記憶の底に残る音

ざ、ざっ。

記憶の奥の奥に、おぼろげに引っかかっている音がある。

ざ、ざっ。

湿った地面を掘る音。
肉体労働などめったにしない彼女が、息を切らしてスコップを硬い地面に埋めている。
少しずつ、少しずつ深くなっていく穴。

穴の傍らに横たわるのは、あたしの「父」と呼ばれていた人のなきがら。

丁寧に布に包まれたそのなきがらの傍で、彼女は一心に穴を掘る。
自分が死んだら土に還してくれ、と言い残して亡くなった彼の願いを叶えるために。
あり余る彼女の才を使って魔法で掘るのは簡単だっただろうが、彼女はそれをしなかった。
手に血を滲ませながら、彼の墓を掘っていく。

ぽた。

スコップを握る彼女の手に、雫が垂れて落ちる。
その雫は、彼女の紫水晶の瞳から零れ落ちていた。
嗚咽も無く、表情も無く、ただ淡々と、瞳から零れ落ちていく雫。

あたしはそれを見て、ぼんやりと思った。

ああ、このひとは、自分の体の一部とも言えるひとを、永遠に喪ってしまったのだ、と。

誰かを探す誰か

「あれ、チェレ。ペンのインクがもう無いようだけど」
代えのインクが入っているはずの引き出しを見て、セレストは傍らにいる女性にそう言った。
チェレ、と呼ばれた女性――彼の経営する魔法塾の手伝いをしている、従姉妹のチェレスタは、彼の言葉にああといって頷く。
「そうなんです、そろそろ買い換えようと思ってたんですけど」
「そう、じゃあちょっと行ってくるよ。他に何か買ってくるものはある?」
「あ、大丈夫です。もうグレイに頼みましたから」
「グレイ?」
その名を聞いて、セレストは僅かに瞠目した。
「帰ってるんだ?確か、シェリダンに行ってるとか言ってなかった?」
「そこでの依頼が終わって、帰ってきたんだそうですよ。さっき、兄さんが帰ってくる前にここに来て。ちょうどいいから、買い物を頼んだんです」
「へえ」
セレストは軽く返事をして、グレイという男性のことを思い返した。
グレイというのは、彼らの大叔母に当たる女性の息子、続柄としては従兄弟叔父に当たる。世代としては親世代ではあるのだが、大叔母がやや晩婚であったため、年齢はセレストたちより少し上くらいで、時間の空いた時には今チェレスタが言ったように彼らの家を訪ねてくれるのだ。
「ヴィーダに帰ってきたということは、大叔母様のところには…」
「ふふ、帰ってないそうです。兄さんも秘密にしておいてくださいね?」
「ははっ、家に帰ると大叔母様がうるさいからなぁ。そろそろ身を固めろって」
「そうなんですよー。グレイが冒険者になって家を出ちゃったから、大叔母様のお見合い攻撃が全部私に来ちゃって、大変だったんですから」
「だから、俺のところに転がり込んできた、と」
「兄さんには感謝してます」
少し照れたように言って小さく会釈をするチェレスタ。
セレストは穏やかに目を細めて、彼女に言った。
「でも、大叔母様にはそろそろちゃんと言わないとな」
「え?」
「チェレは俺のものですから、見合い話は持ってこないでください、って」
「に、兄さん……」
笑顔で言うセレストに、チェレスタはますます顔を赤くする。
先日、2人で乗った客船が海賊に襲われるというハプニングがあり、その事件の折に、それまで何となく微妙な距離感だった2人の想いが通じ合うことになったのだ。
詳しくは相川GMのシナリオ「珊瑚の城」をご参照ください。
「で、チェレ」
「はっ、はい?!」
立ち上がって歩いてきたセレストに、上ずった声で返事をするチェレスタ。
セレストはなおも穏やかな笑みを浮かべて、チェレスタに顔を近づける。
「俺は、いつになったら『兄さん』を卒業できるのかな?」
「ええっ?!」
「君にとっては俺はまだ『兄さん』なの?」
「そっ……それは…」
「ほら、名前で呼んでごらん、チェレ。君の名前とそんなに変わらないだろう?」
「なっ……」
さらに顔を近づけると、チェレスタは真っ赤になってセレストの肩を押し返した。
「そっ、そうだ兄さん!あの、夕飯に使うパンを買ってきてください!あとハムも!お金っ、これですから!さあ!」
「ちょっと、チェレ?」
ぐいぐい。
財布を押し付けてセレストの後ろに回り、背中を押して追い出しにかかるチェレスタ。
「じゃっ!お願いしますね!」
ぱたん。
強引にセレストをドアのを戸に出すと、真っ赤な顔を隠して逃げるようにドアを閉める。
セレストはドアを振り返ると、残念そうにぽつりと呟いた。
「…グレイのことは名前で呼ぶのになあ」

「うわぁ……すっごいなぁ……何に使うんだろ、これ…」
もはや何がどうなっているか全くわからない、壁一面を覆い尽くすほどの正体不明の機械を、少女は物珍しげに見上げた。
少女といっても、実際は二十台半ばの立派な成人女性なのだが、大きな黒い瞳を戴いた顔立ちははっとするほど美しいが、あどけない表情と華奢な体とが彼女を年齢よりぐっと幼く見せている。正面からはショートに見える茶色い髪は、後ろに回れば襟足だけが腰に届くほどに長く、黒一色で統一された衣服にふわりとアクセントを加えていた。
「あら、ユキちゃん。こんにちは」
「あっ、こんにちは!お邪魔してます」
近くを通りかかった白衣の女性に、ユキと呼ばれた彼女はにこりと微笑んで首だけで会釈をした。
というのも、彼女は自分の顔を隠そうかというほどの大量のファイルをその細腕に抱えていたからである。
女性はファイルの山を目を丸くして見上げると、心配そうにユキに言った。
「室長ったら、こんなにたくさんのファイルをユキちゃんに運ばせて……重いでしょう、手伝うわ?」
「あっ、大丈夫!僕力あるから!」
女性の言葉に、ユキはにこりと微笑んでひょいとファイルを持ち上げて見せる。確かに、彼女の表情に重さによる苦悶は見えない。
しかし女性は眉を寄せたまま、短く息をついた。
「ユキちゃん、ごめんなさいね?本当ならこんな雑用は私たちがやるべきなのに、室長が無理言って…」
「ううん!難しい研究のことは僕には良くわからないから、これくらいしかお役に立てないし…それに、セルさんの役に立てるならそれだけで嬉しいから」
セル、とユキが口に出した名が、どうやら女性の言う『室長』という人物なのだろう。口ぶりからして、この研究室で一番の権限を持っている人物であるらしい。
しかし、女性は困った上司だというように眉を寄せ、言葉を続けた。
「うーん、こんな仕事、女の子のユキちゃんにやらせるのは心苦しいけど……男連中は手伝えないからねぇ」
「そうなんだ、やっぱり男の人たちはセルさんみたいに忙しいんだね」
「忙しいって言うか……ユキちゃんが来ると急に仕事を言いつけられるのよねぇ」
「そうなんだ?なんでだろうね?」
ファイルを抱えたまま首を傾げるユキ。
本当は、この自分の美しさに自覚が無さ過ぎる無邪気な少女に一切声をかけるなとの、上司から男性研究員に対する無体かつ独善的な通達によって、男性研究員はユキから遠ざかっているのだが、まさかそうと言うわけにもいかず、女性はただ苦笑した。
「呼び止めてごめんなさい。早く室長のところに行ってあげて?」
「うん!僕こそ、お仕事の邪魔してごめんね、じゃあね!」
ユキはまた首だけで会釈してそう言うと、室長室の方へと歩いていく。
女性は苦笑を崩さずにそれを見送ると、自らも仕事に戻っていった。

