Mission:Introduction

ナノクニの首都ゴショは、さほど広くない国のほぼ中央に位置する。
碁盤の目のようにきっちりと道で区切られたその都は、北であればあるほど身分の高い貴族が居を構えている。
しかし、実質的には貴族と同等の位を与えられているにもかかわらず、彼女の住まう屋敷はその碁盤の目自体から少し離れた区域にあった。

「風光明媚ではありますが…しかし、柘榴さんは一応貴族なのでしょうー?随分いな…ええと、中央から離れた場所にお住まいですねぇ?」
顧客の手前、出かけた本音を引っ込めたその青年に、彼女は鷹揚に微笑んで見せた。
「言い直す必要はないよ、田舎だろう?貴族の称号も所詮お飾り、持て余している異形の輩を縛り付けておくための口実に過ぎないさ。首輪をつけて、その力だけを有用に使えれば僥倖だろうが、あまり自分に近いところに住まわせておけばいつ噛み付かれるかもわからない。連中の思惑はそんなところだろうね。
まあ何もない田舎だが、せっかく来てくれたのだし。のんびりしていきたまえ、ゼル」
「はい、ありがとうございますー」
ゼルと呼ばれた青年は、温和そうに見える笑みを浮かべて頷いた。
透けるような白い肌に、長い黒髪を垂らし、ショールのような布を幾重にも巻いた、随分と暑苦しそうな格好をした青年である。
対する柘榴と呼ばれた女性は、自らを異形と称するに相応しく、額に明らかな角を2本生やしていた。今は脇息にもたれているが、立ち上がれば2メートルは軽く越すであろう長身の女性である。長い黒髪を後ろでゆるくまとめ、ナノクニの装束にしてはいささか布が足りないのではないかという服を身に纏って、客人であるゼルをもてなしている。
「………」
柘榴の後ろには、いかにもお付きという様子で控えている青年が一人。結い上げた黒髪にハカマというナノクニではスタンダードな姿のその青年の名は、千秋といった。主人とその客の様子を俯き加減で伺いながら、こっそり嘆息する。

そもそも、主人とこの奇妙な客は、これが初対面になる。
以前、千秋が主人の命令で、このゼルという青年にマジックアイテム作成の依頼をしたのだ。その折にはまあいろいろと事件もあり、その関係でこの青年が実は魔族であるということも知っている。魔族を見るのは初めてではないが、本当に見かけによらぬものだ、と改めて思う。
魔族の癖に現世界をうろつきまわり、マジックアイテムを作ることを生業としているこの青年は、柘榴に作ったマジックアイテムの調子を見るという名目で、遠くナノクニの柘榴の屋敷に突然現れた。柘榴もその程度で驚くタマではなく、喜んで招き入れて先日買ったアイテムを検分してもらい、その作業も終わって一息ついているところだ。
それにしても、ナノクニに古くから住む異形の種族である「鬼族」の柘榴と、正真正銘の魔族であるゼルが向き合って談笑する姿というのは、冷静に考えればかなり大変なことなのではないだろうか。一見、変わり者の男女が和やかに談笑しているように見えるが、いつその和やかな微笑のまま自分の首を掻き切ってもおかしくない。要するに彼らは、そういう一族なのだ。
「……」
俯いたまま、千秋はまたこっそりと嘆息した。
すると、それに呼応したようにゼルがはぁ、とため息をつく。
「おや、どうしたね?浮かない様子だが」
柘榴は脇息にもたれかけていた体を起こし、興味深げにゼルに問うた。
「いやー、ちょっと最近、嫌なことがありましてねぇ」
「嫌なこと、というと?」
興味津々の柘榴。
ゼルはもう一度はあ、とため息をつくと、苦笑しながら柘榴に視線を戻した。
「柘榴さん、『天の賢者様』って、知ってますー?」
「天の賢者様」
柘榴はきょとんとしてゼルの言ったことを繰り返し、ふむ、と顎に手をやった。
「聞いたことはあるよ。マヒンダに天界の知識と技術を提供している降下天使、という話だそうだが、まあどこまで本当なのかはわからないね。マヒンダの王宮にはその賢者の作ったマジックアイテムがあるという話だが、ぜひ一度お目にかかってみたいものだ」
言外に、本当にそんな賢者が存在するのならね、という含みを持たせて。
ゼルは苦笑したまま、肩をすくめた。
「まあ、流れてる話がどこまで本当かはともかくとして。天の賢者という存在が魔術師ギルドに大変影響をもたらしていて、彼女の作ったマジックアイテムのいくつかがギルドに設計図という形で保管されているのは確かなんですよ。それで、先日その設計図を閲覧したんですよね。そしたら」
はあ、ともう一度ため息。
「僕が今度作ろうと思っていたマジックアイテムを、とっくの昔に彼女が作ってたんですよねー」
「ほう」
柘榴は眉を上げて、興味深げに相槌を打った。
ゼルは眉根をわずかに寄せて、言葉の続きを吐き出す。
「ずるいですよねー。ずるいと思いません?天の賢者様とか言って魔術師ギルドに崇め奉られて、新鮮な魔道の知識も材料も思うままに手に入る状況なわけでしょう。僕なんて昼間そんなに出歩けないんだから、人を雇わないと材料だって手に入れるのにままならないんですからー。PAって大変なんですよー?やったことある人は知ってると思いますけどー」
何の話ですか。
ぐちぐちとひたすら愚痴を吐き連ねるゼルを、千秋は柘榴の後ろから多少呆気に取られて眺めていた。
(ナチュラルに愚痴を吐く魔族……珍しがっていいものなのか)
と微妙な感想を抱いていると、傍らからなにやら不穏な気配。

「……ふ」

ぞくう。
ある意味感じ慣れたと言えなくもないその気配に、千秋は身を縮めて主人のほうを見やった。
斜め後ろからではっきりとはわからないが、それでもありありとわかる。
柘榴の目は、輝いていた。
「それは君も災難だったねぇ」
口先でしおらしげなことを言っておきながら、口元に隠しきれない笑みがこぼれているのが見える。
こんな表情を主人がする時はろくでもないことを考えている時だと、千秋はそう多くもない経験の中で身に染みて知っていた。
(愚痴だろ。愚痴聞いてるんだろ。何でお前そんな嬉しそうなんだよ)
内心かなりげっそりとしながら、心の声で突っ込みを入れる千秋。
(またどうせろくでもないこと考えてるんだろ、笑いが隠しきれてねえよ。ころっと騙されるゼルもゼルだ)
何をどう取って騙されていると思うのかはともかく、千秋は内心はらはらと二人の様子を伺った。
(だいたい、魔族にタメ口かよ)
いや、それはあなたも一緒だと思いますが。
そんな千秋の内心をよそに、柘榴はいかにも同情していますという言葉を、隠し切れない笑みとともにゼルに投げた。
「うん、それなら君も同じ事をやり返してやればいいのではないかな?」
「同じこと、ですかー?」
きょとんとするゼル。
柘榴は楽しそうに頷いた。
「つまり、だ。君は自分の考えを整理していたら、先にその整理を終えていた者がいたことに気がついただけなのだろう?それは、その者と君とが、似たような考え、似たような思い、似たような知識を持ったいたことを示すのではないかな」
「えー」
嫌そうな顔をするゼル。柘榴はそれを遮って、言葉を続けた。
「まあ聞きたまえ。ならば、かの者がこれから作ろうとしている物だって、君が作ろうと思ったものに違いない」
「うーん」
ゼルはまだ釈然としない様子だ。柘榴は身を乗り出して、ゼルに囁きかけるようにして言った。
「故に、その設計図を貰ってきても何も問題はないという事になるではないか。元々は、君も、その頭の中で生み出せる物なのだからね」
(待て待て待て待て)
再び心の中で突っ込む千秋。
(お前は何を言っているんだ。鬼が魔族に囁くなよ。普通逆だろ。いや逆もあんまり無いか。っていうかお前本当にPC側NPCか。やってることは普通に悪役魔族と同じじゃないか)
何の話ですか。
「………」
ゼルは眉根を寄せてしばらく考えていたが、やがてにこりと相貌を崩した。

「……そうですねー、設計図をいただいてくるのは良いかもしれませんねー」

(おいっ!)
千秋は心の声で目いっぱい突っ込んだ。
(乗せられてどうする?!あれは何だ。本当に魔族なのか。いや魔族なんだが、そう言うことではなくてだな。……魔族が鬼に囁かれて魔が差してるってのはどうなんだ。というかやることが窃盗とか微妙だろ。そんなんで良いのか)
すっかり訳がわからなくなっている千秋の心象風景をよそに、主人たちはうふふはははと密談を続けている。
なにやら障気のようなものが二人の周りに立ち込めているのが見える。魔族であるゼル一人のものでは決してあるまい。
「なに、そのようなことで君の手を汚すこともないよ。今までも冒険者を雇って材料を集めていたのだろう?その材料が設計図になっただけの話だ、何もおかしいことはない」
(いや、おかしいだろ!おかしくないわけないだろ!)
「そうですねー、お金で縛ればたいていの人は言うこと聞いてくれますしねぇ」
(思い出したように魔族的発言するな!)
「人手は一人でも多いほうが良いかもしれないね、お供もつけてあげようじゃないか」
「おいこらちょっと待てえぇぇっ!!」
さすがに心の中にしまっておけなくなったツッコミを絶叫して、千秋は立ち上がった。
というか、そこで立ち上がった時点で「お供=千秋」という構図を認めてしまった千秋の負けなわけだが。
「何故俺を巻き込む!いや巻き込むな頼む!!天使相手に窃盗とか勘弁してくれ!」
足を踏み出して叫ぶ千秋。
しかし、そもそも千秋のツッコミなど口に出ていようといまいと彼らにとってはまったく関係ないものであったらしい。
まったく意に介すことなく、穏やかに話は進んでいった。
「なに、気にすることはないよ。この千秋はいくらこき使ってもどつき回しても食い散らかしても目減りしない便利な体をしているのでね。先日のマジックアイテムの礼だと思って取っておいてくれ」
「俺の意思は無視か、おいっ?!」
「そうですねー、では遠慮なくこき使わせていただきますねー」
「そっちも笑顔で何言ってる?!俺は柘榴の便利なマジックアイテムじゃないんだぞ?!」
「え、違ったんですか?」
「周りには限りなくそう思われているだろうが断じて違うと言わせてもらう!」
「そうなんですかー。まあでも、僕には関係ありませんしー」
「だからお前もなぜ眼を邪悪に光らせながら俺の両肩に手を置く?!正気に戻れ、おーい!」
「僕はいつでも正気ですよー。いいじゃないですか、たまには柘榴さん以外の右に来ても」
「右って何だおい?!だから待てと…うわあああぁぁ…!!」

ナノクニのはずれに、一人の青年の悲鳴が空しくこだました。

それより、もう少しだけ時間は経って。
場所は、ヴィーダのどこか。うさんくさい発明家のいる家だからあまり近づくなとすっかりご近所の評判になった奇妙な外観の建物に、ばさばさと羽音を立てて一人の翼人の青年が降り立った。
青年はふうと息をつくと、背中の黄色い羽を収納し、建物の入り口…たぶん入り口と思われる板をこんこんとノックした。
「ちわー」
のんびりとした声で挨拶をするが、中から返事はない。
青年はぽりぽりと頭を掻くと、そっとドアのノブを回した。
「……いるっすか?」
ごちゃごちゃと何に使うのかよく判らない人形やら仕掛けやらが山積みされ足の踏み場も無い部屋の奥から、誰かね?と誰何の声がするものの、その主の姿は全く見通せない。
青年は一瞬複雑な表情でためらったが、思い切って足を踏み入れた。
「アタシっす。入るっすよ……よっ、はっ、おっと」
ぶおん。
当たったら間違いなく体を両断されそうな振り子をひょいと避け、その後ろからけたたましい音を立てて突進して来た回転人形をひらりとかわす青年。
「相変わらずすごいワナっすねー…しかし、今日のアタシは一味違うっす!」
妙な闘志をたたえた瞳で、部屋の中に無造作に置かれている数々の奇妙な仕掛けを交わしつつ、青年はどんどんと奥へ足を踏み入れていった。
「こないだはコイツに引っ掛かったんすよねー。今日は避けて見せるっす!」
薄く開いた主の居室に通じる扉の手前、最後の関門が待ち受けていた。
居室に向おうとする者が必ず前を横切るように、扉に対して水平にクマの縫ぐるみが置いてある。どう見ても単なる縫ぐるみにしか見えないそれ。前回普通に前を通り過ぎようとしたところ、突如として意識を失わされたのだった。後でここの主に事情を尋ねたところ、クマの視線約地上50cmを横切る動物に対して無差別に麻痺攻撃をするよう出来ているのだとか。
「あはは、何でこんな苦労せにゃならんのか、全くワケわかんないっすけど…ここまで来て手ぶらで帰るわけにもいかないっすからね。あ、いっち、にいー、さんっ!」
青年は気の抜ける掛け声とともに、背面飛びのようにドアに向かってダイブした。これで熊の視線は避けられるに違いない。
ばたん。
果たして青年の目論見は成功し、大きな音を立ててドアごと居室になだれ込む。
「おっし!成功!」
意識はある。勝った。アタシは勝ったっすよおっかさん!青年は無意味に涙を流しつつ勝利の余韻に浸った。
しかし、その一瞬後に。
ばべん。
上から落ちてきた金ダライが、青年の顔を直撃した。

「……ん……」
夢から覚めるときのように、かすれていた意識が徐々に形をとってくる。
妙にごつごつした感触に目を開けると、目の前には妙に汚い木目が広がっていた。
「気付いたかね?ユードラくん」
名前を呼ばれたことで、形になりかけていた意識が急速に覚醒した。
はっと顔を上げる。どうやらテーブルに突っ伏していたらしい。先ほどの落ち着いた声音の主は、テーブルを挟んで向かい側に、やはり不気味なほどの落ち着きとともに座っていた。
「あ、アッシュ、さん」
まだ少しくらくらする頭を抑えながら、向かいに座る人物の名を呼ぶ青年……ユードラ。
アッシュと呼ばれた男性は、傍目からはまったく年齢を窺い知ることは出来なかった。ぼさぼさの黒い髪に、分厚い瓶底眼鏡。薄汚れた白衣からも、見た目にはまったく頓着しないだろうことがうかがえる。ああ、世界がひっくり返ってもこの人だけは変わりそうもないなあ、と何となく思いながら、ユードラはまだ痛む頭をさすった。
「あ、アタシゃいったい?」
どうなったんですか、と暗に問うと、アッシュは神妙にうなずいた。
「すまんな。今開発中の発明品、依頼者がセキュリティ強化に酷く熱心でな。いくつかトラップを増やしたことを伝え忘れていた」
「アンタねぇ…そりゃ招かれた客じゃないっすけど。相変わらず見かけによらないって言うか見かけ通りって言うか」
呆れた表情で肩をすくめるユードラ。
だいたい、客人が自分のトラップにかかって人事不省に陥ったというのに、ベッドに寝かせるどころかテーブルに突っ伏させるとはどういう対処なのか。まあ、このわけのわからない部屋のどこにベッドがあるのか、いまだにまったくわからないのだが。
しかし、アッシュはそれで禊は済んだとばかりに話を進めた。
「それで用向きは?茶を飲みに来たわけでもあるまい?」
はあ、とため息をついて、ユードラは苦情を言うのを諦めた。
「仕事の話っすけど。谷の新製品」
「ふむ。何かあったのか?試作品は好評、君のところが売り込み先を確保しそうだとしか聞いていないが」
谷、という言葉に、アッシュの語調がわずかに真剣な響きを帯びる。
ユードラは眉根を寄せた。
「それが少し困ったことになってるんすよ」

ユードラの話によると。
順調に進めて来た新製品の開発。商会を通じていくつか商談がまとまり、初出荷を始めた矢先。
瓶の強度に問題が発覚したのだという。
「少量を丁寧に包んで持ち運んでた時は判らなかったんすけど、まとまった数を馬車で運んだら、輸送途中で割れた瓶がかなりあったんす。今から瓶を作り直したら納期に間に合いっこ無いっすし、さりとてこのまま送り続けて欠品になったらやっぱりマズイっすし。どうしようかってみんなで頭悩ませて、兎に角、今回だけは人海戦術で凌ごうと決めたのは良いんすけど……」
そこまで説明して、ユードラは急に言いにくそうに口ごもった。
それを敏感に読み取ったアッシュが、淡々とその先を続ける。
「金か?」
「あはは、そうなんす」
お見通しですかね、というように苦笑して、ユードラは続けた。
「あっちこっちに手で運ぶってなると、それなりに。うちの商会が肩代わり出来りゃ良かったんすけど、今まで出資してきたのが精一杯で。ラキちゃん始め、谷の主だったところが手持ちのスカイラテ売りに出して工面したんすけどもう少し足りなくて」
「いくらだ?」
「あと金貨100枚」
商売人だからだろう、さらりと口にはするが、それは決して右から左に自由に出来るような金額ではない。
アッシュはふむ、と唸った。
「ラキくんは君が私のところに来たことを知っているのかね?」
「いえ、こりゃアタシの独断で。ちょうど、仕事のついでがあったんすよ」
アッシュは再び言葉を途切れさせ、しばし黙考した。
分厚い瓶底眼鏡で遮られ、表情は伺えない。が、彼が真剣に考えているであろうことは、気配で察することが出来た。
「……明日まで待て。何とかしよう」
「あるんすか!?」
驚いて腰を浮かせるユードラ。
「アテが無いことも無い。本来であれば私が適当な発明品を提供したいところだが、私ともう一人の私を合わせても一日は48時間しか無いからな。今抱えている仕事を考えれば仕方あるまい」
アッシュはあくまで淡々と言い、それからきらりとユードラに視線を…正確には眼鏡を向けた。
「だが、ひとつ条件がある」
「なんすか?アタシに出来ることなら何でもするっすよ?」
アッシュはその条件とやらをすぐには口にせず、こくりと手元の茶を一口飲み下した。
「簡単なことだ。私が金を出したこと、ラキくんには言わないように」
「へ?」
思わぬ方向から降ってきた『条件』に、間抜けな声を上げるユードラ。
しかし、すぐに合点が行ったらしく、したり顔でもう一度椅子に腰をかける。
「あー、なるほど。あはは、いじらしいっすね、アンタも」
アッシュはその言葉に、心外という様子で口を引き結んだ。
「何か誤解があるようだが?私が口止めをしている理由は私の自尊心の問題だ。人の苦境を金で解決するなど、天才の名折れだからな」
「はいはい。判ったっすよ。ラキちゃんだけに口止めしたってことは、そーいうことなんすから、特に取り繕わなくても」
半笑いで手をひらひらと振って見せるユードラ。
「ぬう」
憮然として口を閉ざすアッシュをしばらくの間面白そうに見やっていたが、ユードラは出された茶を飲み干すと、今度こそ立ち上がった。
「それじゃ、また、明日。あはは、きっとラキちゃんも喜ぶっすよ」
「だから、言うなよ?」
「はいはい」
ユードラはなおも半笑いで手を振ると、アッシュが解除したセキュリティ装置の間を潜り抜けて出て行った。
それを見送ってから、アッシュは再びふむ、と唸る。
「すぐに換金出来るものは無し。やはり、あれに手をつけざるを得ないというところか」
誰にともなく言って、すくと立ち上がった。
「出かけてくる。もう一人が直ぐに戻るだろうが、留守は頼む」
誰に言っているのかは不明だが、そう言い置いて颯爽と部屋を出るアッシュ。
後には、沈黙だけが残った。

