「そちらもバジリスクを探しているとは……なかなか、奇妙な縁じゃのう」
感慨深げに言うおりょう。
「そうですね…まあ、目撃情報が広がっているなら、複数からの依頼というのも不思議ではないですが…」
わずかに眉を寄せて、ミケ。
「お二人は討伐依頼か何かですか?」
「いいや、俺たちが受けているのは捕獲の依頼だ」
やはり淡々と返すグレン。
「捕獲?」
首をかしげるミケに、アフィアが軽く答える。
「ペット、逃げた。捕まえる、依頼です」
「ペット?」
「おい、アフィア」
盛大に眉を顰めたミケを遮るように、グレンはアフィアの腕をぐいっと引いた。
そして彼の前に立ち、用心深くミケを見る。
ミケは首をかしげたまま、さらに聞いた。
「ペットを逃がすって、この辺の方ですか?……魔物ですよね、バジリスク。かなり凶悪な。それをペットって、どういった方が飼ってらっしゃるのでしょうか?飼い主責任ってものがあるでしょう?」
「あー…」
グレンは気まずそうに頭を掻き、しかしきっぱりと首を振った。
「何が依頼人の不利益になるか分からないから答えたくない。察してくれるとありがたいが」
「……まあ、そこはお察ししますけど」
到底納得のいっていない表情で、しかし言葉をひっこめるミケ。
そこまで後ろに控えていたフィズが、一歩前に出てゆっくりと話し始めた。
「…私たちも、バジリスクを捕獲に向かっているんだ」
「あんたたちも?」
「うん。バジリスクが誤って討伐されてしまわないように、私が先に捕獲して契約を結ぼうと思っていたのだけど…」
言って、ミケやおりょうに話したのと同じ話をかいつまんで話していく。
グレンとアフィアは黙ってそれを聞き、話が終わったところで息をついた。
「…そうなのか。だが、俺たちも捕獲の依頼を受けてここに来ているんでな。しかも、そのバジリスクの所有者から」
「………」
フィズはわずかに眉を寄せ、しかしきっぱりと言い返した。 
「…なら、私たちも同行させてくれないかな」
「なに?」
「フィズさん?」
グレンとミケが同時に驚いた声を上げる。
「バジリスクの『持ち主』からの依頼があったことは認めるよ。けれど、ミケの言う通り、バジリスクは『魔物』だ。その持ち主だと主張する人物がどういう人なのか、興味はある。実際、どういう人なの?」
「うちと、同じくらい、たぶん、地人、思います」
またもさらりと答えるアフィアに、グレンがぎょっとして止める。
「黒髪、長いです。瞳、あ……」
「だから、よせってアフィア!」
グレンがまたアフィアの腕を引き、発言を止める。
「依頼人の情報は明かせない。悪いな」
「……でも、魔物の飼い主というだけで不信を抱く私たちの気持ちは、理解してもらえるかな」
「依頼人は魔物じゃないと言っていた。魔物の定義が何だって話だがな」
「その人がバジリスクを『ペット』だというのも、本当かどうかもわからない」
「それを言い出したらきりがない。あんたの言うことだって本当かどうか、俺たちにはわからないんだからな。依頼を引き受けたからには依頼人を信じるのが道理だ。依頼人が嘘をついていたことが分かれば、その限りじゃないが」
「そうだね……」
フィズは苦い表情で息をついた。
「なら、バジリスクを捕獲可能な状態にするまでは、共闘、ということで、どうかな」
「共闘?」
「うん。こちらもだけど、そちらも戦いの頭数は多い方が有利でしょう。バジリスクを捕獲可能な状態にする、というところまでは、目的が同じだと思うけれど」
「………」
グレンは少し視線をさまよわせてから、息をついた。
「……少し、離れたところで打ち合わせてもいいか」
「わかった」
フィズが頷くと、グレンはアフィアを連れて、フィズたちに声の届かないところまで距離を取った。

