幽霊って、いると思う?

いるとも言えるし、いないとも言えるな。

ふうん、何でそう思うの?

幽霊には、二種類あるんだ。

二種類?

人の心の外に住む幽霊と、
人の心の中に住む幽霊だな。

どう違うの?

人の心の外に住む幽霊は、
お前らが思ってるような奴さ。
自分が死んだことが信じられなくて、
あの世にいけずに彷徨ってる。

人の心の中に住む幽霊ってのは、
それを恐れる人間の心が作り出すもんだ。
風の音を、なんでもない光を、
恐怖って奴は簡単に幽霊に変える。

じゃあ、それはどうやって見分けるの?

さあな。
俺みたいに、外に住む幽霊を見ることが出来りゃ簡単なんだが…
幽霊を見ることが出来ない奴に、見分けることなんか出来やしねえさ。
ま、どっちにしてもお前らには同じだろ。
「怖い」ことには変わりないんだからな。

あたし、怖くないよ?
幽霊も、あなたも、ちっとも怖くない。

はは、ありがとよ。
だなが、俺が「怖い」って言ってるのは、幽霊のことじゃねえんだよ。

じゃあ、なに?


怖いのは、「幽霊」を恐怖する、「人間」そのものさ…

「ああ、それならあの人よ」
依頼の紙を見、話を聞いてみたいと真昼の月亭に指定された時刻に来てみれば。
看板娘、アカネの指さす先に、ちょっとした人だかりができていた。
「ひ、ふ、み…8人か…うわぁ、これ全部依頼受けに来たやつなのか?」
遠くから指さし数えて、彼…クルム・ウィーグは頭を掻いた。
年のころはまだ14、5歳ほどの少年である。短くそろえられた栗色の髪に、優しげな深緑の瞳。あどけなさと冷静さが奇妙に同居する表情。背には大きな剣を背負っていて、彼が立派な冒険者であることを物語っていた。
そして、指さし数えた10人の中に見知った顔を見つけ、彼は安心したように表情を崩すと、その輪に向かって駆け寄っていった。
「よう、ミケ、ルージュ、ナ…ええと、ランスロット。久しぶりだなあ」
懐かしそうに名前を呼びながら、一人一人を確認していく。
すると、輪の中心にいた少女が、立ち上がって彼に話し掛けた。
「あんたも依頼を受けに来た冒険者?そっか、これで8人だね。じゃあ、そろそろ締め切るよ、アカネ」
言って、ちらりとアカネの方を見てそう言ってから、クルムの方に視線を戻す。
(……炎)
その赤い瞳で見据えられて、クルムが最初に思ったのは、それだった。
鮮やかな炎。
それが人の形したらあのようになるだろうな、と思った。
けれどそれは焼き尽くす炎では無く、落ち込みきった人をも元気付ける、強く暖かい炎。
そして…力。
力強い輝きを隠そうともせずに彼に突き刺してくる。
髪も瞳も燃えるような赤。年は、クルムと同じくらいだろう。だが、その判断を大きく狂わせる要素が、彼女にはあった。
(…ドラゴン、か)
耳の脇に生えた、赤褐色の3対の角。それが、彼女が竜族…おそらくはレッドドラゴンであろうことを物語っていた。おそらくは、彼の10倍以上の年月を生きているだろう。
彼女はきつめの目元をまっすぐにクルムに向け、そしてにこりと微笑んだ。
「あたし、カイ・ジャスティー。カイでいいよ。よろしく」
そして、クルムの返事を待たずに、周りを取り囲む冒険者達をくるりと見渡した。
「んじゃ、とりあえず自己紹介してくれるかな?何か顔見知りもいるみたいだけど、初めての人もいるでしょ。何よりあたしが初めてだし?」
気さくなその様子に、緊張を解いたように微笑んで、クルムは側にあった椅子に座った。
「じゃあ、オレからな。クルム・ウィーグだ。クルムでいいよ。冒険者をしてる。幽霊退治だって?それにも興味を引かれたし、リュウアンにも一度行ってみたかったんだ。みんな、よろしくな」
「じゃ、そっちから順番に、どーぞ」
カイに指名されて、クルムのとなりに座っていた青年がきょとんと自分を指さす。
肩口でそろえたエメラルドグリーンの髪に、同色の瞳がまぶしい、柔らかな物腰の青年。彼は綺麗に微笑むと、座ったまま軽くお辞儀をした。
「わたくしはランスロット=D=ナンミンと申します。冒険者…ということになるのでしょうか、広く世の中を見るために旅をしております。今回は幽霊…この世ならぬものと相対する依頼とか。とても興味を引かれまして、こうして受けに参りました。顔見知りの方もいらっしゃると思いますが、よろしくお願いします」
ランスロットが自己紹介を終えると、隣に座っていた少女がにこりと微笑んだ。
「ミーケン=デ・ピースと申します。ミケとお呼び下さい」
…否、声を聞く限りでは男性のようである。
声を聞かなければ10人中10人が少女と判断しただろう。可愛らしいと形容して差し支えない容貌をしている。栗色の髪を長く伸ばし、先を三つ編みにたらしている。青く大きな瞳は年齢よりも落ち着いた輝きを灯していた。黒いローブと、肩に乗った黒猫。おそらく魔術師で、猫は使い魔なのだろう。
「幽霊は…正直、お話を聞くのはあまり好きではないですけど。ゴースト退治の依頼でしたら、いくつかこなしています。腕力は期待できませんが、魔法なら多少扱えます。よろしくお願いします」
ミケが礼をすると、待ってましたとばかりに隣にいた少女がしゅたっと手をあげた。
「はいはーいっ!リィナの番ね!」
16歳ほどの、可愛らしい少女である。長い髪を頭の上でおだんごにし、大きなリボンでまとめている。大きな真紅の瞳、少し風変わりな服。この世界のどこの国にも当てはまらないデザインだ。首には十字架をぶら下げている。
「リィナ・ルーファっていいます!えっとね、えーっと、色々あって、旅してるの。幽霊さんはとりあえず平和的に成仏してくれたらいっかな~って感じ?ヨロシクね!」
リィナの隣には、大柄な美女。なめらかな白髪の横からのぞく、黒色の鰭。おそらくはマーメイドなのだろう。大きな胸と、セクシーなボディーラインを最大限に引き立てる、タイムリーにもリュウアン風の装束。足元に大きく入ったスリットからは、黒い網タイツが覗く。唇の右下には艶黒子、大きな眼鏡の向こうではブラウンの瞳が妖艶に光っている。まさに完璧な美女といえた。
だが、彼女が声を発したとたん、冒険者達は驚愕にアゴを落とすことになる。
「ええvワタシはンズーリルカ・ド・レンリェン。ンリルカでも、ンリェンでも呼びやすい方で呼んでねぇv」
その声は、間違いなく野太い男性のものであったからだ。
あまりの驚愕に、「両方呼びにくい」というツッコミも消えうせている。
「ワタシはなんていうの?べんりやさん?っていうの、やっちゃってるのよねぇ。幽霊?怖いに決まってるじゃなぁい!!でもリュウアンったらあ・こ・が・れvの地なのよねえ、ワタシのこの服、リュウアンのものなのよぉ?でも一度も行ったことなくてぇ。あっ、リュウアンの素敵なお洋服さんとかって教えてもらえないかしらぁ?出来ればワタシのサイズ作ってくれるトコなんかがいいんだけどぉv」
「……へっ…?…あ、ああうん、まかせて…」
さすがのカイも、あっけに取られた様子で生返事をした。
ンリルカの紹介が終わり、隣で明らかにビビっている様子の銀髪の女性が、彼女(?)の様子を伺いながら、おそるおそる喋りだす。
「…え、えーと…ルージュ・ディアスよ。…女だから。一応」
隣でンリルカが、あらぁ、ワタシだって女よぉ、という抗議の声をあげるが、無視。
ストレートの銀髪に、白い肌。その中にひときわ輝く、真紅の瞳。年のころは20歳前後であろう、ンリルカとは対照的にほっそりと整ったボディーラインを際立たせる、踊り子風の衣装を着ている。
「幽霊ね、正直気乗りしないけど。いや別に怪奇現象だの心霊現象が苦手な訳じゃないのよ?成仏のさせ方なんて知らないしさ、けどまあ、なんか調べる役には立つと思うし。よろしく」
ルージュの紹介で、ようやく落ち着きを取り戻した様子なのは、隣に座っていた小柄な地人の女性。
褐色の肌と鮮やかなコントラストを醸し出す、肩口でそろえられた白髪。気の強そうな光を宿した紅い瞳。やや露出が多いワンピースに、銀の太いベルト。そこには細身の剣を刺している。
「ラーラシア・エムルだ。ラーラでいい。幽霊ねぇ。アタシあんまり信じてないんだけど。魔物なんかの方がよっぽど恐ろしいよ」
「じゃあ、何で依頼受けたの?」
カイがきょとんとして訊ねると、ラーラは不機嫌そうに眉をしかめた。
「ほっとけ。…まあ、興味はあるワケだ。旅資金もやばいしな。とりあえず、この剣で斬れる奴が相手なら、役には立てると思うがな。よろしく」
依頼人に対する不躾な態度にも、カイは嫌な顔一つせず、最後の少女に視線を向けた。
「あんたが最後だね。どーぞ」
促されて、ポニーテールの少女はにこりと微笑んだ。
「レティシア・ルードです!レティシアって呼んでね。マヒンダから来たの」
長いストレートの金髪をポニーテールにしている。大きな緑の瞳は印象を幼くさせるが、大きな胸が正反対の事を主張している。胸元のリボンが可愛らしいが、全体的に露出が高いワンピースを身につけていた。マヒンダから来たということは、おおむね魔道士と思って間違いは無いだろう。
「幽霊ってのは、この世に迷いや未練、憎悪なんかを残すとなっちゃうんでしょ?だから、退治…っていうのはちょっと、抵抗があるんだけど…できたらさ、幽霊を解放してやりたいって思ってる。本当に幽霊だったら、の話だけど…よろしくね!」
言って、レティシアはぺこりと頭を下げた。
カイは満足そうに肯いて、再び立ち上がる。
「ん、ありがと。だいたいわかったわ。じゃあ、今度はあたしね」
手のひらを自分の胸に当てて、8人全員を見渡す。
「あたしの名前は、カイ・ジャスティー。冒険者ってやつ、してたんだけど、今は魔法を身につけるためにヴィーダの魔道士養成学校に通ってるんだ。でもどっちかっていうと、魔道より武器使ったほうが好きなんだよね。こん中には、武器使う人も何人かいるんでしょ。ちょっと楽しみだよ、あとで手合わせしようね」
「マジ?!はいはい、リィナ一番ね!」
リィナが嬉しそうに手を上げて、カイは笑顔でそれに応えた。
そして、笑顔を引き締めて、依頼の話に入る。
「で、ここに集まってくれた人は、たぶんここや風花亭の張り紙を見てきてくれたんだと思うんだけど…そう、依頼の紙に書いてあったとおり、場所は東方大陸の北にある、リュウアン。内容は、幽霊退治。…でもね」
カイは厳しい表情で腕組みをして、続けた。
「まず始めに言っとくね。あたし、この幽霊騒ぎ、本物の幽霊じゃないって思ってる」
「どういうことですか?」
ミケが訝しげな表情で問い返した。カイはそちらの方を向いて、言った。
「あの街は、前にも似たような騒ぎを起こしてるのよ。あたしは、その正体を知ってる。幽霊でもないのにバカみたいに騒ぎ立てて、何の罪もない人を傷つけ、死なせてしまった…その騒ぎを知ってる。まだ人づてにしか聞いてないけど…あの人と同じような人を出さないためにも、今度はどうしても、止めなくちゃ」
「あのひと…?」
レティシアが小さく呟き、冒険者達の何名かがその言葉に反応した。
「道々、話すよ。つまり、あんたたちには、この事件が『幽霊じゃない』ことを探り出して、その裏に潜む本当の敵を見つけ出して、倒して欲しい、っていうこと。あたし、今は学生だけど、昔はそれなりに冒険者してたし、お金を使う宛もないから、結構持ってることは持ってるんだ。ただまあ、お金も無尽蔵にあるわけじゃないから、あんたたちの交通費と宿代はあたしが持って、それ以上の依頼料は働きに応じて、っていうことにするわ。つまり、有力な情報や、敵との戦闘に役立ったら、それに対して払うっていうこと。もちろん、何の役にも立たなかったら依頼料ゼロってことよね。いいかな?」
「ちょっと。それって、あんたが『役に立ってない』って言ったらそれまでじゃない。そんなのフェアじゃないわ」
抗議の声をあげたのはルージュ。カイは楽しげな、そしてどこか挑戦的な瞳を彼女に向けた。
「そう思うんなら、いいよ、降りてくれて。どっちにしろ8人もいるんじゃ、まともに報酬なんか払ってらんないもんね。自分が役に立つ働きができないって思うんなら、降りればいいよ。今のうちだよ?」
ルージュはむっとした様子で、しかし何も言い返せないといったように黙り込んだ。
「オレは構わないよ。交通費と宿代を払ってくれるなら、少なくとも損はしないし。今の話を聞いて、この事件に興味もわいたしね。それに、君なら、言いがかりをつけて報酬を出し渋るようなことはしないと思う。今会ったばかりで、大きなことを言うようだけど…何となく、そんな気がするんだ」
クルムが良い、ミケも笑顔で肯いた。
「以下同文ですね。そこまで言われたら、お役に立つように尽力しなければ」
「冒険者としての腕の見せ所ってやつね!がんばらなくちゃ!」
一人で盛り上がっているレティシア。
ルージュは溜息をついた。
「…そこまで言われたら、受けないわけにはいかないじゃない。しょうがないわね…」
カイはにこりと笑って、もう一度一堂を見渡した。
「サンキュ。じゃあさっそく明日出発ね。ここからだったら、リュウアンへは海路を行く方が早いと思うんだ。山越えをするのもめんどうだし。っていうことで、明日の朝、ルヒティンの刻ぴったりに、ウェルドの港の酒場まで来て。オーケー?」
カイの言葉に、冒険者達は無言で肯いた。

