ずっと夢見ていたの

魔法使いが現れて
私に魔法をかけてくれる

見違えるように綺麗になった私は
王子様に見初められて
永遠の幸せを手に入れるの


でもね


知ってるわ
そんなもの、おとぎ話の中だけだって

それに、誰かが与えてくれた幸せなんて
薄っぺらいと思わない?
そんなもの、あたしはごめんだわ

自分の力で綺麗になって
自分の力でお城に行って
自分の力で王子様を射止めるの

幸せは、自分の力で手に入れなくちゃね
そうでしょう?

モサとヘタレと私

「はああぁぁぁぁぁ………」

心まで綺麗に晴れ上がりそうな、そんなヴィーダの昼下がり。
太陽の力ではどうしようもないほどにどす黒いオーラを纏った男が、大通りを重い足取りで歩いていた。
年のころは20台半ば。薄汚れたジーンズの上下。無造作な感じの黒髪に何故かはちまきのようにタオルを巻き、ポケットに手を突っ込んでガニマタで歩く姿は、控えめに見てもあまりまともな素性の人間とは思えない。頬の「Z」のように見える傷跡がそれをいや増している。
すれ違う人々が無意識に彼を避けて歩いているのに気付いているのかいないのか、彼は再び大きなため息をついた。
「………足りない。――俺の心は、いつも乾いたままだ――」
ふっ。と自嘲気味に微笑んで、それから眉を寄せる。
「……とかボケててもハジマラねーな」
セルフツッコミも痛々しい。

数日前。
いつもの店で、彼は想い人と偶然会った。
想い人……とは言っても、すでに一度思いを伝え、綺麗に断られている少女だ。彼女自身にも想いの通じ合っている男性がいる。
彼女は断ってからも変わらぬ態度で自分に接してくれる。他愛のない話をして、それなりに楽しく過ごした。
「っだぁから、それがダメなんだっつの!」
自分を揶揄するように毒づく。
「冷静になれ、俺。俺の望む幸せは『他愛の無い話をして楽しく過ごす』事か?否、断じて否である!ガルマは何故死んだのか!」
ごめんなさいそのネタわかりません。
ぶんぶんと頭を振って。
「だから落ち着けって!」
まったくです。
というか、傍から見たらものすごい変な人ですよ。そのうち自警団とか呼ばれそう。
などということは全く気にならないのか、独白を続ける彼。
「でもなぁ…正直、アイツを前にしたら何を話して良いか解らんよーになる…っつーか…
1回綺麗に『ゴメンなさい』とか言われた男が、その先に進む為にはどうしたら良いのか解らんっちゅーか…」
どこに出しても恥ずかしいヘタレである。
彼はそこまで言って、再び盛大にため息をついた。
「それでも諦められんのは――魅入られちゃったんだよなぁ、結局――」
はああぁぁ。
ため息ばかりがついて出て、どんどん幸福を逃がしていく。
「…余り深く入り込んで、引き返せなくなるのも怖いんだがなぁ…てか、既に引き返せないトコまで入り込んでる事に気付いちゃってるんだが…
やっぱ、どうして良いのかってなるとわっかんねーなぁ…」
はああぁぁ。
はあぁぁぁぁぁ………
「……ん?」
気付けば、自分のため息とシンクロするように、明らかに自分のものでないため息が響いている。
「なんだ……こんないい天気なのに俺の他にも幸せを逃がしてるやつがいるのか?」
自覚はあるらしい。
きょろきょろ見回せば、彼と数歩離れて、店の前でもの欲しそうにショーウィンドウを眺めている青年が一人。
白茶けたボサボサの髪を顔を覆い隠さんばかりに伸ばし、ヨレヨレの服を纏って猫背で立っているその姿。
あからさまに自分と同じオーラを纏ったその青年を目にし、思わず苦笑してしまう。
「ま、世間にはゴマンといるわなぁ、あんな男は……」
空しくはあるのだが、どこかでほっとしてしまったのも事実で。
辛い状況で頑張っているのが自分だけではないことに、少し安心してしまう。
「…と。待てよ」
と。
彼はふと気付いた。
「3人寄ればなんとやら。1人で悩んでても進まない事だって、頭数揃えりゃなんとかなるんでないか?」
口にしているうちに勢いづいていたらしく、曲がっていた背がしゃんと伸びる。
「1人のヘタレなら、あっさり心が折れる。
しかし、複数人のヘタレで出す答えならどうだ!?」
折れると思います。
近くを通りかかった女性がそう言いたそうな顔で彼を見ている。
しかし勢いづいた彼は止まらない。
「そもそも、俺の周りに居る男と言えば。
ミケも歩けばレティシアに当たる。男装の麗人と言ったら殴られた!色気魔人ミケ!!ちょっとクラッと来るよね!?
お日様と登場、クルム!出会っただけでも、ちょびっと幸福感が得られます?英雄路線まっしぐら、正統派ヒーロー!!格好良いね!!」
ご丁寧にキャッチコピーまでついている。
かー!と言いながら頭を振って。
「みろみろ?アッシュもそうだし…『モテない男』って奴の気持ちが解るのが、周囲に居ないんだ。
相談できんし、したとしても惨めな気持ちになるだけだ。
ならば!モテナイ仲間を集めて相談すればいいんだよ!俺ってあったまいー!」
「ママーあのおじちゃんだれとおはなししてるのー?」
「しっ。見ちゃいけません」
親子連れが急ぎ足で通り過ぎる中、彼は意気揚々と青年に向かって歩いていった。
ぽん。
ため息をつくその背を軽く叩き、明るく声をかける。
「よっ。なーにため息なんかついてんだ?」

「…………ベトリクス・アムラムといいます………ベータって呼んで下さい……」
近くの公園のベンチで腰を落ち着かせ、冷たい飲み物なども振舞うと、ボサボサ頭の青年はぽつぽつとそう名乗った。
近くで見ても、やはり目すら見えないほどにボサボサの髪の毛が繁殖している。垣間見える目元鼻元はそばかすだらけ。着ていたヨレヨレの服は、よく見ればどこかの制服のようだった。
「そっか。俺ゼータね?ヴィーダは狙われている!! …パクってゴメン」
だからネタわかりませんってば。
「いやな? あちこち見ちゃー肩を落す姿に共感を覚えて…っつーのもなんだが。
思いつめてる風なのも、ちょっと気になったんだぜ? マジマジ」
「………はあ……」
わかっているのかいないのか、いまいち表情の読み取れない顔で、ベータ。
「で、なんだ。
俺ぁこれでも、人生経験ソコソコ豊富な冒険者!
暇も持て余してる。
相談事ってなら、今ならコーヒー1杯で受けるぜ♪」
えっこれベータのおごりですか。普通声かけた方がおごらない?何その押しかけ相談員。
「…はあ………」
ため息なのかあいづちなのかよくわからない声を漏らしてから、ベータはぼそりと言った。
「…………あの………」
「ん?なんだなんだ?」
しばし沈黙。

「………いい男になるには……どうしたらいいんでしょうか………」

さらに沈黙。
「……………」
「……………」
なおも沈黙。
まだまだ沈黙。
しつこく沈黙。
…の後に、ゼータはごく真面目な顔でぽつりと返した。
「………そりゃ又なー。…どうしたら良いんだろうなぁ…?」
おーい人生経験ソコソコ豊富な冒険者ー。
所詮何人集まろうとヘタレはヘタレ。良い男になるための方法などわかるはずもなく。
ゼータはため息をついて空を見上げた。
「俺自身『自分が格好良く見えるには』って今まで考えた事無かったんだけど。
こー…なんてーか―――今のままじゃ何も変わらんなぁ―――と思ってさ?
何かきっかけが欲しいんだよな」
「………わかります……」
ゼータの方を見て、控えめに同意を示すベータ。
「アレだぞ。フラレ方なら山ほど…でもないが。ソコソコ教えてやれるぞ? つー事は、だ。
俺の小山ほどの知識を全て伝えれば、なんと!
『どーやったらフラれるのか。どんな事が不味かったのか』が解り、二の徹を踏まなくても良いと………ううううう」
途中でさすがにダメージが来たらしく、ベンチの上でうずくまるゼータ。
というか、それが全く役に立っていないから今の彼があるわけで。
てかまず、どんなことが不味かったのか把握してるんですか。
「ええい、話を変えるぞ。
そもそもまず、何で又急に目覚めた訳よ?」
「………え………」
きょとんとしている(らしい)ベータ。
「いや、今お前その格好なのに、急に格好よくなりたいとか思ったきっかけがあるんだろ?
女か!? 女絡みかこの野郎!!
雨に打たれてる子猫を懐に入れてやってるのを見た。そんなので、なんだか気になる子が…パターンが発生したか!?」
古い。
ベータはゼータのテンションに戸惑いつつも、うつむいてぽつぽつと喋り始めた。
「………好きな女の子が……いるんです……
……彼女に……少しでもふさわしい男に…なりたくて……」
「ふさわしい男ー?」
ゼータは盛大に眉を顰めた。
「なんだ、その好きなコってのは、そんなに上玉なのか?性格が良いとか?」
ベータのそばかすの辺りが、少しだけ朱に染まる。
「……可愛い……と思います……すごく。
……気は……強い方だと…思うけど……本当は……優しいんです……」
「ツンデレってやつか!そろそろ廃れてきた頃だけどな!」
ほっといてください。
「そうかー……まぁ、とりあえずそっちの悩みを解決するトコからだよな…
女の子に『格好良い』…と思われる、そんなカッコが出来れば良いのか。
なら、俺がどーこー言うより女の子視線のが良いよなぁ…」
全く役に立っていない押しかけ相談員。コーヒー一杯おごり損である。
はぁぁ…
二人のため息がシンクロする。
と。

「そこの寂しそうなお兄さんたち!
ちょっとリューちゃんの人形劇でも見て、元気出しなさい!」

どこからともなくかけられた甲高い声に、二人は驚いて顔を上げた。
見れば、二人の正面にいつの間にか小さな少女が立っている。
茶色の髪を両サイドでまとめてお団子にし、先を少し垂らしている。大きな黒い瞳に、あどけなさの残る表情。やっとエレメンタリーを卒業したくらいだろうか。どう見ても15にはなっていないだろう。
彼女の周りにはさまざまな格好をした人形達がちょこんと立っており、彼女はどうやってかその人形を操っているようだった。糸も何も見えないが。
「………つか、誰お前?」
ゼータが至極まっとうな質問をすると、少女ははいっと手を挙げ、同時に人形達も手を上げる。
「リューテ・ペップって言います。リューって呼んでね♪」
リュー、と名乗った彼女がばっと両手を上げると、しゃきっ、という感じで整列する人形達。
「さあ、始まりますは『愛のミョー薬』!
平凡な片田舎で起こった、ロマンティックな愛の物語よ!
さあ、とくとご覧あれ!」
二人に何を言う隙も与えず、リューは人形を動かして人形劇の幕を上げた。

「ああっ、ニェモリーノ!私、あなたを愛しているの!
私、あなたと結婚するわ!
おおっ、なんということだアディーニャ!これも愛のミョー薬のおかげ!」
器用に登場人物の喋り方など変えながら(残念ながら声まではさほど変わらないが)、物語はクライマックスに突入していた。
「はいっ、とゆーわけで、ニェモリーノとアディーニャは結婚して、幸せに暮らしましたーめでたしめでたしっ!
本当に大事なものは気持ちなんだよ~♪っていうお話だよね!
まー実際、それで済んだら苦労はないんだけどね。
正しく言えば、気持ちを持って何をするかが大切だと思うし」
うんうんと頷きながら、何やら一人で納得するリュー。
が。
「……………はぁ……」
「てか、ベリュコーレ完全に当て馬じゃん……ああ、なんか気持ちがよくわかるぜ……」
ますます暗くなっていくベータとゼータ。
リューは腰に手を当てて眉を吊り上げた。
「んもうっ!何をますます暗くなってんの~?」
ゼータがそちらを見上げ、はぁ、ともう一度ため息をついて言った。
「実はな………」

かくかくしかじか。

「なるほどねぇ~…カッコイイ男になりたいと。
確かにもーなんか、見るからにモテない男全開、って感じだもんねー」
「うっせ」
「よっし!」
毒づくゼータをガン無視して、リューは右腕を振り上げた。
「じゃぁ、このリューちゃんも一肌脱いであげましょうっ!」
「はぁ?」
盛大に眉を寄せるゼータ。
「はいはい、じゃあそうと決まれば、早速服選びからゴーだよ!善は急げ!」
「お、おい……」
「…………」
強引に二人を立たせて背中を押しながら、リューは楽しそうに中央通りへと二人を押しやる。
(ふふっ、これは遊び甲斐があるし、新しい話のネタにもなるな~)
と、楽しそうな予感に顔をほころばせて。

ボディー・ガードは突然に

「よう、久しぶりだな、小僧」
風花亭に入るなりマスターに呼び止められ、クルムは笑顔をそちらに向けた。
「はい、お久しぶりです。最近ナノクニから帰ってきたんですよ」
どう見ても15そこそこ、いやもしかしたらそれ以上若いかもしれない。栗色の髪を短くそろえた、あどけなさの抜けない少年である。が、澄んだ緑色の瞳にたたえられた落ち着いた雰囲気が、彼を大人びて見せていた。
「何か依頼でもないかなって、ここに来たんですけど」
「そりゃあちょうどいい。ちょっとコイツを受けちゃくれねえか。急ぎなんだ、急にキャンセルが出ちまってさ」
「キャンセル?」
あまり聞いたことのない事態に、カウンター越しに身を乗り出すクルム。
マスターは苦い顔で、一枚の依頼票を出してきた。
「護衛なんだが、これがちょっと特殊でね」
クルムはそれを覗き込んで、聞きなれない名前をたどたどしく読み上げる。
「……ミュールレイン・ティカ……?」
「ああ。マヒンダで人気絶頂のアイドルなんだそうだ。それが今度、ヴィーダでコンサートをすることになったんだが、ちょっとたちの悪いやつがくっついて大変で、それでこっちで冒険者を雇うことになったらしい」
「なるほど。それで、キャンセルっていうのは?」
「それがさあ」
マスターは渋面をさらに濃くした。
「ミーハー心で飛びついて、彼女にバレて散々な目に遭ったとよ。そんで急にキャンセルしてきやがったんだ。
こっちゃー定員揃ってやっと明日顔見せって時に、んーなくだらねぇ理由で急にキャンセルしてきやがって。あいつは暫く出入り禁止だ。へらへら顔見せに来やがったら、ただじゃおかねぇ。社会の厳しさはきっちり教えんとなぁ」
怒り心頭のマスターを尻目に、依頼票を上から下まで読むクルム。
「なぁ、頼まれてくんねえか?もう明日顔見せなんで、欠員が埋まらねえと困るんだよ」
困った様子で頼み込んでくるマスターに、クルムは笑顔を返した。
「わかりました、任せて下さい」

