あのお花を頂戴
ねえ とても綺麗

摘んできてくれたのね
ああ やっぱり綺麗だわ
ありがとう 大好きよ

でも

このお花を摘むために


どれだけの血が 流れたのかしらね



吟遊詩人 ミニウムの歌より

「クルムじゃないか。久しぶりだな」

風花亭に入ったところで呼び止められ、クルムは振り返って声の主を確かめた。
そして、その姿を確認して微笑する。
「千秋。久しぶりだね。ナノクニの一件以来かな」
「そうなるな。お前も、ここの依頼を?」
「うん、ガイアデルト商会の……っていうことは、千秋も?」
「偶然だな。またよろしく頼む」
「こちらこそ」
2人は微笑み合って、店の奥へと足を進めた。
年の頃は二十歳そこそこ、黒髪を高く結い上げ、ナノクニの独特の民族衣装を着たのが、千秋。
対するクルムは、どう見ても15歳は行っていないだろう少年で、短く整えた栗色の髪と、落ち着いた緑の瞳が印象的だ。
見た目も雰囲気も全く違う2人に接点はなさそうに思えたが、この2人は何度か依頼を共にし、互いの実力を信頼しているようだった。
マスターに依頼人の場所を聞いた二人は、店の奥、壁に仕切られたちょっとした個室へと足を進める。
入り口から顔を覗かせ、中にいる人間を確かめるように声をかけた。
「…ガイアデルト商会の依頼を、受けに来たんですけど……」
と、すでに中にいた3人が一斉に彼の方を見る。
10代らしき少年が2人、30がらみの男性が1人。おそらくこの男性が依頼人だろうか。
「あれっ、千秋さん?」
「む、ファリナか。久しぶりだな」
先客のうちの、16歳ほどの少年が、千秋を見て腰を上げた。
「知り合いなのか?」
「ああ、最近あった事件で、ちょっとな。そうか、お前もこの依頼を受けていたのか」
「はい!偶然ですね」
「全くだ。世間は狭いものだな」
「再開の挨拶は終わったかね」
千秋とファリナのやり取りに、先ほどの依頼人らしき男性が冷たく声をかける。
「君たちで最後だ。かけたまえ」
威圧的な言葉に、2人は軽く会釈をして中に入った。ファリナも椅子に座りなおす。
それを確認して、男性は早速喋り始めた。厳しさをはらんだ、どことなく聞いている者を緊張させるバリトン。
「改めて自己紹介をしよう。私はクロノ・スーリヤ。ガイアデルト商会の理事補佐をしている」
淡々と。無駄のない言葉遣いでそれだけ言って、小さく会釈。
短い金髪をぴっちりと撫で付けた、隙のない様子の男性だった。黒い瞳は鋭く4人を値踏みするように見渡し、しかしどう判断したのか表情には表れない。髪同様、黒いスーツをきっちりと着こなした様子は、いかにも私はだらしのないものが大嫌いです、というようだった。
彼はやはり淡々と、冒険者たちに言う。
「これから共に仕事をすることになる。簡単に自己紹介をしてもらおう」
「はっ、はい!」
緊張した面持ちで返事をしたのは、先ほどのファリナという少年だった。
「ファリナ・フェリオンといいます。よろしくお願いします!」
座ったまま、机に頭をぶつけるかと思うほどの勢いで頭を下げる。
少し伸びた黒髪、大きな黒い瞳がどこか頼りなげな印象を与える少年だ。Tシャツにカーゴパンツというラフないでたちで、あまり冒険者には見えない。大きなリュックサックを床に置いていることから、旅はしているのだろうが、冒険者としてはまだ不慣れな様子だった。ずいぶんと緊張した様子で、まっすぐでひたむきな瞳が内心の動揺を隠し切れずにいる。
次に、ファリナの隣に座っていた地人の少年が、落ち着いた様子で僅かに頭を下げた。
「俺はショット=ストライク。ストライクでいいよ。山師だ。よろしくな」
微笑を浮かべながら、短くそれだけ。年のころは18歳ほどだろうか。山師というには、ずいぶんと華奢ないでたちをしている。流れる金の髪と青い瞳は繊細な印象を与え、下げているクロスのペンダントとあいまって牧師といっても通用しそうだ。しかし着ている服はクラッシュデニムにワークブーツと労働者風で、肩から上の印象とずいぶんアンバランスだった。
続けて、クルムが小さく頭を下げる。
「オレは、クルム・ウィーグ。冒険者をしてる。よろしく」
同じ落ち着いた雰囲気でも、クルムのそれは、どことなく見ている者の心を安心させた。この中ではおそらく最年少だろうが、それを感じさせないほど大人びた雰囲気がある。しっかりとした作りのジャケットにグローブにブーツ、腰から下げた剣が、本人の談の通り、彼が熟練した冒険者であることを物語っていた。
最後に、千秋。
「一日千秋という。千秋でいい。いつもはナノクニにいるのだが…ヴィーダには使いで来ることが多くてな。その縁で今回の依頼も受けさせてもらった。よろしく頼む」
言って会釈をする様子は礼節をわきまえているナノクニの男性らしい振る舞いだった。キモノにハカマという、ナノクニ独特の民族衣装を身にまとい、背中と腰にそれぞれ細身の剣。ナノクニではカタナというらしい。鋭い視線は彼の冒険者としての経験を裏付けているようだった。
一通り紹介が終わったところで、ふむ、と、依頼人の男性は改めて居住まいを正した。
「…私のことは、クロ、と呼んでくれればいい。商会の人間も、みなそう呼んでいる」
「は、はいっ。クロさん、ですね」
バカ正直に反復するファリナ。
クロはそちらにちらりと目線をやると、再び全体を見渡した。
「では、依頼の内容を話そう。ガイアデルトの名を出して依頼したのだ、当然内容は商会内部のことになる」
鋭い視線を確認するように一人一人に向け、クロは続けた。
「先日、ガイアデルトは先代のご老齢により、代替わりをした。
私はその二代目の補佐として、商会内部を取り仕切っているのだが……」
そこでいったん言葉を切り、僅かに苦い表情を見せる。
「……先代が偉大すぎたのか…当代は、今ひとつ……その、事業に対して熱心ではない。
実際のところ、私に全権を任せ、ご自分は商会の金を使って遊び放題、という有様だ。
何とかしなくてはならないのは山々なのだが…しかし、困ったことが起きた」
「困ったこと、というと?」
千秋が聞くと、短くため息をついて。
「ここのところ、当代は、ある一人の女性に夢中だ。
盛り場から連れてきたと思えば、あろうことか屋敷に住まわせ、服も食事も酒も金も、女の思うままに与え放題。女が気に入らないと言えば、屋敷の使用人を辞めさせ、女が連れてきたどこの誰とも知らぬ使用人を雇う始末だ」
「それは…いくらその女性が好きだといっても、酷いね」
眉を潜めて、クルム。
クロは沈鬱そうな表情のまま、頷いた。
「今は屋敷の中だけにとどまっているが、いつ商会の事業にまで口を出されるか…そしてそうなった時、当代がそれを止めることなく受け入れてしまうだろうことが容易に想像される。
そのことだけは……何としてでも、止めたいのだ」
ぎり、とテーブルの上の拳を握り締めて。
「…その為に、君たちを雇わせてもらった。
あの女が何者で、何をたくらんでいるのか…調べて頂きたい。
そして、そのたくらみがこの商会と…それが抱える莫大な富であるならば、遠慮は要らない。
どんな手を使ってでも、別れさせて欲しい。
ガイアデルト商会当代理事、ウラノス・ガイアデルト……ウル様に近づく、あのハイエナのような女……」
そして、搾り出すように、その名を口にした。

「……チャカ、と名乗った、あの女を……!」

その口から紡ぎ出された名前に、クルムと千秋がぎょっとして腰を浮かせた。
「チャカ、だと…?!」
「そんな…!」
苛烈な反応に、驚いてそちらを見る3人。
「…お2人とも、その方をご存知なのですか?」
ファリナが不思議そうに尋ねると、クルムと千秋は一瞬顔を見合わせた。
「……いや、同じ名前の別人、ということも…」
「…そうだね。とりあえず、詳しい話を聞かせてくれませんか」
いったん冷静になって、再度クロに話を振る2人。
クロは少しだけ戸惑った様子だったが、居住まいを正すと、小さく頷いた。
「……判った。どのあたりから話せばいいだろうか?」
「そうですね……盛り場から連れてきた、ということでしたけど、ウルさんが彼女と会った店とは、どんな店ですか。普段からその店に通われていたのですか」
クルムの質問に、クロは僅かに眉を寄せた。
「…申し訳ないが、詳しいことは私も知らないのだ。そのような店に行く趣味もないのでな。
直接ウル様に訊いた方が早いかもしれん」
「そう…ですか」
訊けるなら店での様子も訊きたかったが、確かにクロがウルと一緒に出入りしていたとは考えにくい。クロの言う通り、本人に聞いた方が早いだろう。
「その、若旦那というのは…昔からそんな様子だったのか?」
千秋がそれに続いて問う。
「生い立ちについて、差し支えない限りで教えてもらいたい。昔から放蕩癖があり女グセもあまりよくなかったそうだが、大体いつぐらいからその傾向が出てきたのだろう?」
「そうだな…」
クロは少し視線を逸らし、思いを巡らせた。
「…学校は昔からサボりがちだったらしい。エレメンタリーの頃からな。甘やかされて育ったのだろう、親の圧力もあって、歯止めをかけるものがいなかった。ジュニアを卒業する頃には、女をとっかえひっかえしていたそうだ」
「そうなのか」
千秋は少し驚いた様子だった。
「話を聞くと随分……おっと、愚弄する気はない」
部下であるクロに気をつかってか、一応フォローをしてから。
「だが、随分と難物だな。
しかしそんな人間が、果たして一人の女にベタ惚れするだろうか……?」
「そうですね、それはボクも気になります」
考え込む千秋に、ファリナが質問を引き継いだ。
「ウラノスさんは以前からこれほどまでに女性に夢中になることはありましたか?」
「いや…以前より女には節操の無い方だったが、屋敷まで連れてきて住まわせるのは今回が初めてだ」
「では、その理由は何だと思いますか?チャカさんという方は、それほど美しい方なのでしょうか?」
重ねての質問に、僅かに眉を寄せるクロ。
「…私がこう言うのは癪だが、あの女は私が冷静に見ても美しい。独特の雰囲気がある。一歩間違えば、惑わされていたのは私だったかもしれんな。今回はたまたま標的がウル様だったというだけの話だ」
「そうなんですか…クロさんも惑わされるかもしれないほどとは……独特の雰囲気、というのも気になりますね。会ってみれば分かるのでしょうか…」
苦い顔をしつつも、チャカという女性に興味を持った様子のファリナ。
クルムはその様子を複雑そうに見ながら、さらに質問を引き継いだ。
「他に…チャカと会って、ウルさんが以前と変わったところなどありますか」
「他に、か……屋敷に連れてきて住まわせる、というものが大きすぎて、他にこれといって目に付いたところはないな」
「そうですか…」
クルムは少し考えてから、質問の向きを変えることにした。
「ガイアデルト商会は、どんな事業をなさっているんですか。どんな商品を扱っていますか」
クロの視線が鋭くなる。
「…それが、今回のことと何か関わりが?」
「あ、いえ…」
相手の空気が剣呑になったのを察して、クルムは言葉が足りなかったとフォローを入れた。
「チャカの目的が、商会そのものにあるかもしれない、ということだったので。商会がどんなものなのか、知っておきたいと思って」
「…そうか、失礼した。
ガイアデルト商会は、主に商品の輸出入を仕切ったり、先物取引などで利益を得ている。仲介業者、ということになるか。一般の消費者にはほとんど知られていないと思うが、この世界に住まうものなら誰でも名前を知っている、程度の規模だ。
扱う商品は……様々だな。特にこれを、という品目を定めているわけではない。金になりそうなものなら、何でも取り扱う」
「なるほど……」
再び、考えに沈むクルム。
それには、ファリナが続いた。
「チャカさんは先代からの代替わりを狙っての侵入だと思いますか?それとも他に、今お屋敷に侵入する理由があるのでしょうか?何か思い当たることがあれば教えてください」
ファリナの質問に、嘆息するクロ。
「…先代に比べれば、当代はさぞかし御しやすいだろうな。私があの女でもそうする。それは理由にならないか?」
「そうですか、なるほど…。すいません、ウラノスさんを悪く言わなければいけないような質問をしてしまって。ただ、まだ会ったことのないウラノスさんがどのような方か掴めていないので…」
申し訳なさそうにそう言いながらも、言葉の響きには少し呆れたような感情がこもっている。
「商会の理事を務めているというのでそれなりにはしっかりした方かと思っていましたが…」
「言っただろう、事業に対して熱心ではない、と。現在のところ、ウル様が理事だというのは、本当に名ばかりの状態だ」
「そうなんですね……」
ファリナの言葉には、ウルを非難するような響きがこもっている。自分の役目を放棄して遊び呆ける、という感覚が、彼には理解できないのだろう。
ファリナは続けて問うた。
「当代の現状を先代は知っているのでしょうか?現在は、どうされているんですか?」
「先代は、現在は屋敷から離れたところで隠居をされている。今回のことも、先代のお耳には入れているが…」
「先代から、何かしらの助言は?」
「…我関せずといったところだな。昔からウル様本人には興味がなかったようだ。商会のことも、自分はもう隠居したといって口は出してこない」
「先代さんにも出来ればご協力を願いたいものですが、こちらも難しそうですかね…」
眉を寄せて黙り込むファリナ。
と、それまで黙っていたストライクが、不意に手を上げて質問した。
「あ、ねえ。チャカとウル氏の行動スケジュールってわかる?」
4人の視線が彼に集まり、彼はさらに続ける。
「二人はいつ一緒に過ごして、いつ別行動なのか。
たぶん、昼間は同じ屋敷の中でも別行動で、夜は一緒なのかな。
昼間でも、昼ごはんは一緒か?夜でも、得意先の接待とかなら、別行動もありえるのか。どうかな?」
軽い口調で問うストライクに、クロは淡々と答えた。
「ウル様は…そうだな、毎日『一応は』仕事をしているように見えるが、飽きるとすぐに放り出し、あの女の部屋に行っていることが多いようだ。その度に私が連れ戻すのだがな…というより、そのために屋敷にあの女を呼んだのだろうな。
ウル様はとにかく、四六時中あの女と共にいたがる。いつ一緒にいて、いつ別なのか、すべてはウル様の気分次第、といったところだろうな」
「ふぅん…ありがとう。なんとなくわかったよ」
ストライクは頷いて、なおも軽い口調で、続ける。
「ていうかさ、そんなに仕事しないんなら…いっそ、商会からウル氏を合法的に追い出すことって、できないの?」
口調は軽かったが、なかなかの爆弾発言に、4人はぎょっとしてストライクを見た。
「追い出す、だと?」
クロの鋭い視線にも、なんら動じることなく返事を返す。
「うん。先代に裏でOK取って、クロさんがクーデター起こすとか。
それなら別れさせなくとも、商会に影響ないし、ひょっとしたら、ウル氏が追い出されたら、それが原因で二人は別れちゃうかも知れないよ」
「………なぜそうなる?」
クロは理解できないといった様子で、嘆息した。
「ウル様に商会にいていただき、なおかつ商会を安全に存続させるために、君たちを雇っている。
それがどうして、ウル様を追い出すという話に繋がるのだ?」
厳しい口調のクロ。
他の者達はストライクの意図が図れず、戸惑っているようで。
「君はボディーガードを頼まれたとき、『狙われるのが怖いならいっそここで殺してやろう』と言うか?
君が今言っているのは、そういうことだと思うが?」
「そうかなぁ?」
あくまで軽い様子のストライク。
クロは頑是無い子供に言い含めるように、努めて冷静に、続けた。
「ウル様は、先代のたった一人の息子であり、今はその気は無くともいずれは商会を背負って立つお方。
ウル様を廃するなど、考えられん。問題外だな」
「そう。いや、訊いてみただけだよ、ごめんね」
なおも調子を変えることなく、ストライクはあっさりとそう言った。
「依頼人がどんなつもりなのか、確認しときたかっただけだから。あんまり気にしないで?」
「分かってくれたようならいいが…」
寄せた眉を少しだけ緩めて、クロは嘆息した。
そこに、さらに問うストライク。
「ああ、あと、そもそもコレ訊いて良いのかどうかわかんないけど。
『別れさせ屋』とか雇わないの?それとも失敗した?」
「別れさせ屋?」
せっかく緩んだクロの眉が、また寄った。
「………雇っているだろう?君を」
また、ふう、と沈鬱そうにため息をついて。
「別れさせるという依頼が気に入らないなら、辞めていただいて構わないが。相応の口止め料も払おう」
「………」
ストライクは黙っている。その表情は相変わらずで、軽いように見えて、実は内心が全く見えない。
と、そこに。
「…別れさせ屋、というのが職業として成り立っているかどうか、オレは知らないけど。
別れさせ屋じゃなくて、冒険者を雇ったのは、ある意味正解かもしれない」
深刻な表情でクルムが言い、全員がそちらを向いた。
「…どういうこと?ていうか、クルム、だっけ?そっちの千秋も、何か知ってる風だったよね?チャカって女のこと」
ストライクが促すと、クルムは重々しく頷いた。
「千秋は同じ名前の別人かも、と言っていたようだけど。オレは、間違いないと思う。
詳しくは言えないけど、最近、それを匂わせるような情報を聞いたんだ」
「そうなのか、クルム」
千秋が確認すると、クルムはそちらに向かって頷いて。
それから、クロの方を向いた。
「…驚かれるかもしれませんが、彼女…チャカは、実は魔族なんです」
「ええっ……?!」
驚きの声を上げたのは、ファリナ。
クロとストライクは、声こそ上げないものの、目を見開いてクルムのほうを見ている。
クルムは続けた。
「今までオレは、彼女の起こしたいくつかの事件を目にしてきました。
彼女の連れて来た使用人も…おそらくは、能力を強化された彼女の配下です」
「そうか…例の事件のときも、使用人に扮していたな…」
納得した様子で頷く千秋。
「魔族の考える事は人間の常識の尺度では測れません。
チャカが直接手を下したわけではありませんが、彼女が関わった事件で人が亡くなった事もありましたし、慎重に行動した方がいいように思います」
「人が…亡くなったんですか……?!」
さらに驚きの声を上げるファリナ。
クルムは頷いて、再びクロの方を向いた。
「チャカに盲目的に惚れているというウラノスさんに、彼女は危険ですと言って説得するのは難しいでしょうね。
彼女が魔族だと伝えても、自分と別れさせる為にデタラメを言っていると思われるかもしれません。
魔族のチャカとその配下を、力を持って追い払うことも簡単には出来ません」
苦い表情で言って、嘆息して。
「どちらも簡単な事ではありませんが、ウラノスさんには穏やかに粘り強く説得をし、チャカにはこの件から手を引いてもらうよう交渉をする…魔族と交渉って…ちょっと自分で言って笑ってしまいますが。
でも、そうしていくしかないのかなと、今のところは思っています」
「魔族………だと………」
クロが呆然とした様子で呟く。
表情に表れていなくても、相当のショックだったようで。
「…クロさん?」
「……あ、ああ、すまない……しかし……魔族が何故……」
「そう、問題はそこだ」
千秋も重い表情で頷いた。
「相手が魔族である以上、商会の財産や経営には興味は無いだろう。そこだけはまず、保障されたと言ってもいい」
「そうだね。チャカは魔族の中でも名家の出だという事ですから、財産目当てでウラノスさんに近づいたとは、オレにもあまり思えません」
同意するクルム。
千秋はさらに続けた。
「だが、問題はその先にある『チャカの目的』によって商会がどうにかされてしまう可能性を否定できないところだが……」
「………」
クロの表情が青ざめ、千秋は慌ててフォローを入れた。
「ああ、不安がらせるつもりで言ったんじゃない。チャカの性質については、俺よりもクルムのほうが詳しいだろうな。俺も1度しか見たことは無い。
ここは、クルムの言うとおりウラノス……あと、チャカの説得材料を集めるのが一番良いかと思う」
「…どうやら、ボクが考えていたよりさらに危険な状態のようですね」
ファリナは真剣な表情で言った。
「チャカさんという方は魔族なのですか…。ボクも以前お仕事で魔族の方に会ったことがあるのですが、その方も強い力の持ち主でした」
「…ゼルのことを言っているのか」
「あ、はい。千秋さんもゼルさんのことはご存知でしたよね」
「……ああ。力が強く…そして、強いというだけでない、厄介な相手だ。魔族、という奴はな……」
何か色々思い出でもあるのか、複雑な表情の千秋。
ファリナは決意をこめた表情で、続けた。
「確かに慎重に行動した方が良さそうです。何も起きずに、話し合いで解決できれば良いのですが…」
「奥様の名前はチャカ。そして、旦那様の名前はウラノス。ごく普通のふたりは、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。
でも、ただひとつ違っていたのは、奥様は…魔女だったのです。……ってか」
どこかおどけたように言って、ストライクは一同を見渡した。
「だったら目的は純愛だな。邪魔する婆さんとか、出てこないのか?」
ははっ、と茶化すように笑う。
眉を潜める一同に、ストライクは僅かに皮肉げに笑った。
「俺は、チャカって女のすごさを、目の当たりにしていない。だから、感じている恐怖も薄いはずだ。
他にも、チャカと会ったことの無い人がいる。これは有利に働くんじゃないか?」
「…どういうことだ?」
千秋が問い返すと、ストライクはそちらに視線をやった。
「お前とクルムは、チャカを知ってる。知ってるから有利なことがある。
同じように、俺やファリナは、知らないからこそ有利なことがある、ってことだよ。
その為には、あまり先入観や恐怖感を持つのは、得策じゃない」
「そうか……なるほど、そうですよね」
うんうん、と頷くファリナ。
「チャカさんがどんな人物で、何を考えてるのか…人の話じゃなくて、ボクが直接、自分でぶつかって判断しなくちゃいけないんですね」
「ま、情報を入れとくのは悪いことじゃないけどね。情報を知っておくのと、先入観を持つのは話が違う、ってことさ」
肩を竦めて、ストライク。
クルムは改めて、真剣な表情で頷いた。
「じゃあ、オレは、チャカを知る立場の者として…
チャカがウラノスさんに乞われるまま、この屋敷に来たのは何故か。まずそれを調べてみます」
「……わかった。よろしく、頼む……」
まだショックが抜け切れていない様子のクロ。
魔族とは縁もゆかりもない一般人なのだ、無理もなかろう、という風に、複雑そうに顔を見合わせる冒険者たち。
「じゃあさ、最後にこれだけ聞いといていいかな」
ストライクがまた、変わらぬ軽い調子で言い、クロは顔を上げてそちらを見た。
「クロさんは、『どんな手を使ってでも、別れさせて欲しい』と言ってるけど、商会が痛みを伴う方法も、止むを得ないと考えて良いんだよね?」
ストライクの言葉に、クルムとファリナが若干眉を潜める。
が、千秋がその言葉に、さらに言葉を続けた。
「そうだな。俺もそれは確認しておかないとならないと思っていた」
居住まいを正し、クロの方に身を乗り出して。
「商会だけでなく、若旦那が傷つくような方法を取ることまで、容認するつもりなのかを、な」
「……」
クロはその言葉に、若干ショックから抜け出したようだった。
明らかに不愉快そうな表情で、千秋とストライクを交互に見る。
「……ストライクに先ほども言ったが。
商会の存続のために君たちを雇っているのだ。商会の痛みをよしとするなら、最初からその方法を取っている」
はぁ、と、今度は聞こえよがしに嘆息して。
「報酬に見合う働きをしてくれることを期待する。少なくとも、最初から最悪の事態を考えることのないような、な」
「…なるほど。大体わかった。ありがとう」
ストライクは相変わらず考えの読めぬ軽い表情で、それだけ返した。
「あー、すまん。俺の言わんとすることは、だな」
千秋は少し困った様子で、言葉を続ける。
「……過激で後ろ暗い手段を採ることを容認するつもりなのかを確認しておきたいと思っている。
そう……『チャカ』なる人物を暗殺して闇に葬るような、ね」
まあ、そうそう死ぬタマでもないだろうが、とは、心の中で付け足して。
クロはそちらのほうを見て、僅かに眉を寄せた。
「……そうならざるを得ないなら、視野に入れる必要もあるだろう。が、どこから商会への攻撃になるかわからない以上、最後の手段としてもらいたい」
「…承知した。もっとも、俺も最初からそのつもりだがな」
重々しく頷く千秋。
「一応、どれくらいの覚悟で臨んでいるのかを聞きたかっただけだ」
ストライクが、へぇ、というように眉を上げて千秋を見る。
千秋はそちらに少しだけ視線を投げて、それからまたクロの方を見た。
「俺からの質問も、そのくらいだ。皆は、他には?」
残るクルムとファリナの方に視線をやれば、2人とも十分なようで、頷いてその意を返す。
クロはそれを確認すると、同じく頷いて、立ち上がった。
「では、私は一足先に戻り、屋敷の者に君達の事を伝えてこよう。
君達の事は、屋敷の警備を新しく雇った、というように伝えるつもりだ。そのつもりで振舞ってもらいたい」
「わかりました」
「では、調査のプランは君たちに任せる。まとまったら、屋敷の方に来てくれ。地図はここに置いていく」
とす。
懐から出した紙をテーブルの上に置き、踵を返して。
「では、私はこれで失礼する」
言う暇も惜しいというように、クロは足早にその場を後にした。

