月の明かりに照らされて

いいわ。そうしていなさい。
 創り上げた、自分だけの世界で。
 自分を守ってくれるものだけに囲まれて。
 傷ついたことを全部外の世界のヒトのせいにして。
 ぬるま湯のような世界で、安寧に暮らしていればいい。
 そうすれば、もうアナタを傷つけるものは誰もいない。
 だけど、決して外に出ちゃダメ。
 その世界を全てと思っちゃダメ。
 その世界の決まり事が、全部のヒトに通じると思っちゃダメ。
 もし、一歩でも外に出ようものなら。
 アナタは一瞬でズタズタに切り裂かれてしまうから。
 それは、外のヒトのせいじゃないのよ。
 外に出てしまった、アナタのせい。
 そして。
 切り裂かれて、アナタは初めて気がつくでしょう。
 アナタの世界こそが、外だったことをね。
 いいのよ。それはなにも悪いことじゃないの。
 誰だって傷つくのはイヤだものね。
 誰だって、悲しい思いはしたくないものね。
 誰だって、自分が壊れてしまうのは怖いものね。
 いいわ。そうしていなさい。
 ぬるま湯のような、自分だけの世界で。
 誰とも出会わず。
 何も生み出さず。
 ただ、外の世界のヒトの悪口を言って。
 そうして、ゆるゆると朽ち果てていけばいい。

最後の朝の会

「とうとう、予告の日になってしまいましたね…」
重い表情で、ミケが一堂を見渡した。同じく、あまり晴れやかな表情をしている者はいない。
「予告の日までいろいろ調べようと思ってたけど、結局あまり何もわからないままだな」
クルムも同じような表情で溜息をつく。それぞれが同じような表情で、それぞれの顔を見合わせた。
「とにかく、わかっていることだけでも整理してみましょうか」
今朝になってようやく復活したエルが、真面目な表情で言った。
「まず、ゴールドバーグ氏の屋敷に、怪盗ムーンシャインから予告状が届いた。内容は『あなたの一番大切なものをいただきます』というもの。そして氏は、何故か自警団でなく私たち冒険者を雇い、不思議な紫色の宝石を戴く妖精の像を守るよう依頼した…」
「ここで疑問なのは、次のことです」
エルの言葉が切れたところで、ミケが言葉を挟んだ。
「ひとつ。何故ゴールドバーグ氏は自警団でなく僕たち冒険者を雇ったのか」
「それについては、まだわからないと言う他ないでしょうね。これだけの財を一代で築いた方ですから、綺麗な事ばかりやっていたとは言えないでしょうが、とりあえずその尻尾をつかむことは、この5日間では無理でした」
その疑問には、ディーが説明を入れる。ミケは頷いて、続けた。
「ひとつ。何故ゴールドバーグ氏は、ムーンシャインの狙うものがあの像だと考えているのか」
「その答えも、明確には口に出してはいただけませんでしたね」
少し苦笑して、クライツが言う。
「ただ氏は、狙われているのがあの像だということに、不思議なほどの確信をもっているようです。その根拠がなんなのかは、…やはり口に出してはいただけませんでしたが」
「そしてもうひとつ。あの妖精の像は、一体何なのか…」
「最初に被害に遭われたアインシェル氏が盗まれたものも、やはり似たような女神像だったそうですね。サツキさんが仰るところによると」
サツキから直接その話を聞いたディーが言う。
「それに、氏が月に一度程度の間隔で出向かれる森にも、何か関係があるようですね」
続いて、その森を調べに行ったエル。
「そうだな。なんかヘンな包みを持って森に行って、しばらくうろうろしたあと急に怒り出して、帰った後ジェノにあの像が偽物だって詰め寄った…っていうことは、本当はあの森に本物の像を持っていけば、何かが起こるはずだったんだ。そう考えていいだろうな」
「…セレという少女が、何者かの命令を受けて追尾者を排除している…よう、だね。尾行が不可能になった時点で、命までは取らずに去っていった、けど…無理に行こうとすれば、容赦はしない、だろうね…」
一緒に調べに行ったクルムと瑪瑙が、補足する。
「それに、他に被害に遭われたブルーゲル、ネグリア氏も、同様のものを盗まれたと、自警団の長官が仰っていましたね」
これは、ミケ。ルフィンが眉を寄せて首をひねった。
「一体、何だってムーンシャインはそんなもの狙うんだろうな?確かに高く売れそうな気がするが、ここの宝物庫にゃもっと高そうなやつゴロゴロしてるだろ?」
「あの像に、芸術的価値以外の何かがある…だから氏もあの象が狙われていると確信した…そう考えるのが妥当でしょうね。もっとも、その何かはまだわかりませんが」
その質問には、クライツがまじめな表情で答えた。
「ですが、なんだかすっかりムーンシャインからあの像を守るという目的から外れた捜査をしていますね」
今さらだがミケが苦笑してそう言う。
と、唐突にヴォイスが口を開いた。
「捜査…っていうかな。関係ないかもしれないが、昨日街で変な噂を聞いたぜ」
「変な噂?」
首を傾げるエルのほうを向いて、続ける。
「ああ。ここ1年くらいで、スラムで大流行した麻薬があるんだそうだ。その名前が…ムーンシャイン、というんだとさ」
「本当ですか?」
厳しい表情で、ミケ。
「一年前…って言うと、怪盗の方が出るより前だよな?どういうことだ?」
ジェノも真剣な表情で考え込む。
「そんな、麻薬と同じ名前を名乗るなんざ…」
「あ、ムーンシャインというのは、別に本人が名乗っている名前ではないのですよ」
エルが横から訂正を入れた。
「本人からの唯一のコンタクトである予告状には、先ほど言った文章以外何も書かれていないのですからね。ムーンシャインというのは、マスコミが面白がってつけた愛称です。…まあ、自警団の方々が満月の夜に現れるということと同じように頭をいためている麻薬の名を掛けてそう呼んだのが、漏れたのかもしれませんね」
「そうだったのか。でも麻薬か…気になるよな」
「…ではそのあたりは、僕が調べてみることにしますよ。自警団の方々の方にも、どうしてあの怪盗がムーンシャインと呼ばれるようになったのか、伺ってみましょう」
ディーがそう言って、にこりと微笑んだ。
「それでは、僕はクルムさんと、昨日お伺いしたサツキさんのところに行ってきます」
続いて、ミケ。その後にクルムが続く。
「サツキは、強い『気』を放つ人を、離れていても感じることができるそうなんだ。その力を、ムーンシャインを捕まえるために貸してもらえないか、お願いしてみるよ」
「あたしは…また薬屋、かな」
ルフィンが苦笑して言うと、ヴォイスがそれに続いた。
「俺も一緒に行く。麻薬のこと…ひょっとしたらリーフが、何か知ってるかもしれないからな」
「あ、それでしたら、私も連れて行ってください。リーフさんと仰る方には、まだ一度もお会いしていませんからね」
するとそれに、エルが加わる。
「ああでも、午前中は少し作りたいものがありますので、午後になってからにしていただけませんか」
「作りたいもの?」
ルフィンが問い返すと、エルはにこりと頷いた。
「今夜の準備…ですね。よろしければご覧になりますか?」
ルフィンとヴォイスは少し顔を見合わせて、まあいいだろうと頷いた。
「俺は屋敷に残って、今日の警備の策でも練っているとしよう。皆も、今日は少し早めに帰ってきてくれよな」
ジェノの言葉に、一同が頷く。
「…俺も、屋敷に残る…」
言葉少なに瑪瑙が宣言すると、クライツがそれに続いた。
「私は、そうですね…教会に寄って、その後街に出ようと思っています」
「…それでは、いよいよ今夜です。頑張りましょうね」
ミケが最後にしめて、朝の会は幕を閉じる。
…これで、おそらく最後の。

犯人の過去話は最終回っていうのがお約束でしょおっ?!(某キャラ力説)

