彼女のために、変わりたいと思ったんです。
少しでも、彼女に相応しい人間になりたくて。



でも。



今の僕でいてはいけない理由も、何一つないんですよね。

あちらこちらで痴話喧嘩

「~前回のあらすじ~
これは、他称天才研究員ベータとヘタレホームレスゼータの、愛と感動の記録である。
男を磨くなら乾布摩擦だろ!というゼータに振り回されつつも、なんとか男らしさを手に入れることができたベータ。
しかし、もはや立ち止っている時間などは残されていない。彼には恋人を、そして世界を救う使命があるのだ。
冒険者たちの応援を受け、遂にベータは恋人の待つ場所へと行くことを決意する。
そして辿りついた場所は……戦場だった」
「だから誰に向かって喋ってんだジル!」
「……読者」

「…ジル……さん……?」
暮葉は愕然とした表情で、5人の中にいる見知った少女の名を呟いた。
「……暮葉……?」
きょとん、とするジル。
暮葉はきっ、と表情をきつくした。
「ジルさん!なんでそんなところに……自分が何をしてるのかわかってるんですか!?
ああっ…まさかジルさんが犯人だったなんて!そんな人だとは思いませんでした!っていうか、なんていうシュミを!」
一人でかぶりを振りつつ興奮する暮葉。
ジルは無表情のまま小首をかしげた。
「……何って……この人の恋人を探してるんだけど……」
「恋人?!その男が、恋人ですって?!」
暮葉は再びきっ、とジルを睨んだ。
「ふざけないでください!血の付いた手紙を送りつけるのが、衣装を切り裂くのが恋人ですか!…今すぐその男と手を切ってここから立ち去ってください。まだ何もしていない今なら、見逃してあげます」
「…何だか…話がよく見えないけど……」
困惑した無表情でジルはしばし考え、そしてふと、思ったことを口にした。
「……コンドルとは一緒じゃないの…?」
暮葉は眉を顰めた。
「な、なんでコンドルが出てくるんですか!?今は関係ないでしょう!」
つられて眉を顰めるジル。
「…でも、この間はあんなに仲良さそうに……」
はあ、と暮葉はため息をついた。
「どうして先からコンドルコンドルって……そんなに彼が気になるんですか?気になるんですよね?そりゃそうですよねー、ジルさんもお年頃だし」
「…なっ……何言って」
「だけど!」
僅かに頬を染めて否定しようとするジルを遮って、暮葉はびし、とジルを指差した。
「それとこれとは話が別です!犯罪に加担するような不埒な女、お姉さんは認めませんよ!」
「……犯罪とか、さっきから何訳わかんないこと言って…別に暮葉に認められなくても良いし」
「何か言いましたか?!」
二人のやり取りを、少し呆れ気味に眺めるゼータとリュー。
「…なあ、どんどん話が違う方に行ってねーか?」
「そーだね、でもあたしにも何がなんだかよくわかんないや…なんかさっき、ストーカーがどうとか言ってた気がするけど…」
「今のこれはどう考えても痴話喧嘩だよな」
「だね~」
と、そこで暮葉がはっと我に返り、耳につけていたインカムに目をやった。
「っと。みんなに連絡入れなくちゃ…暮葉です!皆さん応答してください!ぁぇーと、合言葉は、ミューたん!」
またいきなり訳のわからないことを言いだす暮葉に、目が点になる5人。
暮葉は構わず続けた。
「ミューさんの控え室に忽然とストーカーグループが現れました!侵入方法は不明です。人数は5人。犯人捕縛に皆さんご協力をお願いします」
「ちょっ…さっきから気になってたけど、待ってよ!」
レティシアが慌てて前に出る。
「人の顔見るなりストーカー呼ばわりするなんてひどいじゃない!!
そりゃ、私はミケの全てを知りたいと思ってるし、離れ離れになんてホントはなりたくなーい!!いつも一緒にいたい~って思ってるけど、さすがに人としてのルールは守ってるつもりよ!!」
「レティシア…心当たりがあんのか…?」
「吐いて楽になった方がいいですよ…」
口々につっこむゼータとリュー。
「とにかく!」
通信し終わった暮葉が、改めて5人に向かって指をさした。
「犯罪者もその協力者も、許すわけには行きません!覚悟なさい!」
「だから、ストーカーってなんの…」
「レティシア」
さらに言い募ろうとするレティシアを、ジルが左手で制した。
「…何か、言葉は通じないみたいだ。よくわからないけど…暮葉は私たちに敵意を持っている。それに、引く気もなさそうだよ」
「…さっきから思ってたけど…ジル、この人と知り合いなの?」
「いやそういうことは早くつっこめよ」
速攻でつっこむゼータ。
「いや、なんか口を挟みづらくて…」
「…依頼で、ちょっと一緒になったことがあるだけ。悪い人ではないけど…今は、言葉が通じる状況じゃ無さそうだ」
油断なく暮葉の方を見ながら。
「……私は、暮葉たちの幸せを壊す気はない。できれば、争いたくもない。……でも」
何だかまだ会話に齟齬があるようだ。
ジルは、き、と暮葉に鋭い視線を向けた。
「…今は引けない。ベータの努力を無駄にしないためにも……彼が彼女に会えるまで、私が囮にになる…!」
だっ。しゃっ。
言うが早いか、ジルは駆け出してすぐ側の窓にかかったカーテンを開けた。
カーテンの向こうには、窓。鍵はかかっているが内鍵だ。ジルは迷わず鍵を外し、窓を開け放った。
「ま、待ちなさい!」
慌てて後を追う暮葉。
ジルはそちらには目もくれず、一気に窓の縁に足をかけると、外に飛び出した。
「くっ!」
吐き出すように言って、暮葉も後を追う。
後には、ジルを除く4人の侵入者達が残された。
「な……何だったんだ、今の」
呆然と呟くゼータ。
「ジルさんのお知り合いがいて、痴話ゲンカして、追いかけっこ始めちゃった…?」
首を捻るリュー。
「っていうか、なんか私達とんでもないところに来ちゃったんじゃない?!」
レティシアが頬に手を当て、にわかに蒼白になった。
「ストーカーだって勘違いされちゃってるよ?!さっきの…えっと、暮葉、だっけ?仲間呼んだみたいだし…もうすぐここに来るんじゃ?!」
「えーっ!じゃあ、あのドア開けられないようにしなきゃ!」
リューは慌てて言って、持っていた大きなカバンをドアの前に置き、背中で押すようにしてドアに寄りかかった。
「やべっ、俺もさっさと逃げないと…」
と、ゼータが足を踏み出しかけた、その時だった。
どんどん。どんどんどん。
「暮葉さん!暮葉さん、大丈夫ですか?!」
ぴく。
レティシアの耳が2倍にまで大きくなったような気がした。
「その声……ひょっとして、ミケ?!」
「えっ?!」
思わずゼータも足を止めて振り返る。
レティシアは慌てて扉に駆け寄った。
「ミケ?!ミケ、そっちにいるの?!」
「えっ、レティシアさん?!」
扉の向こうから驚いたような声が返ってくる。間違いなくミケの声だと確信したレティシアの表情が、パッと明るくなった。

「…っ、鍵が…!」
ミケは全く動かないノブを握り締めて、渋面を作った。
確かに鍵をつけろと言ったのは自分だが、これはどうやら封印形式の魔道構成のようだ。おそらくは、ミューにしか開けられない構成になっているのだろう。ミューは当然、今は舞台に立っているはずだ。ここに呼ぶことは出来ない。
と。
グオォォォォ!
遠くから獣の吼え声のような声が聞こえて振り向くと、まさに銀色の狼がこちらに向かって迫ってくるところだった。
「なっ……」
どしゃ。
突然のことで魔術を使う暇もなく、あえなく吹っ飛ばされるミケ。
一方、狼は扉の前まで来ると、その姿を人に変え……ヴォルガの姿になり、ドアノブに手をかける。
「え、ヴォルガさん?!」
「なんだッこのドア…開かねェじゃねェか!……っと、なんだ、いたのかミケ」
ドアをひとしきり押したり引いたりしてから、ようやくミケのほうを向き、けらけらと笑うヴォルガ。
ちなみに、狼に変身したためか、インカムは取れている。
「ミケさん!」
「ストォカァが現れたってのはマジか?!」
そこに、舞台袖で待機していたオルーカ、レイサークが駆けつける。
レイサークがなにやら人が変わったような様子だが、もとよりクレイジーな不審者だったのでそこは気にするところではない。
ミケは簡潔に事情を説明した。
「ええっ、じゃあミューさんにしか鍵が開けられないんですか?」
「そーいやそんなこと言ってたねェ…鍵が逆に足枷になっちまうとはなァ」
真剣な表情のオルーカ、渋い顔のヴォルガ。
「んなこたどうでもいい!扉なんざぶち破っちまえば済む話だろ?!ちぃっと退いてな、こんなモン炎狼がなくたってぶち破ってやらぁ!!」
べきばき、と指を鳴らすレイサークに、ミケは慌てて手を振った。
「待って下さい、魔法の封印なんですから、力で破るのは無理です!破れたとしても、向こうにはレティシアさんが…!」
「えっ、レティシアさんが?!」
驚くオルーカ。
しかし興奮したレイサークには、理屈での説得は通用しそうもなかった。
「関係ねぇよ!イカれちまったストォカァ野郎なんざ、扉ごとぶち破っちまえばいいのさ!オラ退けよ!早く退かねぇとお前ごとぶっ飛ばして…」
「スリープクラウド」
ぱた。くかーくかーくかー。
ミケの睡眠魔法であっという間に眠り込むレイサーク。
「さ、こっちはこれでよしと」
全く意に介することなく、レイサークを除く3人はドアに向き直った。
「レティシアさん、聞こえますか?」
ドアの向こうに声をかけると、はしゃいだ声が返ってくる。
「うん、ミケ!このドア、魔道錠なの?」
「そのようです。ミューさんの魔道波でしか解除できない仕組みになっているようですが、僕とあなたの力を合わせれば、解除することはできるはずです。協力していただけますか?」
「もちろんよ、ミケ!」
そのやりとりに、ヴォルガがうんうんとうなずいた。
「ほうほう…ミケと扉の向こうにいるカワイコちゃんのラブぱわーでこの施錠の術を解除するってことか…」
「何でカワイコちゃんって判るんですか…いえ、実際可愛らしいですけど」
オルーカのツッコミに、ヴォルガはふっ、と格好つけた。
「んなもん声に決まってんじゃねェか♪
まるで天使のように透き通った声…この声の持ち主が美人じゃねェわけがねェ!」
そんなやり取りをしていると。
「ちょ、ちょっと待ってよ、レティシアさん!」
ドアの向こうから、レティシアとは違う少女の声が響く。
「この扉、開けるつもりなの?!今この扉を開けると、最悪、あたしたち捕まっちゃうんだよ?!」
「もっともだな」
ぼそりと感想を呟くヴォルガ。
「そっ…それはわかるけど…でも、扉の向こうにはミケがいるのよ」
レティシアは一瞬逡巡したようだったが、力強く続けた。
「ミケがあちら側にいるってことは、何かあるってことだと思うの。
だから私は、扉を開けて何が起こってるのか確かめたいの」
「レティシアさん…」
やはり迷ったような声を出す少女。
しかし、やがて決意を秘めた声が聞こえた。
「…分かった、それだけミケさんっていう人を信頼してるんだね」
「ありがとう、リュー」
嬉しそうなレティシアの声。
ややあって。
「ミケ、準備完了よ。どうすればいい?」
扉の向こうから真摯なレティシアの声が聞こえ、ミケは真剣な表情で頷いた。
「レティシアさん、僕の声を聞いて。僕と力を合わせて、魔法を解きましょう?僕とあなたでなきゃできないんです」
「わかったわ」
「扉に、手をかざして。僕の魔力を感じて下さい」
「……うん」
言うと同時に、ミケも目を閉じて扉に手をかざす。
ふわ、と、ミケの体が光のオーラに包まれた。
「……そうです……扉にかけられた魔法の……構造を理解して。それを…解きほぐすんです……僕の真似をして…」
なにやらわからないが、魔道士にしかわからない感覚がありそうだ。
「臭う…臭うぜ…恋する乙女の香りがよォ~。ミケってばすげぇ惚れられっぷりじゃねェか♪」
「ヴォルガさん、変態くさいですよ」
「てかこの状況で大真面目とは…ミケって天然なのな…」
「変態よりマシです」
固唾を飲んでそれを見守るオルーカとヴォルガ。
やがて。
ふ、と力の波動が消えた気配がした。
「……開きました」
ゆっくりと目を開きながら、ミケが言う。
がちゃ。
と同時に、勢いよく扉が開いた。
「ミケ!」
はしゃいだ様子で飛び出すレティシア。
ミケも笑顔をそちらに返した。
「凄いですね、レティシアさん、ありがとうございます!」
と、その瞬間。