「ありがとうね~ユキ~。お疲れ様~」
「ううん、セルさんの役に立てて僕嬉しいよ!」
室長室の主…セルは、ファイルを運んできたユキを満面の笑顔で迎えた。
年のころは二十代中盤ほどだろうか。金の混じった白髪をひとつにくくり、清潔な白衣にいかにも研究者らしい生白い肌。アイスブルーの瞳は今は優しげな輝きを宿している。
ユキがファイルをデスクの上に置くと、セルは用意していた金袋を笑顔で差し出した。
「これ、手伝ってくれたお礼だよ~いらないって言うのはなしだからね~?」
「ええ?!」
ユキは恐縮して眉を寄せる。
「でも、僕ファイル運んだだけだよ?お金なんてもらえないよ」
「それじゃあ研究内容の口止め料ってことならいい~?」
とにかく金を渡したいらしいセルに、ユキはもう一度逡巡して、それから苦笑してそれを受け取った。
「…………うん、じゃあ、それなら」
専門的な研究内容などわからないユキに、口止めも何もない。だが彼を始めとする彼の兄弟は揃ってユキを甘やかすのが、もはや癖のようになっていた。あまり固辞するのも可哀想だし、それにユキ自身、甘やかされることが少しだけ嬉しくもある。
最近仕事らしい仕事もないし、手持ちが心もとないのは確かだ。ここは素直に受け取っておこう、と思う。
「ちょうど、甘いものが食べたいと思ってたんだ。せっかくだから、早速買いに行くね」
「そっか~、気をつけていくんだよ~?」
「うん!それじゃ、セルさん。研究頑張ってね!」
「は~い、またね~」
笑顔で出て行くユキを見送ってから、セルは再び難しい顔を書類に向けるのだった。

「あ~美味しい……しあわせ~」
セルから受け取った金でクレープを買ったユキは、広場のベンチに座って幸せそうにそれを堪能していた。
このあたりは通称「学びの庭」と呼ばれており、付近にエレメンタリーからカレッジ、専門的なことを学ぶ学校まで数多くの学校がある。当然学生たちの姿が多く見られるわけだが、レンガ造りの街並みは美しく、観光地としてもひそかに人気だ。
うららかな日差しが降り注ぐ午後、平日ではあるが親子連れの姿もちらほら見られる。
平和で心地よい午後を堪能しつつ、ユキはクレープをじっくりと味わいながら食べていた。
程よい甘みのホイップクリームとラズベリーの甘酸っぱさが絶妙に調和している。
「いいお天気に、美味しいクレープをのんびり食べる…うーん、幸せだなぁ…」
などと、ユキがしみじみと幸せを噛み締めていると。
「……ん?」
少し離れたところから、自分をじっと見ている少女がいるのに気づき、ユキはそちらに視線をやった。
5歳くらいだろうか、フリルをふんだんにきかせたワンピースを着た可愛らしい少女である。ユキは少女の視線が自分の食べているクレープに注がれていることに気づくと、にこりと微笑みかけた。
「食べる?もうほとんど食べちゃったから、これだけしか残ってないけど」
食べかけのクレープを差し出すと、少女は嬉しそうに微笑んで頷く。
「うん!」
クレープを受け取った少女は、ユキの隣に座ってそれを食べ始めた。
先程までのユキと同じように、幸せそうにクレープをほおばる少女。
やがてクレープを食べ終わると、少女は満足げに息をついた。
「美味しかった?」
「うん!」
「今日は一人なの?お父さんかお母さんは?」
この年頃の少女が平日昼間に一人でうろうろするとは考えにくい。ユキがそう訊くと、少女の表情が急に曇った。
「……いなくなっちゃった」
「えぇ?」
「うさぎさん、みてたら…ママ、いなくなっちゃった」
「そうなんだ…どこにいっちゃったんだろうね、お母さん」
おそらくは何かに夢中になっているうちに母親とはぐれてしまったのだろう。
眉を寄せてユキが言うと、少女は先程までの笑顔が嘘のように急に表情を歪めた。
「……ママ……っぅえ…」
嗚咽と共に、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
ユキは突然泣き出した少女におろおろしながら声をかけた。
「あ、ああっ、泣かないで……ああ、うーん、どうしよう……」
武器の扱いには長ける彼女も、母恋しさに泣く幼女のなだめ方は全くわからない。
なおも泣き続ける少女の傍らで、ユキが途方にくれていると。
「アンナ!」
半ば悲鳴のような女性の声が響く。
2人はぱっと顔を上げてそちらを見、そして少女は涙にぬれた顔をぱっと輝かせた。
「ママー!」
向こうのほうから血相を変えてやってくる若い女性に、一目散に駆けていく少女。
腕を広げてしゃがみこんだ女性の胸に飛び込んで、少女はもう一度大きな泣き声をあげた。
「探したのよ、ダメでしょうママのそばを離れちゃ」
泣き声をあげる少女の頭を優しく撫でながら、女性も泣きそうな顔で言う。
すると、女性の傍らにいた若い男性――セレストが、しゃがみこんで少女に語りかけた。
「お母さん、すごく心配していたんだよ。もう、はぐれちゃダメだぞ?」
「すみません、すっかりつきあっていただいちゃって……ありがとうございました」
「いえいえ、お子さん、見つかってよかったですね」
少女を撫でながら礼を言う女性に、セレストは笑顔で微笑みかける。
そしてユキも歩み寄ると、笑顔で少女に言った。
「よかったね、お母さん見つかって」
「うん!」
「娘がお世話になって…ありがとうございました」
ユキも女性に礼を言われ、笑顔を返す。
「いえ、僕は何にもしてないですよ。見つかってよかった」
女性は少女を抱き上げてもう一度2人に礼を言うと、去っていった。
その背中を笑顔で見送る2人。
「良かったですねぇ、見つかって」
「うん、本当に」
「ご挨拶が遅れました、お久しぶりです、ユキさん」
「うん、久しぶり、セレストさん。海賊の一件以来だね。元気そうでよかった」
「ユキさんも」
どうやら知己であるらしく、なごやかに再会の挨拶を交わす。
詳しくは「珊瑚の城」を(以下略)。
「今日は、えっと、チェレスタさんは一緒じゃないの?」
「ええ、家にいますよ。ちょっと買い物を頼まれて、そこであのお母さんが困っていらっしゃったので、お手伝いをしていたんです」
「そうなんだ。ふふ、仲良いんだね、相変わらず」
「おかげさまで」
笑顔で微笑ましい会話を繰り広げる2人。
と。
「ちょっと、いいかしらー?」
不意にやわらかな声がかかり、2人はきょとんとしてそちらを見る。
「はい?」
「なんでしょうか」
視線の先には、20代半ばほどの女性。ウェーブのかかった銀髪を後ろでひとつにくくり、フレアスカートにショールというごく普通のいでたちで、にこにこと穏やかな笑みを浮かべている。目は笑顔のまま閉じられていて、瞳の色までは伺えない。
女性は穏やかな、少し間延びしたような口調で、2人に訊いた。

「あのねー、娘を探しているんだけどー、あなたたち、見なかったー?」

「リーファ……トキス、って……え?リーさん、ですよね…?」
ヴィーダの中央広場に面する、風花亭。
依頼掲示板に張り出された紙に記された依頼主の名に、青年は驚きのあまり思わず声を上げていた。
少女と見紛うほど可愛らしい顔立ちをした彼だが、一応二十歳である。膝までの栗色の髪を三つ編みにまとめ、黒いローブに黒猫を連れたその姿はいかにも魔術師ですという風だ。
大きな青い瞳をさらに丸くして、彼は依頼票に顔を近づけた。
「連絡取れなくなった母って、ミシェルさん、ですよね……?ええ?」
どうやらそこに記された名前は両方とも旧知の人物であるらしく。驚きの表情のまま、依頼の文面を読んでいる。
と、そこに。
「………ミケ?」
声をかけられて、彼は振り返った。
振り返れば、そこにいたのはまさに渦中の人物。
「……リーさん!」
ミケ、と呼ばれた彼は、依頼票に記された名をそのまま口にした。