「ミュールレイン・ティカっていやあ、確か、マヒンダで人気の清純派アイドルだよな」
「えー、知ってるんですかヴォルガさん、すごーい」
真昼の月亭。
看板娘のアカネの前で真っ昼間からグラスを傾けているのは、二十代前半ほどの青年だった。
腰まで届くほどの銀髪に、どこか危険な臭いを思わせる紅い瞳。彼とおそろいの、銀の毛並みと紅い瞳を持った鷹が肩にとまっている。
ヴォルガと呼ばれた彼は、アカネの言葉に苦笑した。
「一応、流行りもんの知識は多い方なんだぜェ~。ま、それに興味を持つかどうかは別の話だがな」
「まーたまたそんなこと言ってぇ、実はファンなんじゃないんですかぁ?」
「おいおい、オレは~18歳未満のガキンチョに興味はねェんだっての…」
「ま、そういうことにしておきましょ」
「だから……まあいいや。で?そのミューがどーしたって?」
「今回、初のヴィーダ遠征なんですって」
「あぁ~確かに聞いてはいる…今回のフェアルーフが初の海外遠征だったよな」
「よく知ってますねぇ~」
「だからそのニヤニヤ笑いやめろって。オレはガキには興味ないんだっつの」
「でー、そのコンサートの間の護衛の依頼が入ってるんですよ。風花にも依頼行ってるらしいんですけど、ウチでも確保を頼まれてて」
「護衛の依頼だァ?おいおい、勘弁してくれよ…もっと、スリル満点の楽しい依頼はねェのか?
どこぞの村でのモンスター退治とかさー、古代遺跡の大冒険とかさー、そういう依頼来てねェのか?」
「スリリングですか~?注文多いですねぇ…」
アカネは眉を寄せて、依頼掲示板に向き直る。
「スリリング…スリリング…あ、これとかどうです?」
「ん?なになに?新薬の実験にマジックアイテムの初起動実験!?
確かに違う意味でスリリングな依頼ばっかだな~」
ヴォルガは見せられた票を指先でぺちんと弾き、けだるげに頬杖をつく。
「ったく…まともな依頼が何一つねェってのはどういうこった…お兄さんはそーいったジョークは好きじゃねェんだよ…次からはもうちょい可愛げのある冗談を頼むぜェ~」
「んもう、そういうワガママばっか言ってるから、風花に出入り禁止喰らってウチに来てるくせに、依頼票見せてあげてるだけでもありがたいと思って下さいよね!」
アカネは少し怒った様子で、票を掲示板に戻す。
「それに、アイドルの護衛っていったって、そのミューちゃんはなんか得体の知れないストーカーに付け狙われてて危険だっていうんでわざわざ冒険者雇ってるんですよ?」
「何?ストーカーだぁ?」
「はい。なんでも、狂信的なファンの仕業らしくって、ミューちゃんの衣装とか贈られた花とか全部切り裂いたりとか、ちょっとシャレにならないことやらかしてるみたいなんですよー。
で、前回のライブで、誘拐っぽい宣言が出たんで、冒険者にガードをってことで……」
「そーれを早く言ってくれよォ」
ヴォルガは笑みを浮かべて立ち上がった。
「そういう事なら、その依頼喜んで引き受けようじゃねェの!
女性を脅かすストーカーは許せねェ、ぜってェにとっ捕まえてやらァな!」

「オルーカ!オルーカ!ちょっと!」
「……ど、どうしたんですか、司祭様」
どたどたと神殿を駆け抜けてくる司祭を、少し引き気味に向かえる女性。
火の神ガルダスの僧服を纏った、二十歳ほどの女性である。藍色の髪を肩口あたりで揃え、グレーの穏やかそうな瞳を今は驚きに見開かせている。
オルーカと呼ばれたその女性の様子を気ほども気に留めずに、司祭は手に持った紙をぐい、と彼女の目の前に突き出した。
「これ!ぜひ受けなさい!」
「………アイドルの……護衛……?」
目の前すぎて却ってよく読めない紙に綴られた文字を何とかたどってみると、そう読み取れた。
「そおおぉぉぉぉなんだよおぉぉぉぉ!!」
司祭は興奮した様子で叫んだ。
「マヒンダに舞い降りた天使、あのミューたんが、なんと!ヴィーダで遠征公演をするというんだ!
いやもちろん私は知っていたよ?チケットも徹夜で並んで最前列をゲットしたさ!遠くマヒンダまでわざわざ行かなくても、この目でミューたんを見れるとあれば私はなんでもする!」
「……司祭様……時々視察と言ってマヒンダに行っていたのってまさか……」
「オホン!それはどうでもいいんだ。問題はだね。ミューたんが、得体の知れないストーカーに付け回され、挙句に誘拐宣言まで出されていると言うのだよ!おおおぉぉ、我が神は何故このような試練をミューたんに与えたもうたのか…!」
大げさに嘆きのポーズを取る司祭。
オルーカはあっけに取られた顔でそれを見ている。
「そこでだ!君にはこの依頼を受け、ミューたんの護衛をしてもらいたい」
「…ちょっと訊いていいですか?」
「なんだ」
「なんで私が。司祭様がやればいいじゃないですか」
「何を言うんだ?!徹夜で取ったこのチケットを棒に振れと?!」
「いえ別に、私には関係ありませんし」
「君は世話になっている人間に対してそんな薄情な人間だったのかああぁぁ?!」
「今お世話になることも考え直そうかと思い始めたところです」
「そんなこと言わないで。な?実はもう君が受けてくれると風花亭のマスターに話をつけてしまったんだよ」
「何で勝手にそんなことを!」
「だから。ね!頼む!大丈夫、ちゃんと二人分で話をつけてあるから、お友達と二人で行ってきなさい」
「コンサートのチケットじゃないんですよ?!」
「そんなこと言わずに頼むよぉぉぉオルーカぁぁぁ」
オルーカにすがり付いて懇願する司祭に、オルーカは眉を寄せて肩を落とした。
「仕方ないですね…今回だけですよ?」
「そうか!いや実に有難い!そしてだねオルーカ!」
「はい?」
「ついでにサインを貰ってきなさい!出来れば『司祭様へ☆ミューよりv』っていう宛名入りで!更に出来ればキ、キ、キ、キスマー…あああウソウソウソ!ミューたんにそんなことさせられないー!!!」
頭をぶんぶん振って絶叫する司祭。
そして叫び終えてふと我に返ると。
「………あれ?オルーカ?」
オルーカの姿はとっくに大聖堂から消えうせていた……

「あっ。いたいた。ミケさん!」
不意に名前を呼ばれ、彼は飲みかけの紅茶をソーサーに置いて振り返った。
少女かと見まごうような、大きな青い瞳が可愛らしい人物だ。栗色の長い長い髪を三つ編みにし、黒のローブを纏って肩には黒猫。どこからどう見ても魔道士ですといった風情である。
彼は名を呼んだ人物を認めると、破顔した。
「オルーカさん。お久しぶりです」
「新年祭以来ですね。あの、ちょっとお願いしたい事が」
「はい、なんでしょうか?」
微笑むミケの正面に座り、オルーカは身を乗り出した。
「実は、仕事を引き受けたんですけれど。よければご一緒しませんか?結構割はいいん」
「やります」
超即答。
「えっ…いいんですかそんな簡単に」
驚くオルーカに、ミケは笑顔を返した。
「いや、最近諸事情で、所持金のほぼ全てを使い切っちゃったんですよ。
オルーカさんは、信頼できる方だと思っていますし。割りも良いのであれば、断る理由はありません」
「よかった…マヒンダ絡みだっていうことで、私あまり魔道に詳しくないからどうしようって思ってたんですよ」
「そうなんですか。そういうことでしたら、是非協力させてください」
「助かります。あ、バイト代は日割りだそうですよ」
「大歓迎ですっ」
ミケは満面の笑みを浮かべる。
「日当が入るなら…しばらくはシチューにジャガイモ入るかも…」
「…今までどんなものを食べてたんですか…?」

「スミマセンが…実はミューさん護衛の依頼を是非お請けしたくお伺いしたのですが。
イプシロン・プライマルエディクタさんにお会いできませんでしょうか?
あと…宜しければ今度僕と愛を語らいませんか?」
「そうでしたか、それではこちらへどうぞ」
愛云々の話は綺麗にスルーされ、ヴォルガは受付の女性に淡々と案内された。
ヴィーダ随一のコンサートホール「スターライト・セレモニー」。収容人数は1万人と聞いていたが、さすがに大きなホールだ。ドーム型のホールに、有名な芸術家がデザインしたという意味不明なオプションがパラパラとついている。芸術というものはよく判らない。
女性に案内される道すがら、出身地や趣味の話などを振ってみるが、相手のスルースキルは免許皆伝の様子だった。ガン無視されつつ奥の部屋へと案内される。
「こちらでございます」
女性は薄い笑みを浮かべたまま、奥まった部屋のドアを開けた。
「では、お揃いになるまでしばらくお待ちくださいませ」
女性は言うと、さっさと元の道を引き返す。
ヴォルガは苦笑して、中に入った。
と。
「あら。ヴォルガさん。お久しぶりです」
一足先に到着していたらしい女性が、立ち上がって丁寧にお辞儀をする。
「おっ、暮葉じゃねェの。久しぶりだなァ」
ヴォルガは軽く手を上げて彼女に笑顔を投げた。
年のころは17歳といったところか。どこに出しても恥ずかしくない立派なナノクニ人である。肩で揃えたまっすぐな黒髪、落ち着いた雰囲気をたたえた黒い瞳。紅葉の模様で彩られた赤いキモノに、紫色のハオリを纏っている。
「ヴォルガさんもこの依頼をお受けになったんですか」
「ああ、奇遇だな。今回はあのチビッ子…コンドルだっけか?アイツと一緒じゃあ無ェのか?」
「コンドルですか?さあ…この依頼を受けたという話は聞きませんけど」
「結構仲良さ気だったからいつも一緒なんかと思ったんだが…違ったのか?」
「別に一緒に旅をしているわけじゃありませんよ。
でも、他にも顔見知りがいるかもしれないと思うと、楽しみですね」
にっこり笑って座る暮葉。
ヴォルガもそれに続いて座る。
すると。
がちゃ。
「こちらでございます」
先ほどの受付の女性が、再びドアを開けた。
「ありがとうございます」
という声とともに入ってきたのは。
「おーっ、ミケじゃん!」
「あ、ヴォルガさん。暮葉さんも」
「お久しぶりです、ミケさん」
また遭遇した既知の顔に、思わず再び立ち上がる二人。
「え、ヴォルガさんがいるんですか?」
ミケの後ろからひょいと顔を出したオルーカに、ヴォルガがさらに顔を輝かせた。
「って…オルーカちゃん!久しぶりィ~!ああ、相も変わらず、その清流のごとき美しさ…惚れ直しちまったぜ。
こんなトコで会えるなんて…やっぱオレとオルーカちゃんは運命の赤い糸で結ばれてるのかねェ~♪」
「うふふふふ、相変わらず冗談がお好きですね。そのセリフ一言一句違わずにホームズさんに報告していいですか?」
「うっ……」
「オルーカさん、ヴォルガさんとお知り合いなんですか?」
ミケが訊くと、オルーカは頷いた。
「はい、以前依頼で。ミケさんもですか?」
「ええ、つい最近一緒の依頼に。世間って狭いですね」
本当にそうですね。
「やあ、ヴォルガも暮葉もいるんだね。久しぶり」
さらにその後ろから顔を出したクルムに、ヴォルガはまた驚いた。
「なんだ、クルムもいんのか。皆顔見知りだな、仕事もやりやすいってもんだ」
「そうだね。偶然だけど、嬉しい偶然だな」
クルムも笑顔でそれに答え、ミケとオルーカに続いて入ってくる。
「冒険者は…これで全部、ですかね」
再び椅子に落ち着いた全員を見渡して、ミケ。
「ひのふの……5人かァ。護衛としては妥当な人数かねェ」
「あれ?確かマスターは真昼で2人、風花で4人…合計6人だって言ってたと思うけど」
不思議そうな顔をするクルム。
すると。
ふっ。
「な、なんだ?!」
突然部屋の明かりが消え、闇に閉ざされる。
「何者です?!」
「まさかこんなところに…?!」
突然訪れた暗闇に、驚く一同。
すると。
でれれれれれれ………
どこからか、ドラムロールの音が聞こえてくる。
そして、彼らが今入ってきたと思われるドアの前が、ぱっ、と明かりで照らされた。
そして。
「…レディース・アンド・ジェントルメン……」
風魔法の応用だろうか。妙に部屋の中に響く声と共に、ドアの前の床の下から、何かがせり上がってくる。
ふんだんにウェーブのかかった、豊かな金髪。俯いた顔をこれ見よがしに格好つけた手のひらで覆っている。着ているのは黒のエナメル服。機能的なデザインで、制服に見えないこともない。
でれれれれれ、じゃん!ばっ!
せり上がり終えたその人物は、伏せていた手を大仰に振り上げると、高らかに宣言した。
「ッッッホオォォォォゥ!!今日はこのイプシロン・プライマルエディクタのリサイタルにようこ」

ばたん!!