「おはようございます」
もうすぐミドルの刻にさしかかろうとしている、そんな時。
まだ誰も起きてはいないような裏通りのとある店のドアをくぐる人影があった。
浅黒い肌に、大きく尖った耳。思わず誰もが振り返るほどの美貌に、薄い微笑みを浮かべている。
クライシュベルツ・リッタルトと名乗る彼は、店の中にいる女性にとびきりの微笑みを向けた。
「おはよう。っていうかいらっしゃい、ね。こんな時間に来るお客さんなんて、珍しいこと」
この店の主、リフレ・エスティーナと名乗る彼女は、こんな時間に来る非常識な(といっても裏通りの常識で、だが)客に嫌な顔ひとつ見せず、にっこりと微笑みかける。
「残念ながら、お薬を買いに参上したのではありません…貴女に、会いに来たのですよ」
いつもの調子で語りかけると、リーフはくすりと笑った。
「…あら、あのコたちのお仲間?アナタみたいな綺麗な人がいるなんてね」
「…お褒めに預かり光栄です。私も、あの方たちから話に聞いていた女性がこんなにも美しい人だと知っていたら、もっと早く貴女とお会いできたのに…運命とは、時に残酷なものですね…」
「…っふふ…面白いコね。座って頂戴、今お茶を入れるから」
リーフの言葉どおりにクライツは椅子に座り、リーフは沸いていたお湯で手早くお茶を入れると、クライツに出した。
「アタシはリフレ・エスティーナ。リーフでいいわ。アナタは?」
「クライシュベルツ・リッタルトと申します。クライツとお呼びください」
「今日はいつものコたちは来ないの?」
「彼らは昼過ぎに来るはずですよ」
「何故あのコたちと一緒に来なかったの?アナタは」
「…貴女と、2人きりになりたかったからですよ…」
クライツは言って、リーフの手にそっと手を重ねた。
リーフは柔らかい微笑みを浮かべて、その手にもう片方の手を重ねる。
「あら…嬉しいわね。まだ見たことも話した事もないアタシを、そんな風に思ってくれるなんて…」
そして、その微笑みのまま、静かの声のトーンを落とした。
「…イルフェヴヌスおじさまは、お元気よ」
その瞬間。
今まで彼を見たどんな者も見たことも無いほど、ありありとクライツの顔に動揺の色が走った。リーフの手を慌てて振りほどき、立ち上がった拍子に座っていた椅子が転がる。
今まで優しげな微笑みを浮かべていた顔はみるみるうちに険しく変貌し、瞳には怒りと焦りと…そして明らかに、おびえの色が混じっていた。
「お前…?!」
リーフはくすくす笑って、紅茶を一口飲んだ。
「おじさまそっくりだったから、すぐにわかったわ。…レグニド候の『ご子息』が『おいた』をして…っていう話は有名だものね…アタシのにいさまと同じくらいには、ね」
「…は…!」
多少落ち着いてきたのか、クライツは凄絶な笑みを浮かべて、額に手を当てた。
「まさか…とは思ったがね…あのサツキってのも、お前の仲間か?」
先ほどの穏やかな彼からは想像もつかないような、表情と口調。
「サツキ?誰かしら、知らないわねぇ」
リーフのほうは相変わらずだ。
「フン、とぼけやがって、白々しい…あいつらにお前の正体、あることないこと吹聴してやったっていいんだぜ?見るからに怪しい妙な薬屋の女と、信頼のおける神学者の俺と、あいつらはどっちを信用するかな?」
「あらぁ、そんなこと言っちゃっていいの?おじさまにチクっちゃおっかなぁ…ふふふ、面白いことになりそうね」
クライツはきっとリーフを睨みつけた。
「んん~、そんなに怖い顔しないで。アタシは別にアナタの邪魔をするつもりはないのよ?…アタシは、ね」
意味ありげな言い方に眉を寄せるクライツ。リーフはくすくす笑いながら、続けた。
「ちょっと『おいた』が過ぎたようね?おじさまじゃなくても、アナタを追いかける人に心当たりはない?…そう、もうだいぶ近くまで来ているようよ…アナタを…『クライシュベルツ・リッタルト』をよく知る人が、ね…」
クライツの表情が険しくなった。
「お前…」
「誤解しちゃイ・ヤ。アタシは別に何もしてないわよ?おじさまのご子息がピンチにならないように、気を利かせて教えてあげてるんじゃない…お礼のひとつくらい言って欲しいわね」
「けっ」
クライツは吐き捨てるように言った。
「わざわざご忠告ありがとうございました。って言やぁ満足か?…ふん、癪に障るがここはおとなしく引いてやらぁ。最後までここに残って、お前が何を企んでるのか見物してやろうとも思ったが…ま、俺は自分が可愛いんでね」
「あら…誰でも自分が一番可愛いものよ」
「自覚していないやつは多いがな」
「ふふふ…アナタとここでお別れなんて、残念だわ。今度はおじさまのお館で会えるといいわね」
「それは天地がひっくり返ってもありえねぇな。俺はあいつの犬になる気はさらさらないね」
「そう。じゃあまたどこかで、会えるといいわね…時の神が、それを許せば…」
クライツは軽蔑したようなまなざしをリーフに送ると、早々と踵を返して店を出て行った。
「ふふ…面白いわ。だから生きることって、やめられない…」
相変わらずの表情でそうつぶやいて、リーフは紅茶を一口飲んだ。

忘れていましたが彼女は実はメイドさんなんです

「ようこそおいでくださいました」
相変わらずのアルカイックスマイルを浮かべ、サツキは静かに身をずらしてミケとクルムを中に招き入れた。
「失礼します」
「ごめんな、こんな朝早くに」
恐縮して中に入るクルムに、サツキはにこりと微笑みを向ける。
「お気になさらないでくださいまし。仕事をしていました頃はこれくらいの時間には朝の掃除を全て終えておりましたから」
二人を座らせ、お茶の用意をしながらサツキは続けた。
「今はかえってこのような手狭な部屋で、することもなく退屈しているくらいですわ。お2人がいらしてくださって嬉しゅうございます」
「そ、そうか?そっか、サツキはメイドの仕事してたんだもんな。ユリみたいにユニフォームを着てないから、いまいちピンと来ないよ」
クルムの何気ない一言に、ミケの表情が微妙に変化した。
「それで…わたくしの退屈を紛らわすために、お仕事でお忙しいお二人がわざわざ足をお運びくださったのではないのでしょう?お話くださいまし」
サツキは二人の向かい側に座ると、微笑して話を促した。
「話が早くて助かります。実は、今日が例の、ムーンシャインの予告の日なんですが…おりいって、あなたにお願いしたいことがあるのです」
「お願いしたいこと、と仰いますと?」
「昨日、サツキが言っただろ。力の強い人の『気』を感じ取ることができるって。その力を、オレたちに貸して欲しいんだ」
サツキの眉が、わずかに動いた。
「…それはつまり、ムーンシャインの『気』を感じた方向をわたくしがお傍にいてお教えすればよいのですね?」
「理解の早い方で助かります」
「昨日あの話をした時から、予想はついておりました。実を申せば、皆様がそうお考えになるようにと、態とその話をした…というのが正直なところでございます」
「…といいますと、最初から僕たちにお力を貸してくださるおつもりで…?」
「そんな…差し出がましいことを申すつもりはございませんが、わたくしにそのような力があるとご記憶いただければ、皆様の選択の幅も増えるかと思いまして」
「あ…ありがとうサツキ。正直、こんなにとんとん拍子に話が進むとは思ってなかったよ」
「ですけれど…少し、腑に落ちないところが」
「…と申しますと?」
「いえ…少し気になったのですけれど。わたくしのご主人様同様、ゴールドバーグ様も、黒い噂の絶えないお方…そのような方の依頼を受けるような方には、見えないのですが。お2人の…気の色を拝見する限りでは」
クルムとミケは顔を見合わせた。サツキはさらに続ける。
「それに…ムーンシャインを捕まえた後は、どうなさるおつもりですか?ゴールドバーグ氏のお噂から考えますと、彼女が生きてお屋敷から出るとは到底思えないのですが…」
サツキは少し眉を寄せた。
クルムは少し考えて、やがて決心したように言った。
「…実はな、サツキ。オレがこの仕事を受けたのは、ムーンシャインを捕まえた後、彼女の命を守るためなんだ」
サツキの瞳が少しだけ驚愕の表情を見せた。
「実は、風花亭の近くで、子供に呼び止められてね…」
クルムはかいつまんで、カティの依頼の事情を説明した。
「そうだったのですか…」
サツキの表情は動かない。
「ミケ様たちは、それでよろしいのですか?」
「僕達への依頼は、『ムーンシャインから像を守ること』です。彼女を氏が殺そうとして、それを守ったとしても、契約違反にはなりませんよ」
ミケはにっこり微笑んで、あっさりと答える。
「それに、僕がこの依頼を受けたのは、純粋に知的好奇心からです。彼女が何故盗むのか…裏に隠されているものは何か。それが知りたいのです」
そのセリフに、サツキは初めて、にこりと微笑んだ。
「…でしたら、わたくしに何も言うことはございません。喜んでご協力させていただきますわ」
「ありがとう!なんてお礼を言っていいか…」
「ですが」
喜びに飛び上がりそうになるクルムを、冷静な声でさえぎるサツキ。
「わたくしはアインシェル様のお屋敷のメイドです。そのような部外者が、よりによってムーンシャインの予告の夜に、あのお屋敷に入ることが許されるのでしょうか…?」
そして、真剣な目で2人を見つめる。
「…わたくしがムーンシャインでないという確証も、何もないのではございませんか?」
沈黙が降りる。
ミケが俯いて、溜息をついた。
「…確かにそうです。あなたがムーンシャインでない…サツキ・トコハナという女性がムーンシャインでないとしても、今ここにいるあなたがムーンシャインの変装でないという確証はどこにもありません。ですが…そんなことを言っていては始まらないでしょう。今ここにいる僕も、クルムさんも、ゴールドバーグ氏だってムーンシャインの変装かもしれないんです。こればかりは…どうしようもありません。このまま行くしかないでしょう」
クルムも困ったように視線を泳がせる。
「…ですが、前の質問でしたら、いい手があります」
クルムとサツキがミケの顔を見た。
「サツキさんは、確かユリさんとお友達なのでしたね…?」
3人は顔を近づけあって、誰が聞いているわけでもなかろうに何やらひそひそ話を始めた…。

