きみのことが、すき。

きみのことが、だいすき。



だから、たすけてあげたかったんだ。

Minimim examine

「生命維持研究室のタウというのは、お前か」
部屋に入ってくるなり、大きな鎧はそう言った。
誰もいない室内。しばらく何の返事もなかったが、ややあって部屋の中央からふわりと何かが浮き上がった。
籐で編み上げられた、ゆりかご。
始めは後ろを向いていたそれも、やがてくるりと回転すると、中にいる人物が顔を出す。
手触りの良さそうな、綿の毛布。柔らかく生え揃った髪。そして、口にくわえられているおしゃぶり。
どこをどう見ても赤ん坊そのものでしかない彼は、小さな手のひらをわきわき動かすと、テレパシーで鎧に語りかけた。
『これはまた賑やかなお客様だね。リーシュの連れの冒険者かい?』
「そうだ。プリオム・フルボディという。この王宮に雇われた、冒険者だ」
赤ん坊……タウは、ゆらり、と僅かにゆりかごを揺らして、再びテレパシーで問いかけた。
『よろしく、フルボディ殿。それで?私に何か質問なのかな。私で答えられることは、あらかた答えたと思うけれど』
「単刀直入に言う。シータはどこだ?」
『シータ?女王のことかい?』
「そうだ。俺は、女王を連れ去ったのは、あんたじゃないかと思っている。だから、ここに来た」
再び、沈黙が落ちる。
フルボディとタウ以外、誰もいない室内。念動力で浮いたゆりかごだけが、ふわふわと時の流れを主張している。
『…それはまた、大胆な説だね。根拠を聞こうか』
タウは特に慌てた様子もなく、テレパシーを返した。
尤も、テレパシーの送信自体が精神をある程度コントロールする必要があるため、実際驚いていないのかどうかはわからないが。
フルボディはタウを見つめたまま、口を開いた。
「あんたは、赤ん坊の頃から王宮にいた。女王と遊んだこともあるという。
幼少の女王たちを見ているなら、彼女達の『秘密』についても知っている可能性が高い。
また、『生命維持』という研究ジャンル。
シータが居なければ、エータに生命の危険があるとなると、その治療方法などの研究を任すには絶好のジャンルだ。
公に女王達の『秘密』について研究していたかもしれない」
重そうな鎧は微動だにせずに、淡々とその口から推論を語っていく。
「そこに、あんたの体質だ。一生幼児のままの身体…あんたは気にしていないようなことを言っていたが、なにかしらコンプレックスがあるのが普通だろう。そして、もし年齢相応の大人の身体になれる可能性があるのなら、飛びつくんじゃないのか?
シータの魔力によって、エータは子供の身体から大人の身体へ肉体年齢が変化するらしい。シータの魔力をあんたに供給できるようにすれば、あんたの肉体年齢も変化するかもしれない、と考えたんじゃないのか?」
『ちょっと待ってくれないか。君の推論は飛躍的過ぎて私にはついていけそうにないよ』
ゆりかごはふよふよと揺れて、フルボディの眼前で停止した。
『まずは訂正しておこう。私の説明がどうやらリーシュに誤解を与えてしまったようだね。
私は、何も一生この体のままの訳ではないよ。言っただろう、『生命維持』の研究をしていると。
私に施された処置は、『身体の成長を極端に遅くする』というものだ。『止める』ものではないよ。
君もエルフやドラゴンは知っているだろう。この研究所にいるガンマもエルフだね。彼は人間で言うと12、3の子供だが、実際には134歳だ。彼が25歳くらいの時は、……さすがに赤ん坊ではないだろうが、まだ歩くことすらままならない子供だっただろう。成長の度合いが違うだけだ。私はそう思っているよ』
「しかし、それでも年齢相応の大人になりたくない訳がなかろう。その身体は不便じゃないのか」
『さて、そのようなことを言われてもね。こうして念動力でたいていの用は足せるし、私にしてみればそんな堅固な、しかも呪いまでしょった鎧に包まれた君のほうがよっぽど不便に思われるよ。君はその鎧を脱ぎたいと思ったことはないのかい?』
「思わない訳はないだろう。早いところ脱いでシャワーでも浴びたいところだ」
『しかし、君は今こうして、その呪いとは関係のない依頼を受けて、何事もないかのように仕事をしている。自分でその呪いをどうにかしようと躍起になっているようではないね。つまりは、そういうことじゃないのかな?呪いはどうにかしたいけれども、それで人としての一線は越えたくないと』
「それはそうだろう。それこそ、俺がその呪いに負けたことになる」
『では、私の状態も君と同じだよ。そんな現実的でないことはする気にはならないな。私のリスクが大きすぎる。研究者は常に、計算ずくで行動を起こすものだよ。それが自分のためなら、なおさらね』
沈黙が落ちる。
タウがため息をついたような思念波が、じんわりと伝わってきた。
『…まぁ、私の真意がどうであるかは、今の君の真意と同じく、そうではないよと言う他は説明のしようがないな。その問題はひとまず置いておくとしようか』
ふよ、とゆりかごが動いて、近くの椅子の上に乗った。
『女王の『秘密』を私が知っている、と言ったね。なるほど、幼少より女王と接してきた私なら、女王の秘密を知っていてもおかしくない。さて、では君は、その『秘密』は具体的にどのようなものだと解釈しているのかな』
タウに問われ、フルボディは答えた。
「女王達の秘密についての、俺の推理はこうだ。
エータは、ゼータと同じく魔力が欠如している。むしろゼータよりも悪いのだろう。一人では生命維持すら危ういらしいからな。
シータは、二人分を超える魔力を有している。だがその半分はエータのために消費し続けるので、本来の力をだせる機会はない。
魔力を二人で共有しているが、それだけでなく、精神も共有しているんじゃないだろうか。
二人が揃っているときは、片方が同じ言葉を繰り返して話していた。それは、二人が別々のことを喋れないという秘密を隠すため。女王は、二人で一人分の精神を所有しているんだ。
事実、一人になったエータの精神年齢は、見かけ通りの幼児になってしまっている。おそらくシータの方に精神の大半があるのだろう。
女王達は、城外の行事には一人で出席していた。その時は、精神と魔力を片方に集中させて、公務をこなしていたんだろう。1.5人分くらいの魔力が身体に入り、肉体年齢も多少上になっていたと思う。片方が表に出ている間、もう片方は王宮で人目に触れないように隠れているのだろう。
女王二人の間に個人のプライバシーなんてものは存在しない。片方だけでは、一人の人間としてすら成り立たない。まさしく、二人で一人の王というわけだ」
『…成る程ね』
タウの思念派に乱れは感じられない。かといって、呆れや嘲りも感じられない。淡々と事実を把握する。
『まず、エータが一人では生命維持すら危うい、という根拠は?』
「現在、エータはひどい昏睡状態で、それは魔力が著しく欠如しているからだ、と魔術師ギルド長が言っていた。それは、魔力の源であるシータがそばにいないからだろう」
『つまり君は、エータは不完全な状態で、エータの魔力を補うためにのみシータが存在していると、そう考える訳だね?』
「そういうことになるな」
『では、政治をエータが、魔道をシータが担当しているのはどう説明する?君の説を是とするならば、シータ一人に魔力を集め、彼女が一人で女王をすればいい。わざわざ、何の力も持たないエータに力と精神を分け与えてまで、女王としての執務を分担する理由が見つからないな』
「む………」
フルボディは答に詰まって沈黙した。
しばらくの沈黙の後、タウはまたふわり、と浮き上がった。
『小さなエータが衰弱しているというのは、予想外の事態だな。マリー殿も慌てていただろう?』
「あ……ああ」
タウがどういうつもりで発言しているのか読めず、生返事を返す。
『それはつまり、あの状態にしておくとそうなる、ということを、マリー殿とご本人も含め、われわれが予想していなかった…初めて判明した事実だ、ということだ。
まあ、そうなる危険性は、ない訳ではなかったがね。あの二人が、どちらかに『片寄った』ままこんなに長い時間を過ごしたことがなかったから、わからないのは無理もない』
「…片寄った?」
『左様。あの状態は、彼女達にとって『過分に無理をしている』状態なんだ。そんな状態のまま放っておけば衰弱するのは当たり前だろう?早急に『元に戻して』あげる必要があるね。元の、生まれたままの彼女達の状態にね』
「御託はいい。あんたは女王の『秘密』を知っているんだな?」
詰問口調のフルボディに、タウはあっさりと返事をした。
『知っているか知らないか、という質問には、知っているよ、と答えるよ。
だけど、それが何なのかを口にする権限は、私にはない。補佐官殿にでも訊くことだね』
その思念波には、少し苦笑したような感覚があった。
『私の研究内容が、女王にも関係があるという君の推理は間違っていない。女王の『能力』は、私が研究している生命維持の魔道のサイクルと酷似している。女王の状態を一番魔道的に理解しているのは私だと言っても過言ではないね。だが、私はそれを自分のために使おうとは思わないよ。第一、彼女の『能力』は双子の姉妹にしか適応されない。私に移植しようものなら、たちまち私が拒否反応を起こして精神が崩壊してしまうよ』
「…………」
フルボディは黙ってタウのテレパシーを受けている。
しばらく空中をふよふよと漂った後、タウは少し悲しげな思念波と共に、テレパシーを送ってきた。
『…君は、私にはコンプレックスがあるのが普通だと言ったね』
「………ああ。俺だったら、そんな状態は耐えられない。人をうらやむことを抑えることが出来るほど、俺は達観しちゃいないんでね。むしろ、それだけ達観できる方が異常じゃねえのか」
『…人は何故、自分の枠組みに人を嵌めようとするのだろうね』
「……何だって?」
鎧の奥で、フルボディの眉が寄る。
タウの思念波には怒りは感じられない。悲しげな、それも、どうにもならない事実を悼む感情が伝わってくる。
『自分が同じ立場なら、きっとそう思うから。あいつもきっとそう思っているに違いない。
そうして、自分と同じ枠組みに、相手を嵌める。
相手の幸せを、自分と同じものだと決め付ける。そして、そうでなければ異常だと言う。
それはあるいは、相手のためを思ってのことなのかもしれない。けれど実際に思っているのは、自分のことだね』
「…………」
『別に怒っているのではないよ。人はそういうものだ。自分の理解の範疇を超えるものは認めたがらない。認めれば、それは自分を否定することに繋がるからね。
けれど、それは悲しいことだ。
なぜ、相手の幸せをこうだと決める?
私が、これで幸せだと思ってはいけないのかい?
幸せは私自身のものだ。君のものでも、他の誰のものでもない。
私の幸せを、どうして君が決めるんだい?』
フルボディは言葉を返さなかった。
重い沈黙が部屋を包む。
『………そんな悲しい思い違いさえなければ、この事件は起こらなかっただろうね』
不意にタウがテレパシーを送り、フルボディははっとして彼を見上げた。
「あんた……犯人を知っているのか」
タウはふよふよと窓辺まで移動して、そして悲しみの思念波を送ってきた。
『…君の仲間が、彼のところに行っているのじゃないのかな。その思い違いを、正しにね…』
フルボディははっとして、そしてきびすを返した。
がしゃがしゃと大仰な音を立てて、部屋を後にする。
あとには、ポツリと空に浮くゆりかごだけが残った。

