「困りましたね……」

本当に、心底困ったという様子で、ミケは頭を抱えた。
「僕の心情としては、間違ってふっとばされてきたバジリスクをどうにかしてあげたいとは思うんですよ。これは、フィズさんと同じですね。しかし、キルさんが来て、持って帰ろうとする。これ以上被害は出したくないし、石化をさせたくない。これはグレンさんと同じです。フィズさんも同じだとは思いますが」
「ああ。俺としてはそれが第一義だ。そのために、バジリスクを今討伐してしまうことが最善だという意見は変わらない」
「ですよね…」
はあ、とため息をついて。
「多分に感情論なのはわかってるんですよ。勝手に呼ばれて、勝手に吹っ飛ばされて。その上で、脅威になりそうだし、殺してしまえ、というのは乱暴だと思うんです。僕なら嫌だな、と」
「そんなのは百も承知だ」
眉を寄せてグレンが答える。
「だが、バジリスクをキルに渡すことで、他の人間が勝手に石にされて砕かれてしまう可能性を考えると、放置されるべきではない」
「わかってるんです、わかってますよ」
ミケは迷いを追い出すようにかぶりを振って、それから一同を見渡した。
「とりあえずは、まずは、事態を整理してみましょう。
グレンさんが先ほど出してくださった案の、メリットデメリットから」
指を立て、順序立てて説明していく。
「まずは1:バジリスクを討伐する。
メリットは手っ取り早いこと。そして、『この』バジリスクはこれ以上利用されないこと。
デメリットは、もれなくキルさんが敵に回るということですかね」
「この、と強調されたのう?」
おりょうが言うと、ミケはそちらに向かって頷いた。
「はい。正直魔界の生き物であるなら別個体でもいいんじゃないかと思うんですよね。この子を探す理由って何だろうなぁとは思っています。
他のバジリスクと契約できるのなら、正直殺してしまおうが魔界に返してしまおうが、手間はかかるのでしょうが最終的には別にいいと言いそうな気がしてしまうんですよね。
そこらへんは、召喚術の知識だと思うので、どうなってるのかな、と。
自分のものは契約が切れても自分のものなので、手放したくないという愛着だったりするのかなぁ、とも思いますが」
「うーん、単に自分の魔力の残滓があるから探しやすいのじゃないかな?」
眉を寄せて、フィズ。
「魔力の残滓、ですか」
「うん。契約は切れているけれど、自分が呼び出したことのある生き物だからね。当然、魔力の残滓はあるだろう。
あとは、ほかの個体ではダメな程度には希少種なのじゃないかな。よくわからないけど」
「なるほど……」
沈黙が落ちたところで、次の話を始めるミケ。
「では、2:バジリスクを送還する。
メリットは、気分的には、家に帰したので安心する。
デメリットは、送り返せる保証がない。キルさんに再利用される可能性がある」
「保証がないというか、無理だね。私には魔界に送れるほどの力量はない。これは、さっき言ったと思うけれど」
「はい。加えて、その後僕らでは追跡調査できないんですよねー、場所が場所だけに。
グレンさんの言う通り、再利用可能なんでしょうから、無責任といえば無責任な方法かもしれないな、と思うのです」
「では、この世界の別の場所に飛ばすのはどうじゃ?この世界であれば、フィズ殿の力も及ぶし、追調査も可能であろう」
おりょうが言い、ミケはまた首を振った。
「それは、却下だなと思ってます。送られた先で暴れたらシャレにならないし、かといってこのまま閉じ込めておくようなことも、正直賛成しかねるなーと。
本人が家に帰りたいなら返してあげるのがいいと思うのですが、この生き物は、正直どこまで意思疎通が可能なのかわかりませんので……フィズさん、バジリスクというのは、知能的には高いのか、低いのか…そういうことはわかりますか?」
「ミケの『知能的に高いか低いか』という基準が分からないけれど」
フィズは慎重に言葉を選んで答える。
「共通の言語を持たない相手と意思の疎通ができない程度の知能だよ」
「では、そもそも意思の疎通はできないんですか?召喚主とならできるますか?」
「それは前も言った気がするけれど、契約をすれば意思の疎通は可能だよ。私であろうと、キルであろうとね」
「それじゃあ、契約なしに意志の疎通をするにはどうしたらいいですか?」
「精神感応系の術を使用するひとなら出来るだろうね。テレパシーとか、そのあたり」
「なるほど…フィズさんにそれができそうな知り合いは、いますか?」
「一番可能性があるとすれば、私の義母だね」
「ミリーさんですか」
どこか納得した様子で頷くミケ。
フィズは苦笑した。
「使えるという話は聞いたことは無い。ただ、義母が校長をしている魔道学校にはその道に長けた教官がいるとは思うよ」
「俺の知り合いにもいないことは無い。連絡がつくかどうかはすぐにはわからんが…」
グレンはそう言った後に眉を顰めた。
「だが、バジリスクと意思の疎通を図ってどうするんだ?家に帰りたいかどうかを確かめるのか?」
「ありていに言えば、そうですね。案としては、4:本人…本バジリスクにまず、君んちどこ?おうち帰りたい?どこ行きたいの?を確認する、ということになるでしょうか」
「待て、3は何じゃ?」
「もちろん、グレンさんの案の3:キルさんに諦めてもらう、ですよ。今のところ、まったく持ってその手段はカケラも浮かばないんですけどね」
「なるほど……」
「案4のメリットは、僕らにしろキルさんにしろ、自分たちの意見でバジリスクを勝手にどうにかしようとしているので、やっていることは同じだから、いっそ本人の自由意思を尊重してみたら、案外全員納得できたりしないかな…とか」
「それメリットか?」
「気持ちはわからないでもないけれど……」
困ったように眉を顰めるグレンとフィズ。
「それに、じゃあ、ウチに帰りたいって言ったらどうするんだ。返せるあてはないし、そもそも返すということ自体が俺の懸案だっていう話だったんじゃないのか」
「それなんですよねー」
自分で迷走している自覚はある、というように、眉を寄せて首を振るミケ。
「正直な話、バジリスクの意思を確認してやりたいことをさせてみる、というのはちょっとバジリスクに丸投げかな、という気はしているんです。どうしていいか、わからないから、当事者の意見を聞いてみよう的な部分はある。
でも僕らがバジリスクの意志を尊重しても、キルさんはきっと尊重しないから。
バジリスクが何をしようとしているのか、1個人としては気になりますが、キルさんが持って帰る隙を与えるくらいなら、初志貫徹でいいかな、という気がします」
「初志貫徹、というと?」
「もちろん、バジリスクを帰すことです。
特にこのバジリスクは契約が切れているんだし、契約は早い者勝ちでしょう。契約した人がどうしようと、構わないはずだし。
そうしたら、まぁ、フィズさんが契約するのではなく、この場にいない誰かに契約してもらえると、一発で見失う可能性がある、ということですかね。
希少個体というか、現状彼がこの子を探しているのなら、わからないように、でも実家に帰してあげるのもいいと思う。
例えば、この空間にバジリスク入れたまま、マヒンダの魔導士ギルドに送っちゃうとか、できないかなぁ。あそこのギルド長とかなら悪用しない適切な人に渡せるかもしれないし。
今、フィズさんが魔界まで返してあげられなくても、返せる人に頼んでくれるかもしれないし。
もちろんミリーさんでもいいと思いますよ。魔力のある方で、信頼できる方だと知っておりますし」
「ちょっと待って、なぜ私ではなくて他の誰かに?」
フィズが眉を寄せると、ミケはそちらを向いて説明した。
「僕もフィズさんも、今、魔力で認識されちゃっているから、かな。キルさんは魔力の残滓でバジリスクの後を追ってるんですよね。
なら、まったく別の人が契約すれば、その人の魔力に塗り替えられると思ったんですが」
「ああ……私の言い方が悪かったかな」
フィズは申し訳なさそうに首を振った。
「バジリスクに付着した『キルの魔力』をたどって、彼はバジリスクを探しているんだと思うよ」
「キルさんの魔力を…ですか」
「ということは、他の誰が契約しようと、こっそり魔界に返そうと、キルは自分の魔力をたどって捜索をすることが出来るんだと思う。他の誰かが契約をすることで、彼の魔力の残滓がなくなるかについては、何とも言えないな…やってみたことがないから。Yesとも言えないし、Noと断言できる根拠もない。
少なくとも、現実としてこの世界でキルが行方を追えている以上、『契約が切れる』ことがイコール『魔力の残滓が消える』ことではないのは立証できているね。ただ、それだけだ。私ではない他の誰かが契約することでキルの魔力が消えるのかについては保証できないよ」
「なら、バジリスクから『キルの魔力』を完全に消し去る方法はあるのか?」
グレンが言い、フィズは困ったように眉を寄せる。
「さあ…少なくとも私は聞いたことは無いな。義母に聞けばわかるかもしれないけれど、私は無いと思う。
というか、今更だけど……」
そこで、申し訳なさそうに眉を下げて。
「そもそもキルが自分の魔力をたどっているというのも私の仮定だしね。けれど、居場所を特定できている以上、キルは『バジリスクの所在を追える何らかの手段を持っている』そして『契約が切れてもそれは有効である』ということだ。明確に断言できるのはそれだけだね」
「そうですか……」
肩を落としたミケの横で、グレンが頭を掻く。
「振り出しに戻ったな。俺の選択は変わらない。バジリスクを生かすことの懸念が消えないならば討伐するつもりだ」
「うーん……」
「そもそも、さっき俺がバジリスクを問答無用で倒そうとしたのは、先程のごたごたに紛れてバジリスクの首を切り落としていた場合、キルの注意は俺だけに向くと思ったからだ。
変に俺を庇ったりしなければ、他の皆はまだ安全だったんじゃないかと」
「グレンさん…」
衝動的に見えた彼の行動の深い意図を知り、目を見開くミケ。
グレンはまた苦い表情で頭を掻いた。
「けど、今の状況で討伐したら連帯責任になる気がするな……。