愛と哀しみの鉢植え

「ディーさん」
後ろから爽やかな声で呼び止められて、出かけようとしていたディーは振り向いた。
声の主は、すっかり元気に回復したエルダリオ。午前中は確か何か作りたいものがあるとかで、ヴォイスとルフィンと残っていたはずだ。
「エルさん…何か?」
例のごとく顔面だけの微笑みを浮かべて問うディーに、エルは例のごとく爽やかな笑顔で答える。
「昨日は、素敵なお見舞いをどうもありがとうございました。体調が回復していなくて、よく覚えていないのですが…あのお花はディーさんからのものだと伺いまして」
「どういたしまして。元気になって何よりです」
「それで…お礼、というのではないのですけれど。私からもお花を」
「これは…」
絶句するディー。
そんな様子に気付いているのかいないのか、エルは爽やかな笑顔のまま
「綺麗なお花でしょう?これ、傷薬にもなるんですよ。では、私は作業がありますので、これで。お気をつけてお出かけください。また夕方にお会いしましょう」
と言い、去っていった。
残されたディーの手に包まれたのは。
…弟切草。
花言葉は「復讐」。
しかも鉢植え。
たっぷりの沈黙の後、ディーはぽつりと呟いた。
「…彼は…底抜けに明るいか、果てしなく暗いか、どちらかでしょうね…」

「で、何を作るんだ?」
何やら鉢植えを持って出て行き、手ぶらで帰ってきたエルに、ルフィンは単刀直入に訊いた。
そちらの方ににこりと笑みを向けて、エルは自分の荷物をごそごそと漁りながら説明を始める。
「『符』ですよ」
「ふ?」
問い返すヴォイスにも、微笑みを向ける。そして、荷物から手のひらより少し大きいくらいの長方形の紙束を出した。
「はい。手順を短縮化した魔法…と申しましょうか。この『札』と呼ばれる特殊な紙に念をこめて字を書き付けることで、この札に触れるだけで魔法を発動させることができるのですよ」
「へえっ、すげえな」
感心してルフィンが言う。
「私はあまり魔法専門といった感じではないですからね。ミケさんもいらっしゃいますが…まあ、手間は少ない方がいいだろうと思いまして。これ、昔東方大陸を旅したときに手に入れたものなんですよ」
言いながら、机に札を並べ、硯と筆を横に置く。
「これも、その札に字を書き付けるためのペンとインクですね。まあ、相手はかなり強力な魔法も使うようですし、魔法があまり得手でない私の作ったものでどこまで通用するかは疑問ですが…」
「それで、どんな魔法の符をつくるつもりなんだ?」
ヴォイスが質問すると、エルは上を向いてうーんと唸った。
「そうですね…どうしましょうか。お2人はどう思いますか?」
「あ、あたしに振るなよ。うーんそうだなぁ…やっぱ、罠っぽいやつとか?宝物室の入り口とかにさ」
ルフィンが眉を寄せて言うと、エルは頷いた。
「そうですね。やはりその線で。動いている相手に投げても当たる可能性は少ないですし、攻撃魔法は私は使えませんし…」
言って、真剣な表情になり、ゆっくりと筆に墨をつけて、札に判読不能な文字を書き付けていった。
「…ふう。こんなところでしょうか」
書き終えると溜息をついてそう言い、出来た符を二人に見せた。
「これを二枚作って、像を置いてある部屋のドアの両脇に貼っておきます。この間を通過すると、麻痺の魔法が発動して、通過者の動きを止めます」
「へぇ…」
珍しいものを見る子供の表情で、ヴォイス。
「あとは…何かありますかね?薬屋さんにも行かなければいけませんから、あまりたくさんは作れないのですが」
「あ、なあ、前みたいにうっかり睡眠薬とか飲まされたり嗅がされたりしたときに、目を覚ますような魔法とか、どうだ?」
ヴォイスが言うと、エルは笑顔で頷いた。
「そうですね。そうしましょう。では人数分で…11枚、ですね。昼までに作ってしまいますから、もう少し待っていてくださいね」
そして、再び真剣な表情で札にむかった。

