晩餐ー最上級の歓待

ぎぎ、ぎぎぎ。
鈍い音を立てて、重厚な作りの扉が開く。

「あ、のー……?」

扉の向こうから恐る恐る顔を覗かせたのは、まだあどけなさを残す顔立ちをした青年であった。長い栗毛を三つ編みにまとめ、大きな青い瞳は少女のような印象すら与える。いかにも魔術師ですというような黒いローブを身にまとい、肩には黒猫が鎮座していた。
開いているのかいないのか、そもそもこの建物は一体なんなのか、とありありと顔に出して建物の中を覗き込む。
「わっ……」
そして、内部の意外に豪華な内装に驚いた様子で声を上げた。
そこに、ふわりと落ち着いたテノールが響く。

「いらっしゃいませ。ようこそ、ナイトメア・ホテルへ」

「ナイトメア……ホテル?」
かけられた声に、彼は不思議そうな顔をしてドアの中に足を踏み入れる。
彼を出迎えたのは、いかにもな執事服をきっちりと着こなした、見目麗しい男性だった。
年の頃は二十代後半ほどだろうか。きっちりと揃えた黒髪と、きりりとした黒い瞳、丁寧にプレスのきいた執事服をきっちり着こなすさまが、少し神経質なまでの几帳面さをうかがわせる。
落ち着いた声音で丁寧に礼をする執事にしばし呆然と見とれていた彼だったが、しばらくして我に返ったように慌てて手を振った。
「あ、あの、ホテルなんですか、ここ」
「左様でございます。わたくし、支配人のアルヴ・トロゥムと申します」
「あ、えと、ミーケン・デ=ピースです……あいや、そうじゃなくて」
思わず釣られて丁寧にフルネームを名乗ってしまってから、また慌てて手を振る。
「道に迷ってしまいまして…ホテルなら、泊めて欲しいんですけど……」
そこまで言って、中の豪華な内装をもう一度見渡して。
「ええと、一泊いくらくらいなんでしょうか……?」
彼がそう問うと、アルヴはにこりと綺麗に微笑んだ。
「ご安心下さいませ。当館は様々なお部屋とおもてなしをご用意させていただいております。
お客様のお持ち合わせとご相談させていただいて、お料理やおもてなしをこちらで対応させていただく形になります」
「そうなんですか。では、一泊お願いできますか?」
「畏まりました。ではデ=ピース様、お荷物をお持ちいたします」
「え、ええあの、い、いいです、そんなに大したものじゃないし」
「左様でございますか」
「あと、僕のことはミケと呼んでください。なんか苗字で呼ばれるのに慣れてなくて」
「畏まりました。ではミケ様、ご案内いたします」
アルヴの先導で、ミケはホテルの中をそろそろと歩いていく。
見れば見るほど豪華な内装だった。ただ豪華なだけではない、年季の入った豪華さだ。古めかしさは感じられるが、衰えは全く感じない。ただ豪華なだけならば金さえ積めば揃えられるだろうが、このホテルにはそれをさらに長い時間丁寧に扱ってきた心遣いが感じられる。
(ほ…本当に僕の手持ちで泊まれるんですかね…)
ミケは戦々恐々としながら、それを払拭するように明るくアルヴに話しかけた。
「ちょっと仕事で出かけて、ヴィーダに帰る途中だったのですけれど……なんだか道に迷ってしまいまして。
……慣れているはずだから、迷うはずないと思っちゃってて、気がついたら全然分からなくなってて」
「左様でございますか。この辺りは迷いやすいですからね」
「申し訳ないのですが、後で街道への道なんかも教えていただけますか?」
「畏まりました。ではまず、宿帳にご記帳いただきまして、その後にお部屋にご案内いたします。
間もなくお食事の時間でございますので、ダイニングにて他のお客様とご一緒にお寛ぎ下さいませ」
「今日は、他にどのくらいお客さんがいるんですか?」
「本日は少し賑やかでございますよ。ミケ様の他には、女性のお客様が個別に4名いらっしゃいます」
「へぇ…やっぱり、冒険者さんですかね」
街中にあるわけでもないホテルに一般客はあまり来ないだろうと踏んでそう問うと、アルヴはにこりと微笑んだ。
「冒険者様と、可愛らしいお嬢様が1名いらっしゃいますよ」
「えっ、子供が?」
「はい。道に迷われたとかで…詳しいお話はご本人様にお聞きになられるのが宜しいかと存じます」
「そうですね。じゃあ、部屋に荷物を置いたらすぐにダイニングに行きます」
