第1週・ルヒティンの刻

「おっはよっおごっざいっますぅ~~♪」

からん。

ドアを開けるなり陽気な声で挨拶をかましたのは、全身青の風変わりな装束に身を包んだ女性だった。
彼女を見てぎょっとした声を上げるマスター。

「え、イシュたん?!どうしたのこんな朝から。大丈夫?ついに死んだ?」
「残念ながらイシュの心の臓は今なおどっくんどっくんと鼓動を刻み続けております、カールん」
「その呼び方スナック菓子みたいだからやめてって言ったじゃん」
「ではカールんも萌えキャラみたいな呼び方はおやめなさいませ」

軽快に言葉を交わす2人はよくよく見るとよく似ていて、姉弟であることをうかがわせる。
イシュと名乗った女性は長い袖をばさばさと揺らしてマスターをあしらうと、カウンター席に腰掛けた。

「お久しぶりでございます、イシュ様」
「お久しゅうございます、アルヴ様。我が愚弟の道楽にお付き合いいただきまして恐縮至極にございます」
「いえいえ、道楽にお付き合いいただいているのはわたくしの方でございますから」

にこやかに言葉をかける執事とは対照的に、イシュは無表情だ。しょっぱなのテンション高い挨拶もこの表情なのが微妙にシュールだった。

「ねーホント、どーしたのイシュたん?最近山にこもってゾンビとウハウハな暮らししてるって聞いたけど」
「未だにウハウハな暮らしは続けておりますけれども、目指す成果も得られてひと段落つきましたので、皆様に忘れられないうちに愚弟の愚カフェを見学しておこうと思いまして」
「愚カフェて。ていうか、皆様って誰」
「あらいやですわイシュとしたことが。数少ないお客様がいらっしゃる時間帯が夜に集中いたしましたから場持たせのために現れたなどと決して口に出してはいけないことを」
「はいはいメタ発言禁止ー」

マスターは慣れた様子でミルクティーを入れると、シフォンケーキとともに姉に出した。

「んじゃ、新たな実験場開拓のターンなんだ?」
「そうでございますね、ひとまずは色々と見て回りつつ観察対象の種を探す所存」
「イシュ様の研究は素材の確保が難しゅうございますから。お察しいたします」

イシュはマスターの出したシフォンケーキを無表情でほおばりながら、うむうむと頷く。

「アルヴ様も、耳寄りなお話がございましたら是非ご連絡下さいませ。イシュもよろしげな狩場がございましたらご連絡いたしますからに」
「有難いお申し出、感謝申し上げます。世の中はギブアンドテイクでございますから」
「こわーい話してるぅー」

一見のほほんとした光景を繰り広げながら、柔らかい日が差し込む店内にゆっくりとした時間が流れていくのだった。

第1週・ミドルの刻

からんからん。

「いらっしゃーい」

閑古鳥の鳴くランチの時間帯。
マスターの声に出迎えられたのは、若い男女の集団だった。

「ここのランチ、美味しいのよぉー。パスティのお気に入りなの」
「へえ、こんなところあったんだね」
「アタシにはちょっと可愛すぎるかしら…あら、でもいいオトコがいるじゃない?」
「つか、入り口でたむろってねーでさっさと入れよ、つっかえてんだろ」
「あ、あの、押さないでください、ライさん……」
「まーまー、そう慌てなさんなや。あのー、テーブル席ええですか?」
「ん、見ての通りだよー。好きに座って?」

マスターの言葉に従い、男女3人ずつのグループは思い思いにテーブル席に腰掛ける。
種族は様々だが、いずれも若い。エレメンタリー出たてらしき少年から、最年長で二十歳そこそこだろうか。
彼らは近くの魔道学校に通う学生達だった。最初に発言をした順から、パスティ、カイ、ラスティ、ライ、セルク、ティオ。

