた書類にサインをしてハンコつくだけだ」
「そ、そう…なのか」
面食らった様子で、クルム。
ここまで実質的に業務に関わっていないのに、ウルに理事をさせておく意味があるのだろうか。
「じゃあ…彼女の荷物は、クロが発注したということになるんだね?」
「あの女が本当のことを言ってるんならな」
ウルは皮肉げに言った。
クルムは嘆息して、次の質問に移ろうとメモに目を落とし…そして、少しためらって、その質問を口にした。
「…ウルの、お母さんのことを聞かせて欲しいんだけど」
「……はぁ?」
ウルの眉が目に見えて寄った。
「何で今、ンなこと訊くんだよ?オレの母親のこととか、関係なくね?」
(まあ、そうだよな……)
クルムは胸中でこっそり嘆息した。
(どんな意図で質問するのか、ストライクにもっとよく確認しておくべきだったな…)
この質問の依頼をしたのはストライクなのだが、何故そんなことを、と訊いても、念には念を入れて細かく聞くことにしてるから、としか答えなかった。
おそらくは、クロとウルが兄弟であるか、あるいはレアとウルが兄妹である可能性を考えての質問だろうが、まさかウルにそんなことを言うわけにもいかない。相手を不信がらせ、警戒させてしまう可能性があるなら、前もってそこのフォローも考えておくべきだった、と、今更ながらに後悔する。
しかし、訊いてしまったものは仕方がない。クルムは何とかフォローをひねり出した。
「プライヴェートな情報をネタに、他社から攻撃…っていうことも、考えられるだろ。あらゆる可能性を考えてみたいんだ。
もし話したくなかったら辞めるけど…出来れば、答えて欲しい」
「話したくねえっつーか……知らねーもん」
「え?」
ふてくされたようなウルの言葉に、クルムはきょとんとして問い返した。
「知らない…?」
「知らねーよ。オレがちっせー頃に出てったんだろ?興味もねーし」
「えっ…それは…名前、とかも?」
「知らねっつってんだろ!」
最後は叩きつけるように、ウルは言った。
「そう…なのか……ごめん、悪いこと訊いちゃったな」
「けっ、別にいいよ。そんなもん、慣れてるし」
すまなそうに言うクルムに、ウルは不機嫌そうにそっぽを向く。
クルムは困ったように、メモに目を落とした。
「じゃあ…カエルスさん、のことは…」
その名前が出た瞬間に、ウルはぎっとクルムを睨んだ。
「…興味ねーよ」
「えっ……」
「興味ねーっつってんだよ!あんなヤツ、父親でもなんでもねー!ただのごうつくばりの因業爺だろ!」
思ったより激しい反感の言葉に、クルムは言葉もなく目を丸くした。
「さっきも言っただろ、もともとオレはこんな会社継ぐのはごめんだったんだ。クロが言うから仕方なくやってやったけどよ。
オヤジだってどうせオレに興味なんかねーんだろ、だったらオレも同じだよ!」
ウルは変わらぬ調子で、自らの父親を激しく罵倒する。
千秋から伝え聞いただけで、カエルスがウルに対してどの程度無関心だったかは判らない。しかし、ウルをこんなにも激昂させるような態度であったのだと、クルムは改めて思った。
母親には幼い頃に置き去りにされ、父親は金だけ与えて無視に近い放任をしていた。幼い頃からそんな暮らしをしていた彼の胸中はいかばかりのものだったろう。
その中で、唯一自分に全力でぶち当たってくれたのが、クロだったのだ。実際に血の繋がりがあるかどうかは判らないが、少なくともウルは、クロのことを兄のように思っていたに違いない。
そして…
「わかった。ご両親のことはもう聞かないよ。
じゃあ……気分直しに、チャカのことを聞かせてくれないか」
クルムは神妙な面持ちで、ウルに言った。
そして、だからこそチャカに惹かれたのだろう。
チャカは、相手の心の闇を暴き、そしてそれを全肯定する。心が汚くていいのだと、卑怯で、醜くて、だから人間は可愛らしい面白い生き物だと言う。自分の全てを受け入れてくれる、母の胎内の羊水のような、生温くて安心できる感覚。
幼い頃から実の両親に受け入れられることのなかった彼に、チャカという存在は覿面だったに違いない。クロが、このままずるずると彼女によって堕落させられる、と危機を感じるほどには。
「チャカは、最近になってウルが連れてきた恋人だったんだってね。
馴れ初めを、聞かせてくれないか」
チャカの名に、ウルの表情はかなり緩んだ。
「馴れ初めってなぁ…大したことじゃねえよ。大通りの裏っかわに、いきつけのバーがあんだけどよ。
ダチと大騒ぎしたい気分じゃねえ時は、よくそのバーに行くのよ。んで、いつからか、チャカがそのバーに来るようになったんだ」
「へぇ…」
クルムは用心深く頷いた。
「最初は、イケてるねーちゃんがいるなー、くらいだったけどよ。見れば見るほどいい女だろ?声かけねー手はねえよな。
最初はナンパのつもりで、声かけたわけよ」
「声を…なんて?」
「なんて?」
ウルは眉を寄せた。
「んー…よく覚えてねえけど、ひとり?とかそんなんだったと思うぜ。ナンパのつもりだし」
「そうなんだ…彼女と、どんな話をしたの?」
「どんなってなぁ…飲んでる酒の話から、ダチの話とか…ま、最初はそんなもんだろ」
「そうだね。…彼女の、どこに惹かれた?」
「どこってもなぁー」
ウルはデレっとした表情で語り始めた。
「なんつっても美人だろ。若くて、スタイルも抜群だしな。それになんつーの、他の女にはない…こう…濃厚な雰囲気みてえの?アレにやられちまったんだよなぁ」
そこまで言ってから、ニヤニヤと意地悪げな笑いをクルムに向ける。
「あとはま、その先はガキに話すことじゃねーな」
「えっ……」
クルムはきょとんとして、それからさっと頬を染めた。
ごまかすように、次の質問をする。
「あ、ええっと…あれだけの美人だと、ライバルも多かったんじゃないか?」
「さあなー、あのバーあんま人来ねーから。そこが良くて通ってんだけどよ。少なくともあのバーには、オレたちの邪魔をするようなフトドキ者はいなかったぜ。そとじゃわかんねーけど…ま、チャカがオレのとこに来たんなら、結果オーライだろ」
「この屋敷で住むよう、彼女を誘ったんだろ?何て言って誘ったの?」
「なーんつったっけかなぁ…」
ウルはなおもニヤニヤしながら、思い出すように視線を動かした。
「毎日ここに来るだけの時間も惜しいぜ、ウチに来いよ、最高に贅沢させてやるぜ!とかだったかな」
はははっ、と武勇伝のように語るウルに、苦笑するクルム。
「本当にチャカのことが好きなんだな」
「おおよ。つか、オマエはどうなんだよ?」
「えっ」
いきなり自分に話を振られて、クルムはきょとんとした。
ニヤニヤしながらさらに問うウル。
「好きなコとか、いねーの?冒険者仲間とか、近所のコとかさぁ」
「お、オレのことはいいよ…」
「よくねーよ。人にばっか喋らせといて自分は何もナシかぁ?」
「そ、そんなこと言われても…」
クルムは頬を染めて、そわそわと立ち上がった。
「は、話聞かせてくれてありがとう。じゃあ、オレ、他の人に話聞いてくるよ」
「はいはい、ごくろうさーん」
ウルはまだニヤニヤしながら、クルムに手を振った。
からかわれていると理解しつつも、クルムは急いで部屋を後にするのだった。

