レディのおへやではマナーをわきまえなさい。
「あのぅ、どなたかいらっしゃいますか?」
突然、虚空に向かってそんなことを言いだしたミケを、仲間たちは驚いて見やった。
ミケは相変わらずびくびくしながら、それでも辺りを見回して呼びかけている。
「ええと、お邪魔している者なんですが、お話を伺えると嬉しいんですけれども」
オルゴールの音が鳴り響く室内に、しかし彼の呼びかけに答える声はない。
ミケははあ、とため息をついた。
「ダメですか……」
「いきなり何を始めるのかと思ったぜ」
嘆息してグレンが言うと、ミケは恨めしそうにそちらを見た。
「だって、オルゴールが回ってるっていうことは、少なくともオルゴールのネジを回した誰かがどこかにいるってことじゃないですか」
「ま、その誰かっていうのが生きてるとは限らないと思うけどねー」
明るく言い放つリタに涙目になるミケ。
「怖いこと言わないでくださいリタさん」
「ははっ。ま、いないもんはしょうがないよね。その代わり、襲ってくるようなのもいないみたいだし、この辺で一度作戦会議しようか」
「わかり、ました」
淡々と頷いて、見取り図を広げるアフィア。
その頃には、だんだんテンポが遅くなっていたオルゴールの音は止まっていた。
「あとは、この子供部屋の両脇に不明なところがあるくらいだな」
お互いの地図を写し終え、ふむ、と頷くグレン。
「思ったより、部屋数、少ない、思います」
アフィアが言うと、ミケが眉を顰めた。
「えー、そうですかね」
「もう少し、ある、思ってました」
「まあ、一人一人で部屋を調べてみればすぐに全部屋回れる程度のものですけどね…個人的には嫌ですが」
「え、どうして?」
「怖いからです」
「開き直ったな」
「まあ、それもありますけど」
ふ、と嘆息して。
「一人だと見落とす可能性が無いと言い切れないでしょう。探すためのスキルも、一人より二人の方が多いですし。あとは、襲われた時に対処しやすい」
「あとからどれだけ付け足しても言い訳臭く聞こえるな」
「ほっといてください」
「うちも、調査、単独、危険、思います」
アフィアが頷いて同意すると、ユキもそれに続いた。
「うん、単独行動ってフラグがかなり立ってるし。主人公じゃない限り、ホラーでの単独行動ってだいたい死んでるよ?」
「メタネタをやると高次元プロンプターを持ってこられますよ」
「何の話?」
「いえ、こちらの話です」
「俺もペアで行動した方がいいと思う」
妙なやりとりは無視して続くグレン。
「何か起きた時に備えてというのもあるが…俺自身、調べるためのスキルがない可能性が高い気がするしな」
「では、引き続きペアで動くことにしましょう。組み合わせは…同じでいいですよね?」
ミケが言うと、一同が頷く。
「異論、ありません」
「では、次にどこを回るかですが……みなさん、気になっているところはありますか?」
うーん、と唸る一同。
「まず、明らか、おかしい、子供部屋、調査する、提案します」
「ええ、それは必須ですね。両脇の部屋がなんなのかも知りたいですし」
「それから、中庭、2階客室、見たい、思います」
アフィアが言うと、ユキも頷いた。
「やっぱり中庭は気になるよね」
「特に、噴水?みたいなの、調べる、したいです。
あと、地面、植え込み?などです」
「まあ、純粋になんで出られないんだろうとか、どこからなら出入りできるだろうとか、中庭からならわかるかな、とは思いますね」
頷いてそれに続くミケ。
「しかし、なんで1階の窓ははめ殺しなんだろう、むしろ1階からは出入りできないように?」
「中庭、出入りしない、メリット、わかりません」
「単純な観賞用としてあるってことじゃねえのか?」
「それにしたって、掃除をしなければ寂れていくわけですから、出入りできない仕様にするのはちょっと無理がありますよね」
「なるほどな……」
「それで、中庭を調べに行く人は、何かあった時に即戻ってこられる人が望ましいのではないかと……ユキさんにはお願いしたいかな、と思ってます」
「え、僕?」
きょとんとして自分を指差すユキ。
ミケは神妙な表情で頷いた。
「ええ。ユキさんは確か翼人でしたよね?」
「あっ、うん。たまに自分でも忘れそうになるけど」
「…まあそれは置いとくとして、翼人ならば飛んで降りられるし、飛んで戻ってこられる」
「そうすると、中庭には僕ひとりで…」
「いえ、僕のポチに飛行の魔法をチャージしておきますので、それを使ってください」
「チャージ……ですか」
ミケの肩に乗っている黒猫を不思議そうに見やるアフィア。
ミケは頷いた。
「ええ、この子には僕の魔法をチャージして、遠隔で使うことができるんです。コントロールは僕がすることにはなりますが、感覚は共有しているので、アフィアさんに捕まっていただいて安全に運ぶことなら出来ますよ」
「………」
アフィアはしばし無表情のまま考え込んでいたが、やがてゆっくりと頷いた。
「ありがとう、です。ポチ、使う、します」
「よろしくお願いします。あとは……2階の客室は、やはり気になりますね。客室が、というよりは、シュウさんという方の足取りが気になっています」
「シュウ先輩の?」
首を傾げるリタ。
ミケは頷いて、続けた。
「シュウさんは、あの部屋以外にはいかなかったのかなぁ、と思って」
「あの部屋、以外?」
「はい。埃が他の部屋は積もっているし、そこら辺どうだったんだろうなぁと」
「なるほど…」
「客室、シュウ先輩、他、手がかり、探したい、考えています」
「彼のメモをもう少し詳しく見れば、何かわかりますかね?」
「うーん、そう思って私もあのあとよく見てみたんだけどね」
ぱらぱらとメモをめくり、渋い表情をするリタ。
「あれ以外では、私がもうみんなに話したことか、他の事件のことしか書いてないよ?」
「そうなんですね……」
「うち、同じこと、疑問、考えてます」
アフィアが言い、ミケは少し驚いてそちらを見た。
「アフィアさん」
「ただ、屋敷、調査、目的、考えると、シュウ先輩、行動、追いかける、優先順位、低い、考えます。うち、客室、後回し、構わない」
「うーん、なるほど……そうですね、シュウさんの足取りを掴むという意味での調査もそうなんですが、他にも気になってるところがありまして」
「というと?」
「あの部屋だけ、異様に荒れていたでしょう。あれが、いつ荒らされたものなのかを知りたいんですよ」
「いつ荒らされたか…」
「はい。要は、あの荒らされ方が、シュウさんが原因であるのか、それとも別の原因があるのか、ということです」
「別の原因?」
「そうですね、今の段階では想像するしかないんですが、少なくともシュウさんが原因かどうかを調べることはできます。
切り裂かれたベッドカバーの傷が、最近のものなのか。
客室で散乱した衣服が誰のものなのか。もう一つの客室は誰かいた気配がないのに、こっちには衣服があるというのもおかしな話です」
「なるほど」
「あとは、ドアとソファの位置。もう一つの部屋の間取りと変わらないんじゃないかと思うので、どう動かしたのか……暴れて倒れたりしたのか、中で籠城したくて動かしたのか、とか?