「あんま依頼人の情報話すなよ、アフィア」
グレンに言われ、アフィアは心外そうな無表情で首を傾げた。
「依頼、ペット、探してくる、です。漏らす、困る、情報、ない、思います」
「その字面だけ追えば、な」
グレンはめんどくさそうに髪を掻き上げる。
「バジリスクをペット呼びし、暑いのが嫌だからと冒険者を雇い、通信機を目印に移動魔法で来るという……変わり者かつ実力者だ。
誰かに依頼人のことを話したら駄目な気がしている」
ふう、と息をついて。
「あれだけの変わり者だ。詳細を話したら絶対に突っ込まれるだろう。
そんな実力のある変わり者にバジリスクを渡して大丈夫かという話にもなりかねない。実際、すでに若干そういう流れになったしな。
俺たちは依頼を遂行するだけで、大丈夫かどうかまでは依頼人に言ってほしいところだが…まあそういうわけにもいかんだろう。
なんにせよ、依頼達成前にごたごたするのは遠慮したい」
「そう、ですか」
アフィアはいまいちピンとこないようだったが、グレンがそう言うのなら特に拒否する理由もない、という様子で頷いた。
「では、共闘、しない、ですか」
「アフィアはどう思う?」
「敵対、する、別行動、する、理由、ない、です。バジリスク、厄介。手、ひとつでも、多い、良い、思います」
「それはわかってるんだがな……」
グレンはもう一度面倒気に肩をすくめて、息を吐いた。
「ま、依頼人の情報は明かさない、っていうのははっきりしてるし、向こうもわかってるなら、共闘で問題ないか」
苦みを帯びたグレンの決意に、アフィアは淡々と頷く。

