彼の日記

ミシェル。
私がこの世から姿を消した後に、
貴女は、どんなに永い時を過ごしていくことでしょう。
私と過ごしたひとときは、
貴女にとってはほんの一瞬のことなのでしょうね。
けれども。
私は、貴女に会えて幸せでした。
一生を、貴女と、そしてリーと共に過ごすことが出来て。
私は、とても満ち足りた気持ちで、生を終えることが出来ます。

私は、貴女を…天の世界から引きずりおろし、地上に繋ぎとめた…
…とは、思いません。
貴女が、貴女のために、自分で選んだ道に、
ほんのひとときでも、寄り添って共に歩けたことを、
そして、その証として、何よりも大切な娘を授かったことを、
本当に誇らしく、幸せに思うのです。

ですから。
貴女はこれからも、貴女のために、生きてください。
それが、私の最後の…そして、ただひとつだけの、貴女への願いです。

私の、天女。
愛しています。

ティーフロット・トキス

すれ違う母娘

「…少しだけ、お聞きしたいんですが」
ミケは壊れ物に触るような複雑そうな表情で、リーに訊いた。
「コピーさんの記憶とか、そういうのって、全部残っているんでしょうか。リーさんが何を話した、とか。何をした、とか。
ミシェルさんは今はメンテナンスをしていないようですが、その辺の記憶を見たり、しているんでしょうか?」
「基本的に、コピーは見聞きしたことをすべてメモリーに蓄積しているわ」
リーは戸惑う様子もなく、落ち着いて明確に答えを返す。
「あたしを育てていた時のデータは、問題なく成長しているか確認する意味でママは見ていたと思うけど、あたしが旅立ってからはその必要もないから触れていないはずよ」
「旅立ってからコピーさんと、例えばどんな話をしていたとか、何をしていたとか、聞いてもいいですか?」
「旅の途中でこんなことがあったとか、土産話が多いかな。あとは普通にご飯を作ってもらったり、お世話してもらったり…」
あたしはそういうことがあまり得意じゃないから、と苦笑すると、心当たりがあるのかミケはそれについてコメントせずに同様に苦笑した。
「じゃあ、ミシェルさんのところに帰ったとしたら、どんなことをしていたのでしょう?」
続くミケの質問に、リーは困ったように視線をさまよわせる。
「……わからないわ。ママのところに行くときは、ママを頼る用事があることが大半だから…」
「そうですか……」
こちらも表情を翳らせて、ミケ。
「リーさんにとって、帰る場所っていうのは、ミシェルさんのところじゃなくて、コピーさんのところ、なんですね?」
「…そうなる、かな。ママのところは『行く場所』なんだと思う。ただいま、と言うこともあまりないわ」
「先ほども、自分の母親はミシェルさんじゃなくてコピーさんだって言っていましたが、今のことやそういうことをミシェルさんに言ったこととか、ありますか?」
「言葉にして言ったことはないわ。けど、ママはあたしの考えていることはお見通しだと思う」
「リーさんは、自分の顔を見るとミシェルさんが悲しむから、なるべく離れていよう……とか、そういう意識はあるんでしょうか」
「考えたことはなかったけど……無意識のうちにそう思って行動しているところはあるかもしれないわね」
「そう、ですか……」
ミケは難しい顔をして黙り込んだ。
しばしの沈黙。
やがて、ミケは顔を上げると、いたわるようにリーに言った。
「ねぇ、リーさん。やっぱり逃げていても始まらないから、ミシェルさんにお話しした方が良いと思うんですよ。ちゃんと、その辺を」
「………」
「……本当は何か、具体的な方法を挙げないと解決にはならないと思うんです。
……でも、今、コピーさんを人目にさらさずに済む方法や、壊さずに済む方法は、思いつかないんです。すみません」
謝るミケ。再び沈黙が落ちる。
と。
「うち、ミシェルさん、いうこと、正しい、思います」
アフィアが淡々とそう言い、ミケは驚いたように顔を上げた。
「アフィアさん……」
咎めるような響きを込めて彼の名を呼ぶが、アフィアはそのまま淡々と続けた。
「でも、納得、できない、思います。
危険、現実、なっていません。約束、破らない、方法、ある、思います」
「アフィア……」
淡々とした彼の言葉に、リーは少なからず驚いたように彼を見る。
アフィアは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らすと、続けた。
「もちろん、どうするか、決める、リーさん、です。
うち、それ、従います」
あくまで契約、仕事の上のことというていで言うアフィアに苦笑を返し。
「……わかってるわ。いつまでもこのままではいられないことも。
……きちんと、話さなきゃならないわね。ママと」
「リーさん……」
いたましげにリーを見やるミケとアフィアを見回して、最後に傍らに佇むコピーを見やって。
リーはおもむろに立ち上がった。

