堕天使たちの舞台

「ステージ……?」

パンフレットを見いていたユキは、そこに記された予定表に目を止めた。
「へぇ…いろいろやってるんだね。午前中は劇とかもやってたのかー、ちょっと見てみたかったな。…うん?このフィーリングカップルって…なんだろ?」
「それはあまり気にしなくていい」
「そう?」
不思議そうに首を傾げながらも、シルの言葉に素直に頷くユキ。
再び、パンフレットの予定表に目を落とす。
「午後は……えっと、バンド演奏と、ミスター・ミス魔道学校コンテスト…あとダンスかぁ。すごいね、いろいろやるんだなぁ」
「見てみたいか?」
シルが言うと、ユキは嬉しそうに表情を広げた。
「え、いいの!?」
はしゃいだ様子でシルの手を取る。
「行きたい!」
そして、早速ステージが開催される講堂の方へと歩き出すのだった。

「あっ」
講堂までやってきたユキは、入り口にたたずむ見覚えのある姿に声を上げた。
「ヴォルフさーん!」
シルの手を離し、満面の笑顔で大きく手を振りながら、ヴォルフと呼んだ男性に駆け寄っていく。
男性……ヴォルフは、名を呼ばれてそちらに目を向けると、驚いたように表情を広げ、それからふっと微笑んだ。
「ユキか。久しぶりだな」
「うん!久しぶり、元気だった?」
「ああ、変わりない。お前も元気そうだな」
「えへへ、ありがとう。…あ、そうだ」
ユキはそこで思い出したように後ろを振り返り、そこに佇んでいたシルを手で指し示す。
「あ、あのね、僕の師匠のお兄さんの一人で、シルさん!
僕が文化祭に行ってみたいってお願いしたんだ!」
「シルガネルだ。ウォークラリーでユキが世話になったと聞いた」
淡々と自己紹介するシルに、ヴォルフは気さくに笑いかけた。
「ヴォルフガング・シュタウフェン。ヴォルフでいい。確かに雇い主だったが、ウォークラリーではユキに助けられた、世話の割合はフィフティーだな」
「そうか」
少し安堵したように表情を和らげるシル。
ユキは楽しそうにシルに言った。
「僕のね、初めての男友達なの!」
「そうか……だがそれはセル(と書いてモンペと読む)には絶対言うな」
「?うん」
また不思議そうに首を傾げながらも、素直に頷くユキ。
その会話の意味はよくわからないが、ヴォルフはユキを見下ろして話題を変えた。
「どうだ、文化祭は楽しいか」
「うん!僕こういうの初めてだから、すっごく楽しいよ!
これから、ステージが始まるんだよね?だからここに来たんだ」
「そうか……」
それを聞いて何とも言えない表情になるヴォルフ。
ユキはその表情を見上げ、不思議そうに問うた。
「そういえば、ヴォルフさん、何してるの?ステージのお手伝い?」
「いや、これからステージに出るんだ」
「えっ?!ヴォルフさんがステージに?!」
驚いて声を上げるユキに、ヴォルフは苦笑を返す。
「ああ…知り合いに見られるのは気恥ずかしいもんだが、まあそうも言ってられんな」
「えー、すっごく見たい!これからやるの?」
「ああ。今やってるやつらの…3つ後だな。これだ」
言って、持っていたプログラムをユキに見せた。
ヴォルフが指し示した場所には『血塗られた堕天使たちの永遠のサバト』…と書かれている。ほかのプログラムの記載ルールから、おそらくバンド名なのだろう。
不穏なバンド名を一切意に介することなく、ユキはわあっと目を輝かせた。
「バンドって、演奏だよね?どんなのやるの?」
「ロックになるのか?ジャンルはよくわからないが…渡された楽譜を演奏するだけだからな」
「ヴォルフさんが歌うの?」
「いや、俺はベースだ。ヴォーカルはあいつだな」
くい、と親指で後方を示すヴォルフ。
そこには、長い黒髪と黒い翼の、かなりきわどい恰好をした女性が、他の仲間と思しき男性と談笑している。
「わ、あの人も黒い翼なんだね!」
少しうきうきした様子のユキに、ヴォルフは肩をすくめる。
「いや、どうやらあれは染めているらしいぞ」
「染めてるの?」
「ああ、双子の妹は金髪の白い翼だし、あいつ自身が染めてると言っているのを聞いた気する。その方が背徳感がどうとか言っていたが…興味が無いから聞き流したな」
「ふーん……」
ユキはよくわからなそうに女性を見やっていたが、後ろに佇むシルは若干眉を寄せている。
「ヴォルフさんのお友達なの?」
「断じて違う。だが、どこから聞いたのか、楽器ができるって誘われてな。
まあ…いろんな取引があって、出ることになった」
微妙に言葉を濁すヴォルフ。どんな取引があったのか、若干苦い表情だ。
ユキはそれも気にする様子もなく、にこりと微笑んだ。
「へぇ~……頑張ってね!
僕、絶対見る!応援するから!」
「ああ、ありがとうな。
っと、そろそろ時間らしい、じゃあまたな」
向こうの女性に招かれ、ヴォルフは軽く礼をすると彼女の方へ歩き出す。
「がんばってねー!」
ユキはまたぶんぶんと手を振って、それを見送るのだった。

