§4-Afia:My dear sister
「このあたり、いい、思います」
アフィアが選んだのは、森の中でも枝葉が茂っていない、空の見える場所だった。
「夜襲、あっても、飛んで逃げる、できる」
「そうでちゅね。森の中ではどーちても逃げるのに手間取ってちまいまちゅから」
同意して頷くミディカ。
「じゃ、あたちは枯れ木を集めてきまちゅ」
「わかりました。うち、かまど、作ります」
2人は頷きあって、さっそく作業にとりかかった。
「火、つけてもらう、いいですか」
「りょーかいちまちた」
アフィアが作った簡易かまどに、ミディカが集めてきた枯れ木を重ね、その上に着火用の炭を重ねる。
ミディカがぱちんと指を鳴らすと、あっという間に薪に火が付いた。
「ありがとう、ございます」
「この石はどーするのでちゅか?」
「石、温めておく、いろいろ、使えます。水の中、入れる、お湯になる。布で包む、カイロがわり」
「なるほど……やはりこーゆー時には冒険者の経験がものを言うのでちゅねえ」
感心したように頷くミディカ。
「では、食事、始めます」
アフィアは言って、荷物の中から携帯食を取り出した。出発の時にぎゅうぎゅうと詰め込んでいた食料が次から次へと出てくる。
ミディカはそれを唖然として見やっていた。
「あーた……本当にそれ全部食べるでちゅか?」
「成長期、です」
「そーでちゅか…」
出発の時と全く同じ回答に、それ以上の追求をやめておくミディカ。
彼女も食事をしようと、アフィアが取り出した携帯食料に手を伸ばす。
その時。
「まあ、こんなところにいたのですか、ミディカ」
突如森の中に響いた声に、ミディカはびくりと肩を震わせた。
聞き覚えのある声に、アフィアも携帯食料を咥えたまま顔を上げる。
「探してしまいましたわ……近くにいるとは思いましたが、合流できてようございました」
「お……お、おねえさま?!」
驚愕して振り返るミディカ。
ミディカの後ろで満面の笑みを浮かべていたのは、チェックポイントNo.12の教官にしてミディカの姉、ルーリェリカ・ゼランその人だった。
「お、おねえさま、ど、どうしてこちらに?」
あからさまに動揺しているミディカの隣に悠然と座りながら、ルーイは満面の笑顔のままミディカに話しかける。
「もちろん、あなたのことが心配で探していたのですよ。今夜は冷えるようですから、風邪をひいたりしないか、悪いものを食べてお腹を壊しはしないか、心配するのは姉として当然ではありませんか」
「そ……それは…ありがとうございます……」
完全に想定外の事態に、全く頭がついて行っていない様子のミディカ。
そちらの方はあまり気にしていない様子で、ルーイは辺りをぐるりとうかがった。
「まあ……なんですか、この大量の食料は。この小さな体に、どれだけ詰め込ませるつもりですか?」
そして、鬱陶しげにアフィアの方を見やる。
ミディカは慌ててルーイをなだめた。
「おねえさま、これはすべてアフィアさんがお食べになるものですわ」
「すべて?」
ルーイは少し驚いてから、さらに厳しい視線をアフィアに向かって投げる。
「こんなに大量の食料を、この子を差し置いて独り占めしようだなどと…とんでもありません」
「………」
先ほどと180度違う言い分に、アフィアは静かにむっとしていた。理由がどうという問題でなく、アフィアが何をしても気に食わないのだと理解する。
ルーイはさらに小姑よろしく、野営の様子を見回した。
「それに…野営の準備も万全とは言えませんわね。このように気温が低いのですから、このような携帯食料ではなく、体が温まるような料理を作るべきではありませんか?」
「……料理、作る、道具、持つ。荷物、多くなる、体力、削り、もしもの時、対処、できません」
淡々と言い返すアフィアに、まさか言い返されるとは思っていなかったのか、ルーイは鼻白んで言葉をつぐんだ。
「あ、アフィアさんの言うとおりですわ、おねえさま。やろうと思えばわたくしも料理することはできますし…」
「あなたに料理させるなど、言語道断です!何のために冒険者を雇っているのです?」
少なくとも料理をさせるためではなかろう、という言葉を飲み込むアフィアとミディカ。
ルーイは勢いが止まらなくなった様子で、さらに言葉を続けた。
「それに、荷物が多くなると言っても…こんなに食料を詰めたのならば同じではありませんか。食料のせいで、毛布も1枚しか持てないのではありませんか?」
確かに、毛布は1枚しかないようだ。自分で言った言葉に、ルーイはさらに顔を蒼白にした。
「ま……まさかあなた、毛布が1枚であるのをいいことに、み、ミディカと同衾しようなどと考えているのではないでしょうね?!」
(どうきん……)
なかなか聞かない響きに首をかしげるアフィア。
「…毛布、ミディカさん、使う。うち、一晩起きて、見張り。竜になれば、羽毛、温かい。毛布、不要です」
「うっ……」
淡々と言い返され、ルーイは再び言葉に詰まった。
「み、見張りと称してミディカを一人寝かせて、そのあいだに何をするつもりなのです?!」
「…なら、ミディカさん、起きてる、ですか」
「この子を一晩中眠らせないつもりですか?!」
「…うち、眠ってれば、いいですか」
「眠っている間に敵襲があったらどうするつもりです?!あなたの仕事はボディーガードでしょう?!」
「………」
小姑全開すぎて突っ込みどころ満載のルーイの発言に、アフィアは若干うんざりしたような無表情で息をついた。
「……お姉さま、言ってること、無茶苦茶です」
「あなたにお姉さまと呼ばれる筋合いはありません!」
しかし、その発言は火に油を注ぐ結果になった。
「あなたは、そうやって仕事を受けるふりをしながら、虎視眈々とミディカのことを狙っているのでしょう?!このように純真無垢なミディカを騙そうなどと不届き千万です!」
ルーイの言葉にアフィアの表情が僅かに険しくなる。
「騙す、人聞き悪い、です。うち、ミディカさん、きちんと、契約、してます」
「契約など信用できるものですか!」
ルーイは取り乱した様子で首を振った。
「仕事で一緒にいるだけの人間など、いつ裏切るかわかったものではありません!」
ぴき。
どんなことを言われても動かなかったアフィアの表情が、ひときわ苦々しげに動いた。
こと仕事に関してだけは、侮辱されることは彼のプライドが許さない。
「うち、ミディカさん、一緒、しています。
お姉さま、仕事、口出し、理由、ありません」
「いいかげんになさい!」
ルーイは激昂した様子で立ち上がり、ミディカを振り返った。
「ミディカ、今からでも遅くありません、この者を解雇なさい!」
「お、おねえさま?!」
驚いて立ち上がるミディカ。
「何をおっしゃって……」
「あなたは騙されているのです、この男に!このような者と一晩をともに過ごすなど、私が許しません!」
「いいかげんにするの、あなたです」
厳しい表情のまま、アフィアも立ち上がる。
「これ、ミディカさんと、うち、決めたことです。お姉さま、口出す、おかしいです」
「なっ……」
絶句するルーイに、アフィアはすっと表情を引き締めて、淡々と続けた。
「その代わり、ミディカさん、うち、責任、もって、守ります。
お姉さま、安心する、してほしい、です」
かきん。
という音が聞こえてきそうなほど、ルーイの動きが固まった。
「……?」
「?………」
きょとんとしてその様子を覗き込む2人。
ルーイはうつむいて肩を震わせ、わなわなと震える唇からかすかに声を漏らす。
「…………ぷ………」
「…ぷ?」
がば。
唐突に顔を上げると、美しい顔立ちが夜叉のように引き歪んでいた。
「どさくさに紛れてプロポーズとはいい度胸ですね!」
「はああぁぁ?!」
明後日の方向から降ってきたルーイの発言に、絶叫する勢いで声を上げるミディカ。
アフィアはさすがにここまで斜め上の反応が来るとは予想できず、ドン引きのまま固まっている。
「あなたのような男にミディカは渡しません!」
「お、おねえさま落ち着いて!」
「止めてはなりませんミディカ!これはあなたのためなのです!」
駆け寄ってきたミディカを振り払うようにして、ルーイはアフィアに向かって印を切った。
「喰らいなさい!地神の鉄槌!」
ご。
ルーイの呪文とともに、地面が音を立てて盛り上がる。
「行きなさい!」
び、とルーイが指差すと、盛り上がった地面が生き物のように折れ曲がり、大きな槌となってアフィアに迫った。
「アフィアしゃん!」
ごっ。
ミディカの叫びも虚しく、アフィアの小さな体は弾き飛ばされた。
さらに。
ががっ、がががっ。
無数の蛇のように頭が分かれた土槌は、宙に舞ったアフィアの体をさらに執拗に打ち据える。
どさ。
抵抗する間もなくボコボコにされたアフィアの体が、鈍い音を立てて地面に打ち付けられた。
「アフィアしゃん!」
慌ててアフィアに駆け寄るミディカ。
ルーイは、ふう、と大きく息をついて、ミディカに歩み寄った。
「ミディカ、あなたもいいかげんに……」
「いーかげんにするのはおねえちゃまでちゅ!」
ミディカは勢いよくルーイを振り返ると、言葉を整える余裕もなく怒鳴りつけた。
驚いて足を止めるルーイ。
「ミディカ…?」
「おねえちゃまはやりすぎでちゅ!アフィアしゃんが何ちたってゆーでちゅか!
