Mission:Introduction

「へええぇぇ、じゃあ本当に、あのミシェルさんが『天の賢者様』だったんだね!」
場所は変わって。
ミシェルのアトリエから先ほどの『河童亭』に移動した一同は、ひとまず相談のためにその一室を借りることにした。
リューは何やらちくちくと針仕事をしながら(どうやら人形を作っているようだ)、感心したように仲間たちに向かって言った。
リューの言葉に、アッシュが重々しく頷く。
「うむ。フルネームをヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス。この私も以前、依頼を受けたことがある。その頃から類まれなるマジックアイテムの創作者だとは思っていた。もしや天の賢者では、とあたりをつけて調査していったが、その予想は間違っていなかったようだな」
「見た感じ、とってもそんな風には見えなかったけどねー?魔具創作者って、みんなゼルさんみたいにぐるぐる布巻きつけてると思ってたわー」
「いや、あれを基準にするのはどうかと思うぞ…」
相変わらずぽよよんとしたウェルシュのコメントに、半眼でつっこむ千秋。
「そっかー……でもそうすると、ミシェルさんのところから大切な設計図を盗んでくることになっちゃうんだよねぇ…」
針を持ったまま、しゅんと頭を垂れるリュー。
と、アッシュはそちらに向かって、指を一本立てた。
「ふむ、それなのだがね」
きょとんとして彼の方を向く一同。
アッシュはいつものように淡々と、続けた。
「諸君らの存念は知らんが、私はゼルの言いなりになって盗みを働くつもりは無い。奴の依頼通り『次回作の設計図』は渡すつもりだがね」
「え、どういうこと?」
身を乗り出すリュー。
アッシュはくっと胸を反らした。
「何も矛盾は無い。簡単なことだ。ミシェルくんにありのままを話してちょちょっと適当なマジックアイテムの図面を引いてもらえればそれで済む。出来るだけシンプルで人の役に立つアイテムのな。
厳密には『次回作』ではなくなるだろうが、それをゼルが証明出来るはずもない。奴が今まで見た設計図と一致しなければそれで良いのだ」
「待て待て、何なんだいきなり」
すっかり『盗む』気でいた千秋は、慌てて腰を浮かす。
「つまりそれは、ゼルに『偽物を渡す』ということか?」
「然り。私とて人の子なのでね、だまし討ちのような形で犯罪に手を染めろと命令されて、やらなければ命が危ないのならやるしかあるまいが、意趣返しのひとつもしたくなるというものだよ」
「ま、そうだよねー。よく内容を聞かないで大丈夫受けるよーなんて言っちゃったあたしも悪いんだけどさー。でもまさか盗んでこいなんて言われるとは思わないじゃん?卑怯だよね」
ちくちくと再び針仕事に精を出しながら、うんうんと頷くリュー。彼女も内にくすぶっていたものはあるようで。
もっとも、隣のウェルシュはまったく動じていない様子で聞いているのかいないのかすらわからない表情をしているが。
「気持ちはわかるがな…」
千秋は肩を落としてため息をついた。
そこに畳み掛けるアッシュ。
「では、ひとつ確認したい。
僥倖に恵まれ、トラップを掻い潜り設計図を探し当てられたとして、それが次回作のものであるかどうか、どうやって証明するのかね?
過去の図面を見たことのある者はゼルだけだ。我々の目にはどれも似たようなものにしか見えないはず。設計図は持ち出せたとしてそれが旧作のものだったらどうする?充分ありうる話だと思うが。それでも盗むことに拘るのかね?」
「確かに、それはそうだが…」
渋い顔の千秋。
アッシュはさらに続けた。
「大体、ミシェルくんが開発中ということは、当にその次回作を作っているところだということだ。その設計図は、製作途中に参照するため手元に置いているのが普通ではないかね?だとすると、彼女と接触せずにそれを手に入れることがどれほど困難かは言うまでもない。
どうせ困難な目標であるのならば、降下天使から盗みを働くために苦労するより、魔族を騙すために苦労した方がマシだとは思わんかね?」
「その、騙す、というのが大問題なんだ」
千秋は渋い顔のまま言い返した。
「いかに『天の賢者』とは言え、適当に書いたような設計図は、見る者が見ればそれと分かってしまうのではないか?
ゼルも、あれでひとかどのマジックアイテムクリエイターだ。それに『天の賢者』の実力も、まあ多少歪んではいるだろうが認めているようなフシもある。
だから、奴の中にある『天の賢者の実力』の計りを満たして、『なるほど流石天の賢者だ次回作もこんな物を作ろうとしていたのか』とゼルに思わせることが必要なのではないだろうか」
「ふむ、それはもっともな意見だな」
頷くアッシュ。
千秋は続けた。
「それに、ありのままを話すというのは…その、騙されて盗んでこいと言われた、というところまで話すのだろう?そして、ゼルが魔族で太刀打ちできず、言うことを聞くしかなかった、と」
「魔族ぅ?!」
がたん。
リューが驚いて立ち上がる。隣のウェルシュもさすがに目を丸くしているようで。
千秋は嘆息した。
「驚かないところを見ると、アッシュは知っていたんだな、ゼルが魔族だということを」
「うむ。千秋くんはそもそもゼルとは既知の間柄であったようだからな、知っているとは思っていたが。正体が魔族と知っていたから、断ったら命に関わった、受けざるを得なかったという私の言葉も信憑性が増すというものだろう?」
こともなげに頷くアッシュの横で、針を持ったまま震えるリュー。
「ま、ま、魔族だったんだ…よかったぁ、変に逆らったら速攻消されてるところだったよ…」
そこまで言って、は、と顔を上げる。
「そうだよ!魔族に脅されてたんですって言ったら、助けてくれるよ!だって、天使様だもん!」
ぱっと表情を輝かせて、希望が見えたとばかりに訴える。
「そう、上手くいけばいいんだがな」
逆に、千秋は渋面をますます濃いものにした。
「ミシェルが話しに乗ってくれるかどうかも分からないし、協力してくれるかどうかはもっと不確かだ。
彼女には元々そんな義理もないだろうしな」
「え、なんで?天使様なんだよ?魔族はやっつけてくれるよ、きっと」
不満げに言うリューに、今度はアッシュが渋面(といっても眼鏡に遮られてほぼ口しか見えないのだが)を作る。
「それが、どうやらそういうものでもないらしいのだよ」
「え?」
きょとんとしてアッシュの方を向くリュー。
アッシュはむうと口を尖らせたまま、言った。
「私がミシェルくんのアトリエを探し当てるに当たって、とある天使――もちろんミシェル君とは別の天使と接触した。私も魔族は天使の敵であり、魔族と判れば天使ならば討つ協力をしてくれるのだろうと思って話を持ちかけたのだがね。いやまったく、天使というのは存外に無慈悲なものだということがわかっただけだったよ」
「え、ど、どういうこと?」
眉を寄せるリュー。
アッシュは続けた。
「曰く、天使というのは『守護者』なのではなく『管理者』なのだそうだ。魔族を討つために存在するのではなく、『現世界の維持』をするために存在する。魔族が世界のバランスを崩すほどの悪行をしなければ、天使が介入することはない。人を雇って盗みを働かせるなど、普通の人間とてすること。その程度のことに天使の大きな力が介入すれば、それこそ世界のバランスを崩しかねん、と言われたよ」
「そんなぁ……」
悲しそうに眉を寄せるリュー。あの優しいミシェルが、と、ミシェルが言ったわけでもないのに重ねて見ているようで。
「天使には魔族を倒す義務など存在しない。そして、ミシェル君に我々を助ける義理も存在しない。それは確かに、その通りだな」
うむ、と頷くアッシュ。
千秋も同じように頷いた。
「ましてや、魔族一人に一杯食わせるために、天の賢者と呼び敬われる人物がそこまで手を貸してくれるかと聞かれると、俺は正直そこまで協力はしてくれないんじゃないかと思う」
「そうねー、要するにゼルさんをぎゃふんと言わせたいから協力して、ってことだものねー」
笑顔で同意するウェルシュ。
「私だったら、なんでそんなことのために設計図書いてあげなきゃいけないのって思っちゃうかもー。要するに、ただの仕返しなんでしょー?」
言っていることは身も蓋もないが、確かにその通りで。
千秋はそちらに向かって頷き、さらに続けた。
「それにだ。そもそも俺がゼルと関わったのは、割と最近にあった砂漠の村での依頼でのことなんだが…ゼルはその村が蛇に襲われて壊滅しそうになったところを、自分の力を使って救ったんだよ」
「えぇぇ、本当にぃ?」
疑わしげな様子のリュー。千秋は頷いた。
「ああ、これは本当のことだ。だから、魔族といえども俺はそんなに敵視する気にはならん」
「んー、でもさ、今回のこの依頼は人助けのためじゃないでしょ?むしろ八つ当たりじゃん!」
さらに不満げに言い募るリュー。
「それに脅しに近い形で依頼されたんだから、信用はできないってのが本音かなー」
「…まあ、これは俺が皆と同じように依頼を受けていないから、皆の悔しさが判らないというのもあるのかもしれんが…」
「依頼を、受けていない?どういうことー?」
ウェルシュが問うと、千秋は言いにくそうに答えた。
「皆はゼルからこの仕事を受けているが、俺だけは別なんだ」
「別?」
「ああ。俺はゼルから直接依頼を受けているわけじゃない。ゼルと、俺の……あー……」
柘榴との関係を言い表そうとして、言い表せずに目を泳がせて。
「……は、ハニー?」
間違った結論にたどり着いた。
「ええっ、千秋さんそんな人が?!」
「あらー、隅に置けないわねうふふ」
早速茶化す女子2人。
千秋は慌てて首を振った。
「いや、違う、間違った!と、ともかくだな!俺の縁者がゼルの顧客で、その縁でゼルから話を持ちかけられて、その縁者が俺をゼルの元によこした、という形なんだ」
「よこした、って…縁者っていうか、何かもう子分とか手下とかそんな雰囲気じゃない?千秋さん…そんなヨゴレ仕事を押し付けられてよくめげないよね…何だか心配になっちゃうよ…」
少し気の毒そうに見やるリュー。
千秋は諦めたようにため息をついた。
「そのあたりはもう諦めている。奴に逆らったら…喰われるからな」
そこにウェルシュがすかさず反応する。
「あらあらお熱いわねー」
「え?え?どういうこと?喰われるって、食べられちゃうってことじゃないの?」
「ふふ、子供はまだ知らなくていいのよー」
「言っておくがウェルシュでなくリューの解釈の方が正解だからな!」
盛大にずれていく話にツッコミをくれて、千秋は気を取り直した。
「ともかく。俺は依頼を受けたというだけではない。俺の縁者とゼルに繋がりがあって、今回の依頼にも一枚噛んでいる以上、奴を騙して終わりにされても俺が困る。
アッシュ達はこの仕事を終えればゼルとの縁も無くなるかも知れんが、俺は人を通じて縁が残り続けるのでな。
俺が依頼に関わっていながら、奴を騙した…つまり、奴に不利益が出たとなると、俺の縁者の立場がなくなるだろう。今後の取引にも差し障る。そんなことになったら、俺は一体どんなことになるか……」
ぶる、といかにもおぞましげに震えてから、千秋は再び気を取り直した。
「皆に迷惑をかける事になってすまないと思うが、出来るだけ音便に、事を片付けてしまいたい。どうだろうか」
「ふむ。ひとつ確認したいのだが」
アッシュが指を一本立てて言い、千秋はそちらを向く。
「何だ」
「千秋くんのポイントは、『本物』の次回作設計図を渡すこと。そして恐らくゼルの仕業だとミシェルくんに知られることを避けること。この2点でいいのだね?」
「まあ、そうだな」
「ふむ。千秋くんとの利害が対立するとあれば、次善の目標に切り替えるのも已む無しだろう。待ち構えるトラップを突破するには前衛の存在は不可欠だからな」
「俺はお前の盾か何かか…?」
悪びれることなく堂々と千秋=トラップ突破要員宣言をするアッシュにぼそりとつっこんでみる。
「ここは、お互いの妥協点を探してみよう。私がどこまで譲れるか、だがね」
あくまで上から目線のアッシュの言葉を、黙って聞く千秋。
「そもそも私の目的は、『金を手に入れること』『ゼルを痛い目に遭わせること』にある。ゼルに一杯食わせようというのは、その二つを達成するための手段だったわけだ。ゼルの目的が不明、という前提では私の今までのプランが最善手だったわけだが……」
そこで言葉を途切れさせ、アッシュは改めて千秋の方を向いた。
「確認させてもらおうか。君のハニーと」
「だからハニーじゃないと」
「諦めたまえ、すでに識別信号はハニーだ。そのハニーとゼルに繋がりがあって、今回の依頼に一枚噛んでいると言っていたが」
「ああ。むしろそいつがゼルを唆したと言えなくもないわけだが…」
「では、君はもしかしたら、ゼルが今回の依頼をした真の目的を知っているのではないかね?」
「真の、目的?」
眉を顰める千秋。
アッシュはゆっくりと頷いた。
「然り。何のために『次回作の設計図を盗みたいのか』ということだ」
「どういうことだ」
「考えてもみたまえ」
アッシュは再び、自信満々に胸を反らした。
「奴の言う通り、本当に興味だけで見たいのなら、今である必要は無い。ギルドでの閲覧で充分なはずだ。
にもかかわらず、『次回作』を『今』『盗んで来い』と言うからにはそれだけの理由があるはず。前後の会話の内容から推測するに、ミシェルくんの鼻を明かしたいのだと推理してあの場で確認したのだが。奴が明確に答えなかったのは知っての通り。君なら、その真の理由を知っているのではないかね?それを是非、教えてもらいたい」
「あー…ゼルが設計図を悪用するために今回盗みの依頼を出したのではないかと疑っているのか?」
千秋は片眉を顰めてポリポリと頭を掻いた。
「そのあたりはあまり心配しなくても良いと思うぞ。
さっきも言ったが……唆したのがその、くだんの縁者なんだ」
「え、千秋さんのハニー?」
「だからハニーじゃないと」
「詳しく聞かせてもらっていいかね」
アッシュが言うと、千秋は頷いて、第1話冒頭の顛末を話し始めた。

