月の明かりに照らされて

アタシは、お金にも名誉にも、称号にも興味なんかないの。
 ただ、「おもしろいこと」に出会いたいだけ。
 流されるまま、退屈な日々を送ってるだけなんて、我慢できない。
 身体の芯からゾクゾクするような、
 胸の奥までとろけるような、
 そんな刺激的な出来事に出会いたいだけ。
 そのためだったら、どんなことだって厭わない。
 誰が傷ついたって、誰が死んだって構わない。
 この快感に身を委ねることが出来るなら、
 たとえアタシの命だって、無くなったって構わない。 

始まりは一枚の紙切れ

「『怪盗ムーンシャインから我が家の秘宝を死守できる冒険者求む』…?」
風花亭の、依頼掲示板。ヴィーダ中の依頼が集まると言われるその板に、奇妙な張り紙を見つけ、ミケは思わず首をひねった。
まるで少女のような容姿をした青年だ。声を出さなかったら完璧に少女だと思われていただろう。しかも、かなり可愛らしい。慣れた男ならナンパぐらいしていたかもしれない。
栗色の長い髪の毛を三つ編みに束ねており、大きな青色の瞳は愛くるしく、わたしは魔道士ですと言わんばかりの典型的な黒いローブ。細身で華奢な腕には小さな黒猫が抱かれている。赤いリボンに銀の鈴。これも多少知識のある者ならすぐに分かる。猫は使い魔としてはポピュラーな動物だ。
「『戦士・魔法使い・その他職業問わず。ただし、秘密を厳守できる者に限る』…ですか。妙と言えば妙ですね」
「何が妙なんだ?」
不意に、後ろからポンと肩を叩かれ、ミケは振り向いた。
そして、見覚えのある顔に、パッと相貌を輝かせる。
「ルフィンさん!お久しぶりです!」
ルフィンと呼ばれた少女は、ミケの言葉に豪快な笑みを見せた。
ポニーテールにした長い銀髪が印象的な少女である。少し気が強そうな、利発な面立ちをしており、身軽な服装に、銀の腕輪。シンプルないでたちだ。
「久しぶりだね、ミケ。あの事件以来か?」
「え、ええ…そうですね」
『あの事件』という言葉に、ミケの表情が僅かに曇る。
山奥の名もない村で起こった、奇怪な事件。その悲劇的な結末は、彼らの心に少なからず影を落としていた。
「ルフィンさんもこの依頼に興味がおありですか?」
「っつーか、あたしはあんたがいたから声かけただけなんだけど」
ルフィンは苦笑して頭を掻いた。
「妙だとか言ってたじゃん。何が妙なんだ?」
「え、あ、ええ…怪盗ムーンシャイン。ご存知ですか?」
「最近噂の怪盗だろ?あたしだってそれくらいは知ってるさ」
怪盗ムーンシャイン。
最近ヴィーダに現れた、神出鬼没の怪盗だ。月に一度、満月の晩に現れて、数十人の警備網を煙に巻いて目当ての物を奪い去っていく。月の明かりをバックにした美しいシルエットから女性であるという噂はあるが、それ以外は一切不明である。
「ムーンシャインの捕獲には、この街の自警団が総力を挙げているはずです。なのに何故、冒険者なんか雇ったりするんでしょうか?」
「さぁ?自警団ったって、今まで何度もムーンシャインに逃げられてるんだろ?信用できないんじゃねーの?」
「それなら何故、『秘密厳守』なんて書いてあるんでしょうね?」
「…外に知られたくない秘密が、あるんじゃないんですか?」
突如かけられた声に、二人は振り向いた。
そこに立っていたのは、一人の青年男性。茶色い髪を後ろで一つに束ねており、黒い瞳、同じ色の服に身を包んでいる、なかなかの美青年だ。
彼の姿を見て、ミケの顔がまた輝いた。
「ディー!生きてたんですね!」
ミケの言葉に、ディーと呼ばれた青年は苦笑した。
「ご挨拶ですね、ミケ。君こそ元気なようで、安心しました」
「なんだ、知り合いか?ミケ」
見知らぬ人物に、ルフィンが眉根を寄せてミケに訊ねる。
「あ、ええ。ルフィンさんと出会う前からの友人です」
ミケに紹介されて、青年はやわらかく微笑んで手を差し出した。
「…ディーです。よろしく」
当たり障りのない笑顔と言葉。どこかよそよそしい感じがするのは気のせいだろうか。
ルフィンはその手を握り返すと、またあの豪快な笑みを見せた。
「あたしはルフィン・シーズ。ルフィンでいいよ。よろしくな」
「…ところで、知られたくない秘密、というと?」
ミケは真面目な表情に戻ると、ディーに先程の言葉の意味を問うた。
ディーはそちらに向かってまたにこりと微笑むと、
「さぁ…何となくそう思っただけですが。他に、秘密厳守などという項目を作る理由を説明できますか?」
