ヴィレグ-Moonless Beast-

「…騙してたの…?」
凍り付くような沈黙の中で、最初に言葉を発したのは、クラウンだった。
何かをぐっと我慢するような、震える声で、続ける。
「僕を助けてくれたのも…ケガの手当をしてくれたのも…みんな、嘘だったの…?
君のこと…すごく大事に思ってたのに…僕のこの、仮面を見ても、他のみんなみたいに避けたり疑ったりしなかった…普通の人と同じように接してくれた…君がもし、ヴィレグに襲われるようなことがあったら、どんなことをしてでも守ろうと思ってたのに…」
それは、冒険者たちが初めて聞いた、クラウンの本心だった。
こんな形で聞くことになるのは、悲しいことであったが。
だが、カレンは苦笑して、クラウンに向かって応えた。
「それは違うわ、クラウン」
銀色の髪をゆっくりとかきあげて、馬鹿にしたような笑みを漏らす。
「あなたを助けたのも、ケガの手当をしたのも、嘘なんかじゃない。
だって、この村に引き留めるために、あなたを襲ってケガをさせたのは、私だもの」
冒険者たちの視線が、一斉にカレンに集まった。
「あなた、とってもすばしっこいから、死なないようにケガをさせるの、とっても大変だったのよ。でもあなたが現れてくれたのは、本当に幸運だったわ。あなたがいなかったら、よそ者の娘の私が疑われるのは目に見えていたものね。でもあなたのその格好と、その性格のせいで、村のみんなも簡単にあなたを疑ってくれた。とってもやりやすかったわ。今はバレちゃったけど…お礼を言うわね、ありがとう」
「…くっ…」
明らかに見下したカレンの物言いに、クラウンが苦々しげに息を吐く。
「…許さない…」
そして、手に持った鎌をゆっくりと構えて、低い声で呟いた。
「…絶対許さないよ…っ!!」
「クラウン!!」
「クラウンさん!!」
仲間たちが静止する暇もなかった。
クラウンは一気にカレンに向かって走り出すと、目にもとまらぬ速さで距離を詰め、大きな鎌をカレンの頭上に振り下ろした。
だが。
がきっ。
カレンは頭上に手を上げると、振り下ろされた鎌の柄をいとも簡単に受け止める。
「…?!」
クラウンは信じられない様子でそのまま着地すると、カレンに捕まれた鎌を奪おうと力を込めた。
だが、鎌はカレンに捕まれたまま、びくともしない。
カレンは不敵に唇の端をゆがめると、鎌を持ったまま静かに言った。
「…あなた…確かにとってもすばしっこいみたいだけど。力は、そんなに無いのね。この鎌を使ってみて判ったわ。見かけに反して、驚くほど軽い。あなたのお手製の鎌なのかしらね?つまり、こんなに軽い鎌しか扱えないほど、あなたの力は弱いって言うこと」
そして、クラウンが持ったままの鎌を、彼ごと横に薙ぎ払う。女性の細腕から出たとは思えない力で、クラウンは薙ぎ倒され、木に激突した。
「あなたには、私は倒せないわ。残念だけど」
金色の瞳を嬉しそうに細めて、カレンは言った。自分の手のひらをじっと見つめ、ゆっくり閉じて、再び開く。
「私は違う。私はあの頃とは違う。私には力があるの。ヴィレグが与えてくれた力が」
「ヴィレグが…与えた?」
訝しげな顔をしてミケが問うと、カレンはそちらに顔を向けた。
「ええ。もう…気付いている人もいると思うけど。私だって、元々ヴィレグだった訳じゃないわ。キラたちが解いた封印…あれは正真正銘ヴィレグのもの。封印から解放されたヴィレグは、依代として私を選んだの」
「依代…?」
「ヴィレグは、精神体だった、ということですか。何かに寄生しなければその生命を保つことができない…人間に寄生し、力を与える代償に、人間の心臓を狩らせていた…と」
「近いけど、惜しいわね。まぁ、言い方を変えただけかもしれないけど」
ミケの指摘に、カレンは苦笑を返した。
「ヴィレグには、そんなにはっきりとした意志はない。ただ、心に大きな憎しみを抱えた者にとり憑くだけ。ヴィレグがとり憑いた人間は、この姿に変化して、巨大な力を得ることができるの。ただ、そのかわりに、どうしても人間の心臓が欲しくてたまらなくなる…他の何を食べても満足しない、飢えが満たされない。そうなってしまうだけ。でもとり憑かれた者にとっては、好都合なのよ。自分が憎む者の心臓を食べれば、渇きは癒されるんですもの。陽の光と月の光の持つ魔力に弱い、っていう弱点は、あるんだけどね」
カレンは夢見るような眼差しで、頭上にある自分が作り出した銀色の光を見つめた。
「昔…全国に名を轟かせたはずの冒険者たちが、何故ヴィレグを倒せなかったか、わかる?ヴィレグが、彼らの仲間にとり憑いたからよ。どんな強者も、仲間には気を許す。そして、近しければ近しいほど、信頼と同時に、憎しみの種も多く潜んでいるもの。冒険者たちは、未知のモンスターにでなく、自らが巻いた憎しみの種で、次々と命を落としていったの…」
そして、俯いて、クックッと肩を震わせた。
「ヴィレグがあなたを依代に選んでしまうほどの…それほどに深いあなたの憎しみとは…一体、何なのですか?あなたは何故、あの方たちをそれほどまでに憎んでいるのですか?」
「そうだよ…聞かせてくれ。オレ達を助けて泊めてくれたのもみんな計算ずくだったとしても、あんたの優しさの全てが嘘じゃないはずだ。どうしてそこまで、あいつらのことを…?」
ミケとクルムが口々に言うと、カレンは悲しそうに微笑んだ。
「聞いて、くれるの…?優しいのね」
そして、きっと鋭い表情になり、吐き捨てるように呟く。
「あいつらとは、大違い…!」