翌朝。
「ちわー、どうすか調子は」
軽い調子で…今度はセキュリティに昏倒させられることなくやってきたユードラに、アッシュはいつもの落ち着いた声を返した。
「おはよう、ユードラくん。では、これを持って行き給え」
ずい。
いかにもな金袋を3つ差し出すアッシュに、ユードラはきょとんとしてそれを覗き込んだ。
「あれ?ちょっと多いっすよ?」
昨日言った金貨100枚なら、この金袋ひとつで事足りるはず。それが3つもあれば、不足分の優に3倍はあることになる。
が、アッシュはなおも淡々と告げた。
「いいから持っていけ。谷の者が大事なものを売り渡したのなら、それを買い戻すのに使うと良い。
ではな」
言いたいことだけを言ってさっさと踵を返すアッシュ。
ユードラはまたニヤニヤと口の端に笑みを貼り付けた。
「あっはは、そりゃまた至れり尽くせりっすね。恋は盲目ってのはアンタにも当てはまるんすねー」
「何か言ったか?」
「いえいえ、こっちの話で。そんじゃ、アタシは谷へ。また来ますよ」
ユードラは金袋をしっかりと懐に入れると、首を縮めて退散していった。
再び訪れる静寂。
ふむ、というアッシュの唸る声が小さく響いた。

「……さて。期日までに金を作らないとならんな。今の仕事をちゃっちゃと終わらせて、久々に依頼でも受けてみるか」

「そして、二人はいつまでも幸せに暮らしました…めでたし、めでたし、っと」
ひょこり。
人の膝丈ほどまでの小さな人形が、糸もつけていないのに丁寧にお辞儀をすると、周りに集まっていた客たちはいっせいに拍手をした。
「えへへ、ありがとうございまーす!」
人形を操っていた少女はうれしそうに微笑んで、帽子を持って観客の前へと駆けていく。
年はやっとエレメンタリーを卒業した程度だろうか、栗色の髪を両側でかわいらしく結い上げ、大きな黒い瞳が印象的な少女だ。動きやすそうな服装でちょこちょこと走り回り、被っていた帽子を観客に向かって差し出した。
街角で披露する大道芸人には、見物料としてささやかな小銭を落としていくのが暗黙のルールだ。この少女のように帽子であったり、箱であったり袋であったり、形はさまざまだが、妙芸を見せてくれた芸人に対する感謝と敬意の証としてコインをその中に入れるのである。
だが。
「すごいねえお嬢ちゃん、将来は人形使いになるのかい?」
「お人形もかわいらしいわねえ、手作りなの?」
「応援してるよ、がんばって!」
どう贔屓目に見ても十代半ばを超えない見かけの少女が、人形劇で生計を立てているとは思わないのだろう。大人たちは笑顔で少女の頭を撫で、帽子に入れるのは飴玉やチョコレートばかり。
しかし、少女はめいっぱいの笑顔で観客たちに頭を下げた。
「はいっ、ありがとうございまーす!また見てくださいね!」
気持ちのいい笑顔に見送られて、方々に散っていく大人たち。
その後姿が完全に消えるのを見届けてから、少女は盛大にため息をついた。
「はぁーあ……今日も飴玉ばっかりかぁ」
あからさまにがっかりした表情で、飴玉の入った帽子を見やる。
「街角のアイドル、人形師のリューちゃんも、それだけでご飯を食べてくのは厳しい、っかー」
世間の波の荒さにがっくりと頭をたれて。
街角のアイドルと言っているのは無論本人だけだが。
ぎゅるるるる。
お腹が鳴ってきて、リューは肩を竦めた。
「お腹すいた…しょーがない、また日雇いの依頼でも探すかぁ……この見かけで取ってくれるところがあるかなあ」
芸をやっても飴玉を入れられるほどの子供に依頼を任せる奇特な人間がいるものだろうか。そんな不安もあったが、とにかく探してみないことには始まらない、と、リューは早速酒場へと足を向けた。

ウェルドの港にある一番大きな宿屋は「波間に漂うくらげ亭」という。主に船乗りたちの集うその酒場は、ヴィーダにある「風花亭」とはまた一風違った、どこか野趣あふれた雰囲気が漂っていた。
からからとベルの音を立てて入ると、ランチも終えて半刻経ったからだろうか、店内はほとんど客もおらずがらりとしていた。
「おやリューちゃん、今日のお仕事はもう終わりかい」
アルバイトの中年女性が気さくに話しかけてくる。この酒場兼宿屋に滞在し始めて3日ほどになるが、この女性は同じ年頃の娘がいるとかで滞在初日から親しげに声をかけてきた。
リューは苦笑して彼女に返事をした。
「うーん、やっぱり芸でお金を稼ぐのは難しいよねー。そろそろここに払うお金もなくなってきちゃったし、依頼でも受けようかなーと思って戻ってきたの。何かいい口、ない?」
「あらぁ、そうかい。いい仕事口ねえ…あたしゃこの仕事があるからあまり依頼の掲示板なんて見やしないけど、何か探してみたらどうだい?」
気の毒そうな表情でそう言って、ちらりと依頼の掲示板に目をやる女性。リューは軽く礼を言って、とてててと掲示板に駆け寄っていった。
「船荷の荷運び……うーん、力仕事はちょっとなぁ……踊り子急募…踊りは踊れないし…うーん」
掲示板に張られた依頼の票を一枚一枚値踏みしていく。
と、その中に。
「ん?なんだこれ」

『天の賢者様』に関する調査をお願いしたいです。
情報をお持ちの方は歓迎します。
詳細はきときとお魚亭 ゼヴェルディ・シェールまで』

「調査の依頼……なんだろ、天の賢者様、って。
報酬は……って、何じゃこりゃー!?」
読み上げて、目を丸くする。
「なにこの破格の報酬!これ!これ引き受けまーす!!」
べり。
勢いよく票を板から引っぺがして、先ほどの女性に訴えるべく振り向いた。
と、その時。
ごちん。
「あいた!」
唐突に頭部に衝撃が走り、リューは眩暈と共におでこを押さえた。
「あたたた……な、なに?」
片目を開けて現状を認識すると、どうやら振り向いた拍子にそこにいた人物とぶつかってしまったらしい。
「ちょっと、どこ見て……って、えええええ?!ちょ、ちょっとおぉぉ?!」
いきなり前触れもなく振り返るリューにも問題はあろうが、とりあえず文句をつけようと上を見たリューは、ぐらりと倒れ掛かってきたその人物……女性に驚いて奇声をあげた。
「あ、あたしそんなに勢いよくぶつかってな……ちょ、ちょっとしっかりしてええ!」
あわあわと不慣れながらも女性を支えるリュー。
先ほどの掃除婦も心配そうに駆け寄ってきた。
「どうしたんだい、リューちゃん」
「あ、あたし別に何もしてな……この人が勝手にぶつかって、倒れてきて、あ、当たり屋?!」
パニックのあまりわけがわからなくなっているリュー。
その間にも、小さなリューの体では支えきれないのだろう、倒れ掛かってきた女性はずるずるとリューの体をずり落ちて、そして床に崩れ落ちた。
「………あれ?」
女性の手は、しっかりと、飴玉やチョコレートばかり入ったリューの帽子を握り締めていた。

Mission:Request

こんこん。
「どうぞー」
ノックをしてみると、扉の向こうから幾分か間の抜けた声が返ってきて、リューはおそるおそるノブを回した。
「あの、くらげ亭にあった依頼票を見てきたんだけど…」
「ああはい、伺ってますよー」
ドアを開けると、客室には3人の男性がいた。
今返事をしたのが、窓を背にして座っているなにやら布をぐるぐると体中に巻きつけたような格好をした青年。
それに付き従うように、斜め後ろに立っているのは、ナノクニの民族衣装を着た青年。
そして、最初の青年と向かい合わせに立っている白衣の男性。ぼさぼさ頭と瓶底眼鏡が強烈過ぎて年までは見て取れない。ともすると三十路を超えているかもしれない。
リューは一通り観察すると、返事をした青年が依頼主だろうとあたりをつけ、部屋に足を踏み入れた。
「あなたが、あの依頼の依頼人?ゼヴェルディ・シェール?」
「はい、そうですよー。くらげ亭のマスターからお話は伺ってます、あなた方が冒険者の方たちですねー」
のんびりとした声で、青年…ゼヴェルディはリューと…そして、その後ろにいる女性とを交互に見た。他でもない、波間に漂うくらげ亭でリューに倒れ掛かってきたあの女性である。
すると、それに答えるようにして女性が頷く。
「はい。私、ウェルシュリア………っていう名前だったと思います。確か。ウェルシュと呼んで下さいね」
にこり。
そう言って見せた笑みは、掛け値なしに美しかった。さもあろう、彼女の顔の両側から、地を這うかというほどの長い長いプラチナブロンドをものともせずに自らを主張する大きく長い耳が、森と共に生きる美貌の種族、エルフであることを主張している。日に透かせば金にも見えるかもしれない、色素の薄い茶色い瞳は、穏やかを通り越してどこかこの世のものではないような輝きをともしていて。それが、彼女の美しさに拍車をかけていた。
「あたしは、リューテ・ペップ。リューでいいよ。よろしく」
「ゼヴェルディ・シェールと申します。魔具創作を生業にしています。ゼルとお呼び下さいねー」
「ゼル?」
ゼルの正面に座っていた白衣の男性が、それを聞きとがめて口を開く。
「不思議と聞いたような名前だが。もしや、君、炎狼という名の大剣背負った青年に知り合いは居ないかね?」
ゼルはきょとんとして、それから再びにこりと笑った。
「炎狼っていうと、レイサークさんのことですかー?はい、知ってますよー。お知り合いですかー?世の中狭いですねー」
のんびりとゼルが言うと、青年の眼鏡が一瞬きらりと光る。
「…そうか。うむ、知己だ。だとすれば、私はかつて君の作った作品を見たことがあるな。なかなか興味深いものだったが」
「炎狼にした細工のことですかー?レイサークさんに頼まれてやっただけで、あれは作品のうちに入るような代物ではないですけどー」
「……ああ、いや、こちらの話だ。私はアサークル・ドイマ。アッシュと呼んでいただこう」
自分の見た『ゼルの作品』については適当にごまかして、アッシュは浅く礼をした。
「……一日千秋だ。千秋でいい。よろしく頼む」
ゼルの後ろに立っていた男性も、憮然とした様子で言って。
ゼルは暢気な笑顔のまま、頷いた。
「これで、依頼を出したところから紹介していただいた全員ですね。今回は、よろしくお願いします」
「ところで、ここはどうしてこんなに薄暗いの?」
リューが入ってきたドアを閉め、カーテンできっちりとめられた室内は日の光もささずに薄暗い。不思議そうに問うウェルシュに、ゼルは苦笑して答えた。
「少し、陽の光が苦手でしてね。生活に支障をきたすほどではないですが、出来ればあまり目にしていたくないんですよー」
「……どうして?」
「は?」
「どうして日の光が嫌いなの?とても素敵なものだと思うのだけれど……」
「……はあ。嫌い、ではなくて、苦手、だと先ほども…」
「食わず嫌いは良くないわ」
ゼルの反論はまるで聞いていない様子で、ウェルシュは首をかしげた。
「一度あなたも日の光を受けてみたらどうかしら……是非一緒に。
……駄目?」
やんわりとゼルの手を取って、焦点の定まらない瞳で訴える。
「いや、そうですねぇ…」
ゼルは困ったように微笑んだ。
「では、ウェルシュさんはどうして闇がお嫌いなんです?とても素敵なものだと思いますよー?」
「え……?」
逆に問い返されて、ウェルシュはきょとんとした。
にこりと微笑みなおして、続けるゼル。
「食わず嫌いは、良くないんですよねー?一度あなたも闇に包まれて生活なさってみてはいかがでしょうー?
どうですか。ぜひ一緒に」
ウェルシュの言った言葉を、そのまま返して。
「うーん…それはぁ……」
困ったように首をかしげるウェルシュに、ゼルの後ろにいた千秋が嘆息した。
「こいつは別に陽の光の下に出たことがないわけじゃないぞ。それどころか、厳しい日差しの降り注ぐシェリダンの砂漠を歩いたことだってある。その上で陽の光が嫌いだって言ってるんだろう。食わず嫌いでもなんでもない」
「ああ、確かにあれは、勘弁してほしかったですねー」
千秋のフォローに、のんびりとした様子で頷くゼル。
ウェルシュは眉をひそめたまま、嘆息した。
「そうなの?そう……変な人……」
「いや、シェリダンの砂漠は普通みんな遠慮したいって…」
横で小さくつっこんでおくリュー。
それでその話は終わったとばかりに、ゼルは早速話を切り出した。
「ところで、千秋さんを除く皆さんは、僕の依頼書を読んできてくださったと思うんですけど。
それに書いてあった『天の賢者様』について、どなたかご存知の方はいらっしゃいますかー?」
言って、一堂を見回すが、アッシュとリューは渋い顔で肩をすくめた。
「悪いけど、情報は持ってないよ。調査の依頼だって言うし、報酬が破格だから受けたんだけど…」
「右に同じだ。可及的速やかに金銭が必要な状況になってね。割のいい調査依頼ということで受けさせてもらった」
「そうなんですかー……ウェルシュさんは?」
ゼルは多少がっかりした表情でウェルシュに視線を移す。
すると、彼女はわずかに眉根を寄せて、うーんと考えた。
「私は……あっ、ああそう、人間の作るアイテムに興味があって、この依頼を受けたのよ。魔具創作者っていうことは、アイテムを作る人なんでしょう?特別な力を持っている訳でもないか弱いはずの人間があれだけ栄えているのはやっぱりその小賢しさ……ではなくって、何か他種族とは別に抜きん出た才能があるんじゃないのかしらと思ったの。
それが魔法や能力とかではなくって、アイテムを作る才能かもしれない…かな、と思ったのだけれど、どうかしら?」
「はぁ?!」
ゼルの質問の意図は『天の賢者を知っているか』ということだったのだろうが、流れで自分が依頼を受けた理由を答えるウェルシュに、リューが素っ頓狂な声をあげた。
「何言ってんの?!あたしの帽子の中の飴やチョコに無意識に手が伸びて掴んだら離さないくらい絶望的にお腹すいてたから、あ・た・し・の!飴やチョコをすっかり平らげた上で、あ・た・し・が!見つけたこの依頼に強引に割り込んだの覚えてないの?!」
ずびし、とウェルシュを指差して言うリューの勢いにか、はたまたその言葉の内容にか、いずれにしろドン引きの男性陣。
が、ウェルシュはまったく堪えていない様子でにこりと笑った。
「あら、そうだったかしら?」
「そうだったかしらじゃないでしょー?!つい昨日の出来事じゃない!!」
「そう?あら、ちょっと待ってね、確認してみるから」
そして、懐からなにやらメモのようなものを出して広げる。
「えーと……あ、確かに昨日あたりのページに、死にそうな字で『おなか減った』とか『死ぬー』とか書いてるみたい。お金に困ってたのね、きっと」
「なにそれ他人事みたいに!昨日のこと覚えてないの?!」
「んー、ごめんなさいね。私、お話している最中でも何についてお話していたのかも忘れてしまうことがあって…今はたまたま、メモのこと思い出したけれど、こうして一生懸命メモしていても、メモを取ったことすら忘れてしまうこともあるの」
「なにそれ?!」
「まあまあ、エルフにはよくあることなのよ。長い時間を生きる種族だから」
嘘ですよ。信じないように。
リューは多少化け物を見るような目つきでウェルシュを見た。
「それ、依頼とか受ける前に病院行った方がいいんじゃないの?」
「あら。そうね、それもそうだわ。じゃあ、病院に行くためにお金稼がなくちゃ」
「…稼いだ後に病院に行くことを忘れそうだな……」
ぼそりとつっこむ千秋。
「おいゼル、大丈夫なのかこんなの雇って」
「あー……まあ、報酬は後払いですし、忘れてどこかに行ってしまうならそれはそれで…残りの皆さんががんばってくだされば良いことですしー」
「結局俺たちに尻拭いが回ってくるのか…」
千秋はげっそりと言って、さらに促した。
「それより、誰も『天の賢者様』の情報を持っていないのなら、まずはそこから説明する必要があるんじゃないのか」
「それもそうですねー。少し長いお話になりますので、適当におかけください」
ゼルは相変わらずの暢気な口調で、千秋を除く3人に促した。
「あ、その前に」
ふと思い出したようにゼルが言い、3人は座りかけた腰をそのままで止めた。
「この依頼。受けてくださるのは嬉しいのですが、なにぶんこちらとしても、色々と秘密にしたいことが関わっていましてねー。
詳しい事情をお話した後で、やっぱり辞めると言われてもこちらとしても困ってしまうんですよー」
「そうなの?まあ、そういうこともあるかもね」
けろりとした表情で、リュー。
ゼルはそちらに向かってのんびりと微笑みかけた。
「ですから、聞いてしまったら後戻りは出来ませんが、それでもよろしいですかー?
依頼を受けるのをやめるなら、今のうちですけれどもー」
ゼルの後ろで、千秋が渋い表情をする。
が、それには気づかず、リューは手をパタパタと振った。
「ああ、大丈夫、大丈夫。詳しい内容話してよ」
ゼルはそれを聞いて、笑みを深めた。
「では、お話しいたしますねー」