「そうですね…」
考え込むミケに、ルフィンが横から口を挟んだ。
「そもそも、その依頼主ってナニモンなんだよ?」
「ちょっと待って下さい…ええと…」
依頼文だけ見て、肝心の依頼主のところを読んでいなかったらしい。
「ええと…ゴールドバーグ…とありますね」
「ゴールドってヤツが作った街か?」
「は?」
「そんで横暴な政治して、牢屋に入れられるんだろ?」
「何の話です?」
「いんにゃ、こっちの話」
訳の分からない話を展開するルフィンに、どう反応していいかわからぬ様子のミケ。
「ゴールドバーグといえば…」
そんなやりとりを気にしているのかいないのか、ディーがまた柔らかな口調で切り出す。
「王室御用達の、この街では有名な貿易商人ですね。かなりやり手だそうですが、一方では黒いうわさも絶えません」
「そうなんですか。よく知っていますね、ディー」
「ええまぁ…この街には、貴方よりは長くいますからね。そういう情報も、割と入ってくる方ですし」
「ああ…そうですね」
ディーがどんな職業なのか分からないが、ミケは分かっている様子で頷く。それ以上何も言わないので、ルフィンも訊かないでおいた。
「ムーンシャインですか。僕も、彼女には興味がありますね。どちらかというと、そういう黒い噂のある人間ばかりを狙っているようですし」
「義賊って訳か?」
「さぁ…それはどうでしょうね。義賊といったら、盗んだ宝を貧しいものに分け与えるのがお約束というものですが、そういう噂も聞きませんし…ただ、要するに悪人から盗むということと、スタイルのいい美人の女性らしい、ということで人気はあるようですね」
「スタイルはともかく、顔まで知られているんですか?」
意外そうにミケが訊くと、ディーは苦笑した。
「そんな訳無いじゃないですか。あくまで噂ですよ、噂。そういった噂は、広まるうちに尾びれ背びれがつくものですからね」
「ああ、なるほど」
ミケも同じように苦笑する。
「悪徳貿易商人と、義賊っぽい怪盗か…おもしろそうじゃねぇか」
ルフィンはそう言って、にやりと笑った。
他の二人も、ルフィンに微笑みかける。
穏やかではあるが、はっきりと、彼女と同じ表情をした笑みを。

それより少し前。
同じ紙切れをじっと見ていた、一人の少年の姿があった。
小麦色の肌に栗色の髪、まだ幼さの残る深い緑色の瞳。
その見た目に反し、背中には大きな剣を背負っている。
彼の名は、クルム・ウィーグ。冒険者だ。
「…うーん…」
クルムは浮かない顔でもう一度その依頼書に目を通すと、くるりときびすを返して店を出ていった。
はっきり言って、気が進まない。
怪盗ムーンシャインには興味がある。今街で一番の話題といったら彼女のことであるし、悪人ばかり狙うというのにも好感が持てる。
だが、やはりその悪人に雇われて、というのにどうにも気が乗らなかった。
ゴールドバーグといえば、この街随一、と言っても良いほど裕福な貿易商人だ。だがそれだけに、あまりいい噂は聞かない。あまり噂だけで人を判断するのもどうかと思われたが、この「秘密厳守」という項目だけでも、その片鱗を見ることが出来る気がする。
あまり関わらない方が良い。クルムの勘はそう告げていた。
そして、彼の勘は往々にして良く当たった。
そして、彼が風花亭を出て、中央広場の方に歩いていこうとした、その時。
「おにいちゃん!」
不意に、後ろの方で子供の声がして、クルムは振り返った。
見ると、たった今出てきた風花亭から、10才くらいの男の子が出てきたところだった。
少年は早足でクルムに駆け寄ると、思い詰めたような瞳を向けた。
「おにいちゃん、冒険者の人でしょ?」
「ん?そうだけど…君は確か、風花亭にいた…?」
少年はこくりと頷いた。
「うん、僕のパパは、あそこのマスターなんだ」
「そうなのか。で、冒険者のオレに、なんか用かい?」
「うん…ね、ちょっとこっち来て!」
少年はクルムの手を引っ張ると、大通りから少しはずれた小道に入っていった。
そして、変わらぬ真剣な表情でじっとクルムを見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「おにいちゃん、さっき、ムーンシャイン捕まえるいらいのはりがみ、見てたよね?」
「あ?ああ…確かに見てたけど」
「おにいちゃん、ムーンシャイン、捕まえちゃうの?」
すがるような瞳を向けられて、クルムは一瞬きょとんとしたが、やがて苦笑した。
