もうすぐ楽しい文化祭
「文化祭?」
聞きなれない単語に、ユキは不思議そうに首を傾げた。
「そうよ。魔導学校でやるらしいのよ」
ユキに問われた女性は、そう言って鷹揚に頷いた。
妖艶な美女、という印象の彼女は、ユキの師匠にあたる男性の、花売りをしている友人、だと少なくともユキは思っている。師匠が不在の今、ユキは時折彼女のもとを訪れ、必要なことから他愛のない話までをするようになっていた。彼女もユキのことを妹のようにかわいがっている。
「文化祭って、なあに?」
「え?」
不思議そうなユキの問いに、女性は一瞬きょとんとしてから、若干ひきつった笑みを浮かべた。
「…………楽しい催しよ。彼のお兄さんたちと行ってきたら?」
こんな一般常識も教えてないなんて、と、彼女の師匠に苛立ちめいたものを感じながら、それでも優しくユキに言い諭す女性。
「楽しいこと…なんだね」
ユキは素直に女性の言うことを反芻して、それからぱっと笑顔を浮かべた。
「……うん!行ってみる!またね、お姉さん!」
「はーい、気を付けてね」
元気に駆けてゆくユキの背中を、苦笑しつつひらひらと手を振って見送る女性。
その姿が完全に見えなくなってから、彼女はふと、思い当たったように手を止めた。
「…あ、でも大丈夫かしら」
わずかに眉を寄せて、心配そうにつぶやく。
「あの人たち、ユキのことになると結構目の色変わるから…」
あの人たち、と示した、ユキの師匠の兄弟たちを思い浮かべ、心配そうにため息をつくのだった。
「へー、魔道学校で文化祭。へー、面白そうですね!」
ところ変わって、ヴィーダの東側の区画にある広場……学校が周辺に多いことから、「学びの庭」と呼ばれているその場所に、あらゆる学校が共同で使っている掲示板がある。
ミケはその掲示板に張り出された一枚のチラシを、感心したように見上げていた。
「依頼では入ったことがありますけれど、色々見て回れるみたいだし、行ってみようかな」
4分の1は本での独学、半分は師に弟子入りして学び、残りは冒険しながら実地で魔法を学んでいるミケにとっては、魔道を教えてくれる学校という場所は実のところ未知の領域だ。
うん、とひとつ嬉しそうに頷いて、彼は肩に乗っている使い魔の黒猫を見た。
「じゃあ、遊びに行ってみましょうか!」
「にゃー」
黒猫が、あるじの呼びかけに答えるように一声鳴く。
チラシが示しているその日付は、もう間近に迫っていた。
「……文化祭の手伝い、だと?」
開店準備中の酒場のマスターに思ってもみない言葉を言われ、グレンは盛大に眉を顰めた。
「ああ、金がないっつってたから、おそらくそのバイトに行ってると思うぜ」
興味なげに言いながら、丁寧にガラスを磨いているマスター。
グレンは眉を顰めたまま問いを続けた。
「金がないって…なのにここに来たのか、あのオッサン」
「ああ、まあ、しばらく支払いが滞っていたから遠慮なく取り立てさせてもらった」
「だよな……」
あきれたように息をつくグレン。
二人が先ほどからやり取りをしている「あのオッサン」とは、とりもなおさずグレンの師匠にあたる男性のことだ。
少し前から顔を合わせていない師匠は、どうやらグレンのことを避けているらしかった。理由はまあ、想像がつくが。
以前、砂漠での事件を解決してから、旧知の女性に師匠と対面できる算段をつけてもらったまでは良かったが…あろうことか、師匠はグレンと対面するが早いか、瞬く間に彼と距離を詰めて殴りつけたのだった。
グレンはそれが原因で気を失ってしまったが、その旧知の女性によれば、彼女の制止を意に介する様子もなく脱兎のごとく逃げて行ったのだという。
「チョロチョロ逃げ回りやがって…探す方の身にもなれよな、ったく」
グレンはそれからヴィーダに舞い戻り、師匠の行きつけの店を転々と回り始めた。ツケを払う使いをさせられることがこんなところで役に立つとは思わなかったが別に嬉しくない。
そして、何件目かのこの店で、文化祭という突拍子もない言葉を聞いた、というわけだ。
「で、ツケを払ったから金が無くなって、この文化祭のバイトに行くと言ってたんだな?」
「ああ。面倒だからアルバイト求人の束を押し付けといたが、確かこれを選んでたぜ」
ぱさり、と一枚のチラシを差し出すマスター。
グレンはそれを手に取って見ると、またわずかに眉を顰めた。
「…魔道学校か……よくよく縁があるな」
なんにせよ、彼は行方をくらました師匠の後を追うべく、魔道学校へと向かうのだった。
「ふぅ…」
夢中になって息を詰めて読んでいた魔道書から顔を上げ、レティシアは大きなため息をついた。
読んだ内容を反芻しながら、何の気なしに本を閉じてタイトルを確認する。
「そういえばこの本、ルキシュと初めて会った時に買った本だわ。懐かしいなぁ。
魔道学校の体験教室も終わっちゃったから、しばらくルキシュに会ってないなぁ」
言って、右腕のブレスレットを光にかざすようにして見上げた。
かつて、魔道学校で開催されたウォークラリーで優勝した時の商品。天の賢者が作ったマジックアイテムで、対になっているブレスレットをつけているもう一人といつでも話をすることができ、かつ、その相手のもとに瞬間移動できるという優れものだ。
その対のブレスレットは、ウォークラリーで彼女の依頼人として共に行動したルキシュという青年が持っている。が、使ったのは一度だけ、ウォークラリー後の彼の家族の反応が気になって、喫茶ハーフムーンに呼び出した時だけだ。
特に使わない理由があったのではなく、その呼び出した時に魔道学校の体験教室を紹介され、それを受講するようになってルキシュと会う機会が増えたので、わざわざ使う用事がなかったというだけの話だ。
しかし、もうその体験教室も終わり、それ以降の出番はない。
「…体験教室楽しかったなぁ」
色々な意味で貴重な体験だった教室の様子を思い出す。
理論の勉強よりも実技派だったレティシアにとっては、理論の勉強は初めてのことばかりでさすがに難しかったのだが、分からないところはルキシュが丁寧に教えてくれ、実りのある楽しい時間となった。
「私もミケやルキシュみたいな、立派な魔道師になりたい。だからもっともっと勉強しなくっちゃ。
また体験教室やってくれないかなぁ…」
などと、ブレスレットを見つめながら呟いていると。
「……あれっ」
ブレスレットにあしらわれた赤い石が点滅し始め、対のブレスレットからの通信が入っていることを示した。