あたちは、おねえちゃまがあたちを心配してるてわかってるから、おねえちゃまのゆーとーりにちてきまちた!でも、もーがまんなりまちぇん!」
ミディカは叩きつけるように言って、ルーイにまっすぐ手をかざした。
「帰ってくだちゃい!」
「ミディカ……」
「帰って!帰らないなら、このまま吹っ飛ばしまちゅよ!!」
「っ………」
ルーイの表情が、悲しげにひきゆがむ。
よろり。
ミディカを見据えたまま、後ろに一歩さがって。
「………わかり、ました」
俯いて、絞り出すようにそう言う。
「…くれぐれも、気をつけて……怪我など、ないように……してくださいね」
「……わかりまちた」
まっすぐに姉を見据える目は、これまで彼女に向けていたものとはまるで違う、本来のミディカの、強い眼差しで。
ルーイはそちらをもう一度悲しげに見やると、くるりと踵を返した。
「…では……失礼します」
ぽつりと言い残して、ゆっくりと歩き出す。
その姿が森の闇に消えるまで、ミディカはじっと見つめているのだった。
「おねえちゃまと、おねえちゃまのおともだちと、あたちが森を出た時の話はちまちたね」
アフィアの傷を回復してから、ミディカはぽつりぽつりと話し始めた。
「……ミリー校長、活躍した、話」
「そーでちゅ。あたちとおねえちゃまは、おねえちゃまのおともだちと一緒に、それまで住んでた森を出たのでちゅ。
そりからでちゅ。もともと情の厚い人ではありまちたが、おねえちゃまが、あたちに対して過剰な保護欲を見せたのは」
「お姉さま、普段、ああいう人、違う、ですか」
「あたちが絡まなければ、フツーのひとなのでちゅ……でも、もうおねえちゃまにとって、あたちが最後の家族なのでちゅ。だからよけいに、守らなければならないと思ってるのでちゅよ…」
「家族、守る、当然、思います。でも、お姉さま、少し、やりすぎ」
「わかってまちゅ……でちゅから、あたちはお姉ちゃまのそばにいるべきではない、のでちゅよ」
「いるべきでは、ない…?」
首をかしげるアフィア。
ミディカは重々しく頷いた。
「校長に言われたのでちゅ。おねえちゃまは、あたちがそばにいるとダメになりまちゅ。
あたちが、独り立ちできるようになるまで……もしくは、おねえちゃまが『あたちがいなくても生きていけるようになるまで』、離れているべきだと」
「それで…ミディカさん、寮生活、してるですか」
「そのとーりでちゅ」
頷いて、ため息をつくミディカ。
「おねえちゃまのことは、大好きでちゅ。尊敬もちてまちゅ。でちゅが、あたちがそばにいると、おねえちゃまがおかしくなってしまうのでちゅ。でちゅから、離れて暮らすのがいいと思っていまちた…」
「思って、いた。過去形、ですか」
「そーでちゅ。さっき、はっきりわかりまちた」
アフィアの問いに、ミディカは眉を寄せてぐっと目を閉じた。
「離れて暮らしているだけではダメでちた。おねえちゃまがおかしくなるのを恐れて、おねえちゃまの『理想の妹』を演じてきたのも、おねえちゃまのおかしさを助長するだけだったのかもしれまちぇん」
「………確かに」
ゆっくりと頷いて同意するアフィア。
「気、遣い合う、家族、まともじゃない、思います。お姉さまの前、演技する、おかしいです」
「そのとーりでちゅ……そのせいで、アフィアしゃんにも怪我をさせてちまいまちた……申し訳ないでちゅ」
ぺこりと頭を下げるミディカに、アフィアは戸惑ったように首をかしげた。
「ミディカさん、謝る、必要ない、思います。
でも、心配。お姉さま、ミディカさん、大丈夫、ですか」
「どーにかしまちゅ」
ぐっと唇を引き結んだミディカの瞳には、決意の色が現れていた。
「おねえちゃまとお話して、わかってもらいまちゅ。
あたちも、そしておねえちゃまも、一人で歩いていくべきだって」
「……そう、ですか」
アフィアは少しほっとしたように肩を落とした。
んふふ、と勝気に笑うミディカ。
「そー思えるようになったのは、ある意味アフィアしゃんのおかげでちゅよ。
ありがとーございまちゅ」
「………怪我した、甲斐、ありました」
少し照れたように頬をかくアフィア。
ミディカは苦笑した。
「アフィアしゃんの怪我は無駄にちまちぇん」
「がんばって、ください」
「がんばりまちゅ」
「……とりあえず」
そこまで言って、アフィアは悲しげにあたりを見渡した。
「お姉さま、魔法、使って……食料、ほとんど、ダメ、なりました」
「あ」
見渡せば、ルーイの使った魔法によってあたりの地面はメチャクチャになっていた。
当然、アフィアの食料として用意されていたものももれなく破壊され、辺りには残骸が散らばっている。
「あー………」
「……おなか、すきました」
「も……もーしわけありまちぇん……」
もう一度、深々とミディカが頭を下げた。
§4-Olooca:My future
「夜は野営でよかったでしょうか」
日が暮れてきたところで、オルーカはヘキを振り返ってそう言った。
「そうね。準備もしてきたし、良さそうなところを見つけてもらえる?」
あっさりと頷いて言うヘキ。冒険者の経験があるオルーカに全て任せるつもりであるようで。
オルーカ自身もそれには特に疑問を抱いていないようで、きょろきょろと辺りを見回した。
「あ、あちらに洞穴があるみたいです。風もよけられるし、あそこにしましょうか」
「そうね」
オルーカの指差した法に顔を向け、ヘキも同意して頷く。
2人はそのまま、荷物を持ってその洞穴にやってきた。
「夜は冷えますし、火をおこしましょうか。夜襲の危険性が増えちゃうかもですが…」
「…そうね。洞穴なのだから、そこまで目立つことはないと思うわ。火がなければ冷えで体力を削られる可能性もあるし。火は私が魔法でつけるから、薪になりそうなものを集めてもらえる?」
「はい、わかりました」
頷いて、オルーカは早速薪になるものを探し始める。
ヘキもそれに倣い、洞穴を離れて薪を探しに行くのだった。
「こんなところですかね。ありがとうございます、ヘキさん」
無事に薪に火が付いたところで、オルーカは満足げにヘキの方を見た。
「えっと……簡単なスープくらいなら作れますけど…」
言いながら、少し決まり悪げに荷物から小型ナベを取り出す。
ヘキは嘆息して頷いた。
「…そうね、せっかくだから作ってもらおうかしら。本当に、今夜は冷えるようだから」
淡々とそれだけ言って、焚き火の傍に腰を下ろす。
オルーカは嬉しそうに表情を緩めて、鍋を握り締めた。
「じゃあさっきあっちに水場があったんで、用意してきますね!」
はりきって洞穴を出るオルーカを、ヘキは若干呆れたような表情で見送るのだった。
「わー、山の上だからか、星がキレイですねー」
出来上がったスープをよそいながら、オルーカは洞穴の入口から見える星空に目をやっていた。
「……そうね」
ヘキも目を開いて、入口から見える星空を見上げている。
オルーカはよそったスープをヘキに手渡すと、改めてにこりと微笑んだ。
「ヘキさんあの、色々、ありがとうございます」
唐突な礼に、ヘキは無表情のままオルーカの方を向いた。
先程まで開かれていた目は既に閉じている。
「……私は礼を言われるようなことをした覚えはないけれど」
「そんなことないです。私今回、ヘキさんってすごく優しいんだなって思いましたよ」
オルーカは拳を握りしめて力説した。
「特にゴーレムと戦ったときとか…私がちょっと倒したいっていったら、魔法で助けてくれて。
あと、身体的ポテンシャル高いなんて初めて言われましたよ…
ヘキさんて、周りをよく見てるんですね」
「…そうかしら」
ヘキは淡々と言って顔を逸らす。
「…私は本当のことを言っただけだけれど。
貴女のことを魔法で助けたつもりもないわ。私はあの課題を解決する有効な策の一つを実行しただけ」
「ヘキさんはそう思ってるのかもしれませんが、私はヘキさんのそういうところ、当主さんに向いてるんだろうなって思いますよ」
オルーカは嬉しそうに言って微笑んだ。
だが。
「………」
ヘキはなにか考えを巡らすようにして俯き、それからおもむろに口を開いた。
「…当主に向いている、というのは、しあわせなことかしら」
「え…?」
きょとんとするオルーカ。
ヘキは俯いたまま、さらに言葉を続けた。
「貴女には……将来の目標はある?僧侶と言っていたけれど…上の階級を目指すの?」
「えっと、そうですね…」
急に自分のことを問われ、戸惑った様子で言葉を探すオルーカ。
「私の地元って、火の神を信仰してる地域なんですけど、すごく田舎で。
一番近い僧院に行くにも、距離も時間もかかっちゃって、山も越えなきゃだし、お子さんやご高齢の方とかは大変なんです。
だから、地元に一つ…小さくてもいいから僧院を建てる、っていうのが私の目標ですね」
力強い口調で言って、ああ、と続ける。
「上の階級はもちろん目指してますよ。
最近こちらの学校にもお世話になって、回復魔法の勉強も始めたんです。すごく楽しいです。
今度昇級試験を受けてみようかと…」
「………そう…」
ぽつりとヘキが言って、オルーカは自分だけが喋ってしまっていたことに気づく。
「あ、すいません。私ったら自分のことばかりで。
そういうヘキさんの夢は…」
言いかけて、昼間の会話を思い出す。
オルーカはぐっと唇を噛み締めると、意を決したように話しだした。
「ヘキさん…もう一度聞きますけど、ヘキさんは…おうちを継ぐ、ということ、どう考えていらっしゃるんですか?」
「………」
ヘキは俯いたまましばし沈黙し、やがておもむろに話しだした。
「……もう一度答えるけれど」
す、と顔を上げて、オルーカの方を向いて。
「どう、と言われても、どうとも考えていないわ。継ぎたいとも、継ぎたくないとも考えていない。
私には、継ぐという選択肢しか与えられていないのだから」
「そうですか…」
オルーカは視線を落とし、しばし考えた。
「私は当主さんなんてすごいポジションについたことはないですから、これは全くの想像ですけど……」
ぱっと顔を上げて。
「継ぎたいか継ぎたくないか分からない、っていう人は、当主をやるべきではないかもしれませんよ。
それで下の人達が不幸になっちゃうかもしれないからです」
「…………」
ヘキはまたしばらく黙り込んでから、ぽつりと言った。
「………そう、なのかもしれないわね」
薄く目を開けて、自重するように眉を寄せて。
「……本当は、貴女のように。
自分の意志で、はっきりとした目標を持って。
より良い高みを目指すような人が、当主になるべきなのかもしれないわ」
言ってから、再び目を閉じて黙り込む。
だが。
「うーん、別にそうでもないんじゃないですかね」
あっさりと意見を翻したオルーカに、思わず眉を寄せて目を開けるヘキ。
「……貴女は、何が言いたいの……?」
心底わからないというように言うと、オルーカは苦笑して頭を掻いた。
「私別に、そんな立派なもんじゃないですよ。
まあ大体こんなかんじかな~って。ぼやーっと考えてるだけですから。
それに比べたらよっぽどヘキさんの方が、先について考えてると思いますよ」
うんうん、と頷いて。
「さっきも言った通り、短いお付き合いですけど私はヘキさんは当主さんに向いてるって思ったんです。
だからまあ、やってみて。それから考えるっていうか。それで気づいたり、思ったりすることもあるかもしれませんよ」
「…でも、継ぐ意思のない者は当主をやるべきではないと、貴女は思うのでしょう?」
「うーん、それも正直なところではあるんですけど」
自分でもどう言えばよくわからない、というように、オルーカは言葉を続けた。
「世の中、本当に自分のやりたいことが分かってる人なんて、案外いませんよ。
だったら折角だからヘキさんは、当主さんになってみる。
それでいいんじゃないでしょうか」
「………」
納得は行っていない様子のヘキ。
オルーカはうーんと考えながら言葉を続けた。
「でも、当主さんっていうのは、普通のお仕事とは違いますから。
下の人たちが苦しむようだったら、やめる…というか、やめさせられることもあり得ますね。
まあヘキさんなら大丈夫だとは思いますが」
当然、というようにひとつ頷いて。
「いいんじゃないですか、そうなったらそうなったで。その時考えれば」
「…先ほどの結論と随分方向性が違うようだけれど」
「ははっ、ですよねー。すみません、本当に私も、あんまり深く考えて喋ってるわけじゃないんで」
オルーカは軽く苦笑して、それからふっと微笑んだ。
「だから、ヘキさんも、そこまで深く考えなくてもいいんだと思うんですよ。
ヘキさんはただ漫然と、当主になれって言われたからその通りにしてる、っていうんじゃないのは私もよくわかりました」
「……そうかしら」
「そうですよ」
当然、というように頷くオルーカ。
「ヘキさん、さっき言ったじゃないですか。
自分の意志で、はっきりとした目標を持って、より良い高みを目指すような人が、当主になるべきなのかもしれない、って」
「……だから、私は……」
「そう思っているっていうことが、ヘキさんが当主という立場について真剣に考えてる、ってことでしょう?」
オルーカの言葉に、きょとんとするヘキ。
「……その考えは、無かったかもしれないわ」
「そうですか?」
オルーカは不思議そうに首をかしげた。
「答えなんて、はじめから知ってる人なんていませんよ。
ヘキさんは、本当に自分が当主になるべきかと思ってる。今はそれで全然いいんじゃないですかね。
本当にヘキさんが当主になるべきかどうかっていうのは、やっていくうちに分かっていくことだと思いますよ」
「………」
ヘキはしばらく呆然と、オルーカを見つめていた。
が、ややあって。
「……成程」
ヘキはふっと表情を緩めると、再び目を閉じた。
「……それほど考えすぎなくても、いいのかもしれないわね」
「そうですよ!」
力強く頷くオルーカ。
「私はヘキさんは当主に向いてると思いますけど、ヘキさんがこれから当主としてのお仕事をやっていくうちに、向いてないなって思ったら、それからでもヘキさんに向いてるものを探したらいいんじゃないですか?