「いいや、捕まえねえよ。あの依頼は、オレは受けないことにしたんだ」
「本当?!よかったぁ…」
少年はパッと瞳を輝かせ、安堵の溜息をついた。
「じゃあ、僕が、おにいちゃんにいらいして、いい?」
「ん?そうだな、話を聞かせてみな」
「あのね、おにいちゃんに、あのいらいを受けてほしいんだ」
「なんだって?」
クルムが素っ頓狂な声をあげて問い返すと、少年は真面目な顔で答えた。
「それでね、いらいをうけるふりをして、ムーンシャインを守ってほしいんだ。
 ゴールドバーグって、すごい金持ちだけど、ウラでは色々あやしいことしてるってパパたちが言ってた。そんなヤツに捕まったら、どうなっちゃうか…ねぇ、おねがいだよ!ムーンシャインを守って!」
「わ、わかったわかった。少し落ち着け、な?」
徐々にエスカレートしてくる少年を、クルムは困った顔でなだめる。
「だけど、なんだってそんなに、ムーンシャインの肩を持つんだ?」
「…僕、ムーンシャインに助けてもらったことがあるんだ。先月の、満月の夜のことだよ。いつもみたいに、ムーンシャインが自警団に追っかけられてて、僕、彼女の姿を一目見たくて、ないしょで家のやねにのぼってたんだ。そしたら、いきなり足をすべらせて、3階から地面に落っこちそうになっちゃったんだよ。でもそのとき、からだがふわっとういた感じがして…気がついたら、女の人に抱き上げられて、もとのやねのところにいたんだ。くらくて、月が向こうがわにあったから顔はわからなかったけど、女のひとはニコって笑って僕に言ったんだ」
『…満月は人を狂わせるの。こんな夜は危険が一杯よ、坊や。大ケガをしたくなかったら、月なんか見ないことね…わかった?』
「僕、あなたがムーンシャイン?ってきいたんだけど、やっぱりニコって笑うだけで答えてくれなかった。だけど、きっとあれがムーンシャインなんだ。ムーンシャインは、どろぼうだけど、ぜったい悪い人なんかじゃないよ!だから…そうだ!いらいりょうだってちゃんとあるんだよ!ほら!」
少年はそういうと、懐から革袋を取り出して、クルムに手渡した。
中を見ると、銅貨がぎっしりと詰まっている。きっと何かのためにこつこつためたお小遣いなのだろう。
クルムは苦笑すると、革袋を少年に返した。
少年は泣きそうな顔をする。
「やっぱり…こんなおかねじゃ、いらいなんかうけてもらえないよね…ごめんなさい」
「誰が受けないって言った?」
クルムの言葉に、少年は顔を上げた。
「依頼は受けるよ。だけど金はいらない。オレもムーンシャインには興味があったんだ。君を助けた、って聞いて、また興味がわいたよ。わかった、捕まえるフリをして、守ればいいんだな?心配すんな、あの依頼を受ければ、依頼料が入ってくるだろ?だから、君が金出す必要なんかないよ。
だけど、たぶんもう凄腕の冒険者が依頼を受けてると思うから、オレ一人の力で何とかなるかどうかわからないけど…それでも、いいか?」
少年は顔を輝かせて、首が取れるかと思うほど激しく縦に振った。
「うん!ありがとう、おにいちゃん!!」

「…指令書、ね…」
口元にうっすらと微笑みを浮かべ…といっても、これが彼の地顔と言うほど、彼はいつもその表情を崩すことはなかったが…瑪瑙、と名乗った男はぽつりと呟いた。
まるで女性のように美しい容貌をした男だ。紫色の髪を襟元で切りそろえ、緑色の瞳は切れ長で、どこを見ているのかわからないような印象を受ける。やはり紫系の、騎士風の衣装に身を包み、腰には剣を下げている。
「…あまり、命令されるのは性に合わないのだけど…まあ、組織というのは、そういうもの」
彼は、手にした紙切れから瞳をあげると、目の前に佇む男に向かってそう言った。
彼の正面に座っているのは、ヴィーダの自警団を取り仕切っている男。名をフレッド・ライキンスという。年の頃は40代後半といったところであろうか。きっちり整えられた髭に、精悍な顔つきをした、なかなかのナイスミドルだ。
「…と、言うことは、受けてもらえるのだね?二人とも」
彼は鷹揚な語り口で、瑪瑙と、そしてその隣に立っている男に言った。
瑪瑙とは全く違ったタイプの美青年である。長い銀髪を三つ編みにしてたらしており、紫色の瞳には力強い優しさがたたえられている。白を基調とした大きな帽子と服は神官をイメージさせるが、腰にはやはり剣が下げられている。
