「………は?え?ええええ?」

唐突に告げられた事実に、唯一互いの事情をある程度知っているミケが素っ頓狂な声を上げた。
「そこ二人に因縁…ってミリーさんがフィズさんを養子にしたのってそんな理由が……ええええ?!」
まだ混乱している様子のミケ。
冒険者たちの誰もが状況を把握できずに戸惑う中で、最初に行動を起こしたのはおりょうだった。

「待たれよ、キル殿」

ぎんっ。

言葉と共に繰り出された斬撃を、キルの前に現れた杖が正確に防ぐ。
声をかける隙すらも与えない攻防に、二人以外の者は目を見開くしかない。
おりょうの持つ、不思議な光沢を放つナノクニ特有のカタナと呼ばれる剣も。
キルの前に立ちはだかっている、彼の自分の背丈ほどもある大きな杖も。
一体どこに持っていたのか、先ほどまではどちらも彼らの手元にはなかったものだ。
おりょうの攻撃は威嚇目的だったのか、すぐさま距離を取ると油断なくキルに剣を向けた。
「これ以上お主が契約の儀式とやらを続けるのであれば、それがしはお主の邪魔をせねばならぬ。
お主を斬り捨てることは叶うまいが、しばらく付き合ってもらおうぞ」
「おや、穏やかではありませんね」
いたって動じる様子のないキル。
「さて、どうしたものでしょうか……」
あいまいに言葉を濁し、他の冒険者の様子を見る。
すると、次にグレンが剣を抜き、なんとその切っ先をフィズに向けた。
「グレン殿?!」
「グレンさん?!」
さらに混乱した様子でグレンの方を向くおりょうとミケ。
グレンはいたって冷静に、フィズに言った。

「すまないが、退いてくれ。そいつを討つ」

「な……」
絶句するフィズ。
視線をフィズに…フィズの後ろでいまだ眠っているバジリスクに向け、グレンは続けた。
「キルが魔族であることを考えれば、今意識のないバジリスクを討つのが最善だ。そこを退いてくれ」
「そんな…」
グレンの言葉に、苦しげに表情をゆがめるフィズ。
一方のキルは、おりょうに剣を向けられているのを気に留めた様子もなく、一転して楽し気に表情を緩めた。
「これは、面白くなりそうですね」
その言葉と、構えを取る様子のないことから、こちらの様子を傍観することに決めたようで。
一触即発の危機は免れ、猶予はできたが、それすらも上から高みの見物を決められているような不快感に、ミケが歯噛みする。
「グレンさん、それはあんまりなんじゃないですか。バジリスクに戦闘意思はありません。バジリスク自体が危害を加える意思があるわけじゃないんですよ?」
「それはわかっている。だが…俺の中に他に方法はないんだ」
対するグレンの表情にも罪悪感がにじみ出ていて。
彼が決して、バジリスクへの悪感情でこのようなことをしているわけではないことがうかがえる。
だからこそ、ミケも強く押せずに言葉を詰まらせた。
「……っ……アフィアさんも、同じ考えなんですか?」
苦し紛れにアフィアにそう振ってみるが。
彼が放った言葉は、別の意味で予想外だった。