「申し訳ありません!遅れてしまいました!!」
ドアの前でポーズをつけていた謎の人物(イプシロンと名乗っていたのだから、彼が依頼主なのだろう)を勢いよくドアで押しつぶし、大柄な男性が部屋に入ってくる。
怒涛の展開に固まったままそれを見守る冒険者たち。
否、大柄に見えたのはひとえに彼が背負っているその大剣のせいであった。年のころは二十歳前後といったところか。白の上下に白いマントという服装と、おそらくフェイリアなのだろう、赤褐色の肌に赤みを帯びた黄金の髪の毛が奇妙なコントラストを見せている。よほど急いできたのか、額にはびっしりと汗をかき、こげ茶色の瞳は険しく吊りあがっている。
「あの、みゅー、る、れいん、てぃか、嬢の、護衛の、依頼を」
ぜえぜえと肩を動かしながら喋る青年を、ヴォルガが駆け寄ってなだめる。
「どーしたァ?そんなに息切らしてよォ~。取り合えず深呼吸だ、息を整えようぜ♪
ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」
「ヴォルガさん、出産するんじゃないんですから」
「…す、すみません。今、息を、ととのえ、ます」
青年は大きく深呼吸を繰り返し、やっと息を整えたようだった。
ふう。
最後に大きく息をひとつすると、青年は姿勢を整えて軽く礼をする。
「火神の従者、レイサークと申します。とはいえ、如何様にもお呼びください」
「えっと、じゃあ、レイサークさん」
「レイちゃんでもいいですよ」
「ここはひとつアイドル護衛として、レイたんとか」
「意外性でサークんもいいですね」
「それならナノクニ風に、イサクさんとか」
「……すみません……レイサークとお呼びください……」
げんなりした表情で言うレイサーク。
「最初からそう言って下さい」
オルーカはにこりと微笑んだ。
「ガルダス様の神官様でいらっしゃるんですね。私も、ガルダスの僧院でお仕えさせていただいております。オルーカと申します、よろしくお願いします」
「これはこれはご丁寧に。また何がしかの縁がありましたら、良しなにお願いします」
「こちらこそ」
「……で、レイサークさんも、護衛の依頼を受けに?」
「はっ、そうでした。時間に遅れてしまい、申し訳ありません。それで、御依頼主はどちらに…?」
きょろきょろと辺りを見回すレイサーク。
「そんなら、たった今アンタがドアで押し潰したところだぜェ」
けらけらと笑いながらヴォルガが指差した方向を見て、絶句する。
「………あ」

「……では、改めて紹介を」
とりあえず気を取り直して、何故か口の端から流れ落ちる血をぬぐわずに、イプシロンは大仰に礼をした。
「私の名はイプシロン・プライマルエディクタ。マヒンダに光臨した黒衣の堕天使…」
「えっ……堕天使?」
暮葉が驚いて声を上げた。
「あの……本当に堕天使なんですか?」
「暮葉さん……そこはつっこまないであげるのがやさしさってもんですよ…」
ミケに言われ、首をひねる暮葉。
「…そうなんですか?」
「っっああっ?!思い出した!!」
ヴォルガが突如立ち上がって、イプシロンを指差して叫んだので、他の面々は驚いてそちらを見た。
「オマエ…『ルシフェル』だろ?!今マヒンダ中のレディー達を虜にしているヴィジュアルロックバンド『セブンス・ヘヴン』のヴォーカルの!」
「る……るしふぇる…?」
「せぶんす…へぶん?」
耳慣れない文句に目が点状態の冒険者たちをよそに、イプシロンはふっ…と横を向いて眉間を指先で触れた。
「このような遥か遠き場所まで私の美しさが広まっているとは…まさに、美しさは罪…といったところかな…」
「まぁ~オレの頭脳には古今東西様々な土地のバンド情報が収まってるからなァ~。オマエのことも勿論知ってたさ♪」
呑気に自慢するヴォルガ。
「アンタ…今はプロデューサーなんかやってたのか…」
「ふっ…確かに『ルシフェル』は私の顔の一つであることは間違いない……が、『セブンス・ヘヴン』がもうこの世のものではないような言い方は、私の罪深き信者たちを傷つける…ミューのプロデューサーとしての私の顔とは、別物と思ってくれたまえ」
「…つまり……どういうことですか?」
意味が汲み取れないミケに、オルーカが囁く。
「ヴィジュアルロックバンドもやってるけど、プロデューサーもやってますよってことじゃないですかね」
「忙しい方ですね…」
妥当な意見を述べるミケ。
イプシロンはそれには構わず、格好をつけたポーズのまま、続けた。
「諸君らに頼みたいことについては、既に風花や真昼の依頼書で告げた通りだ。
我がマヒンダが誇るトップアイドル、ミュールレイン・ティカの護衛を頼みたい。
では、彼女も紹介しておこう」
イプシロンは言うと、ぱき、と指を鳴らした。
「ミュー、入りたまえ」
外で聞いていたのか、それとも何らかの魔法なのか。
イプシロンのその言葉を待っていたかのように、ガチャリとドアが開いた。

ダサ服を脱がさないで

「ああ、この服ミケに似合いそう~、この服をミケにプレゼントして、で、私はさっき見たカワイイピンクのワンピースを着て、二人でデートするの~!!
で、で、今流行のデートスポット『リーヴェルタウン』でお買い物して、で、ヴィーダミシェルン三ツ星レストランでお食事して、夜はもちろん夜景の綺麗なスウィートルームで~…いやぁん!!その後は恥ずかしくて言えない~っ!!」
ヴィーダの中央通りで、妄想では収まりきれずきっぱりはっきりと声に出して騒いでいる乙女が一人。
長い金髪をポニーテールにし、赤いリボンで留め。緑色の大きな瞳をした、18歳ほどの少女だ。赤を基調とした露出度の高い服が微妙に目に毒ではある。
恥ずかしくて言えない、と大きな声で言いながら、頬に手を当ててぶんぶん首を振る彼女を、これまた微妙に避けながら歩いて行く通行人たち。
と。
どん。
「きゃ」
突然の衝撃に、少女は驚いて振り向いた。
「ごっごめんなさい、私またどこか別の世界に……って、あれ?」
「お、レティシアじゃん。何やってんだこんな所で」
ぶつかった人物とは別の方向からかかる声。
レティシアと呼ばれた少女は目を丸くして、それから表情を輝かせた。
「ゼータ!久しぶりじゃない、リーヴェルのイベント以来?」
「……それは微妙に黒歴史だから語らないでくれないか……」
級友との出会いに嬉しそうに駆け寄るレティシアに、半眼を返すゼータ。
「なになに、ゼータさんのお友達?」
リューが横から楽しそうに覗き込む。
「そうよ。レティシア・ルード。よろしくね」
そちらに向かってにっこり微笑むレティシアに、リューは満面の笑顔を返した。
「リューテ・ペップです!リューって呼んでね!よろしく!」
「…で…私とぶつかっちゃったそっちの……えっと……灰色のオーラがとぐろ巻いてる人は……?」
おそるおそるベータを指し示してみるレティシア。
ベータは僅かに礼をして、ぼそりと言った。
「………ベトリクス・アムラムです………ベータ…と呼んでください……」
「……そ、そう……ご、ごめんなさいね、ぶつかっちゃって」
「……………いえ………こちらこそ………申し訳ありませんでした………」
「…………」
会話が途切れる。
「あ、あのっ!れ、レティシアさんは何してたの?ここ、メンズのブティックだよね?」
何とか会話をつなげようと奮闘するリューに、レティシアは気を取り直して答えた。
「あ、うん、えっと、この服いい感じだから、プレゼントしたいなって思って」
「プレゼント?ミケにか?相変わらずだな~」
少しはやし立てるような口調でゼータが言い、レティシアが頬を染めて何か言い返そうとした時。
「………いい……んですね……こういう……服が……」
ベータがまたぼそりと言い、全員の会話が止まる。
ベータの視線は、先ほどレティシアが見ていたカジュアル系のメンズ服に注がれていた。
「あ……あなたも、この服、欲しいの?」
おそるおそる聞いてみるレティシア。
と、ベータがそちらを向いて、僅かに首をかしげる。
「……いえ……女性は……こういう服が好きなのかな、と思って……」
「いや…そりゃ、好みによると思うけど……」
「……そう……なんですか?」
相変わらず反応の乏しいベータ。
「ど……どうしたの?この人……」
訳がわからずにレティシアはゼータに視線を送った。
「それがな……」

「…なるほどねぇ……」
腕組みをしながら、眉を寄せてベータを上から下まで見下ろすレティシア。
「カッコよくなりたい、と。でも、どういうのがカッコいいかわかんなくて、途方にくれてるわけね」
「………はぁ………」
「そうねぇ。この服かぁ……スタイル的には…うーん、姿勢が悪いのね。
はい、シュッとして!」
ばち。
レティシアに背中を叩かれ、慌てて背を伸ばすベータ。
「うん、背筋を伸ばせば問題ないんじゃない?ミケにあげたい服だけど、あなたがそういう理由で欲しいなら譲ってもいいな。……って、あ、あらあらあら」
手を離したとたんにまたみるみると猫背になっていくベータ。
「うーん……これは、根本的な対策が必要みたいね……よっし!とりあえずはこの服、試着してみましょうよ!」
「し、試着………ですか?」
及び腰になるベータ。レティシアは眉を寄せた。
「え~、だってこの服欲しいんじゃないの?着てみるだけならタダなんだし、着てみようよ~。
着てみたら、気分も変わって、背筋も伸びるかもしれないし」
言いながらベータの後に回り、ぐいぐいと背中を押す。
「え、ちょっ……」
「ほらほら、思い立ったが吉日、善は急げ!さっさとしないと私がこの服買っちゃうわよ?」
ぐい。
「ちょ、レティシアさ………」

べちゃ。

「あ」
「あ」
突如、ベータの正面から聞こえた不穏な音と聞き慣れぬ声に、冒険者達は固まったまま視線をそちらにやった。
「…あー………ごめん」
さほど謝罪の気持ちも読み取れない淡々とした口調で、ベータの正面に立っていた少女は彼を見上げた。
年のころは14歳ほど。短くそろえられた茶色の髪の隙間から、大きな猫の…いや、猫よりは少し大きくたくましい感じの耳が覗いている。見た目の感じは少女だったが、マニッシュというか、どう見ても少年用の服を身にまとっていた。
そしてその手にはおいしそうなソフトクリーム。
……その先は、ベータの服にべっとりとはりついているわけだが。
少女はなおも無表情のまま、じ、とそのへばりついたソフトクリームを見、それからまたベータを見上げて淡々と言った。
「………この服……何かの制服?」
「…えっ……は、はい、そう……ですけど」
慌てて答えるベータ。少女はまた服に視線を戻す。
「……何の仕事してるか知らないけど……随分汚いね。ソフトクリームもついちゃったし、一度洗った方がいい。お金は私が出すから」
「……えっ、あの………」
「洗濯屋に出してる間、着替えが必要だね……ついてきて」
「あ、あのぉっ」
有無を言わさずベータの手を引っぱる少女。
呆然としていたほかの面々も、慌ててそれについていった。

「あ………あの……似合い、ますか……?」
「…………」
おそるおそる言ったベータに、一同が沈黙する。
少女がベータに買い与えたのは、古着の露天で買ったぼろぼろのジーンズと『漢』というナノクニの文字がでかでかと書かれたTシャツ。
「…微妙に似合ってると思うけど」
無表情のまま淡々と言う少女に、渋い顔をする一同。
「……って……あわあわしてて気付かなかったけど、あなた、ジル?」
レティシアが少女の方を向くと、少女は今初めてレティシアに気づいたと言うように視線をやった。
「……レティシア、だっけ?久しぶり」
ジルと呼ばれた少女は、やはり淡々と挨拶をする。
「なんだ、知り合いか。俺ゼータね、よろしく」
「リューテ・ペップです!リューって呼んでね!」
ゼータとリューが次々に自己紹介すると、ジルはそちらの方を見て軽く頭を動かした。
「……ジル・レィミエ。ジルでいい。よろしく」
「ほら、ベータも挨拶!服買ってもらったんだし!」
ぺし、とレティシアに背中を叩かれ、ベータも慌てて自己紹介。
「……ベトリクス・アムラムです……ベータとお呼び下さい……」
「…レティシアの知り合い?」
ジルが問うと、レティシアは苦笑した。
「知り合いっていうか、今知り合ったばっかりなんだけど…実はね」

「…かっこよく…なりたい…?」
やはり無表情のまま、僅かに首を傾げるジル。
「それで……みんな、協力してあげてるんだ…」
「そうなの。それで、さっきぶつかったところにあるブティックで、とりあえず試着をしようかっていう話になってたんだけど…」
…とりあえず着せられたのは『漢』Tシャツ。
というのは胸のうちにしまって、レティシアは言葉を切った。
「…そう……」
ジルはしばし考えて。
「…じゃあ…服を汚しちゃったお詫びに、私にも…それ、協力させて」
「えぇ?!」
漢Tシャツをコーディネイトしたジルの言葉に、おもわず声を上げるゼータとリュー。
ジルは彼らのほうを見て、淡々と続けた。
「私は服選びのセンスなんてないから、その辺りは他の人に任せる……訳にもいかないか。
とりあえず……さっきのところに行って、服を選んでみようよ。
何事も、やってみないとわからないし」
とりあえず正論を言うジルに、困ったように顔を見合わせるゼータとリュー。
ベータは相変わらず猫背のまま無言。
「はいっ、じゃあそうと決まったら、早速さっきのお店にゴー!」
元気なレティシアの号令で、一同はとりあえず、先ほどのブティックに向かうことになった。

