月の照る夜-Darkless Night-

今夜は少し寒いようだ。
透き通った空気が、夜空に煌々と照る月をよりはっきりと映しだしている気がする。
月がこんなに明るいものだとは思わなかった。ここ数日の事件が、よりそう思わせる。
もっと強くなりたい…大切な人の力になれるようになりたい。
そう思って始めた旅だった。
しかし今、自分はこんなにも無力だ。
死体を見ただけで、気が遠くなってしまうほどなのに。そんなに恐ろしいことをする魔獣に、立ち向かう勇気などあるのだろうか。
それに、この事件は、もしかしたら魔獣の仕業ではないかもしれない。
犯人は…仲間の中にいるのかもしれない。
仲間を疑いたくはない。だが、もし仲間の誰かが犯人だとしたら、いたずらに被害を広げる前に阻止しなくては。
どこであっても気が抜けない、そんな状況の中で、自分の神経がいつまで耐えられるだろうか。
煌々と照る月をダイニングルームの窓から見上げ、エルはひとり小さく溜息をついた。
「どうしたんですか?」
後ろからかかった声に振り向くと、そこにはミケが立っていた。彼は優しく微笑むと、両手に持っていたコーヒーカップの片方を差し出す。
「ココアです。お好きですか?」
「…あ…ありがとう…」
エルはこくりと頷いて、カップを受け取る。暖かく、とてもいい香りがする。甘いものはエルの大好物だった。
ココアを一口すすって、ちらりとミケの方を見る。相変わらずニコニコしながら、彼もココアを一口飲んだ。そんな様子は、やはり端から見ると優しげな女性のようにしか見えない。このパーティーは何故か、綺麗な女性のような顔立ちをした男性が多いようだ。
…ただし、自分は…
「やはり、少し恐いですか?」
唐突に、ミケがそんなことを訊いてくる。
「…え…?」
「いえ、エルさんにばかり辛いことが回ってきてしまっているような気がしたものですから。エルさんは、まだ子供なのですし…ああ、お気を悪くされたら御免なさい。つまり、こういうことに耐えられるほどには、まだ強くなっていないのではないか、という意味で言ったんですが…」
「…僕は…」
エルはカップを両手に持ったまま、俯いた。
「…僕は…確かに、強くない、けど…でも…強くなりたいって…思って…」
ミケはまたにっこり笑うと、窓の外の月を見上げた。
「すいません。エルさんが、少し似ていたものですから…つい」
「…似てる…?」
「昔の、僕に」
エルは少し驚いた様子で、ミケの横顔を見た。
「僕の家は、騎士の家系なのですよ。父も兄も、とても立派な騎士です。ですが僕は、生まれつき力が弱くて…家の中では、落ちこぼれだったんです。その事で、昔はずいぶん悩んだものでした。ですが…僕には僕に出来ることがある。力では敵わなくても、この知識で、魔法で、人の役に立てるって…そう思って、魔法の修行をするために、旅に出たんです」
「…そう…なんだ…」
「ねえ、エルさん。強くなるって、どういうことなんでしょうね」
「…強くなる…」
「騎士になって、誰にも、どんな魔物にも負けない力を手に入れること…魔道士になって、強力な魔法を自在に操ること…確かにそれも、強さではあるのかもしれません。だけど僕は最近、こう思うんですよ」
そして、またエルの方を向いて、にっこり笑う。
「自分をあるがままに受け止めて、高めようと努力すること…それが強さなんじゃないかって」
「………」
「確かにエルさんは、他の方のように強力なモンスターを倒すような力はないのかもしれません。そして、強くなろうと努力することは、とっても立派ですね。けれどその為に、今のエルさん自身を否定することはないと、僕は思いますよ。エルさんはエルさんに出来ることを、精一杯やれば良いんだと思います」
「…僕に…出来ることなんて…」
「他の人に出来ることは、他の人がやってくれますよ。エルさんはエルさんで、他の誰でもないんです。エルさんが他の人になることは、ないんですよ」
エルは言葉をなくし、ただミケの笑顔を見ていた。
が、やがて少しはにかむと、小さな声で言う。
「…ありがとう…ミケお兄ちゃん…」
そしてまた照れたように俯いて、ココアを一口すすった。
ミケは相変わらず笑顔で、その横顔を見つめていた。