「……行きましょう。ママに会いに」

「…本当に、いるんですか?リーさんが」
ミシェルについてきたセレストが、心配そうにそう問う。
その傍らで、同じくついてきたユキも同じような表情でミシェルの返事を伺っている。
たどり着いたのは、先ほど彼らが訪れた、ミシェルの自宅だった。
「ええ。ここにいるか、そう時間を待たずにここにくると思うわ」
ミシェルは2人の方に少し視線をやって、相変わらずの淡々とした口調で言う。
「あまり関わりのない母娘だけれど、あの子のことはそれなりにわかっているわ。
決着をつけずに逃げ回ることをよしとする性分じゃない、そういう子よ」
断定的に言い切られ、それ以上言葉を続けられない2人。
ミシェルは再びドアに向き直ると、ノブを回した。
かちゃ。
軽い音が響いて、ドアが開く。
入ってすぐに広がるリビングには、すでに4つの人影があった。
「!………」
言葉もなく驚いてそれを見やる2人。
ミシェルは構わず中に足を踏み入れると、中央にいたリーの前で足を止め、彼女に向き直った。
「おかえりなさい。お久しぶり」
「………ただいま」
淡々と言うミシェルに、複雑そうな表情を返すリー。
ミシェルはリーの後ろにいたミケとアフィアに視線をやると、やはり淡々と言った。
「…座って?椅子は足りていると思うから」
「あ、は、はい……」
「………」
冷たいミシェルの様子に戸惑った様子のミケと、普段のミシェルを知らないので特に驚いた様子のないアフィアは、ミシェルに促された通りにリーの傍らの椅子に座る。
ミシェルはドアを振り返り、セレストとユキにも同じように促した。
「入って。ひとまずは座りましょう」
「あ、はい」
「お、おじゃまします……」
どことなく気まずい空気の中、玄関ドアを閉めて中に入り、ミケたちと向かい合う形で座る2人。
ミシェルは次に、リーの後ろにいたコピーに声をかけた。
「『ミシェル』、6人分のお茶を入れて。食器棚最上段の右端にアールグレイの缶があるから使って頂戴」
「わかったわー」
相変わらずニコニコしたまま頷くと、コピーはキッチンへと消えていった。
その様子を、信じられないものでも見るかのように目で追うミケ。
冷たく淡々と命令をするミシェルと、にこにことそれを実行するコピー。どちらが彼の良く知るミシェルかと問われれば、間違いなくコピーの方だ。
「…本当に、ゴーレム…なんですね……」
感心したように呟くミケをよそに、アフィアは改めてセレストとユキの方を向いた。
「さっき、挨拶、適当。……久しぶり」
「あっ、はい。アフィアさんもお変わりないようで」
「僕も、また会えて嬉しい」
ほんのり旧交を温めてから、面識のないミケとも紹介を交わす。
「……では、お2人はリーさんの依頼を受けられたということなんですね」
「そういう、こと」
「僕達は、ミシェルさんが娘さんを探してるって言うから、一緒にお手伝いしてたんだ」
「なるほど……では、事情は」
「はい、ミシェルさんのほうから、おおよそ」
お互いの認識を確認してから、改めてミシェルとリーのほうを見やる。
ミシェルはコピーが出した茶を涼しい顔で飲んでいる。リーはそちらをそわそわした様子で伺いながら、それでも黙って茶を飲んでいた。
「……すこし、ミシェルさんにもお伺いしていいですか」
「どうぞ」
ミシェルはティーカップをソーサーに置くと、ミケのほうを向く。
ミケは表情を引き締めて、彼女に問うた。
「ミシェルさんは、今、リーさんをどう思っているんでしょうか。……まだ傷が癒えていないから、今のまま遠い感じでいい、とか思っているのでしょうか」
「……そうね、正直…」
ミシェルは表情の見えない瞳を虚空にさまよわせて、言う。
「『わからない』というのが一番近いわ。どう接していいのか……
私もまた、親子の触れ合いの乏しい環境で育ってきたから、母親の愛情というものがどういうものかわからない。
そういう意味でも、私はリーの本当の母親とは言い難いのかもしれないわね」
「ママ……」
複雑そうな表情で呟くリー。
ミケはさらに問うた。
「例えば、今は、普通の家族というには距離が空いているように感じますが、それを縮めていきたい、とか。そういうのを思ったりしますか?」
「私も独立して、リーも一人で自分の道を歩いているわ。実際問題としてその必要はないように、私には思えるけれど」
「………」
ミケは黙ってミシェルの表情のない顔を見つめた。
「あ、あの、僕も少し、訊いていいですか」
そこに、おずおずとユキも口を挟む。
「どうぞ」
「えっと…じゃあまずは、リーさんに」
「え、あたし?」
きょとんとしてユキの方を向くリーに、ユキは真剣な表情で訊いた。
「リーさんにとって、ミシェルさんはどんな存在ですか?母親とか、そういうのじゃなくて、感覚的に」
「うーん……」
リーは少し考えて、迷ったような表情で答える。
「……尊敬する、すごく年上の友人……かしら。あえて『母親』以外の表現をするとしたら」
「そうですか…リーさんは、ミシェルさんに歩み寄ろうとした時はありますか?少しでも距離を縮めようとしたことはあるんですか?」
「意識的に距離を置いたことはないわよ?」
リーは今度は苦笑して答えた。
「ママは独立したひとりの個人なのだから、それを尊重して、ママの生活に配慮をした上で、何か困ったことがあれば力になってあげたいと思うし、ママもあたしによく力を貸してくれるわ。
でもユキの言いたいことは違うでしょう?あたしが『家族として』ママに接しようとしたことがあったか、ということよね?」
「……はい」
「どう言ったらいいのかしら……」
リーは再び困ったように視線をさまよわせて、それからユキに視線を戻す。
「……ユキが例えば、仲良くしていた近所のおばさんがいたとして、実はその人が本当のお母さんで甘えていいのよと言ってきたとしたら、すぐに本当のお母さんのように甘えられる?」
「っ………」
ユキは言葉を詰まらせて、それから俯いた。
「………無理、だと思う……」
僅かに眉を寄せ、少し消沈した声音で。
「僕、小さい頃に両親を亡くしたから、両親の顔も知らないんだ。
だから僕、今まで師匠に育てられてきた。
それで、両親を親と思えるかっていうと……無理、かなって」
うん、と自分で納得するように頷いて。
「だって僕にとっては、育ててくれたのは師匠だから。
僕に必要なことを教えてくれて、傍にいてくれたのは、師匠だから」
師匠との記憶を思い起こしているのか、その表情からは翳りは消え、苦笑交じりに幸せそうな表情を浮かべている。
リーはゆっくりと頷いた。
「そうね、あたしも難しいと思う。あたしだけじゃなく、ママも複雑なんじゃないかと思うわ」
言ってちらりとミシェルを見るが、ミシェルの表情は相変わらず読めない。
ユキは2人の表情を見比べて、今度はミシェルに問うた。
「ミシェルさんには、リーさんとの思い出ってありますか?
辛いものじゃなくて、楽しかったとか、嬉しかったとか」
「リーが困っている時には、色々と手は貸してきたわ。私はあまり表立っては活動できないから、些細なことだけど」
やはり淡々と答えるミシェル。
「あの子も旅をしている以上色々と困難はあるでしょうけど、それを乗り越えて成長していく姿は、素直に親として嬉しいことだと思うわ」
「じゃあ、リーさんと会話したことってありますか?
用事とか、そんなのじゃなくて、お互いに、この前こんなことがあったよーとか」
「私を頼ってきた事案に対しては、報告というのでもないけれど顛末を聞かせてくれるわ。
リーは旅をしているのだから、顔を合わせる機会もあまりめったにないの。その時は、楽しく話をしているわ」
言ってから、軽く息をついて。
「……私の話し方が良くなかったわね。誤解しないで欲しいのは、私もリーも、『仲が悪いわけではない』のよ。ミケは知っていると思うけれど」
「えっ。……え、ええ……」
急に話を振られ、曖昧に頷くミケ。
彼女達が顔を合わせているところに出くわしたのは、新年祭の時くらいだが……確かに、その時は普通の仲のよい親子に見えた。だから余計に驚いたのだ。
だが今になってみれば、親子と言うよりは友達の親しさだった気もする。立場を慮ることなく我侭を言える、そんな気の置けなさは感じられなかった。
ミシェルはさらに続けた。
「私も今は夫を失った痛みからかなり回復しているわ。『今の』リーを見るのも話すのも辛いということはない。
あの子のためにコピーの口調を真似て、笑顔で何もなかったかのように話す『振り』くらいはできるわ。
それが、家族との関係を育む大切な幼少期を私の都合で歪ませてしまった責任というものだと思う」
「………」
責任、という言葉に、リーの表情が翳る。
と、アフィアが僅かに身を乗り出して、淡々と言った。
「ゴーレム、世間、ばれない方法、ある場合、それでも、ゴーレム、壊すこと、しますか?」
ミシェルは一瞬の沈黙の後、やはり淡々と返す。
「ゴーレムは既に人の目に触れてしまっている状態よ。ただ、リーは私だと偽って探しているようだから、ゴーレムであるということはあなたたち以外の誰も知らないことになるわ」
「あっ……それでリーさんは、母親を探すという名目で依頼を出していたんですね……」
今更のように思い当たって声を上げるミケ。
「探すとなれば大勢の人たちに聞き込みをすることになる。けれど、母を捜しているというふれこみなら、実際にミシェルさんというそっくりな人がいる以上、コピーさんが人間であることを疑う人は出ない……」
「その通りよ。だから今の時点では、人の目に触れていないも同然の状態」
ミシェルはゆっくりと頷いてから、アフィアの方を向いた。
「その『ばれない方法』が私の納得のいくものであるなら、それを選ぶ可能性はあるわ」
しん、と静まり返る室内。
答えの出ぬ問いに、一同が気まずげに視線を動かす。
「………僕は……」
俯いたまま、ユキがぽつりと言った。
「ミシェルさんを親だって思えない、リーさんの気持ちもわかる……
でも、傷と向き合うことから逃げたくなるっていうのも、少しわかる気がする」
皆、黙ってユキに視線を向ける。
ユキは辛そうに目を伏せて、ぎゅっと眉根を寄せた。
「僕がそういう傷を負ったわけじゃないんだけど……師匠のお兄さんたちがね……
時々、噂とか、そういうの聞くんだ。すごく酷いこと言われてた。
平気だ、慣れたって言って、皆すごく辛そうだったけど笑ってた。
いつも僕を可愛がってくれて、皆笑ってくれるけど……時々、そういうのを見ちゃうから」
血まみれになるまで自傷をくり返していた者もいれば、手ひどい裏切りに遭い、傷ついた目をして冷たく笑っていた者もいた。
つい昨日のことのように思い出し、涙が浮かんできた目をこすり上げる。
「そうですね、俺もゴーレムには何らかの形で残っていて欲しいと思います。
ただ、その為にミシェルさんの気持ちが抑え込まれるのは望んでいません」
そんなユキをいたわるように見ながら、セレストも落ち着いた声音で言った。
「心情としては、かなりリーさん寄りではあるんだけれどね。
リーさんにとってのゴーレムは、あれこれ面倒見てくれた近所のおばさん、というより乳母みたいなものだったのかな。
そんな相手が病気でもう長くないって聞いたら、どうにかしたいのも分かる気がする。
……まだそこにいて、話しかけてくれて、何とかできる手段もあったら、それに懸けたくなっちゃうし、違う存在になっても、そばにいて欲しいって思っちゃったりするよね」
同情するように、リーに優しく語り掛けるセレスト。
以前に関わった、禁断の魔術で死から引き戻された少年のことを思い出す。あの時もセレストは、どうにか彼を生かすことを考えていた。
だが、今回はそれとは状況が違う。
「…でも、『彼女の気持ちを汲んでゴーレムを直してください』ってミシェルさんに頼むのは簡単だけど、違うと思います、俺は。
ユキさんが言ったように、ミシェルさんの辛い気持ちもわかるし……彼女一人ばかりに辛い思いをさせるのは、違うでしょ」
再び、沈黙が落ちる。
皆、辛そうに俯いて押し黙っていた。ミシェルだけがやはり無表情で、茶を口にしていたが。
「………それでも」
痛いほどの沈黙を破ったのは、ミケだった。
「…セレストさんのおっしゃることはわかります。ミシェルさんの言ってることが正しいことも。ミシェルさんばかりに辛い思いをさせるってことも。
全部、わかってます。それでも、僕は言います」
さっと顔を上げて、きっぱりとミシェルに言い放つ。

