§4-Olooca:Thirst for strength

「…野宿予定でしたが、一旦町に戻りましょうか。
この状態で野宿は結構危険と思います」

満身創痍のカイの傍らで心配そうな表情をしながら、オルーカはきっぱりとそう言った。
先ほどのミケとの戦いで、オルーカはともかくカイはかなりの重症だ。一応オルーカも回復術を試みたが、どうにか歩けるかもしれない、程度で、到底この場で完治できそうにない。
カイは若干悔しそうに、しかし素直に頷いた。
「そうだね、このケガで野宿は危険だね」
「一日の疲れもたまってますしね。イベントごとってそのつもりがなくても気が張ってしまうものです…」
「うん、ゆっくり休んで明日に備えた方が色々いいよ。日が暮れる前に、帰っちゃおう」
「そうですね、では捕まってください、私が支えていきますから」
オルーカはそういって早速カイの腕を取った。
苦笑して首を振るカイ。
「大丈夫だよ、どうにか歩けるから。戦うのは無理そうだけど」
「そうですか?無理なさらないでくださいね?」
「うん、無理だったら頼るようにするから。オルーカも疲れてるだろうし、お互いに消耗するのは良くないよ」
「そう……ですね」
オルーカはまだ若干心配そうだったが、話題を変えることにした。
「あ…もし、レティシアさんと…ルキシュさん、でしたっけ?
お二人がいたら、一緒に街まで戻りませんかって声かけてみましょうか」
「先輩に?」
きょとんとするカイに、頷いてさらに続ける。
「ええ。このまま二人してへろへろの状態でいるより、誰かと一緒にいた方が安全ですし、安心できますしね。
夜の間はウォークラリーはお休みなのですし…戦う必然はありません。
レティシアさんなら、頼めば協力してくださると思います」
「レティシアなら協力してくれるだろうけど…問題は先輩だね」
苦笑して言うカイに、オルーカも苦笑する。
「そのようですね。まあ会えるかどうかも判りませんし、会えたら一応声をかける、ということで」
「うん、わかった。それじゃ行こうか」
2人は頷きあって、よろよろと歩き出すのだった。

傷ついた体をだましだまし、歩みを進めていくと。
「あれ……ねえ、あれ」
森の入り口近くの人影を、カイが指差す。
「レティシアと先輩じゃない?」
「…あ……本当だ!」
オルーカも目を丸くしてそちらを見やり、そして傷だらけのルキシュを肩に担ごうとしているレティシアの方に慌てて駆けていく。
「レティシアさん!」
「オルーカ、カイ!」
2人の姿を見て、ぱっと表情を輝かせるレティシア。
オルーカは心配そうな表情で駆け寄った。
「どうしたんですか、その怪我…!」
満身創痍のルキシュをいたわるように見やって言うと、レティシアはいったんルキシュをそっと地面に下ろしてから、表情を暗くする。
「さっき大怪我しちゃったの。ミケとの戦いで…」
「ミケさんとの……」
「っていうか、カイもすごいケガじゃない!どうしたの?」
オルーカの後についてよろよろとやってきたカイを見て、レティシアも心配そうにそう問うた。
苦笑するカイ。
「はは、あたしもミケにやられちゃった」
「ミケさんはお強いですからね」
同様に苦笑するオルーカ。
「2人とも…ミケと戦ったの?」
レティシアはむしろ驚いたように2人を見た。
「ええ、お強かったですよね」
「さすがはミケだねー」
若干悔しげに、しかしどこかすがすがしい笑顔で言い合う2人。
レティシアは戸惑ったように言った。
「で、でも…ミケは、その…友達、でしょ?それなのに…」
レティシアの言葉に、2人ともきょとんとして彼女を見る。
「なんで?友達だと、戦っちゃいけないの?」
「えっ?!」
再び驚きの声を上げるレティシア。
カイは首をかしげた。
「だってさあ、別に殺し合いするんじゃないんだし」
「そうですね、ルールで命を奪うことは禁止されてますから」
「むしろ、普段戦えない強い相手と戦う絶好の口実っていうか」
「ですよね、普通ミケさんと戦える機会なんてめったにないですから」
「そ、そんな……」
あまりにも違いすぎる二人の常識に唖然とするレティシア。
オルーカは苦笑した。
「確かに、ミケさんと戦いづらいって気持ちは分かります。 やりすぎて怪我をしてしまうことも、ないとは言い切れませんし。
でもそんなに難しく考えず、イベントごとなのですから…」
「でも……ミケを傷つけるなんて、私…」
俯いてしまったレティシアに、オルーカはにこりと微笑みかける。
「では、うちみたいに、『戦って!』ってお願いしてみたりするのはどうですか?」
「お、お願いしたの?!」
「うん、だってミケ逃げちゃうんだもん、ねー」
「ええ」
楽しそうに頷きあう2人に、再び唖然とするレティシア。
オルーカは再びレティシアの方を向いた。
「そうですね、例えばルールを決めて。地面に膝をついた方が負けとか。ミケさんが強すぎるようだったら片手しか使わないようハンデ貰うとか。
怪我がないように『試合』っていう形をとるんです」
「試合……」
「ええ。これだったら『やっつける』ってことに対する抵抗も薄れませんか?
『勝つ』っていうのは、必ずしも『怪我をさせる』ということではありませんよ?」
「……っ……」
オルーカの言葉に、レティシアははっとして言葉を詰まらせた。
「……そうか……そうよね…」
考え込んでしまうレティシアに、再びにこりと微笑みかけるオルーカ。
「勝った場合にポイントの移動もあれば、ルキシュさんも納得いかれるでしょう?」
「ルキシュ……って、いけない、こんなことしてる場合じゃ!」
そこで、レティシアは改めて満身創痍のルキシュのことを思い出したようだった。
先ほどそっと地面に下ろしたルキシュのほうを見やってから、再び2人の方を向いて。
「2人も街に帰るところなの?」
「うん、そのつもり。このケガじゃね…先輩もそう?」
「実はそうなの。それで、お願いがあるんだけど…」
「ルキシュさんを運ぶお手伝いですね?その怪我だと、歩くのも大変でしょう?」
「そうなの。私一人じゃ着くのが夜中になっちゃう…お願い、助けてもらえないかな?」
「もちろんです。いいですよね、カイさん」
「うん、もちろん。あたしは何とか1人で歩けるから、オルーカ、手伝ってあげて」
「はい!」
オルーカがルキシュに歩み寄り、レティシアが取っている手と反対側の手を取ろうとする。
と。
「………余計な…ことを…」
かすれた声で、ルキシュが言った。どうやら意識はあるらしい。
「君たちの…助けなんか……いらない……」
苦しげにそう言ってくるのを聞いて、オルーカより先にカイが苦笑した。
「別に先輩を助けてるわけじゃないよ、レティシアの手伝いをしてるだけ。
つっても、先輩は納得しないんだろうなあ」
「ではルキシュさん、こういうことでどうです?」
担いで支えたまま、ルキシュの顔を覗き込むオルーカ。
「今回あなたを助けるのは、前回見逃してもらった『貸し』を返すってことで。
それだったら、問題ないでしょう?」
「………」
ルキシュは空ろな表情のまましばらく黙って、やがてぽつりと言った。
「……好きに、すればいいよ」
「はい、好きにします。ではレティシアさん、行きましょう」
「う、うん……」
レティシアはまだ若干不安そうに、それでもオルーカと共にルキシュを支えながら街への道を歩くのだった。

「私としてはね、ルキシュを危ない目に遭わすなら、棄権もやむを得ないと思ってるの」
道すがら、レティシアはウォークラリーの進展と共に、そんな言葉を漏らした。
もちろん、ルキシュは担いだまま。本人にも聞こえているはずだが、本人からの反応はない。
「向こう見ずに突っ込んでいって、危ない事も平気でしてしまうし…」
「そうですね、危ないことをする人は、自分が危ないことをしてるって自覚はありませんから…」
こちらも、絶対に本人に聞こえている状況で遠慮のない物言いをするオルーカ。
カイが後ろで苦笑しながら、黙って聞いている。
レティシアは嘆息した。
「でも、ルキシュは棄権なんてとんでもないって言うし…。かといって、私の意見をゴリ押しするのもどうかと思うし、正直迷っているのよ」
「そうですか……」
うーんと唸るオルーカ。
「…そうしたらもう、一度放っておいて、徹底的に痛い目見させるのもありだと思いますよ?」
そして再び、本人の前でかなり過激なことを言い、後ろのカイを苦笑させる。
本人は至ってまじめな様子で、言葉を続けた。
「これは魔法学校のイベント。校長先生が生徒に危険がないよう、 ちゃんと管理されてると思うんです。そこに甘えるわけではありませんけど…
ルキシュさん自身が本当に一度、最悪の結果を目の当たりにしなければ、周りがいくら言っても、彼の成長はないように思えます」
「そう…かなぁ……」
レティシアはやはり浮かない表情で、とぼとぼと足を進めている。
陽は思ったよりも早くその歩みを進め、街へついた頃にはすっかり暗くなってしまっていた。

「さて、これからどうしましょうか…」
無事に街に到着し、自分の宿に戻るレティシアたちと別れたところで、オルーカは改めて嘆息した。
「とにもかくにもカイさんの怪我を治さなければですが……」
うーん、と唸って。
「どこか回復もできて、ゆっくり休めるところ…
あ…うちの僧院にいらしていただければ、人格に多大なる問題はあるものの完璧に回復魔法をかけられる人材がいますから、適切かもしれませんが…」
「人格に…?」
若干引き気味だがあえてつっこむのは辞めるカイ。
オルーカはそれには気づかずに、いやしかし身内の恥をさらすのも…と躊躇しているようだ。
「そうだ、カイさんはどこか当てがありますか?あるなら、そちらに行ってもいいと思います」
「あたしの当てかあ」
カイも眉を寄せて少し考えた。
「んー……あたしが戻って寝るとしたら寮なんだけどね。学校には、ウォークラリーに参加してない奴で回復魔法使える奴もいると思うけど…」
しばらく考えた後、浮かない表情のままオルーカのほうを向いて。
「でもやっぱり、完璧に治してもらえる人がいるならそっちの方がいいかもね。
オルーカが嫌じゃなきゃ、あたしはそっちの方がいいな」
「うーん、そうですねえ…」
物理的には正解なのだが、やはり心情的に僧院に戻りたくないオルーカ。
(………そうだ)
考えているうちに、ひとつのアイデアが浮かんだ。
(……ササさん…薬学の学生さん…でしたよね…
もしかしてお薬処方してもらえたりしないでしょうか?)
そう考えてから、いやいや、と俯いて。
(でも、こんな遅くに突然押しかけたりして、大丈夫でしょうか…
というか、そもそも急に行って作ってもらえるものなんでしょうか?)
首を捻って。
(迷惑かも…)
そわそわ。
(でも他に当てがないし…)
うーん。
(私は満足に回復魔法使えないし…)
うろうろ。
(でも怪我が…)
そわそわ。
(う~~~)

「お、オルーカ?」

あからさまに挙動不審なオルーカにカイが声をかけたところで、オルーカははっと我に返った。
「あ、す、すいません、考え込んじゃって」
「いや、なんか…大丈夫?」
「はい、大丈夫です。えっと、ですね。私の知り合いに一人、薬学を勉強してる方がいて…
その、まだ学生さんなんですけど、立派な方で…その方に、お薬処方してもらえないかなって思ったんです」
「薬学を?」
「はい。ダメ元で訪ねてみませんか?そこがダメだったら…く、悔しいですがうちの司祭に頼りましょう…!」
「そ、そこまでイヤなんだ…」
カイは苦笑して頷いた。
「いいよ、行ってみよう。その人、いるといいね」
「はい!ありがとうございます」
オルーカは嬉しそうに笑って、再びよろよろと歩き始めるのだった。

「ふーん、この薬草がこっちで、これはこうで…」
学校街の一角にある、とある建物。
もう外はすっかり暗くなっていたが、研究室らしいその部屋に一人残って本や草とにらめっこをする一人の青年がいた。
日に焼けた肌に、短くつんつんとがった金髪、彫りの深い顔つきは白衣を着ていなければ立派なチンピラといったいでたちの男性である。
こんこん。
「ん?」
廊下に向けて全開になっているはずのドアがノックされる音がして、彼は見ていた本から視線を上げる。
と。

「オ、オルーカ!?」

ドアのところに立っていた女性を見て、彼は驚いて立ち上がった。
「こんばんは、ササさん」
苦笑して男性に会釈するオルーカ。
どう好意的に見てもボロボロとしか言いようがない様子のオルーカを、ササと呼ばれた男性は目を丸くして見下ろした。
「どうしたんだ、こんなところまで……って、え?!」
オルーカの後ろにいたカイを見て、さらに驚く。オルーカはそれでも服や髪だけだったが、カイはそれ以上にあちこち傷だらけで、立っているのもやっとという様子だった。
「アンタ、すごいケガじゃないか!オルーカもぼろぼろだし…どうしたんだ!?何かあったのか?」
若干動揺しつつも、オルーカとカイに心配そうに声をかけるササ。
「実は……」
オルーカは少し申し訳なさそうに、事情を説明し始めた。

「……というわけで、そのウォークラリー中に、不覚にもこのようなケガを負ってしまった次第です」
しょんぼりした様子で説明を終えたオルーカに、ササは半ば唖然として言った。
「おいおい…大丈夫かよ」
「私は大丈夫ですが、カイさんが…」
「ああ、とりあえず、座れって。そっち、あいてるから」
「ありがとうございます。さ、カイさん、こっちです」
オルーカはほっとした表情で、ササが促した診療台にカイを導く。
カイが無事座ったところで、ササの横に立って彼を紹介した。
「カイさん、こちらはササさんです。以前ちょっとした事件に巻き込まれて知り合ったんです」
詳細は「Happy Ner Year!!2」をご覧ください(しつこく宣伝)。
カイはオルーカの紹介に、ああ、と納得顔になった。
「そっか、あんたが『さささん』なんだね」
「さささん?」
「か、カイさん!」
慌ててオルーカが言うが、カイは気にせずににこりと微笑んでよろよろと手を差し出した。
「あたしはカイ・ジャスティー。カイでいいよ」
「サンチアーガ・サルセードだ。よろしくな」
ササも笑顔で挨拶を返し、それから苦笑する。
「握手は元気になってからでいいから。無理すんな」
「ごめんね」
苦笑するカイ。
そこで、オルーカが心配そうにササに声をかけた。
「それでササさん、突然で申し訳ないのですが…」
「そのケガを治す薬を調合すればいいんだな?」
「察しがよくて有り難いです…」
「んなケガで来られりゃイヤでも察するって」
ササは苦笑して、部屋の奥を指差した。どうやら仮眠室のような場所であるらしく、ベッドがいくつか設置されている。
「そっちで横になって待っててくれ。
今調合する。宿がなけりゃ、今夜はそこに泊まってってくれてもいいぜ。怪我人は使用フリーパスだからな」
「ありがとうございます。何から何まで…」
オルーカは丁寧にササに頭を下げてから、カイの方を振り返った。
「カイさん、そうしますか?」
「そうだね、お言葉に甘えようかな」
カイも申し訳なさそうに苦笑する。
「宿が無いわけじゃないけど、治せる人が側にいるのといないのとじゃ違うしね」
「わかりました。ササさん、よろしくお願いします」
「ああ、まかせとけ」
ササが頷いたところで、カイは再びよろよろと立ち上がった。
「じゃ、お言葉に甘えて、あたしは横になってるね」
「あ、お手伝いします」
「いいよ、オルーカはササを手伝ってあげて」
「あっ……はい」
立ち上がりかけたところを制されてきょとんとするオルーカをよそに、カイは奥の部屋に行って扉を閉めた。

「本当にすいません、突然」
カイのための薬を調合し始めたササに、改めて申し訳なさそうに頭を下げるオルーカ。
「いいって。怪我人を治すのは薬師の仕事だ。もっともオレはまだ卵だけどさ」
「いえ、それでもやはり、突然押しかけてしまって…」
「まーまー、気にすんなって。な?」
ササは気さくに笑って言うと、調合の手は止めずにさらにオルーカに訊いた。
「てかオルーカは僧侶だろ。回復魔法使えねーの?」
「………」
言いにくそうに視線を逸らすオルーカ。
「…実はあまり、回復魔法が…というか、魔法そのものが得意じゃないんです…。神に仕える僧侶としてお恥ずかしいのですが」
「ふーん、そうなのか。僧侶も色々なんだなあ」
ササは特に気にする様子も無く、ふーんと納得しているようだった。
「まあオルーカは見た目からして武闘派ってかんじではあるけど」
「ちょっとササさん…それどういう意味ですか?」
「え!?いや、なんでもない!」
失言に気づいて慌ててごりごりと調合の手を早めるササ。
オルーカは仕方なさそうに嘆息すると、言葉を続けた。
「…ササさんも、僧侶は回復魔法使えて当然と思います?」
「ん?当然…てわけじゃないけど、まあ使える…とは思うかなあ。なんでだ?」
「今回こんなことになって…いえ、今回だけじゃないんですけど、こういうことがある度に、私って役立たずだなって思いまして」
落ち込んでいる様子のオルーカに、ササは手を止めて言った。
「…んなこと言ったって、オルーカは戦う方が得意なんだろ?
オレが薬作るの得意でも戦うのは苦手なように、人にはそれぞれ得意分野があるんじゃないのか」
「そうかもしれませんけど…でも傷ついた人が目の前にいるのにお役に立てないのってつらくありません?」
「そりゃあそうだけどよ…」
薬師を志す者として、目の前の怪我人は出来るだけ助けてあげたいという気持ちはよく判る。
だが、出来ない自分を責めるというのは筋が違うのではないか。オルーカは回復以外の面でカイを懸命にサポートしてきたのだろうし、役立たずなどということは決してないと思う。
ササはしばし考えて、それから唐突ににこりと笑った。