「驚きました。リーさんが依頼を出していらっしゃるので」
とりあえず、近くのテーブルに席を移して。
飲み物で一息入れ、ミケは改めてしみじみとそう言った。
リー、と呼ばれたその少女は、ミケよりずっと年下のようだった。年の頃は15歳ほどだろうか、銀色の髪を後ろでひとつに括り、穏やかな薄紫の瞳は見かけの年以上の落ち着いた雰囲気をたたえている。白を基調とした可愛らしいデザインの、しかし確かに旅装束を身に纏っていて、彼女が旅に身を置く者だということを窺わせた。
リーはミケの言葉に苦笑すると、アイスミルクを一口飲んで、答える。
「ちょっと、急いでいたから。とにかく手がほしかったのよ。ミケに受けてもらえるならありがたいんだけど」
「もちろん。僕でお役に立てれば」
「人探しだから、地味な仕事だし…割はいいと思うけど、来てくれる人は少ないかもね。
でも急いでるから、そろそろ締め切って……」
と、リーが再び依頼票の方を向いた、その時。

かたん。

「きゃ」
「ああっ、ごめんなさい!」
リーの傍をすり抜けるように通り過ぎようとした人物が、テーブルに置いた彼女のコップを荷物に引っ掛けて倒してしまう。
床には落ちなかったものの、半分ほど残っていたミルクはテーブルに広がり、その一部が床にぼたぼたと落ちた。
「た、大変」
「今、布巾を借りてきます」
慌ててしゃがみこむリーと、こちらも慌てて立ち上がりカウンターに向かうミケ。
倒した人物も申し訳なさそうにしゃがみこんだ。
「ごめんなさい、うっかりしてて」
「いいえ、あたしもこんな端っこに置かなければよかったわ、気にしないで」
にこりと微笑みかけると、その人物が女性であることに気づく。
ゆるいウェーブのかかった青い髪に、意志の強そうな青い瞳。年はミケと同じくらいだろうか。酒場にいる割には普通の街娘のような服を着ているが…
彼女はふっと大人っぽい笑みを浮かべると、リーに言った。
「新しく頼むわ。本当にごめんなさい」
「あ、いえ……」
有無を言わせぬ雰囲気にリーが少し戸惑っていると、ミケが布巾を持ってやってくる。
「布巾、借りてきました」
「ありがとう、私がやるわ」
リーが何かを言う前に、女性がミケの手から布巾を受け取り、手早くテーブルと床を拭いていく。
それほど量がなかったミルクはすぐに拭き取られ、女性は立ち上がるともう一度リーに微笑みかけた。
「本当にごめんなさい。これ、返しついでに新しいのも注文しておくから」
「え、でも」
「気にしないで。急いでるから、これで」
女性はやはり有無を言わせぬ調子でそれだけ言い置くと、布巾を持ったままカウンターへと歩いていってしまった。
呆然と見送るリーに、ミケが声をかける。
「きちんとした方でしたね」
「ええ。でもなんだか悪いことしちゃったな…」
女性は本当に急いでいるらしく、布巾を返して注文をし、銅貨を数枚置いて足早に酒場を後にしていた。
ウェイトレスが注文を受け、すぐに代わりのミルクを持ってくる。
2人は再び席につくと、落ち着いて一息入れた。
「…それで、探してるお母さんって……あの、ミシェルさん、ですよね?」
少し言い難そうにミケが言うと、リーは一瞬きょとんとして、それから、何故か眉を寄せて視線を逸らした。
「……そっか、ミケはママのことを知ってるんだったわね……」
その表情に困惑が浮かんでいる理由がわからず、ミケはさらに声量を落とす。
「あの……何か、あったんですか?」
「………」
正面から聞いてくるミケに、リーはまだ困惑の表情で、どう言葉を紡いで良いか考えあぐねているようだった。
と、そこに。

「この依頼、あなたの、ですか」

淡々とした声がかけられて、2人はそちらに顔を向けた。
見れば、リーと同い年ほどの少年が、依頼票をこちらに見せながら無表情で立っている。
ぱっと見た印象が、ちょうど先程コップを倒した女性とよく似ていた。青みがかった白髪に、中性的な面差し。だが、その金色の瞳には若干の警戒の色以外には表情が伺えず、生き生きとした先程の女性とはまるで違う印象を与えている。旅人なのだろう、ごく一般的な旅装束を身に纏っていた。
「……?」
自分をじっと見るリーに、少年は不思議そうに首を傾げる。
「初対面、ですか?」
「えっ?あ、ええ、初対面だと思うけど」
さっきあなたに似た女性を見たわ、とは何となく言えず、笑みを返すリー。
少年は手に持った依頼票を確かめるように一瞥して、再び彼女に視線を戻した。
「マスター、聞いたら、依頼人、あなた、言ってました。違いましたか?」
「えっ、あ、ううん、違わないわ、その依頼はあたしが出したものよ。ちょうどもう締め切ろうと思っていたところなの」
リーはそう言って、少年の手から依頼票を受け取る。
少年は無表情のまま、僅かに首をかしげた。
「依頼受ける、出来ない、ですか?」
「えっ?いえ、そうじゃなくて、あなたで最後ね、っていうこと」
リーは安心させるようににこりと微笑んだ。
「座って。詳しいことを話すわ」

探し人と探され人

「うーん……ごめんなさい、見てないです」
ショールの女性が探す「娘」の特徴を聞いてから、ユキは申し訳なさそうに首をひねった。
「俺も見てないですね……残念ながら」
肩をすくめて、セレスト。
ショールの女性は特に困った様子もなく、にこりと微笑んでのんびりと言った。
「そうー、ありがとうー、他をあたってみるわー。お時間取らせて、ごめんなさいねー?」
言って、踵を返そうとする。
と。
「あ、あの!」
ユキが少しためらってから、女性を呼び止めた。
「えっと、僕も一緒に探しましょうか?」
「一緒にー?」
「僕ちょうど暇ですし、人手は多いほうがいいでしょ?
それに……探し人が見つからないって気持ち、よくわかりますから」
「そうですね。乗りかかった船だし、俺も手伝いますよ。
先程、迷子を見つけた実績もありますし」
笑顔でユキに同調するセレスト。
女性はしばらく首を傾げて何かを考えていたが、やがてもう一度笑みを深めると、頷いた。
「じゃあ、お願いするわー。一緒に、探しましょうー?」
「はい!」
元気よく頷くユキ。
「僕はユキレート・クロノイアっていいます。ユキって呼んでください」
「俺はセレスト・ランカスター。セレストでいいですよ。お母さんのお名前は?」
職業柄『お母さん』呼びに慣れているセレストがごく自然に問うと、女性はにこりと笑って答えた。
「ヒューリルア・ミシェラヴィル・トキス。長いから、ミシェルって呼んでねー?」