「畏まりました。では、こちらへお名前をお願いいたします」
ミケはアルヴに促され、フロントの宿帳に名を記した。

「あらぁんっ、ミケくんじゃないのぉ!おっひさしぶりぃっ」
ダイニングに入ったミケを出迎えたのは、やたらとテンションの高い、しかし野太い男性の声だった。
「え、あ、ええっ」
がし。
返事をする間もなくしっかりと抱きしめられ、動転しながら声の主を見るミケ。
「え、ンリルカさん?!えと、あの、お久しぶり…です?」
「ナニよぉその疑問形?ンリェンと過ごしたあのアツい夜を忘れたとは言わせないわぁ?」
「すみませんンリルカさんの記憶はありますが熱い夜の記憶は僕にはございません」
怪しい言葉遣いになりながら硬い表情で首を振るミケに、ンリルカと呼ばれた女性……いや男性……いや女性……?は、楽しそうににっと笑を深めた。
ぱっと見は本当に超大柄の女性である。大きな眼鏡の奥に蠱惑的なブラウンの瞳が輝き、長い白髪の隙間から大きく覗く黒い鰭は人魚族であることを思わせた。グラマラスな肢体を強調するようなリュウアンドレスを身に纏い、スラリと立つその姿は女性そのものである。本当に、声さえ出さなければ。
さりげなく距離を取りながら、しかし懐かしそうな視線を向けるミケ。
「本当にお久しぶりですね、ンリルカさん。ええっと……いつぶりでしたっけ?ロッテさんの時ぶり…?」
「その後のブルーポストのイベントぶりよん、ゲーミ閣下v」
「うわそれもう記憶の片隅に追いやったまま掘り起こさないようにしていたのに…」
「あれ、なにそこ、知り合いなの?」
しょぼくれているところに声をかけられ、ミケはダイニングの中に視線を移す。
するとそこに見知った顔を見つけ、再びパッと表情を広げた。
「あれ、フィリーさん。ユキさんも。偶然ですね」
ミケが歩み寄ると、フィリーと呼ばれた女性さっぱりとした笑みを返した。
「ホントに。迷った先で見つけたホテルで、まさか知り合いに会うなんてね」
黒い髪を短く整え、黒い瞳は強い輝きを持って相手に向けられている。ともすれば機嫌が悪いとも取られかねないその眼差しは、白い肌のあちこちに残る痛々しい傷跡や謎の焼印がその印象をいや増していた。しかし、本人はいたってそのことを気にする様子はない。
ミケはフィリーの言葉に苦笑した。
「フィリーさんも迷っちゃったんですか」
「あまり迷った自覚はないんだけどね。まあここにいるってことは迷ったってことね」
「ユキさんも……ですか?」
もうひとりの方に目を向けると、ユキと呼ばれた彼女も恥ずかしそうに苦笑する。
「実は……そうなんだ」
栗毛を短く揃え、愛くるしい黒い瞳をした少女である。華奢な体を黒い服で包んだその様子が、幼さと鋭さの入り混じった何ともいえぬアンバランスな雰囲気を醸し出している。
「ある人に頼まれて、お使いに出たんだけどね。は、初めて行く場所だったし、迷わないって言われたから、地図見ないで出ちゃって……そしたらここに着いたから、道を聞こうと思ったんだ。そしたらもう遅いから、泊まっていったらどうかって言われて…」
「まあ、遅い時間だしね。私もアルヴにそう言われて、泊まっていくことにしたのよ」
ユキの言葉を引き継いで、フィリー。
「こんなに豪華なホテルだけど、宿賃は私のお財布に合わせてくれるってことだし?正直、ホントにいいの?って思っちゃうけど」
「ですよねー。こんなに豪華なホテル、僕もう一生泊まれない気がします」
冗談めかしてミケが言うと、ユキがそわそわとあたりを見渡す。
「い、いいのかな、ホントに…僕みたいなのが泊まっちゃって。
それに…お届けものだって……師匠の四番目のお兄さんに大切なものを渡す仕事だったのに……どうしよう」
言って、ユキは途方にくれたように懐の封書を見た。どうやら手紙を託されたらしい。
ミケは嘆息して窓の外を見た。
「まあ、アルヴさんの言う通り、これだけ暗くなってしまったら無理に外に出るより明るくなるのを待ったほうがいいでしょう。
緊急を要するものならそもそも人づてにお願いしたりしないでしょうし、明日になっても大丈夫だと思いますよ?」
「そうかな……」
「そうだよ!」
元気よく割り込んできたのは、一番奥に座っていた子供だった。
驚いてそちらを見る一同に、変わらぬ元気な様子で手を上げる少女。