「じゃあさ、頑張ろうぜ!」

「……えっ?」
爽やかな笑顔で言われ、ぽかんとするオルーカ。
「回復魔法、得意じゃないっていっても、使えないわけじゃねーんだろ?
だったら、もっと上手く使えるように、頑張ればいいじゃん」
「頑張る…?」
なおも唖然としたままのオルーカに、ササは苦笑して言った。
「いや、まあ、オレ、魔法のことあんまり知らないから、頑張ってなんとかなるものじゃないのかもしんないけどよ。
でもとりあえず頑張らなきゃ、何事も始まんねーじゃん?」
「それは…」
「な、オルーカ。腕、出してみ」
「え」
またも唐突な言葉に、オルーカはきょとんとしながらも素直に右腕を差し出す。
ぺと。
ササは机の上にあった白い布を、オルーカの腕に無造作に乗せた。
ひやり、と冷たい感触がそこから広がっていく。
「これは……」
「これ、通常の三倍早く痛みを取ってくれる湿布薬」
にこ、ともう一度笑いかけるササ。
「…赤くありませんよ?」
「そこまで手が回らなかった」
よくわからないやり取りをしてから、ササはオルーカに張った湿布薬に目をやった。
「これ、オレが『頑張って』開発したものなんだぜ」
「頑張って…」
「そ。だからオルーカも、とりあえず『頑張って』み?」
再び顔を上げて微笑みかけるササ。
「努力は人を裏切らないっていうけど、マジだぜ。
結果って絶対ついてくるからさ」
「ササさん……」
ササの不器用な慰めの言葉は、だが不器用だからこそオルーカの心にすとんとはまった気がした。
ほっと肩の力を抜き、ゆるく微笑むオルーカ。
「ありがとうございます、ササさん。
なんだか、変に気が滅入ってたんですけど…そんな風に思ってても仕方ありませんよね。
とりあえず『頑張って』みます」
「そーそー。何事もやってみなきゃ分かんねーって」
オルーカが浮上したことに安心したように微笑んでから、ササは改めてオルーカの姿をまじまじと見た。
「にしても、カイほどじゃないにしてもホントひでー怪我だなぁ」
「はは、救護の方が通りかかったときには治していただけたんですけどね。今度はちょっと、自分の力だけでは…」
「ったく……女なんだから、もう少し気をつけろよな」
「えっ」
「あっ」
オルーカが問い返して、初めて自分の吐いたセリフの恥ずかしさに気づいたササは、真っ赤になって手を振った。
「え、あ、いや、そういうことじゃなくてだな!」
「あ、はい、わかってますそうですよね」
つられて赤くなりながら微妙なフォローを入れるオルーカ。
ササはまだ少し慌てた様子で、目を泳がせながら話題を逸らした。
「いや、だからさ。ほら、新年祭の時も思ったけどオルーカはちょっと思い込むところあるからな。
気をつけたほうがいいぜ、ってことだよ」
「新年祭…」
苦し紛れのササの言葉に、いきなり表情を暗くしたオルーカを見て、ササはさらに慌ててしまった。
「あ、いや。そういう意味じゃなくってな、えーと」
「え?ああ、違います…そうじゃなくて…」
オルーカはササの誤解を苦笑でなだめて、それからため息をついた。
「思い出してたんです。新年祭の時のこと」
「ん?」
きょとんとするササに、少し思いつめたような表情で問うオルーカ。
「ササさんと一緒に材料を集めてる最中…メイさんって方と会ったのを覚えてますか?」
「メイ…?」
「材料になる花を持っていた方です」
「ああ、レナトの花か。覚えてるぜ」
ササは頷いて言い、それから不快そうに眉を寄せた。
「いきなり戦い仕掛けてきてさ。乱暴な奴だったなー」
乱暴な奴、という言葉に苦笑してから、オルーカはさらに続ける。
「そのメイさん、カイさんのお知り合いみたいなんです」
「あんな乱暴な奴と友達!?」
驚いて声を上げるササ。
オルーカは首をかしげた。
「友達…っていう括りで合ってるのかどうか分かりませんけど、まあ、ただならぬ仲…なのかなぁ。
一言では表現できない関係…。私が勝手に思ってるだけですけど」
「ふーん…」
「ササさんはどう思いました?」
「オレ?カイのこと?メイって奴のこと?」
「メイさんです」
「んー……」
ササは改めて当時のことを思い起こしながら、難しい表情をした。
「一回しか会ってねえけど…そりゃー、危ない奴だと思ったよ。
だっていきなり殴りかかってきたんだぜ?有り得ねーだろ、ふつー。
オレは乱暴する奴とムヤミに危険なことする奴は嫌いなんだ」
きっぱりと言うササに、苦笑するオルーカ。
「そうですね。ちょっと喧嘩っ早い方ではありました」
「ちょっとかあ?まあオルーカは冒険者みたいなこともしてるみたいだからああいうの日常茶飯事かもしれないけど…
オレはあんまりなあ。いい印象持たなかったぜ」
「確かにやり方は乱暴でした」
「でも、それがどうした?」
「…どうしたってわけじゃないんですけど…」
そう言って、再び表情を曇らせて。
「メイさんのこと、新年祭以来引っかかっていたというか、気になっていて。
それで今回カイさんがメイさんのお知り合いだということなので、お話を聞こうと思ったら、何やら込み入っていて…私もどう聞いたらいいのか分からなくて。
それでササさんに、第三者の意見を聞きたかったんです」
「うーん」
自分でも気持ちがまとまっていない様子のオルーカに、よくわからなそうに首を傾げるササ。
「オルーカはメイとカイを仲直りさせたいのか?」
「いえ…別にケンカしてるわけではないと思うのです」
「じゃ、メイって奴をどうにかしてやりたい?」
「…よく、分かりません」
「カイを助けたい?」
「助けたい…ともちょっと違うような。でもお力になれたら、と」
やはり気持ちが定まらない様子で答えるオルーカ。
ササはそれを聞いて、あっさりと言った。
「んじゃカイにそれ言えばいーじゃん」
「…そんな簡単なことでしょうか」
不安そうに言うオルーカに、やはりあっさりと頷いて。
「いいんじゃね?メイと違って、カイは今そっちでベッドに寝てるんだ。
だったらとりあえず言いたいこと言って、聞きたいこと聞いてさ」
先ほどと同じく、単純明快なアドバイスだ。
ササは少し気まずげに頭を掻いて、続けた。
「ま…回復魔法云々とはちょっと違うけどさ。
自分のことで悩むのは簡単だけど、人のことで悩むのは難しいもんだ」
「あ、それ、真理ですね。
でも、悩んでぶつからないと…いつまでたってもそのまま…」
「そうそう」
話しながら、ササはようやく薬の調合を終えたらしかった。
「ほら、薬調合し終わったからさ」
ビンに入った琥珀色の液体をオルーカに渡すと、説明を始める。
「……っていう手順で塗ればいいから。
時間もかかるし、薬塗りながらでも話してみれば?」
オルーカは嬉しそうに微笑んで、それを受け取った。
「はい。ありがとうございます、ササさん」
「どういたしまして。
んじゃ、オレはとりあえず戻るから、あとよろしくな。
キッチンにあるのとか、適当に使っていいから。オルーカもなんか腹に入れとけよ」
「あ、はい……そういえば忘れてました。お言葉に甘えます」
「じゃな」
「はい、ササさんもお気をつけて」
オルーカに見送られ、ササは研究室を後にした。

「カイさん…?ササさんがお薬を作ってくれました。 起きられますか?」
こつ。
そっと開けたドアを控えめにノックすると、カイは起きていたようでよろりと身を起こした。
「ん、大丈夫。薬?」
「塗り薬がほとんどですね。あと痛み止めと湿布です。大丈夫ですか?手が届かないところは塗りますよ」
「そうだね、ありがとう。お願いできるかな。ササはどうしたの?」
「ササさんは寮に帰られました。お言葉に甘えて今日はここに泊まらせていただきしょう」
「そうだね、そうさせてもらおうか」
体を起こしたカイが体勢を直してベッドに腰掛けると、オルーカは持っていたトレーをサイドテーブルに置いた。
「簡単ですけど、食事、用意しました。パンとスープ。コーヒーはここのをササさんから頂いたので。お薬は水で飲んでください、だそうです」
「うん、ありがと」
「先に、塗り薬を塗っちゃいますね。その間に、パンでも食べていてください」
「わかった」
カイがもそもそとパンを食べる横で、手早く薬を塗っていくオルーカ。
丁寧に包帯を巻き終えて、オルーカ自身も食事を取った。
怪我のダメージからか、疲れからか、2人とも無言で食事を勧めていく。
静かな部屋に食器と咀嚼の音が響く中、おもむろにオルーカが話し出した。
「…新年祭で、メイさんに会ったって言ったじゃないですか」
メイの名前が出たことに、カイはまた微妙に表情を曇らせる。
オルーカは構わず話を進めた。
「あの時…先ほどのササさんもいたんですけど、ササさんったら、メイさんのこと『乱暴な奴!』ですって。
かなり怒ってられました…」
「はは、実際あの人はかなり乱暴だからね。普通はそう思うよ」
苦笑して言うカイ。
今度は逆にオルーカが表情を曇らせた。
「でも分からなくないっていうか、そうなんですよね…。
ミケさんとも話したんですけど…メイさんのやり方、信念はあっても、個人的に賛成できることをやってるとは思えない。
一度お会いしただけですが、このままにしておけないっていうか…」
しばし、沈黙して考えてから、どこか思いつめたような表情でカイの方を向く。
「…カイさんは、メイさんのこと、どう思ってるんですか?」
「………」
カイはしばし黙ったまま、複雑そうな表情で虚空を見つめていた。
やがて、おもむろに口を開く。
「……メイは、さ」
何かを思い出しているのか、どこか遠くを見るような目で。
「あたしが生まれた山のふもと…リュウアンの、チンロンっていう街のはずれ に住んでたんだ」
「……」
オルーカは無言でカイの話に聞き入っている。
カイは続けた。
「あたしは小さい頃から割と冒険心が強くてさ。よくふもとに降りていって、色々遊んだりしてるときにメイと出会って…で、色々教えてもらうようになって」
そこで、ふっと表情を和らげて。
「楽しかったよ。体動かすのは好きだったし、鍛錬して強くなっていくのも気持ちよかった。
メイは…多分オルーカが会ったメイは、すごく穏やかで礼儀正しい感じだったと思うけど、本当はあたしよりずっと気が荒くて、乱暴な人で…
それでも、あたしはメイのことが好きだったよ。あの人の言ってることは乱暴だし極論なんだけど、間違ったことは言ってなかった。
今思えば、それがメイにとって致命的だったんだろうけどね…」
「致命的…?」
言葉の意味が判らずに、首を傾げてつぶやくオルーカ。
カイはオルーカのほうを見て、言った。
「メイはね、幽霊を見る力があるんだよ。幽霊とか、ひとのオーラって言うの?そういうのを感じ取る力がある」
「へえ…それは…」
珍しい力ですね、と小さく続けるオルーカ。
「で、また、そういうのを隠したりごまかしたり、そういう器用なことが出来る人じゃなかったんだ。
見えるものを素直に見えると言って、悪いものを素直に悪いと言ったことで、辛い目にもいっぱいあったみたい」
「……」
「だから、街のはずれにある家に一人で住んでた。街の人たちとも極力係わり合いにならないように、必要最低限でしか街に行かなかったりね」
そこで、カイは再び表情を曇らせる。
「でもある日、街で幽霊騒ぎが起こったんだ。
街の中でたくさんの人が、幽霊を見たって騒ぎ始めた。
そんなこと初めてだったし、街は大騒ぎだったよ。幽霊の住む呪われた街だって、引っ越す人もいた」
そこまで言って、辛そうに目を閉じて。
「そんな中で……この幽霊騒ぎは、メイが起こしたんじゃないかって言う人が出てきたんだよ」
「…!?」
カイの言葉に、オルーカは目を見開いた。
「な…どうしてそんなことに……」
「街の人に追い出された幽霊娘が、仕返しのために幽霊を使ってこの街を呪い殺そうとしている、って」
「そんな…!」
「普通に考えれば馬鹿らしい話だけど、メイが街の人たちと係わり合いにならないようにしてたことが余計にまずかったんだね。あの人をかばう人は誰もいなくて、この話はあっという間に街中に広まった。
そして、街の人が総出で、メイを『退治』に乗り出したんだよ」
「…なんてことを…」
呆然と言葉を漏らすオルーカ。
カイは搾り出すように言葉を続けた。
「いくらメイが強いって言っても、今のあの人とは違う、特別な力は何も持ってない普通の女性でしょ。
街中の人たちが押しかけてきて、対抗することなんて出来なかった。
あたしだって、いくらレッドドラゴンでも、まだほんのちっちゃい子供だったし、何も出来なかったんだよ。
大勢の人がよってたかって、メイを……」
そこで、耐え切れないというように言葉を詰まらせる。
オルーカは胸元でぎゅっと手を握り、痛ましげにカイを見やった。
「……気づいたら、メイは家にはいなくなってて、メイの家はめちゃめちゃになってて…街の人ももう帰ってて…
…あたしは…ずっとメイは死んだと思ってた。人間の世界に出来た、初めての、大事な友達なのに…守れなかった、って。
だから、強くなりたかった。大事なもの、何があっても守れるくらい…強くなりたかったんだよ」
「そう…だったんですね」
カイが思いつめたように『強くなりたい』と言っていた理由。
それにこんな事情があったとは、と、驚くと同時に納得するオルーカ。
だが、カイの話はそれで終わらなかった。
「でも、メイは死んでなかった。オルーカも知ってるかな、チャカ…っていう、魔族に拾われて。不老の体と、力を与えられて、今はその魔族の下で動いてる」
「チャカさんですか。名前だけは聞いたことあります」
くだんの新年祭で、ミケから名前だけは聞いていた。
だが。
「魔族…そんな方がメイさんを…?」
どうにも、魔族というイメージと瀕死の女性を助けたという行為が結びつかない。まあ魔族にも色々いるのかもしれないが。
その言葉に、カイはふっと嘆息した。
「……そうだね、死にかけたところをチャカに拾ってもらった、命の恩人…魔族が何で、って、信じられないほど良い話。でもね」
そこで、視線を横に逸らして、皮肉げに笑って。
「その幽霊騒ぎ…幻術のようなものを使って街を混乱させていたのは、他でもないそのチャカだったんだよ」
「え………?」
さらに意外な言葉が飛び出して、オルーカはきょとんとした。
「どういう…ことですか?」
「そのまんまの意味だよ。チャカは自分で幽霊騒ぎを起こして、街の人を煽り立て、メイに私刑をするように扇動した。そして、傷ついたメイをその手で助けたんだ」
「え……え…?」
「変な話だよね。自分がボコボコにされた原因を作った張本人に助けられて、しかもその人に心酔して手下になって動いてるなんてさ」
「ま、待って下さい、チャカさんの行為の目的はともかくとして、メイさんはチャカさんが元凶だって知っているんですか?」
「もちろん、メイは全部知ってるよ。助けてもらった時に全部言われたって。それで反応を楽しみたかったんでしょ。魔族だもんね」
「……そんな……どうして……」
あっさりと言うカイに、呆然とそれだけつぶやくオルーカ。
カイは諦めたような表情で、天井を見上げた。
「なんていうのかなぁ…何で自分がこんな目に、元凶が憎い、とかじゃなくてさ。その出来事はきっかけに過ぎなくて、メイはもうずっと前から、人間に絶望してたんだね。
自分と違うこと、自分の知らないもの、自分に無い能力を持つものを、認めない、疎んで追い出す、叩き潰すことに何の抵抗も無い…むしろ正義だと思える、人間っていうものに……絶望してたんだよ。
チャカは…それをはっきり気づかせてくれた存在だって思ってるんじゃないかな」
(…確かに心酔してるかんじでした…そんな理由だったなんて…)
改めて新年祭の時のメイの様子を思い出す。
カイは改めてオルーカのほうを向いた。
「ね、昼間聞いたよね。
周りから自分が孤立してる時、どうするのが正しいと思うか、って。
自分を殺して、正直な気持ちを隠して、周りに合わせるか。孤立しても構わないから、自分に正直に生きるか。
メイは、自分を殺して周りに合わせられるような、器用な人じゃなかった。
でも、孤立して自分に正直に生きていたら、ああいう目に遭ったんだよ」
真剣な表情で。
ゆっくりと、オルーカに問う。
「オルーカは…どっちが、正しいと思う?」
そして、僅かに辛そうに眉を寄せて。
「正しいことが出来ないのは……悪いこと、なのかな」
「カイさん……」
オルーカはカイの言葉にしばらく思いをめぐらせ、やがてそっと顔を伏せた。
「正しさ、ですか…
…どちらが正しいとか、正しくないとかじゃないと思います」
スープに映った自分の顔を見る。
「どんなやり方でも、その人が、他の人の幸せを脅かすことなく、幸せでいられるなら、それが第一だと、私は思います…
でもだから…その、チャカさん、ですよね。彼女の元でただ幸せに暮らしているならともかく…
チャカさんの手引きで、他の人を困らせたり、暴力をふるったりするなら…私はそれを止めたいです。
それは正しい・正しくない、じゃなく、私は『ダメ』だって、『イヤ』だって思うからです」
顔を上げて、カイを見て。
「それをするなら、私はメイさんを止めたいです。
メイさんが真っ直ぐそれに向かっているなら、尚更。
そのためなら、多少荒っぽいことになっても、私は戦います」
きっぱりと言って、さらにカイに問うた。
「カイさんは、メイさんが不器用だから、今やってることは、仕方ないと思ってるんですか?」
「そういうことじゃないよ」
こちらもきっぱりと返すカイ。
「あたしが『正しい』って言ったのは、『自分を殺して、周りに合わせる』っていうこと。
そういうことが出来ない人間は、『ダメ』なのか、って言ったの。
今メイがやってることは、とりあえず置いといて」
冷静な様子で、言葉を続けていく。
「だって、メイだって、おとなしく静かに暮らしてたんだよ。街の人たちに迷惑なんてかけなかった。
なのにメイは街の人たちに、『暴力を振るわれた』。『平穏を乱された』。それは『しょうがないこと』なの?
得体が知れなくて、怖くて、自分達の暮らしが脅かされてると思ったら、真実を確かめることもしないで、よってたかって他人の暮らしと命をぶち壊すようなことをする、それは『しょうがないこと』なの?」
始めは冷静だった言葉も、徐々に激しい口調になっていって。
「それは、今メイがやってることと、何が違うの?
メイがやってることは『許されないこと』で、メイをめちゃくちゃにした人たちがやったことは『仕方のないこと』なの?」
そこで言葉を切って、低く言う。
「……同じなんだよ、あたしたちは。
メイの行動に迷いが無いのは……メイが、よく……すごく、よく、そのことを知ってるから」
「………」
オルーカはしばし黙って考えた。
「確かに、メイさんを傷つけた人たちがやったことは『仕方ないこと』でもなんでもありません。『ダメなこと』です。
メイさんを傷つけた人達は、断罪されてしかるべきでしょう。
その人達は今…?」
「とっくに、死んでるよ。寿命で、ね。
もう、そうだな…100年以上前の話なんだ」
「そうですか…」
カイが苦笑して言うが、予想していた答えだったのかそのまま頷いて続ける。
「その人たちに罪を償わせられないとかじゃなくて…、なんていうんでしょう、それを盾に、自分も同じことを、他の人にしていいんでしょうか。
そうされることのつらさを知っているなら、そうされる人が増えるようなことはしないべきでは?
過去に自分が同じ目にあったから、他の人にもやっていい、というのは、やはりおかしいですよ」
自分でも、どこに結論を持っていきたいのかわからない、という様子で混乱しながら。
「……自分が過去にされたから、そのことを他の人にもする、それも弱さ故の仕方ない行為だというなら…」
「そうだね、普通の人はそう思うだろうね」
オルーカの言葉を遮って苦笑するカイ。
「でもそれはやっぱり、オルーカが『自分を殺して、周りに合わせていくべき』だって、『それが出来ないのはおかしい』って、考えてるからだと思うよ。
『悲しいことがあったら、周りに当り散らすんじゃなくて、それが二度と起こらないように努力すべき』ってさ。
じゃあそれは何のため?
何で、辛い目に遭った人が、その辛い思いを飲み込んで、一方的に我慢して、自分以外の人に害が及ばないように気を配ってやんなきゃなんないの?」
「カイさん…」
痛ましげにカイを見やるオルーカに、カイはもう一度苦笑した。
「はは、そんな顔しないでよ。別にあたしがそう思ってるわけじゃない。言い方が悪かったかな」
んー、と少し考えて、もう一度、オルーカのほうを見てゆっくりと言う。
「あたしが言いたいのは…そうすることで、『メイにいったい何の得があるの?』ってこと」
「得………って……」
「情のない言葉だと思うだろうけど、けど結局そうでしょ。ひとって、自分の得にならないことはしないよね。
自分の思いを我慢して、人のために何かをするのは、めぐりめぐってそれが自分のためにもなるからなんでしょ。
普通の人はそう考える。普通の、『自分を殺して周りに合わせて生きていける人』はね」
そこまで言って、首を振って。
「でも、メイはそうじゃない。
メイにとって、『周りからもたらされる何か』っていうのは、自分を犠牲にしてまでの価値なんて無いんだよ」
理解してもらえるかどうか不安だ、というように、言葉を重ねていく。
「…わかるかな。
メイは人間に絶望したって言ったでしょ。
メイはもう人間に、『何も期待してない』んだよ」
その表情には、先ほどまでの悲痛さはない。
ただ淡々と、事実だけを述べるようにゆっくりと話していく。
「周りのことを気にせずに好きにする代わりに、周りから何かしてもらうことに期待もしない。自分が好きに振舞うことで起こった代償は当然のこととして受ける、ただそれだけ。
だからきっと、原因となったチャカに、そうと知りながら仕えているように 、自分のことをボロボロにした街の人たちを、恨んだりはしてないと思うよ」
当然のこと、というようにあっさりと。
「悲しいから、憎いから、メイは人間を傷つけてるんじゃない。
『自分が自分らしく生きるために』、遠慮することをやめたんだ。
街の人たちが、『自分たちが生きていくために』、メイを排除したようにね。
だからむしろメイは、あの時の街の人たちの行動を、賞賛してると思う。
メイは自分らしく生きようとしただけ。街の人たちもそう。
ただあの時は、メイに力が足りなかったから、パワーゲームに負けた。
じゃあ今度は負けないように力をつければいい。それだけのことだって思ってる」
そこで、ふっと表情を崩して。
「メイと会って、戦ったんだよね?
そういうようなことを言ってなかった?」
オルーカはこくりと頷いた。
「…そうですね。
自分にはこれしかない、とか…その方法しか知らない、とか」
「言葉を交わして分かり合えるような頭脳も器用さも、自分には無い。
だけど、力のせめぎあいならすごく簡単に結果を出せる。自分にはそれしか出来ない、って。
たぶん、それがメイのすべてなんだよ」
「………」
「だから、オルーカがさっきみたいなこと言って『止めたい』って言っても。
それがオルーカの生き方で、メイの生き方とぶつかるなら、戦って白黒つければいい。メイはきっとそうとしか言わない。
オルーカも、最終的にはそうでしょ?
さっきの『止めたい』っていうのは、言って判らないなら力ずくで、っていうことなんでしょ?
オルーカがオルーカとして生きていくために、メイの生き方が受け入れられないから、それを排除する、っていうことでしょ?」
言葉に責めるような響きは感じられない。淡々と、当然のことを述べるような口調で。
「だから、同じだ、って言ったんだよ。あたしたちは、みんな、同じなんだ」
オルーカはカイの言葉を真剣な表情で聞き、それから少し困ったように苦笑した。
「ええ、同じですね。私たち、言って分からないなら力ずくでって、乱暴な人種なのかもしれません。それは否定しませんよ」
それから、ふ、と気が抜けたように息を吐いて。
「なんだか…今、カイさんの話を聞いていたら、話はもっとずっとシンプルなのかなって思いました。
メイさんは、過去にあったことは、きっかけだったかもしれないけど、今はもう、チャカさんの元で好きなように生きている。そうなんですね。
やりたいように、自分らしく生きようとしてるんですね…」
言ってから、緩やかにカイに微笑みかける。
「…だったら私も、自分らしく生きます。それは先ほども言った通りです。メイさんに自分らしさをぶつけるだけです。
私が『ヤダ』と思うことをするなら、止めます。乱暴なことになっても、傷つけることになっても。
…それが自分らしいやり方だと思うからです」
オルーカの言葉に、カイもすがすがしげに笑って、それから苦笑した。
「いろいろ言って、ごめんね。
でもあたしは、『メイが悪いから』退治する、って考え方、好きじゃないんだ」
慌てて首を振るオルーカ。
「悪いから退治する、とは一言も言ってませんよ。
ただ、私のやり方と違う、ということです」
「そう?じゃあそういう風に聞こえたのはあたしの思い込みかもね」
カイはあっさりと流して、それから遠い目をした。
「でも、そうなりがちでしょ。それは、相手がメイじゃなくてもさ。
自分が生きてくために、それを脅かす存在を排除する、それは生きていくための当然の行動でしょ?
でも、その『脅かす存在』にだって、人格があって、人生があって、自分を脅かす行動も、相手が『生きていくための当然の行動』なんだ。
みんな、生きていくために必死なんだよ。自分が自分らしくあるために、必死で生きてる。
それがぶつかり合ってどうにもならないなら、戦って自分の命を勝ち取るしかない。それは、自然の摂理だよね」
僅かに眉を寄せて。
「でも、人間はそれに理由をつける。
『あいつは悪いから』『殺されて当然の奴だから』『自分は正しいことをしてるんだから』。
自分の立場で勝手に評価して、自分が相手を踏みにじったことを正当化して、ひとつの存在を強制的に終わらせて…殺してしまったことから目を逸らす。
自分が相手と同じことをしてるんだなんて、思いもせずにね」
目を閉じて、嘆息する。
「戦って自分の命を勝ち取る、動物と一緒だよ。
だから、動物たちがそうであるように、あたしたちも、戦った全ての存在の一生を踏みつけにしてることから目を逸らさずに、それを背負って生きてかなきゃいけないんだ。
メイが、メイであるために、あたしの大事な人を傷つけるなら、あたしも、あたしであるために、それに全力で抗う。
どっちが正しいとか、ないんだよ」
そこまで言って、再び目を開け、カイににこりと微笑みかけた。
「こんだけ反論しといてなんだけど、あたしもオルーカと一緒だよ。
メイがあたしと対立するなら、何度だって戦うし、メイのやろうとしてることは 止める。ただそれだけ」
「カイさん…そうですね、はい」
同じように微笑み返すオルーカ。
だがカイはそこで、再び表情を曇らせて俯いた。
「……でもさ」
再び虚空を睨んで、真剣な表情で言う。
「…あたしたちは、動物じゃないんだよ。
話し合えば、戦わなくてもお互いに共存できる道を作れるはずなんだ。だって現にメイは、あのことが起きるまでは、街の人たちから離れて、何も迷惑かけずに暮らしていたんだから。
……だけど、もう、どうにもならない。メイはもう人間を諦めちゃった。戦う以外での意思の疎通を諦めちゃったんだよ」
悲しそうに微笑んで。
「…辛いよね。大好きなのに、もうわかりあうことが出来ないっていうのはさ」
「カイさん……」
かける言葉を見つけられずに、オルーカはただ痛ましげにカイを見やった。
カイは祈るように手を組んで、俯いた額にひたりとつける。
「……強くなりたい。
誰も傷つけないように、誰も悲しまないように出来るくらい、強くなりたいよ」
「………」
その姿が、とても痛々しくて。
オルーカはそっと、カイの肩に手を置いた。
「そんなこといわずに、カイさん。
そう思っているなら、頑張りましょうよ。ね」
先ほどササに言われた励ましの言葉を、心を込めてかけて。
「『もう分かり合うことができない』なんて決め付けないで。諦めてしまったら、もうそこから絶対に先へは進めません」
「…オルーカ……」
ゆっくりと顔を上げてオルーカを見るカイ。
オルーカは柔らかく微笑んで、続けた。
「カイさんもメイさんもまだ生きて、お互い言葉をかわすことができるじゃないですか。戦うことができるじゃないですか。
相手が死んでしまっていたら、本当にどうしようもないですけど…
まだ私たち生きてます。なら、また大切にし合うことだって、不可能ではないですよ…」
ぷ。
オルーカの言葉に、カイは苦笑してふき出した。
「はは、ダメじゃん、戦うこと前提じゃん」
「まあそうですけど、そういった形の相互理解もあると思いません?」
「はは、そうだね、だんだんアリなんじゃないかとも思ってるよ」
苦笑したまま言って、頭を掻いて。
「拳で語る、っていうの?あたしも、考えるのはあまり得意じゃないからさ。
まぁ、殺し合いはちょっと勘弁だけど」
「そうですね、それはちょっと…私も遠慮したいです」
オルーカも少し笑って、それから真剣な表情を作る。
「私の考えは、楽観的すぎるのかもしれませんけど…でも浅慮でも、底が浅くても、メイさんを諦めたくないですよ…
そのためには私も、強くなりたいです」
「そうだね、諦めたくないよ、あたしも」
カイもそれに、真剣な表情で頷いた。
「だから、逃げるつもりは無い。拳を合わせるのが、ちょっと辛くても、ね」
「カイさん……」
オルーカはその言葉に、嬉しそうに相貌を崩した。
「…というか、カイさんは今でも十分、メイさんを分かってあげてると思いますよ。
傍にいることはなくても、メイさんのことをとてもよく考えていらっしゃいます。
きっとメイさんも、それは分かっているんじゃないですかね…」
「はは、そうだと思うよ。うぬぼれかもしれないけど、あたしがメイのことよくわかっているように、メイもあたしのことよくわかってると思う。
ま、だからこそ、お互い退く気がないってのもわかっちゃうんだけどね……」
複雑そうに視線を逸らしてから、カイはもう一度オルーカに微笑みかける。
「でも、喋ってちょっとすっきりしたよ。ありがとね、オルーカ」
「どうしたしまして。私なんかで話してすっきりするなら」
言葉通り、すっきりした表情のカイに笑顔でそう言ってから、オルーカも視線を遠くにやった。