かくかくしかじか。

「…というわけでな。リューの言った通り、八つ当たりでほぼ間違いない。設計図が悪用されるようなことはないと思うぞ」
「なるほど。それならば話は早い。ゼルをペテンにかける必要が無くなるのでな、君との利害がより一致しやすくなる」
満足げに言うアッシュに、眉を顰める千秋。
「…どういうことだ?」
「千秋くんの話を聞けば、ゼルの目的は簡単に推理できようが…一応便宜上、仮に、としておこう。仮に、ゼルの目的が、私の推理通りミシェルくんに先駆けて同じコンセプトのアイテム、もっと言えぱ更に高性能なものを作って発表することで、自分が味わったのと同じ屈辱感を与えたいということだとする」
「まあ、そうだな」
アッシュはふっと格好をつけて、胸を反らした。
「その場合、実は私にはゼルに積極的に協力してやる動機が出来る。ゼルを一杯食わせる云々は綺麗さっぱり忘れて、ゼルの望むように依頼を完遂してやって全く差し支えない」
いっそすがすがしいほどの上から目線で、とうとうと語っていく。
「何故なら」
そろそろその陶酔加減に仲間がげんなりしかけていたが、アッシュはそれは気にならないのか、続けた。
「ゼルの目的がミシェルくんに屈辱感を与えるということなら、発表と同時にゼルは自らが製作者だと名乗りを上げるはず。だが、恐らくミシェルくんがそれに屈辱感を感じることはないだろう。『あらー、すごいわねー(にっこり)』程度で終わるはずだ」
カッコにっこりカッコ閉じるまで口で言って、アッシュはふんと鼻で笑った。
「ゼルが相応の自尊心の持ち主なら、その対応に自分の器の小ささを思い知らされることだろう。嫉妬に身を焦がし続けるがいい」
勝ち誇ったように言うと、仲間に向き直って、さらに続ける。
「そして、万が一にでもミシェルくんが反発してくれるなら、なお結構。
結果として魔族と降下天使の仲違いが起こせるというわけだ。是非、相争って対消滅してもらいたい」
「おいおい…俺は出来るだけ穏便に片付けたいと言っているだろう…」
半眼で千秋が言うが、アッシュは心外とばかりに肩を竦めた。
「我々が設計図を手に入れて奴に渡す、依頼の遂行に関してはこの上なく穏便だと思うがね?その設計図をゼルが手に入れたことによって生じたトラブルまで我々の責任にはならんよ。ゼルの自業自得という奴だ」
「確かにそうだが……まあそもそも、そう上手くはいかないだろうがな」
千秋は興味なさそうに嘆息した。
さらに続けるアッシュ。
「もうひとつの可能性は、設計図を盗んできたにも拘らず、ゼルの製作が後手に回ってやはりミシェルくんに先に発表された場合だ。それに対して感じるゼルの屈辱感たるや、大変なものだろうな。これもまた、大変結構なことだ。
才能と技術の歴然とした差を前に、打ちひしがれるが良い」
再び勝ち誇ったような様子で。
どうしてもゼルに屈辱感を味あわせたくて仕方ないといったその様子に、仲間たちは『あー…だまし討ちで依頼受けさせられたの相当根に持ってるんだなー…』と生暖かい視線を送る。
アッシュは再び千秋に向き直ると、胸を張った。
「結局のところ、私の目的はいずれにせよ達成されることになる。君子は豹変す。これで千秋くんとの争点も、ほとんどすべての点において無くなったと思うが、どうかね?」
「あー…」
千秋は少しげんなりした様子で、それでもアッシュの問いかけに答えた。
「そうだな、騙すということを止めてもらえるのなら、俺からは異存はない」
すると、アッシュはきりりと表情を引き締めた。
「唯一、残されるのが『盗む』かどうかだ。私にとって、この点だけは譲れない一線になる」
「そうだね、あたしも出来るなら盗みはしたくないよ」
アッシュの長口上に完全に裁縫没頭モードになっていたリューも、少し顔を上げて同意する。
アッシュはもっともらしく頷いた。
「うむ。先ほどの目的を達成できるとしても盗んだのでは何の意味も無い。考えても見たまえ。我々が訪れた後に設計図が無くなったら、誰だって我々を犯人だと特定できる。いくらミシェルくんがのほほんとしているように見えたとしても、何らかの報復があると考えて当然だろう」
「あ、あたしはそういう意味で盗みしたくないわけじゃないんだけど…」
アッシュの理由が人道的なものでなかったことに、不満そうに小さく付け足すリュー。
アッシュは気にせず、続けた。
「こう見えても、私は忙しい身でな。そんなものの相手をしている時間は全く無い。
そして何より」
一呼吸置いて、ゆっくりと続ける。
「彼女に顔向けが出来なくなる」
(対消滅云々のくだりは顔向け可能なのか…要するに、ゼルと一緒に死ねってことだろ、それ)
アッシュのよくわからない価値観に内心でつっこんでおく千秋。
「というわけで、どうかね、千秋くん。盗みという手段でなく、交渉によって設計図を得るという選択肢を加えてみる気は無いかね?」
再び自分に話を向けられ、千秋はむうと唸った。
「しかし…交渉をしたところで同じじゃないのか?今開発中の設計図をホイホイくれるとは、どうも俺には思えないんだが…さっきも言ったろう、ミシェルには俺たちを助ける義務も義理もない。頼んでみて駄目だったら、その後に盗むのはさらに困難になる」
「しかし、天使を相手に確実に盗みおおせる手段がないのもまた、事実ではないかね?いずれにしろ我々は、成功するかどうか判らない案に従って行動せざるを得ないのだよ」
アッシュは諭すように言って、腕を組んだ。
「従って、私がしているのは、単に、私にとってベストに思える方法の提案に過ぎない。私が確信しているのは『降下天使から設計図を盗み出す』より『降下天使から交渉で設計図を手に入れる』方が、後先考えれば明らかに優位だという一点のみで、それが成功するか否かではない。
結果、受け入れられれば設計図は手に入れられようし、断られればゼルには失敗を報告するのみだ」
「おい、それはどうかと思うぞ」
千秋は反発するように言い返した。
「能力が及ばず失敗するのはある程度仕方がないと思うが、少なくともこの件に関して言えば、アッシュの言い分だけでは全ての力を出し尽くしてないのではないか?
適当にやってダメでした、で済まされても、禍根が残ればやっかいだ。
ましてや相手は魔族だというのはわかってるんだろう?失敗した、ごめんなさい、ただそれだけで済むと思うのか?下手したら俺たち全員の命も危ない。だからこそお前も不本意だがこの依頼を受けたんだろう」
「ふむ。確かにそれはそうだな」
あまり堪えていない様子で頷くアッシュ。
千秋は嘆息した。
「気に入らない依頼というのはある程度理解するが、その分報酬だって高い。危険手当や口止め料というのもあるんだろう。ゼルが魔族でなくとも、そんな依頼はごまんとある。
それに釣られたのなら、せめて報酬額分だけは働いた痕を見せてくれ」
「ふむ。千秋くんの言葉ももっともだ」
千秋の言葉に、アッシュはまたもっともらしく頷いた。
「確実に設計図を手に入れる交渉も、確実に設計図を盗み出す方法も、我々は持ち合わせていない。だが私は交渉という手段を推した。ならば、確実とは言わないまでも、少しでも入手が可能になりそうな交渉方法を提示するのが筋だろうな」
「えっとー……つまり、どういうこと?」
アッシュの持って回った言い回しがいまいち理解できないリューがおずおずと問う。
「つまり、ミシェルくんが設計図を我々に渡す引き換えに、我々もミシェルくんに対して何かを提供する、ということを交渉の方法とすればよい」
「そ、そっか。そりゃぁ、交渉するならカードは必要……だよね」
リューは理解した様子で、しかし困ったように眉を寄せた。
「どうしよう。あたしにできるのは、人形を作ってあげるとか、劇をして楽しませてあげるとか……くらいかな?」
「ふむ、その線で攻めてみるのもいいかもしれんな」
意外にアッシュが同意したので、リューは驚いてそちらを見た。
「えっ」
「つまりは、ミシェルくんの必要とするであろう物を、我々の手で提供すれば良いのだよ。
彼女にとって有益なもの、言い換えれば彼女が今一番欲しがっているものをだ」
「ミシェルさんが、一番欲しがっているものー?」
のんびりと言って首をかしげるウェルシュ。
アッシュは得意げに、そちらに向かって言った。
「私は、それが『時間』だと思う。開発中のアイテムを完成させるための『時間』。それこそが今一番彼女に必要なものだと思われる。違うかね?」
「な、なるほど!」
リューはぱっと表情を輝かせた。
アッシュはさらに続ける。
「『作成工程の一部だけでも良い、外部に委託し、そこで得た貴女の時間を別な所に使ってはどうか?』そう提案すれば、彼女がそれと引き換えにこちらの要望を飲む可能性も上がってくるのではないだろうか」
「…要するにー、手伝うからその代わりに設計図よこせ、っていうことー?」
再び身も蓋もない言い方をするウェルシュに、隣のリューがうんうんと頷く。
「そうそう、そういうこと!すごいなー、アッシュさんさすが頭脳担当!
それで行けるよ、だいじょーぶ!ミシェルさんとは話したけど、すごく優しくて話のわかる人だったよ!
そりゃあ、助ける義理はないかもしれないけど…こうして対価を出してお願いすれば、きっとわかってくれるって!」
嬉しそうにそう言って、リューは出来上がったミシェルの人形を抱きしめた。
「千秋さん、その線でどう? いけるよ絶対!」
「…そうだな」
千秋もようやっと、表情を緩めて頷く。
「ゼルに不義理を働くことにもならんし、盗み出すというわけでもないから良心もさほど痛まないだろう。それであれば問題も無い」
「じゃあ、それで万事解決だね!」
リューはうきうきした様子でそう言って、立ち上がった。
「よかったー、ミシェルさんのところから泥棒なんて、あたし絶対したくなかったよ。
じゃあ、そうと決まれば!こんな夜中に交渉しに行っても失礼だから、今日は一晩ゆっくり休んで、明日改めてアトリエに行くことにしようね!」
アトリエの入り口にあった『命が惜しくなければ』という挑戦的な文章は記憶に残らなかったのか、まるで友達の家に行くような調子で。
しかし、仲間たちも同様に頷いた。
「そうだな、それがいいだろう。今日はあちこち回って疲れてしまったしな、明日に備えて英気を養うことにしよう」
「では、女性陣のためにもう一部屋リザーブをしてこよう」
相談のために取った客室は一室。さすがに男女混合で宿泊するわけにも行くまい。
アッシュがそう言って立ち上がると、今まで座ってのほほんと話を聞いていたウェルシュが、すっくと立ち上がって彼に歩み寄った。
「あら、そんな野暮なこと言わなくてもいいじゃなーい?」
するり。
アッシュのぼさぼさ頭にしなやかな白い腕を回すと、くすくすと笑いながら下から覗き込むようにアッシュを見上げる。
「私、アッシュさんのこと何も知らないものー。千秋さんにはハニーがいるようだから仕方がないけれど」
「だからハニーじゃないと」
無駄なツッコミをする千秋はガン無視で、ウェルシュは続けた。
「せっかくこうして知り合ったのだし、私もっとアッシュさんのこと知りたいわぁ?
そうね、とりあえずはベッドの中とかで、貴方のこと、教えてくれなぁい?」
「な、なんだなんだいきなり」
「うわっ、ウェルシュさん、だいたーん!」
突然のウェルシュの行動に、プチパニックな千秋とテンションの上がるリュー。
しかし、アッシュはまったく動じることなく、淡々と言い返した。
「ふむ。魅力があるのは大変結構。だが、外見だけではいずれ通用しなくなるぞ」
「あら」
自分の魅力になびくどころか赤面すらしないアッシュに、ウェルシュは不満げに口を尖らせた。
しかし、その瞬間。

しゅぼっ!

突如、アッシュの懐が閃光を放ったかと思うと、アッシュはあられもないパンツ一丁の姿になっていた。言うまでもなく、彼の発明品・HALCの効果である。
「こ、今度は何だ?!」
「あ、アッシュさん、だいた……ん?」
予想外の事態に、さすがに目を点にする2人。
アッシュはにたあ、とエロオヤジ特有の笑みを広げると、がばっと腕を振り上げた。
「据え膳喰わぬは男の恥!いっただっきまーす!!」
とうっ。
ジャンピング脱衣をした大怪盗の孫よろしく、飛び上がってウェルシュに飛び掛るアッシュ。
「オットセイとコットセイでおもてなし~」
相変わらず理解できる年齢層の狭そうな上に、下品なネタである。
「見るんじゃない」
「あ、あああ、すみません」
すかさずリューの目をふさぐ千秋と、何となく感謝するリュー。
「きゃあああ!」
さすがにこれにはウェルシュも悲鳴をあげ、傍らにあった花瓶をとっさに取り上げて振り上げた。

ごっ。

大変嫌な音がした。
顔面に花瓶がヒットしたアッシュは、そのままずりずりとずり落ちるとどさりと床に倒れ伏す。どうやら気絶しているようだ。その拍子に、元の白衣姿に戻っている。
はあ、はあ、と息をついて、ウェルシュはどうにか割れなかった花瓶をごとりと元の場所に置いた。
「や、やっぱりヒューマンってこんなに恐ろしいものだったのね……ああ、皆の言う通り、やっぱり森から出るべきじゃなかったんだわー」
よろよろと後ずさり、ふるふると首を振って、かなり自業自得な事態を嘆く。
「私っ、帰らせてもらうからー!」
だっ。がちゃ。
取り乱した様子でそう言い捨てると、ウェルシュはダッシュでドアを開けて部屋を出ていった。
「あ、ウェルシュさん!」
慌てて追いかけるリュー。
千秋は嘆息して、倒れているアッシュを抱き起こすと、背中を押して活を入れた。
「…む」
「大丈夫か」
「問題ない」
起き上がり、立ち上がるアッシュ。
そこに、困った様子のリューが帰ってきた。
「ダメだったよ、意外と足速いなーウェルシュさん」
「まあ、あの様子では追いついたところで連れ戻すのは難しいかもしれないな…」
渋い顔で続く千秋。
アッシュはむうと唸ると、白衣の中にあったペン型の発明品を取り出して、嘆息した。
「…このデータは危険だな。一歩間違えば犯罪者だ。早速消去しておくことにしよう」
千秋とリューは呆れたようにそれを見やる。
「一歩間違えばというか…もう犯罪者だろ、すでに」
「…サイテー」
半眼でつっこむ仲間はさして気にならないのか、アッシュはペン型の発明品を弄繰り回すのに没頭するのだった。