マントを羽織り、ガイキは傍らにある長剣を手に取った。
ある戦場で拾った長剣である。銘も制作者も、前の持ち主すらわからないいわくありげなものだが、切れ味もよく、ガイキは気に入っていた。
小柄なガイキにはやや不釣り合いな大きな剣だが、ガイキは片手で軽々と持ち上げ、背負う。その細腕のどこにそんな力が眠っているのかは謎だが。
「よっ、今から見回りか?」
後ろからかかった声に振り返ると、そこにはクルムがいた。
正義感が強くて人の良さそうな戦士である。彼も背中に、大きな剣を背負っている。
「まぁな。そっちもか?」
「いや、オレ達はクラウンを探してたんだけど…」
「クラウン…っていうと、あのうさんくさい仮面の男か?」
ガイキは言って眉を寄せる。
やはり彼も、他の者達と同様、クラウンは信用がおけないと感じていた。言動も、自分の気持ちや、肝心な部分になるといつもふわりとかわして誤魔化してしまう。素顔を見せないのもかなりうさんくさい。先程も、みんなが見回りをする、この家に残る、など自分の行動を宣言している中で、ひとりだけ曖昧な発言をしていた。
「うさんくさい…か。確かに否定はしないけど」
あまりはっきりと他人の悪口を言いたくないのか、クルムが苦笑しながらそう言う。
「もうこの家の中にはいないみたいなんだ。姿を見なかったか?」
「さぁ…オレは見なかったが」
「あいつは、いつもそうなんだ。いつどこから入ってきたのか、誰も知らない。いつの間にかいて、いつの間にかいなくなってる…まあ、いないんじゃしょうがないな。オレ達だけで見回りをしよう」
「なあ、その前に訊いていいか。オレは今日ここに来たばっかりだし」
「ああ、いいよ。オレでわかることなら」
ガイキの言葉に、クルムはにこっと笑った。
「ここは本当にただの村なのか?伝説の魔獣が封印されている場所の近くに、何故村がある?普通ならそんなところに住みたいとは思わないだろ?」
「ああ、それなら…ルフィンがこの村の長老から聞いたよ」
「ルフィン…あの女格闘家か」
「ああ。だからまた伝えになるけど…オレが聞いた限りだと、この村に住んでる人たちは、みんな昔ヴィレグを封印した魔道士の子孫らしいんだ。誰かが悪い目的を持ってヴィレグの封印を解いたりしないように、ここに住んで見張っているらしい。この村はその為の村なんだよ」
「そうだったのか…けど、その封印をよりによって村の人間が解いちまったなんてな」
「まぁ、ガイキたちが見た洞窟に、本当にヴィレグが封印されていて、ミケが話を聞いた奴らが解いた封印が本当にヴィレグのものだったら、皮肉な結果だよな」
「封印を守るための村なのに、村人が封印された場所を知らないなんて、おかしかないか?」
「うーん…最初は、村人が変な気を起こして封印を解いたりしないようにわざと場所を隠していたのかもな。だけど、それがかえってあだになったんだ。その事を知らない若い村人には、ヴィレグは年寄りの世迷い言だって思ってる人の方が多いらしい」
「そうか…でも、本当に殺されたやつらがヴィレグの封印を解いたんなら、やつは何でその場で、そいつらを襲って心臓を喰わなかったんだろうな?」
クルムはその言葉に虚をつかれたようだった。だがすぐに、眉を寄せて考え込む。
「そういえば、そうだな…『感謝するぞ』って言ってたっていうから、封印を解いてくれた礼として襲わなかった…とすると、今になって殺すのはおかしいしな」
「…」
「…まぁ、気になるけど、ここで考えていても仕方ないだろ。見回りに行こう」
「…ああ、そうだな」
「オレは森の方を見回るけど、あんたはどうするんだ?」
「オレは、適当にその辺を回ってるよ」
「そうか…気をつけてな」
「そっちこそな」
クルムは軽く頭を下げると、先に外へと出ていった。
「ヴィレグか…」
ガイキはひとり、顎に手を当てて呟いた。
(もしかしたら、ヤツは実体がないのかもしれない…とすると、誰か…人間が手助けをしている、もしくはさせられているかもしれねぇな…よし)
ガイキは外に出ると、まだ明かりの残る家々の方を向いた。
(怪しい動きをしている人間を、チェックだ)
そして、明かりを避け、路地の方へと姿を消した…

暗い部屋の中でひとり、カレンは眠れずに窓から月を見上げた。
翳りのある表情に、自然に溜息がもれる。
「…眠れない、の…?」
突然横からかかった声に、カレンはハッと振り向いた。
「瑪瑙…」
いつの間に入ってきたのだろう。ドアの前には、紫色のうつろな瞳をした男が立っていた。
彼はほとんど足音を立てずに歩み寄ると、カレンの横に腰掛けた。
カレンは俯いて、ぽつりぽつりと話し出す。
「何だか…つい最近まで、何もない退屈な村だって思っていたのがウソみたい…でも、こんな事が起こるのなら、退屈していた方がまだましだわ。何だか、あまりに現実離れしていて…でも実際に、人が死んでいるのよね…変な気分…」
「…少し、辛いことを訊いてしまうけれど…」
瑪瑙は少し言いにくそうに、口を開いた。
「…君が…よそ者の子供、って言うのは…本当、なの?」
その言葉に、カレンの身体が一瞬強張った。
「…誰から…聞いたの…?」
「…ん…ヘキルって言う…アセイの妹、だっけ…彼女から…」
「そう…」
カレンは無表情で俯いたまま、拳をぎゅっと握り締めた。
「…言いたくないのなら…」
「いいえ。大丈夫よ」
カレンは目をそらしたまま、自嘲するように唇の端をゆがめた。
「私のお父さんは…昔、この村に外から迷い込んできた人だったの。それを、お母さんが泊めてあげて…ちょうど、あなたたちみたいに。でも私のお父さんとあなたたちが違うところは、お父さんはこの村を出ることが出来なかったこと…」
「…」
「この村の存在を外に知られてはならないから、一生ここで暮らすことを強要されたの。そうでなければ、口封じをするって…」
口封じ…この村はそんなことまでやっていたのか。いくら魔獣の封印を守るためでも、少しやりすぎのような気がする。
長い年月が過ぎていく間に、目的が風化し、風習だけが強固に守られていったのであろう。よくあることである。
「お父さんは、リストフの建築技師だったの。この村の中央の噴水…あれ、お父さんが作ったのよ。この家も…この村の他の家に比べて、ちょっと変わってると思わない?お父さんが改造したの…」
「…そう、なんだ…」
「…でも…よそ者って言うだけで、村の人達はあまりいい顔をしなかったわ。お母さんも、よそ者を入れたっていうだけで白い目で見られてた…もちろん、私も…小さい頃から、あまり友達はいなかったわ…小さな村だし、外にも出られなくて…他の村人からは無視されるし…家族5人、とても肩身の狭い思いをしていたわ。息が詰まりそうだった…」
「…カレン…辛いようなら、もう…」
瑪瑙の言葉を遮って、カレンは吐き出すように続けた。
「ねぇ、わかる?!私達が何をしていても、まるでそこに誰もいないかのように無関心なのよ?!他の村人には、仲良く話しているのに、私達だけ!私達が、何かいけないことをした?!お父さんが他のところから来たっていう、ただそれだけで、まるで私達が、人間じゃないかみたいに…!!」
そこで、言葉を詰まらせる。見ると、堰を切ったようにとめどなく涙があふれ出ていた。暗い部屋で、月明かりを反射してキラキラ輝いている。
「…ごっ…ごめ…なさ…私…」
カレンは慌てて目をこすったが、どうにも涙は止まらない。
すると、その肩を、瑪瑙がふわりと抱き締めた。
「…!…」
「…辛い思いを、したん、だね…今まで、誰にも言えずに…いいん、だよ…泣いて、いい…胸を貸すくらいなら、俺にも、出来る…君の痛みの何分の一も、判っては、あげられない、けれど…」
「…うっ…ぅ…」
カレンは瑪瑙の腕の中で、静かにすすり泣いた。
瑪瑙はその背中に左手をそっと添え、右手でその頭を優しく撫でる。
やがて落ち着くと、カレンは顔を上げた。
「…ありがとう…」
瑪瑙は黙ったまま、やわらかい微笑みを浮かべ、カレンの頬を撫でる。
カレンの潤んだ瞳が、切なげに瑪瑙を見つめた。
そして…月の光が照らす中、二つの影が一つに重なった…