「ミアもね、課外授業の途中で迷っちゃって。ホントは学校に帰ったほうがいいかもだけど、明日になるの待ったほうがいいよね!」
ぶかぶかの魔導服を着た、いかにもエレメンタリーですという様相の少女だ。赤毛に大きなリボンの髪飾りをつけ、屈託のない微笑みも物言いもどこからどう見ても年相応の子供だった。
自らをミアと名乗った少女は、そう言うと興味津々に4人の顔を見回した。
「それより、お姉さんたちはみんな冒険者さんなの?別々に入ってきたけど、一緒に冒険してるの?」
ワクワクした様子で聞いてくるミアに、苦笑を返すミケ。
「ご一緒したこともある、というのが正しいですね。普段はみなさん、別々に行動されてますから」
「そうなんだ……ミアもね、いつかいっぱい、冒険してみたいな!」
「そうなのですか。課外授業とおっしゃっていましたが、戻らなくて大丈夫なのですか?ずいぶん遠くまでお一人で…そんな課外授業をさせるなんて、どちらの学校なんです?」
「えっとね、フェアルーフ王立魔道士養成学校!」
「ああ………それは仕方がありませんね……」
その校名だけで全てを悟ったミケは、げんなりとした表情をした後、気を取り直してミアに微笑みかけた。
「僕はミーケン・デ=ピースといいます。ミケとお呼びください」
続いて残りの者たちも名乗っていく。
「僕はユキレート・クロノイアだよ。ユキって呼んでね」
「私はフィリオーラ・アデンセル。フィリーでいいわ」
「ワタシはぁ、ンズーリルカ・ド・レンリェンっていうの。ンリルカでもンリェンでも、好きな方で呼んでねぇ☆」
「えっと、ミケと、ユキと、フィリーと、ん、ンリルカ?だね。ミアはミアだよ、よろしくね!」
元気に自己紹介をし合ったあとで、改めてミケが苦笑する。
「それにしても、全員見事に迷子ですか……って、ンリルカさんも迷子ですか?」
「そうなのぉんっ、森の中を棒倒ししながら歩いてたら迷っちゃってぇ」
「それは…なるべくして迷子になった感じね…」
多少顔を引きつらせて、フィリー。
ンリルカは変わらぬ調子で身をくねらせた。
「そしたら雨が降ってきちゃってぇ、すーっかり困ってたところにこのホテルを見つけちゃったのぉっ。いやぁん、よかったわぁ~、森のど真ん中でピッチピッチ跳ねる濡れ濡れ人魚になっちゃうとこだったわぁ☆こんな所にホテルがあるなんて、ンリェンさすが大大吉だわぁー♪」
言ってウィンクするンリルカに、何とも言えぬ表情を見合わせる一同。
とそこに、アルヴの落ち着いた声が響いた。
「皆様、お食事のご用意ができました。どうぞこちらへ」
「あらぁんっアルヴくぅん、どこ行ってたのぉ?ンリェン寂しかったわぁ~」
とたんに光の速さでアルヴにしなだれかかるンリルカ。
指先で肩口から首筋をたどる彼女をやんわりとかわして、アルヴはにこりと彼女に笑みを返す。
「大変申し訳ございません、お食事のお支度をしておりました。準備が完了いたしましたので、ご移動をお願い申し上げます」
丁寧なアルヴのエスコートに導かれ、一同は隣室のダイニングテーブルへと向かったのだった。

「ほ…本当にこのお食事、食べちゃっていいんですかね…?」
ダイニングテーブルに並べられた料理はどれも手が込んでいて、味はもちろん見た目の彩りや香りにまで細心の注意を払って作られたように見える。平たく言うと『お高そうな料理』に、ミケはすっかり気後れした様子でそう呟いた。
「もちろんでございますよ。さ、どうぞおかけくださいませ」
音を立てずに椅子を引き、腰をかがめるのを待って丁寧に椅子を戻す。その一つ一つが洗練され行き届いていて、逆に何とも言えぬ居心地の悪さを感じるほどだ。
「あら。ありがと。それにしてもこんなに立派な料理、いつぶりだか…ていうか初めて?」
フィリーが目の前に並ぶ料理に感心した様子で息を吐く。
「いつも軽いものだったり質より量だったりするから、…うん、美味しそう。とにかく、味わっていただくわね」
「えと……じゃ、じゃあ、いただきます……」
こんなに高級な扱いに慣れていない、という様子でぎこちなく食前の祈りを捧げるユキ。残りの者たちもそれに倣い、料理を口にする。
「わ」
「……おいしい」
「ホントねぇ、すっごくおいしいわぁvここのシェフは腕がいいのねぇ」
