月の明かりに照らされて

ヒトってさ、
 自分のやったことを悔やんだり悩んだりするじゃない。
 でもね、最近思うんだけど、
 判断を下した時点では、それが一番いいかどうかなんて
 しょせんわかりゃしないんだから、
 だったら自分の好きなようにやるのが一番じゃない?
 ああすればよかった、こうすればよかったなんて
 後になったから思えることなのよ。
 苦い思いをしたから思えることなのよ。
 傷つかなかったら出来ない選択だったのよ。
 誰も、自分がやってることが正しいのかなんてわからない。
 そもそも、何が正しくて何が間違ってるかなんて、
 誰にもわからないことじゃないかしら?
 だったら。
 自分の思うようにやること。それで後悔しないこと。
 それが一番なんじゃないかしら?

闇夜に浮かぶ紅い瞳

ひたり、ひたり。足音を忍ばせて、すっかり闇に沈んだゴールドバーグ邸を、ひとつの影が動いていた。
かちゃり。
鍵がかかっている扉を、部屋の持ち主から預かっていた合鍵でやはり音がしないように注意しながら開ける。
音もなく開くドア。やはりゆっくりと、影は部屋の中に入り、月明かりでかすかに照らされた広い室内をゆっくり移動していく。
主が眠る、ベッドの傍らへと。
起きているときと変わらない、なんとなく不機嫌そうな顔でぐっすりと眠る、太った中年男性。ベッドも大きいが、この身体にはちょうどよかろう。そんなことを思いながら、影はゆっくりと主の頭があるほうへ移動していく。
窓からこぼれる月明かりが、影の顔をうっすらと映し出した。
闇夜に浮かぶ、血のような紅い瞳。頬に走る、紅い奇妙な模様。今まで数々の修羅場を潜り抜けてきたことがうかがえる、油断のない表情。
…そう。この部屋の主、アレックス・ゴールドバーグが雇っている用心棒。
ジェノサイド・ルインワージュ。
彼は足音を立てず、ゆっくりと、ゴールドバーグの元へと歩み寄った。
窓を背にして立つ。
月明かりが優しくゴールドバーグの顔を照らすが、ジェノの表情は陰に隠れてしまい判別できない。
しばらくの間、ジェノは微動だ似せずに雇い主を見つめていたが、やがて持っていた大きな棒の、頭にぐるぐる巻きになっていた黒い布を静かに解き始めた。
月明かりが、黒く光る鋭い槍の刃を映し出す。
彼が持っていた、唯一の武器。一見してただの槍ではないことはわかるのだが、銘があるのかどうかはわからない。いや、そもそも、何故彼がこの槍を持っているのかもわからない。
ジェノには記憶がなかった。
気付いたら、この槍を持って旅をしていた。自分が何者なのか、どうしてこの槍を持っているのか、この頬に走る紅い模様…実のところこの紅い模様は全身に及んでいるのだが、その正体も、全くわからない。
わからない…が、時折自分に襲い掛かってくる明らかに雇われた刺客とわかる連中がいるところをみると、おそらく自分は何か大きな厄介ごとに巻き込まれているのだろう。
自分は何者なのか。自分はどうして記憶がないのか。自分は何をすべきなのか。
それが彼の旅の目的。こうして冒険者として依頼を受けているのは、単なる寄り道に過ぎない。
…だが、気になるものを見過ごしにしては置けない。
ジェノは静かに槍を掲げると、ゴールドバーグの喉元に突きつけた。
僅かに顔を照らした月明かりが、彼の紅く光る目を照らし出す。
彼の目は、本気だった。隠すことの出来ない殺気が、全身からみなぎっている。
ちゃきっ。
ジェノは槍を再び振り上げて、ゴールドバーグの喉元に突き立てた!
「……………」
室内が再び静まり返る。
ゴールドバーグは変わらず安らかな寝息を立てている。
槍の刃は、彼の喉のぎりぎり手前でぴたりと止まっていた。
「………」
ジェノは槍を離すと、再び元のように布を巻きつける。
そして踵を返し、部屋を出た。
(やはり、気の回しすぎか…)
昼間、ゴールドバーグにぴったりとくっついていたジェノ。今日は彼に外出の気配はなかったが、昨日森に出かけたというのも気になっていた。彼が目を離していた少しの隙に、いつの間にかいなくなっていたのだ。
帰ってくるやいなや、ものすごい勢いであの像が偽物である事をジェノに追及した。
そして、ミケが言っていた「モンスターの気配らしきもの」…
あの像には、何があるのか。
『よく…僕にもわからないのですよ。モンスターの気配…のようなものも、かすかに感じただけですし。むしろ残り香、といった感じでしたね』
『正直言って、僕にもわかりません…ゴールドバーグ氏はもとよりあの像のことについて詳しいことをお話くださる気はないようですし…まぁ、僕たちは雇われ人なのですから、本来は依頼内容以外のことはするべきではないんでしょうけど…』
『もし本当にモンスターの気配で、氏がモンスター…ないしはそれに類するものにかかわっているとしたら…僕は、放っては置けません。けど、ジェノさんまでそれにお付き合いくださることはないでしょう。これ以上、僕のせいでジェノさんに迷惑をかけてしまうわけにはいきませんからね』
迷惑云々についてはむしろどうでもいい、とは思う。これはどうせ寄り道なのだ。彼の腕のよさに思わぬ引止めを喰らってしまったが、ゴールドバーグに解雇されたとて働き口などいくらでもある。彼の腕ならば。
だが、もしミケが感じたモンスターの気配(らしきもの)が、ゴールドバーグに関係するものならば。
否、もしかしたらゴールドバーグ自身が魔的なものを持っているのかもしれない。でありながらそ知らぬ顔をして人間として暮らしているのかもしれない。
だとしたら、放っては置けない。
そう思い、わざと殺気を隠さずに襲ってみたのだが…
そんなジェノの思惑を知っていてなお寝たふりをしているのか、あるいは本当に気付かずにぐっすりと眠っているだけなのか。
どちらにしても、ゴールドバーグはただぐっすりと眠っているだけだった。
(…寝るか)
ジェノはくるりと向きを変えると、自分の部屋へと戻っていった。