本当に自分にふさわしい物って思ったら、いつからだって遅くないんですよ。
自分に何が向いてるかって、真剣に考えることが重要なんだと思います。それは、ヘキさんにはもう出来てるんですから、問題ないですよ」
「……そう」
ヘキの口元が、ふっと緩んだ気がした。
「私は、このままでいい、ということね」
「もちろんです!」
力いっぱい言って、オルーカは笑顔になった。
「スープ、おかわりどうですか?」
気づけば、ヘキの器は空になっていた。
ヘキは頷いて器を差し出した。
「…お願いするわ」
「はい!」
オルーカは嬉しそうに項て、スープのおかわりをついでいく。
「交代で見張りしましょうか。
今夜はちゃんと寝て、明日最終戦に備えましょう」
「……そうね」
つがれたスープを啜って、頷くヘキ。
雲一つない空には、先ほどと変わらぬ星が瞬いていた。
§4-Glen:The Scar of his past
「グレン、こんなところにいたの」
最期の言葉は、よく覚えていない。
自分を探していた彼女は、物陰に隠れていた自分を見つけてほっとしたような表情を浮かべていた。
彼女の後ろに潜んでいた、いかにも魔導師然とした男の姿。
なぜあの魔道士が、姉を攻撃したのかはわからない。
聞く暇もなく、彼は自身の記憶を封印してしまったのだから。
ただ、最後の彼女のほっとしたような表情と。
その後ろで魔法を放つ、男の姿と。
彼女に危機を知らせたくて手を上げるのに、声が出ない自分のもどかしさだけが、べったりと貼り付いて取れない汚れのように脳を侵食していた。
あと一瞬。
あと一瞬早ければ、彼女を助けられたかもしれないのに。
誰よりも、大切な。
彼女を。
「姉さ……!」
がば。
グレンは絞り出すような叫び声を上げて体を起こした。
ずきん。
とたんに、全身を絞り上げるような痛みが体を遅い、あまりの痛さにぐらりとよろける。
「じっとしててー!」
ぐい。
怒ったような声と共に肩を押され、再び寝かされたところでグレンはようやく我に返った。
「……な…パスティ……?」
目の前にいるのは、ふわふわの金髪を両端で結った可愛らしい少女。
大きな青い瞳に怒りの表情をたたえて、グレンを押さえつけている。
「やっと目が覚めるくらいには回復したけどー、今日はもうこのケガじゃ野宿は無理なのー。
街に帰って、ゆっくり治療するからー!」
相談、というよりは、宣言、という様子で、再び魔法をかけ始める。
そこで、グレンの記憶がようやく現実のものとつながった。
(ああ……そうだった、俺は……)
あの時、攻撃を受けようとしていたパスティに、彼女の姿が重なって。
残りの力を振り絞って彼女をかばい、自分が攻撃を受けたあと……意識を失ってしまったのだ。
「………」
パスティは怒りの表情のまま、無言で魔法をかけ続けている。
グレンはそこから暖かく染み渡ってくる魔力を感じながら、自嘲するように目を閉じた。
「はい、おしまい!」
ぽん。
無事に街まで戻り、グレンが取っていた宿の部屋まで移動して。
治療の仕上げをしていたパスティは、患部を軽く叩いてからそう言った。
「…………」
グレンは憮然として口をつぐんでいる。
パスティは口を尖らせて、グレンに言い募った。
「明日にはちゃんと治ってると思うけど、念のため明日までじっとしてるのよー?わかった?」
「………ああ」
短く言うグレンに、嘆息して。
「……グーちゃん、なんであんな無理してパスティのことかばったのー?」
「……それが俺の仕事だと言ったろ」
「でも、あんなに無理するなんておかしいのー。グーちゃん、下手したら死んじゃってたかもしれないのよー?
グーちゃんは冒険者さんなんだから、わかるでしょー?」
「………」
「……ねえさん」
ぴくり。
パスティが発した一言に、グレンの眉がわずかに動く。
パスティは心配そうに眉を寄せて、さらに言った。
「グーちゃん…あのとき、ねえさん、って言ったよね?」
す、と身を乗り出して、グレンの顔を覗き込むようにして。
「グーちゃん、普通じゃなかったよ?
自分の体なんて、どうでもいい、みたいなかんじ……すごく、悲しそうなおかお、してた」
ぎゅ、と口を結ぶ。
「…グーちゃんのおねえちゃん……どうか、したの?」
沈黙が落ちる。
グレンはパスティの視線から目をそらして、答える気はないとばかりに口をつぐんでいた。
その様子にじれたパスティが、さらに身を乗り出す。
「…グーちゃん?」
「………煩い」
グレンはじろりとパスティを睨んだ。
「別に……何かあったとしてもパスティには関係ないだろ」
「関係なく…ないもん」
むう、と口を尖らせるパスティ。
「グーちゃんは、今はパスティのパートナーだもん。
グーちゃんが怪我してて、辛そうにしてるのに、パスティが関係ないなんてこと、ないもん」
こちらも睨むようにしてグレンを見ているが、感情的になるのをぐっとこらえて冷静に話をしようとしているようだ。
グレンは沈鬱そうにため息をつくと、身を起こしてまっすぐにパスティを見た。
「『今は』な」
きっぱりと言い切って、さらに言葉を続ける。
「…だが、これが終わったら多分2度と会わない。それならやっぱり関係ないし、話す必要も感じない」
「そんな……っ」
悲しそうに表情を歪めるパスティの言葉にかぶせるようにして、さらに冷たく言い放った。
「そもそも会って1日程のお前がどうして『辛そう』とか分かるんだ?人の内心を勝手に想像するな、余計なお世話だ」
「っ………」
再び、沈黙が落ちる。
パスティは悲しげな表情で、しかしグレンからじっと目をそらさない。
「……ほんとう?」
ぽつり、と。
そう漏らしたパスティの表情には怒りはなく、ただ悲しそうな表情だけがあった。
「グーちゃんは、ほんとうに辛くないの?かなしくないの?
ほんとうは、辛い気持ちを、閉じ込めているんじゃないの?」
きゅ、と胸元を押さえて。
「…かわいそうよ。
辛い気持ちを、辛いっていえないまま閉じ込めるのは、かわいそうよ。
グーちゃんも……」
そこで一旦言葉を切って、ゆっくりと、続けた。
「…グーちゃんの、おねえちゃんも」
その言葉が、グレンの表情をさらに歪ませた。
「煩い……!」
パスティの視線を振り払うように、かぶりを振って。
「姉さんの事は尚更関係ないだろう!
……そもそも俺が居なければ姉さんは死なずに済んだはずだ、なのに辛いとか……っ!」
そこで言葉を詰まらせ、ぎゅっと目を閉じる。
「っ……!」
がば。
「グーちゃん?!」
パスティの声も無視して、グレンはベッドから跳ね降りると、部屋を出ていった。
ばたん。
叩きつけられるように閉じられたドア。
「……グーちゃん……」
パスティはやはり心配そうに、そのドアを見つめているのだった。
ひゅう。
城壁に守られた街中とはいえ、日が落ちれば冷たい風が通り抜けている。
市街地を横断するように引かれた水路には、今日も規則正しい速度で水が流れていた。
「………」
橋の上で、グレンはぼんやりと水が流れる様子を目で追っていた。
遅い時刻の住宅地だからか、あたりには人の姿はない。遠くに見える家の窓からは、楽しそうな家族の団欒風景が見て取れた。
「グーちゃん」
後ろから声がして、グレンの背中がぴくりと震える。
パスティは硬い足音を響かせてグレンに駆け寄った。
グレンはふう、と息をつくと、視線を動かさずに言う。
「わざわざ探しに来たのか……」
「当たり前よ。グーちゃん、ケガ治ったばかりだもの。
明日までじっとしてるのよ、って言ったのに、あんまり動き回ったら、治ったケガもまたぶり返しちゃうわ」
腰に手を当てて怒りの表情を見せるパスティ。
グレンはそちらにちらりと視線をやり、それから俯いてぽつりと呟いた。
「………さっき」
「うん?」
「聞いたろ。『姉さんがどうしたのか』って」
「………うん」
グレンの隣に立ち、同じように橋の手すりに肘をつくパスティ。
グレンは、ふっと自重するように笑みを浮かべた。
「……俺の目の前で亡くなったんだ」
「………」
パスティはグレンの方を向かずに、流れる水を彼と同じように見つめている。
グレンも同じ方向を見たまま、ぽつぽつと続けた。
「10年以上も前の話だけど、ついさっきまで忘れてて……薄情者だな、俺は。
たった1人の身内だったのに……」
「グーちゃん……」
辛そうな彼の表情を、心配そうに見つめるパスティ。
グレンはそちらを見ると、すっと表情を引き締めた。
「色々思い出したし、少し長くなるけど…いいか?」
「うん。きかせて?
グーちゃんのおはなし、パスティも聞きたい」
パスティもまっすぐにグレンを見つめ、真剣な表情で頷き返す。
グレンはしばらく彼女の瞳をじっと見つめ返していたが、またふっと視線をそらすと水の流れを見つめた。
「師匠の所へ行く前は……姉と一緒に施設で過ごしていたんだ」
ぽつぽつと語り始めると、パスティも彼と同様に水の流れに目をやる。
グレンは続けた。
「当時は真面目で大人しくて引っ込み思案な奴だったから揶揄の対象になる事も多かった。後は軽い暴力。相手は戯れ合いのつもりなんだろうけどな、俺は苦痛で苦痛で。
そういう時いつも助けてくれたのが姉さんなんだ」
昔を思い出したのか、ふっと表情を緩めて。
「『私はお姉ちゃんだもん』が口癖で、実際色々と強くて俺はそんな姉にずっと安心して頼ってた」
「そう……やさしい、おねえちゃんだったのね」
「そうだな」
ゆっくりと頷いて、また遠くに視線をやるグレン。
「その日も揶揄されたか叩かれたかで、塞ぎこんで凹んでいた訳だ。
相当酷くて施設抜け出して、今みたいに1人でいたんだが、そこに姉が探しに来て…」
遠い日の情景が、つい先程のことのように思い出される。
「建物の陰に隠れていた俺を見つけ出した姉は、ほっとしたように駆け寄ってきて……
俺も、姉の声を聞いてそっちを見た。
俺を見つけられて、安心したんだろう。笑顔で駆け寄ってくる姉が見えて……
……そして、その後ろから、印を切って術を放とうとしている魔道士が、見えた」
「術を……?」
不思議そうに首を傾げるパスティ。
グレンは眉を寄せて頷いた。
「ああ。なんで姉に魔法をはなとうとしたかはわからない…俺を探している時に変な現場でも横切っていたのかもしれない。
ちょうど俺はその魔道士からは死角になっている位置にいて気づかれなかったが……」
その先は、先ほど話した通り、というように言葉を切るグレン。
「……目の前で姉が亡くなって、ショックで記憶を失って………
…さっきは、似た状況を目にして記憶が戻って……それで、勝手に体が動いた。パスティの姿が、姉さんに重なって……」
「グーちゃん……」
パスティは悲しそうにグレンの方を見て、おもむろにその手に自分の手を重ねた。
「…パスティ?」
不思議そうにそちらを見るグレンに、ぎゅっと眉を寄せて言う。
「グーちゃん、つらかったのね。悲しかったのね。
それをお外に出せなくて、くるしくて、忘れちゃわないと、こわれちゃうところだったのね」
重ねた手でグレンの手を引き寄せ、胸元できゅっと握って。
「グーちゃんは、薄情なんじゃかないのよ。
グーちゃんがおねえちゃんを忘れちゃったのは、グーちゃんがそれだけおねえちゃんを大好きだったからなのよ。
大好きだから、なくしたら辛すぎて壊れちゃうから、むりやり忘れちゃったの。
ぼうえいほんのう、って言うのよ。パスティ、知ってるわ」
「防衛本能……」
「そうよ」
ゆっくりと頷いて、真摯にグレンに語りかけた。
「きっと、グーちゃんのおねえちゃんも、グーちゃんが壊れるくらいなら、忘れた方がいいって思うわ。
グーちゃんのおねえちゃんも、グーちゃんのこと守りたかったって、守れてよかったって、思うわ」
「……そうか…?」
「そうよ」
断定的に言って、にこりと笑うパスティ。
「グーちゃんがパスティを守ってくれた時も、守れてよかった、って思ったでしょう?