「……はっ!!」
ゆっくりと息を吸い込み、大気中の「気」を体中で感じてから、勢いよく吐き出す。
そのリズムに乗って、もはや体の一部と称しても差し支えないほどに手に馴染んだ棒を突き出し、振り、回して止める。
一定の動きを追うだけの演舞だが、動作の一つ一つがきびきびとしていて、まるで舞を見ているかのようだった。
やがて、一通り演舞を終え、ふうと息をついて棒をトンとつく。
ぱちぱちぱち。
後ろから聞こえた音に、カイは振り返った。
「すごいすっごーい!きれーな演舞だねぇ!」
はしゃいだ様子で駆け寄ってきたのは、リィナ。その後ろにも雇われた冒険者たちが顔を揃えている。
カイはにこりと笑って、持っていた棒をことりと置いた。
「船の上だからやりにくいけど、やっぱり一日一回はやらないと落ち着かなくてさ」
リュウアンヘ向かう船の上。
海路の方が早いといっても、やはり丸一昼夜は見込まなければならない。冒険者たちが船室で思い思いにくつろぐ間、カイは甲板の上に出て体を動かしていたのだ。
カイはぐるりと冒険者たちの顔を見渡して、きょとんとした。
「ラーラがいないね。一緒じゃないの?」
「あん、ラーラちゃんはお一人がいいみたいなのぉ。わたし達とは別行動で、色んなとこウロウロしてるわんv」
ンリルカが妙なしなを作って言う。
カイはふぅん、と肯いて、甲板の縁まで歩いていき、そこに腰をかけた。
「いい天気だねえ。これから幽霊退治しに行くなんて嘘みたい」
「そのことで、詳しくお聞きしたいことがありまして。カイさんをお探ししていたんですよ」
真面目な表情のランスロットに、カイは苦笑を投げた。
「…だろうと思ったよ。どうせ話さなくちゃいけないことだしね…どっから話そうか」
「同じような事件が…と仰っていましたね。そのあたりから…お願いします」
同じく真剣な表情で、ミケ。
カイはこくりと肯いて、話し始めた。
「リュウアン、って言ったけど、あたしはリュウアンに住んでたわけじゃないんだ。ほら、あたしドラゴンでしょ?知ってると思うけど、竜族ってあんまり、人間と交流を持ちたがらないわけ。理由は、色々あるんだけどね」
力と寿命が違いすぎる種族同士の結びつきは、えてして不幸を生む。
そうして、上位種族はあえて従属人種とのかかわりを避けてきた。
もっとも、長い年月の間にそれは「選民思想」へと姿を変えてしまったものも少なくないが。
「あたしの集落があったのは、これからいくチンロンの側にある山…ちょうど、北方大陸と東方大陸の境目になる山脈の奥深くなんだ。あたしは、まだすごくちっちゃい頃から、結構人里に降りたりとかもしてたの。
友達に…会うためにね」
「友達…?」
クルムが反復すると、カイはうなずいて、続けた。
「あたしには、人間の友達がいたの。
そのひとは、チンロンのはずれの方に住んでて…あまり、街のほうにも寄り付かなかったから、それで仲良くしやすかったのもあるわ」
かすかに微笑んで、懐かしそうに語る。
「なんでそのひとが街のはずれに住んでたかっていうとね…その人には、人とは違う能力があったの」
「違う能力?」
ンリルカが首をかしげると、カイはそちらの方を見た。
「生きているものじゃないもの…つまり、『幽霊』を見る能力よ」
「幽霊…」
ミケがぽつりと呟いた。
「そう。死んでからも、あの世にいけずに彷徨っている魂…あのひとは、それを見ることが出来たの」
カイは座っていた手すりから降りると、歩きながら続けた。
「別に差別とかされてたわけじゃなかったんだけど…まあ、あまりいい気はしないわよね。その人もそれがわかってたみたいで、あえて近寄ったりはしなかったの。すごく気の強い人だったけど、あたしにはちょっと、淋しそうに見えた…」
カイの神妙な様子に、冒険者達も沈黙する。
「そんな時に、街で妙な噂が流れ始めたの。幽霊が出る…っていう」
カイは表情を引き締めて、船の進行方向を見つめた。
「夜歩いていると、薄い女の影が現れては消える。誰もいないはずの仏間で人の声がする。鏡に恐ろしい影が映る。あたしの友達の言葉を借りれば、パターンな話ばかりが続々と出てきてね」
「………」
ミケがふるっと体を震わせる。
「ねえ、それって本当に幽霊の仕業なの?魔物っていうことは…」
レティシアの言葉を遮って、カイは首を振った。
「魔物だったら、もっと直接的な被害を与えてくると思わない?それこそ、人を襲ったり、建物を壊したりとか。でもそうじゃないの。ただ現れては消えるだけ。目的がないの。だから余計に、街の人たちは不安にかられた。害があるから怖いんじゃない。『害があるかどうかわからないから』怖いの。わかるかな」
「わかりますよ。ヒトの恐怖心と言うものは、『未知なるもの』に対して一番強く働くのですからね」
うんうんと肯いたのは、ランスロット。
「わたくしは正直申しまして、霊の存在には半信半疑なのです。わたくしはまだ人間というものを観察し始めて日が浅いのですが、わたくしの所見では、幽霊と言うものは人間の恐怖心が生み出したものではないのかと思うのです。
人が一番恐れるのは『未知』です。分からないのが恐ろしいのです。だから自分が理解できないことにも『名前』が必要なのです。そんな時に『幽霊』なんて言霊が生まれたのだと思います。まさにヒトの『想い』が作り出したものなのだと…」
「…なるほどね。なんていうか、その説よりも、あんたがそれを言うことが私にとっては驚きだわ」
長い演説に、肩を竦めて苦笑して、ルージュ。
カイはうなずいて、続けた。
「…ん、そうね、あたしもぶっちゃけ、そんなのは見えないし、信じてない…ううん、信じてないっておかしいな、気にしてない、のよ。いようがいまいがどうだっていい。あたしに害を加えるならそれなりの手段をとるけどさ、別に害がないんならほっといたっていいわけじゃない?
…ただ、あたしのように考えられる人たちばっかりじゃない、ってことよね…」
カイは苦々しげに眉を引き寄せて、言った。
「『幽霊』を見たっていう人たちはどんどん増えていったの。自警団を始め、いろんな人たちが幽霊の正体を掴むために奔走してた。けど結局成果は得られなかった。
そんなときに…ま、これもお約束よね。わかるでしょ?」
「…その、『あのヒト』とやらが、幽霊を呼んでる…あるいは、幽霊そのものなんじゃないか、っていうヒトが出てきた、訳ね…?」
ンリルカが言い、カイは肯いた。
「今考えると、ひっきりなしに続く幽霊話に、みんなどこかおかしくなってたんじゃないかと思う…ようは、あのひとじゃなくても…誰でも良かった。みんなが納得できる『生贄』が必要だったのよ。この騒ぎを治める何かが必要だった。それが正しくても、正しくなくても…とにかく、思いついたことを何かやらないわけにはいかなかった。当然の成り行きとして…街の人たちは、あのひとを…殺そうとした」
ぎゅ、と唇を噛み締めて、カイは続けた。
「あたしはあのひとに言ったの。逃げてって。あたしの集落…竜族が住む集落なら、きっとあなたを受け入れてくれるって。あたし一人の力じゃ止められない。あたしはまだすごく小さくて、元に戻ったって街ひとつの暴動なんか止められなかった」
「…ちょっと待って。君が小さいって…それ、いつくらいの話?」
慌ててクルムが問うと、カイは少し考えた。
「えっと…あたしが54歳の時だから…正確には114年前かな」
ふう、とクルムはコメントもなく肩を落とした。尺度がまるで違う。予想していたことではあったが。
「竜族はぶっちゃけ爬虫類だから、年々からだが大きくなってくのよ。54歳なんていったら、人間で言うと5、6歳でしょ。元の、ドラゴンの姿に戻ったって、今のあたしの背丈の倍くらいにしかならないの」
頭のてっぺんに手のひらを乗せて解説するカイ。
「…どこまで話したっけ。ああ、逃げてって言ったってとこまでだったかな。けどあのひとは首を振った。街のやつらが俺を殺したがってるなら、そうすりゃいい、って。生まれ育ったここで受け入れてもらえないなら、どこへ行ったって同じだって。
でもあたしは…
あたしは…っ!」
だん!
カイは赤い瞳を悲しみと怒りに燃え上がらせて、近くにあった柱に拳を打ちつけた。
それでも、涙は落ちてこなかった。打ちつけた拳をかすかに震わせながら、カイは続けた。
「あたしはあの人が殺されるのは嫌だった。失いたくなかった。だから、押しかけてくる街の人たちを必死で止めた。あの人はそんな人じゃない。殺さないで…って。でも、そんなの聞く人なんかいなかった」
自嘲気味に微笑んで、カイは手を下ろした。
「あたしは誰かに邪魔だってほうり投げられて、近くの木にぶつかって気を失った。目を覚ました時には、全てが終わってた…あたしは、それからあのひとを見てないわ。遺体は、残っていると祟られるから、わざわざ海にまで行って捨てたって…山あいの街なのにね。まったく、ご苦労なことだわ」
その皮肉げな笑みは、街の民に向けられたものか、それとも自分へのものか。
カイは何かを吹っ切るように首を振ると、冒険者達に向き直った。
「それが、昔の事件の顛末。今回の事件は、それによく似てるのよ」
「ちょっといいかな。カイは、知らせを聞いてリュウアンに行ったわけじゃないんだろ?どうして事件を知ったんだい?」
クルムが軽く手を上げて聞く。カイは軽く微笑むと、こともなげに答えた。
「ああ、あたしと同じように、たまにあの街に降りてく物好きの仲間がいるのよ。そいつから聞いたの。聞いた限りだと、どうもあの時の事件と同じくさくてね…それもどうやら、同じように『見る』能力がある人が、いるようだし」
「なるほど…」
じっと考えていたミケが、顔を上げて口を開いた。
「…すみません、このようなことを訊くのはあなたにとっては酷かもしれないのですが…
…その事件、本当に『その方』の仕業でない、と言い切れますか?
あるいは…その方が本当に霊を呼び、自分を虐げていた街の人たちに、危害を加えないにしてもいやがらせをしていたのではない、と…本当に言い切れますか?」
カイは一瞬だけ、鋭い眼差しで彼を睨んだ。だがすぐに、目を閉じて嘆息する。
「…本当のことは、誰にもわかんない、ってね。だけど、あたしはあの人を信じてたよ。あの人が霊がいるって言うなら、いたんだよ。あたしには見えないけどね。
だから、あたしは、あの人がそんなことをする人じゃないって断言する。あの人は巻き込まれたのよ。人の心を弄ぶ、タチの悪い魔族にね」
カイの眼光が、再び鋭いものに変わる。
「魔族…?」
レティシアが恐ろしげに反復すると、カイは肯いて続けた。
「うん。あたしがあの人がやったんじゃないって言い張れるのは、簡単だよ。本当にその事件を起こしたやつを、知ってるから。あたしにはわかった…あいつは、魔族だってね」
「その事件を起こしたという魔族と、お会いになったのですか?」
カイはこくりと肯いて、また海の方を見た。
「あたしがあの人がいなくなった家で途方に暮れてると、そいつは入ってきた。家をぐるりと見渡して、あっけないものね、って。
誰だって訊いたら、そいつは面白そうに笑って、その事件のことを話したよ。ちょっとしたマジックアイテムの仕掛けで、影を表したり出したり、声を聞かせるだけで、人間っていうのは簡単に人を信じなくなる。実験にしてはあんまりに結果がそのまますぎて面白くないくらいだけど、最後に面白いものが見れてよかったって…そいつは笑いながら言った。
あたしは…体中の血が沸騰したみたいになって、無我夢中でそいつに向かっていった。…けど、まるで歯が立たなかったよ。相手にもされなかった。簡単に弾き飛ばされて、あたしは体中の骨を酷く痛めた。完全に治るのに1年近くかかったよ。ま、ちっちゃかったのもあるし…相手が魔族じゃね」
そしてまた冒険者たちを振り返り、肩を竦める。
「気を失う前に、あいつはあたしに言った…悔しかったら強くなりなさい、何者にも負けない力を手に入れなさい、って。だからあたしは力が欲しかった。旅に出て、剣でも槍でも、とにかく何者にも負けない力が欲しくて、夢中で身につけたわ。今魔道の学校に通ってるのも、そのひとつよ」
「最後にひとつだけ、いいですか。その、事件を起こした魔族の特徴を、教えてください」
真面目な表情のミケに、カイも真面目な表情を向けて答えた。
「褐色肌の、若い女の魔族だったよ。すごい美人だった。長い黒髪に、オレンジの瞳だけがぎらぎら光ってて、大きな口に真っ赤な口紅を塗ってた。服は、リュウアン風の服だったけど…」
その答えに、ミケはクルムとランスロットの方を向いた。二人も真剣な表情で、ゆっくりと肯く。
「…人間のこと…今でも嫌い?人間みんなが嫌いなの…?」
リィナがおそるおそる訊くと、カイは苦笑して首を振った。
「人間嫌ってるんなら、人間に依頼するわけないでしょ。さっきも言ったわ、あの時はみんなおかしくなってたんだって。あの時街の人たちが取った行動は許せるとは言わないけど、だからって人間全部を嫌いにはなれないよ。あたしはそこまでバカじゃない」
右手をひらひらと振って、嬉しそうに船の後ろの方を見つめて。
「ただ力を求めるだけだったあたしに、本当の力ってそんなことじゃないって…教えてくれたのも、人間だったしね」
ぐんぐんと遠ざかっていくヴィーダに残っている、ルームメイトを思う。
しばらく眩しそうにそちらを見つめていたが、やがてにこりと微笑みなおすと、カイはリィナに手を差し出した。
「さ!辛気臭い話はこの辺にして、約束の手合わせ、しようよ!」
リィナは少し驚いた表情をして、次に満面の笑顔を見せた。
「うん!わぁい、やったぁ♪」
カイの手を取って、先ほど彼女が演舞をしていた広い甲板へと向かう。
二人は向かい合って礼をすると、さっそく拳の応酬を始めた。
いきなりの体育会系の展開に乗り切れないレティシアが、リアクションできずにその様子を見つめていると、傍らにンリルカが歩いてきた。
レティシアは背の高いンリルカを見上げるようにして、ぽつりと呟いた。
「カイって、その…『あのひと』のこと、好きだったのかな…?」
「…そうかも、しれないわねぇ…ん~、痛ましいオトメゴコロっ。ワタシ泣いちゃうかもぉ~」
茶化しているのか本気なのかいまいちつかめないンリルカ。レティシアは苦笑して、再び手合わせ中のカイの方を見つめた。
「好きだったんなら…辛いよねぇ。私だったら耐えられないかもしれない…」
「レティシアちゃん…可愛いっv」
「むぎゃあ」
いきなり巨乳(偽物)に顔をうずめさせられて、レティシアはもがいた。
「オンナノコって、恋を失って一人前のオンナになっていくのね…ス・テ・キv」
「わ、わかったから、ンリルカ…く、くるひい…」
ばたばたもがくレティシアと、まだ何やら感動している様子で、まぎれもない男の力でぎゅうぎゅうと抱きしめるンリルカ。
甲板では、カイとリィナが嬉々として殴り蹴りあっている。
レティシア達の後ろでは、ミケとクルムとナンミンが、何やら真剣な顔で話し中。
ルージュはもう興味を失った様子で、客室へと戻っていった。
船は快調に、リュウアンへと走っていた。