「なんだアンタ、また来たのか!」

新聞社を訪れたストライクを、昨日対応した記者は相変わらずエネルギッシュに迎えた。
ストライクは申し訳なさそうに苦笑する。
「どうもこの前はお世話になりました。無事、ガイアデルト商会に就職した、ショット=ストライクです」
「あ?」
眉を顰める記者。
ストライクは肩を竦めて言った。
「…就職したのは良いんだけど、何かいろいろあって、いきなり大変な目に遭ってますよ。記者さんのこの前のアドバイスどおり、止めときゃ良かった。
でもまあ、辞めるにしても、一宿一飯のご恩は返してからでないと」
一息置いて、記者に尋ねる。
「それでお伺いしたことがあって来たんですけど。ウル…ガイアデルト商会の、ウラノス理事のお母さんについて、何か知ってることありません?
たとえば、名前・出身地・年齢とか。今どこに住んでるとか先代と別れた理由とか…。誰か知ってる人を知ってるとか」
そうして、出がけに買ってきたこの新聞社の今日の朝刊をひらひらさせて、続けた。
「あとおまけでもう一つ。昨日のガイアデルト邸の事件で、何か掴んだこと、あります?
もちろん、スクープは言えないんだと思うけど、そこを何とか」
拝むように手を顔の前に出して、ウインクして。
それから、少し何かを考えるように視線を動かした。
「換わりに俺が知ってる情報を出すと……死んだのがクロで、俺も含めてその時に屋敷に居た全員が、自警団の事情聴取を受けたってくらいかなあ。
たいしたモン出ない。引き出し無いな、俺。だからここに来たんだ」
ははっ、と苦笑して。
「自警団は、何か発表してないの?俺もそれ待ちなんだけど。
他の事件と関連してるかもしれないとか、取って置きのネタ、あれば教えて欲しいなー」
立て続けに喋り続け、最後は少し甘えるようにして言ったストライクを、記者はいつものエネルギッシュさはどこへやら、ぽかんとした様子で見つめていた。
「…どうかした?」
眉を顰めて問うストライクに、記者はどこかで見たような半笑いの表情を浮かべる。
「…はは。アンタさあ、ウソはもうちっと上手くついた方がいいよ!」
先程の主婦たちと全く同じことを言われ、内心どきりとするストライク。
「えー、ウソついてるように見える?」
「そりゃーアンタ。つい昨日、就職活動してますって訊きに来て、昨日の今日で就職して、しかも昨日の転落事故に居合わせるとか。
おかしいっしょどう考えても!それに何?!一宿一飯の恩義でなんで、落ちた人と全然関係ない、理事の母親の話とか聞きたがるわけ?ぜんぜん話繋がんないよ?!」
「あー……」
ストライクは乾いた笑いを浮かべた。
だははは、と、こちらも苦笑めいた笑い声を上げる記者。
「そらさー?うちも記者なの隠して潜入取材とか、あるよ?でもさー、もーぉちょっと、身分設定は作り込もうよ?やー、バイトでもアンタ雇わなかったの正解だったわ!はいはい、ライバル会社に教えてあげるネタはないからねー!」
「えーっ、誤解だよ。ライバル会社なんかじゃないって。ホントホント」
ストライクを追い返そうとする記者に、ストライクは困ったように笑ってなだめようとした。
「ハイハイ、最初に嘘ついて寄ってきた奴が何言ってもムダムダ!おっかえりくださーい!」
が、記者はいつものエネルギッシュさで全く取り合わない。
これはおとなしく帰るか、とストライクが嘆息した時。

「どうもすみません、じゃあ、お借りしていきますねー」

突如、部屋の奥から聞こえた声に、ストライクは仰天した。
「返却は1週間以内でお願いしますね。一応、過去のものとはいえ当社の資料なんで」
「ええ、そんなに時間はかからないと思います。ありがとうございました」
奥の部屋から別の記者らしき男性と一緒に出てきたのは、この場にはあまりにも場違いなメイド服姿の女性。
(あれは……ユリ……だったっけ)
声も出さずに驚いて、ストライクは部屋から出てきたユリを凝視した。
ユリは視線に気付いたらしく、ストライクにすいと目をやって、それからにこりと綺麗に微笑みかけ、そのまま出口へと向かう。
手には、紙袋に何か紙束のようなものが入ったものを持っていた。
ユリが新聞社のドアから出て行った後、ストライクはユリの対応をしていた記者に駆け寄った。
「ねえ!今の女、何借りてったの?資料とか言ってたよね」
「ああ…資料といっても、公式記録の写しですけどね?」
記者は何故そんなものを借りていくのか理解できない、という表情で答えた。
「過去50年間の、会社の登記簿の写しです。ヴィーダ市内で設立・倒産した会社の記録みたいなもんですかね」
「登記簿……」
ストライクも、その記者と同じような表情になる。
が。
「おいちょっとー、ソイツライバル会社のヤツなんだから、何も喋っちゃダメだよ!」
後ろから先ほどの記者が声をかけ、ユリと一緒に出てきた記者は驚いて言った。
「えっ、マジですか。なんですか、早く出てってくださいよ」
「え、ちょ、ちょっとー」
言い訳する隙もなく。
ストライクは新聞社からたたき出されてしまうのだった。
「うーん…俺ってそんなに嘘ヘタかなぁ?」