桃色の髪の乙女

「失礼しまぁす☆」
やたらと可愛らしい声で入ってきたのは、まさに『ふわふわしたピンク色のもの』といった感じの少女だった。
小顔で愛らしい大きな瞳。桃色の髪は腰まであり、ストレートだったが1本1本が細いのかふわりと広がって見える。その隙間から覗く、マーメイドの証である桃色の鰭。纏っているものも、かっちりとしたデザインの、一見制服にも見えそうなものだったが、臙脂色のジャケットに淡い桃色のプリーツスカートは十分に彼女の可愛らしさを引き立てていた。
彼女は可愛らしく微笑むと、スカートの裾を少しつまんで礼をした。
「ミュールレイン・ティカですぅ。ミューって呼んで下さいねぇ☆」
可愛らしい…というより、多分に芝居がかった、と言った方が正しいのではないか、という口調。声は確かに、高く澄んでいて可愛らしい。これがマヒンダ中の「おおきいおともだち」を虜にしているというアイドルか、と、冒険者たちは感心したように彼女を眺めた。
「みなさんが、ミューをストーカーのおにいさんから守ってくれるんですねぇ☆よろしくお願いしますぅ☆」
ミューは笑顔でそう言って、もう一度お辞儀をした。
毒気を抜かれていた様子の冒険者たちが、はっと我に返って礼を返す。
「…は、はい。ミーケン・デ=ピースと申します。ミケとお呼び下さい。よろしくお願いします」
「オルーカです。ストーカーは厄介ですが、必ずお守りしますからね」
「菊咲暮葉と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「レイサークと申します。良しなにお願いします」
そして、順番が回ってきたヴォルガが、イプシロンに対抗してか、やたらと格好つけて髪をかき上げる。
「オレはヴォルガ=D=クロフォード…ヴィーダが誇る白銀の貴公子だ」
「誇ってましたっけ?」
「しっ。本人は誇ってると思ってるんだからそっとしといてあげましょうよ」
「コラそこ!聞こえてんぞ!」
ミケとオルーカの会話にとりあえず苦情を申し立ててみるヴォルガ。
対するイプシロンは、ヴォルガの対抗意識など鼻にもかけていないようで。
というか、彼には多分彼しか見えていないのだろうが。
最後に回ったクルムは、笑顔を2人に投げかけた。
「久しぶりだな、前にマヒンダの王宮で会ったよね?あの時は自己紹介してなかったかな。
オレはクルム・ウィーグ。ガードの依頼は何度かやったことがあるよ。宜しくな」
「何だクルム、オマエ、アレのこと知ってんのか?」
ヴォルガがアレ、と親指で指したのはイプシロン。クルムはそちらに顔を向けた。
「以前、マヒンダで依頼を受けたことがあってね。その時に見かけたんだ」
が、しかしイプシロンは眉間に皺を寄せて苦悶の表情で首を振った。
「そうだったか……申し訳ないが、数多に存在する私の罪深き信者の顔を一人一人覚えていることはできなくてね…」
「えっ」
クルムはきょとん、とした。
続いて、ミューも申し訳なさそうに苦笑する。
「ミューも、ファンのみんなの顔、みぃんな覚えてあげたいんだけどぉ、多すぎて困っちゃうのぉ。ごめんなさいねぇ、クルムさん☆」
「いや、オレは別に」
言いかけて、クルムは口をつぐむ。
そしてややあって、笑顔を作った。
「そうか、オレの見間違いだったかもしれないね。ごめん。改めて宜しくな」
「なんだァ、見間違いかよ。まあ、アイドルに関われる依頼なんてそうそうないからなァ」
つまらなそうに、ヴォルガ。
「でも、自分の顔を知ってる=自分のファン、直結の考え方がすごいですよね」
「まあ、メジャーな人はそうなんでしょうねえ」
「…そういえばミケさんの顔も、ブルーポス」
「いつまでそれ言われるんですか勘弁してくださいよもう」
ミケとオルーカの漫才もスルーして。
ミューも座ったところで、イプシロンは再び説明を開始した。
「さて。諸君らにお願いしたいのは、今日から始まる7日間のコンサートツアーでの護衛だ」
「今日から?!」
さすがに驚く冒険者たち。
イプシロンは変わらぬ表情で続けた。
「ツアーの準備は既に整っている。昼からリハ、夕方から開場・開演だ。
君たちには、会場の警備をしてもらい、ミューを狙う不審者を発見・捕獲してもらいたい」
「ストーカーがいる、ということでしたね」
オルーカが身を乗り出した。
「詳しいお話を伺えますか」
「ふむ」
イプシロンは格好をつけて唸ってから、頷いた。
「よかろう。最初に血染めの手紙が来たのは3ヶ月ほど前からだったかな。その時は謎のメッセージと共に切り裂かれた花が贈られてくる程度だったのだがね、相手は実に熱心で、そして実に暇なのだろうね。妙な手紙は3日に1度、コンサートの度に必ず切り刻まれた贈り物が届く」
「失礼、血染めの手紙が届いたということですが、それ、本物の血でしたか?」
レイサークが割って入り、イプシロンは僅かに眉を顰めた。
「…本物か、とは?」
「たとえば、単に血の色に似せた染料だったとか、そんな落ちはありませんでしたか?」
「いや、血の匂いがした。人間の血だったかどうかは…そこまでは、調べていないがね」
「血の匂い…確かですか?失礼ですが、あまりそういったものに関わるお仕事ではないようにお見受けしますが…」
つっこんで訊くレイサークに、イプシロンはふっ、と格好をつけて笑った。
「何を、愚なことを。神が私に与えたもうたこの、禍々しくも美しい、血液……その匂いを、この私が間違えるとでも?」
「……は?」
斜め上から返ってきたイプシロンの言葉に、間の抜けた返事をするレイサーク。
イプシロンは目を閉じ、陶酔した様子で立ち上がった。
「そうとも!この私の美しさを何より引き立たせるのが、血……!ひとたび私の美しくも高貴な血が流れれば、私の罪深き信者達はあまりの美しさに心をなくし、叫び狂うのだ!それほどまでに私の血はうつくごふっ」
ごす。
突然何かが飛んできてイプシロンの頭を直撃し、彼が倒れると共に彼の語りは中断された。
「……く、クルムさん?」
「…あ、ごめん、何か知らないけど気付いたら灰皿投げてた」
手元にあった灰皿を投げたフォームのままで、クルムは淡々とそう言った。
「そ……そうですか…」
むく。
そのことをまるで無かったかのように起き上がったイプシロンが、再び体勢を立て直して椅子に座る。
その口からは血が幾筋か流れ出ていて。
「……と、このように、私には何故か血に触れ合う機会が多いのでね」
「りょ……了解しました…」
気おされた様子のレイサーク。
「…イプシロンさん…何故灰皿が命中したのに、口から血を流してるんでしょう……」
不思議そうに暮葉が言う。
「でもぉ、血がホンモノかニセモノかなんてぇ、関係あるんですかぁ?」
不思議そうに問うミュー。
レイサークは苦笑した。
「いや、まぁ、知ったから如何だ、という話になるかもしれませんが、切り裂いた花といい、衣装を引き裂くことといい、それほどクレイジー……っと失敬、もとい常軌を逸した行動に出るというのなら、こちらも相応に覚悟を決めないといけないのか、と思いましてね……」
「やだぁ……ミュー、こわぁい…」
握った拳を顎の下に当てて、震えて見せるミュー。
クルムが心配そうに彼女を覗き込む。
「ミュー、大丈夫?
性質の悪いストーカーに付け狙われるなんて、気分の良いものじゃないよな。
いくら自分に好意を持ってくれていると言っても、そんな一方的な、歪んだ愛情を向けられたら…」
「そうですよね……やっぱりちょっと、気持ち悪いですね…」
暮葉も心配そうに同意する。
クルムは元気付けるように、ミューに言った。
「でも、そんな危ないファンなんて少数で、あとはみんな、心からミューを好きで、応援してくれてるだろ?」
「はいっ☆ミューのファンのみんなはぁ、いつもすっごく一生懸命、ミューのこと応援してくれるの☆」
ミューの表情が、パッと明るくなる。
クルムは安心したように微笑んだ。
「そうか。じゃあ、うーん…今まででさ、一番嬉しかったメッセージやプレゼントって何だった?」
「ファンのみんなからのプレゼントは、どれもすっごくうれしいですぅ☆」
ミューは嬉しそうに答えた。
「ミューが、タイムズのインタビューで、このお花が好き、とか、このお菓子が好き、とか言うと、みんなそれを贈ってきてくれるの☆みんな、ミューのことそれだけ一生懸命考えてくれてるんだなぁ、って思うと、ミュー嬉しくなってきちゃうなぁ☆」
「そうか…ファンからじゃなくても、身近な人からとかさ。
どんなことをして貰った時、この人は自分のことを大事に思ってくれているなぁって思った?」
「身近な人から、ですかぁ?」
ミューはきょとんとした。それからしばし考えて。
「そうだなぁ……普段はできないこと、ミューのために一生懸命やってくれると、ミュー嬉しくなっちゃうなぁ☆」
両頬に手を当てて、照れたような様子で言うミュー。
と、ヴォルガが片眉を寄せて身を乗り出した。
「…っつーこた、ミューにはもう男がいるってコトか?」
「えぇっ?」
驚いた顔をするミュー。
「なんだね、いきなり」
違う方向から入ってきた質問に、眉を顰めるイプシロン。
ヴォルガは苦い顔で手を振った。
「あァ、勿論仕事面での質問だ、こういったこともストーカーの手掛りになるかもしれねェしな」
「そんなものかね…?」
「あァ。で、どうなんだ?」
再びミューに視線を向けるヴォルガ。
ミューは首を傾げて、そのまま微笑んだ。
「ミューはファンのみんなのものでぇす☆オトコなんてぇ、いませんよぉ」
「…本当か?」
疑わしげな視線のヴォルガ。
イプシロンは肩を竦めた。
「そういうことだ。『アイドル・ミュールレイン・ティカ』には特定の恋人はいない。これで満足かね?」
「………」
釈然としない様子で、それでも黙るヴォルガ。
「質問を続けてよろしいですか?」
レイサークが言い、そちらに向かって頷くイプシロン。
「その被害、お二人に『きっかけ』になりそうな心当たりは何かないですか?」
「あァ、そりゃオレも聞きてェな」
黙っていたヴォルガが再び口を開く。
「ミューの周囲は勿論、ミュー自身に異変とかよ…大なり小なり気になることとか…」
「たとえば、たまさかの休みに出かけた時に何かあった、とか。そのようなことはありませんでしたか?」
「うーん、3ヶ月前、でしょぉ?心当たり、ないなぁ」
ミューは困ったように眉を寄せた。
「職業柄、ありすぎるかもしれませんけど…個人的な理由など、心当たりありませんか?」
オルーカが重ねて訊くが、ミューは首を振るばかり。
イプシロンが、ふっ、とまた眉間を抑えた。
「まぁ……私達のように光り輝く ス タ ア …というものは、謂れのない中傷や、逆に熱烈すぎる愛情…様々な激情にその身を晒さなくてはならない運命なのだよ…」
「は……はぁ……」
どう返事して良いか判らぬ様子のオルーカに、イプシロンはさらに続けた。
「特に!背徳の美学にこの身を浸している私などは!古来、背徳に手を染めてきた数々の美学者たちは、皆一様にさげすまれ、ある者は異端者として追放、処刑ということもありえた…だがしかし!彼らは総じて、狂おしいまでの美に包まれていた!わかるかね!つまり!美しいものは時として凄惨な運命にその身をごふっ」
また灰皿が直撃し、昏倒するイプシロン。
「……ヴォルガさん……」
「あァ、悪ィ。なんか知んねェけど気がついたら灰皿投げてた」
イプシロンは、また何事も無かったかのように起き上がると、話を続けた。
「…とりあえず、3ヶ月記憶をさかのぼってみても、それらしききっかけには心当たりはないね。残念だが」
「そうですか…」
レイサークは呟いて沈黙した。
「では、3日に1回の不審な手紙と、コンサートのたびに送られてくる切り裂かれた贈り物…が、主だった被害ということですね?」
ミケが問うと、イプシロンはふぅ、とため息をついた。
「こういう手合いを相手にしていたらきりが無いだろう?だから無視を決め込んでいたらどんどんエスカレートしてきてね、前回ついに楽屋にまで侵入されたから、遠征をするのだしこれは何か手を打たなくてはね、と思ったのだよ」
「楽屋に、ですか?」
身を乗り出すミケ。
「そうなんですぅ」
ミューが困ったように答えた。
「コンサートが終わってぇ、アンコールも終わってぇ、スタッフの皆さんにあいさつをしてぇ、楽屋に帰ってきたら…楽屋の、衣装とかぁ、お花とかあ、めちゃめちゃにされててぇ…」
「……めちゃめちゃに、というのは?」
「ナイフのようなもので切り裂かれていた、と形容するのが相応しいだろうね。楽屋の鏡には、ルージュで書かれたメッセージ付きだ。
『もうすぐだよ。
君にふさわしい王子様になって、君を迎えに行ってあげる。
俺だけのために、綺麗になってくれるよね』
…とね」
「それは……なかなかサイコですね……」
少し、ぞっとしたようにミケが感想を述べる。
「…楽屋に、鍵は?」
「鍵?かかっていないよ?」
「鍵をかけていないんですか?!」
「かけるものなのかね?」
全くかみ合わないミケとイプシロンの会話。
「だ、だって、アイドルの控え室なんでしょう?鍵かけなくていいんですか?」
「むろん、着替えを覗かれてはかなわないからね、内鍵はつけているよ?
しかし、コンサートの慌しい時間帯に、いちいち鍵を開け閉めしている余裕など無いよ」
「こ、コンサートのことはよく判りませんけど…無用心じゃないですか!」
「貴重品は無論鍵のかかる部屋に保管している。楽屋はあくまでも楽屋だからね。出演者が待機をしているだけの場所だ」
「はあ……でも、そういうことがあったんですから。今回は、鍵をつけて下さいね?」
「まあ、善処しよう」
全く堪えていないイプシロンの様子に、疲れたように肩を下ろすミケ。
「…ミューが楽屋から出て、最後の曲を歌って戻るまでの間に犯人が犯行に及んだってことになるよね」
顎に手を当てて考えながら、クルム。
「それは、どのくらいの時間だったの?」
「時間は、結構あったと思いますぅ」
訊かれ、ミューが答えた。
「最後の衣装に着替えてからぁ、3曲歌ってぇ……それから、みんなに挨拶してぇ…アンコールの衣装は、舞台袖に用意してあって、そこで着替えるようになってたんですぅ。だから……うーん、四半刻くらいはあったと思いますぅ」
「オレ達なら、花をちぎるのも衣類を裂くのも、手や道具を使う。当然、すべての花や衣装を切り裂くには、結構な時間がかかる。いつ誰が開けるかもわからない、鍵のかかっていない部屋で、それをするのは時間的にも精神的にも、かなり難しい。
贈られてきた物や、荒らされた楽屋に、魔力の痕跡なんかは…なかった?」
「あっ」
虚を突かれたように、ミケが声を上げた。
クルムは続ける。
「以前マヒンダを訪れた時に、国民のほとんどが魔道士で、魔力を持っていない人間はとてつもない不便を強いられるって聞いて、正直びっくりしたんだ。生活の隅々にまで、魔道が浸透している。たとえば、棚の上のマグカップを取るのにだって、魔法を使っているんじゃないのかな。
魔道を使って切り裂くのなら、一瞬とは言わないまでも、そんなに時間をかけないで事に及べる。だったら、犯人はマヒンダの人間…それも、そういう魔法が得意な人間である可能性が高い」
「魔力関知はしてみたんですか?」
続けてミケが問う。
魔道を使った後には、必ず魔力の痕跡が残る。魔力の波動は人によって異なり、同じ種類の波動は二つとしてない。個人を特定する重要な手がかりになるのだ。
「無論、したよ。これだけの惨状だ、魔道を使ったのだとしたら、色濃く残っているはずだからね」
イプシロンは肩を竦めた。
「…だが、当日楽屋に出入りした者以外の魔力は関知されなかった。むろん、部屋中のものを切り裂くような大きな魔道の痕跡も感じ取られなかったよ」
「…っていうことは…つまり……」
「クルムさんの仰るように、手や道具を使ったか……あるいは、数人がかりという可能性もありますね」
考えながら言うミケ。
「このことは、世間に公表されていますか?スタッフやファンの方々はご存知なんでしょうか。私達は堂々と警護してまわっていいのかどうか……」
オルーカが言うと、イプシロンは首を振った。
「このようなことを、いちいち公表していたらきりが無いだろう?ミューのイメージにも関わるしね。ただ、スタッフは知っているよ。でないといざという時に対処が出来ないからね。ファンに公表はしていないよ」
「そうですか……では、私たちはスタッフの方々に混じって警護を、という形になりそうですね」
「そうだね」
イプシロンは無意味に格好をつけて、それから無意味に冒険者達の方に手の平を向けた。
「…では、早速今日の警備について打ち合わせをするとしようか」