爽やかな笑顔をたたえた彼は、名をエルダリオ=ソーン・フィオレットといった。
「ええ、もちろんです。私には、死にそうになったところを皆さんに助けていただいたご恩がありますからね。かの怪盗には、私も興味がありますし。喜んで、引き受けさせていただきます」
エルは2日ほど前、路銀が尽きてヴィーダに続く街道で倒れているところを自警団に助けられたのだった。それからずっと、このご恩を返せるまで、と、自警団に留まり続けているのである。
「ゴールドバーグ氏には、はっきり言って我々も頭を痛めているのだよ。ムーンシャインには確かに、今まで我々もまんまと出し抜かれ続けてきた。だが我々とて、いつまでも手をこまねいているわけではない。日夜、やつを捕まえる努力をしているのだよ。それを、必要無いの一言ではねつけられてしまっては…我々としても面子というものがあるからね。それに…」
「…そこまで自警団を拒否する理由があるはずだ…ということ、だね」
フレッドの言葉を遮って、瑪瑙がぽつりと言った。
その事に腹を立てた様子もなく、フレッドは彼に向かって頷くと、続ける。
「そういうことだ。まぁ、もともとあまり良くない噂のある人物だからな。そういう対応に出られるのも、ある程度は予想していた。そこで、自警団に属さない者に秘密裏に依頼をすることになったのだよ」
フレッドは、瑪瑙とエルの顔を交互に見た。
「君たちの腕はすでに見せてもらっている。さすがに冒険者だけあって、うちの者達など比べものにならないな。やはり実戦経験の差だろう。これなら、安心して依頼できるというものだ」
「光栄です」
エルは再びにこりと笑った。実力を否定しないが全く嫌味にならないのが不思議なところだ。
「君たちにやってもらいたいのは、その指令書にも書いてあるとおり、二つある。一つは、怪盗ムーンシャインの捕縛。あくまでも捕縛、だ。わざわざ冒険者を雇うのだ、たとえムーンシャインを捕まえたとしても我々に引き渡す気など無いのだろう。だが我々の目的はあくまで、やつを捕らえ、しかるべき裁きを受けさせることだ。やつがいなくなれば全てめでたし、というわけではない。もし、やつが殺されそうな事態になった場合は、出来うる限りの手段を持ってそれを阻止し、やつを我々のもとに引き渡してもらいたい。了解していただけたかね?」
「了解いたしました。私も、いくら犯罪者とはいえ、殺して済ませようというやり方には賛成致しかねます。必ず、そのような事態を防いでみせましょう」
エルが真面目な顔で頷いた。
「二つ目は、ゴールドバーグ氏が我々を拒否する理由をつきとめること、だ。狙われた彼の宝に関するものかもしれないし、単純に警備のためとはいえ中に入られて見られては困るものが屋敷の中にあるのかもしれない。不正があるのならば、それを正すのも我々の仕事だ。この点の調査も、よろしく頼む」
「…了解。努力する、よ…」
瑪瑙も、いつもの調子で頷く。
「では早速、依頼を受けるという形で、ゴールドバーグの屋敷に潜入してくれたまえ。成功を祈る」

「これから一緒に仕事をするわけですね。あらためて自己紹介します。私の名前はエルダリオ=ソーン・フィオレット。エルと呼んで下さい」
フレッドの部屋を出ると、エルはそう言って瑪瑙に笑いかけた。
「…エル、ね…」
「…どうかしましたか?」
何やら含みのある答えを返す瑪瑙に、エルは不思議そうな目を向ける。
瑪瑙の記憶に残るその名前。そう昔のことではない。山奥の、閉鎖された村で起こった陰惨な事件。その事件に関わった仲間の一人の名だった。
男物の旅装束を身に纏い、自らも男性を称していたが、瑪瑙には一目でわかっていた。
…『彼女』は、今頃どこでどうしているのだろうか。
「瑪瑙さん?」
エルが重ねて問い掛けると、瑪瑙はやや目を細めた。
「…いいや、何でも。…俺のことは、瑪瑙と呼んでくれれば」
「変わった名前ですね。どちらのご出身ですか?」
「…さぁ、ね…どんな名前だろうが、どこの生まれだろうが、俺は俺…そうは、思わない?」
僅かに笑みを浮かべたままでそう言う瑪瑙に、エルは一瞬ドキッとさせられる。男性だとはわかっていても、ここまで綺麗な人間に微笑みかけられて冷静でいられる者はそうはいないだろう。
「そ、そうですね…失礼いたしました」
きっと聞いてはいけないことなのだろう。もしかしたら、この名前も本名ではないのかもしれない。そう思い、エルはそれ以上の追求をやめた。
