月の明かりに照らされて

アタシ、散々言ってきたわよね。
 人間は汚い生き物だって。
 自分勝手で醜くて、
 自分を守るためなら相手を傷つけるのをいとわない生き物だって。
 自分が悪いことを認めないために、
 相手を平気で悪者に貶める生き物だって。
 良いとか悪いとか、自分たちで作った枠に囚われてる。
 そんな、どうしようもなく愚かで、醜くて。
 そして、魅力的な存在、それがアナタたち。
 強く儚い者たち。
 もっともっと、アタシを楽しませて!
 アタシの奏でる曲で、死のダンスを踊って!
 アタシの奏でる曲で、断末魔の歌を歌って!
 もっともっと楽しみましょう。
 人生は、たった一度しかない最高のゲームなんだから。

The Magician under the moonlight

しばらく、誰も言葉を発する者は無い。
魔道の明かりが全て消え、暗く静まり返った屋敷のテラスに、ただひとつ煌々と輝く光。
それに照らされた、禍々しくも美しい一対の翼を持った女性。
不適な微笑みを浮かべながら、彼女は総勢13名の冒険者を艶然と見下ろしていた。
配下の者たちも、それぞれに穏やかな表情で冒険者たちを見つめている。
まるで、彼女たちに罪など無いかのように。
永遠ほども続くかと思われた沈黙を破ったのは、やはり。
「…ねぇ、リーフさん。聞きたいことがあるんですよ」
ミケ。
チャカ、の名ではなく。
『強奪する者』の名で、呼ぶ。
命を。
自分たちの心を。
奪って踏みにじった者の名で。
「あなたは、僕らが答えを出すこと…予測していたのではありませんか?」
怒りに燃えた瞳は、いつものように冷静な…それでいて冷たい輝きを放っていた。
「『自分たちの罪を悔いながらも、闇に染まるしかない少女たち。それを悲しみの内に討ち果たす冒険者。少女を倒した後も、彼らは自責の念にかられ続ける』…さっき僕が言った言葉ですけれど。僕は、これと全く同じシナリオを一つ…知っています。ほんの少し前のことですけれど。…僕は全く同じシナリオを」
問われた女は、なおも無言で微笑むばかり。
きり、と唇をかんで。
「あなたは、前もこんなシナリオを立てませんでしたか?」
怒りも…既に通り越してしまっていた。
あのとき。必死になって止めようとした少女を思い出す。
あれすらも…誰かに操られ、演じさせられていたのなら。
彼女も自分も、みんなも。
あのとき。
共にあの森を彷徨い、哀しき魔獣と戦った者達。
ミケ、クルム、ルフィン、クラウン、瑪瑙。
誰の脳裏にも、あのときのことが鮮やかに甦る。
あまりにも似すぎていて。
黒い悪魔は、やっと真っ赤に彩られた唇の端をつり上げて、笑った。
「…まあ、そこまで言われれば、誰だって気付くわよねぇ」
彼らの顔が、さっと厳しいものに変わった。
「そうよ。アタシはあの森で、アナタたちがカレンを倒す一部始終を、見てたわ」
わざと、「アナタたちが」「倒す」という単語を強調して、言う。
「ミケ、アナタの見事な推理もね…けど、もう一歩、ってところかしら。何百年も守られてきた封印が、ちょっと触ったくらいで解けちゃうのって、ヘンだと思わなかった?」
はっと何かに気付いたように、クルム。
「まさか…あんたが…?」
チャカは可笑しそうにころころと笑った。
「そう。ヴィレグの封印に細工をして、解けやすいようにしたの」
「…アンタが…元凶だったって訳か…」
苦虫を噛み潰したような顔で、ルフィン。できれば、あまり思い出したくなかった。
「あんたのせいで…カレンは…!」
厳しい表情でチャカを見つめるクルムに、チャカは大仰に肩をすくめて見せた。
「勘違いしないで欲しいわ」
「勘違い…?」
「アタシは、封印を解きやすくしただけ。あとは何もしていないのよ?禁断の場所に立ち入って、封印を解いてしまったのは、カレら。ヴィレグが喰らいつくほどの憎しみを抱えていたのは、カノジョ。カノジョにそれほどの憎しみを抱かせたのは、根拠の無い優越感でカノジョを苦しめつづけていた、村人たち。アタシが直接手を下したわけでもなければ、ヴィレグをけしかけたわけでもないわ」
そしてまた、にやりと微笑んだ。
「カレらが、もう少しずつだけ強ければ。あんな悲劇は起こらなかった。そうじゃない?カレンが、憎しみを昇華して強い心を持って生きていれば。村人たちが、そしてあの4人が、こんな差別なんて無意味なことだと、勇気を出して気付いていれば。あの村に悲劇は訪れなかったのよ。そうでしょう?アタシは、崩れるかもしれない、でも崩れないかもしれないバルコニーに、カレらを立たせてみただけ。崩れるバルコニーを作ったのは、他でもないカレらなんだから」
誰も、何も言えなかった。
カレンの憎しみの元凶が村人たちであることは、確かにチャカの言うとおりだったから。
「それで…計画の邪魔をしたオレたちに、腹いせをしたのか」
クルムが言うと、チャカは大仰に手を組んで首を振った。
「とんでもないわ!むしろ逆よ。謎を解いていくアナタたちを見て…面白そうだったから。ちょうど前々からやってた『実験』を使って、今度はアナタたちのためにシナリオを書き起こすことにしたの。バルコニーを、アタシの手で作ってあげたのよ。ふふ…楽しみにしてたのよ、アナタたちと遊ぶの!」
「そうか、それで…」
再び苦い表情で、クルムがつぶやく。
何故『自分が』。キャットによってシナリオに引き込まれなくてはならなかったのか。
おそらくは、あの森の事件に関わった者であったから。
他にも、あらゆる手段で引き込もうとした者はいたのだろう。あの森にいた者でこの事件にいない者は…ヴィーダにいなかったか、引っかからなかったか。そんなところだろう。
「…けど、前のと照らし合わせすぎちゃったかしらね。見破られるとは思ってなかったわ。ふふふ、だから面白いのよね」
本当に、心底楽しそうに言う彼女に、ミケは低く笑った。
「…っふ。ふふ…駄目ですよ、ワンパターンは。そんなことでは」
ほとんど笑っていない目と、それとは違う…軽い口調。
そうして冷静さを保つように。
冷え切っていく自分の心に歯止めをかけるように。
「…読者が納得するとでも思ってるんですかっ!」
いやんパクられちゃったv
「だから…思ったんですよ。もしかしたらあなたは、そのときの続きを演じようというのではないかと。…同じようなストーリー、同じようなラストは…望まないのではないか…とね」
「わかってるじゃない。その通りよ」
チャカは再び、艶然と言い放った。
「全く同じってわかってるストーリーなんてつまらない。あの時だって、アタシは種を撒いてどんな結果が出るかワクワクしながら見てたわ。結末は、誰もわからないからこそ面白いの。だから、このシナリオにもアタシはラストなんて用意してない。ラストシーンは…」
おもむろに、冒険者たちを指さして。
「アナタたちが作るのよ。もう今の時点で、十分シナリオは堪能したわ、あとはすばらしいラストを迎えるだけ。さあ…」
ふわり、と浮いて。
と同時に、傍らに控えていた4人の配下が、一斉に別方向に散った。
「すばらしい幕引きで、アタシを楽しませてね!」
そしてチャカも、くるりと踵を返して中庭の方向へ跳んでいった。
冒険者たちは、慌てて彼女たちの後を追った。

Krum Weeg

「にゃははは!」
キャットは楽しそうに宙返りをして元の猫の姿に変化すると、ベランダの手すりから地上へと飛び降りた。
「待てっ!」
クルムが慌ててその後を追う。ベランダの手すりを乗り越えると、一気に地上に着地した。他の冒険者たちも一斉に、ベランダを飛び越えて目当ての人物を追っていく…大方の目標は、チャカであるようだった。
クルムは、自分をこの事件に引き入れた張本人…キャットの相手をするつもりでいた。
迷いは、なかった。
だがいかんせん、相手は本物の猫。あっという間に茂みに姿を隠してしまう。クルムは足を止めて、途方にくれたようにあたりを見渡した。
「クルムさーん!」
玄関のほうから聞こえるいい声に振り返ると、見慣れた物体が手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。
「ナンミン!」
クルムは物体の名を呼んで、彼が自分の元まで走ってくるのを待った。
ナンミンはクルムの側まで来ると、息を切らせながら微笑んだ。
「わ、わたくしにも、お手伝いを、させて…下さい」
「だ、大丈夫か?ナンミン」
「ええ!前回は見慣れない血を見て不覚にも気絶してしまい、皆様のお役に立てず悔しい思いをしましたが…あれから、食肉工場でアルバイトをして血に慣れました!」
「そ、そうなのか…」
「ええ!クルムさんにも今度是非わたくしの作ったソーセージを…」
「そ、そのうちな」
喰われそうである。
「はい!それで、クルムさんはこれからどちらに…?」
「キャットを倒すつもりで追ってきたんだけど…見失っちゃったんだ」
「ああ…猫さんですから…素早いですね」
確かに、動物の動きは人間のそれとは比べ物にならない。それも、ある程度大きな動物ならともかく、小さい動物であればあるほど、目の届かないのも手伝って視界から消えてしまうのは容易だ。
「待っていてください、クルムさん」
ナンミンは自信満々にそう言うと、背中の卵ドセルをよっこいしょっと下ろし、蓋を開けた。
「ぎゃー」
「あなたたち、探してきてください」
中から現れた数個の卵が、ナンミンの命令に従って四方に散らばっていった。
その動きは、まるでネズミのように、素早い。
「これで、しばらくすれば見つかるはずです」
「サンキュー、ナンミン!じゃあ、待ってる間に…」
クルムは言って目を閉じ、精神を集中した。
「…ストレンクス!」
呪文と同時に、可視のオーラがクルムを包み、体中に力がみなぎっていく。以前エルにかけた、能力を増強する呪文を自分にかけたのだ。あの時は見様見真似の域を脱しなかったが、あれから少し練習して、魔法として確立している。
クルムは次に、背中の大剣を抜いた。目の前に刃を上にして構え、再び神経を集中させる。
「…ライトブレード!」
呪文と同時に、剣から光のオーラのようなものが浮かび上がる。オーラはまるで剣についた炎のように、ふわふわと形を変えながら剣にまとわりついていた。
「すごいですねー、クルムさんは」
ナンミンが心底感心したようにその様子を見て言った。
「ナンミンだって、あんな不思議な卵を作ることが出来るんだから、すごいよ」
「いえいえ、クルムさんのほうが…」
すっかりほのぼのムードになっている。ラブラブだ。
と、その時。
「ふぎゃあぁぁぁっ!」
ばすんばすん、がさがさ、ばさっ。
茂みの向こうから、猫同士のケンカのような絶叫と物音が聞こえる。
やがて、がさっという音とともに卵と猫が飛び出してきて、猫がはしっと卵を捕まえた。
「………」
クルムとナンミンは無言でそれを見守る。
猫は二人の視線に気付くと、じたばたしている卵を離して毛づくろいをはじめた。
まるで「私はこんなの追いかけてなんかいませんでしたよ」というような態度。
「……じゃなくて!」
クルムははっと我に返った。
一瞬可愛さに見とれてしまった自分が悔しい。
「キャット!もう逃げられないぞ」
クルムが猫に向かって言うと、猫は少しこっちを向いて、それからひと鳴きした。
「みあぁおうぅ」
鳴き声とともに、猫の輪郭がぐにゃりと歪み、見る間にするすると大きく形を変えていく。
やがて、猫は派手なショッキングピンクの異国風の服を着た少女へと変身した。
「逃げテいたつモリはないンダけどネ」
キャットはそう言って肩をすくめる。
「キャットには、チャカ様やみんなみたイナ戦う力は、あマリないかラ…」
言って、にやりと笑って。
「こういウやり方デ、戦うしカナいのよネ」
また、輪郭がぐにゃりと歪む。
クルムが良く知っている少年の姿に。
「さ、クルムおにいちゃん。僕と遊ぼ!」
カティはそう言って、にっこりと微笑んだ。
クルムは苦々しげにカティを見つめ、剣を構えなおして駆け出した。
「たぁっ!」
ためらうことなくカティに向かって剣を振り下ろす。
カティは何とかそれをよけると、バック転をしてクルムと距離をとった。
クルムは剣を構えなおし、カティに向かって優しく微笑みかけた。
「そんなことをしても、無駄だよ。あんたはもう、俺の知ってるカティじゃない」
そして、再び厳しい表情になって、カティに駆け寄り、斬りかかる。カティはまたそれをかわすが、かすかに服の端を剣が掠めた。
「…うわわっ?!」
剣が掠めた服にいきなり火がついて、カティは驚いてはたき消した。
あの剣に付加されている魔法の力か。
「好きだったよ。カティのことは。たとえ、作られた人格でも」
クルムは平静な表情で、カティに語りかけた。
「今でもオレの気持ちは依頼を受けたときのままだから。オレの目的は、カティとの約束を守ること。カティの『憧れ』を守ること。だからムーンシャインが あの子の『憧れ』を壊すような行動を取るなら止める気でいた」
その表情に、迷いはない。
「だから、『ムーンシャイン』のチャカ、そしてチャカと同じ思いのあんたを…止めなきゃな…!」
再び駆け出して、斬りかかる。カティは今度は慎重に、掠らないようによけながら、素早くクルムと距離をとった。
「僕の『憧れ』って、なに?僕の憧れを守るために、僕を殺すの?それってなんだか、本末転倒じゃない?」
「違うよ。オレはちゃんと最初に言っただろ?『ムーンシャインが悪いことをしていたなら、懲らしめるよ』って。だから、その仲間である君も、変わらない」
「そっか、クルムお兄ちゃんが言ってるのは『僕』じゃなくて、『クルムお兄ちゃんの心の中の僕』なんだね!間違えちゃだめだよ、言葉は正確に言わなくちゃ」
カティはにっこり笑って、指を一本立てた。
「それは、僕の憧れじゃない。クルムお兄ちゃんの、憧れだよ。勝手に決め付けたら、迷惑だよ。それは、僕だけじゃなくて…ね」
「…確かに、そうかもしれない」
クルムは、静かに肯定した。
「オレは、オレが正しいと思うことを貫き通すだけだよ」
剣から、手のひらに力が染み渡るように伝わってくる。
心は、自分でも驚くほど平静だった。
足を、一歩踏み出す。先ほどのストレンクスの効果か、いつもより踏み出しが軽い。周りの景色が、カティの動きが、スローモーションで目に飛び込んでくる気がする。
クルムはゆっくりと振りかぶって、カティに剣を振り下ろした。カティは驚きの表情のまま、動くこともできずにクルムの剣を受ける。右肩から胸を通り左の腰へ、袈裟懸けに剣が軌跡を描いた。ゆっくりと、血がしぶきを上げる。まるで、すべてが夢の中の出来事であるように。
カティは肩を抑えて、がくりと膝をついた。血が流れ出る傷口が、しゅうしゅうと音を立てて熱を帯びているのがわかる。
「…あの時…オレはカレンの悲しみに動揺して、何もできなかった。同じ過ちは…二度としない。どんなことがあっても…オレはオレが正しいと思うことを、貫き通す」
自分に言い聞かせるように。
クルムはカティに向かって言い放つ。
カティは苦しそうに肩で息をしながら、それでもにやりと笑った。
「そっか…クルムお兄ちゃんは…強いんだね」
少し、下を向いて。
「けど…変形魔法には…こういう使い方も…あるんだ…!」
言って、がばっとクルムに飛びかかった。
「なっ?!」
この怪我でここまで動けるとは思わなかった。完全に不意を突かれたクルムは、バランスを崩して倒れてしまう。
二人は組み合ったままごろごろと地を転がった。
そして、次にクルムが目を開けたとき。
目の前に、自分の顔があった。
「…えっ?!」
状況が把握できない。
目の前の自分は、にっと唇の端を吊り上げると、急いで立ち上がった。
「今だ、ナンミン!」
自分と同じ声で、向こうにいるナンミンに駆け寄る。ナンミンの傍らで、自分が…自分と同じ姿をしたものが、自分を指差して、叫んだ。
「キャットは傷を負ってる!今がチャンスだ!卵であいつの動きを封じるんだ!」
クルムは、驚いて自分を見た。
白い細い腕。派手な異国風の衣装に、袈裟懸けに切られた傷跡。虎縞のしっぽ。
否定する暇もなかった。
「まかせてください!」
ナンミンは背中の卵ドセルを地面に下ろすと、勢いよくその蓋をあけた。
「さあ、行ってください皆さん!卵卵乱舞~!!」
中から大量の卵たちが、クルムに押し寄せて。
ナンミンとその卵に反撃するわけにも行かず、クルムはそのまま意識を失った。