名前の由来

「ムーンシャインの名の由来…ですか?」
突然の客の唐突な言葉に、自警団長、フレッド・ライキンスは目を瞬かせた。
自分の目の前に座っている、やたらと綺麗な男。前にも来た事がある、確かディーとかいう名だ。以前に来たときはもう一人、女と見まごうほどの綺麗な男を連れていた。自分がゴールドバーグ邸に送り込むために雇った瑪瑙という男といい、最近の男はたくましい奴より綺麗な奴の方が多いようだ。これも時代か、とフレッドはこっそりひとりごちた。
「ええ。ムーンシャインというのは、かの怪盗が自分で名乗っている名ではないとうかがいまして。それではムーンシャインというのがどこから来た名なのかと…少し、気になったものですから」
ディーは綺麗に微笑んでそこまで言うと、少し声のトーンを落とした。
「…何故、麻薬と同じ名なのか…と」
フレッドの顔色が少し変わった。虚を疲れたような表情で、側近に向かって言う。
「そういえば…今までまったく別件だったから気にもとめなかったが、誰が言い出したんだ?」
「さあ…ですが、マスコミが騒ぎ出すより前に、すでにあの怪盗の通称はムーンシャインで定着していましたね。あまりにぴったりだったので何の抵抗も無く受け入れてしまいましたが…考えてみれば麻薬課の者はこの件に関わっていないはずですし…少しお待ちください、今確認してきます」
側近はそう言うと足早に部屋を出て行った。
フレッドは苦笑して頭を掻いた。
「いや、お恥ずかしい…奴を捕まえることばかりに頭がいって、まったく気がつきませんで…」
「ムーンシャインというのは、どんな薬なのですか?」
「いや、あれも我々の頭痛のタネの一つでしてね。私は直接指揮をとってはいないのですが、まったく出所がつかめない状態です。…おお、今日はちょうど彼女が報告に来ている筈です」
「彼女?」
少し眉を寄せてディーが訊くと、フレッドは残っていた側近に何か指示をして、再びディーに向き直った。
「我々が、スラムに直接入って捜査をするために雇った冒険者ですよ。蛇の道は蛇と申しますが、我々のようなものが入っていっても警戒されるだけですからな。ムーンシャインのことでしたら…ああ、もちろん麻薬のムーンシャインの方ですが…彼女に直接訊いた方がいいでしょう」
そこまで言ったところで、ドアをノックする音が聞こえた。
「呼びましたぁ?」
女の声。
(おや…この声は…)
ディーがドアの方を見ると、フレッドもそちらに向かって声をかけた。
「入ってください」
かちゃりと音を立ててドアが開く。
入ってきたのは。
ところどころ破れたジーンズ。短い金髪にきりりとした青い瞳。若い割に濃い化粧。
「…リン…さん…?!」
名を呼ばれて、女性…リンクスはそちらの方を向いた。
「あれ、あんた…」
面白そうに顔をほころばせる。フレッドは不思議そうに2人を見比べた。
「お知りあいですか?」
「ああ、昨日街で会ったんですよ~。ええっと…ああ、そういや名前聞いてなかったね?」
フレッドに対しては、一応の敬語。どちらかといえば世の中をナメてる女子高生のようではあるが。
ディーは座ったまま、軽くお辞儀をした。
「ディーといいます。そうですか、貴女は冒険者だったのですか…」
「あんたこそ。こんなところに何しに来たんだい?」
リンはフレッドとディーの間の椅子に座った。
「麻薬について、少々お聞きしようと思いまして」
「あんた、麻薬のこと調べに自警団なんかに来たのかい?ふぅん…」
「…何か?」
「いや…あんたはあたしと同じ側の人間だと思ったからね。こんなところに来るなんて意外だと思って」
「…そういう貴女こそ」
『同じ側の人間』という言葉に動じるそぶりも見せず、ディーは薄く微笑んだ。
「では改めてお聞きします。ムーンシャインについて詳しく教えてください」
「いいんですかぁ?フレッドさん」
リンがフレッドに向かって訊くと、フレッドは苦笑して頷いた。
「…まあ、我々もそうたいした情報をつかんでいるわけではないですし、その程度のことならお教えしても差し支えないでしょう。そのかわり、そちらで何かつかんだらこちらにも情報を提供していただくということで…いかがですか?」
「承知しました」
妙に寛大な自警団長に、微笑してディーは頷いた。
「交渉成立ってね。ま、あたしは別にどっちでもいいんだけどさ」
ニヤニヤしながら、リン。
「ムーンシャインってのは、ここ一年くらいでスラムを中心に爆発的に流行した麻薬さ。他のヤクより格段に中毒性が高くて、ハイな気分になれる…これは昨日言ったね。そしてもうひとつ、このヤクには他にはない不思議な特徴があるのさ」
「不思議な特徴?」
「ああ。それがこのヤクの名前の由来にもなってる…このヤクをやった奴は、月が丸くなっていくにしたがってトリップしていくようになるのさ…まるでモンスターだね」
「月が…丸くなっていく…?とすると、満月の夜には…」
「ああ。最高潮に狂ってる。死ぬ奴が多いのも満月の夜だね。昨日あんたらが見つけた奴も、もうすぐ満月だからあんなにハイになってたのさ」
「それは…不思議な薬ですね。何かの魔法がかかっているのでしょうか?」
「そう思って、薬の専門家と、魔術師ギルドに持ってってみたさ。結果は…こんな薬見た事ない。何かの魔法がかかっているようにも感じるが、これがこの植物のもともとの特性だということも考えられる。大体こんな植物を今までに見たことがない、もしかしたら現世界の植物じゃないのかもしれない…ってさ」
「現世界…とはまた大きな話ですね。しかしそこまでの薬がまったく出所不明とは…?」
「そこなんだよね。売人だったらいくらでもとっ捕まえられるんだが、ルートがわかんなきゃ根を断たずに枝葉を切るようなもんだからさ。もしかしたら、闇のルートにも乗ってないのかもしれないよ。誰かが独自に、売人に売りさばいているのかも…なんてね」
「なるほど…」
ディーが頷いたところに、再び部屋のドアがノックされた。
「失礼します」
先程『確認してくる』と言って出て行ったフレッドの側近が入ってくる。
「団長、確認が取れました」
「どうだった?」
側近は神妙な表情で一呼吸置くと、ゆっくりと言った。
「それが…最初のアインシェル氏の警護に当たっていたものが、問題のものを持ち去り月明かりに消えていく彼女を見て、氏が『ムーンシャインが…』とつぶやくのを聞いたそうなんです。それでその者が、ムーンシャインというのが彼女の名前だと思い込み、そこから広まったと…」
「………」
ディーとフレッドとリンは顔を見合わせた。

楽しい楽しい薬屋さん

「それで、首尾はどうだった?」
昨日と同じ、スラムの裏路地。
昨日と同じように、ガラの悪そうな男と背を合わせて立って。
いつもと同じ仮面をかぶった道化師は、いつもと同じ口調でそう言った。
「一日じゃあたいしたことはわかりやせんでしたが…まず、クラウンさんが言ってた妙な名前の薬屋…妙っスね」
「妙でしょ?」
「はあ。話じゃあ、一年前に突然、それまで空家だったところに店が入っていたそうです。ですがあの名前と、あの雰囲気でしょう。客が入ってるのを見た奴はほとんどいないらしいっスよ。で、オレらみたいな奴が何かあると勘ぐって行っても、フツーの薬屋だって言い張る…いきなり半月とか休んだり、薬屋以外にも何かやってんじゃないっスかね」
「ふうん…で、ゴールドバーグの方は?」
「そっちはさっぱりっスね。実際に後でもつけられりゃよかったんでしょうが、奴のお出かけは月に一度らしいっスから…んなの、わざわざ調べようって奴もいないっしょ。こっちはお手上げっスね。ただ…これは関係あるかどうかわかんないっスけど、こんな話があるんスよ」
男はそう言って、クラウンにぼそぼそと耳打ちをした。
「…うそ。なにそれ、マジ?」
クラウンは意外そうな声でそう言って、腕組みをして考え込んだ。
「リーフの動きは?」
「昨日は一日、あそこから出やせんでしたぜ。あそこを出入りしたのは長い銀髪の女のガキと、胡散臭い黒装束の男くれえって話…」
「うさんくさくて悪かったね」
「はっ?」
「それ、僕だよ」

「ずいぶん奥にはいるのですねぇ」
だんだんと日が差し込まなくなってゆく路地に、エルは感慨深げにそう言った。
「だなー。こんなところにあるから儲かんないんだって言ってたぜ。…ま、原因は他にもありそうだけどな」
苦笑しながら、ルフィンがそれに応える。
「それにしても、どのような方なのですか?その、リーフさんという方は」
「ヘンな奴だよ」
興味深げなエルの言葉に、今度はヴォイスが憮然として答えた。
「スカしてるっつーか…いつも人を喰ったような笑い方しててよ、何か…ムカつくんでもないんだが、胸がモヤモヤしてよー…」
「それは、恋だね♪」
「うわぁっ!」
いきなり背後に現れた気配に、ヴォイスは驚いてあとずさった。
「クラウン!」
ルフィンが名を呼ぶと、クラウンはひらっと手を上げた。
「や。ねえねえ、薬屋行くの?」
「あ…ああ、そうだけど…」
「あのさ…リーフから、目を離さない方がいいと思うよ」
「は?」
唐突なクラウンの言葉に眉をひそめるルフィン。
「何だよ、いきなり」
「だからさ、あの人怪しいじゃん。見張ってたほうがいいよ」
「あたしにゃ毎回毎回節操なく人ん家に忍び込むおまえの方がよっぽど怪しく見えるけどな」
「あ。やっぱり?」
「やっぱりじゃねえだろ!」
「とにかく、リーフ見張っといてよ♪」
「だから、どうしてだよ!」
「どうしてもだよ!!」
「だぁぁぁぁっ!!」
ルフィンは頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと、落ち着いてください、お2人とも」
見かねたエルが割って入る。
「クラウンさん…でしたね?自己紹介はまだでしたね。私はエルダリオ=ソーン・フィオレット。エルとお呼びください」
「ありがと。僕は道化師のクラウン。クラって呼んじゃダメ♪」
「それでクラウンさん。あなたは何故、どのようにリーフさんが怪しいと思われるのですか?」
「なんとなく♪」
「それでは私達が手を貸すわけには参りませんね。私たちはゴールドバーグ氏に雇われ、ムーンシャインからあの像を守るために行動しているのです。彼女がムーンシャインだとでも言うならともかく、ただなんとなくだけで時間を無為に過ごすわけには参りません。それに…」
そこで、少し視線を厳しいものにする。
「ルフィンさんはともかく、私やヴォイスさんは前からあなたと面識があるわけではありません。あなたを信用する要素がないのです。申し訳ありませんが、ご自分でなさってください」
ルフィンが少し複雑な表情になる。だがクラウンはいつもの調子だ。
「えー。けち」
「ですが、見張るのに不自然でないように、私たちと一緒に薬屋に向かうというのでしたら、それは結構ですよ?いかがですか?」
「んー。まあしょうがないか。そうする。ありがとね」
無難に話がまとまった一同の後ろで。
「…………」
先程クラウンに『恋だね♪』と言われたヴォイスが、一人顔を青くして悩んでいた。