「そうね…どこから話せばいいかしら」
カレンは不敵に微笑んだまま、視線を遠くに泳がせた。
「すべては…そう、私のお父さんが、この村に迷い込んできた時から、始まっていたのかもしれない…」
「迷い込んできた…?」
訝しげな顔をしてクルムが問う。
聞いた話によれば、この村は完全に外部の人間を拒否してきたと言うことだが…?
「瑪瑙には、もう話したわね。私のお父さんは、外の人間なの。ある日、この村に迷い込んできたところを、お母さんに助けられた…だけど村の人達は、お父さんが外の世界に帰っていくことを許さなかったの。外の人達に、この村の存在を知られてはいけないって。お父さんはこの村に一生留まるのを条件に、命を助けられた…そして、お母さんと結婚した。つまり私は、よそ者の子供、っていうわけ」
カレンは自嘲気味に笑うと、冒険者たちに視線を移した。
「この村でよそ者って言うことがどういうことなのか、あなたたちならもうわかるわよね?私達家族は、村の人達から嫌われて、無視され続けてきたの。村の人達の機嫌を少しでも損ねたら大変なことになった。息が詰まるような生活が続いたわ。お父さんが外で身につけていた建築技術で、噴水を作っても、壊れた家の修理をしても、村の人達は私達を受け入れてはくれなかった。私達が、よそ者の一家であるって言う、ただそれだけのことでね」
カレンの悲痛な表情が、彼女の今までの生活の辛さを物語っていた。それは、村人に疑われた冒険者たちだからこそ、痛いほどわかる。
「でもね…とうとう、耐えられなくなってしまったの。まるで人間以下の存在のように扱われる生活に。お父さんは、外ではそれなりに財産も地位もある人だったのに。だから…みんなで、決めたの」
そこで言葉をきって、一呼吸置くと、カレンは静かに続けた。
「この村を、逃げだそうって」
冒険者たちの表情に、驚きの色が走る。
「もちろん、この村を出るって言うことは、それなりの覚悟と計画が必要だったわ。村の人達にばれないように、綿密に計画を立てて、計画を実行して…けれど。上手く行かないものね。私達が家にいないことがすぐにばれて、村の男達が森の捜索に出たの。私と、お兄ちゃんと、お父さんと、お母さんと、おばあちゃん…村中の捜索に、年老いた人を連れて逃げ切れるわけがなかった。私達は、すぐに見つかってしまった…」
カレンはうつろな目で俯いた。
「今でもはっきりと思い出せるわ。すぐそこに迫ってきていた、たくさんの松明の明かり。『いたぞ!』っていう、村長の声…けど、見つかるまさにその直前、突然私は、後ろから口をふさがれて、茂みの中に引きずり込まれたの」
「…茂みに…?」
予想外の展開に、ガイキが首をひねる。
「…私、びっくりして…でも口を塞がれていたから、悲鳴をあげることもできなかった。そしたら、耳元で『喋るな』って言ったの。その声には聞き覚えがあったわ。村でも何かと悪い評判の絶えない4人組のリーダー、キラ…」
「…それって…キラが、カレンを助けた、ってことか?」
ルフィンが混乱した様子で問うと、カレンはそちらの方に、鋭い笑みを向けた。
「その時は、私もそう思ったわ…同時に、何で、とも思ったけど。けど、お父さん達は、そのまま村人に見つかってしまった。私はキラと茂みの中に隠れたまま、その様子をずっと見ていたわ。…お父さん達が、殺される様子を、ずっとね」
ぞくっとするような笑みを浮かべ、カレンは続けた。
「私が言うのも変かもしれないけど…人間って、あんなにも残酷になれるのね。それも、私のように魔物にとり憑かれてもいない彼らが、よ?…まずは怯えて立っていることもできなかったおばあちゃんが…次に、それを見て逆上して、反対に村人達に向かっていったお兄ちゃんが…そして、二人の亡骸に駆け寄っていったお父さんが…お母さんが殺されるときには、もう3人が殺されたショックで、狂ってしまっていたわ。私は声をあげることも、そこを動くこともままならないまま、ただそれを見つめて、涙だけを流していた…」