慌てて石に触れ、通信を開放するレティシア。
「はいはーい、ルキシュ。久しぶりね。どうしたの?」
久しぶりに聞く友人の声に、自然と浮き立った気持ちになる。
ブレスレットの向こうの声は、変わらず元気そうだった。
「そっちも元気そうで何よりだね。
……実は、相談なんだけど」
と、彼は2週間ほど後のとある日付を口にした。
「この日に何か、用事はある?」
「ううん、今のところ受けてる仕事もないし、大丈夫よ?」
「なら……」
こほん、と、彼は少しの緊張を声ににじませて話を切り出した。
「今度、文化祭をやることになったんだよ」
「文化祭?へえ、魔道学校でもそういうのやったりするのね」
「いくつか出し物があって、僕も参加するのだけど、何の流れか演劇をやることになってね…ロミオとジュリエットなんだけれど」
「へえっ、すごいじゃない!でもルキシュなら合いそうな気がする!」
はしゃいだ声を出すレティシアに、ルキシュの声にさらに緊張がにじんだ。
「それで、その……できれば、君も、一緒に」
「え?!なになに?!それって私も参加していいの?!学生じゃないのに?」
ルキシュの言葉に食い気味に言葉を帰すレティシア。
ルキシュは気圧されたように返事をした。
「…あ、ああ、手伝いとして外部の人間を呼ぶことは許可されてるし、雇うという形で賃金の提供も」
「お給料なんていらないわよ!手伝う手伝う!嬉しいなぁ、ルキシュにも学校のみんなにも久しぶりに会えるのね」
レティシアは思わぬ誘いにテンションが上がった様子で言葉を続ける。
「私は何をすればいいの?劇に出る?…あ、さすがに学生さんじゃないから無理よね。じゃあ裏方だね。まかせて!!お裁縫も得意だし、メイクの技術にもチョット自信あるんだー。舞台メイクもお任せあれよ!!うわぁ!!楽しみー!!」
「………」
どんどん一人で話を進めるレティシアに、ルキシュは二の句が継げない様子だ。おそらくは、食い気味に返事をした時のその続きがあったのだろうが、どうも今更言いだすことが出来ない内容のようで。
ルキシュの返事がないことに気づいたレティシアは、言葉を止めて様子をうかがった。
「ゴメンゴメン。嬉しくなっちゃってつい…。で、私はいつからお手伝いに行けばいいのかな?明日から?」
「…あ、そ、そうだね。まずは明日のレプスの刻に学校に来てもらっていいかな?」
気を取り直して言うルキシュに、レティシアは二つ返事で了承するのだった。
そして、文化祭前日。
「レティシアちゃーん、ドレスの方の進歩はどうー?」
ルキシュに誘われて加わった劇仲間に声をかけられ、レティシアはもっていたドレスの裾を見えるように高く差し上げた。
「あと、このレースをつけたら終わりかな。後は細かいところをチェックして直すようにするね」
「わかった。お願いねー」
あっさり返事をして踵を返す彼女を見送り、再度針仕事に精を出す。
前日の今日、学校は1日休校となって、準備の大詰めに入っていた。教室を1室借り切って行われている劇の準備は、ほぼ完成の様相を見せている。
舞台を想定した教卓前のスペースでは、ロミオ役のルキシュと、ジュリエット役の女生徒が、熱心に演技指導を受けていた。
「いやぁ、ルキシュのロミオ、ハマり役よねぇ…。
どこの王子様かっていうルックスだもんなー」
しみじみと呟きながらその様子を見守るレティシア。
演技指導を受け、ジュリエット役の女生徒が、バルコニーに見立てた舞台に上がり、ルキシュを見下ろしてセリフを言う。
「おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの」
「…許されざる恋…かぁ…」
なかなか堂に入った演技に見とれながら、しかしレティシアの脳内は何やら別の物語が進行していた。
ああミケ…あなたはどうしてミケなの…
私の敵はあなたの名前。
モンタギューでなくても、あなたはあなた。
モンタギューって何?
手でも足でもない。
腕でも顔でも、人のどんな部分でもない。
ああ、何か別の名前にして!
名前がなんだというの?
バラと呼ばれるあの花は、ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない。
だから、ミケだって、ミケと呼ばなくても、あの完璧なすばらしさを失いはしない。
ミケ、その名を捨てて。
そんな名前はあなたじゃない。
名前を捨てて私をとって。
「…なぁーんてね、なぁーんてね!!!すっかりセリフ覚えちゃったわ!」
脳内物語がダダ漏れになりながら、レティシアは裁縫作業中のドレスをぐっと握る。
「あいたたたた!!!」
当然ながら指先に刺さった針に、途端に顔をしかめて指先を舐めるレティシア。
「いけないいけない、作業に集中しなくちゃ」
そこに、再び別の女生徒から声がかかった。
「レティシアちゃん。作業の途中で悪いんだけど、この子のメイクしてみてくれる?」
「あ、ハイハーイ。今行くねー」
レティシアは針を針山に戻すと、立ち上がって呼ばれた方へと駆けていく。
その様子を、演技指導を終えたルキシュがじっと見つめていることなど、彼女には知る由もないのだった。
さてはて、どこを回ろうか
「わあ、これが文化祭なんだ!すっごく楽しそう!」
文化祭当日。
魔道学校を訪れたユキは、以前やってきた時とは全く違う、華々しく飾り付けられた構内を見回しながら、テンション高くそう言った。
今日のユキは、白いフリルとレースがふんだんに施された桃色の可愛らしい服装を身に纏っている。『花売りのお姉さん』からの贈り物は、彼女の、成人済みとは思えぬ可愛らしい顔立ちにも、襟足だけ長い茶色の髪にも不思議に良く似合っていた。
「はしゃぐのは結構だが、はぐれるなよ」
ぐ、と握った手に力を込めて、ユキの隣にいる男性が諭すように言う。
「大丈夫だよ、シルさん。子どもじゃないんだから」
ユキは多少不満そうに膨れながら、隣の男性を見上げた。
シル、と呼ばれたその男性は、花売りの女性が言っていた「彼のお兄さんたち」の一人だ。ユキの師匠の、妙にたくさんいる兄弟たちは、ユキが文化祭に行きたいと言い出すと、そのエスコート役を巡って熾烈な争いを始めた。それにユキがおろおろしている間に、一人傍観していたシルがあっさりとユキと約束を取り付けてしまった、というわけだ。
肩ほどまでのつややかな黒髪で、顔の右側半分を覆ってはいるものの、見える範囲だけでも相当の美丈夫であることがうかがえる男性だ。形の良い切れ長の赤い瞳は、少し冷めた色の視線を周りに送っている。