魔族相手にことを構えるわけだ。自分の命を賭けに使うのは構わないが、他人にまでそれを強いる気はない。とはいえ、誰も何も言わなきゃ俺は討伐実行するけどな」
「うーん……」
ミケは困った様子で首を捻る。
「グレンさんひとりに注意が向くかは微妙だと思いますね…」
「なんでだ?」
「僕はね、思うんですよ。
あの人は、僕らの顔とか名前とか覚えちゃいないんです。僕らに蟻の見分けがつかないくらいに。
誰がバジリスク殺しても、向こうには大して変わらないと思いますよ。その時点で八つ当たりも兼ねて全員皆殺しじゃないかなー、と思ってる。
故に、万が一バジリスク討伐という結論になった場合は、自分の命を守るために、戦闘には参加します。タイマンは無理ですのでね」
「顔や名前は覚えてない…か」
ふむ、と考え込むグレン。
「俺はキルと初対面に等しいからな。
面識のあるミケが『あの人は、僕らの顔とか名前とか覚えちゃいないんです。僕らに蟻の見分けがつかないくらいに』というのならば、それを信じる。
だが、それならば尚更……討伐するべきだと思うが」
「というと?」
「速やかに討伐してさっさと行方をくらましたらいい。
キルが俺達の顔や名前を覚えていないということは、人間を見分けられないということは、後々になってキルに捜索される心配はないということだろう」
「いや……さすがに自分で雇ったグレンやアフィアのことは覚えてるんじゃないかな……ミケが言ったのは、個体識別ができないということじゃなくて、『歯向かった一人だけを攻撃するような面倒なことはしない』ということだと思うし。
私達だって、必要があれば動物でも虫でも個体識別をする努力をするでしょう?追跡という目的のために必要であれば、キルにその能力がないとは考えにくい。私も彼のことをそんなに知っているわけではないけれど、少なくとも彼は、私が『石にした夫婦の子供』であるということは覚えていたわけだからね」
「そうか…」
八方ふさがりを感じ、再び頭を掻くグレン。
「…おりょうさんは、何か意見はありますか?」
ここにきて、何も語らないおりょうに水を向けてみるミケ。
おりょうは、ふむ、と短く唸った。
「そうじゃのう…不可能なことから言えば、キル殿を倒すことができれば、フィズ殿もミケ殿もグレン殿も文句は言うまい」
「……まあ、そうですね」
「じゃが、それがしと“雪桜”をもってしてもキル殿には全く歯が立たなんだ。四人がかりでも結果は変わらぬであろうのう」
「雪桜……あの、砂漠から出した剣ですか」
「正確にはカタナじゃな。なかなかに、特別な力を持つ刀なのじゃが…魔族というのは恐ろしい力を持っているのじゃな。
ましてや、こみゅ障なそれがしに有力な知り合いがおるわけでもなし。こんなことなら何かえぴそーどの一つも思い出しておくべきじゃったかのう」
「はいメタ発言はそこまでです」
「それはさておきじゃ」
ふ、とおりょうは小さく息をつく。
「できることとできぬことを一つ一つ考えてゆけば、現実的な解は【キル殿が契約するよりも早くバジリスクを討伐してしまうこと】ではなかろうか」
「…おりょうさんも、その答えなんですね…」
悲しそうに眉を顰めたミケに、おりょうは腕組みをして頷いた。
「賛成はされないことはわかっておるよ。じゃが、バジリスクの命さえ絶ってしまえば、キル殿は目的を失い、ミケ殿もフィズ殿もそれがしを恨むくらいで済ますことができよう」
「恨みはしないよ。けれど…悲しいね」
「しかしながら…ここもグレン殿と同じじゃな。何か代案があるのであれば、それを静観するとしようかのう。
それがしとてバジリスクを殺したいわけではない。傷つく者が少ないに越したことはないからのう」
「代案……か」
「あれば苦労しないですねえ……」
はあ、とため息をつくミケ。
が、グレンはゆっくりと身を乗り出した。
「代案はないが…ひとつ、引っかかることがある」
「なんです?」
「キルの目的だ」
「目的……」
グレンは慎重な様子で考えを言葉に紡いでいく。
「自分の所有物を引き取りにきた、というところだとは思うんだが。
そういえば、今は契約が切れているんだろ。何をもって所有物と認識しているのか。もしかして、自分の魔力の残滓があるから……?
それが完全に消えたら所有物という認識も変わる……とすれば、バジリスクの再契約を諦めるとか。
……キルがバジリスクに愛着があるから所有物認識しているという線もあるが、愛着のある存在を探すときに『暑いから』と人任せにすることはないと思うんだよな」
「なるほど……」
「案外…的を射ているんじゃないかな」
フィズも頷きながら意見を重ねた。
「グレンの言う通り、キルがバジリスクに愛着があるとは思えない。
私はそうではないけれど、召喚士にとって召喚獣というのは『武器』だ。特にキルは召喚獣のことを『道具』だと思っているように思うよ。
たとえば、どこかに行ってしまったハサミを探す時、君たちはなぜそれを探すのかな?」
「……それが必要だから、だな。
別の道具でも代用はきくが、ハサミを使った方が楽だったり便利だったりするときとか。
後は、できるなら今すぐに使いたいというときに探すことが多いように思う。
ということは、キルはバジリスクを使って何かやりたいことがある……バジリスクの特性というのは石化……石化させたい者がいる、ということか……?」
グレンが言い、ミケも頷く。
「うん、どうしてもハサミで切りたいときなのかな、と僕も思います」
だが。
「うーん、それも、そうかなあ?と思うんだよね」
聞いておいて出鼻をくじくフィズに、混乱する二人。
「どっちなんだ」
「違いますか?というか、その答えを期待して振ってきたんだと思ったんですけど違うんですか」
「ああ、うん、もちろん、大筋は間違ってないと思うよ。
ハサミを探すのは、何かを切るためだよね。つまりは、石化させるべき何らかの用途があったから探した」
「持って回った言い方をするのう」
やはり眉を寄せているおりょう。
「フィズ殿が何を言いたいのか、それがしにもわかるよう説明をしてくれんか」
「ああ、ごめんね」
再びすまなそうに眉を下げ、フィズは続けた。
「そうかなあ、と思った理由は、グレンが言っていたのと同じ。自分の目的だとしたら、『人任せにするだろうか?』という疑問だね」
「まあ、それは、確かにな」
「グレンが依頼を受けた時のことを、もう一度よく思い出してもらいたいのだけれど」
フィズはグレンに向き合うと、さらに続けた。
「この広い砂漠の中で、バジリスクを見つけられない可能性だってあったわけだよね?
それについてキルは何て言ってた?」
「確か……」
グレンは視線をさまよわせ、当時の記憶を掘り起こす。
「見つかっても見つからなくても構わない──という感じだったか。
依頼を辞退したいならどうぞ、とか。『依頼が未達成のまま死ぬときは通信機で連絡してください。代わりを用意しなければいけませんので。』とか」
「代わり……」
「…この台詞、改めて考えてみると『バジリスクの代わり』を用意すると言っているようにも取れるんだよな。
あのときは『代わりの冒険者を』用意すると言っているように思ったが」
「確かに、そうだね」
うん、と一つ頷いて、フィズは続けた。
「たとえば、キルが現れて、一触即発の空気になったときに。
グレンがバジリスクを討伐しようとして、おりょうやミケがそれを止めたとき、キルは手を止めて傍観の姿勢に入ったよね?
その隙をついて私たちを一掃することなんて簡単にできたはずなのに」
「そうだな…むしろ面白がっていたはずだ。
こういう点を考えるとバジリスクの捜索自体が暇潰しのようにも感じるんだが……」
「暇つぶし、ですか」
「ああ。だが、俺が討伐しようとしたときに『所有物を勝手に処分されるのは困る』と言って妨害してきたところを見るとそれなりの執着があるようにも思えるんだよ。
あぁ、いや、でも……バジリスクを自分のハサミなどに置き換えてみると勝手に処分されるのは俺も困るか。とりあえず、処分してもいいか聞けよとは言いたくなるし」
「んー、キルさんは、勝手に己の所有物をどうこうされるのは、困る、とは言っていた。
でも、こちらがバジリスクを倒そうとしたことには傍観する、と。
バジリスクの皮とかが必要で、命の有無は別に気にしないとか?持って帰られると困る、とか?」
「待って。私にはグレンがバジリスクを倒そうとしたことを、というよりは、それまで行動を共にしていた仲間たちが『仲間割れ』を始めたことを楽しがっていたように見えたよ。現に、アフィアが去って、本格的にバジリスクの処遇の話になった時には、本腰を入れて止めていたでしょう?」
「ああ、それもそうか……」
うーん、と眉を寄せるミケ。
「僕は、某なんとかGOの如くコレクションという意味合いがあるから探しに来たのかと思ったんですよね、最初。
でもそういうんじゃなさそうだし、本当に結局何がしたいんだろうなぁとは思ってる。そして理由は今のところ、思いつかないですね…」
「うーん……私が言いたかったのはね」
フィズは、どう言えば伝わるのだろう、というように、慎重に言葉を選んだ。
「私がキルについて初めに言った通り、キルは『バジリスクが必要』だから探してるんだと思うよ。
けれど、それは『自分の目的』ではないのだと思う」
「……どういうことだ?」
「この二つが共存することは矛盾するかな?ハサミが必要、でも切るのは自分じゃない。
…たとえば、気が進まない、けれどどうにも断りづらい関係の人から、ハサミを使いたいから貸してくれ、と言われたのだとしたら?」
「……なるほど」
ありえない話ではない、というようにうなずくグレン。
フィズは続けた。
「だとすれば、キルのあの優先順位にも納得がいくんだと思うんだよ。自分の楽しみが最優先、暑さとバジリスクを天秤にかけたら暑さが勝つレベルのね」
「はあ……」
いまいちピンと来ていない様子のミケ。
フィズはそちらを向いて、さらに続けた。
「だとしたら。ミケの最初の大前提も、崩れるんじゃないかと私は思うんだ」
「大前提、ですか?」
「うん。つまりは……」