「お褒めのお言葉、ありがたく頂戴いたします」
「えっ…もしかしてこれ、アルヴさんが作ったんですか」
「当館はわたくしが一人で運営しておりますので」
「ええっ……じゃ、じゃあ、掃除とか洗濯とかも全部…?!」
「左様でございます」
「で、できるんですかそんなこと」
信じられないといった表情で問うミケに、アルヴはにこりと微笑み返した。
「このような立地にございますし、このように賑やかになるのも年に数度あるかどうかですので…」
「そりゃあ、そうでしょうけど…でもそれで、やっていけるんですか」
「営利を目的としているわけではございませんので…わたくし一人しかおりませんし、ご縁があっていらしてくださったお客様が喜んでくだされば、それが一番の報酬でございます」
「はぁ……」
やはり納得のいかぬ様子で声を漏らすミケ。
するとそこに、フィリーが面白そうに割って入った。
「ナイトメア・ホテルね。聞いたことあるのよ、その名前」
「そうなんですか?」
きょとんとした様子で、ユキ。
フィリーはゆっくりと頷いて、鴨のローストを口にした。
「まさか本当にあるとは、私も思わなかったんだけどね?」
「本当に、ある??」
不思議そうに首をかしげるミア。
フィリーはくすっと笑って続けた。
「ええ。っていうのも、本当にあるのかどうかもわからない、都市伝説みたいな話として聞いたから。
ナイトメア・ホテル……そのホテルに泊まると、会いたい人の夢を見ることができる、って」
「会いたい……」
「人……?」
狐につままれたような表情で言葉を繰り返す一同。
ンリルカは話を知っているのかいないのか、上機嫌で食事を進めている。
フィリーは続けた。
「相棒の行方の情報収集しててこのホテルの噂は聞いてたけど…まさか本当に辿りつけるなんて、ね。
イケメンの主がいるっていう噂もその通りだったわ」
「畏れ入ります」
からかうようなフィリーの発言も、にこりと笑って受け流すアルヴ。
ミケは驚いたようにそちらを向いた。
「え、本当なんですか。夢で会いたい人に、って」
「ええ、当館にお泊りになったお客様からは、そのようなお話を伺います。そのように噂になっているとは、恐悦至極でございますね」
「へぇ……」
「会いたい人……かぁ」
ユキがぽつりと呟いて、俯いた。
「僕は……師匠に、会いたいなぁ」
「お師匠さん?」
フィリーが訊くと、ユキは俯いたままこくりと頷いた。
「たまに、聞きますね。ユキさんがお師匠様の話をするのは」
ミケも頷いて話に乗る。
「どのような方なんですか?」
「師匠はね、孤児だった僕を拾って育ててくれた人なんだ。僕が今こんな風にいられるのは師匠のおかげ。
一緒に冒険する人と会えたのも、ここでこうやって話する人と会えたのも、全部師匠が拾ってくれたから。師匠がいなかったら、僕死んでたかもしれないし……」
ユキはうつむいてそこまで言ってから、満面の笑みで顔を上げた。
「だからね、僕、クールで冷たくてプライドも高いけど、ほんとは優しい師匠が大好きっ!」
「そうなんだ、いい人なんだねぇ」
ミアが素直に頷いて相槌を打つ。
ユキはそちらに向かって満面の笑みで頷いてから、しかし急に萎れたように肩を落として俯いた。
「…………でも、あの時、なんで気付けなかったんだろう」
「気づかなかった、って?」
フィリーが問うと、ユキは視線を虚空に向けたまま、思い出すようにぽつりぽつりと語り始めた。
「師匠ね、急にいなくなっちゃったんだ。置手紙だけ残して。
試練って師匠は言ってた。姿を消した自分を捜すのが、僕の試練だって」
「試練、って……」
「それはまた、ずいぶんとざっくりした試練ですね……」
微妙に人ごとではない様子で、実感のこもった相槌を打つミケ。
ユキは辛そうに眉根を寄せて、搾り出すように言った。
「……いなくなるってわかってたら、いっぱい話しておけばよかった…」
「……」
「ユキさん……」
今にも泣き出しそうなユキを、一同が心配そうに見守る。
ユキは涙は見せずに、さらにぽつぽつと続けた。
「この間、ちょっとだけ会えたけど、試練だから一緒にいることも出来なくて…
…やっぱり、ちょっと会えたら、もっと一緒にいたいって思っちゃって……わがまま、だよね」