「どこか行きたいところはあるか?」
「えっとね~えっと……」
シルに促され、ユキは入り口で手渡されたパンフレットを熱心に見やる。
「…あ、手作り雑貨のお店見てみたい!」
入ってすぐの教室に示された、「手作り雑貨」の文字に、ユキはパット表情を輝かせてシルを見上げる。
彼は緩く微笑んで、握った手を引いて歩きだした。
「行くぞ」
「うん!」
「うわぁ、可愛いなぁ…!」
入った教室には、所狭しと可愛らしい雑貨が並んでいた。今日のユキの格好に似あう、造花で彩られたカチューシャや色とりどりのリボンをはじめとするアクセサリー、人形、小さめのインテリアなど、手作りとは思えないクオリティのものが展示されている。
「これ可愛い!…あっ、これも可愛いなぁ……これはちょっとかっこいいね!」
あれこれとせわしなく動き回りながら、楽しそうに感想を述べていくユキ。
「………」
シルはそれを暖かい瞳で見守りながら、いつもの癖のように、すっとあたりに視線を配り、怪しいものがないかと気配を探った。
すると、店の隅に、学生服のような適度にフォーマルな服装に身を包んだ男性の姿を見て取る。
「………」
シルにはすぐにそれが、彼の弟……ユキの師匠であるリグその人であることを理解した。
ユキに自分を探すように告げて姿を消したリグは、その実、得意の変装に身を包み、常にユキを見守っていることも、シルはよく知っている。
「………」
リグ本人に気取られぬように気配をそっと消しながら様子をうかがうと、リグの視線の先に桃色のリボンの髪飾りがあった。
瞬時にリグの意図を察したシルは、リグがそっと移動したのを見計らってその髪飾りを手に取る。
綺麗な細工が施されたそのリボンは、今日のユキの格好に良く似合うだろうと、彼もまたそう思った。
シルはそっとそれを手に取ると、なおもまだはしゃいでいるユキに気づかれないようにカウンターに回り、手早く会計を済ませる。
そして。
ふわり。
「えっ……?」
唐突に髪に触れたその何かに、ユキは目を丸くして後ろを振り返る。
シルは満足げに微笑むと、傍らの鏡を手に取ってユキに差し出した。
「似合うぞ」
「えっ……わ、ほんとだ、可愛い!」
自分の髪に飾られた桃色のリボンに一瞬表情がほころぶ。
「やるよ」
「えっ?!いいよそんな、僕が買うよ!」
申し訳なさそうにユキが言うと、シルはゆっくりと首を振った。
「リグから少し金は貰っている。それであんたにこれをやる。
まあ、リグからの贈り物って考えろ」
「!」
シルの言葉にユキは目を見開き、それから嬉しそうにはにかむ。
その表情を見て、シルは事実『リグの贈り物』である髪飾りを買ってやってよかったと思っていた。
「…それで、ユキはめぼしいものを見つけたのか?」
「あ、うん!これ!」
改めて問われ、ユキは手に取っていた白クマのぬいぐるみを嬉しそうに差し出した。
「あんまり可愛いもの持ってないから、買おうって」
「そうか。なら、買ってこい。会計はあっちだぞ」
「あ、うん!ありがと、シルさん」
ユキはパタパタとカウンターにかけていき、うきうきした様子で会計を済ませる。
そしてまたパタパタとシルのもとに帰ってくると、嬉しそうにぬいぐるみを抱きしめた。
「可愛い!」
「よかったな」
嬉しそうな様子のユキの頭を、シルは微笑ましげにそっと撫でるのだった。
「へー……いろいろやってるんですねえ……」
ミケは感心したように、華やかな様相の校庭を見回しながらゆっくり歩きまわっている。
今日はいつもの魔術師の装束ではなく、青のタートルネックにゆったりとした黒のパンツといういでたちだ。いつもは三つ編みにしている長い茶髪をポニーテールにまとめていて、はた目には猫を連れた普通のお兄さん(かお姉さん)のように見える。
「…そういえば、クリスさんは参加されてるんでしょうか。ちょっとでもお会いできたらいいんですけど…」
と、前回のウォークラリーでの雇い主であったクリスのことを思い出す。
ウォークラリーの中で自分の中の葛藤にけりをつけた彼女だったが、その後どうしているのか。連絡を取ることはないが、気にはなっている。
「ちょっとうろうろすれば会えますかね…」
ミケはそんな期待を胸に、中庭へと足を進めるのだった。
「ここは……ジャズバー、ですか。ちょっとおしゃれな雰囲気ですね」
校庭から校内に入ったミケは、校内にもある様々な店をのぞきながら、奥まった場所にある一室で足を止めた。
ジャズバー『ブロッサム』という看板と、その周りの装飾は一風変わったシックなもので、中から落ち着いた音楽が漏れ聞こえる。
「少し疲れましたし、休憩でもしていきましょうか……」
ミケはそう呟いて、洒落た外装に少し気後れをしながらも、そっとドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
中から響いた凛とした女性の声に、ミケは思わずそちらを向き、目を見開いた。
「あ、クリスさん!」
「あら、ミケさん」
まさに先ほど考えていた女性の名を呼んでフラグを回収したミケに、クリスは華やかな笑みを向ける。
「こんにちは、先日はどうも」
「いらしてたんですのね。ようこそ、ブロッサムへ。ご案内いたしますわ」
そうやって礼儀正しく行く道を促したクリスの装いは、黒いベストにギャルソンエプロンといういかにもないでたちで、そつのない立ち居振る舞いをする彼女の姿によく似合っている。
ミケは若干緊張した面持ちで、案内された席に腰掛けた。
「メニューはこちらですわ。アルコールはお出しできませんが、他のものの味は保証いたしましてよ」
「わ、楽しみですね。じゃあ……コーヒーで」
「かしこまりました」
クリスは恭しく礼をしてその場を辞し、ほどなくしてコーヒーを持ってくる。
ことん、とミケの前に置くと、ミケは一礼してそっとコーヒーを飲んだ。
「……本当だ、美味しいですね」
「それは何よりですわ」
「クリスさん、せっかくですから少し、お話しできませんか。お忙しいかな」
「…いえ、他の者もおりますし、それほどは。お付き合いいたしますわ」
クリスはにこりと笑い、それからふっと傍らの棚に目をやった。
「そうだ。ミケさん、チェスはご存知?」
「チェス、ですか。それなりにやったことありますけど……」
「では一局、お願いいたしますわ」
クリスは挑戦的な笑顔でミケの前にボードを置くと、駒を並べ始める。