「うち、依頼、終わった。帰ります」

「ええええええ?!」
完全に予想外の回答に、ミケもおりょうも、グレンまでもがぎょっとしてそちらを向く。
アフィアはなぜそんな反応をされるのかわからないという風に、わずかに首をかしげる。
「キル、雇用者、契約、果たす、報酬、支払い、問題、ありません。契約、守る、魔族、いる、うち、知ってます。
バジリスク、危険、イコール、飼う人、危険、意味、わかりません」
「……え」
アフィアの言葉に、ミケはきょとんとして声を漏らした。
続けるアフィア。
「猛獣、ペットにする、権力、示す、人、いる。ペット、バジリスク、だから、危険、違う、思います」
「ちょ、ちょっと待ってくださいアフィアさん、あなた、まだキルさんがバジリスクをペットとして飼っていると思ってるんですか?!」
「?」
アフィアは慌てるミケを不思議そうに見る。
ミケは焦れたように、グレンに視線を向けた。
「グレンさん、キルさんは依頼の時に、ペットとして飼っている、と明言していましたか?」
「………いや」
グレンは何かを思い出すように視線をさまよわせながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「正確には、こうだ。俺たちに理解が可能な名称を探すとそうなったというだけで、キルの庇護下に置き、管理をしている生物の総称を、『ペット』と言っただけだと」
「………」
黙り込むアフィア。
ミケは続けた。
「つまり、僕たちの常識で言う『ペット』ではないわけです。キルさんの庇護下に置いて、管理をしている生物…要するに、召喚獣、ということでしょう。召喚獣は、召喚士にとっては『ペット』ではありません。『武器』です。本気であなたがたに解らないと思ったから召喚獣という言い方を避けたのか、何か別の意図があったかはわかりませんが」
「……でも」
アフィアはなおも冷静に、言葉を返した。
「将来、災厄の種、なるかも、うち、思いません。言いがかり、思います」
「そうかな」
それに軽く否定の言葉をかけたのはグレンだった。
「災厄の種にはならないかもしれない。だが、もしキルがバジリスクを使って誰かを殺めたら、俺は依頼を受けて間接的にでも手伝ったことを後悔するだろう。……後悔を背負って生きるのはきついんだよ」
妙に実感のこもった言葉に、アフィアは返す言葉を見つけられずに口をつぐむ。
「………」
「アフィアさん、僕は将来災厄の種になるかもしれないからキルさんを止めたいと言っているのではありません」
「……?」
ミケの言葉にそちらを向くと、ミケは思いもかけず真剣な表情でアフィアを見ていた。
「なる『かもしれない』ではない。『なります』。それは、『実績』があるからです」
「実績……」
「ええ。あなたも聞いていたでしょう。フィズさんは、キルさんに、そのバジリスクを使って、ご両親を『石にされて砕かれた』んです。そして、僕はキルさんがためらいなくそうする方であることを知っています」
「知ってる、なぜ、ですか」
「目の前で見てきたからです。観光客がひしめきあうパパヤ・ビーチでバジリスク並みの巨大な召喚獣を呼び出したこともありましたし、人間に協力させて策を弄し、その人間が不要になった途端に依り代にして召喚を行ったこともありました。キルさんは、ロキさんやイシュさんと同じ、僕たちとは倫理観の違うひとなんです。
結んだ契約をきちんと果たし、報酬も問題なく支払われた。それは単に、彼の目的の邪魔にならないからでしょう。人間の通貨など、魔族には簡単に用意できるでしょうからね。対等な契約とは程遠い、対価を与えて動く使い勝手の良い駒です。
口ぶりから、アフィアさんは他にも魔族を知っているようですね。契約をきちんと果たすその魔族は、本当に災厄をもたらす存在ではありませんでしたか?」
「………」
再び口を閉ざすアフィア。
「アフィア」
グレンが呼びかけ、アフィアはそちらを向いた。
「アフィアがアフィアの判断で、仕事は終わったしこれ以上関わることは無いというなら、俺はそれは止めない。
だから、俺は俺の判断で、キルが危険だと思うし、それを放置することで人が死んだら後悔すると思うから、バジリスクを討つ。
戦いに巻き込まれるのが嫌なら、早く離れた方がいい」
「………」
アフィアはやや逡巡しながらも、やがて踵を返し、果てしなく続く砂漠へと足を踏み出した。
「………」
「………」
そうしたことで、再びグレンとフィズの間の緊張がよみがえる。
と、そこに。