朝の会とか言われちゃいました(笑)

「…それで、エルさんの容態は?」
心配そうな表情でミケがクルムに問う。同様の表情で、クルムは言った。
「今日一日は動けないんじゃないかな。かなり衰弱してたから…一応寝かせてあるけど、起きてるよ。話は出来るみたいだ。エルが見たものは、大体オレがさっき説明したとおりだよ」
「そうですか…どういうことでしょうね?」
何かをきょろきょろと探していたゴールドバーグ。
結局何も起こらずに、途中でかなり憤慨した様子で森を去っていった…
「…ミケがかけた幻術を見破ったっていうのにも、関係があるんじゃないか?」
傍らで黙って話を聞いていたジェノが、ミケに向かって言う。
「やはりそう思われますか?」
「あの時、ゴールドバーグさんが持ってた包みって…あの像、なんじゃないのかな?」
クルムがさらに続ける。
「もしあの像が本物だったら、あそこで何かが起きるはずだったんだ。でも何も起きなかった。だからゴールドバーグさんはあれが偽物だと確信した…」
「やはりあの森に、何かがありそうですね」
真面目な表情で頷くミケ。
「そういえば、あのあと結局セレはどうしたんだ?」
クルムは今度はクライツに向かって問うた。
「わたしの説得に応じて、引き下がってくださいましたよ」
クライツはにっこり笑って言った。すると珍しく、瑪瑙が口をはさむ。
「…本当、かな…?彼女が、説得なんかで引き下がるとは、思えない、ね…」
瑪瑙はどこか、セレに対して少しムキになるところがあるようだ。それなのに、自分は森に行って彼女と対しようとはしない。
クライツは苦笑して、瑪瑙に言った。
「ばれてしまいましたか。説得するまでもなく、彼女にクルムさんたちを止める意思はなかったようでしたよ。単に、ナンミンさんを私達に返すのが目的だったのでしょう」
「そうだったのか…あのセレも、謎だよな?一体どんな命令を受けてるのか…」
クルムのセリフに、うーんと考え込む一同。
「ミケのほうは?」
「さっぱりでしたよ…見当違いでしたね。僕としたことが、面目ないです。あの方は、面白い方でしたけど」
「あの方…と仰いますと…薬屋を経営しておられるという…?」
クライツの問いに、ミケは頷いた。
「ええ。リーフさんです。店の雰囲気とは裏腹に、明るくて頭も回る才女のようですね」
クライツの問いに答えると、ミケは再び考え込んだ。
「…とはいえ、昨日はほとんど収穫なしと言った感じでしたね…ムーンシャインの正体についても結局、これといった情報は得られませんでしたし…」
「そろそろ、屋敷の警備についても策を練った方がいいかもしれないな。いよいよ、明日の夜だ」
続いてジェノも言う。
「俺は、今日も屋敷にいようと思う。ゴールドバーグさんの護衛、だからな」
多分に別の響きを含んで、ジェノは宣言した。
「私も…そうですね、ここにいることにします」
続いてクライツ。
「あたしはまたリーフのところに行くよ。なんだかあいつのセリフ、重要そうな気がするんだ」
よくわからない根拠で、ルフィン。
「俺は…今日は街の方に情報集めに行ってくる」
ヴォイスが宣言すると、ディーが微笑してそれに続いた。
「…では、僕もそれにお供しますよ」
なんとなく意外そうな表情で皆がディーを見た。ミケと顔見知りで、今までミケと共にいる機会が多かったような気がしたからだ。今回も当然、ミケと行動を共にするであろうと思われていたのに。
だが当のミケは、けろりとしてクルムに言った。
「僕、カティさんにお会いしてみたいんですよ。クルムさん、よろしければ紹介していただけますか?」
「カティに?ああ、いいよ。一緒に行こう」
笑顔でそれに答えるクルム。
「…俺は…そう、だね…少し、調べてみたいことがある…今日は、街の方にいる、よ…」
続いて瑪瑙が言った。これで全員の宣言が終わる。
「それでは、あと一日ですが、がんばりましょう」
ミケが笑顔でしめる。
…やっぱり朝の会かもしれない…