「と、ともかく、とりあえずはゴールドバーグの屋敷に行きましょう。他にもたくさんの冒険者が集まっているかもしれません。頑張りましょうね」
「…そう、だね…」
やる気満々のエルに、やる気があるのかないのかいまいち読みとれない瑪瑙。
全く対照的なにわかコンビは、自警団の本部を出て中心街へと向かっていった。

「この度は、私の依頼に応え集まっていただいて誠に光栄です」
普通の人間が座ったならばたぶん埋もれてしまうだろうと思われるほど、無意味にボリュームの多い椅子に腰掛け、慇懃な口調でそう言ったのは、この屋敷の主人、アレックス・ゴールドバーグだ。
何というか、「悪趣味な成金」を絵に描いたような男だ。それだけであまり説明はいらない気もするが、年の頃はだいたい50代後半。座っている椅子に全く引けを取っていないボリュームのある身体に、悪趣味な模様のガウンのようなものを着ており、頭は完全に禿げ上がっていて、シミと皺だらけの顔に皮肉げな笑みを浮かべている。
「見たところ、皆さん非常にお強そうな方々ばかりだ。これなら、かの神出鬼没の女怪盗・ムーンシャインから、私の大切な宝を守っていただくことが出来るでしょう。守りきった暁には、皆さんには充分な謝礼をお支払いするつもりです。よろしくお願いしますぞ」
彼の前には、依頼を見て集まってきたと思われる冒険者が7人、顔を揃えていた。
そして、彼の言葉が終わったことを確認し、彼の傍らに無言で佇んでいた男が一歩前に出た。明らかに、他の7人とは違う立場にいるようだ。
「…じゃあ、とりあえず自己紹介から始めようか。これから一緒に、仕事をするんだしな」
男は気さくな感じでそう言うと、親指で自分を指した。
「俺は、ジェノサイド・ルインワージュ。ジェノと呼んでくれ。冒険者で、人間だ。…多分な」
言って、自分のセリフに苦笑する。
「しばらく前から、ゴールドバーグさんのボディーガードみたいなことをやってる。そのよしみで、今回も仕事をすることになった。よろしくな」
年の頃は、二十歳前後といったところであろうか。長い黒髪を無造作にたらしており、何かを隠すように、バンダナを巻いている。長い黒髪に、黒一色の戦闘服。頭のてっぺんから足の先まで真っ黒な中で、紅い瞳だけが妙に印象に残る。手には大きな槍。これが彼の武器なのだろう。ダークな風貌に反し、表情は豪快で、気さくな感じだ。
ジェノの自己紹介が終わったのを確認し、一番端にいたミケが口を開いた。
「ミーケン=デ・ピースです。ミケと呼んで下さい。まだ修行中の身ですが、魔術を少々扱えます。よろしくお願いします」
続いて、その隣にいたディー。
「ディーです。武器は…このダガーですね。戦士の方々のようには戦えませんが、器用さには少し、自信があります。怪盗を捕まえるお役に立てば…と思います」
さらに、ルフィンが続く。
「ルフィン・シーズだ。ルフィンでいいよ。魔法とかはからっきしダメだけど、この拳にはちょっと自信あるぜ!よろしくな」
言って、右腕だけでガッツポーズ。
そして、その隣に並んでいたクルム。
「クルム・ウィーグです。この中では最年少、かな。一応、この剣が武器です。よろしく」
少々かしこまって、ぺこりとお辞儀をする。
クルムの横には、ぐっと雰囲気が変わった美青年が二人。
「…俺のことは、瑪瑙、とでも呼んで。…武器は、この剣。…とりあえず、足手まといには、ならないと思うけど」
瑪瑙はそう言って、僅かに目を細めた。
「エルダリオ=ソーン・フィオレットです。知識神フェリオーネスに仕える神官戦士です。我が神とは裏腹に、力技が得意ですが…ともあれ、よろしくお願いします」
エルもそう言って、爽やかに微笑む。
そしてその隣には、新顔の少年。歳はクルムと同じか、やや上と言った感じだろうか。薄い茶色の髪に、少し気の強そうな目元。頭にはバンダナを巻いていて、少し幼さの残る顔つきと、標準より少し低めの身長が、独特の雰囲気を醸し出している。
「初めまして。ヴォイス・コードウェルだ。ヴォイスでいい。武器はこの剣。ちったぁ、役に立てると思うぜ。よろしくな」
7人全員の自己紹介を聞き終えて、ゴールドバーグは満足そうに頷いた。
「大変結構ですな。皆さん、よろしく頼みますぞ。ムーンシャインが予告をしてきた満月の夜までは、あと5日です。それまでに、この屋敷の中を把握して、万全の体勢で警備していただきたい。案内は、ジェノ殿にお願いしたいのだが…」