新年祭で一度会ったきりの、まっすぐな目をした少女に思いを馳せる。
次にどんな形で会うのかはわからない。話し合いにならずに戦いになるかもしれない。そもそももう出会うこともないかも判らない。

けれど、オルーカはもう一度、彼女に会えたらいいと、そう強く思うのだった。

§4-Chiaki Kazuhi:Magic Items for…

「そろそろ日が傾いてくるが……一応確認はしておくが、特に街には戻らないで野営して朝を待つ、でいいな?」
千秋は木々の隙間から見える空がだんだんと暗くなってくるのを見やりながら、傍らのライにそう確認した。
「そうだな」
あっさりと頷くライ。
「せっかく野営の準備してきてるんだし、この辺でテキトーに休もうぜ」
「ああ。どうせ街に帰っても、明日はどうせまた外の方に出てくるんだ。野営のほうが面倒がなくていい。慣れているしな」
千秋は言って、辺りをきょろきょろ見回した。
「よし、じゃあ薪を拾いながら適当な原っぱを探してキャンプするとしようか。場所だけは明るいうちに確保しておいた方がいい」
「そっか。じゃ、オレあっちの方探してくるから。ついでになんか食えそうなもんあったら取ってくるよ」
「む、食べ物か。俺は保存食で済まそうとも思っていたが、流石にそれだとさもしいか……。一番いい獲物を頼む」
「はは、あればな。ま、期待しないで待ってろよ」
「うむ。火起こしは………そうか、ライがいるならそういうのを考えなくていいのか。こういうときに魔法が使えると便利でいいな」
「そっかー?なきゃないでどうにかなるもんだけどな。んじゃ、行ってくるわ」
「ああ、気をつけてな」
淡白にそう言い合って、二人はそれぞれに森の中へ散った。