完成予想図

「っひゃー…男物専用の洒落た服屋なんてあるんだなあ」
あたりをぐるぐる見渡しながら、感心したように言うゼータ。
「メンズブティックとか、他に言いようはあるでしょ…ゼータがモテない理由がよーくわかるわ」
「うっせ!」
呆れたように言うレティシアに威嚇してから、ふふんと笑って。
「まぁ任せておけ!俺はこう見えて、ヴィーダで一番センスの良い男と呼ばれれば良いなぁ…って位にハイセンスなんだ」
「脳内妄想?」
リューのツッコミを無視して。
「お、これ動きやすそう! 肘とかも突っ張らないし…良いんでない?」
選んだ服は、一番安物のカットソー。飾り気も何もない、普段着仕様のものだ。
レティシアは呆れたように手を振った。
「あのねえ…カッコよくなるための服を探すのよ?そんな地味なの選んでどうするのよ!」
「いやー、でも俺、服の基準が動きやすさだからなあ」
「それがモテない理由なんだってば」
「そーかー?……はっ!…そういえばヤツはやたらと厚着で派手で動きにくそうな服だ!ちくしょう、ロッテはそこに惚れたのか!」
違うと思いますけど。
ゼータは頭を抱えて唸り、それからはっと顔を上げた。
「…つーか、そうじゃん!ベータを格好よくするついでに、俺もこーでねーとしてくんね?
おっ?!思いつきで言ったけど、これって結構良いアイデア?!」
「コーディネイト!んもー、ただでさえオッサンくさいのが余計にオッサンくさくなるじゃん!」
眉を顰めるリュー。ゼータはそちらを向いてバン、と胸を叩いた。
「うっせ!男はなあ、トシじゃねえんだよ!ココだ!ココ!」
「ちくび?」
「ハートだハート!いいかげんパクリやめろ!」
オマージュです。
「しょーがないなあ、そんなに言うならオッサンのコーディネイトもついでにしてあげるよ」
「オッサン言うな!」
「んじゃあどうしよっかなぁ。まずは色とかのイメージから決めてってみよっか」
とりあえずゼータの無駄な抵抗はガン無視して、リューは改めてベータに向き合った。
「アクセサリーを多くつけてみるとか、黒のサングラスに革ジャンとか、そういったレベルの高いことは後に置いておいてさ」
「いや、俺情報だと白衣にメガネで世の半分の女はイチコロらしいぞ!」
ゼータがまた横槍をいれ、リューが胡散臭そうな目でそちらを見る。
「なにそれ。どんなフェチだよ」
「いや、それには私も同意だわ!」
「同意なの?!」
真面目に頷くレティシアにも、とりあえずツッコミを入れておいて。
「ま…まずは“清潔そうな好青年”を目指してみようよ」
「……は……はあ……」
よく判っていない様子で、曖昧に頷くベータ。
「ベータさんに似合う色かあ……」
「彼女が好きな色とか、どうだ?」
ゼータが言い、レティシアが首を傾げる。
「んー……それがベータに似合うとは限らないんじゃないかしら…ちなみに彼女の好きな色は知ってるの?」
問いを向けられ、ベータはそちらに向かって答えた。
「……えっと……いつも着ているのは…ピンク色のものが多いと思います…彼女自身の髪も鰭も……桃色ですし……」
「へー……ってちょっと待った。鰭?」
眉を顰めるレティシアに、ベータは頷いた。
「……はい……彼女……マーメイドなんです……」
「ピンクの鰭のマーメイド…………」
何か思うところがあるのか、ちょっと蒼白な表情になるレティシア。そして、慌てて首を振る。
「……い、いや、髪の毛もピンクってことは、違う人よね。うん」
「なに、レティシアさん、マーメイドに知り合いでもいるの?」
素朴なリューの質問に、ぶんぶんと首を振るレティシア。
「ううううううんなんでもないのよ?!えっと何の話だっけ?!そう、彼女の好きな色ね!
ピンクじゃあ……ちょっとベータには似合いそうにないわよね…」
「そーだねぇ…暖色系の似合うタイプじゃないよね……」
リューも同意して頷きながら、見るからにどんよりとした雰囲気のベータを改めて上から下まで見下ろす。
「ベータさん自身の好きな色はどんな感じなの?」
「ぼ、僕ですか……」
ベータは慌てた様子で考えた。
「え……ええっと……淡い……緑、でしょうか……」
「淡い緑かー」
「それならさっき私が見てた服もそんな感じじゃないかな?」
レティシアが言い、リューがそちらを向く。
「そうだね、でも念には念を入れて、いろいろ配色パターン作ってみようよ!」
「は、配色パターン?」
少し驚いた様子のレティシア。
リューは頷いて、持っていたカバンをパカっと開けた。
中にぎっしりと詰まっている人形を見て驚くレティシア。
「わ、お人形?これ、リューの?」
「うん!あたし、人形劇やってるんだ。こうやってね」
というリューの言葉と共に、中にいた人形がふわりと浮き上がる。
「わ、う、浮いた?!」
驚くレティシアの目の前で動きを止めた人形は、可愛らしくぺこりとお辞儀をした。
「やあ、オレはニェモリーノ!今からこの愛のミョー薬で、彼女のハートを射止めに行くのさ!」
リューの微妙な声色にあわせてふよふよと動く人形に、目を輝かせるレティシア。
「わぁ…すごいじゃない!この人形も、リューが作ったの?」
「うん、そう。ニェモリーノがちょっとベータさんに似てるから、これをマネキンにして色んな色の服を組み合わせてみるの。そっちもあたしがパパっと作っちゃうからさ」
「へぇ…器用なのね。でも面白そう。私も手伝うわ!」
嬉しそうに調子を合わせてきたレティシアと共に、リューはベタリーノに着せる服を聞きとして作り始めた。

「やれやれ…俺の出番はないってか。つーか、俺のこーでねーとはどうなるんだ…」
「…………」
もはや本人そっちのけで楽しそうに何かを始めた乙女達から、ちょっと引き気味に遠ざかる男性陣。
「つーか、さっき彼女のコトちょっと聞いたけど、そもそも俺ら、アンタのコトもその彼女のコトも何も知らんのだよな」
ゼータは改めてベータの方を向いた。
「ちょっと聞かせてくれや。アンタのことや、アンタが夢中になってる彼女のことをよ」
「………え……っと……」
ベータは戸惑った様子で落ち付かなげに手を泳がせている。
と、ゼータは苦笑して手を振った。
「あー、上手く喋ろうとせんでいい。俺の質問に答えてくれれば」
「は、はあ……」
「んじゃまず基本だな。アンタ、と、彼女もだけど、この近くに住んでんの?」
「あ……い、いえ」
ベータは控えめに首を振った。
「あの……僕も、彼女も、マヒンダに……住んでます……」
「マヒンダ?また遠いところだな」
「えっ、うそうそ、私もマヒンダ出身だよ?!」
2人の会話を耳の端で聞いていたレティシアが、嬉しそうな顔で話に割って入る。
「え……そ、そうなんですか……」
「マヒンダのどのへん?私はちょっと首都から離れたところに住んでるんだけどさ、遊びに行けそうなら行くよ~」
「あ、あの……実家は……首都ではないんですが……今は、首都に……」
「あ、そうなんだ~。もしかして研究のお仕事、とか?」
「えっ………は、はい……よくわかりましたね………」
少し驚いた様子のベータに、レティシアは楽しそうに笑って手を振った。
「そりゃあ、首都出身ならともかく、地方出身で首都に出たんでしょ?目的は大抵学校か研究院。学生って風でもないし、かといって先生って言うにはちょっと、失礼でゴメンけど身なりがね?
だから、身なりに気を遣わなくてもいい仕事、っていったら、研究員かなって思ったの」
「……な……なるほど……」
「学校にも研究院はあるけど、どこの?私も知ってるところかな?」
「あ、はい……あの、王宮の方に……」
「ええええぇぇっ?!」
レティシアが驚いて大声を上げたので、ゼータもリューも、離れたところにいたジルも驚いてそちらを向いた。
レティシアは目を丸くしながら、かすかに震える人差し指をベータに向ける。
「お、王宮って、王宮直属の研究室?!すっごい、エリートじゃない!」
「そ、そうなのか?」
少し信じられないといった面持ちでレティシアに問うゼータ。レティシアはそちらに向かって大きく頷いた。
「もちろんよ!王宮付研究室っていったら、マヒンダでも選りすぐりの研究員が揃ってる、研究室の最高峰よ!女王陛下じきじきにスカウトしてきた人材もいたり、生まれた時から研究室で魔道の粋を極めてきた人もいるって話よ」
「ま、マジか……」
生まれた時から、というのはさすがに噂の尾びれが過ぎるだろうが、国民の間では知らぬ者のないエリート集団であることは、レティシアの様子から容易に察する事が出来た。
「あ、アンタ、もうそれだけで彼女口説けるんじゃね?いやいやマジで」
落ち着かない様子でゼータが言うと、リューも同意する。
「そうだよそうだよ!場合によっては、頭のいいところを見せる話題にできるかも知れないしさ。
どんな研究してるの?判りやすく教えてよ♪」
「……僕が研究しているのは、正確には擬似生命体と呼ばれるものです」
ベータは相変わらずぼそぼそと、しかし珍しくどもることなく言葉を紡いだ。
「擬似…生命体?」
聞きなれない言葉に、首を傾げるレティシア。
ベータは頷いた。
「……はい。生命の無い物を魔道の作用であたかも生命があるように動かす技術のことで、一般的には『ゴーレム』と呼ばれます」
「あ、それならわかる!」
「んーっと、あたしが人形動かすようなもの?」
リューの質問に、ベータは首を振った。
「いいえ。リューさんが人形を動かすのは、魔道を物理力に作用させる『念動力』……いわゆるテレキネシスですよね。実際に手を使っていないだけで、原理としては手や糸を使って人形を動かすのと変わりません。術者が手を離してしまえば…つまり、念を発するのを辞めた時点で、人形は動きを失い、ただの人形に戻ります。
ゴーレムは、まさしく擬似生命…命を持っているのと同じように、自らで判断し、命令に従って動くことが出来るように魔道を組み込むんです」
先ほどまでとはうって変わったベータの様子に、やや唖然としてその話を聞く一同。
「皆さんがイメージされる『ゴーレム』は、土や岩などで出来た人形で、単純な命令のみを繰り返し実行する、融通の利かないもの…だと思います。
ですが、媒体は土でなければならないわけではありません。それこそリューさんの持っている人形でも構わないのです。魔道を構成し、ゴーレムを練成する過程で、より綿密な行動パターン、あるいは複雑な命令系統、外部情報の蓄積…これは『記憶』に相当するものですが、それらを組み込むことにより、より複雑な命令を実行し、自らで判断して話したり質問したりという事が理論上は可能です。現に、王宮に数々の発明品を残していかれた『天の賢者様』などは、一目ではゴーレムとは見破れぬほどの、実に精巧に人間を模した物をお作りになったと……」
「わ、わかった、ストップ、ストップ」
放っておいたら延々と続きそうなベータの口上を遮って、ゼータが言う。
ベータは虚をつかれたように口をつぐみ、それから恥ずかしそうに首を縮めた。
「……す、すみません……興味ないですよね……こんな話……」
「い、いや、俺らはな?だけど、ほら、彼女には話せるやん?」
複雑な表情で、フォローするように言うゼータ。
「そうよ、すごいじゃないベータ!さっきまでとは別人みたい!」
レティシアは対照的に嬉しそうに手を叩いた。
「そういう専門知識をそれだけ披露できるなら、これは高ポイントだと思うわよ!」
ベータは首をかしげた。
「……どう……でしょうか……僕は別に…さほどすごいことではないと思っていますし……それに…」
「………それに?」
「……彼女も、同じ研究室なので…所属は、違いますが……」
ゼータは少しきょとんとしてから、あからさまに肩を落として半眼になった。
「…あ、そ」
「へぇぇ、エリート同士のラブロマンスかぁ、研究室じゃ愛を語れないもんねぇ」
レティシアがうっとりしたように言い、ベータは困ったように頬を掻いた。
ゼータは面白くなさそうに、続けた。
「マヒンダのエリートさんってか。今までは研究一辺倒だったが、好きなコが出来て、それ以外のことにも目を向けてみる気になった、と。
で?なんでまたこのヴィーダに来てるんだ?マヒンダに服屋ないのか?」
「失礼ね!ヴィーダには劣るけど、マヒンダだってそれなりに発展した都市なんだから!」
レティシアが憤慨して反論するが、ゼータはそちらには適当に手を振った。
「あーはいはい。アンタにゃ聞いてないって。んで?どうなんだその辺?」
「あ………はい……えと、彼女の、仕事で……僕も、お手伝いをすることに……今は、僕は特にすることがなくて……街に出てみたんですけど……」
「なるほど。んで、彼女は、同じエリート研究員で、ピンク髪の可愛らしいツンデレマーメイドだと」
ふむ。
ゼータはそこまで言って、唸って口を閉じた。レティシアもリューとの作業に戻る。
と。
「…服はリューたちに任せるとして…小道具もいろいろないとダメだよね」
先ほどから何か熱心に見ていたジルが唐突に言い、ベータとゼータはそちらを向いた。
「……これなんか…どうかな」
ぽす、と渡してきたのはサングラス。
「…ゼータにはこれで充分」
べちょ、とゼータに渡したのは糸こんにゃく。
「ちょっと待てっ?!何で俺にコレ?!つかなんでこんなもんが服屋に?!」
喚くゼータを無視し、続けるジル。
「……ちょっと清潔には程遠いかな。じゃあ、こっち」
サングラスと交換に、白いシルクハットをかぶせてみる。
「おいコラ無視すんなっつの!」
ぎゃーぎゃー喚くゼータに、丸底フラスコを渡すジル。
「これあげるから静かにしてて」
「コレで何をしろと?!」
もっともな反論に、ジルはしばし考えて。
おもむろに糸こんにゃくをフラスコの中に詰めた。
「…………タコ……」
「で?!」
「ダメか…」
「何が?!」
「ゼータ」
ジルは静かに、目に力を込めた。
思わずうっと首を引っ込めるゼータ。
「カレーを美味しくするために醤油をかける?ソースをかける?」
意味のわからないジルの質問に、それでも気おされながら答える。
「………しょ、醤油?」
「……馬鹿馬鹿しい」
ジルは吐き捨てるように言った。
「ソースや醤油は……煮込む時に入れておくべきなんだよ…!」
「意味判らんぞ!!」
やっとつっこむゼータ。
「ゼータ!」
再び目に力を込めるジル。
「だから何だ!?」
今度は気おされずに言い返してみるゼータ。
「……このシナリオのタイトルを言ってみて」
「は?」
「このシナリオのタイトル」
「……恋はメタボリッ」
「そう!メタモル☆マジック。……つまり、メタモルなマジックを起こせ、と」
「なんで?!」
「見違えるような大変身。それこそが、私たちに課せられた使命」
「そうなのか?!」
そうですよ?
「つか、PCがそんなこと言っていいのか?」
「GMが書いてくれるってことは、いいんじゃないの?」
いいんですよ?