みんな、みんな一緒なのよ?グーちゃんも一緒。パスティも一緒。
大事な人を守りたいし、守れたら嬉しいって思うし、傷ついたらかなしいって思うのよ」
ぎゅ、ともう一度手を握って、そっと離す。
「グーちゃんがおねえちゃんのことを思い出したのはね、きっと、グーちゃんがおねえちゃんのことを思い出しても大丈夫なくらい、強くなったからよ。おねえちゃんの命も背負っていけるくらい、強くなったのよ」
ね?ともう一度微笑みかけるパスティを、グレンは複雑な表情で見つめ返した。
心からそう信じきっている、邪気のない笑顔。
グレンは、パスティが先程まで握っていた手で目元を覆うと、俯いて自嘲するように笑った。
「……訳も分からないまま守る事に固執して、相手を振り回して……確かにパスティは守れたけど、自分の身は守れなくて…結局世話になって。
……『強い』とはかけ離れていると思うが……」
「そんなことないのよ」
幼児に言い聞かせるように、パスティはゆっくりと言った。
「今、グーちゃんはこうして、辛い思い出だったおねえちゃんのこと、パスティに話してくれたでしょ?
だから、さっきのグーちゃんより、今のグーちゃんは強くなっているのよ。
それで、これからもっともっと、強くなっていくのよ。グーちゃんのおねえちゃんの分も、ね?」
「パスティ……」
グレンは目を覆っていた手をどけると、パスティをもう一度見つめ、僅かに微笑んだ。
「そう言ってもらえると安心する。前に進める気もする。
色々悪かった……それと、ありがとう」
「ふふ、パスティも、守ってくれてありがとう」
パスティが嬉しそうに微笑むと、グレンは照れたように頬を掻いた。
「さ、グーちゃんのお部屋に戻りましょ?今度こそ、明日までじーっとしてるのよ?」
「はいはい……」
手を引くパスティに仕方なさそうな笑みを返して、グレンは再び歩き出す。
月の光を映しこんだ水路には、なおも規則正しい速度で水が流れていた。
§4-Mia:Who am I?
「午後は順調だったねー、やっぱりセルクはすごいよ!」
日もかなり傾き、森の中はあっという間に暗くなってくる。
チェックポイントNo.9の問題を終えたミアは、それと反するように明るくはしゃいでいた。
「そ、そんなことないよ……」
照れた様子で視線をそらすセルク。
ミアは上機嫌でセルクに微笑みかけた後、きょろきょろとあたりを見回した。
「日が暮れてきたね、ここで野営でいいかな?」
「う、うーん……」
あっけらかんと言うミアに、セルクは困ったように眉を寄せる。
ミアはきょとんとしてセルクの顔を覗き込んだ。
「あれ?それとも、セルクは街に帰りたい?」
「うーん……」
困ったように唸るセルク。
ミアは首をかしげて続けた。
「ミアは冒険者になりたいから野営にも慣れないといけないって思ってるんだよ」
「そ、そうなんだ……ミアちゃんはすごいね……」」
何やら予想しない方から飛んできた言葉に戸惑った様子で、それでもセルクははにかんだ。
「正直…外で夜を過ごすのは心細いけど……」
あたりを見まわして、不安そうにつぶやいて。
「……戻るとタイムロスなのはわかってるから……野営の準備もしてきたし、ここで野営しよっか……」
「うん、わかった」
ミアは素直に頷いて、広く平らな地面に荷物を置く。
「もちろん、他のチームを夜襲に行ったりはしないよね?」
「や、夜襲…?!」
平然としたミアの言葉に、驚いて首を振るセルク。
「と、とんでもないよ……!そんな危ないこと、しないよ……!」
「そうだよね」
にこりと笑って言い、ミアは改めて辺りを見回した。
森のなかだからだろうか、夕暮れの光は見えるがかなり薄暗い。
「他のチームに見つかっちゃうといけないから、焚き火はできないのかなー?」
「うーん……でも、焚き火しないと、かえって危ないと思うよ…?」
首をかしげて、おそるおそる言うセルク。
「森の中だし……他のチームの人には言葉が通じても、野生の獣や魔物は言葉が通じないから……他のチームに見つかるリスクを押しても、火はあったほうがいいと思うな……」
「そっか、そうだね、それじゃまずは焚き火の用意をしようよ」
「う、うん……えっと、枝とか集めてくればいい…?」
「うん!そしたら、ミアの魔法で火をつけるからね」
「わかった…行ってくるね」
セルクはうなずくと、あたりの茂みに萌えるものを探しに行くのだった。
「よしっ、こんなところかな!」
無事に焚き火の用意も整い、ミアが魔法で火をつけると、乾いた木の枝はまたたく間に燃え上がり、下がってきた気温をじんわりと温めた。
「ありがとう、ミアちゃん…」
「どういたしまして!」
嬉しそうに礼を言うセルクに、こちらも嬉しそうに笑顔を返すミア。
「セルクは昼間の課題でいっぱい魔法使って疲れてると思うから、見張りはミアに任せてね」
「え…えっと……無理、しないでね……?」
「大丈夫!ボディーガードが冒険者の仕事だもん、ミアがんばるね!」
はきはきとそう言うと、ミアは早速携帯食料を取り出した。
「はいっ、ごはん!明日もあるし、腹ごしらえしたら早めに寝てね?」
「う、うん……えっと、ミアちゃんは…?」
「ミアもご飯食べたら、見張りしなくちゃ。大丈夫だよ、ちゃんと起きてるから」
「ええっ……?!」
驚いてミアの方を見るセルク。
「お、起きてる…って、一晩中……?」
「うん、もちろん」
当たり前のように頷いて、ミアはにこりと微笑んだ。
「冒険者なんだから、それくらいできないとね!セルクがミアを雇った意味がないでしょ?」
「そ、そんな……無茶だよ…!一晩中なんて…」
ミアはどう見ても自分より年下なのだ。一晩中起きて見張りなどできるはずがない。
慌てて止めるセルクを、ミアは笑顔のままなだめた。
「大丈夫大丈夫!セルクはなーんにも気にしないで、ねっ!」
その不自然なまでの明るさに首をかしげながら、しかしセルクは強く言い返すこともできず、促されるままに携帯食料をかじるのだった。
ぱちぱち。ぱちん。
焚き火のはぜる音が、遠のきかけていた意識を引き戻す。
「……ふぁ……ねちゃってた……?」
抱えた膝に突っ伏していた顔を上げると、傍らで毛布にくるまっていたセルクが体を起こしていた。
「……セルク……?」
「…しっ」
緊張した面持ちで唇に指をあてるセルク。
「なにか……音がしない?」
「え……?」
言われて、耳を澄ませる。
ぱちぱちという焚き火の音以外に、遠くの方からがさがさと音がする。茂みをかき分けるような音。
「……風かな…?」
「ううん、森の中だし、あまり風は吹いてないよ」
緊張した表情のまま音のする方を見ているセルク。
ミアも釣られて表情を引き締め、セルクの視線を追った。
「……他のチームの夜襲、かな……?」
「……どうだろう……」
セルクが曖昧な返事を返し、再び沈黙が落ちる。
ミアは意を決して声をかけた。
「あのっ……!魔道学校の人ですか!」
「み、ミアちゃん…!」
セルクは慌ててミアの口をふさいだ。
「だ、ダメだよ、そんな大きな声で…!」
「ふごふご(どうして?)」
不満そうなミアに、声を落として説明するセルク。
「夜襲だとしたら、声かけて返事してくれるはずないでしょ?
そうじゃないとしたら…そんな大きな声出したら、ここに誰かいますって言ってるようなものだよ…!」
「っ……」
ミアは目を丸くして、それからしゅんと眉を下げた。
がさ。がさがさ。
茂みを揺らす音はどんどん近づいてくる。
セルクがミアの口から手をどかし、ミアは肩を落として俯いた。
「セルク……ごめんね、ミア……」
チェックポイントの問題を解く力にもなれず、こうして見張りをしていても途中で寝てしまうどころか、不用意に敵を近づけてしまう始末だ。
じんわりと涙がにじむ。
がさり。
大きな音にびくりと肩を揺らして顔を上げると、そこには。
「っ……!」
「お……狼……っ?」
目に赤い光を宿した狼が、のそりと茂みを描き分けて顔を出していた。
「…っ、ちが……獣なら、火に近づいてくるわけないよ……!
これ、野生の狼じゃない……魔物……!」
声にならない声で、吐き出すように言うミア。
セルクは真っ青な顔で言葉を失っていた。
ぐるる。ぐるるる。
低く唸り声を上げて近づいてくる魔物は1体だけではないようだ。がさがさと茂みを揺らし、いくつモノ気配が周りを取り囲んでいるのがわかる。
「……っ!」
ミアはぎゅっと目をつぶってから、自らを奮い立たせるようにすっくと立ち上がった。
「ま、まかせて…、火の魔法で追い払うから!」
杖を構え、セルクをかばうようにして魔物と対峙するミア。
セルクは慌てて身を起こした。
「あ、あの…ミアちゃん、一人で戦ったら危ないよ…!」
その声には怯えの色が濃いが、勇気を奮い起こすようにして心配げな声をかける。
ミアは彼を振り返らないまま、安心させるように元気な声を出した。
「心配してくれてありがと、でもミアも役に立ちたいから!」
振り返ったら、本当は怯えていることが彼に知られてしまうから。
杖を持つ手も、地面を踏みしめる足も、小さくカタカタと震えている。
それがセルクに気付かれないようにと祈りながら、ミアは杖を構えて意識を集中させた。
(だいじょうぶ……授業では上手く行ってたから…その通りにやれば出来る…!)