「コピーさんを、治してください」

子どもの主張

「ええと。コピーさんは元々身の回りのことができないリーさんのために、作られた、と。だから、独り立ちした今、コピーさんは役目を終えたとミシェルさんは仰るわけですよね」
「そうよ」
ミケの様子は、見ようによっては少し怒っているようにも見えた。感情が高ぶっているのを隠そうともせずにそのままミシェルにぶつけている、という様子で。
対するミシェルは、相変わらず真意の読めない瞳を静かにミケに向けている。
ミケは少しむっとしたように、ミシェルに言い募った。
「でも、あなたはそのつもりで作ったかも知れないですが、リーさんにとっては別の意味があります。『母親』の役目って、物理的な家事だけじゃないと思うんです。子どもにとって、母親の存在は、それだけじゃないんです。甘えることができる存在で、帰る場所を守ってくれる存在なんじゃないかなって、思うんですよ。リーさんは、コピーさんのところが帰るところだと、言っていましたし」
「………」
リーは心配そうにミケを見上げ、しかし口は挟まずに聞いている。
ミケは続けた。
「治ったら、外に勝手に出歩くことはないんですよね?
そうしたら、コピーさんは死なずに済むんですよね?
このままだと、もしかしたら、記憶とかも無くなっていったり、最悪リーさんの事とかも分からなくなっていったりしちゃうかもしれなかったりするのかなって僕は思いました。
……コピーさんには、このままでいて欲しいと思うんです。
ミシェルさんに何もなかった振りをされても、今度はそれを見るリーさんが、今はいないコピーさんを思い出して辛くなったりしないかな、って。
ミシェルさんの気持ちは、少し分からなくもない。
事情は分かっているつもりだし、心の傷を我慢してほしいっていうのは、酷いことだし、我が儘な意見だと思うんですけれど。
僕に分かるのは、子どもの方の気持ちだけだから。
我が儘を言えなくなってしまう子どもの方なら、分かると思うから。
『リーさんのお母さん』を、治してください。あなたにしかできないと仰いましたよね?あなたにしかお願いできないんです。お願いします。彼女を寂しがらせた責任だというなら、尚更。何もなかった振りをするのが責任ではないと思います!『お父さん』と『お母さん』を彼女から取り上げないで欲しいんです!」
「ミケ、落ち着いて」
感情的に声を荒げるミケを、リーが手で制す。
はあ、と息を吐いて、少し落ち着いた様子で、ミケは続けた。
「……ゼゾの遺跡で、本を取ってくる依頼をお受けしたときに、実は少し中を見てしまったんです」
「本……?」
きょとんとする一同。
ミシェルはなおも無表情で、ミケの話を聞いている。
ミケは一堂の方を見て、説明した。
「ゼゾの遺跡……ミシェルさんが、コピーさんを作ってリーさんを任せた後、閉じこもってしまった場所です。
そこに置いてあった本をとってくるようにと、以前、ミシェルさんから依頼を受けたんです」
「本を、取ってくる?ミシェルさんにとって大切なものだったんですか?」
セレストの問いに、ミケは少し迷った様子でミシェルを見て、それから頷いた。
「……ええ。ミシェルさんの夫……リーさんのお父さんの、日記でした」
「!………」
声を失う一同。
ミケは再びミシェルの方を見ると、続けた。
「……コピーさんには、彼女のお父さんの感情パターンを入力してあるのだと聞きました。……あんなに日々を幸せだと描ける人の欠片を、優しさをコピーさんは持っているんですよね。リーさんがコピーさんを好きだと思うところって、そういうところじゃないのかな、と思うんですよ。
……その心地よさみたいなのはあなたも、よく知っているのだと思うけれど。それを消してしまわないで欲しいんだ」
再び感情が高ぶってきた様子で。
「親としての接し方が分からないのなら、全部コピーさんが知っています。彼女を死なせてしまったら、あなたはこれから先も、きっと知ることはできなくなってしまいます。今のままの関係でいいというなら、コピーさんを治して。母親に戻るというなら、コピーさんの記憶を見てあげて。今のお2人の関係から、コピーさんだけを無くさないでほしい。リーさんの帰る場所を、残して欲しい。僕は、そう思います」
はあっ。
再び、ミケが息を吐く音だけが、部屋に響いた。
皆、固唾を呑んでミシェルの言葉を待つ。
「………」
ミシェルはしばし、黙ってミケを見つめ。
「………それで」
やがておもむろに、言葉を吐いた。