音を立てないようにドアを開け、アナスタシアは暗い部屋の中をうかがった。
部屋の中は静まり返っていて、何かが動く気配はない。片隅にあるベッドはもこりとふくれあがっていて、誰かが寝ていることを示していた。
アナスタシアは、同じくこっそりと部屋の中にはいると、安らかな寝息を立てているその人物の顔をのぞき込んだ。
ナンミンである。
「…見れば見るほど、創作意欲を刺激されるモチーフですね、チャーリー」
ナンミンから目を離さずに、抱えている熊のぬいぐるみに小声で話しかける。
「うん、そうだねアニー。今度はこんな人形を作ってみたらどうだい?」
チャーリーと呼ばれた熊のぬいぐるみは、抱えられたまま手と顔を動かして、甲高い声でアナスタシアの言葉に応えた。
先程はアナスタシアの腹話術だったが、この声はそうではない。アナスタシアのもうひとつの魔法、「ベイビィトーク」である。彼はこの魔法を使って、本来なら意志のないはずの人形たちと会話することが出来るのだ。もちろん、チャーリーが動いているのは糸を使わずに人形を操る魔法「マリオネット」を使っているからだが。
「そうですね。今後の参考のために、少しスケッチさせていただきましょう」
アナスタシアはそう言うと、傍らのカバンから大きなスケッチブックを取り出した。
そして、ナンミンの顔を注意深く観察しながら、同じくカバンから取り出した木炭で黙々とスケッチし始める。
程なく、ラフ画が完成した。なかなか上手い。
「…う…ん…」
とその時、ナンミンが目を開けた。彼(?)はまだ眠気の残る目(瞳はないが)でアナスタシアを見る。
「…おや…アナスタシアさん…」
「あ、ご、ごめんなさい。起こしちゃいました?」
アナスタシアは慌ててスケッチブックを伏せると、ぺこりと頭を下げた。
「いいえ、お気になさらないで下さい。アナスタシアさんこそ、こんな所で何をなさっていらっしゃるのですか?…おや、そのスケッチブックは?」
「あ、あの、これは、その…」
アナスタシアはスケッチブックを後ろに隠そうとしたが、慌てていたために取り落としてしまい、先程の絵を上にしてスケッチブックが倒れてしまった。
ナンミンはそれを見て、きょとんとした表情になる。
「…これは…わたくしの絵、ですか?なかなかお上手ですね。ありがとうございます」
「いえ、あの、ええと、人形のデザインの参考に…と、思って…」
「これはこれは。わたくしの人形を作っていただけるのですか?どんなものができるのか楽しみですね」
「アニーの人形はいつもすごくいい出来なんだよ」
と、突然チャーリーが会話に割り込む。ナンミンはチャーリーの方を珍しそうに見た。
「貴方は確か…チャーリーさん、でしたね。貴方もアナスタシアさんに作っていただいたのですか?」
「ううん、僕を作ったのはアニーのパパだよ。でも僕はアニーが人形をたっくさん作るのをずーっと見てきてるからね。どれもいい人形たちばっかりだよ」
「そうですか。それは出来るのが楽しみですね。出来たら是非、わたくしにも見せて下さいね」
「あ、は、はい。もちろん」
アナスタシアはまだ慌てた様子で、それでもこくりと頷いた。
「じゃ、じゃあ、ボクはこれで…」
アナスタシアはぱたぱたとスケッチブックを片付け、カバンにしまうと、立ち上がってドアの方へ行った。
「アナスタシアさん」
そこを呼び止められ、アナスタシアはおそるおそるナンミンを振り返った。
「はっ、はい?」
「アナスタシアさんは…いい声ですね」
「…は?」
何を言われたのか理解できず、間抜けな声で問い返すアナスタシア。
「もちろん、チャーリーさんもいい声ですよ」
「ありがとー♪ナンミン君もいい声だよ~」
チャーリーは陽気に、ナンミンに向かって手を振るが、アナスタシアはどう答えていいか分からない様子で、それでもぺこりと頭を下げた。
「あ…ありがとうございます。それじゃ…」
そして、そそくさと部屋を出ていった。

「はぁ…びっくりした」
「ねぇねぇアニー、ナンミン君の人形、早く作ってよね!僕、楽しみだなぁ」
「ええ、わかりましたよ、チャーリー。ではまた少し、休んでいて下さい」
「うん。またお話ししようね」
チャーリーはそう言って、アナスタシアに向かって手を上げると、突如糸が切れたように、くたりとアナスタシアの腕にもたれかかった。
アナスタシアはチャーリーを抱え直すと、階段の方へと歩き出し…
がちゃり。
前方のドアが突然開いたのは、その時だった。
1回に降りる階段に一番近い部屋。確かあそこは、カレンの部屋である。
しかし、出てきたのは…
「瑪瑙さん?」
名を呼ばれて、瑪瑙はけだるそうにアナスタシアを振り返った。
「…ああ…アナスタシア、だっけ…?」
「カレンさんの部屋で何をして…あっ…」
そこまで言って、アナスタシアは初めて瑪瑙の様子に気がついたようだった。
けだるそうな表情。いつもは青白いほどの肌に、今は少し赤みがさしている。そして不自然に乱れた髪と服。
部屋の中で行われたことを理解して、アナスタシアは顔を赤くした。
「…あ、あのぅ…」
何と言っていいか判らず、俯く。と、瑪瑙は今出た部屋を一瞥して、言った。
「…最近の子は、進んでる、ね…」
「…えっ…?」
アナスタシアが顔を上げると、瑪瑙は彼に向かってうつろに微笑んだ。
「…彼女…初めてじゃ、なかった」
「…えっ…」
驚くアナスタシアに解説もせず、瑪瑙はきびすを返し、階段を下りていった。
ひとり廊下に取り残されるアナスタシア。
「…今日は…びっくりすることが多いですね…」