壊れていたものについても、どんな武器で、どう壊されていたのか、調べたい」
「なるほどな…」
「武器、思い出しました」
ふと何かを思いつたように、アフィア。
「1階、降りたとき、玄関ホール、寄り道、してほしいです。
甲冑、壁の傷、残っているか、見る、してほしいです」
「ああ……なるほど。了解しました。
確かに、窓とドアは厳重に守られているようなのに、壁には簡単に傷がついてしまったようですからね」
「覚えておこう。まあ、1階に降りるのが俺たちだとするならば、だが」
頷くミケとグレン。
一同は更に話を進めた。
「んーと…僕は、コレクションルームとプレイルーム…それから、夫婦の寝室が気になるかな」
ユキが見取り図を指し示しながら言う。
「コレクションルーム、ですか?」
「うん。何か『遺産』に関係するものがないかなって。だから、僕の中の優先順位は結構低いかな」
「そうですね…」
「プレイルームはね、ちょっと奥さんのことが気になって。
浮気してたって話が本当なのかとか、今回の件に関係があるのかはわからないけど、よくパーティーをしてたのなら、その浮気相手ともそうやって知り合ったのかなって。
何かありそうだから。
イメージだけだけど、パーティーってプレイルームでしてるのかなって思ったから……」
「まあ、あとは、あの広いダイニングとかだろうな」
「山奥ですから、それほど人が来るものでもないでしょうしね」
「それと…夫婦の寝室はね、その」
多少言いにくそうに続けるユキ。
「浮気とかとはまたちょっと違うって思うんだけど……うん。
子ども部屋が見えるみたいだから、ちょっと視点を変えて見てみたいなって」
「正面ですね」
言って、窓の方を見る。
子供部屋の窓ごしに、ユキの言う通り、大きなバルコニーが見えた。大きく開いている窓は、間違いなく先ほど足を踏み入れた寝室である。
「そうだな、俺も夫婦の寝室は調べてみたいと思う。そこから続く、夫婦の私室もだな」
グレンはそう言って、窓越しに見えるバルコニーから視線をつっとずらした。
「記録類が残ってないか、もう少し詳しく調べたい。そういう意味でなら、使用人の部屋も、だな」
「ああ、それは僕も思います」
頷いて同意するミケ。
「使用人の日記とか、業務日誌とか。そういうのないか、調べてみたいですね」
「ふむ。では、まとめる、します」
アフィアは頷いて、さらさらと紙に書き記し始めた。
3階
A)子供部屋
→調査目的:現状の調査、オルゴール、夫婦の寝室への視界
B)夫婦の寝室
→調査目的:当時の記録、子供部屋への視界
A)妻の私室
→調査目的:当時の状況、当時の記録?
B)夫の私室
→調査目的:当時の状況、当時の記録?
2階
A)崖側客室
→調査目的:シュウ先輩の痕跡、部屋の様子
具体的にはベッドの傷、散乱した衣服、動かした家具の位置、ドアの損傷、廊下側の埃
B)プレイルーム
→調査目的:当時の状況、当時の記録?
1階
A)使用人の部屋
→調査目的:日記等当時の記録、部屋の現状
B)中庭
→調査目的:屋敷の壁面、噴水。間取り。
「ひとまず、回る場所、2組、なるべく、近くなる、分けました。
1階だけ、中庭回る、3階バルコニー、通る必要、あります。でも、しかたない、です」
「そうですね、それは仕方ないでしょう。そうすると、2階を調べたあとは分かれることになりますね」
「だな。アフィアたちが3階から中庭に降りて、俺たちはリタを連れて1階へ行く、でいいんだな?」
「そうすると……僕とアフィアさんがBで、ミケさんとグレンさんがA、っていうことでいい?」
「それで、問題ない、思います」
アフィアが頷き、ひとまずの調査方針を確認し合った冒険者たち。
グレンは嘆息して辺りを見回した。
「しかし…なんだな。正直なところ、よくわからん……魔法のことはよくわからんが、鎧を動かしているのも、その…オルゴールを動かしているのも、魔法じゃないんだろ?」
「ええ、オルゴールの魔力感知を行いましたが、鎧と同じです。動かすほどに大きな魔力ではなく、しかし微弱な魔力を感じる。オルゴールも鎧も、動かすための何か『不思議な力』が存在していて、それをコントロールするためだけに『魔力』を使っている、という印象です」
「不思議な力……」
アフィアの眉がかすかに寄る。
彼をよく知らない冒険者たちは、彼の放つ不機嫌オーラが微弱すぎて気がつかないようだが。
「うーんと……あとは、家族の情報が出てきたよね。旦那さんと、奥さんと、娘さんと……」
ユキの言葉に、アフィアは無言でもう一枚の紙にスラスラと書き始める。
■人物関係
ダグラス・マークェイン
→当時36歳、貿易会社社長 めったに家に帰らなかった。
噂では暴力的になった末、中庭で死亡。
趣味は狩り?
メイベル・マークェイン
→友人を招いてパーティーをよく行っていた。
噂では精神異常の末3階ベランダから転落死。
アリス・マークェイン
→当時7歳。
浮気相手
→先輩の推測による存在。(噂なし)
執事
→記録なし。(噂では森で死亡)
「えっと…浮気相手がいた、っていうので、ちょっと思ったんだけどね」
ユキは言いにくそうに言葉を続けた。
「これが夫婦の寝室を調べる大きな理由なんだけど……もし、奥さんが浮気してたとして、浮気相手と夫婦の寝室にいた可能性はないかなって。
客室って可能性もあるにはあるんだけど……。
後ね、もし、その寝室にいたのなら……娘さんは、その様子、見てたのかな、って思って」
「可能性としては、ありますね」
「だよね?」
「可哀想な話だがな。ここからなら、向かいの部屋に誰がいるかくらいはわかるだろうし」
言って、向かいの寝室を見るグレン。
「見てた、見てない、わからない。記録、探す、一番、思います。
そもそも、浮気相手、いた、シュウ先輩、推測」
「えっ」
きょとんとするユキに、しかしリタが眉を寄せる。
「うーん、推測っていうか、正確には『先輩が聴取した、主人の親戚の推測による存在』だね。親戚の話によると、っていうくだりがあるよ。
実際にどんな話を親戚の人としたかはわからないけど、少なくともその親戚は、奥さんは浮気をしてた、って思ってた、ってことだよね」
「む。そう、でしたか。訂正、ありがとう、ございます。
今のところ、噂、推測、ばかり、ですね……」
むう、と唸るアフィア。
ユキは苦笑して頭を掻いた。
「そっか~あくまで噂だけなんだ。つい早とちりしちゃった」
「えっ。今の話の流れでそうなるんですか」
「えっ」
「それを言うなら、ここが幽霊屋敷だということも、旦那さんや奥さんや執事の死亡状況も、すべてシュウさんが調べた『噂』です。
確実に僕らが知っているのは、シュウさんがこの屋敷を調査すると向かって、ボロボロになって帰ってきたという事実だけですよ。
しかし、僕らが実際に屋敷に入ってみると、魔力以外の不思議な力によって閉じ込められ、こうして不思議な現象を目の当たりにしています。
噂だけ、という事実で安堵はできません」
「そっか、そうだよね……」
しゅんと肩を落とすユキ。
ユキは改めてリタの方を向いた。
「そういえば、シュウさんに外傷はあったんでしょうか?リタさん、知ってますか?」
「うーん、私がお見舞いに行った時は、たくさん包帯巻いてたよ。だから、外傷があったかなかったかと言われれば『あった』かな。
でも、お医者さんはシュウ先輩の意識がない直接の原因は『衰弱』だって言ってたよ。だから、致命的な外傷はなかった、でいいんじゃないかな。擦り傷とか切り傷とかでもひどければ包帯巻くしね」
「そうなんですね。じゃあ、あの地図、なんでべったり血まみれなんだろう……謎がそこはかとなく増えたような」
「はは、包帯は巻いてたから、血は出てたんじゃない?致命的な傷じゃなくても、それなりに血は出るでしょ」
「そうですかね……」
ふむ、と考えこむミケ。
「えっと…もういっこ、いいかな?
あの、夫婦が何かを見てたっていう話なんだけど」
ユキが再び小さく手を上げる。
「それってあの幽霊の女の子じゃないって可能性あるかな?