「それで、娘さんのお名前は何とおっしゃるんですか?」
レンガ造りの通りをのんびりと歩きながら、セレストがミシェルに問う。
手分けをして探そうとしたが、そこまでではない、一緒にのんびり探そうと言われ、結局3人連れ立って学生街をうろうろしているのだが。
先程の母親のように切羽詰っているわけではないようだし、世間話でもしながらのんびりと探そう、とセレストは思っていた。
ミシェルはセレストの問いに、やはりのんびりとした調子で答える。
「リーよー。リーファっていうのー」
「リーさんですね。可愛らしいお名前です。あ、クッキーいかがですか?」
「まあ、ありがとうー」
いつも携帯しているのか、どこからか取り出したクッキーを差し出すセレストに、笑顔でそれをつまむミシェル。
「ユキさんもどうぞ」
「わ、ありがとう!」
3人でクッキーをポリポリ食べながら歩く。
「それで、娘さん…えっと、リーさん?の特徴、もうちょっと詳しく教えてください」
先程は大雑把な特徴だけしか聞かなかったので、改めてユキがそう問う。
ミシェルはクッキーをかじりながらのんびりと答えた。
「15歳くらいの女の子よー。私と同じ銀髪でねー、薄紫色の瞳なのー。
でも、髪質は夫に似たみたいで、長いストレートの髪を後ろでくくってるのよー」
「そうですか…リーさんのいそうな場所に心当たりはありますか?」
「ああ、それは聞いておいた方がいいですよね」
セレストも同調して頷く。
「リーさんが良く立ち寄る場所……喫茶店やお友達の家が分かるようでしたら、そちらに来ていないか尋ねてみましょう」
「うーん、リーのプライヴェートのことはよくわからないのよねー」
ミシェルは眉を寄せて首をかしげた。
少し驚いたように、セレスト。
「え、でも娘さんなんでしょう?」
「大きくなると、そんなに子供の私生活まで詮索しなくならないー?もう一人の立派な人間なんだしー」
「それは……そうかもしれませんが…」
「うーん、甘いものが好きだからー、お菓子屋さんとかー?可愛いものが好きだからー、雑貨屋さんとかー?」
「なるほど…お友達の家などは?」
「わからないわー、リーのお友達もそんなに知らないしー、お家…もここから遠いんじゃないかしらねー」
「そうなんですか……」
セレストは眉を寄せて考え込んだ。
そこに、ユキが続けて質問する。
「あの、リーさんって、どんな人ですか?」
「そうねー」
ミシェルはそちらに笑顔を向けて、答えた。
「可愛い子よー。まっすぐで、正義感が強くてー。そうねー、ちょっと融通のきかないところはあるかもねー。
でも、とても優しい子よー。優し過ぎて、人の気持ちに入りすぎて、傷つくことも多いんじゃないかしらー。
潔癖なところもあるからー、許せないことも多くてー、まあでも、それも若さゆえかしらーって思うわー。
たくさんいろんなことを経験してー、素敵な女性になって欲しいわねー」
「そうなんですね。リーさんのこと、良くわかってるんだ。愛してるんですね」
何となくくすぐったい気持ちで、ふっと笑うユキ。
彼女自身に両親の記憶というものは無いが、もし母親がいたとしたら、こんな風にふわっと暖かく包み込むような女性なのだろうか、と思う。
が。
「……そう、かしらねー……」
小さく呟いて、ミシェルは薄く目を開けた。
今まで笑みの形のまま閉じられていた瞳。初めて、彼女の瞳が先程言ったような薄紫色をしていることに気づく。ずっと笑顔なので気にも留めなかったが、考えてみれば今までずっと、彼女は目を閉じたまま歩いていたのだ。
(……見えてた、のかな…?)
不思議そうに見上げるユキの視線に気づいているのかいないのか、ミシェルは薄紫色の瞳を遠くに向けて、ぽつりと呟いた。
「…とても愛しているけれど。
とても、辛くなるわ。あの子を見ていると」
「えっ……」
その言葉に思わずユキが声を上げると、ミシェルは再びにこりと微笑んでユキのほうを向いた。
「そうね、愛しているわよー。
とても可愛いし、できる限りのことをしてあげたいと思うわー。
あまり親が手を出しすぎても成長の妨げになるしー、遠くで見守っているだけだけれどねー」
先程までと同じようにのんびりとした口調ではあったが、どこか何かをごまかすような物言い。
ユキは少しだけ口をつぐんだが、すぐに微笑み返した。
「そうなんですかー」
適当な相槌を打ってから、再び口を閉ざす。
(辛くなる……って、言ったよね、今……)
どういう意味なのだろうか、と思う。
両親もいない、子供を持った経験も無いユキにはよくわからない。親だけが持つ感情なのだろうか。ごまかすような物言いも、言い辛かったからかもしれない。
ユキがそれ以上訊くことも、別の気の効いた言葉をかけることも出来ないでいると、今度はセレストが口を開いた。
「あの、ミシェルさん」
「なあにー?」
「リーさんは今日のことを何か言っていませんでしたか?」
「今日のことー?特に何も聞いていないけどー。何かあったかしらー?」
「そうですか……」
セレストはまた眉を寄せて、さらに言った。
「うーん、はぐれたらその場を動かない方がいいって言いますけど」
「えー?」
「とりあえずは、リーさんのよく行きそうなお店を訪ねてみて…いなければ、すれ違いにならないように、伝言を残しておきましょうか。今の時間と次に向かう場所が分かればいいかな」
やはりこれも常備しているのか、懐から紙とペンを取り出すセレスト。
そこでようやく、何かに気づいたようにミシェルが声を上げた。
「あー、さっきから何か話がかみ合わないと思っていたのよー」
「えっ?」
「あのねー、私とリーは、別にはぐれたわけじゃないのよー」
「え、そ、そうなんですか?では、お家から黙っていなくなってしまったとか…?」
「いいえー、出かける時は挨拶はしていくわよー。最後に会ったのは多分1ヶ月くらい前だけどー」
「ええっ?!」
「あら、言ってなかったかしらー。娘はね、冒険者なのー。旅に出てるのよー」
「そ、そうなんですか!」
驚いて声を上げるセレスト。ユキも少し驚いた様子でそれを見ている。
「言ってなかったー?」
「聞いてないです」
「そう?ごめんなさいねー」
「いえ、気にしないでください。それでは今は、お家にはご夫婦2人で?お父さんも探していらっしゃるんですか?」
「夫はもう亡くなってるのー。今は私一人ねー」
さらりと答えるミシェルに、言葉を詰まらせる2人。
「っ、それは……失礼しました」
「ふふ、気にしないでー?」
ミシェルはにこりと笑うと、話を元に戻した。
「そういうわけでー、私とリーははぐれたわけでもなければ、待ち合わせをしていたわけでもないのよー」
「そうですか…では、なぜ街中を探しているんですか?旅に出ているんでしょう?」
「それがねー」
ミシェルはやはり目を閉じたまま、困ったように眉を寄せた。
「私もここ最近は、ここから歩いて半刻くらいのところにあるウォルクっていう町で、研究をしていたのねー」
「研究者さんなんですか」
ちょうど先程まで研究者であるセルのところにいたユキが、少し嬉しそうな顔で言う。
ミシェルはそちらに向かってにこりと微笑んだ。
「研究者って言うと語弊があるかしらー。マジックアイテムの開発をしているのよー」
「魔道士なんですか。失礼ですが、そんな風に見えないのでびっくりしました」
今度はセレストが言い、ふふ、と短く笑うミシェル。
「あまり外に出て派手に魔法を使うことは無いからねー、いつもこの格好よー」
「そうなんですね。それで、ウォルクで研究をしていて…?」
「ああ、ごめんなさいー。一段落ついたから、ヴィーダの家に久しぶりに帰ってきたのよー。
そうしたら、家の中の様子がおかしくてー」
「様子がおかしい?」
セレストはきょとんとして首をかしげた。
「どんな感じだったんですか?」
「それがねー、帰ってきてドアを開けたらー、家の中がすごく散らかっててねー」
「散らかって?リーさん、帰ってきてたんでしょうかね?」
「そうねー、私の他にあの家に入れるのはあの子しかいないからー、ヴィーダにいるっていうのは聞いてるし、ちょっと話を聞こうと思ってー。
それで、探していたのよー」
「はは、確かに、ちゃんと片付けないのはいただけませんよね、女の子としては」
「でしょうー?もー、本当にひどいありさまだったのよー、まるで泥棒でも入ったみたいだったんだからー」
「………え」
ミシェルの言葉に表情をこわばらせる2人。
「泥棒、ですか。え、何か物がなくなっていたとか?」
セレストが訊くと、ミシェルはのんびりと首を振った。
「いいえー、無くなったものはないと思うんだけどー、っていうか私もあまり帰ってこないし大事なものはあまり置いてないからいいんだけどー」
「そ、そうですか…?」
のんびりとしたミシェルの様子に少し混乱した様子のセレスト。
「ご近所の方は、何か言ってましたか?」
「いいえー、近所の人には会ってないわー。帰って来てー、そうなっててー、そのままリーを探しに出たのー」
「そうですか……」
セレストはふむ、とひとつ唸った。
「ミシェルさんが確認したなら見落としはないと思いますけれど、お家にもう一度行ってみるのはどうでしょう?
ひょっとしたらご近所さんが何か聞いているかもしれませんし……」
「そうー?じゃあ、ちょっと行ってみましょうかー。ここからちょっと南にいったところにあるのよー」
少し心配そうなセレストの様子を気に留める風も無く、ミシェルはのんびりと言って再び歩き始める。
セレストとユキは心配そうに顔を見合わせると、その後について歩き出すのだった。