ルフィンはダイニングルームをのぞき込んで、首をひねった。
エルがいない。
さっきまであそこで、ミケと何か喋っていたのに。
ミケもいなくなっている。ダイニングルームには誰もいない。
「どこ行ったのかな…」
ルフィンは困った顔で、頭を掻いた。
ルフィンは見回りをエルとするつもりだった。エルはまだ子供だし、戦う力もない。一緒について行って、守ってあげなくては…。
…と言うのは建前で、本当はエルについていけば死体が見られるかもしれないと思っているだけなのだが。
「…いないならしょうがないな。ひとりで行くか…」
ルフィンはきびすを返し、リビングルームをあとにした。

ルフィンがダイニングルームを出るのを確認して、エルは立ち上がり歩き出した。
否、エルのその行動を確認できるものは、エル以外にひとりとしていなかっただろう。
今他の者がダイニングルームを覗き込んでも、誰もいないようにしか見えない。
これがエルの持つ魔法「透明化」の力である。第三者から自分を見えなくする魔法。
以前、敵の死角から攻撃をするために使ったことがある。だが今回は、誰にも悟られないように見張りをするために使っている。
仲間を疑いたくはないが、仲間がやった犯行の可能性もある以上、一緒に見回りをするわけにはいかない。
(僕が出来ることを、やらなくちゃ…)
エルは口に出さずにそう呟いて、部屋をあとにした。

「雲がでてきましたね…」
夜空を見上げ、ミケは憂鬱そうに呟いた。
先程まで雲一つ無い天気だったのが、急に雲が出始めている。
この分だと、程なく月は隠れてしまうだろう。
「月のない夜、か…月には、預かり知れない魔力があると言いますからね。ヴィレグにとって、月の魔力が何か弱点であることも、考えられなくはありませんが…」
ミケは地図を見ながら、ある場所に向かっていた。
ヴィレグの封印の地である…かもしれない洞窟。話に聞いただけで、実際に見た訳ではなかったので、是非見ておきたかった。
地図通りの場所に行き、辺りを見回す。入り口はすぐに見つかったが、これはあると思って探さないと判らない場所だろう。
ミケは迷うことなく洞窟の中に入っていった。
聞いていたとおり、ランタンの明かりが無くても洞窟の中は明るい。ヒカリゴケか…永続する魔法の明かりかもしれない。
ミケはさらに奥へと足を進めた。程なく、開けた空間に出る。
聞いたとおり、中央には魔法陣のようなものが描かれており、その中心には塚のようなものがある。話に聞いた青い宝珠が、多少ぎこちない感じでそのてっぺんに置かれていた。
「これですか…」
ミケはその宝珠を掴んでみた。案の定、さして力を加えていないのに外れてしまう。
「なるほど…」
ミケは宝珠を戻し、下の魔法陣を注意深く観察した。
ミケは魔法陣に対する詳しい知識はないが、書いてある文字を見た限りでは封印のための魔法陣であることはまず間違いない。
魔力は感知できなかった。おそらく、魔力の源がこの宝珠だったのであろう。それを塚から切り離してしまったために、中に封印されていたものが外に出てきてしまったのではないだろうか。
「どうやら…ここに何かが…おそらくヴィレグが封印されていたことは間違いないようですね。そして、やはりおそらく彼らが、その封印を解いてしまったことも」
あたりには誰もいないのに、ミケは誰かに解説するように話す。
口に出した方が考えがまとまることもある。ミケはそのタイプだった。
「疑問は2つ。長い間守られてきた封印が、何故そんなにやすやすと解けてしまったのか?少々の力で解けるような封印だからこそ、こんな人目に付かない場所に、村人にも知られないようにして封印したのかも知れませんが…」
顎に手を当てて、グルグルと歩きながら、続ける。
「そしてもうひとつ。何故ヴィレグは封印が解けたその時でなく、今になって封印を解いた4人を殺そうとしているのか?もしかしたら、ヴィレグは…」
ミケの言葉は、最後まで続かなかった。
洞窟の入り口の方を何気なく見たミケは、ぴたりと動きを止めた。
「…あれは…」
洞窟の入り口に、人の頭ほどの大きさの、銀色に光る光球がある。
「…もしかしたら…エルさんが見たっていう光でしょうか…?昨晩噴水のところにあった光と似ていますし…」
ミケは洞窟の出口に向かって…銀色の光に向かって歩き始めた。
と、光球はミケが歩いた分だけ遠ざかっていく。
「…ついてこい、ということですか…」
何か、操られているような気がして癪だったが、ミケは意を決したように歩き出した。

雲はみるみるうちにその姿を現し、今や月は時折かいま見えるだけになっていた。
「月のない夜…か…」
路地で注意深くあたりを観察していたガイキが、ふと月を見上げひとりごちる。
街はいたって静かだ。怪しい動きをしている村人も、…怪しい動きをしている仲間も、見かけられない。
「見当はずれか…?…いや、伝説の通りなら、月が隠れ始めた今が勝負だ」
ガイキは再び表情を引き締めて、辺りをうかがった。
…と。
「…なんだ…ありゃ…?」
前方の壁の向こうに、不思議な銀色の光が見える。何気なく近寄ると、光はふっと消えた。
不思議に思って、光のあったところに行くと、またその先の曲がり角に光が見える。
ガイキは表情を険しくすると、その光の後を追った。
光は、森の中へと入っていった。

月の光は今や、ほとんど雲によって遮られている。部屋の窓からその様子を見ながら、瑪瑙は外に見回りに行く支度を済ませていた。
月のない夜に現れるという魔獣。先程までは月が見えていたが、急に雲がでて月を隠してしまった。再び現れる可能性は高い。
「…ん…?」
二階の窓から何気なく下を見ると、そこには人の頭ほどの大きさの銀色の光球があった。
「…あれは…」
瑪瑙は急いで上着を羽織ると、部屋を出て階段を下りる。
「あっ、瑪瑙さん!」
階下にはアナスタシアとナンミンがいた。
「瑪瑙さんも見ましたか?!外の光!」
「…ん…あれは…エルが見た光の可能性が強い、ね…」
「追いかけましょう!ナンミンさんも来ますか?」
「…そうですね。わたくしは夜は苦手なのですが…お供いたします」
ナンミンは不思議なカバン(卵ドセルというらしい)を背負うと、そう言って頷いた。