詳細は「マジカル・ウォークラリー!」を参照のこと。

彼らは思い思いにランチの注文をすると、楽しげに話し始めた。

「それでぇ?カイちゃんは最近どうなの?ダーリンとは」
「ダーリンてなんだよ?」
「知らないの?最近婚約したのよね?カイ」
「はぁ?!マジで?!」
「マジなんだな、これが。あたしも自分が婚約するとか思ってなかったよ」
「へー、どんな彼なん?オレも興味あるわぁ」
「んー、そうだな……どっちかっていうと、セルクみたいな感じだよ」
「ぼ、僕ですか…?!」
「なんだよ、お前こういうナヨっとしたの好みじゃねえんじゃねえの?」
「それが、強いんだこれが。あたしが勝てないもん」
「マジで?」
「マジ。そういうのがなんていうの、えっと、ミルカがよく言ってる……」
「ギャップ萌え?」
「そうそう。意外性っていうか。まああたしは強ければ何でもいいんだけど」
「ぼ、僕と同じタイプで、カイさんが勝てないほど強い…?」
「あかん、想像の範疇を超えたわ」
「アッチのほうも強いの?」
「ははっ、それはヒミツ」
「アッチってどっちだよ?」
「あらライ、知りたいの……?」
「うわぁっ、なんだにじり寄ってくんな!」

年頃の男女よろしく、きゃいきゃいとコイバナを展開させながら、のんびりとしたランチの時間は穏やかに過ぎていくのだった。

第1週・レプスの刻

からん。

「いらっしゃー……あれっ、ミシェルちゃんじゃん」

訪れた客を、マスターは驚いた様子で招き入れた。

癖のある銀髪の、冒険者とは縁遠い普通の街装束の女性である。にこやかなマスターの表情とは対照的に、イシュとはまた違ったタイプの無表情を顔に貼り付けている。
ミシェルと呼ばれた女性は招かれるままに椅子に腰掛けた。

「どうぞ」

ことん。
注文される前に差し出されたハーブティーを見つめ、ミシェルはおもむろに執事を見上げた。

「……結構よ」
「そう言わず」
「今度は夢魔?相変わらずバラエティに富んだカフェね」

皮肉げな声音で言うミシェルに、なおもにこにこと話しかけるマスター。

「まーまー。アルヴんのハーブティー、ホントに美味しいんだよ?」
「効能について触れないあたりがますます信用ならないわ」
「緊張をほぐし、リラックスを促します。安らかな安眠をお約束いたしますよ?」
「眠った後に何をされるかわかりきっているものを口にするほど愚かではないけれど。貴方に悪夢を提供する気はないわ」
「悪夢だなどと」

執事は上機嫌ににこりと笑った。

「わたくしの見せる夢は、貴女様の心の奥に眠る『会いたい人』が出てくる、優しい夢でございますよ?」
「………そう」

ミシェルは嘆息して、マスターの方を向いた。

「カフェラテとチーズケーキ」
「はーい、かしこまりー」

マスターは何事もなかったかのようにミシェルの注文を用意し始める。
執事は彼女に向かって苦笑した。

「振られてしまいましたね」
「私の会いたい人に夢で会っても、空しさと悲しみが広がるだけよ。言ったでしょう?貴方に餌を提供してあげる義理はないの」

ミシェルの様子は取り付く島もない。
執事はゆるく微笑して、ミシェルの前のハーブティーを下げる。

微妙な空気の中、昼下がりの時間はゆっくりと過ぎていき、やがて窓から差し込む光も茜色に変わっていくのだった。

第1週・ストゥルーの刻

からん。

日が落ちて少し経ったころに、ようやっと来店を告げるドアベルの音が響く。
マスターは顔を上げると、いつもと変わらない様子で明るく挨拶をした。

「いらっしゃーい」

だが当の客は、メモを片手に疲れきった表情でマスターの元へと歩いてくる。

「ラズリー・カラックの代理でツケの支払いに来たんだが……」
「ラズリー・カラック?」

首を傾げるマスター。

「………誰だっけ?」
「…ここにツケたって本人が言ってるんだが…40代くらいのオッサンなんだけど」
「あー!」

思い当たった様子でぽんと手を叩く。

「綺麗なお姉ちゃんに気前よくなんでもおごってたのに肝心なところでかわされて搾り取るだけ搾り取られてたおっちゃんね!」
「目に浮かぶようだな…」
「あははー律儀だねえ、払いに来てくれたんだー」
「ああ……すまなかったな」