などと、ゼータとジルが漫才を繰り広げている間に、乙女達の間で結論が出たようだった。
「うん、よし、これで行こう!……ってなにやってんの」
糸こんにゃくと丸底フラスコにまみれながら言い合いをしているゼータとジルに、半眼を向けるリュー。
「……相対性理論とパスカルの法則との関連性について熱く議論を」
「なんで?!」
「と、とにかく服は決めてみたんだけど……うーん、やっぱりその前に、髪かなあ」
薄緑をベースにした服を腕にかけていたレティシアが、眉を寄せてベータの方を見た。
「服は服でお買い上げるとして、髪の毛を先にどうにかしちゃおうか。
…そのぉ…ゴメン、ハッキリ言っていい?
その髪型、ちょっと…あんまりにも無造作っていうか、ボサボサっていうか…
そりゃ、世間は今「無造作に見えるヘアメイク」が流行ってるって言っても、それは本当にただの無造作にしか見えないもの。ちょっとイケてないよ」
「あっ、賛成賛成」
リューもそれに同意した。
「んートリートメントとか持ってる?なかったらマヨネーズ使っちゃえ!よーく洗わないと、臭うから注意ね~」
「ちょ、ちょっとリュー、無茶言わないで」
慌てて止めるレティシア。
「どうせやるんだったら、ちゃんとしたところでちゃんとやってもらった方が良いよ!
そのボサな前髪を、ちょっと上げるだけでも違うと思うよ~。こーやってオールバックに…」
言いながらレティシアがベータの前髪に手を伸ばす。
ベータは特に動く様子もなく、レティシアが自分の前髪を上げるのを待っていた。
ひょい。
レティシアはベータの前髪を上げると、目を丸くした。
「あれっ…なに、結構可愛い系じゃない?」
「ホントだー、そばかすがかえっていい感じだよ!これならさっき選んだ服もぴったりだね!」
楽しそうに同意するリュー。
「うん、やっぱり前髪は上げた方がいいみたい。でも、オールバックより、もっとエアリーな感じがいいかなぁ」
むー、と唸りながら、レティシアはじっくりとベータを見定めている。
「全体的にバッサリざっくり切ってもらって~。で、ワックスでクセをつけるカンジなんてどう?ちょっとヤンチャな男の子系で。
そばかすがあるから、あえてそれを生かすカンジで。
せっかくカワイイ顔してるんだから、個性を生かさなくっちゃね」
レティシアの意見に、リューもうんうんとうなずいた。
「そうだね、まずは顔を出さなくちゃ。切っちゃってもいいんだけど、まずはその前に前髪を脇に流すとかするに止めてみて。
それから似合いそうな髪形を考えても遅くはないんじゃないかな?
背が割と高いけど逞しいという感じじゃないから、ショート~セミロングくらいで落ち着いた雰囲気がいいかな」
ひょいひょいと首を動かして、あちこちからベータを眺めながら。
と、レティシアが思い出したようにベータに訊ねた。
「あ、それとも何かやってみたい髪型ある?」
「えっ……」
突如自分に振られて、驚くベータ。
「……そ、そんなこと……言われましても……髪型のこととか…僕は、よく………」
「何言ってんのー、自分のことだよ?」
眉を顰めるリュー。
「もちろん、あたし達もいろいろ頑張るけどさ。一番頑張らなくちゃいけないのはベータさんだよ。
自分はやってきたことがないから他人に丸投げ、ではダメ。
自分も一緒に頑張ったぞ、だから変われたんだ、って思えることが、自分を変える第一歩になるんだよ?」
「………はあ………」
困ったような表情で、煮え切らない様子のベータ。
リューはため息をついた。
「もー…大丈夫なのかなあ、ホントに…」
「………いや」
それまで黙っていたジルが、静かに否定の言葉を発した。
「…ダメだね。全然ダメ。ベータにはもっと根本的な矯正が必要だよ」
「ジル?」
きょとんとするレティシア。
ジルは構わず、あごをくい、とドアの方に動かした。

「………表へ出て」

俺たちに耳はある

「これがこのコンサート会場の図面だ」
イプシロンはそう言って、テーブルの上に一枚の紙を広げた。
「ここがスタッフエリア。今我々がいるのがここ。ミューの楽屋はここだ。ここは関係者以外立ち入り禁止になっている。
ミューが立つ舞台がここだ。舞台袖、舞台裏も含めてひとつのエリアだな。
スタッフエリアから裏口に出る事が出来る。ここから侵入を試みるファンも時折いるよ。
そして、こちら側が入り口と客席だ。一般客は通常、ここにしか立ち入ることは出来ない。
大体そんなところかな」
一通り説明を終えたイプシロンに、オルーカが質問する。
「私達の外に、警備員は雇っていますか?」
イプシロンは首を振った。
「いいや?スタッフはすべてコンサートをするためだけの人員だよ。今までもコンサートに警備のためだけの人員を置いたことはないね。怪しい奴がいれば誰かが気付くだろう?それまではそれで不便であったことなどないからね」
「あの、スタッフの方かそうでないかというのは、僕たちはどうやって区別したら良いんでしょう?」
ミケが質問すると、イプシロンはそちらを向いた。
「スタッフには全員それとわかるスタッフ証がついている。少々人数が多いので覚えきれないだろうから、そのスタッフ証で中に入れて良いかどうかを判別してくれると良い」
「あの」
今度は暮葉が控えめに手を上げる。
「ストーカーがスタッフ証を身に付けていた場合、スタッフの方はそれに気が付きますか?」
イプシロンは僅かに眉を顰めた。
「それは…スタッフではない人間がスタッフ証を身につけて入り込んでいるということを、スタッフが気がつくか、という質問で良いのかね?」
「はい、そうです」
「そうだな。深く顔見知りでない人間はそれなりにいるからね。おや?とは思うかもしれない。だが、忙しい時間を押してまで問いただす者はいないだろう。
何度も言うが、私達は今まで『防犯』という観点において対策をしてこなかった。だから君たちを雇ったのだからね」
「バックに招待されてる人なんかはいないんですか?ご友人とか、会社の人とか、訪ねてきそうな方は」
ミケの質問に、ミューは首をかしげた。
「ミュー、マヒンダに住んでるからぁ、フェアルーフに知り合いはいないですぅ」
「そうですか…ならば、スタッフ証をつけていない方はシャットアウト、という方向でよさそうですね」
ミケは納得して頷いた。
「ミューさんも、マヒンダの方だということですけれど…」
オルーカが再び身を乗り出した。
「もし、私たちの隙をついてミューさんがストーカーに襲われた場合…ミューさん自身に、それを撃退するような戦闘能力というのはあるのでしょうか?マヒンダの方でしたら、護身の魔法のひとつとか…」
「そんなぁ……ミュー、戦うことなんて、できませぇん」
少し涙をにじませて、ミューは訴えた。
「それにぃ、ミュー、マヒンダに住んでるけどぉ、マヒンダで生まれたんじゃないんですぅ」
「え、そうなんですか?」
驚くオルーカ。
「見てわかると思うが、ミューはマーメイドでね。リゼスティアルでも評判の歌姫だったところを、私がスカウトしてきたのだよ」
イプシロンが横から説明し、オルーカはなるほどと納得した。
「では、なにがなんでもストーカーをミューさんに近づけるわけにはいきませんね」
「よろしく頼むよ」
「では…警護する場所を決めましょうか」
オルーカは言って、図面に目をやり、次に冒険者たちを見渡した。
「私は……そうですね、舞台周辺を警護したいと思います」
オルーカの言葉に、レイサークが彼女のほうを向く。
「私もそうさせていただきたいです。その場所なら、ティカさんの動きを常に把握できると思いますので」
「じゃあ…私はスタッフエリアの方を。楽屋を重点的に警護したいと思います」
暮葉が静かに言い、ミケがそちらを向いた。
「では、僕のポチをお連れください。お役に立てると思いますよ」
「ポチ?」
「この子です」
首をひねる暮葉に、ミケは肩に乗っている猫のほうを見た。にゃあ、と鳴く猫。
「僕の使い魔なんです。僕の意識と連動することが出来ますので、何かあったときにすぐに対応できます」
「そうなんですか。それでは、是非」
暮葉が微笑んで、ミケも笑って頷いた。
「では、僕は、裏口と外の方でスタッフ以外の方をシャットアウト、ということで」
「おお、そんじゃあ、オレのフォルスも協力するぜェ。何か、ミケの二番煎じみたいになっちまったが」
ヴォルガが言い、ミケはそちらの方を向いた。
「フォルス?」
「コイツだよ」
ヴォルガは同じく、肩に乗った銀色の鷹のほうを見た。
「コイツに、空から不審者がいねェか見張っててもらうからよ。怪しいヤツがいたら、オマエんトコに来るよう言っとくから。来たら、褒美になんか食いモンでもくれてやってくれや」
「わかりました」
「じゃあ、オレは客席の方をあたってみるよ。怪しげな人がいないとも限らないからね」
クルムがそれに続き、残るはヴォルガのみ。
「うーん…大体それでカバーできてるかねェ……」
図面を見ながら唸るヴォルガ。
「なァ、ミューのマネージャーってのは、いんのか?」
「マネージャー?」
首を傾げるイプシロン。
「身の回りの世話やスケジュールの調整をするヤツのことだよ」
「スケジュールの調整は私がしている。身の回りの世話などはミューが一人で出来るから、それ専属の人間はいないな」
「はァ?人気アイドルにマネージャー付けねェでどうすんだよ!」
ヴォルガが言うと、イプシロンはにこりと微笑んだ。
「では、君にやっていただこう」
「はァ?!」
唐突な言葉に、思い切り眉を寄せるヴォルガ。
「場所担当だけでなく、ミューの側でガードをする人間も必要だろう。
君がマネージャーが必要だと言うのなら、それもついでにやってもらおうということだ」
「ってオイ…まて!その分の報酬は別にあるんだろうな!?」
「では、各場所の詳しい警備についてだが…」
「こらー!話を聞けー!」