その後、きっちり3グループ目に現れたバンド『血塗られた堕天使たちの永遠のサバト』は、全体的に黒と赤と十字架と羽根がまき散らされた一種異様な空間を展開し、なぜか大盛況だった。
ユキはその異様な熱狂の中、ひとりクールにベースを演奏するヴォルフに、ユキはハイテンションで声援を送り続けていた。

ステージ終了後。

「ヴォルフさん、お疲れ様!
ライブ凄かった!かっこよかったよ!」
「そうか……まあ、ありがとな」
興奮した様子で駆け寄ってくるユキに、ヴォルフは複雑そうな笑みを返しながらも礼を言った。
そこに、残りのバンドメンバーも歩いてくる。
「お疲れ、ヴォル」
「ああ」
ヴォーカルの女性…ラスティに声をかけられ、ヴォルフは淡々と返事を返す。
ラスティはヴォルフとその傍らにいるユキに目を落とし、妖艶に微笑んだ
「あら…ヴォルもなかなか隅に置けないのね?」
「えっ?」
きょとんとするユキを一瞥し、ヴォルフは煩わしそうにラスティを見る。
「やめろ、こいつはそんなんじゃない」
「あらそう?この後は後夜祭でおアツい夜を過ごすのかと思ってたのに、残念」
「なぜおまえが残念がる…いいからさっさと行け」
「はぁい」
くすくす笑いながら、ラスティは楽しそうにユキの耳元に耳を寄せた。
「アナタ、後夜祭は絶好のチャンスよ?好きならグイグイ行きなさい?」
「ふぇっ?」
「ラスティ、いい加減にしろ」
「きゃははは、こわぁい」
素っ頓狂な声を上げるユキと、怒ってたしなめるヴォルフをよそに、ラスティはけらけらと笑いながらその場を去っていく。
「ったく……」
「ヴォルフさん……」
「なんだ?」
「後夜祭って何?」
「そこかよ」
律儀に突っ込みをくれてから、ヴォルフは後夜祭について説明した。
「校庭の中央でキャンプファイヤーをやって、その周りを踊るらしい。
フォークダンスだそうだ」
「へぇ…フォークダンスって僕踊ったことないや」
「俺もだ。まあ、簡単な踊りだから踊ってるうちに覚えるだろう。ほかにも本格的なダンスパーティーもあるようだが…」
「そうなんだね。ヴォルフさんは後夜祭に出るの?」
「この流れで出たらラスティに遭遇して面倒そうだしな…俺は出る予定はない」
「そっか……」
「雰囲気はかなりいいらしいぞ。学内のカップルは割と参加するらしい」
「そ、そうなんだね」
カップル、の響きに若干の動揺を見せるユキに、ヴォルフはからかうような笑みを投げた。
「お前も、誰か大事なやつと行ってきたらどうだ?」
その言葉に、ユキは顔を真っ赤にして手を振り上げる。
「もうっヴォルフさんのばかっ!」
軽くヴォルフを叩こうとするユキと楽し気にそれをかわすヴォルフを、シルは無表情で見つめているのだった。

「ねえルキシュ。ルキシュはこの後どうするの?」
メイド・執事喫茶を出た後。
ミケとも別れ、二人きりになったレティシアは、隣にいるルキシュにそう聞いた。
「僕は2階のジャズバーの担当なんだよ。これからシフトに入っているから、行かなければならないんだ」
「ジャズバー?!すごーい!」
ルキシュの口から飛び出た大人ワードに驚くレティシア。
「ねえ、私もついていっていい?」
「構わないけれど…あまり相手はできないかもしれないよ?」
「いいの!ジャズバーで過ごせるなんてそれだけでワクワクするし!
…あ、でも、大人の雰囲気に私ついていけるかしら?」
テンションが上がったかと思えば急にしょんぼりするレティシアに、苦笑するルキシュ。
「別に、ジャズを聴くのについていくもいかないもないだろ。楽しみたいように楽しめばいいよ」
「そう?そう言ってもらえると気が楽だわ…じゃ、行きましょう!」
ルキシュの手を引き、早速歩き始めるレティシア。
唐突に握られた手にルキシュが頬を染めていることなど、初めてのジャズバーに気分が浮き立っている彼女に走る由もないのだった。