彼は疲れた様子で金をマスターに渡す。
マスターは何が何でも回収したい意図は無かった様子で、のほほんと金を受け取った。

「せっかくだし、おにーさんも何か飲んでく?お代は頂くけど」
「あぁ、そうする」
「はーい、ごあんなーい。カウンターにする?テーブルも空いてるけど」
「じゃあ、カウンターで」

あっさりと頷いてカウンター席に腰掛ける客。
年の頃は20歳前後だろうか。短い銀髪に碧色の瞳をした、どこから見ても冒険者といういでたちの青年である。
名を、グレンといった。

「ご注文は何にするー?お茶から軽食まで何でもあるよ。今ならあそこの執事のチョー美味しいハーブティーも楽しめるし」

メニューを差し出しながら愛想よく言うマスター。
示した先ではいかにもな執事が綺麗な笑みを浮かべて会釈をした。
ふむ、と唸るグレン。

「注文は軽食……あぁ、夕飯になるようなものだと有難いな」
「おまかせでいいの?」
「そうだな、頼む」

疲れたように言って、ぐったりと背もたれに寄りかかり。

「朝から色々な店を回っていて碌なものを食べていないんだよ。飲み物ばっかりで……」
「ありゃー、忙しかったの?」

早速カウンターの中に回って手を動かしながら問うマスターに、グレンはうんざりした様子で手元のメモを示した。

「……っとに、最近は色々と疲れたから休日くらいはゆっくりしようと思ったのに、こういう日に限って師匠からの手紙が頭に降ってくるとかっ!」
「手紙が降ってくる……器用なことするねえ」
「しかも、中身を見たらお金と紙切れ1枚、紙切れの隅に一言『支払ヨロシク』と。…………あのオッサン、本当にふざけんなっ」
「まー、お金が入ってるだけいいんじゃない? 代わりに払わされたらやだけどさー」

完全に他人事でおかしそうに笑うマスター。

「…………その“代わりに払わされる”って可能性も否定できないんだよ。毎度毎度こっちに被害がくるし…」
「ははは、師匠に苦労させられるのはパターンなんだねえ」
「……本当は軽く仕返ししてやりたいくらいだ」
「しかえし?」
「ああ。何かいい案はないだろうか?」
「うーん、仕返し、仕返しねえ」

グレンの言葉に、マスターは首をかしげて眉を寄せる。

「僕、あのおっちゃんのことあんまり知らないしなー。
お客さんのほうが、何をしたらダメージ与えられるか知ってるんじゃない?」

はいアイスコーヒー、と差し出したマスターに逆に返されて、渋い顔をするグレン。

「いや、実は俺も全く分からない。まず物理的な仕返しは無理だろうな。ほぼ確実に返り討ちだろうし、こっそり簀巻きにして川に投げても普通に簀を破って戻ってくるようなタイプだし」

溜息を吐いて、少し喉を休めるようにアイスコーヒーを一口。

「で、精神的にどうこうってのは……。何をされても気にしないというか、ダメージを受ける姿を想像できない。基本的に自分のペースを保つのが上手いんだよ、あのオッサン。こんな風に、それなりに知っているから逆に案が浮かばないというかな……」
「あははは、お客さんがわかんないのに僕にわかるわけないよー」

マスターは陽気に笑った。

「それに、僕仕返しだなんて怖いこと考えられないよー平和主義者だから」

けらけら笑うマスターを執事が満面の笑みで見守っている。

「つーか、お客さんは仕返ししようとしてもっと酷い返り討ちにあうタイプでしょ。紙切れ一枚で律儀に借金返済して回ってるあたりが、なんつーか」
「貧乏くじを引くタイプ、でございますね」
「そうそれ」