ウェルシュ、脱落。

Mission:Infiltration

「と、ゆーことでっ!」

翌朝は、文句なしの快晴だった。
やたらと張り切っているリューを先頭に、再びミシェルのアトリエの前にやってきた3人。
挑戦的な貼り紙は、相変わらずそのままドアにででんと貼られている。
「早速行きましょっか!ミシェルさんに会いに!」
それはまったく気にならない様子でドアノブに手をかけるリュー。
「あ、おいこら」
千秋が止めるのも間に合わず、リューはあっさりとドアを開けた。
がちゃり。
「うおっ」
ドアの向こうに広がっていた光景に、千秋は少なからず引いた。
「うわぁ…なんだこれ…」
リューは複雑そうな表情で、恐る恐るドアから中に足を踏み入れる。
まさしく、部屋は『なんだこれ』な光景だった。
顔のついたツボ、天井から突き出た槍、カーテン代わりに引っ掛けられている赤い羽根のマント、床には黒と白の渦巻き模様のカーペット(目が回る)、見ていると押したい衝動にかられる謎のボタン、ぶくぶくと音をたてるビーカーやフラスコ類、美しい花のホルマリン漬け…
魔具創作者のアトリエ、と一言で片付けるにはあまりにも異様なセンスに、少なからずと言うかかなりドン引きする千秋とリュー。アッシュだけが動じていない様子で、興味深げに部屋の中のものを弄り回している。
「まさか…このでかい屋敷の全部がこんな感じなのか…?」
戦々恐々とした様子で呟く千秋。
「は、はは、ちょっと……うん、変わったセンス、だよねぇ…」
乾いた笑いを浮かべるリュー。
「変わっているのがセンスだけならいいんだがな」
「…ど、どういうこと?」
恐る恐る問うと、千秋は嘆息して肩を竦めた。
「『命が惜しくなければ』。こういう事が書いてある建築物は、往々にして危険な罠が数多く仕掛けられているものだ」
「わ、罠?!」
驚くリューに、アッシュがもっともらしく頷く。
「そうだな。私の研究所にもいくつか侵入者撃退用のトラップが配備されている。私の数々の発明品を虎視眈々と狙う不届き物が後を絶たんのでな」
「ほんとかよ」
一応つっこむ千秋。
「以前ミシェルくんに受けた依頼は、古代の遺跡に潜入するというものだったのだが…結局その遺跡は、ミシェルくんが自らの研究室として改造し、以後放置をされていたものでな。ミシェルくん自らが作った数々の罠が待ち構えていた。今回も同じような罠があると踏んで間違いはなかろう」
「そうなのか」
こちらは信じられるらしく、感心したように言う千秋。
アッシュはむうと腕組みをした。
「アトリエと言うからには現在も使用中、手荒な真似は控えねばならんということだな。
……残念だ。あーんな装置やこーんな機械を投入すれば、手っ取り早く済むだろうに!全くもって残念だ」
「おい」
「安心したまえ。今回はこちらが頼みごとをせねばならん立場である以上、自粛するのも止むを得ん。待ち構えるトラップを正々堂々正面から突破して、無理矢理にでもミシェルくんに話を聞かせてみせようではないか!」
ばばん。
セルフ効果音と共に腕を振り上げるアッシュ。
千秋もそれに乗せられるように、ぐぐぐと表情に意思を込めた。
「危険なトラップが数多く待ち構えている屋敷…ならばここは基本に忠実に隊列を編成すべきではないだろうか!」
「基本に」
「ちゅうじつ?」
問い返す仲間に、む、と頷いて。
「前衛がファイターとシーフ、後衛がソーサラーとプリーストとかそういうものだな。
一応俺は前衛職っぽいから前に立とう。あとは罠解除が出来るシーフを前に……」
きょろり。
言いながらアッシュとリューを見るが、どう贔屓目に見ても2人ともシーフには見えない。
「…念のため聞くが、シーフ的な技能は…」
「私は天才科学者であるがゆえに、天才的な発明品を生み出す以外の技能など持ち合わせてはおらんよ」
「あ、あたしは人形師ですから!罠解除とか無理だし!」
「っておい。俺以外全員後衛か。誰も罠解除が出来ないだと……?」
げっそりと呟く千秋に、リューが片眉を顰める。
「んー、シーフ抜きのダンジョンアタックは無謀だけど、そういう時は体力がある戦士が踏んで解除するものかなあ?」
「…俺に漢感知をしろと言うのかっ……」
はあ、とため息をつく千秋。
「しかしこの面子では確かに俺が一番前に立った方が安全そうだ。
分かった、俺が先頭に立とう」
「では、私はしんがりを勤めよう」
「え、そうなるとあたしが真ん中?何か寿命が縮まりそうでやだなぁ…」
「代わるか?」
「いえいえそんなそんな!!頼りにしてるよ、千秋さん!」
「まあ、出来るだけのことはしよう…だがいいか」
千秋は胸を反らし、子供に言い聞かせるように念押しした。
「変なスイッチとかがあっても不用意に触るんじゃないぞ」
「あ、はーい」
軽く返事をするリュー。
だがしかし、賢明な読者諸君はお分かりであろう。
これが、フラグであることを。

かち。
ごおおおお。
「ぎゃー、あたしの人形が!」
千秋の前にさらに偵察用の人形を先行させていたリューは、人形があっさりスイッチを踏んで火炎放射されるのに仰天して駆け寄った。
「あ、おいリュー!」
千秋の静止も聞かずに、千秋を追い越して人形に駆け寄ったリュー。
かち。
ちゅどーん。
「うぎゃー!!」
こちらもあっさり別の罠を踏んで、マンガのような爆発効果音と共に色とりどりの煙と紙ふぶきに包まれた。
「おい、大丈夫か?!」
千秋が焦って煙の向こうに声をかけるが、リューは意外にあっさり煙の向こうから焦げた人形と共に姿を現した。
「怖かったよー……死ぬかと思ったよぉ~」
ぐしぐし泣いてはいるが、どうやら命に関わるような罠ではなかったらしく、一安心する千秋。
「せっかく隊列を組んだのに、そんなにすぐ乱されてどうするんだ」
「だってだってーあたしの人形がー」
「あらかじめ罠があるかどうか確かめるために人形を先行させてるんだろう、罠に引っかかって慌てて隊列を乱したら本末転倒だ」
「わかってるけど~えーんごめんねー」
焦げ目の付いた人形を泣きながら抱きしめるリュー。
「…おい、背中になんか付いてるぞ」
「へっ?」
そこで初めて、リューは自分の背中にぺったりと貼られた貼り紙に気が付いた。

「一回死亡」

「あああああ?!」
「サバゲーか…?」
リューは念動力でべりっと貼り紙をはがすと、ぐうううと悔しそうに握り締めた。
「さすがに天の賢者様のアトリエだね。巧妙に心理の隙を突いたトラップ配置をしてあるよ」
「心理の隙…?」
色々言いたいことはあったが、千秋はそのまま口をつぐんだ。

さらに足を進めると、突き当たりにちょっとした装飾の施された部屋があった。
「む、ここに天の賢者が…?」
「なんかそれっぽいよね!」
「いや、何かが書いてあるぞ」
さらに近づいてみると、扉にはAR古印体Bでこう書かれていた。

『アントンの部屋』

「…何だか嫌な予感がするんだが…」
「でも他にドアがなかったし、ここを進むしかないよ」
「さあ千秋くん行きたまえ」
仲間にせかされて、しぶしぶドアノブに手をかける千秋。
がちゃり。
ドアは意外とあっさり開き、そしてその向こうには、ある意味まったくもって予想通りのものが待ち構えていた。

「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー」

あごのしゃくれた人型ゴーレムが、パンツ一丁というかおそらくそういうユニフォームなのだろうが、ともかくそんな姿で構えを取りながらひたすら威嚇している。
「いいのか、これ…?」
「むう、さすがはミシェルくん、いかにも肉体派、これを倒して奥へ行くのは一筋縄ではいくまい」
げっそりする千秋の横で、妙に感心するアッシュ。
その間にも微妙な人型ゴーレムは「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー」と言いながらひたすらこちらを威嚇している。
と。
「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー!」
リューが人型ゴーレムの前に立ち、微妙にアゴのしゃくれまで真似しながら張り合い始めた。
「り、リュー?」
ぎょっとする千秋には目もくれず、リューはひたすらゴーレムの真似をする。
「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー!」
「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー」
「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー、なんだコノヤロー、やるかコノヤロー!」
「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー、なんだコノヤロー、やるかコノヤロー!」
「おい………」
だんだん、息継ぎ無しでどれだけ言えるか勝負のような様相を呈してきた。
「なんだコノヤローやるかコノヤローなんだコノヤローやるかコノヤローなんだコノヤローやるかコノヤローなんだコノヤローやるかコノヤロー!」
「なん………げほっ」
ついにゴーレムが喉を詰まらせ(どういう仕組みなのかは謎だが)リューはやり遂げた表情でガッツポーズを取った。
「勝った……!」
「…いや、それはいいんだが…」
微妙な展開にげっそりと呟く千秋。
「…ともかくこいつを倒さないことには、先へ進めんようだな…」
苦い表情で千秋が言うと、隣のアッシュがずい、と一歩下がる。
「これはまた君に似つかわしい相手のようだな。千秋くんに任せた。存分に力を振るって我々の為に血路を開いてくれたまえ。万が一負けるようなことがあれば骨は拾おう。後顧の憂い無く頑張りたまえ」
「お前…本当に俺のこと盾か何かだと思ってるだろう……」
千秋は半眼で呟き、それでもすらりと腰の刀を抜いた。
「覚悟…っ!」
たたっ。
千秋は足早に駆け寄り、たっと床を蹴ると、刀を上段に振りかぶって人型ゴーレムに斬りかかった。
が。

きぃん!

するどい音がして、人型ゴーレムの周りに何か魔法的な閃光が走り、千秋の刀はあっさりとはじき返される。
「なにっ…?!」
「千秋さんの剣が…効かない?!」
正確には刀なのだが、ナノクニになじみのないリューが驚愕の表情でそう言った。
「どうやらあのゴーレムには強力な物理防御魔法がかけられているようだな」
冷静な表情でそう言って、アッシュはふっと笑った。
「大した防御力だが、果たしてこれに耐えられるかな?」
言って、おもむろに懐から何かを取り出すアッシュ。
「それは?」
仲間の質問には答えず、アッシュは取り出したそれ…黒の皮手袋を、不敵な笑みと共に手に装着した。
ばち。ばちばちばち。
すると、あっという間に皮手袋を装着した手と手の間に、カミナリのような閃光が走る。
「ふっふっふ。喰らえ、光の剣!」
アッシュはそう叫ぶと、投擲のように両腕を振りかぶり、人型ゴーレムに向けて振り下ろした。

ぴしゃーん!

落雷のような派手な音がして、室内が閃光に満たされる。
思わず目をつぶる千秋とリューの間で、アッシュは自信満々に胸を張った。
「どうだ!」
しかし。
「な……なん…だと……!」
閃光が収まった室内には、傷ひとつない人型ゴーレムが、相変わらず「なんだコノヤロー、やるかコノヤロー」とファイティングポーズを取っていた。
「まだ動けるとは…流石は降下天使と言ったところか。無意味に頑丈なものを配置しおって」
ぐっと喉を詰まらせ、アッシュは不本意そうに再び懐に手を入れた。
「仕方ない。よもやこれを使うことになろうとは…」
「今度は何だ?」
返事を期待せずに再び聞いてみたが、今回は意外にも返事が返ってきた。
取り出した灰色のゴム製の何かをびろんと両手で広げ、淡々と説明する。
「一見何の変哲も無いマスクだが、特殊な趣味の方向けに開発した目無しマスクだ」
「特殊な性癖?」
「リューはあまり深く考えなくていいぞ」
「これを奴の顔に装着できればすり抜けるのは極めて容易。ほれ、千秋くん」
「やっぱり俺かっ?!というか、そんなもの簡単につけさせてくれるとは…」
ぶつぶつ言いながら、千秋は身軽に地を蹴ると、ひょいと人型ゴーレムにマスクをかぶせた。

「もごごもごごごー、もごごもごごごー」

マスクにさえぎられながらも律儀にセリフを言うゴーレム。
一同は恐る恐る、その横をすり抜け…
「……ひょっとして、あのセリフ言うだけのゴーレムで、別に襲ってこなかったんじゃ…」
「深く考えるな、先を急ぐぞ」
そして、その部屋を後にしたのだった。

『イカの部屋』
「今度はイカか…」
続いて現れた扉に、やはりAR古印体Bで書いてある文字。
千秋は少し眉を寄せて、それでもドアのノブをひねった。
がちゃり。
こちらもあっさりと開いた扉の向こうには、こちらも予想通りのものが待っていた。
大きな胴体に三角の鰭のようなもの、下にうぞうぞと蠢く10本の足。
「まあ、どこからどう見てもイカだな」
「先程の部屋のゴーレムがあれだけの防御力を備えていたところから察するに、物理攻撃による強行突破は試すだけ無駄なのだろうな」
言いながら、アッシュが先ほどと同じように横をすり抜けようとするが。
ずずずずず。
やはり長い足が蠢いてアッシュに巻きつき、入り口へと引きずり戻される。
「やっぱりか…」
むむ、と唸りながらどうするか決めかねていると。
びゅん。
イカは特に長い2本の足を振り上げ、地の底から響くような不気味な声があたりに響き渡った。

『そもさん!』

「はぁ?!」
いきなりの意味不明な単語に眉を顰めるリュー。
「ナノクニの謎かけの時の定型句だ。今から問題を出すよ、ということだ」
「あ、そ、そうなんだ」
千秋が解説を入れ、リューはようやく納得する。
アッシュはふふん、と不敵な笑みを浮かべると、挑戦的に言い放った。
「仕方あるまい。ここは頭脳労働担当として切り抜けて見せよう」
そして、胸を張って朗々と答える。
「説破!」
「あれは?」
「受けて立とう、という意味だ」
再び解説問答をするリューと千秋。
アッシュの答えに、イカは再び不気味な声で言った。

『ならば問ーう!余はイカにせばタコとなれるや!?』

「はいぃぃ?」
問題としても駄洒落としても微妙なラインの謎かけに、思い切り眉を顰めるリュー。
「なんなんだ、それは…」
「なんだかよくわかんないけど…こ、これがナノクニのリドルって奴なんだね!」
注・リドル:謎かけやパズルのこと。
「足を2本切り落としてみたりすればいいのかな?いや、そういう問題ではないのかも……」
リューはぶつぶつと考えながら、早速自分の世界に没頭する。
その一方で、手を顎に当てて考えていたアッシュが、不意にふむ、と顔を上げた。

ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。

これも理解できる年齢層が限定されそうなネタだが、そんな効果音と共に、アッシュはイカをびしりと指差した。
「そうだな。ナノクニで二度ほど科挙でも受けて落第してみたらどうかね?」
注・科挙:古代中国で行われた、役人を登用するための試験。ナノクニに科挙はないと思われる。
「そのココロは?」
イカがさらに問うと、アッシュはにやりと笑った。
「二度の足切り。わざわざナノクニと断った理由は本来ニホンの足切りと言いたかったからだがそこはそれ」
「…微妙だな」
答えとしても駄洒落としても微妙なラインの回答に、ぼそりと呟く千秋。
案の定。
「……10点。イカんともし難い」
再び微妙な駄洒落を交えつつあっさり酷評するイカ。
アッシュはむむむと眉を寄せた。
「くっ、イカの分際で。それなら次だ!
所詮自らの存在を規定するのは自分自身。自らタコと名乗るがいい!それが一番手っ取り早い!」
「おいおい……そんなんでいいわけが」
「……おお!!」
半眼で呟く千秋をよそに、納得の声音でぽん、と両手(?)を叩くイカ。
「通ってよし!!」
「えええええ?!」
仰天の回答に思わず声を上げる千秋をよそに、アッシュは悠々とイカの横をすり抜けていった。
「い、いいのか…?っておいリュー、行くぞ」
まだ自分の世界に没頭していたリューに声をかけると、慌てて後に続いた。
「え、え、あれ?いつの間に終わってたの?!」

『海の部屋』
「今度は何だ…」
さすがにげっそりとしてきた千秋。気は進まないがドアのノブを回す。
がちゃり。
「うわぁ……」
そこに広がっていたのは、ある意味予想通りだが、これ以上なく予想外の光景だった。
「海だー!」
一面に広がる砂浜と海に、リューは大喜びで駆け出した。
ざっざっ。ばしゃばしゃばしゃ。本物の砂浜、本物の海と遜色ない音と感触が彼女を出迎える。
「そんな…なんでこんなところに海が…」
呆然と呟く千秋。
「む、見たまえ。向こうにドアが浮いている。あそこが出口だろう」
アッシュが指差した方向に、海の上にぽっかりと浮かぶドアが見える。
「マジか。しかし……どうやってあんなところに」
「うーん…泳いでいくにはちょっと遠いよね……」
リューもはしゃぐのを止めてうーんと考える。
「……そうだ、嵐に負けない巨大戦艦を作ればいいんだよ!」
ぴかーん、とひらめいたはいいが。
「……でもどう作ればいいんだろう……」
早速行き詰ってまた考え込む。
「ふっふっふ」
と、そこに再びアッシュが不敵な笑みを浮かべてばっと腕を上げた。
「イカにミシェルくんと言えど、海をそのまま持ってこれるはずも無い!」
先ほどの部屋の影響がまだ残っているようだ。
「諸君、恐れることは無い。海などあるはずが無いのだ気にせず進みたまえ」
「え、あ、ちょ、おい、アッシュ!」
ざばざばざば。
仲間が止めるのも聞かず、遠慮なく海へ入っていくアッシュ。
この海は大方幻術か何かだろうとあたりをつけたのか、まるで普通に床を歩くように歩みを進めていく。
しかし。

ずぼ。

「のわー!」
あっさりと深みに嵌って沈没するアッシュ。
「言わんこっちゃない!」
「あ、アッシュさん!」
驚いて足を踏み出す千秋とリュー。
すると、溺れているアッシュがしゅぼっと光を放ち、どうやらまた例の発明品が作動したようだった。