「まさかイノシシにありつけるとはな……さすがだな」
焚き火の前でこんがりと焼かれている肉を見ながら、しみじみと千秋が言う。
「はは、まあ運が良かったな。もうちょっと焼かねーと脂が多くてくどいから、待ってろ」
「ああ」
「さすがに2人で1頭は食べきれねーから、適当に処理して干し肉にでもして持って帰るか。
火の魔法を調節すれば、明日には上手いことできてるだろうし」
「そんなことも出来るのか」
「あー、まあオレはエレメントが火だし、他の属性よか多少出来ることが多いんだよ。
せっかく持って生まれた力だしな、有効に使わねーと」
「なるほどな……」
千秋は感心したようにライの方を向いた。
「ひとつ聞きたいんだが、魔法が使えるってどういう感じなんだ?」
「は?」
突拍子もない事を聞かれて眉を寄せるライ。
「いや、俺には使えないものだからな。どういうものなのか聞いてみたい」
「どういう感じって言われてもな…どう答えろってのよ」
真面目な様子で聞いてくる千秋に、ライは困ったように首をかしげた。
「あんた確か霧になれるとか言ってなかったか?そういうのってどういう感じよ、って言われて答えられるか?」
「ああ、まあ俺もそれっぽいのは使えるが、どうも厳密な定義だと魔法じゃないらしくてな」
「あのエルフの教官も言ってたな」
頷くライ。
「魔法とか魔法じゃないっつか、要するに魔術師ギルドが定義して研究してる技術じゃないってことだろ。
研究が進んでて、どういう風に使えばどういう現象が起こるかっていう理論も確立されてりゃ、ぶつかった時や組み合わせたときに何が起こるかある程度予測できる。
だが、ナノクニに限った話じゃねーけど、要するに地域限定っての?その地方だけで語り継がれてきたような狭い技術は、当然口伝やマンツーマンの伝承になるから、理論が確立されてねーわけよ。だから、予測ができねーって話。
物理とは違う何かを操って、妙な現象を起こす力って点では、ギルドが言ってる『魔法』も『魔術』も、大して変わらねーと思うけどな、俺は」
「…そうなのか。難しいことはよく判らんが…まあ確かに、感覚のことを口で説明するのは難しいな」
千秋は頷いて、続けた。
「俺はちゃんとした人間に魔法を習ったわけでもない。学校に行ったことが無くて、そういうところで勉強をするというのはイメージが湧かないんだ」
「そうなのか。ナノクニって学校ねーの?いや、ゼゾにもねーけどよ」
「いや、勉強とかは寺の……まあ、神殿みたいなとこで最低限の読み書き計算は習ったが、専門の場所っていうわけじゃなかったしな」
「ふーん。フェアルーフみたいに義務化されてるわけじゃねーんだな」
「そうだな、ナノクニは地域差が激しいから、学校が普及しているところもあれば、家ごとに閉鎖的な教育をしている地域もある。俺の住んでいたところは後者だったということだ」
「そうか。まあ、オレも初めてフェアルーフに来て、学校に来たときは驚いたけどな」
「よければどういう所なのか教えてくれないか」
「どういう、って、どこから言やいいんだよ?」
やはり困ったように頭を掻くライ。
「魔法を勉強したいヤツが集まって、2~30人くらいでひとつの部屋で先生の説明を聞く。
魔法にも分野が色々あるだろ?大まかなコースみたいなのがあって、自分が勉強したいと思う授業に行く感じだな。
だいたい四半刻くらいの授業が1日5回くらいある。
授業と授業の間の休みには庭に出てダベったり、休憩室とかもあるぜ。
昼は食堂もあるし、外に出て買って食ってもいい。
オレみたいにヴィーダの外から来たヤツ向けに、寮なんかもあるんだよ。一応男子寮女子寮って別れてて、2人一部屋で暮らしてる」
こんなんでいいのか?というように、千秋の様子を伺いながら説明して。
千秋は納得したように頷いた。
「そうか……こっちの方は環境が整っているんだな。そういうのは少しうらやましい」
「まあ、オレも最初は驚いたからなー」
「俺は生まれが武の家でな」
千秋はライから少し視線をずらし、遠くを見るようにして語り始めた。
「問で身を起こすより腕と体を鍛えろと言われ続けて来たものだ。
人並みの生活ができる程度には教わることはできたが、あんまり難しいのはダメだな。頭がこんがらがってくる」
「ははっ、じゃああんま魔法の勉強には向いてねーかもな」
軽く笑うライに、こちらも緩く微笑んで。
「そうかもしれんな。だが……」
再び遠い目で続ける。
「腕っぷしで家を興そうにも、俺が濡れ衣で追放されたものだから、その方向で家を盛り立てるのがダメになってしまって……」
「は?」
ライは千秋の言葉に眉を寄せた。
「それって、昼間言ってたやつか?」
「ああ、それだ」
「濡れ衣もひでーけど、何でそれで家がダメになんだよ?千秋と家は関係なくね?」
「ん? 俺の所だと代々の職業を継いでいくのが自然、みたいな感じでな。ゆくゆくは家をついで行く長男がそういうことになると、色々と外聞が悪くなってしまうものらしい」
「ふーん。理解できねーわー」
心底そう思っている様子で、ライ。
千秋は苦笑した。
「冤罪は晴れたとはいえ、ナノクニの家族に色々と不自由をさせてしまったのはちょっとした後悔だな」
「家族がどうとかってのは、オレにはわかんねーけどよ……」
「ま、濡れ衣なんていうのがあったから、弟をこっちによこして勉強させようとしたのかも知れん」
「ああ、確かカイとどうこう、とか言ってたな」
開会式でカイと話していたことを思い出して、頷くライ。
「ちょっとしかいなかったんだろ?オレ会ったことねーし」
「ああ、親父が倒れたせいでこっちには1年しか居られなかったようだが…… まあ、出来はともかくとしてそういう空気を吸えたのはあいつにとってもよかったんだろう」
「そっか。ま、勉強なんていつでも出来るんだし、楽しかったんならまたやりゃいいだけの話だろ。
ナノクニからなら、むしろマヒンダの方が近えんだしよ」
「そうだな。といっても弟も最近は剣や魔法よりもそろばんの計算の方が気になるらしいが」
「ははっ、ティオみてー」
言って楽しそうに笑うライ。ティオというのは開会式のときに会った学友のことだろうか。
千秋はそちらには深くつっこまずに、さらに話を続けた。
「……勉強といえば、フェアルーフでは魔道具作成は教えられているのだろうか?」
「魔道具?マジックアイテムのことか?」
「ああ。まあ、ちょっと因縁があってな。少し興味がある」
「ふーん」
ライは少し千秋の方を見てから、答える。
「さっきの、ナノクニ出身の教官、いたろ。アリタ先生。あの人が担当だよ」
「ああ、先ほどのマジックトリュフ探しの担当教官か」
先ほどスーパー童顔教官を思い返して頷く千秋。
「同郷の人間が担当とは、なかなか縁があるようだ」
「だな。同じナノクニ同士で話も合うんじゃねえ?
千秋も来てみればいいじゃんよ、うちの学校」
「入学かー……それもいいかも知れんな」
軽い調子で勧めるライに、意外に乗り気な様子で返事をする。
「探し物が見つからないときは、自分で作ってしまうというのも一つの方法か……」
「探し物?」
きょとんとしてライが問うと、そちらの方を向いて。
「ああ、まあ、最近旅に目的が出来てな。負の衝動を鎮められるマジックアイテムと、それを創れる人間を探している」
「負の衝動?」
「破壊や殺傷の衝動、だな。壊したり殺したりしたいという衝動のことだ」
「ああ、なるほど。またなんでンなもん探してんだ?」
「ナノクニで知り合った奴が居るんだが、こいつの家がちょっと難儀でな」
ふむ、と唸って、千秋は表情を引き締めた。
「大きな力を得る代わりに、ちょっと気を抜くとすぐ破壊衝動に駆られる……まあ呪いみたいなのを背負わされてると言っていいか」
「そうなのか。そりゃ厄介だな」
頷きながら相槌を打つライ。
千秋は続けた。
「で、そいつは今、結婚するかしないかで揺れてるんだが……一番大きな障害がこれでな。
生まれついたものだから解呪なんてできやしないし、子孫代々伝わっていくものだから子供にそういうのを背負わせるのも辛い、となかなか踏ん切りがつかないらしい」
「そうだろうなあ。大変だな」
「ただ、そいつ自身は小さい頃に出会った賢者に衝動を抑える術を施してもらったから、無茶をしなければ普通に暮らす分には平気と言っていたのを思い出してな」
「ん?じゃあ、生まれてきた子供にもその術かけてもらえば良いんじゃね?」
ライが軽く言うと、千秋は眉を寄せて首を振った。
「…いや。もうその賢者は亡くなっているらしいのだ」
「そっか……そりゃ残念だな」
がっかりした様子で眉を下げるライ。
千秋は沈痛な面持ちで頷いた。
「結局、そういうことなのだ。術をかけてもらうにしても、術者が絶えないという保障はない。ならば、血を残すことそのものが罪悪なのではないか、とな。
表に出してそんなことを言う奴ではないが、そう思っていることくらいは判る」
そして、顔を上げて改めてライを見て。
「そこで、魔道具だ」
「なるほど」
ライも頷いて同意する。
「つけていれば衝動を抑えられるようなマジックアイテムと、その製造技術ががありゃ、半永久的に力を抑えられる。子孫を残しても大丈夫、ってことだな」
「ああ。奴もずっとそういう道具を探していてな、今ではすっかりいっぱしの魔道具コレクターだ」
どちらがついでなのやら、と千秋は嘆息して、続けた。
「もし他に似たような物を見つけることが出来れば心を決めれると聞いたので、まあ、世界は狭くて広いから探していれば旅の最中に出会うこともあるだろう」
「かもな」
「だが、見つからないならいっそ自分で創るというのはいいアイディアだな。ちょっと考えさせてもらおう」
「いいじゃん、やってみれば。なんか、体験入学みたいなのあると良いよな。ちょっと先生とかに提案してみる」
「そうか、そうしてくれるとありがたい」
少し嬉しそうに身を乗り出す千秋。
ライはそちらにひとつ頷いてから、改めて不思議そうに首をかしげた。
「でもさ。なんでオマエ、んなことしてやってんの?」
「なに?」
「いや、自分の呪いとかだったら世界中探し回るのアリだと思うけどよ、何で他人のためにそこまでしてやるわけ?
つか、そいつがやりゃ良いじゃん?そんなに大事なダチなのか?」
「それは……」
言いにくそうに視線をはずす千秋。
「なんだよ」
「あー………」
「なんだよ、ヤバい話なのか?」
眉を寄せるライに、千秋は観念したように目を閉じた。

「……プロポーズしてるのが俺だからだよ、言わせんな恥ずかしい」

「はああああああぁぁぁ?!」
静かな森にライの絶叫がこだました。
「おい、うるさいぞ!」
「るせー!なんだそれ!え、つか、今話してた『奴』って、女?しかもオマエのカノジョ?!」
ライは心底驚いたという様子で、大声で叫ぶように言う。
千秋の頬がかすかに紅潮した。
「だから、声が大きいというのに」
「え、ちょっと待てよ、オマエ確か19とか言ってたよな?!」
「そうだが?」
「その年で結婚?!」
「まだしてないぞ」
「プロポーズするってことはする気なんだろーが!」
「まあそうだが……」
「ちょっ、なんだよコラ、詳しく聞かせろよ!」
ライは途端に興味津々の表情になると、ぐっと千秋に詰め寄った。
「どんな女なんだよ!どこで知り合った?どこまで行ってんだよ?!」
「お、おい……」
いかにも年頃の少年、というようにわくわくした表情で根掘り葉掘り聞き出そうとするライに困惑する千秋。

焚き火の前の肉は、そろそろ炭になろうとしていた。

§4-Theodore Rolentz:The Responsibility

「はあ、はあ……」
ばさり。
翼をはためかせて、テオは草原に降り立った。
陽はもうすっかり暮れてしまっている。辺りを見回しても、薄暗い草原と藍色の空以外何も見えない。
ウォークラリーが始まって、最初にトルスと来た場所。無我夢中で飛んできたら、いつの間にかここにいた。
ここで日向ぼっこしてのんびりしたい、などと暢気なことを言っていたのが遠い昔のようだ。
「はぁ……」
テオは翼をしまって、その場にへたり込んだ。
何ということをしてしまったのか、という自責の念でいっぱいだ。
「怪我を治すお手伝いの為にいるのに、生徒さんに怪我させるようなことをしたりして……」
実際は怪我をしてはいないのだが、あそこにトルスがいなければ文字通り大惨事だったに違いない。
「どうしていつもこう失敗ばかりするんだろう…僕」
はあ。
ため息が漏れる。
いつもそうだ。
目の前で何かが起こると、もうそのことしか見えない。猪突猛進だと、家族にもよく笑われたものだった。
直そうと思いつつもなかなか直らずに来てしまったが、まさかこんな事態を引き起こすとは。
はあ。
もう一度、ため息をついた。
「…夜が明けたら、トルスさんを探して謝りにいこう。依頼途中なのに放棄してしまったから……」
とてもではないが、今から顔を合わせるのは気まずすぎる。一晩頭を冷やして、明日きちんと謝りに……
と、考えていた時だった。

「こんなところにいたんですかー」

後ろから声をかけられて、テオは驚いて振り返った。
「あっ…トルスさん」
向こうから近づいてくるのは、紛れも無くトルスその人だった。
薄闇の中にいる彼は、月光人特有の神秘的な銀色の光を放っていた。ふわふわと浮いていることもあって、妖精のようでもある。白衣を着た妖精というのはなかなか新しいが。
トルスは特に怒っている様子も無く、いつもののほほんとした笑顔でふよふよとテオに近寄ってきた。
「夜は寒くなりますから、外にいたら風邪をひきますよー。
ひとまずは、学校に戻りましょうねー」
優しくそう言う様子に、テオは戸惑ったようにトルスの顔を窺った。
失敗をしてしまったこと、そして放棄してしまったこと。彼はそのことを、怒っていないのだろうか、と。
だが、ぼんやりと光るその表情のどこにも、怒りの色は見られない。
テオはゆっくりと立ち上がって、小さく言った。
「はい……」
にこりと笑うトルス。
「では、行きましょうねー」
言って、街の方へと移動していく。
テオは不安そうな表情で、その後ろをとぼとぼとついていくのだった。

トルスに案内されたのは、魔道学校の教員宿舎だった。
校舎の向こうに建てられた、寮のような施設。教員はほとんどがここで暮らし、ここから学校に出勤するのだという。
校舎までしか立ち入ったことのないテオは、初めての景色に感心したように辺りを見回していた。
「コーヒーが良いですかー?紅茶やココアもありますけどー」
トルスの部屋に案内され、椅子を進められて座ると、トルスはキッチンに行きながらそんな問いを投げてくる。
テオはおたおたしながら答えた。
「あっ、はい。コーヒーをお願いします」
「はいー」
慣れた手つきでコーヒーメーカーを操作するトルス。
やがて、2つのマグカップを手にテオのところまでやってくる。
「はい、どうぞ」
「あ……ありがとうございます」
テオはぎこちなくそれを受け取って、遠慮がちに一口、二口と口をつける。
トルスも自分のマグカップに口をつけながら、ニコニコとそれを見守っていた。
は。
テオが小さく息をつくと、にこり、と微笑んで。
「落ち着きましたかー?」
優しい声音でそう問いかける。
テオは浅く頷いて、小さく言った。
「……はい。あの…生徒さん、大丈夫でしたか」
「はいー、もちろんー。怪我もありませんでしたし、あの後すぐに別のチェックポイントに行きましたよー」
「そ、そうですか……よかった…あいえ、よくないんですけど、よかった……」
少しほっとした様子で言うテオ。
トルスの助けがなければ大惨事になっていたとはいえ、何事もなかったのはひとまず安心だった。
「あの……トルスさん」
それから、テオは表情を引き締めて、トルスを見上げた。
「状況を確認出来ず、慌ててあんな事をしてしまって、本当にすいませんでした」
落ち着いた様子で丁寧に言って、深々と頭を下げる。
「生徒さんに怪我させるようなことをしたり、勝手に飛び出したりした責任をとりたいんです。
依頼の途中で申し訳ないのですが、僕を解雇して貰ってもいいですか」
真剣な様子でそう言って。
あまり広くはない部屋に、沈黙が落ちる。
「………」
「………」
トルスの表情から、笑みは消えていた。
テオは覚悟を決めた様子で、その目をまっすぐに見返している。
しばし、沈黙が続いた。
「………」
やがて、トルスの口がうっすらと開き、ゆっくりと息を吸い込むのが見えた。
そして。

「甘えるんじゃありません」

その口から紡がれた言葉は、いつもの和やかな口調とは違う、鋭く冷たいものだった。
びくり、と肩を震わせるテオ。
トルスはそのまま、淡々と続けた。
「あなたが辞めて、何の責任が取れるというのですか」
「えっ……」
「確かに、あなたはミスをしました。私がいなかったら、あの生徒は大怪我をしていたかもしれません。
しかし、あなたがここからいなくなることで、事態が解決しますか?」
「……っ、それは………」
「逃げることを『責任を取る』と取り繕うのはおやめなさい」
びしびしと。
それほど強い語調でもないのに、トルスの言葉の一つ一つが鋭い棘となってテオに刺さる。
テオは返す言葉も無く沈黙した。
「責任を取りたかったら、ミスをカバーできるくらいに役に立ってみせなさい。
生徒にケガをさせてしまったと思うなら、なぜそうなったのか、自分のどこに原因があったのか考え、今後しないようにするにはどうしたらいいかを考えて、実行しなさい」
いかにも先生らしい口調で、とうとうと説教するトルス。
その様子には、普段ののほほんとした面影はない。
「失った信用を取り戻すのは、大変なことです。
自分のミスを責められ続けながら、それでも歯を食いしばって役に立ってみせなければならない。
それが辛いなら、お辞めなさい」
そこまで言って、ゆっくりと目を閉じ、首を横に振る。
「しかしそれは、責任を取ったのではない。あなたが責任を取ることから逃げたということです」
「っ………」
トルスの遠慮のない言葉に、息を詰まらせるテオ。
トルスは目を開けて、さらに告げた。
「私は何も言いません。あなたがお決めなさい」
「…………」
テオは黙ったまま俯いた。
「そ…う…ですよね……」
ぽつり、とつぶやく。
責任を取って辞めるしかない。
先ほどまでは、それが最善の方法だと思っていたし、そのことしか考えていなかった。
だが。
「犯したミスを、辞める事で解決するなんて、甘えでしかないですよね……」
トルスの言葉の通りだった。
辞めることが、何の解決になるだろうか。
例えばあそこで本当に生徒に怪我を負わせてしまったとして、テオが辞めることで彼女の傷が癒えるわけではない。
本当は、逃げたかっただけなのではないか。
周りの糾弾や叱責から。もしかしたらあるかもしれない、トルスの軽蔑の目から。
何より、失敗をしてしまったという事実から、逃げたかっただけなのではないか。
責任を取る、と、言葉だけ綺麗に取り繕って、結局自分は何も出来てはいない。
だから、何度も逃げて逃げて、そして逃げるたびに同じ失敗を繰り返すのだ。
「慌てず落ち着いて、ひとつずつすべきことをする……」
テオはぽつりとつぶやいて、苦笑した。
「父さんにも、よく言われてました。
ミスしても、姉さんとかいつも諦めた様に、今度出来ればいいからと、カバーしてくれて。
それに甘えて、都合の良いように考えて、きちんと失敗の原因を振り返ずにいた昔……
あんなに言われていたのに……」
はあ、とため息をついて。
「一つも成長してないですね、本当に僕は、ダメだなぁ」
自嘲気味にそう言ってから、顔を上げてトルスを見る。
「トルスさん」
姿勢を正し、椅子に座りなおしてから、改めて言った。
「馬鹿なことばかりして、すいませんでした。
お願いです。同じミスは繰り返しませんので、トルスさん、もう一度チャンスをください」
落ち着いた声音で言うその表情には、先ほどまでにはない決意が現れている。
しばし、沈黙が落ちた。
テオはまっすぐにトルスの目を見つめながら、彼の答えを待つ。
そして、やがて。
「そう言ってくださって、安心しましたよー」
ふ、と微笑んで。
いつもの口調に戻ったトルスは、優しい声でテオにそう言った。
「トルスさん…」
緊張が解けて、若干涙目になりながら呟くテオ。
トルスはそっと、その頭を撫でた。
「昼間も、言いましたよねー。
誰にでも失敗はあります。無論、私にもあります。
でもその失敗を糧に、明日は今日よりもっと良い自分になればいい。
出来ないからダメだと辞めてしまうのは、その良い自分になる可能性も摘んでしまうということです」
若干説教口調に戻ってから、またふふっと微笑んで。
「最初から何もかもを上手く行く人なんて、いないんですよー。
誰もが失敗を繰り返して、大きくなっていくのですー。
だから、テオさんも失敗を恐れないで、ぶつかっていってくださいねー」
「はい……はい!」
頭を撫でられて少しくすぐったそうにしながら、涙目で頷くテオ。
「あ、でも同じ失敗は繰り返しちゃダメですよー?」
「は、はい。ありがとうございます、頑張ります」
冗談めかしてトルスが言えば、ほっとした様子でそう返して。
トルスはもう一度、嬉しそうに微笑んだ。
「さて、じゃあ、もう夜も遅くなりましたし、明日のために休みましょうねー。
テオさんはここを使って下さいねー。私は保健室のベッドを使いますからー」
そう言ってドアの方へと移動するトルスに、慌てて腰を浮かすテオ。
「いやいや、そんな悪いです。
僕は、保健室のベッドを借りて、休ませて頂ければいいんです…トルスさんは、普段通りに休んでください」
「普段通りなら、私は割と保健室のベッドで休むことが多いのですよー」
本当かどうかはわからないが、そう言って笑うトルス。
「だから、普段余りそのベッドは使ってないんですー。あまり匂いもついてないはずですからー、どうぞそちらでお休みくださいねー」
「に、匂いとかいえそういうことじゃ…!あの、でも……!」
「それとも、一緒に寝ますかー?」
「え、ええええええ?!」
からかうようなトルスの言葉に、素っ頓狂な声を上げるテオ。
トルスはまたふふっと笑った。
「冗談ですよー。では、おやすみなさい」
「あ、はい、お、おやすみなさい……」
まだ若干戸惑った様子で、それでもトルスに譲る気がないのを悟ったように頷くテオ。
トルスはもう一度にこりと微笑んで、ドアのノブに手をかけた。

「あの、トルスさん」
そこに、もう一度声をかけるテオ。
そちらを振り返ったトルスに、テオはもう一度、真剣な表情で礼をした。
「本当にありがとうございました。…おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
にこり。
人の良い微笑を浮かべて、ドアの向こうに消えてゆくトルス。