Ranslot=D=Nanmin

チャカとその配下達がいっせいに散らばって、冒険者たちはそれぞれに後を追った。
ナンミンはもちろん、ベランダから飛び降りて後を追うなどという芸当はできないので、ベランダからいったん屋敷の中に入り、階段を下りて玄関から出て行く。先ほどしこたま踏まれているので、少しつらい。
ナンミンは玄関を出て、とりあえず途方にくれてみた。自分に何ができるというのだろう。
あまり深く関わらなかったからかもしれないが、彼女たちに騙されてショックだった、という意識はない。だが、人間を好意的に受け止め、彼らと共存していきたいと望むナンミン族の彼らにとって、彼女たちのような存在は悲しかった。
と。玄関から少し離れた中庭の茂みの前に、同じように途方にくれている人物がいる。ナンミンは彼を見止めて、顔を輝かせた。
「クルムさーん!」
手を振りながら、彼に駆け寄っていく。
「ナンミン!」
クルムも笑顔でナンミンの名を呼ぶ。
ナンミンはクルムの側まで来ると、息を切らせながら微笑んだ。
「わ、わたくしにも、お手伝いを、させて…下さい」
「だ、大丈夫か?ナンミン」
「ええ!前回は見慣れない血を見て不覚にも気絶してしまい、皆様のお役に立てず悔しい思いをしましたが…あれから、食肉工場でアルバイトをして血に慣れました!」
「そ、そうなのか…」
「ええ!クルムさんにも今度是非わたくしの作ったソーセージを…」
「そ、そのうちな」
クルムはなぜか苦笑いでそれに答えた。
「はい!それで、クルムさんはこれからどちらに…?」
「キャットを倒すつもりで追ってきたんだけど…見失っちゃったんだ」
「ああ…猫さんですから…素早いですね」
ナンミンは少し考えて、そして不意にいい案がひらめいた。
「待っていてください、クルムさん」
ナンミンは自信満々にそう言うと、背中の卵ドセルをよっこいしょっと下ろし、蓋を開けた。
「ぎゃー」
「あなたたち、探してきてください」
中から現れた数個の卵が、ナンミンの命令に従って四方に散らばっていった。
その動きは、まるでネズミのように、素早い。
偵察用のミニ卵。目標物を見つければ、鳴いて知らせてくれるはずだ。
「これで、しばらくすれば見つかるはずです」
「サンキュー、ナンミン!じゃあ、待ってる間に…」
クルムは目を閉じて何事か魔法を使っているようだった。
そういったことがまったくわからないナンミンは、ただただ感心してその様子を見るだけである。
「すごいですねー、クルムさんは」
「ナンミンだって、あんな不思議な卵を作ることが出来るんだから、すごいよ」
「いえいえ、クルムさんのほうが…」
すっかりほのぼのムードになっている。ラブラブだ。
と、その時。
「ふぎゃあぁぁぁっ!」
ばすんばすん、がさがさ、ばさっ。
茂みの向こうから、猫同士のケンカのような絶叫と物音が聞こえる。
やがて、がさっという音とともに卵と猫が飛び出してきて、猫がはしっと卵を捕まえた。
「………」
クルムとナンミンは無言でそれを見守る。
猫は二人の視線に気付くと、じたばたしている卵を離して毛づくろいをはじめた。
まるで「私はこんなの追いかけてなんかいませんでしたよ」というような態度。
「……じゃなくて!」
クルムははっと我に返った。
あまりの可愛さに見とれてしまったナンミンも、我に返る。
「キャット!もう逃げられないぞ」
クルムが猫に向かって言うと、猫は少しこっちを向いて、それからひと鳴きした。
「みあぁおうぅ」
鳴き声とともに、猫の輪郭がぐにゃりと歪み、見る間にするすると大きく形を変えていく。
やがて、猫は派手なショッキングピンクの異国風の服を着た少女へと変身した。
「逃げテいたつモリはないンダけどネ」
キャットはそう言って肩をすくめる。
「キャットには、チャカ様やみんなみたイナ戦う力は、あマリないかラ…」
言って、にやりと笑って。
「こういウやり方デ、戦うしカナいのよネ」
また、輪郭がぐにゃりと歪む。
一度だけ対面した、クルムに依頼をしたという少年の姿に。
「さ、クルムおにいちゃん。僕と遊ぼ!」
少年はそう言って、にっこりと微笑んだ。
クルムは苦々しげに少年を見つめ、剣を構えなおして駆け出した。
ナンミンは一歩下がって、二人の戦いを見守っていた。
事情は良くわからないが、クルムがあの少年と仲が良かったことは知っている。
その少年の正体が、チャカの配下であったことも、先ほど見て知っている。
キャットと名乗ったその配下は、そのことを知っていて、あえてその少年の姿をとって、クルムと戦おうというのだ。
クルムの動揺を誘うために。
(卑劣な…!)
ナンミンは憤りにこぶしを震わせた。
だが、こんなに接近して戦っているのでは、自分はうかつに手を出すことはできない。攻撃用の卵を投げつけても、クルムに誤って噛み付いてしまう恐れがある。
ナンミンは歯がゆさを感じながら、戦いを見守っていた。
幸いにも、クルムに動揺している様子は見られない。冷静に少年に攻撃をしているようだった。ナンミンは少しほっとした。
やがて、クルムの渾身の一撃が、少年の体を袈裟懸けに切りつける。
少年の体から、血しぶきが飛び散った。慣れたとはいえ、あまり気持ちのいいものではない。
少年はがくりと膝をついた。ここからでは二人の会話は聞き取れない。
と、不意に少年が、クルムに飛びかかる。
「クルムさん!」
ナンミンは驚いて一歩前へ出た。
二人は組み合ったままごろごろと地を転がった。
転がっている間に、キャットは元の姿へと戻ったらしい。クルムは慌てて身を起こすと、ナンミンの方に駆け寄ってきた。
「今だ、ナンミン!キャットは傷を負ってる!今がチャンスだ!卵であいつの動きを封じるんだ!」
その時に、気がつくべきだった。
「まかせてください!」
ナンミンは背中の卵ドセルを地面に下ろすと、勢いよくその蓋をあけた。
「さあ、行ってください皆さん!卵卵乱舞~!!」
中から大量の卵たちが、キャットに向かって押し寄せていく。
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー」
気がつくべきだったのだ。
「殺しちゃだめだぞ、ナンミン。命まで奪ってしまったら…それは、やつらと同じだから」
「わかっています、クルムさん」
ナンミンはころあいを見計らって、卵たちを卵ドセルのなかに戻した。
キャットはぐったりと倒れている。意識はないようだ。
「やりましたね、クルムさん」
ナンミンはにっこりと、クルムを振り返って笑った。
クルムも同じように笑顔を返して、
「そうだな、ナンミン。…ご苦労様」
そして、後頭部に衝撃を覚え、ナンミンは昏倒した。
「く…ルム…さん…?」
気がつくべきだったのだ。
クルムが、剣を持っていなかったことに。
尻餅をついていたキャットが、何が起こったのかわからない様子で呆然としていたことに。
…キャットが、自分以外のものにも術をかけられるほどの、高位な変形術師であったことに。
それを意識の隅で感じながら、ナンミンの意識は暗転していった。
ナンミンに手刀を叩き込んだクルムは、にやりと笑って、指をぱちんと鳴らした。
その瞬間に、クルムの姿はぐにゃりと変形し、縮んでキャットの姿に変わる。
そして、卵に埋め尽くされ意識を失ったキャットは、元のクルムの姿へと。
「クルムお兄ちゃンハ、強いのネ…でも、気付かナイ?そレガ、キャットたちト、何も変わリガないっテコと…」
袈裟懸けに斬られた傷から、血が溢れ出してゆく。
「変形術で傷がふサガったよウニ見せるコトは出来てモ…傷は傷、なノヨね…」
血の気のない顔で安らかに微笑んで、キャットはその場に倒れ付した。

Mieken=de・peace

思ったよりも、チャカは遠くへ行ってしまった。この分だと、この屋敷内では戦わないつもりらしい。
他の配下達も、それぞれ散り散りに屋敷のあちこちに移動したようだ。こちらは13名。あちらは5名。普通に考えても、戦力を分断するのは当然の戦法といえる。
「ディー」
セレを追って行こうとしたディーを呼び止めて、急いで呪文を唱え、彼に手をかざす。
「風の衣よ…」
すると、ふわりと風がディーを取り巻いた。風の支援を得て、動きを機敏にする魔法である。
ディーはすでに心得た様子で、綺麗に微笑んで軽く会釈すると、再びセレの後を追っていった。
「ふう…となると、僕一人でみなさんをカバーするのは無理ですね…ポチ」
ミケが方の黒猫に向かって言うと、黒猫はストッと地面に降りた。
「みなさんをお助けしてください」
その言葉が合図のように、黒猫はみるみるうちにその姿を大きくしていった。そして、ちょっとした豹くらいのサイズになる。
「にがーご」
小さかった時の泣き声がそのまま野太くなったようなちょっと嫌な声でひと鳴きして、ポチはディーの後を追っていった。
「仕方ありません…近い方から、回復と援護をしていきましょう…」
と、言って歩みだそうとした、その時。
ふわり。
ミケの前に、桜色の影が降り立った。
指先まで見えぬほどに、ずるずると長いローブを纏った人魚の少女。
「ユリさん…」
ミケは驚いて、彼女を見た。呼ばれた少女は笑顔で右手をちょん、と突き出す。
「リリィ、です。間違えないで下さいね」
ミケは苦笑して、用心深く彼女と間を取った。
「そうでした…リリィさん。皆さんと一緒に行かれたのではないんですか?」
リリィは嬉しそうにくすくすと笑った。
「みなさん固まってて窮屈そうだから、とりあえず分かれてもらったんです。私はどこかに行くふりをして戻ってきたの」
「それは、僕も愛されたものですね」
慣れない仕草でおどけて見せる。リリィはまたにっこりと、
「ええ、だって…」
何の邪気も見えない笑顔で。
「群れの中にホイミスライムがいたら、まずその子から倒すでしょう?」
何の話でしょう。
だがミケはその言葉に、顔色を変えた。
自分は、回復・援護要員だ。それは自分でも、撤しようと思っていた。
だが、自分を守るものは、今この場には誰もいない。皆それぞれ、目指す敵を追っていってしまった。
真っ先に自分が叩かれたら。それは、考えていなかった。
だが、相手は自分と同じ魔道士。勝機が無いわけでは、ない。
ミケは半歩下がって身構えた。
リリィも、にっこり笑って右手を差し上げた。
「麗・火」
空に文字を描くと、彼女の周りに3つの大きな火球が出現する。
火球はひとつずつ、軌道を変えながらミケに迫ってきた。
「く…ウィンドウォール!」
苦渋の表情で呪文を唱える。ミケの周りに強烈な風が巻き起こり、迫ってくる火球をひとつ、ふたつと吹き飛ばした。もちろん、火の威力そのものを消しているわけではないので、熱いものは熱い。水系の防護魔法を持っていないので、こうするしかなかった。
そして、風の壁が治まったとき。
「フェイントです」
楽しそうなリリィの声が聞こえ、ミケははっと上を向いた。
先ほどの火球が、上で制止している。魔法の範囲外だったので、吹き飛ばされなかったのだ。
火球はそのまま、先ほどと同じ速度でミケの頭上に落ちてきた。今魔法を終えたばかりだ。
(間に合わない!)
ミケは思わず反射的に目を閉じた。
「たぁっ!」
同時に、頭上から響く掛け声と、わずかに髪と頬とを駆け抜けていく熱い風。
「………?」
ミケは恐る恐る目を開けた。
目の前に、やたらと広い背中と白いマントが広がる。
「大丈夫でしたか、ミケさん」
彼は顔だけ振り返ってミケに言った。白い歯が爽やかに光る。
「エルダリオ…さん」
「リリィさんと対決するつもりだったんですが…やはり空を飛んでいる相手には勝てませんね。遅くなって申し訳ありません」
どうやら、上から降ってきた火球はエルダリオが防いでくれたらしい。
「いや、魔法剣でもない剣で火の玉を切るものじゃないですね。我ながら無茶をしました」
ほとんどあの大剣を振る時に巻き起こった風で火を吹き飛ばしたのだろう。よく見るとマントと鎧が一部こげている。ミケも同様だ。
「いいえ、ありがとうございます。助かりました」
油断なくリリィの方に気を配りながら、ミケはエルに礼を言った。
エルは大剣を握りなおし、リリィに向かう。
「あらあら、戻ってきちゃったひとがいたんですね。ひょっとして私を追ってきてくださったんですか?きゃっ、照れちゃいます」
おどけて言うリリィ。
「ええ…見たところあなたが一番厄介な技を持っていそうでしたのでね。先に倒させていただきますよ」
「まあ…じゃあ私もホイミスライムなんですね。けど、先にって…私を倒して、その先があるとお思いなんですか?」
リリィは表情を、一瞬だけ残酷な笑みに変えた。
「…舐められたものですね」
そして、袖で見えない指先で、また文字を書く。
「招・雷・轟」
たちまち、曇ってもいない空から一筋の光が降り立ち、エルとその側にいたミケを直撃する。
「うああぁぁぁっ!!」
強力な雷に打たれ、エルとミケはたまらずに悲鳴を上げた。
幸いにも一瞬のことだった。ミケはフラフラになりながらも、エルに回復の魔法をかけた。
「…大丈夫、ですか、エルさん…っ」
「私は大丈夫です。ミケさんも早くご自分を回復してください。少し…下がっていたほうがいいかもしれません」
エルが厳しい表情で言ったので、ミケは下がって二人の戦いを見守った。
しばらく二人の攻防が続いた。力任せの戦士を相手に、リリィも様々な魔法で対抗している。全ての魔法に精通するという話も、あながち嘘ではないのだろう。力量の差を思い知らされる。
しばらく手が出せずに、ミケは時折エルの傷を癒しながら、一歩下がって戦いを見ていた。途中リリィが気になることを言ったが…
(エルさん…いえ、今はそんなことはどうでもいいことです)
動揺を押し込めて、自分に言い聞かせる。彼の正体がどうであろうと関係ない。彼は彼なのだから。
戦いは、エルが押しているようだった。意外に素早い彼は、リリィが放つ氷の魔法をことごとくかわし、彼女に太刀を浴びせていく。いくら魔法に長けていても、物理的な戦闘ではエルのほうが一枚上手だった。
やがて、エルの渾身の一撃が、リリィの腹部を深々と貫く。
リリィは満身創痍で…それでもにこりと微笑んだ。
「あなたたちを…他のみんなのところへ送るわけには…いきません…それが…あの方の…命令ですから…!」
「ミケさん、逃げてください!」
ただならぬ魔力を察知して、エルはミケを振り返った。
ミケは頷いて振り返り…そこで立ち止まる。
「…これは…!」
ベランダに続くドアが、全て凍りついている。
先ほど、当たらないにもかかわらず無差別に放った氷の魔法は、このためだったのだ。
「逃がし…ません…!」
リリィは続けて空に字を切っていった。
今から炎の魔法で溶かしても、間に合わない。
風の防護魔法も一応試みるが…
「招・雷・轟・震・天・檄・斉・空!」
最後の字を切り終わると同時に、先ほどとは比べ物にならないほどの無数の雷が、ベランダに余すところなく降り注いだ。
あまりの衝撃に、ベランダの手すりが、床が、壁が、囂々と音を立てて崩れ落ちる。
エル達は、リリィと共に、その瓦礫に吸い込まれていった。