そこで言葉を切って、ゆっくりと強調するように。

「バジリスクを倒せば、キルが敵に回る、っていう大前提が、そもそも成立しない可能性だってある。私は、そう思うよ」

「仮に、そうじゃったとして、じゃ」

隙間に落ちた沈黙を破るように、おりょうが言葉を挟む。
「この事態解決に、何らかの変化があるものかのう。
キル殿が敵に回らぬのであれば、バジリスクを倒すが一番早い、という、グレン殿の言が強みを増しただけではないか?」
「もちろんそれもそうだけれど、それ以上に、新たな可能性が見つかると思うよ」
「新たな可能性、ですか?」
「うん」
フィズは頷いて、3人をゆっくり見渡した。

「探しているハサミが、ハサミではないものになってしまえば」

「ハサミではない、もの……」
「キル自身は、目の前で奪われたり壊されようとすればさすがに止めはするけど、ハサミ本体に執着があるわけじゃないのだから。
ハサミでなくなれば、彼自身がグレンに言ったように、『代わりを探す』ということをするんじゃないのかな」
「ハサミとしての役割を果たせないのならば代わりを探しに行く、ということか」
「そう。それは、ハサミを壊してしまう、ということばかりが手段じゃないと思うよ」
「そうは言ってもな…」
グレンは苦い表情で頭を掻いた。
「バジリスクを“別の無害なもの”に変える方法なんて分からないしな……」
「そうですね……」
「あぁでも」
ふと何かを思いついたように視線を上げて。
「石化に関する力を奪ってしまえばバジリスクとしての役割は果たせなくなるのか……?
失明させるとか爪を切り落とすとか……物騒な方法しか浮かんでこないんだが。
その状態で生かしたまま放り出すのは討伐より酷いような気もするんだよな……」
「まぁ、バジリスクは現状で生活しているのだし、その全てを奪ったらエサ取れなくなったりして生きていけなさそうですよね」
ミケも頷いて同意する。
「怪我させるのは、ほら……回復魔法でどうにかなるかもしれないですから、物騒な方向はやめましょう」
「まあ、本気じゃないさ。俺はその手段くらいしか知らない、というだけだ。
そういうのはむしろ、ミケの方が詳しいんじゃないのか」
「うーん……」
水を向けられ、ミケは眉を寄せて唸った。
「現状回帰できるようにする場合は、魔法で変えちゃうとかになるのかな。ただキルさんでも解除できそうな魔法ではしょうがないし。呪いみたいな形だと、なんか困るし。
変形術、っていうのもどうなんだろう……。能力的なこととかも変えられるのかなー……?」
完全に専門外のようで、よくわからないながらも様々な可能性を挙げてみる。
「誰からのお願いでキルさんが動いているのかはわかりませんが、向こうサイドにはディスペル得意な人もいるし、魔法で変えるのは難しいかもしれない……かな?」
「キルではない人物の能力まで考慮に入れることは無いと思うよ?」
「そうですか?」
「うん。だって、助力を得られるならそもそも最初からわざわざ人間を雇ったりしないだろうからね」
「ああ、それもそうですね……」
「助力を得られない理由が特別にあるのか、めんどくさいからなのかはわからないけどね」
「まあ、後者でしょうね」
「そう。何度も言うけど、彼の中でバジリスクの優先順位は低いんだよ。
自分でどうにかできるなら、やらないと彼の責になるから面倒なことになる。でも、自分でどうにもできないことなら、それを理由に放棄することはできなくはない、と思うんだ。彼の危機感のなさからしてね」
「そうですね……うーん、あとは……」
眉を寄せて、大きく首を傾げて。
「鏡を向けて自分を石にさせちゃう、というのはこういう魔物の対処法らしいですが。冒険者が石にしちゃったんで、駄目でした、とかいう方向にキルさんが持っていってくれると助かりますが、協力はできないかな…」
「そうだね、私もそれはできれば避けたいかな」
「元に戻せるかどうかがね……回復魔法のレベルめっちゃ高い人を探さないと駄目でしょうし」
「義母のつてをたどれば治せる人はいるかもしれない。今のところ心当たりがないから、リスキーではあるね。ただ、ハサミをハサミでないものにする、という条件には当てはまると思う」
「個人的にはありだと思うがな」
フィズとミケのやり取りに、グレンが割って入り、二人は驚いてそちらを向いた。
「グレンさん?」
「根拠を聞かせて?」
「ああ。このまま案が纏まらなければ討伐することになるだろう。
討伐するくらいなら元に戻るかもしれない僅かな可能性に賭けてみる方がいくらかマシだと思う」
「なるほど……そういう考え方もあるね」
フィズは少し苦い表情で、けれどグレンの考えを頷いて受け入れる。
「あとは…ミケと少し被るけど、ハサミの歯だけを削る、ということなら、なにも目を潰さなくても、封印を施すことが出来れば…とは思うかな」
「封印、か」
「うん。ただこれも、魔族に手を出せないほどの封印が施せるという前提になるから、ハードルは上がるね」
「なるほど……それはありだな。まあ、具体的な手段は思い当たらないから、他頼みになるが」
「あとは……そうだな」
うーん、と、気が進まなそうな表情で続けるフィズ。
「可能性として、そもそもキルに対してなにがしかの交渉をすることも『無理』と決めつけないでやってみる選択肢もあるんじゃないかなとは思う。
彼の目的を誤らなければ、活路はあると思うからね。
あまり思い込みにとらわれすぎないで、いろいろ考えてみるのはいいと思うよ」
「交渉かー……」
フィズ以上に渋い表情をするグレン。
「キルの現状は『面倒な頼みごとを引き受けていて、それをこなすためにバジリスクが必要。バジリスク本体への愛着はないから交渉次第では代わりを探す』というところだと思う。
……交渉できるなら交渉したいが、交渉材料がまったく浮かばないんだよな」
「ですね……」
ミケも絶望的な表情で同意する。
「キルさんに解除できないような封印とかができそうな人物っていうのは、魔法学校の校長先生とか、マヒンダのギルドのギルド長とかあたりがいいのかなぁと思うんですよね。フィズさんのコネを借りて。
で、個人的には傷つけるのはどうかなぁと思うので、こう、小さな立方体にきゅっと封印してもらうとか、例えば持って帰ったとしても向こうで開けられないような封印とかできたら楽でいいなぁと思っています。
ぽんと開ければ元通り、みたいな」
「もんすたーぼーる、というやつじゃな」
「あえて立方体と言ったのに」
よくわからないやり取りをしてから、ミケは続けた。
「んで、交渉ですが。
さっき言った通り、手が出せないような状態で、冒険者たちが勝手にバジリスクをどうこうしてしまったようなのですよ、と向こうに言い訳をすることはできると思うんです。
後は、目的達成のための『利』がキルさんにあれば、キルさんに何かを頼んだ人を納得させられる代わりを探してくれるんじゃないかな、と思うのですよ」
「キルの『利』ってなんだ?」
「いやあ、なんなんでしょうねえ」
「おい」
「うーん、少なくとも金銭ではないし、そう言われても無理ですが。
何もなしにキルさんは納得しないだろうし、させられるとは思わないし。そこの折り合いをつけないと駄目だと、思ってる。
何のために貸し出すんでしょうね……」
「そこは、今追及しても答えは出ないと思うよ。キルに直接聞いてみるしかない」
フィズが言うと、ミケは考え込んだ。
「直接、かー……」
しばらく考え込み、よし、と顔を上げて。
「じゃあちょっと、当たって砕けてくるのどうですかね?」
「はっ?」
「ミケ殿?」
「砕けちゃだめだよ…?」
一斉に心配そうな表情を向ける一同。
ミケはなだめるように言葉をつづけた。
「猫を置いていくから、僕だけ外にぽいしてもらって、キルさんに直接そこら辺聞いてこようと思うんですけど、どうですか」
「…どう、というか。どこからつっこんだらいいんだ」
「とりあえず、それがしは猫からつっこもうかのう」
「ああ、そうでした、この子、ポチっていうんですが、僕の使い魔なので」
と、肩の猫を示して。
「僕と感覚がリンクしていて、互いに意思の疎通ができるんですよ」
「おお、それは便利じゃのう」
「猫に語り掛けてもらえたら、中と意思疎通できそうな気もするし、試しに目的を聞いてみて、交渉してみて、駄目だったらバジリスクを中でどうにかしてもらうっていうの、どうかなー?と」
「…私達の話はポチの耳を通じてミケに届くとして、ミケが受け取った感覚を、ポチは私たちにどう伝えるの?」
「…………」
沈黙が落ちる。
「……それもそうですね」
「ミケ、しっかり」
「いやまあ、じゃあ意思の疎通はできないにしても、僕がキルさんと交渉を終えるまで、グレンさんとおりょうさんには待ってもらうわけにはいきませんか」
「待つ、とな」
「はい。最悪、何らかの被害者が僕一人で済むし」
へらっと笑ったミケに、グレンは苦い表情を返す。
「そういう考え方は賛成できないが……ひとまずキルに何を交渉するつもりなのかは聞いてもいいか」
「そうですね…正直に話してもらえるか、さっぱりわかりませんが、『このように考えて、あなたが進んでバジリスクを拾いに来たわけじゃないと思うんですが、どうでしょう?で、このバジリスクを諦めてほしいんですけれど』と話をして、『代替え案を出したいのですが、あなたの納得できる利が分からないので交渉できません。誰からの指示で、何がしたくてバジリスクを探していたのですか?どういう目的でしたか?』って聞くのはどうだろうかな?と」
「うーん……」
依然渋い表情のグレンに、ミケも苦笑を投げた。
「正直なところ、交渉しきる自信はないです。けど、ここで話をしても、多分これ以上推測だけで目的を悟って案を考えるのは無理じゃないかと思うんですよね」