Minimum Culprit

「イオタ」
背後から名を呼ばれて、彼は振り返った。
声の正体は、王宮で雇った冒険者。確か、ラグナと言ったか。
その後ろには、見たことのない人物が二人いる。大柄な赤髪の女性と、大人びた表情をした少年。
「話がある。と言っても、俺が、ではないのだが」
ラグナは言って、後ろの二人連れに目をやった。
と、大柄な女性のほうが、こらえきれないというように前に出た。
「あんたが、イオタさんかい」
切羽詰ったような瞳をして、彼に詰め寄ってくる。
「…あんたなんだろう?あんたが…!」
「ケイト」
そのまま胸倉を掴まれかねない勢いの彼女を、冷静な少年の声が遮る。
「クルムさん…でも」
「それは、エータが望んだことじゃない。あの子がどうして自警団に行きたがらなかったのか、考えて」
ケイトと呼ばれた女性は、雷に打たれたかのように立ちすくみ…そして、うなだれた。
少年はその横を通り、彼の前で立ち止まる。
真摯な、嘘のない瞳。
周りに人気がないのを確認すると、少年は静かに、彼に言った。
「…エータが大変なんだ。
シータからの魔力の供給がなくて、ひどく衰弱している。
放っておけば死んでしまうって、マリーが言っていた」
彼の表情がこわばった。
頭から、ざっという音を立てて血の気が引く。
「……な…」
何かを問おうとして、喉に何かが張り付いたように声が出ないことに愕然とした。
自分は今、恐怖している。
自らの行為の、想像以上の代償に。
「…そうなったら、一番悲しむのは誰だろう。
あなたなら、わかるだろ。
エータを、シータに会わせてやってくれ」
少年は悲しそうに瞳を曇らせて、彼に言った。
彼は目を伏せて…ふぅ、と息をついた。
「…………ご案内します。こちらへ」
そして、冒険者達の返事を待たずに、王城の裏口へと足を運んだ。