「あらん。自警団に行くのワタシだけ~?ちょっと誤算だわぁ」
ンリルカが頬に手を当てて、また無意味にしなを作ってみせる。
1昼夜かけてようやくリュウアンに到着した一行は、さらに半日かけてチンロンへと足を運び、チンロンの中心街にある宿屋に身を寄せていた。
そこで、とりあえず調査の方針について話し合っていたところである。
カイは肩を竦めて、言った。
「そうだね…まあでも、あの時もあまり自警団は役に立ってなかったしね…捜査状況を聞き出せれば、多少は動きやすいと思うけど…」
「教えてくれるかしらん?」
首を傾げて言うンリルカに、カイは苦笑した。
「ん~……とりあえず、幽霊事件を調べてる冒険者ですけどって名乗ってみたら?理解があれば協力してくれると思うわよ」
微妙な言い回しだ。が、特に気にしていない様子でンリルカは嬉しそうに手を上げた。
「りょおかぁい。んじゃ、終わったらミケちゃんたちに合流するわねぇん」
「わ、わかりました…」
多少冷や汗を流しながら、ミケ。
「ミケたちは、幽霊を見たって人に話を聞きに行くんだよね。んじゃあ、あたしもそっちに回ろうかな。多分そこに一番人手がいると思うから」
「そ、そうなの?ていうか、幽霊を見た人はもうわかってんの?」
多少驚いて、レティシア。カイはまた肩を竦めた。
「ん~、前の事件と似てるとしたら、多分街の人たちの半数は幽霊見てんじゃないのかな。その辺の人捕まえて話聞くだけでも見たって人は捕まると思うよ」
「半数…そんなにいるんだ。じゃあ、手分けした方がいいね」
リィナが言い、ランスロットが肯いた。
「そうですね、それでは、地の利があるカイさんには、お一人で行動していただいたほうが効率がいいでしょう。わたくし達4人は…いかがいたしましょう?」
「はいはいっ!私、ミケと一緒がいい!」
レティシアが元気に挙手をし、ミケは驚いてそちらを見た。
「ダメ?」
手を組んで眉を寄せて、涙目で訴えるレティシアに多少気圧された様子で。
「いえ、僕は全く構いませんよ。では僕とレティシアさん、ランスロットさんとリィナさんで組みましょう」
「りょうかーい!」
「わかりました」
リィナとランスロットも笑顔で肯く。
「じゃあ、クルムと私は町長のところね」
ルージュが言い、クルムが肯いた。
「今回の事件の情報と…できれば、前の事件の情報もあれば聞きたいね」
クルムの言葉に、カイは渋い表情になる。
「ん~。どうかな。100年以上前のことでしょ。人間なら3世代くらい回ってるわけだしね、当時の人ももう生きてないだろうし」
「そうか…まあ、一応聞いてはみるけど。町長さん、喋ってくれるかな?」
「まあ、こっちも幽霊退治したいっつってんだから、邪険にしたりはしないでしょ。どうしてもダメなら犬の力で」
ルージュの言葉にきょとんとするクルム。彼女は続けた。
「ワン力」
場が静まり返った。
重苦しい沈黙がたちこめる。
誰もが次の言葉を発することが出来ずに視線を泳がせる中、カイがさっくりと言った。
「すべったわね」
さらに、たたみかけるように。
「これ以上ないってくらい、見事にすべったわね。普段シャレを言わない人が言うとこうなるのよねえ」
「うるさいわね」
多少頬を赤く染めて、ルージュ。
「じゃあ、私とクルムで町長に話を聞きに行くのね。で、あんたはどうすんの?」
言って、残ったラーラに視線を向けると、ラーラは相変わらずの仏頂面で答えた。
「とりあえず幽霊ったら墓場だろ。あたしは墓場に行かせてもらうよ」
「じゃあ、ンリルカは自警団に、クルムとルージュは町長のところだから…町役場ね。ラーラとクラウンとガラは、お墓。あとで地図描くよ。で、あたしとミケとレティシアと、ランスロットとリィナは街で聞き込み、ってことで」
カイがまとめて、立ち上がった。
「今日はもう遅いし、ここまで歩いてきて疲れたでしょ。みんなゆっくり休んでね」
多分幽霊は出ないと思うけど、出たら適当にやっつけといて?と冗談めいた口調でつけたして。
実際、幽霊は出ずに、冒険者達は旅の疲れもあって朝まで爆睡していたわけだが。