Eldario sone Fiolett

目指す敵は決まっていた。
先ほど、屋敷中の魔道の明かりを消してしまうほどに広範囲で強力な魔力を無効にする術を使っていた魔道士。
リリィ。
まさかあの純朴そうなメイドが人を殺し、さらに全てをリーフの命令で行っていたとは。
胸にわだかまる不快感を抱え、エルはリリィの飛んでいった方向へ向かうべく、ベランダの柵を乗り越えて2階から地上へ飛び降りた。
もちろんそんなことでどうにかなるような柔な身体は持っていない。
リリィは魔道士なので当然のごとく、空を飛ぶことができる。見失わないように慎重に相手を追いながら、エルは走った。
と、他の敵も仲間たちも見えなくなった頃。
リリィは、いきなり反転して、屋敷の方に戻っていった。
「な…!」
エルは驚いて踵を返した。どこかに行くようなそぶりを見せたのは、人員を散開させるためか。エルは密かに舌打ちをして、全速力で屋敷へと戻った。降りることは出来ても、ベランダまで飛び上がることは出来ない。リリィがベランダに降り立ち、ミケと対峙したのを確認して、エルは急いで正面玄関から階段を駆け上った。この時ばかりは無意味に広い屋敷が恨めしい。
やっとのことでテラスに到着すると、ミケの頭上から大きな火の玉が落下しようとしているところだった。
「たぁっ!」
エルは夢中で剣を抜いて高く跳ぶと、ミケに当たらないように注意しながら火の玉を一刀両断にした。
魔法剣ではないので、さすがに少し熱い。
「大丈夫でしたか、ミケさん」
「エルダリオ…さん」
「リリィさんと対決するつもりだったんですが…やはり空を飛んでいる相手には勝てませんね。遅くなって申し訳ありません。いや、魔法剣でもない剣で火の玉を切るものじゃないですね。我ながら無茶をしました」
「いいえ、ありがとうございます。助かりました」
苦笑してミケに言うと、ミケは油断なくリリィに気を配りながらも礼を言った。エルもリリィに向き直って、構えを取る。
「あらあら、戻ってきちゃったひとがいたんですね。ひょっとして私を追ってきてくださったんですか?きゃっ、照れちゃいます」
おどけて言うリリィ。
「ええ…見たところあなたが一番厄介な技を持っていそうでしたのでね。先に倒させていただきますよ」
「まあ…じゃあ私もホイミスライムなんですね。けど、先にって…私を倒して、その先があるとお思いなんですか?」
リリィは表情を、一瞬だけ残酷な笑みに変えた。
「…舐められたものですね」
そして、袖で見えない指先で、また文字を書く。
「招・雷・轟」
たちまち、曇ってもいない空から一筋の光が降り立ち、エルとその側にいたミケを直撃する。
「うああぁぁぁっ!!」
強力な雷に打たれ、エルとミケはたまらずに悲鳴を上げた。
幸いにも一瞬のことだった。ミケはフラフラになりながらも、エルに回復の魔法をかけた。
「…大丈夫、ですか、エルさん…っ」
「私は大丈夫です。ミケさんも早くご自分を回復してください。少し…下がっていたほうがいいかもしれません」
エルが厳しい表情で言ったので、ミケは下がって二人の戦いを見守った。
エルは剣の刃を下にさげて逆手で持ち、顔の前に掲げると、上手く聞き取れない発音で呪文を唱えた。剣を持った手の平から、力が染み渡るようにみなぎっていく。
「まあ、竜言語魔法ですね」
リリィが微笑して言い、エルはぎょっとして彼女を見た。
「私も、理論だけは少し勉強しました」
リリィは意味ありげに、笑みを深くした。
「でも、結局竜族しか使えない魔法だから、止めたんです」
どきり、とする。
後ろにはミケがいる。多分聞かれただろう。今更…本当に今更だ。どうということはないのだが。
エルは表情を厳しくして、剣を構えなおした。
駆け出して、空にいるリリィに斬りかかる。剣はわずかに法衣の端を掠めただけで、空しく空を切った。
「あなたたちの…その何でも見透かしたような言い方が…気に障るんですよっ!」
リリィの放った氷の魔法を剣で払って、エルは再び彼女を斬りつけた。今度はわずかに腕を掠め、桜色の法衣に鮮やかに血が滲む。
リリィはわずかに眉をしかめてそちらを見、再びエルに視線を戻した。
エルは続けた。
「ひとの人生を弄んで…人の命を陥れて、それを上から見て楽しんで!それで支配者にでもなったつもりですか?!あなたも、元はひとであったのでしょう!あなたも私達も、同じ存在です!何故同じ視点で物を見ることが出来ないのですか?!」
リリィはにこりと微笑んだ。
「支配者だなんて、とんでもない」
すい、と再び空に文字を書いて、氷の魔法を発動する。エルは難なくそれをかわし、再び斬りつける。今度は脚に命中し、長い法衣の隙間からざくりと切れた細い足が覗いた。
リリィは怯むことなく、続けて氷の魔法を発動した。
「私達はいつだって、対等に全力であなた達と対してきました。同じ存在として、失礼の無いように。対等に、命と命の駆け引きをしているんですよ。あの人たちが負けたのは、あの人たちに力がなかっただけのこと…そうじゃないですか?」
「力のないものは生きる資格がないとでもおっしゃるんですか?!」
「私の意見がどうこうと言うより、自然の摂理です。私たちの歴史が、それを証明しているじゃないですか」
なおも剣と魔法の応酬をしながら、二人は言い合いを続けた。
「私達はいつだって、意見の違うものを力でねじ伏せ、自分の意見を通して生きてきてるじゃないですか。そう、ちょうど今エルさんが、私を倒そうとしているように!」
「詭弁です!私があなたたちを止めなければ、あなたたちはこれからもこのようなことを続けるのでしょう?!意見の違うもの同士も、認め合い共存できる道があるはずです!あなたたちは、全く関わりのない人に自分の意見を押し付け、当り散らしているだけです!」
エルの渾身の一撃が、リリィの腹部を深々と貫いた。
浮遊の力を失い、腹を剣で貫かれたまま、リリィはベランダに着地する。もちろん、剣の柄はエルが握ったまま。
唇の端から血を一筋流し、リリィはそれでもにっこり笑った。
「口先だけで奇麗事を言うのはとても簡単です。でも人間は決してそれを実行できはしない…今、あなたが私を葬り去ろうとしているように。人間は、そういう生物なんです」
先ほどエルによって切断された袖から、血まみれの腕で、がしっと自分の腹に刺さっている剣を握りしめ。
「…知っていますか?客観的に観察していれば…憎まずに、済むんですよ」
その言葉に、エルははっとした。
リリィは変わらぬ笑顔のまま、空に字を切った。
「あなたたちを…他のみんなのところへ送るわけには…いきません…それが…あの方の…命令ですから…!」
「ミケさん、逃げてください!」
ただならぬ魔力を察知して、エルはミケを振り返った。
ミケは頷いて振り返り…そこで立ち止まる。
ベランダに続くドアが、全て凍りついている。
先ほど、当たらないにもかかわらず無差別に放った氷の魔法は、このためだったのだ。
「逃がし…ません…!」
リリィは続けて空に字を切っていった。
「招・雷・轟・震・天・檄・斉・空!」
最後の字を切り終わると同時に、先ほどとは比べ物にならないほどの無数の雷が、ベランダに余すところなく降り注いだ。
あまりの衝撃に、ベランダの手すりが、床が、壁が、囂々と音を立てて崩れ落ちる。
エル達は、リリィと共に、その瓦礫に吸い込まれていった。

Chiaki Kazuhi

チャカとその配下達が一斉に散開し、千秋は慌ててそれを追った。
目指す相手は決まっている。自分と同じナノクニの出身であるという(もしかしたらそれすらも偽りかもしれないが)メイ。その年頃が、胸の中に今も残る大切な少女の面影と重なる。だから余計に、彼女に対する憤りも激しかった。
メイはベランダをひらりと飛び越えると、そのまま2階から地上へ飛び降りた。
体力に覚えのある冒険者たちは、次々とそれに習ってベランダを飛び降りてゆく。千秋も例に漏れず、それを追って2階から飛び降りた。
メイを追って走っていると、横に見覚えのある剣士が並んだ。
「千秋さんも、メイさんと…対戦するつもり、ですか?」
やや息を切らせながら、剣士…確か、イルシスと名乗ったか。彼はそう言った。
「貴公も、か…?」
「はい、炎の…と、名乗ってました、から…オレの、剣が、役に立つんじゃないかと、思って…」
走りながら、二人は会話を交わしてゆく。
「そう、か…すまない、貴公に、頼みがあるのだが…」
「…なんです、か?」
千秋は少し考えて、イルシスのほうを見ないまま言った。
「…あのお嬢と…一対一で、あいみまえさせては、もらえないだろうか」
イルシスは少し驚いたようだった。
だが、千秋の真剣な表情を見て取ってか、やがて前を向いたままうなずく。
「…わかりました。千秋さんが、倒れたら、後は任せてください!」
縁起でもないことを言う。
だがとりあえず千秋はうなずいて、続けてメイの後を追った。
メイは屋敷の横をぐるりと回って、裏庭のほうへと向かっていた。宝物庫の方へ続く細い道を走り、曲がり角をくるりと曲がり。
そこで、二人を待っていた。
立ち止まり、悠然とこちらを向いて、あのアルカイックスマイルを浮かべて。
約束どおり、イルシスは後ろに下がって様子をうかがった。
千秋は静かに前に出て、メイと向かい合った。
刀を抜き、刃をメイに向け言い放つ。
「俺は、あんたが何故闇に魅入られたのかは知らない。だが、闇から逃れ、立ち向かう事は出来たはずだ。もし、自ら進んで闇に染まったと言うのなら…その性根、叩きなおす!」
メイは少しだけ深く微笑んだだけだった。
千秋は刀を構えなおすと、メイに向かって駆け出した。
刀を振りかぶり、上段からメイに斬りかかる。メイは低く腰を落としてこれをかわすと、刀を振り下ろした腕を取ろうと懐にもぐりこんだ。千秋は左の腕を大きく振ってこれを牽制し、後ろに飛んで間合いを取る。
剣と剣の戦いならともかく、相手が自らの体を武器とする格闘家であるのでどうにもやりにくい。格闘の心得がないわけではないが、そうなれば専門であるメイにはかなわないだろう。
それを承知で、あえて刀で対するのは、考えがあるからだった。
自分の腹積もりを悟られないように、一分の隙もないように、全力で向かう。
両者、決定的な打撃を与えられないまま、しばらくの時が過ぎた。
千秋は再び剣を構え、メイに駆け寄っていった。と、何かに目を奪われたように、脇の方に視線をやる。その時、刀の刃先が大きく下を向いた。
その隙を見逃すメイではなかった。一気に間合いを詰めると、千秋の手に手刀を叩き込む。
が、それすらも千秋の計算のうちだった。手刀が叩き込まれる瞬間に刀から手を離し、ダメージを最小限に抑える。続けて、その攻撃を後ろに流すようにかわして懐にもぐりこみ、不意を突かれたメイの頬を、思い切りひっぱたいた.
ぱぁん!
景気のいい音が響き、メイは勢い余ってよろめいた。
千秋は立ち上がって、メイを見下ろした。厳しい表情で、怒鳴りつける。
「俺は、あんたが何故闇に魅入られたのかは知らない。だが、あんたの見かけと同じぐらいの年頃で、自分の持つ全ての可能性を失った少女の事を知っている。彼女はもはや、絶望すら得る事は叶わぬ…」
死に顔すらも、見ることが叶わなかった少女。
あの時、部屋を出て行きなどしなかったら。
今でも悔やまれる。
「だが、あんたはどうだ?今もって生き続けているくせに、自らのうちに潜む可能性から目をそらし、否定するとは何たる事だ!たとえ、昨日己の存在を踏みにじられ、身も心も傷つけられようとも、明日もそうであるとは限らない。生きている限り、生命の可能性を信じる限り、変えようとする強い意志、それさえあればより良き明日を迎えることができる!」
ちょうど、今のメイと同じくらいの年齢だった。
だから余計に、彼女が自らを粗末にし、闇に身を落とすことが耐えられなかった。
彼女は…自分が愛した少女は、それすらも、それを自分で選択することすらももう適わないというのに。
「…どうだ?闇を離れ、自らの力で新しい明日を迎えてみたいとは思わないか?」
千秋は最後は優しく、メイに語りかけた。
メイはしばらく黙っていた。
やがて、唇の端を吊り上げる。
今までのアルカイックスマイルではなかった。チャカの艶然とした微笑とも違う。
明らかな、嘲笑。
「…ペラペラペラペラ、くそエラソーに説教ぶっこいてんじゃねえぞ、コラ」
紡ぎ出された言葉に、千秋は唖然とした。
言葉の内容ももちろんだが、今までの彼女と全く違った言葉遣いと、雰囲気に。
平手打ちされた時に口の中を切ったのだろう、ぺっ、と、口にたまっていた血を吐き捨てると、メイは千秋のほうに歩いてきた。
「そういうオマエはどうなんだよ?」
「…なんだと?」
自分より頭一つは大きい千秋を射るように睨み付け、メイは続けた。
「オマエはどうなんだっつってんだよ!その耳は飾りか?!ちゃんと働いてんのか、ああ?!」
自分の耳を引っ張りながら、すごむ。千秋は勢いに押されそうになりながらも、負けじと答えた。
「俺が、どうだというのだ?」
メイは露悪的に微笑むと、再び怒鳴りつけた。
「オマエは、自分の可能性を信じて、新しい明日とやらを迎えられてんのかって訊いてんだよ!」
言って、足を高く上げ、強烈なまわし蹴りを喰らわせる。不意を突かれまともに喰らった千秋は、横倒しに地に倒れこんだ。そこへメイが腹部に足をめり込ませる。
武術的な蹴りではない。わかりやすく言うなら。
ヤクザ蹴り。
有無を言わさず、踵で何度も乱暴に蹴りつける。
「オマエはなんかしたのかよ?その、可能性を奪われたかわいそうな彼女のために、オマエにできるすべてをしたのかよ?オマエの可能性を伸ばして、新しい明日とやらを模索したとでも言うのかよ?そんなわけねえよな、今オレにその女の影を重ねて怒りをぶつけてるってことは、オマエがその時何もできなかった、だから今でも過去にこだわってるっていう何よりの証拠だ!だから今オマエはここにいるんじゃねえのか?!オマエの故郷、ナノクニじゃなくてな!」
腹部の痛みも手伝って、千秋はうめいた。
認めたくない。
認めたくないが、そのとおりだった。
自分は、何もしはしなかった。
誰よりも大切な恋人を奪われ、その汚名を着せられて。
仇を討つことも、真犯人を探すことすらせず、追放を甘んじて受け入れただけだった。
彼が怒りを感じていたのは、メイにではなかった。あの時何も出来なかった、自分自身に。それをまざまざと思い出させる、似たような年頃の少女に、やり場のない怒りをすりかえてぶつけていただけだった。
自分の非を、認めたくはなかったから。
「黙って聞いてりゃ偉そうなごたくばっか並べやがって」
メイは吐き捨てるように言って、その細い腕で千秋の胸ぐらをつかみ上げた。
「口で奇麗事並べんのは簡単なんだよ。じゃあお前にどれだけのことができるっつーんだよ?自分にも出来ねえことを、他人に押し付けてんじゃねえよ!反吐が出るんだよ!」
その細腕では考えられない力で、ギリギリと首を締め上げて。
「その押し付けがましい正義感で、どれだけの人間を傷つけてきた?」
そして、またニヤリと微笑んだ。
「…どれだけ、自分を苦しめてきた?」
勢いをつけて、千秋の身体を近くの木の幹にたたきつける。
メイはけっ、と鼻で笑って、吐き捨てるように言った。
「オレに説教するなんざ、100年早えんだよ。語るは易し、動くは難しってな。んなこたあ、オマエが自分で自分に納得できる生き方をしてから、聞いてやるよ。自分で自分の弱さを正面から見つめて、それでもまだ他人に何か言うことがあるなら、の話だがな」
駄目押しで、側頭部に強烈な蹴りを入れて。
強烈な敗北感と後悔を胸に抱きながら、千秋の意識は遠くなっていった。
「…月…姫…」
瞼に浮かぶのは、愛しい少女の死相ばかり。
無垢な笑顔を、優しい微笑を、愛したはずなのに。
もうその笑顔は、浮かんでこない。
見ていないはずの死に顔ばかりが、頭に焼き付いて離れない。
それは、後悔だったのか。
何もできなかった自分への。
何もしなかった、自分への。