「そんなこと、ないと思うなぁ……」
ユキをいたわるように呟くミア。
ユキはそちらにありがとうというように苦笑を向けて、また遠い目をした。
「よく考えたらね、いなくなる前の日から、ちょっと師匠の様子おかしかったんだ」
「様子が、おかしかった…?」
「うん。師匠の仕事が終わるの待ってて、その後一緒にヴィーダでいろいろお店を見て回ってたんだ。師匠が行こうって言ったから。
でも……うん」
その当時の様子を思い出しながら、確かめるように頷いて。
「その時なんか師匠、いつもより優しかったし、ちょっと様子が違った。
あのね、一番最初に連れてかれたの……服のお店だった。
僕、あんまりおしゃれとかしてなくて、イベントとかそういうのとかない限り、こんな感じの服しか着てないんだ。師匠に止められてたから」
言いながら、自分の飾り気のない黒服を示す。
「なのに、好きなの選べって言われて、選んだら買ってくれた。
クレープ食べた時も一緒に食べてくれたし、いつもなら滅多に許してくれないのに、手も握らせてくれたし……」
その時のことを鮮明に思い出したのか、わずかに頬を染めて語って。
「そうしたら、いきなり頭の上から大量の向日葵の花が落ちてきてね!」
「ひ、向日葵?」
唐突な話の展開に思わずミケが問い返すと、ユキは可笑しそうに笑った。
「そう!僕びっくりして受け止めようとしたら、ふわって消えて。幻術だったんだよ、師匠の」
「幻術まで使えるのね……なかなか、手練のお師匠さんだったのね」
フィリーが感心したように言うと、ユキはうんうんと自慢げに頷いた。
「師匠は何でもできるんだ!僕にたくさんのこと教えてくれて……あの向日葵も、師匠の幻術だったんだけど、やるって言われた時は嬉しかったなぁ。師匠ってそんなドッキリしないから、びっくりした。師匠のドッキリってナイフ飛んできたりとか、崖から突き落とされるとかだから」
「そ、そうですか……」
さらに人ごとではない様子で相槌を打つミケ。
しかしユキはその思い出すらも愛しい様子で、嬉しそうに顔をほころばせた。
「あの日は、夜寝る時も、ずっと傍にいてくれたし。
でも、ね……」
そこで、表情が急に陰る。
「夜中ちょっと目が覚めちゃった時、師匠の様子がおかしかった。
隣のベッドに座って、ちょっと苦しそうな顔して何か言ってた」
「何か、って……?」
ミアが言うと、ユキは悲しげに首を振った。
「ちゃんと聞こえたわけじゃないんだ。『壊したら』とか『いなくなれば』とか、上手く聞き取れなかったけど、そう言ってた。
……あの時、声かけてたら、少しは何か変わったのかな……」
ふう、と息をついて。
「その時は師匠が遠く感じてちょっと気になったけど、でもすごく眠くて、いつの間にかまた寝ちゃって。
次の日に師匠に頼まれた報酬を取りにいった間に、師匠がいなくなっちゃったんだ」
最後は無理やり吹っ切るように、明るくそう言って。
「ごめんね!なんか、湿っぽい話しちゃった……あ、ねえ、みんなは会いたい人とか、いないの?」
そう言って明るく話を向ける。
すると、それを察してか否か、ミアが楽しげに話しだした。
「ミアはね、やっぱり家族に会いたいな」
「ご家族、ですか」
若干ホッとした様子でミケが相槌を打つと、ミアは笑顔のまま頷いた。
「うん!ミアの家族、家族っていうか、孤児院のみんななんだけどねー」
しかし、続く言葉がやはりヘビーだったことに表情を固まらせる。
すると、その話にフィリーが乗ってきた。
「孤児院で育ったの?」
「うん!」
「奇遇ね、私もそうなんだ」
「フィリーさん…」
さらに驚いた様子でミケがそちらを向く。
フィリーはなんでもないというように笑って、再びミアの方を向いた。
「孤児院の家族は、どんなだった?楽しかった?」
「うん!すっごく楽しかったよ!」
フィリーが話を向けると、ミアは嬉しそうに頷く。
「ミアがいた孤児院はね、街からずっと離れたところで、先生とお姉ちゃんと…えっと、両手で数えるくらいだったかな。みんな仲良しだったよ」
「へぇ……お姉ちゃんって?姉さんと一緒に入ってたの?」
「あっ、ううん、そういうんじゃなくて…先生の他に、ミアたちの面倒みてくれてたお姉ちゃんがいいたの。
ミア、お姉ちゃんのことすっごく大好きだったの!