「夫を死なせないで、私から夫を奪わないで、という私の願いは、誰が聞き届けてくれるの?」

「!………」
ミシェル以外の全員が、目を見開いて絶句する。
ミシェルはミケをじっと見つめ、やはり淡々と言った。
「私の言いたいことが、判るかしら」
「………わかり、ます」
ミケは搾り出すように言ってから、視線を落とす。
「……誰も、聞いてくれませんでした。僕の、時も」
俯いたまま、苦しげに。吐き出すように言葉を紡いだ。
「母が昔亡くなったとき、僕もそう願った。母を死なせないでください、って。元々、母は体が弱かったから……よく長生きした方だと言われていましたけど、やっぱり早すぎだと、僕は思いました」
「そう」
「……治す技術を持った医者がいるなら、諦めたくなんかなかった。治せるなら、だったら治して欲しい。あの時もそう思った、だからリーさんがコピーさんを失いたくないって思う気持ちは分かるような気がしたんです。
治してもらえるなら、治して欲しいって、もっと一緒に生きて欲しいって、ずっと、思っていました。だから、僕はもう少しコピーさんと一緒にいさせてあげて欲しいって、思うんです。
どうしても、コピーさんを壊さなきゃいけませんか?」
「あなたは、自分が矛盾していることを言っているのは、わかっているの?」
「………え」
ミシェルの淡々とした言葉に、僅かに眉を寄せるミケ。
ミシェルはなおも表情の見えない瞳で、答えた。
「あなたは、ゴーレムを自分の母と重ね、魔法人形でなく、無くてはならない『人間』として扱っている。
でもそれと同時に、ゴーレムを壊れても直せば元通りになる『機械』として扱っている。
それが、あなたの矛盾よ」
「っ………」
「あなたの言うように、ゴーレムはリーにとって、ゴーレムとしての役割以上に『人』として存在している。
何も『人』とは変わらないわ。
……平等に、衰えと死が訪れることも、『人』と変わらない。
それをねじ曲げることが望ましくないのだと……」
ミシェルは少し言葉を切って、それからゆっくりと続ける。
「……私は、夫から教わったの」
再び、沈黙が落ちた。
リーは俯いてしばらく黙り込み、それからゆっくりと、言葉を吐き出す。
「……ママは、コピーはいつか誤作動を起こすって宣言してた。その誤作動を直すつもりもないことも。
つまり、誤作動を起こしたときが、コピーにとっての『死』。
それが訪れるまでにあたしがしなくちゃいけないことは……それを、理解することだったのね。
コピーはいつか『死ぬ』。ママがコピーを処分しないでおいてくれたのは、そのことを理解して、覚悟を決めるための…時間だった」
目を閉じて、辛そうに眉を寄せて。
「パパが亡くなったように。どんなに泣き叫んでも、そうならないで欲しいと願っても、どうにもならないものがあるのよ。
ミケのお母様も、ママの旦那様も、惜しまれて亡くなった。死んで当然の人なんていない、生きていて欲しかった、でも願いは届かなかった。
なのに……あたしだけ、都合よくコピーを『生かして』もらおうなんて……それこそ、コピーを『人』として扱ってない証……だわ」
「リーさん……」
いたましげにリーを見やるユキ。
ミケはぐっと拳を握り締めた。
「そんなの…言ってくれなきゃわからないじゃないですか……」
悔しげに、声を震わせて。
「覚悟を決めるための時間だって、リーさんに言ったんですか?言わなかったんでしょう、リーさんの口ぶりからして。
しかもコピーさんは壊れた様子も無く普通に動いてる、それまでと変わらない時間が過ごせるようになったと思うじゃないですか、誰だって」
「そうかもしれないわね」
淡々としたミシェルの物言いに、かっとなったように言い返すミケ。
「あなたの、意図は、分からない。口にしてくれないと、どうしてそんな事をするのか、分からないです!もっとそういうの、話してもらうことはできませんか?言ってくれなきゃ分からないこと、あるんです!」
「言う必要はないと思った、だから言わなかった、それだけのことよ」
「だから、どうして!」
「答えは、リー自身が見つけなければ、意味が無いからよ」
ミシェルの口調はよどみなく、そして感情の見えないものだった。
「言う必要はない、と言うのは正しくなかったわ。正確には、言うべきではない、ということよ。
私の口から正解を言うのはたやすいわ。けれど、それはリーを私の考えに染めているだけ。
私は、リーを私の意のままに動く人形にはしたくない。リー自身に考え、決断して、行動してもらいたいの」
「ママ……」
ミシェルの言葉に、リーは少なからず驚いたように彼女に視線を向ける。
ミシェルはそちらを一瞥すると、続けた。
「答えは自分の力で導かなければ、納得しない。本当の意味で理解することは出来ない。
肉親を失った痛みも、どうにもならないものに対する絶望も、そこから這い上がる勇気も力も、リーが自分で経験して、自分の力で編み上げていかなければ意味が無いのよ。あなただってそうして、お母様の死から立ち直ったのでしょう?」
「……立ち直った、んですかね。よくわからないですよ、正直」
ミケは自嘲するように笑って、視線を逸らした。
「遅かれ早かれ、人はいつか死んでしまうけれど、それが一日でも遠いことを、ずっと願っていたから。……悪化する様を見るまで、もしかしたらこのまま……ってそう思っていました。
現実的じゃなくたって、ただの延命だって、治して欲しいと、僕はずっとそう思っていましたから。母の死を受け入れられたのか、なんて、よくわからない。
ミシェルさんの言葉を聞いてなお、思います。覚悟を決めるための時間だというなら、あらかじめそう言って欲しかった。急に大事な人を取り上げるようなことは、して欲しくない。せめて猶予が欲しい。死を受け入れるだけの、猶予を」
ぎゅ、と辛そうに眉を寄せて。
「……100%リーさんのための言葉じゃない。これはきっと自分のための言葉です。あのとき、多分、飲み込んだ言葉なんでしょうね。しょうがないことなんだよって、いつかが今なんだよって、自分でも言い聞かせていた事の下の言葉なんでしょうけど」
「ミケ……」
悲しげなリーの視線に気づいて、苦笑して頭を振る。
「……言えなかったんです。仕事で帰ってこなくなった父や、勉強や修行に没頭した兄や……寂しいのを堪えて笑おうとした兄や姉。……寂しいって。寂しいって言ったら、父だって、兄や姉だって困ってしまう。悲しいのは自分だけじゃないって、分かっていた。だから、大丈夫だってずっとずっと言って、それは言えなかった。……誰も、言わなかった。言えなかっただけかもしれない」
それから、顔を上げて、まっすぐにミシェルを見つめて。
「……大事な人を亡くしてしまうのは、悲しい。寂しい。それから……その後も、です。悲しみに寄り添う人が……いないと、尚更寂しいんです。
その声は、誰に言えば良いんでしょう。今、リーさんは、それを、どうしたらいいんでしょう?本当だったら、あなたに言えばいいんでしょうけれど、あなたがコピーさんを奪ってしまったら、どうしたらいいんでしょう?母を奪った人に、母がいなくて寂しいとはこぼせない。リーさんの気持ちは、行き場を失います」
ミケの言葉に、ミシェルは初めて咎めるような表情で眉を寄せた。
「……あなたが、それを言うの?」
「えっ……」
「リーのことを良く知らない、アフィアや、あるいはセレストやユキが言うならわかるわ。
けれど、リーの依頼を受けて、この子には心から信頼できる旅の連れや、少し素直じゃないけれど心根は真面目な恋人がいることを知っているのでしょう?」
「それは……でも」
「寄り添う人がいれば、あなたのように肉親の死から立ち直れるのでしょう。問題はないわ」
「問題ないわけないでしょう!」
ミケは再び激昂して声を荒げた。
「急に大事な人を取り上げる、そしてそれをするのがあなただというのも、いやだって思うんですよ。あなたが正しくても正しくなくても、あなたが、リーさんの大事な人を奪うという事が、いやです!もし父が同じ事をやろうとしたら、絶対止めます。そんなの、子どもとして見たくない。
……時や、言葉の届かない何かが命を止めるなら、まだしも、親の手で、というのは、いやです」
「では、どうしろと言うの?あなたが代わりにゴーレムを処分してくれるの?」
「だから、僕の主張は一貫して変わりませんよ。コピーさんを、治してください」
きっぱりとした口調で答えるミケ。
「まだ、動けるなら、壊さないで欲しい。急に大事な人を奪われるのは、悲しいんです。……時と、神様に、僕の声なんか届かない。
それは、知っているけれど……今、目の前には、声を届けられるあなたがいるから。お願いします!」
「ミケ、もういいわ、やめて」
ミシェルに詰め寄らんばかりに言い募るミケを、隣にいたリーがやんわりと止めた。
「リーさん!」
「ママを説得するのは、無理よ。あなたもわかってるんでしょう?
時と神様にお願いをするのと同じレベルで、ママの意思を覆すことは出来ないわ。
ママは自分が辛いという感情だけで拒否してるんじゃない。世界のために、何よりもあたしのために、死んだパパの遺志を守るために選択しているのよ。
それは……よく、わかったから……」
「でも……!」
「まあ、落ち着きましょう、ミケさん」
はす向かいに座っているセレストが、静かな声音でなだめるように言った。
「ミケさんのおっしゃることもわかります。けれど、ミケさんがそれでも納得できないように、俺も最初の考えから変わりませんよ。
ミシェルさん一人を責めて負担を強いるのは、俺は違うと思います」
「セレストさん……」
複雑そうな表情を向けるミケに、セレストは冷静に、ふむ、と考えるそぶりをした。
「ミシェルさんはリーさんの言うとおり、感情的に辛いから嫌だと拒否してるんじゃなくて、確固とした『直すべきでない』理由がある。
俺もミケさんみたいに、処分するまでに猶予が欲しい、って思ったけど、さっきの話ならもう猶予はもらってたんだよね、そもそも。それはわかりました。
でもそれを考えから外すしても、ですよ。
仮に彼女が、納得したんじゃなくて、周りに折れた結果としてゴーレムを直しても、また不調が表れたときに同じことを繰り返すのかなって」
「また……?」
「ええ。だって、このゴーレムの不調は、予定調和ではないんでしょう?ミシェルさんにも、いつ、どんな風に不具合が出るかはわからなかった、そもそも不具合が出るように作ったわけではないんですから」
「それは、もちろんそうよ」
ミシェルはまた、元のように淡々と頷いた。
「完璧に動くように作ったわ。そうでなければリーを任せられないから。
それでも、これだけ精密なものには長い時間の間にどうしても狂いが生じる。リーを見てもらっていたときにしていた定期的なメンテが無ければ、いずれ不具合が出るということしかわからない。それは、リーにも言ってあったわ。その上で、私はメンテを行わない、ということも」
「なら、今仮にミシェルさんがコピーさんを直したとしても、メンテを行わなければまた同じように不具合が出る可能性があるんですよね?」
「その通りよ」
ミシェルはゆっくり頷いてから、ミケのほうに視線をやった。
「今私が直したとして、その先は?
また誤作動を起こすたびに私が直すことになるの?
では、私が死んだら?死なないにしても、衰えてコピーを直すだけの知識と技術が失われたら?」
「っ………」
感情論だけで訴えて、正直その先のことを考えていなかったミケは、言葉に詰まる。
ミシェルは淡々と続けた。
「今は誤起動だけで済んでいるかもしれない。でも、次に出る誤作動はそうじゃないかもしれないわ。
あなたの言うように、メモリーが損傷して記録も失われるかもしれない。
命令系統の誤作動で、寝ているリーの首を掻き切るかもしれない」
「っ……!」
「そんな……!」
残酷なことをさらりと言うミシェルに、ミケやユキの表情が歪む。
ミシェルはなおも無表情のまま、ミケに問うた。
「その時になって私が、ゴーレムを直せる状態である保証がある?」
「…そうですね。ゴーレムを直せるのはミシェルさんだけですが、おそらく娘のリーさんよりも先に逝くわけですから」
セレストの発言にミケは少し複雑そうな顔をしたが、何も言わなかった。
そのミケに、ミシェルがさらに言葉をかける。
「あなたは私がゴーレムを壊すのが残酷だと言ったわ。では、誰がやるの?
誤作動でリーを襲ったら、リーの手でゴーレムを壊すことになるかもしれない。
それは、私が手を下すよりもっともっと辛いことだと思うけれど」
「…………」
悔しそうに黙り込んで、俯くミケ。
「ふたりの妥協点が見つかればいいんだけど、うーん」
セレストが腕組みをして、首をひねる。
「……そういえば当のゴーレムさんは感情はないと聞いたけど、この事について何か思っているのかな?」
「え?」
きょとんとしたのは、リー。
セレストはそちらを向いて、さらに聞いた。
「いや、自分が動かなくなる事ではなく、ミシェルさんとリーさんが意見を対立させている事について。何か思ってることがあるのかな、と思って」
「うーん……」
リーは困ったように、傍らで控えているコピーに目をやった。
「……『ミシェル』、あたしとママの意見が対立しているけど、率直な意見を聞かせて」
「わかったわー」
コピーはなおもニコニコしながら、抵抗無く頷いた。
「私は、マスターの決定に従うように命令されているのー。マスターとリーの命令が食い違った場合、優先順位はマスターの方が上なのよー」
「……そう、ですか……」
思ったより乾いた内容に、この女性は本当にゴーレムなのだと改めて思うセレスト。
「…そういえば、アフィアさんは先ほどからずっと黙ってますけど、何かいい考えはありますか?」
セレストの言葉に、アフィアはこくりと頷くとおもむろに口を開いた。