「あれっ、クルムじゃないか」
行く手に知った顔を見つけ、ルフィンは手を振った。
「ルフィン。どうしたんだこんな所で」
「いや、変な光を見てさ…追っかけてきたんだけど、見失っちゃって…」
「なんだ、あんたもか」
「っていうことは、クルムもか?」
「ああ。何かこっちを誘導してるみたいな感じだったんだけど…ここに来て見失った」
「あれって、もしかしてエルが見た…」
「ああ、そうだろうな。ここにエルがいれば、確認できるんだけど…」
「…あ、あの…クルムお兄ちゃん、ルフィンお姉ちゃん…」
『わっ!』
傍らから突然姿を現したエルに、二人は驚きの声をあげた。
エルは透明化の魔法を使ったまま、村の中と、仲間の一人一人を見張っていた。が、クルムを尾行しているときに同様にあの光を見つけ、一緒についてきて、やはり一緒に光を見失ったのである。そして、自分の名前が上がったので、魔法を解いて姿を現したのだ。
「なんだよエル…いつの間にいたんだ?あんま脅かすなよ…」
「…ご、ごめんなさい、ルフィンお姉ちゃん…」
「まぁちょうどいいや。エルもあの光見たか?」
クルムが背をかがめてエルに質問をした。
「…う、うん…」
「昨日エルが見た光って言うのは…」
「…う、うん…あの光と、同じだったよ…」
「そうか…じゃあ、またヴィレグが現れたのかな…」
「…そう…なのかな…僕は、特に怪しい影も人も見なかったけど…」
「…そこにいるのは、クルムたちか?」
後ろからかかった声に振り向くと、ガイキとミケがいる。
「ガイキに、ミケ。あんたたちも、もしかして光に誘導されて…?」
「ええ。途中でガイキさんと合流しました。ですが、このあたりで見失ってしまって…」
「あれ、皆さんお揃いですか?」
さらに別方向からも声がかかる。そちらの方を見ると、アナスタシアと瑪瑙とナンミンがいた。
「アナスタシアさん…それに瑪瑙さん、ナンミンさんも…」
「ここまで来ると、もう同じ質問する気にもなんねーな」
ルフィンが呆れた様子で肩をすくめた。
「誰かがあたしたちを、どっかに連れて行きたがってるらしいって事は確かだな」
「ええ、そうですね。そしてその誰かとはおそらく…」
「…ヴィレグ…」
ミケの言葉に、瑪瑙が続いた。
全員に沈黙が落ちる。
月の光はもはや、完全に届かなくなっていた。

罪無き暗殺者-Guiltless Assassin-

「あらっ…みんな、こんな所に集まってどうしたの?」
最後に聞こえたのは意外な声だった。
みんなは一斉に、声のした方を見る。ミケが驚いて、その人物に近付いた。
「カレンさん…!どうしたんですか、あなたこそ!」
そう。森の中から姿を現したのは、カレンだった。
この時間は寝ているはずである。今までも、夜に外に出てきたことなど無かった。
それが、何故。
「あ…その…何だか、眠れなくて…」
言って、何故か顔を赤らめる。
瑪瑙は目をそらさずに微笑し、アナスタシアはあさっての方向を向いた。
「それで…窓の外を見たら、不思議な銀色の光が見えたから、追いかけたの…このあたりで見失ってしまって」
「僕たちと同じですね。カレンさんまで集めるというのは…どういうことでしょう?」
「わかんねえな…!おい!見ろよ!」
ガイキが突然、森の奥の方を指さした。
その方向には、先程の光球が浮かんでいる。
冒険者たちは顔を見合わせて、誰からともなく光球の方向へ走りだした。
光球は冒険者たちを誘導するように森の奥へと進み…
そして、そこにたどり着いた。
光球は生い茂る木の枝の下で静止し、あるものに光を当てて姿を浮かび上がらせる。
あるもの、と表現するのは間違いであったかもしれない。
光は、ある人物と、そしてその傍らに横たわる、人で「あった」ものを映し出していた。
「それ」は、うつぶせに横たわっていて、はっきり誰であるかは判りかねた。見た限りでは外傷はなく、ただうつぶせで眠っているようにも見えなくはない。
だが、「それ」にもはや命が宿っていないことは、同じく銀色の光が生々しく照らし出す、地面に広がった赤黒い液体がはっきりと物語っていた。
おそらく「それ」は、胸に大きな切り裂き傷があり、その奥に眠っている臓器をえぐり取られていることだろう。
そして、「それ」の傍らにしゃがみ込み、首筋に手を当てている黒い影。
その手には大きな鎌。その刃にはべっとりと、地面に広がっているものと同じ液体がこびりついている。
闇に溶けるかと思われるほどの、漆黒の道化装束。
そして、そこにぽっかりと浮かび上がる、白い仮面。
冒険者たちは唖然としながらその光景を見つめていたが、不意にクルムがぽつりと、彼の名を呟いた。

「クラウン…」

エルはクラウンよりも、傍らに横たわる死体から目を離せなかった。
これを見るのは、ここに来てから3度目になる。
そして、今ここにあるものはうつ伏せで、傷口もはっきり見えていない。
にもかかわらず、エルはどうしても、それに「慣れる」事が出来なかった。
頭がクラクラする。意識が遠のいていく足音が、自分でもはっきり聞こえた。
(…ダメ…ここで…気を失ったら…)
エルはガタガタと震えながら、1歩、2歩と後ずさる。
他の者達は目の前の光景に気を奪われていて、エルの異変に気がつくものはいない。
だが。
(…けど…もう…ダメ…)
エルの意識は、意外なほどあっさりと、闇に溶けた。
そして。
『エル』が、目を覚ます。

ルフィンの頭の中は、今までにないくらい混乱していた。
目の前には死体。そしてクラウン。彼の持つ鎌には、べったりと血の跡。
(あとクラウンがどっかに夕食の行っちまった今その側にはなぜかあってここにいて死体がクラウンのついていて鎌には血がもしかして殺したのか?クラウンがこいつをじゃあ犯人はこの連続殺人事件のクラウンなのか?ちくしょう思ってたのに仲間だっていや早い決めつけるのはそうまだもしかしたらたまたまクラウンはかもしれないしここに来ただけよし聞いてみよう)
「…で、何やってるよ」
まだやや混乱している頭で、やっとそれだけの言葉を絞り出す。
その言葉で、唖然とその光景を見守っていた冒険者たちが我に返った。