翌日。
「きゃーんっ、このアクセサリー、かーわーいーいー!あっ、このドレスも捨てがたいわぁんv」
自警団本部への道すがら、商店街に並ぶアクセサリーショップやブティックについつい足が向いてしまうンリルカの姿があった。
もちろん、店員は思いっきり引いている。声をかけられずに困っているようだった。
もっとも、今さらそれを気にする彼女ではないが。
ちょうど今着ているものがリュウアン風の服なこともあって、この街の中での違和感はない(声に思いきり違和感はあるが)。店頭に並んでいる服も、当然だが全てリュウアン風。今着ているような、足に見事なスリットの入ったドレスを取っては、体に当てて楽しんでいる。大きめのサイズが置いてあるので、彼女にも着れる物のようだ。
「ん~、どれもよくて迷っちゃうvそうねぇ、これとこれ、あとこれもちょうだいvあーんもぅ、今月またピンチだわぁ~」
と言う割には嬉しそうに会計を払っている。
ンリルカはほくほく顔で店を出て、はっと我に返った。
「あらん、ワタシ自警団に行くんだったわ、こんなことしてる場合じゃないわ~」
いそいそと、足を速めて。
「……あらやだぁん、こっちの服もかーわーいーいー!」
…自警団への道のりは遠い。