「………」
再度、沈黙。
フィズはしばらく黙って考えて、やがておもむろに顔を上げた。
「個人的な意見を言わせてもらえば……」
「はい」
「キルと交渉してみたら、という案を投げておいて何なんだけど、バジリスクをどうにかできるのであれば、キルとの交渉は不要だと思う。もちろん、案の一つとしては有効だとは思うけれど」
「そうですか?」
「うん。何度も言うけど、キルは『自分の力でどうにもならないのならばあっさりバジリスクをあきらめる』んだと思うんだ。
だから、明確に『どうにもならない』ことを彼に示すことができれば、彼はあっさり諦めると私は思ってる」
「フィズさんの意見としては、それは理解していますけど……」
「キルと交渉をするとすれば、『どうにもならない』状況を作り出す以外の方法で、彼に平和的解決を求める場合だね。
彼に単純に引いてもらうことになるわけだから、彼にとっての『利』は当然必要だよね。ただ、私達にそれはわからない。ゆえに、どうしても後手にならざるを得ない。簡潔に言えば、彼の有利に事を運ばれてしまう」
「それはまあ、そうですね」
「整理しようね」
フィズは順に指を折りながら、これまでの意見を整理していった。
「大前提として、グレンやおりょうの言うように、バジリスクを討伐してしまうのが、現実問題として一番有効な解決策だ。
けれど、私やミケの心情として、それは避けてほしいとお願いしている。これが第一義だね」
「ああ」
「では、それ以外の手段がすべてダメならば、最終的に討伐を選ばざるを得ない、という前提で。
討伐以外の手段を考える。ミケが挙げてくれたところから整理しようね」
「はい。まずは、バジリスクを帰す、というものですね」
「これは、バジリスクを『帰す』場所が魔界であるという大きなネックがある。キルに再契約される可能性があるから、避けたい」
「避けたいところから考えていくと、キルさんを倒す、というところですか」
「これは最も現実的ではないね。私達の技量では不可能だ。これも除外だね」
「すると、残りは、キルさんに諦めてもらう、ということになる」
「ここで、諦めてもらう手法を考えたのだったね」
改めて、指を一本立てるフィズ。
「一つは、バジリスクの『石化』の能力を何らかの形で無力化すること」
「フィズさんのお義母さん……ミリーさんの力を借りれば可能性はありますが、今のところ確証はない」
ミケの補足に頷いて、フィズはさらにもう一本指を立てた。
「もう一つが、キルと直接交渉をすること」
「僕一人をキルさんのいる場所に戻してもらって、交渉してくる、というものですね。これも、今のところ交渉しきれる自信はありません」
「そう。第一義に挙げた『一番有効な解決策』でないのだから、どちらにもなにがしかの不安要素があって当然なんだ。だからこその次善策なのだからね」
「そうだな……」
「この二つが有効そうな対応策だとして。あとは、優先順位だと思うよ」
「優先順位、ですか」
「そう。ミケの言うように、まずはキルと交渉してみて、ダメならほかの手段を考えるか、
逆に、まずはバジリスクの力を封印するためのいろいろな手段を検討してみて、どうにもならなそうならキルと交渉するか。
どっちがいいと思う?」
「その二択なら…キルとの交渉の方がリスクは高いな。いっそ、封印が出来ないのなら討伐してしまった方がいいと思う」
迷いなく言うグレンに、ミケは納得のいかない表情を向けた。
「そうですか…?」
「ああ。下手を打つとミケが犠牲になった挙句、バジリスクがキルの手に渡る。バジリスク1体の犠牲で済むのならその方がまだマシだ。
それに、もう時間がないんじゃないかとも思っている」
「時間がない、とは?」
「キルも召喚士だから、この場所にたどり着かれる可能性は高いと言っていたな?」
フィズに振ると、彼は真剣な表情で頷く。
「そうだね。多少の猶予はあると言っても、それがどれほどのものかは想像もつかない」
「ならば、ミケがキルのところに戻った時点でこの空間の在処がばれてしまうのでは、と。
そうなると、バジリスクの真横で交渉するのと変わらない気がするんだ。キルはいつでも再契約できる状態じゃないか、と。
交渉の失敗が再契約に直結する……それは避けたいと思う」
「実際のところは、どうなんですか?」
ミケは確認するようにフィズに言った。
「この空間の存在って、僕が戻ったらばれちゃうものなんでしょうか」
「そういう意味で言うならば、ミケがこの空間から別の場所に移動することが、キルがこの空間を探索することの手助けになることは無いよ。それが成立するならこの空間に来た時から短時間であっさり見つけられると思うからね」
「なるほど…それもそうですね」
「だが、時間の猶予がそれほどないのは変わらないだろう」
しかし、グレンは依然として首を横に振り続けた。
「俺の目的は『バジリスク=虐殺できる武器と再契約させないこと』だ。そのための手段として『討伐』が最善だという考えは基本的に変わらない。
その“虐殺できる武器”を“無害なもの”に変えるという方向で意見をすり合わせることはできるが、今の時点で材料もあやふやなまま交渉に臨むのは不安が大きいんだ。
賛成できない」
「時間の猶予がないという点ならば、封印するにしたって同じだと思うんですよね」
ミケも譲らずに言い返す。
「目的の人物が高位であるほど、会うまで正直時間がかかるんじゃないかな。コネに対してどんな手段で連絡を取るかにもよりますが、これって今から空間を繋げたとして、時間が稼げるものなのかどうなのかがよく分からないんですよ。
フィズさんの話では、グレンさんの言うように、『僕がキルさんのところに行くことで』この場所が気取られる不安はない。なら、封印してもらえないか、封印できる人を紹介してくれないか、という話を、力のあるだれかに相談しにいく方向へ行きたい。
その上で、逃がしちゃったそっちが悪いんだから、どうにもならないから諦めてくれ、という話をするのがいいかな、と。
その後は、どうにかその子がバジリスクでなくても生きていける方法を探さないといけないわけですが」
「うん?その話なら、先に封印する算段をつけてからキルに交渉しに行く、ということか?」
「いえ、僕はやはり、事前交渉がいいと思うんです」
「事前にキルと交渉をして、ダメなら封印の算段を整えて諦めてもらうっていうことか?」
「はい。フィズさんの言うように、基本有利は向こうなんだと思ってる。
散々議論して駄目で、他に方法のないまま交渉するのは、足元みられそうだし、だったら先に向こうの条件とかを聞いてから、方法を模索したい、んですよね。材料があやふやなんだし、明確にした方がいいんじゃないの、ということで。
交渉が不安なのは、正直僕も一緒ですけれど」
「待て待て、なんか話がおかしいぞ」
グレンはくしゃくしゃと頭を掻いた。
「時間の猶予がない、交渉に不安材料が大きい、というのが俺の意見だ。
それに対して、ミケは、高位の人物に会うのに時間も労力もかかるから同じだ、と言う。だが、ミケがとる方針は、事前に交渉して、ダメなら封印を頼む、んだろう。余計に時間がかかるじゃないか。場所が特定されるリスクも上がる」
「むう……」
ミケは言葉を詰まらせた後、嘆息して首を振った。
「特に問題ないなら交渉したかったのですけれど…時間切れですね。
わかりました。意見は統一された方がいいし、グレンさんの方針に従います」
「すまないな、意見を曲げてもらって」
「いえ。僕も何というか、迷走している自覚はあるので。止めてくれて、かえって助かります」
「そう言ってくれるならいいが……じゃあ、最終案としてまとめるぞ」
グレンは一呼吸おいて、一同を見渡した。
「俺としては、バジリスクの力を封じてもらうか、バジリスクを無害なトカゲにするか、鏡を使ってバジリスクを石にするか、どれかが実行されるなら、バジリスクの討伐を待とうと思う」
「……ありがとう」
フィズが柔らかく微笑み、そちらに向かって頷くグレン。
「だが、具体的な手段については、正直俺が手を出せるものではない。ミケとフィズに一任するが、いいか」
「わかりました」
ミケはうなずいてから、フィズの方を向いた。
「ただ、実際問題、どうするんです?バジリスクを、ヴィーダとかマヒンダの街中に転送するわけにはいかないですよね」
「そうだね。バジリスクを連れていくことはできない。同じ時空に移動すればキルに見つかるかもしれないし」
「じゃあ、どうします?」
「うん?ここに置いていくしかないだろうね」
「おいてくんですか?!ていうか、そんなことが出来るんですか」
驚くミケに、フィズはまた柔らかく微笑んだ。
「もともと、ここは召喚獣を一時的にとどめおくために作る召喚士独自の空間だと言ったでしょう?用途から言えば、私も一緒にここに来ること自体がイレギュラーなんだよ」
「じゃあ…バジリスクをここに置いて、僕たちだけがミリーさんのところに行くんですか?」
「そうだね…グレンとおりょうは、何なら残ってもらってもいいと思うけれど」
言っておりょうに目を向けると、おりょうはもっともらしく頷いた。
「ふむ。それがしが行ったところで、交渉の助けになるとも思えぬしな。ここでバジリスクを見張っているとしよう」
「同じくだ。念のため、ミケにはもう一度眠りの魔法をかけてもらいたいところだが」
「あっ、はい、それはもちろん大丈夫ですよ。
けど、本当にお二人はいいんですか?ポチだけ置いていって、様子を見ていることもできますが」
「それは、大丈夫だと思うよ」
ミケの提案をフィズが遮り、ミケは不思議そうに彼を見た。
フィズはミケの方から、ゆっくりとバジリスクに視線を戻して。