「天の賢者様、というのはですね。まあある種、おとぎ話に近いものがあるんですよ」
「おとぎ話?」
リューが身を乗り出すと、ゼルはそちらに向かって頷いた。
「はい。マヒンダの国民ならば誰でも知っている、有名な人物です。
『天の賢者様』は、天界から降り立ち、その貴重な知識と魔道の技術をもって、マヒンダの発展に大いに貢献した、と」
「天界から降り立ち……ということは、天使と言うことかね?」
アッシュが言い、ゼルは笑顔のまま頷いた。
「本当なら、そういうことになるでしょうねー」
「ふむ……」
アッシュは何か言いたげに、それでも口をつぐんで先を促した。
「もちろん、天界の知識や技術は、過ぎれば人にとっての害毒にもなりえます。『天の賢者様』は、それを見極めて、人間の発展に必要なだけの知識と技術をもたらすんだそうですよ」
「へぇー。いかにも魔法の国っていう感じのおとぎ話だね」
面白そうに相槌を打つリュー。
「ところが、その『天の賢者様』。実在するらしいんですよねー」
「えっ」
「本当ですか?」
きょとんとするリューの横で、興味深げに身を乗り出すウェルシュ。
「ええ。マヒンダの王宮には、『天の賢者様』の作った高性能のマジックアイテムが、今でも現役で作動していて、その機能と精密さはいまだにどんな研究者も越えられない壁となっているんだそうです」
「そこまで実在する確証があるならば、なぜおとぎ話などと?」
アッシュが冷静に言うと、ゼルはわずかに眉を寄せた。
「それがですねえ。魔術師ギルドに、保護されているんですよー。その人」
「保護?」
「ええ。居場所はおろか、実名、性別、外見の特徴やその他プライヴェートなことは、一切秘密にされているんです。詳しいことを知っているのは、各支部長クラス以上の役職の人たちだけ。それも、他言してはならないときつく言い渡されているそうなんですー」
困ったような表情で、ゼルは軽く肩をすくめた。
「マヒンダ国民の誰もが知っていて、その実、誰もが知らない人物。通名と実績だけが一人歩きをしていて、その実誰も本名すら知らない。
『天の賢者様』というのは、要するにそういう人物なんですねー」
「へーえ……」
「面白そうですね。会ってみたいわ、その天使に」
狐につままれたような表情のリューの横で、楽しそうに手を合わせるウェルシュ。
「つまりは、その『天の賢者様』の個人情報を探って欲しい、と。調査というのは、そういうことなのだな?」
アッシュが確認するように言うと、ゼルはゆっくりと頷いた。
「はい。僕はこの通り、昼間あまり出歩けないものですからー。代わりに調査していただきたいんですねー」
「だが、また何故、その、天の賢者とやらの調査を?」
アッシュが重ねて問うと、ゼルはまた困ったように眉根を寄せた。

「だって、ずるいじゃないですかー」

わずかな沈黙。
返ってきた答えがあまりに予想とかけ離れていて、ゼルの向かいに座った3人は絶句した。
一人千秋だけが、ゼルの背後で沈鬱そうにため息をついている。
「……は?ずる、い?って、なにが?」
かろうじて質問を重ねてみるリュー。
ゼルはこともなげに言葉を続けた。
「いや、天界の知識とか。ずるいですよねー。ずるくありませんー?」
言葉の内容は不満そのものだったが、いかんせん口調がまったくそのように聞こえない。
「この世界にない、しかもグレードが上の世界の知識を持ってくれば、この世界には適うものはないわけですからー。崇め奉られるのは当然じゃないですか―。天の賢者様とかー、呼ばれていい気になってるんじゃないですかねー」
「………はあ」
よくわからなそうに相槌を打つウェルシュ。
聞いているかどうかはあまり気にはならないのか、ゼルは間延びした口調で、さらに続けた。
「別に、彼女のアイテムが気になるわけじゃないんですよー?でも一応、この道にいれば噂くらいは聞こえてくるわけじゃないですか―。賢者としての知識だけじゃなくて、魔道具を作るということにおいても、彼女の名は轟きまくってるわけですからー」
その言葉と共に、先ほどまで困ったように寄っていたゼルの眉が、違う表情をもってきゅっと歪んだ。
「だから、ちょっと見てみたんですよー。どんなものを作ってるのかー、って」
「ほう」
アッシュが相槌を打って、先を促す。
ゼルは先ほどまでとはわずかに違う苛ついたような表情で、しかし口調は相変わらず暢気に、続きを語った。
「そしたら、今僕が作ろうと試行錯誤してるものを、とっくの昔に彼女が作ってたんですよー」
「……はあ」
いまいち、ゼルの言わんとすることがわからず、ゆるい相槌を打つリュー。
ゼルの口調には、だんだんと苛ついた心情がにじみ出てくるようだった。
「ずるいですよねー。魔術師ギルドと繋がっていれば、新鮮な情報だって手に入るわけじゃないですかー。研究者なら自分の知恵と力だけで何でもやってみろって話ですよねー」
「その意見に同意するのはやぶさかではないが。
それと、天の賢者の調査がどう繋がるのか、説明をしてくれないかね」
なおも落ち着いた様子でアッシュが言うと、ゼルは不機嫌な表情を引っ込め、再び笑みを浮かべて見せた。
「ああ、そうですよねー。
ですから、お願いしたいんです」
全く邪気の見えない、のほほんとした口調で。
彼は、余すところなく邪気に満ちた言葉を、放った。

「『天の賢者様』が、次に作るアイテムの設計図。
………盗んできてください」

再び、沈黙。
またも返された、あまりに予想とかけ離れた発言が、脳に浸透するのに時間がかかった。
そして。
「ちょ、ちょっと待って! 調査依頼じゃないの?!」
慌てて立ち上がってゼルに詰め寄るリュー。
「はいー、ですから、彼女が今どこにいるかを調査してー、その居場所から設計図を盗んできてください、とお願いしてるんですよー」
「き、聞いてないよそんなのー!」
リューは泡を食って辺りを伺った。
「そ、そういうことなら、あたしはちょっと……」
「おや。先ほど、お伺いしましたよねー?聞いたら後戻りは出来ませんよ、ってー。
その上で、貴女は依頼を受ける選択をしたのでしょう?」
「そっ…それはそうだけど…でもっ、盗みをやるなんて思わないから!
みんなだって、そうでしょ?!ねえ!」
仲間に助けを求めるように訴えかけるが。
「…私は別に、人間にどう思われようと構わないし……」
わかっているのかいないのか、微妙なコメントのウェルシュと。
「俺はもともと、そのつもりでこいつに引っ張ってこられたんだ。拒否権はない、残念ながらな」
何かすべてを諦めたような表情の千秋。
「うっそぉ……え、みんなこの依頼、受けるの?!アッシュさんも?!」
最後の望みとばかりにアッシュに矛先を向けると。
「ふむ。それを決める前に、少し訊いておきたいことがあるのだが、構わないかね?」
アッシュは相変わらずの落ち着いた様子で、リューの問いには答えずに、ゼルに言った。
「はい、構いませんよー?」
「では聞こう。設計図を手に入れてどうする気かね?より高性能な同じコンセプトのアイテムを相手より先に作るつもりか?」
淡々とした口調で問うアッシュに、笑顔で答えるゼル。
「いいえ、別に。興味がある、だけですよー?え、だって、興味ありませんー?」
「生憎私は天才だからな。『研究者なら自分の知恵と力だけで何でもやってみろ』という君の言葉に心底賛同するが故に、他人の書いた設計図などに興味は無い」
「そのあたりは価値観の違いですねー、僕は色んなものに興味を持てなくなったら研究者として終わりだと思ってるんでー」
「うむ、確かに。全くもって価値観の違いだな。『色んなもの』が何を指すかは人それぞれということだ。
君にはあてはまらん言葉だろうが」
淡々とした口調と、のほほんとした返事。一見和やかに会話がなされているように聞こえるが、微妙に漂う対決空気に、ウェルシュ以外の2名が緊張を走らせる。
が、意外にあっさりと決着がついた。
「何にせよ、現状では君に協力は出来ん。私はこの辺で失礼させていただくこととしよう」
すく。
アッシュはシンプルにそれだけ言い置いて、立ち上がった。
ぱっと表情を明るくするリュー。
「だよね、だよね!盗みなんてやっぱり……」
ひゅ。
リューの言葉は、突然の空気を切る音に遮られた。
踵を返しかけていたアッシュの動きも止まる。
ゆっくりとゼルを振り向くと、そのボサボサの前髪が一筋、はらりと落ちて。
「困りますねぇ」
にこり。
先ほどとまったく何も変わらない穏やかな笑みで、ゼルは言った。
「言ったじゃないですかー。聞いたら後戻りは出来ないですよ、って。
ただでお返しすると…思ってるんですかー?」
しかし、その口調には先ほどにはまったく感じられない冷たさが宿っていて。
リューの表情が凍りついた。
ゼルの後ろにいた千秋も、表情を引き締めて身を乗り出す。
ウェルシュは相変わらずぽーっとした様子で成り行きを見守っている。
ふう。
アッシュはため息をついて、再びゼルのほうを向いた。
「…そうか…それならば、私としてもコレを使わざるをえまいな」
ごそ。
淡々と言って、懐に手を入れる。
リューと千秋の表情が、いっそう引き締まった。武器でも出すつもりなのか、しかし。
気の利いた言葉一つも出ないうちに、アッシュはすばやい動作で懐のそれを取り出し、ゼルに向けた。
「でやっ!!」
取り出すと同時に、まばゆい光を放つ何か。
「うわっ!」
「…っ」
目の眩むような光が、薄暗い部屋を一瞬だけ照らした。
思わず目を閉じた一同が、恐る恐る目を開けると。
「…んな?!」
アッシュがいた場所には、何だかやたら派手派手しい紅白ストライプの道化衣装に身を包んだ男が、ぴこぴこと黒い眉を上下に揺らしながら立っていた。
「なに…これ……」
「…食い○おれ人形……ですねぇ……」
やっとのことでそれだけコメントするリューとウェルシュ。
今は亡きビッグコーストの食欲魔人…に扮した、おそらくアッシュであろう男性は、へこへこと手をすり合わせながら、ゼルに歩み寄った。
「へっへっへー。いやですよ、ダンナ。冗談ですってば、冗談。それだけのオアシいただけるってんですからイヤもオウもありませんや。喜んでお役に立ちますぜ」
ずる。
いきなりゼルに媚び始めるアッシュ(仮)に、盛大にコケる千秋とリュー。
「な、なんなんだそれは……」
「へ?聞きたいんですかい、兄さん?」
アッシュは千秋のほうを向くと、もう一度手に持っていた何か棒のようなものを掲げ、パッと部屋中を照らした。
そしてあっという間に元の白衣姿に戻っていたアッシュが、手に持っていた棒をずいと千秋に向ける。
「説明しよう。今私が使ったのは、ハイパー・アクティング・ライク・ザ・キャラクター(Hyper Acting Like the Character)略してHALC(ハルク)!」
「………は?」
説明が欲しいのはその部分ではないという万感の思いを込めて、千秋。
が、その万感の思いは伝わらなかったようで、アッシュはさらに説明を続けた。
「これさえあれば、どんな大根役者もあっという間に名優に!パターンデータを書き換えれば、千変万化のキャラクターをこれ一台で再現できるという優れもの!もっと明るくなりたい、自分を変えたいなど、心の悩みを抱える皆様向けに医療用としてもご利用いただけるものと存じます」
だんだん通信販売の謳い文句のようになってきている。
あっけに取られている仲間の前で、アッシュは得意げに棒……ハルクを使って自分を指し示した。
「ちなみに、今回私が使ったキャラクターデータは幇間と呼ばれているがね。ハルク・幇間」
「誰がわかるんだ、そのネタ……」
「呼ばれてるっつか、呼んでんのアッシュさんだけでしょ…」
「ジェネレーションギャップは深刻ねぇ…」
口々に微妙なコメントをする仲間たち。
「……ということは、とりあえず、アッシュさんは僕の依頼を受けてくださる、ということでよろしいんですねー?」
何事もなかったかのように話題を元に戻すゼルに、アッシュは再びシュボッとハルクを光らせて幇間とやらの姿になった。
「もちろんですよダンナ。誠心誠意やらせてもらいますぜ、へっへっへ」
「その格好じゃなきゃダメなのか…?」
千秋がぼそりとツッコミを入れるが、それどころではない者が約一名いた。
「えええっ?!じゃ、じゃあ、アッシュさんも依頼受けるの?!」
ようやく事態を把握したリューが、今更ながらに慌てだした。
「そのようですねー。リューさんはどうされますかー?」
にこにことまったく邪気の見えない笑みで、しかし言外に『断るなんて言ったらどうなるかわかってますよね?』という無言の圧力をかけるゼルを、リューは悔しげに睨み付けた。
「……っ、だいたいねえ!なんで盗みをあたしたちにやらせるの?!他者の協力が許せないなら、自分だって設計図を盗み出すためのアイテムを自分で作ればいいじゃん!」
「簡単に言いますけれどねー、マジックアイテムもそう右から左にほいほい作れるようなものじゃないんですよー。お金で解決できるなら、そのほうが手っ取り早いじゃないですかー」
食って掛かるリューに、こともなげに言い返すゼル。
リューは一瞬言葉に詰まり、それでもなお言い返した。
「お金で解決するって言うけどね、それだってあたしたちみたいなのにお金という対価で協力を求めてるんじゃないの?『研究者なら自分の知恵と力で何でもやってみろ』って言ったのは誰だったっけ?そう言った本人があたしたちに協力もとめるっておかしいじゃん。違う?」
そこまで言って、リューはふと何かに気づいたように言葉を続けた。
「あ、もしかして“力”って研究成果のことじゃなかった? じゃぁ相手が自身のコネクションを利用してても文句はないんじゃない?あたしはどんな研究者にだって、他者の協力は必要だと思うよ。資金とか、人手とか、どうしても自分以外の力が必要になる時はあるでしょ?」
「ええ、まったく、その通りですねー」
ぱちぱち。
ゼルは笑顔のまま、頷きながら手を叩いた。
「ですから、僕が研究のためにリューさんたちのお手をお借りするのは、まったくもって問題ありませんよねー?彼女と同じことをしてるだけなんですからー。
僕が一言も言及していない、僕の行為を正当化する理由を考えてくださって、ありがとうございますー」
「え?あ、あれ?……そう、だよね……?」
盗みなんて出来ない、考え直せと言うつもりだったような気がするのだが、喋っているうちにどうにも違う方向に話が行ってしまったようで。その理屈で行くと、自分はゼルに協力するのが正当であるという流れになるのだが。
「そうですよー。ということはー、僕がリューさんを雇って『天の賢者様』について『調べる』ことには何の問題もないわけですからー、リューさんは僕の依頼を受けてくださる、ということですねー?」
おや?
千秋が微妙な表情をするが、リューは今度は余裕の表情で頷いた。
「そう、そうだよね。ゼルくんは、天の賢者様と対等な条件だったら、自分の方が上って思ってるんだよね?だから、賢者様に自分より有利な条件でスタートされて、勝たれてしまうのが許せない。そりゃあ、勝ち目のないゲームはつまらないよね」
「ええ、まったく、その通りです」
笑顔のまま頷くゼル。
リューは仕方がないな、というように肩を竦めた。まるで、駄々をこねる子供をあやす母親のように。
「いいよ。ゼルくんのゲームが面白くなるように、手伝ってあげる。依頼が遂行されるなら、文句はないでしょ?」
「はい、僕は目当てのものを持ってきてくださるのでしたら、それで構いませんよー」
「わかったよ。じゃあそういうことで」
少し得意げに微笑んでみせるリュー。
頑是無い子供を上手く言いくるめたという様子だが、果たして言いくるめられたのはどちらだろうか。
全員が依頼を受けるという意思を確認したところで、幇間姿のままのアッシュが再びずいと前に出た。
「そんじゃダンナ、拙からも質問させてくださいよ」
相変わらずの媚びた口調にはさして動じることなく、ゼルは笑顔をそちらに向けた。
「いいですよー。と言っても、皆さんに調査をお願いするくらいですから、僕自身に『天の賢者様』の情報は、今お話した以外では何もないんですけどー」
「いえね。かなり前の話、とあるお方からアンチマジックアイテムってなものをいただいたんですがね、ダンナの目から見て如何なもんですか、これ?」
「アンチマジックアイテム、ですかー?」
きょとんとするゼル。
アッシュは手をすり合わせながら、頷いた。
「効果っていやあ、そうですね、古代魔道遺跡のトラップなんかも含めて、ちょっとした周りの魔法をみーんな無効化してたって代物です。まー、ダンナの手にかかればちょちょいのちょいってことなんでしょうけど、一山いくらのその辺の魔道師でも簡単に出来るもんなんですかね?それとも、それこそ天の賢者様クラスの技が必要で?」
「魔法の無効化ですかー、無差別に打ち消すだけなら出来なくはないと思いますよー。実際に効果を見ないことには何とも言えませんけどー。
でもそうですねえ、相応に高レベルな道具だと思いますよー、少なくとも『その辺の魔道士』には作れないと思いますー。是非分解してみたいですねー」
純粋に興味があるという様子で楽しそうに言ってから、ついでのように付け足す。
「そのアイテムを作った人に、訊いてみたら良いんじゃないですかねー、天の賢者様について」
「流石はダンナ、ご明察。早速あたらせてもらうとしますよ」
へっへっへ、と微妙な笑いを浮かべて礼をし、アッシュはさらに続けた。
「もうひとつ、ダンナにうかがいたいんですけどね」
「はい、何でしょうか?」
「いえね、目的は次回作の設計図でしょ?天の賢者様ってぇのが図面を引かない奴だったり、まだ考案中で図面になってないとかってぇことが無いとも言えませんやな?そんときゃ、どうします?」
「ああ、ご心配はごもっともです」
ゼルはまた笑顔で頷いた。
「しかし、彼女がギルドにマジックアイテムの設計図を提供しているのは事実なんですよー。僕と同じものを、というのは、とりもさておきその保管された設計図を見てわかったことなんですからね。彼女が自分の発明としてギルドに発表している設計図は、僕はすべて目を通しています」
「そりゃあそうですな。こりゃ一本取られましたや」
ぺし。
自分で自分の額を叩くアッシュに、ゼルはさらに続けた。
「僕も魔具創作者ですからねー。設計図を見ればそれがどんなものかはすぐにわかりますー。また、彼女は自分の設計図に、自分のものとわかるサインのようなものを施しているんですよー。
ですから、今までの設計図のコピーであったり、彼女と関係ない何か別のものの設計図であったりしたら、僕には一目でわかりますー。完全に、未発表の彼女オリジナルのものである設計図を、持ってきてくださいねー」
「そりゃあもちろんで。しかしー、まだ図面になっていなかったりしたら、そんときゃ…」
「そうですねぇ…図面がもし無い場合は、彼女のものだと証明できうる何かを代わりに持ってきてください。マジックアイテムならなおいいです。報酬は、それと引き換えにお支払いしますよー」
「へい、よござんす。拙におまかせくださいやし」
へっへっへ、とまた微妙な笑いを浮かべるアッシュ。
「他の皆さんは、何かありますか?」
ゼルが他の面々を見やるが、他は特にこれといって無い様子だった。
アッシュはまた、ぺしっと自分の額を叩いた。
「じゃそろそろ行きます、と言いたいところなんですけどね。最後にお願いが」
「はいー、なんでしょうか?」
「いえね、ダンナもマジックアイテムを作ってらっしゃるんですよね?何か助けになるようなアイテム、いただけないですかね?相手が相手なんで出来れば、おんなじ、アンチマジックアイテムってのがいいんですけど?」
「うーん、アンチマジックアイテムですかー」
ゼルは少しだけ渋い表情をした。
「それくらいのものを作るのは、僕としても結構時間がかかってしまうんですよねー。
その、あなたがお借りした人というのも、一朝一夕には作れなかったんじゃないですかー?
でも、僕は、今すぐにでも行ってきていただきたいんですよー」
言いながら、傍らの机の上にあった奇妙な物体を手にとって、アッシュに差し出す。
「ここに、まあ似たような効果のものがありますから、これでも持って行って下さいー。
あなたのお望みの効果が出るかどうかは、わかりませんけれどもー」
アッシュは嬉しそうな笑みを浮かべて、それを受け取った。
「よっダンナってば太っ腹!ありがたく頂戴していきますよって。そんじゃ、ひとっ走り行ってきまさぁ」
言うが早いか、踵を返してドアのほうへ駆けていくアッシュ。
「ああっ、待ってよー!」
「では、私も行ってきますねー」
慌ててその後を追うリューとウェルシュ。
「……まあ、結果は期待しないで待っててくれ。行ってくる」
やれやれといった様子で千秋が言い、ゼルは笑顔で手を振った。
「はい、行ってらっしゃいませ。がんばってきてくださいねー」