「幽霊退治をするという冒険者というのは、君たちかね」
町長と紹介されたその男は、疲れたような表情でクルムとルージュにそう言った。
年は40を少し過ぎたばかりというところだろう。もともとそれほど肉付きのいいほうではなさそうだが、憔悴した様子と白いものが混じり始めた薄めの頭髪は、見た目より小さくやせ細った印象を与える。もっとも、ほとんどはここ最近の事件によるストレスが原因であろうが。
「はい。この街で、幽霊騒ぎが起きてるって聞いて…解決して欲しいと頼まれたんです。ですから、事件の様子をお聞きしたくてうかがったんですが」
真面目な様子で町長に相対するクルム。ルージュは一歩下がって様子を見ているようだ。
町長は深くため息をつくと、気の進まない様子で口を開いた。
「…様子といってもね…こちらも正直、お手上げの状態だ。自警団と連携して、ことの調査に当たってはいるのだが…魔物なのか、それとも誰かのいたずらなのか、皆目見当もつかない状態だ。なにしろ、こう数が多くては…」
「数が多いって、どれくらいなの?」
ルージュが訊くと、町長は手元の書類をちらりと見た。
「報告を受けているだけで、これまでに539件。訴え出てくる件だけでこれなのだから、実際に見た、あるいは見たかもしれない人間の数はこの2倍を越すだろう。その調書を取っているだけで精一杯の状況だよ」
「ひゅう。そんなに多いんだ。確かにそれは大事ね」
「最初の報告は、いつ頃なんですか?」
「1ヶ月ほど前だよ。もっとも、最初に見たのはもっと前だろうがね」
「というと?」
「考えてもみたまえ。『幽霊を見た』などという頓狂な話を、自警団や町役場に訴える者がいるかね?頭がおかしいと一蹴されるのが落ちだ」
町長の話に、ルージュが肯いた。
「なるほどね。自分ひとりが見たかもしれないなら、実際に被害は受けていないわけだし、わざわざ自警団に訴え出ることもない。だけどそれがあまりにも頻繁に続いたら…そして、自分以外にも見た、聞いたっていう人たちがたくさんいることがわかったら…」
「…そうか。じゃあ、幽霊が出始めたのはもっと前って事だね」
「具体的には、どんな訴えが出てるの?」
町長はまたため息をついて首を振った。
「…それこそ、話すのも恥ずかしいような話ばかりだ。夜一人で道を歩いていたら、道行く先に青白い炎が現れては消えただの、仏間に死んだ母親の影が見えただの、声が聞こえただの…ああ、ひとつだけ面白いものがあったな…」
「…面白いもの?」
ルージュが首をかしげると、町長は上目遣いに彼女を見上げて、にやりと笑った。
「…聞きたいかね?」
憔悴した顔で上目遣いににたりと笑われるその表情は、言い様もなく不気味だ。
「…いや、遠慮しとく」
ルージュは汗を一筋たらして、首を振った。
その様子を横目でちらりと見て、クルムは再び町長に問うた。
「…ところで、前にもこれと同じような事件が、この街であったって聞いたんですけど…」
「…はて?それは初耳だ。少なくともわたしの任期中ではないな。いつの話だね?」
「ええと…百年以上前になるんですが…」
「ひゃ、百年?それは知らないはずだ…しかし、どこでそんなことを?」
クルムはわずかにためらって、しかし正直に話した。
「この事件の調査を依頼したのが、百年前にその事件に遭遇した、竜族なんです」
「なるほど、竜族か…それならばその話も、あながち嘘とは思えんな。100年前なら、かろうじて資料も残っているかもしれん。ちょっと待っていてくれ」
町長は言って立ち上がると、いそいそと部屋を出た。
町長室に取り残された二人は、することもなく辺りを見回す。
「なーんか、不気味なやつね。何となくこの部屋も、薄ら寒い感じ」
両の二の腕を寒そうにさすりながらルージュが言うと、クルムが苦笑した。
「そんな風に言っちゃいけないよ。それとも、怖いのかい?」
ルージュは驚いて手を振った。
「いや、別に怖いわけじゃないのよ?
そりゃあ正直言って、幽霊という存在を退治するのはイヤ。未練だのなんだのがあって幽霊になっているのかどうかはしらんけど、身体がない、もしくは身体の生命活動が停止してまでも、霊体になって存在するようなのは、怖い。違う、相手にしたくない。
いやなんていうの、怖いわけじゃないわよ?幽霊が怖いんじゃなくて、幽霊になってまで現れる事実が怖いのよ?ホントよ?信じてよ、ねえ」
その様子があまりにも「怖いです」と主張しているので、クルムは思わずおかしくなってぷっと吹き出した。
「あっ、笑ったわね?いやだから、ホントに」
「わかったわかった。ルージュが幽霊を怖くないのはわかったよ」
まだ堪えきれないようでくすくすと笑いながら、クルムは続けた。
「そうだね、霊って…ほら、前のマヒンダの事件で見た、サリナさんの魂…あれだって幽霊だろう?人と霊の差って、器があるかないかだけの話だと思うんだ。
ただ霊には「霊の暮らす世界」があるんだけど、まだこの世に未練があったりすると悪い影響を及ぼしたり…。
あるいは「霊の暮らす世界」自体をその霊が知らなかったりしたら、帰る場所が分からなくて、体を持ってる人にちょっかい出したりなんかして、それが世に言う「幽霊騒ぎ」になってるんじゃないかな?
この事件が本当に幽霊の仕業かどうかは、まだわからないけど…」
「そうねぇ、カイは幽霊じゃないって信じてるみたいだけど、いくら似てたって同じやつの仕業とは限らないわけじゃない?もしかしたら本当に今度こそ幽霊の仕業なのかもしれないし、あるいは…」
その先を言う前に、慌しくドアが開いて町長が入ってきた。
「あったよ。意外と簡単に見つかった。114年前の記録だな。結構な量の調書だが…とりあえず結論だけ確かめさせてもらった。読みあげるよ」
町長は分厚い調書を机に置いて、ぺらりとめくると、内容を読みあげた。
「この幽霊の大量発生事件は、街のはずれに住み着いた、人間に化けた魔物の仕業によるものと断定。ファルスの第28日、自警団と街の有志で、退治を決行。魔物の退治に成功し、亡骸を海に運んで廃棄。以後幽霊を見たという報告はなく、この事件は落着した」
報告書の内容に、クルムとルージュは表情をこわばらせた。
「なるほど…それでは今回の事件も、その可能性を考えた方がいいかも知れないな。さっそくその方向で自警団にも報告し、調べを進めてみることにしよう。有益な情報、感謝する。君たちの調査にも便宜を図るよう、役所にも自警団にも取り計らっておくよ」
生気がないなりにやる気をみなぎらせた表情で、町長はクルムとルージュに言った。
二人は、はあ、と曖昧な返事をし、礼を言って町長室を退出する。
無言で出口まで歩いていき、役所の外に出たところで、ルージュがため息をついて肩を竦めた。
「…魔物扱い、か…」
「なんだか…あの人たちが悪いわけじゃないってわかってるけど…悔しいな」
「さっきの続き、言っていい?」
ルージュはクルムの方を見ずに、言った。
「あるいは、あの時殺された『あの人』が、今度こそ本当に幽霊になって、自分を殺した街に復讐しようとしているのかも…しれないしね」
クルムは俯いたまま黙っていた。