鉢植え

「おや、クルムさん」
エルの部屋に入ったミケは、先客を認めて微笑んだ。
「エルさんのお見舞いですか?」
「ああ。昨日よくがんばったよなって。でも寝てるみたいだ」
クルムの言葉通り、エルはすやすやとよく眠っていた。二人が部屋に入ってきたことすら気付かぬ様子である。
「それにしても…病人には向かない部屋ですね…」
ミケは眉をしかめて部屋を見渡した。彼の部屋と同じつくりなのだから何も今さら見渡す必要はないのだが、この部屋には窓がない。魔道の光が三人を照らすのみである。日光が人間の活力の元になっているとするなら、この部屋はきっぱりと病人には向かない部屋と言えた。
「パーティーとかに来た客用とかだろ?しょうがないよ」
クルムは言って苦笑する。
部屋の内装は綺麗だが、どことなく箱詰めにされたように感じる部屋である。客は眠れればそれでいい、ゴールドバーグの性格をよく表した部屋といえた。
「さて…と。ミケ、ちょっと待っててくれよな」
見舞いの一輪挿しをベッドの脇の小机に置くと、クルムは立ち上がった。
「どこへ?」
「街へ出るなら、ついでに寄りたいところがあるんだ。ほら、前にディーが会ったっていう…サツキさん、だっけ?あの人に詳しい話を聞きたくてさ。ディーに連絡先訊こうと思って。ディーはヴォイスと別のところ行くんだろ?」
そう言うと、さっさと部屋を出てしまう。
「あ、待ってくださいクルムさん、ディーなら僕が…と。行ってしまいましたね」
ミケは苦笑して、クルムが座っていた椅子に座る。
と、ドアが開いて、別の客が姿を現した。
「ディー。お見舞いですか?…というか、クルムさんを見ませんでしたか?今あなたを探して出て行ったばかりなのですが…」
「クルムさん?…見なかったけど?よっと」
ごとっ、と、ディーは持っていたものをクルムが置いた一輪挿しの隣に置く。
「…ディー。ひとつ聞いていいですか?」
「何?」
「…それは?」
「…お見舞いだけど」
鉢植え。
ミケは少し目を閉じて押し黙ると、何かを堪えるような表情で口を開いた。
「…ディー。鉢植えは『根付く』が『寝付く』を連想させるので、お見舞いとしてはあまりふさわしくないのですよ」
「…そうなんだ?それは知らなかったな。じゃあ、別のものを持ってこよう」
ディーは再び鉢植えを持ち上げると、部屋を出た。ややあって再びドアが開き、小ぶりな花束を持ったディーが入ってくる。
「これならいいだろう?」
「それは…サイネリアじゃないですか」
「ああ。綺麗な花だろう?」
花に負けない綺麗な微笑を浮かべてディーが言うと、ミケはため息をついた。
「…ディー。サイネリアは別名をシネラリアというんです。サイネリアは『災』ネリア。別名のシネラリアでも『死ね』ラリア。縁起が悪いと二重の意味でお見舞いとしてはふさわしくないのですよ」
「…そうなんだ?わかったよ、今度こそいいものを持ってこよう」
そして再び部屋を出て、しばらくして再び部屋に現れた。
「ディー…」
ミケは目を閉じて眉間を押さえた。
「サイネリアの鉢植えを持ってきてどうするんです」
「いっそのこと花壇でも作ろうか」
「そこまでやれば立派なものです」
「君たち…」
弱々しい声がベッドの方からして、二人はそちらを振り向いた。
いつの間にか目を覚ましたエルが、半眼でこちらを見ている。
「…見舞う気がないのでしたら…早く仕事に行ってくれますか…」

部屋を追い出された二人は、ドアの外でしばし沈黙した。
最初に口を開いたのは、ミケ。
「…ディー…」
「何?」
「僕たち…いったいどこ語で喋ってるのでしょう?」
「……………さぁ?」

…爆死。

そろそろ本気で動きましょうよ

その頃、問題のクルムがどうなっていたかというと。
部屋を出てすぐ。
「うわっ!!」
後ろからいきなり何かに突き飛ばされ、空いていた隣の空き部屋に入った。というか、入れられた。
「な、なにするんだよ!!」
慌てて後ろを振り向くと、そこにはメイド服の女性が立っていた。見覚えのない顔だ。もっともこの屋敷にはたくさんのメイドがいるので、顔と名前が一致しているのはユリくらいのものだが。
彼女はにっこりと笑うとドアを閉め、後ろ手でかちゃりと鍵をかけた。
…怖い。
なんだか得体の知れない怖さを感じる。
背はそれほど高くないが、顔立ちは整っていて、成人女性のようである。にこにこ笑う顔に悪意はないようではあるが、とにかく行動が行動なだけに、ただひたすら怖い。
彼女は笑顔のまま、一歩、また一歩とクルムに歩み寄る。
クルムは身構えなおすと、油断なく女性を見たまま背中の剣に手をかけた。
そんなクルムに向かって、女性はゆっくりと口を開いた。
「…クルムさん」
びくうっ。
思わず壁まで後ずさるクルム。
よく響くテノール。
…いい声。
「その声…ナンミン?!」
にっこりと女性…ナンミンは微笑んだ。
「声だけでわかっていただけるとは、光栄です」
「いや、あの、そのカッコ…どうして、ここに?」
どこから聞いたらいいかわからないといった様子で、途絶え途絶えに問うクルム。
「いえ…クルムさんに、お礼を言いたくて」
どうでもいいが容姿と声がそぐわない。
とりあえずそのことは努めて気にしないようにして、クルムは続けた。
「お礼?」
「昨日、気絶したわたくしをあの女性から救い出し、森の外まで運んでくださったでしょう」
「ああ…あれか」
救い出したというか、セレの方から投げつけてきたのだが。
そのあとエルの術に力を貸し、昨日の情景を彷徨っている間中ナンミンを抱えて歩いていたわけである。
ということにアップしてから気付きなんだか笑っちゃった馬鹿は私です。でもそのまま。
さすがにエルが倒れてからは二人担いで町まで戻る力はないので、気絶していただけのナンミンを起こし、変装させて、二人でゴールドバーグ邸まで運んだのであった。
「そんな、オレは大したことしたわけじゃないよ、怪我がなくてよかったな」
にこっと笑ってクルムがいうと、ナンミンは申し訳なさそうに頭を下げた。
「そそそんな、とんでもない。ありがとうございます。クルムさんは、いい方ですね…」
メイドの顔のまま、いい声で言うナンミン。
顔が引きつるのを自覚しながら、クルムはかろうじて言った。
「きょ、今日はナンミンはどうするんだ?」
「そうですね…このまま一言も声を出さずにメイドのふりをするのは難しいかと思われますし…よろしければ、クルムさんのお手伝いをさせていただきたいのですが」
「オレに?ああ、いいよ。今日は街に出るつもりなんだ」
クルムは頬を掻きながら、苦笑した。
「…でも、ランスロットの格好で来てくれな?」