「く…クルムさん達は、大丈夫なのでしょうか…」
所は変わって、魔術師ギルド。
マリーの執務室で、千秋、ヴィアロ、コンドル、リーシュは不安げな顔で仲間の知らせを待っていた。
そわそわと歩き回りながら言うコンドルに、千秋は肩をすくめた。
「そこでお前がそわそわしていてもどうにもなるまい。少し落ち着け」
「で、でも……」
「あの、皆さんは犯人についてどっ……どう思われているのですか?」
いつもの調子で早口で問うリーシュに、千秋はそちらの方を向いた。
「そうだな、フルボディには悪いが、俺は犯人はイオタだと思う。つまりクルムを推すな」
「…俺も…そう、思う……イオタしか、考えられない……」
ヴィアロもぼそりと続けた。
「エータは、クルムに、『自警団に知らせたりしたらシータが悲しむ』って、言ったんだ。
って事は、犯人は女王がよく知ってる人、って事だよね……」
「あ、ぼ、ボクもそれは思いました……」
コンドルもおずおずと同意する。
「じ、女王様達が良く知っている人物で、女王様達にとって居なくなったら悲しい身近な人って、お、お兄さんのゼータさんか幼馴染のイオタさんくらいかなって思ったんです。も、もしゼータさんなら、ボクたちを雇うのはおかしいし……」
「そんなところだろうな。シータの魔力が感知されなかったのは、魔力を封じるアイテムを施されていたからだと思う」
千秋が同意すると、リーシュが不思議そうに首をかしげた。
「でも、女王様がたの魔力を封じられりっ……封じられるようなアイテムは事実上存在しないのでは…?」
「封じられないとは言っていない。普通のアイテムを使っても封じた状態にはなるが、魔道を使おうと思えば簡単に使え、そのアイテムは壊れてしまう、というだけだ」
「同じことではないんですか?」
「そこだ。『使おうとすれば』アイテムは壊れる。では、何らかの理由で『使おうとしなかった』ならば?」
「…どういうことですか?」
なおもわかっていない様子のリーシュに、千秋は説明を重ねた。
「先ほどヴィアロも言っていたが、シータが悲しむ、と言っていたのだな。つまり、それはシータもイオタに好意を寄せている、ということだ。魔道を使わない理由としては充分じゃないのか。愛の逃避行なのか、本当は戻りたいがイオタを庇う為なのかは知らんがな」
「な、なるほど~……」
感心したように頷くリーシュ。
「く、クルムさんたちはイオタさんのところに行ったのですよね…だ、大丈夫なのでしょうか…イオタさんがもし、ぎゃ、逆上したりしたら…シータ様が、あ、危ないんじゃ…」
コンドルはオロオロと主張した。
「や、やっぱり、成長したシータ様を想像して、ヴィアロさんにダウジングで探してもらった方が、よ、よかったんじゃ…」
「……残念だけど、俺には探せないと思う……女王の『秘密』が、俺の想像通りなら…今のシータがどんな姿をしているか、わからない、から………」
ヴィアロは僅かに眉を寄せて首を横に振った。
「それに、マリーも言っていただろう。女王は危険な状態だ。今小細工をしたり調べたりしている余裕はない、犯人に心当たりがあるなら問い詰めて場所を聞き出せ、とな」
千秋が再び肩をすくめる。
「……ま、クルムが犯人と話がしたいというなら、好きさせようじゃないか。
彼のことは信用しているし、それに……まあ、俺もこれ以上大事になって欲しくないからな」
千秋がそう言ったところで、執務室のドアが開いた。
「クルム様からご連絡がありましたわ」
エータを抱いたマリーが入ってきて、冒険者達は立ち上がる。
「参りましょう。皆様にもいらして頂きたいそうですわ」
「ちょ、ちょっと待て。エータを動かすのか?」
千秋が慌ててマリーに言う。
「エータはシータが見つかるまでは安静にしておかないと危ないのだろう?いくら探していたからといって、危篤の人間を病院から動かすようなことをしていいのか?」
「ご安心下さいましな」
マリーはにこりと、生気のない微笑を浮かべた。
「今から参りますのはシータ様のおわす場所にございます。エータ様は一刻も早く、シータさまとご一緒にして差し上げるべきですわ」
「しかし、そこまで移動している間にエータの容態が急変したらどうする?責任は持てるのか?」
「そちらもご心配には及びませんわ」
マリーは笑顔を崩さなかった。
「移動に時間などかかりませんから」
そう言い、エータを抱いたままぱちんと指を鳴らす。
一瞬、ふわり、と身体が浮くような感覚がして。
次の瞬間、執務室にいた冒険者達の姿は、ふっと掻き消えた。

小さな明り取りの窓から光が入るのを、彼女は悲しげな瞳で眺めていた。
こんなことが続くはずがない。そんなことは、彼女も彼もわかっていたはずだった。
でも、それでも彼を止めることは出来なかった。
彼を動かしていたのは、紛れもなく純粋に彼女を思う気持ちであったから。
それがどんなに無意味であろうと、どんなに抗っても無駄なことであろうと、彼女にとってその気持ちこそが唯一真実で、幸せなことであったから。
『もうやめましょう』
その一言が言えたなら、どんなにか楽だったろう。
しかし、それを言ってしまうには、ここでの時間はあまりに幸せすぎた。
そして、同時にあまりに悲しすぎた。
その一言を言うことが正解なのは判っている。おそらく彼にも、判っていることだろう。
しかし、その一歩が踏み出せない。
彼女は、今さらながら生来の己の心の弱さを呪った。
きぃ。
ドアの開く音がする。
今度こそ、言おう。
こんな無意味なことは辞めましょうと。
そう決意し、顔を上げた彼女の瞳には、予想と違うものが映っていた。
「………ぇ………」
無意識に、立ち上がる。
それを抱いている見知らぬ少年も、その傍らに立つ『彼』も、そしてその後ろに大勢いる、全く顔も知らぬ者たちも、目に入らない。
ただ、生まれたときから一緒だった、彼女の半身……大切な大切な、彼女の双子の姉が、青ざめた様子でぐったりとしていることだけ、はっきりと見て取れた。
「え……」
知らず、彼女は駆け出した。
急激な意識の高揚が、彼女の爆発的な魔力を動かす。
かしゃん…!
彼女の首元についていた、お飾り程度の魔道具が、それに耐え切れずに砕けて散った。
が、彼女はそれにも構わずに、駆け寄って姉の名を呼ぶ。

「エータ……!!」

部屋が、光に包まれた。
目もくらむばかりの光に、思わず冒険者達は目を閉じる。
そして、しばしの後に、ようやく目を開けた冒険者達の前には。
先ほどの美しい妙齢の女性と、真っ青な顔をした幼女の姿はなく……
魔道念写で見たとおりの、17歳の双子の少女が仲良く眠っていた…。