「改めて自己紹介するわね。あたしは……リーファ・トキス。リーでいいわ。依頼を受けてくれてありがとう。よろしくね」
3人でテーブル席につき、落ち着いたところで、リーが改めて言ってにこりと笑う。
ミケは彼女の様子に少しきょとんとしたが、特に何も言わずにもう一人に視線をやった。
もう一人…先程声をかけてきた少年は相変わらずの淡々とした表情で、ぺこりと会釈をする。
「アフィア、いいます。よろしく」
「僕はミーケン=デ・ピースといいます。ミケとお呼びください」
「ミケ、リー、知り合い、ですか」
「あ、はい。以前、リーさんの依頼を受けたことがあるんですよ」
「その節はありがとう、助かったわ」
「いえ、あまりお役に立てませんでしたが…」
詳しくは「ニース」をご覧ください(宣伝)。
ミケとリーの様子は特に気にならないのか、アフィアは早速本題に入ろうと身を乗り出した。
まるで先生に質問でもするように、軽く手を上げて発言の許可を得て。
「母親、探してる、いう依頼。探してる人、特徴、教えてください」
「ええ、もちろん」
リーは慎重な様子で頷いて、説明を始めた。
「名前はミシェル。ミシェラヴィル・トキスよ。あたしの母親の年代にしては、若く見えると思うわ…たぶん、20代後半くらいに。
あたしと同じ銀髪に薄紫の瞳で、でも髪の毛はあたしと違ってウェーブがかかってるの。背中くらいまでかな。いつもはリボンでひとつにくくってるわ。
あたしは冒険者だけど、ママはそうじゃないから、普通の格好をしてるわね…フレアスカートに、ショールを巻いてることが多いかな」
「優しそう派雰囲気の、穏やかな方ですよ」
ミケが続けてそう言ったので、アフィアはそちらを見た。
「ミケ、母親、知ってる、ですか」
「ええ、実はミシェルさんの依頼も受けたことがあるんです。マジックアイテムの制作をなさってる方で、色々と……ええ、色々とすごいものを作るんですよ。
だから、いなくなってると聞いて驚いたんですが…」
ミケは僅かに眉を寄せて、リーのほうを見た。
「……依頼を出している、ということは、ちょっと買い物に出かけているだけ……とか、そういうことではないのですよね?」
「ええ」
リーはきっぱりと答えて、頷いた。
「ママとあたしは、一緒に暮らしているわけじゃないのよ。
ただ、いるべき時に、いるべき場所にいなかったの。周りを探してもダメだった。だから人を雇って探そうと思ったのよ」
「そうですか……出かけっぱなしで、既に時間が……何日か経ってしまっていたりするのでしょうか?」
「いつからいないのかはわからないわ。一緒に暮らしてはいないから。あたしは少なくとも1日は探したけど。見つからないなら人手を増やしたほうが効率的だと思って」
「まあ、それはそうですよね……」
難しい顔をして唸るミケ。
アフィアがその横で、淡々と言う。
「うち、ミシェル、顔、知らない。知ってる人いる、心強い、思います」
「そうですね、でもアフィアさんのことも、頼りにしていますよ」
にこりとアフィアに微笑むミケに、しかしリーは依然として渋い表情で言った。
「……ミケ、あのね」
「はい?」
「…もしかしたら、ママの様子がおかしいかもしれないけど、気にしないで連れてきてほしいの」
「様子が、おかしい?」
首をひねるミケ。
「おかしい、どんな風に?いきなり襲ってきたり、しますか?」
再び挙手して質問するアフィアに、慌てて首を振るリー。
「そ、そういうことじゃなくて。ええと……例えば、ミケが誰だかわからない、っていうことがあるかもしれないわ」
「えっ」
ミケは少し驚いて問い返した。
「……記憶喪失とか?リーさんのことは、分かりそうですか?名前を出したら付いてきてくれそう?」
「あたしのことはわかると思うわ。だから、あまり刺激しないで、あたしが探してるって言って連れてきてほしいの」
「そうなんですか…」
「あるかもしれない、って言ったけど。もしかしたらミケのことがわかるかもしれないし。
曖昧でごめんなさい、今はこれしか言えないの」
「……そうですか」
若干切羽詰ったような表情に、ミケはそれ以上何も訊かなかった。
「ヴィーダから出ていないのは、間違いないんですね?」
「ええ、それは間違いないわ」
「行き先に心当たりとかはありませんか?何かアイテム作るのに必要な物を買いに、とか、知人に会いに、とか」
「残念だけど、あたしは最近のママのプライヴェートにはタッチしてないの。だからまったくわからないわ」
「そうですか……」
ミケは一瞬迷って、しかしやはり言うべきだと思ったのか、身を乗り出してリーに訊いた。
「……誘拐とか事件に巻き込まれた、もありえそうですか?」
その発言に、アフィアも少し顔をこわばらせる。
リーも表情を引き締め、慎重に言った。
「…さっき言ったみたいな状態になってるなら、それもありうるかもしれないわ。ないとは思うけど」
「…わかりました」
ゆっくりと頷くミケ。
「とりあえず、普通に探して。それでも見つからなければ、何か事件が起こったことを想定して動きましょう。
アフィアさんも、それでいいですか?」
「問題ない、です」
「じゃあ、早速お願いするわ。これ、前払いの報酬ね」
こと。
リーは言って、二人の前に小さな金袋をひとつずつ置いた。
「金貨1枚。見つからなくても受け取ってちょうだい」
「いいんですか?」
「前払いって書いたでしょう?つまりはそれだけ、切羽詰ってるってこと」
心配そうに問うミケに、苦笑を返すリー。
アフィアはそのまま金袋を受け取ると、立ち上がった。
「では、行ってきます。見つかったら、ここ、連れてくる」
「ええ、お願い」
リーが頷くと、アフィアは一礼して、早速その場を後にする。
彼が店を出たのを確認してから、ミケは再びこそりとリーに訊いた。
「……何があったんですか?」
「………」
リーは困ったように眉を寄せて、彼を振り返る。
「……今は、何も聞かないで協力してほしいの。…お願い」
「……わかりました。でも本当に必要な時は、話してくださいね?」
「それは、もちろん」
「では、僕も行ってきます。アフィアさんと同じく、見つかったらこちらの方に連れてきますね」
「ええ、お願い」
2人は軽く頷きあうと、足早に店を後にした。

愛しい人の記憶

「これは……なかなか、すごいですね……」
ミシェルの家に案内された2人は、中の様子に少し絶句した。
ミシェルの言うとおり、空き巣にでも入られたのかという様相である。開いたクローゼットからは服が投げ出され、クッションは放り出され、椅子もところどころひっくり返されて、引き出しも開けっ放し。
これを「家の中の様子がおかしい」で済ませるミシェルもなかなかなのものだが、とりあえずそれはひとまず置いておいて。
「本当に泥棒じゃないんですか?なくなっているものとか…」
「ええ、ないわー。さっきも言ったけどー、私もほとんど家を空けているからー、そんなに大切なものは置いてないのよー」
「金目の物を探してる、って言う感じじゃないよね…」
キョロキョロと部屋の中を見渡しながら、ユキ。
「引き出しやクローゼットはともかく、クッションや椅子まで放り出すのはおかしいよ。泥棒とは思えないけどな…」
「そうねー、私もそう思うわー」
のんびりとユキの言葉を肯定し、ミシェルは頬に手を当ててため息をつく。
「…ミシェルさん、何かお心当たりでも?」
セレストが訊くと、ミシェルはその格好のまま僅かに眉を寄せた。
「うーん。そうねー……」
何か、言葉を濁しているようで。
セレストは言いづらいこともあろうかと、ずばり訊ねてみた。
「…リーさんが、誘拐された、という可能性は?」
「………」
ユキもその可能性に思い至り、表情を引き締める。
この惨状が、何かを探していたのではなく、娘が連れ去られた際に起こった何かが原因だとしたら。
が、ミシェルはあっさりと首を振った。
「それは、ないわねー」
「えっ……」
「あの子は、強くて賢い子だからー。軽々誘拐されることはないわー」
「しかし……」
強くて賢い冒険者だとしても、まだ15歳の少女なのだろう、という言葉は口に出せず、セレストは口ごもった。
「……でも……」
ぽつりと呟いたミシェルの言葉に、顔を上げる2人。
ミシェルは僅かに眉を寄せたまま、嘆息した。
「……ひとつ、なくなってるものがあるわねー」
「え、何が無くなってるんですか?」
ユキの問いには答えず、くるりと踵を返すミシェル。
「え、あの、ミシェルさん?!」
「セレストの言うとおり、近所の人にも色々聞いてみましょうー。何か、わかるかもしれないしー」
言うが早いか、ドアに向かって足を進める。
二人は慌ててその後を追った。