「あらあら、今日はまた大勢ね。そっちのカレは、新顔ね?アタシはリフレ・エスティーナ。リーフでいいわ。よろしくね」
「ご丁寧にありがとうございます。私はエルダリオ=ソーン・フィオレットです。エルとお呼びください」
「神官…ぽいナリしてるけど、ずいぶんたくましいのね?」
「よく言われます」
エルは苦笑した。
「いいんじゃない?アタシはどっちかっていうと華奢な方が好みだけど♪そうねえ…ヴォイスみたいな?」
「な……なな、何言ってんだよ!気色悪いな!」
顔を真っ赤にして過剰反応をするヴォイス。
「それで?今日はアタシに何を訊きに来たの?」
その一言で、ヴォイスははっと我に返った。
「そうだった。ムーンシャインについて訊こうと思ったんだよ」
「ムーンシャイン?アタシは噂くらいしか知らないって…」
「そっちじゃねえ。麻薬の方だよ」
リーフはきょとんとして、次ににやりと笑った。
「…そう。アナタたちも知ったのね」
そう言って立ち上がり、後ろの棚をごそごそあさって、またこちらに向き直った。
その手には、透明な袋。中には茶葉のようなカサカサとした黒いものが入っている。
「…これが、ムーンシャインよ」
エルの表情が少し険しさを増した。
「何故、貴女が持っているのです?」
「何て言ったかな、自警団に雇われた冒険者だってヒトが調べてくれって持ってきたのよ。もちろん、こんなところに住んでればこんなモノいくらでも手に入るけどね」
「ムーンシャインってのは、どんな薬なんだ?あんた、薬には詳しいんだろ?」
ヴォイスは重ねてリーフに聞いた。リーフは苦笑して、
「薬に詳しいって言ってもねぇ…前にも言ったでしょ?ここはまっとうな薬屋だって」
説得力がない。
「こんなモノ作ってたら捕まっちゃうし…せいぜいどんな効果があるかぐらいしかわからないわね」
「それで構わない。教えてくれ」
「…わかったわ…」
リーフはにっこりと微笑んで…その微笑みのまま、きょろきょろしてあたりを物色しようとしているクラウンをグーで殴った。
「いてっ」
「懲りないコね…レディーの部屋をあまりあさるものじゃないわ。ふふ」
そして、気を取り直して3人に向かい、薬を調べてくれともってきた冒険者…リンにしたのと同じ説明を始めた…。

ちょこっとゲスト

「やぁ、クルムさん!」
聞き慣れた声で呼び止められて振り返り、クルムは表情を凍りつかせた。
隣のミケも硬直しているのがわかる。
後ろにいたのは、顔立ちの整った街娘風の少女。ごくありふれたジャケットにフレアスカート。ポニーテールがなんとも可愛らしい。
だが。
「ミケさんもご一緒ですか。情報収集ですか?それともその帰りでしょうか?」
声はよく響くテノール。
………いい声。
「な…ナンミン…?」
もはやそれしかかける言葉はない。
「しいっ。今のわたくしはナミィです」
「い、いやあの…」
「それにしてもクルムさん、よくこの姿を見てわたくしだとわかりましたね…クルムさんには、運命的なものを感じます…」
「いや、っていうか、女の子はそんな声じゃないと思うし…」
「ええっ…わたくしのこの声が…?!」
「ああ。それで女の子はちょっと無理が…かっこいい男の人なら合うと思うけど」
「ダダン、ダーン♪とかですか?」
「いや、それこないだハードが生産中止になっただろ」
「では、土踏まず打った…!とかですか?」
「…それはマイナーなんだかメジャーなんだか微妙なラインだな…しかも古いし」
「な、ナミィさんはどうしてこちらに?」
何とか割って入るミケ。
「ええ、昨日はせっかく変装してお屋敷に潜入したのですが、わたくしとしたことがまったく違うメイド服で入ってしまいすぐにばれてしまうという失態を犯してしまったのです」
「はは…」
乾いた笑いを浮かべるクルム。
「これは変装道具を一から見直す必要があると思いまして、今日こうして変装道具を探しに街に出ているというわけなのですよ」
「そ…そう、ですか。あ、あの、いい出物はありましたか?」
「はい。これならば完璧にあの家のメイドに変装できます」
「本当ですの?」
向かい合うミケのさらに後ろからかかった声に、ナンミン…ナミィは微笑んだ。
「サツキさん。ご一緒だったのですね」
「ええ。これからお二人と一緒にゴールドバーグ様のお屋敷に向かうところなのです。ところで、今のお話が本当でしたら、助かりますわ」
「それはどういう…」
「あの、すみません」
詳しく尋ねようとしたナミィ(どうでもいいがまったく動じていないサツキの精神力はさすがと言うべきか)の声をさえぎって、男性の声がした。
4人がそちらの方を振り返ると、そこには背の高い青年が立っていた。
浅黒い肌に尖った耳。クライツほどではないが、女性と見まごうほどに美しい地人の男性である。
「このあたりに教会があると伺ったのですが、迷ってしまいまして…」
「このあたりの教会というと、クライツさんが身を寄せていらっしゃるところですね。ご案内しますよ」
「クライツ…クライシュベルツ・リッタルトをご存知なのですか?!」
男性はいきなり表情を変えて詰め寄ってきた。
ミケは多少気おされた様子で、男性に答える。
「え、ええ…教会にいらっしゃる、神学者の先生…です。僕達と一緒に、今ある事件を捜査していて…」
「その、クライツと名乗る男性は、この方ですか?」
男性はごそごそと荷物をあさって、中から一枚の紙を取り出した。
肖像画。ディセスの男性のものである。端整な顔立ちをしているが、絵ということを差し引いても、明らかにクライツのものではなかった。
「…いいえ?この方ではありませんよ」
ミケが正直に答えると、男性は難しい顔をして考え込んだ。
「…どうかしたんですか?クライツさんが…」
クルムも不思議そうな顔をして訊ねる。
男性は神妙な面持ちで、ゆっくりと告げた。
「…私は、マヒンダの魔術師ギルドに所属する者ですが、マヒンダからヴィーダに行く途中の道のりで死体で発見された、クライシュベルツ・リッタルトという神学者を殺した犯人を追ってきたんです」
「…な、何ですって…?!」
あまりに予想外のことを言われて、戦慄より先に驚きが来る。
「クライシュベルツ・リッタルトと名乗っている男性を知っていると仰いましたね?…案内していただけますか?」
「わ、わかりました…あ、自己紹介が遅れましたね…僕はミーケン=デ・ピースといいます。冒険者です」
「オレはクルム・ウィーグっていいます。ミケと一緒に、ある人に今は雇われて仕事をしてるんです」
「わたくしはサツキ・トコハナと申します…このお2人に協力をさせていただいている者ですわ。クライツ様と名乗るお方には、わたくしもお会いしたことがございます」
「わたくしは、ナミィと申します…」
ゆっくり微笑むナミィにはさして動じた様子もなく、男性はきちんと姿勢を正して礼をした。
「これは、ご挨拶が遅れて失礼をいたしました」
そして、綺麗に微笑む。
「私の名は、フィズ・ダイナ・シーヴァンといいます。フィズと呼んでください」