むしろ、本当に幽霊にびびってたのかな……。
あ、幽霊だけど、こう、人型じゃない何か、とか……考えすぎかな?」
「屋敷に関する話が真実だとするならば、家人が亡くなった時は娘も使用人も生きていたはずだ」
グレンがゆっくりと言う。
「“家人が何を見て怯えたのか”は謎のまま。
俺達の前に現れた幽霊がこの屋敷の娘だとするならば、他にも黒幕の存在が居る」
「黒幕……」
「また、少し穿った見方をして、『何らかの原因で両親よりも先に娘がなくなっていた場合』は“家人は娘の姿を見て怯えた”という仮説が成り立つ」
「そっか……あの女の子が娘さんだったとして、あの子を見て夫婦が怯えたんだとしたら、その時点で娘さんは亡くなっているはず、だよね…」
悲しげにうつむいて、ユキ。
そこに、虚空を見つめて考えながらのミケが続く。
「両親が何を見て騒いでいたのか。娘はいつからいなくなっていたのか。そして何が遺産回収者を害しているのか。そこら辺が凄く気になります。
声の主が、こっちに何を求めてきているのかが、まずよくわからないんですよね。問答無用で『遺産を奪いに来た者に鉄槌を』っていうわけではない。『お客様を歓迎する』という言い方だし、屋敷の中の捜索にもとりあえずは放置。でも、出してくれる気配はない」
「うちも、それ、思ってました。最初の鎧から、何も、ない」
「まあ、そうしょっちゅう鎧に襲いかかられても困るんだけどな…」
再び嘆息して、グレン。
「でも、問題は“無事に帰る為にどうするか”なんだよな……ここに関しては全く浮かばない。
黒幕なら討伐で、娘の霊なら説得になるのだろうか?まぁ、まずは……噂・推測を事実に変えたいところだ」
「そうですね。そもそもの依頼の内容は探索の手伝い、屋敷の取材なので、過去に何があったのかをつまびらかにすること、生きて帰ることに重点を置いていようかな、と思うんです。遺産はその次だな、僕は」
「ここまで来たら、遺産なんてどうでもいいから、生きて帰りたいよね……」
しみじみと言うリタ。
ミケは苦笑した。
「遠回りかもしれないけど、結局はそこに集約すると思うんです。この館で何が起きて、「幽霊屋敷」になってしまったのか。何が起きているのか。その真実は知りたいんです。そのことが結果的には、生きて帰ることに繋がる、と。
謎があれば解明したい、というのも、確かにありますけどね。ここまでわからないことだらけだと、むしろ興味が掻き立てられるというか。……気になりすぎて帰れないというか」
「好奇心、猫を殺す、言います」
淡々としたアフィアの言葉に、そちらに苦笑を向けて。
「はは、それはもう昔から、身にしみて感じています。怖い話も、さわりだけ聞いてしまうと最後まで聞かずにはいられないタイプなんですよね」
「…それ、世間、不器用、言います」
「ほっといてください」
軽口をたたいてから、ひとつ嘆息して。
「推測というか、一つ考えとしては、父親がなんか変なものを貿易で持って帰ってきたりしなかったかな、というのは考えています。例えば娘のお土産にした人形とか。暴力を振るった父親を、お土産がざくっとやるとか。母親をお土産が追いかけまわして突き飛ばすとか。うん、怖いな」
「ミケは怖がりの割に発想が怖いよな…」
「うう、わかってるんですけどね……でも、これだと、娘さんの環境だけいいのが理解できるような気がして」
「そうそう、娘さんの部屋だけすごく綺麗だよね」
感心するように言って、改めて辺りを見回すユキ。
アフィアもゆっくりと部屋の様子を見回してから、おもむろにリタに訊いた。
「リタさん、年齢、いくつ、ですか?」
「へっ?私の年でいい?23だよ」
唐突な質問に戸惑いながらも答えるリタ。
アフィアは更に続けた。
「流行、わかりません、けど、子供部屋、自分、子供の時、比較、どう、みえますか?」
「うーん、この部屋かあ。女の子っぽい部屋だよね。フリルいっぱいで。私はこういうのより男の子っぽいものが好きだったから、私の部屋とはだいぶ違うな」
「リタさんはそういう感じですよね。ボーイッシュな」
「はは、予想を裏切らないね。だから、流行についてはなんとも言えないなー。
私の子供のころの友達で、すごい少女趣味の子がいたけど、こんな感じなんじゃないのかな?
かけるお金も違うだろうしね、端々が違うのは当然だと思うよ」
「そう、ですか……この部屋、20年前の部屋、見えますか?」
「いや、見えないよね。きれいだもん。
例えば毎日掃除したとしても、20年同じものを使い続けたとしたら、どこか劣化するでしょ?劣化してるようには見えない。
他の部屋と比べても、この子供部屋だけ『新しい』感じがするんだよね。劣化してない感じ」
「確かに……」
「まあ、それが、新しいものを持ってきてるのか、それとも別の何かなのかはわからないけどね」
リタの言葉を最後に沈黙が落ちる。
一同が入ってきた時に鳴っていたオルゴールは、止まったまま動き始める様子はなかった。
このおうちはすてきなのよ。ゆっくりみていってね。
「ちょっとお部屋見せてくださいねー……?」
ミケはどこにいるのかわからない部屋の主に恐る恐る言って、子供部屋の探索を開始した。
「とりあえず、測りますか……測る意味があるのないのかわかりませんが」
言いつつ、手持ちのメジャーで広い部屋の幅を測っていくミケ。
「どうだ?」
「うーん、まあ、見取り図通りですね。食堂の幅とほぼ同じです。隠し部屋があるという感じではない、か……」
「そもそも、子ども部屋に隠し部屋って…」
「まあ、それは僕もそう思いますけど」
言って、改めて辺りを見回すミケ。
フリルやレースの施された布で飾られた、見るからにかわいらしい部屋だ。掃除もよく行き届いていて、ここに7歳の少女が住んでいますと言われても何の疑問も抱かない。20年前に、と言われると途端に違和感の塊になるが。
「そういえば、姉上の部屋もこんな感じでしたねぇ…」
子供部屋をしみじみと見渡しながら、ミケは独り言をつぶやいた。
その言葉に、同じく部屋を調べていたグレンがぴくりと手を止める。
「……姉、いるのか」
「えっ。え、ええ、はい。すみません。わたくしごとで」
発言を拾われると思っていなかったのか、ミケは恥ずかしそうに苦笑した。
「こんな感じのフリフリピンクともこもこぬいぐるみが多かった気がするんですよ。もうずいぶん昔の記憶ですが」
「姉さんは……その、今は」
「もうずいぶん会ってなかったんですが、こないだ久しぶりに会って……その、喧嘩をしてしまって。まだ仲直りしてないので、少し複雑な気持ちですね」
「……そうなのか」
どことなくホッとした様子で、グレンは作業を再開した。クローゼットを開けたり、ベッドの下を覗いたりしている。
「…グレンさんは、何かを探しているんですか?」
「ああ、オルゴールを鳴らしたモノの居場所、だな」
「居場所…?」
「オルゴールが鳴ってたってことは、鳴らした奴がいるってことだ。どこかに隠れてるんだと思っていたが…」
「はは…まだ、幽霊いない説を翻していなかったんですね…というか、クローゼットやベッドの中に誰かが隠れていたら、それはそれで怖い気が」
乾いた笑いを浮かべるミケに、グレンはクローゼットの扉を閉めてため息をついた。
「……ま、ここに来てそこまで言い張る気はないよ。そもそもこの屋敷に食べ物等はなかったんだしな。認識を改めざるを得ない」
「……なんというか、僕が言うのも変ですけど、グレンさんはどうしてそんなに、幽霊はいないと思っているんですか?」
「………」
グレンは少しだけ迷うように視線を動かしてから、ふ、と息をつく。
「今までに一度も見た事がないから、だな」
「…まあ、僕も見たことはないですけど。見たことがない=いない、ではないですからねぇ」
「…そうだろうな」
グレンはこの話は終わりとばかりに口をつぐみ、代わりにミケの方を見てぼそりと言う。
「…姉さん、早く仲直りできるといいな」
「えっ?」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのか、ミケはきょとんとして声を上げた。
グレンは決まりが悪そうに目をそらし、低い声で付け足す。
「…喧嘩したまま、一生会えなくなるかもしれないしな」
「……そうですね、僕らはいつ死ぬかわからない仕事をしていますし。ありがとうございます」
ミケは純粋に、グレンの忠告に感謝している様子で頷いた。
グレンは黙ったまま探索を再開する。クローゼットの中のおもちゃ箱、引き出しの類は全て開けてみるが、中身はごく普通のおもちゃや服などが詰まっているだけだ。
「記録のようなものは見つからないな……」
「ベッドがありますから、寝室なのでしょうね。あまり寝室に記録類は……というか、そもそも7歳の女の子に何か記録を残すことができるかどうかも怪しいですが」
「…とりあえず、向かいの部屋と中庭を確認してみるか?」
「そうですね、そうしましょう」
グレンとミケはひとまず部屋の探索を切り上げ、窓の方へと足を向けた。
夫婦の寝室と同じ、ベランダに面する大きな窓。窓型のドアと言ってもいい。鍵をひねると、難なく窓は開いた。
ふわり、と生暖かい空気が部屋へ入ってくる。
二人がベランダに出ると、ちょうど向かいにある夫婦の寝室からアフィアとユキがベランダに出ているところだった。おおい、と手を振ると、ユキが気づいて大きく手を振ってくる。
「ミケさーん!」
「聞こえますかー!」
「聞こえまーす!」
少し大きな声を出せば聞こえる程度の距離。
もちろん、ここから向こうの部屋は、明かりがついていれば見えるだろうし、誰がいるのかもわかる。
「なるほど……」
ミケはつぶやいて、今度はバルコニーから下を見た。
中庭は当然のことながら暗く、あまり様子を見て取れない。
「ファイアーボール」
ごう。
突然、ミケがなんの前触れもなく火の魔法を唱えたので、グレンはぎょっとして彼の方を見た。
「何するんだ」
「ああ、すみません。ちょっとこの火を下げていくんで、中庭に何があるのか見てもらっていいですか」
「な、なんだ、そういうことか……」
「すみません、火の魔法はコントロールが難しいので、視認はおまかせします」
「わかった」
ミケは意識を集中して、大きな火の玉をじりじりと中庭の中心へ下げていった。
グレンはバルコニーから身を乗り出し、火の玉があたりを照らすのを見ている。
「……何か、見えますか」
「ああ、確かに噴水があるようだな。水が出ている」
「……水が?」
「ああ、普通の噴水だ。真ん中に像があるようだが…羽が生えた…天使か?