そこから数歩程度のところを、先ほどまでミケの肩に乗っていた黒猫が通っていることには、二人は気づくこともなかった。

「……なるほど、ね」
使い魔の黒猫の聴覚から得られた情報に、ミケはつぶやいて嘆息した。
「依頼人は変わり者で、実力者のようですね」
「む。会話が聞こえるのか、ミケ殿」
「ええ、使い魔は感覚を共有できるんですよ」
ミケがちらりと視線をやった先に、アフィアとグレンの足元にたたずむ黒猫の姿。
おりょうは感心して腕組みをした。
「魔法というものは至極便利なものじゃのう」
「依頼人がバジリスクをペットだと言ったのは本当のようですね。自分で探しに来ればいいのに、わざわざ冒険者を雇ったのは、『暑いから』のようです」
「金持ちの言いそうなことじゃのう」
「そして、通信機を目印に移動魔法で来ると…少なくとも、今は暑くない場所にいて、砂漠のど真ん中のこの場所に移動魔法で来られる程度の実力はあるようです。…そもそも捕まえてどうやって持って帰る気なんでしょうと思っていましたが、バジリスクをペットだと言い切るだけの人ではあるようですね」
「移動魔法と召喚魔法は力の向きが逆なだけで性質は同じだから、使いこなす人は多いよ。私は使えないけれど。…というところからも、私と同じ召喚士である可能性は高いね」
フィズが言うと、ミケはそちらに視線を向けた。
「召喚士さんは、召喚獣をペットとして扱うものなんですか?」
「いや…私はそういうことはしないし、一緒に召喚獣を学んでいるクラスメイトも、もちろん教官も、召喚獣を『ペット』と表現したことはないね。…そもそも、契約を交わしている獣であるなら、わざわざ人を雇って探さなくても呼び出せば済む話だし」
「なるほど…召喚士であるということについて、納得のいく要素も、納得がいかない要素もあるということですね。
フィズさんのように、自分の召喚獣に加えるつもりであるという可能性の方が高いですかね?」
「どうだろう…それだったらなおさら、『ペット』呼びに違和感を感じるね。所有物であると認識していて、居場所もわかっている、ただ呼び出すことはできない、というのであれば……」
「そういうケースもあるんですか?」
ミケが押して問うと、フィズは神妙な表情で頷いた。
「何らかの原因で、契約が切れてしまった、というなら、頷けなくもない、かな」
「契約が切れる…ということもあるんですね」
「そうだね。ミケと、その黒猫くんの契約が切れるようなものだよ。めったに起こることではないけれど、全くないケースでもない」
「なるほど……長い黒髪の地人だということですが…召喚士はディセスの方が多いんですか?」
「さすがにそれは聞いたことないな」
フィズは苦笑し、しかし用心深く視線を動かす。
「長い黒髪の地人……」
「……何か、心当たりでも?」
ミケが問うと、フィズは一瞬迷いに瞳を揺らして、やがて首を振った。
「…いや。気のせいだと思うよ」
「気のせい……ですか」
それ以上話す気のない気配を察し、ミケは話題の矛先を変えた。
「まあ、冒険者をやっていれば、依頼がかち合うことはありますから…僕はフィズさんの依頼を受けているわけですし、フィズさんにバジリスクを捕獲、契約してもらうことを優先的に考えますよ」
「しかし、向こうの仕事も、バジリスクを捕獲し、依頼人に渡すことなのであろう」
おりょうが苦い表情で言う。
「仕事を果たすためにそれがしを含めた雇われ人同士が戦って決めるというのは何とも面白くない。
もし、双方の意図が違うのだとしたら雇った側同士が話し合うなり戦うなりして決めるのがいいのではなかろうか」
「そうですね、そこの認識は確認しておきたいところです」
ミケも頷き、改めてフィズの方を見る。
「フィズさんの立場としてはどうするおつもりですか。お譲りするつもりであるのかどうなのか」
「うーん……」
フィズは即答を濁して唸った。
同じような表情で、ミケも嘆息する。
「個人的に、こんな魔物をペットにするっていうのは、普通の人じゃないと思うんですよ。自分が石になるかもしれないっていうのに、それを飼うっていうなら普通じゃない。よほどのお金持ちで世話を他人任せで自分が安全でいられる存在か、もしくはバジリスクよりも強いかだと思いますが。
それに、本当にペットだとして、それをこんな場所でうっかり逃がすって、それこそあり得ないと思うんですよね。誰が連れてきていたんですか。どこから連れてきていたんですか?どうやって?しかも逃がすとか」
「まあ、それはたしかに…」
おりょうも同意して頷く。
ミケは続けた。
「要するに、向こうの依頼人は、正直怖いし信用できない。フィズさんもそうだとお見受けしましたが、違いますか?」
「…そう、だね。ちょっと、不明な点が多すぎると思うよ。アフィア、だったかな。小さい子の方は、ペットを捕まえる依頼だとしか思っていなかったようだけど、グレンの方は、厄介な依頼人だとわかっていつつも、仕事と割り切って事務的にこなしている印象があった。彼らが騙されてバジリスクを捕獲させられている可能性もなくはないと思うよ」
「あの二人が、まともな冒険者であることは知っていますから…交渉の余地はあるとは思いますけど。頭も切れるので注意は必要ですが」
もう一度ため息をついて、ミケはさらに続ける。
「そういうのがあるので、余計に、とにかくフィズさんが契約して保護することを優先したいと思うのです」
「そう思ってくれるのは、普通に嬉しいよ。ありがとう」
にこり、とフィズは笑顔を返した。
「だけど、彼らには彼らの言い分と立場がある。おりょうの言う通り、叶うならば向こうの依頼人と話して、一番いい方法を模索できたらと思うよ。私の願いは、バジリスクが何も悪いことをしていないのに無残に討伐されてしまったり、逆に、望まないことなのによからぬことをするための道具にされたり、そういったことが起こらないこと、なのだから。
向こうの依頼人が、バジリスクをきちんと管理して、よからぬことに使わないと言うなら、私はそれでも全く構わない」
「フィズ殿は優しいのう」
満足げに頷くおりょう。
ミケは嘆息した。
「向こうの依頼人と話すことが、叶うならば、ですね」
なおも向こうで話す、アフィアとグレンの方を見て。
「案の定というか、依頼人の名前は口にしませんね…アフィアさんだけにお話を聞いたら喋ってくれたりしないでしょうか。例えば、グレンさんと引き離してとか」
「おお、それならばそれがしが引き受けよう」
おりょうが意気揚々と胸をたたく。
「食事時に飲み比べでもしてだな。グレン殿もそこもとも若いのだ。一晩飲んだところで、翌日の仕事に差し障ることもあるまい」
「…あ、いや……」
しかし、そのタイミングでミケが申し訳なさそうに手を上げた。反対側の手を耳に当て、視線を黒猫の方にやっていることから、猫からの感覚を傍受しているようだ。
「……すみません、アフィアさんはグレンさんの口止めを了解したようです。引き離したとしても、話してはくれなさそうですね」
「なんと、そうか。残念じゃのう」
「グレンも、仕事に向かう途中の野営で深酒をするようなタイプとも思えないしね」
フィズが苦笑して言う。確かに、これからバジリスクを見つけに出発するところで、すぐにバジリスクが見つからずに野営をしたとしても、砂漠のど真ん中で離れて行動するような事態になるとは考えにくい。ましてや、若干こちらを警戒しているグレンが、おりょうの強引な押しがあったとしても飲み比べに応じるとは思えなかった。
ミケは耳から手を降ろして嘆息した。
「とりあえず共闘で話はまとまりそうですし、まずは難関と言えるバジリスクを捕獲可能な状態にするまでですね。それからのことは、そのあと考えましょう」
こちらも若干めんどくさそうなミケの言葉に、おりょうとフィズは無言で頷き返すのだった。

