善意無き村人-Kindless Villagers-

静かな村にはあまり似合わぬ騒がしさに、ルフィンは目を覚ました。
日が射さないのでよく分からないが、まだ夜は明けきっていないようである。カーテンを少し開けて外を見ると、7,8人の青年が青ざめた顔でなにやら話し合っていた。その周りで、心配そうに身を寄せあって囁き合う若い女性や、声を潜めているつもりだろうが30メートル先までよく聞こえそうな声で噂し合う中年の女性達。いそいそと駆け回る中年男性や、彼らに指示をしている村長らしき恰幅のいい男性…おや、家の扉の陰に隠れて泣いている少女もいる。
(…?なにかあったのか…?)
ルフィンは不思議に思いながら、簡単に身支度をした。
ノックの音。
「誰だ?」
扉に向かって問うと、向こうから不安げな声が答えた。
「あの…カレンよ。ちょっと…開けてもらえる?」
「ああ、開いてるぜ」
ややあって扉が開き、向こうから声と同じ不安げなカレンが姿を現す。
「どうしたんだ?なんか…騒がしいけど…」
ルフィンが言うと、カレンは困ったように視線を逸らした。
「あの…外で…なにかあったらしいの。まだ、私にもよく分からないんだけど…外の、その…噂話を聞いているとね、どうも…人が死んだ、らしいの…」
「死んだ?」
カレンの言葉に、ルフィンは眉をひそめた。
「…殺されたらしいです」
声は別のところからした。カレンの後ろから、ミケがひょこっと顔を出す。
「殺された…だって?!」
「ええ…村の方達の様子を、ごらんになりましたか?普通の…まあ、普通の死に方という定義も難しいところですけど、普通の死に方をしたなら、こんな風に騒いだりはしないでしょう。彼らの様子は、故人を悼むと言うよりむしろ…」
「恐怖と好奇心、だな」
そのさらに後ろから、クルムが苦い顔をして姿を現した。
「自分の知り合いが死んだって言うのに、何てやつらだ」
「誰が死んだのかはわからないのか?」
ルフィンが問うと、カレンは目を閉じて首を振った。
「直接聞きに行った訳じゃないから…」
「…死体だったら…見た、よ」
また別のところからかかった声に、全員が振り返った。瑪瑙である。
「…この裏の、森を少し入ったところ。…俺は、この村の人間じゃないから…誰なのかまでは、わからないけど、ね」
「あんたが村の人に知らせたのか?」
クルムが問うと、瑪瑙は苦笑した。
「…そんなこと…俺がしなくても、あの状況ならいずれ誰かが見つけるだろうと思って、ね…それに、エルが…見てしまって。気分が悪くなったようだから…休ませてきたところ」
「気分が悪くなるような死体だったのか?」
ルフィンが少し青ざめた顔で言うと、瑪瑙は少しカレンの方を見て、そして視線を戻した。
「…心臓が、えぐり抜かれていた」
瑪瑙の言葉に、カレンに限らず全員の表情が凍り付く。
それはすなわち、まさに昨日カレンを襲った魔獣を指し示していた。
人の心臓を食べる…ヴィレグという名の、伝説の魔獣。
「…あ、あのね」
カレンはおずおずと、申し訳なさそうな表情を向けた。
「その…怒らないでね?こんな、村の全員が顔見知り、って言うところだから、その…」
カレンの言葉は、最後まで続かなかった。
ドンドンドン!!
2階からでも聞こえる激しいノックの音に、カレンはびくっと身を震わせた。
「カレン!起きてるか?!開けてくれ!」
野太い、中年男性のものらしき声。
カレンは軽く会釈をし、ぱたぱたと玄関へ駆けていった。

「どうしたんですか?」
ドアを開けると、先程の村長らしき中年男性と、その後ろに数人の若い男性が、険しい表情で立っていた。
「アセイが…死んだ」
「アセイさんが?!」
「ああ…森の中で死んでいるのを、ついさっきマリナが見つけたんだよ」
「カレン、お前のところに、よそ者が一人、泊まっていただろう」
後ろにいた青年が、嫌悪感を隠そうともせずに言う。
「えっ…ええ、でも…」
「出してもらえねえか。ちょっと、話を聞きたいもんでね」
「まるであたし達がやったような口ぶりだな」
こらえきれないといった様子で、ルフィンが姿を現した。続いて、クルムとミケ、瑪瑙も現れる。
カレンが、困ったように村人達と冒険者達を交互に見た。
村長らしき男性が、厳しい目で冒険者達を見る。
「誰だね、あんた方は」
問われて、ルフィンはきょとんとする。
考えてみれば、彼らは昨日の晩に初めてこの村にやってきたのだ。村人達の言う「よそ者」とは、クラウンのことである。
「僕はミケといいます。昨晩、ヴィーダからリストフに行く途中、この森に迷い込んだところを、カレンさんに助けていただきました。夜も更けていましたので、この村まで案内していただいて、泊めていただいたんです」
状況を飲み込めないルフィンに変わって、ミケが前に出る。村長はうさんくさそうに、じろりと彼を見た。
「つまりは、あんたもよそ者、というわけだな」
「よそ者よそ者って、うるさいやつらだな。あたし達がやったって根拠でもあるのかよ」
状況は飲み込めないが腹は立つらしく、ルフィンがくってかかる。するとそれにさらに腹を立てたのか、後ろの青年の一人が言った。
「簡単じゃねえか。俺達がやったんでなけりゃ、よそ者がやったに決まってらあ」
「…短絡、だね」
瑪瑙がぽつりと言う。小さな声だったが、不思議に存在感があり、皆一斉に彼の方を見た。
「…確かに、俺達は、よそ者だけど、ね…この村の人間のこと、全然知らない俺達より、よく知ってる貴方達の方が…よっぽど、殺す理由がありそうなもの」
「なんだと?!」
先程とは別の青年が、顔を真っ赤にしてくってかかる。ミケが慌てて仲裁に入った。
「ちょっと、落ち着いて下さい!瑪瑙さんも。僕たちは何もしていませんよ。僕たちは本当に、夕べ一晩の宿を貸していただいただけで、今日にも失礼させて頂くつもりでいたんです」
「残念だが、あんた達をこの村から出すわけにはいかんな」
村長が、厳しい表情でそう言った。
「我々は、基本的によそ者の言葉は信用しないことにしているんだ。悪いが、村のみんなの結論が出るまで拘束させてもらう」
「結論?」
クルムが問うと、村長は即座に答えた。
「もし、あんた達がやったということであれば、それ相応の罰を受けてもらう。生きてこの村を出られるとは、思わん方がいい」
「…処刑…か」
瑪瑙がおかしそうに、クッと低い笑みを漏らした。
「…出来るものなら、やってみるといい…ただし、こちらも抵抗は、させてもらう、よ…?その時、貴方達がただで済む保証は、出来ないけど、ね」
村人達も、そして冒険者達までもが、瑪瑙の瞳の光に戦慄した。
彼は、本気だった。
「…瑪瑙さん」
ミケが本気で、たしなめるように睨むと、瑪瑙は肩をすくめてそのまま沈黙した。
「…確かに僕たちは冒険者です。あなた方よりは、はるかに戦いに長けているかもしれない。けど信じて下さい。僕たちは本当に何もしていません」
「それに、人間がやったかどうかも、怪しいんじゃないのか?」
クルムが続けて言うと、村長はじろりと彼を睨んだ。
「どういうことだね?」
「だって、心臓がえぐり抜かれてたんだろ?そんな芸当、人間には…」
「クルムさん…!」
ミケが叱責するようにクルムに視線を向けたときには、遅かった。
「どうしてそのことを知っているんだね?」
クルムに向けた目をさらに厳しくして、村長がゆっくりと言った。
「私達は、君たちにアセイがどんな状況で死んだのか、伝えていなかったと思うがね」
「瑪瑙さんが、あなた方が発見するより早くに、死体を発見していたんです」
しかたがないといった様子で、ミケが説明する。だが今の発言が心証をさらに悪くしたのは、言うまでもなかった。
「…どうだかな。その瑪瑙とか言う兄ちゃんが殺したんじゃねえのか?」
先程の瑪瑙の言葉にくってかかった若者が、それ見たことかといった表情で言う。
瑪瑙は彼に一瞥をくれただけで、黙っていた。
「…どうやら、やはり拘束させてもらうしかなさそうだな」
村長がそう言うと、カレンが慌てて間に入る。
「ま、待って下さい!この人達は…!」
その行為に、村の若者達はさらに怒りをつのらせたようだった。
「どけカレン!こいつらは殺人者なんだぞ!」
「だいたい、お前がよそ者を泊めたときから、こうなるんじゃないかと…」
「人の話は最後まで聞いたらどうなんだよ!!」
若者の言葉を遮って、ルフィンの大声が辺りに響き渡った。