時が止まった。

ドアの向こうに、レティシア、見知らぬ少女、そしてその後ろにゼータ。さらに後ろに、やはり見知らぬ青年。
全員が、自分を見つめたまま硬直している。
「…………あ、あの?」
予想外のリアクションに、きょとんとするミケ。
と。
レティシアの手が、小刻みに震えながらミケを指差した。
「………そ………」
「そ?」
「その…」
「その?」
「……その……鰭……」
「……えっ」
ばっ。
今更のように、自分にはめられたピンクの鰭インカムの存在を思い出して、頭に手をやるミケ。
レティシアは顔面蒼白のまま、もはやガタガタと震える指でミケを力いっぱい指差した。
「その鰭!その鰭!!
そのひれぇぇぇーーーー!!!!」
もはや絶叫に近い勢いで、レティシアは声の限りに叫んだ。
「あっ、あのそのっ、こ、これは…!」
わたわたとインカムに手をやり、しかし取ることも出来ず慌てるミケ。
「いえ、この鰭はですね、深い意味はないんです!ただ、僕にはこれしかなかったというか……」
しかし、レティシアは聞いちゃいない。
「何でミケに鰭がついてるの?!しかもそれが何でよりにもよってピンクなの?!
えっ?!何!?リリィとミケは既にそーいう関係なわけ?!
『ミケさんと私はすでに一心同体ですからー。もうここはいっそマーメイドになっちゃいましょうよ。カチューシャ?まだるっこしいです、いっそ生体改造でいいですよね』とか言って!!とか言って!!!!」
ばしばしばし。
床を叩きながら完全に自分の世界に入っているレティシア。
「いつよ!!
いつの間になのよ!!
こんなことなら、本当にストーカーの人になっちゃえば良かったわ私!!
そしてミケを取られないように常に見張ってれば良かったのよ私!!
あああぁぁあああああああーーーー」
「れ、レティシアさん?!ちょっと、話をき」
「なァんだ、カワイコちゃんかと思ったら、ミケのお姫様かァ?
こりゃ~口説きそこねちまったねェ」
必死に落ち着かせようとするミケを遮って、ヴォルガがニヤニヤ笑いで茶々を入れる。
「しかし、ミケはやっぱり二股かァ~いや~、モテる男は辛いねェ?」
「はぁ!?やっぱりっていつ僕が二股なんかかけたんですかっ!」
全力で抗議するミケ。
「ミケさん…ひどい!」
さらにオルーカまでが、怒りの表情でミケに言い募った。
「お、オルーカさん?」
「レティシアさんとのことは所詮おままごとだったんですか!?本命は、ピンクのひれを持ったお魚さんなんですか!?確かにリリミケもとっても美味しいですけど!」
「ちょっと待って下さい、何であなたがそれを?!」
「そういうツッコミは流します!
レティシアさんと弄ぶその愚行、神が許しても乙女心が許しません!くらえ!14歳(自称)の怒り! 」
言うが早いか、オルーカはミケに強烈なボディーブローを叩き込んだ。
「ぐぶぉっ……お…オルーカさん……何歳サバを読むつもぐはっ」
ぼぐ。
ミケの残りの言葉も撲殺して、レティシアに駆け寄るオルーカ。
「レティシアさん、元気出してください。あんな二股男のことなんか、気にすることないですよ」
レティシアはその言葉にさらに涙をぽろぽろと流した。
「…二股っていうか、まるっきり相手にされてないって言うか、華麗にスルーっていうか…
二股にすらなってないのよーーーうぇーーーん!!!
私の完全な一人芝居なのよぉぉおぉー!!!
どうせ私はみじめな道化なのよぉぉーーーー!!!!」
ヴォルガはミケの抗議を無視すると、ひらりとレティシアの側に寄り、跪いて彼女の方に優しく手を置いた。
「まぁ…気ぃ落とすな、アレは女に免疫ねェだろうからまだ特定のはいねェだろ…
オレは恋する乙女の味方だからよ…、何か手伝えることがありゃ手ェ貸してやっから、な」
二股発言と激しく矛盾する慰めの言葉をかける。
レティシアはぐすぐすと鼻を鳴らしながら、ヴォルガを見上げた。
「…あなたって見かけによらずいい人ね…。
ありがとう、今度悩んだらあなたに相談するわ。ところであなた誰?」
もっともなレティシアの質問に、ヴォルガはふっ、と目を閉じてポーズを取った。
「オレはヴォルガ=D=クロフォード…ヴィーダが誇る白銀の貴公子だ」
「だから誇ってませんって」
ささやかにオルーカのツッコミが飛ぶ。
ヴォルガはそちらも華麗に無視すると、レティシアの手をさっと取る。
「ああ…その美しさはオレが思い描いた通りだった。天使のように愛らしいお嬢さん。もし…よろしければ、その美しさに目を奪われた愚かな獣に愛を歌ってはくれませんか?」
「いいかげんにしなさーいっ!!」
ぶぉん。
いつの間にか復活していたミケの風魔法が、ヴォルガをピンポイントでふっ飛ばす。
「どさくさにまぎれて何やってんですか!あなたの方が二股大炸裂じゃないですか!破廉恥な!」
「は、ハレンチって言葉久しぶりに聞いたぞ?!つかレティシアちゃん泣かしたのお前じゃねェか!
レディを悲しませる輩はこのオレがお仕置きすんぞ?!」
「その言葉、そっくりそのままあなたに返しますっ!」
もはや脱線しまくった二人の言い合いが展開される。
が。
「そうだぞミケっ!ひどいじゃないか!」
予想外のところから糾弾の声が。
そちらを見ると、今にもハンカチの端を噛んで引っ張りそうな表情のゼータがいた。
「ぜ、ゼータさん?」
「あんなに…あんなに俺のこと可愛がってくれたじゃないか!
あの時俺に言った言葉はみんな嘘だったのかー?!」
「はあぁぁぁぁぁあああ?!」
顎が外れんばかりの表情で、ミケは絶叫した。

大きな扉。
今はターゼと名乗る――何時からこう呼ばれているのか、自分でも良く覚えては居ないのだが――男は、扉の前で肺の中の空気を一度全て吐き出し、軽く気合を入れ。
「ゲーミ様、ターゼです。宜しいでしょうか?」
いつも通り――いつも通りの、自分の声が出せた筈だ――
「――あぁ、構わない」 
そして、いつもと同じ返事に安堵を覚える。
何故…安堵なのか。自分の中でも答えが出ないまま、薄い笑みを浮かべて…重い音を立てて扉を開ける。
「ターゼ、入ります」
本が並んだ、飾り気の無い大きな部屋。
こちらに向いて座った長髪のお方――ゲーミ様だ――が、机に向っていた顔を上げ、微笑みを浮かべているのが見える。
吸い込まれそうな瞳――
「扉は締めてくれないか? 本のページに、勝手に進まれては困る」
彼の言葉に、慌てて我に返り扉を閉める。
「申し訳ありません、ゲーミさ――」
「…2人の時は、ゲーミで良いと――そう言っただろう?」
どくん。
前触れもなく耳元で囁かれた声に、心臓が跳ねた。
「うわぁっ!? い、いいいいつの間に!?」
「ターゼが、丁寧に頭を下げている間……だけど?」
かちゃ。
妖艶な笑みを浮かべて、彼が扉の鍵を閉める。
その行為に、また心臓が跳ねて――
「って、あのなッ――!」
何かを抗議しようとして――その口がやわらかく塞がれた。
に、とまた薄い笑み。
「―――昨夜、言った筈だけど? 2人の時はゲーミで良い。約束を破ったら『オシオキ』だと。
…それとも、その話も覚えて無い位に意識を飛ばしちゃってた…?」
「―――ッ!! あの…なっ」
「――大丈夫。思い出させてあげるから――さ」
近づいてくる吐息。
ぴたりと近づいた暖かい鼓動に、頭の中が真っ白になって――

「なぁぁぁんて俺に言ったのは、全部嘘だったってのかー?!」
「な、な、な、なななななな何言ってるんですかー?!」
ミケは真っ赤になって絶叫した。
「なにィ?!ミケ、三まただけでなくバイ疑惑浮上?!お母さん…そんな子に育てた覚えはありませんよっ!」
もはや完全に楽しんでいる様子でハンカチを目頭に当てるヴォルガはガン無視して、ミケはゼータにくってかかった。
「……ぜ、ゼータさん……あなたと言う人はー!?なんってこと言ってるんですか!そりゃ、確かに部下として面倒見つつ、飼い殺しとか言ってましたけど!今、それ、もの凄い誤解を招くじゃないですかっ!」
「飼い殺しとか言ってたんですか?!」
驚いてつっこむオルーカ。完全に墓穴である。
「え、あの、その」
「いいんですかレティシアさん!そんなこと言ってる人で!」
「うん、それはなんとなく許す」
「ええええええぇぇっ?!」
けろりと泣き止んでいるレティシアに、驚くオルーカ。
「ほら、ゼータって永遠の右側ポジションじゃない。ハッキリ言えば総受!!背後はむしろアッシュ×ゼータがお気に入りらしいけど…って何を言わすのよ!!」
一人でノリツッコミをして、もはやすっかり立ち直った様子のレティシア。
ちなみに、私もアシュゼタのほうが。どうでもいいですか。すいません。
ミケは慌てて、矛先をゼータに逸らした。
「つーか、あなたはロッテさんにアプローチしてるんですから、こんなところで面白浮気フラグ立ててるんじゃないですよ!そんなだから、キルさんから寝取れないんですよ!さぁ、立て!立って、真摯に一途にアプローチしてこい!」
「真摯に一途にアプローチしたところで、俺がキルに勝てると思うのか?!」
「思いませんけど!」
「うわあ」
「どこからつっこむべきですかね」
18歳と14歳(自称)の乙女達もはや完全に傍観者モードに入っていた。