「たーすーけーてーにゃーん!!」

「うっ」
思わず躊躇する千秋。
「キモっ」
直球のリュー。
しかし、ばしゃばしゃともがくアッシュを助けないわけにも行くまい。にゃーにゃーと悲痛な悲鳴を上げながら溺れているアッシュを、二人はどうにか助け出して岸へと引き上げた。
ぜえぜえと息をつきながら砂浜にぐったりと座り込む3人。
「はー、死にゅかと思ったにゃん。これだけ物理法則を無視したもにょをどうやって維持しているにょやら」
変身したままでうなだれるアッシュ。これで猫耳メイドだったらそれはそれでアレなのだが、元の瓶底眼鏡+ボサボサ頭+汚い白衣のアッシュに黒い猫耳と猫尻尾がついただけだった。
「うう、これはこれでキモい……」
「というか、語尾にゃーを何か勘違いしてないか…」
そこはそれ、おっさん情報のインプットですから。
アッシュは猫耳に透け塗装の姿のまま、立ち上がった。
「むう。こにょ危機を脱するには、あれを使うしかあるまい」
ばっ。
アッシュはもはや物理法則を無視して色んなものが収納されているとしか思えない四次元白衣の懐に手を突っ込むと、筒状のものを取り出した。
「それは?」
「まあ、見ていたみゃえ」
再び微妙な猫語尾でそう言うと、アッシュはくるくるとそれを広げだした。どうやら紙筒であったらしい。
大人4人が立ってかろうじて乗れるほどの大きさのそれには、でかでかと『空飛ぶ絨毯』と書かれている。
「おい……」
つっこむ言葉すら見失って、それだけ呟く千秋。
アッシュは得意満面に胸を反らすと、とうとうと説明を始めた。
「これこそ空飛ぶ絨毯!求められる機能はそにょままに、素材の変更によって薄型軽量化を実現。持ち運び便利にゃ対落とし穴用アイテムにゃ!
ささ、乗りたまえ。いざゆかん、海を越え未知にゃる世界へ!」
言って颯爽と紙の上に乗るアッシュ。
「全力で乗りたくないんだが……」
「仕方ないよ、これに乗らないと話進まないよ…」
「話進まないとか言うな」
しぶしぶ乗る千秋とリュー。
ふわり。
しかし2人の予想に反して、紙は危なげなく地面から20センチほど上まで浮き上がった。3人が乗ったところだけ凹むようなこともなく、危なげなくふよふよと浮いている。
「さあ、行くのだ!」
アッシュの掛け声と共に、絨毯(と称した何か)はゆっくりと動き始めた。
ざばざばと寄せては返す波の上を、だんだん加速しながら動いていく。
「おお、意外にもつな」
「てっきりあっさり波にさらわれて皆で溺れるオチだと思ったよね」
「オチって言うな」
が、しかし。
ざばざば、ざーん、ざざーん、ざざざーん。
進んでいくにしたがって波はどんどん荒くなる。当然、薄っぺらい紙にどんどん波しぶきがかかっていく。
「ちょ、ちょっと、濡れてるけど、大丈夫なの?」
アッシュは自信満々に頷いた。
「うむ。完全防水ではにゃいが、小雨程度にょ雨にょ中にゃら耐えられる仕様だ。波がこにょままなら心配にゃ…」

ざっぱーん。

アッシュのセリフが終わらないうちに、高波が絨毯(と称した何か)ごと3人をさらっていった。

「やっぱりこのオチかー!!」
「オチって言うなー!」

「うう……酷い目にあった」
あの後、どうにか泳いで部屋を脱出した3人は、濡れ鼠のままとぼとぼと廊下を歩いていた。
「しかし、どうなってるんだこの屋敷の構造は…まるで以前の幻術使いの天使の爺さんを相手にしていた時のようだ……はっ。まさか…知り合いか…?」
そのまさかです。
詳しくはHNY2『謎のダンジョン』欄をご覧下さい(宣伝)
しかしここでは千秋の疑問に答えられるものは誰もいないので、3人はともかく廊下を歩いていく。
やがて、再びAR古印体Bが綴られた扉が立ちはだかった。
「まだあるのか……」
げっそりと呟く千秋。

『絵の部屋』

「今度は絵だって。さっきの海よりは安全なんじゃない?」
「あてにならんぞ…もうこの屋敷のすべてが信用ならん」
無理もないコメントを吐きながら、千秋はノブに手をかけた。
がちゃり。
「うわぁ……」
ドアの向こうに広がっていた光景は、今までのどの部屋とも質が違っていた。
「なんかこう、アレ。セレブです、みたいな」
壁紙も照明も調度品も、すべてがセンスの光る、シックで落ち着いた雰囲気をかもし出している。壁にかけられた絵はやわらかく腕を組んで微笑を浮かべた女性のもので、素人目で見ても相当高価なものであることが伺えた。
「だが…油断は禁物だな。用心していけよ」
一応罠を警戒しながら、千秋を先頭に中に入る3人。
そろり、そろり。
一歩、また一歩と足を踏み出していくが、壁紙が突如盛り上がって中から悪魔的な何かが飛び出すことも、いかにもお高そうな花瓶が突進して勝手に割れた上に弁償させられることもないようだ。
ほどなく、さほど広くない部屋の反対側、おそらく出口と思われるドアまで到達する。
「………何もなかったね」
拍子抜けしたように呟くリュー。
「本当か…?」
半信半疑で千秋がドアノブに手をかけた、その時だった。

ごっ。

「何をするのかね!」
後頭部に突如衝撃を受けたアッシュが怒りを込めて振り返るが、当然最後尾の彼の後ろに誰もいようがずがなく。
「な、なに?どうしたの?アッシュさん」
「む、今確かに、私のこの天才的頭脳が惜しみなく詰まった頭を何者かがバールのようなもので殴ったと思ったのだが…」
「凶器まで特定か」
「むしゃくしゃしてやった、今は反省している」
「動機まで特定か」
「ちょ、なにー?こ、怖いこと言わないでよ」
明らかに誰もいない部屋の中を、びくびくしながら見渡すリュー。
そして。
「……って、見て!あの絵!」
リューは、何かに驚いた様子で先ほどの女性の絵を指差した。
「女の人が、こっち見てる!入り口にいた時には、入り口の方に視線が向いてたのに!」
「何っ」
あからさまにホラーな現象に身構える千秋。
すると。
「!……影が……!」
女性の上半身だけのはずの絵から、そこから身体が生えるようにしてするすると影が伸びていく。
両手両足ということなのか、4本の影が壁を伝って伸びていき、今まさに出口に指しかかろうとしている3人に襲い掛かっていった。
「これでは折角の隊列が無意味ではないか!」
「ああっ、危ない、アッシュさん!」
ごが。
「ひでぶっ」
早速吹っ飛ばされる後列のアッシュ。
「大丈夫か?!」
「もー、ちゃんと危ないって言ってあげたのにー」
肩をすくめるリューの頭を、別の影がぱこんと殴る。
「あいたっ」
「人の振り見て我が振り直せだな…」
壁に激突して倒れ伏したアッシュは、気を失ったかに見えたが、すぐにゆらりと立ち上がった。
「やってくれたな……それでは私からもやり返させてもらおう」
ゆら。
ダメージの抜けていない様子の身体で、四次元懐から何か円盤のようなものを取り出した。
「アッシュさんの背後に…炎のオーラが…!」
付き合いよく合いの手を入れるリュー。
アッシュは、ばっ、とその円盤を頭にかざすと、高らかに仲間に宣告した。
「対閃光防御用意!平易な言葉で言えば目を隠せ!」
「むっ」
「ええっ?!」
わけが判らないまま目を覆い隠す千秋とリュー。
アッシュはぎっ、と女性の絵を睨むと、言い放った。
「この日輪の輝きを恐れぬなら、かかって来るが良い!いま必殺のサン・アタックby大胆3改!!」
「だからネタが古いって言ってるだろ!!」
目を閉じたまま律儀につっこむ千秋。

かっ。

アッシュの構えた円盤から強烈な閃光が放たれ、部屋中を照らし上げた。
当然というのか、どういう作用なのかわからないが、その光にかき消される4本の影。
絵の女性は目をちかちかさせている。
「というわけで、今のうち今のうち」
「え、ええええ?」
「もうどうにでもなれ……」
アッシュに連れられて、冒険者たちは速攻で部屋を後にするのだった。

『音楽の部屋』

「そろそろ終わりにならないかな…」
大丈夫です。部屋シリーズこれで最後です。
「やっとか……」
がちゃり。
千秋がドアを開けると、そこは少し埃臭く薄暗い場所だった。
「ここは…?」
きょろきょろと辺りを見回すリュー。
「あれ…ここ、舞台袖?」
行く先に見えるスポットライトに照らされた舞台を見て、驚いたように言う。
「まさか…舞台で何かやらんと通り抜けられないとかじゃないだろうな」

『ご名答~♪』

ぱんぱかぱーん。
調子外れのファンファーレと共に、上から操り人形のように糸をつけたゴーレムが降りてくる。
『舞台の真ん中で、歌を歌ってくださーいな。見事お客さんを沸かせたら、そしたら出口にご案内~♪』
妙な節をつけながら、かくかくと言うゴーレム。
「お客様?」
ひょい、と舞台の袖から顔を覗かせると、舞台の正面には操り人形と全く同じデザインの人形が数十体、これまた糸でぶら下がっていた。
「こ、これはこれでちょっと怖いな…」
念動力で動かしていて糸で吊るタイプの人形とは縁のないリューは、こっそりそう呟くと舞台袖に戻る。
「う、歌うのか~、そんなスキル持ってないけど…」
困ったように呟きながら、改めて姿勢を直し、舞台の上へ。
『では、どうぞ~♪』
操り人形の声と共に、ゆったりとした音楽が流れ出す。
リューはその音楽に合わせるように、さっと手を上げると。

いきなり、歌わずに語りだした。

「わたしは 仮面をかぶる
 そうして 皆に好かれたいと思う
 そうしなければ 人の輪の中で生きられない

 わたしは 心に仮面をかぶる
 そうして 自分を見失っていく
 そうしなければ 自分を見失うことはないのかしら

 わたしは 仮面を外す
 どうして みんな仮面をかぶっているの
 どうして みんな仮面を手に持っているの
 どうして その仮面をわたしにかぶせようとするの」

「おいおい…歌えって言っただろうが」
「ふむ、何かの劇中のセリフだろうかね」
舞台袖で低くつっこむ千秋と危なげのない解説をするアッシュ。
やがて音楽が終わり、語り終えたリューは出掛けとは打って変わって自信満々に胸を張った。
「どうよ!」
しかし。

かーん。

判定はあっさり鐘ひとつ。
「えー、なんでー!」
文句を言うリューに、操り人形はかたかたと関節を鳴らしながら言った。
『だって~、歌ってな~い~でしょ~♪』
「今のすっごくいい出来だったのにー! 評価しなおしなさいよー!」
『じゃあ~評価しなおし~♪』

かーん、かーん。

「いっこ増えただけじゃない!!」
『これは~ギャグシナリオです~♪空気を~読んでくださ~い~♪』
「なにそ……きゃああ!!」
リューが文句を言うまでもなく、天井からにゅっと突き出た大きな手のゴーレムがリューの身体を掴み上げ、ぽいっと反対側の舞台袖に放り出す。
「んもおぉぉ、何すんのよ!」
『はい、次の方~♪』
文句を言うリューを無視して、人形はアッシュと千秋に向き直った。
「む。歌なら得意だが…本当に何でも良いんだな?」
『はーいー、いいですよ~♪伴奏は~なにがいいですか~?』
「オリジナルアレンジつまり替え歌であるがゆえに伴奏は混乱をきたす。ア・カペラで歌わせていただこう」
『おやおや~本格的ですね~♪では~はりきってどうぞ~♪』
人形の紹介と共に、自信満々で舞台に上がるアッシュ。
「聞きたまえ。我が心の歌を!」
アッシュは高らかに宣言し、綺麗な声で浪々と歌い始めた。

「おおきなのっぽのふるどけいーおじいさんのーとけいーおじいさんのーうまれたあさにーかってーきたとーけいさー」

「お、なかなか上手いな」
舞台袖でちょっと感心する千秋。
が。

「いまはもううごかないーおじいさーんー」

「うっ……」
後に続くシュールな替え歌に、思わず表情が固まる。
アッシュは次々と歌い続けていった。

「みやざきさんちのつとむくんーこのごろすこーしへんよどーしたのーかーなー」
「ぶんぶんぶん、ぶんせんめいーちわけとしょうしておんなをおかすよぶんぶんぶん、ぶんせんめい」
「あーかがみひとつでよばれたからにゃーそれがわたしのごしゅじんさまーよーてん、てん、てんのーおばんざいーくものうーえからはぁこえがーするー」

「このネタ、何人が全部わかるんだ…?」
例によって例のごとく、理解できる年齢層が限定されそうなギリギリの替え歌を歌うアッシュに、千秋がまた低くつっこむ。
放っておけば際限なく歌い続けそうだったが、さすがにここで鐘が鳴った。

かーん。

『ギャグシナリオだからって~最低限のモラルは守ってくださ~い~♪』
にゅ。
天井から再び手のゴーレムが突き出て、アッシュを舞台の反対側にぽいっと放り投げる。
「むむ。ブラックユーモアのセンスを解さない子供はこれだから困る」
アッシュはメガネを治しながら立ち上がった。
と。
「ねえねえ、アッシュさん」
「む」
先ほどつまみ出されたリューがアッシュの肩をとんとんと叩き、アッシュはそちらを向く。
「あれ……出口じゃない?」
リューが指差す方向には、大きく『出口』と書かれた扉。

沈黙。

「というわけで千秋くん!何でもいいから歌って放り出されたまえ!」
「がんばれー千秋さーん!」
「マジなのか……本当にどうなってるんだミシェルのセンスは……」
千秋はげっそりとしながらも、しぶしぶ舞台の中央へと足を運んだ。
「歌わねば通れないのなら、歌うしかあるまい。…よし、行くぞ」
千秋は小さく言って自分を奮い立たせると、胸を張った。
すう、と息を大きく吸って。

      ※ この歌は、サーバーの都合により削除されました。

「おおおおおおおおおいっ?!どういう意味だー?!」

短時間でどっと疲れる部屋群を潜り抜け、3人は長い廊下に差し掛かっていた。
度重なる精神的ダメージの高い罠に、警戒心もすっかり薄まってしまったようで。
隊列はそのままだったが、3人は割りと普通に廊下をてすてすと歩いている。
「ところでだな」
「はい?」
先頭の千秋が唐突に口火を切り、リューはきょとんとして返事をした。
「落ち天井、というのを知っているか?」
「落ち天井?」
「説明しよう」
特撮モノの解説よろしく、千秋は指を一本立てて説明を始める。
「落ち天井とは、小部屋に入った瞬間に入り口と出口のドアが固く閉ざされ、しかる後に天井が降りてきて哀れな犠牲者をぺしゃんこにするという恐ろしい罠だ」
「うわあ、それは怖いですねー」
律儀に教育番組の子供のような相槌を返すリュー。
千秋はうむ、と頷いて。
「でだ」
「はい」
「今この部屋に全員が入った瞬間に後ろのドアが閉まって、なんだか天井が不気味な音とともに低くなってきているような気がするが、これをどう思う?」