Minimum Answers

「…………」
イオタはずっと、俯いたまま黙っていた。
彼に案内された、王宮から少し離れたところにある一軒家。
なんでも、彼の父がひょんなことから手に入れて別荘代わりに使っていたもので、いつも彼が住んでいる家とも違うし、王宮の人間はここの存在を知らないのだという。
「何か言ったらどうなんだい?」
ずっとそのままの彼に対して、ケイトがイライラしたように口火を切る。
「あんたの気持ちは判らなくもないよ。シータちゃんを独占したい…シータちゃんただ一人のためだけに尽くしたい。そのためには、エータちゃんの存在が邪魔だ。二人一組の女王っていう一生の足かせから、シータちゃんを解放してあげたかった…その気持ちは、よく判るよ。
相手を強く思う気持ちは、時として人を狂わせる…それは、あたしがよく知っていることだからね…」
しんみりとひとりごちるケイト。
ヴィアロがぽつりと、それに口を挟んだ。
「……そう…決め付けるのは、よくない、と思うけど…
…でも、俺も知りたい…シータを身動き取れないようにして、何を…したかったの……?
二人でどこかへ逃げようと思っていたの……?エータが、死んでしまうかもしれないのに…?」
不思議そうな表情で淡々とイオタに問うが、彼はずっと俯いたまま何も語らない。
彼を囲むように椅子に腰掛けた冒険者。やや退いて、フルボディの大きな鎧。そしてその後ろに、マリー。
マリーもまた、困ったようにイオタを見つめたまま、ずっと黙っていた。
「少し…整理してみようと思う」
クルムが立ち上がって、仲間たちを見下ろした。
「今回の事件…イオタが何故、こんなことをしたのか…オレの考えも、想像でしかないけど…いろいろ、考えてみたんだ。
みんなの考えも聞きたいし…とりあえず、オレの考えを言ってみるから、色々と考えを聞かせてくれないか」
クルムの問いに、真剣な顔で頷く仲間たち。
クルムは頷き返して、説明を始めた。
「イオタとシータは、ええと…両思い、だったんじゃないのかな。エータがそんなことを言っていたし…」
「そうだな。エータが言っていたという『おっちゃー』というのは、イオタのことなのではないかと俺も思う。黒いクレヨンで絵を書いていたのだろう?イオタも黒い執事服を着ているし…」
千秋が口を挟み、クルムはうなずいた。
「うん。そして、ゼータという、補佐官で二人のお兄さんでもある人もそれを知っていて、身分は違うけどそのことは特にどうとも思ってないみたいだった。つまり、二人は身分は違うけど、許されない間柄っていう訳ではなかったんじゃないかと思うんだ。毎日会うことも、話をすることも出来るしね。
だから、オレはケイトの言うように、イオタが自分の望みのためにシータを連れて行ったとはどうしても思えないんだ」
「じゃあ、クルムさんはどうしてだって思うんだい?」
ケイトが問うと、クルムは自信なさげに視線を泳がせた。
「これも、想像でしかないけど…シータのため、だと思う」
イオタの表情が僅かに動く。
「イオタは、シータを救ってあげたいと思ったんだよ。シータを取り巻く、どうにもならない全てから。
それは、王宮の人たちがよく知っている、ゼータが決して語らない『秘密』が大きく関係していると思う。だから、まずはそれを解明する必要があると思う」
「………俺は………」
クルムの言葉に、ヴィアロが口を開いた。
「……シータは……エータの『オプション』じゃないのかな……と思う…。
ゼータは、魔力を持って生まれなかった――じゃ、エータも、何か……魔力が無いとか、そんな体質だったんじゃないかな――。
で、エータは、もっと何か深刻な体質を持って生まれてきたんだと、思う。
――例えば、8歳前後で成長が、止まるとか。
いや、命に関わる体質だったのかも知れないね……。
魔力が無くなったせいでエータは倒れた、みたいだし…」
ふい、と首をかしげて、いつもの無表情のまま、続ける。
「シータは、エータに魔力を注入するとか、補給するとか、そういった役割を持っていたんじゃ、ないかな……そばにいて、エータが魔力切れで死んでしまわないように…いつも。
離れる時は……いつもより多めに魔力を入れて…だから、その時のエータは、町の人たちには、本当の年齢よりずっと年かさに見えた……っていうことなんじゃないのかな……」
「ボ、ボクも、そう、思います…え、エータ様とシータ様が一緒に居る時はこの魔道念写の姿で居られて、離れ離れだと今の小さい姿になってしまうという事は、た、多分、エータ様は自分では魔力を長時間維持し続けることができないからだ、って……」
コンドルがおずおずとそれに続く。
「え、エータ様とシータ様がいつも一緒にいるのは、シータ様が一緒に居る事で魔力を安定させる事ができるからだと思います。
そ、それでシータ様ですけど…、ま、魔力がなくて小さくなってしまうなら、逆に魔力が余ると大きくなるんじゃないかなって思うんです。だ、だからさっきも、あんな風に18歳よりはずっと年上に見えた、んじゃ、ないかな……」
自身なさそうに続けると、ケイトがそれに同意した。
「あたしもそう思うね。
エータちゃんは政治を、シータちゃんは魔道を担当していたそうじゃないか。なんでわざわざそんなことをするんだろうって思ったんだよ。一人で全部こなしゃ、それでいいのにさ。
でも、エータちゃんはシータちゃんから魔力を供給されないと生命を維持できないとしたら…昔っから双子は不思議な絆があるっていうからね。魔力を供給されなくちゃちっちゃくなって死んじまうような…二人でなら女王に相応しいかもしれないけど、一人では不完全な存在…それが、二人の女王の秘密なんじゃないのかね」
「俺もそう思って、タウにそう持ちかけたがな」
フルボディが肩をすくめて嘆息する。
「どうやら違うようだぞ。ま、俺はもっと進んで、エータとシータは融合した一つの人格しか持っていないのじゃないか、と思っていたんだがな。だから、実際に国政をするときにはどちらか片方に魔力を片寄らせ、公務をしているんだとな。
だが、タウは、エータが不完全な存在で、シータはそれを補うためにのみ生きているのだとしたら、何の力も持たないエータに力を余分に分け与えてまで、二人に国政を分割させる意味がない、と言っていた」
「そ、そうですよね…力を持っているほうが、一人で女王になればいい訳ですから……」
うなだれかえるコンドル。
フルボディは続けた。
「付け加えるとな。タウは、今の女王は『片寄っている』状態だと言っていた。その状態は、二人にとって過分に『無理をしている』状態なんだそうだ。無理をしたまま長時間いれば、消耗するのは当然だ、早く『元に戻して』あげなくてはならない、とね」
「タウがそんなことを……」
マリーが眉を寄せてポツリと呟いた。わかっているのなら前もって言っておけ、とでも言いたげな、非難するような表情だ。