ギザの村を出た一行の空気は、溶けてしまいそうな当たりの温度に比べ、微妙な緊張感をはらんで冷たくピリピリしていた。
唯一、さほど気にしていなさそうなアフィアが、サクサクと砂を鳴らして歩きながら、傍らを歩くフィズに質問している。
「フィズ、バジリスク、何か、知ってる、ですか」
「私も詳しくはないね」
対するフィズも、少なくとも表面上は穏やかに、アフィアの質問に答える。
「小高い丘ほどの巨体、砂色の鱗に大きな赤い一つ目…睨まれると石になる。私も実際に目にしたことはないからね。そういう、人づての情報しか知らないな。
逆に、アフィアたちは依頼人から何か聞いていないの?特性とか、弱点とか。聞いているなら、私たちも戦いに参加するのだから、参考にしておきたいのだけれど」
「………」
依頼人の情報を漏らすな、とグレンにくぎを刺されたこともあり、アフィアは一瞬押し黙る。が、訊かれているのはバジリスクの情報であり、依頼人の情報ではない。
判断に迷い、グレンの方を見てみるアフィア。
グレンはちらりとそちらを見て、浅く頷いた。
それを了承と理解したアフィアは、淡々と話しだした。
「名前、ない。肉食。大型獣、好む。雷、少し、弱い」
「雷…か」
「依頼人、バジリスク、おとなしく、できる、言う」
「まあ…そうだろうね」
でなければペットとして飼うなどできないだろう、という意味を込めた呟きを漏らし、フィズはさらにアフィアに聞いた。
「君たちがバジリスクを見つけて、おとなしくさせることが出来たとして、依頼人はどうやってバジリスクを回収するつもりなのかは、聞いている?」
「依頼人、情報、明かせない、です」
「そうか…それはそうだね」
きっぱりと一線を引くアフィアに、苦笑するフィズ。
アフィアはさらに聞いた。
「フィズ、バジリスク、話、できる、ですか」
「話?」
「意思、疎通、できる、戦う、必要、ない、思います」
「ああ、なるほど。うーん、難しいと思うよ」
フィズは困ったように首を傾げた。
「私も、召喚の契約を結ばなければ意思の疎通はできない。ひとの心を読んだり、動物とも意思の疎通ができるような能力を持っている人なら、また話は別かもしれないけれど」
「うち、テレパス能力、ない、です」
言ってから、周りに視線を向けるアフィア。
「…いや、俺もないな」
「僕もないですね」
「それがしもじゃ」
周りの面々も次々に言い、フィズは苦笑した。
「じゃあ、意思の疎通は難しいね。残念」
「むう。エサで釣る、大型獣も、用意、できません、でした」
「うーん…大型獣の用意は私も難しいかもしれないな……調達はともかく、持ち運ぶのが」
「うちも、そう、思います。クジラ、持ってくる、大変」
「クジラ見てたのはバジリスクの餌にするためだったのか……」
げっそりと呟くグレン。捕獲の方向に行かなくて本当に良かったとひとりごちる。

そんなことを言っている間に。

「……あれではないか」

先頭を行くおりょうが、陽炎にゆらめく進行方向にかすかに見えるものを指さす。
小高い砂の丘のように見えたそれは、陽炎のゆらめきとは明らかに違う動きを見せていて、それが砂ではない、生きて動くものであると認識させた。
「…おそらくは」
おりょうの言葉を肯定したフィズに、一同の表情が一気に引きしまる。
慣れない砂地に苦戦しながら、はやる気持ちのままに一行はそれに向かって足を速めたのだった。