「わかりました。じゃあ俺は、皆さんを連れて屋敷を案内します」
ゴールドバーグの言葉に応え、ジェノはさっと部屋の入り口まで移動した。
「じゃあ、屋敷を案内するぜ。ついてきてくれ」
ジェノはドアを開けながら、振り返って7人の冒険者にそう言った。

そして現れる奇妙な人々

「それにしても、また皆さんと会えるなんて、素敵な偶然ですね」
ジェノに案内されながら、ミケが嬉しそうな顔を、旧知の仲間に向けた。
「そうだな。オレもここに来て、みんなの顔を見たときはびっくりしたよ」
クルムも、心なしかうきうきした表情で、その言葉に応える。
「みなさん、お知り合いなのですか?」
後ろから、興味深げにエルが訊ねると、ルフィンがそちらの方を向いた。
「ああ。前にちょっと、一緒に依頼を受けたことがあったんだ。それはミケの依頼だったんだけど、道中にちょっとした事件があってね」
「…ちょっとした事件?」
「ええ、まぁ…」
不思議そうに首を傾げるエルの視線から、皆が一様に目を逸らした。
悲しい結末を迎えた事件。その記憶が関わった者達の心に傷を残したのは、そう昔の話ではない。
「そん時は、ミケと、あたしと、クルムと、瑪瑙…あともうひとり、あんたと同じ愛称のやつが一緒だったよ」
「私と同じ?…ああ、それで」
エルが納得いったというように笑顔で頷いた。
「どうかしたのか?」
「いいえ、瑪瑙さんが、私の名前に何か感慨がありそうでしたので。それで納得いたしました。…そうですか、みなさんすでに顔見知りという訳なのですね」
「それなら、やりやすいだろうな。だが、初顔合わせの俺達とも仲良くしてくれよ」
「それは、もちろん。よろしくお願いします」
ジェノの言葉に、ミケが笑顔で頷いた。
「…おや、しばらく来ない間に、見慣れない顔が増えましたね」
その時、前方から声が掛かった。皆が一斉にそちらの方を向いたが、声の主を確認して、ジェノが安心したように破顔する。
「これは、先生。お久しぶりです」
先生と呼ばれた男性は、挨拶の替わりににっこりと優雅な微笑みを見せた。
年の頃は20代後半といったところだろうか。流れるような黒髪を胸元のあたりまで伸ばしており、光の加減によって時折金色にも見える瞳は、憂いをたたえた独特の風情を醸し出している。浅黒い肌と尖った耳をしていることから、大地の女神の従属人種・ディセスであることがうかがえた。繊細で端麗な容貌は、どことなく瑪瑙と似通った雰囲気がある。
「お久しぶりです、ジェノさん。…そちらの方々は?」
「ああ、ゴールドバーグ氏の依頼を受け集まってきた冒険者さん達ですよ。…例の、怪盗の件で」
「ああ…ムーンシャインの。それは頼もしいことですね」
ジェノに向かってそこまで言うと、男性は冒険者たちの方を向いて、にこりと微笑んだ。
「…初めまして。クライシュベルツ・リッタルトと申します。この近くにある教会に住まわせていただいて、我らが神に関する研究をしております。こちらのお屋敷とは、色々と懇意にしていただいておりまして…そのよしみで、こちらのご子息とご息女に、マナーから勉学までひととおりをお教えしています。ですからここの方々には『先生』などとお呼びいただいてはおりますが…クライツ、とお呼び下されば結構です」
持って回った言い方をしているが、教会に寄付をしてもらっている見返りに家庭教師に来ている神学者、ということであるらしい。
冒険者たちも、ひととおりクライツに自己紹介と挨拶をした。
クライツは笑顔で頷きながらそれを聞いていたが、ひととおり終わると、少し眉根を寄せた。
「それにしても、ムーンシャインですか…ジェノさん、ゴールドバーグ氏はまだこちらに?」
「は?あ、ええ、今日はずっとここにいるはずですが…」
「…よろしければ、私もこのメンバーの中に加えていただきたいのですが…」
「え、どういうことです?そりゃ」
唐突なクライツの申し出に、ジェノが面食らった顔をする。
「いえ…いくら怪盗とは言え、もとは善良な人間であるはずです。私で叶うものなら、穏便に捕らえて、こんな事をもうやめるように説得したいのです」
「なるほど…いや、ゴールドバーグ氏は余裕があったらまだ冒険者を雇い入れる気でいるようでしたから、大丈夫だと思いますよ。おそらくは謝礼の方も…」
ジェノの言葉に、クライツは目を閉じてかぶりを振った。
「謝礼など…私は、誰も怪我人や悲しむ人を出さずに、事を鎮めたいだけです」
そしてまた、冒険者たちに向かってにっこりと微笑む。