柔らかな笑顔で酷いことを言う執事と同意するマスター。

「悪いことは言わないから、やめときな?女性をけしかけて嫌がらせしようとしていつの間にか女装させられるのがオチだよ?」

楽しそうなマスターにグレンはなんともいえない表情になるが、そのまま口を噤んだ。
今までの自分と師匠とのやり取りを思い返し、まったく反論が出来ない。初対面のマスターにまで看破されているところを見ると、誰が見てもそうだということなんだろう。甚だ不本意だが。
そして、見かけによらず遠慮のない物言いをするマスターと執事に、若干閉口する、というのもあった。

「あっそうだ」

そこに、マスターがふと思いついたと言うようにぽんと手を打つ。

「じゃあ今度はあのおっちゃん連れてきなよ? 今度はおごってもらうってことでさ」」

ちゃっかりと次回の来店を勧める彼に、再びげっそりとした顔をするグレン。

「あのオッサンと、か……」

すると。

ひらり。

グレンの頭上にどこからともなく現れた紙が、ひらひらと彼の眼前に舞い降りてくる。
はし、とその紙をつかんだグレンは、内容を見てため息をついた。

『あ、噂の“チョー美味しいハーブティー”なら奢ってやってもいーぞー by師匠』

「ハーブティー?」

マスターの方を見れば、上機嫌で隣の執事を指差して。

「さっき言ったでしょ、そこのイケメン執事がチョー美味しいハーブティー煎れてくれるって」
「ああ……」

そういえばそんなことを言っていたかもしれない、と思ってから、グレンは再びため息をついた。

「あの師匠が指定してくるとか不安しかないんだが……どんなハーブティーなんだ……」
「そんなこと言わないでさ。ホントに美味しいんだよ?なんかご利益もあるし」
「ご利益?」
「彼のハーブティーを飲んで眠ると、会いたい人の夢を見る、んだってさ」
「会いたい人……」

グレンは呟いて俯いた。
うつろな瞳にはなにも写っていないように見える。

そこに、マスターが出来たてのリゾットを置いた。

「はい、チーズリゾット。今日何も食べてないんでしょ?おなかに優しいのにしたよ」
「あ、ああ……すまない」

少し虚をつかれた様子で言い、グレンは早速スプーンを取ってリゾットを食べ始めた。

「………美味い」

少し信じられない、という様子で呟くグレン。
それは、こんな小さな喫茶店の軽食として出てくるには不釣合いなほど、上品で深い味わいだった。

「そ?ありがとー。ゆっくり食べてね」

マスターは嬉しそうに笑って言う。
グレンはその言葉に頷くと、もくもくとリゾットを食べ進めた。

からん。

再び、ドアベルの音が来客を告げる。

「いらっしゃーい」

入ってきたのは、こちらもいかにも冒険者という風体の青年だった。グレンと同い年くらいだろうか。赤い髪を長く伸ばしてひとつにくくり、あまり手入れされていない様子の髪の隙間から金色の瞳が覗いている。薄汚れた肌を綺麗に洗い、髪も綺麗に整えれば相応の美丈夫になるのではないかと思わせた。
男は黙ったままカウンターに槍を立てかけ、その椅子に座ると、ぶっきらぼうに、ダージリン、ホット、とだけ注文した。

「かしこまりー」

しばらく、執事とマスターが支度をする音だけが店内に響く。
やがて、グレンはリゾットを食べ終えると、スプーンを置いて立ち上がった。

「美味かった。マスター、いくらだ?」
「んーっと、ドリンク込みで銀貨1枚ね」
「…そんなんでいいのか?じゃ、また来る」
「今度はお師匠さんと一緒に来てねー♪」

ひらひらと手を振るマスターにげっそりとした表情を返し、グレンは出口へと向かった。
と。

からん。

みたび、ドアベルの音が来客を告げ、店を出ようとしていたグレンとあやうくぶつかりそうになる。

「おっと」
「…っと……ごめん、大丈夫?」
「ああ、問題ない。こっちこそすまなかったな」

グレンと新たな客は短くそれだけ言葉を交わし、ドアの前ですれ違っていった。
店の外に出て行くグレンを軽く見送ってから、ふう、と息をつく客。

黒髪をショートにした、こちらも冒険者であるらしき女性だった。年はやはり二十歳前後だろうか。造詣は整っているが、目つきが鋭く、ともすれば不機嫌そうにも見える。白い肌のところどころに刻まれた傷跡と焼印と思しき火傷のあとが痛々しく、彼女の印象をより尖って見せていた。
名を、フィリーという。