村人の、カレンの、そして冒険者達の視線が、一斉にルフィンの方を向く。
今まで状況が飲み込めず話に入れなかった彼女だが、村人達の理不尽な行動と、同じ村人であるカレンにまで怒りの矛先を向けたことに相当腹が立ったのか、混乱しかかっていた場が一気に静まり返るほどの大声で、彼女は叫んでいた。
「バカじゃねえのか、お前ら?!クルムがもし犯人だったら、わざわざ自分が不利になるようなことぺらぺら喋るわけねーだろうが。クルムの話には続きがあるんだろ?捕まえんのはそれからでも遅くないんじゃねーのか?」
村人達は眉を寄せてお互いの顔を見合った。
その沈黙をついて、クルムが再び喋り出す。
「…あ、その、話が戻るけど…普通の人間に、心臓をえぐり抜くなんて芸当、どう考えても無理だろ?そんなことわざわざしなくたって、下手すりゃ後ろからぶん殴っただけでも、簡単に死んじまうもんなんだよ、人間って。それに、この村の伝説にあるんだろ?心臓を食べる魔獣の…確か、ヴィレグとか…」
「はっ!何を言うかと思ったら…」
後ろの若者が、馬鹿にしたように笑った。
「言うに事欠いて、ヴィレグだと?そんな年寄りどもの戯言で誤魔化されるとでも思って…」
「違うの!!」
遮ったのはカレンの声だった。
「ヴィレグは本当にいるわ!私、昨日襲われたんだもの!」
「ほ、本当か、カレン?!」
村長が青ざめた顔でそう訊いた。
「ええ…大きな銀色の、狼みたいな姿をしていたわ。二本足で立って…瞳は金色に光ってて、左右に大きな角が3本ずつ…」
カレンは昨日の恐怖を思い出したのか、かすかに震えながら説明する。
「お…同じだ…言い伝えと…」
村長がさらに顔を青くして呟く。若者達と違って、彼は年の分だけ、言い伝えに対する認識も違うらしい。
沈黙の隙をついて、クルムがさらに続けた。
「心臓をえぐり抜くなんて、人間の仕業とは思えない。もしこれが、そのヴィレグって言うヤツの仕業だとしたら、オレ達がこんなとこでいがみ合ってても何の解決にもならないと思うぜ。オレ達は冒険者だ。あんた達よりは、魔物と闘った経験も多い。それに、人が一人死んでるんだ。放ってはおけない。出来れば魔獣を探し出して、倒したいんだ。捕まってちゃ、それもできないだろ?」
「それに…さっきの瑪瑙さんの言葉じゃありませんけど、僕達は本当に夕べここについたばかりで、カレンさん以外のこの村の人と会うのはあなた方が初めてなんです。何なら、村の他の方に確認を取っていただいても構いません。この村の方にまったく面識もない僕たちに、殺す理由なんてあり得ないと思いますが?」
ミケも真面目な顔で自分の考えを述べる。
その隣で、ルフィンが未だに険しい表情で腕を組んだ。
「他のみんなはどうだかしらねえけど、あたしは別に捕まろうと牢に入れられようと一向に構わねーぜ?あたし達を牢にぶち込んで、その上で次の犠牲者が出ないと納得できないんなら、そうすりゃいい」
言い終えて、反応を待つ。
村人達はしばらくひそひそと何か話し合っていたが、やがて意を決したように村長が前に進み出た。
「あんた達…魔物を倒せるのか?」
「それはわかりませんが、少なくともあなた方よりは闘う力はあると思います」
「じゃああんた達の手でヴィレグを倒してくれ。そうすれば信用してやろう」
村長の言葉に、ルフィンは苦い顔をして頭を掻いた。
「…言い方は少し引っかかるが、まあいい。人が殺されたとあっちゃ、ほっとく訳にもいかねーからな」
「よ、よし。じゃあさっそく調査を開始してくれ。もうこれ以上の死人はごめんだからな」
尊大にそういうと、村長は村人達を連れて出ていった。
残されたカレンが、申し訳なさそうに冒険者達を見る。
「…ごめんなさい、みんな、気が立ってて…」
「構わないよ。人が一人死んでるんだ、無理もない」
クルムが微笑んで答える。
「あの…私、あなた達がやったなんて、思ってないから…」
おそるおそる言うカレンに、ミケもにっこり笑った。
「わかってますよ」
カレンは、パッと顔を輝かせた。
「私、ご飯作ってくるね!」
そして、ぱたぱたと台所の方に駆けていった。
「僕はカレンさんを手伝っていますね。皆さんは先にダイニングの方に…ああ、エルさんにも朝食だと、伝えて下さい」
「…了解。…気分が直ったようだったら…連れて、来るよ…今あったことも、伝えなきゃならないし、ね…」
瑪瑙がそう言って、2階に上がっていった。いつのまにか、エルの面倒は彼が見ることになっているらしい。続いてミケも、キッチンの方へと向かう。
「じゃあ、あたしはダイニングの方に行こうかな」
「あ、ルフィン」
ダイニングに向かおうとしたルフィンを、クルムが呼び止めた。
「ん?なんだよ?」
「さっき、ありがとな。助けてくれて」
「さっき?」
ルフィンは首をひねったが、すぐに思い当たった。クルムの不用意な一言で逆上した村人達を、怒鳴って落ち着かせたことを言っているのだ。
「礼には及ばないよ。あいつらにはあたしも頭にきてたし…それに、仲間だもんな」
屈託のない笑みを浮かべてそう言うルフィンに、クルムの顔も自然にゆるんだ。