ニェモリーノの名にかけて

「……ってぇ……なんだ、うるせぇな……」
そこに、あまりのやかましさにか、それとも魔法が切れたのか、眠っていたレイサークが起き上がってきた。
「あ、レイサークさん。また厄介な時に起きてきましたね…」
オルーカの言葉が聞こえているのかいないのか、レイサークは苦い顔で頭を振ると、辺りを見回した。
「ここは……一体……っ?!」
そして、あたりに集う人の中に見知った顔を見つけ、一気に覚醒する。
がば。
一気に起き上がると、彼はまっすぐ一人の人物を指差した。
「そこにいるのはッ!六文字目の貴様っ!」
「は?」
いきなり指差され意味不明なことを言われたゼータが、きょとんとして自分を指差す。
レイサークはにやりと不吉な笑みを浮かべると、大声でゼータに告げた。
「まさかこの場に置いてまみえるとは……これもまたガルダス神の与え給うた好機!いざ、決着を付けようぞ!」
「ゼータさん、知り合いなの?」
リューが訊ねると、ゼータはふるふると首を振った。
「んにゃ、全然」
「んだとおぉぉぉっ?!あのザフィルスでの貴様の態度!あの死闘!忘れたとは言わせんぞぉぉ?!」
「うるせえ!俺が男の顔なんか覚えてる訳なかろうがっ!」
「ミケの顔は覚えてるのに…」
「ミケの顔は男のうちに入らんっ!」
「ちょっとどういう意味ですか!」
大混乱。
ゼータは逆にずびし、とレイサークを指差し返した。
「はっはっは!俺をナンパしたいなら、先ずはミケの承諾を得てからなーっ!」
「だから、何でそういうこの場を引っ掻き回すようなことを言うんですかー!!」
「面白いからに決まっとろうがー!!」
「大声で言えば何でも正論になると思わないで下さい!!」
「ああああぁぁぁもぉどうでもいいっ!!とにかく!この場で決着をつけてやるぜ!」
無茶苦茶な場の雰囲気にキレたレイサークが、だっ、とばかりに跳躍する。
「くらえ!ダブルニープレス!!」
「喰らうかんなもん!」
速攻で避けるゼータ。
ぼすっ。
レイサークの両膝は空しくゼータ以外の何かに着地したようだった。
「ちっ……次は」
「あああぁぁぁぁぁあああああっ!!」
しかし、悲鳴は別のところから上がった。
ん、とそちらを振り向くと、リューが震える手でレイサークの下を指差している。
「あ、あたしのニェモリーノがぁぁぁっ!」
「ん?なんだ…?」
レイサークは気勢を削がれ、眉を寄せて足元を見た。
そこには、おそらく彼のニープレスで破壊されてしまっただろう、膝丈ほどの小さな人形。
「あぁ、こりゃぁ……お人形さんか。なんだかスゲェ派手に壊れて……」
「壊れたって、あんたが壊したんでしょおおぉぉっ?!」
ものすごい剣幕で突っかかるリュー。よく判らない迫力に思わず脚を退けると、リューは慌てて破壊されたニェモリーノを拾い上げた。
手足がもげ、服が破れ、もはや見る影もないニェモリーノ。微妙にゼータに似ているところがまた哀愁を誘う。
「なんてことすんのよっ!ニェモリーノは、あたしの一番のお気に入りだったのにーっ!!」
「あぁ?いやまぁ、確かにこの人形に蹴り食らわしたのは俺だが…だが、こっちにしたって、相手の持ち物に人形があるとは思わんからなぁ。不幸な事故ってことで済ませろよ。いいだろ、んなボロクズ」
「ボロくず……? ひどい! こんなことしておいて、その言い方っ! 絶対に許さないんだから!
この野蛮人! 大馬鹿ぁーっ!!」
リューは泣き叫びながら、その場に落ちていたものを手当たり次第にレイサークに向かって投げつけた。
それをひょいひょいとかわしながら、レイサークは困ったように言う。
「しかしなぁ、いくらお気に入りを壊されたからって、野蛮人は無いだろ。
それに、昂するのはわかるが、いくらなんでも野蛮人だの大馬鹿だの、お子様の口にするセリフじゃぁ、無いな。育ちの悪さが知れるってもんだ」
「レイサークさんだけには育ちがどうこうとか言われたくないですよね」
「…僕の口からはちょっと…」
リューのおかげですっかり矛先が外れたミケとオルーカが口々に言う。
と、リューがそれに敏感に反応した。
「レイサークっていうんだ……記入決定っ!あたしの心のブラックリストに入れたからね!月夜ばかりと思うなよ!」
「はぁ?なんだそりゃ。恨み帳かなんかの類か?
まぁ、俺は恨まれても仕方の無い立場なんだが……ひょっとして、関係者?」
「何訳わかんないこと言ってんのっ!」
「いや、関係者ってぇのは……あー、いや、止めとこう。多分違う。本当にそうなら、俺のことを知らないはずがない」
レイサークは肩を竦めて首を振った。
「おっ。自分設定チラ見せですよ!何かちょっと無理矢理くさいですよね!」
「原因、どう考えても人形ですよね。それでどうして自分の関係者ってことになるんでしょうか」
「あっ、知ってますそういうの、自意識過剰って言うんですよね!」
「…僕の口からはちょっと…」
また蚊帳の外から解説しているオルーカとミケ。
レイサークはそちらは気にならないらしく、何とか気を取り戻してゼータを見……
「あぁっ!てめぇ何ちゃっかり逃げようとしてんだゴルァ!!」
窓の外へと逃亡しようとしていたゼータに怒声を上げる。窓の縁に足をかけ、そちらを振り向いたまま怒鳴り返すゼータ。
「うるせえ!チャンスがあったら逃げんのは盗賊の鉄則だろーが!」
「ハッ!なんだ、かかってこいよ……ビビってんのか?(Come on, wimp! You scared?)」
レイサークは嘲るように笑うと、人差し指で招くようにしてゼータを挑発した。
「るせーよ!三十六計逃げるに如かずだ、オレは危ない橋は渡らない主義なんでね!」
全く意にも介さないゼータに、レイサークは呆れたように肩を竦めた。
「ノリ悪いなおまいら……やる気あんのか?(Huh… it’s boring. What’s going on?)」
「ないっ!」
一刀両断。
「んじゃあなっ、あばよ!」
ゼータは言って窓を飛び越え、外へと逃げた。
「あぁっ!待ちやがれこの(自主規制)野郎!!」
それを追って窓から飛び出していくレイサーク。
ぽかーんとそれを見守る残り6名。
「…行っちゃった……」
「…何だったんでしょうね、後ろのカッコ英語」
「ほら、カンバセーションすなわち会話の端々にイングリッシュつまり英語を混ぜる芸人がいるじゃないですか。あのマネじゃないですかね」
「少なくとも全然スタイリッシュじゃないわよね」
「覚えたての外国語できっと使ってみたかったんだろ」
身も蓋もないギャラリー。
「レイサーク…レイサークと……ったく、絶対忘れないんだから……!」
まだなにやらメモしているリュー。
と。
「……っ、はい、もえもえ」
オルーカがインカムから聞こえた声に応答し、ミケが慌ててそちらに耳を傾ける。インカムを落としたヴォルガは眉を顰めた。
『オルーカさんですか』
「あっ、はい暮葉さんですね。いらっしゃらなかったようですが、どうしたんですか」
『侵入者の一人を追っています。でも…思ったよりすばしっこくて。会場外に逃げている様子はないので、挟み撃ちにしたいんですが…』
「わかりました、私が応援に向かいますね」
オルーカは言ってから、ミケとヴォルガのほうに向き直った。
「というわけなので、ここはお二人にお任せします」
「わかりました、そちらはお願いします」
「おぅ、なんだかわかんねェが気をつけてなァオルーカちゃん」
オルーカは硬い表情で軽く礼をすると、楽屋を去った。
「ふぅ……さて、と……って、え、レティシアさん?」
ようやく息をついたレティシアが、またミケの方を見て滂沱と涙を流しているところだった。
「そうよ…そうなのよ…怒涛の展開にすっかり忘れてたけど、今は鰭が問題なのよぉぉおぉーーーー!!!」
「あ、あのですね、レティシアさん?」
すっかりおろおろしてレティシアをなだめようとするミケを、ニヤニヤと眺めているヴォルガ。
すっかり空気のベータ。あれ、いたの。
と。
「レティシアさん……リュー、わかっちゃったよ」
ちょっと探偵風に、ありもしないメガネをクッと上げる仕草をして、リューが重々しく言った。
「リュー…?」
きっ、と鋭い視線を上げて、リューは高々と宣言する。
「あたし、ストーカーが誰か判った。……この人だよ!」
ずびし、とミケを指して。
「えええええええええっ?!」
トンデモ推理に絶叫する残りギャラリー。
リューは真面目な表情のまま、続けた。
「この人たち、さしずめ護衛に雇われた冒険者ってところでしょ?護衛の冒険者としてなら、怪しまれずに、すぐ近くにいられるもんね。
外部に犯人がいると思わせておいて中に潜り込むとは、計画的で周到な犯行だよ!」
「ふむふむ、なるほど…!」
「納得しないで下さいヴォルガさん!だいたいそれなら、あなたにだって当てはまるじゃないですか!」
「おおっ?!それもそうだな……」
「いーやっ、違うね!」
リューは自信満々で腰に手を当てた。
だって、さっきのお姉さんとかレイサークとかいうクレイジー不審者はまだ熊とか犬とかで可愛かったけど、、その人はピンクの鰭の変態さんじゃん!
そんな怪しげなもの好きでつけてるなんて、変態ストーカーに決まってるよ!」
「いやいやいやいやちょっと待って下さいよ!」
さすがに慌ててリューにつっこむミケ。
「いきなり僕が犯人ですか!?そんなカマイタチの夜じゃあるまいし!?っていうか、あなたもちょっとまともに変な推理しないでくださいよ!僕はピンクの鰭に良い想い出も行為もないんですっ!」
「ミケ……あなたがそんな、ストーカーだったなんて…ピンクの鰭がそんなに気に入っちゃったなんて…!」
「待って、ちょっとレティシアさんも信じないでー!?」
再びうるうると涙を滲ませるレティシアを、あわあわとなだめるミケ。
リューは痛ましげに目を閉じて、吐き捨てるように言った。
「ほんっとに、酷いヤツ!!レティシアさんの純情な乙女心を弄ぶなんて……ッ!」
「え?え?何のことですか?」
もはや憔悴に近い表情で、リューの言葉に問い返すミケ。
リューはふん、と鼻を鳴らした。
「レティシアさん、街中でこんなこと言ってたんだよ!
可愛くって優しくって、一緒にいるとすっごくドキドキして幸せで、あったかい気持ちになるって!
カッコよくて頼りになって、クールだけどツンデレで、男らしくて美形で影があって、メガネで白衣でキザで砂吐くほど甘いセリフを囁いてくれるとか!!」
「どんだけ詰め込みキャラだよ」
ささやかにヴォルガがツッコミを入れてみる。
リューの勢いは止まらない。
「この思いはまだ伝わってないけど、いつか伝説の木の下で告白して、ウェディングベルを一緒に鳴らすんだって!!
白い小さな家を買って、真っ赤なバラと白いパンジー、子犬の横では坊やが遊び、そしてわたしはレースを編むのよ、わたしの横にはあなーたー!!」
「わ、わわわわ、ちょっとリュー待ってそんなことまで言ってないっていうかだからそれ誰にも通じないってば!ミケも、ミケも聞いちゃダメえぇぇ!!」
ぎゅむ。
レティシアが真っ赤になってリューを止め、止まらないので苦し紛れにミケの耳を塞ぎ、勢いで自分の胸にぎゅうと押し付ける。
「わ、わわわ、レティシアさんちょ、やめ、くるし……」
ばたばたともがくミケに我に返り、慌てて離すレティシア。微妙にこぼれた鼻血を吹くミケ。
「ご、ごめんなさいミケ」
「い、いえ……僕もすみませんでした」
「えっ?」
ミケは申し訳なさそうに苦笑して、言った。
「……レティシアさん、…………好きな人がいるんですか?ああー、そうすると、ちょっとなんか思い返すと発言内容がまずいですよね、すみません」
「えっ………」
レティシアは一瞬硬直して……そして、乾いた笑いを浮かべた。
「は……はははは……うん、いいのよ……気にしないでミケ……」
申し訳無さそうな笑顔と、乾いた笑みが向かい合う二人を眺めて。
「……むー、これは結構手ごわそうだねー…」
「天然ってのも罪だねェ」
リューとヴォルガがのんきに感想を述べていた。

花の乙女・アイドル対決(前編)

さて、一方ではジルと暮葉が追いかけっこの真っ最中だった。
窓から脱出したジルは闇雲に走り回り、開いていた通用口らしきところから再び建物の中に入る。
暮葉は思ったよりすばしっこいジルを、器用な小走りで追いかけながら、言った。
「私をおびき寄せて他の人たちから遠ざける……その覚悟は褒めてあげましょう。しかし、その程度でいい気になってもらっては困ります!」
「……っ!」
ジルは走りながらどうにかして体をひねると、どこに持っていたのかフォークを取り出していきなり暮葉に投げつけた。
ひゅん。
「きゃあっ!」
驚きながらも、さすがの身のこなしでそれを避ける暮葉。
「な、何するんですか!?危ないじゃないですか!!」
「……牽制球。」
「何が!?」
とりあえずツッコミを入れてから、暮葉はますます眉を吊り上げた。
「不法に侵入した挙句に、こんなに危ないものを投げつけるなんて…侵入者であるあなたを打ち倒すついでに、淑女のなんたるかを一から叩きこんであげましょう!」
普段の穏やかな暮葉とはどこか違う……どう見ても淑女とは思えない鬼気迫る感じに、ジルは不審に思いながらも必死で逃げた。
「……隠れられるところ、少ないな…これじゃあ、逃げた方向でどこに隠れてるかわかっちゃう……」
僅かに眉を寄せ、きょろきょろと辺りを見回しながら逃げるジル。
と、通りがかったトイレの掃除用具入れに目を止め、足を止めた。
「……もしかしたら………あった!」
ジルは迷わずそれを開けると、中にあった洗剤を手に取った。
「…これがあれば……」
「いたっ!覚悟しなさい…ジルさんっ!」
「……! 暮葉、もうこんなところまで……っえいっ…!」
ジルは迷わず、手に持った洗剤を目の前の床にぶちまけた。
「せやあああぁっ!」
気合と共にジルに突進してくる暮葉。
しかし。
「んきゃあああぁぁぁっ?!」
つる。
ものの見事に足を滑らせた暮葉は、ついた尻餅さえ盛大に滑ってジルの前を通り過ぎ、そのまま正面の壁に激突した。
「……ふう……助かった…」
ジルは息をつくと、そのまま暮葉が来た方へと逃げていった。

「あいたたたた……ひどいことしてくれるわねぇ……」
暮葉は腰を摩りながら立ち上がり、眉を寄せる。
「でも……何かしら…この、感覚……」
と同時に、腹の底から何か熱い塊がこみ上げてくるような、奇妙な感覚にとらわれている自分を感じる。不可思議だが、その秘密を探ることに本能が警鐘を鳴らす…鋭く甘美な感覚。
「……ふ、ふふっ……」
暮葉は唇の端だけをにやりと吊り上げて、小さく笑った。
「あのひとを捕まえてみたら……この感覚の正体がわかるのかしら……ふふっ、楽しみ……」
その瞳に冷たい光を宿して。
暮葉は再びその場を駆け出した。

「ふふふ…とうとう追い詰めましたよ」
「っくっ……」
ダンボールが積み上げられた袋小路で足を止めたジルは、悔しげに暮葉のほうを振り返った。
「……ちょっと……待って」
「何ですか、最後の言葉くらいは聞いてあげますよ」
「……暮葉は……なんで私を追いかけるの?」
「えっ……」
ジルの苦し紛れの一言に、しかし暮葉は思ったより動揺の表情を見せた。
「えっと、その…ほら、仕事ですから」
しかし、言ってみて自分でも腑に落ちるものではなかったらしく、さらに眉を寄せる暮葉。
ジルは好機とばかりに、言葉を重ねた。
「…だったら、私ひとりに固執するのはおかしい」
「ん?あれ?確かにそうですね……」
動揺というよりは、何故自分がそういう行動をとったのか納得できない様子で、暮葉は考え込んだ。
(普通に考えてジルさん一人を追うより多勢を追って一網打尽にした方が遙かに効率がいい……あ、そうそう!ジルさんがシェリーを引き合いにだしたのがいけないのよ!その間に他のストーカーたちには逃げられちゃうし。そして、そうやって身を張って仲間を逃がす頼もしくて男らしい姿に私はときめきと凌虐心が湧き上がり…あれれ、なんだ今の。戻って来い、私)
ふるふると頭を振って、妙な考えを追い出す暮葉。
(あ、でもそんな凛々しいジルさんとシェリーって何気につりあうかも。…いや、私の理想とは立場が逆なんだけどね…シェリーがジルさんからそんな格好よさを学んでくれたらお姉さん大満足なんだけどな。なんだかんだいって、ジルさんもシェリーのことは気に入ってるみたいだし。……あ、あれ?それって私の存在はもう不要ってこと!?なんて泥棒猫!ストーカーどころの騒ぎじゃないわよ!それにこの気持ちは何!?ジルさんったら、私の現心まで揺るがすなんて!なんてこったい、今の私絶対おかしい!!こうなったら私をおかしくした責任、とってもらうんだから!!)
「えぇい!もうゆるさん!このような辱めを受けた以上、生かしておけません!抹殺です!ぬっころします!」
「…えええ?!」
暮葉が混乱している隙にどうにか脱出を図ろうと思っていたジルは、出された結論に珍しく素っ頓狂な声を上げた。
「…に、逃げよう……いや、逃げないと……」
「ふふふ、そしてその本物のネコミミはいただいたぁ!!」
がばっ。
ある種狂気に満ちた声で叫んで、暮葉はジルに飛び掛った。
「……っ!」
必死で身をかわすジル。
がしゃ、がらがらがら。
暮葉は勢い余ってダンボールに突っ込み、そばに置いてあったバケツやらが派手な音を立てて転がった。
「…な、なんなんだろう、一体……」
状況を把握できないながらも、逃げるべきだという重要な状況だけを把握したジルが、急いでその場から立ち去る。
「くっ……こうなったら、応援を呼ぶしかないわ……こちら暮葉、ミューたん!」
暮葉は口元のインカムで、仲間に応援を呼びかけた。