「ストライク、だったな。どういうつもりなのか、訊いても構わないか?」
クロの姿が見えなくなった後、千秋は改めてストライクに問うた。
「ん?何を?」
やはり軽い調子のストライク。千秋は軽く嘆息すると、続けた。
「先ほどの質問のことだ。別れさせ屋といい、ウルを廃するどうのといい。クロに敵意でもあるのか?」
「まさか」
ストライクは少しだけ、心外だという表情をした。
「お前と同じだよ。どれだけの覚悟なのか、確認したかった、ってね」
「なに?」
意図が量れず、眉を潜める千秋。
ストライクは軽く嘆息した。
「『一応は』仕事してる、なんて、わざわざ強調して、棘のある言い方してるから、てっきりウルのことウザイんだと思ってた。
だったら、追い出すこと考えてないか、確認してみたんだけど。別にそのつもりはないみたいだよね」
つまらなそうとも取れる表情でそう言って、再度仲間たちのほうを向く。
「たぶんクロは『部分最適化の人』なのかな。与えられた枠の中で、最善を尽くす人。官僚みたいな?
本心、ウザがってるのかどうかわかんないけど、主人は主人だから、自分がそれに取って代わる野心は無いと。
きっと、枠を取っ払って考えるのが不得意なんだ。だから、『問題外だ』と切り捨てる」
彼の突拍子もない問いにはそんな意味があったのか。
仲間達は少し驚いた様子で、ストライクの話を聞いている。
「もし俺がクロの立場なら、本気で追い出して、反省して目覚めたようなら、戻して商会の指揮を譲る。そんな大芝居を打つのも考えるけどな。
なんなら攫って山へ連れて行って、根性を叩きなおしてもいい。それでも目覚めなければ、害になり得るから、排除…は難しいにしても、『権威・象徴』としての立場を明確にして、経営に口出しさせない。
甘やかさない。それが本当の意味での忠誠じゃないかと、俺は思うんだけど」
「それは……そう、だけど」
ストライクの正論に、クルムが複雑そうな表情で相槌を打つ。
ストライクは、再び嘆息した。
「考え、ユルくない?
チャカがベッドでウルに『クロを排除しなさい』って言ったら、それでアウトだ。それは、明日かもしれないし、今夜かもしれない。
一刻も早くチャカを追い出すのが目的なら……あれもダメ、コレもだめが多すぎやしないか。まあ、しばらくはそうならないって、計算があっての事だろうけど」
「………」
自分達には思いもつかなかったストライクの言葉に、仲間達は複雑そうに顔を見合わせた。
肩を竦めるストライク。
「ま、そんなこと言ってたら、さっきみたいにいつでも辞めて良いとか言われるみたいだし?
仕事に制約はつきものだからね、ダメっていうならダメの範疇内でどうにかするまでだよ」
自分でそう結論付けて、ストライクはさっさと話を進めることにした。
「で?プランは任せるって言われたけど、どうしようか?
俺はとりあえず、主要人物の素性とか商会のこととか、もろもろから始めようと思うんだけど」
「主要人物、って?」
クルムの問いに、そちらを向いて。
「えーと、ウルと、チャカと。あとさっき先代の名前も出てきたし、先代と…それから、クロと」
「クロさんも調べるんですか?」
驚いたように、ファリナ。
ストライクは肩を竦めた。
「ついでだよ、ついで。クロの言うことばかり鵜呑みにしてもいられないだろ?ま、そんなことクロ自身には言わないけどさ。
調査費用は出して欲しいから、そうだな、チャカの素性を探偵に調べさせるって言うとか」
「それを調べるために雇われたんだろう…いきなり他力本願だな」
半眼で、千秋。
ストライクはつまらなそうに首をかしげた。
「そう?でも俺探偵じゃないし、そういうのは専門家に任せた方が効率良いでしょ。そっちは金出して専門家を雇って、俺はチャカの見張りにあたる、適材適所だ」
「…まあ、クロがそれを許すなら、それでいいかもな」
割と投げやりに言って、千秋は腕組みをした。
「…俺は、先代のところに行こうと思う」
「先代さんのところ、ですか?」
ファリナが反復し、そちらに向かって頷いて。
「ああ。ついでに足したい用もあるし、ウルや商会のことについても知りたい。
手分けをした方が良いだろうから、先代に何か聞きたいことがあれば、訊いておくが?」
「あ、じゃあ、はいはい」
ストライクが軽い調子で手を上げた。
「先代が毎日何をやって暮らしているのか、何が生きがいなのか、調べてもらいたいな。商会に対しての想いはどれくらい強いのか。まったく無いのか。息子に対する想いはどれくらい強いのか。
あと、隠居でも、外部との接触はあるのか。配達される新聞や訪問客からでも、情報収集はしているのか。まったく遮断している…もしくは、されているのか。
訊いてもらえるかな?」
「分かった。聞いてくる分に異存はない」
頷く千秋。
クルムとファリナは特にはないようで。
「お前達はどうすんの?」
ストライクが促すと、ファリナが緊張気味に言った。
「ボクは……その、チャカさんのところに行って、直接話を聞いてきたいと思うんです」
「ファリナ?」
「チャレンジャーだな…」
驚きの表情でファリナを見る千秋とクルム。
ファリナは自らを奮い立たせるように、言った。
「先ほども言いました、チャカさんがどんな人物で、何を考えてるのか…人の話じゃなくて、ボクが直接、自分でぶつかって判断しなくちゃいけないんです。
どこまで出来るかわかりませんけど…が、がんばってみます」
早くも少し怖気づいているようだが。
ファリナはそう宣言すると、仲間達を見渡した。
「ボクも、何か訊いてきてほしいことがあれば、承りますけど……」
「あ、じゃあ、お願いしようかな」
再び手を上げるストライク。
「チャカさんは、ウルさんと何時も仲が良いですね。どんなところが良いと感じてるんですか?とか。話してくれるようだったら、じゃあ、恋愛に不満なんてありませんよね、というふうに続けて訊いてくれると嬉しい」
「は、はぁ……」
ストライクの質問の意図が読めず、きょとんとするファリナ。
ストライクはそれには構わず、続けた。
「どうしてそんなことを訊くのか、とか言われたら、ただチャカさんとウルさんのことに興味があるから、とか答えればいいんじゃないかな、と思うけど。好きにしてくれていいよ。聞き返さずに、答えてくるか、何か言い返してくるか、追い払われたら、それで引き下がればいいし」
「分かりました、チャカさんにそれとなく聞いてみますね。追い返されないように気をつけます」
ファリナは苦笑して、そう返事をした。
「ファリナがチャカのところに行くなら、オレは…彼女達のところに行こうかと思う」
クルムが言うと、千秋がそちらに視線を向ける。
「彼女達というと……使用人か」
「ああ。おそらくは……リリィとメイだと思うから」
「あの時も、メイドに扮していたな…」
チャカと関わった事件のことを思い出し、苦い顔になる千秋。
クルムは頷いて、ファリナとストライクの方にも顔を向けた。
「ウルのところに行く人がいなくなってしまうけど、オレはやっぱり、チャカの意図を確認する方が先決だと思うんだ。
彼女の部下に聞けるかどうかはわからないけど……とりあえず、やってみるよ」
「……じゃ、これでひとまず、プランは決まった、っていうことかな」
相も変らぬ軽い調子で言って、ストライクは薄く微笑んだ。
「これからしばらく、よろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「お互い、がんばろうな」
「ああ、よろしく頼む」
冒険者達は改めて挨拶を交し合うと、早速ガイアデルト邸に向かうべく、席を立った。