「ん~、おいしひ~v」
幸せそうに肉まんをほおばって、リィナは歓喜の声をあげた。
「ランスロットもそんなところに立ってないで、こっち来て一緒に食べようよぅ!ほらっ、こっちのショーロンポーとかいうやつ、中にスープが入ってて、アツアツで超おいしいよ!」
「い、いえ、わたくしは人間の食べ物は…いやいや、あの、お腹が空いておりませんので…そんなことよりリィナさん、早く聞き込みをしましょうよ…」
「もうちょっとぉ。あっ、こっちの韮饅頭も超おいしそー!!おじさーん、これも追加ね!」
全く聞き入れる様子のないリィナにため息を一つついて、ランスロットは目立たない路地へ移動した。
そして、左の手の平を肩のあたりまで上げ、目を閉じて意識を集中させる。
ぽん!
「ぎゃー…」
たちまち手の平に現れた、顔のついた卵。卵は元気のない声でひと鳴きすると、そわそわと落ち着かない様子であたりをうかがい始めた。
「…人々の不安が、あたりに立ち込めているようですね…」
ランスロットは眉を寄せて言うと、卵を荷物の中にしまった。
あたりに漂う『気』を凝縮させて、『卵』を作る。
これがランスロットの…ナンミン族に備わった、力だった。
あたりの『気』を集めて作った卵は、その『気』の性質をそのまま反映したものになる。悪しき者の気配が漂っていれば悪い卵が、清浄な気が漂っていればいい卵が出来る、と言うわけだ。
「しかし、幽霊…のような気配は感じられませんね…やはりこれは、幽霊の仕業ではないのでしょうか…?」
「ランスロット~?どこいったの、調べに行こうよぅ」
表通りの方からリィナの声がして、ランスロットは慌てて向かった。
「あ、はいはい…ただいま」

「幽霊事件について調べたい…だと?」
自警団本部の窓口に立った若い男性は、あからさまにうさんくさそうにンリルカを上から下まで見下ろした。
そういった視線は慣れっこなのか、ンリルカはにこにこと微笑んだまま肯く。
「はぁいv今この街で、幽霊がたぁっくさんでて困ってるって聞いてぇ、お力になりたくてぇv詳しい様子とか、聞かせてもらえたら嬉しいなぁってv」
そして、窓口の机に肘をつくと、長い指で男性の顎をなぞった。
「ななな、何をするっ!」
「事件の様子もだけどぉ、ワタシ的にはキミのプロフィールにもちょっと興味アリかなぁ~vいくつ?ドコに住んでるのぉ?カノジョはいる?」
「だぁぁっ!気持ちの悪いことを言うな!お前のようなうさんくさいやつに教える情報などない、帰れ!」
「あらぁん、つれないのぉ。でもそんなところもス・テ・キv」
「うがー!!!」
窓口の男性は耐え切れない様子で頭を掻き毟った。
「まぁ、冗談はおいとくとしても。ワタシは本気でこの事件を解決したいと思ってるワケ。君たちも困ってるんでしょ?ここはひとつ、手を組んで足を組んで、ついでに昼間っから口に出来ないようなところも組んじゃったりしてキャー!っていうことで、仲良くしましょうよんv」
「仲良くして事件が解決するまで俺の神経がもたん!いいから帰れ!」
窓口で元気にンリルカと男性が押し問答をしていると、奥の部屋から中年の男性が姿を現した。
「おい、幽霊事件を調べたいっていう冒険者が来てるって?」
「あっ、課長!助けてくださいよ~」
窓口の男性は情けない表情で課長と呼んだ中年男性に助けを求める。
課長はンリルカを見て一瞬固まったが、ため息をついて男性に言った。
「町長から、事件を解決するために動いている冒険者に便宜を図れとのお達しが届いている。いいから協力してやれ」
「ま、マジっすかぁ?!」
男性は蒼白な表情になった。
「んっふっふ~、仲良くしましょうねぇんv」
ンリルカは頬に手を当ててしなを作ると、男性に意味もなく擦り寄った。

「墓場ってのは、やっぱり静かで不気味だな」
リュウアン独特の、石造りの墓が並ぶ場所を歩き回りながら、ラーラはぽつりとひとりごちた。
ラーラはふむ、と腕を組むと、石造りの墓を見渡した。
「カイの言う『あの人』とやらの墓があれば、それを見に行こうと思ったんだが…カイに聞いてみても、墓はないというし…なぜだかな」
石造りの墓が並ぶ墓地は、人気もなく静まり返っている。
「まあ…とにかく、墓守みたいなやつがいたら話を聞けるだろう…探してみるか」
「呼んだアルか?」
突然後ろから少女の声で返事をされて、ラーラは驚いて振り返った。
いつの間にそこにいたのだろう。
ラーラの後ろに、14、5歳ほどの少女が、ひしゃくの入った桶を持ってにこにことたたずんでいた。
濃い藍色の髪の毛をうなじできっちりと切りそろえている。大きな瞳は淡い紫色で、見た目よりも落ち着いた雰囲気を与えた。リュウアン風だが、どこか北方大陸のデザインも折り込まれた不思議な服を着ている。
「アナタ、見ない顔アルね。よその人アルか?」
傍らの墓にひしゃくで水をかけて、その少女は言った。
「あ…ああ。お前、墓守か?」
多少驚いた様子でラーラが問うと、少女はにこりと笑った。
「そうアルよ。最近、幽霊騒ぎでお墓参りする人が減ったアル。だからワタシがこうして、お墓綺麗にしてあげてるネ」
またひしゃくで水をかけると、少女はふと気付いたように言った。
「名前、言ってなかったネ。ワタシ、ホン・リィファいうアルよ。リィって呼ぶといいネ」
「あ、ああ。アタシはラーラシア・エムルだ。ラーラでいい」
リィはうんうんと頷きながら、にこりと微笑みかけた。
「ラーラアルな。旅の人がこんなところに、何の用ネ?」
「アンタが墓守なら、ちょうどいい。その幽霊騒ぎのことで、色々と調べに来たんだ」
「幽霊アルか?残念ながらワタシ、一回も見たことないアルよ」
「いや、100年前に死んだやつがいてな、その墓があるかどうかを確かめに来たんだが…」
「100年前に死んだ人、アルか?」
リィは驚いた表情になって、それから首を傾げた。
「ワタシ、そんなに昔生きてないからわからないネ。名前を教えて欲しいアル。台帳を見て、その名前を探せるアルよ」
「名前…名前、なんだっけ?」
肝心なところで首をひねるラーラを見て、リィはぷっと吹き出した。
「あはははは!名前もわかんないのに、調べに来たアルか?出直してきたほうがいいアルね、けどこんなところ調べるより、出た幽霊の方を追っかけた方がいいと思うアルよ?」
「ん?なんでだ?」
きょとんとして訊ねると、リィは辺りをぐるりと見回した。
「さっき、ワタシ、幽霊見てない言ったネ。こんなにお墓に囲まれたところで、幽霊見てないアルよ?もし本当にここに眠ってる人たちが目覚めて街に行ったなら、ワタシが何も見てないのはおかしいネ。そうじゃないアルか?」
「言われてみれば…確かに」
顎に手を当てて肯くラーラ。
「幽霊は人に見てもらってナンボアルからね。こんなところで墓守相手に事情聴取してないで、幽霊ひっつかまえてお前誰かって訊いてみるといいヨロシ」
茶化したようなリィの言い草に、ラーラは溜息をついた。
「確かにな。ここにいても何もなさそうだ。っていうか、アタシの持ち情報が少なすぎる。いっぺん引き返して、カイに詳しく聞いたほうがいいな。リィ、ありがとな」
「どういたましてアル。お墓の掃除手伝ってくれるなら、また来るヨロシ」
遠慮しとくよ、と言い残して、ラーラは墓場を去った。
その後姿に笑顔で手を振りながら見送り、完全に見えなくなってから、リィはふぅと溜息をついた。
「やれやれ…もうちょっと手ごたえがあると思ってたけど…っと、桶とひしゃく返しに行かなくちゃ…」
言って、最後のひと掬いをぱしゃりと墓にかけると、リィはくるりと踵を返して走っていった…。