Mission:Legwork

「つまらないわー、みんなバラバラに探すなんて」

きときとお魚亭を出てから、4人はそれぞれ別行動で天の賢者を探すことになった。そのほうが効率がいいのは当たり前なのだが、てっきり一緒に行動するものだと思っていたウェルシュにとっては少々拍子抜けだ。
「せっかく、面白そうな人たちだったから、一緒にいろいろして楽しもうと思ったのに。
あの真面目そうなアッシュさんをからかったりとかしてみたかったわー。一緒のベッドで寝てみたり、お尻にタッチしてみたりしたかったのに」
まるで痴女である。
通りがかりにウェルシュの言葉を聞いた男性が明らかにドン引きした表情で足を速めた。
それは気にならないのか、そもそも気づいてないのか、ウェルシュはのんびりと歩きながら言葉を続ける。
「それから、ええと…リューさんだったかしら、可愛い女の子だったわね。ぜひ女の武器を教えてあげて、一緒にアッシュさんをからかってあげたいわー」
訂正。まるでではなく、痴女そのものである。
というか、仕事をするつもりはまったく無いらしい。
「あら、そんなことないわよ。でも、忘れっぽいのは私のせいじゃないからー」
地の文と会話をしないで下さい。
「あらそう?ごめんなさいね。
あとはええと…千秋さんだったかしら?そんなノリになったら、どんな風に動く方なのかしら…?」
もうセクハラをすることしか頭に無いらしい。
「まあでもしょうがないわね、別行動をするなら、私も一応がんばって情報収集をしなくちゃ」
そこでようやく依頼のことを思い出し、ウェルシュは懐からメモを取り出した。
「ええと、何を調べるんだったかしら…」
そこからかい。
「あっ、そうね、そう、天の賢者様……ええと。とりあえず誰かに訊いてみましょう…あの、もし」
ウェルシュはフラフラとその辺りにいる若い男性を捕まえると、にこりと微笑みかけた。
「すこし、お話いいかしら?」
「え……えぇっ、あぁはい、なんでしょうか!?」
声を駆けられて振り向いたところにものすごい美女。
一気にテンションの上がった男性は、上ずった声で返事をする。
ウェルシュはそれは綺麗に微笑みながら、早速質問を開始した。
「貴方、天の賢者様って、ご存知?」
「て、天の賢者様?」
眉を顰める男性。
「さ、さあ…聞いたこと無いな…」
「あらそう。それじゃあいいわ」
あっさりと言って踵を返すウェルシュ。
「えええ、それだけか?!」
「ええ。ああ、ごめんなさいね私ったら、御礼もせずに」
ウェルシュはそれに気づいてもう一度男性に向き直ると、その頬に顔を近づけて、軽くキスをした。
「わ、わわわわ」
「ありがとうございます。それじゃ」
もう一度綺麗に微笑むと、今度こそ踵を返して歩き出す。
絶世の美女の頬ちゅー攻撃に呆然としている男性には目もくれず、ウェルシュは次の標的……もとい、次の情報源を探した。

「貴方、天の賢者様ってご存知?」
「さあ…知らないなあ」

「貴方、天の剣じゃって知ってる?」
「剣?知らないわねえ」

「天の剣って知ってるかしら?」
「ベタな名前の剣だな…その辺に売ってんじゃねえの?」

「天空の剣って、どこにあるのかしら?」
「えー?勇者が持ってるんじゃないの?」

「○トの勇者ってどこにいるかご存知?」
「え、魔王を倒したあと姿を消したんでしょ?」

「天空の城ってどこにあるのかしら?」
「どっかにある大きな木を登ってくとあるってウワサだよ。世界樹っていったかな」

「世界樹の葉ってどこにあるかご存知?」
「ここから南、4つの岩の中心を調べてみてください」

「星空の守り人ってご存知?」
「まだ発売してませんよ」

と、どんどんずれていく質問とその答えに導かれ(?)ながら、ウェルシュはふらふらとウェルドの港を後にするのだった。

「うーん…とりあえず道行く人に話しかけてみるしかないのかなあ」

きときとお魚亭を出たはいいが。
リューはさっそく眉根を寄せて、そう唸った。
「とはいえ、天の賢者さまかぁ…あたしも知らなかったし、他の人も知らないみたいだったし…マヒンダや魔術師ギルドじゃ有名かもしれないけど、そんなにびっくりするほどのネームバリューはないみたいよねー。
マヒンダの人っぽい人に訊いた方がいいのかなあ…」
言いながら、きょろきょろと辺りを見回してみる。
さすがはヴィーダ直通の港町。世界中の国旗を掲げた船が所狭しと停泊し、老若男女、さまざまな文化圏のさまざまな服を着た者たちがあちらへこちらへと行き交っている。
リューは大きな目をさらに丸くして、どうにかマヒンダの人らしき人間を探した。
「あ、あの人はそれっぽいかも!」
やがて、ローブを身に纏ったインテリ風の眼鏡男性(GMの大好物)を見つけ、早速駆け寄っていく。
「あのー、すみません!」
リューに話しかけられ、男性はくるりと踵を返した。ローブと髪に隠れてよく見えなかったが、正面から見るとなかなか色男である。
リューは愛想良く微笑みかけて、さっそく話を切り出した。
「あの、天の賢者様について知りませんか?」
「天の、賢者……?」
男性はふっとナルシスティックに微笑むと、どこからか取り出したバラを一枝、口にくわえた。
「そんなことを言って、私の気を引こうなどとは可愛らしいね、お嬢さん」
「はあ?」
盛大に眉を潜めるリュー。
男性はまったく気にすることなく、さあっと髪をかき上げた。
「私こそは美の化身!私の美化の魔術に心を囚われない者はいない!」
「掃除とかしそうですね」
「君も虜になってしまったんだね、お嬢さん」
「…見なかったことにしよう」
リューはあっさりと言ってくるりと踵を返した。
「そんなにつれない素振りをしないでおくれよ。そんな風に冷たく振舞って私の気を引こうとしなくても、私は君の愛を受け入れる覚悟は出来ているのだから」
「ごめんなさい。そういうの、ついこの間見たので間に合ってますー」
「何を言うんだい?この世に私のような美の化身が二人といるはずがないじゃないか。さ、意地を張らないで私の胸に飛び込んで…」
「間に合って、ますっっ!!」

どげし。ざぱーん。

リューの渾身の一撃で、インテリ風眼鏡男性はすぐそばの海に落下する。
見事な水柱を見下ろしながら、リューは嘆息して肩を竦めた。
「どこにでもいるんだなぁ、ああいうの」
ぼそりと言い置いて、さっさと踵を返す。
「うーん。天の賢者様かぁ…」
てすてすと再び歩きながら、リューは難しい顔で考えた。
「マジックアイテム作ってるって言ったよね…技術屋っぽいのかな?今度は研究畑っぽい人に声をかけてみようっと……えーっと」
再び辺りを見回して探す。
ほどなく、お目当ての風貌をした人物が目に止まった。
「あっ、あの人なんかよさそう」
今度も眼鏡をかけた男性である。よれよれの服を着て少し不健康そうな、どちらかというとマッドサイエンティストっぽい風貌。
しかし、リューはまったく気にすることなく男性に駆け寄った。
「あのー、すみません」
「何だお前は、取り立て屋か、こんなところまで!?これは研究の合間の気晴らしの旅行なんだって言ってるだろう!」
「いや、そうじゃなく、あの、天の賢者様って、」
「うがぁぁ!そりゃ奴みたいに魔具を作れないのは解ってるさ!でも一生懸命頑張ってるんだよ、僕は!」
「いや、あんたの話はどうでも良くて、天の賢者様の……」
「あああっ!僕の研究を蔑ろにするなぁぁぁ!」

ウェルドの海に、再び水柱が高々と掲げられた。

「あーまったく。やっぱ魔道士とか研究者はオタクかナルしかいないからダメだね!」
超偏見である。
「今度はフツーっぽい人を探そう…そうだなあ、人生経験豊富で物知りそうな…おじいさんとかいいかな」
言いながら、再びきょろきょろとあたりを探す。
「あ、この船マヒンダからだ。っていうことは、この船から降りてくる人はマヒンダの人だよね…」
つい先ほど到着したばかりといった様子のマヒンダの国旗を掲げた船から、ぞろぞろとたくさんの人が降りてくる。その中で、船のすぐそばに置かれたベンチで休憩を取っている老人に、リューは目を留めた。
「あっ。あの人が良いな。あのー、すみません!」
軽い足取りで駆け寄って、ぺこりと丁寧に挨拶をする。
「こんにちは。お爺さん、マヒンダから来たんですか?」
「はいーはい、そうだよ。マヒンダからね、家内と二人でね」
「そうなんですか、仲が良くていいですね」
今度はまともな返事が返ってくる。リューはほっとしたように微笑んで、早速話を切り出した。
「ところでちょっとお話を聞きたいんですがぁ」
すると、老人は皺に包まれた目を出来うる限り丸くしたといった様子で驚きの表情を見せた。
「お墓に行きたい? 馬鹿言っちゃいけないよ。生きてりゃいいことある!」
「えぇ?!そ、そうじゃなくて。お話を聞きたいんです!」
「鼻が汚い?はあ、どこかで汚したかね」
ごしごしと鼻をこする老人を、リューは困ったように見下ろした。
「ありゃー…今度は耳が遠いよー…」
すると、リューの後ろからしわがれた声が彼女を呼び止める。
「お前さん、うちの旦那に何か用かえ?」
「あ、いえ、少しお話を……って、うわぁっ!?」
この老人の夫人であろうと思い振り返ると、そこには黒いローブに身を包んだ鷲鼻のいかにも魔女ですといった風情の老婦人が立っていて、リューは思わず悲鳴をあげた。
「なんじゃね、騒々しい。最近の若い子は慎みを知らんねぇ」
「こ、このお婆さん、絶対に子供の一人か二人は食べちゃってるね……!」
「失礼なことを言うんじゃないよ」
「わ、わぁっ、聞こえてた?!し、失礼しましたぁ~!!」
リューは慌てて頭を下げると、一目散にその場から逃げ出した。
その後姿を見送りながら、肩を竦める老婦人。
「爺さん、逃げられちまったよ。……何でバレたんじゃろうね?」
ひっひっひ。
不気味な笑い声を上げる老婦人の横で、老人は「ところで婆さん、飯はまだかのう」と呟いていた。

「失礼。一日千秋という者だが」

それからしばらくして。
千秋は、ヴィーダの魔術師ギルドに足を運んでいた。
ウェルドは港町に特化した町で、魔術師ギルドは存在しない。すぐ近くだが、ヴィーダまで移動せねば魔術師ギルドには行けないことになる。
受付に名前を告げ、千秋は僅かに身を乗り出した。
「ナノクニの魔術師ギルドから、何か言伝はないだろうか」
「はい、少々お待ちくださいませ」
受付は事務的に礼をすると、踵を返して奥へと入っていった。
そして、ややあって何か袋のようなものを持ってくる。
「ダザイフ支部評議長、ミナザキ・セイカ様より、こちらをお渡しするよう指示を仰せつかっております」
「助かった。ありがとう」
千秋は短く言って袋を受け取ると、そのまま魔術師ギルドを後にした。

ごそごそ。
ギルドから出てすぐ近くの公園。あまり人目につかないような木の陰で、千秋は先ほど受け取った袋に早速手を入れた。
「…む。これか」
取り出したのは、水晶のあしらわれた置物のようだった。無論、ギルドで渡されたからにはその水晶には魔力が込められているのだろうが。
「確か…こう、だったな」
ふ。
置物の一部に触れて軽く何かを呟くと、水晶がほのかに光を放った。
そのまま、千秋はその水晶に向かって話しかける。ある種異様な光景だ。だからこそ、人目につかぬ場所を選んだのだろうが。
「俺だ。聞こえるか?」
すると、水晶からややくぐもった声が響いてきた。
『やあ。遅かったね。こちらは一通り連絡を取り終えた後だよ』
くぐもっていはいるが、それは確かに彼の主人、柘榴の声で。
千秋はそのまま、淡々とした声で続けた。
「それで、どうだったんだ?」
『あまり芳しい情報は無いね。どうやら魔術師ギルドが本気で箝口令を敷いているのは本当のようだよ。
セイカに色々と聞き出そうとしたが、結局言うわけにはいかないと突っぱねられてしまった』
セイカ、というのは、先ほどギルドの受付が言った通り、ナノクニはダザイフの魔術師ギルド支部の評議長である。以前とある事件で関わったことがあり、その事件解決には柘榴も大きく貢献していることと、柘榴自身がナノクニではお飾りとはいえそれなりに高い役職を与えられていることから、その線から攻められないかと柘榴が働きかけていたのだ。
が、結果は柘榴の言った通りだった。恩人とはいえ、ギルドの規約には逆らうことは出来ないらしい。
『頑固者め、ナノクニの住人はこれだから困る』
お前もナノクニの住人だろうが、という言葉は飲み込んで、千秋は先を続けた。
「では、打つ手なしか」
『それなんだがね』
柘榴の声が、面白そうな響きをはらんだ。
『賢者本人の事はセイカ自身も面識がさほど無いことからも聞き出すことは出来なかった。が、どうやら、その天の賢者には子供がいるらしくてね』
「子供?」
千秋の声が少し驚きをはらむ。
『ああ。天の賢者本人の情報は漏らすことは出来ないが、その子供の方には緘口令はしかれていない。そもそも、存在自体をギルドが感知していないらしくてね。セイカは個人的に、その子供と知り合いなのだそうだ』
「そうなのか」
『その子供の方ならば、紹介しても問題は無かろうということだった。居場所も聞いてきたよ』
「そうか、それはありがたい。それで、今はどこにいるんだ?」
『偶然だがね、今君がいるヴィーダに滞在しているのだそうだ。つくづく運のいい男だね、君は』
「…それはご都合主義なことだな」
何のことですか。
千秋は嘆息して、柘榴に続けて問うた。
「それで?今その子供とやらは、ヴィーダのどこにいるんだ?」
『ええと、待ちたまえ』
水晶から何かごそごそと漁るような音がする。
ややあって、再び柘榴の声が響いた。

『なになに。えー……魔術師ギルドを出て東に200歩の所にある交差点を右に曲がって、三軒先を左に曲がった先を左斜め前に行った後、突き当たりを右に行ってしばらく歩いた先にいるらしい』

「……なんだって?」
『だから、魔術師ギルドを出て東に200歩の所にある交差点を右に曲がって、三軒先を左に曲がった先を左斜め前に行った後、突き当たりを右に行ってしばらく歩いた先、だよ』
「ちょっと待て。何なんだその微妙な道案内は。地図は無いのか、地図は」
『はっはっは、きみはじつにばかだな』
「ひらがなで言われるとイラッとするな」
『地図なんてものがあったとして、この声だけの通信器具で送れるわけが無いだろう。いいからきりきり行きたまえよ』
「……まあ、無いものは仕方あるまい」
千秋は嘆息して、再びギルドへと足を向けた。

「まずは『魔術師ギルドを出て東に200歩』……まず東の方角を調べる所からはじめるのが難易度高い気がするな」
千秋は言って、水晶を持ったままきょろきょろと辺りを見回した。
「太陽が出ているのがあっちだから、東はこっち…だと思う。
……って、『ギルドを出て』と言っても出入り口が西側と東側とでふたつあるんだが!?」
『なんと』
「なんと、じゃないッ!?
どっちの出口なのか聞いておいてくれ頼むから!」
『情報の行き違いというのは多々あるものだよ。まあそんなに変わらないのではないかね』
「歩数で数えるなら大違いだろうが!くそっ、出口同士の距離を考えに入れて後で補正するしか無いな……」
千秋は言いながら、早速足を踏み出そうとして……
「おい待て」
『何かな。早く行きたまえよ』
「そう言えば200歩って歩幅はどれくらい何だ。大股で歩くのと小幅で歩くのとじゃかなり違うんだが」
『大体、私が歩くなら200歩くらいだね。君の歩幅ではどうか分からないけれどねぇ』
「……何故お前の歩幅換算の歩数で指定をするんだ……距離でいいだろう距離で」
『はっはっはっ、最初からそれが出来ていれば苦労はしない』
「………」
千秋はもう何を言っても無駄だと悟り、足を踏み出した。柘榴の歩幅に会うよう、出来るだけ大股で。
「……いーちにーさーんしーごー」
『なーなじゅーいちじゅーさんじゅーなな』
「じゅーはちじゅーく……っておい!?」
『あーっはっはっ、冗談だよ冗談。まさかこんな古典的な手に引っかかるとは思わなかったよ、それにしても』
「うるさい。放っておけ、邪魔をしてくれるな。まったく……」
気を取り直して、もう一度足を踏み出す。
「ろーくしーちはーちきゅーじゅー…」
と、横手からなにやら子供のはしゃぐ声が聞こえる。
「はい、みんな、『じゅういち たす よんじゅうはち』は?」
「「「ごじゅうきゅー!」」」
それを横耳で聞きながら、千秋はちらりとそちらに視線をやった。
「ろくじゅーろくじゅーいちろくじゅーに……っと。教会で勉強会でも開いているのか?」
『……どうやらそのようだね』
微妙に呆れたような柘榴の声。
千秋は視線を正面に戻すと、再び歩みを進めた。
「まあいいそんなことより今は先を急ごう。えーとろくじゅーさんろくじゅーし……」
『………』
「…どうかしたのか?」
『……いいや、何も。ただちょっと絶句してみただけさね』
「?なんなんだ、一体……」
千秋は己の失態についに気づくことなく、大幅に短縮された歩数の続きを数え始めるのだった。