心の中で言い聞かせるように強く思ってから、杖を振りかざし呪文を唱える。
「ファイアーボール!!」
ごう。
杖の前に火の玉が現れ、まっすぐに魔物に向かって飛んでいく。
ぼうっ。
火の玉は見事に命中し、大きな花が咲いたように炎が舞う。
「……やった!」
ミアはぱっと表情を輝かせた。
だが。
ざざっ。
炎を飛び越えるようにして、魔物の一頭がミアめがけて跳んできた。
「きゃあっ!」
突然のことに、どうにか身をよじって直撃は免れたものの、ミアはあえなくしりもちをついてしまう。
からん。からからから。
その拍子に、持っていた杖も取り落として手の届かないところに転がっていってしまった。
「あ……!」
「ミアちゃん…!」
慌てて駆け寄ってくるセルク。
その間にも、魔物はじりじりとミアに向かって距離をつめてくる。
「あ……ああ……」
恐怖に目を見開いて、腰を抜かしたままじりじりと後ろに下がるミア。
とん。
駆け寄ったセルクが、ミアを支えるようにその後ろに跪いた。
が、それすら気付いていない様子で、ミアは目を見開いたままがくがくと腕を震わせている。
「い……いや……こないで…」
「ミアちゃん、しっかり!に、逃げよう?」
セルクの呼びかけにも反応する様子はない。
がくがくと震わせていた腕を前に掲げ、ぎゅっと目をつぶって。
「こないでええぇぇぇぇぇっ!!!」
自分の中で、何かがはじけたような感覚がした。
大きな温度のうねりがあたりを取り巻く。
それは炎の鳥があたりを舞い飛んでいるかのようで。
綺麗だな、と、どこか別人のようにそう思った。
それきり、ミアの意識はふつりと途絶えた。
「う……ん……」
ぽつ、と冷たい雫が頬に落ち、ミアの意識は急激に引き戻される。
「ここ………」
「あっ、ミアちゃん、気がついた?」
ミアの声を聞き、少し離れたところにいたセルクが駆け寄ってくる。
「セルク……?」
「ミアちゃん、大丈夫?痛いところはない?」
「うん……へーき……」
ぼんやりとした頭で、ミアはゆっくりと辺りを見回した。
焚き火の炎で限られた範囲しか見渡せないが、はっきりとわかる。真っ黒に焦げた木々、うっそうと茂る枝が何故か頭上だけぽっかりと切り取られたように無くなっている。あたりに漂う焦げ臭い匂いと煙。そして水浸しになっている地面。
「これ……って……」
「…覚えてない?」
セルクは心配そうにミアの顔を覗き込んだ。
「ミアちゃん、ファイアーボールを使おうとして……魔法が暴走しちゃったんだ」
「ぼうそう……」
つきん、と痛む頭を押さえ、ミアは俯いた。
セルクはなおも心配そうに、続ける。
「すごい炎で…魔物は何匹か倒れて、残りは逃げてったけど…火が周りに燃え移っちゃって……
僕が魔法で消したけど…ミアちゃんに何もないなら、良かった」
ほっとした様子で言うセルクに、ミアはますますぎゅっと眉を寄せた。
「ごめんね……セルク……」
「えっ……」
なぜ謝られたのかわからず、きょとんとするセルク。
ミアは泣きそうな表情でセルクを見ると、続けた。
「セルクのこと、ちゃんと守れなくて…それどころか、危ない目にあわせちゃって、ごめんね?」
「そんな……ミアちゃんのせいじゃないよ」
「違うの」
ゆっくりと首を振って、ミアは言った。
「ふつう、魔法を失敗しても、あんなふうになったりしないと思うんだけど、ミアは特別みたいなの…」
「特別……?」
不思議そうに首を傾げるセルク。
ミアは寝ていた体勢から体を起こすと、セルクと向かい合わせに座った。
「あのね。ミア、孤児院で育てられたの。そこから、魔道学校に移ってきたんだ」
「そう……なんだ……?」
唐突なうち開け話に戸惑った様子のセルク。
ミアは構わず続けた。
「孤児院にいた時はすごく楽しくて…みんなでいっぱい遊んで、大好きなお姉ちゃんがいて……そのお姉ちゃんみたいになりたくて、魔道学校に来たんだ」
「そうだったんだね……」
「うん………ずっと、そう思ってたんだ」
「え……?」
きょとんとするセルク。
ミアは顔を上げると、再びセルクをまっすぐに見た。
「こないだね。ナイトメアホテル、っていうところに泊まったの」
「ナイトメア……ホテル?」
あまり訊いたことのない名前だ。悪夢を見せる悪魔を名前に冠するなど、あまりまともな施設という印象は受けない。
そのコメントをぐっとしまっていると、ミアはさらに続けた。
「ナイトメアホテルに泊まった人はね、会いたい人が夢に出てくる、って言われてるんだ」
「会いたいひと……」
さらに不思議そうに首を傾げるセルク。
「……ミアちゃんは、そのホテルに泊まって、会いたい人の夢を見たの?」
「うん。さっき言った、孤児院で大好きだったお姉ちゃんが出てきたの」
「…不思議な話だね……でも、大好きな人に夢で会えたなら、よかったよね……?」
「……うん……」
それが、ミアの暴走が『特別』だという話とどう繋がるのか。
セルクは黙ったまま、ミアの言葉の続きを待った。
「お姉ちゃんには会えたんだけど……でも、夢の中に出てきた孤児院が……なんか、変だったの」
「変……?ミアちゃんの孤児院じゃなかったの?」
「ううん……変なのは、ミアのほうだったのかもしれない……」
「…どういうこと?」
「孤児院でみんなで遊んで、すごく楽しかった……それ、本当じゃないかもしれない」
「え……?」
わけがわからないと言うように眉を寄せるセルク。
ミアは苦笑した。
「ごめんね、わからないよね。ミアにも……わからないんだ。
孤児院……ううん、夢の中の建物は、壁も天井も床もみんな灰色で…ミアも、みんなも、水色のワンピース…ていうか……なんていうんだろ、手術の時着るみたいな、シンプルな服を着てて……みんな、ボーっとしてて、話しかけても答えてくれなくて……」
「それは……変だね」
「うん……でも、思い出したの。
楽しかったミアの記憶が、ウソ……本当の孤児院…ううん、ミアが本当にいた『建物』は、その灰色だらけのところだった……」
「え……じゃあ、ミアちゃんの思い出って、何なの……?」
「……わからない。ミアがいたところは、孤児院じゃなくて…みんなで楽しく遊んでたっていう思い出も……本物に似てるニセモノだったみたい」
「本物……?」
「みんなとは、遊んでたんじゃなくて……魔法を使ってた。さっきみたいに、強くて大きな魔法……ミアくらいのちっちゃい子供たちが、集められて……魔法を、教え、られて……」
つきん。
また、頭が痛む。
「ミアちゃん、無理して思い出さなくていいよ…?」
気遣うように言うセルクに、ミアは苦笑を返した。
「大丈夫…ちゃんと、話すね?よくわからない話ばっかりだけど……」
「…ミアちゃんは、その建物で魔法を教えられてたから…あんなふうに魔法を暴走させちゃうようになっちゃった、っていうことだね?」
やっと繋がった話に、セルクが確認するように言うと、ミアは彼を見つめたままこくりと頷いた。
「ミア、不安になっちゃったんだ……ミアは、だれで、どこからきたんだろう、って」
「そう……だよね……」
自分のことのように悲しげに表情を歪ませるセルク。
ミアはいたわるようにまた微笑んだ。
「だから、早く冒険者になってミアの過去を探しに行きたかったの。早く魔法が上手になって、強くなって……だから、マジカル・ウォークラリーにも特訓する近道かなって思って参加したんだ」
「そうだったんだね……」
「うん……だから、早く強くなんなくちゃって、焦っちゃって……でも、課題を解くお手伝いは全然出来ないし、冒険者としてのお仕事も、さっきみたいに失敗しちゃって……セルクに迷惑かけちゃった……ごめんなさい」
「ミアちゃん……」
しゅんと萎れているミアを、セルクは気遣うように覗き込んだ。
「あのね、ミアちゃん」
改まったように言うセルクを、きょとんとして見上げるミア。
セルクは穏やかな表情で続けた。
「僕、ミアちゃんのそういうところ、すごいと思うよ」
「え……?」
「そうやって不安になっても、一生懸命頑張って、立ち向かおうってしてる……すごいと思う」
「そう……かな?」
不思議そうに首を傾げるミア。
セルクはにこりと笑った。
「僕ね……この学校には、お母様に言われて入って……正直、魔法の勉強は好きだけど……怖いんだ」
「こわい……?」
「うん。人を簡単に酷い目に合わせたり、逆に簡単に助けちゃったり出来る…そんな強い力を、僕が使うっていうことが……怖い」
「そう……なの?」
「……うん。お母様は、立派な魔道士になりなさいって言うけど……僕は、僕にはそんな力はないって思うし……」
「そんなことないよ!」
即座に否定するミア。
「セルクは魔法もすっごい上手だし、問題をすごく上手に解いてるよ。魔法が『上手く使える』ってことと、魔法を『上手く使う』ってこと、違うよね?ミア、セルク見ててそう思ったんだ。
セルクには、魔法の才能があるんだよ!ミア、本当にそう思うよ!」
「……ありがとう」
ふわりと微笑んで、セルクはミアの頭を撫でた。
「ミアちゃん見ててね、僕も…ちょっと、頑張ってみようかな、って思ったんだ。
僕は、立ち向かおうってすることも諦めてた……だから、もうちょっと、がんばってみよう、って」
「がんばって……魔道士になるの、やめる?」
不安げな表情でセルクを見上げるミア。
セルクは苦笑した。
「……ううん。がんばって……魔法が本当に僕にあってるのか、もうちょっと付き合ってみよう、って思ってる」
「そっか……」
安心したように微笑むミア。
セルクはふっと柔らかく微笑んだ。
「だから…あと少しだけど、ウォークラリー、頑張ろうね」
「……うん!あと少しだけど、よろしくね、セルク!」
元気よく頷くミア。
ぽっかりと穴の空いた木の枝から覗く空は、そろそろ白み始めていた。
§4-Mike:The reason why I am here
はあ、はあ、はあ。
クリスは懸命に森の中を走っていた。
辺りはもうすっかり暗くなっている。ランタンも持たぬ彼女は足元すらろくに見えない。
しかし、彼女は走り続けていた。
「誰か……誰かいませんの……?!」
彼女の横を駆けている黒い影は、魔物の群れに一人置いてきてしまったパートナーのもの。
黒猫の姿であった使い魔は、今は主の魔力で黒豹ほどの大きさになっていた。彼女を庇えとの命に従い、こうして彼女と一緒に森を駆け回っている。
クリスはそちらにも気遣わしげに意識を配りながら、走り続けていた。
(使い魔は主と意識が繋がっていると教わりましたわ…ですから、この子の様子が変わらないうちは……!)
そんなことを思いながら、ひたすらに森の中を駆ける。
「はあ……はぁ、もうっ、これだけ走って誰もいないとは、どういうことですの……?!」
苛立たしげに足を止める。
「はぁ……先生方も、日が沈んで戻ってしまわれたということですかしら……でも……」
意を決したように、きゅっと唇を引き締める。
「どなたか……!どなたか、いらっしゃいませんか…?!