どこか夢見るように、現実味のない声で言った。

「……私は、義母を、ここに連れてくるつもりでいるから」

「………なるほど」

フィズに連れられて現れた女性は、なんというか、一言で言って「迫力のある美人」だった。
背中までのストレートの金髪に、勝気そうな緑の瞳。整った顔立ちを濃いメイクで彩っており、タイトなスーツがボディラインを嫌味なく演出している。背はそれほど高くないし、一般的な女性の体格だが、オーラと言うのだろうか、ぱっと見てうまく言葉が出せないような威圧感があった。
フィズの作った空間ですやすやと眠っているバジリスクを見上げ、何かを考えるように顎に手を当てている。
「……あれが、フィズの母さんか。つうか、どこかで見たと思ったら魔道学校の校長じゃないか」
「あれ、言ってませんでしたっけ」
「初耳だ」
「似てないのう」
「義母だからね」
そんなひそひそ会話を聞き取ってか、ようやく彼女は彼らに目を向けた。
「ああ、ごめんなさいね」
言って相貌を崩すと、彼女は彼らの元まで歩いてきた。
かつ、とヒールの音を鳴らして姿勢よく立つと、わずかに腰を折って会釈する。
「ミレニアム・シーヴァンよ。息子が世話をかけてるわね」
「グレン・カラックだ」
「扇谷 稜じゃ。こちらこそ、フィズ殿には世話になっておる」
「それで」
軽くあいさつを交わすと、ミリーはフィズの方に向き直った。
「事情は分かったわ。で、あたしを呼んだってことは」
そのままの軽い口調で、続ける。