「あの…少々宜しいでしょうか?」
カエルスの部屋から出てきたベルは、別室で控えていた執事に声をかけた。
「私でございますか?」
意外そうな表情でベルを出迎える執事。
ベルは真剣な表情で頷いた。
「はい。今しがた伺ってきた先代様のお話なのですけれども…」
ベルは先代に聞いた話を書き綴ったメモを執事に見せた。
「不足やおかしく思われる所はありませんか?あと、付け足す部分があれば…お伺いしたいのですが」
といっても、カエルスの答えは「クロは自分の息子ではない」「クロの経歴は知らない」「屋敷を模様替えしたかどうかは知らない、調度品はすり寄りのためにもらったもの」「欲しかったものは、永遠の命?」という曖昧すぎるものだったのだが。
執事はメモに一通り目を通し、僅かに苦笑した。
「旦那様はこのようにお答えになったのですか…」
「先代様は余り詮索されるのを好まぬようでしたので…貴方からお話をお伺いしたく思いますが、宜しいでしょうか?」
よろしいでしょうかと訊きつつも、ベルに引く気はなかった。ここで自分ががんばらなければ、レアの進退に関わるのだ。
そんなベルの気迫を感じたのか、執事は少しためらいながらも頷いた。
「…私の、知っていることでよろしければ」
「ありがとうございます…よろしくお願いします」
ベルは安心したように微笑み、再びメモを取った。
「先代様の年齢を教えてください」
「62才になられます」
「ご病気になられたのは何年前ですか」
「4年ほど前です。ご病状が進行し、引退なされたのは2年前、そのときにこちらに私と共に移り住みました」
「ウルさんのお母様についてもお伺いします」
ベルが言うと、執事は僅かに眉を寄せた。
「お母様は現在どちらにいらっしゃいますか?差し支えなければ、フルネーム、年齢、出身地と国籍……それから、離婚したのはいつなのか、それとその原因も教えてください」
「そうですな……」
執事は苦い顔で、しかし何かを思い出すように視線を動かした。
「初めてお屋敷に来た頃は、ネクス・リュビアと名乗っておりました。結婚して、ネクス・ガイアデルトとなりましたが…年齢は…結婚当時は、二十歳そこそこであったと思います。フェアルーフ国籍、ヴィーダ出身でした。
離婚したのは……離婚と言いますか、失踪してしまったのです。今から23年前…ウル様が3歳のときでした。
原因は…判りません。ある日突然、『もうここにはいられない』と言って屋敷を飛び出し…そして、帰ってきませんでした」
「ここには…いられない?何故でしょう?」
ベルが尋ねると、執事は渋い顔をした。
「直接原因を聞いたわけではないので、確かなことは申し上げられませんが…ちょうど当時から、お屋敷の方に不穏な輩が侵入してくるようになりまして…」
「不穏な輩?」
「あまり申し上げたくはありませんが…旦那様はかなり強引な経営をしていらして、恨みを買うことも多々あったようです。会社を潰され、人生を狂わされた方々も少なくはないとか。そういった方々が、頻繁にお屋敷を襲うようになっていたのです」
「まあ……」
ベルは眉を寄せて不快をあらわにした。
「あのような輩にいつ何時命を狙われるか知れぬ生活では、いくらお金があったところで…と思ったのかもしれません。その頃から、使用人に戦闘技術のあるものたちを多く雇い入れるようになりましたが…精神的に参ってしまうのは、普通の人間ならば仕方のないことです」
「そうですか……その時、先代様は…?」
「好きにさせておけ、と…行き先を調べることもなさいませんでした。ですから、今どこにいるのかもわかりません」
「そうですか…となると、離婚後に連絡を取っていらっしゃるような様子は…」
「ありませんでしたな」
「先代様でなくとも、ウルさんと奥様が連絡をとっていらっしゃるような事はありませんでしたか?」
「ウル様は、おそらくネクスの顔を覚えていらっしゃらないでしょう。ご自分を置き去りにした母親ということで、憎しみすら感じていらっしゃるようでしたよ」
「そう…ですよね……」
ベルは表情を曇らせて、聞いたことをメモした。
「…貴方から見て、先代様と奥様はどのような方でしたか?印象と、できれば奥様の外見の特徴も教えて下さい」
「旦那様の外見の特徴…とは、お若い頃の、でございますか?」
「ええ、そうです」
「そうですな…金の髪に青い瞳の、今で言うならイケメン、といったところでございました。しかし、人と接するのが苦手でいらして…貴女様にお話されたご様子と、お若い頃もそうお変わりでないと思います」
「そう…なのですか……」
「ネクスの方は…確か、栗毛に茶色の瞳であったように記憶しています。髪は短く刈っていました。大人しく、常に周りの様子をうかがうようなところのあった娘でした」
「…少し、よろしいですか」
「はい?」
ベルは少し眉を寄せて、執事に訊いた。
「先程から、奥様に対する言葉遣いが先代様へのそれとかなり違うのですけれども。お二人がご結婚される前から、奥様と貴方に何かしかのご縁があったのですか?」
「ああ…申し訳ございません。ネクスは、当時お屋敷に雇われていた、メイドだったのですよ」
「メイド……!」
ベルは目を丸くした。
「私は旦那様がネクスと親しくしていたことなど全く知らなかったので、ある日突然、ネクスを妊娠させた、責任を取ると言って結婚を決められたことに驚きました。ご結婚されてからも、旦那様はネクスに対してあまり親しげに接することはなかった…というか、傍から見てあのお二人が結婚しているなどとは到底信じられなかったでしょう。それほど、旦那様はネクスに対して、結婚前・結婚後共に無関心なように、私には見えました」
「そう…だったのですか……」
ベルはため息をついて、メモを続けた。
「では…クロさんにどのような印象をもっていますか?」
「クロ様、ですか」
執事はこの質問には少し考え込んだ。
「よくお仕事のお出来になる方のようでしたね。旦那様も信頼されていたように思います。
お仕事の面だけでなく、ウル様の素行についても気を使ってくださって…あの方がお屋敷に来るようになってから、ウル様の表情が明るくなったような気がいたします」
「そうですか…」
ベルは、それに対しては少し嬉しそうに表情を緩めた。
「彼に遺恨のある人物について思い当たりは?」
「さあ…お仕事に関係することは私にはわかりかねますし…クロ様とプライベートの話をすることもまったくありませんでしたから…」
「そうですか…」
ベルは表情を曇らせてメモに目を落とし、続く質問に表情を引き締めた。
「先代の奥様、または先代に他にお子様がいらっしゃったということはありませんか?」
「他に…お子様、ですか?」
きょとん、とする執事。
「さあ…そのようなお話は聞いておりませんが。ネクスも当時は二十歳そこそこで、それまでに子供を作るのは年齢的に難しいでしょう」
「そうですか……」
ベルは少しためらって、それから、やはり質問を口にした。
「クロさんが…先代様の息子、ということは…ありませんか?」
「クロ様が?」
執事はやはり、きょとんとして言葉を繰り返した。
「いえ……そのようなお話は…。旦那様もクロ様と特別、仕事以外のお話しはされていなかったように思いますし……クロ様も、旦那様同様…その、あまり人と親しげに接することのないお方でしたから、そのような様子は見えませんでしたよ?」
「そう…なのですか?」
「まあ、もっとも……」
執事は少し悲しげに嘆息した。
「息子であるウル様に対してもあのような態度でいらっしゃるのなら…あれが、旦那様の息子に対する態度である、と言われても不思議はありませんが…」
「…ウルさんとの親子関係は…」
「…とても、親子とは呼べませんでしたな……ウル様が何をされても、旦那様はウル様に対して、ネクス同様、無関心でいらっしゃいました。
そのこともあってか、ウル様はあちこちで粗暴な振る舞いをされるようになり……今思えば、旦那様に目を向けてほしいというウル様の気持ちがあのようなことをさせたのでしょうが…しかしそれに対しても、旦那様はことごとくをお金で解決され、ウル様を叱ることも、また取り立てて保護されるようなこともなさいませんでした。執事の私が申し上げるのは僭越なことと存じておりますが…あれは、あまりにもウル様がお可哀想であったと…」
「……そうですね……」
ベルは息をついて、メモに目を落とした。
「最後にひとつ…よろしいですか?」
「はい、何でございましょう?」
「先程お見せしたものの中に…先代様の欲しかったものとは、永遠の命である…と書いたのですけれども。
これは、先代様がお答えをはぐらかしていらっしゃるのでしょうか?なにか…そのようなお話を、先代様がされていたことはありませんか?」
「欲しいもの…でございますか。さあ……私には……」
執事は眉を寄せて考え込み、そして不意に顔を上げた。
「あ……」
「何か、思いつかれましたか?」
「あ、いえ…確かなことでは…というか、私と旦那様のお付き合いは、そもそも、あのお屋敷が出来てからのことなのです」
「まあ…そうでしょうね」
「あのお屋敷は、旦那様が興された会社が大きくなってきた矢先に建てられたもので、私はその時に雇われました。
その時に…ただ一度だけ、いらしたことがあるのです。あの女性が」
「あの…女性?」
眉を寄せるベル。
「はい。お屋敷の最上階にある、南向きのスイートルームに、旦那様がお連れになりました」
「南向きの…スイートルーム」
言うまでもなく、クロが転落した、チャカの部屋だ。
ベルは表情を引き締めた。
「お前のために作った部屋だ、と、旦那様はそのように仰っていたと思います。その時は私もお屋敷に来たばかりで、旦那様のことも全く何も知りませんでしたから、この女性は奥様か、いずれ奥様になる予定の方なのであろう、と勝手に思ったのですが…結局その女性は、一晩お泊りになっただけで、その後二度とお屋敷に現れることはありませんでした」
「それは、どのくらい前のことですか」
「お屋敷が出来た頃でございますから…30年以上前のことであったと思います。なにぶん年でして、正確な数字は自信がないのですが」
「その…その女性の、お名前は」
「それが…ご紹介されることもなければ、旦那様がその女性のお名前を呼ばれるのをお聞きすることもなかったので、私にはわからないのです。
が……先程の、旦那様に他にお子様が、というお話……あるいは、あの女性であれば…と。
お人嫌いであられた旦那様の、あのような表情は…あの初めての日以来、一度も拝見しませんでしたから。
旦那様が欲しいとお思いになられるものがあるとするならば……それ以外、私には考え付きません」
「お名前は、わからないのですね……どのような方でしたか?何か、特徴を覚えていらっしゃいませんか?」
「長い黒髪と……褐色の肌をした、美しい方でした。それ以外は、申し訳ありませんが……」
「長い黒髪と……褐色の肌」
ベルは執事の言葉をゆっくりと繰り返した。
「ありがとうございます……ありがとうございます!大変、参考になりました」
「このようなことでよろしかったでしょうか…」
「ええ、大変助かりました。早く事件が解明できるように此方も尽力いたします」
ベルは丁寧にそう言って礼をすると、カエルスの屋敷を後にするのだった。

