私がなぜ哀しいかわかる?
私がなぜ怒っているかわかる?
わからないでしょう?
わからなくていいのよ。
だから、私もわかる必要はないの。

塔は単純なつくりのように見えた。
内壁を巡る螺旋階段の先に、二階があるのだろう。先ほどリリィはすぅ、とういて消えていってしまったが、その先にはちゃんと天井があり、階段はその一部に空いた穴へと続いていた。
「…どうせ罠もてんこもり、でしょう。どうしましょうか」
一番後ろ、つまり出口に近い側にいたミケが、前に並んでいる仲間達に問い掛ける。
「どうしようかって…行くしかないでしょ。なんで?」
ラヴィが不思議そうに首を傾げる。
「罠を避けて行ける安全な隠し通路があるのではないかと思いまして。…無いでしょうかね」
自分でも言ってみてどうかと思ったのだろう、苦笑して呟くミケ。
ここは黒百合の魔女の拠点である。こちら側に有利なことなど、まったく無いといっても差し支えないだろう。
「罠があるっていうことは、その先に目的とするものがあるっていうことさ。怖がってても始まらないだろ?行くしかないよ」
厳しい表情で、クルム。他の者たちもそれに異論はないようだった。
「あ…ねえ。賢者さんって…どこに行ったのかな?」
キファがふと思い出したように言う。
「賢者?ああ、ナンミンさんのことですか…彼は戦闘外要員ですから、ここには来ないと思いますよ?」
エルがいうと、キファは驚いた様子で口に手を当てた。
「ええ~っ?!そんなぁ!賢者さん、好きなのに…」
「大丈夫ですよ、ナンミンさんならどこかで無事に過ごしていらっしゃいます。世界が平和になれば、また会えますよ」
ミケが笑顔で言うが、キファは納得しないようだった。
「そんな~…やっぱり、最後の敵の前に賢者に助言をもらうってお約束だと思うの!わたし、賢者さん探しに行く!」
「ええっ?!」
キファの唐突な宣言に、驚く一同。
「き、キファさん?これから魔女を倒しに行こうというときに、何を…?!」
「大丈夫!賢者さんから助言もらったら、大急ぎでみんなと合流するから!みんなは先に行ってて!」
「そ、そんなわけにいかないだろ?仲間なんだから!」
クルムが慌ててキファを止めようとする。
「でも、皆で賢者さん探しにいくわけには行かないでしょ?大丈夫よ、すぐ戻ってくるから」
すでに行くことは決定事項らしい。
ミケとエルが困ったように顔を見合わせた。
「じゃあ、あたしが一緒に行くよ」
すると、ルフィンが横からキファに声をかける。
「ルフィンさん」
「キファ一人だけじゃどっちにしろ心配だし、あたしもナンミンがどこにいるのか気になるしな。大丈夫だよ、必ず合流するからさ」
仲間達はまだ納得しない様子だった。
ラヴィは少しうーんと唸ると、やがて頷いて言った。
「わかったよ。じゃあ、ルフィンとキファは、ナンミンを探しにいって」
「ラヴィさん!」
ミケが咎めるような視線を向けるが、ラヴィは強い瞳でそれを見返した。
「キファとルフィンが、そうするべきだって思うなら、あたしはそれを信じるよ、ミケ」
それから、真剣な表情をルフィンとキファに向ける。
「確かに、賢者に助けを求めるのも手かもしれないね。それに、まだこのあたりにいるなら、安全なところに移ってもらわないといけないし。ただし、この島のあたりを一通り見回って、いなかったら諦めて。あたしたちも、そんなにのんびりしてるわけにも行かないんだ」
「うん、わかったわ。じゃあ、行ってくるね」
「あとでな、ラヴィ」
言うが早いか、キファとルフィンは入ってきた入り口を出て行った。
ラヴィはそれを見送ってから、残りの仲間達に声をかける。
「じゃ、行こう。ルフィンとキファが戻ってくるまでに、邪魔なモンスターぜんぶ片付けちゃおうね!」
にっこりと笑って、先頭を切って走り出した。
「ああっ、待ってよ、ラヴィさん~」
ハティが慌ててそれを追いかける。ジェノが無言でそれに続く。クルムも足を踏み出して、まだ立ち止まっているミケとエルを促した。
「さ、行こうぜ、ミケ、エル」
「あ、はい」
言われて、エルも歩き出した。その横に並んでミケも歩きながら、ぽつりとエルに言う。
「すっかり勇者らしくなって…かたなしですね。もう僕なんかよりずっと、ラヴィさんは強いのかもしれません」
「もともと、彼女は強い心を持っていたんですよ。きっかけが、私たちだったというだけで。伝説の勇者の誕生に立ち会えて、ラッキーでしたね?」
「まったくです。さあ、僕たちも勇者の偉業に貢献をしに行きましょう」
ミケは微笑んで言うと、もたもたと走り出した。
エルも頷いて、こちらは数秒で先頭のラヴィに追いつくほどの速さで走っていった。

私は確かにここに存在していて
貴方も確かにここに存在している
喜びも悲しみも
愛も裏切りも
確かに存在しているもの
それをなかったことにされるのは哀しいでしょう?

「ナンミンさ~ん!」
「お~い!ナンミン~!」
塔の外に出て、あたりをきょろきょろと見渡しながら賢者を捜すルフィンとキファ。
塔が立っているのは、切り立った崖に囲まれた丸い大地。よく考えてみればここにだって神の鳥アミーラに乗って来たのだ。ラヴィ一行のほかに人がいることなど、考えられない。
「いねえ…よなあ…そりゃあ…」
「うん…そうかもしれない…」
ルフィンとキファが淋しそうに顔を見合わせたそのとき。
「お呼びですか?」
にゅっ。
二人の間から、いきなり丸い物体が頭を覗かせた。
「うわぁっ!」
「きゃあっ!」
驚いて後ずさる二人。
探していたのだが、やはりいきなり出てこられると驚く。
しかも。
「な、な、な…」
「…ナンミンさん…それ…」
二人とも、どう言っていいかわからない様子で、カタカタ震える指でナンミンを指さす。
「は?どうかしましたか?」
よくわからず首を傾げるナンミン。
「そ、その、靴下…は…何?」
やっとのことでそれだけ尋ねるキファ。
「ああ…これですか?勇者様にローブと靴下だけだといかがわしいと言われてしまったので、もうちょっと着てみたのですよ…いかがですか?」
「いかが…っていわれてもなぁ…」
さすがにルフィンも額を押さえて言葉に困る。
靴下…の上に繋がっている、黒いレースのついた紐。
それが、腰と思われるあたりに回っているバンドにつながっていて。
平たく言えば。
「ガーダーベルト…だろ…それ…」
「そうですか、そういう名前がついているのですね」
ナンミンはにっこりと笑って、なにやらメモをした。
「いやその…それ、な」
「さらにやらしいと思う…」
言いにくそうにそう言う二人に、ナンミンは大仰に驚いた。
「な、なんですって?!…人間の衣服は、奥が深いものなのですね…」
そして、さらになにやらメモをする。
「と、ところでナンミンさん、魔女を倒すのに何か助言はもうないの?」
「は?助言…ですか?」
キファの問いに、ナンミンはきょとんとして、次にきょろきょろと辺りを見渡した。
「ラヴィさんは…いらっしゃらないのですか?」
「え?うん。わたし達にナンミンさんを探して、安全な場所に避難してもらうように伝えてって。わたしは、賢者様だから何か助言をくれるかなーって思ってナンミンさんを探しに来たんだけど」
「そうですか…うーむ」
「なんだよ、どうしたんだ?難しい顔して」
ルフィンが問うと、ナンミンは難しい顔のままルフィンの方を向いた。
「そうですね…ここは、ラヴィさん…勇者のラヴィさんではなく、リゼスティアル王国の皇女・ラヴェニア姫の心の中、なのですよね?それはお二人とも了解済みですね?」
ラヴィがいないからであろう、「外の世界」の話を始めるナンミンに、二人は真剣な表情になった。
「うん、わかるよ」
「ここで『勇者』として姿を現しているラヴィさんは、リリィさんという『外敵』に対して、ラヴェニア姫が『倒すもの』として作り出したものなんですよ。大陸も船も街も、わたくし達とリリィさん以外は全てラヴェニア姫の一部であり、本来はラヴェニア姫が全て知っているはずの事なのです」
「なるほどな…じゃあ、ナンミンが言ってることっつーのは…」
「はい、『賢者』としての役割を与えられたわたくしが、ラヴェニア姫から与えられる情報を勇者様にお伝えしているだけなのです」
「そっかぁ…そうよね、よく考えたらナンミンさんがそんなこといっぱい知ってるはずないもんね~」
キファも頷いて相槌を打つ。
「はい。ですから、勇者様が必要としない情報は、わたくしはお教えすることができないんですよ。申し訳ありません」
「うん、わかったわ。じゃ、わたしたち急いでラヴィのところに戻って加勢するね」
「あ、待ってください、お二人とも。せっかくですから…」
踵を返して塔に戻ろうとする二人を呼び止めて、ナンミンは靴下の中をごそごそとあさった。
「はい、ルフィンさんにはこれです!ハレンチパンツ!」
出したのは、ビラビラのキラキラなパンツ。ルフィンの顔が引きつった。
「な、なんだよこれ?!」
「かっこよさが10上がります」
きっぱりと言われては、返す言葉がない。
ナンミンは再び靴下をごそごそあさると、中からずるずると白い布を出した。
「はい、キファさんにはこれです!白い着物と三角の頭飾り!これでふわふわ浮けば、リリィさんにもすごいインパクト間違い無しです!かっこよさが10上がります!」
「あ…ありがとお…」
やはり引きつった表情で受け取るキファ。
どうでもいいけどそれはかっこよさ下がりませんか。マイナス50ぐらい。
「それでは、わたくしは安全なところに参ります。お二人ともがんばってくださいね!」
ナンミンはローブをばさりと翻し、手を振って塔の後ろへ消えていった。
それをしばらく呆然と二人は見送り…
「…行くか」
「…そうね」
渡されたものを一応道具袋の中にしまって、再び塔の入り口を開けた。
その時。
がたーん!
先ほどは何もなかった塔の入口の床が、いきなり音を立てて大きく口を開けた。
「きゃああああぁぁっ!」
「うわあぁぁぁっ!」
キファは浮遊の能力を使う余裕もなく、しがみつかれたルフィンとともに落ちていった。