「話は終わりましたか」

かすかな冷気すら感じられそうな声音で、ひやりとキルの声がかかる。
わずかにそちらを振り向くと、キルは杖をまっすぐにグレンに向けていた。

「勝手に話を進めているようですが…私の所有物を勝手に処分されるのは困ります」

その声と共に。
深緑色の竜をかたどったその杖が、何の前触れもなくものすごい速さでグレンに向かって飛んで行った。

「!…くっ……!」
「グレン殿!!」
グレンとキルの中間あたりにいたおりょうが、素早く杖の進行方向に回り込み、刀を斜めに構えて突進してきた杖に擦るように打ち付ける。杖の勢いと軌道を少しでも逸らすのが狙いだ。
がぎっ。
鈍い音がして、おりょうの刀とキルの杖が激しくぶつかり合った。
「……せいっ!」
腕に力を籠め、ぐっと突き出して杖の軌道を変えようとするおりょう。
擦れたところから、物理的なものではない波動が空気を震わせ、杖は僅かに威力を失って軌道を逸らされた。
「……っ」
少しだけ驚いたように目を見開くキル。
「…変わった剣をお持ちのようですね」
「ほう、やはりわかるか」
おりょうは刀の切っ先をキルに向け、口の端をにやりと釣り上げる。
「砂漠が大地にあたるのかが疑問であったが、問題ないようじゃのう」
「……なるほど」
ふ、とキルが僅かに微笑んだタイミングで、はじかれた杖が軌道を変えて彼の元に戻ってくる。
「では、私も得意分野でお相手することにしましょう」
すい、とキルが袖先を差し出すと、杖が呼応するように斜めに傾く。

「炎舞」

淡々とした呪文が響き、杖の先端にかたどられた竜が炎を吐くように、巨大な炎が巻き起こった。
「くっ……!」
逃れられそうにない炎の勢いに、おりょうとグレンが身を焼かれることを覚悟した時。
「風よ、炎の嵐から我らを守れ!」
ごう。
ミケの呪文と共に風の壁が周囲を取り巻き、炎の勢いは天高く逸らされ、熱風だけが頬を焼いていった。
「かたじけない、ミケ殿」
「いえ、僕にはこれくらいしかできませんから」
ミケはおりょうに頷き返すと、グレンの方を向いた。
「グレンさん、今はバジリスクを倒そうとすればキルさんがあなたを狙います」
「そのようだな……しかし、かといって」
ちらりと背後のフィズを見るグレン。
そちらに任せることもまた、したくないという彼の意思表示なのだろう。
バジリスクを倒すのは心苦しい。しかし、キルを倒せるとも思えない。
短い時間ですべて言葉に出すことが出来ないグレンの表情を正確に読み取れたのは、ミケもまたそのことはよく把握しているからで。
かといって、バジリスクを殺させることだけは絶対にさせたくない迷いが、ミケの表情にもまたありありと表れている。
すると、視線を送られた当の本人が、きりっと表情を引き締めて言った。
「ミケ、おりょう…今は、少し時間を稼いでくれないかな」
「フィズさん?」
「グレンも…こんなことを頼めた義理じゃないけど、少しの時間だけでいい、私のことを信じて、彼が私とバジリスクに近づくのを阻止してほしい」
「何をするつもりだ?」
「説明してる時間がない。少しでいいんだ、お願い」
「わかりました」
「心得た」
ミケとおりょうが頷き、身構える。
グレンも表情を引き締め、了承の言葉はないままにそのあとに続いた。

ざっ。

足場の悪い砂を蹴って、一番におりょうがキルに向かっていく。
「風よ、かのものを助け、その背に翼を!」
それを助けるように、ミケが補助魔法をおりょうにかける。
さらに俊敏に動けるようになったおりょうは、斜めに構えていた刀を翻し、下からすくいあげるようにキルを斬りつけた。
「せあぁっ!」

ぎんっ。

それを遮るように、キルの前にあの杖が現れる。
「くっ…はぁっ!」
刀をはじかれたおりょうはわずかに表情をゆがめると、間髪入れずに角度を変えて刀を振るった。

きんっ、きん、ぎんっ。

そのたびに、杖が器用に動いて攻撃を防いでいく。
キルが漏らした通り、おりょうの刀は特別製だ。大地から生まれ、大地の力を持って研ぎ澄まされる。大地に触れてさえいれば無限の力を得られる、地人である彼女にふさわしい武器と言える。
だが、キルが操っている竜頭の杖も、拮抗するほどの、あるいはそれ以上の威力を持っているようだった。キルが得意分野で対応すると言って魔法を使っている以上、物理的な攻撃は得手とはしないのだろう。しかし、ミケの補助魔法で敏捷に動けるようになっているおりょうの攻撃ですら、本人には一太刀も浴びせることはできない。

きんっ。

何度か切り結んでから、おりょうは後ろに跳んで距離を取った。
「く……さすがに一筋縄ではいかんの。
時間稼ぎか…どのくらい稼げばよいものか」
「交互に行けば多少はもつだろ!」
それと入れ替わるように、グレンが剣を構えて駆け出していく。
おりょうが切り結んでいる間に自分で補助魔法をかけたのだろう、炎の気をまとった大ぶりの剣を構え、砂を蹴って斬りかかっていった。
「はあっ!」