「とは言ったものの…同じように逃げてたんじゃ、またさっきみたいに追い詰められてしまう……どうにかしなきゃ…」
ジルは言いながら、きょろきょろと辺りを見回した。
と。
「ん?なんだキミ、どこから入ったんだ?」
男の声がして、ジルはびくりと体を竦ませた。
なんだか状況はよく判らないが、瞬間移動で着地したところも楽屋のような場所だったし、ここはコンサートホールの舞台裏のような場所なのだろう。遠くから音楽のようなものも聞こえるし、どうやらコンサート真っ最中といった様子だ。暮葉のように問答無用で通報や襲い掛かってきたりしないところをみると、この男性はスタッフといったところなのだろう。
「………」
ジルは困った様子で、黙ったまま男を見上げた。
それを見て、男性も困った様子で頭を掻く。
「うーん、まいったなぁ……黙ってちゃわからないぞ…プロデューサーに相談するかな…」
そう言って、男性は耳元につけていたインカム(ちなみにピンクの鰭タイプだ)のマイクに手を当てた。
「……っ!」
ここで連絡をされてはたまったものではない。ジルは慌てて男性に声をかけた。
「……ここ、どこ?」
「ん?なんだ、ここがどこかも知らずに迷い込んできちゃったのか?うーん、警備の冒険者は一体何をやってるんだ……?」
楽屋で痴話ゲンカしてます。
「仕方ない。事務室に連れて行くか……ほら、こっちおいで」
「え……っ、でも……」
いきなり手を引かれ、ジルはさらに困った様子で抵抗した。
男性は眉を寄せ、説教するようにジルに告げる。
「ほら、シャキッとしろ。男の子だろ?」
「えぇ……っ」
微妙にショックを受けた様子のジル。
今の発言は地味に効いたらしく、男性を睨み上げると、いきなりその脛を蹴り上げた。
「ぐっはぁ!何するんだ!おい、ちょっと待て!」
男性は足を押さえ、その拍子に手を離れ逃げていくジルに声をかける。しかし、ジルは立ち止まらずに足早に立ち去っていってしまった。
「……ったたた……ったく、なんだったんだ、一体……」
と、そこに、慌てた様子の暮葉が駆け寄ってくる。
「あの!ここを14歳くらいの女の子が通りませんでしたか?」
男性は足を押さえたまま、眉を顰めて暮葉を見上げた。
「女の子?いや、見てないよ……女の子は」
男の子なら見たけど。
それを言う前に、暮葉は慌しく頭を下げた。
「そうですか、ありがとうございます!」
言ってくるりと踵を返すと、もと来た方向へ駆け出していった。
「だから、なんなんだよ一体……」
男性は不機嫌な様子で悪態をつくと、足を引きずりながらその場を去った。
「…………」
そのやりとりを、実は割と近くの柱の陰に隠れて聞いていたジル。
「…………複雑」

「……っ、出口だ……とにかく、いったん外に出て、撒くしかない…」
迷路のようなコンサート会場を彷徨ってようやく外へ通じるドアを見つけたジルは、その扉をくぐって外へと出た。
どうやら裏口らしかった。あたりはもう薄暗く、魔道照明がぽつぽつと照らしているのみで、人気も全くない。
「……これなら…逃げられるかも…」
「いたっ!待ちなさい、ジルさん!」
とか言ってるうちに暮葉の声がかかり、ジルは再び駆け出した。
すると。

「お待ちなさい!!」

どこからともなく声がかかり、ジルは足を止めて辺りを見た。
「……誰?」
「ふっふっふ。誰?と聞かれたら、これはもう名乗るしかありませんね…」
がささ。
そのあたりの草の茂みをかきわけて、姿を現したのは……年齢的に微妙にそぐわないフリフリした服と丸い熊の耳をつけた、二十歳近くの女性だった。
びし。
アイドルが取るような可愛らしいキメポーズをつけ、女性は高らかに宣言した。
「クマっ娘アイドル・オルーカルン(14歳)、只今参上!私が来たからには侵入者とクマの敵は生かして帰しませんよ~!!」

辺りの空気が凍りついた。

「………」
「………」
「…ちょっとなんですかこの沈黙は」
「……オルーカ……ルン?……オルーカじゃなくて?」
「はい、お久しぶりですジルさん。しかし今の私はオルーカではなく、天才美少女クマっ娘アイドル・オルーカルン(14歳)です!」
「…何か増えてるし」
「オルーカさん…14歳って強調するほど痛々し」
「とにかく!このオルーカルン(14歳)が来たからには、覚悟することです、ジルさん!」
暮葉のセリフを流す気満々のオルーカ……ルン(14歳)が再びびしっと指差すと、ジルは表情を引き締めた。
(…そうか。あれは自分が強いという自信の表れだ。こんな恰好してるけど、熊だから強いよ。ライオンなんて食べちゃうよ、と。
つまり……油断したら即殺られる…!)
何か別の方向で危険を感じたジルは、すっと身構える。
(前にはオルーカルン(14歳)、後ろには暮葉……ここは、強行突破するしかない…!)
「殺られる前に…殺る…!」
ひゅっ。
ジルは再びどこからかフォークを取り出すと、オルーカルン(14歳)に向かって投げつけた。
「ふっ!」
余裕の表情でかわし、再びびしっとジルを指差すオルーカルン(14歳)。
「ふふふ…無粋ですね、ジルさん。私はアイドルですよ?」
「で?」
油断なくそちらの方を見ながら、先を促すジル。
「殺る、ですか?アイドルがそんな粗野なことするわけないじゃないですか」
「…で?」
何か嫌な予感がしつつも、さらに先を促す。
オルーカルン(14歳)は得意げな表情で、高らかに宣言した。

「ジルさん!あなたにアイドル対決を申し込みます!」

再び訪れる沈黙。
「だから沈黙しないで下さいよ。私がまるでイタい子みたいじゃないですか」
「私の口からはちょっと……」
「………で?」
先程よりさらに嫌そうな無表情でジルが促すと、オルーカルン(14歳)は得意げに胸を張った。
「勝負です!どちらが真の萌えキャラなのか…もちろん暮葉さんもまじえて、3人で!」
「ええっ?!私もですか?!」
いきなり自分に矛先が向いて驚く暮葉。
ジルは身構えたまま眉を寄せた。
(……何故アイドル対決……?ここは受けておくべきだろうか?…いや、これも罠かも……)
逡巡して黙ったままのジルに、オルーカルン(14歳)は嘲笑うように彼女を見た。
「…どうしたんです?怖気づいたんですか?ですよね~、14歳の私の萌え度に恐れをなすのもムリはありません…自分で言うのもなんですが、私って輝きまくっちゃってますからね~。セリフどころか思考にも三点リーダーを含まないと喋れないあなたとは天と地ほどの差があります!ジルさんは、そうやって男物の服を着てむすっとしてるのがお似合いです!」
むっ。
先ほど男の子扱いされて地味にショックだったジルは、ぐっと拳を握り締め、やおら上着を脱いでばさりと捨てた。
「……その勝負、受けて立つ……!」
「かかってきなさい!そうでなくっちゃ面白くありません!そのかわり私が勝ったら、真の『14歳萌えアイドル』の名はいただきますよ!!」
「真もなにも、最初からサバ読んで」
「手始めにそこのあなたあぁぁぁっ!!」
再び暮葉のツッコミを流し、オルーカルン(14歳)は草むらに忍んでいた大きな球体をびしっと指差した。
「そこのTシャツ伸びきって脂汗かいてるいかにも根暗そうなアナタ!いるのは判っています、痛い目を見ないうちに出てきなさい!」
「お、オルーカさん……」
「…なるほど……これが……萌えアイドル…!」
心配そうな暮葉と、変な方向で納得しているジル。
草むらの球体はしぶしぶその姿を現した。
「んも~なんだよぉ~せっかくミューたんを出待ちしてたのにさぁ~」
ふーふーと汗を拭きながら、呼び出したオルーカルン(14歳)に文句をたれる。
オルーカルン(14歳)はまったく堪えることなく、得意げに胸を張った。
「私たちのうち、誰が最も萌えキャラか…言ってみてください!」
「はぁ?」
「だ・れ・が・も・え・きゃ・ら・か、です!さあ、遠慮なく言ってみなさい!」
「ふぅ~ん?ミューたん以上に萌えるコなんていないけどさぁ、まぁそういうことなら…」
球体はちょっとふんぞり返ると、品定めをするように3人をじろじろ見た。
「う~んそうだなぁ、やっぱりこの着物を着たおしとやかそうな美少……」
「おおっと腕がすべったぁ!」
ぼぐ。
球体のセリフの途中で、オルーカのジャブが見事に決まる。
「な、何するんだよぉ!」
「腕がすべっちゃったんです。よく聞こえなかったのでもう一度言ってもらえますか?」
にっこり。
オルーカルン(14歳)の笑顔に、気を取り直す球体。オタクは空気が読めない。
「うーん、でも時代はボーイッシュだよね。カチューシャじゃなくて生のケモノ少女っていうのも萌…」
「ああっ足が滑りました!」
どす。
今度は暮葉のローキックが球体にめり込んだ。
「……そっ、それじゃあ、そっちのクマミミ…」
「……手が滑った」
ひゅん。
ジルが放ったフォークが球体の耳を掠めて飛んだ。
「……も、もぉぉぉなんなんだよぉぉ、こんなところ怖くていられないよぉぉ!!」
さすがに音を上げた球体は、立ち上がると一目散に駆け出した。
「逃がしません!必殺!オルーカルン(14歳)・音楽盤攻撃っ!」
しゅしゅしゅ。
逃げていく球体に、光る丸い円盤のようなものを投げつけるオルーカルン(14歳)。
かかかっ。
丸い円盤は、何故か丸いのに球体のシャツに食い込んで壁にはりつけにする。
「……必殺……熊殺し……」
ジルは動けなくなった球体に、スプーンを取り出してあちこちをくすぐり始めた。
「ひゃは、ひゃははははは!やめ、やめてくれよおぉぉ~」
壁にはりつけになったまま、笑いの止まらない球体。
「え、えっと……必殺・フリフリアイドルのレース!」
暮葉は楽屋からガメてきたらしいレースで球体の顔をぐるぐる巻きにし、締め上げた。
「……きゅう……」
完全に沈黙する球体。
ふぅ、とオルーカルン(14歳)がため息をついた。
「仕方ない、次の競技にいきましょう!」
「……受けて立つ……」
「次って、いつまで続くんですかこれ…」

スタッフ通用口から再びコンサート会場に入った3人は、もはや当初の目的をすっかり忘れて牽制しあいながら勝負を続行していた。
「……アイドルとは、どんな時でも笑顔を絶やしてはならない。それはすなわち、表情がコントロールできるということ」
「なるほど……もっともです」
「敵ながらさすがですね…ジルさん」
ジルが言った言葉に、感心して頷く暮葉とオルーカルン(14歳)。
ジルはもう一度頷いて、言葉を続けた。
「これを見るには、表情で勝敗が決まる勝負がいい」
「にらめっこですか?」
「…それはアイドルとして問題がありそう…」
「…福笑いとか」
「……それは何か違うんじゃ…」
「じゃあどうします?」
「…そうだね……トランプのダウトなんかがいいんじゃないだろうか」
「トランプなんて持ってるんですか?」
「…持ってない」
「じゃあ出来ないじゃないですか!」
オルーカルン(14歳)が言い、ジルは再びうーんと考えた。
「…それじゃ……アイドルだもの、芸の一つもできなきゃ。ということで、全員一発芸を披露するっていうのはどうだろうか」
「一発芸……ですか?」
眉を顰める暮葉。
「……そう。今時、可愛くて歌が上手いだけのアイドルはすぐ飽きられる。ここは、可愛いだけじゃないところを見せないと……」
「でも…私、披露できる芸なんて…」
「そんなことを言うなら、ジルさんから披露して下さいよ」
不安そうな暮葉と、強気なオルーカルンの言葉に、ジルは一瞬沈黙した。
「……私は……あ、丁度いいものがあった」
と、そばにあったスタッフ用の食料の中からカツサンドを取り上げ、続ける。
「…手品、やります」
くるり。
そのまま後ろを向き、数秒。
もぐもぐと咀嚼する音が聞こえる。
ジルは再び振り返ると、頬を膨らませたまま言った。
「……ひえまひひゃ」
消えました、と言いたいらしい。
「ただ食べただけじゃないですか!」
「……あーあー、きこえなーい」
完全にカツサンドを飲み込むと、ジルはオルーカルン(14歳)のセリフを大きな耳を倒して塞いで聞き流す。
「ええいっ!このままでは決着がつきません!」
半ばヤケ気味のオルーカルン(14歳)は、だん、と一歩踏み出した。
「ここは、誰が真の14歳萌えアイドルであるか、大勢のお客様に判定していただきましょう!!」
「ええっ?!」
驚く暮葉。
「それって……ミューさんのステージに行くっていうことですか!」
「もちろんです!幸いここは衣装室!さあ、ジルさんも暮葉さんも、お客様のハートを掴む衣装を選ぶのです!」
「ええっ!い、いいんですか勝手にそんなことして!」
「……どれがいいかな……」
一人正気を保っている暮葉をよそに、ジルはたくさんかかっている衣装の品定めを始めた。
妙な様相を見せ始めた自称アイドル対決。

