月の明かりに照らされて

あのさぁ、
「文句があるヤツは一歩前へ出ろ」
って言うじゃない。
あれって名言よね。
一歩前へ出る度胸もないヤツが何言ったって無意味ってコト。
他人と同じところにいてごにょごにょ言ったって聞こえやしないのよ。
どんなに正しい意見だって、
一歩前へ出て言わなきゃ相手には伝わらないし、
伝わってないフリをすることだって出来るのよ。
…わかる?

ヒミツのおハナシ

「サツキさん…と言うお名前なのですね?」
いつものようにやわらかい笑みを浮かべ、クライツはディーに確認した。
「ええ。昨日の火事で全焼した、アインシェル氏のお屋敷のメイドさんです。氏のお屋敷から盗まれたものについて少し教えて下さったんですよ」
「ほう。差し支えなければ、聞かせていただけますか」
いいですよ、と微笑んで、ディーはサツキが語った内容を簡単に説明した。
「なるほど…」
手を顎に当てて、クライツは真面目な表情で考え込んだ。
そしておもむろに、再びディーに視線を戻す。
「…少し、その方とお話がしたいですね。今いらっしゃるところをお訪ねしたいのですが…」
「あ、いいですよ。彼女から今いるところの住所を教えていただきましたので…」
そう言って、ディーはサツキに渡されたメモをクライツに渡した。
クライツは、それを見て虚をつかれたような表情になる。
「あ…ディーさんも行かれるのではないのですか?」
「僕ですか?」
そう問われて、ディーも意外そうな表情になる。
「僕はこれから、彼と街の方に情報収集に出かけようと思って…」
と、目で示した方向には、ミケがやはり笑顔で佇んでいる。
「そうなのですか…では私は、その彼女の方に行って、詳しい話を聞いてきますね」
「わかりました。よろしくお願いします」
そう言って礼をすると、ディーとミケはくるりときびすを返した。それをクライツが呼び止める。
「そちらは出口の方向ではないですよ?」
その言葉に応えたのはミケだった。
「いえ…行く前に、ゴールドバーグさんに2,3聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと…」
クライツの表情が、ごく僅かに変化した。
「ええ。では」
それに気付いてか気付かずか、ミケは笑顔で会釈をすると、ディーと共に歩いていった。

「ミケ」
ジェノがその二人を呼び止めたのは、もうクライツの姿が見えなくなった頃だった。
「ジェノさん。おはようございます」
「ゴールドバーグさんのところに行くのか?」
「え、ええ、そうですが」
渋い表情でそう問うジェノに、ミケが戸惑い気味に答える。
「俺も今行ってきたところだ。少し、聞きたいことがあったからな」
「…といいますと?」
「ひとつ。一代でどうやってこれだけの財を築き上げたのか。ふたつ。あの宝をどうやって手に入れたのか。みっつ。何故自警団でなく、冒険者を雇うことにしたのか。よっつ。本当に俺達を信用しているのか」
なかなか、その言葉の通りに訊ねたとしたら大したタマである。
「…それで、氏は何と?」
「一つ目の答えはこうだ。それは企業秘密というものですな。そんなことを細かく説明してしまっては、私のような者がどんどん出てきてしまう。ライバルは少ない方が良いですからな。第一、初めから話して聞かせたら日が暮れてしまいますよ」
ゴールドバーグの慇懃無礼な口調を上手く真似るジェノ。
「二つ目はこう。あれは金で取引…ではないですな。売買して手に入れた物ではありません。さる方から特別に譲り受けた物なのですよ。実に見事な彫刻でしょう。だが盗品ではありませんよ。何なら調べてもらっても構わない。ま、調べるまでもないでしょうがね」
「なるほど…」
「三つ目。今までさんざん、ムーンシャインにまんまとしてやられた奴らに、私の宝を守り通せるわけがないでしょう。それよりは、実戦で経験を積んでこられた方々の方がよっぽど安心できるというものだ」
そこで、肩をすくめる。
「それがそのまま四つ目の答えだな。もちろん信用しておりますよ。私の宝を守って下さる方々として…ね。それ以上を望む必要がありますかな?そう言って、意味ありげに笑っていたよ。まったく。依頼人とはいえ、大したタヌキだ。同じ質問をしに行くなら、時間の無駄だぜ?」
「そうですか…」
言って、ミケは苦笑した。
「…ええ、でも一応行ってみますよ。朝っぱらから質問攻めで、氏もさぞお困りでしょうが」
「あ…そうだ、ミケ」
そう言って再び歩き出そうとしたミケを、ジェノが呼び止めた。
「はい?」
「…例の話、OKだぜ」
ジェノはそう言って、持っていた槍の柄をミケの方に向けた。
刃の部分を黒い布でぐるぐる巻きにしてある、漆黒の大槍。決して華美でない装飾の中央には、不思議な輝きを放つ紫色の宝石がはまっていた。
ミケは一目見て全てを悟ると、ジェノににっこりと微笑みを返す。
「…わかりました。あちらの方は、すぐに手配しておきますね」
ジェノは手を上げてそれに答えると、きびすを返して歩いていった。
ミケもそれを確認し、再びゴールドバーグの部屋へと向かった。
…今度は大根はやめましょうね。

「こちらでお待ち下さい」
待合室のドアを開け、営業用スマイルでそう言うメイドに、ランスロット青年は深々と頭を下げた。
「どうもご丁寧に、ありがとうございます。貴方は確か、先日もわたくしを出迎えて下さった方ですよね?」
「あ、覚えていて下さったんですね」
メイドは、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「あなたがゴールドバーグさんに話を通して下さったおかげで、またこうして商談に来ることが出来ました。どうもありがとうございます。よろしければお名前を伺いたいのですが…」
「ユリです。ユリ・フジヤマといいます」
「ユリさんですか…なんだか、懐かしい響きがする名前ですね。まるで母親のような…」
そりゃそうだ。
「そうですか?あ、ごめんなさい、私そろそろ、仕事に戻らなければならないので…」
「ああ、お引き留めしてすみませんでした。それでは」
ランスロットは再び深々とお辞儀をしてユリを見送ると、案内された待合室に足を踏み入れた。
すると。
「お、よぉ。ナンミ…じゃなかった、ランスロット」
「クルムさん!おはようございます」
先客がこちらの方を見て手を振った。出かける前に待合室でお茶を飲んでいたクルムである。ランスロットは荷物を降ろすと、クルムの向かい側の席に腰を下ろした。
「そういえば、何度か一緒に冒険をしてるけど、ナンミンのことオレあんまり知らないなー。前から聞いてみたかったこと、あるんだけど…聞いてもいいか?」
「どうぞ」
唐突なクルムの質問に、ランスロット…ナンミンは笑顔で答える。
「軟民族って一体どういう種族なんだ?」
「軟民族は軟民族の秘密の集落でひっそりと暮らしています。
人族に見つかると何かと騒ぎになってしまうので 人族が集落に訪れると皆「人」に変装してごまかします。だから今まで集落が見つかったことはありません。
至る所からあふれている気を精製し、それを形(卵人)にして村に持って帰ります。
私たちは気を吸収して生きているので物を食べたりはしません。森と共にゆっくりと生活しています。
私たちの生活に貨幣は必要ないのですが、他の種族と交流するために時折、村で作った工芸品を売り、各地を旅します。
私たちに性別はありません。しいて言うならば、男系なのでしょうね。
年齢に関して言えば、人族と年の数え方が違うのでなんとも言えませんが…何十年か…生きていますが…あなたたちで言う25、6歳だと思われす。」
「あ…そ、そうなんだ…」
矢継ぎ早にそう答えるナンミンに、クルムは少し驚いた様子だ。
(い、色々答えてくれたな…どれも知りたかったことだけど…エスパー?25、6歳だったのか…!な、なるほど、「速○奨」声ね…)
どうでもいいけど最後のは何でしょうか。
「い、色々教えてくれてサンキュー」
「いえ。今日はクルムさんは、どうなさるご予定ですか?」
「街に出て、色々情報を集めてみようと思ってるんだ。ナンミンはどうするんだ?」
「そうですね…とりあえず商談という形でお屋敷には入れたことですし…この中を色々探ってみようかと思っています」
「そうか。お互い頑張ろうな」
「そうですね…今回は、以前のように血を見て気絶したままというようなことはないでしょうし…」
わかりませんよ。
「じゃ、オレそろそろ行くから。またな」
「ええ、クルムさんも頑張って下さい」
手を振ってそれに答えると、クルムは立ち上がって部屋を後にした。