「な……なにこれ…メチャクチャ本格的じゃない?!
コレ本当に学校の文化祭の出し物なの?!」
ジャズバー『ブロッサム』に到着したレティシアは、中に入るなり驚いた様子で言った。
「わ…私、完全に浮いてない?」
と、どちらかというと可愛い系の自分の服装にそわそわと目を落とす。
ルキシュは苦笑した。
「大丈夫だよ、さっきも言っただろう?好きなように楽しめばいいって。
さ、どうぞ、お嬢様。ようこそ、ブロッサムへ。ご案内いたします」
急に恭しく手を差し出すルキシュの立ち居振る舞いはまるで王子様のようで、彼が貴族の出身であることをいまさらながらに思わせる。
その優美なさまにレティシアは若干ぽーっとしながら手をのせ、おとなしくルキシュに案内されていった。

「こちらがメニューでございます」
「あ、ありがとぅ…」
先ほどの執事喫茶にも負けないルキシュの振る舞いにどぎまぎしながら、レティシアはメニューを受け取って目を落とす。
「アルコールはないけれど、そのほかのものはなかなかの味だよ。僕もクリシュナも、金だけはかけているからね」
口調を元に戻して、いたずらっぽく微笑むルキシュ。
その様に安心したように微笑むと、レティシアはメニューの中からノンアルコールカクテルを指さした。
「じゃあ……この、シンデレラで」
「畏まりました。では、しばらくお待ちくださいませ」
再び、丁寧な口調で恭しく礼をして、きびきびとバックヤードに向かった。
その後姿を見つめながら、レティシアはほーっと息をつく。
「わぁ…大人の雰囲気だなぁ…」
感心したようにうなずいて、改めて店内をぐるりと見渡す。
ピアノとコントラバス、サックスで編成されたアンサンブルはしっとりと邪魔にならないBGMを奏で、やや暗めに調整された店内の照明とよくマッチしていた。
レティシアのほかには客は一人しかおらず、どうやらもう一人の店員とダーツを楽しんでいるようだ。
「店員さんと遊んだりもできるのね……」
ロップイヤーのウサギ耳をした、どうやら獣人であるらしいその店員は、女性客と楽しそうに談笑しながらダーツを教えているようだった。
「あの店員さんもイケメンだし、大人だよねぇ……ルキシュもさすが、貴族出身って感じだし…
よく考えたらミケとルキシュって同い年なのよね」
微妙に衝撃の事実。
「ミケも大人の雰囲気がなくもないけど、可憐な少女のようでもあるからなぁ。
ああ…ミケったら二つの雰囲気を持ち合わせてるなんてやっぱりステキ!!」
早速あっちの世界に旅立つレティシア。
と、そこに。
「お待たせいたしました、お嬢様」
ルキシュの声がして、振り替えるレティシア。
すると。
「うわ……!」
先ほどまで着ていた貴族服のジャケットを脱ぎ、代わりにベストとギャルソンエプロンをつけていた。それが彼の気品を際立たせ、平たく言えばかなり似合っている。
「すごいルキシュ!似合う!かっこいい!」
「……そ、そう」
素直に褒めちぎるレティシアに、ルキシュは若干照れながら、持ってきたカクテルをレティシアの前に置いた。
「ありがとう、いただきます!」
レティシアはさっそく運ばれたカクテルを手に取り、香りを楽しんでから口をつけてみる。爽やかなパイナップルの酸味が口の中に広がった。
「うん、美味しい!さすがだね」
「当然だよ。この僕が作ったのだからね」
「え、ルキシュが作ったの!すごい!」
またも素直に褒められ、居心地悪そうなルキシュ。
レティシアはグラスをテーブルに置くと、ルキシュを見上げた。
「ねえ、他のお客さんが来るまでお話ししない?あっちの店員さんもお客さんとダーツしてるみたいだし」
「ああ、それは構わないよ。新しいお客様が来たら失礼させてもらうけれど」
「うん、それでいいから。ほら、座って座って!」
無邪気に進めるレティシアに、苦笑しながら正面の椅子に座るルキシュ。