「こんにちはー」
「おや、こんにちは、ミシェルさん。いいお天気ですな」
ミシェルが声をかけたのは、隣の家の前で掃除をしていた男性だった。
男性は掃除をしていた手を止めてミシェルのほうを向くと、そのままの口調で言ってくる。
「その後、お嬢さんは見つかりましたか。大変ですねえ、ご心配でしょう、冒険者をしているのでは」
「えー?」
男性の言葉に首を傾げるミシェル。
後ろで聞いていたセレストとユキも顔を見合わせる。
男性はそのまま言葉を続けた。
「私も、日がな一日家にいるわけじゃないですからねえ。お嬢さんを見かけたら、ご連絡しますよ」
「…失礼、その……」
男性に質問をしようとしたセレストを片手で制して、ミシェルはにこりと男性に笑いかけた。
「ありがとうー。もうー、皆さんにまでご迷惑かけてー、至らない娘でごめんなさいねー」
「いいええ、若い頃はそれくらい元気でなくちゃねえ」
「もう何日目になるかしらー、ぜんぜん連絡もしないでー」
「そうさなあ、ミシェルさんが娘さんがいないって言ってきたのがええと……そう、ちょうど10日前のことですよ」
「もうそんなになるのねー。まったくー、どこで何をしてるのかしらー」
「はは、便りの無いのはいい便り、ってね。まぁそんなに心配なさんな」
「ええ、ありがとうー。じゃあ、私はもう少し探してくるわー」
「ああ、気をつけて」
男性に軽く会釈をして、再び歩き出すミシェル。
セレストは心残りの様子で男性を軽く見やったが、やがてユキと共にミシェルについて歩き出す。
「……ミシェルさん」
しばらく歩いて、男性の姿が見えなくなったところで、セレストは慎重にミシェルに問いかけた。
「…ここしばらくは、ウォルクにいて、ヴィーダには帰っていないんですよね?」
「そうねー、1ヶ月くらいぶりになるかしらー」
「ご近所の方にも、何も聞いていない、とおっしゃっていましたよね?」
「ええ、あのおじさんに会うのも1ヶ月ぶりよー」
「…では、10日前にリーさんの行方を訊いたのは、一体……?」
「………」
ミシェルはその問いには答えず、ふ、とため息をついた。
「………思ったとおり……困ったことに、なりそうね……」
ぽつりと呟いた彼女の瞳は、複雑そうな表情をはらんでいて。
セレストとユキは言葉の続きを待ったが、彼女の口からその『困ったこと』とやらが語られることはなかった。

「人、探してます。20代後半くらいの、銀髪の女の人、見ませんでしたか」
一方、アフィアは早速、ヴィーダの西側にある住宅街の方へと足を運び、聞き込みに回っていた。
さすがにこのあたりにはあまり冒険者の姿は見えない。今アフィアの目の前いにいるのも、買い物帰りの主婦ですという風の女性だった。
「銀髪の女の人?」
「はい。ウェーブのかかった銀髪、リボンでくくってます。瞳、薄紫色。ショールとフレアスカート、着てます」
「うーん……心当たり無いわねえ。このあたりに住んでる人じゃなきゃ、目立つから記憶に残るんだけど」
「目立つ、ですか」
「そうよぉ。アンタなんか、そんな目立つカッコしてたら1週間は忘れないわぁ」
女性は言ってケラケラと笑う。
アフィアは自分の服装を不思議そうにしげしげと眺めた。
「目立つ、ですか…」
「そうよぉ。このあたりじゃ旅人ってだけで目立つのに、珍しい髪の色してるからねぇ」
「髪、珍しい、ですか」
「そうねぇ、このあたりじゃあんまり見ないわね。アンタも割と変わった髪の色してるけど、さっきの女の子はもっとすごかったわ」
「女の子、ですか」
「そう!あぁ、顔はちょっとあんたに似てるかもしれないわ、真っ青な髪に青い瞳でさ、旅人じゃない風だったけど、あれは印象に残るわねぇ」
「青い髪、青い目……?!」
アフィアの表情に、おそらくは初めて動揺の色が走る。
「その人、どこ、行きましたか?!」
先程とは打って変わった必死さで詰め寄るアフィアに、女性は目を丸くして答えた。
「えぇ?さっき、あっちの方で見たけど……」
「ありがとう、ございます!」
アフィアは短く言って、女性の指差した方角へ足早に駆けていった。
女性はぽかんとした表情でそれを見送りながら、ポツリと呟く。
「……銀髪の女の人は、どうなったの……?」