「では、こういうことではないのか」
ラグナが身を乗り出した。
「二人は実は一つの魔力を共有して使っていて其の時点での魔力保有量が関係するとかいうのであれば…
例えば、二人とも同じだけ持っていればあの絵の年齢、多ければ大人、少なくなれば子供に代わってしまうとか。このシステムならば、エータが子供の状態であったのも納得できるし、例えばシータが多めに持っていればエータが自然と少なくなり、それぞれ大人と子供の姿になってしまうとか……」
「うん、オレもそういうことなんじゃないかと思うんだ」
クルムは頷いて、ラグナの説に続いた。
「女王の『秘密』…彼女達の『能力』は、自分の『力』をもう一人に受け渡す能力だったんじゃないかと思うんだ。外見が変わってしまうのは、外見を変えようとしたからじゃなくて…その能力の弊害としてひき起こってしまうことなんじゃないのかな」
ゆっくりと。考えをまとめながら話すクルム。
冒険者達は黙って彼の説に耳を傾けた。
「おそらく、二人は魔力と政治的な手腕を、とても片寄って生を受けてしまったんじゃないかと思うんだ。
エータは頭が良くて判断力もあるけれど、魔道は素人以下。
シータは爆発的な魔力はあるけれど、判断力や決断力には欠ける。
シータが、エータの言葉を繰り返すしかしないのは……おそらく、自分で喋るだけの意志力すら、彼女にはないからなんじゃないかな。同じように、エータとシータがいつも一緒にいるのも、単純にシータには自分ひとりで行動するだけの意志力がないからなんだと思う」
イオタの表情が、僅かにゆがむ。
クルムは続けた。
「この国では、魔道が使えないっていうことはハンディキャップがあるのと同じことだ。
たとえ国を円滑に治めることが出来たとしても、魔力を持たない王は認められない。実際、ゼータがそうだしね。かといって、魔力が有り余るほどあっても、自分の意志で自分の言葉を口にすることすら出来ないのでは国を統治することなんかできない。
だから、二人で女王をする必要があった。
女王たちは、自分の担当の会議、式典に行くとき、能力を移す魔法を施し、片方の足りない能力を補う。
エータが政務会議に出席する時は、普段使えない魔法が使えるようにして、シータが魔道学会なんかに出席するときは、普段の彼女に無い強い統率力と自分の意思を口に出来るようにする。
それが、普段の女王の姿と、式典での女王の姿が違う理由だと思う。オレの言うことは…間違ってないかな?」
マリーのほうを向くと、彼女は重々しく頷いた。
「相違御座いませんわ。まったくもって、その通りでございます。
二人が魔力を片寄らせたまま長い時間が経つと、片方が消耗してしまう、というのは…今回初めて判明いたしましたので…面目無い次第ですわ」
悔しげに眉を寄せて、言う。
「そう。力を受け渡された方はいつも以上の力を得るけど、力を渡してしまった方は……文字通り、抜け殻だ。生きて行くのに必要な魔力も持たずに、意志が強いはずのエータでさえ、片言でしか意志を伝えられなくなってしまう。やろうと思えば、子供にだって暗殺はたやすいだろう。
女王がそんな状態になってしまうなんていうのは、国外はもちろん、国民にだって絶対に知られちゃいけない『秘密』だ。だから、ゼータもマリーも、タウも、それを部外者である冒険者に話す訳には行かなかったんだよ」
「なるほどな……」
フルボディが息を漏らした。確かにそのようなことは軽々しく口に出来るものではない。
クルムはイオタのほうを振り向いた。
「イオタは、そんなシータを…こんな風に生まれてしまったために、満足に口もきけないで、いつもエータの影に隠れているように見られてしまうシータを、可哀想に思っていたんじゃないのかな。
そこに、シータの『私は不公平だと思う』っていう言葉を聞いて…その言葉が、どんどん膨らんでいったんじゃないかと思うんだ。
だから、シータが唯一『不公平』でなくなる時…魔道の式典に出るためにエータから力をもらって、大人の姿になって…自分の意思で言葉を話すことができるその時こそが、シータにとっての理想なんだと思い始めた。それが、イオタの動機なんじゃないかと思うんだ」
イオタはまだ俯いたまま黙っている。
クルムは続けた。
「イオタが連れ出すのなら、話はとても簡単だ。
イオタは二人の幼馴染で、イオタの言葉になら二人もついて行くだろう。
イオタが持っている鍵で女王の寝室の扉を開け、女王を連れ出して、また鍵を閉めればいい。
夜の見回りは、イオタとニューが交代でするんだったね。イオタなら、その見回りをどう切り抜けられるかも簡単にわかるだろう。
そして、イオタはエータに頼んで、シータに能力を移してもらった。
魔力を失ったエータは魔力を感知されないし、シータには魔力封じのアイテムを使えば、シータが魔道を使わない限り魔力は感知されなくなる。魔道の探査で見つかることが無くなる、っていうわけだ」
「なるほど…それで、お二人の魔力は王宮内でも国内でもかんづっ……感知されなかったのですね」
感心したように頷いて、リーシュ。
クルムは頷いて、続けた。
「彼女達が城から出て、オレ達が迷ったエータに会うまで一週間、その間のことは良くわからないけど…
いくら大きな行事のない暇な時期だっていっても女王が何日も城を空けては政務に影響が出るとエータがイオタに言ったのか、それともイオタがシータにした提案を聞いてエータが反対したのか、とにかく、イオタはエータとシータを引き離した。
街にエータを放したとしても、小さい姿のエータは迷子として扱われてすぐに王宮に戻るだろうと想定したのか…それは、よくわからないけど……」
首をひねるクルムに、するどい声がかかった。
「それは少々相違がございますので、訂正させていただきますわ、クルムさま」
この場の誰のものでもない、澄んだ鈴のような声。
驚いた冒険者達が振り向いた先…部屋の入り口の前には、眠っている小さな子供を抱きかかえた、美しい女性の姿があった。
年のころは20代後半か。派手な赤紫色の髪を左側で纏めて結わえ、髪と同じ色の魔道装束を着ている。
先ほど別室で見た、大人の姿をしたシータによく似ていたが、彼女はややきつい目元に勝気そうな笑みを浮かべており、着ている装束もパンツスタイルだった。
「え……エータ……?」
呆然としてクルムが問うと、女性はにっこりと微笑んだ。
「はい。過日はきちんと名乗れませんで大変な失礼をいたしました。
改めてご挨拶させていただきますわ」
女性は抱いていた幼女を近くの椅子に寝かせると、僅かに膝を折って恭しく礼をした。
「マヒンダ国女王、エーテルスフィア・クィン・マ・ヒンディアトスと申します。
エータとお呼び下さいませね。皆様、改めて良しなにお願いいたします」
冒険者達はどう返事をしたものか、はぁ、と生返事を返した。