「……ひゃくきゅーじゅーきゅー、にひゃく、と。
大体これくらいだろう……多分。で、この交差点を……」
足を止めたところで、辺りを見回して、愕然とする。
「……交差点が無い!?」
『…まあ、そうだろうねぇ…』
いまだ呆れたような柘榴の声は放っておいて、千秋は真剣に考え始めた。
「やはり歩幅か歩幅なのか。いや待て、そもそも周りには大きな道は無い。
歩幅の問題でもそうは大きくずれないはず…………」
『……本当にそう思っているなら、君は実におめでたいねぇ』
「なんだと!?元はと言えばお前がちゃんと道案内をだなぁ」
『そんなことを言ってもね、私には君の声しか届かないのだよ。無理を言わないで貰いたいね』
道案内以前の問題が一点あるのだが、あえてそれに触れないのは柘榴の優しさか。
千秋は悔しげに地面を踏みしめた。
「……くっ。どこかにそれらしき道は……」
再びあたりをきょろきょろ見渡して、そして気づいた。
「む、細い側道があるな。もしや交差点とはこれのことか?」
『さぁて。現地にいない私にはなんとも言えないねぇ』
すでにかなり投げやりな柘榴。
千秋は片眉を顰めた。
「……いまいち心配だが、道があったからには行ってみるしかないな……」
やや不安げにそう言って、千秋は再び足を踏み出すのだった。

「そこの美しいお嬢さん」

声をかけられて、真昼の月亭の看板娘・アカネは掃除の手を止めた。
美しいお嬢さん、が自分だと思ったわけではないが、何とはなしに声のしたほうを向く。
そこにいたのは…まあ、ありていに言って、「王子様」だった。少し年は行っているようだが、黒髪をきっちり撫でつけ、フリルの聞いたシャツに赤いベスト、白いパンツに黒皮ブーツ、腰にはレイピアといういでたちは、「王子様」と称して差し支えないと思われた。もっとも、その立ち居振る舞いも含めると、コスプレの域を出ないが。
真昼の月亭には日ごろもっと珍妙な客もいるので、そこはあまり驚くところではない。アカネがぼーっとその「王子様」を見ていると、彼はふっと気障ったらしく髪をかきあげて、言葉を続けた。
「すまないが、アカネくんは居るかい?少しだけ話がしたいんだ」
「はあ…アカネは私ですけど」
アカネが答えると、彼は大仰に嘆きのポーズを取ってみせた。
「あぁ、君のことが判らないなんて僕としたことが!でもそんなに綺麗になっているんだもの、僕だけが判らないとは思えないけど?それにしても見違えたよ、アカネくん。暫く会えなかった間に本当に綺麗になったね。また会えてとても嬉しいよ」
「はぁ…失礼ですけど、どちらさまですか?」
あまりその言葉に感慨を抱いていない様子で、もっともな問いを返すアカネ。
すると、彼はまた気障な仕草で答えた。
「僕?僕はアッシュ。何の変哲も無い天才科学者、アサークル・ドイマじゃないか。寂しいな、もう忘れてしまったんだね」
「いや、私のことだってわからなかったじゃないですか…」
もっともなツッコミをくれるが、全く聞いていない様子で。
「でも無理はないよね、君の美しさの前には数多の男性がひれ伏したことだろうし。たった一回、ミシェルさんの依頼の時に会っただけの僕を忘れてしまってもね」
「はあ…そもそも、会いましたっけ?」
「それは難しい問題だね。会ったシーンは用意されていなかった、それは確かだよ」
「すみません、ここにはたくさん冒険者の方がいらっしゃるので、私もすべての方を覚えていられるわけじゃないんですよー」
苦笑して、アカネ。
アッシュ…と名乗った王子…は、また格好をつけて髪をかきあげた。
「ああ…君に罪は無いよ。だけど、もし出来ることなら君の時間を僕に少しだけ分けてくれないかい?今受けている依頼のために」
「あ、はい……構いませんけど」
と、アカネが言ったその瞬間。
突如、音も無くまばゆい光がアッシュの体を包み、アカネは驚いて目を閉じた。
「きゃっ!」
顔をかばうように腕をクロスさせ、持っていた箒が床にからんと音を立てて落ちる。
が、光は一瞬のことであったらしい。まぶたを押す光圧は消え、目も開けないうちに奇妙な声が響いた。

「ミシェルの行方を捜しているんでマッスル。大胸筋!」

「はあ?」
驚いて目を開けると、先ほどの王子とはうって変わったボディービルダーが目の前でポーズを取っていた。見事な筋肉が体中に塗られたオイルでてかてかと光り、かろうじて身に着けているTバックはもちろん黄色。何かを堪えているような息遣いで、ムキムキと筋肉を動かしながらポーズを取っている。
ちなみに、ボディービルダーのポージングには「でかい!」「切れてる!」という掛け声をかけるのがマナーであるらしいが、もちろんアカネはそんなことは知らない。
「ど、どうしたんですか?」
「何かおかしなことでもありマッスル?自分ではよく判らないんでマッスル。腹直筋!」
「おかしくないところを探すほうが無理です」
「これは私の発明品、ハイパー・アクティング・ライク・ザ・キャラクター(Hyper Acting Like the Character)略してHALC(ハルク)!これさえあれば以下略でマッスル。僧帽筋!」
「はあ……でも、何で今そんなの使ってるんですか?普通に話しましょうよ…」
「試作品を自分で試しマッスルたところ、ちょっとしたミスがあったんでマッスル。下腿三頭筋!」
「ちょっとしたミス?」
「ロードしたキャラクターデータが無作為に発現していマッスル。上腕二頭筋!」
「……つまり、コントロールがきかなくなった、と」
「量産品は調整済でありマッスルが、私の方は効果が無くなるまで今少しかかりマッスル。大殿筋!」
「それなんでブラつけてるんですか?」
「ブラじゃないよぉぉぉぉ!」
何かが混ざった。
「はぁ……で、何でしたっけ?」
呆れたように肩を落とすアカネ。アッシュはくるりと振り返って、背筋を披露するためのポーズを取り…そこで再び、ぱっと体が光った。
「俺の後ろに立つな!」
「きゃあ!」
突如ダークスーツを身に纏った男――おそらくはまた違うキャラクターデータをロードしたアッシュに恫喝され、アカネは驚いて首を縮めた。
先ほどまでの筋肉はなりを潜め、何故か眉だけが特徴的に色濃くなっている。
「……改めて、聞かせてもらおうか…」
「はっ、はい?」
「……ミシェルの住所は?」
「み、ミシェルさんですか?」
「……そうだ。ここで依頼をしただろう。今どこにいる」
「し、知りませんけど……」
「…………」
「たまにここにいらっしゃいますけど、お客さんの住所なんて知りませんよ。ナノクニに住んでいらっしゃるようなことは聞いたことありますけど……」
「……………」
「あの……」
困った様子のアカネの前で、アッシュの体はまたまばゆい光を放った。
「きゃ」
さすがに慣れてきたアカネは、短く悲鳴をあげて目をかばう。
「ゆ、行方がわからないとなると、ボ、ボクは困るんだな。せ、折角、簡単に終わると、お、思ったのに」
今度は一気にでっぷりと太り、白いランニングに坊主頭で、おにぎりを片手に持っている。
「し、仕方ないんだな。け、研究室に戻って、は、発明するんだな」
しょぼくれてそう言いながら、アッシュはくるりと踵を返し、とぼとぼと歩いていった。
時々シュボッと光を放っては、アラブの石油成金やラストエンペラーに姿を変えながら。
アカネは呆然とその後ろ姿を見送って、やがてその姿が完全に見えなくなってから、ぽつりと呟いた。
「……………なんなの、あれ」

Mission:Searching

「あー、こわかったぁ…やっぱり道行く人に話を聞くのはキビしいかなぁ」
リューはウェルドで話を聞くのを諦め、ヴィーダに足を運んでいた。
「やっぱり魔術師ギルドで話を聞くしかないか…えーっと、魔術師ギルドは…っと」
リューはきょろきょろと辺りを見回しつつ、門番兵や出店の店員などに訊いて難なくギルドにたどり着いた。
「ふむふむ、ここが魔術師ギルドかー…ソレっぽい門構えね。よっし、いっちょやりますか!」
リューは意気揚々とギルドの入り口から中へと入っていった。
「すみませーん」
「はい、いらっしゃいませ」
受付の女性が軽く会釈をしてリューを迎える。落ち着いた感じの美しい女性だ。
「あのー、てん……」
の賢者様の情報を教えてください、と言いかけて口をつぐむリュー。さすがにそんなことを正面から言ってはいそうですかと教えてもらえるとは思えない。何しろ相手はトップシークレットの人物なのだから。
女性はきょとんとして、首をかしげた。
「あの、何か?」
「あっ、あの、ですね!」
リューは慌てて何かを言い繕おうと手を振った。
「にゅ、入会希望です!」
「はい、入会希望の方ですね」
女性はにこりと笑って、手元の小さな紙を一枚差し出した。
「では、こちらにお名前と生年月日、エレメント、メインで扱う魔道と、その他魔道に属しない魔術がございましたらお書きくださいませ」
「ま、まどう、と、まじゅつ?」
きょとんとするリュー。
女性はそのリアクションに少し驚いたようだった。
「あの、ギルドに入会されるということは、魔道を扱われる方ですよね?」
「あっ、そ、そうですね!一応、念動術とか精神干渉術?っぽいのとかが……」
「属性魔法のほうはいかがですか?」
「ぞくせいまほう、って、何?」
「えっ………あの、失礼ですが、魔道をお使いになられないのですか?」
不審げに眉を寄せる女性を、リューは睨みつけるようにして見返した。
「えー、これ魔術師ギルドで扱ってないの!?じゃぁさ、じゃぁさ、これは?」
ぴょこ。
リューのもっていた鞄の中から、人形が顔を出して、ひょこひょこと手を振る。
「ゴーレム~」
「…あの、失礼ですが、先ほど念動力と仰いましたよね?ゴーレムと念動力は違うもので…」
「うーっ、いいじゃん、細かいことは!」
『やいやい、リューをいじめると俺様が承知しないぞ!』
『そうだそうだ!』
腹話術で複数の人形の声を当て、どう控えめに見てもいちゃもんとしか思えない文句をつけるリュー。
「何の騒ぎだね」
するとそれを聞きつけて、受付の奥から中年男性が顔を出した。
「あ、課長…この方が、入会希望ということなのですが…あの、属性魔法をお使いになられないということなんですよ…」
「えぇ?」
なんだそれは、というように眉を寄せてリューを見る男性。
リューはその様子にむっとして、叩きつけるように言った。
「何さ、あたしがちょっとまじめに勉強してみようと思えば、失礼なー!」
男性はその様子に驚いて、それから苦笑した。
「あのね、お嬢ちゃん。魔術師ギルドっていうのは、魔道を勉強するところじゃないんだよ。魔道を生業……ああ、この言い方じゃわからないかな。魔法をお仕事にして生きている人たちの助けをするところなんだ。
お嬢ちゃんは、魔法を使わないんだよね?それじゃあ、魔法を勉強しようと思ったら、魔法を教えてくれるところにまず行かなくちゃいけない。魔道士養成学校か、この街ならゼランさんがやっている魔道塾もあるから、まずはそこに行ってみたらどうかな。待っててごらん、今紹介状を書いてあげるから……」
「ううぅぅぅぅっ、もういいよ!!」
子ども扱いに耐え切れなくなったのか、リューは絶叫に近い勢いで男性に言った。
「しばらく寄りついてやんないんだからっ!」
叩きつけるように言うと、踵を返して出口へダッシュする。
受付の女性と課長職の男性は、しばしぽかんとその後姿を見送って、それから苦笑した。
「…なんだったんでしょうね」
「さあ…まあ、たまにああいう手合いは来るよ。いちいち気にしていても始まらない」
「念動力と精神干渉を使うとかは言ってましたけど…」
「ああ、それでか。こちらの内心を敏感に感じ取ったのかもしれないね。軽い読心術というわけだ」
「心は読めても、空気は読めないっていうことですかね」
「ははは、上手いことを言う。まあ、空気を読むというのは、情況を察知して相応しく振舞うということだからね。情況を察知することは出来ても、あの年じゃ相応しく振舞えというほうが無理な話だ」
「まあ、どう見てもエレメンタリーでしたしね。そう思うと、可愛いほうかもしれませんね」
苦笑する女性に、男性は朗らかに笑った。
「娘がちょうどあのくらいの年頃でね。可愛い盛りだよ、はっはっは」
リューが出て行った後の魔術師ギルドでは、そんな和やかな会話が展開されていたという。

「というわけで、ミシェルくんを探さなければならないわけだが。名前と顔程度しか知らん相手を如何に短時間で探すか?約束された報酬をアテにギルドから情報を買うという手も無いことは無いが、それをやってしまっては天才の名がすたる。その他様々な大人の事情もあること故、科学の祝福を受けたこの私にのみ可能な方法で見事突き止めて見せようではないか!」
再び研究室に戻ってきたアッシュは、助手役の木人30号に寂しい一人演説をかましていた。
「まずは手っ取り早く、既出の発明品を使う!おいでませ、ジェリー!」
ばっ。
右手を高々と掲げて叫ぶ。
が。
「………む?反応がないではないか、あのネズミめ。ならばもう一度。おいでませ、ジェリー!!」
しーん。
一向に現れない『ジェリー』に、アッシュはむうと唸った。
「……来ないな。名前を間違ったか?ええい、手間のかかる。おいでませ、ミッ」
すかーん。
どこからともなく飛んできた空き缶が、アッシュの後頭部を直撃して、問題発言を中断させた。
「ソレダケハヤメテオケ。コールミー、アシュケナージ・ルモンド・ジャーメイン・ノルマン」
ひょこ。
床の亀裂から、サングラスをかけたネズミが顔を出し、片言でアッシュにそう告げる。
アッシュは不機嫌そうに腕組みをして、ネズミに向かって言った。
「どこの生まれだ、お前は。いちいちそんな長い名前では呼べん。愛称は無いのか、愛称は?」
「アルジャーノンダ」
「初めからそう言え。ちなみに、何代目だ?」
「ジュウサンダイメ」
「よし判った。これからお前のことは十三代目と呼ぶ」
アッシュはそう言って、眼鏡をくっと直した。
「早速だが仕事を頼みたい。人探しだ。相手はヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス、通称ミシェル。外見年齢は20代後半から30代前半、波打つ銀髪、一見愛想の良い顔、最後に見たときの格好は、臙脂色のハイネックに灰色のロングスカート、ブラウンのショールというものだった。職業は良く判らんが、魔道師のはず。この人物の所在地を報告してくれ。報酬はいつものようにチーズで」
「……キゲンハ?」
「早ければ早いほど良い。具体的には今日中で頼む」
「アジアーゴヲ10ダ。マエワタシデ4、ホウコクトヒキカエニ6」
「良かろう。待っておれ、今調達してこよう」
アッシュは格好をつけてばっと白衣を翻した。

「アジアーゴというチーズを頼む」
「品切れです」

「アジアーゴというチーズを」
「すみません、生憎品切れで」

「アジアーゴ」
「入荷してません」

「ア」
「ありません」

「オソカッタナ」
研究室に戻ってきたアッシュに、アルジャーノンはくいっと眼鏡をあげて言った。
「ご指定のものは全く見つからん。別の種類で頼む」
憮然として言うアッシュ。アルジャーノンは肩を竦めて、それでも妥協したようだった。
「デハ、タレッジョ」
「よし、待っていろ」
ばっ。
アッシュは再び、白衣を翻した。

「タレッジョというチーズを頼む」
「品切れです」

「タレッジョというチーズを」
「すみません、生憎品切れで」

「タレッジョ」
「入荷してません」

「タ」
「ありません」

「だーっ!別の種類だ!!今度こそ!!!」
勢いよく研究室に帰ってきたアッシュが見たものは。
「ちゅ?ちゅちゅちゅー」
すでに知性の失われた十三代目の姿だった。
「いかん、遅かったか。仕方ない、もう一度だ。カモン、アルジャーノン!」
アッシュが再び高々と右手を掲げると、壁の亀裂からサングラスをかけたねずみがひょこりと顔を出した。
「ヨンダカ?」
「良く来たな、十四代目。何やら呑んだら美味そうな名前だが」
私的には悪魔を管に封じ込めた黒マントの学生なんですが。
「まぁ、そんなことはどうでも良い。早速だが仕事を頼みたい。人探しだ。相手はヒュー以下略。報酬はいつものようにチーズで」
「……キゲンハ?」
「早ければ早いほど良い。具体的には今日中で頼む。報酬は……」
「アジアーゴヲ10………」
「だーっ!!!」
ギャグの基本は繰り返しですよ。