「え……っと…あそこ、ですね……」
一方、セラは屋敷の庭に出て、事件現場に再びやってきていた。
ファリナに言われ、クロが落ちたバルコニーをもう一度確認するためだ。
クロが落ちたバルコニーは4階にあり、ここから見ても大きくせり出して見えた。
「でも…2階にも3階にも、同じようなベランダが…ないことは、ないですね」
頷きながら、セラ。
確かに、2階も3階も同じような構造のベランダが作られている。
「でも、4階のものが一番豪華みたい…一回り大きいです」
言葉の通り、2階・3階のベランダより4階のバルコニーの方が一回り大きくせり出しているように見えた。
「よし、ファリナさんに報告しておきましょう」
セラはうんうん頷きながら心のメモ帳に屋敷の造りを刻み込んだ。
「さ、これで私が調べることは全部……あら?」
そして、ふと屋敷の方に目をやると、見覚えのある顔が見える。
「あれは……千秋さん。でもお隣にいるのって、確か……」
そこから見える応接室に、千秋がいたのだ。
しかし、千秋の隣に見えるあの女性は……

「ん……」
それより少しだけ前。
千秋はようやく意識を取り戻し、目を開けた。
「お目覚めでございますか?」
横から声がして、そちらを見る。
そこにいたのは。
「あんたは……メイ」
千秋は驚いて体を起こした。
どうやら、ここは先程のテラスのそばにあった応接室…昨日ウルと対面したあの部屋であるらしい。千秋はソファに寝かされていたようだった。
「今は、サツキ、とお呼びくださいませ」
彼女…サツキはそう言って、にこりと薄い笑みを浮かべた。
出会った頃と何も変わらない、心の中の見えない笑み。
「わかった…サツキ。ひょっとして、あんたがここまで?」
「テラスでお倒れになられていたので、ここまでお運び申し上げました。先程少し雷も鳴っておりましたし、昨日のように突然雨が降ってくるかもしれませんでしたから」
「そうか……何というか、すまなかったな」
彼女に謝るのも礼を言うのもなんとなく気が引けたが、倒れたところを介抱してもらったのは事実だ。千秋は複雑そうに礼を言った。
「お気になさらぬよう。本日は自警団の方もたくさんいらして、お仕事どころではございませんから」
「そうだな…勝手に掃除もできんだろうな」
体を起こそうとして、頭がズキンと痛む。
そこで千秋はようやく、自分がどうして倒れたのかを思い出した。
「そうか、髪読みで……」
手のひらには、まだクロの髪の毛が残っていた。
彼の死の直前の記憶が読み取れたのはよかったが、それに続く死のショックをまともに受けてしまった。
「ここ最近の記憶も読みたかったが、この分だと無理そうだな…」
今日これ以上やるのは神経への負担が大きすぎるだろう。もともと、この術自体さほど熟練しているわけでもない。
千秋はクロの髪を元のように紙に包むと、袂へと戻した。
「お目覚めになられたようですので、わたくしはこれで」
「あ、待ってくれ、サツキ」
退出しようと礼をしたサツキを、千秋は呼び止めた。
「何でございましょう?」
「チャカの部屋を調べたいのだが…今、中にチャカはいるのか?」
「いえ。事故の現場となっておりますので、自警団の方々が出入りを禁じられております。
チャカ様は別の客間で、今クルム様がお話をお聞きになっておられますわ」
「そうか……しかし、チャカのものを漁ることになるかもしれん。念のため、ついてきて欲しいのだが」
千秋の申し出は、サツキにとって少し意外なものであったらしい。
一瞬きょとんとしたが、すぐにまた薄い笑みを浮かべると、頷いた。
「承知いたしましたわ。ご案内いたします。どうぞ」
サツキに促され、千秋はチャカの部屋へと向かうのだった。