「…開けちゃいけない…開けたら恐ろしいことが起こる…って…頭ではわかっていたんだけどね…私、もうその手を止められなかったの…まるで、あたしの手に、誰か他の魂が乗り移ったみたいに…!」
臨場感たっぷりで語る女性の話を、ミケとレティシアは固唾を飲んで聞いていた。
「そ…それで…どうなったんですか…?」
「聞きたい…?」
女性はにやりと笑って、ゆっくりと聞いた。
ミケはびくりと肩を震わせて、それでもぐっと拳を握りしめると、女性を睨みつけるようにして答えた。
「聞き…たくはないですけど…聞かないと色々想像してもっと怖いので、聞かせてください」
「ふふふ…わかったわ。さっきも話したでしょう?あたしの仕事場は、以前処刑場だったって…ね、リュウアンの処刑って、どうやってやるのか、知ってる?」
「し…知らないわ。ど、どうやるの?」
レティシアは多少怖くはあるが興味はある様子だ。
「男の人のね…大事なところを、ちょんぎっちゃうんですって」
「ひっ」
ミケが小さく息を飲む。女性は続けた。
「そうしてから、体全部を土の中に埋めて、頭だけ出して…そうしてから、ちょんぎったそのモノを、咥えさせるんですって。そして、そのモノが腐ってその毒素で悶え死ぬまで、放っておかれるそうよ…」
「うっわ~、えげつな…」
レティシアはかろうじて感想を述べるが、ミケはまともに想像したらしく、声も出ない。
「そして、その扉を開けた時…見ちゃったのよ…口に真っ黒いものをくわえて、あちこち腐りかけたような、土気色の生首が浮かんでるのを!!」
「うわあぁぁぁっ!」
ミケはとうとう叫びだし、隣に座っているレティシアの腕にしがみついた。
「み、ミケったら…ちょっと、恥ずかしいじゃない…」
レティシアは言いながらもどこか嬉しそうだ。
「はっ、す、すみません…」
ミケは慌ててパッとレティシアから離れた。
「ぷっ…あはははは!ごめんなさーい、あんまりあなたが怖がるものだから」
話をした女性はおかしそうにけたけたと笑って、ミケに言う。
「…って…?」
ミケがきょとんとして女性を見ると、女性は左手を口に当てて、右手をひらひらと振った。
「今の話、う・そv」
沈黙が落ちる。
ミケは俯いたまま、何事かぶつぶつと呟いた。
「み、ミケ…?」
レティシアがおそるおそる耳を近づけると。
「…空と大地を過ぎ行く風よ…」
「わーっ!!ミケ、ストップ!ストーップ!!」
いきなり攻撃呪文を唱えるミケの口を、レティシアは慌てて塞いだ。

「まったく…近頃の女性は人を脅かして楽しむような方ばかりなんでしょうか…」
ぶつぶつと言いながら歩くミケの横で、レティシアが苦笑しながらフォローを入れた。
「うーん、あれはちょっと行き過ぎよねえ。ていうかミケ、脅かして楽しむような女性と何かあったわけ?」
「う、それは…聞かないで下さい」
なにやら脂汗を流してそっぽを向くミケ。
レティシアは少しやきもきした様子で、そわそわと話題を変えた。
「え、ええとね?じゃ、じゃあ、ミケって、どんな人がタイプなの?」
「えっ?」
唐突でもないのだろうが、いきなりの路線変更に、ミケは面食らってレティシアを見る。
レティシアは少し頬を染めて、手元で服の端をもてあそびながら、続けた。
「いやその、今後の参考…じゃない、ちょっと興味があってさ。べ、別に答えたくないならいいけど…」
「いえ、そういうわけでは…うーん、そうですね…女性とお付き合いしたことはないのですが…しいてあげるとすれば、おしとやかで芯の強い女性でしょうか…」
「お、おしとやかかぁ~…」
レティシアはがっくりと肩を落とした。
「あ、あの、レティシアさん?」
ミケはわけがわからない様子でレティシアの肩をぽんぽんと叩く。
「あっ、なんでもないのよ?あ、ええっと、ほら、あの人!今度はあの人に話聞いてみよう!」
レティシアは強引にミケの手を引いて、近くの男性(美青年)へと駆け寄っていった。

「最初は幻聴かと思ったんですけどね…家内も同じ声を聞いてるっていいますし…それに、こう毎日続くと…もう、神経がおかしくなりそうですよ…」
中年男性はそう言って、深い溜息をついた。
「声だけなのね?姿とかは見てないんだ?」
リィナが問うと、男性はこくりと肯いた。
「ですが、私の友人は、真夜中の台所にぼうっと佇む青白い影を見たと言っています。兄は建物の影に泣いている子供を見たが、近づくとすうっと消えてしまったとか…」
ぱ、パターンですね…と言いたいのをこらえて、ランスロットは質問を投げた。
「そうですか…ずいぶんとたくさんの怪奇現象が起こっているようですが、このような現象が起きることに何かお心当たりはありますか?」
「それがな…」
男性は言いにくそうに言葉を濁した。
「ん?どうしたの?」
リィナが先を促すと、男性はなおも言いにくそうに、それでも口を開いた。
「こんなことがあって…みんな、噂してるんですよ…こんな事件が起こり始めたのは、あいつがこの街にやってきてからじゃないか、って…」
「あいつ、とは…?」
「二月ほど前に街外れに越してきた、占い師ですよ。名前は…」
男性は言いにくそうに、その名前を口にした。

「また、ですね…」
「うん、まただね…」
男性から話を聞き終えたランスロットとリィナは、神妙な顔で通りを歩いていた。
「ここまで色んな方からその名前が出てくるということは…」
「うん、きっとその人が、カイの言ってた『見る』能力がある人、だね」
「やっぱり、そちらでもその名前が上がりましたか」
後ろからかけられた声に振り向くと、そこには仲間の顔があった。
「ミケさん、レティシアさん。それにクルムさん、ルージュさん、ンリルカさんもご一緒ですか」
ランスロットは言って嬉しそうに微笑んだ。
「うん、そこで一緒になったの。それより、その、街外れに越してきた占い師の名前って…」
レティシアが言おうとすると、また別方向から声がかかった。
「ツィ・ロンタオ」
その声に振り向くと、レティシアはその名を呼んだ。
「カイ。ラーラも」
「そこで一緒になったのよ」
カイは言って、後ろにいるラーラを目で示した。
「じゃあやっぱり、あなたもその話を聞いたのね?」
レティシアが言うと、カイは真面目な表情で肯いた。
「2ヶ月ほど前に越してきた、占い師らしいね。人のオーラや…霊を見ることができるんだってさ」
「同じ、ですね…前の事件と」
ミケが言い、カイは再び肯く。
「そうだね。…ここまでたくさんの人から名前が上がってるとなると、街の人たちはかなりの割合で、そのツィってやつのことを犯人だと思ってるみたいだわ」
「とりあえず、まだ役場の方はその可能性については考えてないみたいだったけど…」
クルムが言うと、ンリルカが手を上げて同意した。
「ん、そうみたいねぇ。自警団の方も、うんざりするほどある幽霊話を整理するのに手一杯で、まだそっちの方には頭が回ってないみたいだったわぁ」
「でも…私たちが昔の事件について喋っちゃったから、遅かれ早かれその方向で捜査の手が伸びるでしょうね」
ルージュが言い、カイは悔しそうな表情で爪を噛んだ。
「そっか…まずいことになったね…」
「どうしたの?」
リィナが問うと、カイはそちらの方を向いた。
「その、ツィって奴の家…住所を聞いたんだけど、昔『あの人』が住んでたところなの…」
沈黙が落ちる。
ややあって、ラーラがその沈黙を破った。
「…なんだか知らないが、時間が無いんだろ。そのツィって奴の家に行くしかない」
「うん…そうだね。ちょうどみんな揃ったし、行こう!」
カイはまだ気乗りしない様子だったが、それでも精一杯元気を振り絞って、冒険者達を促した。