ウェルド港には、毎日たくさんの船が到着する。
その多くが商船であるが、もちろん客船もたくさん着岸していた。
今朝到着したばかりのその船は、シェリダンからのもののようだ。船からぞろぞろと出てくる人の群れには、長い布をぐるぐると巻きつけたようなエキゾチックな服を着ている者が多い。
到着したばかりの客船から出てくる人の波でごった返しているウェルド港に、一人その波に逆らうように足を進める影があった。
髪を完全に覆い隠すほどに厳重にショールをかぶっていて、顔は良くわからない。が、小柄な背丈と華奢な体つきは女性であることを思わせた。
何かを探しているのだろうか、きょろきょろと辺りを見回しながら、目的もなくあちらこちらへと足を迷わせている。船から出てきた人々に幾度となくぶつかり、迷惑そうに眉をしかめられながら、彼女はやがて諦めて人ごみを離れた。
「此処でも見つからない…のね」
ショールに隠れていても明らかに見て取れる憂いの表情で、ため息をつく。
「これだけ探して見当たらないということは、もう発ってしまったのかしら?」
もう一度人ごみのほうに目を向け、それから俯いて首を振って。
「…わたくしも、そろそろヴィーダへ行かないといけないわね」
諦めたように、そう一言呟いた。
と。
「アンタ、今ヴィーダて言うた?」
突如陽気な声がかかり、彼女はぎょっとしてそちらを向いた。
いつの間にそこにいたのだろう。そこには小柄な女性が1人、笑みを浮かべて立っていた。
今来たシェリダンからの船に乗っていたのだろうか。彼女もまたエキゾチックな服に身を包んでいる。耳が尖っていないので地人種族ではないようだが、砂漠の民だからだろう、健康的に日焼けした肌に、長い黒髪。大きな黒い瞳は愛嬌があり、見た目の年齢をぐっと下げていた。おそらくは二十歳そこそこ、といったところだろう。
シェリダン独特の訛りを交えた言葉で、その女性は続けた。
「ウチもな、今からヴィーダに行かなかんねん。せやけど、ウチフェアルーフ初めてなん。道も馬車もようわからんのんよ。
アンタ、ヴィーダ行く言うとったやろ。なあ、一緒に行ってくれへん?」
人懐こい笑顔で言う女性。
彼女は少しの戸惑いを表情に出して、遠慮がちに答えた。
「それは……構いませんけれど…」
「けれど?」
「わたくし実は余りヴィーダの地理に詳しくないのです…行ったことはあるにはあるのですけれど、昔のことで。
ですので、貴女をきちんとご案内できるのか、少し自信がなくって。
…余りお役に立てなそうで甲斐のないことだけれども」
「せやのん?あはは、不案内モン同士やね」
女性は不満どころか、さらに親しげに笑ってみせた。
その笑顔に、彼女の口元も少し緩む。
「…ですから、他の方を探されたほうが良いと思うのですけれど…」
「せやねー、ヴィーダに詳しいヤツ、どっかにおらんやろか。宿屋のほうに行けば、見つかるかもわからんね。
ほな、行こか」
「えっ……」
当然のように促してくる女性に、彼女は少し驚いた。
「あの…ですから、他の方を…」
「探すんやろ?早よ行こ、ウチせっかちやねん」
「あの…わたくしも、ですか?」
「ん?アンタもヴィーダ行くんやろ?一緒に行ったらええやん。アンタもようわからんのやろ?」
「それは…そうですけれども……」
どうやら女性の中ですでに彼女と共に行くということは決定事項らしい。
彼女が困ったように首をかしげると、女性はまたにこりと微笑んだ。
「ウチ、レア・スミルナいうねん。レアでええで。よろしゅうな」
その屈託のない微笑みに、彼女は苦笑交じりに笑みを返した。
「…わたくしはベルグリット・パーシー。どうぞベルとお呼びください」

「じゃあ、これ。確かにお渡ししましたから」
「あいよ、わざわざすまなかったね。ご主人にもよろしく伝えておいてくれよ」
「はい、ありがとうございました」
ミケはそう言って、笑顔で頭を下げた。
長い栗色の髪を三つ編みにし、青い瞳が幼い印象を与える、可愛らしい顔立ちの青年である。黒いローブを身にまとい、肩に黒猫を乗せたその姿は、いかにも魔道を生業としている冒険者です、といった体だった。
彼はヴィーダの常駐宿の主人に頼まれ、ウェルドの「きときとお魚亭」に使いに来たのだった。頼まれていた荷物を渡し、代金を受け取って、後はもう帰るばかりである。
「それにしても、ずいぶんお疲れの様子ですね?」
1日は始まったばかりだというのに疲れた様子の店主に、ミケは少し心配そうに尋ねた。
苦笑する店主。
「ああ、ちょっと前から何だか、妙な集団が泊まっててね。昨日も夜遅くまで、羊がどうの、教会がどうのと、やかましくてかなわんよ。今はどこかに行っちまったようだが、客だから頭ごなしに叱りつけるわけにもいかんし、参っちまったよ」
「はぁぁ、客商売も大変なんですねえ」
ミケは気の毒そうに店主に言った。
と。
からん。
乾いたドアベルの音がして、女性が2人入ってきた。1人はショールをかぶってはいるが、2人ともぱっと目を引く美人である。
ミケは何とはなしに彼女たちの方を見やった。
「いらっしゃい」
「あ、ゴメンなぁ、客ちゃうねん」
先に入ってきた黒髪の女性が、苦笑して店主に言う。
「ウチら、ヴィーダに行きたいんよ。せやけど、どやって行ったらええかようわからんねん。
ここに、ヴィーダに行く人がいはったら便乗しよ思て来たんやけど」
「ヴィーダ?」
店主は鸚鵡返しに聞いてから、ミケのほうを見た。
ミケも店主の言葉を待つまでもなく、笑顔で歩み寄る。
「ヴィーダへ行かれるんですか?」
女性はその様子にぱっと表情を輝かせた。
「せやねん。兄さん、ヴィーダに行くん?」
「あ、僕はミケといいます。初めまして」
「あれ、ご丁寧におおきに。ウチはレアや。よろしゅう」
「……ベル、とお呼び下さい」
後ろの女性も、控えめに頭を下げる。
ミケはそちらのほうにも笑顔を向けた。
「僕、これからヴィーダへ帰る途中なのですが、宜しければご案内しましょうか?」
「ホンマ?!」
レアは大仰に喜んで、ベルを振り返った。
「良かったなあ、ベルはん!案内人が見つかったで!」
「ええ…本当に」
対するベルの方は控えめに、レアが喜んでいるから合わせて喜んでいる風だ。
この2人はどういう知り合いなのだろうと思いつつ、ミケはレアに向かって言った。
「そうですね、徒歩なら…一刻くらいで着くと思いますよ」
「徒歩?!」
また大仰に驚くレア。
このリアクションの大きさは彼女がシェリダン人だからなのか、それとも彼女の個性なのか。ミケはきょとんとして、頷いた。
「はい。ここまでも、徒歩で来ましたし…」
「ちょ、勘弁してえなー」
レアはうんざりしたように肩を竦めた。
「ウチ、ここまで船旅やったんよ?もうクタクタやねん。この上徒歩一刻とか、勘弁してほしいわー。
馬車でいこ?馬車で。馬車やったら四半刻くらいで着くんちゃう?馬車代くらいウチが出したるさかい」
「えぇぇ?あの、そうすると、ちょっと流石に申し訳ないような気も……」
「ええねんええねん。ヴィーダ案内してくれるのやろ?案内賃やと思って、な?」
「しかし、馬車で行くのでは案内する意味も…」
「何言うてんねん。ヴィーダに着いて終わりなんちゃうやろ?ヴィーダてテーベィよりずっと広い言うやんか。ウチが行かなかんところがヴィーダのどこにあるのかわからんかったら話にならんわ」
「あ、そうか。そうですよね。では、馬車代のお礼に、お2人の目的地までしっかりとご案内いたしますね」
ミケが言うと、ベルが遠慮がちに前に進み出た。
「え…あの、わたくしは、レアさんと同じ目的地ではないのですが……」
「え、そうなんですか?」
「あ、ヴィーダに行くというのは…一緒なのですけれど。レアさんとは、ここで初めて…」
「そうだったんですね。では、改めてお2人それぞれの目的地まで、しっかりとご案内します」
ミケが笑顔で言い直したので、ベルは一瞬きょとんとして、それから薄く笑みを見せた。
「申し訳ありませんが…よろしくお願いいたします」
少し安堵したベルの様子に、ミケはもう一度にこりと笑みを見せると、レアのほうを向いた。
「それで、レアさんはどちらにいらっしゃるんですか?僕の知っているところだと良いんですけど…」
ミケの言葉に、レアはどっこいしょ、と、背中に抱えていた荷を降ろした。
「ウチな、ガイアデルト商会いうところに行かなかんねん」
レアの言葉に、ミケがきょとんとして
「ガイアデルト商会……ですか?」
と言うのと。

「ガイアデルト商会に行くんですか?!」

という、高く澄んだ声が響くのとが同時だった。

「助かりました。頼まれ物をしたのはいいんですけど、ヴィーダにはそんなに行ったことなくて……一緒に行ってくださる方がいるなら、その方が心強いですものね」
かたたん、かたたん。
ヴィーダに向かう馬車の中で、最後に声をかけてきたその少女は朗らかにそう言った。
年の頃は、二十歳にも満たないほどだろうか。この中では一番年下に見える。亜麻色のウェーブヘアは腰まであり、ブラウンの瞳が少し気弱そうな印象を与える。華奢、という表現が少し軟らかすぎるほどに細い体。着ている服も旅装束とは程遠く、どう控えめに見ても冒険者という風体ではない。
セラ・アンソニー・ウォンです、と。彼女は丁寧にそう名乗った。
「シェリダンからの商船に乗せて頂いたんですけど、ヴィーダに行くのなら届けてほしいと頼まれたものがあって…住所と地図は頂いたのですけど、行ったことのない場所で不安だったんです」
「地図が、あるんですか」
ミケが言うと、セラはそちらに向かって頷いた。
「はい。こちらです」
自分のたびに持つとは別の荷袋から、丁寧に折りたたまれた紙を取り出すと、ミケに差し出す。
「ありがとうございます。どれどれ……あー、この辺はあまりいったことがないかもしれませんね…」
渡された地図を見て、渋い顔をするミケ。
「近くまでは行けますが、これは自警団とかに道を聞いたほうがいいかもしれませんよ」
「そうなんか。ミケはん、よろしゅうな」
任せる気満々のレアに、ミケは苦笑してはいと答え、地図をセラに返す。
「商船の頼まれ物、というのは?」
「あっ、ええと…不備のあった書類を修正したので、再提出するものだそうです。商船の運航の予定表もろもろのようです」
セラは地図をしまいがてら、中の紙束をぱらぱらとめくった。
「クロノ・スーリヤという方のお名前が書類の端にあります、おそらくこの方に届ければよいのだと思います」
「商会の方ですかね……すいません、僕は聞いたことない名前なんですけど、ガイアデルト商会って」
「あ、私もです…」
「……わたくしも」
3人は同じように微妙な表情で顔を見合わせてから、レアのほうを向いた。
「どんなところ、なんでしょうか?ガイアデルト商会、って」
セラが代表して尋ね、レアは苦笑してそれに答える。
「ごっつぅでかい商会らしいで。ちゅーても、店先に屋号かかえて直接商売しとるんやのうて、貿易やら、先物取引やらでおおきゅうなったとこやし、商売やってへんモンらにはあまり馴染みの無いもんなんちゃうんかねえ」
「…なるほど。確かに、お店でも商品のメーカーでもないところなら、消費者は知らなくて当然ですよね」
納得して頷くミケ。それから、さらに問う。
「そのガイアデルト商会に、シェリダンから荷物って、なんでしょうって聞いても?」
「ああ、コレな」
レアは言って、先ほど背中からおろした大きな荷物をぽんと叩いた。
「シェリダンの工芸品やねん。砂の結晶を花の形に加工したモンでな、これがまたごっつう高く売れんねんで!」
「へぇ……そうなんですか」
興味津々のセラ。
「そういうのもあるんですね…ちょっと見せてもらう訳には?」
ミケが言うと、レアは苦笑した。
「堪忍な、これ、ちょぉ壊れやすくて、めっちゃ厳重に包んであんねん。ここで見せたることできんのんよ」
「そうなんですか…今度、辞典ででも調べてみようかな…」
「私も見てみたかったです…!」
残念そうなミケとセラ。
「その荷物は、先程セラさんが仰った…クロノ・スーリヤという方宛ての荷物、なのですか?」
ベルが問うと、レアは眉を寄せた。
「いや、ウチが聞いたんは別の名前やったで。ええと…うら………なんやったかな。ちょぉ待ってな」
ごそごそ。
レアは荷物の中を漁って、何やら書類らしき紙切れを取り出した。
「せや、ウラノスはんいう人や。なんや、社長さんらしいで」
「社長……ということは、セラさんがお届けする方は社長ではない、ということですね」
「あっ、あの、商船の運航の予定表なんて、社長さんに直接渡すものでもないですよ…!」
あわあわとよくわからないフォローをするセラ。
レアがそれに同意して頷いた。
「せやせや。ごっついでかい会社らしいしなぁ、シャチョさんがそんな末端のことまで面倒みいひんのんちゃう?
きっとものごっついハゲで脂テッカテカのおっさんやで!はよ用事済ませよな!」
「あ、脂テカテカのおっさんですか……!それは、早く帰ってきましょうね!」
茶化すレアに、真顔で頷くセラ。
ベルは調子を変えずに、重ねて問うた。
「その…ガイアデルト商会に荷物を運ぶのに、わざわざ地理感のない貴女が選ばれた理由はどのようなものでしょう?」
「ん?誤解があるようやね、ウチが選ばれたんちゃうで、ウチがこの仕事やらせてくださいゆうたんや」
軽い調子で答えるレア。
「ウチ万年金欠で困っとるんよー、ビジネスチャンスは経験なくても未知の世界でも掴まなあかんで!」
「は、はあ……」
「ベルはんは、旅芸人はんやったね?ぶっちゃけ、お足のほうはどうなん?」
「お、お足……ですか?」
ベルは戸惑った様子で首をかしげた。
「ごめんなさい、どういう事を聞いてらっしゃるのかしら。上手く理解できなくて、本当に申し訳無いのですけれども…」
「ありゃ、お足て言えへん?」
レアはしまったというように額を叩いた。
「ごめんなあ、訳わからんかったやろ。
お足て、お金のことやねん。まるで足がついてるみたいに、パーっと逃げていきはるやろ?」
「あ、あぁ……そう、なのですか…確かに、お金は…すぐに無くなってしまいますね」
まだ戸惑った様子で、それでもベルは答えた。
「旅芸人というのは得てして余り裕福ではないですし。…そこまで貧窮極めるという事はありませんけれど。
こればかりは興業の儲け次第ですから、やはり安定はしていないかしら?ですから、興業の合間に依頼を受けたりすることもありますよ」
「せやろ?金がすべてやない、言うても、お足がないとなんも出来んよう世の中ちゅうのはできとるもんや」
「そうですよねー……お金がないと、心がすさみますよね…」
どこか遠い目をして言うミケ。
しかしすぐに気を取り直すと、今度はベルの方を向いた。
「ベルさん、旅芸人さん、なのですか?お一人で?」
「あ、いえ……」
ベルは少し戸惑ったように視線を泳がせて、それから苦笑した。
「常には皆と一緒に、旅や興業をして暮らしていますよ。わたくしは、一座で歌い手をしています。
一座の皆は今ヴィーダで興業をしていて、本来ならばわたくしも同行して共にヴィーダへ行くべきだったのですけれども…」
そこで言葉を切ってから、言うべきか迷ったという風に言葉を途切れさせ、ややあって続きを話す。
「……実は失踪した妹を探していたのです」
「妹さん、いなくなってしまったの?」
身を乗り出すセラ。
ベルは頷いた。
「ええ。…丁度、ヴェルドで『妹らしい』女性の話を聞いたものですから…」
「まあ……」
セラは悲しそうな表情で、胸の前で手を組んだ。
さぁぁ……
「…あれ、雨ですかね。さっきまでいい天気だったのに」
馬車の窓から見える景色に、ミケは少しきょとんとして呟いた。
しかし、すぐにベルの方に意識を戻し、問う。
「妹さんらしい女性、というと?そんなに特徴的な方なんですか?」
「………」
ベルは一瞬ためらって、それから静かに目を閉じた。
「…実は……」
そして、ウェルドからずっと頭のほとんどを覆っていたショールをゆっくりと脱ぐ。
「まあ……!」
セラの驚きの声が、彼らのみを乗せる小さな馬車に響き渡った。
ショールで隠れていても際立つ美貌は、隠れていた長い金の髪と共に露になることでより鮮やかに魅せていた。髪の間から大きくその存在を主張する耳が、その美貌の理由を語っている。
「…わたくし、実はエルフなのです。当然、妹もまたエルフ……妙齢のエルフの女性の情報を聞くと、ついつい妹ではないかと思ってしまうの。エルフというのはそうそういるものでもないでしょう?」
「あー……まあ、一般的にはそうですねえ」
気のない返事をするミケ。魔術の師匠やら、その弟やら、塾の経営者やら、魔術師ギルドの総評議長やら、彼の知り合いのエルフ率は高い。だがまあ、そこはあえて主張するところでもなかろう。
「でも…妹さんには、お会いできなかったんですよね?」
なおも哀しげに、セラ。
ベルは小さく頷いた。
「人違いであったのか、行き違ったのか…ウェルドでエルフを見つけることは出来ませんでした。残念ですけれど…」
「そうなんかー。それでベルはん、ウェルドできょろきょろしてはったんやね」
レアも気の毒そうに相槌を打つ。
「でも…いつかきっと、妹に会えることを願っていますわ。それまで、わたくしはあの子を探し続けます」
「家族に会えへんのは、寂しいもんなあ。ウチも、よう気持ちわかるで」
「レアさんは、ご家族は?」
ミケが訊くと、レアはにこりとそちらに笑みを向けた。
「オカンがおってんけど、ずいぶん前にのうなってもうてん。ウチ、貧乏やったさかい、まあ働きすぎたんやなあ」
「そ、そうだったんですか…すみません、不躾なことを訊いて」
「かまへんかまへん。ベルはんの気持ちわかる言うたんはな、ウチにも生き別れの兄ちゃんがおるんよ」
「まあ、そうなのですか?」
身を乗り出すベル。
レアは苦笑して手を振った。
「ゆうても、ウチ顔も見たことないねん。物心ついたときには、ウチにはオカンしかおれへんかったん。オトンと判れて、兄ちゃんはオトンが引き取りはったんやて。せやから、ウチも向こうも顔もわからん思うわ」
「レアさんは…お兄様に、会いたいとは思いませんの?」
ベルが訊き、レアはさらに苦笑を深めた。
「会うてもなぁ、何話せばええんか。会ってみたいなぁ、思たことはあるけど、もうウチも兄ちゃんも別々の人生歩んできてるやろ?
ウチが知らんでも、兄ちゃんがどこかで幸せにやってれば、それでええと思うんよ」
「…………」
レアの言葉に、ベルは寂しそうに俯いた。
すると、元気付けるように、セラがベルに言う。
「ベルさん、私、早く妹さんが見つかるように、お祈りします」
「お祈り……?」
顔を上げてセラを見るベル。
セラはにこりと微笑んだ。
「はい!私、こう見えても祈祷師なんです。シェリダンでも、雨乞いのお祈りをしてきたんですよ」
「祈祷師さん、なんですか」
驚いた様子で、ミケ。
セラは笑顔のまま頷いた。
「はい。たっぷりと雨を降らせてきました」
「雨を……降らせて?」
「ええ。まだ目がヒリヒリします。そこで聞かされた悲しいお姫様の話は今でも思い出すと――、いけない……涙が」
ほろ。
セラが思い出し泣きの涙を拭うのに呼応するように。
ざああぁぁ…
先ほど振り出したにわか雨が、一段と勢いを増す。
「……まさか…」
この雨は、彼女が降らせているというのか。ミケはその言葉の先を出すのがなんとなく怖くて、口をつぐんだ。
「…失礼しました。良く言えば感受性が高く、悪く言えばすぐ泣いてしまうんです」
涙を拭い終えて、またにこりと微笑むセラ。雨の勢いも少し弱まったようだ。
「ですので、ベルさんの妹さんが早く見つかるように、私もお祈りしますね」
「えっと……でも、雨乞いの祈祷師さん、なんでしょう…?」
なんとなくつっこんでみるミケ。
セラは心外そうな顔をした。
「雨だけではないですよ。晴れにしたり、風を吹かせたりできるんです」
「あー……」
そういうことではないのだが。
なんとなく、追求しても徒労に終わりそうな気がして、ミケは再び口をつぐむ。
ベルは微笑して、セラに言った。
「わざわざ気遣ってくれて有り難うございます。…そうですね、セラさんさえ宜しいなら…
妹が見つかるように祈祷して頂こうかしら」
「はい!…あ、レアさんは…」
自分に話が振られ、レアはきょとんとして、それから苦笑して手を振った。
「ウチ?ウチはええねん、さっきも言うたやろ?」
「ええと……では、何か他に…望みのようなものはありますか?ここで会ったのも何かの縁、祈らせていただきたいです」
新興宗教のキャッチスレスレのセリフに、レアはうーんと眉を寄せた。
「せやなー、とりあえずは…貧乏脱出したい、やなー」
いやに現実的な願いに、セラも他の二人もきょとんとする。
レアはあっけらかんと手を振って見せた。
「いや、タマのコシとかそんなん、憧れへん?金持ちのイケメンにごっつぅ惚れられて、でかい屋敷で大勢の使用人に囲まれて、働くこともせんと美味い飯たらふく食うて、何もかんも他人にやってもらう左団扇の生活なんや、ええなぁ」
「はは、レアさんらしいですね」
気を取り直したミケが、そんな風に言って笑う。他の2人は相変わらずきょとんとしているが。
「まあ、根っから貧乏性やし、そんなことになってもメイドに混じって掃除とかしとるかもわからんね」
「そうですね、いざそんな風になってみたら、かえって落ち着かないかもしれませんね」
レアの言葉に、ミケも同意して。
レアはせやろー、とミケに笑いかけてから、改めてセラの方を向いた。
「こういう私欲にまみれまくった望みはアカンか。こんなん祈祷したら、神様に怒られそうやね。おおきに、気持ちだけもろとくわ」
「そ、そうですか…?」
セラはなんとなく釈然としない様子で、それでも気を取り直して、手を組んだ。
「では、ベルさんの妹さんが早く見つかりますように……」
しばし、セラの祈りとともに馬車に沈黙が訪れる。
やがて、祈りを終え、セラはベルに微笑みかけた。
「はい、終わりました。妹さんが早く見つかると良いですね」
「ええ……有難うございます。わたくしも、そう祈っておりますわ……」
ベルも微笑を返す。外の雨は、もうほとんど小雨になっていた。
「それにしても、旅芸人はんに祈祷師はんかぁ。なんや、面白い組み合わせやね」
レアがしみじみと言い、ベルが思い出したようにミケの方を向いた。
「そういえば……ミケさんは、ヴィーダに帰るところ、ということですかれど」
「ええ、はい。そうですよ」
「ヴィーダのご出身なのですか?」
「あ、いえ。ええと、僕はヴィーダの出身ではないんですよ。冒険者で、最近はヴィーダを拠点にしているんです。だから、そんなにヴィーダを隅から隅まで知っているようなことは、ないんですけど。
今日、僕はちょっとお世話になっている宿のご主人のお使いでここへ来て、仕事が終わったので戻るところです」
「そうだったのですか……」
「すみません、僕だけなんか普通で。冒険者といっても、僕は魔術の方専門なんですけど」
「わ、魔法使いはるん?すごいわぁ」
レアが興味津々の様子で言ってきたので、ミケはそちらを向いた。
「レアさんは、シェリダンから商品を運んできているようですけど…商人さん、なんですか?」
「んー、残念ながら自分の店とかは持っとらんのんよ。何やっとる、言われたら…何でも屋言うたらええんかねぇ。いろんな仕事掛け持ちしとるんや。今はテーベィの道具商に頼まれて、荷物の運搬業、やね。あはは!」
「ああ、では…運び屋さん、ということですか?なにか…武器とか、自衛の手段は無いんです?」
「自衛?!さすが冒険者はんは言うことが一味違うわぁ」
レアはまた大仰に驚いて見せた。
「ウチ、そんな大したもんとちゃうんよ。こういう依頼の時は、誰かそこまで一緒に行ってくれる強そうな人を見つけてついてくことにしてんねん。今みたいにな」
あはは、と明るく笑って、続ける。
「お金出して護衛やとうことも無いとは言わんけど、そこまで危険な依頼は受けへんし、ウチ、タダで力貸してくれる人見つけるの得意なんやで、ホンマホンマ」
「そ、そうなんですか…」
若干気圧され気味に相槌を打つミケ。
レアは懐に眼をやって、眉を寄せた。
「一応ナイフくらいは持ってるけど、魔法も使えへんし、戦闘になったらクソの役にも立たれへんで。せやから馬車で行こ言うたん。お金も大事やけど、命あっての物種やからね」
ミケに視線を戻して、にこりと笑う。
「ウチには度胸と愛嬌と口の上手さとちょこっとの商売ノウハウがある!戦いは戦いが得意なヤツに任せたったらええねん。せやろ?適材適所や!」
「はは、確かに」
ミケは軽く笑って、話を続けた。
「言葉にシェリダンの訛りがありますけど、普段はシェリダンで活動されているんですか?」
「せや。まあこんな風に飛びまわっとることも多いけど、家はテーベィにあるのんよ」
「テーベィって、シェリダンの首都ですよね。一度だけ行ったことがあるんですよ」
「へぇ、そうなんか」
レアは嬉しそうに頷いた。
それに笑顔を返して、続けるミケ。
「仕事での道すがら、通過しただけなんですけどね。……凄く暑くて、ちょっと移動が大変で。なかなか慣れないと辛いところでした……」
「せやねー、フェアルーフのお人には、あの砂漠はキツい思うわー」
「でも料理は結構美味しくて。あのスパイスとか、独特ですよね。あんまり効き過ぎてる肉料理とかは少し苦手なんですけれど、自分でも料理をするのでちょっと勉強になりました」
「暑いのに熱いモン食べてどないすんねんて、思うやろ?けど、あのカーッと熱くなるんが、かえってええのんよ」
「ええ、僕も意外でしたけど。砂漠の民の、生活の知恵なんでしょうね。シェリダンのスパイスの調合とかってどうなってるんですか?家庭の味とかそういうの、良かったら聞かせて欲しいです」
「ありゃりゃ、魔術師はんやのに、料理に興味あるん?ウチ実を言うとあまり料理上手くないんよ。ミケはんの気に入るようなもん、教えられるか不安やわぁ」
「いえいえ、そんな大げさな。本当に、家庭料理の味付けを教えてくだされば…」
「そか?せやったら、ヴィーダに着いたら香辛料のお店に案内してぇな。なかなか、こっちでは使わんようなモン使うねんで」
「はい、ぜひ」
そこまで喋ってから、ようやく残りの二人を置いてけぼりにしていたことに気づき、ミケはすみません、と苦笑した。
「なんか、僕の好きなことの話ばかりしてしまいましたね」
「いいええっ、お料理の上手な女の人って、憧れます」
セラが満面の笑みでそれに応える。
ん?と眉を寄せるミケ。
「……ええと、セラさん?」
「はい?」
「………ずいぶん久しぶりにこのネタ引っ張り出された気がするんですけど、あの。
僕………男ですけど」
「えっ……」
セラは一瞬、絶句して。
それから、目を丸く見開いた。
「……ええええええ!!!!」