「あまり、私物らしきものはないな」
チャカの部屋を見渡して、千秋は言った。
「身一つで来るよう、ウル様が仰ったそうですわ。必要なものは全部揃えさせるから、と」
サツキはその後ろで、薄い笑みを浮かべながら言う。
「前の時と違う服装だとは思ったが…若旦那が買ったのか」
「ええ、すべて。ここにチャカ様のものはないと思われますわ」
「そうなのか…」
と、言いつつもクローゼットや引き出しを開けて確認する千秋。
なるほど、中にたいした物は入っていない。きらびやかな服や化粧品、貴金属。しかしどれも身につけている様子はない。ウルが買ってきたものをそのまま放置しているのだろうか。
サツキはごそごそと漁っている千秋の後ろで、やはり薄い笑みを浮かべてその様子を見守っている。
千秋はその様子を横目でちらりと見た。
出会った頃と変わらぬ、心の中の見えない薄い笑み。アルカイック・スマイルと呼ばれるその笑みの下に、炎のような激しい気性が潜んでいることを、千秋は身をもってよく知っていた。
「いつぞやは……」
千秋は室内をごそごそと漁りながら、後ろにいるサツキに聞こえるように言った。
「まあ、色々言い合ったが……」
それが、以前の事件で敵として対峙した時のことだと察し、サツキは薄く微笑んだまま言った。
「色々と…仰っただけでなく、平手打ちも下さいましたわね。あれは、もうご勘弁いただきたいものですわ」
「あれは…まあ、二度とやらんよ、俺も」
少しげっそりして、千秋。
平手打ちをしたあとの、メイの本性を思い出す。
『口で奇麗事並べんのは簡単なんだよ。じゃあお前にどれだけのことができるっつーんだよ?自分にも出来ねえことを、他人に押し付けてんじゃねえよ!反吐が出るんだよ!』
今の様子からは想像できないような口調で罵られ、おまけにヤクザキックまで喰らった。あんな目に遭うのは御免被りたい。
「しかし…あんたにあれだけ言っておいて、結局今は俺もあんたとあまり変わらない立場にいるというのは…何というか、妙な因果だな」
「同じような…立場、ですか?」
サツキが言葉を繰り返すと、千秋は立ち上がってそちらを向いた。
「俺も今、一般的には魔性のものに属する奴の下で動いている。悪事を働いているわけではないが…まあ、ギリギリのことくらいはしているかもしれんな」
一度、盗みに入らされそうになったことを思い出して。
すると、サツキはまた薄く微笑んだ。
「何か、変えることはできまして?ご自分の、力で」
あのときに言ったのと同じことを、言う。
千秋は自嘲するように笑った。
「…どうだろうな。彼女の遺恨を晴らすことは出来た…が、それも俺の力ではない…
よりによって彼女を殺したなどという不名誉な烙印も雪ぐことが出来、故郷に帰ることもできるようになったが…結局俺は、俺の力ではまだ何も成しえていないのかもしれんな…」
ふ、と息をついて。
「まあ、その恩もあって、今、その魔性の下で動いているわけだがな……」
サツキは、少しだけ深く笑みを作った。
「その御方を……愛していらっしゃるのですね」
「なに?」
眉を寄せる千秋。
サツキは今度は、にこりと綺麗な笑みを作った。
「千秋様は先程、わたくしと同じだと仰いました。わたくしはチャカ様をお慕い申し上げておりますから…千秋様も、同じかと」
「待て、何故そうなる」
「千秋様の汚名を雪ぎ、故郷へと戻れるようにして下さったその方を…愛してしまわれたのでしょう?
とてもよく気持ちは判りますわ。わたくしも、人の醜さを気付かせてくださったチャカ様を…とても愛しておりますから」
「いや、だから待て。気になるフレーズはてんこ盛りだが、まずその誤解を訂正させてくれ」
「恥ずかしがることはございませんわ。ナノクニの方は皆様奥ゆかしくていらっしゃるのですね」
「む。あんた、ナノクニの生まれではなかったのか」
「あら、ミケ様やクルム様からお聞きになっていらっしゃらないのです?わたくしは、お隣はリュウアンの生まれでございますわ」
「そうなのか……いや、だから本題はそんなところではなくてだな」
どん。
動揺のあまり足を踏み外した千秋が、そばの化粧台を揺り動かす。
と。
ひらり。
その後ろから小さな紙切れが舞って落ち、千秋とサツキはその紙を見下ろした。
「…なんだ、これは………」
ひょいとその紙を拾い上げ、ひらりとめくってみて、目を見張る。

『お前の秘密を知っている クロ』

いかにも几帳面な字で、小さなメモにはそれだけ書かれていた。
「これは……穏やかではないな。クロからのものか…?サツキ、知っているか?」
「いえ、存じ上げませんわ」
首を振るサツキ。
「そうか……」
千秋はもう一度、メモを見下ろした。
短いメッセージは何を伝えようとしているのか。
今はまだ、判らない。

「マスター、ナノクニの響、黒で。ハーフロック。ハイボールじゃないよ。ハーフロックね。温泉タマゴとチョコレートも付けて。黒がなかったら、17でもOK!」
ストライクは、ウルから聞き出した、チャカと出会った裏通りのバーにやってきていた。
日が翳り、開店するのを待って入る。
マスターは50がらみの無愛想な男で、陽気にそう言って入ってきたストライクを僅かに眉を寄せて見やった。
「それもなければ、フツーのビール&ナッツで良いけど」
ヘラっと笑うストライクに、無言で淡々と酒の瓶を取り出してグラスについでいく。
店内に、他に客はいなかった。開店したばかりのバーなどそんなものだ。こんな文字通り宵の口から飲みに来るような客はいない。
マスターが酒とつまみをやはり無言で置くと、ストライクはそれを一口すすって、身を乗り出した。
「…ねえマスター。ウラノス・ガイアデルト……ウルってヤツ、知ってるよね。ホスト風の男。ガイアデルト商会の。
ここら辺でよく飲み歩いてたって、聞いたんだけど」
ストライクの言葉に、マスターはまた面倒げに眉を寄せて見やる。
「言い忘れてた。俺はストライク。ウルの家にこの前雇われた使用人さ。
最近お屋敷に女が住みだしたんだ。チャカっていう女。知ってるでしょ?ウルがしょっちゅう口説いてたって話の。
けっこうヤバそうな女らしいんだ。んで、聞き込みしなきゃならなくなって。下働きは辛いね~」
たはは、と苦笑して見せるが、マスターの表情は動かない。
「二人はいつ頃、どうやって知り合ったのかなあ。覚えてない?
そもそも、ウルとチャカって、どんな感じだった?どっちも、モテてた?独りだった?あと人柄とか。何でも思いつく事で、良いんだ。
会話とかも、何言ってたか、思い出さない?ざっくりで構わない」
ストライクの言葉が聞こえているのかいないのか。
マスターは黙ったまま、カウンターの向こうで手を動かしていて。
これは少し手ごわそうだ、と、ストライクは別の方から攻めてみることにした。
「……ああ、そうだ。ボトルキープできる?さすがに今呑んでるコレはキープできないんで。ナノクニのショウチュウが好いな。
クロキリかタンタカタン。無ければバーボン。ターキー希望ね」
「…………クロキリでいいのか」
「じゃ、それで。ねえ、ツレとか、ウルチャカに詳しい人がいたら、紹介してほしいんだけど」
「………ここは静かに飲む場所だ。大抵の客が、わずらわしいことから離れ、1人で飲みたいときに来る。」
マスターはキープするボトルを取り出しながら、淡々と言った。
「ここは客に干渉せん。どこもそうかもしれんがな。どんなにえらい奴も有名人も、ただの個人になって飲める、そういう店だ。客のことも知らんし、まして素性の知れん奴に話す気はないよ」
「んー、そうかー」
ストライクは苦笑した。
「でもホントに、印象に残ってない?美男美女のカップルだったみたいだしさあ、ライバルだの三角関係だの、あったんじゃ?静かな店で暴れられたらマスターも迷惑でしょ?そんなこと、なかった?」
「無かったな。もともと、ここには客はさほど多くない。一月ほど前に、何度か馴染みの客が初見の女を口説いていたが…そのうち来なくなったしな」
「そのうちって、いつくらい?」
「覚えていない。毎日どの客が来たか、記録をつけているわけじゃないんでね」
「ま、そっか。……口説いてたって、男が、女を?」
「そうだ」
「どんな感じだったか、覚えてない?印象に残ってる言葉とかさ」
「覚えていない。つまりは取り立てて独創性のない口説き文句だったんだろう」
「ふーん…何度か、ってことは、2人は少なくとも2回以上はここで話をしてたってことだよね。初めて会った時は別々に店に入ってきたにしても、そのあとは2人で揃ってここに来てたりしたの?」
「いや。いつも別々だった。帰りは一緒に出ることも多かったがな…男の方が、今日は女はいないかと頻繁に顔を出していた感じだった。
女はいる日もあればいない日もあった」
「ふーん……」
マスターはそれきり、口を閉ざした。どうやら2人に詳しい他の人物を紹介する気もないらしい。他に客もおらず、話を聞くことも難しいだろうと判断したストライクは、グラスの酒を飲み干し、ことんと置いた。
「サンキュー。また来るよ、チェックしてくれる?」
「……金貨一枚だ」
「うそっ?!高くない?!クロキリってそんなにしたっけ?!」
「お前が欲しいのは酒でなく情報だろう。情報料込みだ」
「うっそーん…はぁ、これ経費で落ちないかなあ…」
落ちないと思いますよ。