「クラウン…まさかそんな…嘘よね?」
カレンが口に手を当てて、わなわなと震えだした。
クラウンは黙ったまま、血がついている自分の鎌を見上げる。
冒険者たちも、我には返ったものの黙ったまま、彼の様子を見守っていた。

クルムは、背負っている大剣に神経を集中させた。クルムの持つ剣には、彼に対する敵意や害意に反応して危険を知らせる不思議な力があった。
この状況を見れば、確かに一番疑わしいのはクラウンである。だが、操られている可能性もあるし、安易に犯人と決めつけて攻撃するのは危険だと判断した。

アナスタシアは心配気な顔で周りの冒険者たちの様子をうかがった。
仲間として出会ったからには、クラウンを疑いたくはない。仲間の誰かが彼を攻撃しようとするなら、それを止めるつもりだった。
だが今のところ、仲間にその様子は見られない。

瑪瑙は一歩下がって、仲間とクラウンと死体の状況を冷静に観察した。
確かにクラウンは怪しい。そして瑪瑙の知識とカンが正しければ、彼はその筋に名を轟かせている腕利きの暗殺者である。
だが、彼を犯人と断定するには、まだ材料が足りなかった。
彼の様子をうかがい、犯人と判断できたら、攻撃する。だが今はまだ、その時ではない。

ガイキは黙って、クラウンを見つめていた。
彼が納得できる説明をするならよし。納得できないのならば、その点を突っ込んで訊けばよい。この状況でこちらに攻撃を仕掛けてくるのは、自分が犯人ですと言っているようなものだから、おそらくそれはないだろう。だが攻撃を仕掛けてきたら、応戦するつもりでいた。
とりあえず今は、無用な流血沙汰は避けたい。

ナンミンは血を見て気絶していた。

しばしの沈黙。
やがて、ミケがその沈黙を破り、冗談めかした口調で問うた。
「…誰を殺っちゃたんですか?」
その言葉に、全員が虚をつかれたようにミケの方を見た。ミケは少し微笑んで、続ける。
「黙っていては判りませんよ、クラウンさん。その方はどなたですか?亡くなられているんですか?なぜあなたが、血がついた鎌を持って、その方の側にいるんですか?あなたが…」
そこで笑みをほぐし、少し声のトーンを落とす。
「…あなたが、その方を殺したんですか?」
決定的なその一言に、冒険者たちは息を飲んだ。そしてミケとクラウンを交互に見て、様子をうかがう。
クラウンはこちらを向き、一つ大きく深呼吸をした。

そして、彼が次に言った一言は、意外なものだった。

「あっちゃ~。ヴィレグとか言う、いもしない魔獣のせいにするつもりだったのに、見られちゃったか、しょうがない」
クラウンはいつものおどけた口調で、そう言った。
一瞬で、冒険者たちの間に緊張が走る。
彼は警戒するように、ゆっくりと鎌をこちらに向けると、やはりそのままの口調で、続けた。
「…気の毒だけど、君たちにも、死んでもらうよ」
そして、鎌を振り上げ、大きく後ろに飛ぶ。
次に彼が放った言葉は、今までとはうって変わった鋭い口調であった。
「我が名は『死を運ぶ道化師』クラウン!我が手から逃れた者はない。この闇の中、いつ狩られるか怯えながら殺されるのを待っていろ!」
そしてきびすを返し、森の奥へと走って行く。
「待てっ!!」
最初に飛び出したのは、ルフィンだった。続いてクルムが、さらにガイキと瑪瑙がその後を追うように走り出す。
アナスタシアは、突然のことに混乱していた。疑いたくなかった当のクラウンが、自らが犯人だと言うではないか。後を追うべきなのか、それとも…
ナンミンはまだ気絶していた。
そして、冒険者たちの一番後ろで様子を伺っていたエルは、口元に微かに妖しい笑みを浮かべた。
エルの姿が、闇の中に徐々に溶けていく。
だが、意外な静止の声が入ったのは、その一瞬後だった。

「待って下さい!クラウンさんは犯人じゃありません!」

普段からは考えられないような声量でミケが叫ぶと、その声の大きさと、その内容に、皆が一様にその場に立ち止まった。クラウンさえも。エルも魔法を解いて、再び姿を現す。
「…って…?どういう、ことだよ?ミケ」
やっと混乱から立ち直ったのにさらに混乱した様子で、ルフィンがゆっくりと言った。
みんなが立ち止まったのを確認して嬉しそうに微笑むと、ミケは先程と同じような冗談めいた口調で言った。
「だって、いかにもじゃありませんか。ミステリー小説だと、こういう一番怪しい人は犯人じゃないんですよ」
「…こんな時に…そんな冗談は、感心しない、ね…」
瑪瑙がわずかに眉を寄せて言う。ミケはそちらの方に、にこりと笑顔を向けた。
「ええ。もちろん、そんな理由でクラウンさんが犯人ではないと言っているわけではありません。ちゃんとした根拠があってのことですよ」
ミケは言いながら、死体の方に歩み寄り、しゃがみ込んでそれをごろんと転がした。
「…やはり、昨日と同じ傷跡がありますね。そして、心臓をえぐり抜かれています。おそらくこの肩から胸にかけての傷跡は、クラウンさんのその鎌でつけられたものでしょう。切り口もそれっぽいですしね」
「だったら、やっぱりクラウンが犯人なんじゃないのか?」
ルフィンが言うが、クルムは真面目な表情で首を振った。
「では逆に質問しますが、クラウンさんが犯人だとしたら、えぐり抜いた心臓はどうしたんです?まさか、食べてしまったとは言わないでしょう?」
ミケの質問に、ルフィンは一瞬きょとんとし、それからすぐに不機嫌そうな表情になった。
「そんなの、あたしが知るかよ。その辺に捨てたんじゃないのか?」
「では探してみて下さい。近くにありますか?」
ミケに言われて、冒険者たちはあたりの地面を見渡した。
「見あたらねぇな」
ガイキが顔を上げてそう言う。
「…どこかに処分したとも、考えられる…」
瑪瑙がそう言うと、ミケは苦笑した。
「瑪瑙さんらしくない発言ですね。そんな時間があったら、殺人現場を僕たちに見られて疑われるようなヘマをするわけがないでしょう。今までの殺人の手口の鮮やかさから見ても、それは不自然だと思いませんか?」
「…」
「ならば考えられるのはただ一つ。心臓を持ち去ったのが、別の誰かである、と言うことです」
「なら何でクラウンはこんなとこで、血のついた鎌を持ってるんだよ?それに自分で自分がやったって言ってるんだぜ?」
クルムの問いに、ミケは困った顔を向けた。
「さぁ、そればかりは僕も…クラウンさんに訊いてみないことには」
そして、改めてクラウンの方を向く。
「そういうわけです、クラウンさん。少なくとも僕は、あなたがやったのではないと確信しています。何があったのか、正直に話してはいただけませんか?」
クラウンはしばらく黙っていたが、やがて肩をすくめて小さく溜息をついた。