そのころ。
ジェノと別れたミケとディーは、ゴールドバーグの仕事部屋にいた。難しい顔をした依頼人がこちらを見ている。
「質問でしたら、どうかまとめて来て欲しいものですな。こう見えて、あまり暇な身でもないのですよ。特に昨日の火事騒ぎで、私もいろいろと被害を被っていますからな」
「申し訳ありません。すぐに済みますので、少しだけお時間をいただけますか」
ゴールドバーグは無言で、仕方がないなというように溜息をついた。
「言っておきますが、同じ質問には二度答えませんからな。ジェノさんにお聞きになって下さい」
「伺っています。すぐに済みますので」
ミケは微笑してそれに答えると、真面目な表情になった。
「まず、ムーンシャインの予告状ですが…『あなたの一番大切なものを頂きに上がります』とあったそうですね」
「ええ。その通りです」
「では、どうしてその『一番大切なもの』があの像だとわかったんですか?」
ゴールドバーグの表情が僅かに動く。
もちろん、ミケも昨日のディーが聞いた話を知っている。サツキが使える屋敷…アインシェル氏から盗まれたものも、あの像に酷似したものであることも。
おそらく、他に被害にあった2件も、同じような像が盗まれているのではないだろうか。
ゴールドバーグはその事を知っていて、『大切なもの』と言われたらすぐにその像だとピンときたのではないだろうか。
だとしたら、この街の有産者達が揃って持っていて、ムーンシャインが執拗にそれのみを狙い、ゴールドバーグが冒険者を雇ってまで守りたいと思うその像とは、いったい何なのか。ミケはそれが知りたかった。
だがとりあえず今は、それは知らない振りをして聞いてみる。
ゴールドバーグは、一瞬間をおいて鷹揚に答えた。
「…あの像が、今のところ私の一番大事な宝だからですよ」
「他のものが狙われているという可能性は考えられないのですか?」
「そうですな。あの像以外のものは、それなりに価値はありますが取られても差し支えはないものなのですよ。だがあの像は、さる方からお預かりした大事なものでしてな。盗まれては困るのですよ。…ああ、『大事なもの』が私の命だという可能性もありますな…その時は、何としても守っていただきたいものです。期待しておりますよ」
言って、皮肉げに笑う。ミケは溜息をついて、続けた。
「さる方から預かったと仰有いましたね。さる方とは…?」
「プライヴェートですな。お答えする義務はないように思いますが」
「…ゴールドバーグさん。僕は自警団の回し者でもないし、あなたが守りたいと思っている像を守るために色々調べているのです。その一環として、ムーンシャインが何故あの像を狙うのかを知りたいのです。敵を知れば、対策も、事件前に捕まえることもできるかもしれませんしね。今さら入手経路を知ってどうこうしようなんて野暮は言いません。ただ…僅かですが、モンスターの気配をあの像から感じるので、あなたの身を案じているのです」
ゴールドバーグは、たっぷり30秒の間、黙ってミケを見ていた。そして、おもむろに口を開く。
「…何か誤解をされているようですが、あの像は本当に、法に触れるような手段で入手したものではないのですよ。ですから、何故ムーンシャインが狙うのかと言われても皆目見当もつきませんし、あの像を下さった方についても話す必要はないと判断しています。ただ…」
そして、また皮肉げな笑みを浮かべた。
「もし私が本当に、あの像を違法に手に入れたとして、あなた方にそれを知られたくないがために嘘をついているとして…あなたにそう言われたら、きっとこう思うでしょうな。あなたのその言葉を、信じられる要素がどこにある?…とね」
ミケは再び溜息をついた。
「…わかりました。ではもうひとつだけ。今までムーンシャインの被害にあった3件の方々ですが、ご存知ですか?」
「ええ。仕事上のライバル、ですな。面識がある程度ですよ」
「彼等が何を盗まれたのかは、ご存知ですか?」
「存じませんな。興味もありません」
「…そうですか。どうも、お時間を取らせました。それでは、僕はこれで失礼します」
言って一礼し、きびすを返したミケの背中に、ゴールドバーグが声をかけた。
「像の警護の方は、くれぐれもよろしくお願いします。期待していますよ」
言外に『私にこれだけの手間をとらせたのだから』と言わんばかりの口調。
ミケは振り返って、笑顔すら見せずに、
「…魔物にはくれぐれも、注意して下さいね」
それだけ言い捨てると、無言で部屋を出ていった。