「では、先攻は…」
「わたくしでよろしいですわ。まずは……ここで」
「なるほど……」
ミケは盤をじっと見つつ、次の手を動かす。
「そういえば、クリスさん」
「はい?」
「その後…どうですか、ご家族とは。お話しできましたか?」
「ええ、おかげさまで」
クリスは笑顔で、次の手を打った。
「っと……じゃあ、次は……」
ミケは盤を睨み、駒を動かす。
「なかなかやりますわね……では、こちらで」
駒を進めながら、ミケとクリスは並行して話も進めていく。
「ご家族の皆様は、クリスさんに対して、なんて?」
「前にも申し上げましたけれども、家族はわたくしを邪険にしているわけではございませんの。けれども、皆でお食事をしたい、と申し上げましたら、ことのほか喜んでくださいましたわ」
「それはよかった」
ミケも笑顔で返し、次の手を打つ。
「学校の皆さんとは、どうですか。このジャズバーは、お友達と?」
「そうですわね、ジャズが好きな方たちを集めて、企画をいたしました。ルキシュクリース・サー・マスターグロングも共同でおりますのよ」
「え、そうなんですか。でも今いないですよね?」
「午前中は演劇に出ているはずですわ。確か、ロミオとジュリエットだったかと」
「そうなんですね…それはそれで、ちょっと見てみたかったかもしれません」
「ふふ、今からではクライマックスからしか楽しめませんわね」
「残念です。……っと、じゃあ…これで、どうですか」
「なるほど……」
「じゃあ、午後はルキシュさんと一緒にこちらにいらっしゃるんですね」
「いいえ、午後はわたくしは入れ替わりで外に出ますの」
「クリスさんも何かやるんですか?」
「ええ、ミスター、ミス魔道学校コンテストが開催されるので、そちらに」
「えっ、そんなのもやるんですか」
「残念ながら学外の者は出場できませんが…ミケさんなら立派なミス魔道学校になれましたのに、残念ですわ」
「ちょっと!なんかおかしくないですかそれ!」
冗談への反応にころころ笑うクリスの様子は、ウォークラリー当時のそれよりずっと柔らかい雰囲気になっていた。その様子に、ミケは安心したように微笑む。
と、クリスはふっと勝ち誇った笑みを浮かべ、手元の駒を盤に置いた。
「…チェックメイトですわ」
「!」
驚いて盤を見下ろすミケ。
その駒の布陣をじっと見つめ、ふっと苦笑して頭を下げる。
「まいりました」
落ち着いたジャズの流れる店内で、ミケとクリスは楽しげに笑みを交わすのだった。
「……誰だよ、あれ」
魔道学校を訪れたグレンは、校舎入り口近くで客引きをしている執事服の男性の姿を見て、唖然とした。
金髪を丁寧に撫でつけ、身のこなしもいかにも執事然とした、40代ほどの男性。グレンがよく知る姿とはあまりにかけ離れていたが、見まごうはずもない、彼の師匠、ラズリー・カラックその人だ。
グレンはと言えば、さすがに魔道学校の文化祭に訪れるのにいかにもな冒険者スタイルはまずかろうと、身軽なカットソーとパンツといういでたちでやってきている。
「2階の階段すぐそばでございます、お嬢様方のお越しをお待ちしておりますよ」
折り目正しく礼をし、声をかけていた女性たちにチラシを渡して見送るラズリー。
さすがに仕事の邪魔をしてはまずかろうとしばらく見守っていたグレンは、その合間を見計らって声をかけた。
「おい、オッサン」
「げ……」
多分に怒気をはらんだグレンの声に、ギクッと肩を震わせて振り返るラズリー。
それでも、ここが魔道学校であり、かつ彼の現在の仕事場でもあることから、前回のように殴って逃げたりすることはないだろう、と踏むグレン。なんだかんだ言って、師匠は契約ごとに対しては真面目なのだ。
「俺が言いたいことは分かってるよな」
ラズリーの腕をしっかりとつかんで睨みあげるグレンに、ラズリーは視線を泳がせながら答える。
「えーっと、うん、あのときはすみませんでした?」
「何故そこで疑問形……」
はあ、とため息をつき、グレンはラズリーの手を引いて歩きだした。
「ちょっ、どこに行くんだよ?」
「あんたが働いてるところにだよ。メイド・執事喫茶なんだって?ったく、ふざけやがって……」
「ま、まてまて、なんで」
「もちろん、あんたを連れ帰る許可を得に、だよ!」
「えー?!」
「2階の階段すぐそばだったな」
「だ、だから落ち着けって……おーい!」
ラズリーの制止も無視して、グレンはずんずんと校舎の中に入っていくのだった。
そして。
がらっ。
勢いよく教室の扉を開けたグレンは、中にいるスタッフと思しき女性に声をかけた。
「すまない、少し頼みがあるんだが」
「はーい?」
幾分間の抜けた声で振り返った女性に、グレンは目を見開く。
「パスティ?!」
「あれ、グーちゃん!お久しぶりー!」
嬉しそうに顔をほころばせた女性は、以前のウォークラリーでグレンの雇い主だった、パスティだった。
そして。
「ほほー……“グーちゃん”とか懐かしいねぇ」
背後から聞こえるしたり声に慌てて振り向くと、ラズリーが声の通りのニヤニヤした顔でグレンの方を見ている。
まだラズリーのもとで育てられていたころ、彼との勝負に負けて女装をさせられ、「グーちゃん」と呼ばれて周りに紹介されたのは今でも鮮明に記憶に残っていた。
「くっ……帰ったら殴る」
「いやいや、お前がオレに一撃を入れるとかないない。むしろ、揶揄いのネタが増えるだけだって」
手をひらひらさせながら言う師匠のどこにも、先ほどのような挙動不審さは見られない。完璧に「いつもの彼」であり、それがグレンの眉間のしわを一層深くさせる。
「グーちゃん?」
「あ…いや、なんでもない。この店の責任者は?」
「リーダーはパスティよ?」
「そうか、なら話は早い」
グレンは居住まいを正し、ラズリーを指し示すと、パスティに言った。
「このオッサン……あー……師匠を連れ帰りたいんだが」
「ししょー?」
可愛らしく首を傾げるパスティ。
「グーちゃん、ラズちゃんとお知り合いなの?」
「ラズちゃ……あ、ああ、一応な。俺の師匠、なんだ」
「そうだったのー」
思わぬつながりに、パスティはなぜか嬉しそうに笑みを浮かべた後、ふたたびグレンに訊いた。
「グーちゃんは、ラズちゃんにご用なのね?」
「ああ。だから、仕事の途中で悪いんだが…」
「ラズちゃんねえ、とーっても優秀な執事さんなの」
グレンの言葉を遮るようにして、眉を寄せたパスティが言い募る。
「ラズちゃんのおかげで、いーっぱいお客さん来てるのよ?