「それから…村の人達が私を捜して別の場所に行ってしまったあとで、キラは私を家に連れて帰ったの。そして、私は必死に止めたんだけど、半ば無理矢理家族に外に連れていかれそうになった、怖くなって途中で逃げ戻ってきたことにしろって言われたの。私、お父さんやお母さんのこと悪く言うのはイヤだっていったんだけど、でないと殺されるって言われて…お父さん達が殺されたのを見たあとだったから…私、怖くて…言うとおりにしたの。そして、もう二度と逃げ出さないって言う条件で、私は殺されずに済んだ…」
冒険者たちは黙ってカレンの話を聞いていた。
話はまだ中核には至っていない。確かに、カレンの話が事実だとすれば彼女にとってこんなに辛いことはない。
だが、まだ、彼女があの4人を憎む理由にはなっていない。
「けど、本当に恐ろしかったのは、むしろその後だった。キラは、仲間…いえ、彼の取り巻きの3人を連れて私の家に来ると、助けてやった恩を返せと言って…」
そこで、何かに耐えるように唇を噛みしめると、絞り出すような声で、続けた。
「…私を、犯したの」
冒険者たちの顔に驚愕の表情が走る。
そして、誰も気付かなかったが、彼女の傍らの木に打ち付けられてくずおれていたクラウンの身体が、ぴくりと動いた。
「キラ以外の3人が、私を無理矢理押さえつけて、服を引き裂いて…もちろん抵抗したわ。だけど、彼は言ったの。言うことを聞かなければ、村人に真実を全てばらすって。逃げだそうとした上に、村人を騙したっていうことが判れば、どんな目に遭うかわからない、って…私、言うことを聞くしかなかった…口惜しかったわ…」
そう言って、カレンは両腕で自分の身体を抱き締めた。
「けど、それで終わりじゃなかった。彼らは事あるごとに私の家に来ると、よってたかって、好き放題に私の身体を弄んだわ。私はやっぱり、彼らの言うとおりにするしかなかった…もう家族はいない。村の人達は相変わらず。いいえ、逃げだそうとした一件があってから、ますます風当たりは強くなっていたわ。私の味方は誰もいない。死んでしまおうかとも思ったわ。けどやっぱり死ぬのは怖かった…」
そして、眉を寄せ、表情をゆがめる。
「あいつら…笑いながら私に言ったのよ…お前はこの村では存在価値のないクズなんだから、せめて俺達の公衆便所になるくらいには役に立ってもらわないとな、って…っ!」
ぎりっと、歯が軋む音がした。
「許せない…!ただこの村の人間だったって言うそれだけの理由で、それ以外の人間を支配したり、傷つけたり、殺したりしていいとでも言うの?!外の人間の子供って言うそれだけの理由で、何故私がこんな目に遭わなければいけないの?!クズですって…?公衆便所ですって…?!あいつらに、私のことをそんな風に言う権利が、どこにあるって言うの?!」
豊かな銀髪が、ふわりと膨らんだ。と同時に、金色の瞳から涙がとめどなく流れ落ちる。
だがその表情は、瑪瑙に見せたような、抑えきれない辛さと悲しさを感じさせるものではなかった。
その表情から伺い知れるのは、溢れ出る怒りと憎しみ。自分を虐げたものへの、復讐の念。
その表情はまさしく、魔獣と呼ぶにふさわしいものであった。
カレンはふっとその表情を解くと、またもとの不敵な笑みを浮かべた。
「…けど、あの日…キラたちがヴィレグの封印を解いて、ヴィレグが私の身体に入ってきた…ヴィレグは意志のない精神体だけれど、記憶は残っているの。私はチャンスだと思ったわ…あいつらに、私が受けたのと同じくらいの苦しみを味あわせてやるって…一人ずつ、恐怖をあおるように殺していくの…次は自分かもしれない恐怖に怯える姿は、とても小気味よかったわ…ふふふっ…」
肩を震わせてひとしきり可笑しそうに笑うと、カレンはミケの方を向いた。
「後はあなたの言った通りよ、ミケ。罪を被って貰うために、たまたま近くに通りかかった旅人…クラウンを襲ってケガをさせ、変身を解いて介抱した。話があるって言ってアセイを呼びだして殺し…そこにあなたたちが現れたから、慌てて私もヴィレグに襲われたように演じた…まさかそれが裏目に出るなんてね。せめてあと一人、キラを殺した後なら、バレてもいいかなとは思っていたんだけど…でも」
「…でも…?」
クルムが先を促すと、カレンはにっこりと微笑んで、言った。
「バレたからって、私はやめるつもり、ないから。キラを、この手で、殺すことを」

カレンはそう言って、踊るようにくるりときびすを返した。
呆然とした様子で彼女の話を聞いていた冒険者たちが、その言葉を合図にハッと我に返る。
「ダメだ!やめてくれ、カレン!」
最初に制止の言葉を発したのは、クルムだった。さっと駆け出して彼女の前に回り込み、阻む。
「確かにあいつらは酷いことをあんたにしたよ。でも、だからって殺しちまったら終わりだろう?!オレ達に優しくしてくれたことも全部計算ずくだったとしても、あんたの優しさ、笑顔、その全てが嘘だったわけじゃないはずだ!これ以上…罪を重ねちゃダメだ!」
痛々しい表情で、そう語る。
「そうです…優しいあなたが、これ以上人を殺すところなんて、ボクは見たくない」
やや遅れて駆け寄りながら、アナスタシアも必死に説得をした。
「ボクはまだあなたとも、ここにいる皆さんとも知り合って間もない…けれど、皆さんとても優しくて、強い方々ばかりでした。ボクは誰も疑いたくなかった…ヴィレグが本当に、ただのモンスターなら良かった。けどあなたがヴィレグだというのなら、ボクは仲間として、友人として、あなたにもうこれ以上罪を重ねて欲しくない。魔性に身を委ねてしまっては、駄目です!」
口元にうっすらと笑みを浮かべ、だが目はうつろなまま、カレンは黙って二人の説得を聞いている。
その背後から、ミケがゆっくりと歩み寄りながら、言った。
「人を恨んで、殺して…一時的にはそれでいいかもしれない。でも、そんなどうしようもない奴等の命を奪うために、その白い手を汚すべきじゃない。…許せとはいいません。けれど、気に入らないものを力ずくで傷つけ、殺すのは…」
そこで、しばし沈黙し、一呼吸置いて、続ける。
「…それは、キラたちのやっていることと同じです。違いますか?」
カレンの肩が、微かに震える。
しばしの沈黙。
やがておもむろに、カレンはミケを振り返った。
「…何を当たり前のことを言っているの?」
にっこりと微笑んで、可笑しげに笑う。
「あの人達が私をこんな風にしたの…だから私も、あの人達に同じ事をしてあげるの。あの人達にいいようにされた時から…いいえ、キラに助けられて、家族を目の前で殺されたときから、もう私の心は壊れていたのかもしれない。でも私には力がなかった。日毎にふくれあがり、あふれ出してくる憎しみを、ただ持て余すしかできなかった…」
そして、順々に冒険者たちの顔を見渡した。
「ねぇ、わかるかしら?私を弄んだあの人達が憎いの。私をこんなにした村の人達が憎いの。憎くて憎くてたまらないの。人を殺すのがいけないことだなんて百も承知よ。だけどどうしようもない。あふれ出す憎しみを、理性で止める事なんて出来なかった。それでも、私が何の力もない小娘のうちはよかったの。だってどうすることもできないんですもの。でも…」
そこで言葉を止め、自分の手をじっと見る。
「私は力を手に入れてしまった。憎しみを吐き出す術を知ってしまった…もう、戻れないの。私はもうヴィレグ…魔物なんですもの」
「はぁぁっ!」
カレンの言葉を遮って、ルフィンが唐突に気を吐いた。
カレンの死角から、高く跳んで踵落としをくり出す。
カレンは素早く振り返ると、両腕をクロスしてそれを受け止めた。がっ、と鈍い音が、辺りにこだまする。ルフィンはちっと舌打ちして、そのまま後方に宙返りして地面に着地した。
「ルフィン?!」
「何をするんです?!」
仲間達が驚いて駆け寄ろうとするのを、ルフィンは素早く振り向いて静止した。
「カレンはあたしが何とかくい止める!ミケ達はキラを早くどっかに隠してくれ!」
「…!そうか!わかった!」
クルムが合点顔で村の方へときびすを返す。ミケとアナスタシア、ガイキがそれに続いた。
「でもクルムさん!キラさんの家、知ってるんですか?!」
「知らねーよ!手当たり次第家を回るか、さもなきゃ村長にでも聞けばわかる!」
「でも皆さん寝ていますよ?!」
「こんな時にんな事言ってられっか!人の命がかかってるんだぞ?!たたき起こすんだよ!」
「…わかりました!」
4人が去ってしまった後で。
ルフィンは、村の方向を向くカレンを遮る形で、彼女と対峙していた。
そして、ルフィンの後ろには、いつの間にか移動していた…瑪瑙。
カレンは相変わらず、うっすらと笑みをたたえていた。