噴水以外は特に目立ったものは見当たらないな。植え込みと花壇くらいだ」
「何か植わっていますか」
「よくわからんが……地面ではないな。何が植わっているかはわからん、だが確実に何かはある」
「そうですか…ありがとうございます」
ミケが集中を解くと、炎はそれにつれてふっと掻き消えた。
「ふぅ……」
「なあ、思ったんだが」
「はい?」
「アフィアたちが中庭を調べている時に今のをやればよかったんじゃないのか?」
「………」
「………」
「……それもそうですね」
「おい」
「いや、今のでお分かりでしょうけど、コントロールが大変なんですよ、火の魔法は。そもそもこれ、相手を燃やすための魔法なので、こういう使い方をするものではないですし」
「それはわかるが」
「アフィアさんたちが調べてるあいだずっと、となると、その間僕は何もできないことに」
「……それもそうか」
「すみませんねえ、お役に立てず」
「いや、それを言うならそもそも俺は魔法が使えないんだから、何を言う立場でもない」
「そんなことはないと思いますが。とりあえず、戻りますか」
「ああ」
二人は頷いて、ひとまず子供部屋の中に戻る。
「さて……あとはこの、2枚のドアですが…」
子供部屋の両側についているドア。夫婦の私室にも似たようなドアがあった。それぞれ、衣装部屋と趣味部屋だったが…
「この流れで行くと、子供のための部屋なんだろうな」
「まあ、普通に考えれば、そうですね」
言いながら、ミケはバルコニーから見て左側の部屋の前に立った。
「…失礼しまーす……」
ぐ。
ノブを回そうとするが、びくともしない。ガチャガチャという音すらしない。
「う。開かないですね…」
「ぶち破ってみるか?」
「それはちょっと危険ですよ。どこから何が見ているかわかりませんし、それに……」
そっとドアに触れて、目を閉じるミケ。
「……やはり、同じですね。他のドアや窓と」
「ってことは、ここにも何か『不思議な力』とやらが働いてるってことか」
「ええ。この先には入れられない、ということでしょう」
「相手の思うままってのが癪だが…いたしかたないな」
グレンはため息をつき、そしてもう片方のドアを振り返る。
「そうなると、もう片方の部屋も……」
「まあ、とりあえず行ってみましょう」
二人はそのまま、反対側のドアの方へと向かった。
ドアの前に立ち、今度はグレンがノブを握る。
と。
「お?」
がちゃり。
ドアは拍子抜けするほどあっさり開いた。
「こちら側は入ってもいいということでしょうか」
「まあ、入ってみよう」
中は、夫婦の私室に備わっていた衣装部屋や趣味部屋と同程度の大きさだった。位置からしてもそれは間違いない。
室内には本棚や文房具、知育用の玩具などが整然と並んでいる。
「えっと……勉強部屋、ですかね」
「7歳でか?」
「お金持ちならアリだと思うんですけど。言うほど難しい教材でもないようですし」
言いながら、ミケが手に取った本棚の本は、子供向けの絵本。
知育用の玩具は、アルファベットであそぼうといったような、こちらもごくごく子供向けのものだ。
「大きくなっていったら、いずれは勉強部屋としてもっと整える想定の部屋だったんでしょうね」
「金持ちの考えることはわかんねーな……」
ぐるりと部屋を見わたすグレン。
「しかし……この部屋も、綺麗だな」
「そうですね…きちんと掃除されているようです。本やおもちゃの状態もいい。ここで7歳の子供が勉強をしていたと言われても不思議はありません」
「子供部屋のひとつだからか……何か、ほかに無いのか。勉強部屋なら…」
ごそごそと引き出しを漁るグレン。
すると。
「お……これ、日記じゃないのか」
「え?」
引き出しにしまってあったノートを出したグレンに、本棚を検めていたミケが本を戻して駆け寄る。
「日記、ですか」
「ああ、そう書いてある。ここにあるってことは……子供の日記か」
「見てみましょう」
ぺら。
ノートは何度も書き込まれた様子があり、折り返されたりめくられた形跡が残っていた。
最初はたどたどしく、何が書いてあるのかわからないような字であったが、だんだんと字も文も上達していくのが見て取れる。
『マティーノのだい3にち パパがかえってきた みんなでごはんをたべるのはひさしぶり』
『ルヒテスのだい21にち ママがじをほめてくれた もっとにっきをかきなさいといわれた がんばる』
たどたどしい字と文に微笑ましさを感じる。さらにページをめくっていくと、だんだんとはっきりとした文が書かれていくようになる。
『フルーのだい38にち パパはまだかえってこない ママはきょうもおともだちをよんでパーティーだって わたしはおへやでひとりでごはん』
『ディーシュのだい2にち あのおじさん いつまでここにいるのかしら ニヤニヤわらってきもちわるい ママはなんであんなひととともだちなの』
「あのおじさん……って」
「もう少し先に行ってみましょう」
『ディーシュのだい31にち またあのおじさんがきた いっしょにあそぼうっていわれたけど だれがあそんでやるもんですか』
『ムウラのだい5にち ママがいっしょにっていうからしかたなくごはんをたべた あんなやつといっしょなんてごめんなのに』
『ムウラのだい8にち パパはかえってこない あいついつまでいるの ほかのおともだちはかえるのに』
『ムウラのだい10にち ママにあのおじさんきらいっていったらたたかれた ひどい』
「これは……」
「十中八九、『あのおじさん』とやらが浮気相手なんだろうな…」
さらに読み進めていく二人。
『ムウラのだい15にち パパはかえってこない ママはあいつといてばかり きらいきらい みんなきらい』
『ムウラのだい18にち あいつにうでをひっぱられた かみついてにげた こわい ママどこなの』
「だんだんシャレにならなくなってきましたね…」
「浮気相手とやらはどういうつもりだったんだろうな…」
ぺらり。
次のページをめくると。
「ひっ……!」
ミケが短い悲鳴を上げる。
ノートにはべったりと血の染みのようなものが浮かんでいた。
「なっ……おい」
慌てて前のページに戻るが、裏写りなどはしていない。血は乾いていて、貼り付いてもいないことから、乾いてから閉じられたことが伺える。
グレンは真剣な表情で血の滲むページに戻り、さらに次のページをめくる。
『ムウラのだい19にち まほうつかいがきた おともだちをつくればいいって』
「魔法使い……」
ミケの眉が寄る。
「何か心当たりがあるのか?」
「うーん……とりあえずその先を見ていいですか」
ぺらり。
『ムウラのだい25にち あいつはおともだちにはしない でもさみしいからパパとママはつれてきていいよね』
『マティーノのだい39にち パパがかえってきた うれしいな これでずっといっしょにいてくれる』
『ミドルヴァースのだい9にち ママはそんなにあいつがいいのかな あいつがおともだちになったらママもこっちにきてくれる?』
『ミドルヴァースのだい10にち ママもやっとこっちにきてくれた もうあいつはいなくていい』
「こっちに…来る?」
「おともだちになる、というのも…何なんでしょうか」
『ガルダスのだい25にち みんなおともだちだとおもったのに いっちゃうこはきらい もうおともだちじゃないんだから』
『フルーのだい3にち いっぱいのおきゃくさま おともだちになってくれるかな なってくれるといいな』
その後しばらく、お客様が来た、お友達になってくれた、という記述が続き。
そして。
『マティーノのだい22にち へんなひとがきた パパやママのおともだちかな かんげいしなくちゃ』
『マティーノのだい25にち シュウくんはかえっちゃうんだって もうここにはいてくれないんだって さみしいな おともだちになってくれたら ずっとここにいてくれるかな』
「これ…!」
「ああ……リタの先輩のことだ」