ぴしゃーーーん!!

セラの叫び声とともに、突如雷の音が響き渡る。
「うわぁっ!」
「きゃっ……!!」
慌てて身を竦める一同。
しかしセラは慣れたことなのか、呆然とした様子で口をパクパクさせている。
「わ……私より可愛いです…!!」
「…あ、あの……あまり嬉しくないんですけど……というか、僕って言ってるじゃないですか…」
「最近は僕と仰る女の方も多いですし…」
「…まあ、それは確かに…」
「そんな……男の人だなんて……」
セラはまだショックから立ち直れない様子で呆然としている。
それを、残りの面々もまた、呆然と見やっていた。

この先、彼女に大きなショックを与えたり、悲しい話を聞かせたりするのは厳禁だ、と思いながら。

「以上が、屋敷の大まかな構造だ。何か、質問は?」
ガイアデルト邸の案内を一通り終え、クロは改めて4人に訊いた。
一通り案内するのに八半刻も要する、やたらと大きな屋敷だった。商会の本部と兼ねているとはいえ、この大きさは閉口するしかない。ざっと案内を聞いただけでも、不要なのではと思うような部屋がいくつもあった。
「あ、あの」
クロの問いに、ファリナが遠慮がちに手を上げた。
「こんなお屋敷の中を警護するのに、この格好じゃ…ちょっと、ふさわしくないと思うんですよ」
恥ずかしそうに言って、Tシャツとカーゴパンツの自分の服装を見下ろす。
「何か良い服がありましたら貸してほしいのですが……」
クロはファリナの申し出に、理解できない、というように眉をひそめた。
「冒険者を雇うとは言ってあるし、格好のことは気にしないが」
「あ、いえ、その…やっぱりちょっと、恥ずかしいですし…」
普段から恥ずかしくない格好をしていれば良いのでは、という言葉を喉元で何とか食い止めた様子で、クロは嘆息した。
「どうしても着替えたいなら、メイドにでも頼んで好きな服を見繕ってもらえ」
「はっ、はい!ありがとうございます!」
クロの様子は気にならないのか、ファリナは恐縮して頭を下げた。
「では、早速開始してもらおう。よろしく頼む」
クロはそれだけ言い置いて、踵を返そうとした。
「あー、ちょっと待ってよ」
ストライクが呼び止め、足を止めて振り返る。
「何だ」
「俺さ、屋敷の中は他の人に任せて、ちょっと外で調べ物してこようと思ってるんだけど」
「調べ物?」
片眉をひそめるクロ。どうも、彼の中のストライクの印象は良くないらしい。
それは彼も承知の上のようで、どうということもない様子で重ねてクロに問う。
「彼女とその一味のことを、人を使って調査したい。
お金がかかるけど、かまわないかな?」
クロは少し沈黙して、しかし無表情のまま、答えた。
「…別れさせ屋とは違って、私も身元の調査くらいはしたがな」
さすがに、そこはそうだろう。
しかし、ストライクは堪えた風もなく。
「で、どうだったの?」
「…調査不能。何も判らない、ということが判っただけだった」
「ははっ、案外その調査員が無能なだけだったりしてね?」
からかうようなストライクの言葉に、クロの眉が寄る。
ストライクは苦笑して手を振った。
「冗談だよ、冗談。それに、相手が相手だし、その結果も不思議じゃないさ」
さすがに、屋敷の中で、魔族という単語を出すのははばかったのか。
「…ならば、改めて調査をする必要もあるまい」
「まーまー、そう決めつけるのも性急だよ?現に、ここに2人も、彼女のことを知ってる冒険者がいるし、ね」
千秋とクルムのほうにちらりと視線をやって。
「それに、実際にどんな情報が流れてるか、自分の目で確かめたい。ダメなら諦めるけど?」
あくまでも軽いストライクの様子に、クロは軽く嘆息した。
「……好きにしろ。費用は商会の私の名で回せ」
「サンキュー、期待に応えられるようがんばるよ」
ストライクは微笑して、早速踵を返し、出口の方へ。
するとそれに続くように、千秋がクロの方に歩み出た。
「俺は、先代に話を聞きたいと思うのだが」
「先代に?」
再び眉を顰めるクロ。
千秋は頷いた。
「ウルの話も聞きたいし、チャカの狙いが商会だとすると、商会のことについても詳しく聞きたい。会うことはできるだろうか?」
「…一応、手配はするが…」
クロは少し渋い顔をした。
「……私は、あまり有用な話が聞けるとは…いや、そもそも話が聞けるかどうか怪しいと思うが……」
「…話が出来る状態ではない、ということか?」
「いや」
千秋の質問に、クロは小さく首を振った。
「…先代は、人と話をするのがあまりお好きでない。引退されてからは、その傾向がより強くなっている。
ウル様のことをご相談した時でさえ、発したお言葉は『好きにさせておけ』だけだったからな」
「……そうなのか」
千秋は少し驚いたようだった。
が、すぐに気を取り直して、続ける。
「…だが、こちらにも少し考えがある。無理にとは言わないが、会わせてもらえる訳にはいかないだろうか?」
「そこまで言うのなら、手配をしておこう。地図も用意させる」
「すまない、よろしく頼む」
「…他に、外に行く者は?」
クロはクルムとファリナのほうを向き、確認するように言った。
「オレ達は、屋敷の中で」
「よろしくお願いします!」
2人の返事に、クロは無表情のまま小さく頷くと、では頼む、とだけ言い残して、足早にその場を去った。
「では、行ってくる。こちらのことは頼む」
「はい、いってらっしゃい!」
「千秋も、気をつけて」
千秋も2人にそう言い残し、クロの後を追っていく。
2人はそれを見送った後、お互いの顔を見合わせた。
「じゃあ、オレはさっき言ったとおり、彼女たちを探してみるよ」
「はい!ボクはひとまず着替えさせてもらってから、チャカさんのところに行ってみますね」
「…くれぐれも、気をつけて」
「ありがとうございます!クルムさんもお気をつけて!」
ファリナは元気いっぱいにそう言い、早速誰か使用人を探しに向かう。
元気いっぱいなのが却って不安だというように、クルムはファリナを気遣うように見つめ、それから踵を返して目的の人物を探しに向かった。

「何か、お探しですか?」
「はいぃぃぃっ?!」
きょろきょろしながら歩いているところに不意に声をかけられ、ファリナはオーバーリアクションで振り返った。
するとそこには、メイド服を着た女性がニコニコしながら立っていて。
ファリナはあわあわしながら、彼女に向かって礼をした。
「あ、あのいえ、は、初めまして!」
完全にテンパっているファリナに、くすりと笑うメイド。
「新しいガードの方ですよね。クロさんから伺ってます」
「あっ、そ、そうなんですか。ええっと、ファリナ・フェリオンといいます。よろしくお願いします」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。私のことは、ユリと呼んでくださいね」
「ユリさん、ですね。よろしくお願いします!」
目の前のメイドが、クルムの探しているチャカの配下だとは知らず、力いっぱい挨拶をするファリナ。
ユリはくすくす笑いながら、改めて問うた。
「ファリナさん、何か探してらしたんですか?」
「あっ、そうなんです。何か、このお屋敷で着ていてもおかしくなくて、動きやすい服装があったら、貸してほしいと思って。あ、クロさんの了解は取ってますよ」
「動きやすい服、ですか?」
ユリはきょとんとして首をかしげ、次に笑顔で両手を合わせた。
「でしたら、いいのがありますよ!こちらへどうぞ」
そう言ったかと思うと、ファリナの手を引いて歩き出す。
「あ、ありがとうございます……?」
意外に強い力に引っ張られ、ファリナはわけのわからぬまま別室に連れて行かれた。