続きはCMのあとで。

コマーシャル・メッセージ

さて、同じく窓から逃げ出したゼータとそれを追ったレイサークは、コンサート会場の正面入り口の方へと移動していた。
すでにコンサートは始まっている。グッズ売り場も撤収され、チケットのもぎりだけがのんびりとあくびをしている状態だ。入り口前の広場は閑散としていて、立ち回るにはもってこいの状況である。
辺りはもう夕方から夜にさしかかり薄暗い。辺りに人気もなく、コンサートの音がかすかに聞こえているだけの静かな広場に、野郎二人の走りながらの掛け合いがこだましていた。
「待ちやがれこのチキン野郎!正々堂々と勝負しろよ!」
「はっ、正々堂々なんて言葉は俺の辞書には無いね!」
レイサークが必死になって追っているが、対するゼータは割と言葉を返す余裕がありそうな様子だ。
「あの時の決着をつけられるんだぜ?!獲物が無いのが心残りだが、そんなモン無くてもストォカァなんてクズ野郎はボッコボコにしてやんよ!」
「だから俺はストーカーでもないし決着をつける気もねぇっつってんだろうが!」
ぶん。
レイサークが放ってきた拳をあっさり避けて、ゼータは身を翻し、彼の後ろに立った。
ようやく足を止めたゼータに、フン、と鼻を鳴らして振り返り、身構えるレイサーク。ゼータの肩にかすったのか、狼耳のインカムが外れて落ちる。
「そっちにつける気がなくても、こっちにはあるんだよ。
こんな機会はそうそう無い。きっちり決着はつけさせてもらうぜ」
「へっ、アンタはザフィルスにいる頃からそうだったな」
ゼータは皮肉げに笑って、言った。
「自分の実力も弁えないで――俺もそうだが!勝てもしねー相手に突っかかったり――これだって、俺もそうなんだがっ!!」
いちいち自分の言うことに自分が堪えている一人上手ゼータ。
「自分の言いたい事ばっか言って、周りへの気遣いとかも無くてーっ!!って。コレだって俺もかー!?」
「おい……一人ショーはもういいから、早くおっぱじめようぜ…」
「うるさいっ!お前にだけは言われたくないっ!」
どっちもどっちな口ゲンカが展開されていく。
「へっ、心配しなくても、お前なんざ一瞬でボコボコにしてやるよ。何ならケツの(以下自主規制)」
「…………アンタもホモなのか?」
『も』って言うな。
「はぁ?お前と一緒にすんなよ」
レイサークは心外そうに肩を竦めた。
「俺はノンケだし、第一そんな事が嫁に知れたら俺は嫁にサバ折られちまう」
ぐわ。
ゼータはその言葉に、今までに無いほどに表情を歪めた。

「んなあああぁぁぁぁにいいぃぃぃぃ?!」

千葉繁声でお願いします。
「なっ……何だ、一体…」
「アンタ!今……今、嫁って言ったか?!」
「……言ったが、それがどうかしたのか?」

「………負けた………!!」

ゼータはがっくりと膝を落とし、大仰に嘆き始めた。
「………は?」
あっけにとられるレイサークを前に、どんどんと拳で地面を叩いて泣き崩れるゼータ。
「嫁が…いや、女がいるっていう時点で、俺の負けだ…!ちくしょう…どうしてコイツには嫁がいるのに、ロッテは俺に振り向いてくれないんだー!!世の中間違ってるー!!愛の女神リーヴェルは実在しないのかー?!」
しません。
「くっ……!」
ゼータはぐい、と涙を拭くと、立ち上がってびしっとレイサークを指差した。
「こうなったら!お前を負かしてプライドを保ってやる!」
微妙に情けない勝利宣言。
「ハッ…何だかよくわからないが、ヤる気になったのなら何でもいい。そら、かかってこい!」
レイサークは口の端を吊り上げると、片手で招くゼスチャーをした。
「いくぜぇっ!!」
がば、と構えたゼータは、次の瞬間。

「戦略的撤退っっ!!」

ダッシュでコンサート会場の中へと逃げ出した。
「わっ、お客様困りま……のわぁぁぁっ?!」
チケットのもぎりをふっ飛ばして会場の中へ突入するゼータ。
「…っ何だとゴルァ!この期に及んでチキン野郎が!待ちやがれー!」
「一体なんなんですかのわぁぁぁっ?!」
再び吹っ飛ばされるモギリ。
かくして、一人上手2人の決戦も、コンサート会場へと持ち越されることになった。

今日も冬将軍は絶好調!
ゼータがロッテに綺麗にフラれる話「ニース」を読めるのは、トライアゲインだけ!!

ステージは今日も大騒ぎ

それより少しだけ前のこと。
定刻になり開演時間を迎えたコンサート会場は、今か今かとミューの登場を待ち構えるファンの熱気が渦巻いていた。
『もしかしたら舞台に何か仕掛けてくるかもしれないからね。一番見やすい席を確保しておいたから、そこで舞台を見に行ってみると良い。ああ、インカムをつけたままでも十分外の音は聞こえるから、コンサートが始まっても外してはいけないよ』
というイプシロンの言葉通り、クルムはイプシロンが用意した最前列の席でコンサートの鑑賞をすることにした。
席は通路で区切られたブロックの端で、大きな通路がすぐ横にある。
この席なら、会場内で何か起きた時、即移動出来るだろう。
(コンサートが始まってしまえば、ファンはミューに夢中になる。オレがその中を移動しても目立たないだろう)
開場前にかるろが教えてくれた危険そうなファンは確かにいたが、誰もスタッフスペースや舞台上に立ち入るなど無茶なことをしそうな様子はない。周囲のファンと同じように、ミューの登場を今か今かと待ち構えている。
と。
「今日は、ミューのためにあつまってくれて、ありがとーっ☆」
うおぉぉぉぉぉぉっ!
嵐のようなファン達の叫び声に包まれて、軽快な音楽と共に舞台がスポットライトに照らされる。
その中心には、可愛らしい綿菓子のような衣装を纏ったミューが、満面の笑顔で手を振っていた。
「すごい……なんか、さっきと全然違う……」
これがアイドルのオーラというものなのだろうか。衣装が変わっただけではない圧倒感に、クルムは思わず呟いた。ミューは舞台の上で、キラキラ輝いているように見える。まるでそこに天使が現れたのかと思うほどに。
ミューはそこからたたたた、と、中央にしつらえられた花道に向かって駆けていった。
「アリーナ席ダーリーン!」
うおぉぉぉぉっ!
最前列近くのファン達が一斉に応える。
「だ、ダーリン?」
突然の展開に戸惑うクルムを置き去りにして、ミューはさらに花道の先へと駆けていく。
「真ん中席ダーリーン!」
うおぉぉぉぉっ!
今度はやや後ろの方で、応える声。
「スタンド席ダーリーン!」
うおぉぉぉぉぉっ!
最後に観客席の一番奥から、われんばかりの熱い歓声。
ミューはにっこりと微笑むと、再び大きく手を振った。
「聞こえますかぁ!こんにちはーー★☆★
今日はミューのコンサートに来てくれて どうもありがとう~☆
ミュー、ヴィーダでダーリンと会えてぇ、とってもとっても嬉しいですぅ~☆」
うおおぉぉぉぉぉぉっ!
観客席にいるすべてのファン達(どうやらダーリンというのは彼らのことらしい)が、ミューの言葉に応えてひときわ大きい歓声を上げた。
一通り拍手と歓声がおさまると、ミューは再びマイクを構え、高らかに宣言した。
「今日一曲目はぁ、『恋は★パにポに』を歌いまぁす☆」
うおおおぉぉぉぉっ!
再び盛り上がる会場ダーリン達。
「ぱに……ぽに?」
どこかで聞いた事があるような無いようなタイトルにクルムが目を白黒させていると、クルムの周りのダーリン達は一斉にボンボンを取り出して構えた。どうやらお手製のようで、色も様々だ。
「え……え…?」
さらにわけのわからない状況。
すると、ミューは可愛らしい声で続けた。
「今日がコンサート初めての初心者ダーリン、ついて来られてますかぁ?
ミューのコンサートではぁ、曲によってぇ、ちょっとしたコーラスや決まった振り付けがあるんですよぉ☆
そんなに難しくないのでぇ、周りのダーリン達と一緒に、歌ったり踊ってみてくださいねぇ☆
では♪」
と、ミューは懐から何かを取り出した。きらりと光るそれは、どうやらメガネのようだ。
「装・着!」
ばっ。
ミューは自分で言いながらメガネをかけると、綿菓子のような衣装の端を持ってばっと翻した。
うおぉぉぉぉっ!
再びどよめく会場ダーリン達。
どんな早変わりか、あるいは前もって衣装の下に着ていたのか。
ミューはあっという間に、強烈なショッキングピンクのタイトミニ姿になっていた。足元は10センチの真っ赤なハイヒール。メガネをかけて眉を吊り上げたその姿は、先ほどまでの可愛らしい姿から一変、気性の激しい女性を思わせる。
「キキキキたーー!!!ミューたんの『萌えツン教師☆Ver.』でありまするぞーー!!」
ミューのその姿に、隣にいるダーリンが興奮して叫んでいる。
「え、え??もえつん…な、何?何が始まるんだ!?」
なおも混乱しているクルムをよそに、ミューは腰に手をあてて胸を張った。
「今からこの曲のコーラスと振り付けを、私が指導するわ。
一度しか言わないから、良く聞くのよ!」
「えええ?!」
先ほどまでの口調とはまるで違う、声すらも変わったのではないかと思わせるミューの言葉に、さらに度肝を抜かれるクルム。
萌えツン教師の説明は続く。
「まずコーラスよ。優しい声が、の『声が』のあとに、こだまのように『えーが』と続けて。
いくわよ!」
それが合図のようにバックミュージックが鳴り、ミューが歌いだす。
「やさしい、こえーが」
「えーが」
「こえーが」
「えーが」
「いいわ、その調子よ。今度は、私の心臓を、の『心臓を』のあとに、『ぞうお』と続けて」
ミューの指導を受け、一斉に歌いだすダーリン達。
クルムは展開についていけず、ただ呆然とそれを見やっていた。
「わたしの、しんぞうを」
「ぞうお」
「しんぞうを」
「ぞうお」
「そう、憎しみよ!」
きらーん。ミューの白い歯が光る。
「に、憎しみ?!ぞうおって…憎悪?!」
再び驚いて声を上げるクルム。
が。

「「「にくしみ萌エ~~~~!」」」

会場のダーリン達は一斉にミューに向かって叫んだ。
「ええええ、そこ萌え所なのか?!」
すっかり萌えという言葉にも慣れてしまったクルム。順応は早い。洗脳とも言うかもしれない。
そんなことを言っている間にコーラスのレクチャーは終わり、振り付けの指導に入る。
「間奏の振り付けはこうよ!
チャラララ~から入って、上げた両手を左右にゆらしながら降ろすの。
足は、キック、飛んで、キック、トン、トン。
そしてサーブ、レシーブ、トス!サーブ、レシーブ、トス!!
いっかい、にーかい、いっかい、にーかい、回して回して、ツバメ返し!!!」
「ツバメ返しってどういう…!?す、凄く難しい振り付けだな」
なんだかんだ言いつつ律儀に付き合っているクルム。あたふたしながら見よう見まねでやってみるが、どうにも上手く出来ない。
しかし、会場のダーリン達は寸分違わぬ揃い様で踊っている。
どころか、ミューの一挙一動を見逃すまいと、ダーリン達の血走る瞳は真剣そのものだ。
「曲はすぐ始まるわ。
四の五の言わずに教えた通り踊りなさい!以上!」
びし、と客席に向かってミューが指をさすと、再びうおををををぉぉ、と盛り上がるダーリン達。
「ふっひゅ~、眼福眼福~。
ミューたんの眼鏡ツン教師っぷりは、いつ見ても萌やされるでござるなぁ!」
隣のダーリンはご満悦のようだ。
(そうだな…マヒンダでの様子からすると、こっちがミューの地なのかもな)
クルムはその様子を見ながら、マヒンダで見たイプシロンとミューの様子を思い出していた。
なにやら隠したい様子だったので適当にごまかしたが、あんな強烈なキャラクターが世界に2人いるとは思いたくない。隠すなら隠すだけの事情があるのだろう、必要になった時に事情を聞ければ良い、とクルムは思っていた。
「さあ、いっくよー☆」
ミューの声で現実に引き戻されてステージの方を見れば、いつの間にか別の衣装(最初とも違う衣装だ。登場のためだけに着たのだろうか)に着替えていたミューが、再びポーズを取っているところだった。
「恋はー?」
言ってからマイクを観客席に向けるミュー。
すると、ダーリン達が一斉にそれに答えた。

「「「パにポにーーー!!!」」」

ちゃららら~♪と、前奏が始まり、ミューが可愛らしい振り付けで踊り始める。

 パにポ ハにポに パにポに ルゥ♪
 パにポ ハにポに パにポに ルゥ♪

「………?…なんだ…これ……」
ミューの歌が始まった、ただそれだけのことのはずだった。歌詞はともかく。
しかし、クルムは体の周りに、何とも言えぬ違和感を感じていた。
物理的な何かではなく、しかし、体の周りを渦巻いているような、何かに似た感覚。
(これは……魔法…?いや、それとも違う……)
自分が魔法を使っている時のような、大きな気の流れを感じる。しかしそれは、魔法とは微妙に異なっているようだった。
(……って…なんだ…?)
ふと会場のダーリン達に目をやれば、なにやら様子がおかしい。
皆一様にうっとりとミューを見ながら、寸分違わぬ振り付けで踊っているところは一緒なのだが、なんと言うのだろう…先ほどまでは、騒々しい者、暗そうな者、危険そうな者、それぞれ表情に個人差があったように思う。
しかし曲が流れてからは、皆、同じ表情になってしまった。
うっとりとミューにだけ見惚れ、その他の思考力をすべて奪われてしまったような表情。
今ミューが『3回まわってワン!』と言えば、即座に実行しそうな、そんな雰囲気。
(この表情は……)
どこかで見た事があった。
ミューの歌声を聴きながら、クルムは自身の記憶を探り始めた。
(…っ、そうだ!精神に干渉する…魅了の術!チャームをかけられた時の表情と同じなんだ!)

『わざわざ、あんなコトしなくたって、十分に人気出ると思うんだけどねぇ』

唐突に、コンサート前に聞いたかるろの言葉を思い出した。

『クルムおにーさんは、このインカムがあるから、大丈夫だろーね』

「……っまさか……ミューの歌声には、チャームの効果が…?
スタッフはその効果を防ぐために、このインカムをつけてるのか…?!」
『インカムをつけたままでも十分外の音は聞こえるから、コンサートが始まっても外してはいけないよ』
コンサート前の、イプシロンの諭すような言葉が、その予想を裏付ける。
しかし、彼女の歌の秘密を知っていた様子のかるろ。一体どういう人物なのか…?