二人は厳しい表情で、ページをめくる。
『ミドルヴァースのだい13にち ひさしぶりのおきゃくさま いっぱいあそんでくれるといいな』
記述は、ここで終わっていた。
「おい……ミドルヴァースの第13日って」
「今日……ですね」
蒼白な表情でつぶやく二人。
と、そこに。
ポロン。
高く澄んだ音がして、二人ははじかれたように振り返った。
ポロン、ポロン。たどたどしく聞こえる音は、間違いなく先ほどのオルゴールの音で。
「ネジを…巻いてるのか?」
「行きましょう!」
ばたん。
慌てて二人がドアから子供部屋に戻ると、そこにはネジを巻くメイドの姿があった。
ただし、なぜかその姿はゆらゆらと揺れて透き通っている。
「なっ……な……」
驚きと恐怖のあまり声も出ないミケ。
メイドは彼らのことを気にする様子もなく、オルゴールのネジを巻いている。
「お……おい!お前!」
グレンが呼んでみるが、何の反応もない。
メイドはオルゴールのネジを巻き終えると、テーブルに置いて箒を手にとった。
「おい、なんとか言ったらどうなっ……っと!」
じれたグレンがメイドの肩を掴もうとするが、当然の如くその手はすり抜けてたたらを踏む。
そして、何事もなかったかのように掃除をはじめるメイド。
「は……はは……いましたね……掃除する人……ついでに、ネジを巻く人も…」
乾いた声でそう言って。
ミケはダッシュで部屋をあとにした。
「あっ、おい、待て!!」
慌ててそれを追いかけるグレン。
二人が去った部屋では、残された透明なメイドが黙々と部屋を掃除しているのだった。
「失礼します……」
ミケが「失礼の無いよう、礼儀正しく調べよう」と言ったからか、ユキも律儀に挨拶をしてから夫婦の寝室に入った。
先程も入ったが、かなり広い寝室である。だが、寝室という以上の役割は果たしていないようで、ベッドと最低限の家具以外は見当たらない。
「………」
アフィアは意識を集中して魔導感知してみるが、やはり魔力と思しきものは感知されなかった。
ふ、と息をつき、窓の方を見る。
「子供部屋、見えます」
「あ、本当だね。出てみようか」
ユキが言ってバルコニーに面した窓を開くと、窓は抵抗なく両開きに空いた。
ふわりと生暖かい風が入り込む。
「あ、リタさんは危険かもしれないから中にいてね」
「うん、わかった」
リタを中においてバルコニーに出ると、真向かいのバルコニーに人影が二つ。ここからでもミケとグレンであることが見て取れた。
おーい、と向こうが手を振るのが見えたので、ユキも手を振り返した。
「ミケさーん!」
「聞こえますかー!」
「聞こえまーす!」
少し大きな声で、中庭越しにやり取りをする。
「それほど、距離、離れてない、思います」
「そうだね…この距離なら、お互いの部屋に誰がいたか、わかるかも」
「カーテン、閉めてなければ」
「そっか…それもそうだね」
納得して、ユキは部屋の中を見た。
「カーテン閉めてても、これだけ広くて余分なものがない部屋なら、二人いれば二人いるっていうことがわかるよね」
「否定、しません」
「お父さんがいないのに、お父さんとお母さんの寝室に二人いたら……それが、お父さん以外の人だって、わかるよね」
「……仮に、わかる、その姿、どう思う、わかる、娘だけ、思います。7歳、浮気、理解した、わからない」
冷静に言うアフィアに、ユキはそうだね、と苦笑した。
「僕には家族がいないから、親が浮気してたらどう感じるかって、わからないけど……きっと、嫌だなって思うんだ…愛してるって誓い合った人が、別の人となんて…誰も幸せにならないって」
「……」
アフィアは黙ったままユキの言葉を聞いている。
ユキはははっと苦笑した。
「なんて、娘さんが本当はどう思ったかなんて、アフィアさんの言うとおり、誰にもわからないけどね」
「……あれ」
不意にアフィアが向かいのバルコニーを指差したのでそちらを向くと、ミケが炎の魔法を使っているところだった。
「な、何してるのかな、ミケさん……」
「中庭、調べる、思います」
果たしてアフィアと言うとおり、ミケの作った火球はゆっくりと高度を下げ、2階のあたりで止まって中庭全体を照らした。
「こ、これって、僕たちが今降りて中庭を調べたほうがいいってことかな?」
「たぶん、違う、思います。中庭、調べる時、ミケたち、1階、いる、いい」
「そ、そうだよね……」
ざっくりと中庭の構造を知りたいだけだと理解し、二人もバルコニーから下を見下ろす。
食堂から少し見えたとおり、中庭の中央には噴水があるようだった。驚いたことに、今も水が流れているようだ。噴水の中央には天使の像。それ以外に特に遊具や庭用テーブルなどが配置されている様子はなく、植え込みや花壇が見えるのみだった。
そこまで見えたところで、ミケがふっと火球を消し、子供部屋へ戻っていく。
「僕たちももうちょっと中を調べようか」
「了解、です」
アフィアとユキも寝室へと戻ったが、広い寝室に当時の痕跡らしきものは、やはり見つからないのだった。
「正直、失敗したなあと思うんですよ」
3階、夫婦の寝室。
とりあえず落ち着いたミケがしみじみと言うのに対し、グレンは半眼で彼を見やった。
「失敗って何がだ?幽霊見て一目散に逃げたことか?」
「それはもう忘れてくださいよ……いいじゃないですか怖かったんだから……」
「まあなんにしろ、『掃除をしてる』『オルゴールのネジを巻いている』奴はいたってことだ。生きてるかどうかはともかくとして」
「うう。それ言及しないとダメですよね……」
はあ、とため息をついて、ミケは続けた。
「とりあえず、僕らの言葉は届かないというか、僕らのことを認識もしていない様子でしたね。意思の疎通は無理だと思います。僕も怖いし」
「だな。オルゴールのネジを巻いたあとは、掃除を始めていたな…子供部屋が妙に綺麗なのはそういうことか」
「子供部屋と、それから勉強部屋は掃除をしているんでしょうね。使っているかどうかはともかく」
「日記の内容も、後でみんな揃った時に詳しく詰めるか…で、何が失敗だったんだ?」
「僕は女性の部屋に詳しくありません。母と姉と先生の部屋しかわからない」
「男の身でそれだけ女性に心当たりがあれば十分だと思うが…」
「母と姉はともかく、先生の部屋は世間一般の女性の部屋とは違うと思うので…つまりは、不審点を探すのが難しいということです」
「そうか…向こうと逆の方が良かったな。少なくとも女が二人いる」
「まあ、今更な話ですけどね。とりあえず、測るところからやりますか…」
「なら、俺はさっきみたいに日記がないか調べる」
「お願いします」
ミケは先ほどと同じようにメジャーを使って長さを測っている。
その傍らで、グレンはデスクの引き出しなどを開けては中を改めていた。
「どうだ?」
「うーん、部屋の大きさに不整合はありませんね。隠し部屋とかはないみたいです」
「こっちも空振りだな。日記をつけない習慣だったのか…衣装部屋は本当に衣装だけのようだしな」
「うーん。日記は付けてなかったかもしれませんが、手紙は結構書く人だったみたいですね」
ミケは言って、先ほどグレンが調べていたデスクの方を見やった。
「便箋と封筒がかなりストックされています。パーティーがお好きだったようですし、招待状をたくさん出していたんでしょうね」
「だが、夫人宛の手紙らしきものは見当たらなかったぞ」
「うーん、招待状の返事はとっておかない主義か、あるいは……」
ちらり、と、中庭をはさんで向こう側の主人の私室の方を見やるミケ。
「まあ、とりあえず向こうの調査結果を待ちましょう」
そして、その主人の私室では。
「うわぁ…本当に狩りが好きだったんだね。すごい剥製…」
趣味部屋の剥製を見て、ユキが感心したような声を上げる。
その傍らで、アフィアは淡々と猟銃のチェックをしていた。
「銃、錆びてる、使い物、ならない」
「20年前のものだからね…」