フィリーはため息をついて店に足を踏み入れ、面倒そうにぼやいた。

「あー疲れたー。
相棒は見つからないし、仕事はやな奴が雇い主だし……」

ぶつぶつ言いながら、店内に歩みを進める。

「マスター、何か軽食と飲み物を…」

と、言いながら顔を上げ、絶句した。

視線の先には、カウンターで紅茶をすする赤髪の男。

目をこぼれんばかりに見開き、唖然とした表情で指をさして。

「ぐ、グレム!?」

男の名と思しき文言を、半ば叫ぶように吐き出してから、足早に彼に駆け寄る。

「あんたなんで…ていうか、今までどこにいたのよ!?」
「よう」

軽く手を上げる男……グレム。
結構な剣幕のフィリーとは対照的に、まるで昨日別れた友人に挨拶をするような軽いノリで。

フィリーはますます激昂した。

「ようじゃないわよ!!心配したのよ!!!」
「まあ座れ。折角会ったんだし、軽食と飲み物頼むんだろ」

言い返され、む、と言葉に詰まりながらも、咳払いをして隣に座るフィリー。

「ま、まあ、あんたの言う通りね」
「はいどーぞ、メニューだよ」

絶妙のタイミングでメニューを差し出すマスターに、フィリーは素直に注文することにした。

「じゃあ…サンドイッチと、アイスティーで」
「かしこまりー」

頷いてカウンターに引っ込むマスター。
フィリーは息をつくと、隣に座る相棒の姿をじっと見た。

(相変わらずね……ムカつくくらいイケメンなのも、私だけが振り回されてるのも)

ふ、と息をついて。
嫌味のひとつでも言ってやろうと、口を開く。

「……グレム、私が苦労して探してたっていうのに、槍と装備まで新調して稼ぎよさそうじゃない」
「ああ、探してなかった」

紅茶をすすりながら軽く答えるグレムに、せっかく落ち着いていたフィリーはまた声を荒げる。

「…探してなかった!?
あのねぇ、二人で稼いでいこうって相談したんだから、少しくらい探しなさいよ!」
「くたばるとは思わなかった。殺しても死ななそうだしな」
「……く、くたばるとは思わなかった……?」

愕然として言葉もないフィリー。

「はっらたつわね相変わらず、このキングオブ無愛想!」
「うるさい女だな」

グレムは迷惑そうに眉を寄せ、フィリーのほうを見た。

「離れて少しはお淑やかになったかと思ったんだが、悪い意味で予想を裏切る女だ」

そこまで言って、何かに思い当たったのか、あざけるような笑みを浮かべる。

「……ああ、そうだった、心配したのか」
「しっ?!」

フィリーの顔が一気に紅潮する。

カウンターの中のマスターと執事は、天然記念物を見るような目で二人のやり取りを見守っていた。

「……し、心配してたわよ、戦場で別れて生死もわからずどこにいるのかわかんないんだから!
バカ!わからずや!アホ!鈍感!」
「………」

無言で肩をすくめるグレム。
内心、言い過ぎたか、などと思っていることはもちろんおくびにも出さない。

フィリーはやけになったように声を上げた。

「あーーーっあんたのために心折ってた私が馬鹿だった!」

マスターの方を向き、たたきつけるように言う。

「マスター!何でもいいからお酒!
やけ酒よ!お酒!付き合いなさいよ!」
「ここに酒はないだろ。何より仕送りが減る。無駄遣いだ」

あっさりと言い返され、またも言葉に詰まるフィリー。

「た、たしかにお酒は無駄遣いだけど…っ」

口では全く勝てない様子の彼女は、声に出せない思いを心の中で叫んでいた。

(ちょっとイケメンになったけど絶対言わない。くたばれ陰湿グレムっ!!)