ラズちゃんいなくなったら、お客さんがっかりすると思うの」
パスティの言葉に、ラズリーを振り返るグレン。
ドヤ顔のラズリー。
「あー…まあ、女をひっかけるの『だけ』は上手そうだもんな」
「だけとか言わない。女心の達人と言ってくれ」
「まあ、同じくらい金をむしり取られてもいるか」
「うっさい」
小声でやり取りをする師匠と弟子を、パスティはこぶしを握り締めてぐっと覗き込んだ。
「グーちゃんは、いま、どーーーーしても、ラズちゃんにご用なの?」
「う……いや、『いま、どーーーーしても』というよりは『今を逃すとまた捜索する羽目になるから』というのが正しいんだが…」
「ていうか、いいこと考えたわー!」
急にパッと表情を明るくして、パスティはぽんと手を打った。
「グーちゃんも一緒に執事さんすればいいと思うの!」
「はぁ?!」
「そうしたら、ラズちゃんもお客さんのお相手できるし、グーちゃんもラズちゃんとお話しできるでしょ?」
「いや、ちょ、待っ」
「うん、パスティ、ナイスアイデアねー♪」
「…なんでこんなことに……」
数分後。
執事の装束に身を包んだグレンが、満足げなラズリーの横に立っていた。
「うんうん、なかなか似合っているな」
「うるさい…」
「女装よりいいだろ」
「比べる対象がおかしい」
はあ、とため息を一つついて。
「厨房とか壊滅的だろ、あんた……なんで敢えて喫茶店でのバイトを選んだんだよ?」
「そりゃー、まかないへの期待が」
「そういえば金欠だったか……」
「タダで昼飯が食えるとか最高だろ。しかも、可愛い子も多いし!」
メイド服姿のパスティたちをみやり、満足げなラズリー。
グレンは再度ため息をついた。
「じゃあ、昼休憩はここでとるのか?」
「ああ、まあ、そうだな」
「わかった、俺も一緒に休憩する」
言い放つグレンに、ラズリーは気まずそうに眉を寄せる。
「逃げるなよ」
グレンは言い置いて、接客のためにフロアに出た。
余談だが、彼の接客は女生徒たちになかなか好評であったらしい。
「高熱でお休み?!」
一方、行動のステージ控室。
あともう少しで本番の時間を迎えるこの部屋に、今は不穏な空気が漂っていた。
レティシアの言った通り、ジュリエット役の生徒が今日になって熱で欠席するという知らせが届いたのだ。
「ど……どうするの?今日が本番なのに……」
心配そうにレティシアが言うが、その場の誰もが俯いて言葉を紡ぐ。
リーダー格の学生が、悔しそうにこぶしを握った。
「…仕方ない……今回は、中止するしか……」
「待ってよ」
鋭く止めたのは、ルキシュだった。
「ルキシュ?」
「……ねえ、君は確か、ジュリエットのセリフを全部覚えたって言っていたよね?」
「え……」
名指しされ、きょとんとするレティシア。
ややあって、ルキシュが言わんとしていることを悟った彼女は、ぶんぶんと首を振って否定する。
「ま、まさか私が代役をするってこと?!
そりゃ、私セリフ全部覚えちゃってるけど…でも…私はただのお手伝いで、学園の生徒じゃないのにそんな…」
「でも、君がやらなければこの劇は中止になる」
ルキシュが言うと、周りの面々も一様に頷く。
「そうだよ、レティシアちゃん!中止になるよりは、学外の人間でも出てもらった方がいいよ!」
「そうだな……それに、レティシアは体験教室に来たこともあるし、学校の生徒と言えなくもない」
「そんな、無理やりな……」
「お願い、レティシアちゃん!
「レティシア、頼む!」
及び腰のレティシアに、メンバーが次々に懇願するように頭を下げる。
レティシアはしばらく迷っていたが、やがて何かを決意したように表情を引き締めた。
「……わかった。劇に穴を開けるわけにいかないし、やるわ。あの子のようにはいかないと思うけど、頑張る」
「レティシアちゃん…!」
わっと歓声に沸く室内。
ルキシュもほっとしたようにレティシアを見つめている。
「さあ、そうと決まれば大急ぎで準備をするぞ!」
「はい!」
リーダーの一声に、全員が返事をしてあわただしく動き出した。
「…まさか、この衣装を私が着ることになるなんてね…」
自分が縫っていたジュリエットの衣装を身に纏い、レティシアは感慨深げに鏡に映る自分の姿を見やる。
清楚なレースが施されたその衣装は、彼女の雰囲気にも不思議とマッチしていた。
「レティ」
後ろから名を呼ばれ、振り返ると、貴族服を身に纏ったルキシュがそこに立っている。
「ルキシュ…!すごい、よく似合ってる!かっこいいよ!」
手放しで褒め称えると、ルキシュは少し照れたように視線をそらした。
「…そう?……その、君も…………ょ」
「え?今なんて?」
「ああ、もうすぐ開演の時間だよ!早く!」
「えっ、もう?!わかった、すぐ行く!」
一人でさっさと行ってしまったルキシュに声をかけて、レティシアは気を引き締めるように胸元のリボンをきゅっと結ぶ。
「…さて、じゃあ立派に代役、やってこよう!!」
「ああ、ジュリエットが来た。まだ覚めていない。昨日の夢は、やはり現実だったんだ」
「ああロミオ。私もすべてがマブ女王の夢で、ここに来て誰もいなかったらどうしよう。胸が張り裂けて死んでしまうんじゃないかって」
第2幕、最後の場面。ロミオとジュリエットが、ロレンス神父の教会でひそかに結婚式を挙げるシーンだ。
あの有名な場面をやすやすとクリアし、二人は衣装を変えて教会のセットの前に立っていた。
二人だけの結婚式を挙げるために教会にやってきた二人は、気が急いたように駆け寄りあい、手を取って見つめ合う。
「綺麗だよジュリエット。橋で見た時は清楚だったけど、今日の服装はもっと華やかで愛くるしい」
「ロミオも、橋の時よりずっとハンサムよ」
うっとりと互いのことを褒め合い、寄り添って抱きしめ合う。
(わっ)
ルキシュが思ったよりも強く抱きしめてきたので、レティシアは思わずドキドキしてしまう。
そこに、ロレンス神父役のリーダーがあきれたようにセリフを言った。
「そこのご両人、お取り込み中まことに申し訳ないが」
慌ててぱっと身を離し、神父に対してのジュリエットのセリフを言うレティシア。
「ああ神父様、申し訳ありません。心が勝手に羽ばたいて、飛んでいるように上の空。悪気がある訳じゃないのです」
そんなセリフを言いながら、まだドキドキと鼓動が落ち着かないレティシアだった。
そして、クライマックス。
ジュリエットが薬を飲んで仮死状態になっていることを知らないロミオは、倒れているジュリエットを死んだと誤解し、大仰に悲しみを表現する。
ルキシュは横たわるレティシアのそばに跪き、悲しみを込めてセリフを言った。
「愛する人よ、死は君の息の蜜を吸い取ってしまったが
まだ君の美しさには力を及ぼしていない。
君はまだ征服されてはいない。
君にキスをしよう。
望むべくはまだ君の唇に毒が残っていることを」
そして、ゆっくりと。
眠るように横たわるレティシアの顔に顔を近づけるルキシュ。
(……え、ちょ)
薄目を開けてそれを見ていたレティシアは、思ったよりも近くにルキシュの美貌があることに予想以上に動揺してしまった。
(ち、近い近い近いってばーー!!!)