 あなたの やさしい こえが(♪えーが) こえが(♪えーが)
 ほら わたしの しんぞうを(♪ぞうお) しんぞうを(♪ぞうお)
 はやがねみたいに うちならす

そんなことを考えている間にも、ミューの歌は続いている。
クルムはとにかくもう一度インカムをしっかりと構えなおすと、もう少し開けた場所で見ようと席を立ち、通路に移動した。
と。
ふわり。
「うわ?!」
いきなり自分の体が浮く感覚がして、クルムは驚いて声を上げた。
「な、何が起こったんだ?!」
慌ててきょろきょろと辺りを見回し、どうにか体勢を立て直そうともがくクルム。
すると。
「ぁ~、キミ、暴れちゃ駄目ッス。だいじょうビ、オレのフライで浮いてるッス。…人違ぃですょ?」
「うわ」
突如後ろから声がして、思わず奇妙な声を上げてそちらを見る。
すると、そこには青白い顔をした青年が、例のうっとりとした笑みを浮かべながら、やはりふわふわと浮いていた。
「フライって…え?君は一体?」」
「だいじょうビと言うのはタブンだいじょうビであって、じっとしていないと落ちるかもわかんねッスよぅ?それと、人違ぃですょ?」
「人違い?」
こちらの言葉は全く通じていない様子だ。
だがどうやら、自分は彼に浮遊魔法をかけられて彼と一緒に宙に浮いているらしい。
上から見るコンサート会場は壮観で、ここならば何か騒ぎがあっても一目瞭然だろうが、いかんせん何か騒ぎがあっても動けないのが難点だ。とにかく、彼に伝えて降ろしてもらわなければ。
「何かオレ、君に勘違いさせたのか?オレはただ移動を…」
「ボンボンを持っていないところを見ると、キミ、初心者ダーリンッスね?
この曲わみんなでミューちゃんの歌を作ろぅといぅ『ミューとダーリン達との絆★プロジェクト』で、ファンから歌詞を募集して作られた曲ッス。人気の曲目ッスょ。…人違ぃですょ?」
「いや、そんなこと聞いてないし」
「ふ、コンサートに浮かれてフライするよぅでわオレもまだまだッスね‥
ぁ~それと、人違ぃですょ?」
「誰とも間違えてないし!ていうか、なんなんだあんたは?!」
全く会話が成立しない青年に、さすがのクルムも声を荒げる。
コンサート前にチラリと見せてもらったパンフレットに、『コンサート中の客席ダイブ行為、飛行術のご使用は、他のお客様の迷惑になりますのでお控えください』とあったはずだが、読んでいないか、読んでいてもガン無視しているのだろう。見れば、他にもふわふわと浮いている者がチラホラいる。

 すれちがいざまに ボディーブロー 
 とつぜんの おくりもの
 ひとちがぃですょ?

「…あんたがあの歌詞送ったのか…?」
にたぁ。
答える代わりに気味の悪い笑みを見せる青年。
クルムは背筋に寒いものが走るのを感じた。
「チャームがかかってるのに自己主張できるあたりは…精神の強い人なんだろうけど…
…曲目演奏中ですよ、お客様…?」
おそらく伝わらないだろうが、そんなことを言ってみる。

 まって まって つたえたいの 
 このきもち
 ふりむく(♪フッフー!)あなたに(♪フッフー!) 
 まっしぐら
 50M14びょうで(♪遅え。)

とりあえずこの青年と会話をするのは無理そうなので、おとなしく浮遊魔法に身を任せてミューの歌をじっくり聴いてみることにした。
相変わらずファン達は皆一様に恍惚の表情で、それでも一糸乱れずボンボンを振っている。
会場一杯に色とりどりのボンボンの花が咲き乱れる。なんだか美しい眺めだ。
この光景は…ミューファンの彼女への愛の集結と言っても過言ではないかもしれない。

 つたえたい つたえたいの
 このきもち
 ゆめでも(♪フッフー!)あなたに(♪フッフー!)
 あいたくて(♪まくらにおねがい★ きゃわいいミューたん)

そして、やはり刮目すべきは、かるろも言っていたがミューの歌声だろう。
アイドルというものには詳しくないが、詳しくない、しかもインカムでチャームの効果をシャットアウトしている自分でも、思わず聞き惚れてしまうほどの歌声だ。
伸びやかな良く通る澄んだ声、強弱の付け方。支離滅裂な歌詞が、まったく気にならなくなる。
彼女がファンを大切に思う気持が、歌声に乗って奔流のように会場内に広がってい…

 「酢ダコを山盛り食らう夢を見て、起きたら腹をこわしてた」
 バ ー チ ャ ル は ら く だ し ~ ☆ 
 (♪ナイスドジッこ われらがミューたん)

「お、オレの感動を、返せ……」
クルムは何となく涙目で呟いた。
もはや支離滅裂どころではない歌詞はとりあえず放っておいて、クルムは改めて会場を見回した。
「……ん……なんだ、あれ…?!」
ふと見た先に、見覚えのある姿を見止め、クルムは驚いて身を乗り出した。
ステージ近くの観客席出入り口付近に、見覚えのある2人の男性の姿が見える。
「あれって……レイサークと……ゼータ?!何でこんなところに?!」
何かの通信障害か、楽屋の騒ぎがクルムのインカムに伝わっていなかったのだろう。見知った顔に驚くクルム。
しかし、驚いたのはそんなことではなかった。

「ミューたーん!ミューたん!ミューたん!L・O・V・E・われらがミューたん!」
「うおおおぉぉぉぉ!萌ええぇぇぇ!!ミューたん萌ええぇぇぇ!!」

インカムを持っていないゼータと、何かの拍子でインカムを落としてしまったらしいレイサークが、会場内に入ったとたんにミューの魅了の力に支配されてしまったのだ。
ロッテ命のゼータと、クレイジーな不審者レイサークが、会場内のモサヲタと一緒に萌えを叫び踊り狂っている図は、なんというか、地獄絵図な感じだ。

 ちょうてんかい↑ ちょうてんかい↑↑ ちょうてんかい↑↑↑
 よういしゅうとう ワールドツアー
 カモン! ミューに ついてきて (♪がってん果てまでストーキンッ)

ミューの歌は続いている。
「おーいっ?!レイサーク!ミューたん!あれ、応答しない?おーい!もえもえー!」
必死に呼びかけてみるが、一向に応答する様子がない。ちなみにレイサークのインカムは入り口前に落ちたままだ。
「ミューたん☆萌ーえー!!」
「がってん果てまでストーキンッ!!」
ダーリン達と共に、歌に合わせて踊り狂うゼータとレイサーク。
「だ、誰かー!!」
他の者に呼びかけてみるも、混線しているのか一向に応答がない。
クルムは軽くパニックに陥った。

 パにポに(♪ハにポに) パにポに(♪ハにポに)
 パにポに~~~~ ルゥ!!!

じゃじゃん、じゃ~ん。
ミューが最後のキメポーズを取り、曲が終わる。
うおおぉぉぉぉ、というダーリン達の歓声に、まだチャームの効果は残っているらしくゼータとレイサークも参加していた。
「ど、どうしよう…この人は下ろしてくれないし…」
当然、クルムにフライの魔法をかけた青年も萌えコールに夢中だ。魔法をかけたことすら忘れているかもしれない。
「…うーん、どうしたら………って、え?!
あ、あれってひょっとして……オルーカと暮葉?!それに……じ、ジル?!」

「みなさあぁぁぁんっ!ちょっとだけ、お邪魔しまあぁぁぁっす!」

マイク片手に高らかな声で言いながら入ってきたのは、奇妙な3人組だった…。

花の乙女・アイドル対決(後編)

ざわ……ざわ……
曲の終わりと共に、突如ミューの舞台に乱入してきた3人組に、会場のダーリン達は混乱を隠せない様子だった。
舞台の上のミューも、目を丸くしてそちらを見やっている。どうやら、彼女にとっても予想外の出来事だったらしい。
先陣を切って舞台の上に現れたのは、クマ耳のインカムをつけたオルーカルン(14歳)だった。
解散前の最終打ち合わせのときに着ていた、アイドル仕様のフリフリ服を身に纏っている。
続いて現れたのは暮葉。クルムがつけている黒いネコミミインカムに、すらっとしたデザインの水色のミニワンピースを着ている。少し恥ずかしげな表情とあいまって、彼女の清純な可愛らしさを引き立たせていた。
最後に、水色基調のセーラー服を見に纏ったジル。水色セーラー服とネコ耳(ライオンだが)の組み合わせはお好きな方にはたまらないのだろうが、いかんせん彼女の無表情さが別の方にはたまらない感じのコントラストを生み出している。
ざわざわとざわめく会場と絶句しているミューを全く気に留めることなく、オルーカは会場に向かって手を振った。
「クマっ娘アイドル・オルーカルン、14歳です!」
えーっ、とお昼の番組並みに揃った声でブーイングをするダーリン達。
それは気にせずに、ジルも自分のマイクでぼそりと自己紹介をする。
「………ジル。14歳」
それを横目で見ていた暮葉は、ジルと会場を交互に見てから、恥ずかしそうに続いた。
「あ、暮葉と申します。その……14歳、です…」
まだざわざわと混乱しているダーリン達。
オルーカルン(14歳)は続けた。
「今日は私たち見習いアイドルが、ミュー先輩のステージにお邪魔してみましたー!
よろしくおねがいしまーす!」
「……よろしく」
「あの、不束者ですがどうぞよろしくお願いします」
手を振るオルーカルン(14歳)、ぼそりと言うジル、深々と頭を下げる暮葉。
そのあたりで、会場のダーリン達はようやく我に返ったらしかった。
「何だお前らー!ミューたんのコンサートを邪魔すんなー!」
「そうだそうだー!」
「大体何が14歳だー!サバ読むにもほどがあるだろーが!!」
「まったくだー!!」
「オルーカ!あなたという人は…見損ないましたよ!!」
予告通り最前列にいた司祭もものすごい形相でなじっている。
「私はオルーカルン(14歳)です!間違ってもオルーカなどという人ではありません!」
オルーカルン(14歳)はダーリン達の野次をものともせずに言った。
「みなさんもどうか落ち着いてください!いいものをお見せしますから!」
「いいもの…?」
またざわざわとささやきあうダーリン達。
オルーカルン(14歳)は、ふっ、と格好つけて笑うと、マイクに向かって叫んだ。
「いきますよっ!萌えアイドルフラーッシュ!」
びしっ。
言って、ぶりぶりのキメポーズを取るオルーカルン(14歳)。

凍りつくような沈黙が流れた。

「ふざけんなこのやろー!!」
「いいかげんにしろー!!」
「何が萌えアイドルだー!!」
「なんにもフラッシュになってねー!!」
「オルーカ!もはやあなたは神の怒りに触れてしまいました!!」
とうとう自分の私物を投げつけ始めたダーリン達。
「いた、いたたたたっ!み、みなさん落ち着いて下さいっ!か弱いアイドルに物をぶつけるとは何事ですか!?」
オルーカルン(14歳)は必死に抵抗するが、ダーリン達の怒りは収まらない。
「…甘いね……オルーカルン(14歳)」
ジルが言って、す、と一歩前に出た。
「…本当のアイドルは…ただ立っていても輝きを放つもの……」
無駄のない動きで花道を進み…そして、一回転してポーズをつける。
「……よし、掴みはばっちり……」
ぽこ。ぽこぽこぽこ。
「だから邪魔だっつーの!!」
「ミューたんの前に立つなー!!」
「引っ込めー!」
「色気が足りないぞー!!」
再びダーリン達の怒りが爆発し、舞台に向かってたくさんのものが投げられる。
「…物投げるなって。危ないって。痛いって」
そして。
「何さりげなくアピールしてるんですか!」
「卑怯ですよジルさん!!」
後ろからも、ダーリン達が投げつけた物体を再利用してオルーカルン(14歳)と暮葉がジルに投げつけている。
「…むう…前門の虎、後門の狼……萌えアイドルとは、厳しい道のりなんだね…」
わかったようなことを、マイクを使って言ってみるジル。
「そもそも、もえあいどる、って何なんですか?」
そこで暮葉が、やはりマイクを通してかなり根本的な質問をした。
「それは……その。萌えるアイドルのことですよ」
ちょっとしどろもどろになるオルーカルン(14歳)。
会場のダーリン達も、改めて問われた人生課題に物を投げるのを辞めてざわざわと話し合っている。
「その『萌える』というのがいまいちよくわからないんですけど…」
「萌えっていうのはええと…なんなんですか、ジルさん!」
「……え、私に振るの…」
ジルはしばらく考えて……
「……黒ニーソ…絶対領域…スク水…猫耳…?」
うんうんと頷くダーリン達。
「そう、耳ですよ!」
オルーカルン(14歳)の心に何かが響いたらしく、彼女は力説した。
「ケモノ耳は人間種族の憧れなんです!こうしてカチューシャにするほどに!
しかし、カチューシャでは本物の萌えとは言えません!やはり直に生えてるケモノ少女じゃないと!」
「は…はあ…そういうものですか…」
なにがなにやらわからない暮葉。
一部のダーリン達が大興奮で頷く。「その通りだー!」という掛け声がどこからか響いている。
オルーカルン(14歳)はジルの方を向いた。
「ジルさんも、せっかくそんな耳があるんですから、語尾に『にゃ』をつけてみるのはどうですか?」
「えっ……私、猫じゃなくてライオンなんだけど……」
ぼそっと言い返してみるジル。が、2人は全く気に留めない様子で続けた。
「あの…それだと、某猫耳ウェイトレスさんと被りませんか?」
「リスペクトですよ、リスペクト!」
「…いや…だから猫じゃないって……ていうかリスペクトって尊敬っていう意味だよね?」
「なにげに毒舌ですねジルさん」
「じゃあ、オマージュで」
「インスパイヤでいいですよ」
「まあもうどうだっていいのでとりあえず、ほら、にゃーって言ってみてください!」
「……がおー」
「やるんですか!?やるんですね!食うか食われるかの戦いを!!くまー!!」
「いや、私を置いて白熱しないで下さいよー!」
「くま~!!」
「がおー」
「ああもう……にゃー!!」
ぽこ。ぽこぽこぽこ。
ぐだぐだになってきたやり取りに、みたびダーリン達の怒りが爆発した。
「いつまでコントやってんだー!!」
「くまーなんて語尾が許されると思ってんのかー!」
「いいからさっさとミューたんにバトン返せー!」
「ミューたんの舞台を汚すんじゃねー!!」
「オルーカ!今ならまだ遅くはありません!悔い改めて地獄に落ちなさい!」
舞台はもはやダーリン達の投げつけたものが山になり始めている。
「ど、どうするんですかオルーカ…ルン(14歳)さん」
「でも、このままでは決着が……ええい仕方がないっ、ここはステージで、私たちはアイドルですから!アイドルらしいことで決着をつけましょう!」
「……は?」
「いきますっ!アイドルスマイル!」
再びポーズを取って微笑むオルーカルン(14歳)。
ダーリンの投擲はまだ続いている。
「…負けない……アイドルダンス!」
微妙な動きを披露するジル。
「あ、アイドル脚線美!」
暮葉も負けじと、ワンピースの裾をくいっと上げて足をアピールした。
「おのれ、負けません!アイドル袖の下!」
ばらばらばら。
どこから出したのか、観客席に向かって銅貨をばらまくオルーカルン(14歳)。
「…何やってんの」
ぼす。
マイクを使ってツッコミを入れるジル。
「痛いです!何するんですかジルさん!」
「…アイドルツッコミ」
「うぬぅ!」
もはやアイドルとは言えない唸り声を出すオルーカルン(14歳)。
「そっちがその気なら!アイドルローキック!」
もはやアイドルの(以下略)
ぼす。
オルーカルン(14歳)の蹴りを喰らったジルは、よろめいて舞台の端から落ちそうになった。
「…アイドル巻き添え…」
とっさにオルーカルン(14歳)の衣装の端を掴むジル。
「あっ、ジルさん!アイドル何するんですか!」
「…自業自得」
「ちょっ、引っ張らないでください!!」
とか言いつつ、オルーカルン(14歳)も暮葉の衣装の端を掴む。
「ええっ、私もなんですか?!」
どさ。どさどさ。
とうとう、3人は舞台から客席のど真ん中に落ちてしまった。
うおおおおお。
ダーリン達の、別の意味での歓声が会場に響く。
「あの……この状況ってアイドル危険なんじゃないでしょうか…」
「何アイドル弱音を吐いてるんですか!私たちはアイドルですよ!?」
「…アイドル以上の何者でもないけどね……」