「ゴールドバーグ…ですかい?」
昼なお暗い、スラムの裏街道。そこにいるような連中はろくなものがいないが、例に漏れずろくでもなさそうな風体の男が、訝しげに眉をひそめた。
男の隣に立っているのは、黒ずくめのピエロの衣装に白い仮面の男。
クラウン。
「そ。ゴールドバーグ。何かコソコソやってるらしいんだ。どこに行ってなにをしてるのか、調べてよ」
「そりゃ、ほかならぬクラウンさんの頼みですから引き受けやすが…なんなんです?今度のターゲットですかい?」
「ひ・み・つ♪」
人差し指をぴっと立てて、どこかで見たようなポーズをするクラウン。
「おおっと、依頼人と内容はいわねえ決まりでやしたね…どうもあっしらの仕事とは勝手が違いまさぁ」
「…そうだな。それと、ねぇ、表通りからちょっと外れたところにある『アサシンギルド』って薬屋、知ってる?」
「アサシンギルドぉ?なんですかい、そのふざけた名前の薬屋は?」
「こないだ見つけたんだ。そこの、リーフっていう女も、何かくさいんだよねぇ。何がって言うんじゃないんだけど…カンってやつ?その店と、その女について…ちょっと、調べてくれるかな?出来れば見張りもつけてくれると、嬉しいな♪」
「…ちょいとそりゃあ、一度にやるには人手が要りますなぁ…いくらクラウンさんの頼みとはいえ…あっしひとりで出来ることならお安い御用なんですが…」
へへ、と意味ありげな笑みを浮かべて、男。
「わかってるよ。…これでどう?」
クラウンは指を二本立てた。
「そりゃあねえっすよ、クラウンさん。クラウンさんほどのお人ともなりゃあがっぽりいただいてるんでしょ?」
「がっぽりいただいても、がっぽり出すとは限らないよ。じゃあこれでどう?これ以上はちょっと出せないなぁ」
「へいへい、わかりやしたよ。ったく、人使いが荒いんだから…」
男はしぶしぶ頷くと、じゃあ、と言って足早にその場を去った。
「さてと、僕は…」
クラウンは、男が去った方向とは逆の方向に体を向けた。

なぞなぞしましょう

(ふふふ…あははは…)
記憶の奥底に眠っているわずかな「知識」。屈託のない少女の笑い声。何かと戯れているのか。彼にも見えた。水の精。普通の人間ならば見えるはずのないもの。
(…あ…お兄ちゃんだ!お兄ちゃん!)
少女は笑みをこちらに向ける。彼も破顔して手を振り返し、彼女の名前を…
名前を…
(名前…?)
彼は自分の笑顔が凍りつくのを感じた。
少女の名前は知っている。知っているが、口から名前がついて出ない。
少女の笑い声は、少女の笑顔はどんどん遠くなっていく。
彼は必死でそれを追いかける。
だが少女はどんどん彼から離れてゆき、やがて…消えた。
「………!」
エルは目を覚まし、辺りを見回した。
いつもの部屋。ゴールドバーグ邸の、箱のような小さな部屋。
(夢か…)
ため息をついて額に手をやる。汗をびっしょりかいている。目尻から涙が一筋こぼれていた。
(どうかしている…)
汗と涙をとりあえず手でぬぐって、エルは体を起こした。まだ少しだるいが、ひところよりは大分調子がよくなった。この分なら明日には以前と同じように動けるだろう。
すると、部屋のドアが開く。
「あ…起きていらしたんですね」
入ってきたメイド服の女性は、エルを見てにこりと笑った。
「あなたは確か…ユリさん、でしたね」
「名前を覚えていただいて光栄です。少しお部屋のお掃除をしようと思って…あ、でもご休養のお邪魔になるようでしたら…」
「構いませんよ。丁度少し退屈していたところです。話し相手になってくださいませんか?」
「私でよろしければ…」
ユリはにっこり笑って中へと入った。その後ろから、もう一人の人物がひょこっと顔を出す。
「私も…よろしいですか?」
柔らかい微笑みを浮かべて、妖麗な地人はそう言った。
「クライツさん。もちろんですよ。さあ、どうぞ」
エルも笑顔でそれに答える。ユリとクライツは部屋に入ると(しっかりとユリの肩をクライツが抱いているあたりが気にかかるが)、ベッドの脇の椅子に腰掛けた。
「昨日はありがとうございました、クライツさん」
エルは爽やかな笑顔のまま、クライツに言った。クライツは苦笑して首を振る。
「御礼をいわれるようなことはしておりませんよ。あの少女にはもとより、私たちに危害を加える気はなかったようでしたから…」
「それでも、あなたが私たちを身をていして逃がしてくれたのは事実です。ありがとうございました」
邪心のないエルの笑顔に、クライツはただ苦笑するばかりだ。
「それにしても、すごかったですね。昨日の幻術は。もう一度見せてくださいよ、クライツさん」
言われてクライツは、少し戸惑ったような笑みを浮かべた。
「あまり人前でひけらかすような術でもありませんよ…」
「いいえ。私もクルムさんも、あの時完全にゴールドバーグ氏があそこに現れたと思いました。私には使えない術ですからね、とても興味があります。ぜひもう一度見せてください」
「私も見てみたいです、クライツ様」
横でユリにまでせがまれ、クライツは仕方がないといった風に目を閉じて神経を集中させた。
そして一瞬後に、彼の姿が全くの別人に変わる。
後ろで束ねられた黒く艶やかな髪。切れ長の瞳に浮かぶアルカイックスマイル。
「…サツキちゃん…!」
ユリが驚きに目を丸くする。サツキの姿を知らないエルはただきょとんとするばかりだが、サツキの名前だけはディーから聞いて知っていたのでなんとなく納得した。
クライツはすぐに幻術を解いてもとの姿に戻ると、ユリに微笑みかける。
「一度お会いしたきりですが…こんな感じでしたか?」
「すごいです!そっくりでした!」
興奮した様子で、ユリ。エルももう一度ゴールドバーグのウインクを見たいとは思っていなかったので、無難な幻術にほっとしている。
「すごいですね。私は神官とは名ばかりの、力押しタイプですから…魔法を自在に操っている方はただただ尊敬するばかりです」
「恐れ入ります。けれど私も神に仕える身。本分を忘れて術におぼれぬよう気をつけなくてはなりませんね」
クライツは薄く笑ってそう言った。
エルはしばらく笑顔のまま黙っていたが、ふいに、唐突な言葉を口に出した。
「…なぞなぞ、しましょうか」
「えっ?」
ユリがきょとんとして問い返す。エルはそちらに笑みを返すと、小さな子供のような口調で言った。
「長い間、懐にしまっておくと、ダメになるものってなんだ?ヒント。ゴールドバーグさんが持っています」
「???」
ユリは戸惑いの表情を浮かべるばかり。
クライツは、エルの言いたいことを察して…黙って微笑みを浮かべていた。
「やっかいですねぇ…こんな日は、自分の力の無さに足掻いてみたくもなるものですよ…本当に」
エルは笑みを崩して、箱のような部屋の、魔法の明かりのともった天井を見上げた…