あまりに近い距離に思わず体が動いてしまいそうになったところで。
「ジュリエット、いがみ合いのない世界で、僕達これから幸せになろう。いつまでもいつまでも一緒に暮らそう」
ルキシュがいとおしげにレティシアの頬を撫でながらそう言い、胸の傷を表す血のりをぐっと握りしめる。
「今、君の所に行くよ。ああジュリエット、まだ微かに暖かい。地上での最後のキスだ」
そうして、レティシアの上に覆いかぶさるようにして倒れこみ。
「お休み、ジュリエット」
そういって、がくりと力を抜いた。
自分の上に感じるルキシュの重みに、レティシアは完全にパニックになる。
(え、え、ええええと、ここからどう、え、なんだっけ、ここから?え?ジュリエットが、起きて、あれっ?!)
完全にパニックになったレティシアが我に返り、ジュリエットが仮死状態から復帰するまでに、しばらく時間がかかったという。
「みんなお疲れ様でしたー!!」
無事、舞台が終焉を迎え。
カーテンコールも済んで舞台袖に引っ込むと、メンバーたちが暖かい笑顔で出迎えてくれた。
「お疲れー!」
「ジュリエットなかなか起きてこないから、レティシアちゃん寝ちゃったのかと思ったよー」
「あはは、ごめんねー。ちょっとルキシュとの距離が近すぎてドキっとしちゃって。あの美貌を間近で見るのは心臓に悪いわね」
「わかる!セリフぶっとんじゃうよね!ね、ね、キスしたように見えたけど、ほんとにしちゃったの?」
「え?!そ、そんなわけないじゃない!」
「あはは、だよねー」
女生徒にからかわれながら、舞台袖から控室へと戻るのだった。
「さて…と、これからどうしよっかなー」
着替えも終わり、控室の片付けも済んで。
どうしようか、とあたりをぐるりと見渡すと、文化祭のパンフレットが目に留まる。
「どれどれ……へー、いろいろやって……ん?!執事・メイド喫茶?!なにこれ!」
目に留まった出店リストを思わず二度見するレティシア。
「コレはぜーったいに行かなくちゃ!!」
拳を握り締めて力説していると、後ろから再び声がかかる。
「どこへ行くって?」
「あ、ルキシュ!」
レティシアはパッとルキシュを振り返ると、満面の笑みを向けた。
「ねえ、この後予定あるかな?もよなかったら一緒に執事・メイド喫茶に行ってみない?そこでお茶しようよ。
もしお茶だけで足りないなら、屋台を回るのもいいなぁーって思ってるんだけど、どうかな?」
全開の笑顔に少しだけたじろいだ様子で、ルキシュはごにょごにょ言いながら視線を逸らした。
「ま、まあ……仕方ないね。劇の準備を手伝ってくれた上に、代役までやってもらったのだし…つきあってあげてもいいよ」
いつもの物言いに、しかしレティシアは嬉しそうに手を合わせる。
「やったぁ!じゃ、早速行こう!」
手を引いてルキシュを促すと、ルキシュは大人しくレティシアの隣を歩き始めた。
「メイド・執事喫茶か…どんなものが出るのだろうね」
「そうねぇ、美味しい紅茶が飲めたらいいなぁ」
「あとは屋台だったかな?屋台の方はいろいろあるようだよ。君が食べたいなら買ってあげようか」
「え?ご馳走してくれるの?ありがとう!!」
「いいよ。何が欲しいの?」
「屋台、何が売ってるかなぁー。やっぱり基本はたこ焼きとかかなー」
「たこ焼き…食べたことないけれど、美味しいものなの?」
「え、たこ焼き食べたことないの?!あのおいしさを知らないなんて、人生の半分損してるわよ!」
「そ、そこまで……」
「じゃあ早速行ってみよう!!まずは執事・メイド喫茶からねっ!!」
レティシアは意気揚々とルキシュの手を取り、講堂を後にするのだった。
お昼休憩はドキドキの時間
「少しはお化け嫌いを克服しろ」
「うう……はい……」
ユキとシルがやってきたのはお化け屋敷のブース。
日ごろからお化けとそれに類するものが心底苦手なユキのことを知っているシルが連れてきたのだ。
「ね、ねえ……どうしても行かなきゃダメ?」
「そんな風に逃げ腰になっているあんたを見て、リグはどう思うかな」
「う……」
師匠の名前を出されると弱いユキは、震えながらもシルの手を取って一歩足を踏み入れた。
「シルさん、絶対離れないでね?
