第2週・ルヒティンの刻

からん。

開店して間もなく、ドアベルが来客を告げる。

「いらっしゃーい」

軽く挨拶をしたマスターは、入ってきた客の姿を見て嬉しそうに相貌を崩した。

「おっ、ミケくんじゃーん。ひさしぶりー」
「お久しぶりです」

三つ編みにまとめた長い茶髪、黒いローブに肩には黒猫、という、いかにも魔道士ですといった様相の若い男性である。
ミケ、と呼ばれた彼は、マスターに名を呼ばれる程度には常連であるらしく、慣れた様子でカウンター席に座った。

「なんにする?」
「そうですね、珈琲ください。ポチにはミルクをお願いします」
「あいよー」

マスターは上機嫌で支度を始め、慣れた手つきでコーヒーを用意していく。

「……あー……」

香ばしい薫りが漂ってくるのを目の前に見つつ、ミケは唐突にぐんにゃりとカウンターに突っ伏した。

「あらら、どしたの?」

驚いて声をかけるマスターに、ミケはまた唐突にがばっと顔を上げた。

「マスター!どうしましょう、レポートがなんかうまくいかないんですよ」
「……はい?」

斜め上からの返しにきょとんとするマスター。
ミケはいそいそと、道具袋からなにやら紙束のようなものを出した。

「これなんですけど……」
「風属性の回復魔法における魔道力の効率化と最適化……」

さりげなくコーヒーとミルクを出してから、ミケが差し出した紙束のタイトルを読み上げるマスター。

「…なにこれ?」

もっともな返しをして首を傾げると、ミケは至極真面目な表情で言った。

「魔道のレポートです」
「うん、それは見ればわかる」
「上手く行かないんですよー…」
「そらー大変だねえ」
「何が……良くないんでしょうか?意見ください」
「マジで僕に意見を求めてたの?!」
「それ以外の何だと言うんです!」
「大声で主張したら正論になると思ったら大間違いだよ?!」

ひとしきり不毛なやり取りをしてから、マスターは眉を寄せてパラパラと紙束をめくる。

「んー……僕専門じゃないからなあ」
「マスターは魔法使えないんですか?」
「僕は変形術が専門だからね。属性魔法も使えないことはないけど」
「そうですか……」

ミケはしょんぼりしながら、ミルクを飲み終わってくつろぐ黒猫――ポチに手をかざし、回復魔法をかけてみる。

「うーんうーん、何でですかねー。理論は間違っていない気がするんですけど」

ほわほわと風になびく毛並みを横目に、ポチは少し鬱陶しそうだに耳を動かしている。
マスターはパラパラとレポートをめくりながら、首をかしげた。

「まあ、見る限りはミケくんの言う通り、理論としては間違ってなさそうだね」
「そうですか?」
「うん、ミケくんのやり方には合わないだろうけどね」
「僕のやり方、ですか?」
「そうだねえ、今ポチちゃんにかけてる魔法を見ても、この理論の流れとはだいぶ違うし」
「え、ち、違いますか」

動揺した様子で手元のポチを見るミケ。
マスターはレポート用紙をひらひらさせて頷いた。

「そうだねー、ミケくんは実際に魔法を使った戦いをしながら、いわばカラダで覚えてきたわけでしょ」
「カタカナにすると途端にやらしいですね」
「まあまあ。で、ミケくんの場合は先に実践を覚えて、その後に理論を付け足したわけだよ。
料理で言うとさ、見よう見まねで包丁とか火とか調味料とか、好きに使って自分のやりやすい、自分好みの味を作り出した。
んで、それは決して不味くない。ていうか美味しいわけ」
「僕の魔法が美味しいかどうかはともかく、それで?」
「で、その後にお料理教室通ってさ、自分のやり方とは全然違う、『正統派』のやり方を習う。そのやり方は自分のとは違う、効率が良くて無駄のないやり方。調味料も火もあまり使わずに、時間も半分くらいで済む。なるほど、とやり方は理解するけど、なかなかそのやり方では上手く行かない。自分のやり方が身につきすぎちゃってるんだね」
「なるほど……」
「どっちがいいとかじゃなくて、結果としてはどっちも一緒なんだから、僕としては美味しいものができればそれでいーじゃんと思うんだけど」
「その『正統派』の課題に挑戦していてそれは通じない、ってことですね……」

はあ、ともう一度ため息をつくミケ。

「先日、お前は実践型で論文が苦手だろうと言われまして」
「うわ、誰そんな直球なこと言うの」
「あなたのお兄さんですが」
「それはどーもすみまめーん。まあロキ兄なら言うだろうねー」
「同じことを先生にも突っ込まれたので頑張ろうと思って頑張ってるんですけど」