臭い物に蓋をして、
それで何もなかったことにするつもり?
蓋をしても臭いものは臭いのよ。
目を閉じても耳をふさいでも
私は確かにここにいる
そして、あなたも確かにここにいるのよ?

「ぎしゃあぁぁぁっ!」
螺旋階段を登った先にある2階のフロアに、断末魔の悲鳴と大きな音ともに大きなドラゴンの体が横たわる。
「ふう…手強かったね」
額をぬぐって剣をしまうラヴィ。
「このフロアには何もなさそうだな…っていうか、階段も見当たらないな」
クルムが辺りを見渡して言う。
「僕、探してくる~♪」
ハティがドラゴンの骸を飛び越えてフロアの向こうに走っていった。クルムもその場をきょろきょろと探しているようだ。ミケはエルの傷を癒している。どちらにしても少し休憩になりそうで、ラヴィはそばの壁に寄りかかって嘆息した。
「疲れたか?」
ジェノが歩いてきて、その隣に同じように寄りかかる。ラヴィはちょっとね、と微笑んだ。
「だからこいつは俺に任せておいて先に行けと言ったんだ…」
ジェノは苦い顔で、ぼそりとそう言った。
「そんなことできないよ~。みんなで行かなきゃ意味ないじゃん」
「いいか、ラヴィ。お前は勇者なんだ。お前はリ…いや、魔女を倒すことだけを考えろ。俺が道を切り開く。魔女の元に辿りつくまで…無駄な力は使うんじゃない。いいな?」
「そんなのやだよー」
ラヴィは言って唇を尖らせた。
「ここでジェノおいてって、その先でまた強い敵が出てきたらまた誰か置いてくの?きりないじゃん。みんなで行った方が絶対いいんだよ」
ラヴィにそう言われて一応は引き下がるが、まだ納得はしていない様子のジェノ。
「でも、結構ジェノってやさしいんだぁ~」
ラヴィがそう言ってほにゃっと笑うと、ジェノは照れたように目を逸らして鼻の頭を掻いた。
「最初はさ、結構きついことびしばし言ってくるから、この人あたしのこと嫌いなのかなぁ~って思ってたんだ」
「…改めて、すまなかった。かなりきついことを言ったような気がする…」
「ううん、いーんだよ。本当のことだしね。本当のことって、本当は誰も言ってくれないんだ。本当のことって、辛いことが多いから。でも、本当のことから、目を逸らしちゃいけないんだよね。今はそれがよくわかるよ」
言うラヴィの目は、初めて会った頃とは比べ物にならないほど強い光をたたえていた。
ジェノは少しだけ優しい目をしてラヴィを見た。
「もうお前は立派な『勇者』だ。俺は…お前の為に力を捧げよう。…まぁ、やられては元も子も無いからな。これは個人的なコトだが…俺が、お前を守ってやる。…って、何言ってンだ俺…」
ジェノは少しだけ頬を染めて、また顔を背けた。
なかなか熱烈な発言にそれ以上の意味を見出せないのか、ラヴィは屈託のない笑顔をジェノに向ける。
「ありがとー、ジェノ。でもあたしも勇者だから、あたしもジェノを守るね?」
すっかりラブラブなムードに水を指したのは、探索から戻ってきたハティの声だった。
「ねえねえねえ、上に登る階段、ないみたいだよ~?」
「本当か?でもここには魔女はいないみたいだしな…」
クルムも困ったように戻ってきて辺りを見回している。
「あ、…あれ…何でしょう?」
エルの傷を癒し終わったミケが、横たわるドラゴンの体を指さす。
見ると、ドラゴンの体が仄かに光を帯びているようだった。
「なんだろう…?」
ラヴィが不思議そうに近づいていく。
「あ、ラヴィさん、不用意に近寄っては…!」
エルの制止の声はすでに遅かった。
ラヴィがドラゴンの体に触れると、たちまちまばゆい光が部屋中に広がった。
「うわっ!」
部屋の中にいた全員が、眩しさに目を閉じる。
ややあって、まぶたを押す光圧が消えたのを感じて、ラヴィは目を開けた。
「あれ…これ、何だろ?」
目をあけると、大きなドラゴンの骸はすでになく、代わりに大きな宝箱がぽつんと置かれていた。
ラヴィがその箱を開けると。
「………剣…?」
柄に見事な人魚の細工が施されている、長剣。
鞘から抜くと、刃は七色に光を反射させて、この世のものとも思えぬ美しさだった。
「すごーい!すごい綺麗だよ!それに」
手に持って、2、3度振り下ろしてみる。
「すっごく軽い!切れ味もよさそうだし。今からこの剣にしよっと!」
ほくほく顔で剣を鞘にしまい、背中に下げていた剣と交換するラヴィに、クルムが嬉しそうに微笑みかける。
「よかったな、ラヴィ。いい剣が手に入って」
「うん!」
「ちょっと待ってください、ラヴィさん」
嬉しそうなラヴィに、ミケが厳しい表情で制止をかけた。
「…ミケ…?」

犯してしまったことを隠して
自分の中の闇から目を逸らして
それで、確かに嫌なものは見えないわね。
でもそれは見えなくなっただけ。
闇が消えたわけじゃない。
あなたが光になったわけじゃない。