「思ったよりでかいな……」

30メートルほど離れたところで見たその怪物は、フィズの言った通りちょっとした丘ほどの大きさだった。
ずりずり、ずりずり、と、砂をにじらせながら、彼らが来た方向…つまりは、ギザの村の方向へとゆっくり足を進めている。
「正面、よくない、です。移動、しましょう」
アフィアの言葉に一同は頷き、進行方向を避けるように大きく周りこむ。
「…では、打ち合わせの通りに」
ミケが声をかけ、一同が軽く頷くと、先陣をきっておりょうが駆け出す。

「でああぁぁぁっ!」

おりょうはバジリスクの気を引き付けるかのように威勢のいい声を上げ、バジリスクの斜め後ろから上段に構えて斬りつけた。
ざく、という音がするが、血が噴き出ることはない。そもそも血が流れる生物なのかも不明だが。

ぎええ。

バジリスクは短く耳障りな鳴き声を上げると、首をひょろりとおりょうの方に向けた。
そこに。

「風よ、かのものの瞳に暗闇を!」

ミケの呪文と共に、突如巻き起こった風がおりょうの体を隠すように大量に砂を舞い上げる。
ぎおお、という声と共に、バジリスクは自らの目をかばうように腕を振り上げた。
そこに、砂地をものともせずに素早く移動したおりょうがまた足元に切りつける。
そうして、ミケの風魔法と絶妙な連携を取りながらヒット&アウェイを繰り返していくおりょう。
自らの体躯の30分の1ほどの生き物に、バジリスクは足を止めて翻弄されているようだった。

ぎゃっ!

焦れたような鳴き声がして、バジリスクが砂で遮られた視界の中で腕を振り回す。
巨大な体躯ゆえに緩慢なその動きは、おりょうによって軽々とかわされた。

そして、ほぼ同じタイミングで。

ばさり。

グレンを抱えて空を飛んでいたアフィアが、ちょうどバジリスクの真上に到達していた。
アフィアの青い翼が大きく広がってバジリスクのトサカ部分に影を落とす。
そして、小柄なアフィアに軽々と抱えられたグレンは、アフィアの腕の中で自らに強化魔法をかけていた。
「このへん、いい、ですか」
「ああ、ジャストだ!やってくれ!」
グレンの声と共に、アフィアは無造作に手を放す。
グレンはそのまま重力に逆らわず、バジリスクのトサカ近くに着地した。

ぎえ。

頭部に異常を感じたらしいバジリスクが、短く鳴いて腕を上に伸ばす。
「おっと」
軽くそれをかわしたグレンは、炎の魔法を込めた剣を逆手に持ち、勢いよく足元に突き立てた。

ぎえええ。

苦しそうな鳴き声。
しかし、足元の鱗に何ら変わった様子はない。剣先は刺さっているが、さすがに鱗だ。それ以上刺さっていく様子もなければ、簡単に抜ける気配もない。炎の魔法それ自体は、砂漠を平然とうろうろするバジリスクにはあまり効果がないように見えた。
「なら……力を、反転させる!」
グレンは剣の柄をぐっと握り、先ほど自らに施した強化の魔法の力を全く逆転させて送り込んだ。
つまりは、弱体の構成を編み上げ、剣を通してバジリスクに送る。

ぎお、お、お

バジリスクの体が震え、苦しそうではないものの、叫び声が僅かに弱まった。
「…こんなもんか!」
さく、と勢いをつけて剣を抜くと、グレンはバジリスクの頭頂部のトサカに返す刀で切りつける。

ぎえええ!

先ほどよりも強い悲鳴があった。どうやら鱗よりはダメージを与えられているらしい。
すると、そこに。

「こちらから、なら、影響、ない」

おりょうが斬りつけている足と反対側に着地したアフィアが、すう、と大きく息を吸った。

ばりばりばりばりっ!

彼の吐き出した息が、雷を巻き起こしてバジリスクに向かっていく。
雷はグレンが着地した頭の反対側、つまりは尾の方に向かって真っすぐに飛んでいき、見事にその半身に命中した。

ぎぎぎっぎゃあぅうえええ!

苦しそうに身をよじるバジリスク。
グレンは急激に動いた足場に見切りをつけ、鱗を蹴って砂地へと飛び降りた。

ざあああ。

彼を追いかけるように、身をよじった反動で倒れこんだバジリスクが砂をまき散らす。
おりょうもすでに距離を取り、倒れこんだバジリスクに油断なく剣を向けていた。

すると。

「ルートビースト、ゴー!」

砂で悪くなる視界の中、フィズの声だけが高らかに響く。
そして、それに呼応するように。

しゃしゃしゃしゃっ!