きんっ。

軽い音を立てて杖と接触する剣。
防がれるのは予想していた様子で、グレンは素早く構え直すと再び斬りかかった。
「はっ!たぁっ!」
おりょうと同様、彼の動きをまるで読んでいるかのように、正確に攻撃を防いでいく杖。
まるで杖自体が意思を持っているかのようだが、そうではないことは面倒げに眉を顰めたキルの表情からも見て取れた。
「あまり得意ではないことを続けたくはないので」
す、と袖を差し出すと、杖は大きく軌道を曲げて薙ぎ払うようにグレンの方に向かってきた。
「ちっ……!」
思わぬところから訪れた攻撃に、避けはできたものの大きく体制を崩すグレン。
そこに。

「龍華」

淡々とした呪文が響き、青い光が杖から放たれる。
じっ。
「うああぁっ!」
その一端がグレンの肩を掠め、炎ではないものに焼かれる鋭い痛みが走った。
「くっ…!」
かろうじて体勢を立て直したグレンは、剣を持った手で肩を押さえると大きく後ろに跳ぶ。
キルは袖を大きく広げ、さらに攻撃を繰り出すべく息を吸った。

「炎舞」
「ファイアーボール!」

ごうっ。
そこに、ミケの放った炎の魔法が正面からぶち当たり、グレンに向かって放たれた炎は方向を曲げられ天へと昇っていく。
そして、さらに。

「風よ、炎の力となりて、忌まわしき蛇を地獄の業火で焼き尽くせ!」

炎の魔法を維持しながら繰り出された風魔法が、火柱をさらに炎の竜巻へと変え、ものすごい勢いでキルへと突っ込んでいった。
ごごごご、と、砂を焼き、舞い上げながら進んでいく竜巻。
それがキルの小さな影を飲み込み、ひとしきり暴れた後、唐突に飽きたかのようにふわりと天へ消えてゆく。

「……やはり、効きませんか」

ミケが悔し気に呟いた通り、炎の竜巻が消えた後には、先ほどと変わらぬ様子でたたずむキルの姿があった。もっとも、その周りの砂は大きくえぐれ散らされており、そこで確かに竜巻が暴れまわっていたことを思わせる。
ミケはふっと自棄気味に笑うと、大きめの声でキルに言った。
「そういえば、バジリスクの『飼い主』に訊いてみたいことがあったんですよ」
「はい、なんでしょう?」
にこりと微笑むキル。
そこに、息を整えたおりょうが再び斬りかかっていく。
「はあっ!」
きんっ。
やはり、あっさりと防がれる刀。
ミケに意識を移しつつも、キルはおりょうの斬撃を正確に受け流している。
ミケは内心舌を巻きながら、刀と杖が切り結ぶ音をBGMに、質問を続けた。
「そもそも、なんで逃がしたんですか?管理甘いんじゃないですか?そもそもなんでこんなところに逃がしたんですか?あなたの家の周辺じゃないでしょう!」
「逃がした、と申しますか。まあ、逃がしたことになるのでしょうね」
責めるようなミケの言葉にも、特に何か感じる様子もなく淡々と答えていく。
「ごく稀に発生する事象ではあります。召喚の最中に、強引に空間を捻じ曲げられ、本来呼び出すべき場所ではないところにに飛ばされてしまった。その時は、確かに私の世界での戦いでしたが、相手も私と同様、空間を操るタイプの術を使役する方でしたから」
きんっ。どすっ。
おりょうの刀をキルの杖がはじき上げ、かろうじて柄を離しはしなかったものの、隙のできた腹部に杖の先がめり込む。
「ぐうっ……」
衝撃に表情をゆがめ、おりょうが距離をとると、キルはにこりとミケに微笑みかけた。
「そして、召喚中に術を阻害された場合、ごく低い確率で契約の絆が切れてしまうのです。運が悪かったのですね」
「なるほど、それで…砂漠に」
「ええ。私の世界を探しましたが、どうやら存在しない様子だったので、こちらまで探しに来たのです。契約の絆が切れると今いる位置もわからない。探すのに骨が折れました」
「それで…コレは何が目的で砂漠をうろうろしているんですか?」
ミケはフィズの後ろで眠っているバジリスクを視線で示す。
「ご主人のところに帰ろうとしていなかったみたいですけど?」
「なぜ私のところに帰ると思うのです?」
逆に問い返され、ミケは困惑してしまった。
「え、だって、契約を結んだ召喚獣なんですよね?」
「ですから、契約の絆が切れたと先ほど申し上げたではありませんか」
「え、あ、そうか……」
そういえばフィズもそんな話をしていた気がする。間抜けな質問をしてしまった、と頬を掻くミケ。
「ということは、バジリスクがこの辺りをうろうろしているのは…」
「突如見知らぬ世界に放り出されて、彷徨っていたのでしょうね。ここは、それが生まれた場所ではありませんから」
それ、とはもちろん、バジリスクのことだろう。
「生まれた場所ではない……って」
さらに質問を重ねようとした、その時。