テオはしばしのあいだ、その姿を見るように、ドアをじっと見つめているのだった。

§4-Mieken de=Peace:Dear my rival

「…さて、どうしましょうか」

あのままルキシュのところにいるのも気まずかったし、夜になれば生徒たちも動かない。やることもないだろうしと帰ることを提案したらあっさりと肯定されたので、とりあえず

街に帰ってきたミケは、傍らのミリーにそう問うた。
ミケに問われたミリーはやはりあっさりと答える。
「そうね、別にすることもないし、帰って休む?」
「そうですね…あ、じゃあせっかくですから夕食とかご一緒にどうですか、とか、あはは」
冗談めかして言ってみると、ミリーはにやりと微笑んだ。
「あなたと?」
くす、と鼻を鳴らして。
「いいわよ」
「え」
やはりあっさりと返ってきた答えに、逆にミケのほうがきょとんとしてしまう。
ミリーは腰に手を当てると、いつもの挑戦的な笑みを浮かべた。
「あなたのほうから誘ったんだから、当然いいお店に連れて行ってくれるのよね?
あたしの舌は肥えてるわよ。特にお酒は」
「あ、えー」
まさか了承されるとは思っておらず、さらにハードルを高くされて視線を泳がせるミケ。
「え、えーと……す、すみません、僕の知っているお店で連れて行けそうな場所って……真昼の月亭っていう酒場になってしまいますが……」
「真昼の月亭ね。知ってるわ」
「そうなんですか。……そこでお酒飲んだことはあるんですが、実はよく覚えていなくて……、正直お酒をお勧めできる店かどうかは……」
「ふうん?」
ミケの言いたいことは察せられたようだが、にやりと微笑んでミケの言葉の続きを待つミリー。
ミケは仕方なさそうに嘆息した。
「あなたのお気に入りのお店があるなら、そちらでも良いですね」
「正直でよろしい」
ミリーはにこりと笑うと、早速足を踏み出した。
「じゃあ、あたしの行きつけのお店に行きましょう。
住宅街の方にある、隠れ家的なお店なの。こっちよ」
「あ、あの!」
ミケが慌てて止めたので、ミリーは足を止めるとそちらを振り返った。
「なに?」
「すみません。僕、学校に泊めてもらえるような話を聞いているんですが、いいのでしょうか?」
「そうね、用意はしてあるわよ。別に使っても使わなくても良いけど」
「それならちょっと、荷物をとりに行っていいですか?」
「荷物?構わないけど」
ミリーはあっさり頷いて、また踵を返した。
「じゃあ、店で待ってるから支度が終わったら来なさい。
勝手にやってるから、別に急がなくてもいいからね」
言い置いて、さっさと歩き出す。
ミケは肩に乗っていた猫の方を向いた。
「ポチ、あなたも先に行っていてくれますか?……僕が迷子にならないように」
「うなっ!」
猫は元気に鳴いて、たたた、とミリーに向かって走っていく。
ミケはそれを確認すると、小さく頭を下げて歩き出した。
「それじゃ、またあとで」
「はーい、あとでね」
ミリーは振り返らずに手を振ってそれに答えるのだった。

東門から入ったところには、学生街が広がっている。
たくさん立ち並ぶ学校と、学生向けの食料品店、食堂、雑貨屋などが並んでいる。
「魔道具屋とかもあるんですね…」
普段歩くことのない場所を、ミケは少し楽しい気分になりながら歩いていた。
と。
「………ミケ!」
通りの向こうから聞き慣れた声がして、そちらを向く。
そこには、先ほど顔を合わせたレティシアが、なにやら袋を持って立っていた。
「ミケ~!!今日はお疲れ様」
「レティシアさんもお疲れ様です」
嬉しそうに駆け寄ってくるレティシアに、ミケも笑みで答える。
それから、気まずげな表情で辺りを見回して。
「…あの、ルキシュさん、でしたっけ。彼は今は?」
「あ、うん…今は宿で横になってるわ。ちょっと怪我がひどくて…」
「そうですよね…すみません」
「いや、別にミケが謝ることじゃないから!」
レティシアはぶんぶんと手と首を振ってから、やはり気まずそうに視線を泳がせる。
「あの、なんか、ごめんね。ミケに迷惑かけちゃったみたいで…みっともないとこも見せちゃったし…」
「…いえ、それこそレティシアさんの謝ることじゃないですけど…」
「今、時間ちょっといい?お詫びに、ちょっとお茶でも奢らせて?」
「え、でも」
そんな誘いをかけられるとは思っておらず、ミケは少し驚いた。
苦笑するレティシア。
「ちょっとだけだから。それとも、すぐにどこか行かなくちゃいけない?」
「いえ、そういう……わけでは」
ミリーは急がなくてもいいと言っていた。あまり待たせるのもどうかと思うが、ルキシュとレティシアのことも気になる。正直、やりすぎたとは自分でも思っているから。
ミケは逡巡してから、さらにレティシアに訊いた。
「ルキシュさんのほうはいいんですか?」
「うん、今は休んでるから。ちょっとくらいなら」
「じゃあ…お言葉に甘えて」
2人は頷きあうと、近くのオープンカフェに移動するのだった。

頼んだ茶が来たところで、2人はウォークラリーの経過を報告しあった。
お互いに依頼を受けた経緯から、ウォークラリーでどんな出来事があったか、など。
レティシアは苦笑しながら、自分を雇ったパートナーのことを話し始めた。
「ルキシュは優勝する気満々で張り切っていたんだけど、危ない目にばかり遭うし、棄権した方がいいんじゃないかなぁって言ったら…怒らせちゃったの」
「そうなんですか…」
ふむ、と唸るミケ。
「あなたは、冒険者です。命の危険を感じて、尚かつ彼が無茶するようなら止める義務がある」
「…うん」
「それでも、これは試験です。危険な目にあったくらいで棄権しなくても、いいんじゃないかと思いますが……」
「そっかぁ……」
ミケの言葉に軽くしゅんとするレティシア。
ミケはさらに訊いた。
「…他には何かありましたか?」
「あとは…私が誰かを攻撃するのはイヤだって言った事でも怒られちゃった」
レティシアの言葉に、意外そうに眉を上げるミケ。
「攻撃を…?」
「うん。最初はルキシュも、じゃあ防御に専念してくれればいいってしぶしぶ認めてくれてたんだけど…
やっぱり、カイとか…友達を傷つけるのは嫌だし、傷ついていたら助けてあげたくて。
でも、回復魔法をかけてあげようとしたら、やっぱり怒られちゃって」
はあ、とため息をつくレティシア。
「ミケと戦うのも、私は最初にイヤだって言ったの。ミケは大切な仲間だから、戦えないって。
その時も、最初は防御だけで構わないって言ってくれてたんだけど……」
いざ戦うことになっての状況は見ての通り、というように、その先は口をつぐんで。
ミケは俯いて考えた。
彼女の言葉に、思うことは色々ある。それを、言うべきか言わざるべきか。
「……ミケ…?」
その様子にレティシアが声をかける。
「レティシアさん」
ミケは決意の表情で、ゆっくりとレティシアに語りかけた。
「あなたは、冒険者として仕事を請けたんですよね?」
「…う、うん……」
レティシアは少し不安げな表情で、ぎこちなく頷く。
「それならば、あなたは仕事をしているとは言い難いと思いますよ」
「えっ……」
厳しいミケの言葉に、レティシアは虚をつかれたように表情を無くした。
ミケはさらに続ける。
「彼は、パートナーとなる人を探していた。あなたはそれを受けて依頼を引き受けて……契約したわけです。
どんなやりとりがあったかは分かりませんが、彼を守り手助けするという仕事をして、お金をもらうという契約です。
彼の手に余る試験や、身に危険が迫ったときにそれを回避するための判断や提案は、仕事です。けれど私情はなるべく挟むべきではないと僕は考えます」
「………」
淡々と紡がれるミケの言葉を、レティシアは黙って聞いている。
「あなたが、知己の方には攻撃したくないと言うのは……その優しいところはあなたの最大の魅力なんですけれども……」
ミケは言い難そうに視線を逸らしてから、もう一度目を見据えて、続けた。
「これは、腕試しのような試験なのでしょう?更に言うならそのために雇われているようなものです。解雇と彼は言いましたが、それでも本当ならおかしくない話なんです」
「………うん」
小さく言って、頷くレティシア。
「……彼には、確認しなかったのですか?戦闘になったらどうするかということを」
「う、うん……そんなこと、考えてもいなくて……」
「戦闘があるということを知らされていなかったとか?」
「ううん、最初に案内状を見せられて、こういうイベントだって…そこに、他の参加者から点数を奪うっていうようなことも書いてあったと思う」
「…それなら、話が違うというのは、通用しない。わかりますね?」
「……うん」
「……仕事をしてお金をもらう以上、依頼人の希望が最優先。どうしても納得できない事は、契約する前にきちんと確認なさい。契約したなら守りなさい。
依頼人に不備や嘘があって破棄するならともかく、勝手に変えることはできないんです」
「………うん…」
「……冒険者は……冒険者に限らず、仕事をする以上は大なり小なり意に沿わない事もあるでしょう。
それを、割り切っていかなければならないときがあります。
あなたが冒険者としてやっていくなら、自分の選択と仕事に責任と誇りを持つべきだと思います」
「……誇り……」
ぽつり、とレティシアがつぶやく。
ミケは複雑そうに、それでもフォローするように付け加えた。
「……それでも、あなたが貫くべきだと判断したことは曲げるべきじゃないと、思いますけれどね」
「………」
俯いて黙り込んでしまうレティシア。
目じりには、僅かに涙が浮かんでいる。
ミケは何かを言いかけて、辞めて、それからまた言いかけて、また口をつぐんだ。
厳しいことを言った自覚はある。が、これはどうしても、彼女に伝えておくべきことだと思ったから。
ここで慰めの言葉をかければ、あえて厳しく出た自分の言葉が台無しになる。これは、彼女自身が乗り越えるべき問題なのだから。
ミケはひとつ息をついて、思い浮かんだどれとも違う言葉を口にした。
「あなたは、冒険者です。自分で自分の道を選択する自由があって、それに伴う責任がある……今、言ったとおりです。
その上で、今、あなたがしたいことを、したらいいんじゃないかなと思います」
「………うん」
涙目のまま頷くレティシア。
ミケはふっと表情を緩めて、優しい声音で言った。
「……考えてみてください、あなたが為すべき事を。あなたが出した答えを、僕は応援する。僕も冒険者だから」
「……ミケ……」
心細げに顔を上げるレティシア。
ミケは苦笑した。
「間違っていると思ったら、また意見するかも知れませんけれどね」
「………うん」
レティシアは嫌な表情を見せること無く、すっきりとした笑顔を見せる。
「……ありがとう。言い難いこと、言わせちゃったよね」
「…いえ、こちらこそすみません、遠慮無しに」
「ううん、ミケに聞いてもらえて、言ってもらえてよかった。私、もうちょっとよく考えてみるね」
「はい。お茶、ご馳走様でした。じゃあ、僕はこれで」
ミケは言って小さく頭を下げると、立ち上がった。
「また明日も、頑張りましょう」
「うん、ミケもね。お疲れ様」
「お疲れ様です」
もう一度頭を下げ、ミケはレティシアを残してカフェを後にするのだった。

「いらっしゃいませ」
ポチの気配を辿ってたどり着いたその店は、シックな調度品が並ぶいかにもな高級バーだった。
執事服の年配の男性が出迎え、丁寧にコートを預かって席へと案内する。
なんというか、正直場違いな気がして、ミケは肩を縮めた。
「いらっしゃい、遅かったわね」
「ええまあ、ちょっと知り合いに会って…」
先ほどの出来事は少し濁して、カウンターにいたミリーの隣に座る。
ミリーは緊張して硬くなっているミケを見てくすくすと笑った。
「浮いてる」
「わかってます」
「そんな硬くならなくてもいいのに」
「気持ちの問題ですよ…いつかはそういうのが似合うような大人の男になりたいですよね、ええ……遠いな……」
「大人の男ねぇ」
まだなおもくつくつと笑いを漏らすミリー。
すでに酒も入って、ご機嫌の様子だった。
「お飲み物は」
バーテンダーに問われ、ミケはあたふたして答えた。
「え、あの、そうですね…カルーアミルクを。……アルコール抜きで」
「コーヒー牛乳じゃない」
「いや、スクリュードライバーのアルコール抜きでも…」
「オレンジジュースじゃない」
ミリーはまたくすくすと笑いながら言った。
「なぁに、お酒飲めないの?そんなんでよくあたしと一緒に飲もうなんて思ったわね」
「……そ、そうは仰いますが、僕は食事に誘ったのであって……っ!」
むっとして言い返すミケに、さらに驚いたように眉を上げて。
「えぇ?あなた、いくつ?いい大人が、食事に誘ってお酒飲まないとか。よっぽど純粋培養なのねえ」
「は、二十歳です……っ!いや、そうじゃなくてっ!も、もーいいです、お酒は飲みたい人が飲めば良いんですっ!」
「二十歳にもなれば、たしなみよぉ?」
「いえ、全く飲めなくはないのですが、飲んだらちょっと記憶が吹っ飛ぶので駄目なんです。すみません」
一応そう謝ってから、不満げに更に言うミケ。
「……こ、子ども扱いはやめてください。そんなに離れていないと思いますが」
「肉体的な年齢が成熟度を決めると思っているあたりがもう、子供」
「う…確かに、クルムさん辺りは中身は立派な大人に見える……い、いつかは大人の男になるんだ……」
「まだ言ってる」
ミリーはまた楽しそうに肩を揺らした。
「ま、いいんじゃない?子供なのが悪いなんて言ってないわ?
あなたが悪いと思い込むのは勝手だけど」
「うー…」
言い返す言葉の無いミケはひとつ唸ってから、話題を変えることにした。
「そっ……そういえば、さっき聞くタイミングがなくなっちゃったので、聞けなかったんですけど」
「うん?」
上機嫌でグラスを傾けながら、ミケのほうを見るミリー。
「……友達のお母さんの話、どうしてあんなに突っ込んできたんですか?意外なほど踏み込まれて、吃驚しました」
から。
ミリーのグラスの氷が、音を立てる。
一瞬沈黙してから、ミリーは可笑しそうに笑って首を傾げた。
「別に?あなたがそこまで言うような魔道士はどんな人なのか、興味があっただけよ?」
さらりと言って。
「ま、判ったのはあなたがバカ正直すぎて生き辛い人だということだけだったけど?」
「う……」
また痛いところを突かれて、言葉に詰まる。
先ほどレティシアに正直な言葉を突きつけたばかりであったから、生き辛いというのは正直否定できない。
「いいです、やって後悔した方が、幾分マシですからっ!ちょっと前にやっちゃいましたけどっ!」
自棄気味に言うと、ミリーはまたくすくすと笑った。
「でも、嫌いじゃないわ、そういう人は。
器用か不器用かと言われたら不器用なんだろうけど、人としては信用できる人じゃない?
他人のことペラペラ喋る人って、あたしのことも同じように他の人にペラペラ喋るんだろうなって思うし」
「……まぁ、褒めてもらって、ありがとうございます……」
ミケは複雑そうな表情で、それでも礼を言った。
「でも、多分それでも僕は知りたがりだと思うんですよ。理解してみたいと思ったら、ずけずけ聞いてしまう。踏み込みすぎるところがあると思う。
だから、その人が秘密にしたいことまで知った時は、そのことは黙るべきだと……思いますよ。……普段は結構、ごまかし切れてると、思うんですけどっ」
「自分では、ねぇ」
「わかってますって、いいじゃないですかもう」
ミリーのからかいの言葉に、拗ねたように口を尖らせて言ってから。
「……あなたは、他のことは何一つ突っ込んでこなかったのに、そこだけ突っ込んで来たから、何か、理由があるのかなと思って。
……ははは。ちぇ、僕ばっかり喋らされて……何かあなたから聞き出したいと思ったのに」
「ほんっと、何一つ腹に隠しておけない人なのね、あなた」
ミリーはなおも面白そうにくすくすと笑う。
「あなただって、興味のないことにはつっこんでこないでしょう?
でも、理解したいと思ったら、ずけずけと聞いてくるんでしょう?
同じことじゃない?つっこまないなら、興味はないのよ」
そこで、にやりと意味ありげな笑みを浮かべて。
「…ま、興味があるのは、あなたの先生のこととは限らないけどね?」
「えー……じゃあ、何について聞こうと思ったんですか?」
ミケは口を尖らせて言ってから、自分で考えた。
「……僕の、スルースキルと頭のレベルですかっ!?どっちもそんなに高くないですよ!?そっちの聞き出しレベルが高いんですよ!」
「あははは、被害妄想ー」
洒落たバーの一角で、2人は楽しく話に花を咲かせるのだった。

「あー、そうだ。もう一個聞いてみたいことがあるんですけども」
話が一段落したところで。
スクリュードライバー(と称する液体)を揺らしながら、ミケは改めてミリーに言った。
「山を越えられれなくしているのは僕自身だと……今日仰いましたよね」
「言ったわねえ」
ミケは相槌を打つミリーのほうは見ずに、ゆらゆらと揺れるオレンジ色の液体の表面をじっと見ながら言う。
「……その山、ほんと、腹が立つんですけど超えるの大変で。
ちょっと魔法の腕でも口でも頭でも勝てる気しなくて悔しい。
何より僕なんか眼中にないのが悔しくて」
そのまま、ふっと目を閉じて。
僅かに眉を寄せて、切実そうな声で呻く。
「……強くなりたいな。精神的にも、魔法の腕も成長したい」
誰に言うともなく、低くそう言って。
改めて、ミリーのほうを向いた。
「……あなたの先を行ったライバルさんって、どんな方でしたか?」
ミケの言葉を、聞いているのかいないのか。
ミリーは彼のほうをむくこと無く、やはりグラスの中で揺れる液体を空ろな目で見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「そーうねー……」
少し酔っているのだろうか。口調にも表情にも、いつもの凛とした勢いがない。
「人形みたいな子だったわよ。笑わない、泣かない、怒らない、
淡々と与えられたことを完璧にこなす、その命令を与えられたゴーレムみたいな子だったわ。
けど、あの子は最年少記録を打ち出したあたしの成績を、やすやすと超えて見せた。
あたしより若くに、あたしより高いところにたどり着いたのよ。
悔しかったわねぇ、そりゃあね」
くすくす。
当時のことを思い出したのだろうか、空ろな表情のまま笑う。
「でもね、彼女はあたしや、彼女の下を行く全ての存在を見下したりはしなかったわ。
いつだって涼しい顔で……そう、見下したりしなかった、は正しくないかな。
文字通り、あたしたちは彼女の『眼中になかった』わけ」
ミケの言葉を使って、言って。
「きっとね、彼女にとって、あたしたちも…それどころか、最年少・最高得点の記録も、地位も名誉も、どうでもよかったのね。
ただやれと言われたからこなしてた。これ以上ないくらい完璧にね。
あたしが躍起になってやろうとしてることを、何の興味もない彼女がやすやすと越えていく。それが余計に悔しかったわ。いつか彼女を越えてやる、それがあたしの目標になって た」
「………」
ミケは黙ってミリーの言葉を聞いている。
この自信にあふれた女性にも、そういう気持ちがあったことに、やはり素直に驚く気持ちが強い。
「でもねぇ、ケッサクなのよ」
そこで、ミリーは心底可笑しそうに肩を揺らして、ミケのほうを向いた。
「その子。ある日突然『好きな男が出来たから出て行きます』って、辞めてどこか行っちゃったの」
「は、はい?」
いきなり斜め上にすっ飛んだ話に、思わず声を上げるミケ。
ミリーはまだ可笑しそうに肩を揺らしながら、続けた。
「も、ホント。笑ったわ。当時彼女は…そうね、学生を束ねる生徒会長みたいな役割をしてたんだけど、後任にあたしを指名して、トンズラ。
去り際まで手際がいいったらなかったわ、引継ぎ資料もいつこんなに用意したんだってくらい膨大に、しかもわかりやすく残ってたし。
行方のくらまし方も天下一品。誰も彼女の後を追えなかった」
「それは……何というか」
コメントに困るミケ。
ミリーはすいと視線を横に滑らせ、遠い目をした。
「今考えると、後任にあたしを指名してたってことは、それなりにあたしを認めてた、っていうか視界に入ってたってことなのかしらねえ。
ほとんど言葉も交わしたこと無かったけど」
「彼女を超えようとしていたのでしょう?だったら……喋らなくても、分かるんじゃないかな…
…真剣なあなたは、きっと……凄く存在感のある方だと思うし」
きっと、真剣に戦いに臨めば、驚くほど綺麗で圧倒的なオーラが見えるのだろう。
ミケが素直にそういうと、ミリーはにこりと笑った。
「ふふ、ありがと」
「それで、その後……どうなったんです?」
ミケがさらに訊くと、ミリーは当然のことというようにあっさりと言った。