「じゃあ、劇、お疲れ様。ルキシュのロミオとってもステキだったわ」
ちん、と、ルキシュが持ってきた水のグラスに触れあわせて乾杯し、レティシアは嬉しそうに微笑んだ。
「ホント、お疲れ様。主役の子が来れなくなっちゃった時はどうしようかと思ったけど、何とか無事に終わってよかったわよね。ルキシュのロミオをあんな間近で見る事ができるなんて眼福よね。ご馳走様でしたっ」
「いや、君の方こそ、その……」
もごもご言うルキシュの様子には気づかぬ様子で、レティシアはニコニコと続けた。
「それにしても、ロミオとジュリエットってやっぱり悲恋の王道よね。報われない恋かぁ。切なくて心を打つけど、私はやっぱりハッピーエンドがいいなぁ。
自分がド平民だから、ロミオとジュリエットのシナリオにせよルキシュのお家事情にせよ、遠い世界の話みたいなのよね。
私にとっては身分違いの恋より冒険譚の方が身近だったから。
もちろん、恋愛に興味が無いわけじゃないから、そういうお話もたくさん読んで憧れもしたけれど、やっぱり私は悲恋より最後は幸せになれる方がいいなぁ」
「…そ、そうだね……」
はあ、と切なげにため息をつくレティシアに、どぎまぎした様子のルキシュ。
レティシアは追い打ちをかけるようにルキシュに話を振った。
「ねえルキシュ。ルキシュの家って名家じゃない?もし、身分違いの恋とかしちゃったらどうする?」
「へっ?」
唐突な質問に変な声を上げるルキシュ。
レティシアは続けた。
「私は普通の家の子だから、そんな事で悩む事はないと思うけど…
やっぱり、ロミオとジュリエットみたいに愛を貫こうとする?それともキッパリ諦めちゃう?」
「へ、な、んでそんな、っちょ」
あからさまに挙動不審な声を漏らしてから、ルキシュは一つ咳払いをした。
「ごほんっ。あー、その。どうにか、認めてもらえるように努力をするかな……ロミオとジュリエットのように逃げるのは、子供のすることだと…思うよ」
「子供?」
「知ってるかい、ロミオとジュリエットは16歳と14歳なんだよ」
「へっ、そんなに若いの?!それであの情熱的なセリフを…?!」
「舞台がオルミナだからね、お国柄もあるんだろう。それにロミオとジュリエットは、身分違いというよりは、家同士が争っていて、結婚を許してもらえなかったというものだから…少し、事情は違うかもしれないね」
「そういえば、そうだったわね」
「若いのだから仕方がないとは思うけれど、家同士の争いから、逃げて済まそうというあの二人の姿勢は、やはり僕は子供だと思うね。諦めずに努力すれば…見方を変えれば、困難が排除できる可能性は、ゼロではないのだから」
「ルキシュ……」
自分の能力のなさに諦めを抱きかけていたルキシュが、ウォークラリーの一件から家とのわだかまりも徐々にほどけてきているのを知っているレティシアは、その様子に胸が熱くなるのを感じる。
「じゃあ、ルキシュは、たとえ庶民のお嬢さんを好きになっちゃったとしても、諦めずにハッピーエンドにしてくれそうね!」
にっこりと、清々しい笑顔で言うレティシアに、再び顔を赤くして絶句するルキシュ。
「…どうかした?ちょっと暑いかな?」
「い、いや、なんでもない…よ。そうだね、僕はあきらめずに、最後はハッピーエンドにしたいと思う…よ」
「うん、がんばって!」
意味ありげなルキシュの視線を、全力の笑顔で跳ね返すレティシア。
少し肩を落とすルキシュには気づかない様子で、レティシアは残りのカクテルをくっと飲み干した。
「さて…と、久しぶりにルキシュとゆっくりお話もできたし、私はもう少し学園内をブラブラして出し物を見てくるね」
「…そう。来てくれてありがとう、助かったよ」
立ち上がるレティシアに、ルキシュも寂しげに微笑んで立ち上がる。
「こちらこそ!お話に付き合ってくれてありがと」