「レアさん……落ち着きました?大丈夫ですか?」
レアに話を聞くために自警団の一室に入ったミケは、レアに心配そうに声をかけた。
「ミケはん……来てくれはったん」
レアの様子は憔悴していたようだったが、少なくとも昨日のパニック状態からは脱出できているようだった。
ミケは少し安心したように微笑んで、彼女の正面に座った。
「……あのですね、僕やセラさんやベルさん、あなたじゃないと思うから事件を捜査することにしたんです。今はちょっと不安かも知れないんですけど、犯人見つけて出してあげられるように頑張るから。元気、出してください」
「ほんまに?おおきに」
レアはやはりあまり元気そうには見えなかったが、嬉しそうに微笑んだ。
それに笑顔を返してから、ミケは早速、昨夜の相談でまとめた質問事項のメモを取り出した。
「では、早速お話聞かせてくださいね。
まず、部屋を出てから、どうしてあんなところまで行ったんです?」
これは、何度も訊かれた質問だろうけれども。
レアは眉を寄せて、記憶を辿るように視線を動かした。
「せやからな、部屋を出て、あの兄さん見つけて、後追っかけたん。呼び止めたんけど、構わんでずんずん行かはって……そのうち、ウチも意地になるやろ。人待たせといて、ってなるやん。何が何でもとっ捕まえて文句言ったろ思て、追っかけてったん。
玄関の前から、北の階段の方をぐるっと回って、4階でまた長い廊下つっきって奥の部屋入らはったさかい、後追ってその部屋に入ったら…バルコニーから、あの兄さんが落ちるのが見えたんよ。ウチびっくりしてもうて、慌てて駆け寄ったんやけど…もう落ちはった後で。
そこでようやっと気付いてん。これ、ウチがやったように見えるやないの、て」
「ちょ、ちょっと待ってください?訳が、わからないんですけど」
レアの話に、ミケは眉を寄せた。
「そもそも、どうしてクロさんの後を追いかけたんですか?あなた、トイレに行ってたはずでしょう?」
「えっ」
「えっ」
「ミケはん、何言うてんの?ウチ、トイレに行ったんとちゃうやん」
「えええ?!」
驚きに声を上げるミケ。
「確かに、花摘みに行ったとでも言うといて、とは言ったで?けど、ウチはあの時、客をいつまでも待たせくさったシャチョさん探しに行く言うたやん。覚えてへん?」
「あ……あ、あれ?」
混乱した頭で、昨日のやり取りを思い出すミケ。