「まぁぁ、よくお似合いじゃないですか!」
服を着て出てきたファリナに、ユリは満面の笑顔で歓声を投げた。
「あの……でもこれ……」
ファリナは戸惑った様子で、自分の着ている服を見下ろす。
黒いかっちりとした燕尾スーツに、蝶ネクタイ。どこからどう見ても、執事服そのものである。
「気弱そうな少年執事で、お嬢様やら爆乳メイド長やらツンデレ生徒会長やらその他もろもろからモテモテになれますよ!」
「ええっ?!そ、そうなんですか?!」
「もれなく金貨1万枚ほどの借金もついてきますけど」
「そ、それはいらないです……ていうかこのお屋敷にお嬢様が?」
「いませんけど」
「ですよねー」
コントのような掛け合いをしてから、ファリナはもう一度執事服を見下ろす。
やはりファリナのような少年を想定して作られた服ではないのか、少しだぶついている。
「…でもまぁ、小汚い服でお屋敷内を歩くよりはいいですよね。ありがとうございました」
ファリナは丁寧に例を言って、ついでに目的の場所も聞くことにした。
「ところで、チャカさんはどちらのお部屋にいらっしゃるんですか?」
「あら、チャカ様をお探しだったんですか?」
にこり。
微笑むユリに、何か違和感を感じるファリナ。
(チャカ……さま、って……まさか)
「ファリナ!」
そこに、鋭くクルムの声がかかって、ファリナはそちらを振り返った。
見れば、メイドを一人連れたクルムが、あせった様子でこちらに駆けてくるところで。
そのクルムにも、ユリはにこやかに微笑んだ。
「まあ、クルムさんじゃないですか。お久しぶりです」
ぎょっとするファリナ。
血相を変えて駆けてきたクルム、チャカを様付けで呼んだユリ、そして2人が知り合いだ、ということは。
クルムは2人のところで足を止め、軽く息を整えた。
「……リリィ、ファリナとは何を?」
緊張をはらんだ声で問うクルムに、ユリはにこりと微笑み返す。
「やだークルムさん、この姿の時は『ユリ』って呼んでくださいよ」
完全に茶化した様子だが、クルムは緊張を解かぬまま、改めて問い直した。
「……わかったよ、ユリ。ファリナとは、何を?」
「動きやすい服を、っていうことでしたから、服をお貸ししていたんです。ね、ファリナさん?」
「えっ……あ、は、はい、その通りです」
「そう……」
納得した様子を見せつつも、緊張は解かないクルム。自然と、ファリナも緊張してきてしまう。
「あと、チャカ様のお部屋をお探しのようでしたから、今からご案内するところなんです」
「あっ、あの」
成り行きでチャカの場所を聞いたが、ユリがクルムの探している配下となれば話は別だ。ファリナは慌ててユリに言った。
「場所を教えていただければ、一人で行けますから!」
「そうですか?では、ここをまっすぐ行った先、つき当たりの階段を一番上まで上ってすぐ正面のお部屋です」
「つき当たりの階段を上るんですね、わかりました!」
ファリナは敬礼しかねないほどの勢いでそう言うと、足を踏み出した。
「じゃあ、クルムさん、ボクはこれで」
「ああ、また後でな、ファリナ」
去っていくファリナを見送って。
クルムがあらためてユリのほうを向くと、ユリはにこりと微笑んだ。
「クルムさんは、私『たち』にご用なんですね?」
ユリの言葉通り。
クルムはすでに、もう1人の配下……サツキことメイを連れていた。
黒い髪を後ろで束ね、薄い笑みを浮かべて立っている。
対するユリは、背中までの亜麻色の髪をそのまま垂らしていて。
2人並んだその姿は、彼女たちと初めて会った時のようで、クルムは少し懐かしい思いを感じた。
「ゴールドバーク邸でも、その姿だったな。ちょっと懐かしいよ」
「そうですねえ、もうずいぶん経ちましたね」
「というか、以前居た使用人に代わって、これだけの屋敷の業務を、二人だけで捌いているのか?
それは普通に…凄いと思うけど」
「やだクルムさん、そんなわけないじゃないですか」
ユリはくすくすと笑って手を振った。
「チャカ様が、身の回りの世話をするなら私たちがいい、って仰ったので、私たちがここに参上したんです。
チャカ様のお世話を言い付かっていたメイドは、ウル様にチャカ様の不興をかったと勘違いされて、辞めさせられちゃったんですよ。可哀想ですよねえ」
ちっとも可哀想とは思っていなさそうな表情で、そう言って。
クルムは少し面食らった。
「そう…だったのか。別に、チャカが辞めさせろと言ったわけじゃないんだな」
「まあ、身の回りの世話は、普段やり慣れてる人にやってもらった方が良いですよねえ。私だって、見ず知らずの人に髪とか服とか触られるの嫌ですもん」
「まあ、それは……そう、だな」
なんとなく納得してしまうクルム。
「キャットやセレはここには居ないのか?」
重ねて問うと、今度はサツキが薄く笑った。
「ええ、ここにはわたくし達だけ」
クルムはそちらの方を見て、声に静かな力をこめる。
「彼女達は別行動なのか?…何かチャカから命令されて動いてるのか?」
きょとん、とするサツキ。
その隣のユリが、ぷっと吹き出した。
「クルムさんって、ぜんっぜん変わってませんねえ」
「…え」
今度はクルムがきょとんとする番だった。
ユリはくすくす笑いながら、言った。
「そんなこと訊かれて、私達が本当のことを言うと思うんですか?」
「………」
押し黙ってしまうクルム。
ユリはなおもおかしそうに笑いながら、続けた。
「ここで私が、チャカ様はこんなこと企んでるんですよ、って言ったとしても。
そんなことないですよ、チャカ様とウル様は本気で愛し合ってるんです、って言ったとしても。
きっとクルムさんは信じませんよ。そうでしょ?自分で言ってて嘘くさいんですもん」
「………」
クルムは言葉を返せず、じっとユリを見た。
隣のサツキは、少し呆れたような表情で同僚を見やっている。
当のユリは、至極楽しそうな表情で。
「でも、そんなクルムさんのご期待にお答えして、本当のこと答えちゃいますね」
指を一本立てて、ウインクをして。
「私たちは、チャカ様がどういうつもりなのか、まーったく、知りません」
わざとらしい口調で、そう言ってみせた。
「…知らない?」
「ええ。私たちも、チャカ様に、身の回りの世話をして欲しいって、ここに呼ばれただけです。キャットはカーリィ様のところにいますし、セレはこういうお仕事には向かないから居残りです」
「…そんなことって、ある、のか?」
「そんなこと、って?」
「チャカに、目的を知らされずに動くことなんて……」
「え、そんなもんじゃないですか?」
きょとんとして、ユリ。
「私でもそうしますよ。部下に余計な情報教えて、どこかから漏れたら台無しになるかもしれないでしょ?
部下は手駒で、歯車の一部なんですから。歯車に余計な知恵は要りませんよ」
「………」
絶句するクルム。
部下に情報を与えずに動かすことも、そしてそれを当然のことと受け取っていることも。部下を信用していないとも、それだけ上司に心酔しているとも、そしてその両方とも取れる。
なんにせよ、彼には理解できない世界だった。
クルムは首を振って、質問の方向を変えることにした。
「ヴィーダには最近頻繁に来ていたの?」
「はい。クルムさんも、新年祭の時にキャットにお会いになったでしょ?気が向いたときに来てますよ」
「そうか…ウルさんとチャカが出会ったのは、いつ頃?」
「さぁ……」
「知らないのか?」
「知らされてませんし」
「メ……サツキ、も?」
「存じ上げませんわ」
「そうなのか……」
くしゃ。
クルムは髪をかき上げて、さらに質問の方向を変えた。
「チャカはこの屋敷でどう暮らしているんだ?一日中ずっとこの屋敷に居るのか?それとも、外出も自由にしているのか?」
「外に出るなとは言われていませんよ。でも、あまり外出はされませんね」
「それは…この屋敷の中に、何かがあるから?」
「それは、チャカ様に訊いてくれないとわかりませんよー」
ぱたぱた。
ユリはまたおかしげに、手を振りながら笑った。
嘆息するクルム。
「チャカはあの美貌だし、今までも誰かに惚れられたり言い寄られたりする事はあっただろう。
でもこうやって誰かに惚れられて屋敷に招かれて、それに答えたような事は今まであった?」
クルムの質問に、ユリはサツキの方を見て、首を傾げた。
「あった?サツキちゃん」
「さあ…わたくしは、思い当たりませんけれど」
「だ、そうですよ。私もちょっと、わかりませんねえ。私が来る以前のことは、私にもわからないですけど」
ユリはまたクルムに視線を戻し、にこりと笑った。
それを真剣な瞳で見返すクルム。
「チャカが答えたという事は、彼女がなにかしら、彼か…この家に興味を持ったからじゃないかと思うんだけど……
何故彼で、この屋敷なんだ?
また何か、彼女が興味のある事が、この家にあるのか。それとも、これから起こるのか…?」
その問いは、2人に向けて発しているようには思えなかった。
ユリもそれを理解しているのか、にこり、と楽しそうに微笑んで。
「それは、チャカ様にお聞きしてくださいね。
大事なことだから2回言いますけど、私たちは、なーんにも、知りません」
先ほどと同じように、茶化した口調で言って。
ユリは楽しそうに、くすくすと笑った。
「ご質問、以上ですか?そろそろ、業務に戻ってよろしいでしょうか、ニューフェイスのガードマンさん?」
「あ、ああ……」
少し面食らった様子で生返事をするクルム。
ユリはなおも楽しそうに笑いながら、くるりと踵を返した。
「一応、ガードマンっていうことでこのお屋敷に来てるんですよねー?
仕事しないでメイドさんと喋ってばかりいたら、クビになっちゃいますよ、新米さん?」
ユリの言葉に、クルムは苦笑した。
「…ああ、わかったよ。ありがとう、質問に答えてくれて」
「うふふ、どういたしまして。さ、サツキちゃん、お仕事に戻ろ?」
サツキにそう声をかけて、さっさと歩き出すユリ。
「……ええ。それでは、失礼いたします」
サツキはクルムに向かって会釈をすると、そのあとを追った。
「…………」
クルムはその後姿を、じっと見送るのだった。

時は、今より少しだけ前。
使いの仕事を終え、久しぶりにナノクニに帰った千秋は、いつもはめったに中身に出くわすことのない文箱(郵便受けのようなものだ)に一通の手紙が来ているのを目に留めた。
「何だ……外国からか?」
ナノクニ国内から届く手紙は、フェアルーフのように封筒に入れられて届くものとは異なるため、国外から来た届け物はすぐにわかる。ナノクニの匂いのしないその封筒をひらりと取り上げると、彼は差出人の名を小さく読み上げた。

「……カエルス・ガイアデルト……」

「おお、カエルスから手紙か。懐かしいね」
手紙を渡すと、千秋の主人――柘榴は珍しく柔らかい表情でそれを受け取った。
ナノクニの首都、ゴショのはずれに居を構える彼女は、その昔、ナノクニを治めるミカドによって調伏され、従えられた鬼の一族である。女性ながらに千秋よりはるかに大きな体躯、額から伸びる2本の角が印象的だ。
「見覚えのない名前だな。知り合いか?」
柘榴の従者をやるようになってしばらく経つが、人ならぬものである彼女とは、物理的にも精神的にも、縁のある者というのは限られてくる。大方は把握したつもりだったが、この手紙の差出人の名前を見るのは初めてだった。
柘榴は千秋のほうにちらりと目をやり、それから楽しそうに視線を外にやった。
「そうだね、話したことはなかったよ」
「…というと?」
千秋が促すと、柘榴はどこか懐かしむような表情で、語り始めた。
「もう、何年前になるかな。いや、何十年、か。君が生まれる前の話だよ」
「…少なくとも20年以上は前、ということか」
衝撃的な事実だが、千秋は19歳である。
柘榴は続けた。
「ひとけのない朝方に、海岸を歩いていたら、何か光るものを見つけてね。近くに寄ってみたら、小さな瓶だった」
「瓶?」
「ああ。誰かが捨てたのかと思って拾い上げたら、中に紙切れが入っていた。
自己紹介と、連絡先がね。誰かが拾ってくれることに願いをこめて、瓶を海に流したのだろう。フェアルーフからはるばるナノクニまで、その瓶は泳いでやってきたわけだ」
「気の長い話だな。拾った奴が返事を出す可能性も薄ければ、そもそも瓶がどこかの海岸に流れ着くという可能性も低い」
「まったく、その通りだね」
柘榴は可笑しげにくつくつと笑った。
「が、その低い可能性を潜り抜け、瓶はナノクニにたどり着いた。そして、そんなものに返事を出すほどに暇をもてあましている私に拾われた、というわけさ。何かちょっと、運命じみたものを感じないかね?」
「お前の口から運命という単語が出るところからして薄ら寒い」
「おやおや、ずいぶんな言葉だな」
柘榴はそう言うほどには気分を解した様子もなく、ひらひらと封の開いていない封筒を指先でもてあそぶ。
千秋はその様子を、眉を顰めて見やった。
柘榴の下で動くようになって、そう時が経ったわけではないが。多少なりとも、彼女のことは理解しているつもりだ。
しかし、ただの…そう、直接会ったこともない文通相手からの手紙にしては、彼女の表情は妙に高揚しているように思う。まるで、珍しいマジックアイテムの取引情報を耳にした時のような、微妙に浮き足立った表情。
「……なんだ、初恋の相手か何か…………いや、なんでもない、なんでもないからその目が笑ってない微笑はやめろ」
思ったことを口に出して、即座にそれを後悔する千秋。
「私はしばらくこれを読むから、君は好きにしていてくれて良いよ。ああ、でもすぐに用事を頼むことになると思うから、家からは出ないでいてくれたまえ」
「わかった、用が出来たら呼べ」
千秋はそう言い残して、上機嫌の柘榴を残して部屋を後にした。

そして、半刻後。
呼び出されて再び部屋を訪れた千秋は、入るなり、ずい、と何か箱を突き出された。
「何だ、これは」
「手紙の返事と、届け物だよ。行き先はフェアルーフ、ガイアデルト商会のご隠居だ」
「ただの届けものなら、配達屋に任せたらどうなんだ」
「実は彼の息子に護衛をつけるという話があるそうでね。彼から直接何か頼まれたわけではないが、行きがけの駄賃にひとつ引き受けてきたらどうだい?」
「……仕方がないな」
千秋は嘆息して、その箱を受け取った。
手渡してから、面白そうににやりと笑みを浮かべる柘榴。
「ただし、この手紙は必ず君の手で確実に手渡すように。途中で中を見ればどうなるかは……」
「他人の手紙を盗み見する趣味は無いぞ」
即座にそう返す千秋に、片眉を顰めて。
「……それはそれでつまらないな。もし恋文だ、と言ったら?」
「冗談だろ?」
全否定の千秋。
柘榴は半眼で言った。
「…君は本当につまらない男だな。少しはファンサービスをする気概はないのかい?」
「何のファンだ、何の」
全国一千万人の柘千ファンですよ。
「それから、彼は私が鬼族であることは知らない。くれぐれも、ぼろを出すなよ?」
「ああ、判った」
そう返事をしてから、しかしこの念の入れようは、本当に初恋の相手ではなかろうか、と思う。
しかしそれを口に出すファンサービスは無しのまま、千秋は再びフェアルーフへと渡ることになったのだった。