「皆さんが離れて警護をされるのでしたら、連絡手段のようなものが必要ですよね…」
警備の段取りを打ち合わせながら、ふとオルーカがそんなことを言った。
「何かそういう魔法とか、無いんでしょうか」
ミケのほうを向くが、困ったように首を傾げるだけ。
「風魔法を応用すれば…とは思いますが…特定の人物だけにメッセージを、しかも相互に連絡を取れるようにするのは少し難しいと思いますね」
「イプシロンさんは、そういった魔法をご存知ではないですか?」
イプシロンに目を向けるが、格好つけた苦笑が返ってきた。
「私も魔道は専門分野ではないのでね」
「そうですか……」
しゅんと下を向いたオルーカに、続けるイプシロン。
「だが、スタッフが使っているインカムの余りならば、使うことは出来るよ」
「いんかむ?」
耳慣れない言葉に首を傾げるオルーカ。
それにはミューが答えた。
「スタッフさんが連絡用に使っているものでぇ、マイクとイヤホンがついてて、喋ったコトがそれをつけてるみんなに聞こえるようになってるんですぅ。スタッフお手製のマジックアイテムですよぉ☆」
「ほう、それは便利なものがあるのですね」
身を乗り出すレイサーク。
「スタッフと兼用だから、当然スタッフ同士の事務連絡なども入ってしまうし、君たちの連絡事項もスタッフに筒抜けだ。おまけに、たまに魔力波が混線していらんところの音声も入ってきてしまう事がある。それでよければお貸しするが?」
「是非お願いします!」
オルーカの声に、イプシロンは頷いてぱきんと指を鳴らした。
「打ち合わせ室にインカムを6つ。大至急だ」
「あの…イプシロンさん、今のは?」
オルーカが恐る恐る訊ねると、イプシロンはさらりと答えた。
「…風魔法を応用した通信魔法でスタッフに連絡をしたのだが、何か?」
「あるんじゃないですか魔法!」
「僕に言わないで下さいよ!」
とばっちりを受けるミケ。
「いやしかし、この魔法は使える者にしか使えない。そちらの美少年に教えることはできるが、それ以外は即座に習得は無理だろう」
「そ…それもそうですね…」
そんなことを言っている間に、扉がガチャリと開き、スタッフらしき人物が入ってきた。
「どうぞ」
バラバラと置かれるカチューシャのようなもの。ミューの言ったとおり、みみあてのような物とマイクのような物がついている。
スタッフは礼をすると、部屋を出て言った。
「…これがインカムだ。………どうかしたかね?」
言ってから、唖然とインカムを見つめる冒険者たちを不思議そうに見るイプシロン。
「な……な……」
「なんなんですか……これ……」
震える手でインカムを指差すミケ。
インカムにはみみあてとマイクだけでなく……それ以外の様々な耳を模した飾りがついていたのだ。
「ミューのコンサートスタッフだからな。関連グッズに模して作ってあるのだ」
けろりとした様子で言うイプシロン。
「ああ、それでマーメイドの鰭が」
「ネコミミとかもありますよ。正統派の萌えですね」
「この犬耳みたいのは何だ?」
「あ、それはぁ、ミューの歌で『オオカミなんて怖くないっ』っていうのがあってぇ、そのグッズなんですぅ。ですからぁ、ワンちゃんじゃなくてオオカミの耳ですねぇ☆」
「いいんですかそのタイトル」
「こっちの熊はなんなんですか」
「そっちはぁ、『きみはくま』っていう」
「いきなり新しくなりましたね」
「では、私はこの熊の耳にします。可愛らしいですし」
オルーカは笑顔でそう言って、熊耳のインカムをつけた。
「あれ……早速何か聞こえますよ。………カレー…?カレーに……しないで……?
やだ、心霊現象みたいですねー」
「おおっ!オルーカちゃーん!…なんて美貌だ…!」
ヴォルガが即座に反応して片膝をつく。
「美しすぎる!熊耳という可憐な要素を含み、それを影に潜めずに尚引き立つその美しさ。
オレの目は最早、君しか捉えられはしない!」
「うふふふ、ヴォルガさんったらまた冗談ばっかり。今の言葉ホームズさんに」
「おおおおぉっとぉ、お、オレにはこの狼の耳なんかいいんじゃねェの?」
ごまかすように大声を上げてそばにあった狼耳のインカムを取る。
「…しかし何だ?一緒にくっついている腕輪みてェのは」
じゃらり、とインカムにくっついているバンドを手に取ると、ミューが笑顔で答えた。
「それは、オプションの首輪ですぅ。ヴォルガさんにきっとよく似合いますよぉ☆」
「おいおい、オレはマネージャーの仕事もするんだろォ?狼耳は獣人ってことでごまかし効くかも知れねェが、首輪は要らねェんじゃねェのか!?ってかどんなマネージャーだよ!そして何萌えだァ~!?」
「クルムさんにはぁ、このネコちゃんの耳が可愛いと思いますよぉ☆」
「えっ…そ、そうかな」
「おい、人の話を聞けー!!」
「では私もそれで…一番邪魔にならないと思いますし」
暮葉も言って猫耳のインカムを取った。
「でも……なぜ生物の一部を模しているのでしょうか……?」
また真面目な表情で考え込む暮葉。
「では、私もこの狼の耳を拝借しましょう。首輪は…少々わたしの首には小さいようですので遠慮いたしますが」
レイサークも続いて狼耳のインカムを取り上げる。
「紫色の狼耳だったら『いんかむ付けてフリンカム~』などとほざいて遊べるンですが……苦しいですかね?」
苦しいも何も。
ネタがわからない他の面々がきょとんとしている。
「あ、で、僕は……」
と、ミケが最後に残ったインカムを取ろうとすると。
「…………っ」
ミューと同じ、桃色の鰭のインカムしか残っていないことに手を固まらせる。
「何の陰謀ですか…僕なら絶対猫耳型インカムだと思うんですが!?」
にゃー、と同意するように鳴くポチ。
「み、ミケ…オレのよかったら、使う?」
遠慮がちに自分のインカムを差し出してきたクルムをさえぎって、イプシロンがばっと間に入った。
「何を言うのか!君の…もちろん私には劣るが、美しい栗色の長髪にはこのマーメイド族の耳型がピッタリだ。ミューとおそろいだよ。
ほら、さすが美しい私、ナァイスコーディネートッ」
ふぅ、と自己満足に浸るイプシロン。無理矢理つけられたインカムに手を触れてふるふると震えるミケ。
「………死んでも嫌ーーーですーーーーーーーーーッ!」
べし。
インカムを外して床に叩きつける。
「何をするのかね!」
「それはこっちのセリフです!とにかくこの鰭だけは我慢なりません!何か他のインカムはないんですか!」
「ない!」
「うわ言い切った!そんなはずないでしょう、余ったインカム6つって言ったじゃないですか、他にも余ったインカムあるんでしょう?!」
「他のインカムは全て鰭型だ!」
「だからそんなはずないって…」
「よォミケ、何でオマエそんなにマーメイド嫌がるんだァ?」
ニヤニヤしながら、狼インカムを付けた(結局首輪もつけた)ヴォルガが茶々を入れる。
「マーメイドに嫌な思い出でもあんのかァ?お、もしかしてオマエそれで猫連れて歩いてんだろ?」
「関係ありません!」
からかうようなヴォルガの言葉に、叩きつけるように反論してから。
「だから、他のインカムを……」
と、イプシロンが哀れむような表情でミケの肩にぽんと両手を置いた。
「諦めたまえ……神と書いてげぇむますたぁと読むモノの意向には誰も逆らえないのだよ…」
「……そうですよね…どーせ僕はこういうポジションなんですよね……」
ミケは涙を流しつつ、桃色鰭のインカムを身につけた。
「あとは……スタッフの方々と共通回線ということなので、私たち同士で合言葉を決めませんか?」
オルーカの言葉に、クルムがきょとんとした。
「合言葉?」
「はい。スタッフさんの連絡ではないことを示すために、連絡の前に合言葉をつけるんです。
そうだなあ……『ミューたん』って言ったら『もえもえ』って言うのとか、どうですか?」
「えっ……そ、それはちょっと、恥ずかしいなあ…」
「大丈夫ですよ!聞いてるのは私たちとスタッフの人たちくらいですから!」
「そ、それが恥ずかしいんだけどな……」
「じゃあ合言葉はそれで。何か変わったことがあったり、不審な人がいたりしたら、すぐ連絡してくださいね!」
「お、オルーカ?!」
どんどん話を進めていくオルーカのパワーに、誰も反論が出来ない。
「あとは、ファンの方々はこのことを知らないんですから、堂々とより身を隠して警備した方がいいかもしれませんね。
それぞれがそれぞれの場所で一番目立たない格好をすべきだと思います!」
「…というと?」
暮葉の問いに、嬉しそうに答えるオルーカ。
「例えば外だったら、アイドルオタさん達と同じ格好、開場内ならスタッフさんと同じ格好、とか…」
「あ、それはそうですね。私たちの僧服や修道服…それにこの大きな剣などは、会場内の警備には不要でしょうし…一時預けさせていただいて、何か別の格好をするべきでしょう」
レイサークも同調し、オルーカは笑顔で頷いた。
「ですよね、ですよね!」
「そ、そうすると、会場のほうに行くオレも、この服は着替えた方がいいのかな…」
不安そうに自分の冒険用スタイルを見下ろすクルム。
「ミューのグッズの中にはシャツやジャケットなどもある。後で見繕っていくと良いよ」
イプシロンが言うが、ますます不安げな表情になるクルム。
「あの、そのグッズって、ミューの……」
「ロゴやイラスト入りだが、それが何か?」
「……なんでもないよ……ありがとう…」
微妙に沈んだ様子のクルム。
それをよそに、オルーカはまだテンション高く、続けた。
「私は舞台近くなので、あまり必要ないのかもしれませんが、念のため、『ミューさんの舞台を勉強するため見に来た新人アイドル』に身をやつしますよ!!」
「し、新人アイドル?!」
「…オルーカさん、お年はわきまえた方がごふっ」
ミケの言葉が途中で撲殺される。オルーカは何事もなかったかのように力説した。
「ええ、仕方なく。仕方なくです!!!
クマ耳インカムつけてるわけですから、『クマっ娘アイドル・オルーカルン(14歳)』とかですかねぇ♪」
「……オルーカさん、鯖を読むにもほどがげふっ」
ミケの言葉がまた途中で撲殺。オルーカはうきうきした様子で誰も止められない。
この空気を何とか変えようと、レイサークが身を乗り出した。
「あの、ストーカーを見つけたら、連絡はするにしても、ある程度はこちらで自由に対処してもよろしいのでしょうか?」
その言葉に、ミケが首を傾げる。
「対処、というと?」
「質問、捕縛、場合によっては戦闘、という意味ですが」
「舞台をメチャクチャにしない範囲でなら、好きにやってくれて構わないよ。どうせ、他のスタッフは舞台にかかりきりなのだから」
イプシロンが言い、レイサークは満足げに頷いた。
「正直、私はこのクレイジー……いやいや常軌を逸した行為をするストーカーは、愚か者だと思っています。
アイドルは、『偶像』の意の通り、誰のものでもなく、触れるべきではない物と思っています。
触れてしまったら、その瞬間にアイドルではなく、『隣のお姉さん』になってしまう、
そういった不可侵な何かを持っているものだと思います」
突如語り始めるレイサークに、きょとんとして注目する仲間たち。
「加えて、『君にふさわしい王子様』て、そんな歯の浮くような妄言を、堂々と言うあたり、幼児の思考で夢を見ているのでは? と疑いたいくなりますね。
つまりは……もう、ね」
目を閉じて苦悩の表情で肩を竦め、首を振って。
「――莫迦かと。
――あなたはこの一言を言いたいだけではないのかと。
小一時間問い詰めてやりたいところではありますね」
口調は冷静だが、ストーカーに対して憤慨している様子のレイサーク。
「……レイサークさんもそれが言いたいだけなんじゃないでしょうか…」
「コンサート会場というのはもっと殺伐としているべきなんでしょうね。舞台と客席の間でいつ喧嘩が始まってもおかしくない、刺すか刺されるかという雰囲気が良いのでしょう」
「ずいぶん懐かしいネタですよね」
ミケとオルーカのつっこみもなんのその。
乗ってきた様子のレイサークはさらに続けた。
「それだけならまだしも、自己主張のために刃物を使うなど……よほど、パパとママの愛情が足りなかったと見えます。
そんな輩は、修正して『再教育』してやる必要があるでしょうね!」
べき、ばき。
だんだんと冷静な仮面がはがれ、にやりと笑いながら指を鳴らすレイサーク。
「怪しい人を見つけたら……そうですね、酷いと思われても構いません」
がしっ。
自分の目の前で握りこぶしを作り、ドスの効いた声で宣言。
「と り あ え ず ぶ っ 飛 ば す
話 は そ れ か ら 聞 い て や る」
ドン引きする一同に、またもとの冷静な笑顔を作って。
「……ことにします。
話聞こうとして逃げ出されて、あまつさえ振り切られたとあっては、我々、というより冒険者の沽券に関わりますからね。この際、少々の人道よりも身柄確保を優先事項とさせていただきますよ」
こつ、こつ、と音を立てて歩きながら、自分のストーカー退治プランを述べていくレイサーク。
「仕掛け方は、思い切って前方へのサマーソルトから蹴りを出す奇襲を狙おうかと。
どこか遠いところじゃ、ダブルニープレスとか胴廻し回転蹴りなどと呼ばれているらしいですね。だからどうした、といわれても、どうともしませんが。
多少は実験的要素もありますが、私のような人間が跳び蹴りをするというのは読みにくいと思いますので、有効ではないかと思うのですよ。
天井低かったりすれば、脚がぶつかって『自爆』するかもしれんが、それも構いません。
ついでに、『ぶるぁぁぁ!』とでも叫んで、威嚇もしてみますかね。
さらに相手が抵抗してきた際には……」
誰も口を挟まないのを、自分の高説に感心しているのと思っているのか。レイサークは滔々と騙り続けもはや誰も止められない。実際はだんだんと常軌を逸した目つきになっていく彼に誰も制止の声がかけられないだけなのだが。