「どうしたんだ、ミケ?」
きょとんとするラヴィの傍らで、やはり不思議そうにミケを見つめるクルム。
ミケは厳しい表情のまま、ラヴィに歩み寄り、その手の剣を見やる。
「おかしいと思いませんか?」
「…なにが?」
「ここは、黒百合の魔女の塔なのですよ?いわば、敵の本拠地です。その中に、都合よくこちらに有利になるような武器が隠されているものでしょうか?」
「そう言われれば…」
エルも気がついたように頷く。
「んー…でも、特に呪われてるような感じはしないよ?」
柄の人魚の細工をしげしげと見つめながら、ラヴィ。
「呪われていなくても、です。人間、強い武器や強力な魔法を手にすると、何の意味もなく何かを斬ってみたり、ためし打ちをしてみたくなるものじゃないですか。強い武器には、そういう危険も孕んでいるということです。自分の許容範囲以上の力を手にしてしまうのは、危険なことなのですよ」
「ラヴィが…大きな力を手にして、暴走してしまうようなやつに見える、と。そう言いたいのだな、ミケは?」
言ったのは、ジェノ。
言葉には、かなりの怒気を孕んでいる。
その様子に少し気おされつつも、ミケは怯まず言葉を続けた。
「ラヴィさんがそうだ、と言っている訳ではありません。一般論です。僕にもあなたにも、その危険は潜んでいる。そしてここは敵の本拠地です。そこで手に入れた、素性もわからない武器を使うのに、用心するに越したことはない、と言っているんですよ」
「でも、今まであたしが持ってた剣じゃ、魔女を倒せないかもしれないよ?あたしは、強い剣の方がいいと思うけどなあ…」
「決めるのはあなたです。僕は、僕の意見を言ったまでです」
「…ミケは、あたしがこの剣を使いこなせない…強い力を持って、暴走しちゃうような子だと思うんだね?」
言葉は淡々としていて、あまり失望や哀しさは感じられない。
ミケは目を閉じてかぶりを振った。
「先ほども言いましたが、一般論です。あなたがそうだ、といっているわけじゃない。でも、そうならないという保証は、僕にはしかねます。そしてここが敵の本拠地だからこそ、そんな、こちらに都合のいい剣があるのは僕はおかしいと思う。だから言ったんです」
「この剣が、魔女を倒せる唯一の武器だからこそ、魔女は手元に置いたのかもしれないよ?」
「では、何故魔女はその剣を排除してしまわなかったのですか?そこに矛盾が生じますよ」
「そんなのあたしは知らない。でも魔女だって万能じゃないんだよ。もしそんなことができるんだったら、魔女は簡単にこの世界を壊しちゃえてたはずでしょ?じゃあなんで魔女はそうしなかったの?」
「それは…」
問われて、ミケは言葉に詰まる。
彼の知っている魔女の正体を、今ここでラヴィに話すわけにはいかない。徒に彼女を混乱させてしまう。できれば彼女はこの世界の「勇者」としてのまま「魔女」を倒し、目覚めて欲しいのだ。
何故魔女が世界を壊さないか。
それについては見当がつく。
楽しんでいるのだ。
彼女にとって…彼女たちにとって、一人の人間を殺し、その精神を壊すことなど造作もない。
だが彼女たちは、それをしない。それをせずに、まるで実験動物に薬を少しずつ与えていくかのように、その様子を見て楽しんでいるのだ。
とすれば、リリィがここに剣を置いた理由は?
やはり、何らかのたくらみがあってそれに乗せようとしているとしか考えられない。
いや、だが万一本当に、「唯一対抗できる武器」を安心できる手元に置いておいたのだとしたら?
ここでラヴィにその剣を使わせないことは、魔女を倒す手段を奪ってしまうということだ。
もしそうだったとしたら…
思いは堂々巡りで、いっこうに決着がつかない。
ラヴィは、難しい表情で言葉に詰まっているミケを、眉を顰めて見つめた。
「…ミケ、何を焦ってるの?」
「………え………?」
「…あたしには…ミケは、あたしがそうなっちゃうことを怖がってるようには、見えないよ」
ミケの目を、まっすぐに見て。
「ミケは、魔女の罠に引っかかるっていうこと、が怖いんだよ。違う?」
場が、静まり返る。
「いいじゃん。罠でも。呪いがかかってたらとけばいい。あたしには扱えない武器だったら、前の武器で戦えばいい。試し斬りなんて意味ないこと、あたしやらないよ。自分の思うようにやってみて、ダメだったら別の手段を考えればいいじゃん。それが、魔女の考えてることかそうじゃないかなんてカンケーないよ。だいたい、まだこの武器を使ってもみないうちからそんなこと言うなんておかしくない?」
ちょこん、と首を傾げて。
「失敗を怖れて何もしないのは、失敗するよりダメなことだよ」
ミケは放心したように、ラヴィを見つめた。
「ラヴィ…さん…」
その時。
ぴしっ。
石に亀裂が入るような音がして、勇者達は辺りを見回した。
「下です!」
エルが言い、皆一斉に下を見る。
見れば、ラヴィを中心に床全体に、大きな亀裂が走っていた。
「逃げろっ!」
ジェノが叫ぶが、時すでに遅し。
床はガラガラと音を立てて崩れ、その下にあるはずの一階はなぜか真っ暗な空間に変わっていて。
「きゃあぁぁぁっ!」
勇者一行は、その闇に吸い込まれていった。

いいかげんに気付きなさい。
必死で醜さを隠そうとする
その哀れで無様な自分に。
いいかげんに気付きなさい。
他人を卑怯で残酷だと罵る
誰よりも卑怯で残酷な自分に。

「ここ…は…」
やっと意識を取り戻したキファは、辺りをきょろきょろと見渡した。
真っ暗だ。
自分の体が光っていなければ、それさえここにあることすらわからないほどの、濃く深い闇。
当然、あたりに仲間の影など見えようはずもない。
「…ルフィン~?」
直前までともにいた仲間の名前を呼んでみる。やはり、反応がない。
「どこ…ここ…?」
キファは心細い声を出して立ち上がった。一応床はあるらしい。
と。
前方に光が浮かび上がって、キファははっとした。
まばゆい光。だがその光に照らし出されるはずの壁も床もないように思えた。空虚な空間であるらしい。
やがて光は弱くなり、中心に白い影が浮かび上がる。
淡い光を放った白い肌、長い長い亜麻色の髪。
そして、それとは対照的な漆黒のドレス。
「黒百合の…魔女…」
キファは呆然と呟く。
にっこりと微笑むその様は、本当に一点の邪気も無いように見えて。
どこまでも清楚で、美しかった。
その雰囲気に押されまいと、キファはきっと魔女を睨んだ。
「あなたが…リリィ、ね」
「はい。初めまして。キファ様、と仰いましたね」
魔女はにっこり笑って、恭しくお辞儀をした。
「わたくしの世界へ、ようこそおいでくださいました」
「君の、じゃないでしょ。ここはラヴィの世界だよ」
キファは鋭く言った。
「どうして、ラヴィなの?夢の虜にする相手、違うんじゃないの?君にラヴィは何もしてないのにそんなのって八つ当たりじゃん。それとも、人に迷惑かけるの趣味なの?それとも…」
その言葉の続きは言えずに飲み込んだ。
あまりにも馬鹿げている。
ラヴィを強くするために、敢えてリリィが呪いをかけているのだ、などと。
魔女は変わらぬ清楚な微笑みで、ゆっくりと言った。
「わたくしは、彼らに対して約束したのですわ。あなた方を、決して許しませんと。ですからわたくしは約束を守っているのです」
ふわり、とキファに近づいて。
「わたくしが、何故彼らを許さないのか、お判りになっていらっしゃらないようですね。
わたくしは、彼らがわたくしを裏切り、このような状況に陥れた出来事そのものを嘆いているのではないのです。
魔物の要求に対して、ただの一度もそれに対抗しようとしなかったこと。その、彼らの心の弱さそのものを嘆いていたのです。
確かに、魔物が我が国に訪れさえしなければ、わたくしは無事であったことでしょう。ですが、それは彼らの心が強くなったと言うことではありません。弱さが明るみに出なかっただけの話なのです。
臭い物に蓋をしておけば、その物は臭くなくなるのですか?いいえ、蓋をしておいても臭いものは臭いのです。
ですから、同じなのですわ。わたくしを裏切った張本人であろうとなかろうと。今まで散々呪いをかけておきながら、呪いを打ち払う努力を何もせずに妹姫を王座に据えた方々は。
そうではありませんか?」
くすくすと、口元を隠して笑って。
その微笑みは、貼り付いた仮面のように見えた。
「人に迷惑をかけるのが趣味…と、貴女様風に言えばそういうことになるのでしょうね。別に迷惑をかけようとしているわけではありませんのよ。結果として迷惑がかかっているだけの話ですわ。そしてその迷惑は…半分は、ご本人がもたらしたものであると。
わたくしは、臭い物にかぶせられた蓋を取っているだけの話なのですから」
キファはじっと魔女を見つめて、何かを考えているようだった。
やがて、おもむろに口を開いた。
「わたし…こう思うんだ。きっとその人たちは自分の弱さに気づいてないんじゃなくて、どうしたら強くなれるか、知らなかったんじゃないかって。毎日生きる事に精一杯で、自分の弱さと向き合う術を知らなかったんじゃないかな。
この世には強い人間だけじゃないもの。弱い人のほうが強い人より多いもの。弱さに立ち向かうほどの強さを知っていたら、過ちなんて犯さない。貴女が呪いをかけることもなかったかもしれない」
そして、哀しそうにかぶりを振って。
「でも…それでも呪いをかけたかもしれないね。
面白くない事を面白くするために、他人の、そして自分の命すらかけることを厭わないんだもの…」
「さあ…それはそうなってみないことにはわからないかもしれませんけれど」
リリィの表情は変わらないようだった。面白そうにくすくすと笑いながら、続ける。
「でもわたくしは、感謝しておりますのよ?あの方が気付かせてくださらなければ、わたくしはずっと、あの国の人々と同じであったことでしょう。日々を生きるために誰かを犠牲にし、そのことすらからも目を逸らして隠蔽し、あげくにはそれを暴いたものを闇に葬り去ろうとする…そしてそのことを自分に正しいと言い聞かせ、自分を欺きつづけながら生きている、あの国の人々と…」
あの方、とは…話に聞いた、リリィが敬い従っているという魔族の女性のことだろう。
「そう…そうだとしても、それがあの人たちに呪いをかけていいっていうことにはならないよ!あの人たちは弱かったんだもの!強くなる術を知らなかったんだもの!しかたがなかったんだよ!」
「しかたが…なかった?」
魔女の声のトーンが、少しだけ落ちたような気がした。
「仕方がなかった…と仰いましたね?」
その様子に、キファは少し恐怖を覚えて身を竦める。
「弱かったから…強くなる術を知らなかったから…わたくしを魔物に売り、そのことをすら隠蔽し、わたくしの存在を消し去ろうとしたことは…仕方がなかったと。そう仰るのですね?」
「それは…!」
キファは言葉に詰まった。
「それは、いけないことかもしれないけど!そしたらこれから、弱さに立ち向かっていけばいいじゃない!」
「わたくしは、あの方達を罰しませんでしたね?何もされなかったあの方達が、わたくしにしたことはどのようなことでしたか?」
「………っ!」
再び、言葉に詰まる。
罰を与えられなかった家臣たちがしたことは…自分達の罪を再び隠蔽しようとする画策に他ならなかった。
「弱いのは罪ではありませんわね、確かに。…ですが、自分の弱さを知り、その罪を知りながら強くなる努力をしないことは…罪ではないのですか?」
魔女はゆっくりと、諭すように言った。
「あなたのお説のとおりだとすれば…あの方達は弱いから、あのようなことをしたのは仕方がなかったと…でしたら、わたくしも弱いですから、あの方達にひどいことをされましたから、このようなことをするのは仕方がないことなのですわよね?」
「それは…」
「あなたが仰っていることは、そういうことですわよ?」
くすくすと、再び面白そうに笑う。
キファは返す言葉を失って黙り込んだ。