魔獣の伝説-Moonless Beast-

「…へえ、そんなことがあったんだ」
思ったより洗練された手つきで、器用にナイフとフォークで料理を切り分けながら、クラウンはそう言った。
「本当に気がつかなかったんですか?けっこうな騒ぎになっていたんですが…」
ミケが眉をしかめてそう言うと、クラウンは首を振った。相変わらず仮面を付けているので、表情は見て取れない。今は食事用なのか、口のところだけ開いた仮面を付けている。食べにくいことこの上ないだろうが、本人に気にする様子はない。
「ううん、全然。僕、けっこう寝起きは悪い方なんだ。そうか、そんな騒ぎになってたなら、起きてればよかったなぁ。面白そうだったのに」
「面白そうって…」
クラウンの感想に、クルムが眉をしかめる。当人達にとっては、面白くも何ともない騒ぎだったのだから。
「あ、あの…僕も、寝ていて、気がつかなくて…」
クラウンを庇おうとしているのか、エルがおずおずと言う。
「いえ、別に気がつかなかったのが悪いと言っているわけではないんですが…とにかく、魔獣を退治するまで、この村にいることになりました。皆さんも、それでよろしいですね?」
「あたし達は別に構わないけど、ミケは用事があるんだろ?いいのか?」
ルフィンが問うと、ミケは苦笑して答えた。
「こんな状況ですし、しかたがないですよ。急を要する用件でもありませんし。親方も、事情を話せばわかってくれると思います」
そこでスクランブルエッグを一口。丁寧に噛んで飲み込んでから、ミケは言葉を続けた。
「カレンさん、魔獣について詳しく聞きたいんですが、何かご存知ですか?」
「あっ…ええと、私も詳しくは…月のない夜に現れて、人間の心臓を食べる、位しか知らないの。姿も、昨日初めて見て、知ったくらいで…」
「誰か、伝説に詳しい方をご存知ありませんか?」
「あ、長老なら、多分詳しく知ってると思うわ。さっきの、村長の…お父様でいらっしゃるのだけど…」
村長の名前を出すときに多少言いよどむ。先程のことを、まだ気にしているのだろうか。
「そうですか…まぁ、多少心証は悪いでしょうが、この村の方でしたらどなたに聞いてもおそらく友好的には答えていただけないでしょうね。その点彼は、僕たちに魔獣を倒すことを依頼…まぁ、依頼と言うには多少語弊がありますが…されたわけですし、魔獣に関して調べることを露骨に邪魔したりはしないでしょう」
「じゃあ、そいつのところにはあたしが行くよ」
パンをかじりながらルフィンが言う。
「わざわざむかつくヤツらのところに行くよりはその方がいいだろ。魔獣の伝説とやらも、興味があるしな」
「…あ…あの、僕も、ルフィンお姉ちゃんと一緒に…」
エルも続けておずおずと言った。
「わかりました。クルムさんはどうしますか?」
「オレは…そうだな。殺された人のことを、詳しく聞きたいんだけど…」
「アセイさんね。アセイさんは、ソウさんとマリナさんの息子よ。確か、24歳くらい…だったと思うわ。年の離れた妹さんがいて…家は村の北の方にあるわ。あとで地図を書くわね。…でも…」
カレンはそこまで言って、表情を曇らせた。
「マリナさんは、そうでなくてもとても気性の激しい人なの…まして、村のみんなはほとんどあなた達を犯人だと思っているわ。行って、何か話を聞けるとは思えないのだけど…」
「そんなの、行ってみなくちゃわかんないだろ?大丈夫、なんとかなるさ」
言ってクルムは微笑んだ。
「じゃあ、僕はここに残って、カレンさんにお話を聞くことにしますね。彼女も、ヴィレグに襲われた人の一人ですし」
「…じゃあ、俺も…そうする、よ」
ミケの言葉に、瑪瑙が静かに続く。
「僕もここにいるね」
クラウンもゆっくりと頷いた。
「では、食事が終わったら、皆さんそれぞれに行動して頂く、ということで。」
ミケはそう言うと、再び食べ始めた。
冒険者達の依頼主、ということもあるのだろうが、いつの間にかミケが仕切るのが暗黙の了解になっている。確かに5人の中で、一番頭の回転が速く、常識があって、人当たりがいい。先頭に立って仕切り、相手と交渉するには、うってつけの人材である。
…童顔(しかも女顔)なのが惜しまれるところだが。