巨大なバジリスクの体躯の周りに広がる砂地から、なぜか巨大なツタが勢いよく飛び出した。

「なっ…!」
その光景に、冒険者たちは驚いてバジリスクを見上げる。
倒れてもなお丘のように大きいバジリスクの体躯を、砂地から生え出でた巨大なツタがあっという間にからめとり、がんじがらめにしてぎゅうぎゅうと締め上げた。

ぎ、ぎぎ、ぎぎぎ

ツタに締め上げられ、苦しげに唸り声をあげるバジリスク。
砂煙がようやく落ち着き、ツタの召喚獣を操っているであろうフィズが、片手をバジリスクに向けたままミケの方を向いた。
「ミケ!頼むよ!」
「わかりました!」
ミケもすっと息を吸い、弱った巨大な獣を包み込む大きな魔法の構成をくみ上げる。
やがてそれが完成し、ミケは呪文によりその魔法を解き放った。

「スリープクラウド!」

ミケの放った眠りの雲がバジリスクをあっという間に取り巻き、ぎぎぎ、と響いていた呻き声はあっという間に聞こえなくなった。

「リターン!」

フィズの号令と共に、バジリスクを締め上げていたツタが解かれ、砂の中へと戻っていく。
ツタから解放された後も、バジリスクの体はピクリとも動かなかった。
「…死んだのか?」
「いえ、眠っているだけです」
フィズのもとに集まってきた冒険者一同が、おそるおそるバジリスクの様子を覗き込むが、ミケの言う通り、バジリスクは魔法で眠っているようだった。
ふう、と息をつき、武器をしまう冒険者たち。
戦いが終わってほどけた緊張感が、砂漠の熱い空気に緩やかに広がっていった。