「方法、いくつか、ある、思います」

2人が交わる道

「ゴーレム、壊す、やめてもらう、譲歩、してもらう、必要です。
その代わり、そのほか、条件、守る、必要、思います」
「……どういうことですか?」
アフィアのたどたどしい言葉はそれだけでは正確な意味が伝わらない。
ミケが問うと、アフィアはそちらを向いて言った。
「ミシェルさん、譲歩、する。その時点で、公平、違います。
約束した、守られるべき。約束、全部、なかったことにする、不公平です」
「こちらの一方的な都合だけで約束を全部反故にするのはフェアではない、ということですね」
セレストが冷静に解説すると、アフィアはゆっくりと頷いて続けた。
「ゴーレム、一度だけ、壊す、やめる。その代わり、残りの約束、守る。
それ以上、要求する、やりすぎです。ミシェルさんに、メリット、ない。本当は、譲歩も、筋違い」
「それは……そうですけど」
全面的な譲歩を要求していた手前、正面から正論を突きつけられてふてくされたように言うミケ。
「でも、一度だけ壊さないでいてもらう、そのほかの約束はそのまま、っていうことは、ミシェルさんのメンテは入れない、っていうこともそのままなんですよね。
それだと結局、またコピーさんは外に出て、人の目に触れてしまうんじゃないですか」
「だから、その方法、考えた」
アフィアはなおも冷静に言った。
「1つ目、修理する。ミシェルさん、以外の人」
「えっ……でも、コピーさんはミシェルさんにしか修理はできないんじゃ」
「うち、修理できそうな人、知ってます。でも、連絡、取り方、わかりません……なので、この方法、無理、思います」
自己完結するアフィアに、微妙な顔をする一同。
すると、ミシェルが淡々とアフィアに問うた。
「……その修理できそうな人っていうのは、女性?」
「え」
そこを突っ込まれると思っていなかったのか、きょとんとするアフィア。
「女性、違う……男性。たぶん」
どこまで口に出していいのかためらっている様子で、そう返す。
ミシェルは無表情のまま、小さく頷いた。
「そう。では、確か……こちらでは、ゼヴェルディ・シェールと名乗っているんだったかしら。その人?」
「っ……」
ずばり名前を言い当てられ、硬直するアフィア。
「図星のようね」
頷くミシェルの傍らで、ユキがきょとんとして首を傾げる。
「えっ、ゼヴェルティ・シェールって……ゼルさんのこと?羊の依頼の時の」
「そう、です。ゼル、マジックアイテム、強い。力、ある。ゴーレム、直せる、可能性、あります」
「そ、そうだけど……うーん、僕もゼルさんの連絡先はわからないしなぁ……」
困ったように眉を寄せ、首を傾げるユキ。
該当の男性について詳しくは、相川GMのシナリオ「おつかいクエスト」あたりから「GO HOME!」あたりまでをご参照ください。
「……残念だけど」
ミシェルは僅かに視線を鋭くして、言った。
「その人に頼むのが一番危険だわ」
「………」
「え、え、どういうこと?」
黙り込むアフィアと対照的に、ミシェルとアフィアを交互に見て混乱している様子のユキ。
ミシェルはそちらをちらりと見て、再びアフィアに視線を戻した。
「理由はあなたが、一番よく知っていると思うけれど」
「…ミシェルさん、ゼル、知ってる、ですか」
「直接会ったことはないけれど。向こうも私のことは知っているようよ。私も、彼の作品なら見たことがあるわ」
「……そう、ですか……」
いろいろと察するところがあったのか、俯いて口を閉ざすアフィア。
ミシェルと該当の男性との関係について詳しくは、過去シナリオ「Mission:Impossible」をご覧ください。
ミシェルは嘆息して、続けた。
「もし仮にその人以外に直せる人がいたとしても、その方法は遠慮して欲しいわね。
他の人の目に触れるのが危険、と言ったでしょう?それがたとえ直せる人であろうと、他人である以上約束には反するわ。ましてやゴーレムに造詣の深い人物だなんて、技術を悪用されない保障はどこにもない」
「………そう、でした」
心なしかしゅんとしたが、アフィアはすぐに気を取り直して、続けた。
「2つ目、人目、付かないようにする、です。
これ以上、ほかの人、見ない、すれば、問題、ない、思います」
「どこかに…閉じ込める、っていうこと?」
心配そうにユキが問うと、アフィアは僅かに眉を寄せる。
「それ、あんまり、思います。けど、街中、遠ざける、有効、思います」
言ってから、リーの方に視線を向けて。
「ゼゾに、ミシェルさんがいた、遺跡、ある、言ってました」
「あっ、ああ、ええ……」
思わぬことを言われたのか、きょとんとした表情で頷くリー。
「さっきミケが言っていた、本を取ってくる依頼。その本…パパの日記が眠っていたのが、その遺跡よ」
「そこ、人、来ない。ちょうどいい、思います」
「え、ええっ」
これには、ミケがかなりの拒否反応を示した。
「あの、アフィアさん、それはちょっと……」
「何か、問題、ですか」
「あの……その遺跡から、本を取ってくるのに、依頼をかけた、んですよ。しかも、10人も。
本を取ってくることが、それだけ困難な状況だったっていうことです……」
「困難、ですか」
「……ミシェルさんが、おそらく、自分がお一人になるために、侵入者を徹底的に排除する罠を、ですね……」
そこまで言って、青ざめて口をつぐむ。
ミケをしてここまで怯えさしむ罠とは一体、と、ミシェルに一同の視線が集まるが、ミシェルは涼しい顔で茶を飲んでいた。
遺跡に仕掛けられた罠がどれだけ大変だったかは、過去シナリオ「賢者のわすれもの」をご覧ください。ギャグ注意。
「………とにかく、あの遺跡にいても、確かに人は入ってこないし、出ることも困難でしょうが、コピーさんが破壊される危険性は増すと思います……」
「そこまで……」
若干引いているセレスト。
アフィアは少し考えて、再び口を開いた。
「なら、罠ある場所、出ないよう、する」
「どうやって?」
「コピー、リーさん、いない、探しに出る。
なら、リーさん、そっくり、ゴーレム、作って、一緒、する。コピー、探し、出ない」
「なるほど……」
アフィアの言い分に、感心して頷くミケ。
だが。
「残念だけど」
にべもなく言葉をさえぎったのは、やはりミシェルだった。
「それこそ、さっきの話よ。今後、この誤作動で留まるかどうかはわからない。
突然暴れだすかもしれない。メモリーデータが飛んで、リーのことも何もわからないまま、罠をかいくぐって遺跡の外に出てくるかもしれない。
確実なことが何も言えない以上、その手立ては現実的ではないわ」
「…………」
アフィアは言葉を返さず、俯いた。
再び、沈黙が落ちる。
「あ、あの………じゃあ、3つ目」
その沈黙をおずおずと破ったのは、ユキ。
「ゴーレムを少しだけ作り変える、っていうのはどうかなって……」
「作り変える、ですか?」
眉を寄せて、ミケ。
ユキは少し肩を縮めて苦笑すると、続けた。
「うん。浅はかじゃないかな、とか、自分でも思うんだけど……。
リーさんの気持ちも、ミシェルさんの気持ちも、わかるし……だから、妥協できるところは妥協して、ゴーレムそのものは残して、その外見とか中身とかを相談して変えるのはどうかな、って思ったんだ」
顔を上げて、リーの方を見て。
「ゴーレムはリーさんの育ての親で、その時のミシェルさんのリーさんに対する愛情なんだって思うから。
それを壊したら、きっとその両方を失くすことになるから。
だから、その形は残して中身を変えるの。
それが今の二人の形だってなると思うから……上手く言えないけど」
「そのまま残す手段がない以上、それが妥協点でしょうね。壊したくないリーさんと、処分したいミシェルさんの」
頷きながらそれに続くセレスト。
「『とてつもない技術のゴーレムがいる』までは許容範囲で、『人の目に触れて、その技術を悪用される』のがいけないんですよね。
たとえば他の人形に今のゴーレムの行動や言動のパターンを一部でも移し替えたり、保管したりすることは可能でしょうか。
これは、ユキさんが言うのと逆のパターンになりますが。中身を保存して、外見だけを変える。
何をどういう風に変えるかは、リーさんとミシェルさんで相談して決めればいいと思いますよ」
落ち着いた声音で言って、リーとミシェルを交互に見る。
他の者達も、それぞれに彼女達の表情を伺った。