作戦会議

「そうだったのか…あの先生が、そんな奴だったとはねぇ…人は見かけで判断できないな」
まだ信じられない様子で、ジェノは唸った。
「ええ、僕も驚きました。教会に伺った時は、すでにクライツさんの姿も荷物もなく…昼頃に慌てた様子で出て行ったと、そう仰っていました」
ミケがその後の様子を説明する。
「何か…人を殺したっていうのに、全然実感が湧いてこないっていうか、悪者め!って思うより先に、誰もあの人のことを欠片も疑えなかった…っていうのが、むしろすごいとさえ思えるよ」
クルムも呆然とした様子で続ける。
「それで?その後はどうされたんですか?」
エルが促すと、ミケは頷いて答えた。
「ええ、あのフィズさんとおっしゃる方は、どうやらマヒンダからこの件だけを調べるために派遣された方のようで、ここの魔術師ギルドに報告だけしてお帰りになると仰っていました」
「…っていうことは、ギルド全体で関わってるような事件…ってことでしょうか」
ディーが考え込みながら言う。
「詳しくは伺えませんでしたが、似たような事件があちこちで起こっていることから、ギルドは同一の犯人として捕らえているようですね」
「似たような事件?」
ルフィンが首をひねる。
「…すごく綺麗な男が、不思議な力で相手を魅了し、虜にさせて…食っちまう、そうなんだ」
少し青ざめた表情で、クルム。
「く…食っちまう?!それ…って、たとえ…じゃ、ないのか?」
別の意味で食べてしまう男だったら世の中に五万といるが。ここにも1人いるし。1人じゃないかもしれないし。
「はい。今回殺されたクライシュベルツ・リッタルトという神学者も、マヒンダからここまでの道すがら、体のあちこちを食いちぎられて、顔を潰された状態で発見されたそうです」
「食人異常者…人畜無害な顔の裏には、そんな秘密が隠されていたのですね…」
エルのコメントを最後に、一同に寒い沈黙が下りた。
「…ま、いなくなったもんはどうしようもねえだろ。あの先生の正体を誰一人勘付けなかったのは俺たちの不覚だが、今はそれより先にすることがある」
気を取り直してジェノが言う。
「そ、そうだな。ムーンシャインを捕まえなくちゃ…」
自分に言い聞かせるように、クルム。
「で、どうする?警備の状況だが」
ジェノが屋敷の見取り図を机の上に広げた。
「例の像が安置されているのは、この本館から道ひとつで繋がっている宝物庫だ。1階と2階があって、1階は本館1階と、2階は本館2階のゴールドバーグさんの私室と繋がっている。1階と繋がっているところは、本館の1階でも俺たちが寝泊りしている客室エリアをぐるっと回らなければ辿り着けない。屋敷の中を通るとしたら、ずいぶん遠回りになるな。繋がる通路は壁に囲まれていて、ドアには一応カギだ。これは普通のカギだな。メイドなんかも掃除のために入ってるらしいからな。合鍵はゴールドバーグさんと、俺と、執事が持っている合計3つだ」
言って、その合鍵を出して見せる。
「一方、2階から繋がっているところはゴールドバーグさんの私室だ。1階の通路の上に通路があって、やはり壁に囲まれている。こっちのドアのカギは魔力によって封印されている類のもので、ゴールドバーグさんしか持っていない」
「合鍵はないのか?」
ヴォイスが訊ねると、ジェノは頷いた。
「ああ。あそこから出入りするのはゴールドバーグさんだけらしい。彼を襲いでもしない限り、あそこから出入りできるのはゴールドバーグさんだけってことになるな。次の宝物庫の内部だが、問題の像が安置されている部屋以外には、特にカギらしいカギはついていない。あとの部屋はまぁ、別に警備の必要はないだろう。問題の部屋には一応カギがついているが、これもまあ普通のカギだ。シーフやアサシンなら簡単に開けられるだろうな」
そこで一息ついて。
「…だいたいこんなところだが。さて、どうする?」
やや沈黙がおりて。最初に口を開いたのは、ミケ。
「…サツキさんのご助力も頂いていることですので、僕はクルムさんと一緒に像のある部屋にいようと思います。サツキさんは今、ナンミンさんにこの家のメイド服と多少のメイクをして頂いていますが、彼女にはムーンシャインの気を感じ取る力があるようですので、一緒にいて協力していただきます」
「サツキは俺とミケで、責任もって守るよ。あ、もちろん像もな」
クルムが続く。
「防御の魔法を、サツキさんと、念のために像にもかけておきます。それから、眠り薬対策のために、浄化の風魔法を…」
「あ、それでしたら必要ありませんよ」
エルが爽やかに割って入った。
「昼間、呪文を封じ込めた『符』を作っていたんです。触れていれば発動するタイプのものですね。眠った時に覚醒させる魔法を封じ、人数分作っておきました。クライツさんの分も作ってしまいましたが…これは、サツキさんに持っていただきましょうね。どうぞ。直接触れるところに携帯しておいて下さい」
言って、符をそれぞれに渡していく。
「それから、罠のタイプのものを一組、作っておきました。像のある部屋の入り口の、腰の高さあたりのところに両側に二枚、貼ってください。この間を通過したら、持続時間の短い麻痺の魔法が発動するようになっています」
「わかりました」
ミケがその符を受け取った。エルは続けた。
「私はそうですね、1階の方を警備していようと思います。魔法のカギを入手するのは困難とすると、こちらから来る可能性が高いですからね」
「そうですね、では僕もエルさんと一緒に警備をしていることにします」
「じゃあ、俺も1階の警備だ」
ディーとヴォイスがそれに続いた。
「俺は、ゴールドバーグさんの護衛に回ろうと思っていたんだが、ゴールドバーグさんが像のほうを守ってくれといってるんでな。できればミケと組みたいが、構わないか?」
ジェノが言うと、ミケはにこりと微笑んだ。
「もちろんです。クルムさんにジェノさんもいてくだされば、万一サツキさんに危害が及んでも安心ですね…ただ、僕はポチをジェノさんのところにおいていこうと思っていたのですよ」
「ポチ?」
「この子です」
と、肩に乗っている猫を示すミケ。
「使い魔です。僕と感覚を共有することができるんですよ。ではそうですね…1階にでも置きましょうか」
「何か宝物庫ばっかりだな。じゃああたしは正面の庭にいようかな。案外正面から堂々とくるかもしれないぜ?」
ルフィンが面白そうに言うと、瑪瑙が目を閉じてそれに続いた。
「そう、だね…あまり一箇所に、人が集中してしまうのも、よくない…俺は、本館のあたりにいる、よ…」
「よし。これで配置は完了だな」
ジェノは立ち上がって見取り図を丸めた。
「いよいよ今夜だ。みんな、しっかり飯食って、気合入れていくぞ!」
「あ、ご飯は遠慮した方がいいよ」
横から気合をそぐのを申し訳なさそうに、クルムが言った。
「ご飯に何か入っていないとも限らないから…眠り薬くらいなら、エルの作った札があるからいいけど…取り返しのつかない薬とか、入ってるかもしれないし」
「そ、そうか…じゃあ昼飯をもうちょっと食っとくんだったな…」
ジェノが苦笑して言うと、一同は小さく笑った。

ムーンライト・マジック

今夜は月が満ちる日。
アタシの力が満ちる日。
月の光をいっぱいに浴びて、
最高のマジックを見せてあげる。

今夜は月が満ちる日。
街に狂気が満ちる日。
スポットライトに照らされて、
最高のステップを見せてあげる。

今夜は月が満ちる日。
アタシと一緒に、さぁ、踊りましょう?
月の光を浴びながら、
アタシと狂気に堕ちましょう?

さあ………ショウタイムよ!