この服もね、おねえちゃんのお下がりなんだよ!お姉ちゃんも、魔道学校に通ってたんだ!」
「へぇ。お姉ちゃんは魔法使いだったんだ?」
「うん。お姉ちゃんもそうだし、孤児院にいたのは魔法をつかえる子ばっかりで、魔法で遊んでたとと思う……水の魔法が得意な子とか風の魔法の子とかー、ん~、なんだか、魔道士の学校と似ていたような気がする…」
そのあたりの記憶は曖昧なのか、首を傾げながらそう言って。
「お姉ちゃんに、魔法の素質があるからって薦められて、今は魔道学校の寮に入って魔法の勉強してるんだ」
「そうなんだ。たまには孤児院に帰ったりしてるの?」
「それがね……」
ミアは困ったように眉根を寄せて、首をかしげた。
「孤児院がどこにあったか……なんでかわかんないけど、ミア、わかんなくなっちゃったの」
「え……わかんなくなっちゃった、って?住所がわからない、っていうことですか?引っ越してしまわれたとか?」
不思議そうにミケが問うとミアは眉根を寄せたまま首を振る。
「わかんない。住所も分かんないし、ミアがどうやって魔法学校に来たのか、わかんなくなっちゃったの」
「それは………不思議なお話ですね……」
呟いて考え込むミケ。
しかし肝心の当人はそこまで思い悩んでいる様子もなく、再びぱっと表情を明るくした。
「どこだったか探せるようになったら探して帰るんだよー。みんなにさよならも言ってなかったから謝らなくちゃ」
「そ、そうですか……」
拍子抜けした様子のミケの横で、フィリーが優しい笑みを浮かべる。
「そう。いつか帰れるといいわね、みんなのところに」
「うん!」
「私は……そうね。孤児院のみんなも懐かしいけど…やっぱり、両親のことが気になるかな」
どこか遠い目をしながら、フィリーもそう語った。
「顔も知らない両親とか。…さすがに覚えてない人に会うなんて無理かしら」
「そうでもございませんよ」
にこやかに割って入ったのは、アルヴ。
「人の記憶というものは、思うよりずっと優れているものでございます。表層意識にはなくとも、フィリー様の深層意識には、赤ん坊の頃の記憶が、しかと刻まれているものかと存じます。
きっと、フィリー様が会いたいとお望みになれば、フィリー様の夢にご両親が登場されるかと」
「そう?そうならいいな」
ふふ、と軽く笑って、フィリーは夢見るように言った。
「孤児院にいた育ての親は大らかで肝っ玉があって、優しいけど厳しい人。いつも太陽の匂いがしていて、抱きつくとそんな匂いに包まれる。
なら私の親は?こんな父親?こんな母親?って、子供のときよく想像したわ。
父親は無口だけど優しくて。母親はいつもニコニコ、砂糖菓子のようないい香りがしてる。
母は料理が得意で、毎日質素だけど美味しい料理がでてくる。
どこにでもいる、普通の、よくある家庭の話。
孤児院が不幸せだったわけじゃない。…でも会ってみたい」
どこかふわふわとした物言いに、場の空気が再び重苦しさに包まれる。
フィリーは苦笑して頭を振った。
「……ま、急を要して会いたいのは相棒なんだけどね。こんな場所だから、ちょっと夢見ちゃった」
「相棒さん……ひょっとして、フォラ・モントからの帰りに探していらっしゃるって言ってた方ですか?」
心当たりのあったミケの言葉に、フィリーはゆっくりと頷いた。
「そう。相棒と出稼ぎしながらあちこちを回ってたんだけどね、ちょっとトラブってはぐれちゃったのよ。
で、どこに行ったか見当つかないもんだから、出稼ぎを続けながら相棒を探してるってわけ」
「なるほど……」
「相棒とは同じ孤児院で育ったのよ。兄弟みたい…なのかしらね。
昔から手や口で毎日喧嘩してて、仲良くしたことなんて一度もないんだけどねぇ。そういえばほとんど私から喧嘩売ってた気がするわ」
苦笑して言って。
「相棒は口が悪くて、人が気にしてることをズバズバ言ってくる嫌な奴なのよ。私はそれに腹を立てて突っかかる、相棒も応戦する。見かねた育ての親が止めにはいる。
憎らしいけど相棒は喧嘩も強い。男だけあって勝てることって少なかったわねぇ。エルフって皆肉弾戦できるのかしら。
…話していたら懐かしくなってきたわね。両親もだけど、あいつにも会えるといいわ…せめて、夢だけでもね」
「フィリーさん………」
「ミケにはいないの?会いたい人、とか」
「ぼ、僕ですか」
急に自分に水を向けられ、ミケは戸惑った様子で視線を泳がせた。
「会いたい人、か……。んー」
少し考えてから、口を開く。
「実は、少し前から、実家に帰ってみようか、って、思ってて。……そろそろ母の命日なんですよ。実際、まだ迷ってますけれど」
「そうなんだ」