沈黙が落ちる。
この母が。そしてこの娘が、どんな結論を出すのか。
一同が固唾を呑んで、次の言葉を待っていた。

やがて。

「………そうね」
ミシェルは目を閉じて、ゆっくりと頷いた。
「そこが、落としどころでしょうね」
「ママ……」
リーは複雑そうな表情で彼女の表情を伺う。
ミシェルは相変わらずの無表情で、じっとリーを見つめ返した。
「ゴーレムが動いて外に出てしまうことが問題。それから、人間とほとんど変わらない体も、維持するのは難しいし、何より目立ってしまう。
自立歩行がきかない、そして見た目には普段あるものとして映る…例えば、このゴーレムの髪の毛や服を使った人形に、メモリーを移植して。
そして、あなたの声に反応して返事を返す機能だけをつける。もちろん、記憶も思考パターンもそのまま。
動かないし、見た目も違うけれど、これまでのように会話をすることだけは出来るわ」
「ママ……!」
リーの表情が、泣き笑いの形に崩れた。
「いいの……?」
「ええ。ただし、ここまでが私に出来る限界だから。
一度作り変えたら、私はやっぱりメンテはしないわ。いずれその、返事を返す機能も、衰えて、不具合が出て、やがて動かなくなるでしょう」
「うん。わかってるわ。それが自然なことだもの」
今度はリーも、強い瞳で頷く。
「もうじたばた足掻いたりしないわ。『ミシェル』を失うのはやっぱり辛いけど、きっと乗り越えられると思う。
その時が来たら、きちんと弔いをするつもりよ」
「リーさん……」
先ほどまでの心配そうな表情とは別人のような、晴れやかな彼女の笑顔に、驚いたように声を漏らすミケ。
ミシェルはリーの言葉を受け、頷いて言葉を返した。
「その時は、私を呼んで頂戴」
「えっ」
思いもよらぬことを言われたように、きょとんとするリー。
ミシェルは変わらぬ淡々とした様子で、続けた。
「あなたを立派に育ててくれた『母親』に、感謝と祈りを捧げたいから」
「ママ……」
再び、泣き笑いのような表情になるリー。
ミシェルは俯いて、目を閉じた。
「ミケは、私の考えを言えと言ったわ。
私は私の考えで、あなたに言葉を告げなかった。それは、そうあるべきだと思ったし、今もその考えは変わらない。告げなかったことは、間違ってないと思うわ。
…でも、同時に、告げるのが怖かったのだとも思う」
「怖かった……?」
「ええ。私の言葉で、あなたが変わってしまうのが、怖かった。私にそれだけの価値などないから」
「そんな……ママが?」
ミシェルの口から飛び出すネガティブな発言に、リーはもちろん、周りの者達も驚いて眉を上げる。
ミシェルは頷いて続けた。
「私は、あのひとと…夫と出会うまで、本当に空っぽの存在だった。周りの言うことに従うだけの人形。
けれど、あのひとと会って、あのひとが心を与えてくれて。私は『人形』から『私』になった」
淡々とした物言い。
それは、彼女の言うとおりの、本来の、『人形』のような彼女本人の言葉なのだろう。
皆それぞれに、複雑な表情でミシェルの話を聞いている。
「だから、あのひとが亡くなった時、私はまた『私』から『人形』に戻ってしまったのだと思ったわ。
そんな『人形』が、あなたの人生を狂わせてはいけない。無価値な私の言葉で、あなたを惑わせてはいけない。
告げない理由には、そういう要素も含まれていたのだと思う」
「ママ……」
リーは辛そうに、ミシェルに向かって身を乗り出した。
「そんなこと、言わないで。ママは無価値なんかじゃない。
ママはママが思ってるような『人形』じゃなかった、だからこそ、パパはママを好きになったんでしょう。
ママはパパに心を『与えられた』んじゃない。パパがママの中にあった心を『見つけてくれた』のよ。ママの心は最初から、ママの中にあったの。
ママは、パパが心から愛した……それに、あたしも心から愛してる、大好きなママよ」
「……ありがとう」
ミシェルの言葉に、少しだけ感情がともる。
彼女は目を開けると、まっすぐにリーを見た。
「言うことが正しいのか、黙ることが正しいのか、どちらが勇気か、そんなことは誰にもわからない。
でも、正しいか正しくないか、そんなことを考えないことも、してもいいのかもと、今、思ったわ」
ミケのほうを一瞥して。
「するべきかどうか、正しいかどうかじゃない。言いたいから言う、そんなこともしていいのかもしれない。あなたを見て、そう思った」
「ミシェルさん……」
彼女からそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。呆然とミシェルを見返すミケ。
ミシェルは再び、リーに視線を戻した。
「リー」
「……はい」
「ひとは必ず衰えて死ぬもの。
親しい人が、自分より先にこの世からいなくなることは、この世界の全ての存在に等しく降りかかる、避けては通れない経験よ。
私が受けた悲しみを、そしてそれを乗り越える強さを、私はそのままあなたに伝えて、体験して、理解して、乗り越えて欲しかった。
だから、私はあえてあなたに何も言わなかった。
不幸な事故や悲しい事件で命を落とす人もいる。身内がいなくなる心の準備を、誰しもが必ず出来るわけではないわ。
あなたが私の意図に気づかずに、心の準備をしないのなら、それもそれでひとつの結末だと思うから」
「……うん」
頷くリー。
ミシェルは続けた。
「私はそれでもいいと思う。あなたが傷ついても、辛い思いをしても。大きな絶望に、立ち上がれないと打ちひしがれても。
前もってあなたを傷つけるものを取り去るのは、優しさではないわ。
悲しみを知らないひとは、何かが欠けているもの。辛い経験も、あなたを必ず大きくしてくれるものだから」
「…はい」
「だから、思い切り悲しみなさい。思い切り泣きなさい。
心の支えを失った時の痛みは、私にもわかるわ。
その痛みは、あなたが『ミシェル』を愛しているからこそのものよ。無理をして押さえつけることはない」
「ママ……」
「悲しんで、泣きつかれて、空っぽになったら、あなたの傍にいる人がきっと、あなたを立ち上がらせてくれる。その人に寄りかかればいい。思い切り甘えなさい。
あなたの隣を歩く、可愛らしい小悪魔さんでも。あなたを守る、素直じゃない恋人でもいいわ。
……もちろん」
ミシェルはいったん言葉を切って、それからゆっくりと、リーに言った。
「……私でもいい。遠慮なく、寄りかかって」
「ママ……!」
驚いて目を見開くリー。
ミシェルの瞳が、愛しげに緩まる。

「私は、あなたがいたから、あの終わりのない、出口の見えなかった悲しみから、戻ってこられたの。
だから、大丈夫よ。あなたも、きっと」

にこり。
紫水晶の瞳が、穏やかな光をたたえて笑みの形に変わる。
それは、ゴーレムを真似た、どこか張り付いたような笑みとも、元の彼女の人形のような無表情とも違う。
本当に、彼女自身の、心からの暖かい微笑みだった。
「ママ……ありがとう」
リーも目尻に涙を滲ませながら、テーブルに乗せられたミシェルの手にそっと自分の手を重ねる。
冒険者達も、ほっと安心した様子でそれを見守っていた。

ずっと他人のようだった、道の交わらぬ母娘。
今すぐに、明日にでも、母と娘になるのは無理かろうことかもしれない。
だが、手を取り合った2人の姿は、そう遠くない未来に、2人の道が交わることを予感させる、そんな気がした。

それぞれの道へ

「なんだかつき合わせちゃって悪かったわねー、どうもありがとうー」
「いえいえ、あまりお役に立てた気はしませんが、収まるところに収まってよかったです」
「うん、ミシェルさんも、これからもっともっとリーさんと仲良くやっていけるといいよね!」
ミシェルはセレストとユキを大通りまで送りに出ていた。
もう元の、コピーの真似をしている彼女に戻っている。今まで対外的にはこれで過ごしてきたのだから、不用意に周りを混乱させることはない、とのことだ。
「そういえばセレストは、何か用事の途中だったんじゃないのー?」
「……すっかり忘れてました、その通りです」
ぽん、と手を打って、セレスト。
「買い物を頼まれていたんでした。じゃあ、俺はこれで」
「はーい、ありがとうねー」
足早に商店街の方へ去っていくセレストを、手を振って見送るミシェル。
その姿が見えなくなったところで、残っていたユキも微笑んでミシェルを見上げた。
「じゃあ、僕も行きます」
「ええ、ユキもありがとうねー」
手を振るミシェルに、ユキも歩き出そうとして。
少し足を止めて、もう一度ミシェルを見る。
「どうしたのー?」
「ミシェルさん、あの」
と、口に出しかけて、言葉を詰まらせる。
何と言葉に出してよいかわからぬ様子のユキに、ミシェルはにこりと笑みを深めた。
「お師匠様、早く見つかるといいわねー」
「……っ」
まさに、先ほど少し相談した師匠のことを言おうと思っていたところだったので、驚いて目を丸くする。
それから、満面の笑みで頷いた。
「はい、ありがとうございます!」