ムーン・イズ・ルナティック

「…知らないねぇ。1年前くらいからって本人が言ってんなら、そうじゃないのかい?」
難しい顔をして、がっしりとした体型の…ありていに言えば少し太った中年女性はそう言った。
「貴女はあそこの薬屋を利用したことは無いのですか?」
ディーはさらに、女性に質問を重ねた。
「あんなところに薬屋なんかあったんだねぇ。名前なんてったっけ?…アサシンギルド?また妙な名前の薬屋だねぇ。だいたいあんなところなんかめったに行かないさ…あたしみたいな普通の人間はね」
意味ありげな表情で、女性。暗にディーが普通の人間ではないと言っているようだ。年の功であろうか、彼の笑顔に隠された只者ではない雰囲気を感じ取っているようだった。
「…そうですか。ありがとうございます」
意味ありげの意味を知ってか知らずか、ディーはまた綺麗に微笑むと、その場をあとにした。
「…なぁ。何でリーフの事なんか聞きまわってるんだ?」
後ろからついて来るヴォイスが、不思議そうに訊ねる。ディーはそちらにも微笑みを返した。
「…少し、気になったもので」
「リーフのこと何か疑ってるのか?」
「そういうわけではありませんよ。ただどんな手がかりも、見過ごしには出来ないというだけです」
「…ムーンシャインが金髪ってだけで、リーフを疑ってるのか?」
ヴォイスの表情が少し険しくなる。ディーはもう一度にっこり微笑むと、言った。
「長い金髪の女性はたくさんいらっしゃいますね?とりあえず手近なところから手をつけているだけですよ」
何かうまくかわされたような気がして、ヴォイスは憮然とした。
…と、目をそらした先に妙な人影を見止めて、そちらに駆け寄る。
「どうしました?」
不思議そうな表情でついてくるディーに、ヴォイスは厳しい表情で言った。
「いや、妙な奴がいて…」
「妙な奴?」
ディーがそう言った瞬間、細い路地の向こうから、がんがんという激しい音がした。
二人は顔を見合わせると、急いでそちらの方に向かう。
細い路地をさらに横道に入ったところに、その男はいた。
「ひゃはははははははは」
狂ったように笑いながら、壁に頭をがんがんと打ち付けている。
「おい!おい、なにやってるんだ!しっかりしろ!」
ヴォイスが慌てて壁から男を引き剥がす。
男は焦点の合わない目つきで血まみれの頭を振りながら、なおも小さく笑いつづけている。
「な…なんだ、こいつ…」
ヴォイスはぞっとして男を手放した。男はまた笑いながら、今度は地面を転がりまわる。
「…麻薬…」
ヴォイスの傍らでディーがポツリとつぶやいた。
「麻薬?」
「…では、ないかと。なんにしろ正常な状態でないことは確かですね」
「その男に何を言っても無駄だよ」
声は後ろからした。
振り返ると、派手な格好の女が立っている。年のころは17才前後といったところか。短い金髪。気の強そうな青い瞳。あちこちがボロボロに切り裂かれたような露出度の高い服を着て、化粧も濃かった。
「…あなたは?」
問うディーに、女は口の端を吊り上げた。
「リンクス。リンでいいよ」
また女か…といったように苦い表情をしながら、ヴォイスはリンに問い掛けた。
「…リン。この男を知ってるのか?」
「ああ、知ってるさ。もっとも、この辺にゃそいつと同じような奴はごろごろいるけどね」
「どういうことです?」
今度はディーが訝しげな表情で問う。
「どうもこうも、あんたが今さっき言った通りさ」
「麻薬なのか?」
「ああ。ここ1年かそこらで大流行したとびきりのヤクさ。他のどんなヤクよりサイコーにハイな気分になれる。だけど中毒性が強くて、それなしじゃ生きていけなくなる。そいつみたいにハイになる代わりに自分を捨てちまうようになるのさ。しまいにゃ狂って自分で自分を殺しちまう。そういうヤクだ」
「そうなのか…あんたはやってないんだな?」
ヴォイスが言うと、リンは肩をすくめて見せた。
「あたしゃヤクに逃げるほど弱かないね」
「その薬は何という名前なんです?この街にだけ出回っているのですか?ルートはわかりますか?」
いつもより少し真剣なディーの表情。リンはまた唇の端を吊り上げた。
「何でそんなこと訊くんだい?あんたもほしいのかい?…ふん、まあいいよ。このヤクの売人はこの界隈…ま、ありていに言っちまえばスラムだね。歩いてりゃ入れ食い状態で声をかけてくるさ。ただ、後ろにいる奴のことはよく知らないね。まぁ買う奴にとっちゃそんなこたぁどうでもいいんだろうけどさ」
リンは艶っぽく髪をかきあげながら、続けた。
「この街にだけ出回ってるのかどうかは、あたしは知らないね。何しろ他の街になんか行った事ないからねぇ。…ま、でもここだけなんじゃないかね?この名前は…ここでしか通用しないような気がするよ」
意味ありげな微笑みに、ディーは重ねて問うた。
「何故です?」
「そのヤクの名前を教えてやるよ」
リンは床を転がっている男を一瞥して、また面白そうに二人に視線を戻した。
「…ムーンシャイン、って言うのさ」