一方のグレムは、探るようなまなざしでゆっくりと彼女の様子を観察している。

(相変わらずだな。これだと旅先でも苦労してただろうに。……髪が伸びたか。傷も増えた気がする)

ふ、と息をついて。
残る紅茶を飲み干すと、席を立った。

「……また来る。マスター。お代はここに。じゃあな」
「ちょっ……!」

銀貨1枚を置いてさっさと出口へ向かうグレムを、慌てて振り返るフィリー。

「ま、どこにいるかくらい言っていきなさ……!」

からん。

彼女の静止を気に留める様子もなく、グレムはのんびりとした足取りで出て行った。

「……もう!相変わらずすっごいマイペースで頭痛い…」

頭を抑えてカウンターに向き直ってから、フィリーはいらいらしたようにマスターに言った。

「マスター!ご飯と飲み物まだ!?」
「ははっ、はいはい、どーぞ」

待ち構えていたようにサンドイッチとアイスティを出すマスター。
フィリーは早速それを手に取ると、やけ食いのように盛大にかぶりついた。

「んっ……おいし」
「んふふ、さっきのエルフくんはおねーさんのカレシ?」
「カレっっっ」

またも顔を紅潮させるフィリー。
執事も見守るような視線を向けている。

「ちがっ、そ、んなんじゃ、ないから!相棒!相棒なの!
はぐれてからずっと探してたのに、あんな……何もなかったみたいに、もう!」

ふたたびサンドイッチにかぶりついてから、ふとフィリーは何かに気づいたように顔を上げた。

「……あいつ、エルフだって言ったの?」
「ん?ううん、おにーさん僕には『ダージリン、ホット』ってしか喋ってないよ」
「…耳も切ってるのに…なんであいつがエルフだって知ってるの?」
「ふふん、なんとなく分かっちゃうんだ、僕」

にこにこと上機嫌なマスターに、なんとなく納得いかない様子で、フィリーはそれでもサンドイッチの残りを口にした。
と、そこに。

からん。

ドアベルが4人目の来客を告げる。

「いらっしゃーい」

マスターの挨拶を受けたのは、両手両足に巻かれた包帯が痛々しい、20代後半ほどの男性だった。癖のある黒髪を後ろでひとつにくくり、金茶の瞳を珍しそうに店の内装に向けている。深い青のマントとターバンがどことなく異国の民を思わせるが、こちらもいかにも冒険者という様子のいでたちだ。
名を、ニクスといった。

「ここ、メシやってる?」
「ガッツリ飯は難しいけど、何でも作るよー」
「そうか、じゃあここにするわ」

ニクスはおおらかに言い、フィリーのひとつ空けた隣に座る。
ほぼ同時にサンドイッチを食べ終わったフィリーが、アイスティーを飲み干して立ち上がった。

「マスター、ご馳走様。おあいそ」
「はーい。銅貨7枚ね」
「はい」

ちゃらちゃら。
軽快な音を立ててマスターの手に代金を落とすと、フィリーは颯爽と踵を返した。

「美味しかった。また来るわ」

軽く手を振って、出口へと向かう。

「まいどありー」
「ありがとうございました」

マスターと執事が見送る中、からん、とドアベルを鳴らして出て行くフィリー。
その間に、ニクスはマスターが差し出したメニューを眺めていた。

「なあ、メニューにないやつも出来るか?」
「んー、材料があれば」
「カレースープなんだが…固パンと一緒に出てくる」
「おー、お客さんシェリダン出身?」
「お、よくわかったな」
「僕の姪っ子がシェリダン長くてさ。色々料理も教えてもらったんだよね。いいよ、ちょっと待ってて」