ミシェルと別れて通りを歩きながら、ユキは複雑そうな表情で首をひねっていた。
「……僕……リグのこと、好きなのかなぁ……」

『その人に、恋をしているのねー?』

ミシェルの言葉が蘇る。
自分のこの気持ちが本当に『恋』なのか、恋愛経験のないユキには良くわからなかった。だから、もう一度改めてミシェルに聞こうとしたのだが……
励まされて嬉しさのあまり聞くタイミングを見失ってしまった。
まあ、先ほどの喫茶店のマスターがここにいたならば、「こないだまでさん付けだったのに、呼び捨てになった時点で自覚ありってことだよねー」くらいは言いそうだが、残念ながらこの場にはいない。
胸に抱えたもやもやとした気持ちに首をかしげながら歩いていると。
「ユキ?」
「わっ」
いつの間にか目の前にいた男性に、驚いて足を止める。
「あ、アルさん!」
「さっきから手を振っても名前呼んでも上の空だったから…」
「あ、うん、考え事してて……ごめんねアルさん、こんにちは」
アルと呼ばれた金髪の美丈夫は、先ほどまで手伝いをしていた研究所のセル、それから彼女の師匠であるリグの兄にあたる。
アルはふわりと微笑んで、ユキに言った。
「どうしたんだ、ぼうっとして歩いてるなんて珍しいな」
「あ、うん、あ、あのね……相談なんだけど……」
ユキは思い切って、目の前の男性に相談してみることにした。
きょとんとするアル。
「ん?」
「えっと……ある人に言われたんだけど……僕、好きな人がいるみたい」
「えっ」
アルは少なからず驚いた顔をした。
が、それはユキに好きな人がいるということよりも、他人に言われて気づいた、という事実に対するもののようで。
「えっとね……」
そんなアルの様子に気づかぬまま、ユキは小さく手招きをしてアルと一緒にしゃがみこむ。
「えっと、その……リグ……なんだけど……」
「………」
アルが微妙に表情を変化させ、ユキを見返す。
彼もどうやら、ユキの敬称の変化に気づいた様子で。
ユキは少し頬を染めてそう言ってしまった後で、困ったように眉を寄せた。
「でも、僕恋なんてしたことないから……本当に好きなのかなって……」
その様子から、彼女が初めての感情に戸惑っていることが伺える。
アルは複雑な表情でユキを見つめてから、不意に苦笑した。
「………ユキ、難しく考えなくていい」
「えっ」
きょとんとするユキに、しゃがんだまま優しく微笑みかけて。
「あいつへの好きと俺たちへの好きが一緒がどうか考えろ。
答えは、すぐに見つかるだろ?」
ふわり。
そのまま優しく頭を撫でる。
ユキは呆然とその様子を見返し、それから視線を宙にさまよわせた。
「リグへの好き、と……アルさんやセルさんへの、好き……」
ゆらゆらと。
視線を動かしながら、しゃがんだまま考える。
そしてアルの言う通り、ほどなく結論に達したようだった。
くしゃっと嬉しそうに微笑むと、立ち上がってアルに言う。
「うん、答えわかった!ありがとうアルさん!」
そのわかった答えが何なのかは言わないまま、駆け出すユキ。
しかし、アルにはその答えが何なのか、頭にわかっていた。
(……本当に、幸せだな)
心の中でそう呟いて、アルは微笑ましげにユキの背中を見送る。

そして、傍らの建物の屋上から全てを見守っていたリグは、複雑そうな表情でユキの去っていった方を見つめるのだった。

「なんだかすっかり遅くなっちゃったなあ」
頼まれたパンとハムを買い、セレストは家路についていた。
そろそろ夕日が差し込んでくる時間。あたりは買い物帰りの母子や公園から家に走る子供たちの姿が見える。
「別れ、かあ。普段考えることないけど、いずれ来るものなんだろうなあ」
しみじみと呟くセレスト。
彼の両親は健在で、これから帰る家でチェレスタと共に彼を待っている。
それはなんて幸せなことなのだろう、と、改めて思う。
と。
「あっ、兄さん!」
今まさに思いをめぐらせていた当の本人が、家の玄関先から駆け寄ってきた。
「チェレ。どうしたの、家の前に立って」
「どうしたの、はこっちのセリフですよ!どこ行ってたんですか、今まで!」
酷く立腹した様子のチェレスタに、セレストは僅かに首をかしげた。
「いや、買い物ついでに迷子を捜してて」
嘘は言っていない。
チェレスタはそれでも憤慨した様子で、セレストに言い募った。
「もう…!それならそうと、連絡くらいよこしてください!
なかなか帰ってこないから探して来いって言われて…でもどこ探してもいないし、事件に巻き込まれたのかもって、心配したじゃないですか!」
「ごめんごめん」
セレストは謝りながらも、嬉しそうにニコニコしている。
「なにヘラヘラしてるんですか、もう!」
「うん?チェレが待っててくれる家に帰るのはいいなあって」
「へっ?!」
唐突にそんなことを言われ、さっと頬を染めるチェレスタ。
「なっ、なにっ、言って……普段待っててくれるのはー…………セレスト兄さんじゃないですか」
セレストはその発言にとたんに眉を顰めた。
「…………チェレ、兄さんは余計」
「恥ずかしいんですよ!妥協してくださいよ!」
「いーや、妥協してたらチェレはいつまでたっても兄さんって呼ぶだろう?
ほら、いい機会だから練習してみよう」
「れ、練習?!」
「セレスト、って。ほら。『兄さん』の4文字がない分呼びやすいだろう?」
「文字数の問題じゃ……」
「ほら、呼んでごらん、チェレ。はい」
「っ………」
「ほらほら」
「……セレ……ス……」
「うんー?」
「……ト兄さん」
「だから兄さんは余計だって」
「もー!いいじゃないですか!ほら早くパンとハムくださいよ、夕飯食べられないでしょう!」
「名前で呼んでくれたら渡す」
「子供ですかー!」