ナノクニ

「あれっ…あれ、瑪瑙じゃないのか?」
目指す家から出てくる人影を指差して、クルムは言った。
目指す家とはもちろん、ディーから聞いたサツキの家。街に出ると言っていた瑪瑙がこんなところにいるのを少し不審に思いながらも、クルムは手を振って声をかけた。
「瑪瑙!」
クルムの声に彼らの方を向く瑪瑙。その表情はいつもと変わらぬ、薄い微笑みではあった。
クルム達は彼に駆け寄ると、笑顔で問うた。
「なんだ、瑪瑙もここに来てたのか。わかってれば一緒に行ったのに」
クルムの言葉に、瑪瑙はやや微笑みを深くして…苦笑のようにも見えた…言った。
「…俺の用は、大したことじゃ、ない…それに」
「…それに?」
「…彼女は、なかなか手ごわい…よ。気をつけて行った方が…いい」
それだけ言うと、瑪瑙はクルムの横をすり抜けて街の方へと歩いていった。
「あっ、おい瑪瑙!…ああ、行っちまった」
「気をつけて…とは、どういうことでしょうね?」
隣にいたミケが首をかしげる。その後ろにはランスロット姿のナンミン。
「…さぁな?とにかくここがサツキって人の家らしいな。悪いな、ミケ。先にオレの用事させちゃって」
「気にしないでください。カティさんがいなかったのですから仕方がないですよ」
すまなそうに言うクルムに微笑みかけるミケ。
そう、風花亭の近くに行ってもカティに会えなかった3人は、マスターに居所を聞く訳にもいかず、とりあえずサツキの家に行くことにしたのだった。
クルムは一呼吸置いて、ドアをノックした。
ややあってドアが開き、中から薄い微笑みを浮かべた女性が顔を出した。
「…どちら様でいらっしゃいますか?」
女性は落ち着いた口調でそう言った。クルムはにこっと笑って、
「ディーからあなたのことを聞いて、少しお話を伺いに来ました。クルムといいます。お邪魔していいですか?」
サツキは今度はにっこりと微笑んだ。
「そうですか。どうぞお入りください。狭い部屋ですけれども」
そして半開きのドアをきちんと開け、中を手で指し示す。クルムは一礼して中に入り、後ろの二人もそれに続いた。
サツキは3人にお茶を振舞うと、向かいの椅子に座る。
「え…っと、とりあえず、初めまして。ゴールドバーグさんに雇われてる冒険者で、クルム・ウィーグです。クルムって呼んで下さい」
「僕はミーケン=デ・ピースです。ミケで結構です」
「わたくしはランスロットと申します。サツキさんも、いい声ですね…」
口々に自己紹介する面々を微笑みながら見渡して、サツキも一礼した。
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしはサツキ・トコハナ。アインシェル様のお屋敷でメイドとして雇っていただいております。サツキとお呼びくださいませ」
クルムはサツキの出したお茶を一口飲んで、表情を輝かせた。
「あれっ、これ、グリーンティー?」
サツキは嬉しそうに微笑んだ。
「ご存知ですのね。わたくしのふるさとのお茶ですの」
「じゃあ、サツキさんはナノクニの人なん…で、すか?」
気が急いて敬語がつっかえるクルムに、サツキはくすりと笑って言った。
「普段お使いになられている言葉で結構ですよ。わたくしのことも呼び捨てで構いません」
クルムは苦笑した。
「…サンキュ。じゃあ、サツキはナノクニの出身なんだ?」
「ナノクニのことをご存知ですのね。ええ、わたくしはナノクニの出身です。クルム様たちが今滞在しておられるゴールドバーグ様のお屋敷にも、わたくしの友人で同じナノクニ出身の者がおりますのよ」
「もしかして、ユリさんのことですか?」
横からランスロットが問う。サツキはそちらににこりと微笑みかけた。
「ご存知でしたのね。ユリはわたくしの幼なじみですの。いろいろと至らぬ点もあるでしょうけれど…」
「そんなことはありませんよ、ユリさんはとても気のつくいい方です」
「そう言って頂ければ嬉しいですわ」
にこにこと微笑みあうランスロットとサツキ。
「ナノクニってどんなところなんだ?オレ、前々から行きたいなと思ってたんだ」
「そうですね…フェアルーフ…というか、ネザンデリアとは全く異質な文化を持った国ですよ」
ネザンデリアとはフェアルーフのある北方大陸のことである。
「ナノクニの人たちは皆小さいころから精神修養みたいなことをするって聞いたことがあるんだけど…サツキってすごく落ち着いてるけど、そのおかげなのかな?」
「よくご存知ですね。ええ、ナノクニでは小さなころから心の修行を致しますの。わたくしなどまだまだですけれども…心の修行を極めた者は、『心眼』といって目を閉じていてもものが見えるようになるらしいですわ」
「おや…ですがユリさんは一見普通の女性のように見えましたが…?」
ランスロットが言うと、サツキは苦笑した。
「そんな、国民全てが悟りきった国など恐ろしいですわ。大抵の者はこの国の普通の方とさして変わらない心を持っています。わたくしは…家が少し特殊でして、特別厳しい教育を受けたのですわ」
「特殊?」
「わたくしの生家は寺…こちらで言う教会のようなところだったのです。ナノクニの教えはこちらのものよりとても戒律が厳しくて…わたくしも小さなころから厳しく教えを受けてきましたの」
「それでサツキはそんなに落ち着いてるんだな。少しくらいのことじゃ動じないだろ」
「恐れ入ります。普通の方々よりは強い心を持っているとは自負しておりますわ。こちらの魔道学問で言うと、精神系の術に相当するそうですね」
「精神系の術?」
耳慣れない言葉に首をかしげるクルム。
「わたくしには、普通の方には見えないものが見えたり、普通の方には感じ取れないものを感じ取ることが出来るようです」
「…っていうと…」
「その方の『気』…オーラというのですか?そういうものですとか…あるいは、身体は死を迎えてもいまだこの世に執着していらっしゃる方々…ですとか」
アルカイックスマイルを浮かべて言うサツキに少し青ざめる3人。
「その方の『気』を見ると、その方がどんな方であるのかが大体わかるのです。わたくしは『気』の色があまりよろしくない方のことは、信用しないようにしておりますの」
「ああ…」
なんとなく納得したような声で頷くミケ。先程の瑪瑙の苦笑と、「手ごわい」の意味。瑪瑙が悪しき心を持っているとは言わないが、どんな目的で彼女に近づいたかを考えれば納得がいった。
「なあ、それじゃあ、強い『気』を持ってる奴なんかが近くにいたりすれば、わかるのか?」
「…そうですね。正確な位置まではわかりませんが、ある程度感じ取ることは」
クルムの質問に真面目な表情で答えるサツキ。クルムはさらに質問を重ねた。
「じゃあ、ムーンシャインがアインシェルさんのうちに入ったとき…何か感じたか?」
クルムの質問に、サツキのみならずミケやランスロットも彼の方を見た。
サツキは少し眉を寄せて考えると、言った。
「…あの晩は自警団の方々に像が安置してある場所からは離れたところにある部屋で眠るよう指示を受けておりましたので…それほど接近したというわけではないのでしょうけれども…」
サツキの瞳に少し強い光が宿った。
「あの夜、普通の方々とは明らかに違う『気』を感じましたわ」
「ホントか?」
クルムが興奮した様子で聞き返す。
「じゃあ、その『気』を持った人間とまた会えば、それがわかるか?」
「ええ…おそらく」
「サンキュ、サツキ!」
クルムは満足げな表情で、またグリーンティーを一口飲んだ。