「邪魔をしないで…」
「そう言うわけにも行かないんでね…悪いけど、ちょっと眠ってもらうぜ!」
ルフィンは厳しい表情でそう宣言すると、腰を落として反動をつけ、一気にカレンに詰め寄った。
狙いは、腹部。
だが、カレンは唇の端を僅かに歪めると、その動きを察知していたかのようにするりとかわし、舞うように後ろに回り込んで、肘を思いきり背中にたたき込んだ。
「ぐはぅっ!」
衝撃と痛みに膝をつくルフィン。
カレンは後ろに飛んで間合いを取ると、またにっこりと微笑んだ。
「気絶させようと思っているでしょう?優しい人ね。だけど、それじゃあ私を止められないわよ。…殺すつもりでかかってこなければ、ね…」
そう言って、視線をかがんでいるルフィンから上へと上げる。
その先には…瑪瑙。
「…止めないでね…?」
彼女の言葉に、彼は答えない。ただ彼女と村との間に入るように移動し、僅かに腰を落とした。
それが、彼の答えだった。
カレンはすっと笑みをほぐすと、まっすぐに駆け出した。彼に向かって。
瑪瑙はカレンを迎え撃つ形で構えを取り、タイミングを見計らって彼女に拳をくり出した。
だが、その瞬間。カレンは何の前触れもなくすっと身を沈めた。
「…!…」
瑪瑙の拳は完全に空を切り、体制が大きく崩れた。
カレンはそこを狙って瑪瑙の足を払う。完全に体勢を崩された瑪瑙は、ルフィンと同じように地に手をついた。
カレンは瑪瑙をちらりと一瞥すると、そのまま村に向かって駆けていった。
「何やってんだ、追いかけるぞ!!」
いつの間にか復活したルフィンが、すでに追いかけながら瑪瑙に言う。
「…ああ…」
瑪瑙は小さく頷いて、彼女の後に続いた。
森に再び、静寂が戻る。
後に残されたのは、ライネの死体と、カレンが作り出した銀色の光球。
そして…クラウン。
木にもたれかかったままぐったりしていたかのように見えた彼が、おもむろに右手を上げた。
そして、それをそのまま、自分の顔に…白いピエロの仮面に持っていく。
静かにそれを取り外すと、彼の素顔が露わになった。
まるで女性と見まごうような、美しい容貌。
「…憎い…か…」
自分の仮面をうつろな目で見ながら、クラウンは呟いた。
彼は、この仮面を付けることで、何もかもを隠したかった。
物心ついたときから、彼を苦しめてきた、この顔も。
自分の素性も、生い立ちも、本心も。
そして…自分の中に確かに存在する、邪悪な心も。
隠せるのだろうか。自分は隠せているのだろうか。
ふとしたことで爆発してしまいそうな、この心を。
クラウンは俯いて、目を閉じた。
彼には、カレンの狂気が、理解できる。