「……できた!ミケ、おりょう、グレン、こっちへ来て!」

後方で意識を集中していたフィズが、思ったより大きな声で呼びかける。
彼らは頷く間も惜しんで、フィズに駆け寄った。
「フィズ殿!」
「……いくよ!」

ぼふ。

フィズは振り上げた両手の平を、勢いよく砂地に叩きつけた。

「リバース・ザ・ワールド!」

熱く揺れる大気に、高らかに呪文が響き渡り。
フィズと3人と、そしてバジリスクとを囲むように、青白い光がぐるりと地面から天に向かって伸びる。
そして。

ふ、と音もなく、光で囲まれた者たちの姿が消えた。

「………成る程」

初めから何もなかったかのように乾いた風が駆け抜けていく砂漠を、キルは楽し気に眺めているのだった。

「ここは………」

目を開くと、そこには何とも奇妙な景色が広がっていた。
上部には星空のような空間。足元はガラスのように透き通って無機質な床があり、他には何もない。この景色が無限に続いているようにも、逆にごくごく狭いようにも見える、不思議な景色だ。
「ミケとおりょうには以前話したと思うけど、召喚士は空間を操る術士だから、ちょっとした大きさのものを『避難』できるような空間を作ることができるんだ。バジリスクと私達を収納できる空間を作るのに少し手間取ってしまったけれど、時間稼ぎをしてくれてありがとう」
「なんと、ここはフィズ殿が作った空間であったか」
感心したようにあたりを見回すおりょう。
バジリスクは相変わらずフィズの傍らで眠っている。
フィズはそちらにちらりと目をやってから、冒険者たちの方へ向き直った。
「キルがいない場所で、意見をまとめる必要があると思ったから。少し強引だけど、こういう手段をとらせてもらったよ。
とはいえ、相手も召喚士だから、私の作ったこの場所にたどり着かれる可能性は高い。時間稼ぎでしかないけれど、キルがいる状態で話をするよりはましだと思ったから」
「なるほど……」
ミケが頷き、ため息をついてあたりを見回した。
「アフィアさんが来られませんが…まあ、ご自身の意思で戦線離脱したのなら致し方ないでしょうね」
「いまだにペットと認識していたことは驚きだったがな…フィズの両親がキルに石にされて砕かれたとはっきり言っていたと思うんだが」
「思い返せば、キル殿の命令によって石にされたという明確な発言はなかったのう」
おりょうがあっさりと言い、そういえばそうだ、と頷き合う。
「確か……私が、私の両親を砕いたように、今度は誰を石にするのか、と言って」
「それに対してキルさんが、あの時の子供だったのか、とその事実を肯定していた、と」
「確かに、解釈のしようによってはキル殿自身が手を下したわけではなく、フィズ殿の両親が石にされたことを間接的に知っていて、同じバジリスクを操るキル殿に対して同じことをすると決めつけているというように取れなくもないのう」
「……無理がないですか、それ」
「普通その会話が交わされたら、キルが実行犯だと解釈すると思うが」
「解釈する気がないというか、その発言に対して深く考える気がないんだと思います。アフィアさんって、そういうところありませんか?自分に関わるもの以外には無関心というか、共感性が薄いというか……イシュさんの事件の時とか」
かつてミケとグレンがともに関わった事件で、ゾンビにされた青年が、残してきた恋人に対してどうあるべきかという議論を行ったときに、アフィアだけは「興味がない」と言っていたことを思い出す。
グレンはうーんと唸った。
「仕事を執行するのに余計な感情を入れないようにふるまっているんだと思っていたんだが」
「そうでもないんですよ。僕があえて、キルさんの叔父にあたるロキさんの話をしたでしょう。アフィアさんは、ロキさんに対しては珍しく、かなり感情を出して怒っていたんです。まあ、本人は、身内だからってイコール怒りをスライドさせることは無いと言っていましたが…僕にしてみれば、村人を実験台に呪いの研究をしているロキさんと、生に執着する人をゾンビにしてゾンビの持続性を実験するイシュさんと、自分が石にした人間の子供に対して嘲笑を投げかけるキルさんに何の違いがあるのかと思いますが」
「要は、自分、ないしは自分の大切な人に深くかかわらないものに対して、関心を寄せられないのだろうね」
フィズが言い、わずかに気づかわしげに眉を寄せる。