「バジリスクを、あたしに倒してほしいっていことでいいのね?」

「ミリーさん?!」
驚いて声を上げるミケ。
グレンとおりょうも驚いてそちらを見やる中、フィズだけが彼女の発言を分かっていたかのように真剣な表情を向けている。
「わかって言ってますよね?」
「まあね」
ミリーはにやりと笑って、ミケの方に視線を流した。
「ミケも知っていると思うけど、あたしのことは」
「え、ええ……まあ」
あいまいに返事をするミケ。
グレンとおりょうの知るところではないが、ミケと、そしてもちろんフィズはミリーの種族を知っている。
それがなんであるのかを口に出すことはせず、ミリーは続けた。
「なら、あたしたちがどういう使命を持っているのかも、知っているわよね?」
「ええと……」
ミリーと同じ種族の知り合いを思い浮かべ、ミケは記憶を掘り起こした。
「…世界を…維持する、っていうこと、ですか」
「そのとおり」
にこり。
綺麗に微笑んで、ミリーは続けた。
「つまりは、世界に影響を及ぼす存在は排する。そのあたしに話を持ってきたということは、速やかに倒してほしいということでしょう?」
「あー……」
ミケはなんというか、やっちまった、という表情で口をつぐむ。
まさにその知り合いが、「世界を安定して維持するために、必要でないものは排除することにためらいはない」と言っていたことを思い出した。つまり、グレンよりもおりょうよりも、最も感情論から遠い種族なのだ。
「ミリーさんも、人が悪いですね」
ミケは苦い表情で言った。
フィズがそう言うのそうだから、ミリーはフィズがそんな意図をもって彼女の助力を求めたのではないことは判っているのだろう。そこをあえて言っているのだ。
しかし、そこでくじけていてはミリーを呼んだ意味が無い。ミケは苦い表情のまま、押してミリーに言った。
「僕からもお願いしたいんです。バジリスクを、何とか倒さずにいたい。そのために、バジリスクの力を封印して、キルさんが契約しても意味のないものにしたいんです。
けど、正直、僕たちにはキルさんにも解除できない封印を施すことは難しい。だから、あなたの助けを借りたいんです。
バジリスクの力を封じて、人々の脅威にならない状態にすれば、それはあなたの使命にも反しませんよね?」
「ふーん、まあ、そんなことじゃないかと思ったけど」
ミリーは興味なさそうに相槌を打って、再びフィズの方を向いた。
「フィズも同じ考えということでいいのよね?」
「そうです。お願いできませんか、お義母さん」
「………」
ミリーはフィズを見つめたまま沈黙し、やがてゆっくりと口を開いた。
「このバジリスクは、あなたのご両親…キールとマギーを石にした存在であっても、あなたはその意思を曲げないのね?」
鋭い視線と語調。
フィズも負けずに言い返す。
「愚問です。父と母を石にしたのはキルであってバジリスクではない。憎むべきは武器を振るった存在であって、武器そのものではないでしょう」
「そう。じゃあバジリスクのために、元の世界に返してあげたらどう?あたしはできないけど、できる人を紹介することならできると思うわ?」
「バジリスクにとっての『元の世界』は魔界です。魔界に返しては、またキルに契約されてしまう。それでは意味がないんです。
私は、もうバジリスクに、何も石にしてほしくない」
「そこよ」
ぎ、と。
ミリーの視線に力が増した。

「あなた、自分がどれだけ傲慢なことを言っているのかわかっているの?」

「……傲慢、ですか?」
眉を寄せるフィズ。
ミリーは頷いて続けた。
「あなたは、『自分の両親を殺された』『自分と同じ存在を作りたくない』という感傷から、バジリスクの故郷を奪い、その一生を自分の思い通りに縛りつけようとしている。
それは、キルがやっていることと、何が違うの?」
「っ………」
言葉に詰まり、フィズはぐっと拳を握り締めた。
「その言い方はあんまりなんじゃないですか、ミリーさん」
見ていられない、というように、ミケが割って入る。
「自分の思うようにバジリスクを操って、罪もない人々を石にしているキルさんと、バジリスクのためを思って保護したいと思っているフィズさんを一緒にするのはどうかと思うんですけど」
「バジリスクが保護を望んだの?人を石にするのは嫌だって、故郷は捨ててもいいからフィズに保護してほしいって、キルから離れたいって、そう言ったの?そうでなければ、バジリスクの意思を無視して好き勝手しているのは同じだわ。『良いことをしているつもり』な分、余計にたちが悪いわね」
「じゃあ、バジリスクが何を望んでいるのか、聞いてみればいいじゃないですか」
売り言葉に買い言葉、というように、ミケの言にも熱がこもる。
「ミリーさんは精神感応術は使えないんですか。バジリスクが何を思い、何をしたいと思っているのか、確認してみればいいじゃないですか」
「確認して、思う通りでなかったらどうするの?バジリスクも実は好戦的で、より多くの命を石にしたい、キルのもとに早く帰りたいと思っていたら、あなたはその通りにするの?」
「っ……」
言葉に詰まるミケ。
ミリーは挑発するように笑った。
「相手の意思が自分と違ったら、自分と対立したら、それを受け入れる気もないくせに。御大層なことね。
相手に自分と同じ意見しか求めていないくせに、相手の意思を聞いて尊重した気になっている方がどうかと思わない?
それとも、意思を聞いてみて、悪いやつだって確定したら遠慮なく倒せるからっていうこと?」
「っそれは……」
バジリスクの意思を聞きたい、と主張した時から、その可能性は頭には入れていた。
意見が対立した場合、優先するのは依頼人の安全だ。そのためには、バジリスクを倒すことも視野に入れなければならない。
だがそれは、平たく言えばミリーの言う通りだ。意思を聞き、自分たちと反すれば、敵対とみなして倒す。そこにあるのは、生殺与奪を自分が支配しているという認識に他ならない。
そのような意識で、真にバジリスクのためを思っていると言えるのか。
「自覚なさい」
ミリーはなおも厳しい表情で、再度フィズに言った。
「あなたが今していることは、バジリスクのためじゃない。
自分の過去の傷と、バジリスクの境遇を『勝手に』イメージして作り上げた感傷を根拠に、バジリスクの一生を縛り付けようとしているということよ」
一呼吸おいて。

「他の誰のためでもない、自分のために、ね」

沈黙が落ちた。
容赦のないミリーの言葉に、フィズは俯いて表情をゆがめている。
グレンとおりょうは半ば呆然としながら、ミリーの猛攻撃を見守っていた。
「……なんというか……ものすごい女傑じゃのう…」
「俺らでもあそこまで言わないな……」
それが聞こえていたのか、ミリーは僅かに苦笑してそちらを向いた。
「まだ、自分たちの安寧のために、自分の罪悪感を払拭するために、バジリスクを倒すという選択肢を選んだあなたたちの方が潔いわ。自分に嘘をついて苦しむのは、他でもない自分自身なんだからね」
「なるほどな……」
フィズの義母、という人物は、会話からどうやら正体を大っぴらにはできないレベルで力のある存在であるらしいが、なかなかに手ごわい人物であるらしい。
グレンはごくりと唾をのんで、続くやり取りを見守った。
「………」
フィズはしばらく沈黙してから、おもむろにミリーに向き直った。
「……お義母さんの、言う通りです。
私は、自分のために……バジリスクを、手元に置きたい。キルの手に渡したくない。
たとえそれが、バジリスクから故郷を奪い、力を奪い、バジリスク自身の意思に反することになるとしても、です」
「フィズさん……」
いたましげにフィズを見やるミケ。
ミリーは確認するように、フィズに言った。
「そのために、あなた自身の望みをかなえるために、バジリスクを縛り付ける力を、あたしに貸してほしい、ということでいいのね?」
「………はい」
その瞳には、もう迷いはなかった。
再び、沈黙が落ちる。
ミケもグレンもおりょうも、固唾を飲んで、この義理の親子の会話の結論を待った。