銀色の光の届かぬ、茂みの陰で。
ナンミンは、まだ気絶していた。

「もしもーし!!開けてくださーい!おーい!」
家の扉をどんどん叩きながら、クルムは大声で中の住人に呼びかけた。
村長をたたき起こしてキラの家の場所を聞き、やってきたのだ。かなり盛大に騒いでいるので、家の明かりはすぐについた。それどころか、周りの家の人々も何事かと起きだしてきている。
ややあって、玄関のドアが乱暴に開かれた。中から、家の主人らしき中年男性が顔を出す。
「何なんだ!こんな夜中に!!」
「そんな事言っている場合じゃありません!キラさんはどこですか?!」
せっぱ詰まった様子で詰め寄るミケに、男性は勢いをそがれたように答えた。
「き、キラか?2階の部屋だが…」
そこでハッと我に返る。
「お前達、例のよそ者だな?!こんな夜遅くに、うちの息子に何の用だ!」
「説明している余裕はありません!失礼します!」
ミケは男性には目もくれずに、急いで中に入り、階段を駆け登っていった。他の者達も後に続く。
男性は無視されたことに余計に腹を立てたらしく、一番後ろのガイキの肩を掴んで、怒鳴りつけた。
「おいこら待て!人のうちに勝手に上がり込んで…」
「そんな事言ってる場合じゃねえんだよ、くそオヤジ!」
だが逆に、ガイキにものすごい剣幕で怒鳴り返されてしまう。
「てめえの息子が殺されるかもしれねーんだぞ!わかったらさっさとこの手を離せ!」
離せと言うまでもなく手を振りきると、ガイキも2階に駆け登っていった。
男性はしばらく呆然としていた様子だったが、やがてガイキの言葉を理解した。
「…何だって?!」
そして、やや遅れて2階へと駆け登っていく。
2階の奥まった部屋のドアを乱暴に開け、冒険者たちは中に入った。
「キラさん!」
一度面識のあるミケが、ベッドに寝ていたキラの姿を見つけて駆け寄る。
キラはあまりの騒がしさにすでに起きていたらしく、ベッドのそばのランプはついていて、眼鏡もかけていた。
「…なんだ、昼間のよそ者か…何の用…」
「キラ、今すぐここを離れるんだ!」
キラの言葉を遮って、クルムが言う。
「…藪から棒に、何だって言うんだ?一体何が…」
「ヴィレグが、あなたを狙っています」
キラの目をまっすぐに見つめて、ミケは努めて落ち着いた口調で言った。キラは眉を寄せると、
「…何だって?いったい何で僕が、ヴィレグなんかに狙われなければいけないんだ?」
「理由を今説明している暇はありません。ライネさんもすでに殺されています。次のターゲットは、あなたです」
「…ライネが?!」
そこで初めて、キラは表情を変えた。
「はい。ヴィレグはここに向かっているはずです。見つかる前に、どこかに隠れて下さい。早くしないと…」
「早くしないと、殺されちゃうわよ」
声は、別の方向から聞こえた。
キラも、キラの父親も、冒険者たちも、声の出所を探してきょろきょろと辺りを見回す。
と、突然がしゃん!というけたたましい音と共に部屋の木窓が壊れた。
そしてその奥から、銀髪の少女が進入してくる。
「……カレン…?」
キラは訝しげな顔でその少女の名を呼んだ。
もっとも、彼が知っている彼女は、ダークブラウンの髪と山吹色の瞳をしていて、角など生やしていなかったが。
カレンはキラに向かってにっこり笑うと、言った。
「こんばんは、キラ。夜分遅くに御免なさい。大事な用事があって」
「…こんな夜更けに、人の家の窓を壊して入ってまでの大事な用というのが何なのか、興味があるところだね」
キラは余裕がある様子だが、額には脂汗が浮かんでいる。
カレンはくすっと笑った。
「大したことじゃないのよ。ちょっとあなたを殺しに来ただけ」

カレンの瞳の奥に宿る狂気の光に、キラもただごとではないことを悟ったようだった。
「一体…何がどうなっているんだ?」
「あまり難しく考える必要はないわ。あなたたちは私に酷いことをした、だから私はあなたたちに仕返しをしているの。シンプルでしょう?」
カレンは無邪気に微笑んで、そう言った。
ミケとクルムが、二人を遮るように移動し、カレンと対峙する。
「…どいて…」
「もうやめて下さい…カレンさん。これ以上は…」
「どうしてもやめないって言うなら…オレ達は…あんたと戦わなきゃならなくなる…」
悲痛な表情で訴える二人に、カレンはまたにこりと微笑みかけた。
「ごめんなさいね…もう、後には退けないの。私の手はもう、血みどろなんだから…」
「それでも…」
入り口近くに、キラの父親と一緒に佇んでいたガイキが、押し殺したような声で呟いた。
「これ以上、あんたに手を汚してもらいたくはない…オレだって職業上、人を殺したことはある。だけどそれは、決して愉快な事じゃなかった。あんただって、楽しくて殺してたわけじゃないんだろう?それでももし、耐えられないって…どうしても殺すって言うんなら…」
ガイキはカレンからキラに視線を移して、表情を鋭くした。
「…オレが替わりに殺してやるっ!」
カレンのみならず、周りの者全てが驚いてガイキの方を見た。
「ガイキ?!」
「ガイキさん!」
ガイキは背中の剣を抜くと、キラが寝ていたベッドに駆け寄り、振りかぶった。
ぱきぃん!
だが、剣はキラに届く前に、鋭い音を立ててはじき飛ばされた。
いつの間にそこに移動したのか。キラの前に立ちはだかったカレンが、剣をはじき飛ばしたのだ。
素手で。
「…あら…意外と丈夫な剣なのね。折れるかと思ったのに」
カレンは無表情で、自分の左腕を見た。
ざっくりと切れている。手の甲から、肘の辺りまで。
「あなたの気持ちは嬉しいけれどね、ガイキ」
カレンは薄い微笑みを浮かべると、ガイキに歩み寄った。
「他の人に殺してもらっても、意味がないの。私が殺さなければ。私がこの目で恐怖に怯える表情を見て、この耳で断末魔の悲鳴を聞いて、この手で心臓をえぐり出してやらなければ。今まで私を虫けらのように扱ってきた奴らが、手のひらを返したように私に殺さないでくれって懇願するのよ…その願いを聞かずに、殺してやったときのあの恐怖と絶望に満ちた表情…肉を切り裂いたときの感触…ゾクゾクするほど気持ちがいいのよ!あなたには判らないかもしれないけど!」
そう言って、けたたましい笑い声を上げる。
その場にいた全員が、ぞっとした表情で彼女を見ていた。
ガイキの表情は、むしろ哀れむようなものだった。
「…あんたは…もう、人間じゃない」
「さっきもそう言ったわ。私は、魔物だって」
「もう、戻れないのか。人間には」
「…それも、さっき言ったわ」
「……」
「…邪魔をしないで、とも…ねっ!」
カレンは表情を鋭くすると、すっと身を沈めてガイキの胴にしがみついた。
「うわっ!」
驚いて体勢を崩したガイキを、そのままそばにいたミケとクルムに向かって投げ飛ばす。
「わっ!」
思わぬ攻撃に完全に不意をつかれた二人は、ガイキを正面から受け止めて、一緒に倒れ込んだ。
カレンはそちらには目もくれずに、震えて動くことも出来ずにいたキラのベッドに飛び乗る。
そして、3人が体勢を立て直せずにいるその隙に、一気にキラの左胸に手刀を突き込んだ。
ぐちゅっ…という生々しい音が、妙にはっきりと辺りに響き渡る。
キラの身体が、びくんっ、と一度、大きく跳ねた。
「…私は……じゃない…」
すでに光を失ったキラの目から、涙が一粒こぼれ落ちる。僅かに開いた口からは、赤黒い液体があふれ出していた。
「…私は、クズじゃない…」
怒りと憎しみの形相でキラを睨みながらそう言うと、カレンはキラの左胸に入れていた手を、一気に抜き放った。
「私は、クズじゃないっ!!」
血塗られたその手には、先程まで生きて脈打っていた臓器が握られている。
カレンはためらうことなく、それを口に入れ、噛みしめるのも惜しいというように一気に飲み下した。
その場にいた全員が、凍り付いたように動くことが出来ずにいた。
「ふ…っ…ふふっ…ふ、はは、あははっ、はは、きゃはははは!」
カレンは可笑しくてたまらないと言うように、身体を仰け反らせて、けたたましい笑い声を上げた。
と、突然、カレンは表情を凍り付かせて、びくっと身を震わせた。