「はい。母は、小さい頃に亡くなりまして。風の魔法が使えたみたいですよ。とてもとても、綺麗で優しい母でした。声も笑顔も、少し忘れかけていましたけれど……」
以前、洸蝶祭で、僅かな間だけその声を聞けたことを思い出す。
忘れかけていた母の声が、その笑顔も、そのぬくもりも鮮明に思い出させた。
その思い出にふっと頬を緩めながら、ミケは続けた。
「葬儀の日は、とても良く晴れていましたね。悲しくて、辛くて。姉はかなり泣いていましたけれど、兄たちは……」
と、そこで言葉を止める。
あれ、と首をひねって。
「どうしたの?」
「あ、いや、えっと………うん、泣いていなかったですね。そういうときまで、あの人達は強いんだなって、思って……。うん、そうだったと」
曖昧な記憶に首を傾げながら、自分を納得させるように、そう頷く。
「ちっちゃい時の記憶だモノ、曖昧なのは仕方がないわぁ?お母様が亡くなって、ショックもあったんでしょうしぃ?」
ンリルカがいつもの、しかし少しだけ優しげな声音でそう言うと、ミケも納得したように頷いた。
「そう……ですね。母の臨終に際してさえ、涙を見せずに凛としていたあの方々は立派だったと……思います。僕には……真似できませんでしたけども」
「お母さんが亡くなったなら、泣くのが普通よ」
フィリーもそう言い、ミケは肩をすくめて苦笑した。
「そうですね。母が亡くなったときは僕は随分泣きました。葬儀の後も結構落ち込んでいて。
クローネ兄上……2番目の兄が凄く面倒見てくれていた気がします。いつも、僕と、一つ年上の姉を気遣って、いつも笑顔で遊んでくれたり、喋りかけてくれたんです」
「いいお兄さんなのね」
「そうですね。空気を読むのが上手いって言うのかな、今でも、時々会いに来てくれて……お金に本当に困ってるときは、一食ご飯に連れ出してくれたりとか、先日姉と喧嘩したときには、フォローしてくれたりとか。
…………あれ……、なんでこの年になって面倒ばっかりかけてるんだろう……」
最近少しマシになってきたような気がしていたのだが、改めて自覚する現実にますます肩を落とすミケ。
「クローネくんってぇ、ロッテちゃんのお仕事の時にパパヤビーチで会った、あのイケメンでしょぉ?」
そこに、楽しそうにンリルカがそんな話を振ってきて、ミケはそちらに向かって頷いた。
「あ、はい。そういえばンリルカさんは会ってたんでしたね」
「確か、騎士サマなのよね?」
「はい。あ、僕、騎士家の末っ子なんですよ」
知っているンリルカだけでなく、他の物たちにも説明するように言う。
「上に兄が2人いて、姉が1人います。みんな剣が得意で、兄たちは、騎士になりました。姉はミドルヴァース様の神官になっていたらしいですね。男子は代々騎士になっていた家系だったから、剣が持てなかった僕は、ずっと……周りの人たちから色々言われてて……兄も姉も、何も言わなかったし、むしろ庇ってくれていました」
それが、余計にコンプレックスを刺激したのだけれど。
それは口に出さずに心に留めおいて、ミケは更に続けた。
「魔法は得意だったんですけどね。騎士には、それじゃ駄目だったものですから……逃げちゃったんです。それ以来家には帰っていません」
「そうなんだ……」
「他の兄弟は…どんな人だったんですか?」
聞いていいものか、というように恐る恐る問うユキ。
ミケは意外にもさっぱりした様子で、笑顔で答えた。
「……当時の印象のままなら、グレシャム兄上は……上の兄は品行方正、礼儀正しくて強い方でした。いつも冷静で、判断力があって。今は兵を率いる地位になったって聞きましたけど、妥当だろうなぁって思いました。泣きもしないし笑いも……いや、フッ、って笑ってたかな……いつも無表情に近いような怒っているような感じだったので、小さい頃はずっと、怖いと思っていました。近所の子にあれこれ言われていた時に、『……あなた方の中傷は、まったく理にかなっていない』とか淡々と正論を言い出して。真っ正面から困難を粉砕していくような人、だったと」
微妙に声真似までする様子がなんだかおかしい。
一同がその様子にふっと頬を緩めると、ミケも微笑んで続けた。
「さっき言ったクローネ兄上は、いつも明るくて太陽のような印象の人です。ソツなく何でもさらっとやってしまうタイプの人でしたね。必死になって練習して出来ないことを、『こうじゃない?』とか普通にやられると、正直腹が立ちましたが。本当に、なーんにも悩んでいないような明るさがあって、羨ましかったな。
……姉は、最近会ったら、綺麗になりすぎてて……驚きでした、いや、むしろあんな華奢なひとがぬいぐるみの綿を一瞬で潰せるほど力強くなっていた事の方が……驚きだったかも……」
青ざめた表情でそこまで言ってから、取り繕うように手を振る。