「そういう訳ですので、これからもよろしくお願いします。曲がりなりにも神に仕える身ですので、人を傷つけるような道具はあいにくと持ち合わせておりませんが…もしお怪我をしたときは言って下さい。私に皆さんの支援が出来れば、これに勝る喜びはありません」
やわらかで、それでいて隙のない、人を魅了する微笑み。
だがその金色の瞳の奥に潜む鋭い輝きに、果たして何人が気がついたことだろうか。

「こっちが、執事や使用人達の部屋だ」
新たに加わったクライツを連れ、ジェノは引き続き冒険者たちに屋敷を案内していた。
「ゴールドバーグ氏の取引とは別に、この屋敷内のご用聞きや出入りの商人なんかも、ここから出入りする。意外と警備の盲点になるかもしれないな」
「そうですね、ここが一番、外との出入りが激しいところであると思われます。もし、屋敷の中をそれとなく探ろうというなら、ここから出入りの商人の振りをして入るのが一番でしょうね」
ジェノの言葉に、ミケも真面目な顔で頷く。
と、その言葉を待っていたかのように裏口のドアが開いた。
「ごめんください」
「はーい」
来客に、隣の部屋で控えていたメイドが明るい声で返事をする。
「何か?」
入ってきたのは、二十歳を過ぎたかどうか、というくらいの、若い青年だった。
深い緑色の髪に、茶色い瞳。顔立ちは整っていて、割と軽装な旅装束に、大きなリュックサックを背負っている。若い見た目の割に、少し低めのよく通る声がアンバランスな感じだ。
「旅をしながら各地の街を回って、村の工芸品を売って歩いているんです。こちらでも一つ、買っていただけないかと思いまして…」
「あー…うちでは、ちょっと…あ、けど、うちの旦那様は、手広く貿易をしていらっしゃいますから、もしかしたら、取引をして下さるかもしれませんよ」
「ほ、本当ですか?ありがとうございます」
「今日はあいにくと、来客の予定がいっぱいですので…サンプルをいただければ、旦那様にお見せすることくらいは出来ると思います」
「わかりました、では…」
彼はそう言うと、大きなリュックサックを床に置き、中からごそごそと何かをとりだした。
「これです。よろしくお願いいたします」
彼が取り出したのは、手のひらサイズ程度の置物だった。丸く奇妙な形をしているが、細部にまで施された細工が目を引く。相当の腕の職人が作ったのだと思われた。
「わかりました。どちらにご連絡すればよろしいですか?」
「この街には、しばらく留まっている予定ですので…『真昼の月亭』に宿を取っております。そちらにご連絡をいただければ…」
そこまで言って、青年は初めて、部屋の入り口に集団で佇む冒険者たちに気がついたようだった。彼は最初、屋敷にそぐわぬ雰囲気の者達を不思議そうに見つめていたが、急にびっくりしたような顔をすると、側にいたメイドに聞いた。
「あ、あの、失礼ですが、あの方々は?」
「ああ、あの方達ですか?旦那様がお雇いになった、冒険者の方々です」
「冒険者?こちらのご主人は、また何故冒険者を?」
「数日ほど前に、こちらのお屋敷に怪盗ムーンシャインからの予告状が届いたのです。それで、ムーンシャインから大切な宝を守るために、お雇いになられたのですわ」
「そ、そうですか…」
青年は妙にそわそわしてこちらとメイドを交互に見たが、やがて慌てた様子でリュックサックを再び背負った。
「え、ええと、『真昼の月亭』にいますので、もしお取り引きをしていただけるようでしたら、そちらにご連絡下さい」
「承知いたしました。お名前をお伺いしてよろしいですか?」
事務的な口調でにっこり微笑むメイドに、青年は名前を言い忘れていたことを思い出したのか、慌てた様子で言った。
「あ、そ、そうでしたね。わたくしの名前は…」
そこでようやく平静さを取り戻し、落ち着いた口調になる。
「ランスロット、といいます。では、色好いお返事を、お待ちしております」
青年はそう言うと、冒険者たちの方をちらりと見やり、そのままそそくさと裏口から出ていった。
その一部始終を、冒険者たちは無言で見守っていたが、やがてルフィンが、青年が出ていったドアを指さし、一言。
「…あんな風に、か?」

あからさまに怪しいランスロット青年のことはひとまず置いておいて、一行はジェノの案内でさらに屋敷の奥へと入っていった。
さすがに、ヴィーダ一の貿易商人というだけあって、屋敷は無意味に広い。ジェノの話によると、ゴールドバーグ個人が所有する美術品などは屋敷の一番奥まった部屋で厳重に管理されているらしい。