マスターはそう言うと、てきぱきと材料を用意し始めた。
その間に、執事が水を出し、にこりと微笑む。

「お疲れのようですね。お怪我は大丈夫ですか?」
「ん?あー、まあ冒険者だしな。これくらいのケガは通常営業だよ」
「お仕事中の怪我でございますか?」
「ああ。遺跡調査の護衛と発掘補助…って仕事でな、結構奥地の方まで行ったんだ。
割と上手く行ったと思ってたんだが、最後の方で落盤があって…とっさに魔法で仲間は守ったが、オレは巻き込まれてこのザマだよ」

苦笑するニクスに、執事はにこりと笑みを向けた。

「では、お客様は皆様の英雄でございますね」
「ガラじゃねえなー。ま、こんなグルグルしてるが、致命的なケガじゃねえよ。おかげでギャラも多めにもらえたし、今は療養中、ってとこだ」
「出歩いて大丈夫なのー?」

材料を切りながらのマスターの問いに、ニクスは苦笑する。

「まー、宿屋に籠ってるのも性に合わねぇしな。たまには外で飯も食いてぇし、まあこういうこぢんまりとしたとこなら大丈夫だと…」
「こぢんまりって、酷いなあ」
「確かに大きくはございませんね」

言葉ほど気にした様子もないマスターに、執事がにこやかに相槌を打つ。
が。

「ところで、大丈夫、とは、何が大丈夫なのでしょうか?」
「ん?オレそんなこと言ったか?」

内心ぎくりとしたのを隠すようにとぼけるニクス。
執事は笑顔のままさらに押した。

「まだ肌寒いのにわざわざ日が落ちてから外に出かけるのは、それなりの理由がおありかと考えまして」
「ん?あー…まあ大の男がこんな成りで昼間っからウロウロするのもみっともねぇからな~ははは」

乾いた笑いを返すニクスに、マスターが手際よく鍋を振りながらにこやかに追撃する。

「そうだよねー、そんな包帯まみれのボロボロじゃ、心配されちゃうもんね?」
「…心配って誰にだよ?」
「んふふふ、お客さんには僕と同じ匂いを感じるなあ」
「なんだよそれ」
「マスターは幼児性愛好者なのですよ」
「おいちょっと待てなにをどこまで」
「はーいおまたせー」

動揺があからさまに顔に出たニクスの言葉をぶった切って、マスターは出来上がったカレースープをニクスの前に置いた。

ふわりと漂うスパイシーな香り。

ニクスは先ほどまでのやり取りはすっかり忘れたように、表情を輝かせた。

「おおこれだこれだ。宿屋の食事も不味くはねぇが、懐かしの故郷の味って奴をたまーに食べてみたくなるんだよな」
「やっぱりシェリダン訛りで喋るの?」
「帰るとやっぱそうだな。この辺にいる時にはあまり出ないが」
「ジモティーと喋ると出るよねー方言」

他愛もないことを話しながら、ニクスは美味しそうにカレースープを食べていく。
減ったグラスの水を継ぎ足しながら、執事がにこやかに尋ねた。

「食後にハーブティーはいかがですか?怪我に効くものをブレンドいたします」
「そんなことできるのか?」
「このイケメン執事のハーブティーはチョー美味しいよー。ご利益もあるし」
「ご利益?」
「そ。飲んで寝ると、会いたい人の夢を見るんだって」
「会いたい人…か」