助けてくださいまし……!」
高らかな声は、森のしじまに解けて消えていく。
クリスは悔しげに眉を寄せ、再び踵を返そうと足を踏みしめた。
その時。
「お困りのようね、お嬢様?」
ふ、と。
クリスの目の前に、金色の影が唐突に姿を現す。
「!……っ」
ふわり、と空に舞う長い金髪は、薄暗い中でも美しいと素直に思えた。
思わず、その名を呼ぶ。
「…ミレニアム……校長」
にこり。
彼女は完璧な化粧で彩られた美貌を悠然と微笑ませ、クリスに手を差し出した。
「あたしを捕まえる?それとも、ミケを助けましょうか?」
「…っ……」
事情は判っているらしい。
クリスはきっと視線を鋭くすると、噛み付くように言った。
「わたくしが仲間の命と得点を秤にかける愚か者だと仰るのでしたら、とんだ侮辱ですわ…!」
「はいはい、そう怒らないの。ちょっと聞いてみただけでしょう?」
ミリーはおかしげにくすくす笑うと、さっと腕を上げた。
「じゃ、とっとと済ませましょう?…深緑の跳躍!」
ふっ。
呪文と共に、ミリーとクリス、それにポチの姿はその場から消えうせた。
どすん。
「へぶっ」
瞬間移動した先は、戦っているミケのまさに真上だった。
黒豹化したポチの腹が見事にミケの顔面を直撃し、思わず倒れるミケ。
「ミケさん!」
クリスが慌ててそこに駆け寄る。
ポチを元のサイズに戻したミケは、きょとんとしてそちらを見やった。
「く、クリスさん?一体……あてっ」
べち。
「はいはい、混乱するのは後よ」
「み、ミリーさん!」
そこで、ようやくミケは事態を把握したようだった。
「クリスさん…ミリーさんを連れてきてくださったんですね。ありがとうございます」
「わ、わたくしは……!」
ほっとしたように微笑むミケに、何故か慌てた様子のクリス。
「ほらもう、そういう天然タラシ披露はもういいから、さっさと立つ!」
「いたっ。もう、判ってるからそんなに叩かないでくださいよ…」
ミリーが呆れたようにもう一度頭をはたき、しぶしぶ立ち上がるミケ。
あたりを取り囲んでいた魔物たちは、当初より少し数が減っていたようだった。今は突然現れたミリーたちを警戒してじりじりと様子を伺っているようだ。
ミリーは立ち上がったミケの首の後ろに指を当てた。
「魔力の封印を一時解除するわ。さっさと片付けちゃいなさい」
「え、いいんですか?」
「生徒が足を踏み入れる場に魔物を残しておいたのはこちらのミスよ。ついでにその情けない怪我も治しちゃいなさい」
「う……いいんですかね……」
納得が行っていない様子のミケに、ミリーは半眼を向けた。
「いいって言ってるものに文句があるんだったら、治した後にあたしが同じ分だけ叩きのめしてあげるけど?」
「うわぁっ結構ですすみませんありがとうございますミリーさん最高!」
棒読みで一気に言い切って、ミリーは久方ぶりに満ちる自分の魔力を確かめるように手を握り締めた。
「じゃあ……とっとと片付けますか!ファイアーボール!」
いつのまにかとっぷりと暮れていた夜空に、鮮やかな炎の光が舞う。
そしてほどなくして、辺りにいた魔物たちは一頭残らず姿を消した。
「それじゃ、封印はかけなおしておいたから。後は自分達でがんばんなさい」
「はい、どうもありがとうございました」
ミケの魔封じを再びかけなおしたミリーは軽くそう言うとさっさと消えてしまった。
見送ってから、魔物を残しておいたのがミスならミリーさんが全部やっつけてくれたら良いのに、とも思うミケ。口にしないことで彼の寿命は少しだけ延びた。
ふう、と息をつき、ミケは改めてクリスに向き直る。
「改めて、ありがとうございました、助けを呼んできてくれて。よかった。あなたも無事で僕も無事で」
「……いえ。わたくしは……」
クリスは戸惑ったように言葉を捜し、それから俯いて少し沈黙した。
「……そう、ですわね。無事で…なによりでしたわ」
「それから、申し訳ありません。酷い言い方をして。一刻を争う状態だったので、つい」
内容については謝るつもりはないらしい。
クリスはやはり言葉を探しているようで、沈黙したまま視線を泳がせた。
その様子に、苦笑するミケ。
「……もうちょっと上手く立ち回れる策があれば、命令には沿えたんですけれど、そういう訳にいかなくて、すみませんでした」
「………いいえ」
クリスは僅かに眉を寄せて、目を閉じた。
「…わたくしも、無茶を申しましたわ。…申し訳、ございませんでした…」
「……クリス、さん?どうかしましたか?」
そこで、ミケはようやく彼女の様子がおかしいことに気がついた。
「ええと、無理をさせましたか?すみません…そうですね、まずは、どこか野営する場所を決めましょうか?それから、ご飯にしましょう?」
「……そうですわね」
どこかふわふわとした様子で、クリスは頷いた。
「…わたくしは、こういったことに慣れておりませんから…貴方におまかせしてよろしいかしら」
「……わかりました」
少し酷いことを言い過ぎたか、無理をさせすぎたか、と反省しつつ、ミケはてきぱきと野営の準備を始めるのだった。
「今日は一日、お疲れさまでした」
ミケが作った野営食は、野営とは思えぬほどの出来だった。暖かいスープとパン、干し肉は適度に戻され調理され、レストランにならんでもおかしくないほどの味わい。食後のフルーツまで用意され、クリスは相変わらずぼんやりとしつつも残さず食べていた。
「あの……お聞きして、いいですか。今日一日一緒にいて、凄く疑問だったのですけれど……」
ミケがためらいがちに言葉を切り出すと、クリスはやはりぼんやりとした視線を彼に向けた。
「……どうして、そんなに、『逃げてはいけない』んですか?」
言葉を探しながら、それでもまっすぐに問うミケ。
「クリスさんは、僕から見て、なんというか…凄く無理をしているように見えます。
なんでもやるからには一番でなくちゃいけなくて、1人でなんでも完璧にやらなきゃいけないって、無理をし続けているように見えます。
それは、どうしてですか?」
「………」
クリスは虚ろな瞳で焚き火を見つめながら、しばらく黙り。
そして、虚ろな口調で話し出した。
「……貴方の仰ったことを、ずっと、考えていました」
ぽつぽつと、覇気のない声で。
「死ぬか否かの瀬戸際に、名誉やプライドなど役に立たない、と。
…事実、その通りでした。あのままわたくしが残れば、貴方の足を引っ張り、助けを呼ぶことも出来ず、共倒れになる……最悪の事態です。それは、避けねばならなかった……それは、痛いほどよくわかりました」
そこまで言って、目を閉じて眉を寄せる。
「貴方が助かって……とても、ほっとしたのです。
怪我人を見捨てて逃げたことを恥じる思いより、ずっと。貴方が助かったことが、嬉しかった……」
感極まったように吐き出された声は、少しかすれていた。
「判っておりますわ。ひとの命の輝きの前には……誇りを守ることなど本当に些細なこと。
判って、いるのです………」
く、と唇を噛んで。
「けれど、それでも……思うのです。
わたくしは、何もできなかった。何もできない……価値のない、人間なのだと」
「価値がない、とは?」
ミケは眉を顰めて問い返した。
「……あなたが、ミリーさんを呼んで来てくれたから、僕は助かったのに。あなたは、自分の仕事を果たしたのに。
あなたを飛ばしたのは僕で、あなた は、僕を見捨ててはいないのに。飛ばされた先で動いてくれなかったなら、『何も出来なかった』事になるでしょうけれど」
ゆっくりと首を振って、優しく声をかける。
「僕は、助かったんじゃない。あなたが、助けてくれたんですから」
「いいえ…わたくしはあなたの言うとおりに動いただけです。
状況を判断し、的確な命令を下し、成功に導いたのは、貴方です。わたくしは……何も、しておりません。ただ、言われるがままに動いただけ」
「それでも、あなたがいなければ僕は助からなかった、それは事実でしょう」
弱気なクリスの言葉を、強い口調で押すミケ。
「……それとも、今回のことだけではなくて、あなたは前に逃げてしまったことでも あるのですか?それによって何か取り返しの付かないことでもありましたか?」
「……いいえ」
クリスはゆっくりと首を振った。
「…何も、していません。何も、成せていません。わたくしには、何かを成す力など、無いのですから」
「え……」
「申しましたでしょう?わたくしは、言われるままに動いただけです。
それしかできない人間は…価値がないのです。取替のきく歯車に価値などない。
ラスフォードにとって……何も成さぬ人間は、いないも同然です」
視線を下げて、続ける。
「お父様も、お母様も……お兄様やお姉様のように優秀でないわたくしには、見向きもなさらない。
ですから、わたくしは……魔法を選んだのです。お兄様やお姉様には使うことのできない、魔法を。
お兄様やお姉様よりも秀でていると言える何かを、わたくしは身につけなければならなかった」
そこまで言って、悔しげに目を伏せて。
「けれど……判っています。わたくしには魔導の才はない。
全く使えぬ者より多少秀でていたとして…それが何だというのでしょう。
事実、わたくしは……怪我人を置いて逃げることしかできないほど、役に立たぬ存在であったのですから」
「………」
邪魔だと言って強制的に逃がした手前、何も言えないミケ。
クリスは自嘲するように笑った。
「逃げたくない、が聞いて呆れますわ。
何も出来ぬ自分という現実から必死に逃げていたのは、他でもないわたくし自身であったのですから。
それを……思い知らされました」
「クリスさん……」
ミケは気遣わしげにクリスを覗き込むと、彼女の横に座り、励ますようにその背を撫でた。
「自分の価値が見つからないのは、……辛いですよね。自分に才能がないのを認めるのも、悲しくて悔しいこと。それは、凄くわかります」
その声音からは、うわべだけの慰めではない、自分の気持ちと重ね合わせた共感の念が伝わってくる。
「結果が出せなくて、辛くて、自分に対して歯がゆくて、悔しくて。……でも、凄く凄く努力したんですよね。よく、頑張りましたね。偉いと思いますよ」
「………」
クリスは黙ったまま、大人しく背を撫でられている。
ミケは続けた。
「素晴らしい功績を成したご家族がいるから、あなたはご自分も功績を残さないといけないと思っているんですね。
だから、何かで一番にならないと、って思っている。……その気持ちは、分かりますけれど……」
うーん、と首をかしげて。
「詳しくは聞いていませんでしたが、他のご家族は、……まぁ、不勉強で申し訳ないですけれど、どのような功績を挙げているのでしょうか?」
「……お父様は」
虚ろな表情のまま、クリスはぽつりぽつりと語り始めた。
「フェアルーフ王国議会に在籍し、かつては3期にわたって議長をお務めになりました。
お母様は、フェアルーフ王立楽団の現役コンミスですわ。ソロのヴァイオリニストとしても活躍されております。
お兄様は王宮警備隊の第一部隊長を務めていらっしゃいます。お兄様のお年では、一番の出世頭と言われておりますわ。
お姉様は王立美術館の学芸員の傍ら、第一王子お抱えの絵師でもあります」
ふ、と嘆息して。
「親族は皆、それぞれの分野での第一人者として活躍をされている方々ばかりですわ。
しかし…魔法だけは、まだ名の知れた者はおりません。ですから………」
「す…凄いんですね、ラスフォード家って……」
ミケは心底感心したように声を上げた。
「ご家族だけでなく、ご親族の方もそうなんですか……?確かに皆さん、国家レベルの素晴らしい才をお持ちですよね。
本当にあちこちから毎日引っ張りだこのような……毎日ちゃんと話も出来ないくらい」
そこまで言って、ふと気になって訊ねてみる。
