名前無き村-Nameless Village-

その村には、名前というものが存在しなかった。
そもそも名前というものは、他のものと自らとを区別する記号のようなものである。自分以外の者がいなければ、自分に名前など必要ない。
外界と完全に接触を断ち、全てを自給自足でまかない、外に出ていくことも、外の人間を招き入れることも拒んできたその村の人間にとって、世界はただそこにのみ存在した。故に彼らは、その世界に名前を付けるなどということは、考えにも及ばなかった。
もちろん、閉鎖的な村を抜けだして、外の世界に出ようという血気盛んな若者がいなかったわけではない。
だが、彼らはそれを厳しく禁じていた。掟を破り、外の世界へ旅立とうとした若者達は、二度と姿を見せることはなかったが、外の世界へ出ることも、やはり一度としてなかった。
そこまでして「何故」彼らがその村の存在を隠さなければならなかったのか。
彼ら自身もその理由を忘れてしまうほど遥か遠い昔から、彼らは村の存在を隠し続けてきた。
それは、遙か昔から。
彼らが、重大な秘密を内包していたが故に。
それでも、彼らは何事もなく、平穏無事に生活を送っていた。

…あの来訪者達が、現れるまでは。

報酬無き依頼-Moneyless Request-

エルは、仕事を探して宿屋の張り紙をじっと眺めていた。
長い銀髪と、どこかしら憂いを含んだ大きな青い瞳が印象的な少年である。少年…と一言で言ってしまうには、彼はあまりに可愛らしい顔立ちをしていた。どころか、どこか弱々しく、おどおどとした仕草のどれひとつを取っても、彼に「男性」を連想させるようなところはなかったかもしれない。だが彼は男物の旅装束を着て、自らのことも「僕」と呼んでいた。
エルにはつい最近まで、共に旅をしていた仲間達がいた。みんな優しくて、そして頼もしい仲間達であった。エル自身も、彼らに教えられたことは多い。
だが今、エルはその仲間達と別れ、一人で仕事を探している。
その最大の理由は、「自分が足手まといになっていること」であった。
それは旅をしている最中も、ずっと考えていたことである。自分は非力で、前線に立って闘えるような戦士ではない。かといって、敵を一掃できるような派手な攻撃魔法も持っていない。
だがこれまでは、仲間に助けられ、庇われ、常に誰かの後ろにいた。仲間達はそのことでエルを責めるようなことはなかったが(むしろエルを守れることに喜びを感じていた者もいたようだが)、エルの中で仲間達が大きな存在になっていくにつれ、自分が役に立っていないことに罪悪感を覚えるようになっていった。
このままではいけない。
このまま彼らにおんぶされていては、自分はずっと足手まといのままだ。
一度彼らのもとを離れて、自分で仕事をこなすことが出来れば…
また彼らの元に戻って、今度こそ彼らの役に立つことが出来るかもしれない。
エルはそう思って、あえて彼らのもとを離れ、自分で仕事を探す決心をしたのだった。
だが…ざっと見てみたところ、あまりいい仕事はないようだ。
他の酒場を探してみようか…そう思ったときだった。