全員の沈黙に、ごごごごご、という低い音が重なる。

「……は、走れー!」
千秋の掛け声と共に、3人は一斉に走り出した。
「見ろ!メンテナンス不足か、幸いにも出口のドアはまだ開いている!」
「ラッキー!急ごう!」
リューの言葉と共に、3人は足を速める。
が。
「くっ…!間に合わないか…!」
天井の落ちるスピードと3人の足の速さを計算してそう判断した千秋は、足を止めてぐっと天井に手をついた。
「千秋さん?!」
驚いて振り返るリュー。
「ここは俺が天井を支える!
俺の事は構うな、早く!早く!」
千秋は下りてくる天井を支えながら、苦しげにそう言った。
「そんな!そんなこと言っちゃだめだよ!」
リューは辛そうな表情で、千秋に向かって叫ぶ。
「千秋さんの帰りを待っている人がいるんでしょ!?
あたしだってパフェの代金立て替えてもらったまんまじゃん! 返せなくなっちゃうよ!」
「とか言いつつ死亡フラグを立てまくるな!」
天井を支えたまま、律儀につっこむ千秋。
「流石、前衛、天晴れだ!」
アッシュはというと、高らかにそう言いつつ四次元白衣に手を入れた。
「君が稼いでくれた時間、無駄にするわけにはいかんな。こんなこともあろうかと、この白衣のポケットに」
「無駄に出来ないとわかっているならさっさと逃げてくれ!」
千秋が至極もっともなツッコミを入れるが、アッシュは構わず懐から手を出し…
しゅぼっ。
また例の発明品が閃光をあげると、派手な背広にとんがり眼鏡コスチュームに変身した。
「コレを仕込んでおいたんザマス!天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ!アクを倒せとアタチを呼ぶんザンス!」
懐から取り出した灰色のボールを、思い切り千秋に向かって投げつけた。
「いっけー、彩玉!!」

ぼむ。

灰色のボールは千秋の足元で白い煙を上げ、あっという間に七色に輝く蜘蛛の糸のようなものが縦横無尽に張り巡らされた。
「落ち天井とくれば次は大岩!ごろごろと転がってくる大岩に対抗できる粘着力、衝撃を吸収する柔軟性!持ち運びに便利な集積性の全てを備えたダンジョンアタッカー必携のアイテムザンス!今なら6個一パックでたったの100銀貨!ご用命は伝書鳩でも受け付けております!」
誰に向けてかとうとうとセールストークを始めるアッシュ。
「というわけで、ささ、今のうちに前へ!………ってアラ?」
だがしかし、千秋の足元で解放された蜘蛛の糸は、見事なまでに千秋を巻き込んで展開されていた。ねばねばとからんでいる蜘蛛の糸は、天井の動きは止めたものの千秋の動きまで止めてしまったようで。
「おい……動けるようにしてくれ…」
半眼で告げる千秋。
そこで元の姿に戻ったアッシュは、むう、と唸った。
「……これはいかんな。ちょおっと手元が狂ったようだ。仕方あるまい。撤去する」
そして、再び四次元白衣に手を入れると、何やら小瓶のようなものを取り出し、早速蓋を取って蜘蛛の糸にたらした。

ぼわ。

「おわあ?!」
いきなり燃え上がった蜘蛛の糸に驚く千秋。が、それはどうやら糸だけを燃やす効果のある液体であったらしい。
千秋は火傷ひとつなく、糸だけがさっぱりとなくなった。
が。

ごごごごご。

糸がなくなったからか、再び動き出す天井。
「っくぉおおおっ!い、いいから早く逃げるんだ!」
再び天井の重みが千秋にのしかかり、苦しげに千秋はそう叫んだ。
「むう、これはどうしたものか…」
「アッシュさん、何してるの!千秋さんの覚悟を無駄にしないで!」
まだ何かやろうとしていたアッシュの腕を無理やり引っ張って、リューが出口に向かって駆け出す。
たたたた、だっ。
最後は滑り込むようにして出口から脱出する2人。
「たっ、助かった…!」
リューは大きく息をついて命があったことに安堵し、それからはじかれたように今来た道を振り返った。
「ち、千秋さん?!」
しかし、視線の先には無常にも、どう見ても人が生存できる隙間には見えないほどに落ちきった天井が。
やがて。

ごがしゃーん。

天井は重い音を立てて、その隙間を完全に閉じた。
「ちっ……千秋さあぁん!」
リューは涙を浮かべつつ、出口に向かって声の限りに叫ぶ。
と。

「何だ」

背後から千秋の声がして、リューは驚いて振り返った。
「生きてんのかよ?!」
すかさずミムラつっこみを入れるリュー。
言葉の通り、千秋は傷ひとつない姿で平然とその場に立っていて。
「俺は霧に姿を変えることが出来るんだ。2人が脱出したのを見届けて霧に姿を変えて脱出した。
だから、俺のことは気にせず早く逃げろと言ったんだ。気にする必要が全くないんだからな」
リューは呆れたように苦笑した。
「なーんだ……あたしはてっきり自ら死亡フラグ立ててたんだとばっかり」
「その死亡フラグをどんどん増やしたのは誰だ」
「さー、そうと決まればどんどん行くよー!れっつごー!」

すっかり元の調子に戻った3人は、アトリエのさらに奥へと進むのだった。

Mission:Negotiation

「ここか……?」

吊り天井を抜けてしばらく行った所に階段があり、螺旋状のそれをてくてくと降りていくと、薄暗い照明に照らされた鉄の扉に行き当たった。

『開発研究室』

AR浪漫明朝体Uでそう書かれている。
「研究室って言ってるし、ここじゃない?」
「いや、今までの罠もあるし、油断は禁物だぞ」
「では、今回も頼んだぞ、前衛」
ぽん、とアッシュに肩を叩かれ、千秋は大きくため息をついてドアノブに手をかけた。
ぎぃ。
重い音と共にドアが開き、向こうから何ともいえない薬品のような匂いが漂ってくる。
用心深く辺りを見回しながら足を踏み入れると、部屋の奥からのんびりとした声がかけられた。

「誰ー?」

その声を聞いて、ぱっと表情を輝かせるリュー。
「ミシェルさん!やっぱりここで正解だったんだ!」
リューは声で即座にそう判断すると、千秋の横をすり抜けて部屋の中へと駆け込んだ。
「あっ、おい!」
慌てて止めようとするが、捕まらず。
「ミシェルさーん!」
先を行ったリューのあとを小走りで追いかけていく二人。
そう広くない部屋の奥に、その女性はいた。
突然の来客にさほど驚くこともなく、向かっていた机から目を離して振り向き、くるりと椅子を回してそちらを向く。
「あらあらー、あなたは確かー……昨日河童亭にいた、リューだったかしらー?」
「はいっ!昨日は助けてくれてありがとうございましたっ!」
女性の言葉に、嬉しそうに頷くリュー。
「この女性が…?」
唯一初対面の千秋が呆然と呟くと、隣にいたアッシュが重々しく頷く。
「うむ。ヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス、通称ミシェルくんだ」
癖のある銀髪を藍色のリボンでまとめ、ハイネックのシャツにフレアスカート、肘にはショールというその姿は、どこからどう見ても『普通の女の人』で。
とてもこの女性が、魔術師ギルドでは神に近い勢いで崇められている『天の賢者様』であるとは思えない。
ミシェルは昨日はかけていなかった眼鏡(研究中だからだろうか)の向こうでにこりと微笑むと、笑みの形にその紫水晶の瞳を隠した。
「それにー…あなたは確か、アッシュ、だったかしらー?懐かしい顔ぶれが続くわねー、お久しぶりー」
「うむ、久しいな、ミシェルくん。息災のようで何より」
「あなたはー……」
ミシェルの顔が千秋の方を向き、千秋は慌てて襟を正した。
「これは失礼した。一日千秋という。貴女の娘御とちょっとした縁があって、ここを教えてもらったのだが」
「あら、リーのお友達なのねー」
ミシェルは少し嬉しそうに、笑顔を深めた。
「でも本当に、ミシェルさんが天の賢者様だったんだね」
そこにリューが意外そうな表情で切り込み、ミシェルはきょとんとしてリューの方を向いた。
「天の、賢者ー?」
「あれっ、違ったの?千秋さんもアッシュさんもそうだって言うから、信じ込んじゃってたけど…」
「ううんー、私がそう呼ばれているのは確かだけどー…」
「あっ、ならよかった!それならそうと早く言ってくれればよかったのに~」
「うふふー、私はリューが『天の賢者様』を探してるなんて知らないからー」
「あれ?探してるって言ってなかったんだっけ?」
まあいいや、と軽く自己完結して、リューはごそごそと鞄を漁った。
「そうそう、これ、約束の人形です」
昨日の相談の時に作っていた人形を差し出すと、ミシェルが驚きの表情で目を開く。
「まあー、もう作ってきてくれたのー?うふふ、ありがとうー、とっても可愛いわー」
再びにこりと笑って人形を受け取ると、リューも嬉しそうにどういたしまして、と答えた。
「それでー」
ミシェルは大事そうにその人形を机の隅に置くと、再びくるりと椅子を回して3人に向き直った。
「…天の賢者の名前が出てきたっていうことは、『私』ではなくて『天の賢者』に用があるのね?」
先ほどまでの笑みは嘘のようになりを潜め、薄く開いた紫水晶の瞳はもう柔らかな光をたたえていなかった。その口から紡がれる言葉も、もう先ほどのようにのんびりとした口調ではない。
張り詰めたような緊張感の中に冷たささえ覗くその表情に、3人も自然と表情を引き締める。
「あー、っと……実はね、今日はちょっとお願いに来たんです」
リューはどう言ったら判らないといった様子で所在なげに指先を動かし、それからアッシュを振り向いた。
「えっと……ごめん、詳しいことはアッシュさん、お願い」
「了解した」
重々しく頷いて、一歩前に出るアッシュ。
「忙しい君のもとを訪れたのは他でもない。
単刀直入に言うが、是非君の次回作の設計図を渡してもらいたい」
「次回作の、設計図?」
ミシェルは無表情の中にも、少し意外そうな表情を覗かせた。
「うむ。理由を説明しよう」
アッシュはひとつ頷くと、とうとうと説明を始める。
「我々の依頼者が天の賢者様としての君の作品にご執心でな。本人もマジックアイテムを作ることが出来、ギルドで閲覧可能な君の過去の設計図は全て閲覧し、それを参考に日々研鑽に励んでいるのだそうだ。それが高じたか、誰よりも早く君の次回作の設計図を見せて欲しいとのことで、天の賢者様を探すところから我々に依頼があった、というわけだ」
「……なるほど」
ミシェルは表情の見えない瞳でアッシュの話を聞いている。
千秋は傍らで、アッシュのこしらえた偽の理由を感心しながら聞いていた。これでどうにか設計図を手に入れることが出来れば、ミシェルの元から盗んできたことにもならないし、ゼルのことも伏せておくことが出来る。ここは交渉をアッシュに任せて大丈夫だろう、と内心で呟く。
が。
アッシュが続けて吐き出した言葉に、千秋は仰天することになった。
「君も忙しいようだ。我々の依頼主の腕がそれなりであるようなら、どうかね?工程の一部でも良い、任せてみる気はないかね?下請けとして使ってみては?そうすれば君にも多少の時間の余裕が出来るだろう。それを別なところに使っては?」
「なっ……」
アッシュが紡ぎだした提案は、彼の予想の斜め上をぶっちぎるものだった。『工程の一部を任せる』というのは彼らのことではない、『我々の依頼主』、つまりゼルに任せてはどうかというものだったのだ。
(こいつ…っ、何を…?!)
あまりのことに言葉が出ない。
早く止めなければ、ゼルに下請けの話などしていないし彼が了承するはずもないし、万一ミシェルが了承して直接依頼主とご対面、などということになれば、それこそどんな事態が待っているか判ったものではない。つうかこいつ最初からそのつもりでとか、ゼルとミシェルを引き合わせることを諦めたわけではなかったのかそれにしたってこんな方法だまし討ちじゃないかとか、一気に色々な思いが湧き出てきて、千秋は軽くパニックに陥っていた。
それを知ってか知らずか、アッシュはごそごそと四次元白衣に手を入れると、言葉を続けた。
「ちょうど今彼の作品を持っているのだが、これを見て彼の腕前を測っては……」

「ちょおおぉぉっとまったあぁぁぁ!」

がば。
千秋は不自然な大声でアッシュの動きをさえぎると、彼が取り出したゼルの発明品を隠すように大きな袖でそれを取り押さえた。
「む、何をするのかね千秋くん」
「~~っ、いいから、ちょっと来い!!」
ぐい。
千秋は発明品を隠すようにアッシュの体の向きを強引に変えると、「ちょっと失礼する!」と乱暴に言い放って、半ば引きずるようにその体を部屋の外へと連れ出した。
重い鉄の扉が閉じるのを確認してから、千秋はアッシュに鬼さながらの形相を向けた。
「いきなり、何を言い出すんだ、お前はっっ!!」
けろりとして言い返すアッシュ。
「どうしたのかね、千秋くん。君の要望通り、ゼルが魔族だということは伏せたが?」
「伏せる理由が人手として紹介するためだとわかっていたら全力で止めてたわー!!」
「何故かね?要望通り正体については伏せたではないか。委託先として売り込まなければならない以上、明らかに逆効果だからな」
「お・ま・え・は~!!」
千秋は怒りをどう表現してくれようという様子で、肩をいからせた。
「奴の正体を伏せたい理由は話しただろう!ゼルに不利益を残すという結果になっては困るからだと!委託先だろうが奴を直接紹介してどうするんだ?!
奴に不利益があった場合、『俺の上司の立場』が危うくなる、ひいては『俺の命』が危ういんだ!」
ぴた。
アッシュは千秋の方を見たまま数秒動きを止め、それから何事もなかったかのように言い放った。
「そんなことは私の知ったことではないな!」
「嘘つけ!明らかに今の今まで忘れてただろ?!
俺との利害が対立するなら策を切り替えると、お前昨日その口で言っただろうが!」
「確かに言った!」
アッシュは真顔で即座に答えた。
「だが、思いついてしまったものは仕方がなかろう!!」
「開き直るなー!!」
千秋は負けじと怒鳴り返してから、呆れた様子で自分の額に手を当てた。
「だいたいだな、あーもう、お前『おつかいクエスト』と『クロノドラコーン』読んでないのか?!」
「この私が私の出ないシナリオなど読んでいるわけがなかろう!!ミシェルくんが『天の賢者』であると即座に判じたのも私が『賢者のわすれもの』に出ていたからだからな!」
「いばるなー!!」
もう一度全力でつっこんでから、千秋ははあ、とため息をついた。
「柘榴に、聞いたことがあるんだ。…お前は知らないようだなら言っておくがな、ゼルのマジックアイテムには……」