「晩御飯のあと、森に仕掛けた罠の確認をしに、森に入っていったんだ。しばらくは何ともなくて、罠を増やしたりしてたんだけど…」
その発言に、ルフィンとアナスタシアが思わず苦い表情になる。
クラウンは続けた。
「ついさっきのことだよ。そこにある銀色の光みたいなのが突然現れて、誘導するみたいに僕をここまで連れてきたんだ。そうしたらこの人が死んでて、その側に、部屋に置いておいたはずの僕の鎌が落ちてるじゃないか。びっくりして拾い上げたところに、君たちが来た、って言うわけさ」
「なぜ自分がやったようなことを言ったんです?」
「だって…あの状況で何を言っても、信じてもらえないと思ってさ。それに死体に触ったらまだ暖かかった。っていうことは、犯人はまだ近くにいるかもしれないって事でしょ?信じてもらえるまで説明してるうちに逃げられちゃうと思って…とりあえず、僕が疑われてても、一緒に森の中走り回ってればヴィレグに遭えると思って、僕をみんなが追っかけてくれるようにしたんだよ」
「そうだったのか…」
クルムは感心したように言った。いつも飄々としてつかめない印象のあるクラウンだが、思ったより状況を判断する力はあるらしい。
「…ま、でもこんな事言ってる間にきっと逃げちゃったね。殺されたこの人には、可哀想だけど…犯人の手掛かりは無し、か」
「ライネさん、ですね…昼間お会いした」
ミケが厳しい表情で、被害者の顔を見る。昼間怯えた様子でミケに助けを求めてきた、大きな体の割に臆病そうな若者。その目は恐怖に見開かれたまま、もう何も見てはいない。ミケは表情を引き締めて、自分に言い聞かせるように呟いた。
「僕の判断が甘いせいで、また尊い命を犠牲にしてしまいました。けれど、これ以上の犠牲者は出しません…絶対に」
「…だけど…犯人を絞り出すような手掛かりはまたないだろ?どうやって…」
「僕がずっと感じていたのは、犯人…ヴィレグとしておきましょうか。ヴィレグが高度に洗練された頭脳を持っているということでした」
ガイキが言うと、ミケは厳しい表情のまま、全員を見回しながら言った。
「この世界で僕たちを襲うモンスターのほとんどは低級魔族で、人間を知能的に陥れるような頭脳は持たないのですが、中級から高級の魔族になると強力な力もさることながら高度な頭脳を持っているそうです。遥か昔にこの山に住んでいたヴィレグが、知略に長けていたと言い伝えられているそうですから、それはまぁ、不思議はありません。普通のモンスターを捜し出すように、あてもなくうろつき回っていたのでは、見つからないのも無理もないのかもしれません。ですが。
いくらそうは言っても、この森の中にずっと潜んでいるはずの魔獣が、この人数で注意深く探し回っていてもなお見つからないなんて、おかしいと思いませんか?殺人はいつも、僕たちが見回ってないところを選んだように行われていた。おかしいと思いませんか?もし本当にヴィレグが、森の中に潜んでいるとしたら、ですが」
「おい、それって…」
顔色を変えて言うクルムに、ミケは頷いて見せた。
「そうですね。ヴィレグは、村の中の情報を手に入れることが出来る、と言うことです。この村と、この森のことをよく知っていて…僕たちの様子を察知して、僕たちのいないところで上手く人を殺していた…
可能性は2つです。ヴィレグには、村の中に協力者がいた…もしくは、村の人間を操っていた。あるいは」
そこで少し言葉を切って、声のトーンを落とす。
「何者かが、ヴィレグを語って殺人事件を起こしていた」
すでにある程度予測していたことなのか、驚く者はいない。ミケは続けた。
「自分が起こした殺人を、心臓をえぐり抜いて伝説の魔獣と同じような殺し方をすることで、その魔獣に罪をなすりつけていた…むしろそう考えた方が自然なのではないでしょうか。そうすれば、僕たちがちっとも魔獣に遭遇しない訳も、相手が僕たちの様子や村や森の地形に詳しい訳も、納得がいくと思いませんか?」
「…えっと…でも…そうすると、おかしくないか?第2の殺人はどう説明する?現場には犯人が立ち去った足跡なんかなかったんだぜ。あんなの、とうてい人間には…」
「リキさんが殺された場所が、本当にあの噴水だったら、の話ですね」
クルムの質問に、ミケは口元だけで微笑んで答えた。
「少し考えれば、簡単なトリックです。現場はあそこではなかったんですよ。一旦別の場所で殺しておいて、死体の血をきれいに洗い流しておく。そして水気をふき取って、現場に運び、静かに噴水の中に沈める。こうすれば噴水の中に入ったり、返り血を浴びる危険性はありません。あとはあらかじめ用意しておいた大量の血…殺した時に取っておいたと考えるよりはむしろ、別のニワトリか何かの血と考えた方が自然でしょうね。その血を、地面と噴水にばらまけばいい。あとは綺麗なままの足で立ち去るだけです。
噴水に入れることで、死体そのものにあまり血がついていないことを誤魔化し、死体が冷たいこと、硬直している理由を水のせいにすることが出来るんですよ」
そしてゆっくりと、ある人物に顔を向けた。一つ深呼吸して、続ける。