Ilsiss Deua

チャカとその配下達がベランダから一斉に散らばったので、イルシスは慌ててそれを追いかけた。
目標は、メイ。
炎の拳闘士と名乗っていたので、自分の剣が役に立つのではないか、と単純にそう思った。戦闘の手段として、一番自分に適する相手を、選んだ。
すでに怒りを通り越して呆れてしまっていた。あれだけ周到に計画して、準備して、たくさんの命をもてあそび、葬り去って、関係者の心を踏みにじって。
最後に言った言葉が「楽しかった」。
彼女は、彼女たちは、自分たちとは違う生き物なのだ。
だったら、自分たちの正義を振りかざしたり、感情に任せて彼女たちを攻撃するのは無意味だ。
自分たちにできる範囲で、最上の戦闘手段を選び、全力で戦うだけ。
自分たちが、生きるために。
メイを追って走っていると、自分と同じように彼女を追っている人影に気付いた。
この事件に共に関わった男。
「千秋さんも、メイさんと…対戦するつもり、ですか?」
やや息を切らせながら、イルシスは言った。千秋はわずかにこちらを向いて、答える。
「貴公も、か…?」
「はい、炎の…と、名乗ってました、から…オレの、剣が、役に立つんじゃないかと、思って…」
走りながら、二人は会話を交わしてゆく。
「そう、か…すまない、貴公に、頼みがあるのだが…」
「…なんです、か?」
千秋は少し考えて、イルシスのほうを見ないまま言った。
「…あのお嬢と…一対一で、あいみまえさせては、もらえないだろうか」
イルシスは驚いて彼を見た。
真剣な表情。何か考えがあるのだろう。
たとえその考えが、イルシスとは違っていても。その考えに根ざす感情が、違っていても。彼がそれを望むなら。
「…わかりました。千秋さんが、倒れたら、後は任せてください!」
千秋は一瞬の沈黙の後、うなずいた。
メイは屋敷の横をぐるりと回って、裏庭のほうへと向かっていた。宝物庫の方へ続く細い道を走り、曲がり角をくるりと曲がり。
そこで、二人を待っていた。
立ち止まり、悠然とこちらを向いて、あのアルカイックスマイルを浮かべて。
約束どおり、イルシスは後ろに下がって様子をうかがった。
二人の力は、均衡しているように見えた。静かに、戦いが進んでいく。
だが、千秋がメイに張り手打ちを食らわせて、状況は一変した。
「…今日は驚くことが多いよな…」
イルシスはなかば他人事のようにつぶやく。
いつも無口で、めったに感情を表にあらわさない千秋が激昂して説教したのにも驚いたが、物静かでしとやかな姿勢を決して崩さなかったメイがいきなりガラの悪いチンピラまがいの口調になってしまったのはもっと驚いた。
人は外見だけでは判断できない。それはさっき、リーフが正体を現したときに嫌というほど知ったはずなのに。
かなり一方的にやられているので、助けを出そうとは思ったが、一対一で、と言われていたのと、何より迫力に押されて手が出せない。
やがて完全に千秋が意識を失い、メイはけだるそうに頭を振ってこちらを向いた。
「待たせたな、相手してやるよ」
イルシスは肩をすくめて、剣を抜いた。
「それがあんたの本性なんだ、びっくりしたよ」
メイは苦笑した。
「本性ねぇ。あのおっさんのビンタにゃ、なんか物理力以外の力もあるみてえだな。人がせっかくかぶってた猫、引っぺがしやがって、むかつく野郎だぜ」
何かを振り切るように頭を振って、胸を抑えて深呼吸をする。
「チャカ様は…オレに、怒りに身を任せるなって教えた。怒りに身を焼くんじゃなく、コントロールして自分の力にしろ、ってな」
正論だ、とイルシスは思った。
「心を落ち着け、全く別の自分を演じられるほどにコントロールする…怒りを感じていても、表に出してエネルギーの無駄遣いをしてはいけない。怒りは内に秘め、自分の力とするのだ…と」
もう一度深呼吸をして、目を開いた時。
メイはすっかり、元のメイの表情に…アルカイックスマイルを浮かべた、あの表情になっていた。
「チャカ様はわたくしに、そう教えてくださいましたの」
イルシスは身が震えるのを感じた。
恐怖にではない。怒りにでもない。
純粋に強い者と戦える喜びに、震えていた。
他の者に比べれば、戦士としての力量など無いに等しいと思っていた自分にも、こんな感情があったことに驚いた。
賛辞も勲章も関係なく、純粋に強くなりたいという思いが。
イルシスは緊張した、だがどこか楽しげな表情で、剣を構えた。
メイも、すっと構えを取って、腰を落とす。
一言も発さぬまま、戦いは始まった。
互いに駆け寄り、イルシスが上段から剣を振るう。メイは素手でそれを受けるわけにもいかないので、身を屈めて懐に入り、手首を腕で止めることで刃が降りてくるのを防いだ。そのまま流れるように身体を回転させて、イルシスの胴に脚を叩き込もうとした。
「!」
イルシスはそれに気付くも、剣を持つ手がメイの腕で止められているので防ぐことができない。一瞬、表情を引きつらせて。
「かっ、壁出して!」
わけのわからないことを叫んだ。
すると、メイの脚がイルシスに届く直前に、イルシスの胴の前に水の膜が広がった。
メイの脚はその水の膜に防がれてイルシスの胴には届かない。
「?!」
メイはぎょっとして動きを止めた。その隙にイルシスが後ろに飛んで間合いを取る。
メイも立ち上がって構えを取った。視線の先は、イルシスの持つ大剣。
「…その剣のお力…ですわね」
「…あ、わかった?君が炎だって言うからね、この剣が役に立つと思って」
緊張を解かぬまま、イルシスは軽く笑った。
水を自由自在に操る魔法剣、ルカーディア。
家を出る時に持ち出してきたものだが、これが意外に役に立つ代物だった。
メイは少しだけ深く微笑んだ。
「わたくしの属性が炎だと申し上げているのであって、別に炎の魔法を使えるわけでもなければ、特別水に弱いというわけでもございませんのよ。他の者も同様ですわ。リリィは多少、水属性の魔法を好んで使うところがあるようですけれども」
「あ、そうなんだ?なんだ、当てが外れたな」
「では…見せていただきましょう。その剣の威力と…貴方様の実力を!」
メイは再び腰を落とすと、一気に駆け出した。
イルシスはさらに後ろに跳んで間合いを取ると、剣を握る腕に力をこめた。
その瞬間に、メイの前に細い水流が現れ、まるで小さな刃のように彼女に襲い掛かった。
「…っ!」
やむなく横に飛んでかわすメイ。
懐に入られたら、格闘家であるメイのほうが遥かに有利だ。思うところに自由にに水を出現させられるルカーディアを使って遠距離から攻撃したほうが安全だと踏んだのだ。
イルシスはさらに大小取り混ぜた水の刃を次々と出現させて、メイの動きを翻弄した。
彼女の消耗を狙う作戦だった。
千秋と連携が取れれば、自分が水の鎖で彼女の動きを封じている間に攻撃してもらうこともできただろうが、今更そんなことを言っても始まらない。
メイは眉をしかめながらしばらく律儀に飛んでくる水の刃をかわしていたが、不意にその目の表情が変わった。
ひゅうっ、と音を立てて息を吸い込むと、一気にイルシスに向かって駆け出す。
「…いけぇっ!」
イルシスは剣に念じ、彼女に降りかかる刃の数を増やした。
さらに多くの刃が彼女に向かって降りかかる。
だが、彼女はそれを避けようとはしなかった。
「…なに…っ?!」
イルシスは驚いて声をあげた。
水の刃は勢いをつけて次々と彼女の白い肌を切り裂いていく。だが彼女はそれにも構わずに、吹き出る血を地に撒き散らしながらこちらに突進してくる。
「…はぁっ!」
イルシスはさらに剣に気合を込め、彼女の軌道上にひときわ大きな水の刃を出現させた。
刃はうなりを上げて、メイの胸から首筋にかけてをすくい上げるように切り裂く。
だが、彼女はそれでも怯まなかった。
「…っ!」
メイは一気にイルシスとの間合いを詰めると、屈んで回し蹴りで脚を払い、続けて肘をイルシスの腕に正確に叩き込んだ。
「うわっ!」
たまらず剣を取り落とし、尻餅をついたイルシスの首元に、血まみれの腕を押し付けて地に倒す。
「…剣にばかり意識を集中しておりますと、守りがお留守になりましてよ」
傷が痛くないはずはない。
だがメイは、そう言って薄く微笑んだ。
「…俺を殺すの?」
イルシスは不思議と落ち着いて、そう問うた。
屈辱は、あまりなかった。
メイは少しの沈黙の後、ゆっくりと問い返した。
「…イルシス様は、何故戦うのですか?」
その問いに、イルシスはきょとんとした。
再び、しばらくの沈黙。
イルシスはまじめな表情で、答えた。
「オレが、生きていくためだよ」
メイはにこりと微笑んだ。
「…では、生きてくださいまし」
腕で首を押さえつけたまま、メイはイルシスの鳩尾に膝を叩き込んだ。
一瞬苦しげに表情をゆがめて、イルシスは昏倒した。
メイは静かに立ち上がると、屋敷の方向を見つめ…
その時、屋敷の向こうに巨大な雷が落ちるのを見た。続けて、ガラガラと建物が崩れていく音。
「…リリィ…」
メイは少し眉を寄せると、玄関のほうへと駆け出した。