どこにも行かないでね?」
ユキが目を潤ませてシルを見上げると、シルは優しく微笑んで頷き返した。
「後でご褒美に甘いものを買ってやるから」
「うん……」
頷きながらも、カタカタ震えながら歩みを進めていくユキ。
墓場を模して造られたセットは意外に凝っていて、少し据えたような匂いまで忠実に再現している。
「うあああぁぁぁぁ!」
「きゃあああぁぁ!」
墓場からのそりと現れたゾンビに、大きな悲鳴を上げるユキ。
一方のシルは微動だにせず、一切動じる様子はない。
「ぐおおああぁぁぁ」
「きゃー!」
「ぐげげげげげげががが」
「いやー!!」
「しんぞうをくれええぇぇぇ」
「あげられないよおおぉぉぉ!!」
その後も、出てくるキャストにいちいち悲鳴を返すユキ。
しまいには、その場にへたり込んでしまった。
「どうした、行くぞ」
やはり動じる様子もなく促すシルの手をぐっと握って、涙目で訴える。
「こ、腰抜けちゃって、歩けないよぉ……」
「はぁ……仕方ない。今回だけだからな」
シルはため息をつくと、ひょい、とユキを横抱きにした。
「うううう……」
シルの腕の中で、ユキはぬいぐるみに顔を埋めてぷるぷると震えている。
そのまま、シルはどうということもなくスタスタと残りの道のりを歩いていくのだった。
「まあ、あんたにしてはよく頑張った方か」
外に出て、手近なベンチにユキを座らせ。
シルはあきれたように息をつき、ぽんぽんとユキの頭を撫でた。
「だがこんなことは今回きりだ。もっと頑張れ」
「うん……ごめんなさい……」
落ち込むユキをもう一撫ですると、シルは無言でその場を離れる。
「シルさん……?」
ユキは不安げにその後姿を見送ったが、シルはすぐにユキの元に戻ってきた。
その手に、生クリームたっぷりのイチゴのクレープをもって。
「わあ……!」
歓声を上げるユキに、そっとクレープを差し出すシル。
「ご褒美だ。約束しただろう」
「……うん!」
ユキはクレープを受け取ると、一口食べて満面の笑顔を浮かべるのだった。
「あ、俺オムライスね。“美味しくなるおまじない”もよろしくー」
「はぁい。グーちゃんは?」
「……カレーライスで」
「おまじないも?」
「それは遠慮しておく」
「そーお?」
パスティは少し不満そうに、ラズリーとグレンのオーダーをバックヤードへと持っていく。
さて、と居住まいを正し、グレンは改めてラズリーの方を向いた。
「で?」
「で、って何が?」
「何がってわかってんだろうが。姉さんの情報をよこしてからこっち、俺を散々避け続けた挙句、顔を合わせたら殴り倒してトンズラした理由だよ」
姉さん、とは、グレンの亡くなった姉、アデレードのことだ。
亡くなった当時の記憶が、以前のウォークラリーでよみがえったことは記憶に新しい。それ以降、ラズリーは姉の遺品をグレンに返してから、ずっとカレと顔を合わせるのを避け続けてきた。彼の動向を探り、手紙でメッセージを送ってくることをしているのにかかわらず、だ。
グレンは苛立ったように腕組みをして、ラズリーを促した。
「さっさと話せ」
「えー……こういうとこで話すのはなー……」
「人が少ないところで話そうとした俺の配慮を無下にしたのは誰だ」
殴られた箇所を手で押さえて睨み付けると、ラズリーは分かり易く目を逸らす。
それから、ぼそりと一言呟いた。
「……オレの判断ミスが『あの事件』の遠因だった、すまない」
あの事件。
言うまでもなく、姉が亡くなったときの事件だろう。
グレンは姉が何者かに攻撃されたのを目撃したのみだったが、言ってみればあの事件にも何が理由があったはずだ。
グレンは辛抱強く、話の続きを待った。
「………」
だが、ラズリーは一向に続きを話す様子を見せない。
グレンは嘆息して、ラズリーに言った。
「これが終わってから場所を変えて聞くことにする……あんた、もう逃げるなよ」
再び落ちる沈黙。
そのあとに運ばれたオーダーに二人で口をつけたが、美味しくなるおまじないの効果は一向に現れなかったとか。
「うわぁ、ここが執事・メイド喫茶かぁ!」
そんな重苦しい雰囲気の一角とは対照的に、入り口から入ってきたレティシアはテンション高くあたりを見回した。
「うっわぁ、可愛いメイド服…!そしてイケメン執事……!パラダイスね、この世の楽園よルキシュ!」
大興奮で隣のルキシュの腕をぐいぐい引っ張るレティシアに、ルキシュは苦笑を返す。
「わかったから、早く席に着こうよ。あそこ、空いてるんじゃない?」
「あ、うん、そうね」
と、足を踏み出そうとしたタイミングで。
「あれ、レティシアさん?こんにちは。いらしていたんですね」
後ろから思わぬ声がして、レティシアはがばっと振り返る。
「み、みみみみみミケ?!き、来てたの?!」
ミケの姿にさらに3倍ほどテンションが上がるレティシアと、苦い表情をするルキシュ。
ミケは悪気無く、ルキシュにもにこりと微笑みかけた。
「ルキシュさんも。お久しぶりです」
「……どうも」
憮然と挨拶を返すルキシュを尻目に、レティシアはハイテンションでミケに話しかけた。
「ミケ、久しぶりね。会えて嬉しいっ!!」
「ええ、僕も嬉しいですよ」
「ねえ、せっかくだから一緒にお茶しましょう!!」
「え、ちょっ……」
「ええ、ぜひご一緒させてください」
不満げなルキシュの声を遮ってどんどん話を進めていく二人。
と、そこに。
「なんか騒がしいと思ったら、ミケとレティシアじゃん、久しぶり」
かけられた声に、二人が振り向くと。
そこには、メイド服に身を包んだカイが気さくな笑顔で立っていた。
「カイ!!カイじゃない!!久しぶり!」
「お久しぶりです、カイさん」
「今日はメイドさんなの?すっごーーーくカワイイっ!!」
「あ…そうだった、あたしメイド服なんだった」
カイは恥ずかしそうに苦笑してスカートの裾を少し摘み上げた。
「なんか足元スースーしてさ、居心地悪い感じ」
「でも、こんなフリフリなお洋服のカイって見たことないからすっごく新鮮!!」
「ええ、すごく似合ってますね」
「そう?ありがと。じゃ、席に案内するね」
カイの案内で、グレンたちが座っている一角とは対角線の位置にある席へと腰を落ち着ける3人。
おしぼりと水を渡し、カイはさっそく注文を聞いた。
「何にする?」
「んー……私はラズベリームースのケーキセットにしようかな。ルキシュは?」
「そうだね…ベイクドチーズケーキのセットで」
「じゃあ僕は…えっと、おすすめのケーキは何ですか?」
「おすすめかあ、今だとフルーツタルトだね。パスティが作ったの、絶品だよ」
「へえ、それじゃあそれでケーキセットで」
「了解」
オーダーを書き留めるカイに、ミケはにこにこと言葉をつづけた。
「その後、婚約者さんとはどうですか?」
「あ!そうそう、私も気になってたの、マルとはどう?」
以前、カイに一目ぼれをしたマルという青年の依頼から、みょうちきりんな贈り物を延々と探したことを思い出す。
カイは照れる様子もなく、あっさりと頷いた。
「ああ、うまくやってるよ。今日も手伝ってくれてるし」
「え!マルさん、ここにいるんですか?」
あたりをきょろきょろ見回すミケに、苦笑するカイ。
「つっても、執事なんてガラじゃないから、裏方でお皿洗ってもらってるけど」