「彼の、銘が入っているのよね?」

突如割り込んできたミシェルの声に、2人はぎょっとして振り返った。
いつの間にか鉄の扉が開いていて(まあ、あれだけ騒げば当然だろうが)、そこにはミシェルが立っていた。相変わらず表情の見えない瞳を向け、す、とアッシュが持っていたゼルの発明品に手を伸ばす。
「……そう、ここ、ね」
つ。
持ち上げた発明品の底の部分を指差して。
「魔術文字で、しかも特殊な技法で印字してあるから、魔道士でない人には読むのは難しいかもしれないわ。
でも、確かに印字してある。これは…魔界でも力のある『貴族』にカテゴライズされる一族…イグシェール家の銘よ」
「イグシェール……」
呆然と呟く千秋に、機械的に視線をやって、ミシェルは続けた。
「私が降下したのは約150年前、その時から変わっていなければ、当主の名はゼヴェルディ・ファーナ=イグシェール。
貴族にカテゴライズはされているけれど、イグシェール家にはもともとそれほど力はないの。滅多に表に出てこない、魔界でも早々屋敷の外には出てこない一族で、マジックアイテムを作ることを生業にしている……その技術が認められて、貴族に名を連ねているわ」
淡々と言いながら、ミシェルはゼルの発明品を角度を変えて眺め、指先で弄りながら何事かを調べているようだった。そして、不意に何かに気づいたように動きを止める。
「……」
「……?」
その反応に千秋は眉を顰めたが、ミシェルは何事もなかったかのように視線を戻すと、言葉を続けた。
「…たまにそのアイテムが人間界に出て、戦争バランスを崩したり、人が魔物化したりということがあるときもあるし、正しく使えばそれなりに利になったりもするから、一概に粛正はしにくい面倒な魔族…イグシェール家に関する天界の見解は、おおむねそんなところよ。私が降下した当時の話だけれど」
「……そ、そう…なのか」
千秋はなんと言っていいかわからぬ様子で、それだけを返した。
アッシュはまさかここまであっさりバレるとは思っていなかったのだろう。口を閉ざしたままミシェルの様子を伺っている。リューはといえば、流れは飲み込めていないものの緊迫した雰囲気だけは感じているようで、不安そうな視線をミシェルに投げていた。
ミシェルは手に持っていたアイテムをアッシュの手に戻すと、続けた。
「大きな面倒になりそうなアイテムは回収する…対処療法だけれど、当時の天界はその方式を取った。
回収されたアイテムも見たことがあるわ。だから、私は彼の魔力波パターンを覚えているの。銘を見せられなくても、アッシュが彼と同じ魔力を帯びたアイテムを持っていることはわかっていたわ」
「何もかもお見通し、という訳か……天の賢者を相手に、下手な隠し事や言い繕いは通用しない、というわけだな」
千秋は苦い顔で言って、改めてミシェルの正面に立ち、襟を正して頭を下げた。
「騙し討ちのような真似をして、本当にすまなかった。仲間が勝手にやったこと、と言い訳をするつもりもない。動向を完全に把握し切れなかったのは俺たち全員の責任だ。本当に失礼なことをした」
「……」
千秋が頭を下げるのを、アッシュは黙って見下ろしていた。彼の胸中にどんな思いが去来しているのか、それは彼だけにしかわからない。
ミシェルはふ、とため息をつくと、変わらぬ淡々とした口調で言った。
「……私は何も見なかったし、何も聞かなかったわ。そういうことにしましょう?
降下した天使は、人間に必要以上に関わることを禁じられるの。その理由についても私は理解して納得しているし、魔族に関わることになってしまったあなたたちに、私が力を貸してあげられることは何もないわ。
私を『天の賢者』として…天使として頼ってきたのなら、なおさら」
「そんな……」
昨日とはあまりに違うミシェルの様子に、リューはショックを受けたように呟いた。
「天使様って、もっと、こう……すごく優しくて、お母さんみたいな感じだと思ってたのに」
ミシェルはそちらの方にすいと視線をやると、淡々と言った。
「宗教観として、それは間違っていないわ。でもそれは実際の天使とは違う、それだけの話よ。
天使に人間を助ける義務はないし、そんな義理もないでしょう?」
「そんなっ……」
ぎゅ。
リューは泣きそうな顔で眉を寄せ、小さな声で呟いた。
「そんな断り方……器ちっちゃい。幻滅だよ」
言ってしまってから、はっとして口に手をやって。
「あ…あたし……」
千秋だけが少し驚いたようにリューを見つめ、アッシュは相変わらずの無表情、言われた当のミシェルも全く微動だにしない表情でリューを見つめている。
「……っ!」
いたたまれなくなって、リューはくるりと踵を返した。
「あっ、リュー!」
慌てて追いかける千秋。
ずっと開いていた鉄の扉をさっと潜り抜け、下りてきた螺旋階段を駆け上がる。
「おい、待てと言うのに!!」
ぐい。
階段を上がりきる寸前で、追いかけてきた千秋に腕を引かれ、リューは驚いて足を止めた。
「っ、千秋さ……」
涙のにじむ目で千秋を振り向くと、千秋は仕方なさそうに嘆息した。
「とにかく、落ち着け。ここで逃げてもどうにもならないだろう、戻るぞ」
「……うん……」
リューは覇気のない声でそれでも頷くと、千秋に続いて螺旋階段を下りた。
千秋が先導して扉を開け、その後ろから気まずそうに顔を覗かせる。
部屋の中では先ほどと変わらず、アッシュとミシェルが無表情でこちらを見やっており、リューはばつが悪そうにおずおずと中に入った。
「あの……」
重い足取りでミシェルの前まで歩みを進めると、ぺこりと頭を下げる。
「…お願いする立場なのに、勝手を言ってごめんなさい」
「まあ、リューくんの気持ちも判らないではないがね」
そこに、アッシュがいつもの調子で、しかし諭すように言ってくる。
「義理も無ければ義務も無い人助けなど出来ない、という当たり前といえば当たり前の回答が返ってきただけのことだ。それを愚痴る前に、どうやったら目的を達成できるかを考えたまえ。それが大人というものだ」
「言っておくが、目的達成をさらに遠くしたのはお前だからな」
千秋が半眼でツッコミを入れるが、アッシュは気にしてもいない風で。
リューはそちらを一瞥してから、もう一度ミシェルの方を向く。
「あたし、子供みたいって言われたばっかりで、直そうって思ってたのに……ちっとも成長してない…」
涙を浮かべながら、悔しそうにそう言って。
「ホント…ごめんなさい……あたし…」
言葉が小さい嗚咽の中に消えて、リューは片手で涙をぬぐった。
と。

「……仕方がないわねー」

ふわり。
ミシェルは先ほどののんびりとした口調で、優しくリューの頭を撫でた。
驚いて彼女を見上げるリュー。
見れば、ミシェルはもとの穏やかな微笑をたたえ、それでも苦笑した様子で。
「昨日も、言ったわねー?自分の痛みを訴えるなら、人の痛みを判ってあげられる人になりなさい、ってー」
「……はい」
素直に頷くリュー。
ミシェルは続けた。
「あなたたちにあなたたちの事情があるのは判るわー。でも、私にも私の事情があるのー。
それを考えないで相手を非難するのはー…あなたの言うとおり、『器が小さい』ことじゃないかしらー?」
「……うん」
「あなたにも私にも、譲れないものはあるわー。あなたにも私にも、それを否定する権利なんかないわねー。
まずは、それを理解するところから始めましょうー?『そんな事情なんて理解できない』と切って捨てないで、理解したうえで、お互いに譲歩できる道を探りましょうー?
それが、『交渉』というものだと思うわー。ねー?」
「……はい…!」
リューはミシェルの言葉に得心がいった様子で、表情を輝かせる。
ミシェルはにこりと笑みを深めると、千秋の方を向いた。
「さっきも言った通りー、『天の賢者』としてー、私に出来ることは何もないわー。残念だけどー」
「……そうか…しかし、それでは困ったことになる…」
「だからー」
渋い表情をする千秋に、ミシェルは笑顔で人差し指を一本立てた。
「あなたたちはー、『マジックアイテム創作者』である私にー、どこの誰だか感知はしないけれど『依頼人』の代理としてー、設計図が欲しいと交渉しに来たのー。
私はー、今開発中の設計図を譲る代わりにー、その『依頼人』ではなくて、あなたたちにー、私の研究のお手伝いをしてもらうことを提案するわー。
それで、どうかしらー?」
「ミシェルさん……!!」
リューは涙目で表情を輝かせた。
つまりは、『天の賢者』としてでなく、一介の『マジックアイテム創作者』としてなら、労働と引き換えに設計図を譲る、と言っているのだ。
千秋も一転して、表情を緩めた。
「有難い…!ぜひそれでお願いしたい」
「その代わりー、『天の賢者』についてはー…」
「もちろん、口外はしない。皆も、それでいいな?」
千秋が確認するようにリューとアッシュを振り返る。
「もちろんだよ!ありがとう、ミシェルさん!」
「ふむ、それが条件とあらば、致し方ないな」
嬉しそうなリューに、あくまで上から目線のアッシュ。
千秋は頷くと、改めてミシェルの方を向いた。
「では、何をしたら良いだろうか?」
ミシェルは顎に手を当てて、うーんと考えた。
「そうねぇ………」

「……で、何なんだこれは」
千秋は半眼で、自分が立たされている状況にとりあえず文句を言ってみる。
大きな車輪のような……まあありていに言えば、巨大なハムスターの回し車のようなものに滑車がついており、そこから先に何やら用途の計り知れない機械が設置されている。
「これねー、私が作った動力蓄積装置なのー。動力を魔力に変換して蓄積、好きなときに好きなように使えるようになってるのねー。
だけど、結局動力がないと魔力も発生しないものだからー、私も疲れちゃうしー、そのまま放っておいたのよねー。労働力が来てくれて、本当に助かったわー」
ミシェルは上機嫌で、千秋が立っている巨大回し車について説明する。
「……まさかとは思うが…俺はここで…」
「ええ、その中で延々走ってくれれば動力が蓄積されるからー。本当に助かるわー。いちいち私の魔力使ってると本当に疲れるのよねー、家中に配置したゴーレムもこれでまかなえるわー」
「しかもアレ用の装置なのかっ?!」
「じゃ、よろしくねー」
がこ。
ミシェルが何かレバーを入れると、ヴン、という音がして装置全体に微弱な魔道の波動が行き渡る。
「おっ、おい……」
訳がわからないながらも、千秋は走り出した。からからという回し車独特の音と、千秋が走り出したことによって生み出される動力を魔力に変換する装置の音がこだまする。
「ひゃー…すごいなー…」
感心したように眺めるリュー。
「うむ、肉体労働に相応しい仕事だ、適材適所と言えような」
アッシュは感心したように頷いている。
「じゃあ、あなたたちには別の仕事をしてもらうからー、こっちよー」
ミシェルは2人にそう言うと、さっさと歩き出す。2人は慌ててミシェルの後を追った。
「あ、そうそうー」
ミシェルは何かを思い出した様子で振り返ると、相変わらずののんびりした口調で付け足した。
「それ、怠けると足元から電流が流れるからー」
「鬼かー?!」
ツッコミに思わず足を止める千秋。
が。
「ッぐあ!
びりって! 今びりっと来たぞ!」
足元から走った衝撃に、慌てて再び走り出す。
「……くっそぉ! 反論の余地なしか!?
ここまで来て人間動力やらされるとは思わなかったぞぉおお!!」
千秋は半ばやけくそのように、回し車の中を走り続けるのだった…

「じゃあ、アッシュにはー……」
ミシェルは言って、うーんと考えた。
と、アッシュが胸を張ってそれに答える。
「私はご覧の通り科学者だ。魔力については期待されても困るがな、その他のことなら犯罪でなければ喜んで協力させてもらおう。お互いの為に、千秋くんのように適材適所で担当を決めてもらえれば助かる」
「じゃあ、お料理とかお掃除とかお洗濯が苦手な私の代わりにやってもらおうかしらー」
いかにも名案といった風に指を一本立てるとミシェル。
アッシュは一瞬沈黙して、それから珍しく遠慮がちに問い返した。
「ベストは尽くすが……本当に良いのかね?」
「ええ、お願いするわー」
「そうか……では!」
しゅぼっ。
アッシュの懐が光ったかと思うと、その姿がたちまちシェフの格好をしたとんがり頭の少年(CV:高山みなみ)に変身する。このあたりも微妙に対象年齢層が限定されそうだ。
「オレにまかせときなよ!とびっきりの料理を作ってやるからさ!」

四半刻後。
「さっ!食べてみてよ!」
差し出されたのは、ナノクニの食器・ドンブリだった。蓋のしてあるその器を開けると同時に、器からまばゆい光があふれ出す。
「うわっ……!」
思わず手のひらで顔をかばうリュー。
「ここは金のお箸で食べた方がいいのかしらー」
「それ作品違いですよ」
ボケるミシェルに一応つっこんで、リューは改めてドンブリの中の代物を見た。
「こ、これは……ナノクニの…カツドン…?!」
「……でも、硬いわよー?」
こつこつ。
指先でどんぶりの中の物体をつついてみる。一見トンカツを卵でとじたナノクニの郷土料理に見えたが、どうやら砂糖細工のようで。
「む、どうやらHALCが暴走したようだな。これは失敬」
いつの間にか元に戻っていたアッシュが悪びれもせずに言う。
「……まあ、いいわー。甘いものは好きだしー…じゃあ、今度はお掃除をお願いできるかしらー?」
「承知した。では、HALCのデータをMr.味子からメアリーPへと移行しよう」
アッシュはこともなげに言うと、再び懐から発明品を取り出した。

数分後。
「おわああああ?!」
ずうん。
千秋の悲鳴と共に重い音と地響きがして、ミシェルとリューは千秋が走らされていた部屋を覗き込んだ。
「なにー?どうしたのー?」
「このメイドが…というか、これはアッシュか?!
ともかく、掃除をしながら入ってきたと思ったら、いきなりその辺にあった書類をこの回し車に放り込んだんだ!
書類が滑車に絡まって、この有様だ」
見れば、無残にも回し車はバラバラに壊れ、繋がっていた謎の装置もバチバチと音を立てて煙を吹いている。
「あらー……あらあらー。もー、しょうがないわねー」
ミシェルはため息をついて、装置に近寄った。
あれこれと見回しながら、何やら点検をして。
その傍らで、また元に戻ったアッシュが、またしても全く悪びれることなく言い放つ。
「うむ。またしてもHALCが暴走したようだな。試作品ゆえ仕方ないが」
ミシェルは顔をアッシュのほうに向けてから、再びため息をついた。
「まあ、溜まった魔力までは保存されてるから、いいとするわー。
じゃあ、あとは、向こうにお洗濯物が溜まってるからー、それを片付けてくれるかしらー」
「よかろう。では、HALCのデータを昔話のおばあさんに…」
「あ、千秋はー」
「何だ、まだ何かするのか?」
「もうツッコむのめんどくさいから、ツッコミ役に回ってー」
「なんだそれは?!」

「だから、何で全部手洗いで洗うんだ?!」
「何を言ってるんですかねぇ、これが一番良いやり方なのですよぉ?」
「しかし、そんなに強い力で洗っては……ああ、言わんこっちゃない!ボロボロになってるじゃないか!」
「これくらいしないと汚れが落ちませんよぉ」
「何でも力任せに洗えば良いというものではない!こういう柔らかい衣類はだな、板にこすり付けるのではなく優しく叩くようにして……」

「……千秋さん、お姑さんみたいになってますよ」
「どちらがおばあちゃんだかわからないわねー」
とりあえず聞こえてくる2人のやり取りに、妙に冷静にそんなコメントをしてみるリューとミシェル。
「でも、家事ならあたしがやった方が…こう見えても、料理・掃除・洗濯一通りできるんですよ!」
リューが胸を張って言うと、ミシェルはそちらににこりと微笑みかけた。
「あらー、偉いわねー。私の娘なんて、私に似てとっても不器用でー。ツメのアカでも煎じて飲ませたいわー」
「ミシェルさんの娘さんって…確かさっき、千秋さんが…」
「ええ、リーっていうのよー。そうねー、見かけはリューとちょうど同じくらいかしらー?私の血を引いてるから、実際はもっとずっと年を取ってるけどー」
「そうなんですね……いいなぁ、あたしもいつか会いたいなぁ」
どこか夢見るような口調でリューが言うと、ミシェルはまた嬉しそうに微笑んだ。
「そうねー、いつか会えると良いわねー。リーも旅をしているからー、そのうちどこかで会う機会もあるかもしれないわー」
「ですね!…あ、すっかり話が逸れちゃった、あたしも家事のお手伝いしますよ!何すれば良いですか?」
思い出したようにリューが言うと、ミシェルは笑顔のままゆるく首を横に振った。
「うふふ、あなたにはねー、ちょっと別のお仕事をしてもらうわー」
「うっ……お、お手柔らかにお願いします…」
千秋に課せられた『仕事』を思い出し、ちょっと腰が引けるリュー。
ミシェルはくすりと笑って、リューに顔を近づけた。
「ふふ、あなたにだけ、教えてあげるー」
こそ、と口元に手を当てて、リューの耳元で囁く。