Minimum Happiness

「さっきオレが言ったことに、訂正、って?」
改めてクルムが問うと、エータは苦笑した。
「はい。クルムさまはイオタがわたくしを街に放り出したように仰いましたけれども、それは違うのですわ。
わたくしが、こちらを逃げ出したのです。イオタの隙をついて」
言って、ちらりとイオタのほうを見る。
イオタは複雑な表情で、エータが話すのを聞いていた。
「どなたかに、止めていただきたかったのですわ。わたくしはあの姿では思うように話すことが出来ません。かといって、シータにイオタが止められるはずも御座いませんでしょう?
ですから、どなたかにこちらへいらしていただいて、イオタを止めていただこうと思っておりましたの。
もちろん、このような事態ですから、お兄さまやマリーちゃんや、自警団などに駆け込む訳には参りませんでしょう?ですから、わたくしの手で頼りになる方を見つけ出したかったのですが……」
「……ですが?」
リーシュが先を促すと、エータは苦笑したまま肩をすくめた。
「………わたくしが、迷ってしまいまして」
「えぇ?」
呆れたように声を上げたのは、ケイト。
「小さいままで街を歩くのは初めてでございましたから、方向感覚も何もすっかりわからなくなってしまいまして…とりあえず、シータの場所を確認するところから始めなければなりませんでしたの。
手当たり次第にシータを探してまいりましたが、たちの悪いお方に絡まれることもしばしばで…ケイトさまたちが助けてくださらなければ、今頃どうなっていたことか知れませんわ」
「いやぁ、あたしゃ当然のことをしたまでだよぉ」
大げさに照れて、ケイト。
というか彼女の場合、半分は憂さ晴らしだったのだが。
「ともあれ、そういうことですの。イオタにわたくし達を引き離すつもりは無かったのですわ」
エータが言うと、ヴィアロが首をかしげた。
「…確かに…引き離すつもりは無かったのかもしれないけど…けど、まだわからない……
イオタは……何がしたかったの?」
責めるような様子はなく、淡々と思いを口にする。
「判ってるんじゃないのかな…?今ここでシータをさらっても、どうにもならないって事……。
他国に弱みは握られたくない、だろうけど――。
一人の女の子を犠牲にしてまで、守るべきものは……あるんだろうね……俺には分からない、だけで」
「犠牲…そうかな」
それには、クルムが異を唱えた。
「シータは、本当に『不公平』だって思っていたのかな?
自分の生まれに、自分を取り巻く環境に、不幸を感じていたのかな?
大切な双子の姉の力まで奪ってまで『幸せ』になりたいと、本当に感じていたのかな?
イオタの好きなシータは、そんなことを考える人だったの?」
悲しそうな瞳で、イオタに問う。
「シータの幸せも不幸も、イオタが決めることじゃないだろ?」
「…………」
イオタは黙っている。
(幸せは私自身のものだ。君のものでも、他の誰のものでもない。
私の幸せを、どうして君が決めるんだい?)
タウの言葉が、フルボディの胸中に蘇る。
シータの幸せは、シータにしか判らない。
それを決め付けて行動を起こすのは…『その人のため』ではない、『自分のため』だ。
「イオタ。シータは……」
「幸せなはずがないじゃないか」
エータが何かを言おうとして、イオタがそれを鋭く遮った。
顔を上げてエータを見つめる瞳には、悲しみと怒りが混在している。
いつもの紳士的な口調とはうって変わって、イオタは激しい内面を吐露した。
「自分の言いたいことも言えない。言いたいことが言えるのは、公務としてエータから『力』をもらっているときだけ。その時だって、公務に必要なことを喋らされるだけだ。自分の喋りたいことを喋っている訳じゃない。
言いたいことも言えない、したいことも出来ない、そんな人間に、生きている価値がどこにある?!」
拳を握り締めて、搾り出すように叫ぶ。
「シータは、不公平だと言ったよ。当然だ、こんな不公平ってないだろう?
自分の意思では何も出来ない。できることといえば、国のために働くことだけ。まるで国の操り人形だろう?比喩じゃない、本当の意味でだよ。
何かを言うことも、何かをすることも、彼女には許されてない。ただエータのあとについて、エータと同じことを言い、唯一自分の意思で動ける大人の時だって、公務以外は何も出来ない。
じゃあ、彼女は一体何のために生きてるって言うんだ?!
犠牲じゃない?彼女の何も知らないで、勝手なことを言わないでくれよ!」
イオタの激情に、冒険者達は言葉を失った。
クルムも、黙り込む。彼の説はあくまで想像。それに込められた人の苦しみも痛みも、直に感じたものではなかったから。
自分で自分の言いたいことが言えない気持ちも、自分のしたい行動が出来ない気持ちも、そしてそんな境遇の「大切な人」をずっとそばで見守るしかなかった気持ちも、実感を持って想像できるかといえば、答はノーだ。
想像を超える現実の前に、ただ口をつぐむしかない。
イオタは、エータが椅子に寝かせた小さなシータに歩み寄ると、呆然と言った。
「僕は、ただ……シータに、普通の幸せをあげたかっただけなんだ。
当たり前のように、自分の意思で歩いて、自分の意思で話す……そんな、なんでもない幸せを、彼女にあげたかっただけなんだ。
シータは…エータの双子の妹で、マヒンダの女王である前に…なんでもない、一人の女の子なんだから…」
眠っているシータに跪いて、祈るように手を組む。
部屋が沈黙に包まれた。
冒険者達は、悼むようにイオタを見ている。マリーも複雑な表情だった。
と。
「いいかげんになさいっ!」
跪いたイオタに、エータが一喝した。
イオタは驚いて彼女を見上げる。
「シータが、不公平?幸せでない?
あなたはこの期に及んで、まだそんな世迷言を仰るつもりですの?!」
エータの怒りの形相もまた、すさまじい。
「いいですわ!そんなにお判りになっていらっしゃらないのなら、わたくしが見せてさしあげます!」
エータは言うと、眠っているシータの額に手をかざした。
先ほどと同じような…しかし、それほど強烈でない光が二人を包み…二人の姿がみるみるうちに変化していく。
ほどなく、二人はもとの…魔道念写のままの、18歳の少女の姿になった。
眠っていたシータは起き上がり、立ち上がってエータの横に並ぶ。
エータはなおも怒りの形相をイオタに向けていた。
イオタは立ち上がって、二人に向き直った。
と、エータが指を一本立てて、言う。
「わたくしはマヒンダの女王ですわ」
「ですわ」
シータが、その語尾を繰り返す。
「わたくしは、この国のために力を尽くしたいと思っておりますの」
「ますの」
シータはにこにこしながら、エータの言葉に忠実に、繰り返す。
最後に、エータは立てていた指をびっ、とイオタに突きつけて、言った。
「わたくし、イオタのことなんかだいっっっっきらいですわ!!」
部屋に沈黙が落ちる。
「……………」
しかし、どれだけ待っても、シータはその言葉だけは繰り返さなかった。
呆然と、イオタがシータを見つめる。
シータはなおもにこにこしたまま、す、と前に出て、イオタの手を取った。
「シータ………」
笑顔のまま、シータは僅かに首をかしげる。
まるで、エータはこんなことを言っているけど、本気じゃないのよ?気にしないでね、とでも言うように。
エータは憤然と腕を組んで、イオタに言った。
「喋れないことが、なんだと言うのです?
自分の意思で動いていないと、どうして言えるのです?
シータにとって、あなたがそばにいて笑っていてくれることこそが幸せ。
その幸せの前では、そのようなことは瑣末なことですわ。
そのことを、誰でもないあなたが理解していないでどうしますの?」
イオタはシータの手を取ったまま、エータに目をやった。
エータは続けた。
「シータが不幸だと、ええ、何も知らない方はそう仰るかもしれませんわね。
けれど、彼女を不幸だと言うその方こそが、彼女を不幸にしているのだと、わたくしは思いますわ」
ふぅ、とため息をついて。
「眠り姫は、王子のキスで目覚めましたわね。
けれど、眠り姫が目覚めたがっていたと、誰が決めたのです?
眠りの中で、彼女は幸せだったかもしれないのに。それを無理やり起こされて、幸せな夢が覚めてしまったかもしれないのに。
眠っているのが不幸だと言うのは、起きている人間のエゴではございませんか?」
「エータ……」
イオタは呆然と、エータの名を呼んだ。
エータは苦笑した。
「『あなたの幸せ』でなく、『あなたたちの幸せ』をお考えなさいな。
それがきっと、シータにとっての『幸せ』ですわ。
それが、周りにはそう見えずとも…関係ないではありませんの?」
イオタは改めて、シータを見た。
シータはにこにこと、幸せそうに笑っている。
ほろり。
イオタの黒い瞳から、一筋涙がつたって落ちる。
「……シータ………ごめん…」
そのまま、イオタはシータを抱きしめた。
シータは笑顔のまま、イオタの背中にぽんぽんと手を回す。
「………ごめん……」
イオタの静かな嗚咽が、部屋の中にこだました。

Minimum Party

「ホォォォォオウッ!今日はこのイプシロン・プライマルエディクがっ」
ばた。
いきなり机の上で拡声魔法を使い始めたイプシロンに、真顔で手元にあった灰皿を投げつけて昏倒させるミュー。
「…さ、このバカはほっといていいから、始めましょ」
王宮の人間はすでに慣れているのか、何事もなかったかのように手元のグラスをかざす。
「では、女王の生還を祝って」
普段より少しだけ穏やかな表情のゼータが、乾杯の音頭をとった。
「乾杯」
「かんぱーい!!」
部屋にいた全員の声が響き渡る。
机に並べられた色とりどりの料理を、めいめいが好きなように取っていく。
マヒンダの街の片隅にある酒場兼宿屋…ケイトの働いている店は、いつも見ない顔ぶれで埋め尽くされていた。
「すまんな、ケイト。こんなにたくさん来るとは思わなかったんだ」
ラグナが申し訳なさげにケイトに言う。
「なぁに、お客さんが多いのにこしたこたないさ。それに費用は王宮もちだろ?これ以上のスポンサーはないよ!勝手に仕事サボっちまって親方に大目玉食らうとこだったけど、これでどうにか首は繋がりそうだ。こっちが礼を言いたいくらいだよ」
ケイトは気さくにからからと笑った。

関係者で、ささやかな打ち上げをしよう、というのはラグナの案。
仕事がかぶらないのであれば王宮の方々も是非、と言ったところ、女王たちはもちろん、ゼータやアルファを始めとする関係者がなんと全員現れた。微妙に見たことのない面々もいるようだ。狭い酒場はかなり満員御礼状態である。
嬉しい反面、こんなんでこの国は大丈夫なんだろうか、とも思う。