「儂に、何か用、かいの?」
村で一番大きな村長の屋敷でルフィンとエルを迎えたのは、あの村長をそのまま老人にしたような、恰幅のいい老人だった。老人特有の緩慢な動作と、こちらが見えてるのか見えてないのかわからない焦点の合わない目つき、そしてゆっくりとした喋り方。一見して…
(…このじーさん、ボケてんじゃねーのか…?)
…と思わせた。
「…あ…あの…、この村に、伝わる…ヴィレグって言う、魔獣のことを…聞きに来たん、ですけど…」
たどたどしい口調で問うエルに、老人はたっぷり3分間黙っていた。
そしておもむろに、右手を右耳の後ろに持っていき、
「………あぁ?」
…聞こえていなかったらしい。
「だめだよエル、そんなんじゃ」
ルフィンがエルを押しのけて、老人の耳元に顔を近づけた。
「じーさん!ヴィレグについて、何か知ってるか?!」
一言一言はっきりと、過剰なほど大きな声でそう言う。
老人はまたたっぷり30秒は黙っていた。
「…お前さん達…ヴィレグを、知っておるのか…?」
「知らねーから聞きに来たんだよ!」
ルフィンがイライラした様子で言う。老人は少し俯いて、そしてゆっくりと語り始めた。
「…この村は…ヴィレグを守ってきた、村なのじゃ…」
「…守ってきた?」
ルフィンは聞き返しながら、何故か懐からメモを取りだして、何やら書き始めた。
「…ヴィレグ…遥か昔、この山に住んでおった魔獣の名じゃ。やつがおった故に、この山は、人が足を踏み入れられぬ魔の山となっておった。人々は何とかやつを倒そうと、各国から勇者と呼ばれた強者達を集め、やつに挑んだ…」
老人の口調は、語り慣れているのか先程よりしっかりしたものになっている。
「熾烈な戦いだったそうじゃ…やつは力が強いだけでなく、知恵にも長けておった。月のない夜にしか現れぬが、月がある間には一体どこに潜んでいるのか誰にもわからなかった。やつは誰よりもこの山と、この森を知っておった。何人もの勇者達が、やつに心臓を喰われていった…」
エルがぞっとしたように身をすくめた。
「じゃがついに、やつにも終わりの時が来た…やつを倒したのは、遥か遠い異国の、偉大な魔法使いじゃった。彼はやつを倒すと、もう二度と蘇らぬように厳重に封印した…ちょうど、この村の辺りにな」
「…じゃ、じゃあ…」
エルが先を促すのを聞いていたのかいないのか、老人は続けた。
「この村は、ヴィレグの封印を守るための村…やつが二度と蘇らぬように…悪しき者の手によって、やつの封印が解かれるようなことがないように。我らは皆、やつを倒した偉大な魔法使いの血を引くものなのじゃよ。じゃから我らは、この村の存在を誰にも知られてはならぬ。この村から出てはならぬ。外の人間と交流を持つことが許されぬのじゃ。それがこの村の、掟…」
老人はそこまで言うと、急に目を見開いて、二人を見た。
「お前達…誰じゃ?!この村の者ではないな?!どうやってこの村に入った!さてはヴィレグが復活したのも、お前達の仕業じゃな!」
「え…あ、あの…っ」
急にものすごい剣幕で怒鳴りだした老人に、エルは怯えて後ずさった。
「おいおい、本格的にヤバいなこのじーさん。エル、逃げるぞ!」
ルフィンは素早くメモをしまって、変わりにエルを担ぎ上げ、怒鳴る老人を尻目に部屋を出ていった。
「待て!待たんか…!!」

「いやー、ひどい目にあったな。何だよあのおっさん、じーさんに話通してくれてんじゃなかったのかよ」
「通そうと思っても…通せないと思う…あれじゃ…」
村長の屋敷を出てカレンの家に向かう道すがらぼやくルフィンに、エルがフォローになっていないフォローを入れる。
「それもそうだな…と、じゃあエル、後は任せたぜ」
ルフィンはそう言うと、先程何やら一生懸命書いていたメモをエルに手渡した。
「…?…」
めくると、先程の老人の言葉が一言一句違わずに書いてある。もちろん、口調もそのままの言葉だ。
「…これ…?」
エルがよく分からないと言った表情でルフィンを見上げると、ルフィンは苦笑した。
「あたしは小難しいことは苦手でね。さっきの話だって、覚えられないのわかってるからメモしといたよ。説明するのも面倒だし、あたしは戻ったら今日の夜に備えて少し寝ることにするよ」
ルフィンはそう言うと、さっさと先にカレンの家に戻っていってしまった。
「…ル…ルフィンお姉ちゃん…?」
取り残されたエルは、呆気にとられた表情でその背中を見送っていた。