「もちろん、あたしも辞めて出てったわよ」

「って、ええええええ!?」
思わず先ほどよりオーバーリアクションで声を上げるミケ。
「辞めちゃったんですか!?そこまでしなくても、良かったのでは?」
「なんで?あの子を越えることが目標なんだから、あの子のいない場所にいつまでも残ってたって意味がないじゃない」
「そりゃそうですけど…」
上を行く存在がいなければまた彼女がトップに立てる。そのことを喜ぶようなタイプではないことは、わかっていたつもりだが。
「でも、学校でまだ学びたいこととか、なかったんですか?」
「ないわねえ。そもそも、学ぶ気になればどんな場所だって学べるわけだしね。あなたみたいに」
「…まあ、そうですけど……」
ミリーはまた遠い目をした。
「今はねえ、あの子と同じ場所にいるわけじゃないけど。まあ大まかなくくりで言えば同じ場所だし。
ここでたくさんの頑張る子達の成長を見ることが出来て、満足してるわ」
「………」
大まかなくくりって何だろう、と思いつつも、口を挟まずに聞いているミケ。
「あの子の動向は把握してるし、本家も隠れ家も潜伏場所も調査済み。
いつ『感動の再会』をしてやろうかってうずうずしてるの。
やだー、あたしストーカーみたーい」
ケラケラ笑うミリーに、若干引き気味に驚く。
「……そ、そーですか……そこまで全力で調べてしまうあなたが……意外かも」
何というか、ストーカーじみた行為にというより、全てを超越した場所にいるような彼女が、そこまでひとつのものに執着をするということが、単純に意外だった。
「でも、ねーえ?あなたもそう思わない?」
「え?」
ミリーはグラスを持ったまま、首を大きく傾けてミケのほうを見た。
「優秀な人なんてね、あの子の他にだってごまんといるのよ。あの子より優秀な人だっている。
何であの子なの、って思わない?」
「……ああ、それは……あるかもしれません」
ミケは素直に言って頷いた。
例えば。どちらが上か比べる行為さえおこがましいが、自分のライバルは目の前のこの女性であったとしてもおかしくないのだ。
だが、自分のライバルは一人だけ。他は考えられない。
ミリーはくすりと笑って、続けた。
「あの子のために自分の将来も、家族も生きてきた世界も全部捨てて、それでもあの子に勝つために力を磨く自分を幸せだと思う。
それはもう、なんていうのかなあ。ライバル心、じゃないわよね」
ゆらゆらと輝きを変えるグラスの表面を、空ろな目で見つめて。
「あたしは、あの子のことが大好きなんだと思うわ」
「………」
「恋愛とか、そういうことじゃなくて。あたしは性的な意味では男にも女にも興味ないし。
そういうのを越えたところで、人間として、あの子が大好きで。もう神格化してるんだと思うのよね」
そこまで言って、また楽しそうにミケのほうを見る。
「はは、あなたのこと言えないかもねえ。
『越えられない』って、あたしが思っちゃってるから、越えられないんだわ。
あたしの中で、神様みたいな、不可侵の存在になっちゃってる。だから、勝つなんて考えられない。
あたしが山を越えられないのは、あたしが無意識に越えたくないって思ってるのが一番の理由なのかもしれないわ」
「………」
「でも山を登るのは楽しい。だから、山がずっとあり続けて欲しいと望む。
逆に山が無くなってしまったら、一番絶望するのは自分だからね。
それもまた、無意識下で力をセーブさせてるのかもしれないわね」
「………」
黙って話を聞くミケを、ミリーはまたくすくすと笑いながら見やった。
「納得行かない、って顔してる」
「納得いかない……のかな」
複雑そうな表情でつぶやくミケ。
「僕は、その気持ちは、分かるような分からないような、感じだと思うんです」
「そう?」
「山を登るのは、確かに少し、楽しいんですよね。明確な目標があるというのは、自分を成長させるのに凄く良いと思うんです。
……だから、越えたくないという気持ちが、よく分からない、かな」
「だから、無意識だって言ってるでしょ?表層意識ではもちろん、越えたいと思ってるわよ。じゃなきゃライバルだと思わないわけだし」
「そんなものですかねぇ……」
やはり複雑そうな表情で。
「僕のライバルは、異常に性格が悪いです。正直に言えば、考え方からすると不倶戴天もいいところです」
「あらあら」
不倶戴天。生かしてはおけないほど憎いこと。苦々しいミケの表情に、くすりと笑いを漏らすミリー。
ミケは続けた。
「絶対に越えなきゃいけないと思っています。越えた先のことなんか、全然考えつかない。
だから……越えたくないと、そう思うところは……良く分からない。
あなたは、きっと彼女に認められている、という部分が、彼女が好きだから、というのがあるからじゃないかと思うんですけれど」
後任に指名されただけ、視界に入っていただけ、彼女は自分とは違う。
ミケは嘆息した。
「……もっとも、そもそも越えられるめどが立たなきゃ、無意識だろうとなんだろうと『越えたくない』なんていう気にはならないと思いますしね」
少し苦い表情で、苦笑して。
それから、ミリーのほうを向く。
「そこまで彼女を思って自分が磨けたら、確かにあなたは彼女が好きなんですね。
誰より認めて、誰より好きなひと。……その人に自分を認めてもらえ たなら、きっと本当に幸せです。
…………いいなぁ、それは」
少し羨ましげに、そう言って。
「人生かけても良い存在が、目的が見つかったなら……素晴らしいことだと思います」
「……そうね」
ミリーも緩く微笑んで、頷いた。
「あなたは?」
「僕は……」
ミケは少し迷ってから、視線を逸らして答える。
「僕は、今の山を越えたら、次の山を探すと、思います。
アレに人生全部つぎ込んで台無しになんか、されたくない。絶対嫌だ。早期決着できるように頑張らないと…
…っていうか、きっと越えるときは殺すか殺されるかの世界だから、きっと全自動で次の山を探すことになるんですけど」
苦い表情で、スクリュード………レンジジュースの残りを一気に飲み干す。
ミリーはまたくすくすと笑った。
「やっぱり、不器用ねえ。もうちょっと世の中上手く渡りなさいな?命はひとつしかないのよ?」
「わかってます、わかってるんですけどね…」
げんなりとして言ってから、ミケは改めてミリーのほうを向いた。
「色々、話してくれて。ありがとうございます。仲良くなってみたかったので、あなたのことが知れて、嬉しいです」
「そう」
ミリーは鷹揚に言って頷いた。
さらに笑顔で続けるミケ。
「真っ直ぐ、目標を見つけて走っていくあなたは凄く素敵な人ですよね」
「ふふ、ありがと」
そこで謙遜をしないところも彼女の美徳だ。
ミケは素直に微笑みながら、とろんとした目つきのミリーにいたわるように声をかける。
「少し……酔ってます?大丈夫ですか?……そろそろ帰りますか?」
「そうねぇ、明日もあるし、今日はそろそろ帰ろうかしら」
口調は若干酔っ払いだったが、意識は意外にしっかりしているようだ。
ミケは頷いて立ち上がった。
「じゃあ、お会計を……」
「あなた、払えるの?」
「じ、自分のものくらいは…」
「あなたの飲んだやつ、銀貨6枚よ?」
「うそっ?!オレンジジュースが何でそんなに高いんですか?!」
「オレンジジュースって言ってるし」
「いや、えー?!だって、僕の2日分の食費ですよ?!」
「良いのを使ってるのよ」
「うう……!ぎ、ギリギリお財布の中にはありますけど…!」
「ふふ、素直に奢られておきなさいな。せっかくの依頼料、全部飛んじゃうのもつまらないでしょう?」
「す、すみません……」
「じゃ、マスター。これお代ね。
それじゃ、行きましょうか。深緑の跳や……」
「酔っ払った状態で移動魔法はやめてくださいー!!」

ご機嫌のミリーを引きずって、学校まで歩いていく。
学校について、彼女を寝かせたら、今日学んだことを練習してから寝よう。
ミリーに教えを請える時間はあとわずか。教わったことは確実に習得したいから。

この山を越えた先に、何があるのかはわからない。
けれど、前を向いて登り続けていようと思う。

目的はどうであれ、力を求めて努力し続けることは、決して悪いことではないと思うから。

§4-May Sorge:His another side

「大分暗くなってきたねー」
メイは言いながら、辺りをきょろきょろと見回した。
森の中は鬱蒼と茂る木のせいか、他よりも一足早く夜が訪れる。座標針を確認すれば、確かにじきにチェックポイントが終了する時刻だった。
メイはティオのほうを向くと、改めて訊いた。
「寝る場所だけど、どうしようか、ティオ?」
「うん?」
「安全を考えるなら街に帰る選択した方が良いんだろうけど。ポイントのために襲ってくる人も居るんだろうし。
けど街に帰るとあんまり遠くのチェックポイントは回りにくいだろうし…」
うーん、と考えてから、もう一度ティオのほうを向いて。
「あ、わたしは野宿とか平気だからティオが好きな方選んで良いからね?」
「うーん、そやねー」
ティオは少し考えてから、答えた。
「野宿は別にしてもええけど、襲われる心配があるんはアレやねえ。別にポイント高いとこ回りたいんとちゃうし、いっぺん街にもどろか?」
「そうだね、夜襲とかされちゃうとゆっくり休めないしね」
にこりと笑って頷くメイ。
「じゃ街に戻るということで!」
「ああ、ほな行こか」
そうして、2人は早速街に向かって歩き始めるのだった。

街についたころにはもう日もだいぶ暮れかけていた。
東門をくぐったところで、ティオがにこりとメイに微笑みかける。
「お疲れはん。明日はまたここからスタートになるさかい、ここに来てな」
「うん、わかった。ティオもお疲れ様」
「メイちゃんはこの街に住んどるん?」
「ううん、実家はヴィーダからちょっと離れたところにある街なんだ。だから、ヴィーダに宿を取ってるの。今日はそこに泊まるよ。ティオは?」
「ん?オレは寮暮らしやねん。せやから学校に帰ることになるかなぁ」
「寮なんだ。わたしそういうところには通ったこと無いから羨ましいなあ」
「そかー?なんもええことないで、集団生活て意外と窮屈やねん。自分ちほど好きにでけへんからな」
「でも、同い年くらいの友達がいっぱいいるんでしょ?楽しそうだな」
「そやねえ、それは楽しい思うよ。女子寮の方へはいかれへんけどな!」
冗談めかしてティオが言い、二人であははと笑い合う。
「そっか、ティオは寮か。ご飯はどうするの?」
「いつもは寮で食うねんけど、今日はウォークラリーやから欠食届け出しててん。一人で適当に食おかな」
「あ、ねえ、じゃあ折角だし、一緒に夜ご飯食べない?」
メイは再びにこりと微笑んだ。
「まだ時間もちょっとあることだし…、どうかなぁ?」
「ええよー、もちろん」
ニコニコと頷くティオ。
「メイちゃん、この辺の店わかる?」
「あ、んー、あんまりよくわかんないや」
「ほな、オレのお勧めの店、行こか?何が食べたい?なんでもええで」
「そ、そう?どうしようかな……」
「あ」
考え始めたメイに、思い出したように言葉を続ける。
「ティオに任せるよ、は無しな」
「えっ」
きょとんとするメイ。
ティオはははっと笑った。
「メイちゃん、いつもそう言うやろ。ティオに任せるね、て」
「え、え、わたしそんなにいつも言ってた?」
「はは、無意識やってんな。まぁ、依頼中は依頼人を立てるんは道理やけど、メシ食いに行くんは依頼とちゃうし。女の子らしゅう甘えてな?」
「そ、そうだね」
女の子らしく甘えて、と言われたことに若干気恥ずかしくなりながら、メイは頷いた。
「えと、それじゃお言葉に甘えて…。そうだなぁ、パスタが食べたいかな」
「パスタかー、ええなー、女の子らしいなあ」
妙に嬉しそうに頷くティオ。少しオヤジくさい。
「こっちや、安うて美味い店があんねん。おいで」
笑顔でそう言って。
すい、とごく自然にメイの手を取って歩き始める。

(え?えぇっ!?)

あまりに自然すぎて一瞬気づかないほどの動作だったが、これは明らかに『手を繋いで歩いている』という行為だ。
しかし、今更『何で繋ぐの』とも訊けず、ましてや振りほどくことも出来ず、メイは頬をほんのりと染めながら黙ってティオに手を引かれるまま歩くのだった。

「やー、美味かったなー」
パスタの店を後にしたティオは、満足げな表情で腹をポンポンと撫でた。
「うん、すっごい美味しかったー。うちのお店も参考にするとこいっぱいあったな」
こちらも満足げな笑顔で頷くメイ。ちなみにもう手は繋いでいない。
メイの宿までティオが送るということになり、2人はもう陽もとっぷり暮れて街頭の明かりが照らす通りをゆっくりと歩いていた。
「お値段も手ごろだし、何度でも来たくなっちゃうね」
「せやろー、また行こな」
「うん、ティオの話は面白いし、お料理は美味しかったし。機会があればまた行きたいね!」
「あ、それか今度は別の店いこか。
さすがヴィーダやねえ、美味い店ぎょーさんあるでー!」
ティオはそこまで言ってから、む、と考え込む。
「そや、どうせならメイちゃんとこ行って食べよか!」
「え、うちの食堂??」
驚くメイに、またにこりと微笑んで。
「そや。お家は食堂やってはる言うとったやん」
「うん、ティオが来てくれるのは嬉しいけど、営業時間なら確かにわたしはお店のお手伝いになっちゃうなぁ」
「あ、そかー」
そこまでは考えていなかったらしく、落胆の表情を見せる。
が、すぐに立ち直って言葉を続けた。
「待てよ、そうしたらメイちゃんはウェイトレスやんか。
ウェイトレスのメイちゃんを拝めるんは嬉しい!……けど、一緒にご飯は食べれんなぁ…」
何か葛藤しているらしいティオに、メイは苦笑を投げた。
「ウェイトレスって言ってもいつもと大して変わんないよ??制服とかだって特別可愛いのじゃないしねー」
「そうなん?」
ティオはきょとんとしてから、いや!と力説した。
「そやない!メイちゃんにとっては大して変われへんのかもしれんけど、女の子は制服いうだけでいつもとは違う魅力を放ってるもんなんやで!」
「そ、そう?」
若干引き気味でティオの力説を聞くメイ。
「あ、なら休憩時間とか狙っていこうか!それなら一緒に食べられるしね。
わたしが連れてきた友達ならお兄ちゃんもおじいちゃんも腕によりをかけて作ってくれること間違いないし!」
「ホンマ?そうしてくれると嬉しいわぁ」
ティオはそう言って嬉しそうに微笑んだ。
「ま、ウェイトレスのメイちゃんが働いてるとこはばっちし拝ませてもらうけどな!」
「まだ言ってるー」
メイはひとしきりくすくす笑うと、ふ、と息をついた。
「でも、ちょっと遅くなっちゃったね。宿に戻ったらしっかり休まないと。明日も頑張らないとだしね!」
「そやねえ、なんやかんやで歩き回って疲れてもうたしな。明日は半日やけど、今日はゆっくり休もな」
メイの宿まではあと少しだ。
2人がそんな話をゆるゆるとしながら薄暗い通りを歩いていると。

どん。

「きゃっ」
斜め前方からふらふらと千鳥足で歩いてきた男が、突然メイにぶつかった。
「ご、ごめんなさいっ!」
反射的に謝るメイ。
だが。
「…あっ!?」
ぐい。
男は勢いよくメイの手を掴み、強引に引き寄せた。
「んだコラ!人様にぶつかっといて謝りもしねえのか?!」
「え、だ、だからごめんなさいって……」
自分より背の高い男に腕を掴みあげられ、半ば吊り下げられるような格好で顔を近づけられる。
(うわっ、お酒臭い…!)
赤ら顔の男は、離れていても臭ってくるほどの強烈なアルコール臭を漂わせながら、間近でメイに怒鳴りつけた。
「言葉だけで住むと思ってんのかよこのガキが!誠意見せろっつってんだ誠意!」
「せ、誠意?」
「誠意だよ、誠意!」
「お金ってこと?」
「俺は何も言ってないぜえ?金がお前の誠意なら、受け取ってやらんことも無いけどなぁ!」
「な、なにそれ…!」
メイの眉がつり上がる。
さっさとこの手を振り払って、火炎魔法のひとつでもぶちかましてやりたいところだ。
が、相手は正体を失った酔っ払いとはいえ、一般人だ。冒険者である自分がむやみに力を振るって良い相手とはいえない。ましてや今は、ティオに雇われている身だ。もし大事になれば、ティオにも害が及ぶことになるかもしれない。
(ど、どうしよう……!?)
力でねじ伏せることは簡単だが、色々面倒なことになりそうだ。
メイが逡巡していると、男はさらにニヤニヤと笑いながらメイに顔を近づけてきた。
「金がねーなら、ねーちゃんのカラダでもいいぜえ?ちーっと発育不良なのは目をつぶってやるからよぉ」
「なっ……!」
酔っ払いの言い草に、かっと体が熱くなるのがわかる。
思わずこぶしに力が入った、その時だった。