『何や、ずいぶん遅いなあ。迎えに行く言うて、どれだけかかっとんのん?ウチ、ちょぉ探してくるわ。みんなはここで待っとって』

「そ……そうだった、かも」
花摘みの話題があって強く印象に残っていたのを間違って思い込んでいたのか。ミケは呆然として呟いた。
レアはがっくりと頭を抱えて、大きくため息をついた。
「はぁ…ウチ、短気なん自分でもよおわかっとったけど、今回ばかりはぐっと我慢して部屋でおとなしゅう待っとったら良かったて、ホンマ思うわー。よりによって、社長はん殺した疑いかけられたなんて、もし濡れ衣晴れても、絶対噂になるやん。あーもー、どないしょー」
レアの言葉に、ミケはさらに混乱して眉を寄せた。
「えっ」
「えっ」
きょとんとした顔を見合わせる2人。
「……社長さんを殺した?って、言いました?」
「言うたよ?何かおかしい?あ、いや、ウチは殺してへんよ?!」
「…亡くなったのは、社長さんじゃありませんよ?」
「えっ」
微妙な沈黙。
傍らで記録を取っている自警団員も、唖然とした表情で振り返ってレアを見ている。
「ちょ、ちょっと待ってください。まさか、その……男性を、追いかけた理由って……」
「へ?あれ、社長はんなんやろ?金髪イケメンて言うてたやん。遠目やったけどイケメンやったし、金髪やし、それっぽいスーツも着てはるし、ああやっと来はったんやな、て思てん。せやのに、応接室の方に来るんやのうていきなり階段上がるやろ?ここまで人待たしといて、何やっとんて思うやん。せやから文句言うたろ思て追っかけてん」
「え。え。え、ちょっと待ってください。殺された方の名前、聞かなかったんですか?」
「……よう覚えてへん」
「クロノ・スーリヤさんです!ていうか、僕もさっきからクロさんクロさんって言ってるし!昨日だってクロさんという名前出てきてたじゃないですか!」
「いや、そーゆーあだ名やったんかなーて…」
「社長さんの名前、ご存知だったでしょう!ぜんぜん違う名前じゃないですか!」
「……せやった?」
「ウラノス・ガイアデルトさんでしょう!全くかぶってないじゃないですか!」
「いやいやいや、社長はんの名前は覚えとるよ?せやけど、取調べの時に名前言われたか、よう覚えとらんのんよ。被害者、被害者て言われた気ぃするわ」
「……そうなんですか?」
ミケは確認するように記録係の団員に言った。
呆然としたまま、頷く団員。
「……確かに、そういう聞き方をすると思います。けど、被害者の名前知らないなんて、思わないじゃないですか」
「まー、そうですよねー……」
ミケはははっと乾いた笑いを浮かべた。確かに、あの後ウルと口論して、自警団が来て一応収まったが、特に自己紹介をしたわけではない。
その状況で、まさかウルこそが社長だなどとは思いもしないだろう。
「じゃあ、お兄さんを見つけて追いかけていった、というわけでは…ないんですね?」
「はい?」
今度はレアが眉を寄せる番だった。
「お兄さん、て。誰の」
「あなたの」
「ウチの兄ちゃん?!」
言って、さらに盛大に眉を顰める。
「ウチ、兄ちゃんと会ったこともない顔も知らんて、言うたやん?ぶっちゃけ、名前も知らんのんよ」
「いや、それは……お母さんの形見を持っていたとか、そういうので一目で判る何かがあったのかな、って」
「オカンの形見、無いわぁ。ウチ、ホンマ貧乏やってん。何や、そんな想像してはったん?」
ちょっと半笑いのレア。
ミケは憮然とした。
「そういうことも、あるかな、と思ったんですよ。まさか、ウルさんだと思って追いかけてたなんて思わなかった」
「え、せやったら、アレ社長はんやないんやね」
「ええ。社長……理事の補佐をしている人にあたります」
「そうなんやね。じゃあ、社長はんは別におるん?」
「ええ。昨日、あなたが犯人だと激しく詰め寄った人がいたでしょう。あの人です」
「はあぁぁぁ?!」
レアは素っ頓狂な声を出した。
「あの、ガラ悪い育ちの悪そうなホストみたいな兄さんが、社長やて?!ウソやろ?!」
「…残念ながら、本当なんです……」
ミケはなんとなくすまなそうに言った。
「…ウラノスさんのことは…では、そのー……ガラの悪い育ちの悪そうなホストだと……」
「今の今までそう思っとったわー。なんでこんなチンピラみたいなんがこのお屋敷にいて、しかも犯人呼ばわりされなあかんのて。
あんなんが社長やなんて……ガイアデルト商会いうんも長くないかもわからんねー」
万人が漏らした感想を、改めて漏らすレア。
ミケは嘆息した。
「では…カエルスさん、って方をご存じですか?」
「かえるす、はん?」
きょとんとして、首を傾げるレア。
「知らんわぁ。誰?」
「ええと、先代の理事…つまり、ウラノスさんのお父さんなんですけれど。知らなければいいです」
ミケはメモに目を落とし、質問を続けた。
「ウルさんから……というか商会から、になるのでしょうか。荷物運びの依頼を受けたときのことを詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」
「受けたときのこと…せやなぁ…
ヤマニーはんはね、ウチもよう仕事もろてるんよ」
「ヤマニー…ヤマニー工芸という会社、でしたね」
ミケが言うと、レアは頷いた。
「結構世界中にお得意さんいはるしな、オルミナやマヒンダにもお使いしたことあるんよ。で、今回ガイアデルト商会への荷物があるんだけど、どうか言うて。ヴィーダは行ったこと無いから無理にとは言わんけど、て言うてくれはったけど、昨日も言うた通り、ウチ仕事選ぶ余裕なんて無いんよ。喜んで受けさしてもろてん」
「…なるほど……」
レアの話をメモしていくミケ。
「えっと、そのー……あなたは、自分で生計を立てていますよね。いわば、社長さんです。自分という会社の」
「えぇ?」
レアは半笑いでミケの話に相槌を打った。
ミケは自分でも変なことを言っているなあというような表情で、続ける。
「その…商売センス、というのは、どなたかから学んだものですか?」
「商売センスて、大げさやねえ。ただ自分で仕事口探してその日暮らししてるだけやないの。それでシャチョはんや言うんやったら、ミケはんかてシャチョはんやで」
「……ですよねー……」
この質問はストライクに頼まれたのだが、いまいち質問の意図がよくわからない。まあ、このまま伝えればいいだろう、と思い、メモを取る。
「まー、あえて言うなら、自分で掴んでかな干されるで、いうのは、オカンに教わった、て言うてもええかいねえ」
「お母さんに…ですか。お母さんも、商売人さんだったんですか?」
「せやから、ウチのやってることが商売かいうんは微妙やん?」
レアは苦笑した。
「自分に出来る仕事、片っ端から掴んでって。その中に、モノ売り買いする仕事があったかて、それは商売人とは言えへんやろ。ま、ウチと同じことやってた、ちゅうことやね」
「お母さんの話が出ましたけど……レアさんのご家族の話、少し馬車で聞いていますが……もう一回お聞きしていいですか?」
「ウチの、家族の話?」
「はい。ご家族の名前、容姿、今、いくつくらいの人なのか。何か思い出とかお母様からなにか聞いていたりとか。思い出せる限りのことを、お願いします」
「んー、さっきも言うたけど、ウチ、オトンの名前も兄ちゃんの名前も知らんのんよ。年も、容姿も。わからんわぁ、ごめんなあ」
「お母様から、何も聞いていない…んですか?」
ミケが聞くと、レアは視線をそらして眉を寄せた。
「オカン、あんま話したなさそうやってん。あんま良くない思い出なんちゃうんかねえ。ウチがいっぺん、オトンのこと聞いたときに、兄ちゃんがいるんやよ言うて…けど、名前も教えてくれへんかったし。オカンが辛そうやったから、ウチもそれ以上聞けんでなあ」
「そうですか…では、お母さんのことでいいですから、詳しくお願いできますか」
「ええよ。オカンは、名前はクリオ。クリオ・スミルナいうてん。ウチとそっくりやてよう言われたわ。自分のことはよう話せへんかったけど、明るくて、近所の人とも仲良うやっとったよ」
「…シングルマザー…ということは、ありませんでしたか?」
「シングルマザーて、結婚せえへんで子供育てとるいうアレやろ?オカンはオトンと離婚して、兄ちゃんはオトンが引き取った、て、昨日も言うたやん?」
「そ、そうでしたね…」
「まあ、オカンが嘘ついてるかどうかは、ウチにもわからんけど」
「うーん……では、離婚されて別れることになったお父さんとお兄さんのことは、まったく何も知らない、と」
「せや。堪忍な、あんま役に立てんで」
「いえ、とんでもない。っと、そうだった、先ほど、ボディーチェックをされたんですよね?」
ミケは記録係の団員に尋ねた。ええ、と頷く団員。
「特に怪しいものは見つかりませんでしたよ」
「ええと、ちょっと頼みにくいお願いで恐縮なんですが…レアさん、その、首と腕の包帯…取っていただいてもよろしいですか?」
「これ?あはは、包帯ちゃうよ。オサレやねん、オサレ」
レアは笑って、特に何の抵抗もなく腕と首に巻いた布を解き始めた。
しゅるしゅる。布のずれる音が響き、はらりとテーブルの上に布が落ちる。
「あれ……!」
ミケは、現れたレアの地肌に驚く。
「レアさん……肌、白い…ですね」
布を取り去ったレアの手首の部分は、日焼けの跡のように白い部分が残っていたのだ。
レアはそれを見下ろして、ああ、と頷いた。
「ここは結構、ちっちゃい頃から何や、腕輪やら布やらつけるの好きやってん。ここだけ焼け残ってもうて…最近はそれ隠すのに巻いてる感じやねえ」
「えっ、レアさん、地黒じゃないんですか?」
「そうなんよ。オカンも結構焼け残っとるところあったで」
「えっ…と。もしかして、お母さんはもともとシェリダンの人では…?」
「ああ」
思い出したように頷いて、レアは言った。
「オカンは言えへんかったけど、近所の人は、オカンは赤ん坊のウチ連れてどっかから移り住んできた、言うとったよ。シェリダンに来てから、ウチみたいに焼けたんちゃうんかねえ」
「そう……なんですか」
ミケは呆然と言って、それから笑顔で礼を言った。
「ありがとうございました、大変参考になりました」
それから、そうだ、と、自分の肩に乗った黒猫に視線をやった。
「よろしかったら、この子、預けていこうかな、と思ったんですけれど」
ミケの言葉に反応して、黒猫…ポチが、にゃあと鳴く。
「ミケはんの猫を?」
きょとんとするレアに、ミケはにこりと微笑んだ。
「ほら、1人は寂しいし、側に暖かいものがいると違うかなって。もし大丈夫なら……っと。大丈夫、ですかね?」
ミケは念のために自警団員に訊いてみる。
幸い、団員は快くOKを出してくれた。
「ということなので、よろしければ、是非」
「ホンマ?」
レアは少し嬉しそうに、ポチに向かって手を差し出した。
にゃあ、と小さく鳴いて、ミケの肩からレアの手の中へと飛び移るポチ。
「おおきに。可愛いねぇ。名前は何ていうん?」
「ポチ、です。賢い子ですから、すぐ懐いてくれますよ」
使い魔だということは伏せて、それだけ言っておく。
レアは笑顔で、ポチの喉を撫でた。
「よーしよし、ポチー。可愛いなぁ、おおきになぁ」
その様子を、ミケは微笑ましげに見つめるのだった。