「そうでしょう?カレンさん」

偽りの少女-Truthless Girl-

「…………え………?」
カレンは信じられないと言った表情で、かすれた声を出した。
「…ミケ…何を言っているの?私が…犯人だなんて…」
「もう嘘はやめて下さい、カレンさん。誰かがヴィレグを装って殺人をしていたという時点で、あなたの『ヴィレグを見た』という証言が正しくないことになるんですよ。出会った時から不思議に思っていました。いくら村の人間とはいえ、あんな夜遅くに、こんな迷いやすい森の中にわざわざ山菜を採りに出かけるでしょうか?
おそらくあなたはあの時、すでにアセイさんを殺していたんじゃないんですか?そして心臓をえぐる前に、僕たちが近付いてくる気配を感じた。慌ててあなたは、場所を移動して悲鳴をあげ、僕たちに助けられ、僕たちを村に案内することで、アセイさんの死体を発見されるのを防ぎ、ヴィレグという魔物を印象づけた…違いますか?」
「そんな…言いがかりだわ。私は本当にあの時、ヴィレグに襲われて…」
弁解するカレンの言葉を遮って、ミケは続けた。
「おそらく、アセイさんたち4人が、ヴィレグの封印を解いたかもしれないと怯えだしたあたりから、あなたはこの計画を練っていたのではありませんか?けれど、今はもう風化しつつある伝説の魔獣のせいにするには、今ひとつ押しが弱いかもしれない。もし村人がヴィレグの仕業だと思わず、犯人を捜し出したりしたら、自分も疑われてしまうかもしれない。そこに上手いぐあいに転がり込んだのが、ケガをしたクラウンさんだったのです」
ミケはクラウンの方を見た。
「クラウンさんはこの通り、とても普通の人とは思えないような格好をしています。それに言動にも、どこか曖昧で、自分の素性や気持ち、行動などをはぐらかしてしまうようなところがあります。あなたはそこに目を付けた。
あなたはクラウンさんを介抱し、ケガが治ってきて動けるようになったところで事件を起こし、クラウンさんを村から出さないと共に、ヴィレグの仕業だと村人が思わなかった時のスケープゴート…罪をなすりつける身代わりとして使うつもりだったんです。クラウンさんは素性の知れないよそ者ですし、僕たちがそうだったように、他人から疑われやすい性格をしていますしね。
そうして考えていくと、僕たちの見回りのコースを知っていて、僕たちがカバーできないところを選んで殺人が出来るのも、クラウンさんの部屋に忍び込んで彼の鎌を盗み出せるのも、万一移動している途中に偶然僕たちと遭遇しても、心配で来てみたとか忘れ物をしたとか言って誤魔化すことが出来るのも…」
そこでカレンに向き直り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「カレンさん。あなたしかいないんですよ」
カレンは青い顔で視線をそらし、それから何かを思いだしたようにこちらを向いた。
「…そ、そうだわ。あなたさっき言ってたじゃない。ヴィレグが村人を操っている可能性もあるって。だったら私がヴィレグを見たのも嘘じゃないし、第一あなたの言ったことだって、村の人だったら覗いたり忍び込んだりすれば簡単に出来る事だわ!」
ミケは目を閉じて溜息をつき、再びカレンを見た。
「…昨日の夜に見回りをしていて、あなたが持っていた籠を見つけたと言いましたよね」
「え?ええ…あの籠にだって、ちゃんと山菜が詰まっていたでしょう?私は本当に、山菜を採りに森に入ったのよ」
「その時に、僕は奇妙に思ったんです。それが何なのかは、ついさっきまで僕自身にもつかめずにいたんですが…
籠を拾ったとき、おやと思ったんですよ。あなたの証言では、ヴィレグは2本足で立つ、銀の毛皮に金の瞳をした大きな獣で、それが上から降ってきた…と言っていましたね。ですが、籠の落ちていたあたり、つまりあなたがヴィレグに襲われた場所の地面を見ても、そんな大きな獣が上から降ってきたような爪痕も足跡もなかったんですよ。その時は、そんなこともあるかもしれない、程度にしか思っていなかったんですが…
ヴィレグは、先程も言いましたがほとんど風化しつつある伝説です。食べ物を残すと魔女に連れて行かれるとか、おへそを出していると雷様にとられてしまうとか、子供を戒めるための大人の作り話程度にしか認識されていなかったようです。実際、ヴィレグの詳しい伝承を知っていたのは、少々お年を召されて記憶も怪しいようなお年寄りただ一人でした。アセイさんが殺されたときにカレンさんの家にやってきたリキさんも、ヴィレグのことを『年寄りの世迷い言』と言っていましたしね。
そしてカレンさん、あなたも、ヴィレグの姿形を、この事件で初めて見て知ったと仰有いましたね」
「え、ええ…それが、どうしたの?」
ミケは一呼吸おいて、ゆっくりとカレンに尋ねた。
「そんな、ほとんど信じられていないような伝説の魔獣で、あなたはそれまでその姿形すら知らなかったというのに…森を歩いていて、突然上から降ってきた得体の知れないモンスターを、なぜあなたは迷わず『ヴィレグ』だと判断したんですか?」
その場の空気が、一瞬凍り付いた。

カレンの顔色が異様に白く見えたのは、頭上で光る銀色の光球のせいだろうか。
光の球は、すでにかなり効力を失い、弱々しい光になっていた。
カレンはうつろな瞳でその球を見上げ、呟いた。
「…暗くなってきたわね…」
そしておもむろに右手を上げると、その手のひらの上に銀色の光の球が出現する。
冒険者たちは息を飲んだ。
「カレン…じゃあやっぱり…あんたが…?」
クルムがおそるおそるカレンに問うた。
カレンはそちらに向かってにこりと微笑むと、ミケの方を向いた。
「とても面白い推理だったわ…まさか見破られるとは思ってなかった。でもねミケ。あなたの推理、根本的に間違っていることが一つだけあるわ」
「間違っていること…?」
ミケが問い返すと、カレンはまたにこっと微笑み、そして目を閉じて俯いた。
すると、カレンの身体が銀色に光り出し、その焦げ茶色をした豊かな髪がふわりと膨らむ。
次の瞬間、髪は根元から、ざぁっとまばゆい銀色に変化した。
すでに隠れている月の光を集めたかのような、鮮やかな銀色。両耳の後ろには、やはり一瞬にして生えてきた、3対の角。
カレンは目を閉じたまま妖しく口元をゆがめると、ゆっくりと瞼を開いた。
その瞳は、金色に輝いていた。
「…ヴィレグを装って殺人をしていたんじゃないのよ」
そして、再びにっこりと微笑む。
「私が、ヴィレグなの」

第5話へ

ナンミンは、まだ気絶していた。