「あまり…いい仕事はないようだね…」
背後で聞こえた声に、エルは振り返った。

いつの間に、後ろに立っていたのだろう。
そこには、背の高い青年が、やはり依頼の張り紙を見ながら立っていた。
男性…というには、彼もあまりにも不釣り合いな容貌をしていたかもしれない。ただし、エルのように可愛らしいのではなく、綺麗、と言って差し支えないほどの美形であった。最初に声を聞いていなければ、まず間違いなく女性だと思っただろう。青年、と言うのもふさわしくないかもしれない。エルよりは年上だろうが、せいぜい17,8といったところだろう。
紫色の髪を襟足で揃えており、切れ長の青い瞳は、どこを見ているのかわからないような印象を与える。どこかの騎士団のような立派な服を着ているが、鎧をつけていないので戦士にも魔道士にも見える。剣が見あたらないから、魔道士だろうか。左手に巻かれている包帯が、目を引いて痛々しい。
エルが珍しそうにじっと見上げていると、彼はにっこりと笑顔を向けた。
「…やあ。…君も…仕事を探しているの?」
「…えっ…う、うん…。…お兄ちゃんも?」
「…ああ…。…この街は…初めてでね。とりあえず仕事を見つけようと思って…酒場に来てみたんだけど。なんだか…あまりパッとしないこと」
そう言っている最中も、彼は終始笑顔を絶やさなかった。だが…どこか空虚な感じのする笑みだ。心は笑っていない…空っぽの笑顔。
「…何だか…他にも大きな仕事が、あったんだけどね…結構希望者が、いるらしくて…審査をするとか言っていたから、諦めたんだよ…面倒は、苦手でね」
それは、エルの仲間達…仲間だった者達が、行っている依頼だろうか。エルはそう思ったが、口には出さなかった。
「…君…よかったら、一緒に、探さない…?…一人より、二人の方が、何かと…便利、だろうし」
青年の言葉に、エルは少し考えた。
一人で仕事を探す、と決心したが、仕事を探すのも、依頼をこなすのも、一人ではなかなか難しいこともあるだろう。
「…うん…そう、する…。あ、あの…僕、エル…お兄ちゃんは…?」
「…瑪瑙」
彼はゆっくりと、自分の名前を告げた。
(めのう…不思議な響きの名前…)
エルは声には出さずに、その名前を反芻する。
「…じゃあ、エル。もうすぐ昼だし…仕事を探す前に、ここで食事でも、していく…?」
疑問形で問うておきながら、瑪瑙はエルの返事を待つことなく、エルの肩にさっと手を回して、テーブルの方に誘導した。
「…えっ…あっ、ええと…」
断る間もなく連れて行かれながら、エルは、
(もしかして…単に食事がしたかっただけなんじゃ…?)
と思ったが、やはり口には出さなかった。

「はい、おまちどうさまです」
ウエイターが出来上がった料理を2人の前に並べる。どれも皆、美味しそうな料理ばかりだ。エルは小さく「いただきます」と言い、瑪瑙は無言で、料理に手をつけ始めた。
だが、二人が食べ始めてもなお、ウエイターはその場を立ち去ろうとしない。
「…何か、用?…料理の感想を言って欲しいなら、他の客にしてくれないかな」
瑪瑙が面倒臭そうに言うと、彼はあわてて手を振った。
「あっ…ご、ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんですけど…あの、お客さん達、冒険者ですよね?さっき、仕事の張り紙見てたから…そう思ったんですけど。違ったらごめんなさい」
ウエイター、と言ったが、制服が男物だったのでそう判断しただけで、よく見るとウエイトレスをやってもいいほど可愛らしい顔立ちをしている。栗色の髪に、愛嬌のある青い瞳。年は15,6といったところだろうか。見かけの割に大人びた表情をしているが、ロングヘアが女顔に拍車をかけている。
「僕が言うのもなんですけど…大した依頼、無かったでしょう。確か最近、役所で冒険者を大々的に集めて何かを依頼するという話も聞きましたが…そっちには希望者が殺到してるらしいですし…他のところ行っても、対して差はありませんよ」
「…それで?」
ウエイターの意図が分からず、瑪瑙が先を促す。
「少しましな依頼を探そうと思ったら、それこそ他の街に行くしかないと思うんですよね。そこで…相談なんですけど。僕、実は、南のリストフの街までお使いに行くように、親方に言われてるんですよ」
親方というのは、この宿屋兼酒場の主人のことらしい。
「僕、魔道士見習いなんで、多少は魔法も使えるんですけど…やっぱり、一人旅は危険も多いじゃないですか。だから、護衛も兼ねて一緒に行ってくれる人を探してるんです。でも、僕もこの宿屋に雇われてる身ですし、冒険者を雇うほど収入があるわけじゃないんですよね。リストフなら、ヴィーダに負けないくらい大きな街ですし、そこに一緒に行っていただけないか、というお願いなんですが…。でもさっき言ったように、報酬はお支払いできないんです。途中の宿代くらいはお出しできますけど…あ、この料理、僕が作ったんですよ。野宿することになっても、これくらいの料理はごちそうできます。どうですか?」
ウエイターは用件のみを、簡潔に判りやすく話してくる。頭の回転は速いようだ。言葉遣いも丁寧で、常識をわきまえている大人といった感じがする。
瑪瑙は意見を求めるようにエルの方を見た。エルは意見を求められたことに多少困った様子で、
「…え、えっと…僕は、構わないけど…」
と言う。
「…そう、だね。どうせこの街に仕事がないなら、他の街に行くしか、なさそうだし…いいよ、悪くない話」
二人の言葉に、ウエイターはパッと表情を輝かせた。
「ありがとうございます!実は、もうすでに二人ほど、一緒に行ってくれる人を見つけてあるんですよね。今はここにはいませんけど…あとで紹介します」
ウエイターはそう言って、二人に手を差し出した。
「僕、ミーケン=デ・ビースって言います。ミケって呼んで下さい」