全身を貫かれたかのような鋭い痛みが、カレンを襲っていた。
原因は分からない。ただその痛みの源は、先程ガイキの剣をはじき飛ばしたときに付いた傷であるようだ。
確かに、この傷を受けたときも、痛くないわけではなかった。だがヴィレグの力のおかげか、行動を制限されるほどの痛みではなかった。
だが今は、その傷が全身に向かって走っていっているかのような痛みを感じる。
(一体…何が…?!)
「ふふふ…」
その時、どこからともなく、女性の声が辺りに響き渡った。
「痛いでしょう…?あなたが受けた傷を、傷の痛みを、どんどんひどくする魔法なの…最初は小さな傷でも、かけ続けていれば殺すことだって可能なのよ…」
カレンも、他の者達も、声の主を捜して辺りをきょろきょろと見回したが、辺りには誰もいない。ランプの光の届く場所の他には、ただ闇が広がるばかりだ。
「あなたが魔物なら…まぁ、殺すしかないわね。言って反省しないんだもの、死ねば反省の一つもするでしょう。…『私』を『出した』ことを、後悔させてあげるわ…」
カレンはその女性の声に、聞き覚えがあった。だが…
そんなはずはない。自分で出した仮説を、かぶりを振って否定する。
それに、重要なのは声の正体が何かと言うことではない。この痛みから逃れる方法である。
カレンは苦い表情で左腕を押さえると、やおらベッドを飛び降り、入ってきた木窓から外に飛び出した。
声は『魔法』だと言っていた。ならば、術者の有効範囲外に出ればいい。カレンはそう考えたのだ。
「…おいっ、追うぞ!」
ミケ達と一緒に倒れていたガイキが、ハッと目を覚ましたように立ち上がって、カレンに続き窓から飛び降りた。クルムもそれに続く。ミケはさすがに2階から飛び降りるのは無理なので、急いで階段へと走っていった。
死体と、息子の死に呆けた父親だけが残された部屋には、ただ少女の艶妖な含み笑いだけがこだましていた。
…エルの笑い声が。
だが、エルのものではない、笑い声が。

「いましたか?!」
「…ダメだ、見失った」
カレンが消えた森の中で、手分けをしてカレンを探していた冒険者たちは、困ったように顔を見合わせた。
カレンを追って出たクルム、ガイキ、ミケ、アナスタシア。それに後から合流したルフィンと瑪瑙。クラウンとエル、それにナンミンの姿は見えない。クラウンとナンミンはまだあそこで気絶しているとしても、エルの姿が見えないのはどういう訳だろうか。
「キラは、どうなったんだ?」
厳しい表情で問うルフィンに、アナスタシアが俯いて首を振った。
「止められませんでした…もう、すでに…」
「そうか…」
「カレンの復讐は終わった…はずだよな。どうなるんだ、あいつ…?」
ガイキが言うと、ミケが厳しい表情で答える。
「いいえ、カレンさんの復讐は終わっていないと思います。彼女は…あの4人が憎い、それに村の人々も憎い、と言っていました。ヴィレグの性質から言っても、これで終わるはずがありません」
「このまま放っておけば、今度は村の人達を皆殺しにするって事か…」
クルムが顎に手を当てて、難しい表情になる。
「人を殺したって、何の解決にもならない。あの4人を殺して、村の人間を全て殺して、そうしたら次は誰を殺すんだ?終わらないんだよ。人を殺し続けている以上、あの子の復讐心が満足されることなんてありえない。誰かが…止めなければ…」
「…とにかく。またみんなで手分けして探しましょう。僕とアナスタシアさんは、カレンさんが村の人々を襲う危険性がありますから、村の方にいることにします。皆さんは引き続き、森の中を探して下さい」
「見つけたら…どう、するんだ?」
誰もが思っていたが口には出せなかった一言を、ガイキが口にする。
しばしの沈黙の後、ミケは答えた。
「…皆さんの判断に、おまかせします。カレンさんは、今ひどい傷を負っています。今なら…僕たちでも、倒せるはずです」
沈黙が落ちる。
「行きましょう。もうこれ以上…カレンさんに人を殺させるわけにはいきません」
ミケの言葉をきっかけに、冒険者たちはまたそれぞれ、森の中に散っていった。
瑪瑙は森の中を一人歩きながら、どこへともなく呟いた。
「…どっち…?」
すると、どこからともなく、あの声が響く。
『…こちらですわ…』
声だけでこちらと言われてもどちらだかわからないが、瑪瑙は『彼女』が言った方向がわかるらしく、今までと違う方向に視線を向けると、そちらに向かって歩き出した。
魔の気配のする方向へと。