今夜もいい月。
狭い窓枠からわずかに見える月を見上げて、アタシはお茶の残りを飲み干した。
外にはまだしつこくアタシを見張ってるあのコがいる。あたしに気配を悟られたのがそんなに悔しかったのかしら。ふふ…可愛いコ。
でもカレの勘はまんざら捨てたものでもないかしらね?…ま、もっとも、勘だけでヒトを説得できるほど世の中甘くないけどね。
このまま出てってあのコを驚かせてあげるのもおもしろいかしら?ふとそんな事を思う。
…そうね、どのみち今日で最後なんだし。
アタシはくすっと笑って、上着を脱ぎ捨てた。
アタシの家のカラー…紫を基調にしたいつもの服の下には、体にフィットする布地で作られた、やっぱり同じ色のレオタード。
この髪が動き回るのには邪魔だけど、これはアタシのポリシーだし、切るのも縛るのもイヤ。
ランプを消して、寝ている猫をひと撫で。
アタシはお店のドアを開けて、外に出た。
少し離れた路地に、昨日みたいに気配を隠す術を使って潜んでるあのコがいる。アタシはそっちに向かって声をかけた。
「出てきたら?ストーカーさん」
しばらくの沈黙の後、路地の奥から白い仮面をかぶった黒い影がにじみ出る。
「こんな時間にそんなカッコでどこ行くの?」
相変わらすのカルい口調で訊いてくるカレ。あたりを照らすのは月明かりだけ。カレの仮面しか見えないけど、カレにもアタシの顔は見えないはず。
…ま、ウチから出て声かけてる時点で正体バラしてるんだけど。
アタシはカレの問いには答えずに、くすっと笑った。
「ストーキングするほどアタシのことスキなのね…アタシって罪なオンナ」
「なんでそうなるの」
「それじゃ…夜空のデートと洒落こみましょう、ストーカーさん!」
アタシはそう言って、高く後ろに跳び、ウチの屋根に着地した。
「待てっ!」
お約束どおりにカレもこっちに跳んでくる。よしよし。あたしはくるりと身を翻して隣の屋根に飛び移った。
「きゃはははは!」
カレが追ってくるのを確かめながら、屋根から屋根へと飛び移っていく。あのコの動きもなかなか素早くて、とってもエキサイティング!たまらないわ!
目当ての建物はそんなに遠くじゃない。住宅街はもう寝静まってる時間だから、夜空のデートを邪魔する無粋なヤツもいないわね。
さすがにお目当ての建物の周りには、人明かりがちらほら。あのオジサンに、ガードは要らないから家に入るなって言われた自警団のコたちね。ふふっ、可哀想。どのみち、アタシの正体やあのクスリの出所もつかめないようなヒトたちに、アレのヒミツに気付くほど頭の切れるコなんているわけないのにね。
「ムーンシャインだ!」
その中の1人が、アタシを指差して叫んだ。アタシは彼らに向かって投げキッスを送ると、
「きゃはははは!残念だけど、今日はアナタたちと遊んでるヒマはないの!」
軽々と彼らの頭と、屋敷の塀を飛び越えて中庭に着地する。
中庭の中央、噴水のあたりに、人影。
「ルフィンっ!」
アタシの後ろをついてきたあのコ…クラウンが、その人影に向かって叫んだ。
人影…ルフィンは、こっちに気付いたみたい。さっと身構えて、走ってくるアタシを待ち受ける。
「捕まえろ!ムーンシャインだっ!」
クラウンが後ろから叫ぶ。ルフィンはそんなことは先刻承知といった様子でアタシにまっすぐ拳を繰り出してきた。
「ふふっ」
アタシは拳が触れる直前でひらりと身を翻して横から彼女の腕を捕らえた。
「うわっ!」
そしてそのまま、ルフィンが繰り出してきた拳の力を利用して彼女を投げ倒す。
「きゃははははっ!」
アタシは再び走り出した。追ってくるコが1人から2人に増えてる。
面白くなってきたわ!
アタシは入り口手前で向きを変えて、右手の倉庫のほうへ向かった。
こっちの入り口の鍵はかかってないはず…オッケ!
アタシは素早く中に入ってドアを閉めると、カギをかけて、ノブに思い切り拳を叩き込んだ!
がしゅっ!
もうとっても回せないほどにひしゃげてしまったノブにくるりと背を向けて、アタシは細い廊下をさらに奥に進んだ。
「あっ!ちっくしょう!クラウン、開けろ!」
「まかせてよ!…って、ダメだ、内側から壊されてる!」
そんな会話を尻目にアタシは歩みを進め、裏庭に面する窓のカギを開け、そこから外に出て再び窓を閉めてから、壁にぴったり張り付いて息を潜めた。
「あーもう、うざってえな!壊すぞ!」
「いいの?」
「どの道こうなったら壊さねえと開かねえだろ!ちっとどいてろ!」
ややあって、派手に何かが壊れる音がした。
「わ~お。ルフィンすごい。怪力」
「茶化すんじゃねえ!行くぞ!」
足音はこっちに向かってきて…そして、アタシの後ろを通り過ぎ、向こうの方へ消えていった。
「…ふふ」
アタシはくすっと笑って立ち上がり、宝物庫の…
「あのー」
横手から男のヒトの声がして振り返ると、そこにはメイドの姿をした女の子が立っていた。
ははぁん…このコが。
カノジョ…カレ?は、引けた腰で身構えると、恐る恐る言った。
「…あ、ああ、あなたが、むむむ、ムーンシャインですね?神妙にお縄に…」
「とう」
「はうっ」
手刀であっさりと気絶する。
まぁ、それはどうでもいいとして…
アタシは宝物庫の裏側に回った。
窓も出入り口もないのっぺりとした壁の、右下のあたりを調べる。確かこのあたりに…あった!
アタシは隅のほうにあった小さなフタを開けた。中には、ほのかに光を放つ水晶。これが、この宝物庫の明かりの魔力の供給源になってるはず。前みたいにめんどくさいことしなくても、これを外しちゃえば…えいっ。
「…………」
分厚い壁に阻まれて中の様子をうかがうことは出来ない。リアクションがないのがちょっとつまらないけど、まあしょうがないか。
アタシはまたもとのところに戻ってくると、カギを開けておいた窓からまた中に入り、宝物庫の方へと向かった。
曲がり角の手前で立ち止まり、息を潜めて壁に張り付く。
「おい!何があったんだ?!おいったら!」
どんどんとドアを叩く音と、ルフィンの声。中で何かあったみたい。っていうか、明かり消えたんだけどね(笑)
ややあって、中からくぐもった声。ルフィンは声を潜めて何かを言った。多分合言葉だろう。
ドアが開き、男のヒトの声がした。あの声は…ディー。
「ルフィンさん」
「どうしたんだよ、ディー?…って、なんで暗いんだ?」
「中の照明が、全部消えたんですよ…本館の方は、なんともないんですか?」
「ああ、見ろよ。もう夜だから廊下の明かりはあらかた消えてるが、豆灯はついてるぜ?」
「そうよ。消したのは宝物庫の明かりだけだもの」
アタシは彼らにも聞こえる大きな声でそう言って、曲がり角に姿を現した。
「あっ!てめえ、いつの間に!」
言うが早いかルフィンがこっちに走ってくる。アタシはまた身を翻して、もと来た道を走り出した。
「きゃはは!」
追ってくる足音は…3…4…5人!
クライマックスはこれからよ!