「初めまして。ツィ・ロンタオと申します。ロンとお呼び下さい」
そう言って深々と頭を下げたのは、20代後半ほどの青年だった。
美青年と言うほど綺麗ではないが、それなりに整った顔立ちではある。腰ほどまであるストレートの黒髪を後ろでひとつに束ねており、紫色の瞳を縁無しの眼鏡で隠している。リュウアン風の装束に、白いズボン。シンプルな、学者といってもおかしくない身なりをしていた。
「ごめんね、いきなりこんな大人数で押しかけちゃって」
「いいえ、構いませんよ。最近、あまり人と話をしていなかったので…かえって嬉しいほどです」
カイが苦笑して言うと、ロンは笑顔で首を振った。
街外れの小高い丘にある、粗末な一軒家である。カイの談によれば、昔『あの人』が住んでいた家だとか。
そこにいきなり11人で押しかければ驚くのは当然だが、ロンはすぐに笑顔で冒険者達を招き入れた。
「それで、さっそくなんだけど…」
「街の幽霊騒ぎについて…ですね?」
苦笑して言うロンに、カイはこくりと肯いた。
「だいたい予想はついていました…街へ買出しに出掛ける時に、私に寄せられる視線に…どうも、あまり好ましくない感情が混じり始めているのも感じておりましたし…まあ、このような能力を持っているのです、そう思われるのも仕方ないのかもしれませんが…」
ロンは苦笑を冒険者達の方へ向けた。
「まさか、こんなにたくさんの冒険者さんたちに押しかけられるまでになるとは思いもよりませんでしたよ。でもせっかくですが、私には幽霊を見たり話をしたりする能力はありますが、呼び寄せてけしかけたり、ましてや幽霊を見る『目』のない方にまでその姿を見せるようにできる能力は持ち合わせていません」
「ロンさんは、チンロンで幽霊を見たの?」
レティシアが問うと、ロンは首を振った。
「いえ、私は一度も。この街に初めて来た時に感じたのですが、ここはほかの街に比べると、比較的そういった、霊ですとか、魔性のものが少ない街だと思いますよ。買出しに出かけたときも、全くそのような気配を感じられませんでしたし…私にも、何故あんなにたくさんの人々が幽霊を見た、と言うのか、全くわからないのです」
「霊能力者に見えない霊…一番出ても不思議じゃない墓場に、一切出ない霊、か…」
ラーラがふむ、と考え込む。
「もっとも、出るのはもっぱら日が落ちてからだいぶ経ってから…つまり、真夜中であるようですし…真夜中にはさすがに私も家に帰っていますしね。だから私は見ないのかもしれませんが…」
ロンが言い、冒険者達は考え込んだ。
「ねえ、あんたのところに霊を祓ってくれっていう人は来なかったの?」
ルージュが問うと、ロンは首を振った。
「先ほども申しましたが、私には霊を見たり話をしたりする能力はありますが、せいぜいそれを占いに役立てる程度で、強制的に祓ったりする能力はないのですよ。それに、街を見た限り、そんなに大量の霊が渦巻いているようには見えませんでしたし…気のせいですから、心を強く持ってくださいと、そう言ってお帰りいただいたのです。ですが…それが余計にいけなかったのかもしれませんね」
ロンが苦笑し、ミケがその先を続けた。
「あなたこそが、幽霊をけしかけている張本人…だからあなたには祓う気が無い…そう街の人は思った、という訳ですね」
「その通りです」
話を聞きながら、カイはしきりに悔しそうに爪をかんでいる。
「ああもう…何もかも同じすぎて腹が立つわ。きっと犯人は同じなのに…!」
「犯人…?」
不思議そうな顔をするロンに、カイは言った。
「後で説明するわ。それより…どうしよう。この状況だと、遅かれ早かれ役場も自警団も、ロンが犯人だっていう結論を出してくるに違いないわ」
「ええっ?」
これにはさすがにロンも驚いたようだった。
「で、でも、私は何もしていませんよ?私を問い詰めたところで、騒ぎを静められる訳が無い」
「問題は、本当にそうかどうかじゃなくて、街の人がそう思ってるってことなんだよ」
クルムが悲しそうな表情でロンに言う。
「どうしよう?リィナたちがそうじゃないって言っても、あんなに噂がマンエンしてたら、きっと街の人たち聞いてくれないよ?」
不安そうに、リィナ。
「ロンさんに疑いの目が行く前に、わたくし達で犯人を突き止められればよいのですが…」
ランスロットが眉間に眉を寄せて言う。
「手がかりも無しで、いったいどうしろって言うのよ…!」
カイが悔しそうにテーブルを叩いた、そのときだった。

『何をしている…』

地の底から湧き出るような女の声に、冒険者達は驚いて辺りを見回した。
ただ一人、カイだけがテーブルに手をついたまま、赤い瞳を見開いて硬直している。
「誰っ?!」
「姿を現しなさい、卑怯者!」
「みなさん、油断しないで下さい!」
「ちくしょう、どこにいやがる!」
冒険者達が騒然とする中、カイはテーブルについた手をかたかたと震わせた。
「この声…うそ…そんな…」

『俺の家で…何をしている…』

口調は男性のものだが、声はまぎれもなく女性のものだった。
二度目に響いた声とともに、家の入口にぼうっと青白い影が現れる。
「きゃああぁぁっ!」
ルージュが影を指差しながら悲鳴をあげ、冒険者の中の何名かはその姿に一瞬声を失った。

『ここは…俺の家だ…荒らす奴は…許さねえ…』

年のころは、17、8。
きつめの黒い瞳に、後ろで纏め上げ三つ編みにした黒髪。肌は青白いが、整った容貌を凄惨に彩っている。リュウアン風の…ちょうど今ロンが着ているような服を身に纏った、まぎれもない、女性。
カイは震える手でテーブルを押して立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。

「嘘…でしょう…?幽霊なんて…そんな…」

冒険者達が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと青白い影に近づいていくカイ。
その震える手が、影に届く寸前。
青白いその女性は、皮肉げに唇の箸をゆがめた。

『…久しぶりだな、カイ』

カイがびくりと震えて、その場に立ちすくむ。
女性はさらに、続けた。

『…だが…俺の邪魔は、するな』

女性の影はそう言い終えると、ふっと消えた。
カイはその影を追うように、一歩大きく踏み出して、その名を呼ぶ。

「………メイっっ!」

だが、影はすでに消えてしまった後で。
カイの手は虚しく空を斬り、彼女は大きくバランスを崩して、床に膝をついた。
「カイ!」
「カイさん!」
クルムとミケが慌てて駆け寄り、彼女を助け起こす。
カイは虚ろな瞳で、その手を取った。
「嘘…嘘よ…本当に…本当に幽霊だって言うの…?」
「カイさん、落ち着いてください。あの女性は…メイ、と呼んでおられましたが…?」
厳しい表情で問うミケ。
カイはゆっくりとそちらの方を向くと、震える声で告げた。
「死んだはず…少なくともあたしはそう聞かされてた…でも死体を見たわけじゃないし…どこかで生きててくれればっていう期待も持ってた…」
そして、急に激昂したように、ミケの肩をがしっと掴んで、吐き出すように言う。
「でも、いくら生きててくれたって!そんなことありえない!百年前の人なのよ?!人間なのよ?!運良く生きててくれたって、今まで生き延びてるはずがない!」
そこまで言って、ミケの肩を掴んでいた手から力が抜ける。
「本当に…本当にあの人の…あの人の幽霊の仕業なの…?」
そしてその口から、もう一度名前がこぼれ落ちた。

「メイ………ギョウ・メイリン………」

怖いのは、「幽霊」を恐怖する、「人間」そのものさ。
だから、俺は…
…だからわたくしは、幽女になるのですわ。
彼らがそう、望んだのですから。

彼らが望んだように、幽女となって、
彼らの魂を、喰らい尽くしてくれましょう…

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