「朝から大変ですね、氏も」
苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべて言うクライツに、ゴールドバーグは溜息を漏らした。
「まったくですな。冒険者は腕は立つし頭も回るが、一人前に正義感がある連中が多いのが厄介ですよ」
それには何もコメントせずに微笑みを返し、クライツは別の話題を振った。
「…ところで、昨日の火事で全焼された、アインシェル氏のことはご存知ですか?」
ゴールドバーグはその名前に微妙に反応した様子だった。
「…ええ。この街でも有数の貿易商ですな。私にとっては、商売敵といったところでしょうか。それ以上はあまり存じ上げませんが」
「アインシェル氏とはおつきあいは?」
「ありませんな。先程も申しましたように、ライバルですからな…顔を合わせる機会がないとは言いませんが、まあ、その程度ですよ」
「ムーンシャインがアインシェル氏から奪ったものについて、何かご存知ですか?」
ゴールドバーグは用心深げに、口の前で手を組んで、上目遣いでクライツを見た。
「…いいえ?それが何か?」
その様子に、クライツの表情も用心深げなものになる。
「…実は昨日、先程ここにも訪れたと思いますが、冒険者の中のディーという男が、彼の屋敷を訪れたらしいのです。そしてその際に、メイドの女性からいろいろと情報を聞いたとか…」
「そうか、それで…」
ゴールドバーグは視線を鋭く逸らした。
「…それで、彼女は彼等にまた情報を提供する約束をしたらしいのですよ。ですから、彼女の口から氏の不利になるような情報が流れる可能性があるならば、先手を打っておいた方がよろしいのではと、僭越ながら申し上げに来たのです。彼の屋敷は全焼ですし、事業の方が被った痛手も相当なものでしょう。ですから、彼の事業の体制が再び整うまで援助を…」
「先生」
ゴールドバーグはにやりと笑って、クライツの言葉を遮った。
「何度も申し上げますとおり、彼は私の仕事上のライバルなのですよ。その彼が、偶然とはいえ事故に見舞われて、事業の大幅な縮小、悪くすれば倒産というところまで追い込まれている。ここで私が、追い打ちをかけるというならともかく、彼を助けてやる理由がどこにありましょうか?」
意外な答えに言葉を失うクライツを前に、ゴールドバーグはさらに続けた。
「彼のメイドから私にとって不利な情報が流れることを危惧していらっしゃるようですが、私と彼とは、本当に仕事上のライバルという以外の関係はないのですよ。したがって、彼女の口から私が不利になるようなことが漏れる心配もありませんな」
そして、不敵な笑みを崩して、穏和な営業用スマイルを作る。
「ご心配ありがとうございます、先生。ですが誤解なさらないで下さい、先生。先生のご指摘もご忠告も、私はいたく信頼しているのですよ。ただ、私が判断を下すこともあると…それだけのことです」
クライツはその笑顔と言葉の意味を瞬時に理解した。
クライツの知能と判断力はいたくかっているが、ゴールドバーグにとってはただの便利な『駒』に過ぎないということを。自分の判断の材料にすることはあっても、自分の秘密の全てを明かし片腕にするなどもっての他なのだ。
所詮、お代官様にとって越後屋は私腹を肥やすための道具でしかないのである。
「…承知いたしました。出過ぎたことを申しましたようで…申し訳ありません」
それでもいつものやわらかい笑みを見せただけ、クライツはミケよりは自制心があったということか。
だが、彼の心の中は、彼自身にしかわからない。

謎の美女?

「よう、えっと…ヴォイス、だっけ?」
人込みの中で背後から呼び止められ、ヴォイスはめんどくさそうに振り返った。
めんどくさそうに、というのは他でもない、呼び止めた声が女のものだったからだ。
ヴォイスは女性が苦手だった。だからといって男性が好きというわけではないが。
従って、女性の知り合いというのもほとんどいない。だから、自分を呼び止めたその声の主も、声を覚えるという以前に見当がついた。今ともに依頼を受けている仲間の中で、唯一の女性。
「…ルフィンか。あんたも情報集めに来たのか」
ルフィンは屈託なく微笑んで、
「ああ。何かを調べたり考えたりするのは苦手でね。話聞いて、メモして、伝えるくらいならあたしにも出来るからさ」
と言った。ヴォイスの嫌そうな表情と口調にも動じずに、気さくに話してくる。ひょっとして単に鈍いだけなのかもしれないが、この女はさほど女っ気を感じさせず、あまり拒否反応もなかった。
「…つっても、どっちかっつーと昨日の火事騒ぎの話題でもちきりって感じだな」
「…そうだな。王宮の方も何かと騒がしいようだし…」
「人の噂も75日ってか。世間を騒がせる怪盗も、淋しいもんだねぇ…」
そう言って苦笑し、ルフィンは頭の後ろで腕を組んだ。並んで歩きながら、ヴォイスはルフィンから目を逸らし、正面を向く。
…と。
「…どいてどいてどいてぇぇぇぇっ!」
緩やかな上り坂になっている通りの正面から、人ほどの高さのある荷車がものすごい勢いで突っ込んでくるのが見えた。
荷車と言っても、箱に車輪が付いているだけの手押し車のようなものだ。荷物はかなり高くまで積まれており、押している人物は見えない。声からすると女性のようだが。おそらく勢いが突いて止まらなくなってしまったのだろう。ヴォイスはそれを避けようと、右足を下げ…
「ヴォイス、あぶねえぞっ!」
…たところで、いきなり横にいたルフィンに突き飛ばされ、見事に転倒した。
「きゃあああぁぁっ!!」
…そのあとの展開は、推して知るべし。

「…ごめんねぇ…大丈夫ぅ?」
ヴォイスに身をもって荷車の暴走を止めてもらった女性は、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
年の頃は、22、3歳というところだろうか。少しきつめの、整った顔立ち。腰まである長い金髪はゆるくウエーブがかかっており、濃いオレンジ色の瞳は猫の目のようにつり上がっている。美人ではあるが、それ以上に独特のオーラというか、エキセントリックな雰囲気が魅力的な女性だった。
ヴォイスは顔をしかめて彼女を見、
「…大丈夫…だ…つっ!」
立ち上がろうとしてバランスを崩し、足を押さえてしゃがみ込んだ。
「おいおい、大丈夫か?」
ルフィンも心配そうに駆け寄る。ヴォイスは、元はといえばあんたが、と言いたげな恨めしい目つきをルフィンに向けた。金髪の女性はヴォイスの手にそっと触れ、
「足、見せて?」
と、そっとその手を退かし、靴を脱がせた。いつもなら女性に決してそんなことはさせないヴォイスも、彼女の雰囲気に毒気を抜かれたようになすがままになっている。
「…やぁだ、腫れてるじゃない。きっとくじいたのね。ごめんねぇ、アタシのせいで」
『アタシ』という一人称に独特のアクセントがある。
「立てる?この近くに、アタシの店があるんだ。ケガの手当してあげるから、おいでよ」
「…い、いや、俺は…」
「そこのアナタ。このヒトのお友達でしょ?ちょっと、運ぶの手伝ってよ。この足じゃ歩けそうにないからさぁ。ほら、そっちの肩かついで」
拒否しようとするヴォイスを完全に無視して、隣にいたルフィンにそう促す女性。
「お、おい!俺はいいって言って…」
「店はすぐそこだからさ。だいたい、こんな道の真ん中でいつまでも怪我人が座り込んでちゃ迷惑でしょ?ほら、四の五の言わないでさっさと来る!」
そう言って、女性はヴォイスの肩を担ぎ上げた。
それ以前に、彼女が路上にぶちまけた荷物の方が迷惑な気もするが。
ルフィンはにっと笑ってもう片側の肩をかつぐと、女性に話しかける。
「あんた、面白いな。名前は?」
女性はにっこり笑って、元気に答えた。
「リフレ・エスティーナ。リーフって呼んで!」
少し間をおいて、ルフィンの一言。
「…ギャルゲー作ってる会社みたいな名前だな」
そのまんまです。