「……この設計図はねー……」

Mission:Reporting

「ただいまー!」

すっかり交渉を終え、ウェルドのゼルの元まで帰ってきたころには、もうすっかり日が暮れていた。
ミシェルから受け取った設計図を手に、妙に意気揚々と部屋のドアを開けたリューに続いて、千秋とアッシュも入ってくる。
「はい、お帰りなさいませ」
ゼルは相変わらずカーテンをきっちりと閉め切った(まあ、夜なのだが)部屋の真ん中で椅子に座り、にこにこと冒険者を迎え入れた。
リューはてててて、とゼルに駆け寄ると、手に持っていた設計図をはい、とゼルに差し出した。
「お約束の、『天の賢者様の次回作の設計図』です!」
「そういうわけで、どうにか次回作の設計図は入手した。確かめたまえ。納得したなら約束の報酬をいただきたい」
その後ろからアッシュも言い、ゼルはリューから受け取った設計図を開きもせずに後ろの机に置くと、笑顔で頷いた。
「ええ、どうぞ。こちらが報酬になります」
とす。
見るからにたくさん入っていますという様子の金袋を、すぐそばにいたリューに手渡した。
リューは嬉しそうにそれを受け取ると、中に金貨が詰まっているのを確認する。
「うわあぁ、こんなにお金見たの初めてかもしれないよ…はい、確かに!」
その量の多さにひとしきり感動を示してから、その中の一枚を取り上げて千秋に差し出した。
「じゃあ、千秋さん、パフェの立替分ね!本当に助かっちゃったから、お釣りは取っといて!」
「あ、ああ…有難くもらっておく」
「それじゃっ!あたしはこれで失礼しまーっす!」
なぜか異様にテンションが高く、そして少し慌てた様子で、リューは金袋を持って早々に部屋を出て行ってしまった。
ぱたん。
ドアが閉まるまでを見届けて、千秋はあっけに取られたように呟いた。
「……何を急いでいるんだ、あんなに…?」
「さあ…僕の側から一刻も早く離れたいだけかもしれませんねえ」
くすくすと笑いながら、ゼルは残っていた金袋を、二つ、手に取った。
「はい、こちらがアッシュさんの分の報酬になります」
じゃら。
二つの金袋が、アッシュの手のひらの上に置かれる。
千秋はぎょっとしてそれを見た。
「待て、さっきのリューの報酬と違うじゃないか。俺は柘榴の使いで協力しているから報酬は無いにしても、それは少しおかしくないか」
もしここにリューがいたらまたひと揉めしていたに違いない。
アッシュはひとまず受け取ったものの同様に納得がいかなかったらしく、一応金袋は四次元白衣に仕舞い込んだ上で同様に聞いてきた。
「そうだな、多くもらえる分には有難く頂戴しておくが、後学のためにその理由については是非聞かせてもらいたい」
ゼルはにこりと笑みを深め、変わらぬ口調でそれに答えた。
「そうですねぇ、アッシュさんが、失礼ですけど他のお二方より遥かに、僕の望みを最大限に叶えてくださった上に、予想外に楽しませてくれたからですよ。報酬が倍程度では足りないくらいです」
にこにこと、あくまで楽しそうな。それでいて…芯が冷え切るような微笑みを浮かべて。
「……どういうことだ?」
言っている意味がわからず、眉を寄せて問い返す千秋。
「その前に」
ゼルはやわらかく言って、す、と手のひらをアッシュに向けた。
「お貸ししていた僕の作品を、返していただきますね」
ふ。
音もなく、ゼルの手のひらにくだんの発明品が現れる。
「……む」
片眉を顰めて白衣に手を突っ込むアッシュ。しかし、そこにあったはずの発明品は確かになくなっているようで。
おそらくは魔法で取り寄せたのであろうが。
「アッシュさんも、人が悪いのか良いのかよくわからない方ですねぇ」
くすくす。
ゼルは楽しそうに笑いながら、指先でその発明品を弄った。
「あなたが僕の発明品を使って良からぬことを企むのはまあ、全く構いませんけれど。
……僕がこの発明品に、何か仕掛けをするとは、考えなかったんですかー?」
「……なんだと?」
アッシュが低く問い返す。
ゼルはなおもくすくす笑いながら、かちり、と発明品の一部を動かして見せた。
すると。

『我々の依頼主の腕がそれなりであるようなら、どうかね?工程の一部でも良い、任せてみる気はないかね?下請けとして使ってみては?』

その発明品から、紛れも無いアッシュの声がして、二人はぎょっと目を見開いた。
「……まさか……」
恐る恐る千秋が言うと、ゼルは笑顔のまま頷いた。
「ええ、この作品の周り一部屋くらいの音は全部集音して、離れた場所にいる僕にも聞こえるようなものをくっつけておいたんですー。録音の機能もつけたんですが、いやー、よく録れていますねー」
あくまで楽しそうなゼルの正面で、千秋は蛇に睨まれたカエルのようにダラダラと汗を流しながら硬直している。
「ミシェルがそれを弄りながら妙な反応を見せていたのは、それか…!
ウェルシュのことも聞かない、設計図の中身も確認しないからおかしいとは思っていたが…」
アッシュはといえば、変わらぬ平静さを保っているようにも見えるが、表情は眼鏡に隠れてすべては見えない。
ゼルはくすくすと笑いながら、楽しそうにアッシュに向かって言った。
「本当は何か理由をつけてあなた方のどなたかに僕の発明品を持って行っていただくか、それもダメならどなたかの服に小型のものをつけさせてもらおうと思ったんですけど、アッシュさんのほうから発明品を欲しいと言い出してくださったおかげで、不自然にならずにお渡しすることが出来ました。ありがとうございますー」
ゼルの言葉にも、アッシュは黙ったまま何も言い返さない。
しかし、ゼルの言葉が本当なら、ミシェルのところで交わされた会話はすべてゼルに筒抜けだったということだ。それも、今日だけではない。昨日発明品を渡されてから、ここに帰ってくるまでずっと。当然……
「でも、おかげで色々と面白いことがわかりましたよー。
昨日も、ヴィーダで、別の天使に僕を売ろうとしましたよね?」
ゼルが笑顔でアッシュに向かってそう言い、千秋はまたぎょっとした。
「なんだと?」
「ああ、昨日は皆さん別々に調査なさってたからご存じなかったですよね。アッシュさんは天の賢者様を探してとある発明品を使ったのですが、それで見つかったのは彼女とは別の天使…まあ、本人は天使だと名言はされませんでしたが、天使だと言ってしまって差し支えはないでしょう。結局天の賢者の居場所はその方から聞いてウェルドまで向かったのですが、アッシュさん、その天使に僕を売ろうとなさったんですよね」
「ど、どういうことだ」
アッシュを振り向くが、黙ったまま答えない。
ゼルは楽しそうに発明品を弄っている。
「ああ、そうです、ここです」
かちり。
再び硬い音がして、発明品からアッシュの声が流れ出る。

『もうひとつは彼奴をこの世界から抹殺することアルが、これには天の賢者の力を借りないとならないアルヨ』
『天の賢者の協力は必須になるが、降下したとはいえ元天使。魔族は共通の敵のはず』
『魔族と戦おうという私の心意気を買ってくれると有り難いが』
『魔族なんて大嫌い。神様が創ったこの世になんで居るのかな?天使様は退治してくれないの?』

おそらくはあのHALCという発明品の効能だろう、いちいち口調は違うが、声質は確かにアッシュのもので。
「…まあ、直接その天使に僕を倒してくれと頼んだわけじゃないですけど、言外にたっぷりと、『魔族に困らされているということを匂わせれば天使が出てきてどうにかしてくれるだろう』という意図がにじみ出るほどに含まれていますよねー。実際、その天使もそう感じたようで、アッシュさん、逆にお説教されてましたけどー」
「おま……っ、そんなことまでしていたのか……!」
呆れたようにアッシュに言う千秋。
「ふふ、本当は、これを聞いた時点で報酬なんか絶対にくれてやるものかー、と思ったんですよ?」
対照的に、楽しそうにくすくすと笑うゼル。
アッシュは少しの沈黙の後、変わらぬ声音で、ゼルに問うた。
「…ひとつ、聞きたいが」
「はい、何でしょうー?」
「…私を疑っていて、監視するために盗聴器をつけたのかね?」
「まさか。そんなわけないじゃないですかー」
またまたご冗談を、というように、苦笑して手をひらひらさせるゼル。
「ああ、そういえば、あなたはずいぶんこだわっていらっしゃいましたよね。僕の『本当の目的』が何なのか」
「……」
昨晩の相談の時のことを言っているのだろう。全部聞かれているのなら今更言い繕うことも何もない。アッシュは黙ってゼルの言葉を待った。
「言ったでしょう?興味があったんです。彼女の発明品に……」
ゼルはそこまで言ってから、にこりと笑みを深める。
「……というより、彼女自身に」
「………なに?」
アッシュが低く問い返し、ゼルはまたにこりと微笑んだ。
「人間に、設計図を盗みに入られたら。その人間が、魔族に半ば脅されて雇われた形だと知ったら。
彼女はどう感じ、どういう行動をとるのか……それに、とても興味があったんです」

『こんな面白い事態に、彼女がどう対処するのか。すごく興味があるわ?』

ゼルの発明品から、昨日アッシュが訪ねた天使……ミリーの声が流れ出る。
「彼女の気持ちには、とても共感しますねえ。きっとこの天使も、天の賢者に対して僕と同じ感情を持っているのでしょうね。
ともかく、僕はそれにこそとても興味があった。だから、最初から、あなたたちの誰かに盗聴器を持っていていただいて、あなたたちと天の賢者のやり取りを聞いているつもりでいたんです。
それこそが、僕の目的であったわけですからねー」
かち。
発明品のスイッチを切って、ゼルはそれをことりと机の上に置いた。
「…まあ、あなた方は盗みという手段ではなく、正面から彼女と交渉する手段を取りました。少し予想からは外れましたが……アッシュさんが、それ以上のものを僕にもたらしてくれましたから、帳消しどころか予想外の大収穫ですよ」
「……それ以上のもの?」
にこりと微笑むゼルに、千秋が低く問う。
ゼルはゆっくりと頷いて、答えた。
「アッシュさんの言葉を聞いて…いくつか分かったことがあります。
まず、あなたは僕に痛い目を見せようと思った。ま、そんなのは、みんな思ったかも知れないんですけどー?」
くすくす。
アッシュのほうを向いて、堪えきれない様子で楽しげに笑って。
「そのために……あなたは、他の皆さんに黙って、僕と『天の賢者様』を遭遇させようと思ったのですよね?それが、『外部への仕事の委託』というものですよね。……彼女は、敢えて事情を話しても僕に挑もうとはしないだろう、と。ですが、天使ならば僕が倒せるだろうと。そういうことなんですよね?」
「それは、俺も散々言ったが、まだ言い足りないぞ」
その言葉に乗るようにして、千秋もアッシュに向かって言う。
「ゼルに下請け作業をやらせると言い出した時は、あまりのことに言葉を失ったがな。
天の賢者の下請けなんて、ゼルの了承無く勝手にそういうことを決めてしまうのもどうかと思うし、そもそもゼルのプライドが許さないだろう。お互いに知らせないで引き合わせるというのであれば、それは騙し討ちではないか。
お互いそれぞれ特殊な事情持ちだ、うかつに引き合わせてもお互い不幸なことにしかならん。もしもその不幸を期待しての行いだというのなら……やはり、到底許せるものではないな」
「魔族の肩を持つのかね?」
アッシュが無表情で問い返し、千秋は肩をすくめた。
「それ以前の話として、勝手な行動を取るな、と言っているだけだ。ゼルに不利益の無いようにしたいという俺の話を聞いていて、それに合わせて策を変えると言っておいてのあの行動なら、俺に対しても騙し討ちに等しいといえる。せめて前もって交渉の手段を言っておいてくれれば、止めようもあったんだがな…」
まあ、ゼルのアイテムだということは見せなくてもお見通しだったから、あまり意味は無いが…と嘆息して、千秋は続ける。
「それに、罪のない者をまきこんでどうする。
お前は半ばゼルに騙し討ちをされるような形でこの依頼を受けざるを得なかった、それに対して怒りを感じるのはもっともだがな。
しかし、自分がされて怒りを感じたことを、お前に対して何もしていないミシェルにそのままするのか?
ミシェルはお前にとっても縁のある者じゃなかったのか?
そういうのを簡単に利用できる人間とは、仲間として一緒に仕事をするのは難しいと言わざるを得ないな」
「まあまあ、千秋さん。お気持ちは判りますが……彼には言っても無駄だと思いますよ?
それに、アッシュさんのその行動こそが、彼に対して報酬を倍額払う理由、なんですから」
「なんだと?」
意外そうにゼルを振り返る千秋。
ゼルはアッシュに向かって、にこり、とあの心が冷えるような笑みを浮かべた。
「僕に一泡吹かせる。そのためだけに取ったあなたの行動全てに、僕は大変感動しました。是非、お納めいただきたいのです」
その表情は凪いでいて、月の光のように柔らかで…そして、冷たい。
「僕の素性を調べて、なんであるか分かっていながら。千秋さんに今回の経緯を全て喋らせ、失敗できないのを聞いていながら。あなたは、『交渉が失敗したなら、失敗だと報告する』という。
僕が、『失敗しました、てへ』なんて報告で満足するわけ無いって、分かっているじゃないですか。受けさせるにも脅迫する位なのに。『命を盾に脅迫した』って、昨日の天使にも訴えてたでしょう。ねえ?
良くて半殺し。悪くて多額の賠償金を背負わせて内蔵すらも売り飛ばさせる可能性もあるのに。一緒にいる方々の命を、勝手に捨てようとした。
みんなが盗む方向だったとしても、あなたの思う通りに行動しなければ、むしろ全てぶち壊すとでも言うようにね。
千秋さんは仲間だと仰っていましたが、単純なことですよ、アッシュさんは仲間だとは思っていなかったんでしょう。自分の『意趣返し』を成功させるための、道具。罠が発動した時の、盾。だから、自分の望みが果たせれば、その後道具が壊れようが酷い目に遭おうが、別にどうとも思わないわけです。
……それは、当の『天の賢者様』も同じであったようですけれどね」
笑みが、苦笑に変わっていく。
「そう、あなたは天の賢者に、僕が何であるのかを伏せて、遭遇させようとした。最善は彼女が勝つこと。次善は相打ちでしょうか。…………どんな結果にしろ、彼女が何の準備もしていなかったとしたら死んでいてもおかしくない。相打ちという点でもそう。対消滅を狙うというのは、僕ら両方に、死ねという策を立てての交渉だったわけですね。
…………知己の間柄である彼女のことを、丸ごと無視で死ねと。そこまで言わなくても怪我をしようが全く気にしない。僕が痛い目に遭えば、それでいいと。
仮に彼女が魔族と会うに当たっても、手伝うとか応援に回るとかそういうこともないんですよね」
ぷっ。
ゼルは堪えきれない様子で吹き出して、ひとしきり楽しそうに肩を揺らした。
「っくく、あぁ、すみません。ふふ、あなたは、依頼人を売り、仲間を道具として扱い、言うことを聞かないなら死ねといい、果ては知己の天使すらその命や生活があることを無視して僕を消滅させるための道具としか見ていない行動を取ったのですね。
…………自分の望みのために、周囲の全てを使い尽くすその精神。しかもその望みとは、ただの『腹いせ』なんですから。見上げた物です。僕だってそこまでしませんよ」
なおも楽しそうにそう言うゼルに、アッシュは無表情で一言だけ返した。
「言いたいことはそれだけかね?」
「そうですね、とても楽しかったですよ」
ゼルは満面の笑みを浮かべてそれに答える。
「先ほども申し上げた通り、僕の最大の目的は『彼女の反応』だった訳です。その上で、上手く転べば、彼女の研究とアイテム作りにちょっかいかけたいなー邪魔しちゃおうかなーという思いもありましたが…あなたは、それをすべて叶えてくれましたからね」
ぷっ、と再び吹き出して、ゼルは笑いを堪えた。
「砂糖菓子の料理に、動力変換装置の破壊、洗濯と称して衣服をボロボロに……ぷっ。ふふ、まさか僕もここまで面白いことになるとは思いませんでした。大変楽しませていただきましたよ」
話しながらもおかしくてたまらないといった様子で。
そうして、にっこりとアッシュに微笑みかける。