「それは、彼自身の特性として共感性を持たないというよりは……彼が、あまりひとを好きではないような印象を受けたな」
「そう、ですか?」
意外な評価に、きょとんとするミケ。
フィズは苦笑した。
「彼がいないから言うけど、自分の縄張りを荒らされないように警戒する狼のように見えたんだ。自分の縄張り以外の者は基本的には全部敵というか…縄張りの中、つまりは自分と自分の仲間を傷つけるものには容赦なく牙をむくけれど、人の縄張りは尊重するし、自分の縄張りの外で誰が何をして誰を傷つけようと興味がない。契約さえ守れば問題ないという発言からもうかがえるね。
逆に、縄張りの中のもの…つまり、彼や彼の大切な人はとても大切にするし、ひょっとしたら共感性もあるのかもしれない」
「なるほど…そういう見方もあるんですね」
「まあ、その考え自体に何か問題があるということでもなかろう。興味のない者を無理やり引き込んでも詮無いことじゃ」
おりょうはやはりあっさりと言って、切り替えるようにフィズの方を向いた。
「それより、今それがしがやるべきと思うは、何よりも優先して依頼人であるフィズ殿を無事に生きて返すことじゃ」
「おりょう……」
「じゃが、しかし、フィズ殿はバジリスクをどうにかせん限り帰ることには同意せぬじゃろう。
ミケ殿もキル殿の思い通りにさせるつもりは毛頭ないであろう?」
話を振られ、ミケは困ったように眉を顰めた。
「うーん、僕もフィズさんに確かめておきたいんですけど」
「なにかな」
「フィズさんは、今でも、そのバジリスクを、元の世界に返してあげようと思いますか?そのバジリスクは、あなたのご両親を……その、石にしてしまったんでしょう?」
言いにくそうに言うミケに、フィズはきっぱりと首を振った。
「関係ないよ。両親を石にしたのはバジリスクではないよ。命令をしたキルだ。そこははき違えてはいけない。
君の大切な人が斬り殺されたら、君は剣を恨む?違うでしょう。バジリスクは道具として使われただけだ。可哀想なことにね」
「フィズさん……」
「バジリスクはあるべき場所に戻るのが一番幸せだと思う」
「…それを聞いて、安心しました」
ミケはほっとしたように笑顔を見せた。
「おりょうさんの言う通り、キルさんの思い通りにさせないという意図もありますが、僕はフィズさんにバジリスクと契約してもらいたいなと思います」
「ありがとう」
フィズも嬉しそうに微笑み返す。
そちら側の話がついたところで、おりょうはグレンの方を向いた。
「では、改めてグレン殿の考えを聞きたい」
「ええ、それは僕も思っていました」
ミケも同様に、グレンの方に視線をやる。
「グレンさん。…バジリスクを倒すという意思は、変わっていませんか」
二人の真剣な表情に、グレンも真剣に頷き返す。
「ああ。俺が今取りうる手段の中で最適だと思うのは、バジリスクを倒すことだ。それは変わりない」
きっぱりとした物言いにフィズの表情が悲しげに歪んだ。
が、どうにか感情的にならずにぐっと言葉を飲み込むと、冷静に話し出す。
「…取りうる手段の中で最適、と言ったね。ほかの手段がどのようなものか、聞いても構わないかな」
「ああ」
グレンは頷いて、自分の考えを話し始めた。
「俺の第一目的は、キルに契約をさせないこと、だ。
アフィアにも言ったが、もしキルがバジリスクを使って誰かを殺めたら俺は後悔する。あのとき、もし依頼を受けなければ……とかな。捕獲依頼を受けることで間接的に再契約を手伝ったことに変わりはないだろ」
「そうですね、僕もそう考えると思います」
頷いて同意するミケ。
グレンはそちらに頷いて、続けた。
「で、最終的にどこに落ち着かせたいのか。俺としてはキルが契約しなければそれでいいんだよな。
……ぱっと浮かぶ具体的な手段は3つだ」
一本一本指を立てながら、ゆっくりと告げていく。
「1、バジリスクを討伐してしまう
2、フィズが契約する
3、キルがバジリスクへの興味を失うように仕向ける」
「……なるほど」
「そして、この中で選ぶなら『1、バジリスクの討伐』だ。2と3は不安要素が大きすぎる」
「そうか?それがしは、フィズ殿が先にバジリスクと契約をしてしまえばいいと思うのじゃが」
おりょうが不思議そうに言い、ミケもそれに同意して頷く。
「そうですね、僕もそう思ってました。フィズさんがバジリスクと契約すれば、キルさんは、そのバジリスクを使うことはできなくなるのだし、いいんじゃないかな?