相手を邪悪だと罵るあなたは
邪悪でないとでも言うつもりなの?
滑稽ね。
自分の姿を鏡でよく見てごらんなさい。
そこに映っているものは何?

「黒百合さんは、結局のところ何が欲しいの?」
同じように空虚な空間で、同じようにハティは魔女に問うていた。
「それって誰かをずーっと呪っていれば手に入るものなのかな。だとしたら、当事者でもない人を呪って手に入るものって何?
もし少しでもこんなこと無意味だと思うなら、黒百合さんには人を呪うなんてことやめてほしいなぁ」
口調は子供っぽさが残るが、まっすぐに魔女を見つめる瞳には意志の強さが伺える。
魔女はにっこりと微笑んで、その問いに答えた。
「何かを手に入れるためでなければ、何かをしてはいけませんの?ずいぶんと直接的なご意見ですわね。では貴方様は、常に何かを手に入れるために行動していらっしゃると?とてもご立派な思想ですわ。それで、何か手に入れられたものはございまして?」
「えっ?」
ハティは問い返されて、うーんと上を見て唸った。
「んー…わっかんないや…」
へへ、と頭を掻く。
魔女はくすくす笑いながら、続けた。
「無意味だと思うならこんなことするはずないではありませんか。ええ、このことは、これだけの時間をかける意味があるのですわ。わたくしにとって」
そこで、笑みを深くして。
「楽しい、という、ね」
「楽しい…?」
ハティは不思議そうに目をぱちぱちさせた。
「楽しいからラヴィさんやたくさんの人を呪っているの?確かにリレイアさんをひどいめにあわせたリレイアさんの国の人は許せないだろうと思うし、僕も話を聞いて好きじゃないと思った」
魔女は再びくすくすと面白そうに笑った。
「わたくしが憎しみにかられて呪いをかけているとお思いなのですか?惜しかったですわね。そういう少女漫画にありがちな展開でしたら、説得も楽でしたでしょうに。わたくしは、別に彼らが憎くはございませんのよ。ただ、許していないだけで」
ハティは再びうーんと唸った。
「リレイアさんの言う、許さないってどういうことだか僕にはよくわからないな。許す方法は見つからないの?国の人がリレイアさんにしたことをものすごく後悔して、苦しんでもそれでも許せない?
だったらどうしたら許せるかな?最初から考えるのをやめないで、一度でいいから考えてみて欲しいな」
「どうして許さなくてはいけませんの?」
魔女は再びハティに問い返した。
「あの方達がわたくしにしたことをものすごく後悔して、苦しんでいる?口からでまかせは良くありませんわ。後悔して苦しんでる方々が、わたくしを陥れて国から追い出そうとなさいますか?」
「それは~……」
ハティは困ったようにまた唸った。魔女はくすりと笑って、続けた。
「あの方達は、あの方達のために、わたくしを魔物に売り、そしてその事実を隠蔽したのですわよね?ですから、わたくしもわたくしのために、わたくしが楽しいと思うことをするまでですわ。ともに自分のことしか考えていないのですもの、他人に何を遠慮することがあるというのです?」
魔女は楽しそうに、くるりと回って人差し指を唇に当てた。
「彼らの心の弱さは、とても楽しい遊び道具です。こんな楽しいことを放っておくなどと、わたくしには出来なかったのですわ。当事者であろうとなかろうと、そんなものは問題ではないのです。
おわかりいただけまして?」
「そんな…」
ハティはぽつりと呟いて、黙り込んだ。

立派な建前。
お綺麗な理屈。
その理屈で自分をしっかりと鎧って
あなたは何を守っているの?
何をそんなに怯えているの?