そうして、レティシアは会計を済ませると、店を後にするのだった。

ラストダンスはあなたと

後夜祭。

グラウンドではキャンプファイアーがたかれ、その周りを生徒たちが楽し気に踊っている。
ユキは少し離れた草むらに座り、その様子をじっと眺めていた。
「………」
やはりユキの傍らに立っていたシルは、用心深くあたりを見回し、夜の闇にまぎれた危険がないかを確認する。
「…………ん?」
ふと目を止めた、フォーマルな装いの男。昼間、手作り雑貨の店で見かけ、彼の代わりにユキに髪飾りを買ってやったことを思い出す。
つまりは、ユキの師匠であり、シル本人にとっては弟である、リグその人であることが分かった。
「………」
相変わらず、ユキに『自分を探せ』と言っておきながら、自分はストーカーよろしくユキに張り付いているその姿に、シルはなぜかすっと目を細めて足を踏み出した。
「……っ?」
がしっ。
ユキを見つめるのに夢中になっていたであろうリグは、気配を消して近づいてきた兄に気づかずにあっさりと手首をつかまれ、そのままグイグイと引っ張られる。
そして。

「僕、フォークダンス踊ったことないけど……楽しそうだなぁ……」
うらやましげにそう呟くユキのもとに引っ張ってきたかと思うと、シルは彼女の肩を叩いて淡々と言った。
「なら、この人に協力してもらえ」
「えっ?」
驚いて振り向くユキに、掴んでいたリグの腕を差し出すシル。
戸惑っている様子のリグは、やはりユキには知らない男性にしか見えないようで、しきりに戸惑っている。
「え、でも……」
「思い出になるだろ」
シルがもう一押しすると、ユキはやはり踊ってみたかったのか、おずおずとリグに向かって問いかけた。
「うん……お願いしていいですか?」
「あ……あ、ああ」
リグも戸惑った様子で、しかしユキの頼みは断れなかったのか、あいまいに頷いた。

フォークダンスを知らないユキと、知っているのだろうがあまり経験がない様子のリグの踊りは、周りの振りを見ながらのこわごわとしたものだったが、やがてそれにも慣れ、スムーズに体が動くようになってきた。
「ふふっ……楽しいな。ありがとうございます、僕の思い出作りに付き合ってくれて」
「……いえ、構いませんよ」
フォーマルな装いの男性らしく、優し気な表情を繕いながら答えるリグ。
相変わらず、ユキは彼がリグであるということには気づかない。
だんだん楽しくなってきた様子で、リグに導かれてくるりとターンすると、ユキが首から下げていたペンダントがしゃらりと踊った。
「それは……」
「え?ああ、これですか」
男性の視線が自分のペンダントに行っていることに気づいたユキは、嬉しそうにそのトップを手に取る。複雑な切れ口の半円の金属に白い羽根が施された、可愛らしいデザインのペンダントだ。
「これ、僕の大切な人とペアなんです。いつもつけてるの」
「……そう……ですか」
「今は離れていて会えないけど…これを持ってると、その人がいつも一緒にいてくれるような気がして…悲しい時でも、力がわいてくる気がするんだ」
「………」
リグは無表情のまま口を閉ざしている。
ユキは苦笑して彼を見上げた。
「ごめんなさい、よく知らない人にこんな話しちゃって」
若干の恥ずかしさを誤魔化すように、大仰にステップを踏んでくるりとターンする。
が。
「わわっ」
勢い余ったのか、慣れないダンスの慣れない体制がぐらりと崩れ、ユキの体が倒れ掛かる。
「危ない!」
リグは慌てて手を伸ばすと、ユキの背に腕を回して引き寄せる。
「っ…!す、すみません!」
慌てて謝罪するユキに、リグはぎこちない笑みを返す。
「いえ、怪我がなくて良かった」
リグ自身も慣れない体制から無理をしてユキを助けたため、羽織っていたジャケットが少し乱れていた。
「あ、服が……ちょっと失礼しますね」
それに気づいたユキが、手を伸ばしてその服を整えようとする。
「っ、待っ……!」
リグが慌てて止めようとするも、間に合わない。

しゃらん。

ジャケットの内ポケットからこぼれたのは、ユキと同じデザインの、しかし黒い羽根がついているペンダントトップ。
「!………」
ユキは驚きに目を見開き、ばっとリグの顔を見上げた。
「ノエルさん……?」
ユキは、そのペンダントを渡した人物の名を呼ぶ。が、仮面で隠れていたとしても、あまりに違いすぎる容姿に、やがて呆然と、しかし確信を持った声音で言った。

「……ううん……もしかして……リグさん…?」

リグはその声を聞くやいなや、ユキの手を取って走り出した。
「えっ?!ちょっ……」
「………」
戸惑うユキを強引に引っ張ってグラウンドから走り去っていくリグ。
シルは遠くからそっと、その様子を見送るのだった。