「なんだか、皆さんお忙しそうですけれど……ちゃんと家に帰って顔を合わせていらっしゃいます?特に、ご両親とか」
「え……」
唐突な質問に、クリスはきょとんとして眉を寄せた。
「お忙しい方々ですから……あまりお顔を拝見することはございませんわ。
家族が揃って食事をすることも、あまり……皆独立した大人なのですから、そうなりますでしょう?」
言外に、一般庶民でも、という響きを持たせて。
ミケは苦笑した。
「……そう、ですね。大人になってからは、そうなのかもしれませんが…
…それは、子どもの頃から、ですか?特に毎日何も話さなかったとか、誕生日を忘れられていたとか、そういうことはないんですよね?」
「お忙しい方々ですから、毎日食事のたびに揃うということは稀ですが…家族の節目には皆が揃ってセレモニーを行うのは当然のことですわ?」
何をおかしなことを、というように、クリス。
ミケはさらに、うーん、と唸った。
「では、ご家族の誰かから、あなたを否定的に扱ったり、何か言われたりしたこと、ありますか?」
「まさか」
さらに、即座に否定が返ってきた。
「ラスフォードの者は、人を悪し様に罵ったり、陰口をたたくような卑怯な真似はいたしませんわ。
お父様もお母様も、もちろんお兄様もお姉様も、そのようなことをなさらない、立派な方です」
家族を侮辱されていると思ったのか、庇うように刺々しい口調で言い返す。
「そうですか……それは申し訳ありませんでした」
ミケはあっさりと謝って、それからまた考え込んだ。
「それなら、おうちの方は、問題なさそうですね……」
少し安心したように微笑んで。
「そうすると、……クリスさんは、ご家族のことが、とてもとても、好きなんですね?」
「え………」
「好きだから……、見てもらえるような、認めてもらえるような功績が欲しいんですね。でも、魔法の才能はあんまりないし、突然そんな功績を挙げられるようなものが今思いつかない、と」
「…………」
クリスは複雑そうな表情で目を逸らし、しかし無言でこくりと頷いた。
ミケはふっと微笑んで、それから妙に明るい口調で言った。
「……じゃあ、試しに一度、全部放り出して逃げちゃったらどうでしょうか?」
「………は?」
クリスは唖然としてミケの顔を見返した。
ミケはおかしそうにくすくすと笑いながら、クリスに言う。
「いえ、なんだか……そっくりで」
「そっくり……というのは?」
「僕にも、あなたのように思って、動けなくなった時期があったんですよ」
「え………」
信じられない、というように目を見開くクリス。
ミケはどこか懐かしげな表情で、続けた。
「自分に才能はないし、価値なんかなくて、兄や姉のようにはなれない。同じ血を引いているのに、どうして僕だけ、って。
全力で頑張ったのにって。それを、誰にも言えなかった。そうして、優秀な家族と自分を比較して、また落ち込んでいったり」
「そんな……ことが?」
言外に、そんなに優秀な魔道の使い手なのに、という気持ちが見て取れるクリスの言葉に、ミケはまた苦笑した。
「あなたとは、少し事情が違いますけどね。僕の家は、騎士の家系で…父も、兄達も、立派な騎士でしたから……騎士になれないことは、僕にとってはひどいコンプレックスだったんです」
再び、懐かしげな遠い目をして、空を見上げて。
「僕はそのとき、絶対に彼らと同じように武勲を立てなきゃいけないのだと思いこんでいました。剣一本持てないのにね。
でも結局、僕はこうして魔術師の道を選んで、それでそこそこの成果を挙げて、どうにか暮らしを立てていけてる。武勲を立てること、騎士になることから、結果としては逃げる形になりましたが……でも、僕は、これでいいんだと思うんです、今は」
そこまで言って、もう一度クリスににこりと微笑みかける。
「だから、僕はどうにも他に解決策が無いなら、逃げてしまってもいいんじゃないか、と思うんです」
「………」
どうにも腑に落ちぬ様子で眉を寄せるクリス。
ミケは微笑んだまま、彼女に問いかけた。
「納得がいきませんか?」
「…仰っていることは、判りますが……」
クリスは複雑そうに眉を寄せ、首を傾げる。
「貴方の仰っている、『逃げる』というのは…一体、何を指しますの?
学校を辞め、別の道を探せと仰っているのかしら?」
「功績を上げる、というのを、一旦棚上げしてみませんか、ということです」
ミケは穏やかな声音で言った。
「逃げたくない気持ちも、ご家族に認められたい気持ちも、分かります。けれど少し視点を変えてみてはどうでしょう?
功績あげなきゃとか才能がどうとか、そういうのを取り払って考えてみてください」
「取り払って…?」
「今までやったことで、楽しいとか面白いと思う物はなにかありませんでしたか?
……例えば、今学んでいる魔法はどうですか?……楽しいな、と思ったことはありますか?」
「……楽しい、ですか?」
「そうです。僕は、魔法が初めて形になったとき、凄く嬉しかったんですよ。独学だったから全然発動しなくて。
そのときの感動が、今に繋がっている、と思うんです。「好き」や「楽しい」は原動力ですよ。
……あなたは魔法を学んでいて、楽しいとか嬉しいと思ったことはないですか?」
「楽しい……」
言われて、記憶を辿っていくクリス。
やがて、その頬がふっと緩む。
「…そう、ですわね……初めて、魔法の発動に成功したときは…嬉しかった、ですわ」
「でしょう?」
「ええ……原動力……確かに、そうかもしれませんわね」
嬉しそうに微笑むクリスに、ミケも嬉しそうに笑顔を返した。
「まずは、そういう気持ちに慣れることが大事なのではないか、と思うんです。
『好きこそ物の上手なれ』とかナノクニでは言うらしいですが、楽しいなと思うものは、上達します。
ご家族もそうじゃないんでしょうか?絵が好きとか音楽が 好き、とか。そういうところから、今の功績に繋がっていったように思いませんか?……それをしているご家族は楽しそうに、見えませんでしか?」
「そうですわね……絵を描いていらっしゃるお姉様は、とても真剣で…でも、とても楽しそうでしたわ」
「そうですよね。クリスさんも、同じように、私はこれが好き、と胸を張れるものを探してみたらどうでしょうか?そういう『楽しい』『嬉しい』を重ねていったら、何かを成せるのではないか、と思いますが、どうでしょう?」
「好きと言えるもの……ですか」
「魔法に限らなくたっていいんです。今までだって、楽しいな、と思ったものは、あったと思いますし、 興味のあることを片っ端からやってみてもいいと思いますけれど……僕は魔法を楽しく思ってくれたらいいな、と思うんですけれどね。これでも魔法を研究する者ですから」
「でも…単純に楽しんでいて、それが実になるものでしょうか?」
眉を寄せて問うクリスに、ミケは笑って首を振った。
「すぐに実を結ばなきゃ、って、焦る気持ちは分かります。僕でも急にそんな風に思えないと思います。
けれど……無駄になる知識や技術なんか、世の中には一つもない。今までのあなたの経験や学んだことは何かに使えるし、これから学ぶことだってそうだから、今、功績をあげなきゃ、って焦ることはないと思うんですよ」
「そうでしょうか……?」
「……クリスさん、お友達は多い方ですか?学校でよく話す方とか、いらっしゃいますか?」
「え……ま、まあ、それは……普通には」
「たくさんの人に会うと、それだけ違う世界に触れられます。違う意見や技術を持つ人がいて、それを知ることが出来るから。改めて自分の事を見つめ直すこともできるんです。
今は蓄える期間だと思って、学校休みの日に町に出てみるとか、例えば学校の生徒さんと交流を 持ってみるとか色々やってみるといいと思いますよ。……この学校は特に色んな経歴を持つ方がいますから。彼らからも、新しい自分や『好き』や『楽しい』を見つけられるかもしれないんですから」
「なるほど……」
クリスは感心したように頷きながら、何かを考えているようだ。
ミケはにこりと微笑んだ。
「交流の一環ということで、僕も少しお話できますけれど、聞いてみます?」
「えっ……ええ、是非」
少し驚きながらも頷くクリスに、ミケは嬉しそうに語り始めた。
「魔法自体は、応用の利く学問ですよ。
あなたは魔道に才能がないと言う。でも、もし、魔法で身を立てるなら、理論を極めたっていい訳ですし、魔導師ギルドに関わったっていい。教える側に なってもいいと思うんですよ。ミリーさんみたいに運営したっていい。それだって国に貢献するような功績につながるかもしれない。……魔法が好きじゃないと難しいですし、魔法の才能のみではなれる道ではないのですけれどね」
「教える側……ですか?」
「ええ。あなたは、突発の自体に冷静に対処する精神力があると思うんです。……すももの問題の時に、焦ることなくさらっと解いて見せたでしょう?それに、学問としての魔術に知識もあるし、学ぶことが苦手でもない。元々、人脈もあるし、上に立つ教育をされているんですし、そういう機関の長を目指しても良いんじゃないでしょうか」
「それは……今までにない考え方、ですわね……」
興味深げに頷くクリス。
ミケはさらに続けた。
「もしかしたら、別の人と話すことで他の道も広がるかもしれません。知識はないよりあったほうが、絶対選択肢は広いはずです。
魔法関係で仕事をするならミリーさんあたりに相談してみるといいですよ。……顔も知識も広いですよね」
「そうですわね。校長がお時間を取ってくださるならば……」
クリスはかなり具体的に考えているようだった。
その瞳には、もう先ほどまでの所在無げな光はない。
ミケはそのことに嬉しそうに微笑むと、言った。
「と、言うわけで。そうやって、自分1人では考えつかないことも、他者を通すことで見つけることもできます。
どうでしょうね、試しに僕と友達になってみるとか。回復魔法なら、教えてあげられますよ?……後は使い魔についてとか。猫についての愛は魔道より熱く語れるかもしれませんけども」
「お友達、ですか……?」
冗談めかしたミケの言葉に、クリスはきょとんとして、それから屈託無く笑った。
「そうですわね、少し考えておきますわ」
「考えておいてください、いつでも歓迎なんで」
「ふふ」
おかしそうに笑ってから、クリスはすっきりとした顔で空を見上げた。
「このウォークラリーが終わったら、やりたいことがたくさん出来ましたわ」
それから、ミケに視線を戻して。
「貴方の、おかげですわ。御礼を申し上げます。ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
丁寧なしぐさで礼をするクリスに、ミケも慌てて礼を返す。
「……僕は……僕も、やっぱり家族に見て欲しくて力が欲しかったところ、ありましたから。動けない気持ちも、分かるから。
……そっくりだって、言いましたけど…他人事じゃない気がしたものですから」
「そうですわね……わたくしもいずれは、貴方の様に自信を持つことが出来ますかしら」
「はは、自信なんて、未だにないんですけどねー」
苦笑して頭を掻くミケ。
「……それと、ご家族にも、一言か二言、相談しておいたらどうでしょう?ほら、もしかしたら学校生活もう少しかかっちゃいます、という相談とか」
「……そうですか?」
「ええ。お忙しい方々でしょうけど、きっとクリスさんの相談だったら、時間を取ってくれると思うんです」
「そうですかしら……」
「ええ、相談してみて、損は無いと思いますよ」
きちんと正面から相談すれば、きっと彼女も同じように、どれだけ家族に愛されているかを知ることだろう。
そんな嬉しい予感を引き寄せるつもりで、ミケはそんなことを言ってみた。
「……で、ウォークラリーが終わったら、何から始めます?