「…というか、イオタもいるのか」
驚きの表情の千秋に、イオタは申し訳なさそうに苦笑した。
「はい。その節は大変ご迷惑をおかけしました」
もうすっかり、いつもの執事口調に戻っている。
千秋は傍らにいたゼータに問うた。
「しかし、イオタの処分はどうなるのだ?ここにいて大丈夫なのか?」
「処分?何のことでしょうか」
ゼータは、うって変わって穏やかな笑みを浮かべた。
「この国で、女王が誘拐されたなどという事件は『起こらなかった』のですから。それによって処罰される人間などいませんよ」
「……そうか。いや、それを聞いて安心した」
千秋はほっとしたように笑みを浮かべる。
ゼータは少しだけ苦笑した。
「エータとシータに釘を刺されましてね。私も、肝心なところでは彼女達に甘いようです」
「なに、それが家族というものだ」
「もっとも、大事な妹を任せられるかどうかは、まだ危ういところがありますがね」
ゼータは言って、意地悪げにイオタのほうを見た。驚いて泡を食うイオタ。
「えっ…あの、その」
「羨ましいよ。あの二人は私にはそんなに夢中になってくれないからね。
せいぜい、意地悪な舅をやらせてもらうさ」
イオタはどう返事してよいか判らない様子でそわそわと辺りを見たが、千秋のほうを向いて強引に話題を変えた。
「ち、千秋様は、この後どうされるのですか?」
「俺か?そうだな…折角近くまで来たのだ、この際一回ナノクニに帰るか」
「千秋様は、ナノクニのご出身でいらっしゃるのですね」
「ああ。事情があってずっと帰っていない生活を送っていたが…ま、それも色々あってな。今は好きな時に帰れるようになった。
そうだ、せっかくマヒンダにいるのだから、マジックアイテムをいくつか見繕ってお土産にするか」
「マジックアイテムですか?」
「ああ。この前、そういうのを集めてる奴と知り合ったしな。どうせまた暇しているに違いない。退屈しのぎになってくれるだろう」
「では、あとで良さそうな店をピックアップしておきますよ」
ゼータが言い、千秋は微笑して頷いた。
「済まない、頼む」

「フルボディさまのこの鎧、すごいですわね~」
「わね~」
女王二人は興味津々の様子でフルボディの鎧を見ていた。
「どなたかの強い思いを感じますわ。フルボディさまを守っていらっしゃいますのね」
「のね?」
「ああ、しかしいかんせん、脱げないというのがクセモノでな。どうにか脱いで、シャワーを浴びたいところだが……あんたたちの力で、どうにかならないか?」
女王はきょとんとして、それからうーんと唸った。
「どうにか出来ないことはないと思いますけれども…わたくし達にできるのは、その鎧を吹っ飛ばすか、その鎧に取り付いている方の思念を強制的に昇華させることくらいだと思いますの」
「ますの」
「でも、鎧を吹っ飛ばしたらおそらく、間違いなく中にいるフルボディさまも吹っ飛ばれますし…」
「ますしぃ」
「呪いの解除というのは今申し上げたように、そのものに取り付いている思念を強制的に解放するというのが一般的ですが…この鎧さんの場合は、この鎧自体に呪いの媒体となるものが埋め込まれているようですわね?」
「わね?」
「あ?あ、ああ…そんなことまで判るのか」
「はい。そうなりますと、相当強い思いでここに留まっておられますから、解放の際にこの鎧さんはとても苦しまれると思いますの。それでも、フルボディさまが平気でいらっしゃるのでしたら、わたくしたちやマリーちゃんクラスの魔道士になら呪いを解いて差し上げることが出来ますわ」
「ますわ」
フルボディはふむ、と唸った。
「そうか…わかった。少し考えてみる」
女王たちはにっこりと微笑んだ。
「鎧さんがここに留まっておられる理由がはっきりすれば、鎧さんの心を開いて差し上げることで呪いを解く鍵が得られるかもしれませんわ」
「せんわ」
「ああ、わかった。ありがとうな」
フルフェイスの向こうで、フルボディは気さくに笑った。

「一度入っただけだけど、王宮の建物ってすごいんだな」
ケイトの作った料理を食べながら、クルムは隣にいる研究員たちに話しかけた。
「いろんな色、形が複雑に絡まってひとつの形を成している。お城自体がまるで高度な技術で組まれた呪文、魔法そのものみたいだ」
「最初に建てられた時から、色々改造が施されているらしいからね。建て増し建て増しで、城の構造をすべて把握しているのは天の賢者様くらいじゃないのかな」
フライドチキンをもぐもぐ咀嚼しながら、ガンマ。
「天の賢者様って…ええと、魔力感知のシステムを作った人、だっけ?」
「うん。ちょっとねぇ、あんまり名前を連呼していい人じゃないみたいだから、みんなそう呼んでるけど」
「へぇ……どんな人なのかな」
「さあねー。僕もお目にかかったのは数回だからね。人間じゃないことは、確かだと思うけど」
「へぇ…そういえば、ここの王宮は、城の中に研究所があるんだって?」
「うん、そうだよ。なんか変な感じでしょ」
ガンマがにぱっと笑う。クルムはごそごそと、腰のポーチを漁った。
「もし興味がある人が居たら調べて欲しいんだけど…」
言って、取り出したのは……卵形をした奇妙な生物だった。
「ぎゃー」
「な、何これ?!うわ、すっげ!」
とたんに、パッと瞳を輝かせるガンマ。
「卵人、っていうんだ。オレの友人が作ったものなんだけど…」
「へぇぇぇ、ねぇねぇ、ちょっと調べてみていい?」
「あ、うん。けど、気をつけて。結構手当たり次第なんでも食べちゃうから」
「了解了解」
ガンマはおもちゃを与えられた歳相応の子供のように、楽しげに卵人をいじくりまわしている。
手をかざして何かを解析してみたり、指で口をあけてみたり、後ろのあたりをつついてみたり…
と、ガンマは何を思ったか、突然手を卵人の口の中に突っ込んだ。
「うわっ?!」
驚いたクルムが声を上げる。それもそのはず、手はガンマの二の腕の辺りまで卵人の口に飲まれてしまったのだから。
「が、ガンマ?!大丈夫か?」
「ん、へいきへいき~」
ガンマはにこにこしながら、うにょっと腕を抜き出した。
唾液の一筋もついていない、全く無傷な腕には…レイジの派手な帽子と、小ぶりの植木鉢が握られていた。
「あ!それは…卵人が飲み込んでしまった植木鉢じゃないか!」
ガンマは植木鉢と帽子を近くのテーブルに置くと、また興味深げに卵人を覗き込んだ。
「どうやら、この子の口の中に入っちゃったものは、ある程度は消化されないで残ってるみたいだね。
あんまり詰め込むと、古いほうから消えてっちゃうみたいだけど」
「そ、そうなのか……」
呆然とした様子で、クルム。
ガンマは満面の笑顔で卵人を撫でて、クルムに言った。
「この子は、君の言うことなら判るんだろう?
欲しいものを君がお願いして、今僕がやったみたいに手を突っ込めば、それを取り出すことができると思うよ。ちょっと、便利なミニバッグみたいだよね」
バッグ……
クルムは絶句したが、あえて何も言わなかった。