会場がダーリン達の怒号と足音の響きあう阿鼻叫喚の地獄絵図に変わったのは、言うまでもない。
「……な、何やってるんだよ……」
未だに宙に浮いたまま、クルムは心配そうに呟いた。

いいからおちつけ。

「………で?一体どういうことなのか説明してくれたまえ」
スタッフエリア、総合休憩室。
大勢のファンが大混乱の様相を見せた会場をスタッフ達が何とか鎮圧し、アイドル3人と不審者と冬将軍の5人は、クルムと共にスタッフエリアに戻ってきた。
どうにか落ち着いた様子の楽屋痴話ゲンカ組も顔を揃え、イプシロンの前にベータを含む総勢11名が座っている。
ちなみに、オルーカルン(14歳)は衣装を着替えてオルーカに戻っている。暮葉も同様だ。
ミューはおさまったファン達の前で、まだ舞台を続けている。
「いえ、僕にも正直状況がよくわかってないんですが……」
困惑した様子のミケ。
「つーか、ストーカーがどうやってか知らねェが楽屋に忍び込んできたってことだろ?普通に不法侵入じゃねェか」
肩を竦めるヴォルガ。
「さ、キリキリ吐いてもらおうか。どうやって忍び込んだ?っつーか、こんな美しいレディやガキども丸め込んで何してやがんだ!!」
「ちょ、ちょっと待ってよ?!」
混乱した表情でレティシアが言った。
「さっきからストーカーストーカーって、何のこと?ここは、ベータの同僚がお仕事をしてる場所なんじゃないの?」
「ここは、コンサートホールですよ、レティシアさん」
ミケが落ち着いて説明する。
「コンサートホール?」
「ええ。マヒンダのトップアイドル、ミュールレイン・ティカさんのコンサート会場です」
「え……だって、ベータが研究をしてる場所だっていうから、てっきりメガネに白衣のお兄さん達がぞろぞろいると思ってたのに」
それはない。
「詳しく聞かせていただけますか、研究をしている場所だと言われて連れて来られたんですね?そこの…ベータさん、という方に」
「………あ……ぅ……」
ミケがベータに視線を移すと、ベータは今回初の声を出した。
「うん、実はね…」
言って、レティシアはベータと冒険者たちの出会いの経緯、ここまで来ることになった事情について簡潔に話した。
「…何だそりゃ」
片眉を顰めるヴォルガ。
「それ、どう考えてもレティシアちゃんたちがストーカーのベータに騙されてここに連れてこられたんじゃねえのか?」
「……そう考えるのが妥当でしょうね」
頷くレイサーク。
「ええっ?!そ、そうなの、ベータ?!」
驚いて訊ねるレティシア。
ベータは慌てて首を振った。
「……ち……違います……ストーカーだなんて…」
「ですが、君にふさわしい王子様になって君を迎えに行ってあげる……というストーカーのメッセージには、ぴたりと当てはまるように思いますが……」
レイサークはベータに向かって厳しい視線を向ける。
「えー、それはないんじゃないですかねえ」
眉を顰めて、ミケが首をかしげた。
「どうしてですか?」
「だってこの人、どこからどう見ても『王子様』に見えないじゃないですか」
「ひどっ」
小さくツッコミを入れるリュー。
「いや、この人、変身したって言う割には普通ですよ?いっそイプシロンさんくらいまで変わってくれていないと、そんなの読者が納得しませんよ」
「ふっ……私の美しさと比べられてしまっては、その青年が可哀想というものだよ」
ミケの言葉に陶酔するイプシロン。
「これでもがんばったんだけどなぁ……変身前のベータを知らないと、やっぱり普通の人よね…」
微妙に落ち込むレティシア。
「それに…その、転送装置、でしたっけ?それを使ってここまで来たんでしょう?
ちょっと見せてくれませんか?」
「え……は、はい……」
ミケの言葉に答えて、ベータはポケットに手を入れた。
と。それを聞いて、ゼータがいきなり身を乗り出す。
「そうだ!それだ!あの指輪!」
「……指輪…?」
きょとんとするベータ。
「そうだよ!テレポートする時に使った指輪!」
「……あの……指輪ではないんですけど……」
ごそ。
そう言ってベータが出したのは、手のひらほどの大きさのバッジのようなもの。
「あ、あれ…?指輪じゃなかったっけ?」
バッジって書いたじゃないですか。
「い、いや、形はどーでもいいんだよ!
それ!俺みたいに魔法全然使えねー奴でも使えるのか!?」
「……え?」
「逢いたい時に、相手が居るかもしれない…幾つかの場所に一瞬で行ける!!
くーっ!めっちゃ欲しいんだけどー!!
場所の設定とか、どーやってんの!? 相手の承諾とか、使用条件とかあんのー!?」
「……いえ…だから……ご説明した通り……このアイテムは2枚で一組になっていて…
一方を使うと、もう一方のある場所まで瞬時に移動できるマジックアイテムなんです……」
「あ、あれ?説明してもらったっけ?」
リアクションはちゃんと読みましょう。
「…移動する際の座標軸の微調整は、アイテムが自動的にやってくれます……魔法を使えない方でも、使う事が出来ますよ…魔力はアイテム自体に込められていますから……」
「それ!作ったのか?!それとも買ったのか?!俺にも作ってくんない?!な、頼む!イヤっていうなら監禁してでも……」
「ゼータさん、いいかげんにして下さい。あなたの要望は今関係ないですよ」
少し強めの口調で割って入るミケ。
しかしゼータはくじけなかった。
「邪魔すんなよミケ!ロッテのトコに飛んでいけるかも知んないアイテムなんだぞ?!」
「ロッテさんのところに飛んでいったところで、ゼータさんには何もできないじゃないですか!!」
「…………………その通りデス。スンマセン。もう邪魔シマセン」
隅っこに引っ込んでしまったゼータは放っておいて、ミケは話を続けた。
「その対になるものを、ミューさんが持っていたから…ベータさんたちはここまで移動してくることが出来た、ということですね?」
「………は、はい……」
「では、あなたとミューさんは、少なくとも面識のある…そういった装置を、自分の部屋に置いて置けるほどの間柄だ、ということですよね」
「そんなん、ソイツの嘘かもしんねーだろォ?」
眉を顰めて、ヴォルガ。
「そうですね……相手も持っている装置だと嘘をついて、違った種類のアイテムを使った…あるいは、自身で移動の魔術を使った…そのような可能性もあります」
厳しい表情で頷くレイサーク。
「それに、移動した先が研究をする場所だと言ったのも、おかしな話ですよね…ここは、コンサート会場なのに」
オルーカはどちらかというと迷っているような表情で、ベータに問うた。
「あなた、本当にミューさんの恋人なんですか?ミューさんは本当に、あなたのことを知っているんですか?」
「……あ、あの……あの……」
問い詰められ、しどろもどろになっているベータ。
すると。
「ふむ、確かに、これと同じものをミューが持っていた記憶はあるよ」
イプシロンが、ゼータが出して机の上に置いた転送装置をひょいと拾い上げて、しげしげと眺めながら言った。
「ほ、本当ですか、イプシロンさん!」
驚いて問うオルーカ。
イプシロンは頷いた。
「そうだね、いつも持っていて、楽屋に置いていたよ。そういう意味のあるものだったのだね」
「な、なら……」
「ちょいと待った。本当に恋人なら、プロデューサーのアンタが知らないわけはないだろォ?」
鋭く割って入るヴォルガ。
「アンタ、知ってんのか?ソイツ」
顎でベータを示して。
イプシロンは肩を竦めた。
「いや、そのような青年は、私の記憶にはないね」
「だろォ?」
「……ちょ……ちょっと……か、勘弁して下さいよ、室長……」
ベータはちょっと泣きそうになりながら、イプシロンに向かって身を乗り出した。
「……室長?」
きょとん、とするリュー。
イプシロンは眉を顰めた。
「む。私をその肩書きで呼ぶとは……君は王宮付き研究室の者かね?見ない顔だが」
「え、え?」
混乱している様子の冒険者たち。
ベータはこくこくと頷いた。
「……あの……擬似生命研究室、ベトリクス・アムラムです……」
「なに。先ほどからベータベータと聞き覚えのある名前が連呼されていたと思っていたが、君があのベータだと言うのかね?」
イプシロンの表情には、だいぶ驚きが含まれていたようだった。
「…あ、やっぱりだいぶ変身してたんだ。よかった…」
顔見知りに認識されない程度だということで安心した様子のレティシア。
「ていうか、知ってる名前なら確認して下さいよ…」
ぼそりとツッコミを入れるミケ。
「じゃあ、このベータさんは、本当にミューさんの恋人なんですね?」
少しほっとしたような様子で、オルーカがイプシロンに確認した。
イプシロンは眉を寄せつつ、頷く。
「そうだね。顔がだいぶ変わっているようだが……私を室長と呼び、研究室の名前も相違ないのなら、よほど調べ込んでいるのでもない限り、ベトリクス・アムラム本人だろう。もちろん、私もミューも既知の間柄だ」
「……でも……室長って……どういうことですか?研究室って…?」
依頼時に聞いていない情報に戸惑った様子で、暮葉が訊いた。
「ふむ……そうだね……」
言葉を濁すイプシロン。
と。
「じゃあ、やっぱりここって、ベータさんが言った通り研究をするところなんだね。コンサート会場でもあって、研究するところでもある、ってことでしょ?」
リューが辺りを見回しながら、会話に割って入る。
「…確かに……両方の言ってる事が両方正しいとしたら、そうなるね……」
静かに頷くジル。リューは頷いて、続けた。
「ミューさんがしてる研究って、どんなのなの?何のための研究、っていうか。ずいぶん大々的みたいだけど。そんな乱暴な冒険者なんか雇っちゃってさ」
ぎろ、とレイサークの方を睨んで。
「ふむ………」
なおも難しい表情で、イプシロンは黙り込んだ。
「……もしかしたら……」
言おうか言うまいか迷っている様子で、だが、クルムは言った。
「ミューの……歌に、チャームの…魅了の効果があるのと……何か関係してる?」
「なに?」
少し驚いた様子で、イプシロンはクルムの方を向いた。
その表情が全てを物語っていた。
「歌に、魅了の効果が…?呪歌、というものですか?」
クルムに問うミケ。
「そういうものがあるの?よく知らないけど…コンサート会場のファン達は、みんなチャームがかかったみたいな表情をしてたんだ。
オレは…このインカムをつけていたから、効果がなかったけど。
それまで戦いをしていたはずのレイサークやゼータまで、入った瞬間に歌って踊って萌え萌え言い出すし」
「んなにいぃぃぃぃっ?!」
「そ、それは本当ですか、クルムさん?!」
ゼータとレイサークが驚いて声を上げた。
「……う、うん…振り付けまで完璧で、ミューたん萌えーって絶叫してたよ…」
言っては不味かったか、という表情で、それでも頷くクルム。
「うぅぅ嘘だー!!俺はロッテ一筋なんだー!!すべて呪歌がいけないんだー!!」
全然説得力のない言葉で大仰に嘆くゼータと、
「……道理で会場に入ってからしばらくの記憶が無いと……くっ、この俺が呪歌ごときにそんな黒歴史な行為をさせられるとは…!」
壁を殴って怒りを鎮めているレイサーク。
「ふむ……そこまで知られてしまっているのなら、仕方が無いかもしれないね……」
と、イプシロンが話す体制を作った。
その時だった。