「おっちゃんおっちゃん」

とんとん。
軽い調子で酔っ払いの肩を叩くティオ。
酔っ払いがそちらを向くと、ティオは握ったこぶしを彼の目の前に差し上げた。
「これ、見てみ、ほれ」
「あん?」
酔っ払いは眉を寄せて、それでもティオの言う通りに彼のこぶしを見やる。
と。
ぽん!
「うおっ!」
ティオが手を開くと、軽い破裂音と共に紙ふぶきがひらひらと舞った。
「おおお?!」
酔っ払いは驚きの表情で、自分の周りを舞い踊る紙ふぶきをきょろきょろと見やった。
いつの間にか離されていた手をさすりながら、メイもその様子を見守る。
ティオはにこりと微笑んで、懐から金貨を取り出した。
「おっちゃんの欲しいんは、これやろ?」
「おお!」
人差し指と親指で挟んで見せ付けるように示された高額貨幣に、とたんに目の色を変える酔っ払い。
ティオはにこりと笑うと、金貨を持っていないほうの手で手首をぐっと握った。
「んんん……!」
気合のこもった声と共に、ぐぐぐ、と指に力が入って。
「おりゃ!」
ぐにゃ。
鋭い掛け声と共に、ティオの指に挟まれた金貨が勢いよく折れ曲がる。
「なあああ?!」
再び目を見開いて、悲鳴のような声を上げる酔っ払い。
メイも目を丸くして、ティオの手元を声もなく凝視していた。
「ありゃりゃー、こりゃ使えんくなってもうたなあ」
「な、な、な、何しやがんだおま、えええ?!」
わざとらしいセリフと共にしげしげと金貨を眺めるティオに、男性はかなり動揺した様子で声をかける。
「元に戻るかいな。んー、んー……」
ティオは言いながら、折れた硬貨をぐっと握り締めると、目を閉じてまじないをかけるように唸り始めた。
ごくり、と固唾を呑んで見守る酔っ払いとメイ。
「はーっ!」
ティオはこれまたわざとらしい掛け声をかけると、ぱっと手のひらを上に向かって広げた。
そこには、折れ曲がっていない元の金貨。
「おおおおお!」
「ティオ、すっごい!」
先ほどの険悪なムードも忘れてはしゃぐ酔っ払いとメイ。
ティオはにこりと笑って、指先で金貨をもてあそんだ。
「ははは、この金貨は強い子やしねえ、一人で元気にもなるし、出歩いたりもできんねんで。
ほれっ」
ぱ。
ひょいと手のひらを上に向けると、金貨が消えている。
「おお?!」
「ありゃ、どこ行ったんやろ……ここか?」
ぱ。
今度は耳から金貨を取り出してみせるティオ。
「あっ、またいなくなってもうた。んー…ここか?ここかな?」」
ぱ、ぱっ。
その後も、袖口から、襟から、ポケットから、とめまぐるしく金貨を追いかけるように出していく。
酔っ払いとメイは、その鮮やかな手つきに完全に見入っていた。
「あーもう、あっちゃこっちゃ忙しいやっちゃな!こうしたる!」
ぐっ。
最後に金貨を手のひらに握り締めて、ぐぐっと力を込め、ぱっと開くと。
ぽん!
「うお!」
「きゃ…!」
軽い破裂音と共に、まるで金貨が花吹雪に変わったように、ティオの手から大量に花びらが舞い散った。
「うわぁ……」
メイは歓声を上げて、酔っ払いは呆然としてその様子を見ている。
「落ち着きないヤツやったけど、最後に綺麗に変身したなあ」
最後にぱっと両手を広げてティオがにこりと微笑んだところで、メイが満面の笑みで拍手をした。
「すごい!ティオ、すごいよ!」
「ああ、まったくだ!にーちゃん、手品師か?」
酔っ払いもすっかりご機嫌でティオに話しかける。
ティオはニコニコとそれに答えた。
「はは、まだ見習いみたいなもんやねん、見てくれておおきに」
「いやー、すごかったぜ!早く独り立ちできると良いな!
これ、少ないが足しにしてくれよ!」
酔っ払いはそういうと、懐から数枚の銀貨を出してティオに握らせた。
驚いて首を振るティオ。
「え?やめてやおっちゃん、こんなんもらえへんわ」
「まーまー!いいモン見せてもらった礼だ!受け取っとけ!」
「ホンマ?ならありがたく頂戴しとくわー、おおきにな」
ティオが礼を言って銀貨を受け取ると、酔っ払いは満足そうに笑ってうんうんと頷いた。
「じゃあ、頑張れよにーちゃん!またな!」
「おう、おっちゃんもなー」
上機嫌で去っていく酔っ払いをひらひらと手を振って見送ってから、ティオは改めてメイの方を向いた。
「はは、カッコよう女の子を助けられんでごめんな」
「えっ」
メイはきょとんとしてから、全力で首を振った。
「そんなこと無いよ!助けてくれてありがとう!!助けてくれて嬉しかったもん」
「そか?そう言ってくれるんならええけど……手、大丈夫か?結構強う掴まれとったやろ」
「うん、ぜんぜん平気!これでも冒険者だもん、どうってことないよ!」
「そか、そんならよかったわ」
ティオはにこりと笑って言い、それから苦笑する。
「あーいう場面でカッコよう酔っ払い張り倒して女の子を守れたらええんやろけど、オレ、痛いの嫌やねん、オレも相手も。
できれば、みんな楽しい気持ちで、ハッピーになれた方がええやろ。
どうにもならんもんはしゃーないけど、オレはできるだけ、痛いことにならんで解決できるんならそうしたいねん」
ティオの言葉に、メイはやわらかい笑みを見せた。
「…そういう考え方、わたしは好きだよ?争わずに解決する方が良いに決まってるもん。なんでも力任せにするより、よっぽど良いと思う。
荒事にならなくてわたし、ほっとしてるもん」
笑みを見せながらも真剣な様子に、ティオは安心したように微笑んだ。
「女の子の前でカッコつけたいいう気持ちもあんねんけどな!」
茶化して言い、ははっと笑うティオ。
メイは逡巡して、それから照れくさそうに笑った。
「その…カッコ良かったよ?」
「え」
「手品してるティオ。からまれてるの忘れちゃうくらい」
それは正直な感想だった。が、異性を『カッコイイ』と褒めるのは慣れていないので少し気恥ずかしい。
ティオはメイの言葉に、照れる様子も無く嬉しそうに微笑んだ。
「そか?そう言ってもらえるんやったら嬉しいなあ。おおきに」
「ううん、こちらこそ本当にありがとうね、ティオ。凄く楽しかった、ご飯も手品も!」
メイはもう一度笑ってそう言うと、すぐそこにある建物のドアを指差した。
「わたしの宿、あそこだから。送ってくれてありがとう、ゆっくり休んで明日も頑張ろうね!」
「ああ、メイちゃんもお疲れ様やったね。明日もよろしゅうな」
ティオもニコニコしたまま手を振る。
メイは宿の入り口まで駆けていくと、振り返ってもう一度手を振った。
「じゃあ、おやすみなさい!」
「おやすみ、また明日なー」
ティオもひらひらと手を振って、メイがドアの向こうに消えるまで見送るのだった。

§4-Letisia Rude:High Pressure

「…と……とにかく…どうにかしなくちゃ……」

冷たい表情のミケが去った後。
ようやく我に返ったレティシアは、満身創痍で倒れているルキシュを目の前にきょろきょろと辺りを見回した。
がしかし、周りに役に立つようなものも、ましてや助けなどあるはずもなく。
レティシアはルキシュに駆け寄ると、その傍らに膝をついてルキシュに話しかける。
「あのね、ルキシュ。
ケガもひどいし、これじゃ野営は無理ね。街に戻って手当てしよう」
意識があるのかないのかわからないが、不安げに声をかけてみる。
「…これからのことも、よく話し合ったほうがいいと思うの」
少しトーンを低くしてゆっくりと言ってみると。
「………好きにすればいいよ」
意識はあったようで、かすれたような声が返ってくる。
が、やはり自分で起き上がったり歩いたりするのは無理なようだった。回復魔法も試みたが、この状況では焼け石に水だ。安全な場所で、薬も併用しながら治療にあたった方がいい。
「と、とにかく運ばなくちゃ…ちょっとごめんね、ルキシュ」
レティシアは戸惑いがちにルキシュの腕を取り、その下に潜り込んで肩に担ごうとした。
が。
「う……お、重い……」
華奢なように見えてもやはり男性だった。しかも怪我をしていて体に力が入っていない状態だ。レティシアが一人で担ぐには重すぎる。
「で、でも、運べるの私しかいないし……」
ぐ、と力を入れてみるがやはり重い。これでは、街へ到着する頃には夜中になってしまいそうだった。
「ど、どうしよう……」
レティシアが困った様子で逡巡していると。

「レティシアさん!」

かけられた声に、レティシアは表情を輝かせて振り返った。
「オルーカ、カイ!」
天の助け、とでもいうように、駆け寄ってきた2人の名を呼ぶ。
オルーカはレティシアが担ぎ上げようとしたルキシュの様子を見て、心配そうに言った。
「どうしたんですか、その怪我…!」
レティシアは慎重にルキシュを下ろしてから、オルーカの言葉に答える。
「さっき大怪我しちゃったの。ミケとの戦いで…」
「ミケさんとの……」
「っていうか、カイもすごいケガじゃない!どうしたの?」
そして、オルーカの後ろにいたカイも、ルキシュほどではないがかなりひどい怪我を負っていることに驚くレティシア。
カイは苦笑した。
「はは、あたしもミケにやられちゃった」
「ミケさんはお強いですからね」
同様に苦笑するオルーカ。
「2人とも…ミケと戦ったの?」
レティシアは呆然として2人を見た。
「ええ、お強かったですよね」
「さすがはミケだねー」
あっさりと言って、頷きあう2人。
レティシアは一瞬絶句してから、戸惑ったように言った。
「で、でも…ミケは、その…友達、でしょ?それなのに…」
レティシアの言葉に、2人ともきょとんとして彼女を見る。
「なんで?友達だと、戦っちゃいけないの?」
「えっ?!」
再び驚きの声を上げるレティシア。
カイは首をかしげた。
「だってさあ、別に殺し合いするんじゃないんだし」
「そうですね、ルールで命を奪うことは禁止されてますから」
「むしろ、普段戦えない強い相手と戦う絶好の口実っていうか」
「ですよね、普通ミケさんと戦える機会なんてめったにないですから」
「そ、そんな……」
あまりにも違いすぎる二人の常識に唖然とするレティシア。
オルーカは苦笑した。
「確かに、ミケさんと戦いづらいって気持ちは分かります。 やりすぎて怪我をしてしまうことも、ないとは言い切れませんし。
でもそんなに難しく考えず、イベントごとなのですから…」
「でも……ミケを傷つけるなんて、私…」
俯いてしまったレティシアに、オルーカはにこりと微笑みかける。
「では、うちみたいに、『戦って!』ってお願いしてみたりするのはどうですか?」
「お、お願いしたの?!」
「うん、だってミケ逃げちゃうんだもん、ねー」
「ええ」
楽しそうに頷きあう2人に、再び唖然とするレティシア。
オルーカは再びレティシアの方を向いた。
「そうですね、例えばルールを決めて。地面に膝をついた方が負けとか。ミケさんが強すぎるようだったら片手しか使わないようハンデ貰うとか。
怪我がないように『試合』っていう形をとるんです」
「試合……」
「ええ。これだったら『やっつける』ってことに対する抵抗も薄れませんか?
『勝つ』っていうのは、必ずしも『怪我をさせる』ということではありませんよ?」
「……っ……」
オルーカの言葉に、レティシアははっとして言葉を詰まらせた。
「……そうか……そうよね…」
戦いという言葉から、ミケを傷つけてしまうということばかりに頭が行っていた。
が、ミケとてレティシアと戦えることを、それこそこの2人のように、めったにない機会だと歓迎しているようだったではないか。
考え込んでしまうレティシアに、再びにこりと微笑みかけるオルーカ。
「勝った場合にポイントの移動もあれば、ルキシュさんも納得いかれるでしょう?」
「ルキシュ……って」
ルキシュのことに言及されて、レティシアははっとした。
「いけない、こんなことしてる場合じゃ!」
慌てて、先ほどそっと下ろしたルキシュのほうを向く。
しかし、この状況は本当に神の助けだった。レティシアは改めてオルーカの方を向くと、胸の前で手を組んだ。
「2人も街に帰るところなの?」
「うん、そのつもり。このケガじゃね…先輩もそう?」
「実はそうなの。それで、お願いがあるんだけど…」
「ルキシュさんを運ぶお手伝いですね?その怪我だと、歩くのも大変でしょう?」
レティシアが願いを口に出す前に、オルーカが笑顔で頷く。
レティシアは嬉しそうに表情を広げ、それから申し訳なさそうにオルーカと距離を詰めた。
「そうなの。私一人じゃ着くのが夜中になっちゃう…お願い、助けてもらえないかな?」
「もちろんです。いいですよね、カイさん」
「うん、もちろん。あたしは何とか1人で歩けるから、オルーカ、手伝ってあげて」
「はい!」
あっさりとカイから許可が出て、オルーカがルキシュの側に膝をつく。
レティシアが担ごうとしていた腕と反対側の手を取って。
だが、そこで。
「………余計な…ことを…」
かすれた声でルキシュが言い、レティシアは驚いてその顔を覗き込んだ。
「君たちの…助けなんか……いらない……」
表情を歪めて言うその様子は、どう控えめに見ても強がっているようにしか見えない。
レティシアは何か言おうと口を開いたが、その前にカイが苦笑した。
「別に先輩を助けてるわけじゃないよ、レティシアの手伝いをしてるだけ。
つっても、先輩は納得しないんだろうなあ」
「ではルキシュさん、こういうことでどうです?」
担いで支えたまま、今度はオルーカがルキシュの顔を覗き込む。
「今回あなたを助けるのは、前回見逃してもらった『貸し』を返すってことで。
それだったら、問題ないでしょう?」
「………」
ルキシュは空ろな表情のまましばらく黙って、やがてぽつりと言った。
「……好きに、すればいいよ」
「はい、好きにします。ではレティシアさん、行きましょう」
「う、うん……」
レティシアはまだ若干不安そうに、それでもオルーカと共にルキシュを支えながら街への道を歩くのだった。

「私としてはね、ルキシュを危ない目に遭わすなら、棄権もやむを得ないと思ってるの」
道すがら、レティシアはウォークラリーの進展と共に、そんな言葉を漏らした。
もちろん、ルキシュは担いだまま。本人にも聞こえているのだろうが、構わなかった。実際、本人からの反応はない。
「向こう見ずに突っ込んでいって、危ない事も平気でしてしまうし…」
「そうですね、危ないことをする人は、自分が危ないことをしてるって自覚はありませんから…」
オルーカも頷いて同意する。こちらも確実に聞こえているはずなのだが。
レティシアは嘆息した。
「でも、ルキシュは棄権なんてとんでもないって言うし…。かといって、私の意見をゴリ押しするのもどうかと思うし、正直迷っているのよ」
「そうですか……」
うーんと唸るオルーカ。
「…そうしたらもう、一度放っておいて、徹底的に痛い目見させるのもありだと思いますよ?」
レティシア同様、聞こえても構わないと思っているのか、それとも意識がないと思っているのか、本人のすぐ側でやはり辛らつな意見を言う。
「これは魔法学校のイベント。校長先生が生徒に危険がないよう、 ちゃんと管理されてると思うんです。そこに甘えるわけではありませんけど…
ルキシュさん自身が本当に一度、最悪の結果を目の当たりにしなければ、周りがいくら言っても、彼の成長はないように思えます」
「そう…かなぁ……」
レティシアはやはり浮かない表情で、とぼとぼと足を進めている。
ルキシュの怪我。彼の執拗なまでの勝利への執着。棄権という判断。
そして、ミケと戦いたくないという想いと、オルーカやミケたちとの戦いに対するスタンスの違い。
ぐるぐると胸中を回るさまざまな思いに悩まされながら、レティシアはオルーカたちと共に街への道を急ぐ。
陽はもうすっかり暮れ、遠くに見える街の明かりが彼女たちの帰りを急かしているようだった。

街に到着し、とりあえず東門の近くにあった逗留宿にルキシュを運んでから、レティシアは薬を買いに出ることにした。
ルキシュはおとなしくベッドに横になっていたので、しばらくは大丈夫だと思うが…と、近くの薬屋で買い求めた薬を手に再び通りに出る。
と、そこで。
「………ミケ!」
袋を胸に抱えたまま、ぱっと表情を輝かせるレティシア。
通りの向こうからやってきたミケは、レティシアの姿を見てこちらに歩いてきた。
「ミケ~!!今日はお疲れ様」
「レティシアさんもお疲れ様です」
先ほどまでの鬱々とした気分も吹っ飛んだかのように駆け寄ったレティシアに、ミケも柔らかい笑みを返す。
それから、少し気まずそうな表情で、辺りをきょろきょろと見回した。
「…あの、ルキシュさん、でしたっけ。彼は今は?」
「あ、うん…今は宿で横になってるわ。ちょっと怪我がひどくて…」
「そうですよね…すみません」
「いや、別にミケが謝ることじゃないから!」
レティシアはぶんぶんと手と首を振ってから、やはり気まずそうに視線を泳がせる。
「あの、なんか、ごめんね。ミケに迷惑かけちゃったみたいで…みっともないとこも見せちゃったし…」
「…いえ、それこそレティシアさんの謝ることじゃないですけど…」
「今、時間ちょっといい?お詫びに、ちょっとお茶でも奢らせて?」
「え、でも」
レティシアの言葉に少なからず驚いた様子で、ミケはレティシアの方に向き直る。
レティシアは苦笑した。
「ちょっとだけだから。それとも、すぐにどこか行かなくちゃいけない?」
「いえ、そういう……わけでは」
ミケは少し迷ったようだが、どうやら火急の用事ではないようだった。
「ルキシュさんのほうはいいんですか?」
「うん、今は休んでるから。ちょっとくらいなら」
「じゃあ…お言葉に甘えて」
2人は頷きあうと、近くのオープンカフェに移動するのだった。