「…ええ、15歳くらいの女の子で…銀色の髪で、白い旅装束なんですが……」
「うーん、知らないですねえ」
それから、ミシェルたちは酒場にやってきていた。
冒険者ならば酒場を探してみようというというユキの提案にセレストも同意し、学生街の一角にある小さな酒場に来たのだ。
昼日中なので客もあまりいない。少ない客に聞き込みをして何も成果が得られなかったユキとミシェルは、マスターに聞き込みをしているセレストを少し離れたところで見守っていた。
「冒険者さんなら、酒場かなと思ったんですけど…もしかしたらリーさんもミシェルさんのこと探してて、人探しの張り紙とかあるかもしれないし」
「そうかしらー、それは無いと思うけどー」
「そうですか?」
楽しそうに笑いながら真っ向否定するミシェルを見ると、彼女もまたユキの方を向いてにこりと微笑んだ。
「ユキも、誰か探している人がいるのー?」
「えっ」
唐突に訊かれ、きょとんとするユキ。
「なんでわかるんですか?」
そう、確かに彼女にもずっと探している人がいる。だがそれを、どうしてミシェルが知っているのだろうか。
ユキが不思議そうに問うと、ミシェルは変わらぬ調子で続けた。
「さっき、『探し人が見つからない気持ちがわかる』って言ってたからー。誰か、探している人がいるのかしらー、と思ってー」
「ああ…」
そういえば、人探しの手伝いを申し出る時にそんなことを言った気がする。
ユキはふわりと微笑み返した。
「はい。僕の師匠なんです。
師匠の試練なんですけど……まだ見つからなくて」
「試練ー?」
「はい、姿を消した師匠を探し出すっていう試練なんです。ずっと探してて……見つからなくって。
最近、ある人に、試練だったら変装してるんじゃないかって言われて、初めてそのことに気づいて……」
そのときのやり取りを思い出して、苦笑する。
「こんなことにも気づかないようなダメな僕にも、師匠はまだ弟子だって言ってくれてるから…僕、がんばって師匠を探そうって思って」
嬉しそうに語るユキに、優しく微笑みかけるミシェル。
「ふふ。その人のことが、好きなのねー?」
「うん、大好き!」
ユキは嬉しそうに即答した。
「師匠はすごい人なんだよ。小さかった僕に色々教えてくれて、感謝してるし、尊敬してます。僕の、憧れなんだ」
「ふふ、私の言う『好き』は、そういう『好き』じゃなくてねー?」
「えっ?」
楽しそうに言うミシェルに、再びきょとんとした表情を向けるユキ。
ミシェルは人差し指を鼻頭につけると、内緒話のように囁いた。
「その人に、恋をしているのねー?」
「…………え!?」
ユキは一瞬何を言われているのかわからないというようにぽかんとして、それから盛大に顔を赤くした。
「ち、違うよ!師匠のことは憧れで……
だ、だって師匠はかっこいいし、強いし、何でも出来るし……」
「末期ねー」
「だ、だから、ちが…好き、なんて、そんな……」
ユキは混乱した様子で、視線をあちこちにさまよわせる。
「師匠は僕の親代わりで……冷たいけど、ほんとは優しい人で……
いつもいつも僕の前にいて、僕はずっと後をついていってた……」
とつとつと、自分の思いを口にしていきながら、ユキはだんだんと表情を沈ませていった。
幼い頃からの思い出がくるくると脳裏によみがえっては消えていく。
「試練だから…師匠を見つけることが、師匠に与えられた課題なんだから、って……我慢してたけど……」
きゅ、と胸元を押さえて、絞るように呟く。
「……ほんとうは、さびしい」
「ユキ……」
ミシェルはいたわるように、ユキの肩に手を置いた。
「大好きな人が傍にいないのは、辛いわね」
「ミシェルさん……」
見上げれば、ミシェルは先程リーのことを呟いた時のように、薄紫色の瞳を外気に晒していて。
その口調も、今までののんびりとしたものではなく、落ち着いた優しい声音になっている。
「でもきっと、あなたは大丈夫よ。お師匠さまは、きっと見つかるわ」
「そう……かな?」
「ええ。きっとまた、お師匠さまと会える日が来るわ。
あなたのお師匠さまは、生きているのだから」
「………ミシェルさん……」
ユキは眉を寄せて、ミシェルの紫の瞳を見つめた。
穏やかに凪いでいる瞳の奥底に、深い深い悲しみがわだかまっているような気がする。
彼女の愛する人はもうこの世にはいない。会いたくとも、その願いはもう永遠に叶わないのだ。
ユキは寂しそうな表情を引き締めると、元気に微笑んで見せた。
「…うん……僕、がんばるよ。絶対、師匠を見つけてみせる!」
「ふふ。きっとそのうち、会えると思うわー?」
ミシェルは再びにこりと笑って瞳を閉じると、元の口調に戻って笑った。
「案外、今もすぐ近くにいるのかもしれないわよー?」
ひょい、と顔の向きを、店の奥にいる客に向けると、その客の肩がぴくりと動く。
ユキはそれには気づかずに、ははっと笑った。
「そうだといいな。ミシェルさん、ありがとうございます、聞いてくれて」
「いいえー。ユキもがんばってー?」
「うん!」
2人の話が一段落したところで、マスターに話を聞き終えたセレストが戻ってきた。
「やはり、ここには来ていないようですね」
「そうなのー、残念ねえ」
あまり残念そうでもない口調で言うミシェル。
セレストは嘆息して、言葉を続けた。
「このあたりは、学生街ですからね。冒険者が集まるのは、中央通りから宿場街の方だと思いますよ。
そちらの方に行ってみましょう」
「そうねー。行きましょうー、ユキ」
「はい!」
ユキが元気よく返事をし、3人はその酒場を後にするのだった。

「アポ無しの来客って言うから誰かと思ったら、あなたなの」
部屋に入ると、彼女はいつものように、『校長』と名札の置かれた豪華な机の向こうで優雅に微笑んだ。
ミケは苦笑して謝る。
「すみません、約束もなしに。急な用事だったんで」
「構わないわ。今はこれといって仕事もないし、おおむね暇だから」
鷹揚に言って、また微笑む。
ストレートの長い金髪に、挑戦的な緑の瞳。整った顔立ちをさらに化粧で色濃く彩った、いわゆる化粧美人だ。
彼女の名はミレニアム・シーヴァン。フェアルーフ王立魔道士養成学校の校長であり、先日ミケが受けた依頼の依頼人である。
「それで?急な用事っていうのは?」
「あ、ええと」
ミケは少し言いづらそうに辺りをうかがって、それから単刀直入に訊いた。
「ミシェルさんが今どこにいるか、ご存知ですか?」
ミケの言葉に、ミリーは一瞬きょとんとして彼を見返した。
「……どうしたの?いきなりミシェルのこと訊いてくるなんて」
「実は、ですね」
ミケは少し声を落として、事情を説明し始める。
「ミシェルさんの娘さんから、今、依頼を受けているんです」
「ミシェルの娘……リーファ・トキスね」
「さすが、よくご存知ですね」
「そりゃあ、あたしはミシェルのストーカーですから?」
苦笑するミケに、ふふ、と意地の悪い笑みを浮かべるミリー。
「で?娘が、どんな依頼を?」
「ええ。ヴィーダの家にいるはずのミシェルさんがいなくなったから、探して欲しいと。……いつもとちょっと違うかも知れないし、会っているはずだけれど分からないかもしれない、と言われています。何日か、帰ってきていないみたいで……」
「なんとも曖昧な話ね…」
「……詳しくは、あまり話したくないみたいで、良くは分からないんですけれど……。何か、あったのか、と」
ミケも困惑した様子で言葉を濁す。
「多分町からは出ていない、と言っていましたが、もしかしたら町から出ちゃっているとか。記憶が混乱するような何かがあったとか。
普通の時なら大丈夫だと思うんですけれど……何か事件に巻き込まれたとか。
そういう話、なんでもいいので、聞いていませんか?……今、どこにいるか知ってたりは……流石にしないですよね?」
「…………」
ミリーは探るように、ミケをじっと見つめた。
「その娘……リーファは、母親が家にいるはずだって言ったのね?」
「えっ、ええ」
詰問するような調子に若干緊張しながら頷くミケ。
「探して、どうしたいって言ってた?」
「連れてきてほしい、と。僕のことがわからないかもしれないけれど、刺激しないようにして彼女の元へ連れてきてほしい、と言ってました」
「ふぅん……」
ミリーは小さく唸って、難しい顔をした。
「あの、ミリーさん?」
「ああ、ごめんなさい。じゃあ、あたしが知ってる限りの情報を教えてあげるわ」
ミケに促され、再びいつものように不敵に微笑んで。
「まずひとつ。ミシェルはここひと月の間、ヴィーダにはいなかったわ」
「え」
「ヴィーダの近くにあるウォルクという町に、彼女のアトリエがあるの。ここ1ヶ月はずっと、そこに引きこもっていたはずよ」
「え、でも……」
「そしてもうひとつ」
ミケの言葉をさえぎるようにして、ミリーは続けた。
「こないだ。あなたとハーフムーンで会った日」
「あ、はい」
「あの日、あたし、娘を探している女性に会ったわ」
「え?」
「銀髪に薄紫の瞳の、あたしと同じくらいの女性よ。フレアスカートにショールっていう、まあ普通の格好をしていたわね」
「ちょ、ちょっと、ミリーさん、それって……」
混乱した様子で、ミケはミリーの言葉をさえぎった。
「どういう、ことですか?…何が、起こってるんですか?」
ミリーは黙ったまま、にっと口角をつり上げる。
「あとは、自分の目で確かめなさい。
彼女が……リーファが一体、『誰』を探しているのか」
「え……」
ミリーの言っている意味がわからず、眉を寄せるミケ。
しかし、ミリーはそれ以上それについて語るつもりは無いようだった。さっと手を振ると、窓の外に視線をやる。
「で、肝心のミシェルの居場所だけど」
「え、知ってるんですか」
「この辺りにいるんじゃない?」
「はあ?!」
素っ頓狂な声を上げたミケを、再び面白そうに見やって。
「最近、引きこもってた案件が一段落して、ヴィーダに帰ってきてるはずよ。
そうね、ちょうど今日、あっちの『学びの庭』のあたりで、銀髪の女性が『娘を見なかったか』って訊いてるのを見た人が何人かいるわ。
あなた、会わなかったの?」
「会ってたらここには来ませんよ!」
ミケは焦ったようにそう言って、踵を返した。
「ありがとうとざいました!また来ます!」
がちゃ。
慌しくそう言って、部屋を後にする。
「がんばってねぇ~」
ミリーは楽しそうにひらひらと手を振って、それを見送るのだった。