「そうなんですね」
「おーい、マルー!」
カイがバックヤードに向かって名を呼ぶと、ほどなくして暖簾の間からひょいと懐かしい顔がのぞいた。
「なんですかぁ、カイさん」
「ミケとレティシアが来てるよ」
「えええ!ほ、ホントだあぁぁ!」
マルは慌ててバックヤードを出て彼らの席へと駆けてくる。
「ミケさん、レティシアさん、お久しぶりですぅ」
「久しぶり、マルも元気そうでよかったわ」
「カイさんとうまくいってるようで何よりです」
「えへへぇ、その節はぁ、ずいぶんお世話になりましたぁ」
へこりと礼をするマルの背中をぽんぽんと叩き、カイはにこりと微笑んだ。
「さ、挨拶も済んだし、仕事に戻るよ」
「は、はいぃ、では、あのぅ、ごゆっくりしていってくださいねぇ」
マルはまたへこりと礼をして、カイと共にバックヤードへと戻っていった。
それを見送ってから、ミケは出された水を口に含みつつ、レティシアへと話を向けた。
「今日はお二人なんですか?こないだも、ハーフムーンでご一緒されてましたよね」
「そうね、ウォークラリーの賞品が、自由に通信ができるブレスレットだったでしょ?たまにお話したりして…あ、でも最近は、私がここに体験教室に来たりしてたから、調節離すことも多かったかな」
「へー、仲良しなんですね。いいな、ちょっと妬けちゃうなぁ」
「な……」
ミケの言葉に飲んでいた水でむせるルキシュ。
その微妙な空気には気づかない様子で、レティシアは続けた。
「今日は、ルキシュが劇に出るって言うから、そのお手伝いに来てたのよ」
「ああ、そういえば、ロミオとジュリエットをされたとか」
「…よく知ってるね」
「実はここに来る前、ジャズバーに行ったんですよ。そこでクリスさんにお聞きしました」
「へぇ…」
「ルキシュのロミオ、すっごくかっこよかったのよ!もう、眼福ってああいう事を言うのよねー」
うっとりとした様子で語るレティシアに、ルキシュは複雑そうに言葉を続ける。
「…君のジュリエットも、きれいだったと思うけど……割と」
照れを隠せていないルキシュの言い草は気に留めず、ミケは意外そうに目を見開いた。
「え、レティシアさんがジュリエットやったんですか?」
「そうなの!ジュリエットをやるはずだった子が急な熱で来られなくなってね、私はセリフ全部覚えてたから、急きょ代役をやることになったの」
「へえ…それは、大変でしたね…代役でも、すごいですよ。今日の今日で立派に勤め上げたんですから」
「いやー、立派かどうかは…もう、ルキシュがかっこよすぎて、抱きしめられたりとか、キスされそうになったときにドキドキしちゃってセリフ出てこなかったし!」
「け、結構大胆なシーンがあったんですね……」
「………我慢しないでしとけばよかったよ」
「えっ?ルキシュ、今なんて?」
「…なんでもない」
「僕はジャズバーの後に図書館で蔵書見てたんですよ。いろいろあってすごいですね、さすが魔道学校」
「ね!私も体験教室の時に何度か行ったけど、めったにお目にかかれない魔導書とかもあってすごいと思ったわー」
「ウォークラリーの時に校長室とか講堂とかしか行ったことありませんからね…他にお勧めの場所とかありますか?」
「うーん……私も劇が終わって初めてパンフレット見たからなあ。ルキシュはどう?」
「え、ええと……ジャズバーにも行ったのなら、あとは午後のステージとかおもしろいんじゃないの」
「ああ、クリスさんがミスコンに出るって言ってましたね」
「他にも、バンドとかダンスとかがあるんだ…へぇ……」
パンフレットを見ながらレティシアが呟く。
と、そこにカイがケーキを運んできた。
「お待たせー。レティシアはラズベリーのムース、先輩はベイクドチーズね。で、ミケはフルーツタルト」
ケーキと紅茶のセットを次々とサーブしていくと、レティシアが嬉しそうに手を組んだ。
「うわぁ、とっても美味しそう!!」
いただきます、とさっそくスプーンで一口。
「うん。ラズベリーの甘酸っぱさが絶妙な感じでとっても美味しいわ」
にこにこと幸せそうに感想を述べる。
そして、前回ハーフムーンでやったように、ナチュラルにそのスプーンでムースをもうひと掬いして、ルキシュの口元に差し出した。
「ほら、ルキシュも食べてみて。美味しいよ?」
「え、えええ?!」
前回同様、顔を真っ赤ににして動揺するルキシュ。
「ぼ、僕はいいって言ったろ!」
「でも、美味しいよ?」
「いいから!君は全部食べてよ!」
「美味しいのに……」
不満そうにスプーンを口に入れるレティシア。
そんなやり取りを不思議そうに見ていたミケは、やがておもむろに自分のタルトをフォークで切り分け、その一部分をフォークに刺して、あろうことかレティシアの口元に差し出した。
「……レティシアさんも、食べてみます?はい、あーん☆」
店内にいろいろな意味での衝撃が走る。
さすが一流のフラグクラッシャー、自分の行動がどんな波紋を呼び起こすかを全く感じ取っていない、そこに痺れる憧れるぅ。
レティシアは呆然と、ミケが差し出したフォークを見下ろしているが、その実脳内では大嵐が巻き起こっていた。
(ミ…ミミミミミケが「あーん」ですってぇぇぇぇーーーー!!!!
ちょ…ちょっとあまりに突然の出来事すぎて頭がパンクしそうなんだけどぉぉぉぉーーー!!!
え…いいのかな?いいのよね?だってミケから「どうぞ」って言ってくれたんだもの。
こんな機会、もう多分この世界が滅亡しても訪れないかもしれないわよ!!
ならば私は食べる!!ミケの手から食べてみせるっ!!)
「あ…あーん…」
はむ。
プルプル震えながら、恐る恐るミケのフルーツタルトを食べるレティシア。
ミケはそれを満足げに微笑んで見守っている。
「美味しいですか?」
「お、おおおぉぉぉーーーいすぃいいーー!」
実のところ味などよくわからないが、某芸人のように大仰に感想を述べてみせるレティシア。
すると。
「レティ」
何を思ったか、ルキシュも自分のベイクドチーズケーキを切り分け、フォークで刺してレティシアの口元に差し出した。
「これも美味しいよ、食べてごらん。はい、あ、……あーん……」
若干恥ずかしそうに、それでもはっきりと意思を込めてフォークを差し出すルキシュに、レティシアはまた震えながらケーキを口にする。
「あ、あーん……」
はむ。
口の中に広がる濃厚なチーズの味わいも、もう何が何やらまったくわからない。
「ヤバい…なんなのこれ、イケメン二人が私にあーん、って!あーん、って!!緊張しすぎて胸がいっぱいだわ。もう何がなんだかわからなくなってきたー!!コレはアレかしら、いわゆる『死亡フラグ』ってヤツかしら。こんな幸せな事があった後で、急転直下で不幸が訪れるかもしれないわよ!!用心して私!!部屋に帰ったら、ムーンリリィの占いコーナーを要チェックね……!!」
「レティシアさん、レティシアさーん!大丈夫ですか、死んじゃだめですよ!しっかり!」
「はぁ……何やってんだか僕も……」
もはや魂が半分抜けてしまったようなレティシアの様子に、残された男子たちが慌てたり落ち込んだりしている。
レティシアが我に帰るまでにすっかり時間がかかってしまい、結局屋台どころではなくなってしまいました、とさ。
とっぴんぱらりのぷう。