そして。

「……さあ、じゃあ、改めて話をしよう」

フィズは姿勢を正し、グレンとアフィアに向き直る。

「このバジリスクをどうするのか、について」

砂漠の熱い空気に、再び緊張が走った。

「うちたち、飼い主、依頼、受けてる」

最初に淡々と主張したのはアフィアだった。
「ペット、勝手に、使い魔、する、よくない、思います」
「…先ほども言いましたが」
それに対しては、ミケが反論する。
「魔物をペットにしているような飼い主を、信用できない、というのが僕の気持ちです。
その方は、本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫、意味、わからない」
にべもなく首を振るアフィア。
「ペット、逃がす、飼い主、責任。うちたち、関係ない」
「何もアフィアさんたちに責任をかぶせているわけでも、アフィアさんたちが悪いと言っているわけでもないですよ」
ミケは嘆息した。
「魔物をペットにする人ですよ?よほどの金持ちか、もしくはバジリスクより強いか。もし後者だとして、魔物をあえてペットにしているのです。普通に考えて、怖いし信用ならない。そんな人にバジリスクを返すのが危険だと思うのは、普通の人間の感覚だと思いますが」
「あー、それは言われると思ったがな」
グレンがくしゃっと頭を掻いて苦い顔をする。
「確かにあんたの言うことはもっともだが、100%信用できるという確証がない代わりに、100%信用できないという根拠もまた、ないのが事実だ。実際、魔物と言うが、目撃情報からこっち、被害は全くないし、さっきだって、俺たちがあえて攻撃しなきゃバジリスクが攻撃してきたかどうかも怪しい。つまり、バジリスクを飼っているということがイコール信用ならないという結論にならない、というのが俺の結論だ」
「ふむ、確かに、まだ誰も石にされておらぬというのが何とも不可解じゃ。
これで村人の一人でも石になっておったのなら村の緊張も一気に増すというものじゃがな」
おりょうが納得したようにうなずく。
「でも……」
不満げに言葉を重ねようとしたミケを制したのはフィズだった。
「いいよ、ミケ。彼らの言うことは正当だ。バジリスクを『ペットにしている』、そして『逃がした』、それ自体は、『危険なペットを飼っている』というだけだし、『過失により逃がしてしまったが、冒険者を雇って回収している』という飼い主責任を果たしているように思える」
「フィズさん…!」
「でも、それでもなお、私は嫌な予感がするんだよ」
言い募ろうとしたミケを遮るように、フィズはさらに畳みかけた。
「何が、という根拠はない。ただ、嫌な予感がする。もしバジリスクをその『飼い主』に返して、その『飼い主』がバジリスクの力を使って人を石にしてしまったら?石にされた人間は、解呪を専門とした高度な魔道医療師にしか治すことはできない。それも、石になった状態で砕かれてしまったらもう二度と治すことはできない。つまり、バジリスクのひとにらみで、人は簡単に死んでしまうんだよ。そうならないと言える?」
沈黙が落ちる。
重い空気の中、最初に口を開いたのは、やはりアフィアだった。
「結論、同じ、です。ならない、誰も言えない。けど、なる、も、誰も言えない、です。
なら、うちたち、受けた依頼、達成するだけ」
淡々と告げるアフィアの横で、グレンも同じように頷いている。
「フィズ、無理やり、契約する、なら、うちたちも、実力行使、するだけ」
告げられた言葉に、両者の間に再び緊張が走る。
しかし、フィズはあっさりと首を振った。
「無理やり契約することはしないよ。それは君たちの立場を悪くする。
私の根拠のない不安で君たちに不利益をもたらすことは本意ではない」
「でも、フィズさんの言う可能性だってあることを、理解していただきたいんです」
フィズの傍らで、粘り強くミケが訴える。
「とにかく一度フィズさんが契約して、バジリスクを保護する、というのはいけませんか?」
「保護?」
グレンが眉を寄せた。
「はい。フィズさんはバジリスクと契約すれば、フィズさんが作り出した空間にバジリスクを送り込んで隔離することが出来ます。
……契約って、解除もできるんですよね?本当に向こうがバジリスクの飼い主で、正当な権利があるなら返すこともできますよね?」
フィズに向かってミケが問うと、フィズは浅く頷いた。
「もちろん。私の懸念が杞憂に終われば、契約を解除してきちんとお返しするよ」
「ならば、いったん運ぶという意味もかねて、フィズさんに契約してもらって、あらためて、そちらの依頼主さんとフィズさんとでお話をしてもらえばいいんじゃないですか?」
「そうじゃな。それがしらは所詮雇われ者同士。実際に利害が対立しておるのは雇い主じゃ。
それがしらが争うのではなく、雇った側同士が話し合いなり戦い合いなりして決着をつけるが道理というものじゃろう」
ミケとおりょうの話に、グレンとアフィアは困惑した様子で顔を見合わせた。
おりょうの言う通り、冒険者同士が争い合うのは本意ではない。いったん契約をして、しかし雇い主が信用のおける人物であれば返すと言う。依頼の内容はバジリスクを捕獲し、雇い主に引き渡すことなのだから、順当にいけば依頼は達成される。
しかし……
「……だめだ、俺たちが判断できることじゃない」
グレンは複雑そうな表情で首を振った。
「グレンさん……」
ミケが責めるような視線を送るが、グレンは手の平を向けてそれを遮った。
「だが、依頼主の意向を聞くことはできる」
「グレンさん…!」
ミケの表情がパッと明るくなる。
グレンは雇い主から預かった通信機を懐から取り出した。
「待ってろ、今連絡を取ってやるから」
と、通信機に触れようとした、その時。

「その必要はありませんよ」

どこからともなく声が響き、それとともにグレンの背後にじわりと闇が広がった。
「!」
グレンの正面に立っていたフィズたちが驚いてそちらを見る。

広がった闇は人の形を作ったかと思うと、闇の奥からにじみ出るように一人の少年が姿を現した。

「なっ……!」
「これは……」

その姿をよく知っているミケと、ミケの傍らにいたフィズが、驚きに目を見開く。

紫色の異国風の装束。
長い黒髪に、かわいらしくも見える大きな赤い瞳。
モノクルで隠されたその瞳の色は、一見穏やかな光をたたえているように見えて、その実底知れぬ闇を思わせる冷たい色をしていた。

「おわ」
グレンは突如背後に現れた気配に、驚いて振り返る。
「毎度心臓に悪い登場の仕方だな……」
「申し訳ございません。性分なもので」
現れた少年は、にこりと微笑むと、長い袖に隠された手をすっと上げた。
「バジリスクの捕獲、ありがとうございます。こちらは後金です」
声と共に、グレンとアフィアの手元にぱっと金袋が現れる。
「っと」
「っ……」
二人は慌ててそれをキャッチした。
「さて、では依頼も達成したことですし……」