べしゃ、ともう一度カウンターに突っ伏す。

「うーん、本当に実践型ですねー。くそぅ」
「まあいいんじゃない?それがミケくんなんだし」

マスターはさほど気にした様子もなく、笑いながらポチの皿を片付けている。
ミケはカウンターに額をぐりぐり擦りつけながら、搾り出すように言った。

「もっと、できるようになりたいなぁ」
「出来るって何が?」
「魔法がですよ、この流れならそうでしょう」
「うーん、そうじゃなくてさあ」

不思議そうに首を傾げるマスター。

「ミケくんにとって、何ができたら『できる』ことになるわけ?」

その言葉にきょとんとするミケ。
マスターはさらに続けた。

「けっこー前にさ、ほら、初めておにーさんをここに連れてきた時。
おにーさん、言ってたよね。
ミケくんは、もう少し力がついたら家に帰るって言ってた。もう少しって、何が出来たら?って」
「あー……」

そういえば、そんなことがあったと思い返す。
それから、視線を下げて、うーんと考え込んだ。

「……風魔法がレベル50になったら帰ろうかなぁ、なんて?」
「それはいい感じに他のプレイヤーにケンカ売ってるね?」
「いえ、そんなメタな話はともかく」

ふう、と息をついて。

「できる、か……。ちょっと自分でもわからなくなるんですよね。
魔導というのは探求ですから。際限なんて、そもそもない訳ですし。
……でも、自分の駄目なところを上げて、『だから帰れない』って言っているような、気もするんですよね」

自嘲的に笑う。

兄も、姉も、昔ほど嫌いではない。
多分離れている間に、それなりに自分を確立できたのが良かったのかもしれない。落ち込む比較対象がいないというのは、大きかった。
最近、姉にも会って、夢で昔のことを見て、それで少し改善した部分もある。

では、なぜ帰れないのだろうか、と自問して。

「自分で自分を認められない。これだけ出来た、という何かを感じられない。それが良くないのではないでしょうか。
……ええ、あの、冒険ばっかりしていて、魔術師ギルドのお仕事をやらないから魔術師としてのキャリアが今一つ積めていないんじゃないかな、なんて……」
「どうかなー、違うんじゃない?」

いつもの調子で軽く言うマスターに、視線をあげるミケ。
マスターはにこりと笑って、あっけらかんと続けた。

「まあ、あたらずとも遠からず、くらいかな。
ミケくんは、自分の悪いところを挙げて、『だから帰れない』って言ってるんじゃないんだよ」
「……え」

きょとんとするミケ。
マスターの瞳がほんの僅か、暗く光ったような気がした。

「ミケくんは『帰りたくない』んだよ。だから、それが正当化される理由を一生懸命探してるんだ」

「っ………」

思ってもみなかったところから降ってきた発言に、絶句するミケ。
マスターはまた、にこりと屈託なく笑った。

「ま、さっきも言ったけど、結果として同じならどっちでもいーじゃんと思うよ?僕は。
ミケくんが、『自分が認められないから帰れない』んだろうが、『帰りたくないから自分を認めたくない』んだろうが、ね」
「………」

ミケは俯いて、しばらく何かを考えているようだったが。
やがて顔を挙げ、少し無理矢理めに笑顔を作った。

「すみません、もうちょっとこれ、自分で頑張ってきます。で、良い評価もらえたら、一回家に帰ってきます!
……多少無理やりにでも、何か功績を残してしまえば、区切りにはなるでしょう」
「そっかー」

マスターはやはり、のほほんとした笑顔で答えた。

「そう決めたんなら腹くくってがんばんなよ。
何か目標を作って、それが達成されれば、どっちみち『帰る』っていう逃れられない目的は達成されるわけでしょ」
「そうですね。……ははっ、良い評価かー……もらえるのかな、これ。言い訳になってないかなー……」
「じゃ、良い評価、っていうのが何なのか、決めておいたらいいんじゃない?
そのレポートって、何か目に見えてわかりやすい評価とかつくもんなの?」
「え、はい、優、良、可、不可で」
「カレッジの成績みたいだね…じゃあ、わかりやすくていいじゃん。それで、優がもらえたらお家に帰る、ってことにしたら?
どーせミケくんのことだから、優もらえたって『もっと優れた評価がもらえないと』とか言い出しそうだし」
「う……はい、わかりました。そうします」