「万一、武器、使われる、厄介。役に立たない、問題ない」
「あ、そ、そうだね…」
相変わらず思いもよらないところまで想定に入れているアフィアに、また感心するユキ。
「剥製は調べなくていいかな?」
「不要、思います。首、用、ありません。美味しいの、体」
「お、美味しい?!」
「なんでも、ありません」
アフィアはやはり淡々と言って、主人の私室の方に戻る。
中の家具などを一つ一つ入念にチェックしていった。
「家具、動かした形跡、ない」
「そうだね。ざっと見た限り変なところはないように思うけど…」
リタのそばに立ち、全体を見渡すユキ。
アフィアは次に、主人のデスクの方に向かった。
机上やデスク周りをチェックし、引き出しを開けていく。
「……ん」
ひとつだけ、鍵のかかった引き出しがあった。
「ユキ、ちょっと、いいですか」
「うん、なに?」
ユキはリタを連れてアフィアのところまでやってきた。
アフィアは彼女を見上げ、引き出しを指差す。
「引き出し、鍵付き、です。開けられ、ますか」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
ユキは道具袋から何やら針金のようなものを出すと、アフィアの代わりに引き出しの正面に立ち、慎重に鍵穴に針金を差し入れた。
かちゃ。かちゃかちゃ。
「……よし、空いたよ」
言って、こともなげに引き出しを開けてみせるユキ。
傍らで、リタが感心したように声を上げた。
「へええ、すごいんだね、ユキ」
「はは、あんまり使うところはないけどね。泥棒みたいで嫌だし」
「ありがとう、ございます」
早速引き出しの中のものを取り出すアフィア。
中に入っていたのはファイルのようだった。取り出してから、念のため二重底になっていないか叩いて確認してみるが、中に入っていたのはそれだけのようだ。
「調査報告書……?」
ファイルのタイトルを読み上げるユキ。
アフィアがファイルを開くと、調査の題目が目に飛び込んできた。
『アリス・マークェイン失踪事件に関する調査報告書』
「えっ?!」
驚きの声を上げるユキとリタ。
「ど、どういうこと?娘は失踪してた…?」
「でも、そんな噂は……」
「噂、なってなかっただけ、可能性、あります。あるいは、主人、噂、ならないよう、隠してた」
鍵付きのデスクに保管された報告書。
それだけで、事態の重要性は知れた。
「………」
アフィアは報告書のページをどんどんめくっていく。
アリスが失踪したこと。
最後に目撃されたのが中庭であること。
周辺の森、山中、またウェルドの街中なども探したが、足取りが全くつかめないこと。
そして。
「手紙……?」
報告書の最後に挟んであった、いくつかの封筒。
いずれも封が切られたその手紙は、差出人に共通の名前が綴られていた。
「ハイラム・クロワ……」
見覚えのない名前。
そして、宛名の方をめくると、すべてメイベル・マークェイン宛になっている。
「ね、これって……奥さんの浮気相手、かな?」
ユキが指摘し、アフィアも頷く。
「夫人宛て、手紙、主人、持ってる、浮気、バレてた、思います」
言いながら、躊躇なく封筒から便箋を取り出し、中を開いた。
内容を覗き込む残り二人。
「……ビンゴだねー」
呆れたように、リタがつぶやいた。
手紙の内容はいずれも、君を誰よりも愛している、出会ったのが遅かっただけ、といったような、不倫の典型的文面が綴られている。
綴じられていた手紙を次々と取り出し、中を改めるアフィア。
その一つに目を止め、アフィアの手が止まった。
「うわ……」
さらに眉を寄せるリタ。
『僕らの新しい生活に、あの子がいては可哀想だよね。けれど、君がいなくなったら、君が譲り受けるべきものは、全てあの子のものになってしまう。
それは、僕らの新しい生活のためにも、良くないことだとは思わないか?あの子には可哀想だけれど、君も決断して欲しいんだ』
「…これ、離婚するのに娘が邪魔だ、娘がいたら財産が全て娘のものになるから排除しよう、って言ってるんだよね…?」
遠慮のない物言いで手紙の文面を通訳するリタ。
「サイテー」
「本当だね…こんな恐ろしいこと、書ける人がいるなんて…」
ユキも静かに憤っているようだ。
「…内容、わかりました」
アフィアは静かに、手紙ごとファイルを閉じた。
「娘、失踪してた。
主人、夫人の浮気、知ってた。夫人、浮気相手、共謀して、娘、排除する、計画、知ってた。
つまり、主人、娘の失踪、夫人と浮気相手、犯人、思ってる」
「なるほど……だいぶ、事態がはっきりしてきたね」
3人は視線を合わせ、頷きあった。
ねえあけて ここをあけてよ
「あれ…別にドアは壊れていないんですね」
2階客室。
様相が酷いことになっている方の部屋に向かったミケは、拍子抜けしたような声を上げた。
「ドアが壊れてたなんて言ったか?」
「言ってませんでしたか?扉が壊されてるって」
「んー……」
思い出してみるグレン。
「……クローゼットの扉が壊されてるって話じゃなかったか?」
「えっ」
グレンの指摘に、ミケも前回のリアクションを読み返………記憶をたどってみる。
「………ホントだ!」
わかりにくい描写でごめんね。
「確かに壊れてますね、クローゼットの扉…」
なんだ、と拍子抜けしたような表情になるミケ。
「ドアが壊れてたなら、内側からか外側からか調べようと思ったんですが…」
「まあ、クローゼットの扉が内側から壊されることはまずないな」
「クローゼットに閉じ込められた人が出ようとしない限りはないですねえ」
苦笑しながら、くだんのクローゼットに近づく。
「ふむ…刃物ではないですね。棒のようなもので殴った痕跡があります」
「こっちが、切り裂かれてたっていうベッドだな」
グレンがベッドの方に行き、切り裂かれた跡を見やる。
「どうでしょう、最近のものか、わかりますか」
「最近のものじゃないな……裂かれた跡の上に埃が積もってる」
「そうですか……じゃあ、シュウさんがここに侵入した時についたものではない、ということですね…」
呟いて、部屋を見渡すミケ。
散乱している衣服は、クローゼットの中にあったものと傾向は一致しているようだ。どれも、サイズの大きな紳士服。クローゼットの中のものが残らず引きずり出されているというふうではなく、残っているものもある。
「家具…は、動いてはいますが…これは、動かしたというよりは、暴れたので動いてしまったという感じですね…」
「どういうことだ?」
「ああ、中で籠城したくて動かしたのかもしれないじゃないですか。でも、そうじゃないみたいだな、って」
「なるほど」
「そういえば、ここのドアは壊せるんですかね?ちょっと試してもらっていいですか?」
「ええっ」
「ああ、別に何も本当に壊せというわけではなくて、傷が付くかどうか…要は、玄関ドアや外への窓と同じように守られていないかどうか、試したいんですよ」
「うーん……理屈から言うと、つくんじゃないのか?」
「というと?」
「要は、外へ繋がるところだけ厳重に守られてるってことだろう。だから、ここは傷がつく。ま、実際に試してみるか」
言って、グレンはすらりと剣を抜き、無造作にドアに突き立てる。
がっ。という音がして、剣は容易に扉に突き刺さった。
「だろう?」
「ふむ…なるほど」
ミケはひとつ頷いて、そのドアの向こうに視線をやった。
「シュウさんがこの中にいたのは確実で、この部屋の埃がある程度綺麗になっているのがそのせいだとして……どうして、部屋の外に足跡がないんですかね?シュウさんが歩いて出たにしろ、引きずって出されたにしろ、痕跡がありそうなものですが」
「まあ、俺達も散々廊下を歩き回ったからな……それと、言いにくいんだが」
「なんでしょう」
「……一番最初に、ミケが屋敷の構造を把握するために使った風魔法が、廊下の埃を全部片付けたんじゃないのか?」
「ですよねええぇぇぇ」
がっくりと頭を垂れるミケ。