「はあ、はあ……」
「……っ」
校庭横のちょっとした雑木林で。
人気がないことを確認したリグはようやくその足を止め、大きく呼吸をして息を整える。
ユキも大きく肩を上下させながら、ゆっくりとその人を見上げた。
「……はぁ……やっぱり……っ、リグさん……だよね…?」
「………」
はあ、と大きな息をついてから、リグはゆっくりと身を起こし。

ばっ。

あっという間に纏っていた服を剥ぐと、そこには変装を解いた元の姿のリグが立っていた。
「……っ……!」
ユキは眼尻に涙を浮かべ、リグに抱きついた。
「リグさん!!リグさん、リグさん、やっと見つけた、やっと会えた……!」
その胸にぐりぐりと顔を押し付けるユキを、リグは咎める様子もなく見下ろしている。
「リグさん、僕ね」
ユキはリグの胸に顔をうずめたまま、言った。
リグに会えたら言おうと、ずっとずっと温めてきた言葉を、ゆっくりと。
「いろんな冒険してきて、思ったんだ。
黄金の乙女の事件でも、ゾンビの村でも、いつ何があって離れ離れになるかわからないんだって。
だから、僕、言いたいの」

すう、と息を吸って。
口からこぼれるのが惜しいとでもいうように、大事に大事に、言葉を紡いだ。

「僕、リグさんのことが好き。師匠とかじゃなくて、恋って意味で」

胸に顔をうずめたままだが、耳まで真っ赤になっていることがわかる。
一世一代の大告白をしてみたものの、恥ずかしくて顔が上げられないらしい。
「………」
リグは無表情でそれを見下ろすと、ぺちんとその頭を叩いた。
「ふぇっ」
「まだまだ未熟な半人前が何を言ってる」
妙な声を上げて身を離したユキに、冷徹に告げる。
「……だが、まあ試練をクリアしたことは認めてやる」
「本当?!」
途端にぱっと表情を広げるユキ。
リグは相変わらずの無表情のまま、言葉をつづけた。
「俺の隣りに立てるようになれば、返事をしてやる。
それまでこの件は保留だ」
「うん!僕、頑張る!」
告白の返事を保留にしているにもかかわらず、嬉しそうに頷くユキ。
リグは僅かに口元を緩めると、言った。
「……シルを待たせてるだろう。行け。後でお前の泊まっている場所に行く」
「……!うん!」
もうリグが以前のように姿を消さないと理解したユキは、満面の笑みで頷くと、再び校庭の方へ駆けていく。

その背中を、リグはいつまでも見送るのだった。

「わぁ…すごい」

一方、レティシアは講堂で行われたダンスパーティーの方に足を運んでいた。
「学生だけじゃなくて、先生たちも来てるのね…わ、あの人魔術師ギルドで見たことある」
割とそうそうたる顔ぶれに気遅れ気味のレティシア。
「もしかしたらミケも来てるかも…なんて思ったけど、この人混みじゃ捜せないかな」
などと呟きながら、それでも視線はミケを追ってはみるものの、一向に見つからない。
きょろきょろしながらうろうろしていると、まったく知らない男性が話しかけてきた。
「素敵なお嬢さん、私とダンスはいかがですか」
「えっ」
きょとんとしたが、周りを見回せば同じようにダンスに誘っている男性がたくさんいて、この会はそういう趣旨なのだと理解する。
「…あの、私そんなにダンスって踊ったことないんだけど…」
「大丈夫ですよ、私がリードします」
簡素な礼服を身に纏った男性は、そういうと優しく微笑んだ。
ほっとしたように微笑んで、レティシアは男性の手を取り、ぎこちなく踊りだす。

そんな様子で、レティシアは何人かの男性と一緒にダンスホールで踊っていった。
踊っている最中も、気づけば目はミケを探している。が、やはり一向に見つからない。

「やっぱりだめかぁ…」
レティシアはため息をつき、ひとまずはダンスホールから離れて壁際へと移動した。
やはり慣れないダンスを踊っているからか、少し疲れてしまったようだ。
壁に寄りかかり、取ってきたドリンクを飲みながら、やはり何とはなしに会場内に視線を巡らせる。
と。
「!ミケ……!」
隅の方に黒いマントの影を見つけたレティシアは、飲んでいたドリンクを傍らに置き、慌てて足を踏み出した。
が。

「……っと!どうしたんだ、レティ」

慌てて踏み出そうとしたために体勢を崩したレティシアの腕を、とっさにルキシュがつかむ。
「へっ……あ、ああ、ごめんなさい、ありがとう、ルキシュ」
礼を言いながらも、視線は先ほどの黒マントの方法を追うレティシア。
ルキシュはそちらを一瞥したが、すぐにレティシアに視線を戻し、恭しく礼をした。