Dee

高笑いを上げながらチャカが飛び去っていき、4人の配下もそれぞれに散らばっていった。こちらの戦力を分断する作戦だろう。他の冒険者たちは慌ててそれを追っていった。
ディーも例に漏れず、ベランダから地面に飛び降りようとして…
「ディー!」
ミケに呼び止められた。
ディーが振り向くと、ミケはこちらに駆け寄ってきて、手をかざした。
「風の衣よ…」
ふわりと風がディーを取り巻いた。風の支援を得て、動きを機敏にする魔法である。
ディーはすでに心得た様子で、綺麗に微笑んで軽く会釈すると、再び走り出した。
目標は、自分と同じ武器を使う少女。
大地の軽剣士、セレ。
セレはまっすぐに正面の門の方向に走っていった。
門から屋敷の入り口まで広がる、大きな庭。
彼女はそこを、戦いの舞台に選んだようだった。
セレは立ち止まってくるりと振り返ると、無表情のまま自分を追ってきたディーを見つめた。
他に追ってくる者はいない。
ディーもセレと少し距離をおいて足を止めると、静かにその場に立って彼女を見つめた。
自分もそうだが、軽剣士と名乗っているだけあって防具らしい防具を一切身につけていない。
今は血に染まっている真っ白い異国風の衣装。それが褐色の肌と奇妙なコントラストを描いている。彼女の髪も目も、肌とは対照的に淡い色であるため、それがかえって調和を保っているようにも思えた。
細い、あまりにも細すぎる身体。表情のない瞳とあいまって、非常に精巧な人形と錯覚させる。
余分な防具を一切身につけず、素早さを重視する戦法。
それは、相手より早く攻撃し、一撃で倒してしまわなければそのまま死を意味した。
攻撃をはずせば。はずさないまでも、相手に攻撃の余地を与えてしまえば。
強力な攻撃に耐性のない身体は、おそらく相手の攻撃には耐えられないだろう。
条件は、自分も相手も同じだった。
相手より早く動き、相手を一撃で仕留めた者が、勝利する。
ディーは静かに身体を沈め、一気に駆け出した。
セレも同じように、無言で走り出す。
ぎんっ!
二人が交差し、刃と刃が触れ合う音があたりに響いた。
再び離れ、向かい合う二人。
相変わらず無表情なセレに対して、ディーは若干焦りの表情を見せていた。
素早さでは、完全に相手のほうが上だった。
何とか相手の攻撃を防ぐことができたのは、ミケが風の魔法をかけてくれたからだ。
加えて、ディーの剣はそれぞれ炎と氷の属性を持った魔法剣である。普通の剣と相対すれば、普通の剣の方はひとたまりもなく、燃えるか、凍りつくかして壊れてしまう。
だが、先ほどミケの風の攻撃魔法を一振りで散らしたところから見ても、彼女の剣もまた魔法剣だ。それも、攻撃ではなく、防御の属性を持っているのだろう。だからディーの剣も、剣で受けられている限りは全く効果の無いただの剣になってしまう。
(…不意をつくことができれば…)
ディーは深呼吸をして心を落ち着け、何とか方法を模索した。
せめて組んで戦う相手でもいれば少しは違っただろうが…今はそんなことを言っても仕方が無い。
「にがーご」
と、奇妙な鳴き声がして、ディーは振り向いた。
そしてぎょっとした。
大きな黒い豹が、そこにのそりと立っていた。
(ペット…?!新手か…?)
ディーの表情がさっと青ざめる。この上2対1では、勝ち目は無い。
「がーご」
豹はもう一度、ディーに何かを伝えたいかのように鳴いた。
「………?」
ディーは首をひねる。どうやら敵ではないらしい。
そういえば、鳴き声もどことなく変だ。
よく見れば、大きさで勝手に豹と決め付けてしまったが、よく見ると豹とも違うようである。
そして、首に巻かれた赤いリボン。
「……ポチ?!」
「がーご」
豹(と思われた生き物)は、満足そうにもう一度鳴いた。
それは、巨大化したミケの使い魔・ポチだったのだ。
「君、そんなこともできたんだ…」
ディーはなかば呆然として、ポチにそう言った。
ポチの感覚はミケと共有しているはずである。このコメントは当然ミケにも伝わったことだろう。
だが、呆然としている場合ではない。ディーはポチに走りより、セレに聞こえないようにこっそりと耳打ちした。
「どんな手段でもいい。彼女の注意を逸らして。その隙に、僕が攻撃する」
その後、真剣な表情でポチを睨んで。
「言っとくけど、危険な真似はしないこと。君が傷つけば、ミケも痛いんだからね」
「がー」
わかっている、とでも言うようにめんどくさそうに無くと、ポチは反動をつけて走り出した。
わかってんのかな、と肩をすくめて、ディーも走り出す。
ポチはまっすぐセレに向かって走ると、高く飛んでセレに襲い掛かった。
セレは向かい来る巨大な猫に対して、防御の体制をとる。
低く身を沈めて前に移動し、ポチが頭の上を通り過ぎたのを確認して立ち上がった。
まさにその時、後ろからディーが気配を殺して近付き、彼女の背中にナイフを振り下ろす。
獲った、と思った。
が。
ぎん!
あろうことか、こちらを振り向きもせずにセレは後ろ手でナイフをクロスさせ、背中に食い込む直前でディーのナイフを防いだ。
ぎしぎし。ぎしぎしぎし。
ナイフのこすれ合う音を背中で聞きながら、セレは淡々と言った。
「人が人の心を直接理解することができないのは、そのことによって精神が崩壊する恐れがあるからである。よって人間は、自らの自我を守るために、その心を閉ざし、他人の思念派を拒絶しているのである」
「…?…」
脈絡のない言葉に首をひねるディー。
「彼女には感情が存在しない」
彼女というのは、もちろんセレ自身のことであろう。
「彼女には守るべき自我が無い。ゆえに、強い思念は言葉に出さなくても、直接彼女の心に響いてくる」
「…な…」
「メイのように、自らの思念を外に出さない訓練をしている者でもない限り、それは防げない。事実上、彼が彼女を倒す手段は、無い」
きんっ!
器用にディーのナイフをはじき上げ、セレは身を沈めてくるりと反転し、下からすくい上げるように彼を切り裂いた。
「く…!」
何とかもう片方のナイフでそれを止め、ディーは大きく後ろに跳んだ。
少し、腕を切られた。
黒服ではわからないが、血がにじんでいく。痛みが、じわりと広がる。
「自分の心を…無くしてまで…」
ぎり、と奥歯を噛んで、ディーはうめいた。
「貴女は、何を望むのです?何故貴女は、彼女に…チャカに、従っているのですか?」
「彼女にとってそれは愚問である」
セレはなおも淡々と答えた。
「チャカ様の手足となって動くことが、彼女の存在意義である。それ以外の目的は、必要ない」
ディーも、心を凍らせたことはある。
自分の目的のために、それを達成するために、人間らしい心を凍らせなければできないことはたくさんあった。
だが、彼女はその目的すらも無いという。
ただ、チャカのために生きることが、彼女の存在する理由だと言う。
何故。彼女にそこまでさせる何が、彼女の身に起こったというのだろう。
ディーは唇を噛んで、もう一度彼女に向かおうと身構えた。
その時。
どおぉぉんっ!
轟音があたりに響き、ディーは驚いて振り向いた。
見れば、後ろに位置する屋敷のベランダが、跡形も無く崩れている。
それと同時に。
「ぶぎゃあぁぁっ!」
傍らにいたポチが、ものすごい悲鳴をあげてぱたりと倒れた。
ディーは慌てて駆け寄り、身体を揺らしてみる。
「ポチ…おい、ポチ?」
だが、反応は無い。ぐったりと倒れたまま、意識を失っているように思える。
と同時に、先ほどの自分の言葉がよみがえってきた。
『君が傷つけば、ミケも痛いんだからね』
ということは、当然、その逆もありうる、ということだ。
ディーは再び、崩れ落ちた屋敷のベランダを見上げた。
血の気が引くのが自分でもわかる。
「ミ…」
思わず走り出そうとした、その時だった。
ぞぶ。
わずかな衝撃と共に、静かに、腹部に強烈な痛みが走る。
「不意を突くとは、このような行為を示す」
やはり淡々と、背後にいつのまにか近付いていたセレは言った。
「リリィの意識が途絶えた。おそらくあのベランダを破壊し、自らも崩落に巻き込まれたと予想される。…以上」
言って、セレはディーの腹部に深々と突き刺したナイフを抜いた。
ばたばたと、血が零れ落ちる。
ディーはおぼつかない足で2、3歩歩き、セレを振り返った。
返り血が頬まで飛び散って、白い服と褐色の肌を鮮やかに彩る。
その表情は、あくまで無機質で。
ただ主人の命令を忠実にこなす、人形そのものだった。
仲間が傷ついてなお、彼女はその表情を変えることは無い。
薄れゆく意識の中で、ディーは思った。
あの位置からなら簡単に心臓を狙えたのに、何故彼女はそれをしなかったのだろう。
腹部を刺しても、そのままナイフをひねって空気を送り込めば、簡単に絶命させることはできた。だが彼女はそれをしなかった。
何故。
答えの出ないまま、ディーの意識は遠くなり、完全に消えた。
セレはしばらくぱたりと倒れたディーの身体を見ていたが、やはり無表情のままふい、と横を向くと、崩れたベランダのほうに向かって走り始めた。

Clown the Death Presenter

チャカはその漆黒の翼を羽ばたかせ、かなりのスピードで屋敷の外へ出て行った。
他にも何人か追う者がいたようだが、おそらく彼女のスピードについていけるのは自分だけだろう。『変化』をすれば、どうということは無い。
クラウンはひょいひょいと塀を越えて、屋根に飛び移り、ひたすら彼女の後を追った。
やがて、彼女は森の中へ入っていく。最奥にムーンシャインの原料となる花が眠る、あの森へ。
クラウンも迷うことなく森へ入っていき、真っ暗な森の中でともすれば枝の陰に隠れて見失ってしまいそうな彼女を執拗に追った。
やがて、森をだいぶ入ったところで、彼女がくるりとこちらを向いて止まる。
クラウンも足を止めると、チャカとやや距離をとって鎌を構えた。
息一つ切らせず、楽しげな口調で笑う。
「あははははははははははは♪いやいや、ぷっ、いやぁ面白い!只者じゃぁ無いとは思ってたけど、魔族だったとはねぇ♪魔族に会うのは2回目かな。前回見た魔族はとりつかれたとかどうとか言ってたから3流魔族っぽいが君は何流魔族かな?おっと、ガラも魔族だったっけかな」
ガラとは、知り合いの名前だろうか。それには注釈を入れぬまま、面白そうにクラウンは続けた。
「クククク、いやぁホント面白いよ。チャクラヴィレーヌ・フェル・エスタルティ。殺しを楽しむその思考。実に僕好みだ♪僕と同じ趣味をしているとはねぇ。魔族も捨てたものじゃないね。殺すのが惜しいよ……だ・け・ど」
まるで少女のような仕草で強調して。
「君みたいな奴を殺す時の快感は何にもまして素晴らしい!」
冷たい口調で、鎌を右上から左下に切り払うように振った。
「僕の快楽のタメに犠牲になってもらおうか!」
チャカはしばらく面白そうにそれを見ていたが、最後のセリフが終わってしばらく沈黙して、やがておもむろに地に降りて羽をしまった。
「…言いたいことは、それだけ?三流暗殺者さん」
「…なんだって?」
クラウンはやや気分を害したような声を出した。
チャカはくすくすと笑って、続けた。
「アナタがゴールドバーグの暗殺を依頼されてたことくらい、知らないとでも思ったの?それをうちのリリィみたいな、あんな小娘に横取りされて。『死を運ぶ道化師』も、堕ちたものね。まさに三流暗殺者ってカンジ?」
クラウンは黙っていた。
何故彼女がそこまで知っているのか。どうやら想像以上に、あのキャットとかいう猫は詳細にこちらのことを調べ上げていたらしい。…いや、ゴールドバーグの件に最初から関わっていたのなら、彼を狙う存在のことくらいあらかじめわかっていたのだろう。
「一度や二度会ったくらいで、魔族を知った気になってるんだもの…無知って怖いわねぇ。アタシも自分が何流魔族なのかは、残念ながら知らないわ。だってそんなの、どうだっていいもの」
くっくっと、楽しそうに喉を鳴らして。
「ただアナタとアタシがいて、どちらが力が上で、どちらが勝つか、それだけ。そうじゃない?何流とかランク付けして、やたらと型にはめたがるのは、アナタたちの悪いクセね。そんなことをしたがること自体、自分の力に自信が無い証拠よ?」
血が沸騰するのを感じた。
ここまでプライドを傷つけられて、黙っていられるクラウンではない。
「その言葉…後悔するよ」
「あらぁ、楽しみね。後悔させて頂戴?」
チャカは言って、けらけら笑った。
なおも侮られて、クラウンはぎっと歯噛みした。
無言で、チャカに向かって駆け出す。
構えもとらずに動かないチャカの後ろに目にもとまらぬスピードで回り、一気に鎌を振り下ろした。
殺った、と思った次の瞬間。
がっ。
鎌は空を切って、地面に突き刺さった。
「そうそう、それから、誤解の無いように言っておくけどね?」
声は、耳元でした。
慌てて振り返り、そちらの方向へと鎌をすくい上げる。
チャカはその鎌の柄を、こともなげに右手で止めて見せた。
にこりと笑って鎌の柄をひねり上げ、同時に脚を払ってクラウンの体制を崩す。
バランスを失って倒れたクラウンに、鎌を持ったまま上から組み敷くように覆い被さる。
両手を押さえ込まれ、脚にも脚を絡められ、まるで少女のようにクラウンは動くことができない。
カレンに、なす術も無く倒されてから。
血のにじむような特訓を重ね、常人以上の力をつけたつもりだった。
だが、今はチャカに組み敷かれて、腕を上げることすらもできない。
しかも、相手は涼しい顔をしている。
「アタシ、別に殺すのがシュミじゃないのよ?」
妖艶に笑って、チャカは顔を近づけた。
「アナタたちのこと…こんなに愛してるのに」
白いクラウンの仮面に、いとおしげに口付けをして。
「殺してしまったら、もうアナタが笑うのも、泣くのも、苦しむのも見ることはできないの…そんなひどいことってないわ。アタシは、人間を見ているのがスキ。自分で作った枠に、自分で囚われて苦しんで、信じていたものすべてに裏切られて、壊れていく様を見るのがスキ。
アナタたちは、弱いから。
自分で自分の弱さを認められないくらいに、弱いから。
だからアタシはアナタたちが大スキ。
もっともっと見せてよ…ねぇ?」
オレンジ色の瞳を、嬉しそうに細めて。
「アナタは、一体何をすれば壊れるのかしら…?そうね、たとえば…壊してくださいって言わんばかりに、これ見よがしにつけてる、その仮面?」
そのセリフを聞いて、クラウンはびくっと身体を震わせた。
自分を押さえつける腕を、撥ね退けようとさらに力をこめる。だが、びくともしない。
チャカは唇の端をにやりと吊り上げて、笑った。
「ふふふ…あ・た・り。きゃはははは!」
チャカは言って、押さえつけていた腕の力を抜いた。
クラウンの撥ね退ける力を利用して跳び、宙返りをして着地する。
その間に立ち上がって体制を立て直したクラウンは、素早く鎌を構えなおすと一気にチャカに斬りかかっていった。
鎌を大きく振りかぶり、チャカの首に向かって振り下ろす。
チャカは今度はよけようとせず、にっこりと笑って…
…振り下ろされた鎌の刃を、峰のほうから捕まえた。
「!」
刃はびくともしない。ただ一本の腕で、片方の手で、捕らえられているだけなのに。
そのままチャカに刃を食い込ませることも、逆に自分の方向に刃を戻すこともできないのだ。
チャカは妖艶に笑って、言った。
「アタシ、自分の立場をわきまえないコって、大好き」
そして、刃を持っていないほうの手で鎌の柄をつかむと、刃を持つ手に力をこめた。
ぱきん!
硬い音を立てて、鎌の刃は真ん中で真っ二つに折れた。
チャカはそのまま、素早く折れた刃を下から上にすくいあげた。
かっ!
乾いた音がして、クラウンの仮面は綺麗に二つに割れた。
仮面の下から姿を現したのは。
綺麗な斑模様の、豹の頭。
「なぁんだ…お約束ですんごい美形が出てくるかと思ったのに…残念」
残念そうな、しかしどこか嬉しそうな口調で、チャカ。
豹頭の青年は、刃の折れた鎌から手を離して後ろに跳び、変身を解いた。
たちまち、豹の頭が形を変え、人間の顔へと変化する。
まるで少女かと見まごう程の、美しい人間の顔に。
ひゅう、とチャカは口笛を吹いた。
「そのほうがダンゼン可愛いわよ。アタシ好みってカンジかな。そんなに可愛い顔、仮面で隠しちゃうなんて勿体無いわ。なんで?今日び獣人も女顔もその辺にゴロゴロしてるのに」
まったくである。この事件の関係者だけで女顔の男が何人いることか。
クラウンは凄絶に微笑むと、服の中からもう一枚仮面を出して、装着した。
「君には、関係ないよ…!」
「わからないコね」
チャカはにやりと微笑んで、持っていた鎌と割れた刃を後ろに放り捨てた。
「アタシは、いつでもアナタが大事に守ってるその仮面を壊すことができるって言ってるのよ?…なんで、アナタと他の仲間たちを引き離したと思ってる?…ほら…もうそろそろ来るんじゃないかしら?カレらがアナタの顔を見たらどう思うかしらね?」
そして、上目遣いに笑みを深くして。
「…カレらに顔を見られたら、アナタはどうなるのかしらね?」
クラウンの動きが止まった。
その時。
「ここにいやがったか!ちょろちょろしやがって、堂々と勝負しろってんだ!」
チャカとクラウンの2人だけだったフィールドに、新たに2名の来客。
ルフィン。そしてヴォイス。
ヴォイスが出したのだろう、二人の頭上に煌々と輝く明かりの魔法は、真っ暗だったフィールドを明るく照らし出した。
目が慣れていなければきっとわからなかった、上から下まで真っ黒なチャカとクラウンも。
そして、この状況でチャカが先ほどと同じ事をすれば、間違いなく二人に顔を見られるだろう。
「…くっ…!」
悔しそうにうめくと、クラウンは踵を返して真っ暗な森の闇の中へ消えていった。
「あっ、おい、クラウン?!」
ルフィンの呼び止める声を、背中で跳ね返して。