玄関先で繰り広げられるバカップルのやり取りをよそに、陽はゆっくりと暮れていくのだった。

「これ、改めてお礼の気持ちよ」
風花亭。
マスターに依頼完了の報告をしてから、リーは改めてミケとアフィアに報酬を渡していた。
「え、いいですよ、受け取れません」
「報酬、前払い、もらってる。二重払い」
「いいの」
リーはニコニコ笑いながら、ずい、と金袋を2人に差し出す。
「あたしの依頼は『母を一緒に探してくれること』で、2人はそれ以上のことをしてくれたから。
本当に感謝してるわ、ありがとう」
「……僕は、あまり役に立ったとは思えないんですけど」
不服そうに言うミケに、アフィアも同調して頷く。
「うち、出した案、結局、却下。役、立ててません」
「役に立ったかどうか、じゃないわ。あたしがどれだけ感謝してるか、っていうこと。
こんな形でしか感謝を表せなくてごめんなさい」
「……なら、受け取る」
アフィアは少しためらいつつも、金袋を懐に入れた。
「……では、僕もありがたく受け取ります」
やはり最近懐事情が厳しいミケも、しぶしぶ受け取ることにする。
リーは満足げにそれを見やって、もう一度礼を言った。
「本当にありがとう。また縁があって、あたしが力になれることがあったら、遠慮なく言ってね」
「ええ、リーさんも。僕はいつでもお力になりますから」
「……契約、あれば、いつでも」
笑顔で返すミケと、少し照れた様子のアフィア。意外とクーデレらしい。
アフィアは自分の言葉を誤魔化すように、焦った様子で立ち上がった。
「依頼、終わった。うち、行きます」
「もう行くの?」
「うち、探してた人、この辺り、いる。探し、行く」
「えっ?アフィアも人を探してるの?」
「はい。さっき、公園、いた。そっち、行く」
言うが早いか、アフィアは身を翻して足早にその場を去った。
その背中に声をかけられずに、伸ばした手を引っ込めるリー。
「…お手伝いできるかと思ったけど……」
「行ってしまいましたね。まあ、また困っている様子があれば、協力しましょう」
「そうね」
少し残念そうに、ミケとも頷きあった。
と。
かたん。
「あっ」
「きゃっ…」
リーの傍をすり抜けるように通り過ぎようとした人物が、テーブルに置いた彼女のコップを荷物に引っ掛けて倒してしまう。
床には落ちなかったものの、半分ほど残っていたミルクはテーブルに広がり、その一部が床にぼたぼたと落ちた。
「た、大変……って、え?」
「ごめんなさ……あら」
顔を合わせて、その顔に見覚えがあることに気づく。
それは、依頼を受ける時に同じようにリーのコップを倒した女性だった。
「ごめんなさい、何度も」
「いいえ、気にしないで」
苦笑して謝る彼女に、にこりと笑みを返す。
そこに、布巾を持ったミケが戻ってきた。
「ごめんなさい、私がやるわ」
「えっ、あれ」
ミケもそれが昼間の女性だと気づいた様子で、戸惑いながらも彼女に布巾を渡す。
女性は手早くミルクを拭くと、にこりと微笑んだ。
「ごめんね、また新しいの注文しておくから」
「あっ、ねえ」
言って歩き出そうとする女性を呼び止めるリー。
女性はきょとんとして足を止めた。
「なに?」
「あなた、人を探してない?」
「え?」
唐突な質問に首をかしげて。
「いえ、特に探している人はいないけど」
「そう……あの、アフィア、っていう名前に心当たりは?」
「アフィア……それ、前も聞いたけど、そういう名前の知り合いはいないわ」
「そう……」
当てが外れて肩を落とすリーに、女性はもう一度微笑んで手を上げた。
「それじゃ、私も急いでるから。ミルク、ごめんなさいね」
そう言い置くと、颯爽と出て行く女性。
その背中を見送るリーに、ミケが声をかける。
「どうしたんですか、アフィアさんとあの方が何か?」
「いえ、ひょっとしたら、と思って。今の人、似てなかった?アフィアに」
「え?……ああ、そう言われれば、そうかも……」
「もしかしたらアフィアの肉親で、アフィアは彼女を探してるんじゃないかなって思ったの。考えすぎだったみたいだけど」
「そうだったんですね……」
そこに、彼女が帰りがけに注文した新しいミルクが運ばれてくる。
リーはそれを一口飲んで、再び椅子に座った。
ミケも同様に彼女の正面に腰をかけると、無事だった自分の紅茶を一口。
そして。
「………あの」
気まずそうに、リーに話しかけた。
「……すみませんでした」
「え?」
きょとんとするリーに、少し視線をはずして、続ける。
「…あなたがどう思っているのかちゃんと聞かなかった。勝手に悲しいんじゃないかって思って、言っちゃいました」
「…そんなこと……あたしは実際に悲しかったんだし、言ってくれて嬉しかったわ」
苦笑して首を振るリーに、こちらも首を振って。
「……ミシェルさんに最初言われたこと……人は必ず死ぬんだってこと、勝手に伸ばそうとしても駄目だって事。それは、知っているけれど、知っているのと納得できることは、違うんだってことも、分かってるんです。
それでもね、僕は僕の気持ちを言わずにいられなかったんです。そんなの、嫌だって。まして、ミシェルさんが手を下すんだって事も。……なんで、そう思ってるって言ってくれないんだって事も」
「……ええ」
「リーさん、動揺したでしょう、コピーさんが誤作動したこと。約束のことを思い出して。
……もし、ミシェルさんがこのタイミングで戻ってこなかったら、もしかしたら黙っていたかも知れなかったりしませんか?」
「……そうね」
自嘲気味に苦笑するリー。
まさに、コピーが誤作動を起こしたことをミシェルに知られたくなくて、今回の依頼を出したのだから。
ミケは彼女に視線を戻した。
「……でもね、僕、今回のことがなかったら……誤作動しているコピーさんを見るうちに、リーさんは、自分で理解して、ミシェルさんのところへ申告しに行ったんじゃないかなって、思うんですが、どうでしょう?」
「え?」
「……元気なうちは、そんないつかは来ないものだと思ってたから。
ある日、ふと、具合が悪い日が続くな、とか。顔色がずっと悪いな、とかに気がついて。そういうのを見続けながら、『もしかしたら、死んでしまうんじゃないか』って『でも、まだ大丈夫だよね』って心の中で毎日思いながら、何かの覚悟をしていた気がするんです、僕は」
遠い目をして、ミケは母の記憶を思い起こす。
「…具合の悪いところを見ないまま、その覚悟は……難しいような、気がしますよ。今更ですけど」
その言葉は、そしてその悔しげな表情は、まだミシェルの考えに納得していないことを思わせる。
覚悟を決めるための時間だったと、そのことをリーに告げなかったことに、納得していない。残酷だ、と。
その考えを振り払うようにして首を振って、ミケは言った。
「……ごめんなさい、あなたの事だけを考えた言葉でなくて。
……寂しかったし、悲しかったし、全然、平気じゃなかったんですね、僕は」
「ミケ………」
リーは痛ましげにミケを見やる。
「……そうね。ママに見つからなかったら、あたしはもしかして、自分で気づいたかもしれない。
けど、そうじゃないかもしれない。コピーと一緒に、それこそゼゾの遺跡に閉じこもって、コピーと最後まで一緒にいたいって思ったかもしれない。
それは、ママの真意を知っている今だからこそ言えることで、もし、こうだったら、なんて誰にも言えることじゃないと思うわ」
「……そう、ですね」
「なにが正解だったか、間違ってたか、わからない。ううん、正解なんて、間違いなんて、存在しないのよ。
ママが選んだ道はママにとって正解だった。けど、ミケがそう思ったことも、ミケにとっての正解なの。ミケは、決して間違ってない」
「リーさん……」
「でも、ひとつだけ。あたしやミケが、決定的に間違ってることがあった」
「え?」
ミケが顔を上げると、リーはにこりと微笑んだ。
「1人で乗り越えようとしたこと、よ」
それからその笑みを、ふっと苦笑に変えて。
「あたしは1人で、誰にも告げずに、コピーをどうにか壊されないように、そればっかりを考えてたわ。コピーがいなくなったら、あたしには何もなくなっちゃう、それしか考えられなかった。
ミケもそうでしょう?お母様がいなくなりそうで、でもお父様にもご兄弟にも心配かけたくなくて、寂しさや悲しみを1人で処理しようとした。
1人でどうにかしなくちゃいけないって、そればっかり考えてた。
ぜんぜん、そんなことなかったのにね」
ふふ、と可笑しそうに笑う。
「ミケには、悲しみを共有できる、共に乗り越えられるご家族がいた。寂しいと言ったら、お互いに手を差し伸べあって、支えあって乗り越えられたかもしれなかった。
あたしにだって、ロッテやエリーがいる。ママだっている。こうしてあたしのことを考えてくれる、ミケだっている。頼ってもよかったのに、それをしなかった。
1人で何もかもを受け入れようとして、でもどうにもならなくて、ひどいひどいって暴れてた。
1人で何とか出来るって思って、出来ないのは人のせいにして、人に妥協させようとした。
それが、あたし達の間違い」
「……そう、ですね……」
自嘲気味に笑うミケ。
リーはどこかすっきりとした表情で、笑った。
「ママは、甘えろって言ったわ。思い切り悲しんで、泣いて、絶望すればいい。そしてその後に、あたしを支えてくれる人に甘えて、その人の手を借りて、またしっかり立ち上がればいい、って。
大切な人との別れは、避けられないもの。あたし達がしなければならないのは、その別れを少しでも遠ざけることじゃなくて、別れを覚悟することでもなくて、訪れた別れを乗り越えるための絆を、少しでも深めることだったんだわ」
「リーさん………」
呆然と呟いたミケに、再び微笑を返して。
「大丈夫よ、きっと。
コピーを失うその時はきっと辛いけど、あたしはもう大丈夫だって思う。
ミケも、きっと」
「僕も?」
「ええ」
こくり、とゆっくり頷く。
「ミケも、寂しかったし、悲しかったし、全然平気じゃなかったのね。
でも今は、ミケには、それを乗り越えるだけの絆があるでしょう?
今からでもいいと思うわ。ご家族でも、他の誰かでもいい。寂しかったって、悲しかったって、お母様が亡くなって平気じゃなかったって、悲しみを共有すればいい。
そうして、甘えて、支えてもらえばいいんだと思うわ」
そして、にこり、と晴れやかな笑みを浮かべた。

「それが、大切な人………家族、っていうことなんだから」

新しい朝

ちゅん。
ちゅんちゅん。

朝の柔らかい日差しの中に、小鳥のさえずりが響く。

「あつっ……!」
リーは鋭い声を上げて、フライパンに触れてしまった指先を口に含んだ。
「あらあらー、大丈夫ー?」
どこからか、優しい声が彼女に向かってかけられる。
リーは指先を流水に浸しながら、苦笑してテーブルの方を向いた。
「お料理するのなんて久しぶりだから、やっぱり上手く出来ないわ」
「ふふー、それでも卵を焦がさなくなっただけ進歩じゃなーいー?」
「もうっ、あたしはママ似で不器用なんだから、ミシェルみたいに上手にお料理なんて作れないわよ」

テーブルの上には、銀のウェーブヘアにショールを羽織った、50センチほどの背丈の人形がちょこんと座っている。
その人形の口から紡ぎ出される優しい声と、リーは何の違和感もなく会話していた。
人形にはもう料理をすることはできないので、リー自身が朝食を作っている。生来不器用な彼女は、フライパンで火傷をしながら、半熟にも程があるスクランブルエッグと逆にごんがりと焦げ目の着きすぎたトーストを作ってテーブルまで持ってきた。
皿を並べ、いただきます、と祈りを捧げて、人形と向かい合う形で食べ始める。

「もう、今日出発するのー?」
「そうね。ロッテとエリーが今日に合わせてヴィーダに戻ってくることになってるの」
「次は、どこに行く予定ー?」
「うーん、まだ決めてないけど……そうだ、シェリダンに行くのもいいわね。
ロッテが子供の時ずっと住んでたんですって」
「シェリダンにー?じゃあ、言葉が訛ってたりするのー?」
「普段は訛ってないけど、一度喋ってもらったことがあるわ。何言ってるのかほとんどわからなかった」
「ふふー、あそこの訛りは独特だからねー」
「エリーは暑いところ苦手そうだから嫌がるかもね…」
「あらー、その方がちょっとおとなしくなっていいんじゃなーいー?」
「ふふ、言えてる」

普通の人間と会話をするように、軽妙に展開されていく2人のやり取り。とても、片方が人形とは思えない。
リーは軽い朝食を食べ終えると、空の食器をシンクに持っていった。

「ちゃんと洗うのよー?もう私は洗ってあげないからー」
「わかってます」
「お皿、落とさないでねー?」
「いくらなんでもそこまでひどくな……きゃっ」

ぱりん。
洗剤で手を滑らせ、皿を落としてしまうリー。

「ほらー、言ったばかりなのにー」
「…ごめんなさい」
「ケガはないー?」
「大丈夫よ、ありがとう」

リーは箒を持ってきて皿を片付けると、残っている食器を手早く洗って片付けた。

「さて、それじゃあそろそろ行くわね、ミシェル」
「行ってらっしゃいー。気を付けてねー」
「ええ、ありがとう」

リーは人形の前に立ち、にこりと微笑みかける。
人形の銀の髪の毛を、愛おしげにゆっくりと撫でて。

「行ってきます」
「いってらっしゃーい」

それだけ言葉を交わすと、踵を返してドアに向かった。
きい。
振り向かずにドアを開け、颯爽と外へ歩いていく。

ぱたん。

閉じられたドアの音と共に、誰もいない家に静寂が戻った。

“Please look for my mom” 2012.3.14.Nagi Kirikawa