「取るに足らない魔族がちょっかいをかけてくるより、知己の間柄にある人間が彼女を騙して魔族と相打ちさせようとした、という事実の方が、よっぽど彼女にとってはダメージになるでしょうしね」

「……っ」
言われた当のアッシュより、傍らの千秋の方が、表情を固まらせる。
しかし、アッシュはけろりとした様子で、短く言った。
「意趣返し、にしてはやや面白味に欠けるし、ダメージもないようだが」
「ええ、ええ。意趣返しなどではありませんから」
ゼルはそれにすら嬉しそうに、何度も頷いた。
「だって、あなたは他人の評価を気にしてなどいないではありませんか。
『酷い』『あなたなんか、人間じゃない』なんて言ったところで、そんなの『だからどうした?』で、終わるのでしょう?僕は無駄なことはしたくないのです」
けろりとした様子で、そう言って。
「ま、他の皆さんがどう思おうと、それもまたあなたには関係のないことなのでしょう。
あなたに対する報酬も後で良かったのですが、2人きりなんて、ぞっとしませんよねー。あなたは僕を殺そうとしてましたしー?僕、か弱いんでー」
へらへらと冗談めかして言うゼルに、アッシュは興味なさそうにくるりと踵を返した。
「なるほど。それならば、帰るとしよう。私も暇な身ではないのでね。
それではな。縁があればまた会おう。出来れば次回は別な形で」
「……そぉですね、最後に一応、申し上げてもよろしいでしょうか」
足を踏み出しかけたアッシュをゼルが止めたので、アッシュは振り返った。
「何かね?天才というのは、忙しいものなのだが」
「ええ、お手間は取らせません。これも料金のうちだと思って、聞いていってください」
ゼルはにこりと笑って、それから、ふとその笑みを消した。
「…………あなたは、人として、一番大事な物が欠けがちです。月並みですが、1人では生きてはいけないのですよ?罠を通る際に助けてくれた皆のこと、僕の差し金だと知っていても設計図をくれた彼女のこと。あなたが目的のための手段にした全てがなければ、あなたは何もできなかった。適所適材。全くそのとおりです。いるのがあなただけではないからこそです。
天才だから、皆が理解しないのではありません。孤独なのではありません。皆、あなたを理解しようと思い、手を伸ばしてくれていた。その全てを、あなたが灰にしているだけのことです。
……いつか、あなたが1人になったとき。あなたは創造者としての意義を失うのでしょう。あなたの道具を必要とする誰かがいなくなり、あなたは他から何かを得ることがなくなり、あなた自身を殺すのでしょう。
あなたが、これからどこへ行こうと、僕には関係のないことですが。…………自分以外の人を、肯定なさい。そこに生きているのだと、理解して、尊重なさい。あなたの未来が明るいことを、お祈りしますよ」
「………」
ゼルの紡ぎだした言葉に、千秋が静かに目を見開く。
が、当のアッシュは淡々としたもので。
「魔族が、ひとを、語るのかね?お笑いではないかね?ついでにいえば、無駄は嫌いではなかったのか?」
「お笑いでしょうね。それに、無駄になるのも分かってはいますが、それも気まぐれにはいいでしょう。
……僕に言われるようじゃ、あなた、おしまいですよ?
もっとも、こんなことも、あなたには届かないのでしょうけれどねー」
「それで、他には?」
「ええ、これで全てです」
軽く肩を竦めてゼルが言い、アッシュも同様に気にした風も無く再び踵を返した。
「では、皆。健勝でな」
「はーい、お達者で」
ぱたん。
アッシュが出て行った扉が閉まったところで、千秋は嘆息してゼルのほうを見た。
「…少し、やりすぎじゃないのか。まあ、同情する気はせんが」
「ま、いいんじゃないですかー、このくらい。彼は気にしませんよ」
「………その。悔しくはないのか?」
「……それも、どうでも良いことです」
ゼルはふっと視線をそらして、苦笑した。
「彼は結局何をしたくて、周り中を売ったのか、僕にもよく分かりませんが……ま、お金は倍も手に入ったのだし、文句はないのでしょう。
反論しないのが異がない証拠とは言いません。それでも、彼の心を知るのは彼だけですからね。一期一会だから売り飛ばした、ということかもしれませんしね」
ふう、と息をついて。
それきり、何事も無かったかのように、ゼルは千秋に視線を戻した。
「柘榴さんの使いだからと仰っていましたが、千秋さん個人にも些少ですがお礼はいたしますよ。もちろん、柘榴さんにも。今後ともよろしくとお伝えください」
「あ、ああ……」
多少毒気を抜かれたように頷いて、千秋はふと、先ほどゼルが受け取って速攻で机の上に置いたミシェルの設計図が気になった。
「設計図が目的では無いといったが…せっかく苦労して持ってきたんだ、確認してみたらどうだ?」
「ああ、そうですねー。じゃあせっかく取ってきていただいた訳ですし、何を作っていたのか、見せてもらうことにしますねー」
くるくる。
そう言って、ゼルは受け取った設計図を丁寧に開き始めた……
「……っ」
そして、目に飛び込んできたその図面に、わずかに目を見開く。
「……これは……」

「んっふっふっふー、ブチ切れた魔族の八つ当たりに巻き込まれてもやだもんねー♪早く出てきて正解だったな」
リューは上機嫌で、夜のウェルドの港を歩いていた。
ウェルドの夜は意外に静かだ。漁が朝早くから始まるため、ほとんどの漁師は夜は早く休んでしまうのだろう。
これだけの報酬があれば、今日こそは久しぶりに温かい布団とおなかいっぱいの食事にありつける。リューは上機嫌で静かな町並みを歩いていた。
「しっかし、驚いたよねー…」
リューはなおもテンション高く、ミシェルのアトリエでのことを思い出す。

「あの設計図が、まさか、化粧品のものだった、なんて!」

『実はねー、この設計図はねー……春の新作チークの成分表なのー』
『え、えええ?!チー……』
『しーっ。男の人には理解されにくいから、黙っていてあげてー?』
『…っ、すみませ……で、でも、ホントなんですか?』
『ええ、私、趣味でお化粧品を作ってるのよー。今回はヴィーダの僧院に安置されてる魔力を持った炎を使った作品でねー、この魔力がいい色を出すと思うのよねー。だからまぎれもないマジックアイテムだしー、マジックアイテムの設計図には間違いないわよー?』
『そ、そうなんだ……ぅ、ぷぷっ、うわー、届けるの楽しみになってきちゃった…!』
『っていうことでー、リューには、まだ炎の魔力を入れてない試作品のテストメイクをさせてもらおうと思うのー、いいかしらー?』
『はい、もちろん!うわぁ、お化粧してもらうなんて初めてかも…!』
『うふふー、リューもそろそろ、お化粧を覚えてもいい年頃だと思うわよー。この試作品とー、あと何点かあげるからー、帰ったら自分でも試してみてねー?』
『わ、いいんですか?!嬉しい、ありがとうございます!』
『じゃあ、そっちの椅子に座ってー?まずは化粧水からねー』

「っふふ、人を脅迫して雇って設計図盗み出させようなんてするから、バチが当たったんだよね!」
そのバチの当たる様を見られないのだけが残念だが、とばっちりを受けてもつまらない。
だからリューは、設計図を渡して報酬を受け取ったらさっさと帰ってきたのだ。
「ミシェルさんにお化粧品ももらっちゃったし♪早速いろいろ試してみよーっと!」
上機嫌で言って、リューは今夜の宿の物色をするのだった。

「っはは、あはは、あはははは!まさか、最後の最後にこんな面白い展開があるなんて、さすがは『天の賢者様』ですね、感服しました!いやー」
ゼルはおかしくて仕方ない様子で爆笑している。
千秋は呆然と、ゼルが爆笑のあまり放り出した設計図を取り上げて見やった。
「け…化粧品……だと……?!」
「ええ、僕はあまり詳しくないですが、チークと書いてありますから、まず間違いないでしょう。魔力を込めて特殊な発色をするよう、内容物と容器に魔力処置をするもののようです。しかも、かなり特殊な魔力を必要とするようですねぇ…ここまでのものは、もしかしたら教会とかそういった類が管理しているものかもしれません。いやー、惜しかったですね。わかっていたら、あの方たちをもう少しお引止めしたんですけどー」
「あの方たち?」
「いえ、こちらの話です」
ゼルはそう言ってもうひとしきり肩を揺らすと、さっぱりした様子で千秋に向き直った。
「じゃあ、この設計図を元にして、柘榴さんにチークでもお作りしましょうか。
ミシェルさんと同じ発色は出来ないでしょうが…そうですね、柘榴さんの色をイメージしてお作りしますよ。
そんなにお待たせはしませんし、千秋さんはもう一晩、ここにお泊まり下さい」
「そ…そうか。わかった」
千秋はまだ少し呆然とした様子で、かろうじてそう言った。

「くそ…思ったより帰ってくるのに時間がかかってしまった……」
やっと柘榴の屋敷にたどり着いた千秋は、門をくぐるとそう毒づいた。
「やはり、ギルドから預かった遠隔通信アイテムを落としたのが痛かったな…おそらくミシェルのところで動力装置を回している間に落としたんだろうが…もう一度あそこに行ったら今度は冗談抜きで死ぬかもしれんしな…」
誰に説明してるんですかというように、げっそりと呟く千秋。
おかげでギルドに対して弁償をする羽目になり、ゼルから個人的にもらった報酬のほとんどを使うことになってしまった。
とつ、とつ。
「……………だね…………じゃないか……」
寝殿造りの長い廊下を歩いていくと、奥のほうから柘榴の話し声が聞こえてくる。
(……?来客か?)
不思議に思いつつもそのまま歩みを進め、耳をそばだてる千秋。
柘榴の声が、先ほどよりよく聞こえてくる。
「この前はうちの従僕がお世話になったようだね。迷惑をお掛けしていたら代わりに折檻しておくけれど、大丈夫だったかな?」
(この前?……ということは、相手はゼルか…?遠隔魔法か……)
直接の来客では無いとあたりをつけ、声が聞こえる程度のところで足を止める。話の邪魔をすると後が怖い。
「君の設計図とやら、見せてもらったよ。青写真ではあるが、なかなか面白いものではないかな?」
(おい、待て)
千秋はぎょっとして、しかし心の中でつっこんだ。
(設計図って…まさか)
「こう見えて目利きには自信があってね。人づてに、マヒンダ王宮の『天の賢者』製マジックアイテムの存在を聞いたことはあったのだけれど、お目にかかってみたいものだね」
(相手はミシェルか?!)
驚きをどうにか自分の心の中だけに抑えると、千秋はさらに耳を澄ました。
柘榴の声だけでなく、遠隔装置の先のミシェルの声も聞こえてくる。
『マヒンダの王宮にあるものはー、大掛かり過ぎて持ち出し禁止になってるのよー』
「そうなのだね。残念ながら私のコレクションには君の作品はまだ収められていなくてね。マーケットには流れてないし、流れてても大概、偽物だからねぇ……」
『あらー、私を騙るなんて、いい度胸してるわねー』
「そうだねえ。あるんだよ。年に何回か、君の名前を騙った偽物が、ね」
(…そうか。もしかしてその縁で付き合いがあったのか?)
何となく納得が行くような行かないような表情で、千秋はふむと唸った。
(いやだがしかし……知り合いなのに盗みの教唆とかするか、普通)
そして、もっともなツッコミをこっそりとして。
柘榴の話は続いている。
『ギルドに設計図を下ろせる程度のものならー、いつでも作ってあげられるんだけどー。良かったら今度、ついでにでもそちら回りましょうかー?』
「やあ、そう言ってくれると嬉しいねぇ。ナノクニは少々遠いと思うけれど、私はいつでも千客万来だからね。近くまでお越しの時には、寄って貰えれば歓迎するよ」
『うふふー、実は本宅がナノクニの近くにあるのよー』
「それは本当かい?いや、私としたことがうっかりしていたな」
『まあ、ギルドとかにも伏せてるからねー。今手がけてるものが終わったら一度本宅に帰るつもりだからー、そのついでに寄らせてもらうわー』
「それは有難い。ぜひよろしく頼むよ」
『じゃあ、約束のものは完成したら送らせてもらうからー』
「ああ、待っているよ。君の新作頬紅をね」

(……新作頬紅?)

「ちょ、待て!」
だん。
千秋が慌てて部屋に踏み込むと、遠隔通信の装置を切ったらしい柘榴が鷹揚に振り返った。
「やあ、千秋。話は色々聞いたよ。そうそう、君の落としたマジックアイテム、あとでミシェルの方からギルドに返しておいてくれるそうだよ?」
「今の話は、それを使っていたのか…!くそ、俺の金を返せ…!」
「今回もまあ、なかなか楽しい事があったそうじゃないか。私としても縁を繋げられたのは良い事だったよ」
「というか、待てというに」
「何だね」
「ミシェルが開発していた化粧品というのは…まさか、お前の発注なのか?」
「よくわかったねぇ」
「おま……っ」
自分で化粧品の開発を発注しておいて、その設計図を盗み出せとゼルを唆したというのか。
いや、設計図が化粧品のものとわかっていたからこそ唆したのか。大事にならないことを承知で。
まあ、ゼルも設計図が望みではなく、ミシェルに単純に嫌がらせがしたかっただけのようだが、それにしたって。
「あああまったく、上位種族という奴は……っ!!」
わしゃわしゃ。
自分の想像を遥かに超えた世界に、千秋は悪態すらつけずに髪を掻き毟った。
と。

「ところで……『天の賢者』のサイン、は?」

柘榴が唐突に言った一言に、千秋はきょとんとして声を漏らした。
「……は?」
「君、確か言ったはずだよねぇ? 私はよく覚えているよ」
にたあ。
意味深な笑みを浮かべる柘榴。
「えーと……君の上司が『伝説の存在である賢者様のサインを貰ってこい』という無理難題をふっかけたそうじゃないか」
ぎく。
自分が苦し紛れについた嘘を今更思い出して、千秋はさっと顔を青くした。
「……しまったそういえばそんなことを…というか、やっぱり根に持ってたのか……」
千秋の言葉に、柘榴はくつくつと楽しそうに肩を揺らした。
「そうか、忘れたのか。そうか……ふふふふふ」

ぽん。
凄絶な笑顔で、千秋の片に手を置く柘榴。

その日。
何日かぶりに、ゴショの外れの豪邸から男の絶叫がこだました。

「……というか、本当に欲しかったのか。ミシェルのサイン……ぐふっ」

“Mission:Impossible” 2009.5.15.Nagi Kirikawa