謎の美女…

「ドラッグショップ『アサシンギルド』…」
店の看板を見て、ルフィンはどこかげっそりしたように呟いた。
「客…来るか?」
リーフを見て訊ねると、彼女はあっけらかんとした表情で手を振った。
「そぉれが、全然。まぁ、こんな裏通りの目立たないところにあるしねぇ」
問題はそこにはない気がするが。
ともかく、薬屋なだけあって、ケガの手当をするのには困らないだろう。
聞いた話だが、英語で「drug shop」と言うと、ケガや病気を治すための薬ではなく、麻薬の店という意味なのだそうだ。
閑話休題。
二人はヴォイスをかついだまま、怪しげな店の扉を開けた。
いやにあっさり開いた扉の向こうは、薄暗く不気味な雰囲気を醸し出していた。
ひとつしかない小窓からかすかに光がさし、店内にある、おそらく薬の材料だと思われるおびただしい量の植物やら虫やらを照らし出している。
そして、カウンターの向こうの薬戸棚の前には、もぞもぞと動く黒い物体が…
「…あらぁ?」
間抜けな声を出すリーフに、黒い物体は振り返った。
黒ずくめのピエロ装束に、のっぺりとしたピエロの仮面。
名は言わずとも知れていた。
「…あっ」
やはり間抜けな声を出すクラウンに、
「『あっ』じゃなあぁぁぁいっ!!」
カウンターを豪快に飛び越えたルフィンの跳び蹴りが見事に決まった。

「…だからぁ、今度は毒とかしびれ薬を使った罠を仕掛けようと思ってさぁ。ちょうど怪しげな薬屋さんがあったからそこで色々仕入れようと思ったんだよ」
怪しい物体から怪しげと言われてはおしまいである。
「お前なぁ、薬が欲しいんだったらちゃんと買えよな。泥棒はこれで二回目だろ」
呆れたように言うルフィンに、クラウンは子供のように言い返した。
「ちゃんと買おうと思って来たんだよ。でも誰もいなかったから、勝手に見させてもらっただけだよ」
「鍵かかってなかったか?」
クラウンは自慢するように胸を反らした。
「僕にかかれば鍵なんて無いも同然だね♪」
「そーゆーのを泥棒って言うんだよっ!」
ルフィンの拳が、再びクラウンの頭に振り下ろされる。
「まーまー、結局被害はなかったんだし、いいじゃない」
そのやりとりを面白そうに見ながら、リーフはひらひらと手を振った。
「クラウンって言うの?残念だけど、ウチには毒とかそんな類の物は置いてないわよ。残念だけど他を当たってね」
普通の薬屋にはまずそんなものは売っていない。
まぁ、ここをぱっと見で普通の薬屋と判断できるかという点には疑問が残るが。
「なぁんだ。つまんない」
むくれてそっぽを向くクラウンに、リーフに手当をしてもらっていたヴォイスが半眼で訊ねた。
「おまえ、罠って…あの屋敷にかけるつもりか?」
「そうだよ。ほかにどっかある?」
「屋敷の人や、俺達がかかったらどうするつもりだよ?」
「そんなもん、かかる人が悪いんだよ♪」
相変わらずの調子で言うクラウンに、何を言っても無駄だとルフィンが目で言い、ヴォイスは深い溜息をついた。
「屋敷って?」
彼等の言葉を聞きとがめたリーフが、横から口を挟む。
「あ?…ああ、あたしら、ゴールドバーグってヤツに雇われて仕事してる冒険者なんだよ」
「…ゴールドバーグ?」
リーフの表情が微妙に変化した…気がした。
「知ってんのか?」
「この街にいてあのヒトを知らないヒトはいないわよ。…そっか、ゴールドバーグって言うと…ムーンシャインがらみね?」
リーフは面白そうににやりと微笑んだ。
「そうだよ。それで、ムーンシャインの噂を色々仕入れようと思って、街に出てきたんだ」
「ムーンシャインの噂なんて、どこ行っても同じよ。正体不明の美しき女怪盗。この街のいけすかない金持ちを狙って…まぁ、盗んだものを貧しいヒト達に分けてるわけじゃないから、義賊って言うんじゃないんでしょうけどね。自警団が総掛かりで調べたって、手掛かりのひとつも見つからないんだもの。街のヒト達が、それ以上の情報を持ってるとは思えないけどなぁ」
リーフの言葉に、ルフィンは難しい顔をして唸った。
「うーん…そうか…それくらいしかわからないか…たとえば、あいつが何を狙ってるのかとか、知らねえか?金とか、宝石とか…」
リーフは肩をすくめた。
「知らなぁい。そういうのは、新聞とかにも載らないなぁ。自警団とか、その屋敷のヒトとかが隠しちゃってんじゃないの?」
「そうか…」
「まぁ…でも」
リーフは再び面白そうに、三人の顔を見渡した。
「この街ばっかりに出てるみたいだし、案外近くにいるかも…しれないわよ?」
ボリュームのある金髪が、彼女が動く度にふわふわと揺れていた。
………。

お散歩の行き先は?

「お一人でお出かけでしたよ。でも、その日にあまりご主人様がお出かけになるのを見たって言う人がいないんです。裏口から出たりしてるんでしょうか…わかりませんけど」
少し頬を紅潮させたまま、ユリは笑顔で瑪瑙にそう言った。
瑪瑙の後ろにはエルがいるので、あからさまにうっとりした表情ではない。
例の、月に一度のゴールドバーグの「お出かけ」について、瑪瑙に聞きだしてほしいとエルが頼んだのだ。ゴールドバーグは一人で出かけているのか、という質問には先程のような答えが返ってきた。
「…そう。…じゃあ、もうひとつ…彼が出かけた日と前後して、何か変わったことは…なかった?」
薄い微笑みを浮かべてゆっくりと問う瑪瑙に、ユリはきょとんとした表情になった。
「変わったこと…ですか?いえ、これといって特にはありませんけど…どうしてそんなことを訊くんですか?」
ユリの質問に、後ろにいたエルはぎくっとしたが、瑪瑙は笑顔を崩すことなく、
「…ちょっと、ね…ありがとう、協力してくれて…このお礼は、今度、ね?」
そう言って、右手の人差し指と中指をそろえて自分の唇にあて、それをそのままユリの唇にあてる。
ユリはぽうっとした表情で、こくりと頷いた。

「いやー…何というか…百戦錬磨という感じですね」
苦笑して、エルは瑪瑙にそう言った。瑪瑙はコメントせず、薄く微笑み返す。
「それで…これから、どうする、の…?」
そして相変わらずの口調でそう訊ねた。エルは難しい表情で唸る。
「そうですねえ…できれば、そのお出かけの行き先をつきとめたいところですが…」
「…そう、うまく出かけてくれると、嬉しいのだけど、ね…」
などと言っていたときだった。
「…瑪瑙さん、あれ…!」
窓越しに見える裏庭を、ゴールドバーグが人目を気にしながら歩いている。
何か小さな包みのようなものを持っているらしかった。彼はきょろきょろしながら裏門を開けると、そこからそそくさと出ていった。
「…ビンゴ、でしょうかね?」
「…ご都合主義、だね…」
ほっといて下さい。