と、おもむろにバジリスクの方を向いた少年を遮るように、フィズがバジリスクの前に立ちはだかった。

「グレン、アフィア、離れて」

警戒心をあらわに、二人に鋭く声をかけるフィズ。
二人は驚いて、そちらを向いた。
「なんだ、キルと知り合いか?」
「フィズさんの言う通りです、離れてください、お二人とも」
ミケも焦った様子で言い募る。

「その方は、魔族です!」

「なっ…?!」
ミケの発言に目を見開くグレンとアフィア、それにおりょう。
とっさに身構え、後ろに跳んで距離を取る。

キル、とグレンに呼ばれた少年は、不思議そうにミケの方を見た。

「私のことをご存知でしたか」
「ですよね!絶対に忘れてると思ってました!ていうか認識もされてないと思ってました!」
やけくそのように言ってから、ミケは用心深くキルを睨み、言葉を続ける。
「ロッテさんの護衛として雇われていました。あなたは認識していなくても、僕はあなたのことを知っています」
「姫君の護衛でしたか。その節はお騒がせをいたしました」
「はは、うまくいっているようで何よりですよ」
そらぞらしい会話を交わしてから、ミケはアフィアの方を見た。
「アフィアさん、フォラ・モントの事件を覚えていますか」
「…覚えて、ます」
「あの事件の元凶だった、ロキ…ロクスクリード・デル・エスタルティの甥御さんです。キルディヴァルジュ・ディ・エスタルティ…それが、キルさんのフルネームです」
「!………」
絶句するアフィアをよそに、キルは感心したようにミケを見た。
「ロキ叔父様ともお知り合いでしたか。余程、私たちの一族とご縁のある方のようですね」
「はは、不思議なことにですね」
当たりの柔らかい口調で話してはいるが、その実、キルは警戒を解けないだけの圧を放っているように思える。

そしてそれは、ミケの隣にいるフィズも同じことだった。

「…言霊があるから、口にしたら本当になってしまうようで、言わなかったのだけれど」

今までとは別人のような、鋭い表情で、ゆっくりと言う。

「…バジリスクの『飼い主』が君なのではないかと思っていたよ。でも、君でないといいとも思っていた。
バジリスクは何体もいる。あの時のバジリスクじゃない……君のバジリスクじゃないって、思いたかった。
でも、事実がそうであるなら、言葉に出そうと出すまいと同じだって、今わかったよ」

「フィズ殿…?」
フィズのたたごとならぬ様子に、おりょうが心配そうな視線を向ける。
それに気づいていないかのように、フィズは言葉をつづけた。

「バジリスクともう一度契約を結んで、召喚の獣にするんだね。
そして……今度は誰を石にするの?
誰の人生を、一瞬で粉々にするの……?」

ぎ、と、瞳に力がこもる。

「私の両親を砕いたように……!」

フィズの言葉に、冒険者たちの目が再び驚きに見開かれる。

と、それまで、フィズの言葉を不思議そうに聞いていたキルが、得心したように笑顔になった。

「ああ、どなたかと思えば……やっと思い出しました」

にこり、と笑みを深めて。

「あのけばけばしい天使が持ち去っていった子でしたか。
せっかく石にならずに済んだのに、またバジリスクの前に現れるとは、ずいぶんと愚かしい生き物ですね」

「っ……!」
フィズだけでなく、他の冒険者の瞳にも、明らかな怒りの色が浮かぶ。
キルはどうということもないように、微笑んだまま首を傾げた。

「それで?私がバジリスクと契約を結ぶなら、どうだというのです?」
その様子は、いっそ楽しげでもあって。

フィズは怒りを鎮めるように一度深呼吸をすると、バジリスクをかばうように両手を広げた。

「君に、再び契約を結ばせるわけにはいかない……全力で、阻止する!」

ひゅう。
砂漠の乾いた風が、眠るバジリスクの大きな体躯と、その傍らで緊張をはらんで対峙する冒険者たちの間を通り抜けていく。

太陽は相変わらずじりじりとあたりを照らしつけ、立ち上る陽炎の色を一層濃くしていた。

まるで、これから起こる嵐を覆い隠そうとするかのように。

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