「お久しぶりですね、エルさん」
魔女はにっこりと笑って、恭しく礼をした。
「できれば、あまりお会いしたくはなかったのですがね」
エルは苦い表情で、魔女に言った。
「まぁ、ひどい。一度は戦いを交わした仲ですのに」
魔女は楽しそうにころころと笑う。
「今度は、ラヴィさんですか…あなたのご境遇には同情しますが…いつまでも…ね?
『哀しみを憎しみに変えてはなりません。哀しみは優しさに変えて下さい』
と、かの有名な本にもあったじゃないですか!」
何の本でしょう。
「罪を犯したものにに必要なのは『罰』ではなくて、『許し』なんですから」
真摯な表情で、魔女に説くエル。
魔女変わらぬ表情で、首をかしげた。
「そうですか。相変わらず立派な建前をお持ちですのね」
「…どういう意味ですか…?」
眉を顰めて問い返すエル。
魔女はくすくす笑いながら、続けた。
「では、エル様は罪を犯したわたくしを、お許しくださるのですか?」
エルは少し返答に困って、少ししてから真面目な表情で答えた。
「…あなたが、もうこのようなことをしないと仰るのでしたら」
「このようなことをしませんと言えば、お許しくださるんですか?」
魔女はくすくすと笑った。
「…そのような態度では、許すわけにはいきませんね」
「では、真摯な態度でいればお許しくださるんですか?それが嘘でないことを、貴方様に見抜けますか?…あの時でさえ、わたくし達の嘘を見抜くことができなかった貴方様が」
「くっ……」
さらりと言われて、言葉に詰まる。確かに、リリィ達のついていた壮大な嘘を見抜けなかったのは確かだった。
「では、貴女は相手が嘘をついているかもしれないから許すことができないと…そう仰るのですか?」
「よしんば本気の謝罪であったとして、この先心変わりをしないという保証はどこにおありになりますの?…そういうのを何というかご存知ですか?」
一拍置いて。先程より少しだけ冷たい目で。
「…偽善、というのですわ」
そして、すぐまたもとの笑顔に戻る。
「わたくしは国に帰ってきて、彼らに対して罰を与えませんでしたね。もちろん、許しもしませんでしたけれども。そして彼らの取った行動はいかほどのものでしたか?」
「………」
エルは返す言葉を見つけられず黙り込んだ。
魔女はまたくすっと笑うと、エルに背を向けた。
「奇麗事だけで渡っていけるのでしたら、世の中に争いなど存在しませんのよ。貴方様が思っているほど世の中も人間も、綺麗なものではないのですわ。そして一番汚いのが、それらを見ないふりをして、なかったことにする方たち…そうではございませんこと?」
少し歩みを進めて、またエルを振り返る。
「自分を罪深いものだと思いつづけて生きることなど、人間にはできない…たとえそれが事実だとしても。なら人間はどうするのか?…事実を捻じ曲げようとするのですわ。自分の都合のいいように」
エルはまだ黙ったままだった。
魔女は少しそれを見つめて…やがて、はじかれたように笑い出した。
「ぷっ…っは、あはははは!」
エルはあからさまに動揺した表情で、魔女を見る。
「もーぉ、やだ、エルさんったら!私がそんな偉そうなこと真剣に考えてるわけないじゃないですか!」
「………な………」
唖然として言葉も出ない。
「楽しいからやってるんですよ。決まっているでしょう?色んな理屈なんて、あとからいくらでもつけられるんですよ。どんな理屈をつけたって、結果は同じでしょう?」
魔女は嘲るような笑みを向けて。
「理屈に惑わされて簡単に本質を見失っちゃうんだから、本当に人間って、面白い生き物ですよね。こんな面白いおもちゃを、私たちが放っておくわけないじゃないですか」
「…おもちゃ…」
エルは苦々しげに言葉を反芻した。
「ですからエルさんたちは、全力でそれを止めればいいんですよ。お綺麗な建前を振りかざして」
魔女はそこでエルを指さし、意味ありげに声のトーンを落とした。
「お綺麗な建前に、振り回されて…ね」

憎しみに溺れなさい。
悔しさに身を焦がしなさい。
それがいつしかあなた自身を滅ぼすことに
気がついていないというのなら。
憎しみで人を傷つけるのは愚かなこと
あなたはそうわたしに諭したいのではないの?

「どうしちゃったんですか~?ミケさんったら」
空虚な空間に佇むミケを、魔女は面白そうに見下ろした。
「あんな小さな子にお説教されちゃうなんて。しかも言い返せなかったみたいじゃないですか」
その問いには答えずに、ミケは魔女を睨み付けた。
「…あの剣は、どういうおつもりなのですか?…いいえ、訊いたとしてもあなたは素直には答えてくださらないのでしょうね。あなたは…きっと倒しても…いえ、逆に素直に倒されてくれるかもしれませんけど。きっとそれすらも罠なんでしょう。僕にはその罠を見抜けない…僕一人では、あなたには勝てません。残念ですが、それが事実です」
魔女はしばらく、ミケを面白そうに見つめ…やがて、表情をすっと和らげた。
「ミケ様」
『黒百合の魔女』の口調で。
「…わたくしに負けたのが、そんなに悔しかったのですか?」
ミケはその言葉に、びくっと身を震わせた。
魔女はくすくす笑いながら、続けた。
「そのご様子は、まるで『俺はお前の罠になんか引っかからないんだぞ~ざまー見ろ』と、罠のあるフロアの入り口であかんべしている子供のようですわよ」
ふわり、とミケの鼻先に指を突きつける。
「『自分が負けないこと』に気を取られるあまり、肝心なことを見失っておられるようですね?自分に譲れないものがあって、それが自分で正しいとお思いでしたら、それを他の方と比べることは無意味ではございませんか?ご自分でその行動がしたいと、正しいとお思いになるのでしたら、それがどんな結果を招こうとも構わないのではございませんか?上手く立ち回ろうとするあまり、肝心なものを見失ってはいませんか?」
にこり、と笑って。
「勇者様の仰っていたことを、もう一度繰り返しましょうか?
負けて悔しいのは、ミケ様です。
剣を制御しきれないのは、ミケ様です。
ミケ様を縛り付けているのは、わたくしではございません。
他ならぬ、ミケ様の心の弱さですわ」
「……………」
ミケは何かを言おうとして、頭を振った。
「…そう、かもしれません。少し、見失っていたかもしれない。正直、先ほどの行動も…いえ、今回この依頼を受けるに当たっての全ての判断を、僕はとても悩んで迷って決めている。正しいと思って行動するにも、不安でしょうがない。自分を納得させるために、色んな理屈をつけて…明らかに自分が正しいとは、言えないのかもしれません」
はあ、と溜息をつく。
「最近、迷っていることすらも忘れようとしていたのかもしれませんね。確かに、上手く立ち回ろうとしていたのは、間違いないです。自分で自覚していなかったことも。自分のやりたいことをやるっていうこと、忘れていました。『自分が負けないこと』っていうのは、あくまで『自分が自分に負けないこと』を目指していたのであって、そのことを言われてやっと思い出しました」
苦笑して、頭を掻いて。
「それを教えてくれたことには、素直に感謝します。どうもありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げるミケを見て、魔女はにこりと微笑んだ。
「…あなたは…それを教えるために…この事件を引き起こしたのですか?」
ミケは真剣な表情で、魔女に問うた。
「保身のためにあなたを裏切り、その罪をも隠匿し、そしてなおもあなたを陥れようと画策した方々に…それを教えるために。そしてそのことこそがこういう悲劇を引き起こす原因になるのだと…その方々に教えるために。結局僕らが代わりにやってますけれど、本当はこれは、あなたの王国の方々がやるべきことで…彼らはこのことによって、結局自分達が保身に走っていたということを知る…ということなのでしょうか?」
魔女はしばらく笑顔のまま黙っていた。
「…そうお思いになりたいのでしたら、どうぞご自由に。事実は、いつもひとつですから」
薄く笑って、ゆっくりとそう言って。
「わたくしがしたことで、傷を負う方々もいれば、それを撥ね退ける方々もいらっしゃる。撥ね退けた方々が成長することは、事実なのでしょうね。そうした方々から見れば、わたくしのしていることは或いはそういう風に見えるかもしれません。…ミケ様が仰っているのは、結果論ですわね。わたくしがそういう意図で事件を起こしたのであろうとなかろうと、傷つく方は傷つきますし、成長する方は成長される…そうではありませんこと?」
(それが魔女の考えてることかそうじゃないかなんてカンケーないよ)
ラヴィのセリフが甦る。やはり先祖だけあって、面影もどことなく似ていて。
「そして、わたくしのすることでその方が傷ついても、成長しても…」
魔女は最後に、少女のように楽しげに笑って見せた。
「それはそれで、おもしろいんじゃないですか?」

あなたは優しいのね。
いつでも相手の気持ちになって
悲しみを理解しようとする。
そういう自分を演じてる。
でも気付かない?
それが、自分の感じ方に相手を染めようとしていることだということに。