「…じゃあ、どの辺りからヴィレグが現れたかというのは、まったくわからないんですね?」
「ええ…突然上から降ってきた、としか言いようが…気配も全然感じなかったし…ごめんなさい、あまりお役に立てなくて」
「いいえ、お気になさることはありません。あとはそうですね…出来れば、この村の周りの地形を教えていただけますか。あなたが昨日、どの辺りでヴィレグに遭遇したのかも…」
「あ、はい。この村は、山の東側に位置しているの。今日は朝日も出ていないし…いまいち方向が掴みにくいかもしれないけど、外に出ると、向こうの方に崖が見えるでしょう?あちらが西側よ。西側の崖を背にして、ぐるりと森に囲まれる形になっているわ。森はかなり深くて…私達でも、下手をすると迷ってしまうから、あまり入らないの。もちろん、この村に出入り口は、無いわ」
「昨日は、どうしてあんなに遅くに森にいらっしゃったんですか?」
「夕飯に使う、山菜を採っていたの…あまりのことに混乱して、せっかく採ってきた山菜、全部あそこに置いてきてしまったけどね」
カレンはそう言って苦笑した。
「あのあたりは…この村の東の森、になるかしら。方向は間違っていないはずよ」
「わかりました。またそこに出現するとは限りませんが、参考にしておきます」
「今夜…ヴィレグを倒しに?」
「そうですね。月のない夜に現れると言うことですので、今夜、月が出ていなければ。それに、ヴィレグがどこに潜んでいて、どこから現れるのかまったく見当がつかないので…この村をぐるりと囲む森を、手分けして見張ることしかできないですね。他の方達のお話を聞かないと、何とも言えませんが」
「そういえば…遅いわね、他のみんな…」
カレンが心配そうにドアの方向を見た。まだ村人達の態度が気になるのだろう。
「ただいまー」
その時、玄関からルフィンの声が響いた。程なく、カレン達が話をしているダイニングルームに、ひょこっと顔を出す。
「ルフィンさん。どうでしたか?お話は聞けましたか?」
「ああ、あのじーさんボケてて、ちょっとひどい目にあったけどな。とりあえず、話は全部エルに聞いてくれよ」
「え?あ、そういえばエルさんは?」
「すぐ来るだろ。一緒に屋敷を出たんだから。今日はちょっと早く起こされちまったし、どうせ夜はやつを倒しに行くんだろ?あたしはちょっと、眠らせてもらうよ」
「え、あ、ちょっと、ルフィンさん?」
ミケの制止の声も聞かず、ルフィンはさっさと2階の自分の部屋へと戻っていった。
「もう…しょうがないですね。クルムさんのことも気になりますし、僕はちょっと、二人を探しに行ってきます」
「あ、じゃあ僕がエルの方を探しに行くから、君はクルムの方に行ってよ。ね」
ミケが立ち上がってそう言うと、クラウンが続けて立ち上がった。
今までずっと黙っていた彼が突然そう言ったので、いまいち真意がつかめずに少し考えていたが、こちらに戻ってきているとわかっているエルより、クルムの方が少し心配だ。ミケはそう判断すると、頷いて答えた。
「わかりました。僕はクルムさんが向かった家に行ってみます。クラウンさんはエルさんを探して下さい」
「わかったよ」
「じゃあカレンさん、行ってきますね」
「行ってくるね、カレン」
「あ、はい。いってらっしゃい。お昼ご飯を用意して待っているわ」
カレンはにっこり笑って、ドアの向こうに消える二人に手を振った。
「…済まない、ね…大勢で、やっかいになってしまって」
ダイニングルームに一人残った瑪瑙が言うと、カレンは笑顔のまま、首を左右に振った。
「気にしないで。こんなに人が大勢いるのは、久しぶり。私、とっても楽しいのよ」
「…君は、ずっと一人で、この家に?」
「ええ。ちょうど5年前に家族を亡くしてから、ずっと一人よ」
「…家族」
「父さんと、母さんと、おばあちゃんと、お兄ちゃんがいたの。みんな、事故で…」
カレンはそこまで言って、思い出してしまったのか急に表情を曇らせた。
「…悪いことを、聞いてしまったみたいで…済まない」
瑪瑙は言って、カレンの頭をそっと撫でた。
そしてそのまま、その手を頬に滑らせ、やわらかく微笑みかける。
「…でも、君が無事で、よかった…」
カレンは瑪瑙の顔を見て、ポッと頬を赤らめた。そしてごまかすように辺りをきょろきょろと見回して、落ち着かない様子でその場に立ち上がる。
「あ、あの、ほ、本当にエル、遅いわね。私も、ちょっと探しに行ってくるわね」
そして、瑪瑙の返事も待たずに、ぱたぱたと部屋を出ていった。
瑪瑙はしばらく、それを笑顔で見送っていたが、ふいにすっと笑みを崩し、椅子の背にもたれて、腕を組んだ。
そして、どこへともなく、言葉を紡ぐ。
「…フィ」
すると、どこからともなく、女の声がそれに答えた。
『お呼びになりまして?メル』

姿無き声-Formless Voice-

否、それを声と呼ぶには、適当ではなかったかもしれない。
それは、物理的に耳に響く声ではなかった。精神に直接響く声…しかし、精神感応能力のない者でも聞こえる声。地の底からわき上がってくるような悪寒を感じさせるその声は、しかし確かに「女性」の声であることを感じさせた。
「…ヴィレグという魔物に関して…何か知っていることは?」
瑪瑙はゆっくりと、その「声」に向かって訊いた。確か、フィ、と呼んでいたか。
『全く存じませんわ。わたくしが存じ上げているのは、中級から上級の魔族のみ…このような世界で、人間なぞに倒されて、封印されたままくすぶっている下級魔族のことまでいちいち覚えていては、きりがありませんわ』
その言葉に、瑪瑙はおかしそうに、クッと低い笑みを漏らした。
「…君の口から、そんな言葉を聞くとは、ね…」
声はむっとしたように押し黙った。
瑪瑙は質問を続けた。
「…昨日、カレンが襲われたとき…やつの気配は、どっちの方向に逃げた…?」
瑪瑙の質問に、女の声は意味ありげにくすくす笑った。
『気配は、感じませんでしたわ』
「…感じなかった…?」
『ええ。ですからどっちの方向に逃げたのかも、わかりかねますわ』
「…君が何を言いたいのか、わからない、な…」
『別に?他意はありませんわ。わたくしは事実を述べているだけです』
瑪瑙は嘆息して沈黙した。『彼女』がこういう言い方をするときは、それ以上は喋ってくれない。こちらが的確な質問をしなければ。
『それにしても…どういう風の吹き回しです?メル』
声は、またくすくす笑いながら言った。どうやら、彼女が言っている「メル」とは、瑪瑙のことであるらしい。何故彼女がそう呼んでいるのかはわからないが。
「…何、が?」
『あんなことを言われてなお、こんな村に留まって、しかも魔獣退治なんて…いつもの貴方らしくないのではございませんこと?』
「…別に…奴等が殺されようとどうしようと、知ったことじゃないけど、ね…カレンには、世話になったし…このまま帰ったら、彼女の立場が、悪くなる…ま、他の奴等とも、もうしばらくは共に行動しないとならないし、ね…」
『ふふふ…ずいぶんあの娘にご執心ですこと』
「…どう、かな…それに」
瑪瑙はそこで言葉を切って、唇の端を少しゆがめた。
「…そろそろ君にも『エサ』をあげないとね…大変なことになる」
声はそこで、完全に沈黙した。
瑪瑙は構わずに、顎に手を当てて考える。
「…しかし…あの、クラウンとか言う男…どこかで…」
瑪瑙はしばらくそのまま記憶の糸をたどっていたが、ふいに何かを思いだしたようにその目が見開かれた。
「…まさか…だとすれば…」
瑪瑙は鋭い目をして立ち上がった。