Rufin=Seas

「あいつ、飛んでいきやがった!卑怯だぜ!」
毒づいて、ルフィンは大急ぎでベランダから飛び降りた。
他の仲間達はそれぞれ配下の4人を追ったものもいたようだが、ルフィンの目標は決まっていた。
自分の心を、仲間の心を踏みにじり、たくさんの人間を死に追いやった。
そして、あのカレンをも死に追いやった張本人であるという。なにやら小難しいことを言っていたが、彼女が原因であることに変わりはない。
許せなかった。
怨恨でも、抗えない事情でもなく、ただ楽しみだけのために、人の命を奪う存在。
そしてそれだけのために、自分たちに偽りの友情を植付け、そして裏切ったことが。
「…くそっ!」
だが現実問題として、飛んでいる相手を追うというのは至難の業だ。しかもチャカは、この屋敷内で戦うつもりはないらしい。屋敷の敷地を出て、向こうのほうへ飛んでいった。さらにそれを追って、ひょいひょいと黒い影が家の屋根から屋根を飛び移っていく。
「…クラウンか…くそ、ずるいな」
何がずるいのか何が卑怯なのかは謎だが、悔しそうにそう言ってルフィンはさらに後を追った。
見えなくなりそうな姿をかろうじて追っていくと…どうやら、例の森に入ったようだった。そこで姿は完全に見えなくなり、追うのは不可能になる。
森の中を手当たり次第に捜すしかないか。そう嘆息して、ルフィンはさらに足を進め…
「おい!」
そこで、呼び止められた。
振り向くと、少年剣士が自分の後を必死に追いかけているところだった。
「一人でさっさと行くな。俺も連れてけ」
息を切らせながら、ヴォイスはそう言った。
ルフィンは少し考えた。相手の姿は見失ってしまったし、怒りに我を忘れていたが一人で行っても勝ち目はないかもしれない。ヴォイスは光の魔法を使えるし、森の中を探索するのに助けにもなるだろう。
「よっしゃ。行こうぜ。あいつ、森の中に入ってったみたいだ。頼むよ」
『頼むよ』の意味を察知したヴォイスは、目を閉じて意識を集中した。
「…ライト!」
ヴォイスの手のひらに、光の玉が出現し、ふわふわと上って二人の頭上に移動した。
「…行くぞ!」
二人はうなずき合って、森の中に足を踏み入れた。
森の中は暗く、広いためどこを探したらいいか見当もつかなかった。この森に関しては、この森を作り、魔法の仕掛けをしたチャカのほうが良く知っている。もっと言えば、彼女の意思一つでこちらを迷わせることも可能かもしれなかった。
「…くそっ」
ルフィンは頭を振って、その考えを追い出した。そんなことを考えても仕方がない。今は進むだけだ。
「おい、ルフィン」
後ろからヴォイスが話し掛けてきたので、ルフィンは振り向いた。
「ちょっと、こぶし出せ」
「?」
首をひねるも、言われたままに拳を出すルフィン。
ヴォイスはその手に自分の手をかざし、目を閉じて意識を集中させた。
「…シャインセイバー!」
呪文と共に、ヴォイスの手とかざされたルフィンの手がほのかに光を放つ。光はヴォイスが目を開けても、手をかざすのをやめても、ルフィンの手から離れなかった。
「…これは?」
ルフィンが尋ねると、ヴォイスは真面目な顔で説明をはじめた。
「お前の武器に陽の属性をつけた。月属性の者に大きなダメージを与えられる。逆に陽属性の者には本来の威力より劣ってしまうが。奴は…なんとなく雰囲気から、月属性のような気がしたから、一応俺の武器にもかけた」
チャカのエレメントが月だと決まったわけではないが、ルフィンもなんとなくチャカは月のような気がする。
「サンキュー」
ルフィンは笑顔でヴォイスに礼を言うと、再び走り出した。
さらにしばらくの間、二人は森の中を闇雲にさまよった。
と、茂みが動くような音がして、ルフィンは立ち止まった。
音のした方向を見、耳を澄ます。…やはり、何かが、誰かが動いている。
ルフィンはヴォイスに目で合図をすると、そちらの方向に向かって茂みを分け入っていった。
やがて、暗い茂みの奥に、かすかに光に照らされた二つの人影を発見し、ルフィンは駆け出した。
一気に茂みに分け入り、その場所に降り立って、目標の人物に怒鳴りつける。
「ここにいやがったか!ちょろちょろしやがって、堂々と勝負しろってんだ!」
光に照らされた二つの人影は、チャカとクラウンだった。クラウンはこちらを見るとびくっと肩を震わせ、それからチャカと交互に視線を送ると、くるりときびすを返して森の闇の中に消えていった。
「あっ、おい、クラウン?!」
ルフィンの呼びかけにも応じない。
クラウンの姿が完全に見えなくなってから、ルフィンはチャカを振り向いた。
「あいつに何したんだよ」
「押し倒してキスしたら、恥ずかしがって逃げてちゃった」
「はぁ?!」
楽しそうなチャカの言葉に、思わず赤面する。
「アナタにもしてあげましょうか?」
「冗談じゃねえや」
ルフィンは低く言って、チャカに対して構えを取った。
かたわらのヴォイスも剣を構える。
「あんたのこと、友達だと思ってたのにな」
「あら。アタシもアナタたちのこと、友達だと思っているわよ?」
「ふざけんなよ!友達を騙したり殺したりするのか?!」
「しないの?」
「しねーだろ普通?!」
「普通って何?」
「は?」
チャカは構えを取っているルフィンとヴォイスに向かって、無警戒で歩いてくる。
「普通って何?アタシにとっては、友達を騙したり殺したりするのが愛の形だとしたら?アタシはアタシの普通を、アナタたちに押し付けてることになるわよね?でもそれは、アナタたちもアタシに、友達は傷つけないものだっていう『普通』を押し付けてることにならない?」
いわれて、ルフィンは言葉に詰まった。
チャカの言葉に納得してしまった…からではない。
「わけわかんねえこと言ってんじゃねえよ!」
意味がわからなかったのである。
チャカは苦笑した。
「ふふ…ごめんなさい、じゃあいいわ。アタシが憎いなら、戦ってアタシに勝ちなさい。アナタが正しいと思うなら、勝って自分が正しいことを証明しなさい」
「言われるまでもねえや!」
ルフィンは言って、チャカに向かって駆け出した。
構えを取っていない無防備なチャカの腹部をめがけて、まっすぐに拳を突き出す。
チャカはこともなげにそれをよけて、突き出された拳を手のひらで受け止め…
「…あっつっ!」
驚いて手を離した。
「何?…あっつ~い」
どうやらルフィンの手が熱く感じて離したようである。
「ルフィンの拳と俺の剣に光の魔法をかけたんだよ。やっぱりお前、月属性だったんだな」
ヴォイスが後ろから注釈を入れる。チャカは納得したようにうなずいた。
「なるほどねぇ~。そぉよ、アタシのエレメントは月。あのムーンシャインも、アタシが魔界で大切に育てた花なのよ。キレイな花でしょ?多少は魔界の匂いが残っちゃうかもしれないけど」
嬉しそうに言うチャカに、ルフィンは少し苦い表情になる。
「…と、そんなハナシじゃなかったわね。そう、そんな魔法も使えたの…これは油断したわ!きゃはは!」
チャカは楽しそうに笑って、
「…それなら、当たらないようにすればいいのよね!」
言うが早いか、手前にいたルフィンと素早く距離を詰める。
「わっ!」
不意を突かれたルフィンは、チャカに簡単に腕を取られてしまう。チャカはそのまま下に身を沈めると、力の流れに沿ってルフィンを投げ飛ばした。
ルフィンはしたたかに背中を打ち、しばらく息が出来ないほどだった。
それでも何とか立ち上がり、ヴォイスの手をひねり上げているチャカに向かっていく。
チャカは唇の端をわずかに吊り上げると、ヴォイスの手をさらにひねり上げて投げ飛ばし、流れるようにルフィンの攻撃をかわした。
拳を避けて腕を取り、後ろに回りこんで羽交い絞めにする。
「く…!」
「騙したり、殺したり…そうすることでしか愛を感じられないヒトたちの気持ちが、わかる?」
チャカはルフィンの耳元で囁いた。
「憎しみ…妬み…それって、ヒトの偽らざる本当の気持ちでしょう?自分のために変に飾ったりしない、本当の気持ち…強く憎しみあっていればいるほど、お互いに本当の気持ちをぶつけ合うことができるの…わかる?」
「わかんねえよ!わかりたくもねえ!お前らと一緒にすんじゃねえよ!」
ルフィンは半ばヤケで叫んだ。
「ふふ…一緒よ…アタシたちはみんな一緒…どんなに否定しても変えられない…でもアナタたちは否定したいの…それが…」
チャカは耳元で囁いて、ルフィンの利き腕を取った。
「…アナタたちの、最高に素敵なところ…!」
ひねり上げ、もう片方の手も添えて。
ばき。
音は、ひどく軽く、ひどく簡単に聞こえた。
「うあぁぁぁぁあっ!」
あらぬ方向に曲がった腕から伝わる激痛に、ルフィンは悲鳴を上げた。
チャカは続けてするりとルフィンの脇に回り、仰け反った彼女の腹部に膝をめり込ませた。
ぐぶ、と喉の奥で音がして、ルフィンの意識は急激に遠のいていった。

Voice=Koadwell

チャカは漆黒の翼を夜空に羽ばたかせて、屋敷の外へと出て行った。
冒険者たちは一斉に彼女と、その配下をそれぞれに追いかけていく。
ヴォイスも慌ててベランダから地上に降り、その後を追う。
しかしなんと言っても相手は飛んでいるのだ。その距離はどんどん離されていった。
「…くそっ!」
歯がゆさを感じながら、それでもチャカの飛んで行った方向に懸命に走るヴォイス。
もはや姿は完全に見失っていたが、目指す方向に仲間の影を発見した。
「おい!」
ヴォイスは前を行く少女…ルフィンを大声で呼び止めた。
「一人でさっさと行くな。俺も連れてけ」
息を切らせながら、ヴォイスはそう言った。
ルフィンは少し考えて、頷いた。
「よっしゃ。行こうぜ。あいつ、森の中に入ってったみたいだ。頼むよ」
『頼むよ』の意味を察知したヴォイスは、目を閉じて意識を集中した。
「…ライト!」
ヴォイスの手のひらに、光の玉が出現し、ふわふわと上って二人の頭上に移動した。
「…行くぞ!」
二人はうなずき合って、森の中に足を踏み入れた。
森の中は暗く、広いためどこを探したらいいか見当もつかなかった。
ヴォイスはいつチャカと遭遇してもいいようにと、背中の剣を抜いた。
そして、その刃に左手をかざす。
「…シャインセイバー!」
小声の呪文と共に、剣に淡い光が帯びる。
剣に陽属性を付加する魔法、シャインセイバー。月属性の者に威力を発揮し、逆に陽属性の者には大して効果がない。
「おい、ルフィン」
ついでにルフィンにもかけようと、ヴォイスは前を行く彼女に声をかけた。
「ちょっと、こぶし出せ」
「?」
首をひねるも、言われたままに拳を出すルフィン。
ヴォイスはその手に自分の手をかざし、目を閉じて意識を集中させた。
「…シャインセイバー!」
呪文と共に、ヴォイスの手とかざされたルフィンの手がほのかに光を放つ。光はヴォイスが目を開けても、手をかざすのをやめても、ルフィンの手から離れなかった。
「…これは?」
ルフィンが尋ねると、ヴォイスは真面目な顔で説明をはじめた。
「お前の武器に陽の属性をつけた。月属性の者に大きなダメージを与えられる。逆に陽属性の者には本来の威力より劣ってしまうが。奴は…なんとなく雰囲気から、月属性のような気がしたから、一応俺の武器にもかけた」
ルフィンは不思議そうに光る自分の手を眺めていたが、
「サンキュー」
笑顔でヴォイスに礼を言うと、再び走り出した。
さらにしばらくの間、二人は森の中を闇雲にさまよった。
と、茂みが動くような音がして、ヴォイスは立ち止まった。
音のした方向を見、耳を澄ます。…やはり、何かが、誰かが動いている。
前を行くルフィンが無言で目で合図をし、二人はそちらの方向に向かって茂みを分け入っていった。
やがて、ルフィンがその先に何かを見つけたらしく、一気に茂みに分け入り、その場所に降り立って、目標の人物に怒鳴りつける。
「ここにいやがったか!ちょろちょろしやがって、堂々と勝負しろってんだ!」
光に照らされた二つの人影は、チャカとクラウンだった。クラウンはこちらを見るとびくっと肩を震わせ、それからチャカと交互に視線を送ると、くるりときびすを返して森の闇の中に消えていった。
「あっ、おい、クラウン?!」
ルフィンの呼びかけにも応じない。
クラウンの姿が完全に見えなくなってから、ルフィンはチャカを振り向いた。
「あいつに何したんだよ」
「押し倒してキスしたら、恥ずかしがって逃げてちゃった」
「はぁ?!」
楽しそうなチャカの言葉に、思わず赤面する。それは、ヴォイスも同様だった。
彼女の仕草は、リーフという仮の姿を取っていた時から変わらず、その一つ一つが艶かしく、強烈に「女」を感じさせた。それに対して戸惑いもあったが、同時に惹かれていた、というのは間違いなかったと思う。
ヴォイスは真剣な表情で、剣を構えた。
まずはルフィンが、チャカに向かって殴りかかっていく。
チャカはこともなげにそれをよけて、突き出された拳を手のひらで受け止め…
「…あっつっ!」
驚いて手を離した。
「何?…あっつ~い」
どうやらルフィンの手が熱く感じて離したようである。
「ルフィンの拳と俺の剣に光の魔法をかけたんだよ。やっぱりお前、月属性だったんだな」
ヴォイスが説明をすると、チャカは納得したようにうなずいた。
「なるほどねぇ~。そぉよ、アタシのエレメントは月。あのムーンシャインも、アタシが魔界で大切に育てた花なのよ。キレイな花でしょ?多少は魔界の匂いが残っちゃうかもしれないけど」
ミケが「モンスターの気配がする」と言ったのは、モンスターたちの命の源である魔界の気配だったのだ。
「…と、そんなハナシじゃなかったわね。そう、そんな魔法も使えたの…これは油断したわ!きゃはは!」
チャカは楽しそうに笑って、
「…それなら、当たらないようにすればいいのよね!」
言うが早いか、手前にいたルフィンと素早く距離を詰める。
「わっ!」
不意を突かれたルフィンは、チャカに簡単に腕を取られてしまう。チャカはそのまま下に身を沈めると、力の流れに沿ってルフィンを投げ飛ばした。
「くそっ!」
斬りかかってきたヴォイスの剣を素早く避け、横にまわって剣の柄を握っている手ごと掴み、ひねりあげる。
「うわっ!」
関節をあらぬ方向に曲げられたヴォイスは、思わず剣を取り落とした。
チャカはその剣を蹴り上げて遠くへ弾き飛ばすと、ひねりあげたヴォイスの手をさらにひねってそのまま投げ飛ばし、手を離してすでに立ち上がってこちらに向かってきたルフィンの攻撃を避けた。
拳を避けて腕を取り、後ろに回って羽交い絞めにする。
チャカはルフィンの耳元で何事かを囁くと、素早く体勢を変えてルフィンの利き腕を折り、激痛に体勢が崩れたルフィンのみぞおちに膝を埋め込んだ。声もなく、ルフィンは意識を失って地に崩れ落ちる。
その間に弾き飛ばされた剣を拾ったヴォイスは、チャカの背後から斬りかかっていった。
チャカは振り向かずに高く跳んでそれをかわすと、振り下ろされた剣の柄を握るヴォイスの手の上にストンと着地する。
「く…!」
手の上にのしかかる重み(体格に対して思ったより軽かったが)と、それでも剣を離す訳にはいかないという思いの間で、ヴォイスは腕を動かせずにいた。
チャカは唇に指を当てて、くすっと笑った。
「どんなに強い武器もね、当たらなければ意味がないのよ?」
言って、再び弾みをつけて跳び上がる。ヴォイスの頭を踏み台にしてもう一度高く跳ぶと、くるりと回転してヴォイスの後ろに着地した。
ヴォイスは振り返ってもう一度剣を振りかぶり…。
その手は振り下ろされる前にチャカに取られた。
チャカは頭の上でヴォイスの腕を止めたまま、片方の腕で彼の頭を引き寄せ…軽く、唇を合わせた。
「!」
ヴォイスは完全に動揺して、硬直した。
チャカはくす、と鼻を鳴らすと、ルフィンと同じように、無防備になった彼の腹部に素早く自分の膝をめり込ませる。
最後に彼女のアップを目に焼き付けたまま、ヴォイスの意識は途切れた。