やがて。

ミリーはにこりと微笑むと、晴れ晴れとした表情で胸を張った。

「まあ、あの魔族のボンボンはあたしも気にくわなかったしねー!」

唐突に紡がれた素っ頓狂な発言に、ぽかんとしてミリーを見つめる一同。
やがて、言葉の意味をじわじわと理解していたミケが、呆然とミリーに問う。
「……ミリーさん、それって」
「真珠色の宝箱」
ぱきん。
ミリーは唐突に、呪文と共に指を鳴らし、手のひらの上に現れた大きな紫色の球体を掲げた。
「さてここに、自他ともに認める『天の賢者様』マニアのあたしが集めたコレクションの中でも選りすぐりのマジックアイテムがあります」
実演販売のような陽気な説明口調で、ミリーは手のひらの上の球体を指さした。
「こちらにありますのは、天の賢者様がお作りになった魔封具の中でも最高級の一品。
使えるのは一度きり、というのも使用した場合にはその生き物の体深くにこの水晶玉が溶け込み、体の内部から膨大な魔力を封じ、なななんと、その体までをも最適化してしまうのでございます!」
だんだんノってきたのか、どんどん嘘くさくなっていく口上。
しかし、その言葉からは、想像をはるかに超えた、いっそご都合主義ともいえるマジックアイテムの力が伝わってくる。
「ほ、本当ですか。それを使えば、キルさんにも封印を解くことはできなくなりますか」
まだどこか呆然と、しかし慌てたように言うミケに、ミリーはいたずらっぽく微笑んで見せた。
「可能性はゼロではないけど、限りなく低いでしょうね。
天の賢者様のマジックアイテムの力は、ミケもよく知っているんじゃないかしら?」
「…やりましたね、フィズさん!これで、望みがかないますよ!」
ミケは嬉しそうに、フィズを振り返って笑顔を向けた。
フィズは感極まったように目の端に涙をにじませ、ミリーに笑いかける。
「……ありがとうございます、お義母さん」
「キールとマギーを殺されて、あたしだって悔しかったし、あのボンボンをギタギタにしてやりたかったのよ?」
ミリーはどこか困ったように、フィズに微笑み返した。
「でも、あなたがキルへの復讐でもなく、バジリスクへの復讐でもなく、キルからバジリスクを奪う、という選択をしたことを、あたしは個人的感情で嬉しいと思うの。あなたは、間違いなくキールとマギーの子供だなって」
「お義母さん……」
「でも、客観的に見れば個人的感傷でバジリスクの一生を縛ることだっていう意見は変わらない。
だから、あなたがこれからするべきことはたった一つよ」
ミリーはフィズの肩に手を置き、母が子供に諭すように、優しく言葉を紡いだ。

「自分の意思で、ひとの一生を縛ったのなら。
その一生に、最後まであなたが責任を持ちなさい。
それが、あなたのたった一つの義務よ」

「………はい!」

フィズは、力強い表情でその言葉に答える。
ミリーは満足げに頷くと、手のひらに輝く紫色の水晶を片手に、ゆっくりとバジリスクのもとへ歩いて行った。

「きらきら!きらきら!」

テーベィ近く、ウリァン川が大海に流れ込む海岸にて。
太陽の光を反射してきらきら輝く水面を、年端もゆかぬ少年が楽しそうに指さしている。
寄せては返す波に足をつけてみたり、逃げてみたり、キャッキャとはしゃぐ彼の様子を、まるで保護者のように温かい目で見守るフィズたちの姿があった。
「天の賢者様とやらのまじっくあいてむは、本当にすごい力を持っているんじゃのう」
感心しきりのおりょうに、グレンもうなずく。
「ああ。力を封印するだけでなく、まさかあんな風に姿も変わるなんてな」
視線の先には、波と戯れる少年の姿。
人間でいえばだいたい7~8歳くらいの外見だろうか。砂色の肌に、白茶けた短髪。大きな赤い瞳は片方だけが開かれていて、もう片方にはご丁寧に眼帯が当てられている。シェリダンの装束を身にまとって海岸ではしゃぐ姿は、片目が不自由なシェリダンの子供という風に見えた。
「楽しそうですね」
「うん。本当に海が見たくて、海の方向にずっと歩いていたんだね」
ミケの言葉に満足げに頷くフィズ。

ミリーがマジックアイテムを使うと、巨大なバジリスクの体はあっという間に少年の姿に変化した。
しかし、人間の体になったからと言ってすぐに何かが喋れるわけではなかったらしい。敵意は無いようだが、片言にもならないうめき声をあげるバジリスクと意思の疎通ができないことを確認すると、フィズはバジリスクと召喚の契約を結んだ。
そして、バジリスクが、この世界に飛ばされてすぐに見た、遠くにあるキラキラしたものを見たいと望んでいることがわかる。
「…キラキラ…?」
「この世界に飛ばされてすぐは、どうやら空の高いところに現れたようなんだ。下は一面の砂漠、でも遠くを見ると何かキラキラしていてとても綺麗だった、あれを見たいと思っているようだよ」
バジリスクと意思を交わしたフィズは、読み取ったイメージを言葉に変換して仲間たちに伝える。
「遠くを見るとキラキラしておる、とはなんであろうか…」
「…ひょっとして海じゃないか?」
グレンが言うと、一同はなるほどと頷いた。
そして、ミリーの力を借りて、ここ、テーベィ近くの海岸にやってきた、というわけである。
ちなみに、ミリーは送り届けた後、さっさとヴィーダに帰ってしまった。

「うーみ!うーみ!キラキラ!」
バジリスクは楽しそうに水しぶきを上げながらはしゃいでいる。
ミケは感心したようにそれを見やった。
「…うめき声だけだったのが、思ったよりすぐに言葉を覚えますね…」
「知らないだけで、知能が低いわけではないからね。根気よく教えれば、すぐに喋れるようになると思うよ」
微笑まし気に見守りながら言うフィズに、グレンが心配そうに尋ねる。
「しかし、石化能力を失って、これから生きていくのが大変なんだろうな、あいつは。
今のバジリスクを受け入れてくれる場所や者はほとんどないんじゃないか」
「っていうと?」
「石化能力のないバジリスクは、召喚士にとっては不要なんじゃないか。召喚士にとって召喚獣は道具・武器という扱いならば尚更」
「そうだろうね」
「……どうするつもりなんだ?契約を解除するか?」
「それはもちろん、そのつもりだよ」
「……おい」
慌てたように眉を上げるグレンに、フィズは柔らかく微笑みかけた。
「だって、彼はもうバジリスクではないからね。召喚獣ではないのだから、契約で彼を私の意思に縛るのはおかしいでしょう?」
「!………」
彼の言葉に、逆の意味で驚いて言葉をなくすグレン。
フィズは続けた。
「言葉をきちんと話せるようになるまでは、意思の疎通を図ることが必要だから、契約はそのままにするよ。
言葉が話せるようになったら……そうだな、彼に何ができるか、いろいろ試してみて、どんな風に生活していくのか考えてみようと思う。石化は封じられてしまったけれど、魔法は使えるといいよね。私がいるマヒンダで暮らすことになるだろうし、あそこでは魔法はあった方が便利だ。
……そうだ、いつまでもバジリスクと呼ぶのも物騒だから、何か名前を付けようか」
まるで、子どもの未来をいろいろと想像する親のように、楽しげに語っていくフィズ。
グレンは安心したように頬を緩めた。
「今までバジリスクって呼びすぎてたからな。近い名前の方がいいんじゃないか?」
「そうだね……リジー、とかどうかな。男の子のようだし」
「よいのではないか。快活そうな名前じゃ」
おりょうも満足したように頷く。
ミケも嬉しそうににこりと微笑んだ。
「すべて丸く収まったようで、良かったですね」