「全く余計な時間を使ってしまった。私ともあろうものが、経費をケチろうとしたのがまずかった。貧すれば鈍するとは良く言ったものだ。みんなビンボが悪いんやー!」
もはや壊れかけのキャラで、天井に向かって絶叫するアッシュ。
気を取り直して、散らかった机に向き直る。
「それはともかくとして、新規開発に取り組むとする」
ふう、と息をついて、さらさらとペンを走らせた。
「捜査対象のミシェルくんが常人と違うところは何か?
人外であるとすればそれは恐らく魔力!
従って、この強力な魔力を探し当てることが出来れば良いことになる」
とんとん。
ペン先で紙をつつきながら、考えて。
「但し、捜索対象が不特定の地域である以上、単純な魔力検知センサーを開発したところで極地で方位磁石を使うようなもの。役には立つまい。ではどうするか?
ここはひとつ、自然の知恵を利用することにしよう。幸い、材料には事欠かないしな」
にやり。
見下ろした先には、手のひら大の丸いシャーレ。その中心に、なにやら白い幼虫が蠢いている。
「やもめ暮らしに蛆が湧く~」
これまた知っている年代の少なそうな歌を歌いながら、アッシュは早速開発に取り掛かった。

数時間後。
「出来た!!これぞ究極の自律型バイオ魔力検知機、名付けて蠅の王!」
ぶうううぅぅぅぅぅぅん。
ガッツポーズで発明品の名前を叫ぶアッシュの口の中にも入らんばかりの勢いで、研究室はみっしりとハエが飛び交う地獄絵図へと変貌していた。
構わずに、性能を語り続けるアッシュ。
「遺伝子操作により魔力への指向性を持たせた蠅だ!どこからともなく餌を嗅ぎつける蠅の能力そのままに、一定以上かっこ具体的には11以上かっことじの魔力に反応しそこに集まる習性を持たせた!集まった場所についてはこのモニターで確認可能!」
11以上だとエルフが引っかかりますよ。
「なに。ならば16以上に訂正しておこう。さぁ行け、ハエ達よ!私にミシェルの場所を教えるが良い!!」
ばたーん。
アッシュは盛大に窓を開け放ち、密集していたハエたちは一斉に窓から飛んでいった。

「アサークルさん、困るんですよ、あんまり付近の住民の方を脅えさせちゃあ。ハエの大量発生なんて、一体何を腐らせたんです?」
近隣の自治会長が、イライラした様子でアッシュに苦情を申し立てる。
アッシュは心外といった様子で、胸の前でこぶしを握り締めた。
「ちがーう!あれは私の発明品でタダのハエではな……」
しゅぼっ。
アッシュが言い終える前に、思い出したかのようにアッシュの胸元に保管されていたHALCが光を放つ。
一瞬で、彼は黄色いボロ布を纏った出っ歯のこ汚い男に変身していた。
「うわっ、くさっ!やっぱり!」
鼻をつまんで、自治会長。
「むはっ。違う、これは別の発明品の影響で!あーもう、何でこのタイミングでマウスマンなどに!」
「とにかく、お話は後でゆっくりうかかがいますから!あ、やっちゃって。消毒」
「はっ」
ぶしゅううううう。
自治会長の後ろに控えていた保健所の職員が、アッシュの研究室に遠慮なく消毒薬を撒き散らすのだった。

「全く、頭の固い奴等だ。タダの蠅なら私自身がとっとと始末するというのに」
ぶつぶつ言いながら、追い出された研究所からどうにか持ち出したモニターをピコピコと操作するアッシュ。
豚の頭をかたどったそれは、蠅の王の状況を確認するモニターであった。
パネルに映し出されたデータは、ヴィーダ街中の一点で大量の蠅が一気に消失したことを示している。
「ふむ。意外と近くに居たものだ」
頷くアッシュに、保健所の職員が駆け寄ってきた。
「終わりました。水まわりはどこも意外とマトモでしたね」
「当たり前だ。木人に掃除させているからな。それはそれとして、触らなかったろうな、培養室の中は」
「何なんです?あの虫だらけの部屋は?」
「聞かない方が身のためだと思うが?」
「まあ、聞いても判らないでしょうしね。じゃ、今回はこれで引き揚げますが、お願いしますよ、あんまり手間かけさせないでくださいね」
「努力はする」
はあ。
言っても無駄なんだろうなという響きを込めたため息をついて、職員はアッシュの元を離れ、撤収していった。
「さて、私も行くか」
アッシュは白衣の襟を正すと、歩き出した。
目指すは、蠅の消失した地点。
そこに、少なくとも蠅の王が集まり、そしてそれを一気に消滅させるほどの力を持った『何か』がいるはずだ。

「そういえば、その天の賢者の子供の事を聞いていなかったな」
さくさく。
舗装の荒い道を音を立てて歩きながら、千秋は思い出したように水晶に向かって問いかけた。
水晶の向こうから、いまだに呆れたような柘榴の声が返ってくる。
『なんだ、やっと気がついたのか。君もどこか抜けているところがあるねぇ』
「……気づいていたのならば先に言え」
『まあいいよ。名前は……ミカエリス・リーファ・トキス。仲間内ではリーと呼ばれることもある少女らしい』
「……リー?」
ぴた。
既知の名前に、千秋は足を止めて問い返した。
水晶から続く柘榴の声。
『そう。いつだったか、君から聞いた話に出て来た人物ではないかな?
ほら、何と言ったか、あの……ぺーヨン……』
「ペヨン・ジョン・ウインソナーだ!そこの名前は間違えるな。危険だから」
まったくです。
『ああ、そうそう。天使の幻術使い。その時の話にリーという少女がいたと記憶しているがね。同じ名前だけならまだしも、天使と人間の混血という事であれば縁者と見てまず間違いないだろうね』
「……確かに」
はんぶんてんしのおんなのこ。
今でも覚えている、ウィンソナー師が残した暗号。それは今話に出ている、リーという少女を指し示していた。
「そうか……世界も意外と狭くできているものだな」
ほっといてください。
『顔見知りならば話は早いだろう? 君はどうも小細工に走るきらいがあるからねぇ。たまには素直に言ってみるのはどうかね?』
「……うるさい」
千秋は憮然として、再び足を踏み出した。
「『三軒先を左に曲がった先を左斜め前』と……このあたりは住宅地か?確かに家が多い気がするが……しかし、以前会ったリーは旅をしていたし、滞在先も宿屋のようだったが…」
不安に思いながらも、足を進める千秋。
「……やけに細い道だが、いいんだろうかここで。このままこの道をまっすぐ行くと突き当たりに出るらしいが……」
さくさく。
さらに足を進めると、言葉の通り突き当たりに出た。
「行き止まりじゃないか。しかも誰かの家の庭じゃないかここ。
やはり間違えたか。うーん……困ったな。帰り道も分からんぞこれは」
千秋は眉をしかめ、ため息をついて踵を返した。
もともとヴィーダの街に精通しているわけでもない。わけのわからぬまま、しかも明らかに違う道に足を踏み入れて、千秋は自分の現在位置もすっかりわからなくなってしまっていた。
すると。
『千秋君。困った時にはアレを使いたまえ。こちらを出る前に貸したものがあるだろう?』
「ん?そういえばそんなものもあったな」
千秋は、言われて懐の道具袋から何かをごそごそと取り出した。
「……鳥のえさ袋だったか?」
『おとりよせ袋、だ』
憮然とした口調で訂正を入れる柘榴。
千秋が道具袋から取り出したのは、これまた袋だった。子猫がすっぽり入るくらいの大きさの麻袋である。
『袋の中に手を入れるだけで、便利なものを取り寄せることが出来る。困ったときはこの中に入っている物を頼りたまえよ、と言ったろう?今こそその時だよ、さあ』
一転して楽しそうな口調の柘榴。
千秋は嘆息して、袋の中に手を入れた。
「どれどれ………ん?何かずっしりと重いのが人差し指に引っかかったな。何なんだ一体……」
と、眉を潜めたところで。
「どなたか、いらっしゃるんですか?」
どうやら、この庭の持ち主が侵入者を見咎めて家から出てきたようだった。まだうら若い女性のようだ、あからさまにヴィーダの民でない格好をした男が自分の庭先でぶつぶつ何か独り言を言いながら袋に手を突っ込んでいる様がよほど不気味に映ったのだろう、警戒心丸出しの表情をしている。
千秋は袋に手を入れたまま、慌てて家人の警戒を解こうと首を振った。
「……ここの家主か。すまない、道に迷ってしまっただけだ。別に盗みに入ろうとした訳じゃない」
「ぬ、盗み?!」
「だから違うと…」
『盗みに入る者が盗みに入りましたと言うわけが無いだろう、きみはじつにばかだな』
「お前は黙ってろ!」
「な、何なんですかさっきからあなた!自警団を呼びますよ!」
「だから待ってくれ、俺は…」
すぽ。
弁解をしようとして、千秋は思わず袋の中の物を掴んだまま手を外に出した。
「ひいいぃっ?!」
とたんに悲鳴を上げる女性。
「んなっ、け、拳銃?!」
千秋の手に握られていたものは、主に西方大陸で流通している飛び道具だったのである。
女性が何故拳銃を知っていたかはともかく、まともに顔色を変えて叫びだした。
「いやーっ!強盗、強盗よー!!誰か、誰かー!自警団を呼んで、早くー!!」
「だから待てというに、俺は……っくそ!ここはいったん退くしかない……!」
千秋は慌てて踵を返すと、すぐ横手の藪の中へ飛び込んでいった。

はあ、はあ、はあ。
闇雲に走ってきたが、どうやら追っ手はいないようだ。宿だろうか、木造の建物の庭らしい。
千秋は息を切らせながら、建物の壁に寄りかかった。
「まったく…酷い目にあった。
……何なんだこのマジックアイテム。出すに事欠いて拳銃とか持ってくるか普通」
『…………』
「おい柘榴。お前今笑っているだろう」
『な、何を!? き。君は失礼な事を言うのだ……ぶ、くっ、駄目だこらえ切れん、くくくくくっ……』
「……くそっ。嵌められた」
『それは宴会のときに余興として使うように開発されたマジックアイテムなのだよ。面白かろう?
せっかくだから取っておきたまえよ、くくくっ』
「こんな物いるか。誰も来ないうちに埋めてしまえ」
『あ、こら。それは貴重品なのだから捨てるのじゃないよ。使わないなら返したまえ』
「やかましい。人を使っておちょくるのも大概に……」

「そこに、誰かいるの?」

刀を使って穴を掘ろうとした千秋を、高く澄んだ声が止めた。
「…む」
声のしたほうを振り返れば、建物の窓から誰かが顔を覗かせている。
その顔を見て、千秋は驚いて立ち上がった。
「…リー!」
さらさらと流れる銀髪に、大きな紫水晶の瞳。窓から顔を覗かせている少女こそ、千秋が今探していたリーその人だった。
「あら、あなた……」
リーも千秋の顔を覚えていたらしい。かの事件の折には、最後に共に食事をしたことを思い出す。
「ええと……千秋?だったかしら」
「うむ。久しぶりだな」
『まさか、本当にいるとはねえ』
「おい」
感心したような柘榴の声に、一応突っ込んでおく。
「?どうしたの?」
「あいや、なんでもない」
きょとんとして首をかしげるリーに、一応フォローして。
「ここは……宿か?」
建物を改めて見上げると、確かに宿らしいつくりをしている。
リーはにこりと微笑んでうなずいた。
「ええ、今ここに滞在しているの。奇遇ね、あなたもヴィーダにいるなんて」
「あ、いや、その……」
千秋はしばし考えて、そして正面からリーに言った。
「実は、君を捜していたんだ」
「…あたしを?」
リーはきょとんとして目を瞬かせ、それからまたにこりと微笑んだ。
「じゃあ、入って?話を聞くわ」

「今日は、エリウスは一緒じゃないのか?」
「ああ、定例の連絡とかで、今は別行動してるの。こないだ、またジョン先生が降りてきてて、ちょっと大変だったのよ」
「そうなのか。大変だな、あいつも」
そんな他愛の無い会話をしながら、リーは厨房から持ってきたらしいポットで茶を入れて千秋に出した。
「どうぞ」
「ああ、すまないな」
「いいえ、あたしもちょうどお茶を飲もうと思ってたから」
リーは微笑んでそう言うと、千秋の正面に座った。
「それで、あたしに用って?」
「あ、いや、それがだな……」
千秋はまた逡巡して、そして言った。
「正確には君の母上の事なのだが……」
「あたしの、ママ?」
リーは少し驚いた様子だった。
「…天の賢者と呼ばれる人物、なのだろう?母上は」
「えっ……ええ、確かに…そうだけど。でも、どこでそれを?」
リーの表情に警戒は感じられない。純粋に、緘口令が敷かれているはずの母のことをどうやって知ったのかが不思議な様子で。
千秋は一瞬ためらったが、正直に言うことにした。
「ミナザキ・セイカを知っているか。ナノクニのダザイフにいる、魔術師ギルドの支部長をしている」
「セイカね、ええ、知ってるわ。知り合いなの?」
「以前請け負った仕事で知り合った」
「そう、セイカからあたしのこと聞いたのね。確かに、あの人ならママの立場とあたしのことと両方知ってるわ」
リーは納得した様子で頷いた。
「それで、ママのことで、あたしに何か?」
「実はだな……」
千秋はいったん目を伏せて、それから言いにくそうに切り出した。
「……俺の上司とも言える奴がマジックアイテムのコレクターで、『伝説の存在である賢者様のサインを貰ってこい』という無理難題をふっかけられてな」
「えぇ?」
リーは半笑いで声をあげた。
「サインとか、そんなご大層な人じゃないわよ」
「いや、ギルド内での扱いはまさに雲の上の人だ。俺にはいまいちピンと来ないが…まあ、上司の命令には逆らえなくてな。出来れば助けてくれると有難いのだが……」
「いいわよ、ちょうど今ヒマだし、案内するわ」
「あっ、いや」
千秋は動揺のあまり腰を浮かしかけた。
「その。君の手を煩わせるまでも無い。居場所さえ教えてくれれば、後は俺が行こう」
「遠慮しないで?今ちょうど、ここからそう遠くないところにあるアトリエにいるらしいのよ。地図書いたり口で説明するより案内したほうが早いし」
千秋はさらに気まずそうに眉を寄せた。
「あー、その。ヴィーダにいるのか?」
「いいえ、ヴィーダからちょっと行ったところにある、ウォルクっていう街にいるの。歩いてそうねえ、半刻くらいかしら。馬車も出てるけど、今日はお天気も良いし、散歩がてら案内するわ」
「は、半刻もかかるのか?」
千秋はわざとらしく声をあげた。
「じ、実はだな。上司からはまだまだ無理難題を押し付けられていて、今日今から行かなければ、という風でもない、んだ。じ、住所さえ教えてくれれば、後は俺が一人で行く。せっかくの申し出を、申し訳ないが」
「あら、そうなの?」
リーは少し残念そうに眉を寄せた。
「じゃあ、住所と細かい道のりを書くわね。えーと、紙とペンは……あら、エリーが持ってっちゃったのかしら。ちょっと宿のご主人に言って借りてくるわ、待っててね」
「ああ、すまないな」
リーが笑顔で部屋を出て行って、千秋はどっと疲れたように椅子の背もたれに寄りかかった。
くすくす。
水晶から、柘榴の愉快そうな笑いが響く。
『だから、小細工に走らず素直に言ってみろと言ったのに』
「…やかましい。これが俺のやり方なんだ」
『しかも私をダシにしてくれるとはね。高くつくよ?』
「勘弁してくれ……しかし、これで賢者の居場所は特定できたな」
『くく、ご苦労様だね。いや、楽しませてもらったよ。くっくっく』
まだ笑っている柘榴に言葉をかける余裕も無く、千秋はリーが戻ってくるまでぐったりと椅子に寄りかかっていた。

Mission:Specify

からんからん。
ウォルク町の酒場「河童亭」。
ドアが涼やかな鐘の音と共に開き、女将は入ってきた人物を見るなり相貌を崩した。
「よう、ミシェル。どうだい、冒険者はそっち行ったかい?」
ミシェルと呼ばれた女性は、女将に笑顔を返して頷く。
「ええ、さっきお使いに出発してもらったわー、ありがとうねー」
年のころは20台半ばごろだろうか。ウェーブのかかった銀髪を後ろでくくり、笑みの形に閉じられたまぶたで隠れて瞳の色は伺えない。タートルネックのシャツにフレアスカート、肘にかけられたショールはどう見ても「その辺にいる普通の女の人」だった。
「ちゃんと行ったんならよかったよ。わざわざそれを言いに来てくれたのかい?すまないね」
「ふふー、それもあるけどー、あの子達が帰ってくる前に、あらかた済ませてしまいたい作業があってー。アトリエの奥にこもることになるから、ちょっと腹ごしらえをしておこうと思ったのー」
「そうかい。いいよ、たっぷり食べてきな」
「うふふ、ありがとー。あら?あの、フライパン持って怖い顔したウェイトレスの女の子はー?」
「ああ、ランチタイムが終わったから上がってもらったよ。これくらいの客ならあたし一人でさばけるからね。なんにする?」
「そうねー、いつものスープとー、今日はピラフにしようかしらー」
「あいよ、ちょっと待ってな」
女将はそう言うと厨房に引っ込んでいった。
ミシェルはカウンターに座って一息つき、女将の料理を待つ。
と。
からんからん。
再び鈴の音が響き、新たな来客を告げる。
「すっかり見覚えの無いところに来ちゃったけど、ここどこかしらー?あのー、すみませーん」
現れたのは、歩いているときに誤って踏んでしまわないのかと思うほどの長い金髪を垂らしたエルフの女性……ウェルシュだった。
女将がいないので、ミシェルはそちらに向かって微笑みかけた。
「ここはウォルクの町よー。道に迷ってしまったのー?」
ウェルシュはミシェルを見て、それからにこりと微笑んだ。
「そうなのー。何かを探してたような気がするんだけど、気づいたら見覚えの無いところにいて。貴女、私が何を探していたかご存じない?」
「うーん、ちょっとわからないわねー」
どこからどう聞いても異常な質問に、ミシェルはあっけらかんと答えた。
ウェルシュは特に気にする様子も無く、笑顔でミシェルの横に座る。
「まあ、重要なことならそのうち思い出すでしょう。私はええと………ウェルシュリア、っていう名前だったと思うわ。ウェルシュと呼んでね」
「私はミシェルよ、よろしくねー」
笑顔で自己紹介をすると、ミシェルも笑顔で名乗った。
ウェルシュは楽しそうにミシェルに話しかける。
「ふふ、何故かしら、貴女、あまり初めて会ったような気がしないわ。私たち、気が合いそうね?」
「そうねー、どっちが喋ってるんだかわからなくなるくらいにはねー」
何の話ですか。
「ねえ、せっかくだから何かお話しない?」
「いいわよー。私の出来る話でいいならー」
うきうきした様子のウェルシュの言葉に、変わらぬ調子で返事をするミシェル。
「そうねぇ…ミシェルさんは、好きな人いるのー?」
「うふふ、私はいつでも旦那様ひとすじよー」
「ええぇ、旦那様がいるの?!」
ウェルシュは目を丸くした。
「それは、いいわねー。どんな人なのー?」
さらに問うと、ミシェルはわずかに頬を染めて、嬉しそうに微笑んだ。
「うふふ、優しい人よー。生物学者でねー、すごく賢いのー。彼の言葉は、いつも私に新しい世界を見せてくれたわー」
「まぁ……」
語るミシェルの表情は本当に幸せそうで、ウェルシュも思わず頬を緩めた。
「いいわねー。私も会ってみたいわー」
「うーん、残念だけどそれは出来ないかもー」
「どうして?貴女の旦那様を横から奪ったりはしないわよー?」
不満そうに口を尖らせるウェルシュに、ミシェルは変わらぬ口調でさらりと言った。
「物理的に、無理なのー。彼は、もうこの世にはいないからー」
「……っぇ……」
さすがに絶句するウェルシュ。
「それ…は……悪いこと、言っちゃったわねー…」
「うふふ、気にしないでー?」
変わらぬ様子で微笑むミシェル。
「私のことより、ウェルシュはどうなのー?好きな人はいないのー?」
「うーん、私はあまりヒューマンには興味が無いかしら」
ウェルシュは眉を寄せてそう言って、それからくるりと表情を変えた。
「今は新しく出来た仲間をどうおちょくってあげようか、そればかりを考えてるのよー」
「新しく出来た、仲間ー?」
「そう」
楽しげに笑って、続ける。
「変な白衣を着ててね、ぼさぼさの頭に瓶底眼鏡なの。難しくて訳わからないことばっかり言ってるけれど、あの真面目一辺倒な眼鏡が、お色気で迫ったらどんな反応を見せてくれるのか楽しみでー」
痴女復活。
「他にもどんなことをしてからかってあげようかと思うと、とっても楽しいのよー」
「ふーん……」
ミシェルはその様子に気のない相槌を打って…それから、おもむろに問うた。
「新しく出来た仲間、っていうことはー、一緒に依頼でも受けたのー?」
「依頼……」
ウェルシュはミシェルに言われたことにきょとんとして、それから視線を泳がせる。
「依頼……そう、依頼をー……ええと…」
懐からメモ帳を取り出して、ぱらぱらとめくりだして。
そして、じわりと広がるように顔を輝かせた。
「そう、そうだわー、思い出したわ。そう、私、調査の依頼を受けたんだわ」
「調査ー?」
「うん、そうなの。ちょうどいいわ、貴女知らない?ええとね、天の……」