「ここか……」
入り口から家を見上げ、千秋は小さく呟いた。
ヴィーダ郊外にある、小さな家である。
クロの話では、先代……カエルス・ガイアデルトは、ここで隠居生活を送っているらしい。
どうと言うことのない、普通の家だ。普通の家族が住むならば申し分ない大きさの家だが、先程訪れた本家に比べると見劣りどころの話ではないほどに小さな家である。とても、あの屋敷の元の持ち主が老後を送っている家とは思えない。
「……まあ、入ってみるか」
千秋はひとまず、ノッカーでドアを叩いた。
ややあって、きぃ、とドアが開き、中から執事服の老人が顔を出した。
「……どちらさまでしょうか」
「クロノ・スーリヤの紹介で来た。通してもらえるだろうか」
「伺っております。どうぞ」
執事は丁寧に会釈をすると、ドアを開けて千秋を中に促した。
「………」
中もどうということのない、いたって普通の家だ。家具も調度品も最低限のものばかり、絵画や彫刻のようなものも、花瓶さえ一切無い。
先ほどの豪邸と比べてしまうと、質素すぎる感が否めなかった。
執事のあとを着いていくと、2階にある部屋に通された。
「お客様がお見えです」
「通せ」
中から低い声が響き、執事が恭しくドアを開ける。
自らは部屋には入らずに千秋を促す執事に、千秋は会釈をして部屋の中に入った。
中は、寝室のようだった。さほど広くない部屋の中央に、簡素なベッドが一台。
大きな枕に寄りかかるようにして、老人が横たわっていた。
もう70は過ぎていようか、やせ気味で、短く揃えた白髪に丁寧に整えられた髭が特徴的だ。青い瞳は老齢ながらにかなり鋭く、こちらを値踏みするような視線を向けている。
千秋は畏まって会釈をすると、入り口近くに立ったまま自己紹介をした。
「…一日千秋という。ナノクニの、辛山葵姫の使いで来た。柘榴、と言った方が通るか?」
「………」
老人――カエルスは、少しだけ驚いたように目を見張った。
「…クロの使いだと聞いていたが?」
「柘榴から、力になってやれと申し付かっている。名前は出していないが、依頼は受けた」
「……そうか……」
カエルスの視線が少し弱まったことを、警戒が解けたと判断し、千秋は枕元へと足を進めた。
「預かり物だ」
「……」
カエルスは千秋の差し出した箱を受け取り、無造作に空けた。
中には、フェアルーフ製のものらしき髪飾り。柘榴がつけていた記憶はない。
それに何かの意味があるのかないのか、カエルスは興味なさそうにまた蓋を閉じると、脇の棚に置いた。
「…それで?」
やはり無造作に、千秋にそう促す。
これは質問をしていいのだと解釈した千秋は、早速用意しておいた質問をすることにした。
「…不躾な質問をしてすまないが。
随分とすっぱり商会から手を引いたようだが、執着とかは無かったんだろうか?」
「………」
千秋の言葉に、カエルスは黙ったまま千秋をじっと見つめ返した。
沈黙に戸惑い、言葉を続ける千秋。
「一代であれほどの規模の商会を築きあげた手腕をお持ちだ。歳を取ったとはいえまだまだできる事の方が多いようにも思うが…」
「………興味がなくなった」
「何と?」
ぼそりと言ったカエルスに、千秋は眉を寄せて問い返した。
ぎろり、と千秋の方を見て、もう一度繰り返すカエルス。
「……儂の手に入れたかったものは、手に入ることはなかった。
儂があの商会にいる意味も、もう無い。後がどうなろうと、知ったことではない」
「な……」
絶句する千秋。
あれだけの規模の会社を、それも作った当人が興味がないとは、一体どういうことか。
「手に入れたかったもの、とは?」
「………」
重ねて問うも、黙ったまま答えないカエルス。
答える気はない、ということだろうか。
千秋は質問を変えることにした。
「では、跡を継いだ当代…ウラノス、については、期待されているのだろうか。クロに聞いた話では随分と歌舞伎者と思われているそうだが……」
「何度も言わせるな」
千秋の言葉を遮るようにして、カエルスは低く言った。
「後がどうなろうと、儂の知ったことではない。ウルがそうしたいのなら、好きにさせておけ。クロにもそう言ってある」
「ああ…確かに、そう聞いたが」
クロに聞いたときは半信半疑だったが、今改めて思い知らされる。
放任というのではない。この老人は本当に、自分の息子に対して全く興味がないのだと。
千秋は苦い内心を押し隠して、質問を続けた。
「彼の警備の仕事もある。もし差し支えなければ、ウルの身の上や交友関係でご存知のことをお聞きできないだろうか。
それと……ご夫人、つまり当代のご母堂にもお話を聞ければと思っていたが、難しいだろうか」
「知らん」
「は?」
にべもないカエルスの答えに、また問い返す千秋。
カエルスはまた、ぎろり、と千秋の方に視線をやった。
「あれの母は、あれが小さい頃にあれを置いて家を出た。
ウルのことはすべてあれに任せていたし、あれがいなくなった後は人を雇って面倒を見させていた。
儂は一切何もしていない。ウルの交友関係など、知るはずもない」
「………そうか」
今度はある程度予想していたので、ショックは少ない。千秋は嘆息すると、質問の向きを変えることにした。
「では、今度は先代ご自身のことについて聞かせてもらいたい」
居住まいを正して、改めて問う。
「今まで多忙であったことは想像に難くないが……引退された後は普段何をされているんだろう」
「…見ての通りだ」
カエルスの答えは端的だった。
「体を壊した。療養の身だ。大人しく隠居をしている」
「ふむ」
改めて近くで見ると、やせ気味というか、本当に痩せていた。肌の血色も良くない。医療は専門ではないが、素人目にも元気はつらつというわけではないことくらいは判る。
「この家は……本宅に比べると、ずいぶんこぢんまりとしているが。警護の方はどうなのだろうか?
家にいるのは…先ほどの執事と?」
「それだけだ」
「…2人だけなのか?」
「儂の世話をするだけなら、一人で十分だ。あやつは儂が若い頃からずっと仕えている。信用の置ける奴が一人いればすべて事足りる」
「そうか……長い間勤めているなら、外部の者という心配もない、な……」
千秋はそのあたりの心配はないと踏んで、さらに質問を進めた。
「近頃は、変わった客はいなかっただろうか?……いや、俺以外で」
一人ツッコミをくれて問う千秋。
カエルスはしばしの沈黙の後、答えた。
「訪ねてくる者など無いが…訪ねてきたとしても、執事に門前払いさせている。出来れば誰とも話したくないのでな……」
「…そうなのか。面会の許可をいただけたこと、感謝する」
「……クロの紹介ならば、無碍に断るわけにも行くまい」
つまらなそうに言うカエルス。
千秋は嘆息して、さらに続けた。
「見たところ……新聞や手紙などはなさそうだが。あまり情報収集などはしていないのか?
いや、剃刀入りの手紙とかもあるらしいし、少し気になってな」
何も言われていないのに言い訳じみたことを言ってみる千秋。
カエルスは特にそれには興味なさそうに、言った。
「手紙の封は執事に開けさせている。新聞は届いたものは毎日読んでいるが、それだけだ。
どうしても必要なものは執事に揃えさせるが、さほど何も必要ではない」
こちらから積極的に情報収集をすることはない、ということか。
「では、ここには訪問客もめったにないし、ご自身が出かけることも…」
「見ての通りだ、と言ったはずだ」
憮然として、カエルス。
思うように動くこともままならず、この上どうやって外出などするのかと、言外に語っている。
千秋は嘆息した。
「了解した。療養中のところ、手数をかけた。念のため、この家の周りに怪しげなものなどないか、チェックしてから帰りたいが、構わないだろうか?」
「……好きにしろ」
カエルスはそれだけ言うと、口を閉ざした。
千秋は丁寧に礼をして、部屋を後にする。
そして、言葉の通り、執事に色々聞きながら、家の中やその周辺、以前の経験から消毒液や絆創膏まで調べてみたが、特に怪しげなところは見つからなかった。
調べ方が足りないのか、それともここは標的の範疇に入っていないのか。
千秋は嘆息すると、執事に礼を言って、家を後にするのだった。

「今日からこのお屋敷の警備員として配属されました、ファリナと申します。以後よろしくお願いします」
一方、チャカの部屋に入ったファリナは、多少緊張した面持ちでそう挨拶を述べ、深々と礼をしていた。
最上階に位置する、広い広い客室のようだった。安っぽい豪華さに満ち溢れた内装はいかにも成金といった風情だったが、ファリナにはそこのところはよくわからない。広くて豪華な部屋だな、と驚くにとどまった。
そして、その中央にしつらえられたソファにゆったりと座っていたのが、彼女だった。
「……チャカ、よ。よろしくね」
褐色の肌に尖った耳。見かけだけならストライクと同じ地人だが、そうでないことをファリナは知っていた。長い長い黒髪をゆったりと広げ、大きなオレンジ色の瞳はこちらを射抜くような視線を投げかけている。紅く彩られた大きな唇は面白そうに形を歪ませていて、そしてクロの言う通り、その容貌はかなり整った部類に入ると言えた。ただ美しいだけでなく、独特の雰囲気がある。それは、彼女が一言発しただけで部屋の空気が変わってしまうような気さえさせた。
おそらくチャカを知るものだったならば、彼女がいつも纏っているリュウアン風の服を着ていないことを目に留めただろうが、ファリナはチャカとは初対面である。フェアルーフ風のゆったりとしたワンピースを纏っている彼女に、特に違和感は感じない。
「……っと」
あやうく見惚れてしまいそうになるのを奮い立たせ、ファリナは言葉を続けた。
「えぇと、チャカさん、とお呼びしても良いでしょうか?」
「どうぞ……お好きなように」
嫣然と微笑むチャカ。
ファリナは少し安心した様子で、微笑んだ。
「それでは、チャカさんと呼ばせていただきますね」
それから、部屋の内装を改めて見渡して、感嘆の声をあげる。
「しかし、お金持ちの生活はすごいですね……ボクにはとても考えられないです。誰もが一度は夢見ますよね、こういう生活は」
チャカはくすりと鼻を鳴らして、首を傾げた。
「ふふ、そうね……人は自分に無いものを羨むものだわ。
案外、ウルもアナタたちのような生活に憧れているかもしれないわね?」
ファリナは少し驚いたように、チャカに視線を戻した。
「確かに、自分に無いものを羨ましいと思ってしまうのはよくあることですね」
納得した様子で、頷いて。
それから、本文を思い出したように、慌てて言葉を続けた。
「っとそうだ、警備の仕事を仰せつかっているので、その事について少しお話をしたいのです。
最近何か不審な人物を見たり、気になったりしたことはありましたか?」
「不審な人物?」
チャカはファリナの言葉を繰り返してから、ゆっくりと微笑んだ。
「今、ここにいるでしょう?」
「えっ?」
思っても見なかったことを言われ、きょとんとするファリナ。
チャカは楽しげに目を細め、続けた。
「アタシは、この屋敷にとって招かれざる客だわ。この屋敷の人間にとっては、この上なく不審な人物でしょうね?」
「そ、そんなことはないと思いますよ。ウラノスさんが招き入れた大事なお客様ですから」
慌ててフォローを入れるファリナ。
いきなり何を言うのだろうか、と驚いた様子で。ファリナは誤魔化すように、話題を変えた。
「しかし、話には聞いていましたがチャカさんは綺麗な人ですね。ウラノスさんが夢中になっているという話にも納得がいきます」
「あら、ありがとう」
天然で容姿を褒めるファリナに、しかしそんなことは言われなれているのか、特にどうと言うこともなく受け止めるチャカ。
そして、にぃ、と笑みを深めて。
「アナタも素敵よ?アタシのような女はアナタの対象外かしら?」
くすくす、と、からかうようにそんなことを言う。
ファリナは苦笑した。
「あはは、お世辞だとしてもありがとうございます。チャカさんのような美しい方は、ボクには勿体ないですよ」
天然防御でチャカの言葉を軽く受け流すと、おそるおそる質問を続ける。
「…その、ウラノスさんとの出会いなどを聞いても良いですか?」
「ウルとの出会い?」
チャカはきょとんとして、それから記憶を手繰るように視線を動かした。
「そうね、確か……ヴィーダの酒場で豪遊しているところを見かけたの。ウルの方から声をかけてきたわ。俺の女にならないかって」
その仕草は記憶を辿っているようにも、今作り話をしているようにも見える。
「でも、一度『試して』みたら、カレの方がアタシに夢中になっちゃったみたいねぇ。是非屋敷にきてくれって言うから、お言葉に甘えることにしたのよ?」
意味ありげに言って、ファリナに視線を戻して。
しかしファリナは「試す」の意味を図れず、きょとんとして首を捻った。
くす、と鼻を鳴らして、立ち上がるチャカ。
「何を試したか?……訊きたい?」
一歩、二歩、とファリナに歩み寄って。
「アナタなら実地で教えてあげてもイイのよ…?」
顔を近づけて、つ、と顎に指をかける。
「っ?!い、いえ結構です!」
ファリナは顔を真っ赤にして後ずさった。
チャカはそれ以上ファリナを追うことはせず、満足げな笑みを浮かべてくすくす笑っている。
ファリナはとにかく落ち着こうと深呼吸をした。
「……え、ええと。ウラノスさんとは、その、とても仲が良いと聞いていますけど」
とりあえず、頼まれた質問をしてみようと、息を整えて。
「ウラノスさんのどんなところが良いと思うのですか?」
「あら……っふふ。ちょっと違うわ。アタシがウルを気に入ってるんじゃないわ、ウルがアタシに夢中なの。アタシはそれに応えているだけ」
自信ありげな笑みを浮かべて、そう言って。
「けどそうね…どこが良いかと言われたら……ああ、アッチはとても強いわ。それだけは満足ね、ふふ」
「……?」
再び、チャカの言葉の意図がつかめず、きょとんとするファリナ。
チャカは再び、面白そうに目を細めた。
「アッチがドッチなのか?……聞きたい?」
「い、いいぃえ、結構です」
かなり動揺が顔に出ているファリナ。がんばれファリナ。
「では、ウラノスさんとの恋愛関係に不満はないのですね?」
「アタシは、恋愛をしているつもりは無いけど?」
首を傾げて、肩を竦めるチャカ。
「この状態を恋愛というなら、そうなのかしらね?不満は無いわ、ウルはアタシによくしてくれてるもの。怖いくらいに…ね」
くすくす。
チャカの様子は、酷く蠱惑的で……そして、得体の知れなさを感じさせる。
ファリナは気配に飲まれまいと強く思いながら、話題を変えることにした。
「そうだ、ボクはこのようなお屋敷は初めてなのですが、チャカさんはどうですか?」
「このようなお屋敷っていうのは、大きさのこと?」
チャカはつまらなそうに言って、辺りを見回した。
「大きいと言うだけなら、ウチの方が大きいわ」
「そ、そうなんですか……?あ、でもほら、家具とかもすごく立派ですし…」
「豪華であれば高価だと勘違いしてる、いかにも成金くさい趣味ね。アタシの趣味には合わないわ」
にべもないチャカ。ファリナは出鼻をくじかれた様子で、しかし当初の予定通りに話を進めることにした。
「ええと…チャカさんの招き入れた使用人の方々がいると聞いたのですが、専属の使用人さんですか?」
先ほどの、ユリ、という少女がそうなのだろう。そして、クルムが連れていたもう一人の黒髪の少女も。
チャカは彼女たちのことを話題に出すと、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、あのコたちは、元からアタシの家にいたコたちなの。世話をしてもらうなら、気心の知れたコの方がいいでしょう?辞めさせられちゃったコには気の毒だけど、アタシはあのコたちの方がよかったから」
「なるほど、そういうことだったのですか」
納得して頷くファリナ。
特にチャカのほうから積極的に辞めさせたというわけではなかったのだ。そんなことに、少し安心してみる。
「しかし、家が使用人付きのお屋敷とは…チャカさんはどこかの名家の出ですか?」
「名家…といえば、名家なのかもねぇ……アタシはあまり興味は無いけど。あのコたちは、もともと家にいたんじゃなくて、アタシがスカウトしたのよ」
そう言って、再び面白そうに、にぃ、と唇の端を吊り上げて。
「…そのあたりのことは、アナタのお仲間に知ってるヒトがいるんじゃないかしら?」
「えっ……」
チャカの言葉に、ファリナはぎくりとして彼女を見た。
「…訊いてみたら?」
に、と楽しそうに目を細めるチャカ。
「…そうですか?では聞いてみることにします」
ファリナは極力平静を装って、そう答えた。
こちらのことも、もうすべて知れているのだろうか。そんな不安が胸をよぎる。
と。
「ところで、アナタ、警備の仕事をしているんじゃないの?いいの?アタシのところでこんなに油を売っていたりして」
不意にそんなことを聞かれ、ファリナはきょとんとした。
「アナタの雇い人も、そのまた雇い人も…いい顔をしないんじゃないかしら」
「…確かにそうですね」
チャカのことばかりに気がいっていて、クロやウルのことまで気が回っていなかった。確かに、長居をしすぎても不自然だろう。
ファリナはしまったな、というように少しだけ眉を寄せる。
チャカは面白そうにくすりと笑った。
「アタシの部屋に長々といて…ウルにボコボコにされても知らないわよ?それとも……そんなにアタシとずっとお話していたい?」
誘うような上目遣い。
ウルはこの瞳に惑わされたのだろうか、と思う。妖艶で、抗い難い魅力のある瞳。
「…では、最後に一つよろしいでしょうか?」
ファリナはその思いを振り切るようにして、真剣な表情を作った。
「先ほどチャカさんは、チャカさん自身が不審人物だと言いましたが……」
そこで、言葉を切って。
真剣な瞳で、確認するように。ゆっくりと問うた。
「………悪いことは、何もしないですよね?」
ストレートな問い。
チャカはしばらくその瞳を見つめ返し、やがてまた、くす、と面白そうな笑みを浮かべた。
「悪いこと……って、何、かしらね?」
「……えっ?」
思わず問い返すファリナ。
チャカはくすくすと楽しげに笑った。
「たとえば…好きなコに花を贈る、可愛らしい優しい気持ちね?でも、生きながら体を切断される花の気持ちなんて、ひとつも考えてない。さあ…これは、良い事かしら?悪いことかしら?」
歌うように、楽しげに視線を泳がせて。
「ヒトは哀しい生き物だわ。何かを犠牲にしないと生きていくことができない。
食べることもそう、着ることもそう、生きることすべてが何かを犠牲にして成り立ってるわ。ナノクニでは、業、と言うのだそうね。その、すべての罪に目をつぶって……自分にとっての『悪いこと』を勝手に決めて、他人を糾弾する。そんな、可哀想で…可愛らしい生き物だわ」
そう言ってから、再びファリナに視線を戻して。
ぴ、と人差し指を、彼に向かって突きつけた。
「逆に、アナタに訊くわね。アナタは…どうなの?アナタは……何も悪いことを、していないの?そう…言い切れる?」
「……それは…」
ファリナは言葉を詰まらせ、視線を動かしながら腕を組み替えたりして、しきりに考えているようだった。
やがて。
「えぇと、そうですね…」
そして、答えが出たのか、チャカに向き直ると。
「色々考えると、言い切れないですね」
苦笑して、そう答える。
「すいません、聞き方が悪かったようです。…あ、悪いことしてましたね、っとそれは置いといて」
一人ツッコミをくれてから、改めて居住まいを正す。
「ボクは、チャカさんの意志が聞きたかったのです。悪いことをしないという意志があるかどうか」
真剣な表情に戻って、そう言って。
しかし、その真剣な表情は長くは続かない。
「…でも、本当に、『悪いこと』ってなんでしょうね。今まで、そんなに深く考えたことはありませんでした」
俯いて、戸惑ったように声音を揺らす。
「誰かが悲しんだり、辛かったり、怒ったり、嫌がったりする…そんなことが『悪いこと』なんだと思っていました。正義や悪、それに、業、でしたっけ?そういう難しいことじゃない、もっと単純なことだと思います」
考えを述べるというよりは、当然のこと、というように。
「それは難しいことを避けるんじゃなくて、出来ることをやるっていうか、出来ないことは悪いことかもしれないけれど…」
だんだん、自分でも何を言っているのかわからなくなってきたのだろう。言葉を詰まらせると、頭を振った。
「…あはは、ボクの考えを言ったって、悪いことが何なのかは決まらないですよね。これではチャカさんがボクの質問に答えられません」
苦笑して言ってから、改めて居住まいを正す。
「そうですね、今は…チャカさんにとっての『悪いこと』を信じて、それをしないという意志があるのかを答えてもらえれば構いませんよ。答えるのは、チャカさんなのですから」
ファリナの言葉に、チャカは再び楽しそうに目を細めた。
「…っふふ……可愛いコね」
すい、と顔を近づけて。
驚いて後ずさるファリナを、楽しそうに見やる。
「ひとつ教えてあげるわ。ヒトってね…どんなに他人を泣かせていても、自分が悪いことをしている、なんて思わないものよ?」
「えっ……」
言葉の意図を量りかねて、ファリナ。
チャカはにぃ、と笑みを浮かべた。
「言い方を変えましょうか?ヒトって、自分が『正しい』と思っていることしかできないものよ。
どれだけヒトを傷つけても、泣かせても、殺しても……それがそのヒトにとって『正しい』からそれをすることができるの」
「そんな……」
「みんながアナタと同じ価値観じゃない。だからアタシはアナタに『悪いことって何?』って聞いたわ。
でもアナタは『アタシにとっての悪いこと』だと答えた。なら、アタシの答えは簡単だわ」
再び、ファリナに顔を近づけて。
慌てて下がろうとしたファリナがドンと背中を壁にぶつけ、逃げ場がないことを知る。
つ。
紅く彩られた爪の先を、かすかにファリナの顎に触れさせて。
「こんな言葉一つでアナタが安心するなら、いくらでも言ってあげる。
『アタシは、アタシが悪いと思うことは、一切しないわ』?
っふふ…これで、アナタは…満足?」
「………っ、は、はい……」
苦しげにファリナがそれだけ言うと、チャカは満足げに微笑んで、顔を離した。
は、と息をついて。
「お話しできて……楽しかったです、ありがとうございました」
複雑そうな表情で言うファリナに、チャカはにこりと微笑を返す。
「こちらこそ、とても楽しかったわ?またいらっしゃい、ウルのいない時に」
「いえ、あの…警備以外のことでも何かお困り事がありましたら、何なりとお申し付けください」
「そうするわ、ありがとう」
「では…失礼します」
言って頭を下げると、ファリナは急いで部屋を出た。
きぃ、ぱたん。
閉めたドアにもたれかかって、まるでそれまで息をしていなかったというように、深く深呼吸をする。
天井を見上げて、まとまらない思考でぼうっとしていると…不意に、声をかけられた。
「御用はお済みですか?」
「っ…」
慌てて声のした方を見ると、先ほどクルムが連れていた、黒髪の少女だった。
少女は薄い笑みを浮かべると、ファリナに言った。