表情無き笑顔-Faceless Smile-

「こんな所にいたんだ」
後ろからかけられた声に、エルは振り向いた。
「…クラウンお兄ちゃん…」
カレンの家の庭にある、花壇である。花壇と言うよりは、花畑と言った方がよいか。整備された雰囲気ではないが、色とりどりの花が咲き乱れていて、ふと見入ってしまったのだ。
「ルフィンしか戻ってこないから、心配したんだよ。何してるの、こんな所で」
「…お花が、綺麗だから…」
皆が一様に胡散臭がる、この仮面の青年を、エルはそれほど嫌いではなかった。確かに顔は見えないが、声は穏やかで、口調も優しい。そんなに悪い人ではないと、エルは思っていた。
「今日は、イヤなもの見ちゃったんだってね…大丈夫?」
クラウンは、しゃがんで花壇を見つめているエルの横に、同じようにしゃがんで、エルの顔をのぞき込んだ。
エルは少し青ざめた顔で、こくりと頷いた。
「…もう、大丈夫…」
クラウンはしばらくエルの横顔をじっと見ていたが、やがて花壇に視線を向けた。
「綺麗なお花だね…でもさ、こっちのお花も綺麗だよ」
そう言って、エルの前に手を出す。その手の先から、作り物の花がポンッと顔を出した。
「…わぁ…」
エルの目が驚きに見開かれる。クラウンはさらに、次々と指先から花を出していった。
「すごい…」
先程までの青ざめた顔に赤みがさし、表情がやわらかくなる。性格なのか、あまり感情が表には出ないが、それでも気分を紛らわすのには成功したらしい。
クラウンはさらにいくつかの手品を、エルに披露した。
「…クラウンお兄ちゃんって…すごいね…」
「どう?ちょっとは気が紛れたかな?」
「…えっ…あ、うん…。…えっと…その…」
「エル」
何か言いたげにもじもじしているエルの背後から、突然声がかかった。
振り向くと、いつの間にか瑪瑙が立っている。
「…瑪瑙お兄ちゃん…」
「…カレンが、探していた、よ…もうすぐ、ランチの時間だ…早く、戻った方が、いい」
「あっ…う、うん…」
言われて、エルは立ち上がり、家に向かってとことこ歩き出した。
そして、ふと足を止めて振り返り、おずおずと口を開いた。
「…あ、あの…クラウンお兄ちゃん…」
「ん?何?」
「…えっと…その…あ、ありがとう…」
クラウンは一瞬の沈黙のあと、手を振った。
「どういたしまして。また見せてあげるね!」
エルは少しはにかんで、くるりときびすを返すと、足早に家の方に向かっていった。
クラウンもゆっくり立ち上がって、瑪瑙の横を通り過ぎようとする。
と、瑪瑙が無言で右手を上げて、それを制した。
「…?瑪瑙?」
「…君の部屋にあった、大鎌…あれが、君の武器、かな…?」
「…僕の部屋に入ったの?」
クラウンの声のトーンが、やや下がる。
「…気になることが、あったから、ね…やはり、あれが君の武器、か」
「…だったら、何?」
「…噂に聞いたことがある…ピエロの仮面を付け、漆黒の衣装を着て、大鎌を使う、暗殺者…『死を運ぶ道化師』…」
瑪瑙の言葉に、クラウンの身体が少し震えたように見えた。
長い沈黙が落ちる。
と、突如、クラウンが少し身を沈めたかと思うと、目にもとまらぬ早さで何かを投げた。それは瑪瑙の左頬をかすめ、後ろにあった木にカンっという軽い音を立てて突き刺さる。
ナイフ。
振り返ることなく瑪瑙はそう悟った。
自分でも動きが見えなかった。かなりの手練れだ。
瑪瑙は無意識のうちに、包帯で巻かれた左手に触れ、身を沈め…
次に待っていたのは、意外な言葉だった。
「危なかったね!大丈夫?!」
あまりに意外な言葉に、瑪瑙は一瞬きょとんと相手を見つめた。
クラウンは瑪瑙の横を通り過ぎ、ナイフが突き刺さった木のところまで歩いていった。
瑪瑙も振り返ってその木を見ると、ナイフには毒々しい色をした蛇が刺さっていた。もう息絶えているようだ。クラウンは木からナイフを抜き、蛇を地面に捨てた。
「毒蛇だよ。もう少しで咬まれるところだったね。ケガはない?」
そこまで言って、先程左頬をかすめたときの傷を見とがめたらしく、大仰な身振りで瑪瑙の方に近付いてきた。
「ああっ!ご、ゴメンね!ちゃんと狙ったつもりだったんだけど、かすっちゃった!大丈夫?痛くない?」
そう言って頬に触れようとする手を、瑪瑙はややイライラした表情で払いのける。
クラウンは払いのけられた手を所在なげに泳がせて、次に深々と礼をした。
「ごめんなさい!今度から気をつけるから!」
瑪瑙は返す言葉を思いつかず、無言で頬の血を拭った。
「…ああ、そう言えば、さっきの話だけど」
クラウンはひとしきり謝り倒すと、急に思い出したように話を変えた。
「…そんな、僕に似た暗殺者がいるんだね。気をつけないと、どこかでその人に間違えられちゃうかもしれないね。…でも」
そこで声のトーンが微妙に変わる。…楽しんでいるかのように。
「そんな、暗殺者の噂を知っているような君も、まともな世界の人じゃない…んじゃないかな?」
瑪瑙の眉が、わずかに寄った。
「さ、確かにもうすぐお昼ご飯の時間だね!僕お腹空いちゃった。先に行ってるね!」
クラウンはそう言って、軽い足どりで瑪瑙のそばを通り過ぎ、家へと向かっていった。
瑪瑙はその後ろ姿が消えるまで、無言のまま見つめる。
クラウンの仮面は、相変わらず陽気な笑みをたたえていた。