「あああぁもうダメ!食べられないー!!」

がちゃん。
ウェルシュの言葉は、唐突にテーブル席から響いた声と食器の音に遮られた。
驚いて振り向くウェルシュ。ミシェルは知っていたかのようにゆったりとそちらを振り向く。
ランチも終えて人気のないテーブル席には、一人の少女が食べかけの巨大なパフェの前に突っ伏していた。
栗毛を左右で可愛らしく結い上げた少女。リューである。
ふらふらと彷徨っていたウェルシュはともかく、なぜヴィーダの魔術師ギルドから怒り心頭で飛び出してきたリューが歩いて半刻もかかるウォルクにいるのかという問題は、きっとその間に壮大なドラマがあったに違いないのでここは突っ込んではいけない。
「生クリーム多い……気持ち悪い……」
どうやらやけ食いといった様子で、店名物のジャンボパフェ・八半刻で完食すれば無料!に挑戦していたらしいが、いかんせんその小柄な体に金魚鉢ほどのパフェは無理があったようで。
ウェルシュはリューの様子をじーっと見て、何かを思い出すように指先をふよふよと動かした。
「あの子は…えーと………えー…」
思い出せず、メモ帳を見て。
「ああ、そう!リューさんね、リューさん。どうしたのかしら、こんなところで」
「知り合いなのー?」
ミシェルの言葉に、ウェルシュは笑顔で頷いた。
「そうよ、さっき言った、一緒に依頼を受けた人の一人。まあ、ちょっと幼いけど」
「なんだか、具合が悪そうだけどー」
「そうねえ、あれだけパフェを一気食いすればねー」
助けるという頭は微塵もないらしく、ため息をつくウェルシュ。
ミシェルはわずかに首を傾げてから、立ち上がってリューの元まで歩いていった。
「大丈夫ー?」
「ふぇ……」
顔を上げるリューに、にこりと微笑みかけて。
「ちょっとごめんなさいねー」
やんわりと肩に手をかけて体を起こし、腹の辺りに手を当てる。
「…………ディジェスト」
短く呪文を唱えると、腹に当てた手がほのかに光を放った。
「…れ、あ、あれれ?」
みるみるうちにリューの顔色が元に戻っていく。
「わ、もうなんともない!あ、ありがとうございます!」
胃の圧迫感があっという間に消え、リューは目を丸くしてミシェルを見た。
「どういたしましてー。もう、あまり無茶な食べ方をしてはだめよー?」
「は、はい!」
変わらぬ笑顔で言うミシェルに、尊敬のまなざしでこくこくと頷くリュー。
「よかったわねー、リューさん」
「あれ、ウェルシュさん」
ミシェルの後ろからウェルシュが声をかけ、リューはきょとんとして見上げた。
「ウェルシュさんもここに来てたの?」
「うーん、来たっていうか気づいたら来てたっていうか」
ウェルシュは眉を寄せて言いながら、自然な流れでリューの正面に腰掛ける。
リューはミシェルをちらりと見やって、ウェルシュに訊いた。
「こちらの方は?」
「今そこで知り合ったの。えーと、あー……」
「ミシェルよ、よろしくねー」
ミシェルもウェルシュに続いてリューの正面に腰掛けた。
「それで、どうしてこんなところでヤケ食いなんかしてたのー?」
ウェルシュが尋ねると、リューは怒りを思い出したようで、だんとテーブルを叩いた。
「それが、聞いてくださいよー!」
明らかにウェルシュではなくミシェルのほうを向いて。
「魔術師ギルドの受付の人にバカにされたんですー!」
「ギルドの受付にー?」
ミシェルは相変わらず笑みの形に目を閉じたまま、少し驚いたように言葉を繰り返した。
対するリューは怒り心頭だ。
「そうなんです!あたしが魔法も使えない子供だってバカにしてー!」
「それはよくないわねー。それで、ここに来てパフェをヤケ食いしてたのねー」
「そうなんですー」
愚痴を吐き出してすっきりしたのか、リューはふうと息をついてミシェルに向き直った。
「でも、ミシェルさんがいてくれて助かりました!あっ、ねえ、お礼って言っちゃうとアレだけど、よかったらあたしの人形劇、見ていきません?」
「人形劇ー?」
ミシェルは再びきょとんとした。
「はい!あたし、こう見えても人形師なんですよ。ほら!」
ぴょこ。
テーブルの下から顔を出した人形が、ちょこちょこと手を振る。
『よう!コイツの人形劇、見てやってくれよ!』
「まあ、すごいわねー。念動力で動かしてるのねー?」
感心したように微笑むミシェルに、リューは目を丸くした。
「わ、すごい!そんなことすぐわかるんですか!」
「うふふ、私も魔道をかじっているから、少しねー」
「すごいのね、リューさん。そんなこと出来るなんて。偉いわねー」
隣のウェルシュは、感心したようにそんなことを言う。リューは子ども扱いに一瞬むっとしたようだが、それでもミシェルに褒められたからか悪い気はしなかった。
「せっかくだから、見せてもらおうかしらー。可愛らしい人形だもの、ちゃんと目を開けて見ないと失礼ねー」
ミシェルは笑顔でそう言って、ゆっくりとまぶたを開いた。
綺麗な紫水晶の瞳。
リューはまた驚きに目を丸くした。
「あ、れ、ずっと閉じてましたけど、目が…」
「うふふ、見えないわけじゃないのよー。心眼、っていってねー、ナノクニに伝わる技術なのー。目を閉じていてもものが見えるのと同じくらいに感覚を研ぎ澄ませるのよー。日常生活は、目を閉じていても事足りるから、そうしているのー」
「へえ、ヒューマンはそんな技術も編み出すのね。何の力も持っていないと思っていたけれど、認識を改めなくちゃいけないかもしれないわ」
横で感心したように頷くウェルシュ。
ミシェルは瞳を外気に晒したままにこりと微笑んで、リューに言った。
「じゃあ、見せてもらえるかしらー、人形劇」
「……っ、は、はい!」
リューは慌てて、人形をしまっていた鞄に手をかけた。

ミシェルの注文したピラフとスープも届けられ、それを食べながらリューの人形劇を観賞することになった。
演目は「子どもと魔法」。
子供が母親に怒られたことに苛立ち、家具や動物に八つ当たりし、復讐され、最後には怪我をしたリスを手当てして、本当は優しい子なんだと示し、気が付くと母親の胸に飛び込む、という内容だ。どのあたりが魔法なのかは謎だが、そこは突っ込んではいけない。
『お母さん、お母さんっ』
『わかっているわ、あなたは本当は優しい子なんだって』
器用に声を変えた腹話術で、人形の声を当てていくリュー。
「そして、二人は幸せに暮らしましたっ。めでたし、めでたし」
ぺこり。
定型の締め言葉で締めくくり、人形が可愛らしく礼をする。
ぱちぱちぱち、と、ウェルシュとミシェルが拍手をし、リューは照れたように笑った。
「おもしろかったわー」
「すごいわねー、リューさん。器用なのねー、偉いわー」
相変わらずウェルシュが子ども扱いなのが少し気に障るが、ミシェルが喜んでくれたのでよしとする。
リューは人形をしまって椅子にかけなおすと、笑顔でミシェルに問うた。
「どうでしたか、あたしの人形劇」
「うふふ、そうねー、可愛らしかったわー」
元のように目を閉じ笑顔を作ったミシェルが、頷きながらそう答える。
「主人公の子供が、まるでリューみたいでー。ふふ、可愛らしいわねー」
「えっ……」
ミシェルの言葉に、リューはショックを受けたように固まった。
「イライラして八つ当たりして、自棄になってー。無茶をして食べたパフェで気持ち悪くなるあたりが、復讐のくだりかしらー?でも、本当はとても優しい子なのねー」
「…あ……」
リューはみるみるうちに、しゅんと肩を落とし、落ち込んでしまった。
自分としては、些細なことに苛立って八つ当たりするところを、依頼人のゼルに見立てて上演したつもりだった。しかし何のことはない、指摘されてみれば、自分も全く同じことをしているではないか。
ミシェルはさらに、優しい声音で続けた。
「あなたがまだ小さくてー、魔法を使えないことをバカにするのはよくないわー。でも、魔道士をサポートするためにある魔術師ギルドに、魔法を使えない子供がやってきて、戸惑うギルドの人の気持ちも、わかってあげてー?
自分の痛みを主張するならー、それと同じように、人の痛みも判ってあげられる人になりなさいー?」
「ミシェルさん……」
リューはゆっくりとミシェルを見上げた。
もうあの紫水晶はうかがえないが、慈愛に満ちた微笑は、リューに何か大切なことを教えてくれたような気がした。
「…たはは、あたしもまだまだ子供だなー」
苦笑して言って、気を取り直して。
「ありがとうございます、ミシェルさん」
「うふふ、私は何もしてないわー?」
「そんなことないですよ!今度、ミシェルさんの人形、作らせてくださいね!」
「あらあら、それは楽しみねー」
かたん。
ミシェルは言いながら、空になったピラフの皿にスプーンを置いた。
「それじゃ、私はそろそろ戻らなくちゃいけないからー。人形劇、ありがとうねー。ウェルシュも、依頼がんばってねー」
言いながら立ち上がるミシェルに、リューも思い出したように立ち上がった。
「あっ、そうだった!あたしも調べ物の続きしなくちゃ!」
「そうねー、そろそろ本腰入れて探さないとー」
ウェルシュも立ち上がり、いまいちやる気の見えない表情で言って。
ミシェルはそちらに向かって微笑みかけると、軽く会釈をした。
「それじゃ、私はこれで失礼するわー」
「はいっ!ありがとうございました、ミシェルさん!」
「私も楽しかったわ、またねー」
リューとウェルシュも笑顔で挨拶をし、ミシェルは会計を済ませると酒場を出ていった。
「…さて、と。あたしたちも天の賢者様、探さないとね!」
「あ、そうそうー。それを探していたんだったわね」
「ま、まさか忘れてたの…?」
「あら、そんなこと無いわよー。少し思い出せなかっただけでー」
「忘れてたんじゃん!はー、二人して収穫なしかぁ、一から情報収集しなくちゃねー」
がっかりした様子で言いながら、リューたちも出口に向かい…
「ちょっとあんたたち!」
酒場の女将に呼び止められた。
「へっ?」
きょとんとして振り返れば、怒りの形相の女将。
「食い逃げはいただけないねぇ?お代、払ってもらえるんだろうね?食い逃げの代わりに斡旋してやれるような依頼は、もう残ってないよ?」
「………あ」
先ほどまでいたテーブルに視線を戻せば、リューが食べかけでギブアップした金魚鉢パフェ。
もちろん、とっくに八半刻など過ぎている。
「ど、どどどどうしよう~、お腹すいてるから食べ切れるつもりで頼んじゃったの、お金なんて持ってないよ~、ウェルシュさん、ちょっと貸しといて!」
「うふふ、いやねえ」
ウェルシュは笑って手を振った。
「私がお金を持っていたら、そもそも貴女のお菓子をいただいたりなんてしてないわー?」
「ううう……ど、どうしよう……」
どんどん表情が険しくなる女将の前で、青い顔のリュー。
と、そこに。

「失礼、すまないがこのあたりに……」

からんからん。
ドアを開けて入ってきた人物に、リューはぱっと顔を輝かせた。
「千秋さん、グッドタイミング!!」
千秋はぎょっとしてそちらを見、それから小さく声を漏らした。
「…………は?」

「ここか」
言って、見上げた先は――装飾過多な門がまえ。
この地点で、蠅の王が一斉に消失している。ここに、目的のものがあるに違いない。
掲げられた看板には、『フェアルーフ王立魔道士養成専門学校』と書かれている。
「魔道士学校か。科学者には縁の無いところだな」
アッシュは短く感想を漏らすと、遠慮なく校内に足を踏み入れた。
正面にあった建物に入り、受付と思しき場所の前で足を止める。
「いらっしゃいませ」
丁寧に頭を下げる受付嬢に、アッシュは単刀直入に聞いた。
「こちらにヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス、通称ミシェルくんは居るかね?」
「は?」
受付はきょとんとして短く声をあげた。
「あの、こちらに在学の生徒をお探しですか?」
「さあ、それはわからん。おそらく学生ではないと思うのだが、世の中見かけによらんことは多いからな」
「はあ……お調べしてみますので、もう一度お名前をお願いします」
「ヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス、だ。ともすると教師かもしれないが」
「そんなことはないと思うんですが…」
受付嬢と、そんな問答を交わしていると。

「何の騒ぎ?」

唐突に、しっとりとした女性の声がそれを遮った。
受付嬢とアッシュが同時にそちらを振り返り、受付嬢が驚いて声をあげた。
「こ、校長!」
「校長?」
アッシュが言葉を繰り返すと、校長と呼ばれた女性はにやりと口の端に笑みを浮かべた。
年のころは20代後半ほどだろうか。腰ほどまでのストレートの金髪に、挑戦的な緑の瞳、整った顔立ちをさらに化粧で完璧に塗り固めたなかなかの美人である。
「何か、面白い名前が聞こえてきた気がするんだけど?」
「あ、は、はい、こちらの方が…」
おずおずとアッシュを指し示す受付嬢。
アッシュはずいと前に出ると、校長と呼ばれた女性に再度問いかけた。
「こちらにヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス、通称ミシェルくんは居るかね?」
「ああ、やっぱり聞き違いじゃなかったのね」
くすくす、と笑う女性。
「残念だけれど、そういう名前の女性はここにはいないわ」
「そうか。妙だな?それでは、最近、蠅が大量発生したトラブルは無かったかね?それに対処した人物に会いたいのだが」
「ああ、それ、あたし」
「何と」
軽く言った女性に、アッシュは目を見張った。
「では、少し話を聞きたいのだが。申し遅れたが、私はアサークル・ドイマ。市井の天才科学者だ」
「結構よ。こっちもハエの大量発生に苦情を申し立てないとね」
くす。
女性は軽く笑って、髪をかきあげた。
「あたしはミレニアム・シーヴァン。この学校の校長をしているの。よろしくね」