「ここが、その部屋だ。いつもはゴールドバーグさんしか入れないんだが、今日は特別に鍵を借りてきた。狙われた宝が何であるのか、確認して欲しいそうだ」
ジェノはそう言って、持っていた鍵を鍵穴に入れた。
と、その表情がさっと厳しいものに変わる。
「どうかしま…」
訊ねようとするミケを手で制し、ジェノは声を抑えて言った。
「…中に誰かいる」
冒険者たちの顔色が一斉に変わった。
ジェノはそっと鍵穴から鍵を抜き、ドアに耳を当てて中の様子を伺った。
すると、音もなくディーが前に歩み出て、手振りでドアの前からジェノを退かせる。彼は同じようにドアに耳を当て、音を立てないように慎重にドアノブを回すと、一気にドアを開けて中へ飛び込んだ。
一瞬の出来事だった。
ディーは中へ入ると、部屋の中央にあるガラスケースの傍らに佇んでいた黒い影に、一気に詰め寄り、飛びかかった。
だが、おそらく不意打ちであっただろうにもかかわらず、黒い影はディーの攻撃を間一髪でかわし、部屋の隅に飛んで間合いを取った。
「…何者ですか?…というのは、愚問ですね。泥棒に向かって」
ディーは厳しい表情で、部屋の隅に佇む黒い影に言った。
部屋は窓もなく、明かりもなく、真っ暗だ。入り口から射し込む光が、かろうじてディーを照らしている。黒い影の顔も姿も、あまりよく見えない。
あとから入ってきたジェノが、部屋の明かりをつける。魔法力を利用したランプが侵入者を照らすと、一部の冒険者たちが一様に驚きの声をあげた。
「…クラウン?!」
闇に溶ける黒髪に黒い道化装束。顔には常に道化師の仮面。
山奥の村で起こった陰惨な事件の関係者がまた一人。常に素顔を隠した青年は、自らをクラウンと名乗っていた。
「や、見つかっちゃった」
彼はいつもの飄々とした軽い口調でそう言うと、手をひらっと上げた。
「久しぶりだね。ミケに、クルムに、ルフィンに、瑪瑙…だっけ?また会えるなんて、嬉しいよ」
「…お知り合いですか?」
ディーが訝しげな顔をミケ達に向ける。彼らは苦笑した。
「…ええ、やはり少し前の事件で、知り合ったのですよ」
そう言うと、ミケはクラウンの方へと歩み寄った。
「どうしたのですか?クラウンさん。こんなところで」
「んー、ここにムーンシャインの予告状が届いたって言うからさ、ムーンシャインに盗まれる前に、僕がその宝を盗んじゃおうと思って」
「…何のために?」
「面白そうだから♪」
即答。
クラウンを知る冒険者たちは一様に溜息をついた。
「なぁクラウン、どうせムーンシャインと争いたいんだったら、やつを捕まえる方に回ってみないか?」
苦笑しながら、クルムがクラウンに言った。
「捕まえる方?」
「ああ。俺達、ここの人に、ムーンシャインからその宝を守るようにって雇われたんだ。もしかしたら、彼女を捕まえて素顔を見ることだって、出来るかもしれないぜ?」
「うーん…どうしよっかなぁ…」
クラウンは顎に手を当てて考え始めた。
「なぁ、宝ってこれか?」
そんなクラウンを尻目に、ヴォイスが部屋の中央にあるガラスケースを指さした。
他の冒険者たちも興味深げにガラスケースに近寄る。
ガラスケースの中にあったのは、小さな置物だった。翡翠で出来た妖精の彫刻が、不思議な色をした丸い宝石を抱いている。妖精の彫刻の細工だけでも見事なものだが、抱いている宝石の方は今まで見たこともないほど美しく、惹きつけられた。
「これは、一体…?」
呆然とした様子で言うエルに、ジェノが苦い顔をした。
「わからねぇ。ゴールドバーグさんも、これが何なのかは詳しくは教えてくれなかったんだ。一体こんなすげぇもんを、どこで手に入れたのか…」
おそらく正規のルートで手に入れたものではないのだろう。ジェノは言外にそう語っていた。
「これが何であれ、私達の仕事は怪盗ムーンシャインからこれを守り、そして可能ならば、彼女を捕らえること…ですね」
落ち着いた様子でクライツが言うと、冒険者は互いに厳しい表情を向けあった。

ガラスケースの中で、出所不明の美しい彫刻が、ひっそりと佇んでいる。
事件はまだ始まってはいない。
だが、誰もが、予感に胸を高鳴らせていた。
まだ見ぬ美しき女怪盗の姿を、思い思いに描きながら。

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