…なんて、まずは明日のことからですよね。でも良いから、聞かせてくれたら嬉しいですね」
「そうですわね。まずは明日を乗り切りますわ」
「はい。明日も、頑張りましょう。よろしくおねがいします」
妙にすっきりとした顔で、微笑み合って。
満天の星空の下、2人は決意も新たに、明日への闘志を燃やすのだった。
§4-Yuki:More strength
「……ねえ、なんで攻撃しなかったの?」
野営の準備にかかろうとしているヴォルフに、ユキは不満げに問いかけた。
手を止めてゆっくり振り返るヴォルフには、冷たい無表情が張り付いている。
ユキはさらにむっと口を尖らせて、言った。
「何度も同じこと言わせるなって言われそうだけど、やっぱりあの時攻撃してたら、絶対ポイントとれたと思ったんだけど」
昼過ぎの戦闘のことを言っているのだろう。
自分を巻き込んで攻撃しろと言ったユキに、ヴォルフは攻撃をしなかった。そのため、勝てたかもしれない相手に逃げられてしまったのだ。
あの時、ヴォルフが自分の言うとおりに攻撃していたら勝てていた、そう強く思っているがゆえにユキは未だに納得がいっていなかった。
ヴォルフは睨みつけるようなユキの視線を正面から受け止め、しばし沈黙した。
「…ならば、なぜお前は自分が正しいと思う?」
おもむろに言ったその声音には、特に怒りの色は見られない。
「お前は、あの場で、俺がお前を巻き込んで攻撃し、勝利することが重要だと主張する。
その根拠は何だ?
あの場で俺が攻撃すれば、確実に勝てた、と主張する根拠は何だ?
俺の攻撃で、お前が致命的な怪我を負わないと言える根拠は何だ?
相手の実力を知らずに、なぜそんなことが言える?」
「っ………」
答えにつまり、うつむくユキ。
ヴォルフはさらに続けた。
「そして、その先は?
倒して、俺が点数を得て、お前が怪我をして。その先は?」
そこまで言って、静かにユキの答えを待つ。
ユキは視線をさまよわせ、俯いた。
「えっと…………」
しばらく、答えを探して。それから、しゅんと肩を落とす。
「特に……根拠は、ない」
しょんぼりとそう言ってから、顔を上げて強く言い返した。
「でも、怪我することを躊躇ったら、駄目だと思って」
「ダメージを押して攻撃をする場面か、よく考えろと言っているんだ」
眉を寄せて嘆息するヴォルフ。
「あそこで俺が攻撃をして、お前もろとも相手の冒険者を倒したとしよう。
お前と相手の冒険者というコマは消えた。俺とあの院生の一騎打ちとなる。
純粋に魔法だけの勝負ならば、俺はあの院生には勝てない。曲がりなりにも院生で、そしてエルフだ。
子供のようななりをしているが、実力は一級。それはこの学校にいるものなら誰でも知っている」
淡々と、落ち着いた様子で解説する。
「そして、俺はお前ごと冒険者を攻撃した直後で、隙が出来ている。
位置的に近くにいれば物理攻撃の方が有利だろうが、あの場では距離もあった。
院生が攻撃魔法を仕掛ければ終わり、俺の負けだ」
「っ………」
淡々とした、しかし容赦のないヴォルフの言葉に、ぐっと喉を詰まらせるユキ。
ヴォルフはさらに続けた。
「さらに、運良くお前を巻き添えにして勝てたとしよう。
お前が俺の治せる範囲以上の怪我をしたらどうなる?その状態で、他のチームと戦闘になったら?
お前が戦えない以上、俺の負けは確定する」
ふう、とため息をついて。
「自分に構わず攻撃しろ、自分は傷ついてもいいから、と……言葉は綺麗に聞こえるな。
しかし、それは『自分』という『戦力』を軽く見た、大局もわからず目先の利益を優先する考えなしのすることだ」
ユキをまっすぐ見て、視線を鋭くして。
「お前は『正しいことをしたい』んじゃない。
『正しいことのために身を捧げた自分』が欲しいだけだ。
お前のやってることは、自己満足以外の何でもないんだよ」
「そんなことない!」
ユキは強く言い返してから、急に意気消沈したように肩を落とした。
「そんなことない……けど」
眉を寄せて、ふ、と息をつく。
「うん……落ち着いて考えたら、あの人、エルフだったもんね……。なんで気づかなかったんだろ。
僕の……判断ミス、だよね……」
「………そうだな」
にべもなく言い放つヴォルフ。
ユキはふたたび肩を落とした。
「あのままだったら、確かにヴォルフさん、攻撃受けてた……。普通なら、それくらいわかって当然なのに……。
ごめんなさい。僕、どうかしてた」
「………」
「…………駄目だよね、僕。半人前以下だよ……」
はあ。
もう一つため息をつくと、うつむいて黙り込んだ。
「………」
ヴォルフはその様子をしばしじっと見つめ。
やがて、ふう、ともう一度ため息をついた。
「……何をそんなに焦っている?」
「あせ……?」
ユキは意外なことを言われたというように、きょとんとして顔を上げた。
「……焦ってるかは、わからないけど……目標が、あって……
少しでも早く師匠に追いつかないと、置いていかれそうで……頑張んなきゃ、とは思ってるかな……?」
「…師匠、か」
「うん。師匠、すっごく強くて何でもできるけど……師匠から見たら、僕って半人前以下で。
今はまだ弟子として見てくれてるけど……このままじゃ、いつか見限られるかもって思うと、今まで以上に頑張らないとって。
今回も、足引っ張ってばかりだし。師匠からも馬鹿弟子とか半人前以下っていつも言われてるし」
ユキの声音は、どんどんと弱くなっていく。
「…………贅沢は言わないから、師匠の邪魔にならないくらいには、強くなりたいのに」
しゅんと肩を落とすユキに、ヴォルフは仕方なさそうに嘆息した。
「……『少しでも早く追いつかないと置いていかれるから頑張る』という状態を、一般的に『焦っている』と言うんだ」
「………」
「それで?焦って行動を急いだ結果、今のお前はどうなった?
お前の行動は、お前の理想に近づくものだったか?」
「…………判断ミスして、感情で動いちゃった。
理想とも……全然違う」
俯いたまま、それでも答えるユキ。
「…それで?」
ヴォルフは更に、そっけなく訊いた。
「そもそも何故、そんなに『置いていかれたくない』んだ?
なぜ、師匠とやらの役に立ちたい?
なぜ、見限られたくない?
そもそもは、そこからだろう」
「……それは……」
ユキは、記憶を手繰っているようなぼんやりとした表情で言った。
「……師匠は、孤児だった僕を拾って育ててくれた恩人で、僕にいろいろ教えてくれた人で。
僕が、人として…」
そこまで言って、ふっと表情を和らげる。
「……最近気付いたけど、恋っていう意味でも、一番大好きな人」
そして、顔を上げて苦笑した。
「僕、まだ冒険者としては少ししか経験ないけど……それまでは、師匠だけが僕の中で世界だったから。
だから、今師匠に見限られたら、僕は本当の意味で独りになっちゃう。
師匠のお兄さんたちもいるけど……それはまた、違うから」
それからまた、寂しそうに俯く。
「今は、試練の関係で会えないけど……だから、いつか捨てられるんじゃないかって怖くて……。
結構、容赦なくて、冷たい人だから。使えない人とか、問答無用で切るの見てたから……」
眉を寄せて、辛そうに目を閉じる。
「置いてかれたくないのは、見限られるのが怖いから。
役に立ちたいのは、少しでも長く一緒にいたいから。
見限られたくないのは……師匠のことが、大好きだから。
優しい言葉なんてかけられたことないし、容赦なく頭殴るし、僕が人と話してるといつも用事を言いつけられるけど……。
でも、師匠が僕を傍に置いてくれてるのは、何か意味があるはずだから。
そう信じたい、から」
「………」
ヴォルフは黙ったまま、ユキの話を聞いていた。
「……それで?」
やがて、おもむろに問う。
「そのためになりふり構わなくなった結果、逆に見捨てられかねない状況になったのは判るな?」
「………」
ユキはしょんぼりしたまま、それでも濃くりと頷いた。
ヴォルフは嘆息して続ける。
「俺はその師匠とやらではない、そいつが何を考え、どんな基準でお前を見捨てないのかは知らない。
だから、きっとそいつはお前を見捨てないだろう、などという無責任な慰めの言葉はかけてやれない」
淡々と言って。
「ただ言えるのは、お前はお前にしかなれない、ということだ」
「…僕は…僕にしかなれない」
ぼんやりと言ってヴォルフの方を見るユキに、変わらぬ口調で続ける。
「そいつは、お前がお前であるからこそ、傍に置いたのだろう。
今、お前は懸命に『お前でないもの』になろうとしている。
それこそが、お前を見捨てさせる要因になるとは考えないのか?」
「それは………でも」
「そいつは、お前に、『強くならなければ見限る』と言ったのか?
お前がそいつの言葉も聞かずに、勝手にそう思い込んでいるだけじゃないのか?」
「え……」
きょとんとするユキに、ふっと可笑しそうに笑って。
「お前が人の話を聞かないのも、勝手に突っ走るのも、たった1日しか行動を共にしていない俺でさえよく知っていることだがな」
「う……ごめんなさい…」
再びしゅんとするユキ。
ヴォルフはまたおかしげに肩を揺らした。
「そう言われてみれば別に、お前でないものになろうとしているわけでもないな。
結局の所、お前はお前にしかなれない」
再び顔を上げるユキに、ヴォルフは柔らかい眼差しで続けた。
「お前が出来る範囲の中で、焦らずに最善を尽くすのが近道、ということだ」
「……うん……」
ユキは呆然としてつぶやき、それから少し目を潤ませて頷いた。
「……うん。頑張ってみる。
ちょっとずつ、僕なりにやってみる」
何度も頷いて、へへ、と笑って。
「……ちょっと、思い込んでた。
師匠、有名みたいだから、弟子の僕がこんなんじゃ師匠に迷惑かけちゃうって」
「だから、周りを見ろ、と言うんだ」
ヴォルフは再び、仕方なさそうに嘆息した。
「お前のせいで、迷惑がかかったことがあったのか?
師匠の名に傷が付いた事実でもあったのか?」
「それは……ない、と思うけど……」
そもそも、名前に関わるような仕事を任せてもらったこともないのも事実だが。
ユキの言葉に、ヴォルフは呆れたように息をついた。
「気持ちに動かされるのじゃなく、冷静に周りを見ろ。
案外、そういうところに答えは見つかるものだ」
言ってから、じっとユキを見て。
「…今出されている『課題』とやらも、答えはそこにあるかもしれないな。
俺の目から見ても、お前の最大の問題点はそこだからな」
「そっか……」
ふむ、と考えこむユキ。
だが、すぐに顔を上げてにこりと微笑んだ。
「……ごめんね、それと、ありがと。
やっぱり……ヴォルフさんは、いろんな意味で強いね……凄いな」
それから、恥ずかしそうに苦笑する。
「僕、子どもみたい」
「…そうだな」
ヴォルフはふっと笑って、再び野営の支度を始める。
ユキはそれを手伝おうと、自分の荷物も解き始めた。
「えっと……夜襲される可能性もあるんだよね?
僕、朝が来るまで交代で寝起きして、相手が来たら起こすっていうのはどうかな、ていう対策を考えたんだけど、どうかな?
そしたら、少しは休めるよね?」
「ああ、それで構わない」
ヴォルフは頷いて、荷物の中にあった毛布をユキに放った。
「先にお前が休め。ライラの刻に交代だ」
「あ、わ……」
ユキは慌ててそれを受け取り、それから微笑みを返す。
「うん、ありがと」
その表情には、もう先程までのような焦りの色はなかった。