「クルム・ウィーグだ。クルムでいいぜ」
彼はそう言って、人なつこい笑みを向けた。
まだあどけなさの抜けていない少年である。華奢…とまではいかないが、そうがっしりした体格でないにも関わらず、背中に背負っている大きな剣が目を引く。健康的な小麦色の肌に、短く揃えた栗色の髪。明るく、希望に輝く深緑色の瞳は、嫌味が無く見るものを魅了した。
「あたしはルフィン。ルフィン=シーズ。めんどくさいから呼び捨てでいいよ」
クルムの隣で豪快な笑みを見せたのは、こちらもまだ成熟しきっていない少女であった。
ポニーテールにした長く豊かな銀髪に、挑戦的な青い瞳。動きやすそうな服装で、武器が見あたらないことから、おそらく格闘家なのだろう。年の割にがっしりとした体格をしており、力はクルムより強いのではないかと思われた。
「こちらは、エルさんと、瑪瑙さんです。一緒に行って下さることになりました」
ミケが、そつなく残りの二人を紹介する。二人は軽く礼をして、それぞれ握手を交わした。
「今日はもうお昼を過ぎてしまっていますし、出発は明日の朝にしましょう。今日は、うちの宿に泊まっていって下さい。…ああ、もちろん、お代はいりませんよ」
「サンキュー!助かるよ。実はここんとこ、ピンチだったんだ。…でも、大丈夫なのか?こんな…悪いけど、子供ばっかりのパーティーで」
クルムが心配そうに言う。
確かに、エルは見たところまだ10歳足らずの子供だし、クルムもルフィンも15歳そこそこといった感じだ。一番歳がいっていそうな瑪瑙でも、成人はしていなさそうである。
すると、横からルフィンが心外そうに口を挟んだ。
「なんだよクルム、あたしのどこが子供に見えるって?」
「えっ、ルフィンって、オレよりひとつふたつ上くらいだろ?」
「クルムは幾つなんだよ?」
「14」
「あたしにケンカ売ってんのか?!あたしは今年で21だよ!」
「にじゅういちいぃっ?!」
「ああ、それじゃあ僕よりひとつ上なんですね」
「えっ」
ミケの言葉に、一同がさらに驚いて彼の方を向いた。
「ひとつ上って…ミケ、あんた、何歳?」
クルムがおそるおそる問うと、ミケはあっさりと
「こないだ、二十歳になりました」
と言う。
「えーっ、マジ?!オレ、てっきり同い年くらいだと思ってた」
「…ぼ…僕も…」
「…俺より年上、とはね…驚いたこと」
「みなさん…言いたい放題ですね…まぁ、童顔なのは認めますけど…」
ミケは怒ったような困ったような顔をする。
「ミケとは何か他人の気がしねえな。ま、よろしくたのむよ」
ルフィンは嬉しそうにミケの背中をばしばし叩いた。
「と、とにかく、今日はここに泊まって下さい。夕食も、僕がごちそうしますよ。腕によりをかけて作りますから、楽しみにしてて下さいね」
ミケはそう言って、忙しそうに厨房の方へ戻っていった。