ぐ、と気合を入れて、残っていたコーヒーを飲み干すミケ。
そして、あわただしくレポートを鞄に戻すと、銀貨を1枚置いて立ち上がった。

「マスター、ありがとうございました!がんばってみます!」
「はーい、いってらー」

言うが早いか店の外へと駆け出すミケを、マスターは手をひらひらさせて見送るのだった。

第2週・ミドルの刻

「…おはようございます」

バックヤードから現れた執事を、マスターは笑顔で迎える。

「おっはよーアルヴん、もう昼だけど」
「わたくしは夢魔ですから朝には弱いのです」
「ゆうべ無理させちゃったかなー?」
「そのようなジョークはもう少し暗いところで仰って下さい」
「はははっ、でも今日はやけに遅かったね?」
「マスターお一人の時に、という指定があったものですから、空気を読ませていただきました」
「何の話?」
「いえ」

ネクタイを締めなおしながらフロアに出ると、執事は何かの匂いをかぐようにゆっくりと辺りを見回した。

「…随分美味しそうな残り香がございますね」
「あはは、ばれた?」
「しかも、この香りには覚えがございます」
「ああ、アルヴんのお客さんだったのかもね?」
「そのようですね」
「アルヴんもいればよかったのにねー。僕これ食料じゃないから」
「ご尤もでございます。空気など読まずに早朝出勤していればと悔やまれます」
「まあ、彼は常連さんだから、今度はいる時に来てくれるといいね?」
「むしろお呼び下さいませ。光の速さで参上いたします」
「何て紹介する?僕のイイヒトです、って?」
「そのようなジョークはもう少し暗いところで仰って下さい」
「天丼は2回までね」

よくわからないやり取りをしながら、客のいないランチタイムはゆっくりと過ぎていくのだった。

第2週・レプスの刻

からん……

控えめに鳴ったドアベルは、来客がそっとドアを開けたということを示していた。
ドアの隙間からそっと覗くようにして店内を伺ったフィリーは、そこにグレムの姿を認め、小さくガッツポーズをした。

(…よし、いた!)

そこで胸を張り、今度は堂々とドアを開ける。

からん!

勢いよく鳴ったドアベルと共に店に足を踏み入れたフィリーは、「マスター、コーヒー」と言うが早いか、颯爽とテーブル席に向かい、すでに座っていたグレムの正面にどかっと座った。

「久しぶり」
「こないだ会ったばかりだろうが」
「ぐっ……」

早速言葉に詰まるフィリーに、マスターが颯爽とコーヒーを持ってくる。

「はいお待たせー、コーヒーね」
「あ、ありがと……」

毒気を抜かれた様子で礼を言うと、マスターはにこりと笑ってカウンターに引っ込んでいく。
だが、執事と共に皿を磨きながら、興味津々でテーブル席に目を向けている様子を、フィリーは知る由もなかった。

マスターが煎れてくれたコーヒーを一口飲んでから、不機嫌そうに向かい側のグレムに言い募る。

「ねえ」
「何だ」
「なんで探してなかったの?」
「は?」

眉を寄せて問い返すグレムに、フィリーは身を乗り出した。

「ちゃんと聞いておきたいのよ。孤児院でるとき、二人で稼ぐって約束したじゃない
合流しなかったなら、それなりの理由があるんでしょ?」

沈黙が落ちる。
グレムは何かを考えている様子で紅茶をすすり、それからおもむろにソーサーに置いた。

「俺はいいんだが、お前は駆け出しだったろう。一人で旅をして傭兵の真似事したほうが色々勉強になると思ってな。
危ないメにもあっただろうが、いい勉強になっただろう」

(うまいこと言いつくろったね)
(まあ、本当は面倒で探していなかったのでしょうね)
(煙に巻きつつ流れるように恩を売ってるけど、そんな言い方に騙されるかなあ)

カウンター内でこそこそ言いあっているマスターと執事。

が、フィリーは嘆息して椅子の背もたれに寄りかかった。

「…まーね。
言いたいこともわかった。
危ないこともちょっと経験したし、変なことも体験できたわ」

(煙に巻かれた!)
(なかなか、見かけに反して純粋な女性のようですね…大好物です)

そんなデバガメ2人のコメントは知る由もなく、フィリーはさらに続けた。

「…それじゃあ、このまま別行動なわけ?一緒には旅しない?」

グレムはさして表情を変えることなく、フィリーに言い返す。

「今更したいのか?」
「んー…はっきりと返事はできないわね
グレムと一緒のほうが稼げるかもだし、何より女の一人旅は舐められることが多くてめんどくさいのよ」
「だろうな」

もう一口、紅茶をすするグレム。
フィリーは再び、彼に向かって身を乗り出した。

「ね、また会わない?
なんか安心したし、たまに会えば一人で頑張れる気がする」

彼女の発言に、カウンターの中のデバガメ2人と、グレムまでもが少し驚いたように眉を上げる。

(先日のキレっぷりとは別人のようでございますね)
(うーんギャップ萌え)