はあ、とため息をついて、もう一度クローゼットに向き直る。
「まあ過ぎてしまったものは仕方がないので、気を取り直して…こちらの扉が壊されて、衣服がばらまかれた…何のために、っていうことですかね」
「むしろ、服はおまけかもな」
「というと?」
「クローゼットに何かが隠れていた、それを暴くために扉を壊し、中の物を服ごと放り出した」
「なるほど……」
呟きながら、クローゼットのもう片方の扉を開けるミケ。
すると。
「うわああぁっ?!」
突然の彼の悲鳴に、グレンはぎょっとしてそちらを見た。
腰を抜かしたミケがそのままベッドに座り、目を見開いてクローゼットの中を凝視している。
そして、その視線の先には。
「…なんだ、こりゃ……」
クローゼットのもう片方の扉の向こうには、半透明の影がのっそりと鎮座していた。
ゆらゆらと透き通った影は先ほどのメイドと全く同じだったが…違うのは、大柄な男性であるということと、そして彼の頭からおびただしい量の血が流れているということ。
「な、な、ななな……」
先ほどのメイドより強烈なビジュアルに、ミケは言葉を上手く紡ぐこともできない。逃げることすらできずに、震える手で男の影を指差している。
グレンは緊張した面持ちで、ゆっくりと男の影に歩み寄った。今のところ、男の影に動く様子は見られない。
「おい……お前、誰だ?」
ゆっくりと問いかけてみるが、メイドと同じく、こちらの言葉に反応はしない。
だが。
「…ん……なんか、喋ってるのか…?」
男の口元がかすかに動いていたような気がして、グレンは警戒を解かぬままゆっくりと男に近寄った。
近づいていくと、どういう作用か、男性の低い声音が耳に届いてくる。
うつろな口調で、彼は同じことをずっと繰り返しているようだった。
『……こんなところにいたんだね……探したんだよ……ほら、こっちへおいで……きみには、可哀想だけどね……おかあさんの新しい暮らしのために、きみがいてはじゃまになるんだ……おかあさんも、そう言ってるんだよ……だから…おとなしくしておいで……おとなしくしていたら、痛くはしないから……』
グレンとミケが絶句する中、男性の小さな声だけが、狭い室内にぼそぼそと響いていた。
「ここの銃も、使い物、ならないですね」
プレイルーム。
アフィアは飾られていた銃を確かめ、先ほどと同じように錆びて使い物にならないことを確認していた。
「魔力感知は?」
「何もない、です」
やはりリタを伴って全体を見渡しているユキの問いに、首を振って答えて。
先ほどと同じように、配置されたものに動かされた形跡がないかどうか探る。
その後、引き出し等を開けて見てみるが、特に手がかりになりそうなものは残っていないようで。
アフィアは嘆息して首を振った。
「ここ、空振り、思います」
「そっか…じゃあ、残るは中庭だね。ミケさんたちと合流して、リタさんを…」
と、そこまで言ったところで。
「うわああぁっ?!」
隣の客室からミケの悲鳴が聞こえ、3人は顔を見合わせる。
「行きます」
「うん!」
3人は急いで隣の部屋に向かった。
「おーい、そろそろ大丈夫か?」
1階、使用人の部屋。
ぐったりとドアにもたれかかっているミケにグレンが声をかけると、ミケはのろのろと足を動かした。
「うう……むしろみなさん、あんなにグロいものを見てどうして平気なのか小一時間問い詰めたい……」
「私は職業柄、慣れてるからねえ」
苦笑するリタ。
あの後。
アフィアたちが駆けつけた2階客室で状況を把握した冒険者たちは、では次の調査場所へ、と、当初から想定していた通り、リタをミケとグレンのペアに引き渡して別行動をすることになった。
「だらしがないな。お前も冒険者だろう。あれくらいの怪我、したことあるんじゃないのか?」
「自分の怪我と幽霊の怪我じゃ意味が違いますよ…」
ぶつぶつ言いながら、ミケはそれでもグレンとともに室内を探し始めた。
「ええと……ここ、随分荷物が残ってますね」
「ああ、他の部屋に比べて私物が多いな。期待できそうだ」
この部屋にたどり着くまでに他の部屋も調べてきたが、どの部屋も簡素な作りで私物もあまりなかった。日記のようなものも見当たらず、なかには普通に辞めて出て行ったような部屋もある。
それに比べ、キッチンに隣接するこの部屋は他の部屋より少し広く、ものも多かった。
「ひょっとすると、使用人の中でもリーダー格の人の部屋なのかもしれません」
「ああ、えーっと……財産を持ち逃げしようとした執事、だったか?あいつの部屋かもな」
「だとすれば重要な情報が眠っていそうですね」
「だな」
「あっ…と、その前に、とりあえずここのドアも、やってみてもらっていいですか?」
「ん?ああ、傷が付くかどうか、ってやつか……客室と同じだと思うがな」
「ええ、アフィアさんに頼まれた、鎧が付けた槍の傷も、そのままでしたしね」
ここに来るまでに、アフィアに言われたとおり、鎧が壁につけた傷を確認してきた。結果は今述べた通り、特に傷が修復されている様子もなく、壁は傷ついたままだった。
グレンはすらりと剣を抜くと、先ほどと同じように扉に突き立てる。
がっ。
剣は先ほどと同じように、たやすく扉に突き刺さった。
「ですよね……ありがとうございます」
「よし、始めるか」
ミケとグレン、それにリタは、手分けをして部屋の様子を探った。クローゼットの中やベッドの下、本棚などを丁寧にさらっていく。
すると。
「あっ……これ、業務日誌みたいですよ」
「本当か!」
ミケが本棚から取り出したファイルに、グレンとリタは駆け寄って中身を覗き込んだ。
日付と天気、業務内容と伝達事項などが簡潔に記されている。
「ビンゴだね!」
「とりあえず……後ろの方を確認してみましょうか」
パラパラと後ろの方からめくってみるミケ。ファイルの紙は随分と劣化しており、20年の経過をまざまざと感じさせる。
「えーっと……あっ。これですね。さっきアフィアさんたちが言ってた、アリスさんの失踪」
「ムウラの第22日……お嬢様失踪の件は固く口止めのこと……か」
ぱらり。
「ん?なんで22日の前が17日なのかな?」
その前のページをめくって、首を捻るリタ。
ミケはページの内容を目で追いながら読み上げた。
「18日から4日間……奥様とお嬢様が留守のため、使用人にも休暇を出したようですね。4日屋敷をあけてもいいように、清掃と備蓄食料の整理をしているようです」
「ムウラの第18日か…どっか行ってたってことか」
ぱらり。
今度は逆に、22日以降の日誌を確認していく。
「結構飛び飛びですね……あ、ここに、旦那様の葬儀とありますね。ミドルヴァースの第4日……新年早々、ご愁傷様です…」
「旦那が死んだんじゃ、日誌つけてるどころじゃないだろうな」
「でも、奥様のご様子に注意すること、とありますよ。随分取り乱している様子のようですね……」
「あ……ねえ、これ、お客さんの名前も書いてるんだね」
リタが指差したところには、葬儀に参列した客の名前がリストアップされている。食事の手配などをしたようだ。
「えっと……あの人、いるかな」
「浮気相手、ですか。確か……ハイラム・クロワですね」
参列者の名前を探すが、ハイラム・クロワの名前はない。
「他のページはどうだ?この調子なら、パーティーに呼ばれた客の名前もその日に書いてるだろ」
「なるほど。探してみましょう」
ぱらぱら。
「あ、あった!」
「ここにもあるな……」
「ずいぶんたくさん来てるんですね…ま、浮気相手なら当然でしょうが……」
「最後に来てるのは?」
「ええっと……この日ですね」
ぱらり。
ミケがめくったページは、先ほど目にした記憶があった。
「ムウラの第17日……ですか」
「休暇の前だな」
「ふむ………」
はらり。
ミケはもう一度日誌をめくり、主人の葬儀の日を飛び越えてさらに先を見た。
「ああ……ここです。こちらが奥様の葬儀の日ですね」
「ミドルヴァースの第12日…か」