「彼女」は、そう時間を待たずに、見つかった。
森の中で一人、左腕を押さえ、目を閉じて佇んでいる。
瑪瑙が近付いていくと、彼女はゆっくりと目を開き、こちらを向いた。
しばらく、お互い一言も発さぬまま、時は流れる。
その様子は、まるで恋人同士のようでもあった。
「…私を、殺しに来たの?」
「…君が、まだ人を殺し続けるというのなら…君を救うためにも、ね…」
「私を殺すことが、私を救うことになると、あなたは思うのね」
「…だって、そうでしょう?…俺の慰めは、君の心には、届かなかったようだから、ね…」
カレンは黙ったまま、瑪瑙を見つめている。
「…君は…可哀想な人、だね…そうやって、誰も受け入れずに、ただ人を殺すだけの魔物になってしまう、の?それで…君は、本当に、良いと思ってる…?」
カレンは目を閉じて俯き、そして肩を震わせた。
瑪瑙の表情が、訝しげに変わる。
肩の震えが大きくなると、声も漏れてきた。
笑い声。
カレンはやがて、顔を上げて声高に笑い出した。
「………」
「っふふ…御免なさい…あなたが、あんまり可笑しいことを、言うものだから…」
瑪瑙の眉が、わずかに寄った。
「じゃあ、瑪瑙。あなたに、そんなことが言えるの?」
「…どういう意味、かな…?」
「あなたはきっと、出会った女の子全てに、ああやって甘い言葉をかけているんでしょうね。けれど…あなたは誰も愛せない。誰にも心を開けない。あなたの記憶の中にいる誰かの面影を、消せないでいる…そうでしょう?」
「…自分の憶測だけでものを言うのは、感心しない、ね…」
「自分が本当に愛されているかどうかなんて、わからない女の子がいるとでも思ってるの?あまり、女の子をバカにするものじゃないわ」
カレンは厳しい表情で、そう言った。
それは、魔獣としての表情と言うよりはむしろ、普通の少女としての残酷さを思わせる。恋愛に対して夢を見ているかと思えば、妙に冷静で計算高い、あの特有の残酷さ。
「あなたとひとときの恋に落ちた女の子は、あなたが去ってもあなたを追いかけてこなかったんじゃないかしら?それはね、あなたの迷惑になるからと思っているんじゃない。あなたが自分を愛していないことをよく知っていたからよ」
カレンはくすっと笑って、首を傾げた。
「そうやって、あなたは誰も愛さない。誰からも愛されない。人にそうやって諭すことはあっても、自分自身の傷からは逃げてばかり…」
そして、右手を上げ、まっすぐに瑪瑙を指さす。
「あなたは、可哀想な人ね」
瑪瑙が先程言ったのと同じ言葉を返し、カレンは再びにっこりと微笑んだ。
その表情が示す感情は、明白だった。
嘲り。
瑪瑙は僅かに眉を寄せてカレンを睨むと、黙って腰を低く沈めた。
そして、左手に巻かれている包帯を、するすると解き始める。
次第に辺りに満ちてくる気配に、カレンも用心深く身構えた。
「…フィ…行くよ…」
瑪瑙は静かにそう言うと、カレンに向かって駆けだした。
同時に、カレンも彼に向かって走り出す。
そして、闇に閉ざされた森の中に、声にはならぬ叫びがこだました。
久しぶりに『獲物』にありつける、歓喜の叫びが。

「瑪瑙さん!」
森の中から現れた人影を見とめ、アナスタシアはその人物の名を呼んだ。
「どうでしたか、カレンさんは…!」
質問の途中で、彼が抱いているものを見て絶句する。
瑪瑙は無言で、首を横に振った。
彼が抱いているのは、先程と寸分違わぬ、銀の髪と、異形の角を持つ少女。
ただし、その金色の瞳は、二度と開かれることはなかった。

名前無き村-Nameless Village-

「…と、言うわけです」
事の経緯を説明し終わったミケの前には、暗い表情でうなだれた村長の姿があった。
キラの父親が、カレンが伝説の魔獣と同じ姿に変貌し、キラを殺すところを目撃していたため、冒険者たちの話は割と素直に聞き入れられた。
もっとも、ショックで話を疑うどころではなかったのかもしれないが。
「僕たちの力が及ばないせいで、悲しい結末になってしまいましたが、もうこの村にヴィレグと呼ばれる魔獣が現れることはないでしょう。その点は、ご安心なさって良いと思います」
ヴィレグは意志を持たぬ精神体であるという話から、当初はカレンの身体を捨ててどこか別の依代を求めていったのではないかという意見もあったが、カレンがヴィレグの姿のままこときれていたことと、瑪瑙が妙に断定的な口調で「ヴィレグは死んだ」と断言するので、その意見に落ち着いたようだった。
「ただ…カレンさんを魔物へと変えてしまったのは、確かにヴィレグであったかもしれません。ですが、あの方にあそこまでさせてしまったのは、あなた方であることを、覚えておいて下さい」
厳しい表情でそう言うミケに、村長は初めて顔を上げて冒険者たちを見た。
「………わかった。…いろいろと、迷惑をかけた。村の外へ案内する者を手配しておこう。…道中、気を付けて帰ってくれ」
冒険者たちは立ち上がって礼をすると、無言で部屋を後にした。