Genoside=Ruinoge

飛び去っていったチャカを必死で追いながら、ジェノは自問自答していた。
(…あいつの放っているものは何だ…。何故、こうも血が滾る?闘志が沸いてくる?俺は…あいつらとやるのを……喜びとしている?)
それは、何故か?
自問したところで答えが出ないのはわかりきっていた。
自分の失われている記憶の中に、多分その答えがあるのだろう。
それがもどかしいような気もしたし、その感情がごく自然に湧いてくるという意識もあった。
自分は何者なのだろう。
何度問い掛けたかわからない自問を繰り返す。
むろん、答えなど出るはずもなかったが。
チャカは、森の方向に飛んでいったらしかった。残念だが空も飛べず、あの何とか言う道化師の格好をした男のように屋根から屋根をひょいひょいと伝うことも出来なかったので、もう姿の見えなくなったその方向に向かって走り続けるしかなかったのだが。
森の中に入ってからはことさらに、ジェノはあてもなくあたりを探し回るしかなかった。この鬱蒼とした森の中では、エル達が言っていたのと同様に、自分の大きな槍は戦闘の道具としてはあまり効果を発揮しないかもしれない。その意味で、チャカが森に入ったのはある意味作戦であると言えるかもしれなかった。
だいぶ森の中を歩き回ったが、一向にチャカたちの姿は見えない。戦っているのなら、それなりの音がしてもいいようなものだが。
と、どさり、という音をかすかに聞いた気がして、ジェノは音のした方向を振り返った。
ゆっくりと、その方向に足を進めていく。
やがて、少し開けたフィールドに、魔法の明かりが浮いているのが見えた。
その下に、静かに照らされている、上から下まで真っ黒い少女。
彼女はジェノが近付いた気配を察知して、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「…4人目」
チャカは妖艶に微笑んで、言った。
4人目、とは、おそらく彼女に向かってきた人数のことだろう。
よく見ると、彼女の足元に二つ、横たわる身体があった。うつぶせていて良くわからないが、ルフィンとヴォイスだろう。あの道化師の姿は見当たらない。だがチャカが4人目、と言っているところからすると、死体も残らないほどにやられたか、運良く逃げ延びたか、まあそんなところだろう。
チャカの微笑みは、よりいっそうジェノの闘争心を掻き立てた。
ぐ、と槍を握る手に力を入れる。
「…遊ばれていたというのは俺の落ち度だ。別に腹は立ってないしお前達が憎くもない。まぁ、強いて言えば依頼人を守れなかったというのがあるかな…」
苦笑いを浮かべてなお、話を続ける。
「…遊びでも構わない。騙されていても構わない。俺は…お前と遣り合いたい。……お前の放つ何かが俺を掻き立てる。戦え、とな!」
ぐい、と頭に巻いていたバンダナを無理に引き剥がして。
その額には、小さな角が頭を覗かせていた。
殺気剥き出しで、改めて槍を構える。
「チャクラヴィレーヌ…と言ったな。楽しみたいなら俺が相手になろう。…なに、幻滅はさせないくらいはやれるさ…」
チャカは再びにっこりと微笑んで…楽しそうに声を上げた。
「告白されちゃった、きゃっ♪やだもー、ヤりあいたいだなんて、もうちょっと遠まわしな言い方しないと女のコ引いちゃうわよ~?しかも遊びでも騙されてても構わないなんて…それフツー、女のコのセリフじゃない?」
ジェノは一瞬面食らったような顔をして、次に少し赤くなった。
「そういう意味じゃない!わかってるくせにはぐらかすな!」
ひとしきり笑った後、チャカは再び面白そうな視線をジェノに投げかけた。
「ここじゃ戦いにくいでしょ?場所を変えない?邪魔なの二つも転がってるし、木も邪魔だし、ねえ?」
言って、無垢な少女のように首をかしげる。
邪魔なの二つ、というのはルフィンとヴォイスのことだろう。もう死体になっているかもしれない。
それには特に感慨を抱かずに、ジェノは少し警戒しつつも頷いた。
森に逃げ込んだのは、彼女が戦いやすくするためではないのか。わざわざ彼に戦いやすい状況を作るとはどういうことか。
それとも、彼に戦いやすいフィールドで戦っても負けるはずはないと主張するパフォーマンスか。
ジェノが頷くと、チャカは満足そうに微笑んで、再び翼を出した。
「羽根を縛られた小鳥はかわいそうね…不便でしょう?力を封印されていると」
「なんだと…?」
チャカの言葉の意味を図りかねて、ジェノは問い返した。
チャカはくすくすと笑いながら、羽根をゆっくり動かす。
「人間に、イヌと、イヌのふりをしたオオカミの区別がつかないと思う?アナタたちの中には、3匹ほどオオカミがいたわね。もっとも、一匹はイヌと血が混じりすぎてオオカミの影も薄れちゃったオオカミだったけど」
イヌとオオカミ…同じ科に属し、見かけも似ているけれど、オオカミのほうが遥かに強い。オオカミがイヌのふりをしていれば、イヌや、あるいは他のオオカミは騙しとおせるかもしれないが、人間が見れば一目瞭然…
「従属人種と…上位種族のことか?人間というのは…異世界種族のことか!」
イヌは従属人種。オオカミは上位種族。人間は異世界種族。
そして、チャカがジェノを称して「イヌのふりをしているオオカミ」と言ったということは…
「お前…俺が何者だか、わかるのか?!」
ジェノの言葉に、今度はチャカが面食らう番だった。きょとんとして沈黙し、ややあってぷっと笑い出した。
「あらあら、その封印は、アナタの記憶まで無くしちゃってたわけね?」
自らの頬を指差して、チャカは言った。ジェノの頬に走る、赤い刺青のような模様のことを言っているのだろう。これが、自分の力を封印しているということだろうか?
「どうりで、アタシたちのところにいるはずの生き物がこんなところにいる訳だわ!」
「お前のところにいるはずの…生き物…?」
チャカのところ、というのは、とりもなおさず魔界ということだろう。
では、自分も魔族なのか?
いや、ならばチャカはジェノのことを「人間」と言うはずである。魔界にいるオオカミ、すなわち…
「…ブラックドラゴン…?俺は、ブラックドラゴンなのか?!」
「なかなか頭の働くオオカミね」
チャカはにやりと微笑んで、森の奥を指差した。
「前にも行ったでしょう、ムーンシャインの畑があるところ…あそこなら存分に腕を振るえるわよ。大丈夫、この森にかけた魔法はもう解いてあるから。先に行って待ってるわ、オオカミちゃん」
言って、チャカはふわりと翼を羽ばたかせ、行ってしまった。
ジェノは表情を引き締めると、チャカの指差した方向へと駆け出した。
鬱蒼とした茂みを掻き分け、ただひたすらまっすぐに走っていく。
やがて、ジェノは開けた所に出た。以前にも来たことのある、地下にムーンシャインの畑が広がる草原。
今はその地下へ通じる道は閉ざされていたが、なるほど確かにここなら十分な広さがあり、邪魔な木々も生えていなかった。
そして空には、月の明かりに照らされて妖艶に微笑を浮かべる女性。
ジェノは空にいるチャカに向かって、槍を構えた。
「思う存分武器を振るえるとはいえ…相手が空を飛んでいては届かんな」
にやり、と唇の端を吊り上げて。
「……当たらない距離にいるのなら…当たるようなモノを準備すればいいまでだ」
槍の穂先に、目には見えない「気」の力がうねりだす。
「舞え、黒き刃!前に立ちふさがるものを切り裂け!」
叫んで、槍を力いっぱい振るった瞬間。
槍の穂先にうねっていた「気」が、3つの刃となってチャカに飛び掛っていった。
3つの刃は軌道を変え方向を変え、3方向からチャカを包囲し襲い掛かる。
チャカはにやりと微笑むと、翼を大きくはばたかせて向かい来る刃から身を守るように動かした。刃の一つは翼の羽ばたきで消滅し、一つは翼にぶつかって消え、一つは軌道を逸らされて後ろへと抜けていった。
「なかなか素敵な『気』を使うじゃない…ってきゃあぁぁぁぁあっ!」
いきなり横を見て悲鳴をあげるので、ジェノは驚いて身をすくめた。
チャカはわなわなと自分の横髪に触れると、恐ろしいものを見るような表情で言った。
「か…髪が…髪の毛が一本切れてるうぅぅぅっ!!」
ジェノは思わずコケた。
「か…髪の毛くらいでそんなに騒ぐな!何かと思ったじゃないか!」
「ひっどーい。髪はオンナの命なのよ?デリカシーのないオトコは嫌われるわよ?」
チャカはうっすら涙すら浮かべて、地上に降り立った。
「可哀想なディアーヌちゃん…かたきは取るからね」
「ディアーヌちゃん?」
「この髪の毛の名前よ!」
「髪の毛一本一本に名前を付けるなあぁっ!」
ジェノは絶叫した。
チャカは足を肩幅に開いて初めて構えを取ると、腕をそろえて頭の上にあげた。
「気っていうのはね…こういう風に使うのよ!」
そして、そろえた拳を上から下に一気に振り下ろす。
すると、先ほどとは比べ物にならないほどに巨大な衝撃波が、草を引きちぎり大地を削りながらジェノに向かって走った。
「く…!」
ジェノは槍に闘気を込め、一閃させてその衝撃波を両断し、直撃を防ぐ。
二つに分かれた衝撃波は、ジェノの後ろの木々を次々となぎ倒していった。
槍が弾き飛ばされそうなほど重かったが、負けてしまったら後ろの木々の仲間入りだ。ジェノは足を踏みしめて耐えた。
そして、衝撃波が過ぎ去り、顔を上げると。
目の前に、チャカの顔があった。
「!」
避ける暇も、武器を上げる暇もなく、チャカはジェノの頭の上に手を当て、それを軸にしてジェノの顔に横から回し蹴りを見舞う。
吹っ飛ばされ、横の木に激突して倒れたジェノの腹をがっ、と足で押さえつけ、チャカは満足そうに微笑んだ。
「飛び道具は当たる可能性が低いもの。囮に使って、最後はやっぱり自分の手で倒さなきゃね」
「ぐ…」
ジェノは悔しそうにうめいた。
「オオカミちゃんは、これくらいしないとダウンしないかしら?!」
チャカは言って、ジェノの胸座を掴みあげ、空に放り上げた。
続いて自分も跳び上がり、空中のジェノの腹部に膝を埋め込んだあと、両の手のひらを組んでそれを背中にたたきつけた。
「ぐわあっ!」
空から再び一気に地面に叩きつけられ、そこでジェノの意識は完全に途絶えた。
「かたきは取ったからね、ディアーヌちゃん♪きゃはははは!」
からかうような、チャカの高笑いがこだました。