僕は、フィズさんが時間稼ぎをしてくれと言ったのは、てっきりそのためだと思ってたんですよ」
「それがしもじゃ」
「ですよね」
軽く頷き合って、フィズの方を向く。
「契約の儀式をするにあたって、フィズさんとバジリスクとの物理的な距離が関係あるなら、バジリスクと一緒に逃げてほしいとかも思ってたんですよ。バジリスクに速度上げる魔法かけるとか、攻撃魔法をかけて追い払うとかして、……フィズさんを乗せて、盗んだバジリスクで走りだしてもらえたらいいな、とか」
「18の夜じゃな」
「まあでも、どんなに全速力で逃げたとしたって、移動術を使うキルさんはあっという間に追いついてしまうでしょうし、どうしたものかと悩んでいたんですが。
でも、言われてたのもすっかり忘れてましたけど、こんな空間を作って逃げ込むことが出来るんですね。ちょうどいいじゃないですか、この空間で契約をしてしまえば、キルさんはバジリスクと契約できなくなるんでしょう?」
「…そうだね、それは間違いないよ」
言いつつも、どこか気もそぞろなフィズ。
ミケは片眉を顰めた。
「…何か、心配事でも?契約の儀式って、そんなに時間がかかるんですか?キルさんに見つけられる方が先になりますか?」
「実際にかかる時間は、バジリスクがどの程度抵抗するのかによるから、具体的には何とも言えない。同じように、キルがどうやって探すのかがわからないから、これも予測はできない。
…私が気にしているのは、そういうことじゃなくて……」
フィズは言いにくそうにしながらグレンに視線を向けた。
「ミケとおりょうが推すその案を、グレンがなぜ第2候補としているのかが気になるんだ。考えたけど、考えたうえで、グレンはバジリスクを倒す方がいいと判断したということなのでしょう?」
「ああ」
グレンは迷うことなく頷いた。
「フィズの契約が上手くいったとしても、その後でキルに命を狙われないとは言い切れない。だから、フィズが契約をするというのなら、ある意味2と3はセットだな。キルの興味を失わせなければ、フィズが先に契約ができたとしても意味がない」
「それは、確かに……」
むう、と唸るミケ。
フィズが先に契約できたとして、そのあとにキルがフィズを殺してしまえば、キルがバジリスクと契約をすることが可能になる。
それでは意味がない、と、グレンは言っているのだ。
グレンは苦い表情で続けた。
「……勿論、あのバジリスクは悪くないということは分かっているつもりだ。
砂漠での石化被害は聞かなかったし、俺達が攻撃を仕掛けるまでは攻撃の意思などもなかったように思う。
いい案があればそれに乗ろうとは思うが……そうでない限り、俺はバジリスクを討つことが最善だと思うし、実際そうするつもりだ」
「いい案、いうのは……」
「『不安材料への対処をしっかりと考えている案』だ」
ミケの言葉に、グレンはきっぱりと告げた。
「例えば、そうだな……。バジリスクを逃がすという案であれば、キル自らが後を追うか、再び冒険者に探させてキルが再契約を試みるかもしれない。
フィズが先に契約をする場合は、さっきも言ったが、フィズを殺して契約するという事態もありうる。
この不安要素に対して何かしらの対策を講じていることが条件だ。それが浮かばないから俺は討伐を選んだわけだしな」
「……なかなか、難しいですね……」
さらに眉を寄せるミケ。
そこに、おりょうが手を挙げて遮った。
「待たれよ。フィズ殿が契約できたとして、命を狙われるかもしれぬ、ということは、それがしも考えておった」
それから、フィズの方に視線を移して。
「バジリスクのいるべき世界に見当がつかぬようじゃが、ミケ殿が言うようにこの世界を逃げ回らせるのではなく、もといた世界へバジリスクを逃がすことは可能かのう?」
「もといた世界……か」
フィズはなおも渋い表情だ。
「…実のところ、いるべき世界に見当がつかないわけではないんだ」
「なんと、そうであったか」
「……おりょうはバジリスクがどこから来たと思う?」
「む。そこでそれがしに答えを求めるか。生憎じゃが、さっぱりと見当がつかぬ。ミケ殿はどうじゃ?」
「僕も、ちょっと思い当たらないですね……」
「ミケが、さっきキルから言葉を引き出してくれたよね」
「僕が、ですか?」
言われて、思い返す。