悲しまぬ遺族-Tearless Family-

「あんた達に話すことなんか、何もないね!!」
玄関で、クルムにそう怒鳴り散らしたのは、中年を終えてそろそろ初老にさしかかろうかと言うくらいの女性。被害者アセイの母であり、第一発見者(正確な第一発見者は瑪瑙だが)のマリナである。
化粧っ気のない顔は、目の下が涙の跡と隈で見るも無惨な状態になっている。長くクセのある髪はざんばらで、彼女が外見に構っている余裕など無いことが伺えた。
「自分たちが殺したくせに、よくもいけしゃあしゃあと息子のことを聞きに何か来れたもんだ!村長がなんて言ったか知らないけどね、あたしはあんた達を絶対に許さない!今度その顔をあたしに見せてごらん、問答無用で殺してやるからね!あたしは本気だよ!あたしの可愛いアセイを殺したやつは、あたしがこの手で八つ裂きにしてやる!」
「マリナ!よさないか!」
後ろからマリナを羽交い締めにする格好で、彼女と同い年くらいの男性が現れる。おそらくは彼女の夫、被害者の父のソウであろう。
彼は怒鳴り散らしながら暴れる妻を抑えながら、クルムにすまなそうな顔を向けた。
「すまないね、妻は今こんな状態で…あんたがやったにしろそうでないにしろ、マトモに話を出来るとは思えない…村長はあんた達に協力するように言っていたがね。出直してくれないか」
「わかりました。今朝あんなことがあったのに、いきなりここに来るオレも無神経だったかもしれません。また来ます」
クルムは丁寧に礼をして、ドアを閉めた。
「クルムさん」
後ろから名を呼ばれて振り向くと、ミケが立っていた。
「どうでした?」
ミケの問いに、クルムは苦笑して肩をすくめた。
「とりつくしまもないって感じかな。カレンから聞いてはいたけど、一筋縄じゃいかないおばさんだ。話を聞くのは、諦めた方が良いかもしれない」
「困りましたね…せめて被害者が、夕べ、何時頃何をしていて、いつ姿を消したのかだけでも知りたかったのですが…」
二人がドアの前で考え込んでいると、ふいに甲高い声がそれを邪魔した。
「あなたたち、だれ?」
二人は顔を見合わせた。辺りを見回すが、どこにもそれらしき姿はない。
「どこ見てるのよ、ここよ、ここ!」
声はやや下の方からした。見やると、小さな女の子が、足元で不機嫌そうな表情をしている。栗色の髪を可愛らしく左右で結い、山吹色の瞳はややきつめの印象を受ける。年はおそらくエルより下だろう。外見の割に大人びた表情をしているが、口調は少し舌っ足らずだ。
「君は?」
クルムが問うと、女の子はさらに眉をつり上げた。
「あたしが先にしつもんしてるのよ?」
「ああゴメン。オレはクルム」
「僕はミケです。あなたは?」
「あたしはヘキルっていうの。ねぇ、あなたたちが例のよそ者ね?じゃあ、ママが言ってた、お兄ちゃんを殺したやつらって言うのは、あなたたちのこと?」
「お兄ちゃん…というと、あなたはアセイさんの妹さんなのですか?」
ミケの問いに、ヘキルはまた不機嫌そうに眉をつり上げた。
「あたしがしつもんしてるの!」
「あ、ああ、すいません。確かに僕達はよそ者です。でも貴方のお兄さんを殺したのは、僕達じゃありませんよ」
「そう。なーんだ。お兄ちゃんを殺してくれたおれい、しようと思ったのに」
「お礼?」
クルムが眉をひそめて問い返す。
「そうよ。あたしお兄ちゃんだいっきらい。いつもぼうりょくをふるって、あたしをいじめてたわ。あたしだけじゃない、パパにもへいきでどなったり、なぐったりしてた。お兄ちゃんがいい子にしてるのは、かわいがってくれるママの前だけだったわ。あたしもパパもお兄ちゃんがだいきらいだった。村でもひょうばんはさいあくだったのよ。でもママがあのとおりでしょ、だれも口に出してわるぐち言う人はいなかったけどね。ママはお兄ちゃんをすごくかわいがってたけど、あたしはそれがお兄ちゃんをあんなヒトにしちゃったんだと思うわ」
「成る程ね…それでさっき、おばさんはすごい剣幕だったのに、おじさんは割と協力的な感じだったんだな」
ヘキルの言葉に、クルムが納得したように頷く。
「でも自分のお兄さんが死んだのに、お礼を言うなんて、そんな事言っちゃダメだぞ」
厳しい顔でたしなめるクルムに、ヘキルは興味がなさそうな顔でそっぽを向いた。
「ま、じょーしきでかんがえればそうなんだろうけどさ。あたしはしょうじき言って、お兄ちゃんが死んでくれてほっとしてるのよ。とくにここ1週間くらいはひどかったわ。なんかいつもそわそわしてて、あたしがちょっと声かけただけで、すごくおこるのよ」
「そわそわしていた?」
「うん。そわそわしてたって言うか、おびえてたかんじよ。きのうも、ゆうがたから何だかおちつかなくて、家をでたりはいったりしてて。だからあたしもパパもママも、お兄ちゃんがホントはいつ家をでたかなんて、わからないのよ。ばんごはんの時には、いなかった気がするけど」
クルムとミケは、無言のまま顔を見合わせた。
何かを考えるように腕を組んで、ヘキルは続ける。
「もしかしてお兄ちゃん、じぶんが殺されるの、わかってたのかもね」

月無き夜、再び -Moonless Night, Again-

「…それって、どういうことだ?」
ミケとクルムの話を聞いて、ルフィンは首をひねった。
時はすでに夕方。夜の見回りに備えて、昼食の後仮眠を取った冒険者達が、またダイニングルームに集まり、それぞれ得た情報を交換していた。
「わかりません。ですが彼が何かに怯えていたことは確かなようです」
「魔獣のことを、何か知ってたってことか?」
「その可能性もあります。あるいは、彼が怯えていたのは全然別のことで、その別の用件で夜外に出たところを、ヴィレグに襲われたのかもしれません。まだ断定は出来ませんね」
「…とりあえず、今日は見回り、だね。…どうする?」
瑪瑙がゆっくりと、この場の全員に向かって問う。
「とりあえず、この村をぐるりと囲んでいる森を、手分けして見張ることにしましょう。北と東と西…どうしますか?」
「じゃあ、あたしは東を…」
「オレは東の森を…」
ミケの問いに、クルムとルフィンが同時に答え、顔を見合わせた。
「…うーん…戦士系のお二人が一ヶ所に固まってしまうのは危険ですね。僕は非力で、魔法以外ではお役に立てそうもないので…とりあえずお二人のどちらかと組みたいのですが」
ミケが困ったような顔をして言う。
「じゃあ、オレと組もうぜ。東の森でいいよな?」
「はい、わかりました」
クルムが申し出ると、ミケはにっこりと微笑んだ。
「…じゃあ…俺は、ルフィンと」
瑪瑙もうっすらと笑みを浮かべて言う。ルフィンは意味もなくガッツポーズなど取りながら、力強い笑みを浮かべた。
「わかったよ。じゃああたしと瑪瑙は、南の森に行くな」
「じゃあ、僕はエルと…?」
クラウンが言うと、エルは青ざめた顔で少し身をすくめた。
「ぼ、僕…ここにいちゃ、駄目かな…?みんながいない間に、何かあったら、大変だし…」
本当は怖いだけなんでは、と誰もが思ったが、口には出さなかった。
「わかりました。ヴィレグが現れたらもっとも危険なのは、村の中ですからね。エルさんは、何かあったら無理せずに、光の魔法で僕たちに知らせて下さい」
「う、うん…」
エルは少しほっとしたようにはにかんだ。
「じゃあ、僕は一人で、北の森を見回るね」
クラウンは気にした様子もなくそう言う。
瑪瑙は一瞬眉をひそめてクラウンを見た。彼を一人にするのは、危険かもしれない。そう思ったが、口には出さずにおく。今仲間割れするような事態が起きるのは、得策ではない。
「それじゃあ、私、夕飯の用意するわね」
冒険者達の話がまとまったところで、カレンが立ち上がってそう言った。例によって、ミケもその後に続く。
残った者達が談笑を始める中、エルは不安げな表情で、もうだいぶ薄暗くなっている窓の外を見やった。
この村に、再び月のない夜が訪れようとしていた…