「ウル様が、チャカ様をお呼びなのですけれども…」

「ガイアデルト商会当代理事、ウラノス・ガイアデルト、その愛人チャカ、先代理事、商会理事補佐クロノ・スーリヤ、この4名の経歴をできるだけ詳細に調査してほしい。
あと、ガイアデルト商会の評判も調べてくれ。良い噂、悪い噂、知名度、業績、将来性、市場シェア、競合先、アライアンスそのほか何でもいい。わかるだけ」
一気にそれだけ並べ立てたストライクを、その探偵は無表情で見返した。
とりあえずの情報収集先として候補に挙がったのが、探偵、元スパイ、情報屋といったところだったが、生憎一介の山師でしかないストライクにはスパイにも情報屋にも知り合いはいない。そのような者達が看板を掲げて商売をしているはずもなく、またそのつてもないことから、探偵を生業にしているところに飛び込みで入る他なかった。
先に入った2件は、どうにも頼りなさそうだったのでこちらから依頼を辞めた。こういう時の彼の勘は当たるのだ。さて、彼はどうか。
無表情というか、無愛想な男だが…と、ストライクが値踏みをするような視線を向けると。
探偵は無言で立ち上がり、後ろにあるファイルの詰まった棚の前に立った。
よく整理されている風の棚から、一冊のファイルを取り出し、パラパラとめくる。
「………ガイアデルト商会。およそ40年前に発足した貿易会社。毛織物の貿易が成功したことから徐々に輸出入の品目を増やし、10年で業績を50倍に拡大、貿易以外の事業、先物取引などにも手を広げ、大成功を収める。大きなところではオルミナ、リュウアン、マヒンダ、シェリダン、リゼスティアルに支社を持ち、各地で業績を伸ばしている。商品のメーカーでないことから会社として一般消費者への知名度は低いが、商社として商売の世界で名を知らぬものはない。フェアルーフでのシェアは子会社も含めると60%を超える大企業だ」
はらり。
ファイルに綴じられた資料にそう書いてあるのか、淡々と読み上げていく探偵。
「一代で財を築き上げた理事、カエルス・ガイアデルト。フェアルーフのはずれにある農村の出で、10代でヴィーダに単身上京、起業。独自の経営理論で瞬く間に業績を広げたが、多分に攻撃的で、敵を作りやすい人物像であったという評判が色濃い。業界内に敵は多く、また敵をねじ伏せるタイプの人物であったため、彼に恨みを持つ人物は多かったと予想される。競合先も多岐に渡り、何かが起こったときに特定することは困難だろうと言われていた。
2年前、カエルスが病を患ったため引退、一人息子のウラノスが理事を引き継いだ。このウラノスの評判自体は、あまり業界には上がってきていない。評判が立つほど表に立っていないと思われる。繁華街を遊びまわっているという噂はあるが、詳細は不明。そこまで注目はされていないという理由が大きい。業績下降の傾向は見られないが、二代目が商会をつぶすのではないかという噂は立っている。
業績下降を大きく阻んでいるのが、5年前より理事補佐の役職についている、クロノ・スーリヤ。商会に中途採用で雇われ、大きな功績を挙げたことから理事補佐に抜擢、以後カエルスの右腕として手腕を振るう。ウラノスに代替わりしてからは、彼がほぼ理事として商会の業績に貢献していたと思われる。商会に採用される以前の経歴は、不明」
ぱたん。
読み終えたのか、ファイルを音を立てて閉じてから、探偵はストライクの方に視線を向けた。
「……経済新聞、経済誌から纏められる情報はこんなところだ。愛人の情報まではさすがに出ていないから足で探ることになるが、時間がかかる。構わんか?」
「もちろん」
ストライクは気に入った、というようににまりと笑った。
「どれくらいかかるのかな、見積もりとかって出る?」
「実費が日当金貨1枚、プラス必要経費だ」
「充分。支払いはガイアデルト商会のクロノ・スーリヤ宛に出しといてよ」
ストライクの言葉に、探偵は眉を寄せた。
「………雇い主の金を使って、雇い主の調査をするのか?」
「ん?まあ、ついでついで。メインはあくまで、その愛人だからさ。ちょっとヤバそうな女らしいけど、良い情報がつかめたらその分上乗せして請求してくれていいから」
「……金になるなら、どちらでも構わないが……」
探偵は憮然として、テーブルの上の帽子を手に取り、かぶった。
「では、早速調査に出る。2日後にまた来い」
「りょーかい。頼んだよ」
ストライクも軽い調子で言い、探偵と一緒に事務所を後にした。

「あのー、すみません」
ストライクが次に訪れたのは、新聞社だった。
忙しそうな雰囲気の中で、一番手前にいた記者らしき人物に声をかける。
「あ?!なに?!」
タイプライターを打つ手を止めて、その男性はうざったそうにストライクを振り返った。
男性の剣幕にも負けず、営業スマイルで話しかける。
「俺、就活をしているんだけど…」
「あぁ?!ウチには新卒枠はないよ!バイトから入るこったな!」
「あ、いえ、そうじゃなくて。ガイアデルト商会ってどんな会社ですか。ご存知ありません?」
「ガイアデルト商会ぃ?!」
記者は不機嫌そうに眉を潜めた。
「他の会社の就活すんのに、なんでウチくんだよ!嫌がらせか?!」
もっともである。
ストライクは苦笑した。
「あー、そういうことじゃなくて。記者さんならきっと、表の話から、裏話まで詳しく知ってるんだろうな、と思って。
最近世代交代があったみたいだけど、大丈夫かな」
「あー、ダメダメ!ダメだね、ありゃ!」
記者は大仰に手を振って見せた。
「俺、就任パーティーに取材で行ったけど。二代目はぼんくらって、典型的なタイプだね、ありゃ!親の金、使って遊び呆けるしか考えてないよ!まだ業績は下がってきてないけど、そのうち潰れるんじゃねえかってもっぱらの噂だね!」
「そうなんですか。いやー、助かりました。うっかりそんなところに入社したら大変だ」
「だろー?!ウチはどうだ?!バイトからだが、みっちり鍛えてやんぜぇ?!」
「はは、考えておきます。ありがとうございました」
勧誘も笑顔でさらりとかわして、ストライクはさっさと新聞社を後にした。

「すみません、ちょっといいですか?」
次に訪れたのは、繁華街。
まだ日も高いうちから飲んだくれている中年男性の隣に座ると、ストライクは笑顔で訊ねた。
「ガイアデルト商会って、最近よく聞きますけど、どんな会社なんでしょうね」
「ガイアデルト?」
眉を潜める男性。
「いえ、就活中で、興味があるものですから」
笑顔のままフォローするストライクに、男性はつまらなそうにふいと顔を背けた。
「けっ、やめとけ。死にたくなかったらな」
「これは…穏やかじゃないですね?」
「商売やってる奴なら誰でも知ってるさ。ガイアデルトに睨まれたらこの世界で死刑を宣告されるのと同じこった。
奴らに潰された会社は、両手の指だけじゃ足りねえぜ」
「そんなに……ヤバい会社なんですか」
「代替わりしてから、そんなに派手なことはしてねえみてえだけどな。だが、先代の影響はまだでけえよ。
自分らの社員だって、コキ使うだけ使って、使い物にならなくなったらポイ、って話だ。ボロボロになった上にクビになった奴が、殺してやるってキレてたのも見たことあるよ。
あんなところに入ったら、恨みを持つヤツに殺されるか、自分が参って死ぬかの二択だ。悪いことは言わない、辞めとけ」
「そう…なんですか……ありがとうございました」
ストライクは礼を言うと、酒代に銀貨一枚を置いて、外へ出た。

「ふむ、なるほど、ね………」

「このあたりのはずなんですけどね…あ、ちょっと聞いてみましょうか。すみませーん」
ヴィーダにたどり着いたレア達は、レアの住所とセラの地図を頼りにガイアデルト商会の場所を探していた。
自警団で大まかな場所を聞き、そこまで来たはいいが、細かい場所の特定ができない。
辺りは貴族街ではないが、いかにもお金持ちが住みそう、というような邸宅が所狭しと並んでいて、正直どれがどれやらだ。
地図を見ていたミケが、率先して近くを通りかかった女性に声をかけた。
「このあたりに、ガイアデルト商会っていうところがあるって聞いたんですけど…」
「ああ、それなら、あそこの建物よ」
声をかけられた中年女性は、そう言うと彼らの進行方向の先を指差した。
「あれですか。はぁ…大きなお屋敷ですねえ」
「そうねえ、ここいらじゃ一番大きなところよぉ」
「商会、っていうことは、会社、なんですよね?そんな風には見えませんけど…」
「自宅兼事務所みたいな感じなんじゃないの?人の出入りは激しいみたいよ」
「へぇ…ガイアデルト商会、って、初めて聞きましたけど。随分手広く商売していたりするんですかね?」
「さーあ……」
女性は困ったように眉を寄せ、首を傾げた。
「あたしも商売やってるわけじゃないから、よくわかんないわねぇ。でも、ずいぶん大きなお屋敷らしいわよ。家政婦仲間から聞いただけだけど」
「家政婦さん、なんですか」
「あたしはそっちのお屋敷に行ってるんだけどね。あそこには、住み込みで働いてる人は多いわよ」
「へぇ。社長さんて、どんな人なんですか」
「なんでも、金髪碧眼のイケメンらしいわよぉ」
「え、イケメン?」
意外な単語に驚くミケ。
女性は楽しそうに手を振ると、続けた。
「そうなのよぉ。最近代替わりしたんだけどねぇ、まだ30も行ってない若いイケメンなんだって。
いいわよねぇ、大金持ちの社長でイケメンだなんて、あたしもあと10年若かったらねぇ」
「へぇぇ、そうなん。こらいっちょ玉の輿狙てみるか?」
横から茶化して言ってくるレア。
すると女性は急に険しい表情を作った。
「でもねえ、女関係はハデみたいよぉ。毎日女をとっかえひっかえしてるとか」
「まあ……!本当ですか?」
驚いた様子のセラの横で、僅かに眉を寄せているベル。
家政婦の女性は険しい表情のまま、内緒話でもするように口元に手を当て、しかし音量は全く抑えることなく、続けた。
「そうなのよぉ!今もね、何かどっかから連れてきた女を家の中で好き放題させてて、その女が別の女も連れてきて、愛人3人も囲ってるとかいう話よ」
「まぁ……」
「それは…」
「女の敵やな」
もはやどこまでが真実かわからなくなったような話に、険しい顔で相槌を打つ女性陣。
ミケはなにやら遠い世界の話のように実感のない表情だ。
「すごいですね…世の中にはそんな人もいるんですね。愛人3人ということは、正式な奥様はもういらっしゃってるんですか?」
「え、結婚はまだだったと思うけど」
「それは愛人とは言わないのでは…」
「あら、それもそうね。でも3人も囲ってれば、そう言ってもおかしくないと思わない?」
「まぁ…それは、確かに」
どことなく釈然としない表情で頷いてから、ミケは女性に頭を下げた。
「すみません、お手間を取らせました。ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。若い美人さんばっかり4人連れであの屋敷に行って、愛人の仲間入りしないように気をつけてねぇ~」
「なっ」
ミケが弁解する間もなく、女性は上機嫌で去っていった。
「……こんなに女扱いされたのも久しぶりかもしれません……」
「やっぱりミケさんは女の人に見えるんですよ」
うんうん、と頷いて、セラ。
ミケは嘆息して、レアの方を向いた。
「じゃ、行きましょうか、レアさん」
「せやな。けど、何で社長のコトなんか聞いたん?」
レアは不思議そうに首をかしげ、ミケに問うた。
ミケはきょとんとして、それから苦笑する。
「これから行く先の事ですし、まぁ、半分は興味本位なんですけれど。
行った先で難癖付けられたりとか、いやですから。前情報程度には、仕入れておくのがいいかなと思って。どんなところで、どんな人に渡せばいいのかな、と」
「そうなんか。ミケはんは用心深いんやね。
まあ、脂テッカテカのオヤジやない、イケメンの兄ちゃんやて判ったんは、ウチとしても収穫やったけど?」
レアが陽気に笑うと、セラが心配そうに声をかける。
「でも、愛人を3人も囲ってるって……どんな方なんでしょうね?」
「さー……ウチは大会社の社長はんに知り合いはおれへんし、案外シャチョはんゆうのはそういうもんなんかもわからんけどねえ」
「それにしたって、愛人3人とか……僕は一人だってこんなに悩んでるっていうのに……はぁ」
呟いて一人で落ち込むミケ。
「なんなん、ミケはん、恋愛関係で悩んではるの?」
レアが興味津々でつっこむと、苦笑して。
「大したことじゃないですよ。世の中にはいろんな人がいるもんだな、と思っただけです。
ガイアデルト商会の社長ともなると、レアさんの言うように、そういうのが当たり前なのかもしれませんねえ」
と、ミケが言った、その時。

「ガイアデルト商会に用があるの?」

突如かけられた声に、4人は驚いて声のしたほうを振り返った。
そこにいたのは、短い金髪に青い瞳の美しい地人の少年――ストライクだった。
「あなたは?」
ミケが問うと、ストライクはへらっと笑った。
「ああ、ごめんね。俺はストライク。今は…そうだね、ガイアデルト商会の用心棒、ってところかな」
「商会の方なんですか」
「臨時雇いだけどね。お前達は?」
「ガイアデルト商会にお届けモンがあって来たん。ウラノスはんに取り次いでもらえるやろか」
「お届けもの……ね」
ストライクはレアの容姿をざっと見渡して、再び微笑した。
「俺が直接取り次げるわけじゃないと思うけど、屋敷の人に話は通してみるよ。ついておいで」
「ありがとうございます!行きましょう、皆さん」
満面の笑みでストライクに礼を言うセラ。
レアはセラに続いて足を踏み出し、ミケはベルと微妙な視線を交わしてから、その後を追った。

こんこん。
屋敷の正面の扉の、無駄に装飾がかったノッカーを、レアが叩く。
しばらくしてから、大きな扉が、きぃ、と細い音を立てて開いた。
「はーい、どちら様で……あら」
「………っっ!!」
ばたん。
そのドアの向こうから顔を出したメイド――ユリの顔を見たとたん、ミケが盛大に顔を引きつらせ、開きかけのドアを乱暴に閉める。
「……ミケはん?どないしたん?」
閉めたドアを背中で押さえて、蒼白な表情で息をつくミケを、仲間とストライクがきょとんとして見やる。
ミケは焦点の定まらないうつろな瞳で、独り言のように呟いた。
「今、何かいた……何かがいた……」
「はぁ?」
「……レアさん、ごめんなさい、なんか、この家、いやです……」
「何か嫌て、なんなんそれ?」
「い、今、ここから顔っ」
そのミケの言葉は、最後まで続かなかった。

どぉん!