『ここは、それが生まれた場所ではありませんから』

「……ここは、バジリスクが生まれた場所ではない……」
「そう。彼ははっきりとそう言ったよね。そもそもが、バジリスクは彼の召喚獣だった。彼自身が契約をしたものなんだろう。
そして、彼は『彼の世界』での戦いの最中にバジリスクを呼び出そうとして空間を捻じ曲げられ、バジリスクは『見知らぬ世界』を彷徨うことになった……」
「……と、いうことは…」
ミケが絶句するように切った言葉を、グレンが苦い表情で引き継いだ。
「……バジリスクは…魔界の生物、ってことか」
ごく当たり前と言われればその通りの事実に、一同が黙り込む。
フィズは苦しげに、絞り出すように言った。
「私にはさすがに、魔界への転移をできるほどの腕はない。せいぜいがこんな空間にバジリスクを留め置くだけだ。
仮に魔界へ返せたとして、魔界はキルのホームグラウンドだね。そんなところに返すことが得策だとは思えない。
……けど」
目を閉じ、いたましげにこぶしを額に当てて。

「……故郷がいるべき世界だとするならば、私がしようとしていることはバジリスクを救うことになるのかな……」

その問いに、答えを返せるものはいない。
フィズはじっとつらそうに眼を閉じ、それから顔を上げて冒険者たちを見た。

「方法は、いくつかあるのだと思う。
グレンの言うように、バジリスクを倒してしまうのも、私達の目的のためには一番短絡で、そして確実な方法だ」
「フィズさん……」
彼がどんな思いでその言葉を絞り出しているか、想像もつかない。
しかし、フィズは毅然と言葉を紡いでいった。
「バジリスクと契約を結ぶなら、キルの興味を削がなければならない。
バジリスクを逃がすならば、彼に追ってこられない場所に逃がさなければならない。
他に方法があるなら、それでもいい。誰かに助力を願うのもいいと思う」

フィズは、ひとりひとり確かめるように、その表情を見つめていった。

「何が一番いい結論なのか……答えを、出したい。一緒に、考えてくれるかな……?」

奇妙な星空が広がる空間で。
空間を創造した主の声だけが、綺麗な星空に響いて消えていく。

傍らで静かに眠るバジリスクは、自分の運命が決められようとしていることなど知る由もなかった。

海が、見たい。
人を、愛したい。

けれど。

ぼくのこの目は、ひとをかたくしてしまう。
ぼくのこの爪は、かたくなったひとをこなごなにしてしまうんだ。

海が、見たかったよ。

あんなふうに、楽しく笑いたかったよ。

ねえ、ぼくは。

どうしたら、いいのかな。

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