「その後もちらほらと日誌がありますね。親戚の方が遺産の整理に見えたりしているようです」
「その度に変な事故が起こってるようだな…だんだん来る客も減ってるようだ」
「最後の日付は……ガルダスの第25日、ですか。ええと…帳簿の整理……?」
「役所に提出する書類をまとめておく。お嬢様は法的には死亡していないため、遺産相続関係の書類は親族に承認印を……ん?」
眉を顰めるグレン。
「おい、これって……」
「ええ、この執事さんは、本当に遺産関係の書類の整理の仕事をしただけかもしれません。そのために書類を外に持ち出した……」
「それが、遺産を持ち逃げしようとしたってことにされたのか……?」
「…真相は、わかりませんが……」
ミケの言葉を最後に、室内に沈黙が落ちた。
「ね、本当に大丈夫?僕が運んでいってもいいんだよ?」
再び、夫婦の寝室のバルコニー。
翼を出したユキは、心配そうにアフィアを振り返った。
アフィアは首を振って、抱えた黒猫を差し出す。
「ポチ、飛行の魔法、チャージ、されてます。空、飛べる。心配、ないです。ユキ、うち抱える、両手ふさがる、危険」
「いや、そうなんだけど……いくら飛行の魔法があるからって、こんな小さな猫にしがみついてるだけじゃ落ちちゃうよ……」
眉を寄せてユキが言うと、ポチは唐突にアフィアの腕から床に降りた。
「なー」
ひと鳴きしたかと思うと、みるみるうちにその体が大きくなってゆく。
「えええ?!」
ユキの驚きの声とともに、ポチは黒豹ほどの大きさに返信を遂げた。
「にがーご」
「……上、乗る、いいですか」
アフィアも少し面食らったような無表情で、しかし冷静にポチに問う。
「にがー」
ポチは頷いて、アフィアの前に伏せた。
無言でその背にまたがるアフィア。
ふわり。
アフィアを背に乗せたまま、ポチは難なく浮き上がった。
「ポチ、ゴーです」
「にがーご」
野太い鳴き声とともに、アフィアを乗せたポチはバルコニーから飛んだ。
「あ、ちょ、待って!」
ユキは慌ててそれを追いかけるのだった。
「うわぁ…本当に水が流れてるんだね」
松明で照らした噴水は、先ほど遠目で見たとおり水が流れていた。
噴水の上には、可愛らしい天使の像。水は絶え間なく流れ続け、コケが生えている様子もない。
「………」
目を閉じて意識を集中していたアフィアが、ふう、と息を吐いて首を振った。
「魔力感知、ダメ、でした。特に、魔力、感じません」
「そっかー……」
残念そうに言って、ユキはあたりをキョロキョロと見回した。
「そういえば、花壇みたいなものがあったよね」
噴水から離れ、足元を松明で照らしながらあたりを歩く。
花壇は、中庭をぐるりと一周する植え込みの内側に、やはりぐるりと一周するように設置されていた。
「うわ……すごい」
松明で改めて照らしたその花壇には、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「すごく手入れされてるよ…この中庭も、全然荒れてない。庭師がいるみたいだ」
「今のところ、子供部屋、中庭、不自然に綺麗、ですね……」
アフィアは呟きながら、やはり松明を持って中庭をぐるりと一周する。
こんこんと壁を叩きながら、不自然なところがないかどうか。念のため噴水も叩いてみたが、特に妙なところは見当たらなかった。
「食堂…あっち」
先ほど室内ランプを灯した食堂が見える。ということは、反対側が玄関のはずだ。
アフィアは玄関の方に向かって足を進めた。
進行方向を松明で照らし、そして声を上げる。
「ドア、あります」
「えっ?」
その声に驚くユキ。
食堂の反対側、ちょうど玄関ホールのあたりに、両開きのドアがついている。
「こんなところに、ドアが…?」
「中庭、噴水、花壇、ある。手入れする、入る、必要。ドア、無い、つくり、おかしいです」
「確かにそうだけど…でも、このドア、どこに…?」
「開けて、みます」
アフィアは緊張した様子でドアノブを握った。
がちゃ。
「!」
拍子抜けするほどあっさり開くドア。
庭側に開いたドアのその先は、正面が壁であり、左右に扉がついている。
アフィアはゴソゴソと見取り図を取り出した。
「この位置、ドア……正面階段、両脇、繋がる、思います」
「でも…そんなところにドアなんてなかったよね?」
「………」
アフィアはうつむいて考え込み、やおら後ろを振り返った。
「ポチ!」
中庭に降りてからは元のサイズに戻っていたポチが、呼びかけに答えてアフィアのもとに駆け寄る。
「なー」
「ミケ、玄関ホール、来てください。中庭、繋がる、ドア、ある」
アフィアはポチに向かってそう呼びかけた。使い魔と主の意識はつながっている。ポチに呼びかければ、それはそのままミケに伝わるはずだ。
それだけ言って、アフィアは両開きのドアの中へと足を踏み入れた。左右についているドアの、左の方のノブに手をかける。
ぐ。
「……開き、ません」
「僕も手伝うよ!」
後ろからユキも参戦し、ノブを持って押したり引いたりしてみる。が、びくともしない。
「……ちょっと、下がる、いいですか」
「うん」
アフィアはユキを後ろに下がらせ、軽く助走をつけてドアに体当りした。
どすん。
「あ、アフィアさん!」
派手な音がしたが、ドアはやはりびくともしない。心配そうに駆け寄るユキの傍らで、アフィアは痛そうに眉を顰めた。
すると。
どんどん。どんどん。
「アフィアさん?!そこにいるんですか?!」
くぐもったミケの声がして、アフィアは再びドアのそばに寄った。
「ミケ、うち、ここです」
精一杯の大声で答えると、ミケの安心したような声音が返ってきた。
「よかった、ここでいいんですね」
「ここ、中庭、続く、ドア。開かない、です」
「えええ?!」
アフィアの言葉に、ミケの驚いた声が響く。
「ここにドアなんてないですよ?階段下のデッドスペースはすべて壁です!」
「ええっ」
今度はユキが驚きの声を上げる番だった。
「で、でも、こっちにはちゃんとドアが付いてるよ?!」
「……塗りつぶされてる、思います」
「塗りつぶされてる?!」
「おい、ミケ。見ろ」
今度はグレンのくぐもった声が響いた。
「どっちも古いが……このあたりだけ、壁の色が違う」
「本当だ…!」
しばしの沈黙。
「アフィアさん、ユキさん!」
ドアの向こうから聞こえるミケの声に、二人は再び顔を上げた。
「すみません、ちょっとどいててください!」
「わかった!」
ユキが勢いよく頷いて、二人は即座にドアから離れて中庭に戻る。
と、そこに。
「ファイアーボール!!」
ごがっ!
勢いよく放たれたミケの火の魔法が、塗り込められたごと扉を吹っ飛ばし、その勢いでもうひとつのドアも貫通する。
「うわ……」
絶句するユキとアフィアの元に、ミケとグレン、それにリタが、貫通した扉を通って中庭に足を踏み入れた。
「ふー、ちょっとやりすぎましたかね」
「家をぶっ壊して、見逃してくれるといいがな…」
苦笑するミケに、呆れたような視線を投げるグレン。
すると、そこに。
『ふふふ……ありがとう!そこのドア、なかなかあかなくてこまっていたの!』
聞き覚えのある幼女の声がして、一同の表情に一斉に緊張が走った。
「……アリスさん、ですか?」
おそるおそる問うミケ。
だが、幼女の声は彼の問いに答える気はないようだった。
『どう?わたしのおうち、とってもいいところでしょう?きにいってくれた?
きにいってくれたわよね?だから、いっしょにあそんでくれるわよね?』
「一緒に……」
「……遊ぶ?」
幼女……おそらくは、アリスの声を反芻する一同。
それを無視して、アリスの声はなおも響いた。
『わたしのおともだちになって、ずっと、ずーっと!このおうちで、わたしとあそんでくれるわよね?』
あはは、あははは。
楽しそうな笑い声が、中庭に響く。
返す言葉を見つけられず、冒険者たちはただ、呆然と虚空を見つめるのだった。