「……僕と、踊っていただけますか」

「えっ……」
とたんに目を丸くしてルキシュを見るレティシア。
しかしすぐに、戸惑ったように視線を泳がせる。
「…でも今ミケが…」
「ミケ?見かけなかったけれど?だいたい、このような場所に来るタイプじゃないだろう、彼は」
「……はは、それもそうね。うん、きっと見間違いだわ」
レティシアは寂しそうに微笑んで、ルキシュに向き直った。
「せっかく誘ってくれたのにゴメンね。一緒に踊りましょう。あ、でも言っておくけど私、ダンス下手よ?」
「構わないよ、ダンスは男がリードするものさ」
気を取り直して微笑むレティシアに、ルキシュもおどけて笑みを見せる。
そうして、ルキシュに導かれて再びダンスホールに戻ったレティシアは、背筋を伸ばしてルキシュに身を寄せた。

音楽が始まる。
ルキシュのリードは完璧で、レティシアは先ほどまで踊っていた男性たちとは比べ物にならないほどの踊りやすさに驚いていた。
「さすがルキシュね。ダンスも完璧」
「当たり前だろう。僕を誰だと思っているの?」
「ふふ、失礼しました、ルキシュ様」
軽口をたたきながら、軽やかに踊る二人。
レティシアは完璧に自分をリードするルキシュをじっと見つめ、まるで自分がお姫様にでもなったかのような錯覚を覚えていた。
うっとりとルキシュを見つめながら踊っていると、ふいにルキシュが眉を顰めて視線を外す。
「……ねえ」
「え?」
「あんまり見つめられると、僕も恥ずかしいんだけど」
「はっ…ご、ごめんね、つい……」
つられるようにレティシアも頬を染めて視線を外すのだった。

「いやぁー、ダンスなんて久々に踊ったわ。ホントに下手でビックリしたでしょ?途中で足踏んじゃってゴメンね」
ダンスが終わり、高揚した気分で行動を出てきた二人は、中庭のベンチで一休みしていた。
「…ま、そんなに気にしないでよ。重くなかったし……そんなには」
「そんなには?!」
「はは、冗談だよ」
ひとしきり軽口をたたき合い、レティシアは満足げにため息をつく。
「でも、久しぶりに学校の雰囲気を楽しめてホントに嬉しかったし楽しかったわ。文化祭、誘ってくれてありがと」
「……こちらこそ、手伝ってくれて礼を言うよ」
「ねえルキシュ」
レティシアはルキシュに向き直り、真剣な表情で問うた。
「ルキシュは文化祭、楽しかった?楽しめた?」
きょとんとするルキシュ。
力が発揮できないことで苦しんでいた彼のことを、彼女が人一倍心配していたことを思い出す。
だからこそ、ルキシュが文化祭といういかにも学校らしいイベントを楽しめたのかどうかが気になったのだろう。
ルキシュはくしゃっと表情を崩すと、泣きそうな微笑みを浮かべた。
「……ああ、楽しかったよ、とても。ありがとう、レティ」
「そっか、よかったね!!」
満面の笑顔を返すレティシア。
「ルキシュが嬉しいと、私も嬉しくなっちゃう。またこういうイベントがあるといいわね。あ、魔法教室またやって欲しいなぁ。ルキシュと一緒に勉強するの、すっごく楽しいんだもの……って」
そこまで一気にしゃべって、しまったというように手を口に当てる。
「…また一人で一気にしゃべっちゃった。ごめんね?」
ルキシュはそれを見て、本当に心底おかしそうに破顔した。
「……ははっ、君って人は、本当に……!」
「え?え??私何かおかしいこと…」
と、そこに。

『さあ、名残惜しくはありますが、ラストダンスのお時間がやってまいりました。今宵、この夢のひと時を、どうか一番大切な人とともに、お過ごしください』

講堂からラストダンスを告げるアナウンスが響く。
それを聞いて、レティシアは寂しげに微笑んだ。
「あ、もうおしまいなんだ…。お祭りの終わりって、ちょっと物寂しいわよね…」
寂しげに行動を見上げるレティシアに、ルキシュがすっと手を差し出す。
「じゃあ、レティ。ラストダンス……僕と一緒に、踊ってくれる?」
「え……」
驚いてそちらを見るレティシア。
ルキシュは微笑んで続けた。
「中庭で悪いけど、二人きりで。ラストダンス、踊ってくれるかい?」
「ルキシュ……」
レティシアは驚きに表情を広げ、やがて満面の笑みを浮かべる。