「お疲れ様でーす」

がちゃ、と扉が開いて、その向こうからコンサート衣装を着たミューが入ってきた。
「プロデューサー、さっきのアレってどうなり……」
「……ミュー!」
がた、と立ち上がるベータ。
ミューは驚いてそちらを見た。
「……え?!べ、ベータ?!どうしてここに?!」
冒険者たちが一斉にミューに注目する。

しかし、ミューにそれ以上何かを訊くことは出来なかった。

「そのまま、動くな!!」

突如、ミューの背後に人影が現れ、その体を拘束した。

事態はいきなりちょうてんかい↑↑↑

「……っ?!」
突然拘束され、喉元に刃を突きつけられたミューに、冒険者たちは腰を浮かせたまま固まった。
ミューより頭ひとつ背の高い、ひょろりとした男性だ。ひょろりというよりは、ガリガリと言ったほうが近いかもしれない。しかし、ミューの腕をがっちりと拘束し、喉元にナイフを突きつけ、蒼白な表情で笑みを浮かべている。
「あ、あなたは……!」
オルーカが青ざめた顔で青年を指差した。
「………誰でしたっけ?」
ずる。
冒険者たちだけでなく、青年もミューもちょっとコケる。
「オルーカさん!」
「いやいや、お約束ですよ」
「……大道具のスタッフさんの一人ですよ。…顔だけは、覚えてます」
油断のない表情で、ミケ。
「そんな……」
「ふ…ざけんなよ……!」
どす。
先ほどまで壁に怒りをぶつけていたレイサークが、さらに壁に拳を打ちつけた。
「レイサークさん……」
「…ったく…ふざけるにも程がある……スタッフ…だと…?」
だん!
「今まで名前も顔も出てきてない端役キャラが犯人たぁどういう了見だ!」
「怒るポイントそこかよ?!」
反射的につっこむヴォルガ。
レイサークはどすどすと壁を叩いて、なおも怒りを露にしていた。
「畜生…!これじゃあイプシロン疑って丁寧に根拠まで上げてアクション出した俺がまるで道化じゃねえか!」
「うわあ」
「それは…まるで、ではなく……」
「まあ、若輩の浅慮にすぎない、っつって予防線も張っといたから問題ないがな!」
「うわあ…」
「とどめですね」
レイサークの懺悔ショーはさておいて、イプシロンは用心深く青年に問うた。
「…お前が……犯人であった、というのですね。テキ・トー」
その発言に目をむいたのが、リュー。
「うわ、それ名前?!かわいそすぎる!」
「うるさい!」
テキと呼ばれた青年はミューにナイフを突きつけたまま叫んだ。
「ふっ……やっと……やっと、ミューたんに相応しい王子になれたんだ!
俺たちの愛を邪魔するなら…ここでミューたんを殺して俺も死ぬからな!」
ちゃき。
ミューに突きつけられたナイフが、音を立てて角度を変えた。
「……逃げられるとでも思うのですか、ここから」
イプシロンの言葉に、テキはにぃ、と口の端を吊り上げた。
「ミューたんに相応しい王子になれた、って言っただろ……」
ちゃ。かちゃ。かちゃちゃちゃちゃ、かちゃっ。
テキの言葉と共に、無数の足音が休憩室に響いた。
「こ、これは……?!」
部屋に入ってきたのは、無数の……ミューを模した、人形。
腰丈くらいまでのものだったが、そのあまりの数と、はりついたような笑顔のまままるで人間のような動きで冒険者の足を拘束する動きが、たとえようもなく不気味だった。
「これは……1/2カスタムドール『着せ替えミューたん』!!」
イプシロンがそれを見て唖然とする。どうやらキャラクター商品らしい。
「なるほど……こんなにたくさんの人形達を使って、衣装や花を切り裂いた、ということなんですね……」
悔しげに言うミケ。
テキはにやり、と笑みを深くした。
「ミューたんは……どうやらゴーレムマスターがお好みみたいだからなぁ……
…俺も、必死になってゴーレムの技術を勉強したんだ……
なあ……俺、これだけたくさんのミューたんを操れるようになったんだよ……
褒めてくれるよね……?俺だけのものになってくれるよね…?」
「………っ……」
頬に息を吹きかけるテキに、苦しそうに表情を歪ませるミュー。
冒険者たちは足にまとわりつく人形と、何よりミューにナイフを突きつけられていることで、動く事が出来なかった。
「じゃあ……行こうか……俺たちの、愛の城にさ……」
テキは言って、ミューにナイフを突きつけたまま歩き出した。
「っ……!」
「わかってると思うけど、何かしたら俺はすぐにやるからね?」
体を動かそうとした冒険者に釘を刺すように、鋭く言うテキ。
冒険者たちは再び体を固まらせて、テキとミューがその場を立ち去るのをただ眺めているしかなかった。

「どうだった?」
「……ダメでした。外にも人形が蔓延していて、帰りがけのファンで大混雑で……後を追うことは、出来ませんでした」
「……そうか。さがっていい」
「……はい」
意気消沈した様子で部屋を出るスタッフ。
ちなみに、先ほど部屋を埋め尽くしていた大量の1/2カスタムドール『着せ替えミューたん』は、テキが去ってしばらくして全て撤収してしまった。
「さて、困ったことになったね……」
イプシロンは沈痛な面持ちで眉根に指を当てた。
「あの…さっきの、男の人は…?テキ……さん、とかいう…」
暮葉の質問に、そのままの表情で答える。
「ああ、マヒンダで雇ったスタッフだ。基本的に雇用するスタッフはミューのファンでは無いことを大前提にしているのだがね…どうやら巧妙に隠していたようだ。これはこちらのミスだったよ、すまない」
「いえ……そんな。私達だって、ミューさんをさらわれてしまったのですし…」
恐縮して頭を垂れる暮葉。
「でも……その、さっき言ってた研究の方が原因だっていうことは…ない、かな?」
同じく痛ましげな表情で言うクルム。
イプシロンはそちらを向いた。
「ああ、そういえば話が途中だったね。
この事件はミューのファンが起こしたものだと思っていたし…そもそも、おおっぴらにしたいことではないのでね。ファンの暴行で片が着くのなら、余計な情報は出しても混乱させるだけだと思って黙っていたのだよ」
肩を竦めて。
「だが、ここまで知れてしまったのなら、話しておいて口止めした方が良いだろう。
まず私の身分だが、ミューのプロデューサー…あるいは、『セブンス・ヘヴン』のヴォーカル『ルシフェル』とは、世を忍ぶ仮の姿……」
それから、ふっ、と格好をつけた。
「マヒンダ王宮直属の呪歌研究室室長、イプシロン・プライマルエディクタだ。改めて、よろしく願うよ」
「は、はあ……」
キツネにつままれたような表情の冒険者たち。
イプシロンは続けた。
「これは、公には口にしないで置いてもらいたいのだがね…
確かに、ベータの言う通り。この、アイドルプロジェクト…もちろん、私の『セブンス・ヘヴン』もだね。
これは、ミューや私の『呪歌』の効果を実践・観察するための、王室研究室による大規模な実験なのだよ」
「呪歌……」
「……実験……」
「ああ。もちろん、人の体に害のあるものではないし、歌が終わればその効果は消える。だからこその『呪歌』なのだからね。どのように実践すればどれだけの効果が出て、どこまで有効なのか。
体を動かすことが出来るのか、意志を曲げる事が出来るのか。
呪歌の腕を磨くのと、効果を試すのと。一石二鳥の実験というわけだ」
「実験…とはまた…良い気分がしないものですね……」
少々眉を顰めて、レイサーク。
イプシロンは肩を竦めた。
「だから、公には秘密にしてあるのだよ。
先ほども言った通り、呪歌の効力は歌が終われば消える。それでもファンとして残っているのは、ひとえに私とミューの ス タ ア としての輝きの成せる業だ。私の罪深き信者達を実験台として使用させていただいている代わりに、私は信者達に夢を提供している。そうではないかね?」
ふ、と格好をつけて。
レイサークはなおも納得いかない表情で、それでも黙った。
「しかし、ヴィジュバンドにプロデューサー、それにマヒンダ王室の研究員だってェ?
よくそんな、3足のわらじが勤まるよなァ?マジか、それ?」
「まあ、検事と超人気ロックバンドを同時にやってる人がいるんですから、いいんじゃないですか?」
微妙なツッコミとフォローを入れるヴォルガとミケ。
「ミューの…その、呪歌、の効果っていうのは、どの程度のものなのかな?」
クルムが真面目な表情で質問を続けた。
「ミューの歌が聞こえれば、コンサートの会場内じゃなくても、魅了されてしまうの?」
「それはもちろん。コンサート会場に仕掛けがあるわけではないよ。それでは実験の意味がない」
「じゃあ、命があるものには全て効果があるの?」
「動物実験はすでに試している。人間と同程度の効果はあるよ」
「そうか……彼女のチャームにかからないのは、どういう場合?」
「そうだね、耳を塞いでいる、あるいは耳が聞こえない場合。それから、我々がつけているこのインカムには、呪歌の効力をシャットアウトする特別な術が施されている」
ちなみに、イプシロンのインカムは特別製のコウモリの羽インカムだ。
「あとは、精神の干渉に耐えうる精神力を持っている場合…だな」
「なるほど……」
ふむ、と考え込むクルム。
「じゃあ…オレ達が助けに行って、ミューが協力してくれたとしても…ミューが呪歌を使えば、オレ達もそれにかかってしまう可能性がある、ということだね?」
「……このインカムをつけていけば、効力は防げるよ?」
「いやそれはちょっとなんか遠慮したいっていうか」
「ふむ。まあ、君たちがミューを奪還してくれると言うのなら、それに越したことはないね。
どうか、よろしく頼むよ。私の大事なアイドルであり、大事な部下だからね」
「もちろんです」
それには、ミケを始め全員の冒険者たちが頷いた。
「ミューさんをさらわれてしまったのですから、なんとしてでも取り戻すのが私たちの使命でしょう」
「あんなキモいストーカー野郎になんか負けませんから!」
「必ずミューさんをお連れして参ります」
「そういやアンタ、ミューには恋人いねェっつたじゃんかよ?ありゃやっぱ、嘘なんか?」
やや非難するような口調で、思い出したように言うヴォルガ。
イプシロンはにこりと微笑んだ。
「言ったはずだよ。『アイドル』ミュールレイン・ティカには、恋人はいない。しかし、呪歌研究室の『研究員』であるミューのプライヴェートは、上司の私が拘束できるものではないからね」
「ンなもん詭弁じゃねェか!くっそ!」
苦い表情をしつつ、ヴォルガ。
「まァいい。幸い、ミューのハンカチはゲットしてあるからな!ミューの匂いを辿って、居場所を突き止めることならできるぜ!」
「えっ、ヴォルガさん、そんな変態じみた特技が?やっぱり変態だったんですね」
驚いてオルーカが問うと、慌てて首を振った。
「ちがーう!オレは狼に変身することができンだよ!狼の鼻はよく利くぜぇ!」
「…でも、別にわざわざハンカチをもらわなくても、楽屋に残ってるもので匂いを辿れるんじゃ…?」
ミケの鋭いツッコミに、ヴォルガは一瞬沈黙した。
「…どうだっていいだろうがンなこたァよ!!さあ、さっさと行くぜおらァ!」
「………あの……」
立ち上がったヴォルガに声をかけたのは。
「あン?アンタ確か、ミューの恋人の……」
「………ベータ、です」
立ち上がったベータの表情からは、先ほどまでのおどおどした様子がすっかり消えていた。
真剣な瞳で、続ける。
「……僕も、連れていって、下さい」
「ベータ?」
驚いてそちらを見るレティシア。
ベータの真剣な表情は…どうやら、怒りをはらんでいるようだった。
「……先ほどの、人形…ゴーレムの技術で動かされていました。
ゴーレム…擬似生命体は、僕の専門分野です。
お役に立てると思います」
「ゴーレム…そうか、テキの言っていた『ゴーレムマスターがお好み』っていうのは、ベータのことを指していたんだね」
クルムが言い、イプシロンがそれに答えた。
「ベータにはコンサートの時などによく手伝ってもらっていたしね。ミューと接している様子を見れば、よほど鈍い者でない限り2人の関係は判る。スタッフの公然の秘密、といったところだね」
「それじゃあ、例えば、テキさんからゴーレムの支配権を奪う、というようなことは出来るんですか?」
ミケの質問に、ベータは首を振った。
「一度生成され、命令を受けてしまったゴーレムは、その器自体を破壊しない限り命令を解くことは出来ません。あの人形を命令から開放するには、人形を破壊するか、その命令自体が完結するしかありません」
「なるほど……」
「しかし、僕がゴーレムを生成し、皆さんが命令を植えつけられるようにすることならできます。
それなら、数の上で向こうに圧倒されることはないと思います」
「……わかりました。そういうことなら、是非協力して下さい」
ミケは頷き、立ち上がった。

「……行きましょう。ミューさんを助けに……!!」

「~次回予告~
後輩アイドルの大活躍も空しく、変態ゴーレムマスターに拉致されてしまったミュー。
それを奪還すべく手を取り合った、10人の不審者達。
だが、彼らを待ち受けていたのは、想像以上の試練だった。
襲い来る数多の人形達、足を引っ張る仲間、何も考えていないゼータ。
果たして、彼らは試練を乗り越え、ミューという愛の女神を奪還する事が出来るのか?
そして、イプシロンは何故来ないのか?
次回、『愛と哀しみのカスタムドール』。
ここに集いし小さな光が、今宵、伝説となる…!」
「なあジル、それ楽しいのか?」
「………うん」
「つーか、何か今気になるフレーズが混入してたようだが」
「……………気のせい」

…To be continued…

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