どろぼうさん

「アナタも毎日毎日よく飽きずに来るわねぇ…」
頬杖をついて苦笑しながら、リーフはそう言った。
「ひょっとして、アタシに惚れた?」
「ばっ…ばっきゃろー、んなわけねーだろ!」
顔を赤くしてルフィンが否定する。
今日は彼女一人だけで「アサシンギルド」を訪れていた。
リーフはくすくす笑いながら、ハーブティーを煎れ、ルフィンに出した。
「あら、残念ね。アタシならいろいろいいコト教えてあげられるのに」
「い、いいコトって…?」
どぎまぎしながら問うルフィンに、リーフは顔を近づけて囁いた。
「…ふふふっ…知りたい?」
「…いや、いい」
即答してそっぽを向くルフィン。リーフはまたくすくす笑って、自分もハーブティーを一口飲んだ。
「でも、こんなところで油売ってていいの?おシゴトがあるんじゃないの?」
「ここにきてるのも仕事だよ、気にすんな」
実はいろいろ聞きまわるのがめんどくさくて、ここに来れば何かいい情報が手に入るんじゃないかと思って来たとは言えない。
と、突然リーフがオレンジ色の瞳をすいと細めた。
「どうしたんだ?」
「しっ…」
リーフは口に人差し指を当てて、そろりと奥の方へ移動する。
なんとなくルフィンもそのあとをついていく。
たどり着いたのは、奥にあるリーフの私室らしき部屋。窓は上の方に小さなものがぽつんとあるだけで、今は明かりもなく薄暗い。
リーフは傍らのランプに火をつけた。うっすらと部屋が照らし出される。
「…誰もいねえじゃねえか」
拍子抜けしたように、ルフィン。だがリーフは室内をなめるように見回して、やがてすたすたと部屋の中へ歩いていった。
そして、一見何も無いように見える場所を、いきなりごつんとグーで殴る。
「いてっ」
すると、明らかに二人のものではない声が室内に響く。
「いてっ?」
ルフィンが繰り返した。リーフは半眼で、殴ったものに向かって言い放つ。
「なぁぁぁにやってるのかしら?クラウン?」
「あは。ばれた?」
何もないと思われていたところからむっくりと立ち上がったのは、黒装束の道化師、クラウン。
「ああっ!またお前かよ?!何やってんだこんなとこで!下着ドロか?!」
「失礼だな~。僕がそんなもの盗むわけないじゃないか」
「じゃあ何やってたんだよ?」
「ひみつ♪」
「~っ」
頭を抱えてうつむくルフィンの後ろで、リーフはまたくすくす笑った。
「ま、いいわ~。未遂に終わったんだし?せっかく来たんだから、アナタもお茶飲んでってよ」
「ほんと?じゃあもらおうかな♪」
どういう神経してるんだか、とこぼしながらまた店の方に戻るルフィンについて部屋を出ようとするクラウンの肩に、リーフはぽんと手を置いた。
「何か見つかったかしら?」
「…さぁね?」
「気配を隠すのはとても上手だったわ。普通のヒトだったらわからなかったかもね」
そして、耳に口を近づけて、低く囁く。
「…でも、アタシには通用しないわよ」
やや沈黙。
クラウンはいつもより少し低い声で、リーフに問うた。
「君…何者?」
「アタシ?アタシはただの薬屋さんよ。ただのね…ふふふっ」
リーフは妖しげに微笑んで、お湯を沸かすために台所の方へ歩いていった。