「可愛さあまって憎さ百倍、って…昔の人はよく言ったよな。わかるよ、すごく」
クルムは真剣な表情で、目の前の魔女に語りかけた。
「すごく大切に思っていた人や仲がよかった人に、裏切られたり喧嘩別れをしたりすると、それまで信頼していた反動で余計に憎くなっちゃうんだよな。大好きだったから、信じていたから、かけがえのない存在だと思っていたからこそ…きっと、そうじゃなくなった時は、憎しみの対象にしかならなくなっちゃうんだ」
少し、何かを考えるように視線を横に逸らして。
「…ある意味、その憎しみは、壊れそうな自分を支えるためなのかもしれないな」
そしてもう一度、魔女に真剣な視線を向ける。
「大好きだった人を憎まなくちゃいけない…呪わなくちゃいけないって、辛いことだよな。だけど…憎み、呪うことは、自分も傷つけることになるから…そんな思いを、いつか昇華して楽になれたらいいな。相手のことを見ても、『ふーん』って思えるくらいに」
優しく、微笑んで。
「そして、そんな相手のことも『愛せる』くらいに。そうしたら、今よりきっと、もっと大きく、強く、優しくなれると思う。そうして、本当の意味で、リリィに幸せになってもらいたいな」
「クルムさんはお優しいんですね」
魔女はにっこり笑ってそう言った。
「私が、本気で、あの方達が憎くて憎くてしょうがなくてこんなことしたと思ってる、んですか?
もう、やぁだ。そんなお涙ちょうだい路線に、この私が!いくわけないじゃないですか!」
そして、苦笑しながら、おかしそうにけたけた笑い出す。
「何でこんなことするのかって?面白いからですよ。それ以外に理由がありますか?ですからクルムさんに行く末を心配して頂かなくても、私は今のままで十分幸せですよ。ありがとうございます」
言って、ぺこりと礼をした。
「そうか、それなら良かった。今のリリィはチャカの所で幸せにしてるんだな」
クルムの笑顔は、どこか淋しそうで。
「でも、そうやって相手を…もう当事者もとっくにいないのに100年近くも呪い続けたり…どんな形であれ『思う』っていうのは…結局まだ自分の中で昇華しきれていないっていうことだと思う。それに…」
クルムはその言葉の先を心の中で続けた。
(ある意味…リリィのやってることは、『国が変わるきっかけのために、呪いを根気よく掛け続けている』ようにも…思えるんだけどな…)
魔女は少しだけクルムを見つめていたが、やがて再びにこりと笑った。
「クルムさんはお優しいんですね。相手のことを賢明に理解しようとなさって。大抵の方は、その優しさに心を打たれることでしょう」
胸の前で祈るように手を組んで。
「…けれど、私まで一緒にされてしまうのは困ります」
「…え…?」
「それは…『私と同じ立場に立ったときの、クルムさんの感じ方』でしょう?私には私の感じ方がある。それがクルムさんの感じ方と同じで、私がクルムさんと同じように感じられるなら、私はクルムさんのことをお優しいと感じたと思います。…けど」
組んだ両手を、広げてクルムのほうに差し出した。
「…それは、『相手のことを理解する』のとは程遠い。相手の境遇に自分を当てはめて、自分の考え方を相手に押し付けているだけです。口ではそう言ってるけどそんなはずはない、本当はこう感じているはずだ、あなたは本当は心の優しい人なのだ…などと」
そこで、笑みをわずかに嘲るようなものに変える。
「虫唾が走ります」
「………」
クルムはぐっと押し黙った。
「ですが、そうお思いになりたいのでしたら、どうぞご自由に。私があの国の人々を目覚めさせるために、100年もの間根気よく呪いをかけ続けていたのだとお思いになりたければ、そのようになさればよろしいのですわ。私がどのような思惑でも、私は呪いをかけつづけ、クルムさんたちがそれを止める、このことは変わらないでしょう?」
魔女は再び面白そうにくすくす笑ってみせた。
「事実は、ただ、それだけ。ただ…自分の気持ちを相手に押し付けるのは、私はいかがなものかと思います」
場に、再び沈黙が落ちた。

何が怖いというの?
何があなたのその一歩を阻んでいるというの?
今いる場所を守るために
必死で泥の砦を作って。
その一歩を踏み出した方が
どんなに楽か知れないのに。

「どこ…ここ…?」
ただ一人、ラヴィだけは、先ほどいた2階と変わらない円筒形の石造りの建物の内部にいた。
不安そうに辺りをきょろきょろ見渡すが、彼女の仲間は誰一人としていない。
「ジェノ…クルム~…ミケ…?」
心細そうに名前を呼ぶ。
と。
「きゃあぁっ!」
突如、横手からものすごい突風がラヴィを薙ぎ払った。
風に飛ばされたラヴィは、壁に強かに背中を打ち付けられ、そのまま床に落下する。
「あいたたたたた…」
「ようこそ、勇者様」
腰を抑えながら立つラヴィに、上から澄んだ声がかけられる。
ラヴィがはっとして上を向くと、先ほど1階で見た魔女がふわふわと浮いていた。
「黒百合の魔女…!」
ラヴィは先ほど手に入れた剣をすらりと抜くと、構えた。
「みんなをどこにやったの!」
「お仲間さんたちのことですか?別のお部屋に移動していただきました。…ここはわたくしの塔ですもの…このようなこと、造作もありませんわ」
「く………っ」
(やっぱり…ミケの言うとおりだったのかな…)
手の中の剣が、先程よりも暗い光を放っているように見える。この剣も、やはり、魔女の罠だったというのだろうか?自分達は、魔女の罠にまんまとかかり、このまま敗れ去ってしまうのだろうか?
(みんな…どうなっちゃったの…?助けて…助けてよ…!)
ラヴィは目の前に敵がいるにもかかわらず、ぎゅっと目を閉じた。
魔女はそれを見て、嬉しそうに微笑んだ。

「…は…ラヴィ…様?ラヴィ様?!」
ティアは突然苦しみの表情を見せたラヴィに駆け寄った。
その傍らにいたセアも、同じように駆け寄る。
「どうされたのですか?苦しいのですか?ああ…っ!どうなっているというのでしょう…?!」
ラヴィの心の中までは窺い知れないだけに、不安そうな表情をセアに向けるティア。
セアも心配そうに、ラヴィの顔を覗き込んだ。
「セア…何もできないの…?悔しいよ…でもしょうがない。セアたちはここにいて、セアたちにできることをするしかない。ね…ティアさん。せめて、お祈りしよう?ラヴィさんと、ラヴィさんの心の中にいる仲間たちに…」
セアは眠っているラヴィの手を取ると、祈るように握り締めて額に当てた。
そして、目を閉じて、ラヴィの心の中に伝えようとしているかのように、囁く。
「ラヴィさん…?
女王様も、ティアさんも、そこにいる皆も、セアも、待ってるから。
ラヴィさんのこと、待ってるから。
頑張って?ね? ラヴィさんきっと頑張れるから。
ラヴィさん、頑張ったら、皆も、最後まで頑張ってくれるから。
そしたらきっと、平気だよ。何だって。」
そしてさらに、口には出さずに、続ける。
(きっと・・・きっと帰って来れる。
皆が行った。解けない謎なんてない! 解決出来ない依頼なんてない!
私達は、冒険者だもん。 ラヴィさんが、お姫さまでも、今は冒険者と一緒。
きっと、帰って来れる。)
憧れだった職業。家を飛び出して、右も左もわからないまま、誘われて冒険者達のパーティーに入り。
初めて、盗賊としての役割を果たした時。
仲間は、まるで自分のことのように、セアとともに喜んでくれた。
こんな自分にも、何かができる。
そう思わせてくれた。
だから、きっとできる。
解決できない依頼などない。
セアはそう確信していた。
「おかえりなさいって、言わせて、ね?」

大丈夫。
そう、誰かに声をかけられたような気がして、ラヴィははっと顔をあげた。
(だれ…?)
だが、相変わらずそこには魔女しかいない。
頼れる仲間も、魔女を倒せる自信も失って。
心の中を、不安ばかりが侵食していく。
(だれか…だれか、きてよ…もう…)
魔女はそんなラヴィを見て嬉しそうに笑うと、右手を振り上げて空に文字を書いた。
「雹・刻・斬」
すると、魔女の周りに無数の氷のつぶてが現れ、唸りを上げてラヴィに次々と向かっていく。
「うあぁぁぁっ!」
氷のつぶてが次々と直撃し、ラヴィは剣を取り落としてがくりと膝をついた。
(みんな…みんな、どこ…?たすけて…)
ラヴィは床に手をついて、声にならない叫びをあげた。
頬に一筋、涙が伝って落ちる。
その時だった。

私たちは一緒なの。
あなたと私は同じもの。
だからお互い精一杯戦いましょう。
ね?
自分が正しいと言う理屈をつけなければ
人を傷つけることすらできない
かわいそうな人たち。