ゴールドバーグは表通りを避けて複雑な裏道を抜けると、そのまま郊外へ、そしてどんどん森の中へと入っていった。
「鬱蒼とした森ですね…見失わないように気をつけないといけませんね」
小声でエルがそう囁くと、瑪瑙は無言で小さく頷いた。
見えるか見えないかギリギリのところで尾行を続ける二人。二人の尾行が上手いのか、目的地に行くことで頭がいっぱいなのか、ゴールドバーグが尾行に気付く気配はない。
そして、ひときわ大きな木の向こうにゴールドバーグが姿を消したときだった。
「!追いかけましょう、瑪瑙さん」
「…了、解…」
二人が足を早めようとしたその時。
ざっ!
突然、頭上から何かが降ってきて、二人の目の前に着地した。
驚いて後ろに下がる二人。降ってきたものは、着地した体勢からゆっくりと身を起こすと、まっすぐ二人を見た。
それは、年の頃16歳くらいの、美しい女性だった。一目で大地の従属人種・ディセスとわかる、褐色の肌に尖った耳。対して髪の毛は淡い栗色で、表情のない瞳は琥珀色をしている。露出度が高いが動きやすそうな服を身に纏い、両手にはシンプルな細工が施された短剣を持っている。
エルは厳しい表情で、誰何した。
「…何者ですか?」
彼女は無表情のまま薄く唇を開くと、ハスキーな声でぽつりと呟いた。
「…セレ」
その名前に、瑪瑙の表情が珍しく驚愕の色をはらむ。
胸の奥底に大切にしまわれている、思い出の女性と同じ名前。
だが彼女はもういない。目の前の女性の名前が同じというのも、おそらく偶然と思われた。
「彼女は彼等がこの先に行くことを希望しない。彼女は彼等が引き返すことを期待する」
無機質な口調で、淡々とそう告げるセレ。「彼女」というのは、どうやら自分自身のことであるらしい。「彼等」というのは、おそらくエルと瑪瑙のことだろう。表情だけでなく、言葉にも感情というものが見えない女性だ。
それが余計に、瑪瑙の記憶をフィードバックさせた。いつも女性に向ける表情とは全く違った、厳しい視線をセレに向ける。
「…残念だけど、俺達は、この先に用がある…そこを通してもらえる、かな…?」
「彼女の意志は変わらない」
やはり淡々と、瑪瑙にそう答えるセレ。
「…どうしても通る、と言ったら…?」
「彼女には実力で対抗する用意がある」
「…そう…」
瑪瑙は低く言って、腰の剣をすらりと抜いた。
「瑪瑙さん?!」
大した問答もせずに剣を抜いた瑪瑙に、エルは驚いて彼を見た。
「待って下さい、ここはもう少し様子を見て…」
「…彼女の目を、見て…何の表情も、見えない…自分の意志というものが、無い…それだけに、目的は確実に、忠実にこなす…まるで、糸繰り人形のように、ね…」
そう、瑪瑙は同じような表情をした人物を目の当たりにしたことがあった。
…同じ名前をした人物を。
瑪瑙は腰を低くして剣を構えると、セレに向かって駆けだした。
剣を振りかぶり、まっすぐに斬りつける。セレは素早く短剣を構えてその剣を受けた。剣の差もあるが、力の差を考えても、はじき返すことは不可能である。セレは力を受け流す形で剣劇から身をかわし、素早くしゃがみ込むと、瑪瑙の懐に向かって短剣をふりかざした。
「…くっ…」
間一髪それを避け、瑪瑙は後ろに飛んで距離を取った。力では勝っているが、相手にはそれを補ってあまりある身のこなしがある。迂闊に手を出せる相手ではない。
「…エル…ここは、俺が引き受ける、から…ゴールドバーグを」
「わ、わかりました!」
用心深くセレを見ながら言う瑪瑙に、エルは多少戸惑いながらも、セレを避けてゴールドバーグの向かった方向に足を向けた。
だが。
だんっ!
エルの目の前を何かが通り過ぎ、それはそのまま横の木に突き刺さった。
セレが投げつけた短剣である。
「彼女の目的は、彼等をこの先に行かせないことである。よって、彼がこの先に行くことも希望しない」
セレはエルに向かって、やはり淡々とそう言った。
「…君の相手は、俺、だよ…っ!」
視線が逸れた隙に、瑪瑙が再びセレに斬りかかる。セレはそれを高く跳んでかわすと、頭上にあった木の枝に飛び移り、間髪入れずにエルの方へと跳んだ。
「うわっ!」
突然のことで剣を抜く暇もなかったエルは、思わず腕で目を庇った。だが、彼の庇った箇所には攻撃は来ない。代わりに足を払われ、エルは情けなく転倒した。
エルが転倒したのを横目で見ながら、セレはその横の木に刺さっていた自分の剣を引き抜くと、間髪入れずに再び瑪瑙へと向かっていった。
きんっ!きんっ!
次々とくり出されるセレの剣。威力はそれほど無いが、手数の多さにさすがの瑪瑙も防戦に回らざるをえなかった。何より、場所が鬱蒼とした森の中である。瑪瑙やエルのような大きな剣を武器とする者には、少々戦いにくい場所であった。
ならば、どうするか…瑪瑙が剣で攻撃を防ぎながら考えていると。
不意に、セレの攻撃の手がやんだ。後ろに大きく跳んで、二人と距離を取る。
「…?」
訝しげな顔をする二人。
「目的は遂行した。撤退する」
セレはまた淡々とそう告げると、そのまま垂直に飛び上がった。
「待てっ!」
立ち上がったエルが後を追おうとするが、セレは軽々と木の枝から枝へ飛び移り、程なく姿を消した。
「目的を遂行…?…!瑪瑙さん、ゴールドバーグさんは?!」
はっと気付いてエルが言い、瑪瑙も慌てて辺りを見回した。
「…駄目、だね…見失った」
「彼から私達を引き離すのが、彼女の目的だったのですね…誰かの命令で動いているのでしょうか?」
「…だろう、ね…意志のない彼女に、自分で目的を作り出すことは、出来ない…」
そのあと、二人は日が暮れるまで森の中を探し回ったが、ゴールドバーグも、彼の行き先と思われる場所も、ついに発見することが出来なかった。