近所のお姉さん

「あ、クルムお兄ちゃん!」
日がだいぶ傾いてからもう一度風花亭の近くを訪れると、カティが満面の笑顔で駆け寄ってきた。
「よ、カティ。探してたんだぜ。昼間はどこに行ってたんだよ?」
「え、僕を探してたの?ごめんねー、友達と遊びに行ってたんだ」
カティはすまなそうに上目遣いで見る。
「ま、いいよ。だけど今日用があるのはこっちの人なんだ」
クルムがミケの方を指差すと、カティは不思議そうに彼を見て一言。
「このお姉ちゃんもお兄ちゃんの仲間なの?」
ぴきっ。
一瞬空気が凍った。
さて、この「ぴき」は一体誰の効果音でしょう?(笑)
「か、カティ。一応この人、男なんだけど…」
苦笑して言うクルムに、カティは驚いた様子で言った。
「えっ、ホントに?!うちのママより綺麗だよ?」
「あ、ありがとうございます…あまり嬉しくないですが」
ミケも苦笑して…多少顔が引きつるのを感じたが…カティに言った。
「ご、ごめんなさい。お兄ちゃんもクルムお兄ちゃんの仲間なの?」
「ええ。僕はミケです。よろしく、カティさん」
「わたくしはランスロットと申します。カティさんも、いい声ですね…」
二人の美形を交互に見て、カティも笑顔で挨拶をした。
「僕カティ。よろしくね、お兄ちゃんたち」
「それではカティさん、早速ですがもう一度、あなたがお会いしたムーンシャインのお話を聞かせていただけませんか?」
「えっ…えー、でも、こないだエルっていうお兄さんに話したので全部だよ」
「なにか、香りとか…些細なことでいいんですが」
「香り…あったような気もするけど、何の匂いかなんてわからないよ。もう一度嗅げばわかるかもしれないけど」
「そうですか…うーん…」
ミケはしばらく考えて、そしてもう一度カティに向き直った。
「じゃあ、ふわっとした長い金髪の女性…っていうと、こんな感じですか?」
そして、幻影の魔法でぱっと自分の顔を変えてみせる。
リーフの顔に。
すると、カティは思ってもみない反応を見せた。
「あーっ!リーフお姉ちゃんだ!えっ、なになに、どうやったの、ミケお兄ちゃん?!」
ミケはリーフの顔のまま、少し驚いた表情になった。
「リーフさんをご存知なんですか?」
「うん、あっちの裏通りにある薬屋さんのお姉ちゃんでしょ?あのあたりを友達と探検したときに会ったんだ。お茶とかお菓子とかご馳走してくれるから、たまに皆で遊びにいくんだよ」
「そうなんですか…僕の知ってる中で長い金髪の女性って言うと彼女が一番近かったのでリーフさんのお顔を拝借したんですが…近くないですか?」
「うーん…そう言われてみれば…似てるような…うーん…よくわかんないや、何かリーフお姉ちゃんのことはよく知ってるからさ」
「そうですか…」
ミケはしゅんとした様子で幻影魔法を解いた。
と、傍らにいた黒猫がすとっと地面に降りて、カティに擦り寄っていく。
「あ、ポチ」
「わぁ、かわいいね。ミケお兄ちゃんの猫?」
カティはポチを抱き上げると、ミケに笑顔を向けた。
「ええ。ポチといいます」
「ポチって言うのか。ポチ。かわいいなー」
カティは笑顔でポチの喉を撫でた。ポチは気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らしている。
裏腹にミケは軽くため息をついて、クルム達の方を向いた。
「結局あまり収穫なし、ですね。せっかく紹介していただいたのにすみません」
「気にするなよ。ミケが悪いわけじゃないさ。それに、明日ムーンシャインを捕まえることが出来ればいいんだろ?」
「…そうですね。いよいよ明日ですね…予告の日は」
「お兄ちゃんたち、がんばってね!ムーンシャインを守ってね!」
「まかせとけよ、カティ」
クルムはそう言ってカティに微笑みかけた。

いよいよ、予告の日まで、あと1日。

第6話へ