月無き夜-Moonless Night-

ヴィーダから南に1リーグほど歩くと、大陸の真ん中に居座る大きな山がある。
その山を東の方向に越え、さらに1リーグほど歩くと、大陸でも有数の貿易都市リストフに着く。
山道は何かと危険も多かったが、平地の方を歩いてリストフに向かうと倍近く日数がかかってしまうため、ヴィーダからリストフに向かう場合は山を越えるのが普通だった。
次の日、早速ヴィーダを出発した一行は、山の北側の麓にある小さな宿場町で一泊し、朝を待ってから山に入った。山の中には宿泊できるような街も施設もないが、野宿を覚悟すれば丸2日で東の方に抜けられるはずである。
…はずであった。
「…ね…ねぇ…」
とっくに日も暮れ、夜のとばりが降りてしまった頃。鬱蒼と茂る森の中を、一行は歩いていた。と、光の魔法であたりを照らしていたエルが急に足を止め、おずおずと言う。
「この森…何か、変じゃない?」
エルの言葉に、一同も足を止める。みんなの目がエルの方に向くと、エルは急に恥ずかしそうに慌てて、それでも思っていたことを口にした。
「えっと…地図に書いてあった森って…こんなに、広くなかったと…思うんだけど…一向に、森を抜ける気配、ないし…」
言われて、ミケは懐から山の地図を取り出した。
地図と言っても、空から見ることが出来るわけでもなし、危険と思われる場所まで記すことは不可能なため、街の方向へ抜けるルート周辺の他はほとんど空白になっている。
だが、一行が今いるだろうと思われている森は、地図を見てもさほどの大きさではない。日が暮れるまで歩いているのだから、もう抜けていても不思議ではなかった。
「うーん…そうですねぇ。確かに…」
「迷ったんじゃねーの?」
地図を見てしかめっ面をしながら、ミケが言おうかどうしようか迷っていた一言を、クルムがあっさりと言ってしまう。ミケは沈痛な表情でため息をついた。
「どうやらそのようですね。ここは闇雲に動き回ってもかえって逆効果です。こう深い森では、星も確認できませんし…今日はここで野宿して、明日の朝、太陽の方向を確認して出発しましょう」
「それしかねえな。ま、ゴツゴツした岩場じゃねーだけましか」
ルフィンも、渋い顔をしながらそれでも同意する。
迷ったのは痛いが、とりあえずそれが今出来る最善の対処法だろう。特に反対する者もなく、一同は荷物を下ろそうとした。
その時だった。

「きゃああぁぁぁぁっ!!」
突然当たりに響き渡った、甲高い女性の悲鳴に、一同は顔を見合わせた。
最初に反応したのは、クルムだった。
「あっちだ!」
悲鳴のした方向を指さして、一目散に駆け出す。他の者も無言で後に続いた。