ウワサの彼女

「ムーンシャインの件で面会に来ている冒険者?」
部下の報告に、自警団団長・フレッド・ライキンスは一瞬訝しげな顔をした。
(瑪瑙さんとエルダリオさんだろうか…?いちいち面会の申し入れなどせずとも、裏にある団員専用の出入り口からいつでも入っていいと言ってあるのに…)
「わかった。すぐ行く」
それでも、そう言ってさっと立ち上がる。ちょうど、昨日の火事騒ぎの事後処理が一段落したところだ。と言っても、調査、犯人の捕縛、暴動の鎮圧やほとんどの事務的な処理は王宮警備隊がやっていたので、自警団の仕事と言ったら焼け出された人々の保護や、病院・収容施設の手配といったこまごまとしたものだったが。
オフィスルームを出て、面会室へと向かう。入り口にいた団員に手を上げて挨拶すると、フレッドは面会室のドアを開けた。
だが、そこにいたのはフレッドの予想した人物とは違っていた。
「お忙しいところを、申し訳ありません」
そう言って立ち上がり、深々と礼をしたのは、黒い魔道士装束に身を包んだ…女性…と見まごうほどに可愛らしい容貌をしているが声からして男性なのだろう。長い髪を三つ編みでまとめているところが余計に女性っぽい。
そして、彼の隣に座っている青年が同様に立ち上がって、軽く礼をした。
「今回は、ムーンシャインの捜査に当たられている自警団の皆さんに、少しお訊きしたいことがありまして伺いました」
ミケと同様に黒い、ただしこちらは動きやすそうな格好をしている。茶色い髪を後ろで束ねているが、こちらはきちんと男性に見える美丈夫だ。
「…失礼ですが、あなた方は?」
フレッドは彼等が座っている席の向かいの椅子の前に来て、座らずにそう訊ねた。
すると、後に立ち上がった方の青年が笑顔で答える。
「これは失礼しました。僕はディー。彼は…」
「ミーケン=デ・ピースです。ミケとお呼び下さい」
「僕達は、ゴールドバーグ氏に雇われてムーンシャインから氏の宝物を守る仕事をしています」
「ゴールドバーグ氏の…」
フレッドの表情が、微妙に変化した。
「まあ、おかけ下さい。お話をお聞きしましょう」
フレッドに促されて、ミケとディーは再び椅子に腰を下ろした。
口火を切ったのは、ディーという名の青年の方だった。
「ゴールドバーグ氏の意向で、自警団の方々の協力はお断りしているそうですが…今までムーンシャインの捜査にあたられた皆さんに、少しでも彼女の情報をお伺いできればと思いまして」
表情にも口調にもよどみがない。フレッドは苦い表情で首を振った。
「氏の方から協力を断っておいて、今さら情報を教えて欲しいなどと…」
そのセリフに、ミケが一瞬悲しそうな表情になる。が、
「…と言いたいところですが…別に特に極秘捜査をしているわけではないですからね。私で答えられることでしたら、お答えしましょう」
苦笑してそう続けるフレッドに、ミケは満面の笑みを浮かべ、ディーは薄く微笑みを返した。
「ではまず、今までの被害についてお伺いしたいのですが…できれば、どんな警備体制を敷いていたのかも。警備の参考にしたいので」
「…わかりました。初めてムーンシャインが現れたのは、4ヶ月前の満月の夜のことでした。被害に遭われたのはアインシェル氏。予告状が来たときは、氏もイタズラと取り合わなかったのですが、その情報を聞きつけた我々が、念のためと4、5人警備に向かわせたのですよ。まあ、最初は恥ずかしながら、大した警備体制は敷いていませんでした。なんせ、次の朝まで、問題の品が無くなっていたのに気付かなかったのですからね」
「気付かなかった?」
ディーがその言葉を反復すると、フレッドはまた苦い表情になった。
「ええ。その品が保管されている部屋の中は警備をしていなかったのですよ。何せ窓もない、出入り口もひとつしかないところで、入り口を張っていれば安全と思っていましたから。いや、やられました。まさか、あんなに狭い通風口を通っていくとはね」
「通風口ですか…」
「2件目の被害者はブルーゲル氏。前回まんまとしてやられたので、今度は30人の団員を警備に向かわせ、私も向かって陣頭指揮を執りました。安置してある部屋に5人を配置し、通風口や排水口など、部屋に続く入り口にはそれぞれ2人ずつ置きました。そして、寝ずの見張りをしようと息をまいていたところに…」
「…どうしたんですか?」
言いにくそうに言葉を止めるフレッドを、ミケが促した。
「その屋敷のメイドが、眠気覚ましにとコーヒーを持ってきたのです。我々は有り難くそれを頂戴し…しばらくして意識がぷっつりと切れました。目が覚めたときには朝になっていて、問題の品は跡形もなく消えていました。…後で屋敷の方に話を聞いたところ、そんな容姿をしたメイドはこの屋敷にはいないと…」
「メイドの変装をして、睡眠薬入りのコーヒーを飲ませたわけですね」
フレッドは無言で頷いた。
「3件目の被害者はネグリア氏。今度こそ万全の警備体制を敷くべく、家の方々には一時別の場所に滞在していただき、屋敷の中には自警団のものだけを残すようにしたのです。団員にも、例え自分と同じ制服を着ていても、気を許すことの無いよう固く言い聞かせておりました。今度こそ大丈夫だ、そう確信していました。…まさか、あんな事が起ころうとは」
「あんな事とは?」
ディーが先を促すと、フレッドは目を閉じて溜息をついた。
「ちょうどマティーノの刻の頃です。それまで煌々とついていた屋敷の明かりが、突然全て消えたのです」
「明かりが…全て消えた?!屋敷の明かりは、ランプだったのですか?」
「いいえ。魔道を使える執事が灯した、魔法の明かりでした。屋敷中の明かりが、一瞬にして消えてしまったわけですから、私達はパニックに陥りました。ほどなく、屋敷のあちこちで、ガラスが割れるような音がしました。それがだめ押しでしたね。我々が組み立てていた警備網は大混乱し、どこで何が起こっているか、誰がどこにいるかもわからない状態になっていました。私は一人、例の品が安置されている部屋に残って見張っていましたが、真っ暗で何も見えません。すると不意に、ドアが開いて誰かが入ってきました。そして女の声で『あれ、パニクってないヒトがいる、えらいね』と…」
「…ムーンシャインですか!」
「そのようでした。私は彼女を捕らえようと飛びかかり…暗くて目がきかず、相手が女性だと油断していたせいもあるのでしょうが…恥ずかしながら、逆に彼女に投げ飛ばされてしまったのです」
「…魔法の効果を消し去る能力…そして、体術も使うのですね…」
ミケが厳しい表情で、情報を整理する。
「彼女は私を投げ飛ばすと、軽い身のこなしであっという間に問題の品を奪い取り、逃げ去っていきました…全く、面目ない次第です」
「では、ムーンシャインの姿は目にされていないのですね?」
ディーが確認するように、フレッドに訊ねた。
「ええ。声からして若い女性であることは間違いないのですが…そういえば」
「何です?」
「かすかな月明かりに…金色の髪が見えました。かなり長く、広がっていて…あの髪は邪魔だろうと思ったのを覚えています」
金色の髪…エルが拾ってきた情報とも一致する。
「わかりました。それで、3人は一体、何を盗まれたのですか?」
ディーの質問に、フレッドは苦い顔をした。
「それが…3人が3人とも、狙われたものについては公表しないで欲しいと言ってきたのですよ。プライヴァシーだと…ですから、申し上げることは出来ないんです」
「そうですか…」
「ですが…」
フレッドはもったい付けるように、口の端をゆがめた。
「3つとも、似たようなものだった…ということくらいは、言っても良いでしょうな。おそらく、ゴールドバーグ氏の狙われている宝というのも…これは、私の想像ですが」
その答えに、二人は満足したようだった。
「わかりました。どうも、ありがとうございます」
ミケが立ち上がって、また深々と礼をした。