再会と別離

「こんにちはー」
住宅街の一角にある公園。
若い母親と小さな子供が集う公園の中心に、小さな噴水がある。
その噴水の傍らで、飲み物を飲みながら一息入れていた女性が、声をかけられて振り向いた。
「こんにちは。いい天気ですね」
「ええー、本当にー」
飲み物を飲んでいた女性は、珍しい青い髪に意志の強そうな青い瞳をしている。
対する声をかけた女性は、銀髪をリボンでひとつに括り、フレアスカートにショールといういでたちだ。
銀髪の女性は薄紫色の瞳を優しげに細めると、緩やかな口調で訊いた。
「あのねー、娘を探してるんだけどー」
「娘さん?」
「ええー。私と同じ銀の髪に、薄紫色の瞳をしていてー、白い旅装束を着ているのー。
あなた、見なかったー?」
「うーん……見てないわね」
青い髪の女性は困ったように眉を寄せた。
「お役に立てなくてごめんなさい。娘さん、早く見つかるように祈ってるわ」
「ありがとうー」
青い髪の女性は紙コップの飲み物を飲み干すと、くしゃりとつぶして踵を返す。
「じゃあ、私はもう行かなくちゃ。失礼」
「さようならー」
銀髪の女性は手を振ってそれを見送った。
急ぎ足で駆けていく女性の後姿が見えなくなってから、彼女もまたゆっくりと踵を返して。
と。
「すみません、ちょっと、いいですか」
今度は彼女が声をかけられて、振り向く。
声の主――アフィアは、焦った様子で彼女に言い募った。
「あの、青い髪、青い目の女の人、見ませんでしたか」
「青い髪と、青い目ー?」
銀髪の女性は不思議そうに首を傾げる。
「それならー、今ちょうど向こうの方に行ったわよー」
「!ほんと、ですか。ありがとう、ございます」
アフィアは慌しく礼をして、足を踏み出し……
「……っ」
そして、すぐに足を止め、女性を見上げる。
「?」
まだ不思議そうに首を傾げる女性。
ウェーブのかかった銀髪、薄紫の瞳。フレアスカートにショール。
アフィアはおそるおそる、彼女に聞いた。
「……あなたの、名前。ミシェル、いいますか?」
突然の問いにも動じることなく、彼女はにこりと微笑み返す。
「ええ、そうよー」
「っ………」
アフィアは言葉を詰まらせて、先程女性が指差した方向と、そしてこの女性とを交互に見やった。
ずっと探していた人物。しかし目の前には、今依頼を受けて探している人物がいる。
「………」
アフィアはしばし逡巡して、やがて諦めたように肩を落とした。
「ミシェル、探してる人、いる」
「えー?」
女性を見上げて言うと、ミシェルと名乗った女性はまた不思議そうに首を傾げる。
アフィアは続けた。
「あなたの、娘、リー、いう、間違いない、ですか」
「ええ、そうよー」
特に驚いた様子も無く頷くミシェル。
アフィアはぐっと表情を引き締めると、女性に言った。
「リー、あなた、探してる。一緒に、来る、いいですか」
「ええ、もちろんー」
やはり特に驚いた様子を見せずに頷くミシェル。
アフィアは先程ミシェルが指差したのと逆の方向を指差すと、言った。
「こっち」
「わかったわー」
ミシェルは笑顔のまま頷き、アフィアについて歩き出すのだった。

「いた、ミシェルさん!」
一方、学びの庭で。
酒場から出てきたミシェルたちは、鋭く呼び止めた声に振り返った。
見れば、魔道士学校の方から駆けてくる、黒いローブを着た魔術師の姿。言うまでもなく、ミケである。
ミシェルはにこりと笑みを深めると、彼に言った。
「あらー、ミケじゃないー、お久しぶりー」
「よかった、僕がわかるんですね」
ミケはほっとしたように微笑むと、言った。
「リーさんが、帰ったらあなたがいないと、心配していたんですよ。風花亭で落ち合う約束をしているので、一緒に来ていただけますか?」
「リーが?」
ミシェルはきょとんとしてミケに問い返した。
「リーが、私を探すように、ミケにお願いしてたのー?」
「ええ、依頼まで出して。とても心配していらしたんですよ」
「そう………」
何故か考え込むミシェルの横で、セレストとユキは嬉しそうに微笑んだ。
「よかったじゃないですか、ミシェルさん!リーさんも、ミシェルさんのこと探してたんだね!」
「最悪の事態でなくて良かったです。一時はすわ誘拐かと心配になってしまいましたからね」
和やかにそう話しかける2人を、ミケは不思議そうに見やった。
「こちらの方々は?」
「ああ、私がリーを探してたらねー、親切に手伝ってくれたのー」
ミシェルが言うと、セレストとユキはミケに礼をした。
「セレスト・ランカスターです」
「ユキレート・クロノイアです。ミシェルさんのお友達なんですか?」
「あ、いえ、以前ミシェルさんの依頼を受けたことが。お友達は恐れ多い気がします……」
「やだー恐れ多いとかー。ミケはねー、リーの依頼も受けたことがあってー、それで多分今回もリーのお手伝いをしてくれてるんだと思うわー」
ミシェルが補足すると、セレストとユキは、へえ、と感心したように言った。
大したお力にはなれませんでしたが、と苦笑して言い置いて、ミケはもう一度ミシェルのほうを見る。
「ミシェルさんも、リーさんを探していらしたんですね。僕ももしかしたら誘拐かも、何か事件に巻き込まれているのかも、なんて心配してしまいました。
さあ、風花亭に急ぎましょう」
「……そうねー」
何故か消極的にそう言って頷くミシェル。
ミケは一瞬きょとんとしたが、すぐに微笑んで足を踏み出した。
「さあ、行きましょう。リーさんも待ってますよ」
それに促されるようにしてミシェルも歩き出し、流れでセレストとユキもそれに続く。
探し人が見つかった安堵からか、誰もミシェルの表情に気づくことはなかった。

ヴィーダの中心部を一直線に横切る大通り。
そのさらに中心にある中央公園の正面に、風花亭がある。
ヴィーダ一大きなこの酒場には、多くの依頼が集まり、必然的に多くの冒険者でごった返すことになる。
今日もひっきりなしに冒険者と思しき者たちが出入りするその店の正面に、リーは不安そうな表情で辺りを窺いながら立っていた。
誰かを探しているようでもあるが、その場から動かないところを見ると、待ち人を見落とさないように慎重に辺りを窺っているのだと知れる。
が、やがて。
「………あ!」
大通りと交差するサザミ・ストリートのほうを見て、リーは表情を輝かせた。
通りの向こうからは、アフィアに連れられてやってきた銀髪の女性の姿が見える。
アフィアもリーの姿を見とめると、軽く手を上げて足を早めた。
リーもそちらに向かって駆け出そうと、足を踏み出したその瞬間。

「リーさん!」

背後から呼び止められ、驚いてそちらを振り返る。
アフィアがやってきたのとは反対方向、中央公園から東にのびるレンガ造りの通りに、呼び止めた本人……ミケの姿があった。
その傍らにはセレストとユキ。そしてさらにその後ろに、アフィアが連れている女性と全く同じ見た目の女性が一人。
大通りにいるリーを挟んで、同じ銀髪の女性が2人、別々に連れられて向かい合うかたちになっていて。

「えっ……」
「……?」
「これは……」
「え、ど、どういうこと?」

同じ銀髪の女性を連れた二組の冒険者たちの口から、戸惑いの声が漏れる。
リーは背後からやってきたミケ達を見ると、さっと顔を青くした。
「……っ!」
が、それも一瞬のこと。
リーはすぐにその場を駆け出すと、アフィアの傍らにいた女性に向かって手を伸ばした。

「ミシェル!」

女性に呼びかけ、その手を取って、そのまま手を引いて一目散に駆けていく。
傍らにいたアフィアが驚いて振り向くが、そちらには眼もくれない。
「え、ちょ、リーさん?!」
驚いて声を上げるミケ。
傍らのセレストとユキも、混乱した様子でそれを見守る。

「………困った子ね………」

その後ろで、ミシェルは一人、僅かに眉を寄せてぽつりと呟くのだった。

To be continued…

第2話へ