疑念無き少女-Doubtless Girl-

しばらく走っていると、向こうに小さな明かりが見えた。ランタンの明かりであろう。急いでそちらに向かうと、ランタンの明かりに微かに照らされて、誰かが木にもたれかかる形で座り込んでいる。さらに近付いていくと、それが少女であることが判った。
「どうした?!大丈夫か!」
一番先頭を走っていたクルムが、駆け寄って肩を揺さぶった。
少女は呆然とした様子で、ゆっくりとクルムに視線を向ける。
「…ヴィレグ…」
少女は震える声で微かにそう呟いた。
が、あまりに小さい声だったので聞き取りにくく、聞き取れた者もそれが何かの名前なのか、祈りの言葉なのか、それとも少女が自分たちと全く違う言語を喋っているのか判断がつきかねた。
「ヴィレグ?」
ルフィンが眉をひそめて言葉を反復する。
彼女は依然震える声で、
「…伝説の…魔獣なの…人の…心臓を、食べるって…」
「その魔獣に襲われたのか?」
「…え、ええ…二本足で立つ…銀の毛皮に、金の目をした大きな獣…左右に、3つずつ角が生えていて…私、怖くて…悲鳴をあげて、あなた達の足音が聞こえたら、急に逃げていってしまったの…」
喋っているうちにだんだん落ち着いてきたのか、口調がしっかりしてくる。
「…とりあえず、近くに魔物の気配は無いみたい、だね」
瑪瑙は辺りを見回してそう言ってから、少女に歩み寄り、かがみ込んで目線の高さを合わせた。
「…怖かったろう…?大丈夫かい…?」
少女を怯えさせないように、やわらかな物腰で、微かに笑みを浮かべて、優しい声で語りかける。こういうことには慣れているのかもしれない。
「…ええ…ありがとう、だいぶ落ち着きました…」
少女は微かに笑って、礼を言った。その表情からはかなり怯えの色が消えている。
「この近くに住んでいる方ですか?僕たち、ヴィーダから来た冒険者なんですけど、どうやら迷ってしまったようで困ってるんです。もしよろしければ、泊まれるような宿屋まで連れていってほしいのですが…」
ミケが落ち着いた声で言うと、少女は今初めて気がついたかのように、珍しそうに冒険者達を見つめた。
「…あなたたち…外の人?」
少女の言う「外」という言葉の響きに、ミケは彼女がこの山から生まれてこのかた一歩も外に出たことがないだろうと察した。
「ええ。この山の北にある、ヴィーダという街から来ました。僕はミケと言います」
「オレはクルム」
「あたしはルフィンだ」
「…えっと…僕、エル…」
「…瑪瑙」
順に自己紹介をしていく冒険者達を、少女は一人一人ゆっくりと確認するように見渡した。
「…私…カレン、です…この近くに、住んでいるのだけど、うちの村には宿屋がないの…もし、よかったら、私の家に来て下さい。助けてもらったお礼もしたいし…両親が亡くなって、一人で広い家を持て余していたの…」
「それは願ってもないことです。ありがとうございます」
ミケはにっこり笑って礼を言った。
「…大丈夫…?立てるかい…?」
瑪瑙が手をさしのべると、カレンは顔をしかめて自分の足を見た。
「…足を…くじいてしまったみたい…きゃっ!」
カレンがみなまで言うより先に、瑪瑙はいきなり彼女を横抱きに抱え上げた。
「…さ…どっち?」
美しい微笑みを浮かべて問う瑪瑙に、カレンは一瞬頬を赤らめて…そしてまっすぐに、自分の正面の方向を指さした。
その手はもう震えてはいなかった。

ランタンの明かりでなく、エルの魔法の光に照らされてみると、カレンは思ったよりずっと可愛らしい少女だった。
年の頃は15,6歳と言ったところだろうか。黒に近いブラウンの髪は少々クセはあるがゆったりとして長く、ピンク色のリボンをカチューシャ替わりに巻いてある。山吹色の瞳からはまだ完全に怯えの色が抜けていなかったが、目鼻立ちははっきりしていて、このまま成長すれば素晴らしい美人になるだろうことが予想された。
「もう少しで着きます。私の家は村の入り口のすぐ近くだから、そんなに歩かないと思うわ」
「しかし…こんな所に村があるんですか?地図には、載っていないようですが…」
地図を見ながら怪訝そうな顔で問うミケに、カレンの表情が少し曇った。
「私達は…外の人達に知られないように、ずっと暮らしてきたから…」
「そんなことがあるんですか?他の街と全く接触を持たずに暮らしていけるなんて…」
「私達は、食べるものも着る物も全て自分たちでまかなっているの。外の世界に行くことも、…本当は、外の世界の人を村に入れることも禁じられています」
「おいおい、オレ達が行って大丈夫なのか?」
クルムが心配そうに言うと、カレンは苦笑した。
「迷っているのなら、仕方がないですよ。そのかわり、ここに村があることを、絶対に口外しないでほしいんです」
「わかりました。泊めていただけるのですから、秘密は絶対に守りますよ。いいですか、皆さんも」
ミケは確認するように仲間を見た。クルムもエルも、未だカレンを抱きかかえている瑪瑙も無言で頷く。
「ご両親が亡くなられているそうですが、一人で暮らしていらっしゃるんですか?」
何か話していれば落ち着くと思ったのか、ミケが別の話題をふった。
「ええ。大きな家なのだけど…あ、今は正確には、一人じゃないんです」
カレンは何かを思いだしたように、指を一本立てた。
「こんな事は、滅多にないのだけど…今はもう一人、あなた方のような旅人をうちにお泊めしているんです。彼は迷ったんじゃなくて…いえ、迷ったのかもしれないんですけど、ひどいケガを負って、村の入り口に倒れていたのを私が見つけて…うちに連れていって、介抱したんです。もうだいぶ傷も癒えて…もう少しで治ると思います」
「へえ、どんなヤツなんだ?」
ルフィンの問いに、カレンは困ったように笑いながら、視線を上に向けた。
「ええと…なんて言ったらいいのかしら。一言で言って、とても変わった人です」
「変わった人?」
「見ればわかるわ。あ…明かりが見えてきた」
カレンの指さす方向に、人家のものらしき明かりが見える。その明かりに向かって歩いていくと、唐突に森がとぎれ、何軒もの人家が軒を連ねる村が姿を現した。
「私のうちは、あそこです。…あ、瑪瑙…さん?もう、私歩けますから…」
「…そう?」
瑪瑙は言われて、素直にカレンを降ろした。カレンはまだ少し足を引きずらせながら、ひょこひょこと一軒の家に向かう。たどり着いた家は、なるほど彼女の言うとおり、ちょっとした宿屋になりそうなくらい大きな家であった。カレンはドアを開けて、脇に立ち中を手で指し示した。
「どうぞ、入って」