「それで?あたしに用って?」
校長室に通されたアッシュは、応接用の椅子に座り、校長と書かれたデスクに座る女性を見上げた。
「ふむ。では、ミレニアムくん」
「ミリーで結構よ」
「ではミリーくん。改めて自己紹介をしよう。私は…」
しゅぼっ。
そこでまた思い出したように、HALCが光を放った。
「おいはアサークル・ドイマ。万民に遍く科学の恩恵を齎さんと、日々心の赴くまま善行を積む市井の科学者でごわす」
急にナノクニのユカタに身を包んだ角刈りの男に変身したアッシュに、ミリーは目を丸くし、それから半眼になった。
「……なに?それ」
「お?また効果が出とるとは。気にしないでたもんせ。これはおいの発明品のひとつ、HALCっちゅうんがちぃと上手く動いとらんだけで、特に害はありゃあせん」
しゅぼっ。
もう一度光を放ち、元の姿になるアッシュ。
「自分でどんな見かけになっているか判らないだけで。では、話を進めよう」
「……そうしてちょうだい」
あまり追求しないことに決めたのか、ミリーは半眼のまま先を促した。
アッシュは頷いて、本題に入る。
「まずは私の発明品が迷惑をかけたようだが、それについては謝罪する」
「…確かに、喋りがころころ変わるのはやりづらいけど」
「む?いや、HALCのことではないぞ?
君は最近異常発生した蠅にたかられた筈だ、違うかね?」
「さっき言ってたハエの話ね」
ミリーは肩をすくめた。
「いきなりたかってきて鬱陶しかったから、全部消し飛ばしたけど。あれ、自然のものじゃないわね?」
「さすがだな」
アッシュはふむと唸り、先を続けた。
「何を隠そう、あれは私の発明品、その名も蠅の王。魔力の存在を感知して集まる習性を持たせた特殊な蠅だ。感度調整は、人間では有り得ない魔力の持ち主だったのでな。つまり君は人外の者の筈だ。違うかね?」
「……へえ?」
にやり。
ミリーは紅く彩られた唇の端を、面白そうに吊り上げた。
「まあ、ノーコメントとさせてもらいましょうか。
それで、あたしが人外のものであったら、何だと言うの?」
「うむ、実はゼヴェルディ・シェール、通称ゼルという魔族に脅されてな」
ごと。
アッシュは懐から、ゼルから手に入れたアイテムを取り出し、テーブルに置いた。
「こんなアイテムを作る奴だが」
「…ふぅん?」
ミリーは興味なさそうにそれを一瞥し、アッシュに視線を戻す。
アッシュは身を乗り出して、続けた。
「天の賢者様なる者を探している。彼奴によれば、天の賢者というのは降下した天使でマジックアイテムを作っているのだそうだ。同じアイテム作成者同士、何を作っているか気になるということでね。単なる調査依頼ということで人を集めておきながら、なんのことはない、命が惜しければ次回作の設計図を奪って来いとな」
「へえ」
ミリーは頬杖をついたまま、面白そうにアッシュの話に耳を傾けている。
と、そこでまたアッシュの懐のHALCが火を吹いた。
「あたしもねー、相手が魔族だと初めっから知ってたら色々と準備して行ったんだけど」
今度はケバい化粧に派手な衣装のニューハーフに変身したアッシュは、そのまま話し続けた。
「いきなりだったじゃない?逃げも隠れも出来なくて、仕方なく契約しちゃったのよ。
それで、探し始めたんだけど、前にミシェルさんの依頼を受けたことがあってね。そのとき貰ったアイテムのことをゼルに聞いたら、やっぱり相当レベルの高い代物だったらしいの」
「へえ」
にやにやと意味深な笑みを浮かべたまま、ミリーは相槌を打っている。
「だから、あたし、てっきりミシェルさんがその賢者なのかと思ってたんだけど、もしかしたら貴方のことかしら?それならとってもラッキーだわ」
「残念だけど」
ミリーは頬杖をはずすと、ひらひらと手を振った。
「あたしは『天の賢者様』じゃないわ」
「あら、そうなの」
アッシュは残念そうに口を尖らせた。
「お知り合いにそれっぽい方、いらっしゃらない?あなた、人じゃないんでしょう?人じゃないもののネットワークとかそういうの、あったりしないの?」
「っふふふ、人外ネットワーク?あはは、あったら面白そうね」
ミリーはひとしきり可笑しげに笑うと、また頬杖をついた。
「それで?天の賢者様を見つけて、あなたはどうするつもりなの?」
ミシェルの質問に身を乗り出したアッシュの懐で、再び光るHALC。
今度は、リュウアン風の服に身を包んだ辮髪の男に姿を変えて。
「今のところ、アタシの目的は二つあるアル。ひとつはゼルとの契約を果たすことネ。彼奴を満足させること無くナ」
辮髪を振り回しながら言うアッシュに、ミリーは首をかしげた。
「もうひとつは?」
「もうひとつは彼奴をこの世界から抹殺することアルが、これには天の賢者の力を借りないとならないアルヨ」
しゅぼっ。
再びHALCが光ると、アッシュはようやっと元の姿に戻った。
「ゼルとの契約は、天の賢者が書いたマジックアイテムの次回作の設計図をとってこい、だ。簡単に言えば盗んで来いというわけだが、私をペテンにかけようとした魔族の言いなりになる気は毛頭無くてな。猿の手の法則を使わせてもらうことにした」
「猿の手?」
「うむ。契約は守るが、彼奴の欲しいものを与えるつもりは無い、というわけだ」
アッシュは言って、胸を反らした。
「天の賢者の協力は必須になるが、降下したとはいえ元天使。魔族は共通の敵のはず。出来るだけ簡単なマジックアイテムの設計図を書いてもらい、それを渡すだけのことだ。契約は文字通り果たせるが、ゼルにとっては何の意味も無いものをな」
「………なるほどね」
嘆息したミリーに、アッシュはさらに言い募った。
「従って、ミリーくんが天の賢者について何か知っているのなら、是非教えて欲しい。魔族と戦おうという私の心意気を買ってくれると有り難いが」
「………………」
アッシュの言葉に、ミリーは俯いた。
アッシュはさらに身を乗り出して、ミリーに言い募ろうとし…そこでまた、HALCが光を放つ。
「ねえ、天の賢者様はどこ?どうしたらお願い聞いてもらえる?教えて?」
今度は半ズボン姿の可愛らしい少年に。美しいボーイソプラノで、弱々しく訴えかける。
「魔族なんて大嫌い。神様が創ったこの世になんで居るのかな?天使様は退治してくれないの?僕がお願いしたら来てくれるのかな、天使様。でもどうやってお会いしたらいいんだろう?貴方は知ってる?」
うるうると可愛らしく訴えかけるアッシュ。
ミリーはひたすら俯いて……
「………ぷっ」
堪えきれないというように、大きく肩を揺らし始めた。
「ぷっ、く、くくっ、は、あははは!」
大笑いをするミリーに、アッシュは鼻白んだ様子で口をつぐんだ。その拍子に、HALCが光って元の姿に戻る。
ミリーは大笑いしながら、どうにか言葉を紡いでいる。
「は、はは、ご、ごめんなさいね、ぷっ、なんだか、可笑しくて。
ま、魔族と戦う、って!戦ってない、それ戦ってないって!力じゃ負かせないから、最後っ屁で嫌がらせしてやろうってことでしょ?っはは、おかしい!」
「………」
憮然とするアッシュに、ミリーはようやく笑いを収めて、再び頬杖をついた。
「あー笑った笑った。っふふ、面白い話を聞かせてもらったわ。
お礼に、あなたにとって損にはならない話を聞かせてあげる。その前に、いくつか確認させてもらっていい?」
「……何かね」
「ふふ、そんなに怒らないの。そうね、まずあなた、さっき『ゼルという魔族』って言ったわね?」
「いかにも」
「あなたは、どうしてそのゼルが魔族だと知ってるの?魔族だと名乗ったの?」
「いや」
アッシュは首を振った。
「以前関わった事件での知り合いが、ゼヴェルディ・シェールという名の魔族に関わっていたのだ。念のため確認したところ、ゼル自身もその知り合いと面識があると言った。それで判断した」
「そう。じゃあ、ゼルはあなたが、彼が魔族であると認識している、ということは知らないのね?」
「……そうなるな」
「じゃあ二つ目の質問よ。あなた、『命が惜しければ次回作の設計図を奪って来い』と言われた、と言ったわね?
それ、本当にそのゼルと言う魔族が、そのことばの通りにあなたに言ったの?」
「……む」
アッシュは唸って、それから黙り込んだ。
「…違うみたいね」
にこりと微笑むミリー。
アッシュは不服そうに言い返した。
「しかしだ。『ただで帰れると思うのか』というセリフは、魔族が吐いたら即命の危険を伴うことなど…」
「でも、相手はあなたが彼を魔族だと知ってるとは思ってないのよね?」
「む……」
口をつぐむアッシュに、ミリーはまたにこりと微笑む。
「つまり、命の危険云々は、一方的にゼルを魔族だと知っているあなたが一方的に思い込んでいることで、実際にそういうやり取りがあったわけではない。実際にはそれに限りなく近い意味が込められていても、はっきりと契約を反故にした場合殺すと明言も明文化もされていない。『ただで帰れると思うのか』というセリフは、文字通り、違約金を払えるのかという意味とも取れるしね。それが確認の二つ目ね」
アッシュはまた憮然として黙り込んだ。
「それじゃあ、最後の質問よ。
あなた、ハエを使って『人外の魔力を持つ』存在を探したって言ったわね?それで、『人外の魔力を持つ』あたしに、事情を話し、天の賢者を探す手がかりを得ようとした」
「……然り」
「ふふ、それじゃあ……」
ミリーは一呼吸置いて、それから面白そうに問うた。

「人外の魔力を持つあたしが、魔族で、ゼルの仲間でないという確証は、どこから得たの?」

「!………」
今度こそ完全に絶句するアッシュ。
ミリーは満足げににっこりと微笑んだ。
「安心なさい。あたしはゼルの仲間じゃないわ。それ以上のことは、答えるつもりはないけれど。あなたがあたしのことをどう判断するかはお任せするわ。天使でも魔族でも、それ以外の人外の種族とでも、好きなように思ってちょうだい。あたしからは、そのゼルって人と同じように、何もはっきりと言葉にするつもりはないわ」
立ち上がり、腕を組んで。ゆっくりと歩きだす。
「話が逸れたわね。でも、わかったでしょう?魔族と戦うというのは、そういうこと。圧倒的な力の差を前に、生半可なことで優位に立てると思わないほうがいいわ。それを自覚しての行動なら、好きにすればいいと思うけれど」
そして、先ほどまで頬杖をついていた机にゆるく腰掛けると、また不敵に唇を歪めた。
「あと、少し誤解しているようだから、教えてあげる」
「……誤解?」
「魔族は、別に天使の敵じゃないのよ?」
「………何だと?」
気色ばむアッシュに、ミリーはにこりと微笑みかけた。
「天使とは人々を導き守る存在。悪魔とは人々を傷つけ滅ぼす存在。そうね、宗教上はそういう定義になるでしょうね。そうじゃなきゃ、信者が集まらないし」
くつくつと楽しそうに喉を鳴らして。
「でもね。天使というのは、決して人間を助けるために存在するわけではないのよ」
「…では、何だというのだね?」
アッシュが重ねて問うと、ミリーは言葉を捜して、それからゆっくりと告げた。
「………管理者」
「管理者?」
「そう。神が作り出した現世界を管理し、維持するために存在するもの。安定して維持する為に、その均衡を崩すものを粛清・排除する役目を負っているわ。
その多くは、破壊と殺戮を好む魔族に向けられていることも事実よ。だから、一般的に天使は魔族を退け、人を救うものとして認識されているわ」
「……実際には、そうではないと?」
「そうねえ。さっきも言ったけど、天使の目的…まあ、目的というか、存在意義ね。それは、『世界の維持』。魔族やそれに準ずる魔的なもの…一般的に人に害をなすとされているものを天使が粛清するのは、『世界の維持』をするためで、必ずしも人のためではない、ということよ。彼らが魔族を粛清することが、結果的に人のためになっているだけの話でね」
いかにも学校の校長らしい、もって回った言い方をする。
「あなた、さっき、何故魔族を天使が退治しないのか、って言ったわね?じゃあ、逆に訊くけど」
肩を竦めて、一呼吸置いて。
「なぜ、天使が魔族を退治しなければならないの?」
「なっ……」
アッシュは絶句して、それから反論した。
「何故とは、どういうことかね。魔族は天使の敵…」
「じゃあないって、さっきも言ったでしょ?天使の存在意義は、世界の維持。魔族を倒すために天使が生み出されたわけじゃない。魔族が世界の均衡を崩すなら、それを防ぐ役目は負っているけど」
「しかし、こうして魔族が天使に対して喧嘩を売っている以上…」
「天使に喧嘩を売っているんであって、世界の均衡を崩そうとしているわけじゃないわ。しかも、実際に天使にちょっかいを出すのは、人間であるあなた。天使がその力を振るう理由にはならないわねえ」
「しかし、人間が命を盾に強制されているのだ。それは世界の均衡を脅かしていることにはならないのかね?」
「だーかーらー。何度も言わせないで。命を盾に脅迫されたと判断してるのは、あなただけ」
ミリーは肩を竦めて、頭を振った。
「実際には、逆らったら殺すと言われたわけでも、自分が魔族だと力を誇示したのですらない。人を雇って、盗みを命令した、ただそれだけのことよ?そんなもの、人間社会の中にはもっと残酷な話だってごろごろしているわけじゃない?そこに天使の力が介入すれば、それはそれだけで世界の均衡を脅かしかねない。本末転倒よ。違う?」
「………」
黙り込むアッシュに、ミリーは再びにやりと笑った。
「ねえ、天の賢者がなぜギルドにその存在を保護されているか考えたことがある?例えばあたしが天使だったとして、あなたに天使だと明言しない理由を考えられる?」
「……む」
思ってもみないことを訊かれたらしく、黙り込むアッシュに、ミリーはにこりと笑った。
「さっきも言ったように、天使の力は魔族のそれと同様に、とても強大で危険なもの。実際に天の賢者も、『人間に与えて問題ない』知識ばかりを選んで与えてるわ。つまりそれほど、天使の力というのは現世界で振るってはならない、人間と関わるようなものであってはならないものなの。
天使の力に触れた人間は、その力をいつ乱用するかわからないものとして見られる。『世界の均衡』を崩す力を持ちながら世界に在る存在としてね。
『世界の均衡』を保つのが役割の天使にとって、それがどれだけの意味を持つか……わかるかしら?」
「………まさか」
アッシュの声音がわずかな恐れを含んだ。
「そう。例えそれが人間でも、世界の均衡を脅かす存在であるのなら、それを粛清するのが天使の役目。
だから、天の賢者はその存在を厳重に保護されているの。おとぎ話ともいえるような曖昧な話を隠れ蓑にしてね。
それは、天使のためじゃないわ。天使の力と関わってしまう、人間のために、よ。お優しい天使だこと」
に。
ミリーはまた意味深に笑みを浮かべると、軽い調子で続けた。
「あたしとしても、ただムカつく魔族に可愛らしい嫌がらせをしたいだけの人間が粛清されてしまうのは可哀想だしね?」
何も名言はしない。自分が天使だとも、魔族だとも。
が、暗にその正体をほのめかし、そして明言できない理由を言ったミリーを、アッシュは用心深く見上げた。
にこり。
ミリーはそれに屈託のない微笑を返すと、腰掛けていた机を離れ、アッシュの正面に座った。
「ま、あなたが口で言っているとおりのことを考えているとは思えないけど…それはまあ、あたしにとってはどうでもいいわ。でも、天使が人間のために在り、世界が人間のために在るとは…思わないほうがいいかもね?これは、あたしからのささやかな忠告」
にこり。
綺麗に笑って見せるミリーに、アッシュは憮然として腕を組んだ。
「……覚えておくことにしよう」
「そう。じゃあ、本題ね。これだけ言ったから、あなたの欲しい情報、サービスしてあげるわ」
ミリーは高々と足を上げて組むと、いかにも偉いですという仕草で背もたれに寄りかかった。
「あなたのお察しの通り、『天の賢者様』の正体はヒューリルア・ミシェラヴィル・シュ………っと、じゃなかった、今はトキスと名乗ってるんだったわね。魔術師ギルドには保護されているけど、ここは微妙にギルドの管轄外だから、あたしはあたしのネットワークで彼女の動向を把握してるわ。人外ネットワークとは、ちょっと違うけど」
くすくす。
楽しそうに肩を揺らして。
「今はちょうど、ここから歩いて半刻くらいのところにあるウォルクという町に滞在しているはずよ。大きなアトリエを構えているから、行けばすぐわかると思うわ」
「……ミシェルくんとは、知り合いなのかね?」
アッシュが用心深く尋ねると、ミリーはわずかに目を細めた。
「んー、そうねえ。知り合いと言えば、知り合いになるのかしら?」
体を起こし、今度は自分の膝の上で頬杖をつく。
「彼女ねえ、あたしの憧れの人、なの。だからこうしてストーキングしてるわけ。ふふふ」
冗談めかしてそう言って。
「こんな面白い事態に、彼女がどう対処するのか。すごく興味があるわ?
ふふふ、頑張って頂戴ね?頑張る人はあたし、大好きよ?」
あくまで楽しそうな彼女の様子は、どう贔屓目に見てもとても天使とは思えず。
アッシュは憮然として、無言で彼女を見つめ返すのみだった。

Mission:Proclamation

「ごめんね~千秋さん、お代出してもらっちゃって~」
「言っておくが、奢った訳じゃないぞ。依頼料をもらったらちゃんと返せよ」
「わかってるって~あははは」
ウォルクの酒場から出た千秋とリュー、それにウェルシュの3人は、千秋が入手した『天の賢者様』の居場所に向かって歩いていた。
「でも、すごいわねー、千秋さん。1日も経たずに天の賢者様の居場所を突き止めてしまうなんて」
ウェルシュが感心した様子で言うと、リューもしきりに頷いて同意した。
「だよねー。あたしたちなんて手がかりのての字も手に入れられなかったのに」
「まあ、ちょっとした人脈があってな。それに、問題なのはここからだろう」
千秋が言い、リューは盛大にため息をついた。
「そうだよねー…これから泥棒しなきゃいけないんだから」
「天の賢者様のお家って、どんなところなのかしら。楽しみねー」
こちらはわかっているのかいないのか、楽しそうに手を合わせるウェルシュ。

「……っと。三番外のアトリエ……あれのようだぞ」

千秋が指差した先には、大きな建物がひとつ。
そして、その前にはすでに既知の人物がいた。
「おお、君たちもここにたどり着いたのかね。それは連絡の手間が省けたというものだ、僥倖僥倖」
「アッシュさん!」
「あらー、貴方もこちらにいらっしゃったのね」
アッシュの姿を確認し、慌てて駆け寄る3人。
「では、ここが天の賢者のアトリエで間違いないのだな」
「うむ、そう判断して間違いなかろう」
「しかし……」
千秋は脱力した様子で、やたらとでかいその建物を見上げた。
「なんなんだ、この屋敷は……」
縦も横も高さも、周囲の家の軽く3倍はあろうかというそのでかさ。3倍が3乗で優に27倍の大きさである。
そして、そのでかさもさることながら、外壁にはなにやら妙としか言いようのない代物がぽこぽことくっついている。
「あれは……都庁かしらー?」
「何であんなところにハイヒールが?!」
「ふむ、あれは…洋式便所だろうか。あのようなところについていて、どのように使うのか興味深いな」
「ぬいぐるみがたくさんついてるよ。ちょっとかわいいかも…」
「あれは…か○道楽のオブジェじゃないのか…持ってきたらダメだろう…」
「あ、ハルク・幇間もいるわよー」
「ハルク・幇間言うな…」
大きさも外観も、あからさまに異様な雰囲気を放っているそのアトリエ。
しかし、ここに『天の賢者様』がいる。それは間違いない。
4人は早速、入り口へと足を進めた。
これまた奇抜なデザインの扉に、なにやらでんと貼り紙がされている。

開発研究中につき、応対できません。
もしどうしても御用のある方は、勝手に入ってきてくださいな。

命が惜しくなければ。

ミシェル

ひゅううううぅぅぅ……
びっくりするほど挑戦的なその貼り紙に、冒険者たちはただ呆然と立ち尽くすのみだった……

…To be continued…

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