Alex Silverload

チャカと名乗った女が飛び去ってしまい、その配下も一斉に屋敷のあちこちに散らばった。
アレックスは慌ててベランダを飛び降り、彼女を追いかけた。しかし、力押し型の戦士である分、彼はいまいち敏捷さに欠けた。他にも何人か彼女を追いかけた者がいたが、その者達の姿すらあっという間に見えなくなってしまう。
アレックスは歯がゆい思いでとにかく闇雲にチャカが飛び去った方向を探し回った。深夜の住宅街。あたりは静まり返っている。こんなところで戦ったら目立って仕方がないだろう。
とすれば。
アレックスは目標の方向の、更に向こうに目をやった。
一度だけ訪れたことがある。あの女に出会った場所。
ムーンシャインの森。
アレックスは表情を引き締めて、再び走り出した。
森へ入ってしばらくたつと、奥の方で轟音がこだました。
まるでそこで竜巻でもあったかのような強風がアレックスのいるところにまで吹き荒れ、ばきばきと木のなぎ倒されるような音が響く。
風が治まり、アレックスは急いで風の吹いてきた方向へ走った。
森の木々が、まるで風の刃に両断されたかのように無残に千切れ、なぎ倒されている。
その向こうに、少し開けた草原が見え。
その中心に立つ、大きな漆黒の翼を戴いた小さな影を発見した。
アレックスは、慎重に彼女に向かって歩いていった。
それこそ、彼などに比べれば驚くほど小柄な少女。だがその実態は、おそらく彼ですら遠く及ばないほどに齢を重ねている、彼らを超越した種族。
彼女はこちらに気付くと、面白そうに首をかしげた。
「あら…アナタも来たんだ。てっきり、例のカタキ探してもうどっかいっちゃったかと思ったわ」
アレックスはそのセリフに、眉を顰めた。
「…もう一度訊く」
言って、背中の大剣をすらりと抜く。
「俺が関わっている事件について、お前は何も知らないのだな?」
「ひとつ、教えてあげましょうか」
チャカはにっこりと微笑んだ。
「アナタみたいなヒトのこと、自意識過剰っていうのよ」
アレックスは何も言わず、剣の柄を握る手に力を込めた。
剣から、目に見えない闘気がたちのぼる。
「アナタ、本当に自分のことしか考えてないのねぇ?みんな大抵、お粗末な正義論を振りかざして結局はアタシたちとやること変わんないヒトたちばっかりなのに。まぁ、そういうヒトだからこそばかばかしい厄介ごとに巻き込まれるんだろうけどね」
「やはり…何か知っているなッ!」
アレックスは一気に駆け出して、チャカに斬りかかった。
チャカはあっさりとそれをかわして、脇を通り過ぎていくアレックスの耳元でぽつりと囁いた。
「…フォグート、ね」
アレックスはそちらを振り向いて、驚いたような表情を向ける。
「その剣。そんなもの、まだ使えるようなヒトがいたんだ。ま、『神々の遺産』も、使い手が悪くちゃただのなまくらよね。…もっとも、そんな武器捕まえて神の名前出された日には、神様も舐められたものだけど?きゃははは!」
アレックスは再びかたりと剣を構えなおした。
「その、アタシの言うこと何もかんも自分に結び付けて考えるところが自意識過剰だって言ってんのよ。頭の悪さ宣伝してるみたいだから辞めておきなさいね?」
自分の頭をつんつんと指さしてからかうと、チャカはゆっくりとその指をアレックスに向けた。
「誰かのセリフじゃないけど、パターンなのよ。アナタがどんな事件に巻き込まれてるのか知らないけど、アナタ、自分は被害者だと信じて疑ってないでしょ?とんでもないわ」
すい、と邪悪な笑みを浮かべて。
「アナタのその、自分のことしか考えてない、頭に来ると周りのことが目に入らなくなる性格、そのものがアナタの周りの人を駆り立てて、アナタを陥れているのよ。自分は不幸だ不幸だ、周り全てが自分の敵に回る、どうしてこんな星の元に生まれてきたんだろうって言って同情をかおうとしてるヒトは大抵そう。自分が悪いかどうかなんて、露ほどにも考えないのよ。だからこそ不幸になるの。わかる?」
アレックスは無言で、再びチャカに向かって駆け出した。
チャカはこれもあっさり避けると、今度はすり抜けようとしたアレックスの胴にずぶりと拳を埋め込んだ。
ぐぶ。
予想以上に強烈な一撃に、喉の奥から音がして、うめく。
「…アナタ、つまらないわ。あまりに何もかも、アタシの予想通りで、ぜんぜん楽しくない」
苦痛に身体を折ったアレックスを、半眼で見下ろして。
「バイバイ」
今度は組んだ両手を、思い切り彼の後頭部に打ちつけた。
そこで、アレックスの意識は闇に落ちた。

Melfiss=Farvit

アレックスが、倒れた後。
まだかろうじて残っていた森の木々の向こうから現れた影に、チャカは妖艶に微笑みかけた。
「待ってたわ」
襟元でそろえた紫色の髪に、切れ長の青い瞳。うっとりするほどの美貌をからっぽの笑みで彩った青年。
瑪瑙。
彼はすでに左腕に常に巻かれていた包帯をほどき、痛々しい真っ黒な火傷の後をさらしていた。
…否、それは火傷の跡ではなかった。何故なら、黒い煙のようなオーラを放ちながら、ぞろぞろと動いていたからである。
『…メル』
声無き声が、あたりに響いた。
久しぶりに聞く、『彼女』の声。
『わたくしに…任せていただけませんこと?貴方では…彼女は手に追えませんわ』
しばらく、沈黙して。
『…わたくしでも、或いは手に追えぬかもしれません…』
「自らの力を過信しないのは、とてもいい傾向よ。邪剣ワールド・ヘヴン…フィオナ・ゾル・レファート」
チャカは言って、笑みを深くした。
「剣の形を取る魔貴族、ワールド・ヘヴン…とうさまから聞いたことがあるわ。ずいぶん力を振るっていたようね?その活躍も、今から3000年前に終わりを告げる…」
まるで伝承歌を語るように、うっとりとチャカは続けた。
「神剣グラウンド・ヘルにその身体を貫かれたことにより、ワールド・ヘヴンは現世界にその身を封印されることになった…でもその封印を解いたコがいたのね。聞いたことがあるわ。人間程度を使うようなコの組織だから大したことないだろうしあまり詳しくは知らないんだけど…確か、ジュエル・オブ・ソサエティとか言ったかしら」
その単語に、瑪瑙の表情がぴくりと動く。
チャカは面白そうに続けた。
「幹部にはみんな宝石の名前がつくんですってね。いかにもナルシストのしそうなことだわ。首領の名前は、ダイヤモンドだったかしら?うっわ、言うに事欠いてダイヤモンド!そんなこと言っちゃったら倒された時ひたすらかっこ悪いじゃないねぇ、きゃはははは!」
口に手を当てて、甲高い声で笑って。
「瑪瑙…っていうのは、アナタの宝石の名前…?ブラック・オニキス…本当の名前じゃないんでしょう?最後に聞かせてくれない?アナタの、本当の名前…」
「…メルフィス・フェアバイト…」
瑪瑙はゆっくりと、だがはっきりと告げた。
そうして、誰にも告げることのなかった名前を告げたことからも、彼の意思は明らかだった。
この相手とは、二度と生きて合い見まえることがない、というつもりだということ。
自分が死ぬか…あるいは、相手が死ぬか、二つに一つだと。
「…フィ…」
瑪瑙はすっと胸を張って、自分の左腕に住む魔剣に語りかけた。
「いいよ…好きに、使うといい…君の手に追えないなら、どの道俺の命は、ない…」
『ご協力感謝いたしますわ…!』
フィオナはどこか嬉しげに言った。
次の瞬間。
左手で渦を巻いていた黒いもや…瘴気が、一瞬にして瑪瑙の体全体を包み込んだ。
そして、ざぁっ、とその瘴気が晴れたかと思うと、そこには一人の女性が立っていた。
長い黒髪に、切れ長の黒い瞳をした、妖艶な美女。
「それが、アナタの本当の姿なのね。フィオナ」
「馴れ馴れしく呼ばないでいただけませんこと?」
フィオナは轟然と言い放った。
「こうして出ているのは、疲れますの…わたくしに突き刺さっている、いまいましいあの剣のおかげでね。ですから…貴女にはぜひわたくしの養分になっていただきたいわ…!」
「オーケイ。ごたくはいいわ。やりましょう。さっきからうずうずしているの」
チャカは嬉しそうに、翼を広げて身構えた。
「少しは骨のあるバトルになりそうね!」

Chaklavirenue fel Estaltie

「…どうですか?」
少し心配そうな表情のメイに、リリィを瓦礫の下から掘り起こしたセレは淡々と答えた。
「意識は無い。生命反応は感じる。早急に手当てが必要である」
「キャットもこのとおりですし…チャカ様は心配ないにしても、リリィがこれでは回復のしようもありませんね…」
言いながらやはり意識の無いキャットを抱きかかえるメイもまた満身創痍である。
と。
「私が連れて行きますよ」
後ろから聞こえた声に、メイはぎょっとして振り向いた。
「こ…これは、キルディヴァルジュ様」
メイは慌ててキャットを地面に下ろし、膝を折って平伏した。
セレも、すっと膝を折って頭をたれる。
現れた相手は、年のころまだ14、5というほどの少年だった。
チャカと同じ褐色の肌、漆黒の髪、濃いオレンジ色の瞳。紫系の異国風のローブに身を包んでおり、袖はちょうどリリィの着ている服のように長く、見えない手先を胸の前できれいに揃えて立っている。一見優しげな光をたたえた瞳を右側だけ片眼鏡で隠し、膝ほどまである髪をゆったりとまとめ、ローブと同じ色の大きな帽子をかぶっている。
少年はきれいに2人に微笑みかけると、言った。
「久しぶりですね、メイ。いつも叔母様のお守り、ご苦労様です」
「恐縮です。キルディヴァルジュ様は、何故このような所に…?」
頭を垂れたまま、メイは少年に問うた。
「私は私で、こちらに用があったのですがね…運良くというか、悪くというか、叔母様に捕まってしまいまして。今日の貴方たちのフォローを頼まれたのですよ」
「あっ!キルくんだぁ!ホントに来てくれたのね~ありがと~!」
そこに、折りよくチャカも戻ってきた。キルは少し苦笑して、
「意外と信用がありませんね。…連れて帰るのはこの2人でいいのですか?」
「あら~ん。リリィとキャットはやられちゃったのね。メイもひどい怪我じゃない。一緒に連れて行ってもらいなさい。セレ、アナタも手当てを手伝いなさい」
「畏まりました。では申し訳ございませんがキルディヴァルジュ様、よろしくお願いいたします」
「わかりました。そこに座りなさい」
命令の通りにメイとセレがリリィとキャットの傍らに座ると、キルは何もない空間に右手を差し出した。
すると、空間からにじみ出るように、大きな竜を戴く杖が出現する。
キルがその杖に命令をするように右手をメイの方向に示すと、杖は自ら宙に浮いて動き出し、メイたちの周りの地面に円を描いた。
「戻れ」
キルの言葉とともに、描かれた円の中にいた三人の姿が、一瞬にして消える。
「すごぉい!ありがとうキルくん、愛してる~」
「叔母様も、次元転送の魔法くらい覚えてはいかがですか?わざわざセントスター島まで行くのは面倒でしょう?」
キルが眉をしかめて問うと、チャカは不満そうに答えた。
「だってぇ、魔法覚えるのめんどくさいんだもん。アタシはちいにいさまやキルくんみたいに魔力もそんなにあるわけじゃないしぃ。できるヒトにやってもらうのが一番よ。適材適所ってやつ?それからね、キルくん」
「はい?」
「アタシのことは、『お姉様』って呼びなさいって、何度も言ってるでしょ?」
先ほどとは違う少し真剣な声に、キルは思わずたじろいだ。が、とりあえず平気なふりをして答える。
「…私の父上の妹君なのですから、叔母様、でしょう」
「そんなコトいったって、アタシとキルくんたった200歳っきゃ違わないじゃない~!あーもう、ちいにいさまがにいさまに対抗してあんなに若いのに子供作るからアタシがこんなに若い身空でオバサンなんて呼ばれなきゃならないんじゃないの~!!ワカメちゃんだってタラちゃんにオバサンなんて呼ばれたらキレるでしょぉぉっ?!」
わめきだすチャカに、キルは放っとくか、といったように嘆息した。

The Magician under the sunlight

「ひどい有様ですね…」
一夜明けて。
派手に崩れたゴールドバーグ邸の玄関口を恐ろしげに見ながら、フレッドはつぶやいた。
彼の後ろには、何とか歩き出せる程度まで回復した冒険者たちが、やはり惨状の跡をいまいましげに見つめている。
瓦礫の下敷きになっていたエルとミケは、まだあちこちに痛々しく包帯を巻いている。魔法の治療がなければおそらく命はなかっただろう。あとは、腹を刺されたディーが包帯を巻いているのと、腕を折られたルフィンが三角帯で腕を吊っている。
だが、瑪瑙の惨状が一番目を引いた。彼は、肩から二の腕までのわずかな長さを残して、すっかり左腕を失ってしまっていたのである。腕は骨も残さずすっかり消滅してしまったため、再生させることも不可能だったのだ。
「瑪瑙さん…その、何を言っても慰めにはならないと思いますが…あまり、気を落とさないで下さい」
心配そうに言うミケに、しかし瑪瑙は意外なほどすっきりとした笑顔を向けた。
「心配、ない…今は…精巧な義手を作る魔道士も、いるらしい、からね…かえって、煩わしい物から開放された気分、だよ…」
そう、開放された。
幼い頃から…否、生まれたときから自分を縛り付け、大切なものを奪い、苦しめてきた存在から。
だが、自分を支配するものを失って。自分はこれから、何を目的に、どう生きてゆけばいいのだろう。
開放感と共に、寂しさと心もとなさが胸に去来する。
瑪瑙は目を伏せて、いつもの寂しげな笑みを見せた。
「だけど…なんであいつら、オレたちを殺していかなかったんだろう…?」
クルムが小さく、不思議そうに呟いた。
意識を失っていた彼らを、殺す機会などいくらでもあったというのに。
「遊んでいるんでしょう」
エルが苦い表情で言った。
「彼女も言っていたでしょう。私たちで遊んでいたのだと。まるで、猫が瀕死の獲物をいつまでもつついて遊ぶように、彼女は私たちを殺さずに生かしておいて、また遊ぼうという腹積もりなのでしょう」
「くそッ!」
ヴォイスが悔しそうに足を地面に打ちつけた。
みんな一様に悔しげな表情をしている。
力が及ばなかったことが、ではない。
いつでも止めをさせる状況において、敵は止めを刺さなかった。それだけ、侮られているということが。
皆無言で、それぞれの思いを馳せていた。
彼女はこれからも、変わらぬ調子で人の命を、気持ちを、人生を踏みにじって楽しむのだろう。
そしてこれからも少なからず、自分たちは彼女に遭遇していくことがあるかもしれない。
そのとき、彼女たちを止めることができるだろうか?
自分は、そのときどうするのだろうか…?
「それでは皆さん、お疲れのところ申し訳ありませんが、自警団までご足労願えますか。事情聴取をお願いしたいのですが。もちろん、魔法医の方もお呼びしますので…」
フレッドが言い、冒険者たちは疲れた様子で彼の後についていった。

冒険者たちが、門の前に群がる野次馬の間を通り抜けていく。
野次馬は、冒険者たちを指さしてあれこれ勝手な憶測を並べているようだ。
その野次馬の一番外べりで世間話をしている女性に、落ち着いた声が話し掛けた。
「すごい人だかりね。なにがあったの?」
「なんだか、ここのご主人が魔物に襲われて亡くなったんですって。お屋敷も壊されちゃったそうよ。怖いわねぇ」
「ふぅん…」
長い金髪の女性は、そう言って不敵に唇を歪めると、くるりと踵を返して路地の奥へ消えていった。

「月明かりの魔術師」ENDE