仮面の青年-Faceless Youth-

「おかえりなさい、カレン」
ダイニングルームに入ると、その青年は立ち上がってこちらを向いた。
…否、彼が青年であるかは定かではない。声からして少年ではないだろうが、彼の年齢…年齢どころか、はっきりとした性別も、人柄も、生まれも、見かけで判断できるような要素を彼は何一つとして持っていなかった。
彼は、仮面を付けていたのである。
漆黒に染めた派手な衣装に対して、妙に目立つ白いピエロの仮面。顔は笑っているのに、何故か片方の目からは涙が出ているピエロ。おどけた仕草と笑顔で観客を楽しませているのに、決してサーカスの主役にはなれないピエロ。彼の本当の素顔は…彼にしかわからない。
「遅くなってごめんなさい、クラウン」
「…その人達は?」
「あ…森で魔物に襲われたところを助けていただいたの。ヴィーダ…というところから来た方達なのですって。迷ってしまったらしいから、一晩うちに泊まっていただくことになったの」
「ヴィーダから…。へーえ。僕はクラウン。カレンから聞いているかもしれないけど、ちょっと前からカレンにお世話になってるんだ。よろしくね」
言って彼は、恭しく礼をした。
冒険者達は、彼のその衣装と仮面、それに声に見合わぬ口調に面食らった様子だ。
どころか、はっきり言ってうさんくさい以外の何物でもない。
口調は子供っぽく友好的だが、演技でないという保証はないし、内面までそうとは限らない。
この村しか知らず、見知らぬ人間に騙されることも、他人と敵対し渡り合い殺し合うこともなく育ったカレンはすんなり受け入れられたかもしれないが、冒険者達に素顔を見せない人間を信用しろと言うのは無理な話だった。
「なあ…あんた、仮面取らないのか?」
クルムが疑心を隠そうともせずに問うと、クラウンは一瞬びくっと身体を震わせた。そしてゆっくりと、仮面に手をあてる。
「…ごめんね、これは…取れないんだ。誰の前でもね。もちろんカレンにも見せてないよ」
「だけど、顔を見せないなんて失礼じゃないか。あたしはそんなヤツ、信用できないぜ」
ルフィンもクルムと同じように、あからさまに不愉快な顔をする。
「何と言われても、これは取れないよ。でも僕は、君たちと仲良くなりたいと思ってるし、君たちに危害を加える気もない。信じてもらえなくても、しょうがないけどね」
クラウンの言葉に、クルムとルフィンは困ったように顔を見合わせた。
「クラウンは悪い人じゃないと思います。私にも、とても優しくしてくれて…私が一人で暮らしているので、色々楽しませてくれたし…私も最初は、彼の仮面にびっくりしたけど…でも、本当に悪い人じゃないんですよ」
カレンが困ったように仲裁に入る。
そう言われても、正直言って仲良くするのは無理な話だと、誰もが思った。だが、カレンは少なくともクラウンを信用しているようではあるし、どうせ明日までのつきあいである。彼らは順に自己紹介をし、クラウンと握手を交わした。
「お腹がすいたでしょう。今食事を作りますね」
立ち上がって厨房に向かおうとしたカレンを、ミケが止めた。
「あっ…カレンさん、まだ足が痛むのでしょう。僕がやりますから、座っていて下さい」
「でも…」
「せっかく泊めていただいているのに、そのうえ足の悪い方に料理を作らせるなんて出来ませんよ。こう見えても僕、料理は得意なんです」
「あ、あの…」
二人の会話に、珍しくエルが割って入る。
「僕…癒しの魔法が使えるから…その間に、カレンお姉ちゃんの足、治して…」
「わかりました。よろしくお願いしますね、エルさん。じゃあ僕は、料理を作ってきますね。厨房は、あちらでよろしいですか?」
「…え、ええ…すみません、じゃあお言葉に甘えます。厨房のものは、お好きに使って下さい。大したものは、ありませんけれど」
「わかりました」
ミケはにっこり笑って、厨房へと姿を消した。
エルはとことことカレンに歩み寄り、足元にかがみ込んだ。
「えっと…足…だして、くれる?」
「あ…はい」
カレンは、言われて靴と靴下を脱いだ。足首は思った以上に腫れ上がっている。エルは患部に手をかざし、意識を集中させた。腫れはみるみるうちにひいていく。カレンは笑顔で、エルに礼を言った。
「ありがとうございました、エルさん」
「エルで…いいよ…。僕の方が、年下だし…えっと、それに、敬語も…」
「でも…」
「気にすんなよ、オレもタメ口でいいぜ」
「あたしも構わないよ。かたっくるしいのは苦手でね」
「…ミケのように、誰に対しても丁寧な口調なら、仕方ないけど…君は、普段はそんな喋り方しないんだろう?かえって他人行儀で…寂しい、かな」
クルムもルフィンも瑪瑙も、口々に同意する。カレンはいたずらっぽく苦笑した。
「…ありがとう、じゃあそうさせてもらうわ。実は、使い慣れない言葉たくさん使って、肩が凝っていたところなの」
カレンの言葉に、他の者も一斉に笑う。
クラウンも…声をあげて、笑っているようではあった。