平凡な毎日はずっと続くと思ってた
ある日から、突然知らない世界に背中を押された
自信なんてどこにもなくて、まわりに流されて旅をした
けど、君は気づいたんだね
答えはいつも君の中にあったこと
だから君は運命に立ち向かうんだ
戦いながら強くなって 一つ一つ知らない事を知りながら 自分の心を見つけたから
強い心に炎が宿る 今の君ならできるよね
夢に巣くう闇を照らし、永い眠りからさめることができるよね
だから、帰ろう
一緒に帰ろう
その手を伸ばし誰かが待ってるあの世界にもう一度帰ろう

どこからか聞こえてきた歌声に、ラヴィははっと顔を上げて振り返った。
「キファ…!」
キファは歌いながら、にこりとラヴィに微笑みかける。
そして、宙に浮く黒百合の魔女に厳しい視線を向けた。
(わからない…あなたの「約束」はどうしたら終わりが来るの?あなたを倒せば終わりになるの?わたしにはわからない…でも、今、この状況でわたしはわたしに何ができるか考えたいし、それはラヴィや皆も同じなんだと思う)
停滞した人魚の王国。降りかかる災いに、何ひとつ抗おうとしなかった国。
それが、この呪いを引き起こしたのなら。
(そうやって思ったり動こうと努力する事が貴女の呪いを破るきっかけになるんだって信じてる…!)
キファの歌とともに、ラヴィの周りに散らばっていた氷のつぶてがふわふわと浮き始める。
つぶてはぎこちない動きでだんだん加速すると、魔女に向かって飛んだ。
魔女は変わらぬ表情で袖を振り、つぶてははじけて空に散った。
そして、そのまま流れるような動きでもう一度空に文字を書き始める。
「雹・刻・斬・刺」
すると、先ほどと同じように…だが今度は先ほどの倍ほどの量の氷のつぶてが、魔女の周りに現れた。
中には、つぶてではなく、鋭く尖ったようなものも見える。
つぶては間髪いれずにラヴィとキファに向かって降り注いだ。
「きゃあっ!」
(やばっ…!)
ラヴィは慌てて剣を拾おうとした。だが間に合わない。
ラヴィは思わず目を閉じて肩を竦めた。
「…………?」
だが、いつまでたっても痛みが来ない。
おそるおそる目をあけると、前に黒い壁が立ちはだかっていた。
「……ジェノ?!」
ジェノは魔女に背を向ける格好で、ラヴィを守るように立っていた。
「…大丈夫か?」
少し辛そうな表情で、それでもにっと笑って見せる。足元にはジェノにぶつかって落ちたと思われる氷のつぶてがたくさん転がっていた。背中には、鋭く尖った氷がまだ何本か突き刺さっている。
ちなみに、キファにはそれなりに命中していたようだ。
「あ、あたしは大丈夫だけど、ジェノが…!」
「…俺のことは気にするな」
ジェノは立ち上がって、魔女を振り返り、槍を構えた。
「未来を必死に生きようとしている者の邪魔をするな、過去の怨念!!お前の呪いに付き合う暇など俺達に…ラヴィには無い!!過去の怨念は過去の怨念らしく…墓に埋まって墓石にでもやつあたってろ!!」
高らかにそう言って、大きく槍をすくい上げ、いつもの衝撃波を魔女に向かって放つ。
魔女がにっこり笑って右手を前に差し出すと、その手に触れる寸前で衝撃波は掻き消えた。
「過去の怨念…?」
ラヴィはよくわからず首をひねる。魔女はくすくす笑いながら言った。
「いやですわ、ジェノ様ったら。わたくしは死んでもおりませんし、墓石の下に埋まる気も毛頭ございません。生きる邪魔をされたくないのでしたら…力づくで邪魔者を排除なさいまし」
「言われなくてもそのつもりだ!」
いともたやすく衝撃波を消されたことに内心動揺しつつも、魔女にそう怒鳴り返すジェノ。
とその時。
「たあぁぁっ!」
どこからか高らかな声が聞こえて、ラヴィたちは声のしたほうを見た。
いつの間に上ったのか、魔女のさらに上から、ハティが飛びかかっているところだった。
ハティの拳は、魔女の腹に見事に命中した。一撃を加えて、床に降り立ち、魔女の方を見上げて高らかに告げる。
「黒百合さんの言うことは、僕にはよくわからない。だけど、人の心は黒百合さんの遊び道具じゃないし、人の心をおもちゃにするのはしちゃいけないことだと思う」
拳を魔女の方に突き出して。
「だからそんなことは絶対にやめて欲しいし、やめさせます!」
「まったくです!」
同じく高らかな声が、別の方向から響いた。
やはりどこから現れたのか、すでに大剣を構えて魔女に突進していくエル。
「たあっ!」
常人では考えられないほど高く跳んで、大きな剣を力いっぱい振り下ろす。
剣は深々と、魔女の肩に食い込んだ。
「…奇麗事かもしれない…建前かもしれない。しかし貴女に何と言われようと、私は私の意思を貫きます!」
魔女はそれには何も答えずに微笑んだ。
と、急に剣の手ごたえがなくなり、魔女の体をすっと通り抜けていく。
床に降り立って見上げると、剣で斬ったはずの所には血の一滴もついていなかった。
「く…!」
「一人一人で行っては効果がありません。一斉に行きましょう」
後ろからした声に、ラヴィたちは振り返った。
そこには、厳しい表情をしたミケが立っていた。
「僕たちは弱いです。迷うことも苦しむこともある。ですが迷いや苦しみで自分の望む道を進まないのは、惑わせている者たちの思うつぼです」
魔女に、仲間達に、そして自分自身に言い聞かせるように一言一言をかみしめながら言うミケ。
「魔女の思惑も、戦う理由も、関係なかった。僕達は、自分自身に負けないために、戦わなくてはならないんです」
言って、両手を広げ。
「風よ…」
ふわり、と風がラヴィと仲間達の周りを取り囲む。心なしか、体が軽くなったようだった。
「さあ、行きましょう皆さん!」
ミケの声とともに、エル、ジェノ、ハティが一斉に魔女に向かって駆け出した。
一歩遅れて駆け出そうとするラヴィの肩を、後ろからつかむ手。
振り向くと、そこにはクルムがいた。
「クルム!無事だったの!」
「ああ、心配かけてすまなかったな、ラヴィ」
クルムはにっこり笑うと、声を潜めてラヴィに告げた。
「いいか、ラヴィ。よく聞いて。オレ達では…多分、魔女にダメージを与えることは、できない。さっきも見ただろう?」
ハティの強力な拳にもまるで堪えていなかった魔女。
魔女の体をすり抜けていったエルの剣。
ラヴィは慎重に頷いた。
「オレ達じゃ、ダメなんだ。おそらく…オレ達は、この世界の人間じゃないから」
「え…何…言ってるの…?」
「今はわからなくてもいい。これだけわかっていれば。魔女を倒すことができるのは、多分ラヴィだけなんだ。この世界で、『魔女を倒すもの』として生を受けたラヴィにしか、きっと魔女を倒すことはできない。だから…」
クルムは立ち上がって、ちらりと魔女のほうを見た。
「俺達で、精一杯魔女の気をひきつける。ラヴィはその隙をついて、その剣で魔女を倒すんだ」
「で、でも、この剣は…」
「大丈夫」
先ほどのミケの言葉を気にして躊躇するラヴィに、クルムは力強く頷いた。
「俺達がついてるよ。失敗しても諦めるな。絶対、上手くいく!」
ラヴィはやや間を置いて…そして、先ほどの力強い輝きを瞳に取り戻した。
「…うん!」
「じゃ、行くぞ!」
クルムとラヴィは同時に別方向に駆け出した。
(リリィ…あんたの言うことは間違ってない。けど…オレはやっぱりこうにしかできないし、こうすることが一番いいことなんだって信じてる)
背中の大剣を、すらりと抜いて。
(それがぶつかってどうにもならないなら…オレは、オレの意思を貫くよ)
切りかかっていっているエルと同方向から飛んで、剣を振るう。
戦いは混戦の様を呈していた。
キファが歌で氷のつぶてや石つぶてなどを魔女にぶつける。ジェノとエル、クルムとハティが交互に魔女に攻撃を加えていって。傷ついたものをミケが風で癒す。
だが一向に、魔女にダメージを与えることはできないようだった。すり抜けるか、或いはぶつかっても眉一つしかめない。魔女は余裕の表情だった。
ラヴィはその一方で、慎重に間合いを取りながら、魔女に攻撃をする手段を伺っていた。
チャンスは一瞬。その一瞬の隙を逃さないように。
そして、そのチャンスはやってきた。
ジェノの槍を避けた魔女の腕を、後ろからハティが捕らえる。
そしてもう片方の腕を、もう片側から跳んだエルが。
魔女の背中に、完全に隙ができた。
「ミケ!」
ラヴィが言うと、ミケはすでに魔法の用意ができていたようで、即座に返ってきた。
「風よ、翼無き者を空へ!」
たちまち、ラヴィの体を強力な風が取り囲み、ふわりと持ち上げる。
ラヴィは腰のあたりにしっかりと剣を構えて、風に身を任せた。
「たあぁぁぁっ!」
ハティとエルに腕を取られ身動きできない魔女の背に。
ラヴィの虹色に輝く剣が、深々と突き刺さった。