「静かですね…」
木々の枝の隙間から、わずかに覗く空を見上げて、ミケはぽつりと呟いた。
今日は朝から雲が立ちこめていて、雨こそ降りはしないものの太陽は一度も顔を出さなかった。もちろん、月も出ていない。
「そうだな。ほんとにこのあたりに、やつが潜んでんのかな。なんか、不安になってくるぜ」
やや離れたところにいるクルムが答える。
見れば見るほど、鬱蒼として陰気な森だった。カレンから、目印となるものを記した地図をもらっていなければ、間違いなく昨日の二の轍を踏んでいたことだろう。
そして、二人の話し声と足音以外は何も聞こえない。虫の声さえも。
「…おや」
足元に何かを見つけたミケが、ランタンで照らす。
「これは…昨日のカレンさんのお忘れ物ですね」
そこにあったのは、山菜の入った籠だった。たくさん詰まっていたのだろうが、驚いて落とした拍子にほとんどが籠から出てしまっている。
「ということは、昨日ヴィレグが現れたのはこのあたりと言うことに……?…」
ミケはその辺りをランタンで照らしながら、不思議そうに首をひねった。
「どうしたんだ?ミケ」
クルムが後ろから声をかけると、ミケは立ち上がって首を振った。
「なんでもありません。きっと僕の気のせいです。この籠は、カレンさんに持っていって上げましょうね」
ミケはそう言って、籠を拾った。
…もし戦闘が起こったら、邪魔にはなるだろうが。

「そう言えば瑪瑙は、得物は何を使うんだ?見たところ、武器は持ってないようだけど…やっぱり、魔法を使うのか?」
森の中を見回りながら、ルフィンが瑪瑙に訊いた。瑪瑙は辺りに注意深く気を配りながら、横目でルフィンを見やり、答える。
「…格闘を、少し、ね…魔法も、使うけど…相手を倒すようなものじゃ、ない…」
「へえっ、瑪瑙も格闘家なのか。じゃあ、今度組み手してくれよ」
ルフィンの言葉に、瑪瑙はおかしげにくすくす笑った。
「…遠慮する、よ…女性と闘うのは、性に合わない…それが、君のような可愛い子なら、なおさら、ね」
「な、何言ってんだよ…」
綺麗に微笑んでそんなことを言う瑪瑙に、ルフィンは思わず顔を赤くした。
「…それに…君の方が強いのは、目に見えてる…俺が、そんな力自慢なように、見える…?」
「…ま、確かにな」
ルフィンは苦笑して、改めて瑪瑙を見る。本当に綺麗な男だ。背が高いが、線も細く、とても力任せに相手を倒すようなタイプには見えない。
「…格闘だけじゃない…ナイフなんかも、使うし、それに…」
「…それに?」
口をつぐんだ瑪瑙に、ルフィンが先を促すが、瑪瑙は薄い微笑みをルフィンに向けるだけで先は続けなかった。
その右手が、また無意識のうちに、包帯を巻いた左腕に触れた…

クラウンは真っ暗な森の中を、一人きりで歩いていた。ランタンも持たず。足音も立てずに。
暗い森の中にとけ込むような黒の衣装に対して、白い仮面が妙に対照的で、仮面だけが浮かんでいるように見える。背中に背負っている大きな鎌が、時折どこからかの光を反射してきらりと光った。
彼は歩き続ける。暗い森の中を。あてもないように。

そして。
事件は、彼らの予想を裏切る形で、再び起こった。

心臓無き死体、再び-Heartless Corpse, Again-

エルは、部屋の窓から外を見ながら、村の中を見回るかどうか考えていた。
カレンはもうとっくに寝てしまっている。自分は昼間に寝ていたので今はあまり眠くないが、こんな真っ暗な村の中を、ひとりで見回りに行くのはやはり気が引けた。
仲間達にはああ言ったものの、エル自身、村の中で何かが起こるとは思っていなかった。昨日カレンがヴィレグに遭遇したのは森の中だったし、今日死体が見つかったのも森の中だ。自分には闘う力もないし、こんな暗い森の中を歩き回って平気でいられる自信もなかった。
と、そこまで考えて、エルは苦笑する。
せっかく力を身につけたくて、前の仲間から離れたのに、これでは意味がないではないか。
次こそは、積極的に行動しよう。そんなことを決心してみる。実行できるかどうかは別だが。
「…?…」
ふと、窓の外に、銀色の光を見たような気がして、エルは外をのぞき込んだ。
窓の向こう、曲がり角にうっすらと光が見える。光はすぐに消えた。角を曲がって、その先に行ったのだろう。
エルは少し考えて、やがて何かを決心したように表情に気合いを込めると、玄関から外に出た。
言うまでもない。あの光を追うのだ。
先程光が消えた曲がり角を曲がる。すると、先の曲がり角にまた光が見えた。光はまたすぐに消える。
そして、そこの曲がり角までいくと、また先の曲がり角で。
まるで、エルを導いているように。
昼間村を歩き回ったので、知っていた。この道順は、村の中央にある広場へと向かうものであると。
そして程なく、広場に到着する。広場にはちょっとした噴水があり、村人の憩いの場となっていた。もっとも、今日は事件が起きたせいで、誰もいなかったが。
その噴水のてっぺんに、あの銀色の光はあった。ちょうど、エルが作り出す魔法の光によく似ている。
そして、その銀色の光が照らし出す、噴水の水たまりには…
「…うっ…」
エルは、再びこみ上げてくる吐き気を抑えるため、両手で口をおおった。
水たまりの水は、どす黒く染まっていた。
中央に無造作に置かれた、人形のようなものから流れ出る液体の色に。
銀色の光に煌々と照らされて、それは遠目で見ても何であるかがありありとわかった。
心臓のない、死体。

「…な…」
口を手で覆ったまま、エルはか細い声で呟いた。
「…何で…僕ばっかり…」

噴水は、そこに何も無いかのように、キラキラと光を踊らせながら、水を吐き出していた…。

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