朝日無き朝-Shineless Morning-

次の朝。
少し早く目覚めてしまったエルは、霧の立ちこめる村の中を、あてもなく散策していた。
もう日が出てもおかしくない時間だとは思うのだが、空を見てもどこにも太陽は見あたらない。一面に雲が立ちこめていて、今にも泣き出しそうな空模様だ。
ふと、前方、少し森の中に入ったところに、見慣れた姿を見つけ、エルは声をかけた。
「…瑪瑙お兄ちゃん?」
呼ばれて、瑪瑙はゆっくり振り返った。いつもエルに対して話すときには決して消えない笑顔が、今は凍り付いている。
「…どうしたの………!」
近付いてきたエルの顔を、瑪瑙はいきなり胸に押しつけ、抱きしめた。
「…瑪瑙…おにい…ちゃ…」
瑪瑙は低い声で、ただ一言、呟いた。

「…見ちゃ、駄目だ」

だが彼の努力も虚しく、エルはすでに見てしまっていた。
瑪瑙の向こう、森を少し入ったところに、人が倒れているのを。
服装からして、村人だろう。青年男性らしいこともわかった。
そして、彼がもはや息をしていないだろうことも。
彼の身体は血にまみれ、胸は大きく裂かれていた。
そしてちらりと見ただけでも、そこにあるはずの物がないのがありありとわかった。
左の胸に、当然おさまっているはずの臓器。
…心臓。

エルは瑪瑙の腕に抱かれてがたがた震えながら、こみ上げてくる吐き気を必死でこらえていた。

…事件はまだ、始まったばかりだった…

第2話へ