「…さんざんな事件だったな~…」
村人に森の外へと案内され、別れた後しばらく無言で歩いていた冒険者たちだったが、不意にガイキがぽつりと呟いた。
「そうですね…彼らは、ヴィレグの封印を守るため、かたくななまでに風習を守ろうとした…それが結局、彼ら自身を脅かすことになってしまったんです…皮肉なものですね」
ミケも、足元を見ながら独り言のように呟く。
「風習を守ろうとしていたようには見えませんでした…あの人達はただ、よそ者を差別することで、自分たちの中にある何かを、守ろうとしてたんじゃないでしょうか…」
アナスタシアも、悲しそうな顔でそう言った。
「そういえば…クラウンは、どうしたんだろうな?」
ルフィンが思いだしたように訊くと、ナンミンがそれに答えた。
「わたくしが目を覚ましたときには、もういらっしゃいませんでしたよ。もう旅立たれてしまったのではないでしょうか…?」
「そうかもな…あいつなりに、何か思うところもあったのかもしれない」
クルムも、回想するように遠くを見ながら、同意する。
「カレンは…ああ言ってたけど、本当は止めて欲しかったんじゃないかなって思うんだ、オレ…」
「…そう…なのかな…僕は、よく覚えてないけど…」
すっかりいつもの調子に戻ったエルが、その隣で不思議そうな顔をした。
『私は力を手に入れてしまった』
『もう、戻れない』
カレンのあの言葉は、本当は力を手に入れたくなかった、戻りたかった、と言う気持ちの表れなのではないだろうか。
カレンは、本当は誰かに止めて欲しかったのではないだろうか。
クルムはそう思うのだ。
そして、その誰かとは、おそらく…
その思いの先を胸にしまって、クルムは瑪瑙を見た。
「…あの村は…どうなるんだろう、ね…」
クルムの視線を知ってか知らずか、瑪瑙はそんなことを言う。
「そうですね…もうヴィレグはいないわけですし、守るべき封印もない…あの村が、あそこにある意味も、外との交流を断つ意味も、もうないんです。ですが…」
ミケは、その言葉の先を口には出さなかった。
だがおそらく、あの村はあの閉鎖的な村のまま、よそ者を拒絶し、今まで通りにあり続けることだろう。
与えられた目的の他に目的を見つけられるほど、強い人間ばかりではないのだから。
「…もうすぐ、麓ですね。皆さんはどうなさいますか?」
ミケはその思いを振り切るように、笑顔で冒険者たちを振り返った。
「あたし達はミケについてくんだろ…ガイキ達もリストフだったよな?」
「ああ。せっかくだから街まで一緒に行こうぜ」
「そうですね。せっかくお会いできたんですから」
ルフィンの言葉に、ガイキとアナスタシアは笑顔で頷いた。
「わたくしは…あまり、人の多いところにいると騒ぎになりますから。山を下りたところで、お別れさせていただきます」
ナンミンが言うと、みんなが苦笑を返した。
「またご一緒できる日を楽しみにしております」
「そうですね。その時までには、人形、作っておきます。見て下さいね」
「楽しみです」
そう言って、アナスタシアと微笑み合う。いつの間にか意気投合したらしい。
「さ、麓までもう少しだ。行こうぜ」
クルムの言葉を合図に、冒険者たちは再び歩みを進めた。

真の魔-True Enemy-

「あ~あ…なんだ、これで終わりぃ?つまんなぁい」
昼なお暗い森の中に、可愛らしい少女の声が響く。
「もっとたっくさん、人殺してくれると思ったのにぃ。ひとつの村、皆殺しくらいは行くと思ったのになぁ。残念」
大きな木の枝に、ちょこんと腰掛けている、黒い影。
「でも…あのコ達も結構腕が立つみたいだし、しょうがなかったのかもね~、この結果は。もっとも…」
その姿は、本当に真っ黒と言っても差し支えがないものだった。
褐色の肌に、濃いオレンジ色の瞳。両側でまとめられた黒く艶やかな髪は、まっすぐ立てば膝くらいまであろうかというほど長く、豊かである。年の頃は17,8歳と言ったところだろうか。人間ならば。
「封印を解きやすくしたのが誰か、までは、思い至らなかったみたいだけど…だいたい、何百年も守られてきた封印が、ちょっと触ったくらいで解ける訳無いじゃないねぇ?っふふふ」
露出度の高い、異国風の衣装。色は派手なピンク。耳飾りと髪飾りも派手だ。
「ま、それはしょうがないっか~。あの状況でアタシがやったことまで見抜いたら、そーとーのキレもんか、さもなければ同族よね。きゃはははっ!」
手のひらを口に当てて、無邪気に笑う。
「でも、人間にしては、結構やるわよね~。面白いわ、気に入っちゃった♪今度はあのコ達で遊んじゃおっと!きゅふふふっ、楽しみ~♪」
その言葉を最後に、彼女の姿は、暗い森の中に揺らめいて消えた。
後にはただ、静寂だけが残った…。

「闇獣-Moonless Beast-」 ENDE

ごあいさつ