「よろこんで……!」

講堂から漏れ聞こえる、華やかでありながらも物悲しいワルツを背に。
ルキシュとレティシアは、このラストダンスが少しでも長く続くようにと願いながら、くるくると踊り続けるのだった。

楽しかったね文化祭

「何をしている」

宿のデスクで何かを書いているユキを、リグは上からひょいと覗き込んだ。
「あ、リグさん」
ユキはそれを隠す様子もなく、嬉しそうに言う。
「あのね、ヴォルフさんに感謝の手紙書いてるの」
「……誰だ」
「僕の友達!
学生さんでね、文化祭の時にリグさんを見つけるきっかけを教えてくれたの!」
「ヴォルフ……」
そばで見ていたから知っている。あのバンドのベースの男だ。ウォークラリーの雇い主だったことも。
そんなリグの様子に気づく風もなく、ユキは嬉しそうに続けた。
「だからね、おかげでリグさんに会えたからありがとうって伝えたいの」
「……そうか」
ユキが示した手紙の文面は、まさに彼女が今言った通りのことが書かれている。
リグは頷いて、それから懐に手を入れた。
「リグさん?」
しゃらり。
懐から取り出したのは、赤い極細チェーンのチョーカーだった。
「……これをやる」
「え?」
「試練をクリアした褒美だ」
「!……うん、ありがとう!」
ユキは満面の笑みでそれを受け取り、早速首に着ける。
小さな細いチョーカーは、ハイネックの服に簡単に隠れてしまった。
「隠れちゃった……」
「構わない。いつもつけていろ」
「うん!」
ユキは満足げに頷くと、書いていた手紙を折りたたんで封筒に入れ、立ち上がった。
「じゃあ手紙出してくるね!」
ばたん。
ユキが出ていったドアをじっと見つめるリグ。
その脳裏には、先ほどあのチョーカーを受け取った時の兄の言葉がよみがえっていた。

『突然なに?呪具を作ってほしいなんて。
それもアクセサリー形。
……必要なもの?仕事?
……まあいいけど。それにしても珍しいね。

相手が心変わりしたらその精神を閉じ込める呪具なんて。

それ使って仕事なんて、大変だね。
まあ、僕は特に気にしないよ』

す、と左手の手袋を取るリグ。
その薬指には、赤い宝石が光っている。

あのチョーカーの、起動のスイッチとなる指輪だ。

ユキが出ていったドアをじっと見つめながら。
リグは、ユキには決して見せない歪んだ笑みを、うっすらと口元に浮かべるのだった。

「あーあ、文化祭楽しかったなぁ…」
ぱたん。
どうにも集中できずに、魔導書を閉じてぐったりとベッドに転がるレティシア。
先日の文化祭のことを思い出して、思い出に浸る。
「マヒンダの魔法学校でも文化祭はあったけど、あの時よりももっと楽しかったなー。
突然、劇の主役をやるっていうハプニングはあったけど、アレもアレでとっても面白かったし、
メイド喫茶じゃ、ミケとルキシュにケーキを食べさせてもらったりしたし!
冒険者として仕事してる時も非日常って感じではあるけど、あのひと時も、また違った意味で非日常的で楽しかったなぁ。
ダンスパーティーも楽しかったな。色々な人と踊ったけど、ルキシュと踊ったのが一番楽しかった。
やっぱり仲がいい友達だからかしらね。気が合うというか何というか…。
…ダンス、もうちょっと練習しておこうかな。もしかしたらまた一緒に踊る機会があるかもしれないし」
すっと立ち上がり、ポーズをとってステップを踏んでみる。
が。
「うーん…やっぱりへたくそだなぁ。
でも、ルキシュと踊った時はすごく軽やかに足が動いたよね。ホントに、ああいうところはさすがだなぁ」
改めて感心してから、ふと思う。
「あ、そうだ。
ルキシュにダンスを教えてもらえないかな?
ルキシュは教えるのが上手だから、きっとダンスも上手に教えてくれるよね!」
いいことを思いついた、というように手を打って。
レティシアはさっそく、机の引き出しに大事にしまってあるブレスレットを引っ張り出した。

「こんにちはルキシュ、この間はありがとう。あのね、相談があるんだけど、都合のいい日にハーフムーンでお茶しない?」

“Magical SchoolFestival!”2017.7.2.Nagi Kirikawa