「ええ、本当にようございました」

ざわ。
唐突に背後に現れた黒い気配と、あまり聞き慣れたくない落ち着いた声音に、一同が慌てて後ろを振り返る。
「キルさん!」
ミケの声と共に、下がって距離をとって。
フィズはバジリスク……リジーをかばうように立ちはだかった。
「どうやら、バジリスクは石化の能力を封じられてしまったようですね」
キルは特に激昂する様子もなく、小さな子供を見下ろして淡々と言う。
フィズは用心深く様子を見やりながら、ゆっくりと頷いた。
「……そうだね。天の賢者様のアイテムだから、君でも解除するのは難しいと思うよ」
「でしょうね」
思ったよりもあっさりと、キルは肯定して頷いた。
「石化の能力のないバジリスクは不要です。返して差し上げますよ」
「返す………?」
思いもよらない言葉に眉を寄せるフィズ。
キルはにこりと微笑んだ。
「それは、もともと貴方の父親の召喚獣です。魔界の生き物ではありませんよ」
「そうなんですか?!」
驚愕して、ミケ。
キルはそちらには興味がなさそうな様子で、続けてフィズに言った。
「石化の能力が必要だったので、所有している貴方の父から奪い、私が契約して、邪魔だったので石になっていただきました」
「………」
罪悪感のかけらもない流暢な語り口に、フィズの視線が鋭さを増す。
少しもひるむ様子もなく、キルはにこりと微笑み返した。
「石化の能力がなくなってしまったのなら、これ以上暑い場所にいて体力を消耗するのは時間の無駄です。
残念ですが、退散させていただきますよ」
ちっとも残念ではなさそうにそう言って、踵を返すキル。
「あ、あの、ちょっと!」
ミケが慌てたようにその背中に声をかけた。
「僕が言うのもなんですが、いいんですか?バジリスクの石化能力が必要だったんじゃないんですか?」
「ああ、はい、そうですね。私の叔母様が」
さらりと返したキルの言葉に、また驚愕するミケ。
「チャカさんが?」
「石化の力が必要なので貸してくれと。断ると余計に面倒でしたので探しに出ましたが、石化の力自体が無くなってしまったのであれば仕方がないでしょう。私も、必要とされるたびに呼び出されて働かされずに済みます」
「…実はそれが目的だったんじゃ……」
ミケは半眼でキルを睨んだ。
フィズと冒険者を挑発し、バジリスクを殺すか、それに近い状態に追い込む。自分の手で壊したわけではないのだから、言い訳は立つ。人使いの荒い叔母に、堂々と断りを入れる理由になるのだ。
キルは再び、にこりと微笑んだ。
「さあ、どうでしょうね。では、ごきげんよう。
………ああ、そうだ」
再び帰る姿勢を見せてから、ふと思い出したように振り返って。
「グレンさん」
ひゅ。
袖をわずかにグレンに向けると、彼の目の前に小さな金袋が現れる。
「…っとと」
慌てて手を差し出してキャッチするグレン。
キルはにこりと微笑んで言った。
「追加報酬です。大変助かりました。どうもありがとうございました」
まるで普通の依頼人のように感謝の意を述べて。
ふ、と。
音もなく、キルは再び姿を消した。
「…………」
微妙な沈黙が落ちる。
グレンはうんざりしたように手元の金袋を見下ろした。
「どうするんですか、それ」
やはり苦い表情で問うミケに、グレンはうんざりした表情のまま金袋をつまみあげた。
「けったくそ悪い金だ。みんなでパーッと飲んで使ってしまおう」
「おお、賛成じゃ!」
嬉しそうに拳を上げるおりょう。

そこでようやく。
全員の体から、ほっとしたように力が抜けたのだった。

「おいしー!おいしー!」
テーベィの酒場で。
テーブルに並んだスパイシーなチキン料理を、リジーは嬉しそうに頬張っている。
それを微笑まし気に見やりながら、フィズは時折口の周りのソースを拭いたりと甲斐甲斐しく面倒を見ていた。
「食べ物は人間と同じものが食べられるようで良かったですね」
ミケが言うと、フィズは頷いて答えた。
「人の姿になったときに、食べ物もそれに合わせて変わったようだね。
さっきまでは、彼は石を食べ物だと認識していたよ」
「石を!」
「してすると、バジリスクの石化能力は、食料の確保のためだったんじゃのう。
それにしても、石が食料とは、世界は広いのう」
おりょうは感心したように言いながら、エイヒレをつまみにシェリダンの地酒を飲んでいる。
「しかし、なんじゃな。力がないというのは切ないものじゃのう…」
「ええ、まったく、その通りですね…」
しょんぼりと肩を落とすおりょうとミケ。
おりょうは酒をちびりちびりと飲みながら、続けた。
「それがしには追っ手から逃げ回るに十分な力があればいいと思っておったが、どうやらそれでは足りぬらしい。
強い魔道士や人外に勝てる方法を探さねばならぬな」
「勝てる方法、ですか?」
「うむ。ちと修行の真似事でもしてみるかのう。まずは滝にでも打たれに行くとしようぞ」
「おお、すごいですね。がんばってください!」
「じゃが、まあまずはその前にこの酒を楽しむとしようか」
「ははは」
軽く笑ってから、ミケも決意したように表情を引き締める。
「今回僕、召喚術の知識があれば、もっと何か出来たかと思うんですよね。
そもそも召喚術って、どういう物なのか。何ができるのか、どうやっているのかが、良く分からなかった。知っていれば、使うことが出来れば、違う可能性もあったかな、と思うんです。
フィズさん」
「うん?」
「ヴィーダに帰ったら、召喚術の勉強してみようかなと思うんですけど。参考文献とか、魔術師ギルドに行けば読めますかね?」
「ああ、ギルドにはあると思うよ。
あとは、私はもともと、ヴィーダの魔法学校で召喚術を学んでいたから、魔法学校に行くという手もあるかもね」
「なるほど……」
「義母の話だと、なんだか近々人手が必要になるようだから、手伝いがてら行ってみるのもいいんじゃない?」
「う…ミリーさんの手伝いって嫌な予感しかしませんが」
「あと、ミケはもう技能8つ埋まってるから新規取得は無理だよ?」
「はいメタ発言禁止」

そんなよくわからない話をしながら、酒場でのささやかな打ち上げの時間がまったりと過ぎていくのだった。

翌日。
一行と別れたグレンは、テーベィ市街のはずれにある一軒家を訪れていた。
「ここか……」
表札のない入り口をノックし、中から「どうぞ」の声が響いたのを確認してドアを開ける。
家の主は、椅子に座ったままくるりとグレンに向き直った。

「久しぶりだな、カトレア」
「ご無沙汰していますね、グレン」

カトレア、とグレンが人物は、涼やかな女性の声音でそう挨拶をした。
声音で、というのは、彼女がだぶついた白いローブに身を包み、目深にフードをかぶっていたため、ともすれば男女の区別すら難しいからで。
しかし、その声と、華奢な体格、それにフードの下にわずかに覗く形の良い口元から、妙齢の女性であることが見て取れた。
(出会ってから十数年たつはずだが外見はあまり変わっていないような……?まぁ、それはいいか)
グレンはひとりごちると、早速カトレアに用事を切り出した。
「単刀直入に言うが、師匠の居場所を知らないか」
「ラズの?」
カトレアは不思議そうに首を傾げた。
「ああ。オッサンは俺の居所を知ってるようだが、俺からオッサンへの連絡手段が無い。いつも手紙が降ってくるだけだからな」
「めんどくさいことをしますねぇ、あの人も」
「あまり関わり合いになりたくはないんだが、まあ、最近ようやく、俺もいろいろと心の整理がついてきたからな。
俺を拾った当時の状況を聞こうと思って」
「なるほど」
「師匠との付き合いが長いんだろ?あんたならなんか知ってると思って、シェリダン付近に行くことになる依頼を受けたんだよ」
「はぁ。ご苦労様です」
カトレアはあまり感情を表に出す様子もなく、淡々と言った。
「んー……あなたが色々と知りたがっているのは、あの人も分かってると思うのですけどねぇ」
「は?」
「遠見の薬とか渡してありますから」
「……あのオッサン」
「まだ自分のミスに向き合うだけの決意ができないのでしょう、仕方のない人です」
「…………自分のミス?」
「えぇ、後は本人にお聞きなさい」
「その本人に会えないから困ってんだけどな……」
ぼやくグレンの傍らから、カトレアは無造作に剣を取り上げた。
「あっ、おい何するんだ」
「まあ、待ちなさい」
グレンの剣を掲げ、呪文のようなものを唱えるカトレア。
ややあって。
「はい、お返しします」
「お、おう……何をしたんだ?」
「近いうちに此処までやってくるでしょう」
「どういうことだ?」
「これで、あなたの居場所を探知できなくなりましたから」

グレンが受け取った剣からは、きれいさっぱり魔力が消えてなくなっていたという。

一か月後。

「フィズ!フィズー!!」
ぱたぱたとかけてきたリジーに、フィズは笑顔を向けた。
「リジー、走ると危ないよ。どうしたの?」
「じ、かけた!ほら!」
リジーはドヤ顔で、持っていたノートを広げてみせた。
そこには、魔導書の写しと思われる文字列がぎっしりと並んでいる。7歳児が描いたと考えると驚異の内容だ。もっとも、彼の実年齢は不明だが。
フィズは嬉しそうににこりと微笑んだ。
「良く書けてるね。すごいよ」
「これで、まほう、おしえてくれる?」
「そうだね、これが終わったら、一緒にやろう」
「やったー!」
リジーはノートを持ったまま嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。
フィズはその様子を、微笑まし気に見守った。

海が見たい 人を愛したい
怪獣にも 望みはあるのさ

あたらしい太陽は燃える
愛と海のあるところ

ギザに現れた怪獣は。

人の姿を得て、海にたどり着き。

そして、人を愛していくのだろう。

あたらしい太陽の下で。

暖かな愛に包まれながら。

The Ballad “MONSTER” 2017.3.1.Nagi Kirikawa