自警団の立会いの下、チャカの話を聞いていたクルムだったが…どうにも、他に人がいるところでは聞けない質問が多くて、団員の訊く話を聞いているのみになっていた。
団員は一通りチャカへの質問を終え、クルムを振り返る。
「何か、他にお訊きになりたいことは?」
「あ、えっと…そうだな…」
クルムは少し考えて、チャカに訊いた。
「チャカから見た、クロの印象は…どうだった?」
「そうね……」
チャカは少し何かを考えるそぶりをして、それからおもむろに話し始めた。
「何かを…必死になってぎゅっと閉じ込めてるコ…そんな感じだったわ」
「閉じ込めてる…」
クルムは眉を顰めて、チャカの言葉を繰り返した。
「…クロとは、どんなやりとりがあった?」
「あまり…喋らなかったわね。アタシ、嫌われてたみたいだったし?
どうしても必要なときに、事務的に一言二言かけられる、そんな程度だったわよ」
「そうか……」
クルムはそれだけ言って、団員の方を向いた。
「以上です、大丈夫です」
「そうですか」
団員は頷いて、改めてチャカに向かって礼をした。
「ご協力ありがとうございます。また、お話をお聞きするかもしれませんが…」
「構わないわ。いつでもいらっしゃい」
にこり、と微笑むチャカ。
団員は、では、と言って部屋を退出した。
しかし、クルムは団員に続いて部屋を出ることは無い。
チャカは面白そうに微笑むと、クルムに訊いた。
「まだ…訊きたいことが、ありそうね?」
チャカの言葉に、表情を引き締めるクルム。
「キャットやセレの姿は見えないけど、彼女達はこの屋敷に…今、ヴィーダに居るのか?」
「ユリから訊かなかった?キャットは…今は、にいさまに預かってもらっているわ」
「お兄さん…」
「知ってるでしょう?」
「…マスターのことか。ハーフムーンの」
「そう。っふふ、にいさまもバラしちゃうなんて、珍しいことをするものね」
チャカはそう言って、楽しげに肩を揺らした。
「…セレは?」
「置いてきたわ。別に、あのコに来てもらう必要はなかったから」
「リリィやメイには…来てもらう必要がある、ということか?」
「ええ、アタシの世話をしてもらいたかったからね」
くす。
意味ありげに言って、チャカは鼻を鳴らした。
「ま、信じるか信じないかは…アナタの自由だけれど?」
クルムは用心深くチャカを見つめながら、質問を続ける。
「何故ウルに応えて、この屋敷に居るんだ?
単なる気まぐれか?
それともこの屋敷の中に、なにか興味を引く事があるのか…?」
一息、間をおいて。

「…こうなる事を、知っていたのか?」

クロが落ちて、4階で揉めていたウルを止めたチャカを見たときから、ずっと思っていた。
彼女は、こうなることを……クロが死ぬことを、知っていたのだろうか、と。
チャカはなおも面白そうに、クルムに言った。
「何故と問われれば…そう、面白そうだった、からよ。それ以外に、アタシの動く理由は無いわ」
テーブルに頬杖をついて。
「こうなること、っていうのは、クロが死ぬこと…と受け取っていい?」
「……ああ」
「っふふ」
楽しそうに笑って頬杖から顔を上げ、椅子の背もたれに寄りかかる。
「この屋敷が面白そうだったのは…ね。ここは、破裂する寸前だったの」
「……破裂?」
「そう。今まで溜めてきた、見ないフリをしたきたものが、どんどん溜まって、膨れ上がって…少しの刺激で、破裂する寸前だった。
アタシは、それがどんな風に破裂するのか、見たかったのよ」
「………」
チャカの話はいつものように要領を得ない。
それでも、その中から何か手がかりを得られないかと、クルムは黙ってチャカの話を訊いていた。
「破裂するかもしれない。しないかもしれない。でもする可能性は高かった…破裂して、誰かの命が無くなる可能性も。そういう意味では、アタシはこうなることを、知っていた…のかも、しれないわね?」
チャカはにまりと笑って言い、再びテーブルに肘をついた。
「ねえ、クルム」
唐突に名前を呼ばれ、少し驚く。
「勝負を……しない?」
「勝負?」
チャカの言葉に、眉を寄せるクルム。
「ええ。どちらが…先に、この事件の謎を解くか。
面白い勝負だと思わない……?」
「………」
クルムは、チャカの言葉には答えずに。
面白そうにくるくると動くオレンジ色の瞳を、ただ、見つめ返していた………。

…To be continued…

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