真っ先に浮かぶのは本来ならば想い人の顔だろうが、懐かしいカレースープの匂いが別の面影を連想させる。

「面白そうだな。怪我に効くハーブティーとやら、煎れてくれよ」
「畏まりました」

執事は恭しく礼をして、ハーブをブレンドし始めた。
その間に、ニクスは速いペースでカレースープを平らげていく。

「ごちそうさま。美味かったよ、懐かしい味がした」
「気に入ってくれたなら良かったよ」

食器を下げるマスターと入れ替わるようにして、執事が煎れ立てのハーブティーを置く。

「どうぞ。滋養強壮でございますよ」
「お、こっちも懐かしい匂いがするな……いただきます」

こくり。

こくり、こくり。

出されたハーブティーをゆっくり飲み下していくニクス。

「確かに…これは、美味いな」

香りに誘われてか、どこか夢見るような表情でハーブティーを見下ろす。
マスターはにこりと微笑んだ。

「眠かったら、寝てていいよ?他にお客さんもいないし」
「ん……すまないが……そう、する……」

ことん。

ニクスの頭が小さな音を立ててカウンターに沈む。
そのまま寝息を立て始めるのを、マスターと執事はにこやかに見守っていた。

『マー姉ちゃん!』

浴室に反響したような、ぼんやりとした声が聞こえる。

甲高い子供の声。

いや……これは、自分の声だ。幼い頃の、自分の。

『マー姉ちゃん!いやや……なんで、お嫁にいってまうん?』

涙声で訴える幼い自分の声が、まるで他人事のように聞こえる。
目の前の女性は、困ったように微笑んだ。

『坊ちゃん。今日でお別れやな。
明日からは、坊ちゃん、ひとりでなんでもせなあかんよ』

『いやや。マー姉ちゃん、お嫁になんか行かんといて』

『わがまま言うたらあかん。坊ちゃんは、立派な大人になって、お家のこと助けたらなあかんねんからな』

彼女は、自分の世話係としてあてがわれた女性だった。
10ほど年上だっただろうか。美人ではないが小柄で愛嬌のある顔立ちをし、見た目からは想像もつかないほど気が強くて力持ち…もとい気のつく性格だった。

勉強をサボっては勝手に外へ遊びにいくニクスを見つけ、強い訛りで叱られゲンコツを食らっていたものの、帰る際には背中におぶってもらい、よく上空の砂漠の光景を見せてくれた。

どこまでも広がる砂漠の光景と、あたたかな温もりは今も心の片隅に残っている。

『マー姉ちゃん…』

『ばいばい、坊ちゃん』

親の取引相手の従者と、見合い結婚をすると聞いた。
もう二十年も昔になる。子供も生まれて幸せに暮らしていると聞いたのは、いつの日だったか……

「……ん……」

浅い眠りからゆるやかに引き戻され、ニクスは目を擦りながら顔を上げた。

「すまん……寝てた」
「気にしないでー。いい夢見た?」

マスターの上機嫌な笑顔がそれを迎える。
その笑顔の裏に底知れぬ何かを本能的に感じ取りながら、ニクスは曖昧に言葉を濁した。

「ああ、まあ……な」

ふわり、と傍らにあったハーブティーが香る。

「これ…何て名前のハーブだ?」
「これは……」
「…そうか、思い出した」

「「マレイン」」

執事の声とニクスの声が重なる。

執事はにこりと笑い、ニクスは懐かしげにハーブティーを見下ろした。

「ああ…そんな名前だったなぁ…」
「どなたかのお名前と同じなのですか?」
「…いや、なんでもない。ご馳走になったな、また来るぜ」

ニクスはマスターに代金を払うと、すがすがしい表情で店を後にする。

「まいどありー」
「ありがとうございました」

その後姿を、マスターと執事がにこやかに見送るのだった。

第1週・ライラの刻

「ふー。おつかれちゃーん」

クローズの札をかけ、マスターは執事に笑いかけた。

「お疲れ様です。といっても、お客様はあまりいらっしゃいませんでしたが」
「ははは、いつもこんなもんだよ」

食器を拭いている執事に向かい合うように、カウンターに腰掛けるマスター。

「でも、最後にゴハンが来てよかったねぇ?」
「そうでございますね、あやうく自分の存在意義を見失うところでございました」

にこり。
満足げに微笑む執事には、穏やかな笑みの後ろに暗い影が映し出されるようで。

マスターは上機嫌に微笑んだ。

「まー、懲りずにもうちょっと手伝ってよ。
なんか面白そうなことが起こる気もするから……さ?」

夜の帳があたりを沈黙へと染めていく。

一見穏やかで明るい店内の空気に僅かに潜む闇を、一瞬だけ照らし出すかのように。

「さー、明日もがんばろっかね!」

気だるげに伸びをするマスターを、執事は無言で微笑みながら見守るのだった。

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