「いいんですか…?ゴールドバーグの雇った冒険者に、内情を喋ったりして…」
部下の一人が、心配そうにフレッドに言う。
「まあ、喋ったのはムーンシャインに関することだけだ、支障はないだろう。こちらとしても、ムーンシャインにまたしても奪われた上に逃げおおせられたのでは困るのだよ。彼女を捕縛し、こちらに引き渡すように手は打ってある。あとは、打った手が成功するかどうか、だな…」
フレッドは難しい顔で、腕組みをした。

彼女のウワサ

「あっ、クルムおにーちゃん!やっほー!」
大通りを歩いていたクルムに陽気な調子で手を振ったのは、彼の「依頼人」である少年、カティ。
クルムが笑顔で手を振り返すと、カティは足早に彼の元に駆けてきた。
「今日はエルお兄ちゃんはいないんだね」
きょろきょろと辺りを見回して言うカティ。クルムは苦笑して、
「ああ、今日は一人だ。…それよりごめんな、カティ」
いきなり謝るクルムに、カティはきょとんとする。
「えっ?」
「依頼の内容、勝手に人に喋っちまったりして」
「なーんだ、そんなこと?」
カティはクルムを見上げて苦笑した。
「全然気にしてないよ!それどころか、僕の依頼受けてくれる人が増えたんでしょ?すっごくうれしいよ!」
「そうか?お前がそう言うんならいいけどさ」
クルムはポリポリと頬を掻いた。
「今日は何しに来たの?」
「ん?ムーンシャインの噂を、色々集めようと思ってさ。そうだな、酒場とか行けば集めやすいかも…」
「酒場…僕の家?」
カティが急に心配そうな顔になった。
「ん?どうしたんだよ?」
「あのね、クルムお兄ちゃん。僕、この依頼のことパパやママに内緒にしてるんだ。ムーンシャインに会ったことも…だから、お願い、僕のことはパパ達には言わないで!」
必死の表情で言うカティに、クルムは笑顔を返した。
「わかったよ。ただの冒険者として、酒場に情報収集に行く。それでいいだろ?」
「ありがとう!」
カティは再び、満面の笑顔になった。
「じゃ、僕これから友達と遊びに行くところなんだ!またね!」
そう言って、くるりときびすを返しかけて行く。途中で振り返って大きく手を振り、またかけていった。
「さて、と…」
クルムは再び目的地の方向を向く。
ヴィーダ中の依頼が集まる酒場、「風花亭」。

だが、彼が酒場に行ったのはほとんど無駄足と思われるほど、その情報たるやすごいものだった。
「彼女は王宮の秘密捜査官で、不正を暴くために屋敷に潜入し、証拠の品を奪っていっている」というもの。
「彼女の父親が作り上げたものを不当に奪った者達から取り返している」というどこかできいたような話。
はたまた、「世界を股に掛けた大泥棒で、その美貌と盗みのあざやかさからファンクラブも存在する」とか…
出所不明のデマばかりだ。噂というものは、真実を含んだ大ウソなのである。
「うーん…肝心なことは何一つわかんねえなー」
カウンターに座ったクルムは、苦笑して頭を掻いた。
なにしろ、今話題のムーンシャインの話題である。あちこち聞き回っても不審には思われないだろうが、その分余計な情報が多いのも事実だった。 
「ま、そんなもんでしょうさね」
カウンターの中のマスター(おそらくカティの父親)も、グラスを拭きながら苦笑する。
「なんせ、『ムーンシャイン』ってのも、マスコミが勝手に付けた名前ですからねぇ。神出鬼没、正体不明。自警団をいともあっさり手玉に取り、この街じゃあ嫌われ者の金持ちばっかりを狙ってる。噂じゃあ美人だって言うし、結構町の人には人気あるみたいですね」
「その、美人だって噂も、どこから来たんだろうな?誰も顔を見たヤツはいないんだろ?」
「そうですね。ですが、盗んだ後に街の屋根から屋根を舞うように飛び移っている姿なら、結構な人が見ているようですよ」
「…それで、どこに逃げていったのかはわかんないのか?」
「それが不思議なところでしてね。ま、自警団でも捕まえられないんだから、普通の人間が後を追おうってのも無理な話かも知れませんねぇ。だいたい、あんなに高いところをぴょんぴょん飛び移るなんざ、人間業じゃありませんよ」
「そうかもなー」
クルムも頷いて同意する。
「そういや、今までムーンシャインの被害にあった人達って、金持ちばっかりなんだってな。何か繋がりでも、あんのかな?」
クルムの質問に、マスターは首を捻った。
「繋がりってもなぁ…あたしらみたいな下々の者には、上の金持ちが何やってるかなんて想像もつきませんねぇ。あんまり仲が良いなんて話も、聞きませんしねぇ」
そして、指折り数え始める。
「最初がアインシェル…次がブルーゲル…そしてネグリア…で、今回のゴールドバーグか。まー、成金ばっかりってのが共通項っていや共通項でしょうね」
「成金…」
「どこも、ここ2,3年ですよ。急に名前を聞くようになったのは。それまではまあ、普通の会社社長って感じだったんですけどね」
「2、3年…」
クルムは顎に手を当てて考え込んだ。