なおもこそこそと言葉を交わす2人をよそに、グレムはゆっくりと頷いた。

「…わかった」
「よかった」

フィリーはふわりと微笑み、それから残りのコーヒーをぐっと飲み干す。

「それじゃあ、またここで!
マスター、お金ここに置いておくわね!」

爽やかに言い放ち、銅貨5枚を置いて颯爽と席を立つ。

からん。

来た時と同じように勢いよくドアを開けて店を出たフィリーを、デバガメ2人とグレムは言葉もなく見送った。
やがて。

「……何があったんだか」

そう呟いてかすかに微笑んだグレムの表情は、フィリーには決して見せない穏やかさをたたえていた。

第2週・ストゥルーの刻

「今日はいつにも増してお客さん少ないねー」
「そうでございますか?いつもこのようなものでは」
「アルヴん辛辣ぅ~」

カウンターの中でそんな軽口が交わされていると。

からん。

「いらっしゃー……あれ」

ドアベルと共に現れた姿に、拍子抜けした様子のマスター。

「なんだ、ロキ兄か」
「客に対してその言い草は何だ」
「お金払ってくれるなら歓迎だよーん。払ってくれるなら」
「金を置いていっただろう」
「換金しにくいもので支払うのやめてくれる?」

殺伐とした言い合いをしながらも、マスターによく似た容貌の白衣の男は、まったく意に介さない様子でカウンターに座った。

「ご注文は?」
「テキーラ。ショットで」
「あいよー」

何のためらいもなく酒を頼む兄に、苦笑しながら酒を用意し始めるマスター。
それと入れ替わるように、執事がクリームチーズとクラッカーをお通しとして出す。

「ご無沙汰しております、ロキ様」
「…共同経営でも始めたのか」
「いえ、今は少し間借りをさせていただいております」
「…そうか。駄弟が面倒をかける」
「イシュ様の『愚弟』のさらに上を行きましたね」

そんなどうでもいいやり取りをしていると、マスターがカウンター越しにテキーラとチェイサーを置いた。

「にしても珍しいねロキ兄。こないだのミケくんの殴りこみ以来じゃない?どしたん?」
「……先週、駄妹がここに来ただろう」
「ん?チャカちゃんのこと?」
「一番上だ」
「ああ、イシュたんのことか。うん、来たけどどうかした?」
「………」

ロキは黙って、すっと左手を差し上げ、おもむろに指を鳴らす。

ぱちん。

ぱーん!

それを合図にしたように、突如棚の上の瓶が派手な音を立てて割れた。

「び、びびびっくりしたあ」

わざとらしく驚いた様子でそちらを振り返るマスター。
おそらく瓶の中から飛び出したであろう黒い石のような物体が、瓶の前でふよふよと浮いていた。
ちなみに、割れた瓶にはオリーブオイルが入っていたようで、辺りは見るに堪えない惨状となっている。

「…なにこれ」
「新しい実権媒体だ」

ロキが手を広げると、黒い物体は音もなくその手の平の上に飛んでくる。
それをぐっと握り締め、ロキは忌々しげに眉を寄せた。

「私の実験室から勝手に持ち出したようだ。
『皆様に忘れられぬよう顔出しをする機会を設けさせていただきました』と書置きを残してな」
「あちゃー……」

負けず劣らずのうんざり顔で絶望的に呟くマスター。
ロキはオリーブオイルまみれのそれを丁寧にナプキンで包んで懐に仕舞い、出されたテキーラをぐいっと飲み干した。

「用は済んだ。帰る」
「お疲れー……ていうかお代、今度こそ置いてってよね!」
「やかましい」

ことん。

ロキは意外にも金貨1枚をカウンターに置くと、さっさと踵を返した。

からん。
ドアベルが鳴り、客人の退店を告げる。

ドアベルの音が静まってから、マスターはうんざり顔のまま、オリーブオイルにまみれた棚と床を見下ろした。

「…どーするこれ」
「オリーブオイルでキッチン油のお掃除が出来るそうですよ」
「今、オリーブオイルの掃除をしたいんだけど」

執事とコントのようなやり取りをして、ため息をつく。

「イシュたん、これ毎回やるつもりかなあ」
「次はどなたでございましょうね」
「順番から言うとチャカちゃんじゃない?」
「それは楽しみでございますね」

そんなことを言い合いながら、仕方なくキッチンペーパーでオイルを拭き始める2人。

本日の喫茶ハーフムーンのしめくくりは、オリーブオイルの掃除で終わったという。

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