「名取り………っていうの…知らない?」
「名取り?聞かぬ名だな」
ヴィアロの質問に、クシーは淡々と答えた。
「名前を…奪ってしまう魔物。俺は、『名取り』に名前を奪われて…自分が、どこにあるかわからないんだ…」
ヴィアロの言葉を聞いて、クシーの瞳が少しだけ興味深げに動く。
「…ふむ。私が名を聞かないと言うことは望みは薄いが…魔道図書館に何か文献があるかもしれない。調べてみるといいだろう」
「……ありがと。あと……腕のいい魔法医がいたら、紹介してもらえないかな……」
「魔法医か。ちょっと待っていろ」
クシーはそう言い置くと、その場を離れ…ややあって、二人の人物を連れて戻ってきた。
「王宮の典医だ。腕はいい」
淡々と紹介したその人物は…神秘的な美貌を持ったエルフの男性だった。
膝まである漆黒の髪に、漆黒の瞳。白衣の下も黒服に身を包んでいて、冷たさの漂う美貌をヴィアロに向けている。
傍には、影のように付き従う、やはり類稀な美貌を持ったエルフの女性。長い亜麻色の髪を編んで垂らしていて、その美貌は無機質に固めて伏せている。
男性は低い声で、淡々と告げた。
「……オメガ・エスク・ダム・ヴェルン……王宮付典医だ」
「…オミクロン・テプリカ。補佐と看護を担当しております」
傍らの女性も淡々と名乗る。
クシーとも合わせて、これだけ美形が揃うとちょっとしたモデルショーのようだ。
が、ヴィアロは特にそれには興味はないらしく、す、と自分の腕を見せた。
そこには、焼き付けたような黒い痣がじっとりと広がっている。
「この、痣…治らない、かな」
オメガはそれを見下ろすと、ゆっくりとそれに右手をかざした。
しばし、目を閉じて…それから、ゆっくりと開ける。
「………無理だな。これは病や怪我ではない。どのようなものかははっきりとは言えないが………そうだな、『痕』というのがいちばんしっくりくる」
「……痕…?」
ヴィアロが首をかしげると、オメガは頷いた。
「自分の所有物に刻む『痕』だ。名前を書いているようなものだな。名前を書いた本人に近づけば、その痣がそのものに呼応することだろう」
「名前を書いた…本人……『名取り』……」
ヴィアロは痣を握り締めて呟いた。

「あ、あ、あんたが…あの、伝説の料理人、サイキテクティ・エルダかい?!」
感極まった様子で火人の少女に話しかけるケイト。
自分の倍はあろうかという背丈の彼女に、プサイは気さくに笑いかけた。
「伝説っちゃー大げさじゃねぇ。うちは、ただ料理するのが好きなだけじゃけぇ」
「い、今はマヒンダの王宮でその腕を振るってるんだね?」
「そうじゃねぇ。この国はおもろいけぇ、まだしばらくはいることになる思うでぇ」
その言葉を聞いて、ケイトはがばっ、と頭を下げた。
「お願いしますっ!あたしに、料理の稽古をつけてやってください、師匠っっ!!」
プサイはその勢いに目を丸くし…ややあって、苦笑した。
「稽古っちゃーご大層なもんがつけられるかはわからんけぇが……この料理を作ったおんしの料理の腕、もうちっと見てみたいでよ。ここの店の手が空いたら、いつでも王宮に来んさいや」
「ホントかいっ?!ぃいやったぁぁぁ!さー、今日から忙しくなるよ!!」
ケイトはウキウキした様子で、狭い店内を跳ね回った。

「ケイトは楽しそうだな。しばらくはこの国にいるつもりのようだ」
そんなケイトの様子を見ながら、ラグナは苦笑した。
「み、みなさんは、あの、ど、どうするつもりですか……?」
コンドルがおずおず訊くと、ラグナはうーんと唸った。
「そうだな。せっかくだから、観光をしてみたい気もするが。
遺跡だの何だのがあるならばそれを見に行きたいかもしれんな。文化的にも物珍しいものも多そうな気もせんじゃないし。…そうやってブラブラしつつ、次の土地に旅立つとしようかな。お前はどうする?」
「ぼ、ボクも、しばらくこの国でゆっくりして…できれば、女王様方がお仕事をしているのも見てみたいし……そ、それで、旅の支度が出来たら、オルミナに行ってみようと思います…」
「オルミナか。オレもまだ行ったことないけど、知り合いの故郷でね。いい所らしいね」
クルムが嬉しそうに微笑みかける。
「オレは、魔術師ギルドに行って…新しい魔道をすぐに身につけるのは無理だろうから、今使うことの出来る術のスキルアップが出来たらな、と思う」
「クルムは相変わらずだな。なんだか適当に観光して土産でも買っていこうと思っていた自分がちょっと恥ずかしいぞ」
千秋が脇から言うと、ヴィアロが話に乗ってきた。
「千秋……土産物屋に行くの?」
「ああ、そのつもりだが」
「俺も、一緒に行っていいかな………ビーズ、欲しいんだ」
「ビーズ?その髪についてるやつか」
「あ…えっと、髪にもついてるけど、髪につけるやつじゃなくて……これ以上増えたら、ちょっと邪魔だから。
……部屋にね、ビーズ入れる箱があるから。……記念、かな。
マヒンダとか、双子の女王とか、この事件とか、パスタの」
「なるほど、記念か」
「そうだね、オレも何か記念になるもの欲しいな。ついていっていいかい?」
横からクルムが言い、コンドルがおずおずとそれに続く。
「ぼ、ボクも…」
ほのぼのとしたムードで、小さなパーティーは進んでいった。

Minimum Princess

「ふぅ……」
宴もたけなわになっている…というか、かなり酒も進んでダメな大人が続出しかけている店内から出て、イオタは息を吐いた。
あたりはもうすっかり暗くなっている。人影もまばらだ。
「イオタ」
名を呼ばれて振り返ると、そこには女王たちの姿が。
イオタはいつもの執事の顔を、くしゃっと崩した。
「エータ、シータ」
エータはにこりと微笑んで、彼のところまで歩いてくる。シータもそれに続いた。
「今回は…本当に、ごめん」
改めて謝るイオタに、エータは笑顔のまま首を振る。
「もうそのお話はおしまいにいたしましょう。
あなたがそこまでシータのことを想っていて下さったということが、わたくしは純粋に嬉しいですわ。
その手段が、少しだけ間違っていたとしても、ね」
「エータ……」
エータはもう一度だけ満面の笑みを浮かべると、くるりときびすを返した。
「では、邪魔者は退散いたしますわね。どうぞ、ごゆっくり」
「えっ?」
きょとんとするイオタをよそに、エータはシータを置いて店のほうへと戻っていく。
「『力』は…送らなくても大丈夫ですわよね?」
顔だけ振り返ってそう問うと、イオタは複雑そうに微笑んだ。
「……うん。言葉がなくたって、わかるよ」
「そう。それはよかったですわ。では」
エータは上機嫌で店の中へと入っていった。
残されたシータの手を取って…イオタは、優しく微笑みかける。
シータも、幸せそうに微笑んだ。

それだけが、この小さな恋人達の「幸せ」。
他人に、滑稽に映ろうとも。
その境遇を「不幸」だと嘆くものがいようとも。

君の幸せを、僕は信じて疑わないよ。
僕がそうであるように。
僕がそばにいることが、君の幸せなんだと信じてる。

それが、どんなに小さなことでも。
それが、君と僕の幸せ。


だから、僕はその幸せを、ずっとずっと守り続ける。


大切な、大切な。
僕だけの、小さなプリンセス。

“Minimum Princess” 2005.4.1.Nagi Kirikawa