本当は暗がりが最適なのですが、ページの都合で昼間

「どなたでいらっしゃいますでしょうか?」
突然の見知らぬ来客に驚いた表情ひとつせず、サツキは薄い微笑みを浮かべた。
入り口の男性はにっこりと微笑むと、流麗な口調で名乗る。
「クライシュベルツ・リッタルトと申します。近くの教会に寄せていただいて、神学を志している者です」
「クライシュベルツさん…」
「クライツで結構です」
「では、クライツさん。わたくしに何のご用でしょうか?」
「昨日、ゴールドバーグ氏に雇われた冒険者と名乗る者が貴女にお話を伺ったと思いますが…」
「ああ、ディーさんですね」
「彼に貴女のことをお聞きして、こちらに伺ったのです。よろしいですか?」
「もちろんですわ。さ、どうぞ」
サツキは身を半歩ずらして、部屋の中を手で指し示す。クライツは一礼すると、部屋に入った。
住宅街にある、小さな一軒家である。貸家であろう、同じ型の家が両隣に何軒か並んでいた。
サツキはお茶を入れると、座っているクライツの前に丁寧に差し出した。
「変わった色のお茶ですね」
「グリーンティーですわ。わたくしのふるさとのお茶です」
「ナノクニのご出身だそうですね」
「ええ。とても良いところですわ。わたくしはふるさとを誇りに思っています」
クライツは風変わりな香りを楽しんだ後、一口含んだ。
「ああ、美味しいですね。とても上品な味だ」
「ありがとうございます」
サツキはまたあのアルカイック・スマイルを浮かべると、カップ(湯飲み)をテーブルに置いた。
「それで、わたくしに何のご用ですか?」
「どこから話せばよいものか…」
クライツもカップを置き、目を閉じて考える。
「私は、彼等雇われ冒険者とは少々違いまして、お世話になっているゴールドバーグさんのためになれば、と行動しているのです。あまり大きな声では言えませんが、氏がここまでの財を築き上げるには、多少道に外れたこともしてきたことでしょう。失礼ですが、貴女の主人であるアインシェル氏も同様かと存じます」
サツキは薄く微笑んだだけだった。
「ですが、変に正義感の強い冒険者たちの中には、ムーンシャインから宝を守るという目的から逸れ、氏のそうした面を暴こうとしている者もいます。…同じような事件に遭われたアインシェル氏を知っている貴女の口から、そうした情報が漏れることを、私は懸念しているのです」
「…それで?」
サツキは微笑んだまま、先を促した。
「貴女に、これ以上彼等冒険者に情報を与えないよう、お願いしたいのです。そして出来れば、焼け出された貴女を、しばらくゴールドバーグ氏のお屋敷で保護させていただきたいのですが…」
「ご主人様…アインシェル様と、ゴールドバーグ様は、その事について承知なさいましたか?」
サツキの質問に、クライツは苦笑した。
「それなのですよ。どうやらお二人は、商売上ライバルの関係にあるらしいですね。ゴールドバーグ氏に進言してみましたが、貴女の口から氏の不利になるような情報が漏れる心配はない、と取り合っていただけませんでした。アインシェル氏に至っては、ゴールドバーグ氏の使いと名乗ったら顔を合わせてもいただけませんでしたよ」
「そうだと思いました」
サツキが、初めて楽しそうに笑みを漏らす。
「ですが…氏のお屋敷が駄目でも、私が寄せていただいている教会でしたら、焼け出された人々を保護することもできます。私と一緒に、来ていただけませんか?」
「お気持ちは嬉しいのですが、クライツさん。わたくしにはこの家がありますし、ここを共同で借りている友人もいますので、特に住むところには不自由していません」
「サツキさん」
クライツは身を乗り出して、サツキの瞳を見つめた。
「私にこれ以上野暮を言わせるおつもりですか?貴女と、出来るだけ長い時間を共に過ごしたいのですよ。こんな、事件続きの殺伐とした街で、貴女のような方に出会えるなどとは、夢にも思いませんでした…ですが私は、夢より確かに、貴女の存在をもっと感じていたいのです…」
そして、サツキの手にそっと触れる。
その表情から、すっと笑顔が消えた。
「クライツさん」
対照的にまだ薄く微笑んだままのサツキが、ゆっくりと言う。
「ナノクニに行かれたことはございますか?」
黙ってサツキを見るクライツに、サツキは続けた。
「ナノクニでは、精神修養がとても盛んに行われています。特にそれを極めた者は『心眼』と言って、目を閉じていてもものが見えるようになるのです。心穏やかに、どんなことにも動じない心を作り上げる…わたくしも小さい頃から、ごく当たり前のようにその修練をしていましたわ」
「…」
「クライツさんは、そのとても麗しい御姿とは別に、何か特別に人を惹きつける力をお持ちのようですね。ですがその力も、今こうしてわたくしに触れわたくしの心を探る力も、わたくしには通用いたしませんわ。残念ですけれども」
クライツはサツキの手から手を離し、ふうっと溜息をついた。
「…お互い、正直に話してみませんか。サツキさん」
「何のことを仰有っているのか、よく分かりませんわ」
サツキはにっこりと笑うと、立ち上がった。
「わたくしは、わたくしのご主人様の命の他は、わたくしの意志に従って行動するのみです」
そして、ドアの方に歩いていき、開ける。
帰って下さい、ということだ。
「…ご主人様とは、アインシェル氏のことですか?」
クライツの質問に、サツキは再びにっこりと笑った。
「ご想像にお任せいたしますわ」

暴かれた幻

「これはどういう事ですかな?」
呼ばれて仕事部屋に入ったジェノに、開口一番ゴールドバーグはそう言った。
机の上には、例の妖精像が置かれている。
ただし、本物はジェノの槍におさまっているので、そこにあるのはミケが作った偽物のはずだ。
「どう、と申されますと?」
それでも、ジェノは空とぼけて質問を返す。
「とぼけてもらっては困りますな。あの部屋に入れるのは、私以外には鍵を預けたあなたしかいないはずだ」
不機嫌そうな様子で言うゴールドバーグ。
「私はあの像をムーンシャインから守ってくれと言ったのです。偽物とすり替えてくれとは言っていない。依頼以外のことをしてもらっては困りますな」
ジェノは、むっとして言い返した。
「お言葉ですが、俺達はムーンシャインから像を守るための手だてを弄したまでです。偽物とあらかじめすり替えておけば、ムーンシャインがそれを本物と思って持っていくか、そう上手くいかなくても攪乱することくらいは出来るはず…」
「では何故、私にその事を報告しないんです?あの像の所有者は私だ。勝手な真似は慎んでいただきたい」
次第に語調が強くなってくる。
「敵を騙すにはまず味方から、と言うでしょう」
「あなた方のやっていることは、人のものを勝手に持ち出し保管している、それこそ泥棒と変わりないのではないですかな?ムーンシャインを捕まえる以前に、あなた方を自警団につきだしてもいいのですよ?」
ジェノはぐっと言葉を詰まらせた。
ゴールドバーグは、沈痛な面もちで溜息をついた。
「…まあいいでしょう。とにかく、すぐにあそこに本物の像を戻して下さい。いいですね」
強い語調で、ゴールドバーグはそう言った。

「…ばれてしまいましたか?」
部屋を出たジェノを、ミケが心配そうに待っていた。
「…ああ。なんだか知らねえが、ゴールドバーグさんはあれが偽物だってお見通しらしい。本物を元のところに戻しておけとさ。さもなくば自警団に突き出すとまで言ってる」
「そうですか…仕方ありませんね。僕の魔法も、まだまだと言うことですか」
苦笑しながら言うミケに、ジェノは真面目な表情で考え込んだ。
「…いや、お前の魔法のせいじゃないさ。あの幻は完璧だった。お前の話じゃ、特別な魔法なんかもかかってなかったんだろ?だったらなおのこと、普通の人間にあれを見分けることなんかできねえはずだ…」
ミケも、困った表情でジェノを見る。
「…どういうことだ…?」
「…何故…見破られてしまったのでしょうね…?」

謎が謎を呼ぶ怪事件…?

予告の日まで、あと三日。

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