かしゃん!
静かな室内に耳障りな音が響き渡る。
気になって、黒髪の少女は手を止めて顔を上げた。
わずかな明かりの元で、先ほどから机に向かって微動だにしなかった亜麻色の髪の少女が目に映る。
彼女が手をかざしていた水晶球が、砕けて割れていた。先ほどの音はこの音だったのだろう。
「どうしたのですか?リリィ」
黒髪の少女は、首を傾げてそう問う。
リリィと呼ばれた少女は、呼ばれて初めて黒髪の少女の方を振り向いた。
その笑みがいつもより…控えめに言って、凄絶…に見えたのは、部屋の明かりが暗かったためだろうか。
「なんでもないのよ…ふふ、そう、なんでもないの…少し、遊んでいただけ」
す、と立ち上がって。
「面白かったわ…とても面白かった。本当に、あの人たちは私たちを楽しませてくれるわ…ねえ、メイ?」
メイと呼ばれた少女は、よくわからずに首をひねった。
「次は、何をして遊ぶのかしら…とっても楽しみよ。もしかしたら、あなたも駆り出されるかもしれないわ、メイ?ふふ…そのときが、楽しみね」
リリィのくすくすという笑い声が、暗い室内にこだましていった。

「う…ん…」
「ラヴィ様!」
ようやく目を開けたラヴィに、ティアは涙すら流して詰め寄った。
「ティア…?……ここ、は…?」
辺りをきょろきょろと見渡すと、傍らで泣いているティアの他にたくさんの人間がいた。
夢の中で、勇者ラヴィとともに戦った仲間。そして、賢者。そして、現実の世界でラヴィをずっと見守っていた、地人の少女。
ラヴィはまだよくわかっていない様子で、ちょこんと首をかしげた。

「…そうですか…そういうわけだったのですね。わたくしがお願いしたことでないとはいえ…皆様方には、本当にお世話になりました。いわば命の恩人ですものね。本当にありがとうございました」
ティアと冒険者達から話を聞いて、改めてラヴィは深々と頭を下げた。
目が覚めたあとの現実のラヴィは、夢の中の「勇者」のような奔放さはなく、王女然として気品に溢れていた。
「ラヴィさん…夢の中のこと、覚えてないの?」
ハティが残念そうに問うと、ラヴィは苦笑した。
「先ほど目覚めたばかりで…まだ少し、記憶が混乱していますの。ですけれど…皆様方のことは、かすかに覚えておりますわ。夢の中でも、ずいぶんわたくしの支えになってくださいましたね。ありがとうございました」
「ですが…」
横からミケが心配そうに言葉をかけた。
「ラヴィさんは…これからが大変なのではないですか?今まではその、ずっと…妹姫が王位を継いできたわけでしょう。こう言ってはなんですが…もう、妹姫が国を継ぐ準備がなされているのではないですか?」
「そうですね、わたくしも子供の頃からそのお話は聞かされて育ちましたから。ですけれども、わたくしがこうして目覚めたからには、順当にわたくしが王座に立つのではないでしょうか?」
ラヴィはあまり気にしていない表情で、目だけを上に向けた。
「それに、わたくしの母、現女王はまだまだ健在ですし、今からそのようなお話をしたらきっと叱られてしまいますわ」
そして、無邪気にくすくす笑う。ミケはまだ心配そうな顔をエルと見合わせた。
「ご心配なさらないで下さい。別に、女王になれずとも良いではありませんか。妹が女王になっても、それを支えて国を立派に統治できれば…あるいは、妹に任せられるのであれば、これからわたくしがわたくしの道を求めて外に出るのも悪くありませんし」
「ら、ラヴィ様!そのような…!」
横からティアが眉を顰めて言い咎める。ラヴィは気にせず、続けた。
「自分の立場に疑問を持つ勇気…自分のやりたいことを貫き通す意思。はっきりとは覚えていなくても、皆様が教えてくださったことは、わたくしの中に息づいておりますわ」
にっこりと、屈託のない笑みを見せて。
「これから国に戻っても、わたくしの前には新たな困難が待ち受けていることでしょう。ですが、あれだけの冒険を乗り越えたわたくし達ですもの。きっと、乗り越えていけるはずです。わたくしはわたくしでがんばりますわ。ですから皆様も、がんばってください」
その言葉に、やっとミケたちも安心したように頷いた。
「そういえば、ナンミン。お前、他のやつらが来たら何を渡すつもりだったんだ?」
ルフィンが隣のナンミンに問うと、ナンミンは卵ドセルを背中の上に置いて開けた。
「よくぞ聞いてくださいました。見ていてくださいね、まず!
エルさんには赤フンドシ!肉体美です!かっこよさが10上がります!
そしてクルムさん!わたくしとクルムさんのツーショット写真です!オプションでクリックするとフルボイスで数々の思い出に浸ることができます!
そしてジェノさん!赤マフラーと仮面です!アカ○ゲ流の正義の印です!かっこよさが10上がります!
次にハティさん!ベタベタですが鈴の首輪です!かっこよさが10上がります!
そしてミケさん!わたくしとおそろいのガーダーベルトです!ローブの上からちらちら見せてください!かっこよさが10上がり、性格が『セクシーギャル』になります!
そして…」
次々と卵ドセルの中から物を出していくナンミンを、げっそりとした表情で見つめる仲間達。
ラヴィはその様子を、ニコニコと楽しげに眺めていた…。

「それでは、僕達はこれで。ラヴィさん、がんばってくださいね」
「ええ、ミケさんもお元気で」
「立派な女王様になることをお祈りしていますよ」
「はい、エルさんもがんばってくださいね」
「じゃあね、ラヴィさん。僕たちのこと、忘れないでね」
「もちろんです、ハティさん。お元気で」
「ラヴィの国、寄ることがあったら会いに行くわ!」
「はい、またよろしければ歌を聞かせてくださいね、キファさん」
「またな、ラヴィ。元気でやれよ」
「ええ、ルフィンさんもお元気で」
「色々辛いことがあるかもしれないけど…ラヴィなら大丈夫だな」
「はい、まかせて下さい、クルムさん」
「セア、何にもできなかったけど…でも、ラヴィさんを助けられて、嬉しかったよ!」
「ええ、ありがとうございます、セアさん」
「ラヴィさんは…いい声ですね…」
「ありがとうございます、ナンミンさんもいい声ですよ?」
謝礼をもらった冒険者達は、ラヴィと握手を交わすとそれぞれに去っていく。
最後に残ったジェノは、自分よりゆうに頭みっつは背の低いラヴィを、無言で見下ろした。
ラヴィはにっこり笑って、ジェノの言葉を促すように首を傾げる。
ジェノはしばらく押し黙り、やがて低い声で
「…またな」
とだけ言うと、そのまま踵を返して歩き始めた。
そのまま、しばらく歩みを進めたジェノの背中に。
「………ジェノ!」
ラヴィの声がかけられて、ジェノは足を止めて振り返った。
ラヴィが、笑顔のままとてとてとジェノのほうに走り寄って来る。
そして、手を伸ばしてジェノのマントをえいっと引き寄せると、背伸びをしてその頬にキスをした。
ジェノは驚きの表情をラヴィに向けた。
「ジェノ、ありがとう!また、会いに来てね?あたしも、会いに行く!」
ラヴィは屈託のない…夢の中の勇者そのままの笑顔を、ジェノに向けた。

Princess “Black Lily”…..The End 2002.2.28.Nagi Kirikawa