頼んだ茶が来たところで、2人はウォークラリーの経過を報告しあった。
お互いに依頼を受けた経緯から、ウォークラリーでどんな出来事があったか、など。
レティシアは苦笑しながら、自分を雇ったパートナーのことを話し始めた。
「ルキシュは優勝する気満々で張り切っていたんだけど、危ない目にばかり遭うし、棄権した方がいいんじゃないかなぁって言ったら…怒らせちゃったの」
「そうなんですか…」
ふむ、と唸るミケ。
「あなたは、冒険者です。命の危険を感じて、尚かつ彼が無茶するようなら止める義務がある」
「…うん」
「それでも、これは試験です。危険な目にあったくらいで棄権しなくても、いいんじゃないかと思いますが……」
「そっかぁ……」
ミケの言葉に軽くしゅんとするレティシア。
ミケはさらに訊いた。
「…他には何かありましたか?」
「あとは…私が誰かを攻撃するのはイヤだって言った事でも怒られちゃった」
レティシアの言葉に、ミケは少し驚いたように目を見張った。
「攻撃を…?」
「うん。最初はルキシュも、じゃあ防御に専念してくれればいいってしぶしぶ認めてくれてたんだけど…
やっぱり、カイとか…友達を傷つけるのは嫌だし、傷ついていたら助けてあげたくて。
でも、回復魔法をかけてあげようとしたら、やっぱり怒られちゃって」
はあ、とため息をつくレティシア。
「ミケと戦うのも、私は最初にイヤだって言ったの。ミケは大切な仲間だから、戦えないって。
その時も、最初は防御だけで構わないって言ってくれてたんだけど……」
いざ戦うことになっての状況は見ての通り、というように、その先は口をつぐんで。
ミケは真剣な表情で俯き、しばらく黙って考え込んでいた。
「……ミケ…?」
その様子にレティシアが声をかけると、まっすぐに彼女を見返して。
「レティシアさん」
厳しい表情で、しかし声音は冷静に、彼女に語りかける。
「あなたは、冒険者として仕事を請けたんですよね?」
「…う、うん……」
半ば強引に、巻き込まれるような形で受けたことは確かだが、仕事を請けたことには変わりない。
ぎこちなく頷くレティシアに、ミケはさらに真剣な表情で言った。
「それならば、あなたは仕事をしているとは言い難いと思いますよ」
「えっ……」
厳しいミケの言葉に、レティシアは虚をつかれたように表情を無くした。
ミケはさらに続ける。
「彼は、パートナーとなる人を探していた。あなたはそれを受けて依頼を引き受けて……契約したわけです。
どんなやりとりがあったかは分かりませんが、彼を守り手助けするという仕事をして、お金をもらうという契約です。
彼の手に余る試験や、身に危険が迫ったときにそれを回避するための判断や提案は、仕事です。けれど私情はなるべく挟むべきではないと僕は考えます」
「………」
淡々と紡がれるミケの言葉を、レティシアは黙って聞いている。
「あなたが、知己の方には攻撃したくないと言うのは……その優しいところはあなたの最大の魅力なんですけれども……」
ミケは言い難そうに視線を逸らしてから、もう一度目を見据えて、続けた。
「これは、腕試しのような試験なのでしょう?更に言うならそのために雇われているようなものです。解雇と彼は言いましたが、それでも本当ならおかしくない話なんです」
「………うん」
小さく言って、頷く。
「……彼には、確認しなかったのですか?戦闘になったらどうするかということを」
「う、うん……そんなこと、考えてもいなくて……」
「戦闘があるということを知らされていなかったとか?」
「ううん、最初に案内状を見せられて、こういうイベントだって…そこに、他の参加者から点数を奪うっていうようなことも書いてあったと思う」
「…それなら、話が違うというのは、通用しない。わかりますね?」
「……うん」
「……仕事をしてお金をもらう以上、依頼人の希望が最優先。どうしても納得できない事は、契約する前にきちんと確認なさい。契約したなら守りなさい。
依頼人に不備や嘘があって破棄するならともかく、勝手に変えることはできないんです」
「………うん…」
「……冒険者は……冒険者に限らず、仕事をする以上は大なり小なり意に沿わない事もあるでしょう。
それを、割り切っていかなければならないときがあります。
あなたが冒険者としてやっていくなら、自分の選択と仕事に責任と誇りを持つべきだと思います」
「……誇り……」
レティシアがつぶやくと、ミケは一呼吸置いて、そっと付け加える。
「……それでも、あなたが貫くべきだと判断したことは曲げるべきじゃないと、思いますけれどね」
「………」
レティシアは俯いて、考え込んだ。

『レティシアは優しいね、でもその優しさの使い道を間違えないで。今のレティシアの雇い主は、先輩なんでしょ?』
『「勝つ」っていうのは、必ずしも「怪我をさせる」ということではありませんよ?』
『あなたは仕事をしているとは言い難いと思いますよ』

カイやオルーカの言葉も一緒によみがえる。
ミケも、そして彼女たちも、自分たちの立ち位置をきちんと理解し、遂行することに誇りを持っていた。
仕事として請け負い、対価を得るということ。そのことを自分は、何と軽く考えていたのだろう。
自分が何をするのかもきちんと確認せず、やりたくないと依頼人にごり押しし、依頼人の不利益になるような行為に出る。
そんな冒険者は、辞めさせられて当然なのだ。本来ならば。
レティシアは今更ながらに、自分の『仕事』に対する認識の甘さを感じて情けなくなった。
じわり。
唇をかみ締めると、目じりに涙が浮かぶ。
それを見て、ミケは僅かに気まずげに眉を寄せたが、そのままゆっくりと言葉を続けた。
「あなたは、冒険者です。自分で自分の道を選択する自由があって、それに伴う責任がある……今、言ったとおりです。
その上で、今、あなたがしたいことを、したらいいんじゃないかなと思います」
「………うん」
涙目のまま頷くレティシア。
ミケはふっと表情を緩めて、優しい声音で言った。
「……考えてみてください、あなたが為すべき事を。あなたが出した答えを、僕は応援する。僕も冒険者だから」
「……ミケ……」
顔を上げて彼の顔を見ると、彼はまた苦笑する。
「間違っていると思ったら、また意見するかも知れませんけれどね」
「………うん」
レティシアは涙を浮かべつつも、どこかすっきりした表情で笑った。
「……ありがとう。言い難いこと、言わせちゃったよね」
「…いえ、こちらこそすみません、遠慮無しに」
「ううん、ミケに聞いてもらえて、言ってもらえてよかった。私、もうちょっとよく考えてみるね」
「はい。お茶、ご馳走様でした。じゃあ、僕はこれで」
ミケは言って小さく頭を下げると、立ち上がる。
「また明日も、頑張りましょう」
「うん、ミケもね。お疲れ様」
「お疲れ様です」
ミケはもう一度礼をすると、カフェを後にした。
レティシアはしばらく椅子に座ったまま何かを考えていたが、やがて表情を引き締めて立ち上がる。
荷物を手に足を踏み出した表情に、もう迷いはなかった。

かちゃ。
部屋に戻ると、ルキシュは部屋を出た時同様、入り口に背を向けてベッドに横たわっていた。
「ルキシュ、起きてる?」
恐る恐る声をかけてみると、小さな声で、ああ、という返事が返ってくる。
レティシアは持っていた薬の袋をサイドテーブルに置くと、神妙な表情でルキシュに語りかけた。
「ねえ、ルキシュ…今日は本当にごめんなさい」
心から申し訳なさそうに、肩を落として告げる。
「私が勝手なことを言いすぎたの。さっきね、ミケにも会って言われちゃった」
自嘲気味に言って、苦笑して。
「私はルキシュの依頼を受けたんだから、私情を挟むべきではない、もっと、依頼人の…ルキシュの事を考えて行動するべきだって。
確かにそうよね。私はルキシュの頑張りたい気持ちも考えないで、『棄権しよう』なんて軽々しく言ってしまったんだもの」
「………」
ルキシュの返事はない。
レティシアは続けた。
「ミケとの戦闘の時も、私は自分の気持ちを優先してしまって、攻撃する事を拒んでしまったわ。
オルーカも言ってたでしょ?これは、学校主催のウォークラリーなんだから、命の危険があるわけもないって…。
それなのに私は、ミケを…友達を傷つけるのがイヤだと言って我を通してしまった。
私が甘かったの。それが、ルキシュに大怪我させる原因になってしまったんだわ」
真剣な表情でそこまで言って、もう一度丁寧に頭を下げる。
「…本当にごめんなさい。あと1日、ううん半日だけど、心を入れ替えて精一杯頑張るから」
しん。
レティシアが言葉を終えると、部屋に冷たい沈黙が落ちた。
ルキシュは相変わらず、黙ったまま横たわっていて、レティシアの方を見もしない。
レティシアはどんな罵倒の言葉も覚悟して、黙ったままルキシュの言葉を待った。
だが。

「………もう、どうでもいいよ」

長い沈黙の後に返ってきたのは、覇気のない声だった。
「え……?」
意外な言葉が返ってきたことに眉を寄せるレティシア。
ルキシュは彼女に背を向けたまま、そのままの調子で、さらに続けた。
「…君の言う通り、放棄する。それでいいだろう?」
「そ……そんな事言わないで」
レティシアは心配そうに、さらに言い募った。
「昼間の事、本当に悪かったって思ってる。私もちゃんとルキシュの事考えて協力するから。
だから……やめるなんて言わないで」
切実な様子で訴える。
が。
「……はっ」
ルキシュはなおも背を向けたまま、乾いた笑いを漏らした。
「気を使ってくれなくていいよ。
君だって言ってたじゃないか。
僕には難問をクリアする実力なんてない。高得点のところばかりを狙っても、失敗ばかりだ」
腕で顔を覆って、肩を揺らす。
その様子は笑っているようにも、そして泣いているようにも見えた。
「あの魔道士が言った通りだよ。僕は、きっと彼が戦った中で一番弱い。院生に勝ったのだって、僕の力じゃない。君の力だ。
僕に、実力なんて、ない」
「そんな……」
レティシアが何か言おうとするのをさえぎるようにして、ルキシュは続けた。
「…知ってたよ。
僕に言うほどの実力なんて無いのは、ずっと前からわかってた」
く、と笑う音。
「だから、僕はマヒンダの学校じゃなく、フェアルーフの学校に入れられたんだからね」
「え………?」
かすれた声で言ったルキシュの言葉に、レティシアは意味がわからずきょとんとした。
ルキシュは依然腕で顔を覆ったまま、ぽつぽつと話し始める。
「…マスターグロングは君の言う通り、マヒンダの名家だ。
マヒンダ建国に多大な貢献をした、偉大な魔道士の家系。当然今までも多くの優秀な魔道士を輩出し、魔道技術に大きな貢献をしている。
…あの家では、『人より優れた魔道士である』ことは必須条件だった。十人並みでは認められない。常にトップに立つことを要求される」
そこまで言って、言葉を切って。
「…残念ながら、僕は家名に応えられるほどの実力は無かった」
しん、と沈黙が落ちる。
痛い沈黙の中、腕を退かして虚空を睨みながら、ルキシュは続けた。
「逆に、弟はひどく優秀だったよ。
僕より4歳下なのに、僕より高度な魔法をやすやすと使った。学校に入ってからも、成績は常に満点に近いトップ。
両親も、次第に弟にばかり手をかけるようになっていった」
はは、とまた乾いた笑いが漏れる。
だが、青い瞳はそれと対照的に全く笑っていなかった。
「あの人たちにとっては、弟だけが名家である自分たちの息子だったんだろう。
マヒンダの魔道学校に僕が入って、弟にこんな不出来な兄がいるということが知れたら外聞が悪いと思ったのじゃないかな。
僕はマヒンダから遠く離れたこのフェアルーフの学校に入れられ、1年に1度連絡があるかどうか、というくらいだ」
「そんな……ひどい…」
いたましげにレティシアが言うと、ルキシュはまた自嘲気味に笑った。
「…まあ、楽でいいけれどね」
ごろり。
体を転がして、天井の方を向く。
表情のない瞳で白い天井を見上げながら、ルキシュはさらに続けた。
「フェアルーフに来て、マスターグロングの子息と言われない生活は楽だった。
あのマスターグロング家の長男なのに、っていう視線抜きで喋れるということがこんなに気楽だなんて、自分でも驚いたよ」
ぎゅう。
沈黙と共に、眉が僅かに寄る。
「でも…それで、事実が消えるわけじゃなかった」
絞り出すような声。
額に置かれた手が、ぐっと力を込めて握り締められる。
「僕が家に認められない、出来損ないだっていうことが変わるわけじゃない。
…今回のウォークラリーだって、優勝して僕に実力があると家に知らしめられればなにかが変わると思ってた。
でも、そうだよ、変わるわけ無いじゃないか。
僕に実力が無いという事実からいくら目を逸らしたって、変わるわけは無い」
は、とまた乾いた笑いが漏れて。
「こんなに痛い目を見ないとわからないなんて、出来損ないの面目躍如、といったところだね」
「…………」
レティシアはかける言葉を見つけられずに、口をつぐんだ。
再び、痛い沈黙が落ちる。
むく。
ルキシュはゆっくりと体を起こすと、レティシアの方を向いた。
「……怪我はもう大したことは無いよ。
今から学校に戻って、棄権の手続きをしてこよう。君の依頼料も、満額支払われるはずだ。棄権をしたのは僕の勝手なのだからね」
言って、ベッドから足を下ろし、立ち上がろうとする。
レティシアは慌ててルキシュに駆け寄った。
「待って、無理しちゃダメよ!」
立ち上がりかけたルキシュの肩を押さえ、ベッドに戻して。
ルキシュは不思議そうな表情で彼女を見返した。
「…何を……」
「大したことないかどうか、私にわからないと思う?
ちゃんと治るまで、無理しちゃダメ。回復魔法かけて、お薬も塗るから、まだおとなしくしてて」
「……だから、僕は……」
「ねえ、ルキシュ」
レティシアはいたわるようにルキシュの前に膝を着くと、ベッドに座る彼を見上げた。
「ルキシュは……魔道師になるのはイヤなの?魔道の勉強は楽しくない?」
「楽しい……?」
まるで初めて聞く言葉のように、不思議そうに言って眉を寄せるルキシュ。
レティシアはゆっくりと頷いた。
「……そう。お家のこととか、ご両親のこととか、弟さんのこととか…そういうの抜きにして。
魔道の勉強をするのは、ルキシュにとって楽しいこと?それとも、そうじゃない?」
「……それは………」
ルキシュはゆっくりと視線を動かして、考えをめぐらせているようだった。
やがて、小さな声でぼそりと答える。
「…楽しくない…ことは、ない、と思う……」
「……楽しいの?楽しくないの?」
煮え切らない回答に眉を寄せてレティシアが押すと、ぶっきらぼうに告げた。
「……楽しいよ」
「そう」
ふわり、と微笑むレティシア。
「魔道の勉強って楽しいよね。私もそうだったし、今も新しい事を覚えるのが楽しくて仕方ないわ。
ルキシュもそうだなんて嬉しいな」
「………そ、そう」
気まずげに視線を逸らすルキシュ。
レティシアはまた表情を曇らせると、ルキシュに言った。
「ねえ……それじゃ、ダメなのかな?」
ぎゅ。
ルキシュの手を握ると、彼はびくりと肩を震わせてレティシアを見た。
レティシアは訴えかけるような真剣なまなざしでルキシュを見ながら、続ける。
「魔道の勉強が楽しい、もっと新しい事を学びたい、広い世界が見たい。
そんな理由で、魔道の勉強しちゃ……ダメなのかな?
お家がどうとか、家族の目がどうとかそんな事気にしないで、自分のやりたいように、心の思うままやっちゃいけないのかな?」
「……っ………」
彼女の言葉にか、それともその表情にか、言葉を詰まらせるルキシュ。
レティシアは真剣な表情で、さらに続けた。
「ルキシュが大変な思いをしてきたのはわかったわ。でも、私はルキシュが笑って楽しく過ごせる方が良いと思うの」
「……楽しく……?」
「そうよ!」
力説してから、辛そうな表情で目を伏せて。
「ルキシュの大切な家族のこと、悪く言いたくはないけど…あんまりだよ。
優秀なら愛して、そうじゃないなら愛さない、なんて。自分の血を分けた家族なのに……」
まるで自分のことのように憤慨して、言葉を詰まらせる。
「ねえ、いいんだよ?お家に認められなくたって、ルキシュはルキシュじゃない。
ルキシュは魔道を使うための入れ物じゃない。ルキシュの人生は、ルキシュのものなんだよ?
自分のやりたいように、楽しんで、幸せになってもいいんだよ?」
「………」
再び自分を見上げて訴えるレティシアを、ルキシュは呆然と見つめ返した。
「僕の…やりたいように……」
「うん」
「幸せに……?」
「そうよ」
ぼそぼそと呟くルキシュの言葉に、頷きながら言葉を返していくレティシア。
再び、沈黙が落ちる。
だが、もうその沈黙は、冷たく痛いものではなかった。
ルキシュは力が抜けた様子で、呆然と呟いた。
「……レティ…シア……」
「うん?」
名前を呼ばれて、にこりと微笑み返すレティシア。
ルキシュはそこで、急に我に返ったように表情を変えた。
「…なっ、何でもない……」
「…そう?」
急に頬を染めて視線を逸らすルキシュを不思議そうに見上げるレティシア。
「ルキシュ、棄権はしない?明日もまた、頑張れそう?」
もう一度問うと、ルキシュは視線を逸らしたまま、ぎこちなく頷いた。
「……君がそう言うなら、しょうがない…ね」
「そう、よかった」
レティシアもう一度ふわりと微笑んで、立ち上がる。
「回復魔法、かけるわね。お薬もつければ、明日には治るわ。
明日も、頑張りましょうね」
言って、先ほど買ってきた薬の袋をごそごそと開けるレティシアを、ルキシュはそっと横目で見つめた。

妙に楽しそうに薬の準備をする彼女は、気づいていないようだった。
ルキシュが初めて、口に出して彼女の名を呼んだことに。

第5話へ