派手な爆裂音と共に、ミケはドアごと吹っ飛ばされる。
「きゃっ?!」
「な、何やの?!」
「!……」
色めきたつ仲間達。
とそこに、吹っ飛ばされたドアの向こうに立っていたメイドが、のんきな声を上げた。
「急にドアが閉まっちゃいましたから、壊れちゃったのかと思いました。力ずくで開けてみましたけど、私がドアを壊しちゃいましたねえ。てへ」
全く悪びれないその様子に、唖然とする一同。
「……っっ何すんですかあなたはー!!」
ばた。
下敷きになっていたドアから何とか這い出たミケは、険しい表情でユリに言い募った。
「あら、やっぱりミケさんじゃないですかー。お久しぶりです。どうしたんですか、ドアの下なんかで」
「あなたが僕ごとドアをふっ飛ばしたんです!」
「あらー、それはタイミングが悪かったですねえ。ダメですよミケさん、壊れたドアのそばなんかにいたらいつ吹っ飛ばされるかわからないんですから」
「当たり前のことのように言わないでください!絶対判っててやったくせに……!!」
放っておいたら果てしなく続きそうなそのやり取りを、ストライクが半眼で遮る。
「………ああ、まあ、夫婦漫才はその辺にしてくれる?」
「誰が夫婦漫才ですか!」
ミケの反論は軽く流して、ストライクはユリに向かって言った。
「この人、ウラノス様に用があるんだって。取り次いでもらえるかな?」
「あら、お客様だったんですね。どうぞ中へ」
壊れたドアはそのままに、ユリは何事もなかったかのようにレア達を中へ招き入れた。
微妙な表情を見合わせつつも、それに従うレアたち女性陣。
ミケは怒りの表情のままその場に立ち尽くしていたが、そこにストライクが声をかけた。
「…お前、あのメイドと知り合いなの?」
「知り合いというか………まあ、そうです」
やっと冷静になれたのか、息をついて答えるミケ。
ストライクはさらに訊いた。
「じゃあ……チャカ、って女のことも知ってる?」
「チャカさんがここにいるんですか?」
ぎょっとして聞き返すミケ。
と、そこに。

「なんだ、ミケじゃないか」

カエルスの家から帰ってきた千秋が声をかけ、ミケとストライクはそちらを向いた。
「千秋さん!」
驚いて名を呼ぶミケ。
ストライクは嘆息した。
「やっぱり知り合い、か。同じ事件で会ったの?」
「まあ、そうなるな。ミケは、何故ここへ?」
「ここの商会に届け物をするという方を、ウェルドから案内してきたんです。…千秋さん、ここにチャカさんがいるって、本当なんですか?」
眉を潜めて問うミケ。
千秋は神妙な顔で頷いた。
「まあ、とにかく中へ入ろう。話はそれからだ」

「……なるほど……」
ユリに通された応接間。
屋敷全体がそんな感じだったが、ここも全体的に、豪奢だが安っぽい、成金の匂いがする内装だった。
ソファに座って茶を振舞われたレアたち女性三人から少し離れて、千秋とストライクはミケにこれまでの事情を話していた。
もちろん、案内をしたユリがウルを呼びに退出した後を見計らって、だが。
ミケは一通り話を聞くと、千秋に言った。
「……恋は盲目って言うから……純粋に別れさせるのは難しいんじゃないかな……」
「やはり、そう思うか」
「ただ、あの人、お金と、豪勢な暮らしするためだけに、ひとをたぶらかすような人じゃないと思って。何が目的だと言われると困りますけど。解決策としては、当代をどうにかするしかないんじゃないでしょうかね」
「俺もそう思う。まずはチャカが何を考えているのかを探りつつ、当代にも話をして、どうにか説得できないかと考えているんだが」
「当代とは、もう話をしたんですか?」
「いや、まだだが……」
「当代がどんな人かにもよりますよね……話が通じる人なら、いいんですけど」
「話が通じるようなら、わざわざ人を雇ったりするかねぇ?」
ストライクが肩を竦めて言い、2人はうーんと唸った。
と、そこに。
「何や、ずいぶん遅いなあ。迎えに行く言うて、どれだけかかっとんのん?」
レアがいらいらした様子で立ち上がる。
「ウチ、ちょぉ探してくるわ。みんなはここで待っとって」
「レアさん?」
ベルが驚いた様子で立ち上がる。
「探してくると仰いましても、どこにいるのかご存知なのですか?」
「いんや。けど、適当に歩いとったらそのうち見つかるやろ。見つけられへんかったら戻ってくればええし、その頃にはなんぼなんでも来とるやろ。みんなはここで待っとって。抜け出して怒られるんはウチだけでええし」
「しかし、そういう訳には」
「あー、ええてええて。この家がいくら広いゆうたかて、そうそう迷ったりはせえへんよ。帰ってこられそうなところをちょっと歩いてくるだけやし。ここにいたって。な?」
「そう……ですか?」
ベルを始め、ミケもセラも、釈然としない表情で了承する。
「ほな、行ってくるな。もし途中で社長はん来はったら、お花摘みに行った言うといて」
「わかりました」
レアはひらひらと手を振ると、軽やかな足取りで部屋を出て行った。
「お花を摘みに……とは……?」
ベルが不思議そうな表情で言うと、ミケが言い難そうに注釈を入れた。
「ええと。お手洗い、のことですよ」
「あ、そ、そうなのですか……レアさんは、難しい言葉をお使いになるのですね…」
少し恥ずかしそうなベル。
「難しいというか、ちょっと昔の言葉ですよね。お足とか。若そうなのに、中身はおばさ……いえ。シェリダンの人って、みんなああなんでしょうか……」
微妙な表情で、ミケ。
と、そこに。
かちゃ。
「失礼、こっちにガードの……」
突如部屋のドアが開き、クルムがひょこりと顔を出した。
「クルムさん」
「あれ、ミケ?」
思ってもみない顔に、驚いて駆け寄るクルム。
「どうも、お久しぶり……でも、ないですね」
「はは、そうだな。でも、ミケがなんでここに?」
「ええと、こちらの商会にお荷物を届けに来た方を、ご案内してたんです」
「へぇ……驚いたな」
「ええ、聞きましたよ。……チャカさんが、こちらにいるそうで」
「もう千秋から聞いてるのか。そういうわけなんだ。…その、チャカだけじゃなくて」
「……リリィさんと。この分だと、メイさんもいるんでしょう?」
「ああ。話は聞いたけど、やっぱり何を考えているのかまでは……」
「まあ、あの人たちに話をしたとして、本当のことを喋ってくれるとは、僕も思いませんけどね……」
難しい顔をして唸るミケ。
そんなことを話していると。
「失礼いたします」
先ほどと同じ、高く澄んだ声で、ユリがドアを開けて入ってきた。
「ウラノス様をお呼びいたしました」
「えっ」
「あぁ、入れ違っちゃいましたね……」
残念そうに呟くセラ。
レアについてきた3人は興味深そうに、そして依頼組の3人は緊張した面持ちで、ユリに続けて入ってくるこの家の当主を迎えた。
「ウラノス様、どうぞ」
ユリが後ろの人物を促して、ドアから一歩下がる。
ややあって、その人物は軽い足取りで部屋に入ってきた。
「まぁ………」
目を丸くして、その男を見やるセラ。
「ほう……」
意外というか、そうでもないというか、とにかく唸る千秋。
なるほど、近所の屋敷の家政婦の噂も、まんざら嘘ではないようだ。
その青年は、傍から見ても文句なしの美丈夫だった。
年のころは20代半ばほどだろうか。少し長めの金髪はしっとりとしてやや癖があり、青い瞳はやや垂れ気味だが、整った鼻筋と眉がかえってその魅力を引き立たせる。大き目の口元には僅かな笑みが浮かび、全体的に彫刻のような美しさをかもし出していた。
着ている物はシルク地の白いシャツに濃い紫のスラックス。シャツはかなり下の方までボタンが開いていて、銀のネックレスと、あらわになった胸板が覗いている。甘いマスクとあいまって、全体的に、遊び慣れた男、という印象を与えていた。
「オレに用って、誰?アンタ?」
青年――ウルはめんどくさそうに応接室を見渡した。慌てて、セラが腰を上げる。
「あ、あのっ。今、その、ちょっと」
「ええと、お手洗いに行ってるんです。すみません」
上手く説明できないセラを引き継ぐようにして、ベル。
「えぇ?人のこと呼びつけといて自分はのんびり便所かよ、ったく、やってらんねーなー」
ぼりぼり。
ウルは明らかに気分を害した様子で頭を掻いた。
「ま、でもこんなに綺麗なオネーチャンがいるならいっか。そっちのコ、エルフだろ?イイねぇ、オレエルフって初めて見たよ」
しかしすぐに気を取り直すと、セラとベルを値踏みするようにじろじろ見る。
ベルは警戒した様子で身を引き、セラは慌ててごそごそと荷物を漁った。
「あの、私もこちらに御用が………ええと、商船の方から、こちらの書類をお渡しするように言付かってきたんです」
「商船?」
眉を潜めてそちらを見るウル。
「あーダメ、オレそういうのわかんねえや。クロに訊いてよ。どうせクロ宛だろ?」
「へっ?あ、は、はい、そう、ですけど……」
戸惑った様子のセラ。
その様子を少し離れたところから見やっていた依頼組は、予想通りというか、綺麗にテンプレに沿ったウルの放蕩ぶりに、呆れたような表情を浮かべていた。
「そっちのヤローは何よ?アンタの知り合い?」
すると、そちらの方をじろりと見やって、不機嫌そうにウルが言う。
「あ、この方達は……」
「クロに雇われたガードだ。今日から勤めさせてもらっている」
セラの言葉を待つまでもなく、千秋が淡々と言う。
ウルはつまらなそうに頭を掻いた。
「あー、そういやそんなこと言ってたな……なんでガードがこんなトコにいんだよ?」
「一応、出入りをする人間はチェックしておきたいのでな。何もなければ何もしない。気にしないでもらって構わないが」
「気にすんなって、ンなん無理に決まってんだろぉ?」
呆れたように言って、ウルは肩を竦めた。
「あーっ、クロもなんだってこんな奴ら雇ったんだよ、ったく!おいユリ、チャカを呼んできてくれよ」
「!」
ウルが不意に口にしたその名に、依頼組の冒険者とミケがはっとしてそちらを向く。
言われた当のユリは、にこりと笑ってそれに答えた。
「そう仰ると思って、もうお呼びしてあります」
「マジで?!」
とたんに喜色満面のウル。
ベルとセラは話についていけずに首を傾げるが、男性4人は緊張の面持ちで成り行きを見守った。
「もうすぐいらっしゃると思いますよ。……あ、来た来た」
ドアの外から、廊下の方を見やって笑顔で言うユリ。
ややあって。
ひょこり。
「チャオ」
ドアから顔を出したチャカに、男性陣は一気に緊張を増し、ウルは満面の笑みを浮かべてそちらに歩み寄った。
「チャカ!会いたかったよぉ」
「はいはい、さっき会ったばかりじゃないの、お馬鹿さんね。アタシはどこにも行かないわよ?」
いきなり抱擁するウルの背に腕を回し、赤子でもあやすようにぽんぽんと背中を叩くチャカ。
なるほど、両者に温度差があるのは明確だ。
ウルはひとしきりチャカを抱きしめてから、人目もはばからず口づけをし、やっと彼女を開放した。
やっと2人がドア付近から中へと入ると、おそらく後ろから着いてきていたであろうサツキと、ついでにファリナも居心地悪そうに中に入ってくる。
「ファリナ」
「クルムさん。あ、千秋さんとストライクさんも。おかえりなさい」
クルムが声をかけると、ファリナは助かったというような表情をしてそちらにかけていく。
サツキに続いて部屋に入ったユリは、ドアを閉めて入り口付近にサツキと共に立った。
ウルはチャカの腰に手を回したまま、異様にべたべたしながら中央のソファに座る。
向かいには、未だベルとセラ。ベルは先ほどと同様に警戒したまなざしだが、セラは……
「……あ……あの……」
頬を僅かに染め、陶然としたまなざしを2人に向けている。
ウルはチャカのほうに顔を向けながらも、視線をそちらに動かした。
「ん?なに」
「そ……そのお方は……?」
恐る恐る問うセラ。
それには、チャカがにこりと笑って答えた。
「アタシは、チャカよ。今は、このヒトの……」
「恋人、だな」
言葉の続きはウルが奪って、再び口付ける。
セラの頬がぱぁっと染まった。
部屋の中だから判らないが、外の青空には雲が「きれいなかた……」という文字を形作っている。
「こ、恋人さんなんですか…まあぁぁ……」
セラは目が零れ落ちるのではないかと思うほど大きく見開いてひとしきりそう言ったあと、やおら身を乗り出してウルに言った。
「結婚しちゃえばいいと思うよ!綺麗な奥方じゃないですか!!」
大力説。
隣のベルも、後ろにいた依頼組とミケも、ドアのそばにいたユリとサツキまでが、唖然としてセラのほうを見やる。
当のウルだけが、上機嫌でへらへらと笑っていて。
「そう思う?だろぉ~?ま、結婚はまだ早いかな?オレはもうちょっとラブラブしていたいしさぁ」
「そうですか?そうですね、2人だけの時間って大事ですものね!」
興奮した様子で相槌を打つセラ。
チャカは面白そうにその様子を見やり、ウルとセラだけが和やかな会話を楽しんで、後の面々は呆然とその会話を眺める。

そんな、午後の和やかなひとときに。
突然、それは文字通り、「降って」きた。

どちゃ。

そんな、普段なら決して聞かないような異音が響き。
応接室から窓に向かって座っていたウルの目が、ぎょっと見開かれる。
「?!……」
「な、なんですか、今の……」
ウルの向かいに座っていたベルとセラも、そしてその傍らに控えていた冒険者達も、ぎょっとして窓の外を見た。
「く……クロ……?!」
ウルはチャカから離れて、慌てて窓に駆け寄り、乱暴に開く。
ばたん。
大きな観音開きのガラス張りの窓は、開けばすぐさま外のテラスに出られるようになっていた。
ウルはテラスに出てすぐに、足を竦ませて後ずさる。
「うっ……!」
何事かとその後に続いた冒険者達も、すぐさま彼と同じように足を竦ませる。
「……あ……ぁぁ……」
まともに見てしまったセラが、か細い声を喉の奥から出していた。

びっちりと撫で付けた金髪。
かちっと着こなした黒いスーツ。
しかし、それらはどちらも、テラス一面に広がった血飛沫で醜く汚れていて。
見開いた黒い瞳は、もはや生気を宿しておらず。
唇の端からは一筋の血が流れ落ちていて。
何より、ありえない方向に曲がった首が、腕が、脚が。
彼――クロノ・スーリヤがもう、この世の者ではないことを、明確に物語っていた。

「…きゃああぁぁぁぁああああっっ!!」

ぴしゃーん!
先ほどまであんなに晴れていた空に、セラの悲鳴と共に、まさしく青天の霹靂が落ちる。
ほどなく、桶をひっくり返したような土砂降りの雨が、辺り一面を濡らし始めた。
「………」
呆然と、雨に濡れていくクロの死体を見下ろす、ウルと冒険者達。
がたがたと震えるセラを、ベルが優しく抱きしめていて。
「………一体……」
ミケはやはり呆然と呟いてから、おそらくクロが落ちてきたであろう、真上に視線をやった。

そこには。

「………!」
雨が頬を打つのも構わず、目を見開くミケ。
「れ………レアさん………?!」
真上に見えるベランダから身を乗り出すようにして、下を見下ろしている、レアの姿。
その顔には、驚愕と恐怖がべっとりと貼り付いていて。

「……ちゃう……ウチやない……ウチやない……!!」

下にいても聞こえるくらいの声で、そう呟いていた。

ざあぁぁぁ……

激しい雨が打ちつける外の風景を、部屋の中からゆっくりと眺めながら。

「…………面白いことに、なってきたわね………?」

チャカは、この上なく楽しそうに、目を細めるのだった。

…To be continued…

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