「え、えーと、慈愛に溢れた、頭の良い方でしたよ。剣もお得意でしたが、格闘の才もおありでした。……なんでもかんでも僕がやろうとしていることを、先に予習してきて、教えてくれようとするので、……放っておいて欲しいと思っていました」
「あー、あるわよねそういうの。お姉さんぶりたいっていうか。あんたが出来るのはわかったからちょっと黙ってて、みたいな」
おかしげに笑うフィリー。孤児院の中でもそんな思い出があったのだろうか。
ミケはそちらにふっと微笑みを向けると、懐かしそうに遠くに視線をやった。
「僕は……僕も……兄たちのように騎士になりたかった。騎士になるの、夢だったんです。だから、今も、兄たちが誇らしくて……羨ましくて……僕はそうなれない自分が嫌いです。それをそれとして受け止められない自分が。今でも、思いますよ。どうして、僕だけ、そういう才能無いのかなぁって」
「ミケ……」
俯いたミケに心配そうな視線を投げかけるフィリーとユキ。
が、ミケはすぐにぱっと顔を上げて、あははと苦笑した。
「って、笑って話せるようになっただけ、ちょっとだけ成長しました」
ふ、と息を吐いて、豪華な装飾の天井を見上げる。
その無駄に手入れの行き届いた、伝統を感じさせる天井のつくりは、故郷の家を少しだけ思い出させた。
「国や民を守る騎士にはなれなかったし、今でも国のためなんて大きなもののために戦える力は、ないんです。でも……そんな大きなものは守れなくても、せめて。
僕は、目の前にいる誰かを守れる力が欲しい。大事な誰かや何かを守れるだけの力が欲しい。自分が魔法を使えるって分かったから、できることで頑張ってみようって魔導師になりました。魔法は、僕が選んで手に入れた、僕の力です。魔導師になれたのは、誇りです」
そこまで言って、再び視線を戻して。
「……うん、まぁ、まだまだですけどね」
最後にそう付け足してしまうのは、やはり彼たる所以というべきか。
ミケはうつむいて自分の手のひらを見つめ、そっと握った。
「いつか、あの人達に、並べるようになるのかな、僕は」
いつか、懇意にしている喫茶店のマスターに言われたことを思い出す。

『どんだけ褒められても「でもにーちゃんに比べたら」ってどこかで思っちゃう。
お客さんの中の「価値の基準」が「にーちゃん」である以上は、お客さんがどんだけがんばっても、お客さんのおにーさんがどんなことを言っても、意味がないんだ。そうでしょ?』

(…でも。あの人たちは完璧なんだから、しょうがないじゃないですか……)
反発するように、心の中でそう呟く。
そうしてみてから、ハッとして手を振った。
「な……なーんてね、あははは。すみません、暗くなっちゃいましたね」
まあ、ここに来るまでに暗い話のオンパレードだったので誰も気にしていないだろうが。
努めて明るくなるようにそう言って、ミケは唯一話していないンリルカの方を向いた。
「そ、そうだ、ンリルカさんはどうなんですか?会いたい人とか、いないんですか?」
「会いたい人~?ワタシはダーリンねぇ♪」
ンリルカは楽しそうにしなを作ってそう答える。
「だ、ダーリンさん…というと…?」
「生き別れになったダーリンは星の数ほどいるけどぉ~、折角会えるんならンリェンを最高に悦ばせてくれるダーリンがイイわぁ☆」
「は、はは………」
「ンリルカは、家族とか、いないの?」
純粋な興味を瞳にたたえてミアが問うと、ンリルカはにいっと笑った。
「ん?死んだんじゃない?全部燃えちゃってたからぁ」
「え………」
きょとんとするミア。
「……じゃあ、今はひとりで旅してるの?」
重ねてフィリーが問うと、ンリルカはふふっと笑って首を縮めた。
「ひとりで旅っていうかぁ、お金になることならどこでも行くっていうか?」
「そうなんですか?」
今さらのようにンリルカの行動指針を聞いて驚くミケ。
「そんなに、お金が必要なことが…?」
「そうなの~。お金が欲しいのよねぇ☆すっごぉくお金のかかるダーリンがいるからぁ♪」
「お、お金のかかるダーリン、って……?生き別れのダーリンがたくさん…?え…?」
そのあたりのことに免疫がないユキが、混乱した様子で首をかしげる。
それを遮るように、ミケが手のひらをユキに向けた。
「ユキさん、ンリルカさんの言うことは全部間に受けなくていいですからね!」
「あぁんっ、ミケくんたらひどいわぁ。あのアツい夜のことを忘れてしまったのぉ?」
「ミケ、責任はちゃんと取らなきゃダメよ…?」
「ちょっとフィリーさんまでなに悪乗りしてるんですか!」
結果的にはンリルカのおかげでどうにか和やかさを取り戻し、その後のディナーはつつがなく終了したのだった。