アタシはそのまま道なりに走っていって、応接間を抜け、ロビーの方へ向かった。後ろから追ってくるヒトたちを、少し引き離しすぎちゃったかな…と思ったとき。
2階へ上がる、二つの階段のちょうど中央に、人影。
見たことのない男のコ。背が高くて、とっても綺麗なカオ…寂しそうな微笑み。左手にぐるぐる巻きにされた包帯が痛々しい。
カレは優雅なしぐさでこちらに体を向けると、左手の包帯を外し始めた。
手には火傷のような黒い模様が、不気味に走り回ってる。そしてその周りに、明らかに模様じゃない、黒い霧みたいなものが…
………なるほど。
アタシはにやりと笑って、抑えていた気配を少しだけ外にさらした。
カレは少し動揺したみたいだった。左手を見て…そして、ソレを使うのを諦めたみたい。軽く身構える。
…そうよ。「カノジョ」はアタシを怖がってるの。ふふ。
アタシはくすっと笑って、勢いをつけて彼に蹴りを繰り出した。カレはさっとよけて、足を払おうとする。無理無理、格闘を少しかじったくらいじゃ、アタシの動きは追えないわよ♪そろそろさっきから追ってきてるコたちも追いつく頃かな。
アタシはひらりとカレをかわすと、階段を駆け上がっていった。
「瑪瑙っ!」
ルフィンの声がする。アタシを追ってくる人数は、これで6人。
あたしは2階に上がると、そのままベランダへ…
と思ったら、ベランダへ出る窓の前に、何かがいた。
…黒猫?
…ああ、なんていったっけ、カレ…ミケの飼い猫だ。そうか、使い魔…
アタシはそのまま猫の横をすり抜け、ベランダに出る。あのコたちはまだ2階には上がってこない。ここでそのまま飛び上がれば、振り切れるだろうけど…
あたしはベランダから高く跳んで、3階の窓を踏み台にしてまた高く跳び、そのまま屋根に飛び乗った。
「こっちか?!」
ベランダから声がする。ベランダには辿り着いたみたい。
「…どっちです?」
ディーの声がする。その後に、細い猫の声。
「…上です!」
ややあって、平らな屋根に次々と影が降り立った。
最初は猫を抱いたディー。そしてクラウン、ルフィン。ややあってヴォイス。重そうな剣を持ったエルは最後に。
月明かりだけがあたりを照らしてる。アタシの表情は伺えないはず。
「…ライト!」
ヴォイスの声がして、カレの手の先にまぶしい光がともった。
光はアタシの、そして彼らの顔を照らし出す。
「………リーフ…」
呆然としたルフィンの声。
意外そうな顔をしてるコもいれば、ある程度わかっていたというような表情のコもいる。クラウンは仮面つけてるから表情が伺えないし、アタシをもともと知らない瑪瑙ってコは問題外だけど。
「…なぁんだ…振り切れると思ったのに。意外な伏兵がいたようね。でもなんで、そのコアタシの居場所がわかったのかしら?」
猫を抱いたディーがその問いに答えてくれた。
「貴女の気配を感知出来る方を、助っ人に呼んだのですよ」
「なるほどねぇ…アナタたちを少し侮っていたかしら。ごめんなさいね」
「リーフ…おまえがムーンシャインだったのか…?」
ヴォイスの視線は厳しい。アタシはくすっと笑った。
「ふふふ…アタシはムーンシャインじゃないわよ」
「何を今さら…」
「ディーにも言ったじゃない。アタシはムーンシャインじゃないって。アタシは自分でムーンシャインだなんて名乗ったこと一度もないわよ。…あらぁ、今世間を騒がせ照るムーンシャインって、アタシのことだったのねぇ!驚きだわ!」
「ふざけるな!」
「ヴォイスさん、落ち着いてください」
くってかかろうとするヴォイスを、なだめるエル。今度はカレがあたしに質問をつむいだ。
「何故です?リーフさん。何故貴女は、盗みなどするのですか?」
「ふふふ…それはね」
アタシは勿体つけて、答えた。
「…像を手に入れたら説明するわ!」
そして、屋根の縁を思い切り蹴った。
「ああっ!」
後ろに高く跳んで、空中で宙返り。当然着地する先は…宝物庫の屋根!
彼らが追いつかないうちに。着地するが早いか、アタシは思い切り屋根の中央に拳を叩き込んだ!もうそりゃあ、遠慮なく思いきりね!
どごっ。
屋根は音を立てて、あたしが乗っているところごと崩れだした。
「わぁぁっ!」
中にいたコの悲鳴が聞こえる。アタシはバランスをとって、崩れた瓦礫の上に着地した。
辺りを見回すと、消えてしまった明かりの代わりにろうそくの炎であたりを照らしている、ミケ。その隣には物騒な槍…なるほどねぇ…を持った背の高い男のヒト。そして一番後ろのメイド服の黒髪の女のコを守るように、大きな剣を持った男のコ。
「リ…リーフさん!」
驚いた様子で、ミケ。カレとあたしを不思議そうに交互に見る、槍のヒト。
メイドのコをじりじりと後ろに下げながら、剣に手をかけて身構える男の子。
アタシは笑顔で手を振った。
「やっほーミケ♪お仕事ご苦労様。さて、像は…っと」
アタシは瓦礫から降りて、ひょいひょいと崩れた屋根をどけていった。
ていうか、護衛してるんなら止めなさいよアナタたち。まあ、突然屋根が崩れてヒトが降ってきたら驚くわよね、そりゃ。しかも守るべき像はその下敷きになっちゃってるし。
瓦礫の下には、壊れたガラスケースと、無傷の妖精像。
「あら、防御の魔法はってくれたのね。ありがと♪」
ミケに向かってウインクすると、ようやく彼らは理性を取り戻したみたいだった。
「か…返して下さい!」
「くそっ!」
舌打ちして槍を繰り出す男のヒト。さすがにこんなので刺されたらやばいかも。アタシはひょいっとそれを交わすと、開いた天上の穴から外に出ようと高く跳ん…
ごちんっ。どすっ。
「…ってぇぇぇっ!」
「いったぁぁぁい!」
穴から追ってこようとしたヒトとぶつかって、あえなく撃沈した。カレもアタシと一緒に宝物室に墜落する。
「大丈夫か、クラウン!」
上からルフィンの声がする。残りの追っ手組も、次々と部屋の中に入ってきた。
「…もう逃げられませんよ」
ディーに猫を返してもらったミケが、静かにそう言った。
アタシはいたむ頭をさすりながら、立ち上がった…

「アタシを捕まえても、事件は解決しないわよ」
アタシは彼らに向かって、そう言い放った。
「…どういうことです?」
訝しげな顔で、ミケ。
アタシはさっと髪をかきあげて、くすっと笑った。
「この像を持っていければ、アタシのとりあえずの目的は達成できるのよね。…ゴールドバーグが麻薬…ムーンシャインを流すのを止める、っていう、ね」
「…な…なんだと…?!」
驚きの声を上げたのは、さっきの槍を持った男の人。
「あ、やっぱり本当なんだ」
早くも立ち直って、軽い調子でそう言ったのは、クラウン。
「ゴールドバーグたち4人が、ムーンシャインを流してるんだって噂。あの4人が『お出かけ』をするのと、ムーンシャインが新しく流れ出す時期が一致するって言ってたけど…」
「ど…どういうことなんだ?」
大きな剣を持った男のコが訊いてくる。
「アタシがなぜムーンシャインって呼ばれてるか…誰か、聞いたヒト、いる?」
そう言ってみんなの顔を見回すと、ディーがゆっくりと言った。
「…最初の…アインシェル氏が、去っていく貴女の姿を見て『ムーンシャインが』と呟いたのが、始まりだと…」
「そう。さっきも言ったわね。アタシは一言だって自分の事を『ムーンシャイン』だなんて名乗ってないの。じゃあなんで、アインシェルは『ムーンシャインが』なんて呟いたと思う?」
その問いに答えるヒトはいない。アタシはにやりと笑った。
「あの像を失ったら、もうムーンシャインを手に入れることは出来なくなるからよ」
しばらくの沈黙。
口を開いたのは、エル。
「…それは…あの像が、ムーンシャインを手に入れるためのカギ、ということですか?」
「そゆこと」
新たな事実に警戒心が薄れたのか、アタシが歩みを進めても誰も止めようとするヒトはいない。まぁ別に、逃げようとも思ってないけど。
「4ヶ月もの間、アタシが捕まらないもうひとつの理由…そう。あのヒトたちは被害届を出せないのよ。像を守ってもらうくらいなら、何とでも言い繕える。けど持っていかれた像を追っていかれたら、芋づる式にあのヒトたちのやったことまでバレてしまうかもしれない。だから自警団にアタシを追って像を取り戻してくれとは言えない。だからアタシを捕まえても、犯罪として立件できない…」
「そう…だったのか…」
さっきアタシに食ってかかろうとしたヴォイスも、呆然として言った。
「でも、これは流れ出る出口を抑えたに過ぎない。あのヒトたちはふって沸いたムーンシャインっていう幸運に溺れていただけよ。アタシの最終的な目的は、モトを断つこと…彼らにあの像を与え、ムーンシャインを与えたヒトを突き止めること…」
彼らの間を通り抜けて、アタシはくるりと振り向いた。
「…さあ、どうするの?アタシを捕まえる?それとも…」
そして、天井の穴からこぼれる月の光を浴びながら、にやりと微笑んだ。
「…アタシと一緒に、黒幕を突き止める?」
さぁ…どうするの?

選ぶのは…アナタ自身よ?

ふふふ…

ああ…これを言わないとダメね。

ナンミンは、まだ気絶してるわよ(笑)

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