「………ぶっちゃけ、レイサークさんが一番クレイジーな不審者ですよね……」
「……はい……私もそう思います……」

ミケとオルーカのささやかな突っ込みも無視して、レイサークの語りはまだまだ続いていた。

完成予想図2

「外見だけどんなに直しても、中身が変わらなきゃ結局何にもならない。リューの言う通りだよ。
まずは、中身から鍛えていかなきゃ」
ブティックを出て、再び公園に戻ってきた一行は、仁王立ちのジルにいつにない迫力で説教されていた。
「それは…確かにそうかもねえ……」
買った服を持ったまま(もちろんベータが出した。エリートだけあって金はそれなりに持っているらしい)レティシアもため息をつく。
「…あの………な、中身、って……?」
おろおろするベータ。
リューが眉を顰めた。
「んー……あたしとしては、まず口調を直したいかな、と思ったよ。
今のままじゃ、ウジウジした感じがしてハッキリしないしさ」
ベータに歩み寄り、肩を竦めて。
「えっと、ベータさんって誰に対しても敬語だよね。
とんでもなく年下で、かつ馴れ馴れしい口をきくあたしにすら。
もちろん、敬意を表してくれてるっていうのなら嬉しいんだけど、でも敬語ってね、“丁寧”ではあるけど“敬う”言葉ってわけじゃないんだよ。
相手を“近づけたくない”と思う、もしくは“近づかないようにする”ための言葉なの」
「……そ……そうですか……?」
困惑した様子のベータ。
リューはちょっと考えすぎか?と目を逸らしたが、速攻で視線を戻して続けた。
「ほら、敬語って自分と相手の立場が違う、あるいは自分と相手が近しくない時に用いられるでしょ?
丁寧な言葉遣いという意味合いはあるし、最初は失礼のないようにそれでいいと思うけど、ある相手と長く深く付き合っていく、あるいは自分のイメージを変えるのだとしたら、一つ、この点に注意してみるのも効果的じゃないかな?
いつも大人しい人が、自分にだけ見せる違う一面って、キュンとするもんだよ」
「………はあ……」
「口では簡単に言うが…コイツにんなことできんのかぁ?」
片眉を顰めて言うゼータ。
「敬語とかイメージとか言う以前に、コイツの話、会話として成り立ってねーじゃんよ?
んーなアドバイス程度でどうにかなるもんかねぇ?」
「んー、まあぶっちゃけそうなんだけどさあ」
リューは渋面で唸った。
「ベータさんは言葉を選びすぎるというか、間が多すぎ。すぐどもるしさ。これなんとかしたいよね」
「……じゃあ、早口言葉の練習、してみようか」
ジルが横から言い、リューが笑顔で頷いた。
「それ、いいじゃん!じゃあまずは、『生麦生米生卵』からね。それじゃジルちゃん、お手本!」
「……え」
「いや、ジルちゃんが言い出したんだし。まずはお手本を」
「……別に出来ない訳じゃないし、それでも構わない」
ジルはふう、と一息ついて、一気に喋りだした。
「なまむぎなまごみゅ……」
沈黙。
「……あれ?もう一回………ななむぎ……あれ」
言えないジルに、慌ててリューが横槍を入れる。
「あーっと!じゃあ別の行ってみよう!『赤巻紙青巻紙黄巻紙』、はいっ!」
「あきゃまきゅ……」
……沈黙。ジルは悔しげに眉を寄せた。
「……もう一回……!あかまきがむぃ……~!!」
がち。
派手に歯が合わさる音がして、口を押さえるジル。どうやら舌を噛んだらしい。
「なあ…ここは萌えるところか…?」
「萌えとくところでしょう。一応」
冷静に感想を述べるゼータとレティシア。
リューは困ったように手を振って、誤魔化した。
「あー……っと、じゃあ、早口言葉の練習は横に置いといて、と……」
置いといて、の仕草をしてから。
「間が多い、っていう話だったよね。あたしがテンポの良い話し方の特訓してあげるから、ちょっと練習してみようよ?
あたしが相手になってあげるからさ。どんなシチュエーションでもお任せあれ、だよ♪」
「………はあ……」
ベータの様子は相変わらずで。
リューはイライラしたように両手の拳を握り締めた。
「んもーっ!やる気あるの?!ベータさんのことなんだよ?!」
「…は、はぁ……すみません……」
「じゃあ、まずは挨拶から。彼女が向こうから歩いてきました。はいっ!」
「………あ……お、おはようございます……」
「遅いっ!」
びし、と指差して怒鳴りつけるリュー。
「それに、敬語ナシって言ったでしょ!あとどもらない!はいもう一回!」
「……お、おはよ……」
「どもるなっつってんでしょー?!はいもう一回!」
「…………おは……」
「おそおぉぉぉぉいっ!!」

ぜぇ、ぜぇ。
何故か一人で息を切らせているリューを、困ったように見下ろすベータ。
「……あ、あの……リューさん………だ、大丈夫ですか……?」
「……な……なんでなの…一向に直らないなんて……さっき研究のことをしゃべった時はあれだけ立て板に水だったのに……」
「こりゃー、口調を直すのは諦めた方が良いかも判らんね」
肩を竦めるゼータ。
「んー、まあ一朝一夕にはね。そっちは一時休憩することにして、別のことにトライしてみようよ」
レティシアも微妙に諦め顔でリューに言う。
「ふぅ……しょうがないか。喋り方はまた後で特訓することにして…」
気を取り直して、また背筋を伸ばすリュー。
「あとは、姿勢っ!レティシアさんも言ってたけど、その猫背、どうにかならないの?」
ばし、と背中を叩くと一瞬シャキっとなるものの、しばらくするとまたしおしおと元に戻ってしまうベータ。
「あーんもぅ……まあ、あたしも人形に頼って運動不足気味だったりするし、一緒に背筋でも鍛えようか。
いい姿勢を作るってことは、いい声を出すってことにも繋がって、いろいろと印象アップに役立つと思うよ?」
「……いい姿勢……ですか……」
「それ、口調以上に難しいんじゃね?」
揶揄するように、ゼータ。リューは頬を膨らませた。
「やってみなくちゃわかんないじゃん!」
「でも、背筋鍛えるってどうやって?」
レティシアが首を捻って言い、リューはうーんと唸った。
「そうだなあ……」
と。
「…とりあえずそこに正座して」
ようやく舌噛みのダメージから回復した様子のジルが、突如言った。
「……せいざ?」
きょとんとするリューに、淡々と返す。
「知らない?ナノクニ座り。こう」
膝を折って地面に脛をつけ、その上に腰を下ろす。ナノクニ独特の座り方だ。
ジルは腰を上げて立ち上がり、続けた。
「正座すれば自然に姿勢が良くなる。その姿勢をキープし続けて」
「……え……えっと……ここで…ですか?」
ベータがためらいがちにジルに言う。
公園の石畳の上。
当然人目もある。
何より、こんなところにそんな姿勢で座ったら痛そうだ。
しかし、ジルはにべもなかった。
「……かっこよくなりたいんでしょ。さあ、座って。ゼータも、リューも」
「お、俺も?!」
「一緒にかっこよくしてくれって言ったじゃない」
「あ、あたしはぁ?!」
「一緒に鍛えるってさっき言った」
ガツンと返され、しぶしぶ座る3人。座ったことで、とりあえず伸びるベータの猫背。
リューは辺りをキョロキョロ見回して、適当に木の枝を手に取った。
「ふらついたら私が後ろから叩くから」
「えぇ?!」
「聞いてねぇぞ!」
「ナノクニの人はこうやって精神を鍛えてるんだよ」
ジルは静かに言って、視線を鋭くした。
「…甘っちょろいことをやってて、何が変わるの?これじゃ、お子様向けの甘口カレーだね。
…ラブコメとはいえ、あざとすぎれば読者も引く。あくまで、自然に。マンネリ化しないように。揺れ幅を持たせて。………読者に媚びようなんて、考えないこと」
「おい、何の話だ?!」
「こっちの話。さ、行くよ。精神を集中して」
ジルの声に、しぶしぶ姿勢を正して目を閉じる3人。
公園の通行人が視線を合わせないようにして通り過ぎていく中、三人の後ろを棒を持ったままゆっくりといったりきたりするジル。
ぐら。
「…そこ、微妙に動いた」
べしっ。
「………っ……」
僅かに体を傾けたベータの肩を棒で叩く。僅かに歯を食いしばらせるベータ。
再び、沈黙が訪れる。
ゆっくりと行き来するジルの視線が、不意にまた光った。
べしっ。
「あいたっ」
叩かれたリューが、目を閉じたまま声を上げる。
「……そっち、動いた気がする」
「気がする?!」
とりあえずつっこむが、再び修行開始。
沈黙のまま、なおもゆっくりと行き来するジル。
そして。
べしっ。
「俺今動いたか?!」
「………今のは、なんとなく」
「なんとなくー?!」

「姿勢の修行は、とりあえずここまでにして…」
容赦なくジルに叩かれ肩を抑えたまま半眼のゼータとリュー、立ってしまったら相変わらず猫背のベータ、困ったように顔を引きつらせるレティシアの前に仁王立ちをして、ジルは再びベータの方を向いた。
「次は、その内気な性格。少し、精神的に鍛えなおす必要がありそうだね」
ふぅ、と沈鬱な無表情でため息をついて。
「……ちょっと手荒なやり方だけど……今から全力で罵倒する。耐えて」
「…えっ」
ベータが何か言い返す前に、ジルは次々と彼に言葉を投げかけた。
「根暗。
猫背。
ダサい。
すぐどもる」
ベータはショックを受けている……のかどうか、相変わらずの無表情でよくわからない。
後ろでハラハラしているレティシア。
「モサい。
オタク。
キモい。
ヘタレ。
浮気者。
ボケ殺し。
冬将軍」
「………ぅおぉいっ?!だんだん俺にこたえてるんだが?!」
全力でツッコむゼータ。
「…………あれ?」

「弱々しい肉体は頼りない印象を与える。対して、強く逞しい肉体は、同性も異性も惹きつける。
………体を鍛えるべきだと思う。
手始めに、そこの広場を10周」
「10周?!」
驚く女性陣。おろおろしている様子のベータ。
「いやー大変だなベータ、がんばれよ!」
「何言ってんの、ゼータもやるんだよ」
「何で俺が?!」
「一緒にかっこよくなるって言った」
「だけどよー、俺は」
「口答えしない。ゼータ、20周ね」
「えぇぇぇぇ?!」
結局、ベータとゼータは仲良く公園の大きな噴水の回りを走ることになった。
腐っても冒険者であるゼータはそれなりに走っているが、研究員であるベータは息も絶え絶え、走っているのか歩いているのか、むしろ歩いた方が早いのではないかという状態で。
ジルは視線を鋭くして、無情に告げた。
「……それでも男?ベータ、3周追加ね」
「……は……はい……」
ぜえぜえと息をしながら、それでも頷くベータ。
「まだまだいろいろな運動メニューを用意してあるからね。休んでる暇は無いよ」
そう言うジルの後ろには、ダンベル、エキスパンダー、ビリーバンドなどの様々な運動器具が並んでいるのだった……

「やっぱり、かっこいい男は楽器ぐらい弾けなきゃね」
運動でくたくたになっているベータの前に、ジルは白いギターを差し出した。
「というわけで、そこでギターを借りてきた。
借り物だから丁寧にね」
「……は……はあ……」
困惑気味の様子でギターを受け取り、一応構えてみるベータ。
「ギター、弾けるの?」
レティシアが訊くと、
「……いえ…触ったことも……」
という、まあ妥当な答えが返ってくる。
「まあフォークぐらいなら、ちょっとかじれば弾けるんじゃね?」
ゼータが言うと、ジルは低く呟いた。
「…………違う」
「は?」
ゼータが聞き返すと、ジルは鋭くそちらを睨み返した。
「フォークソングなんて生ぬるい。
男ならロック。そしてメタル……!!」
と言ったかと思うと、せっかくベータに渡したギターをひったくり、
「あああああぁぁぁぁ!!」
と奇声を上げて、いきなりそれを地面に叩きつけた。
どかん、がしゃん、ばり、びぃぃん。
当然ながら、見る影もないほどに破壊されつくすギター。
「…………あ………」
ジルが我に返るまでを、4人は唖然としながら見つめていた。
「……生活費が、なくなる……」

「かっこいい男なら、食事もカッコ良くなきゃいけない。テーブルマナーを覚えよう」

「外見や小手先ばかりよくなっても、心が駄目だと全部は活かされない。心をきれいにするために、この辺りのごみ拾いをしよう」

「手先も器用でないと。針に糸を通す特訓をしよう」

「………なあ、そろそろ本筋からずれすぎてねえか?」
うんざりした様子でゼータが言うと、ジルはけろりとした顔で返した。
「それは仕方ない。私、そういうの全然分からないから」
はあぁぁぁぁぁぁ……
ジル以外の全員のため息が、長く長くこぼれた。

MOSAマシーン

「う……っわ…なんですか、この人たち……」
裏口で警備を始めたミケは、まず周辺に潜む……本人は潜んでいるつもりなのだろうが……今まで見たことのない種類の男性たちに、絶句した。
不摂生が明らかに見て取れる、でっぷりとした体型。にきびだらけの顔に分厚いメガネ、ぼさぼさの頭。ミューのイラストがプリントされたTシャツを着ているのだが、明らかに着倒されすぎて首元はダルダル、ミューのイラストも可哀想に、微妙に伸びている。皆一様にジーンズ、バンダナ、リュックサックの三点セットで、奇妙なドレスコードでもあるのかといった雰囲気だ。
そういった面々が、決して少なくない人数、裏口に面する木の陰や建物、乗り物の陰、茂みの中などに隠れているという光景が、異様さを増していた。潜んでいるつもり、というのは、その体型のせいで少なからずバレバレなのである。
ミケが警備することになった裏口に配属されたスタッフが、苦笑した。
「ここで張ってれば、ミューちゃんに一目でも会えると思って、ああしてるんでしょうねー」
「そう…なんですか?コンサートが始まれば会えるのに…」
「いえいえ、少しでも近くでミューちゃんを見て、あわよくばサインとか握手とかしてもらいたいんですよ。入り待ち、出待ち、って呼んでますけど、今日はもうミューちゃんはここに入ってるから、出待ちなんでしょうねえ」
「えっ、コンサートが終わるまでここで待ってるってことですか?!」
「ええ、今日のチケットは取ってないんでしょう。コンサートを最後まで見ると、ミューちゃんが出るのに間に合わないかもしれませんからね」
「はー……僕の知らない世界ですねえ……」
感心してため息をつくミケ。
スタッフの男性は嬉しそうに頷いた。
「でも、今日は冒険者の人が警護に当たってくれるんで心強いですよ。
たまに、あの巨体で無理やり中に入ろうと突進してくるファンとかいますからねぇ…」
「ほ、ホントですか」
驚いてそちらを見やるミケ。
「はい。今までは身体張って防ぐの大変だったんですけど、今日は心強いです」
「う……ご期待に沿えるでしょうか……」
はぁ、とため息をついて、ミケは空を見た。
ヴォルガの飼い鷹であるフォルスは、ゆるりと弧を描きながら大空を飛んでいる。特に変わった様子はないようだ。
「…とりあえず報告をしておきましょうか…」
ミケは言って、インカムのスイッチを入れた。
「…あー、えっと…み、ミューたん……」
しかし、一向に返事は返ってこない。
「あれ?おかしいな……混線してるのかな……?」
妙な雑音は聞こえるが、仲間の声は聞こえてこない。
「あれー…?」
それでもよく聞こうと耳を澄ますと、雑音はだんだん人の声を形づくってきた。
「…さん……ケさん……」
「……ん?」
眉を顰めるミケ。
そして、その声はやっとはっきりと聞こえた。
「ミケさーん、聞こえてますかぁ?」
「………っっ!!」
よりによってこのインカムで、よりによって一番聞きたくなかった声を聞いて、ミケは一気に青ざめた。
声は続く。
「うふふ、ミケさんががんばってるって聞いて、私もがんばって電波飛ばしてみましたー。
ミューちゃんが私と同じ桃色鰭のマーメイドだからって、浮気しちゃダ」
べし。
ミケは即座にインカムをもぎ取って地面に叩きつけた。
「な、何するんですか?!」
驚いて駆け寄るスタッフ。
ミケはさわやかな笑顔で、彼に答えた。
「あー、この手の物って調子悪くなったら叩くと良いって言いますからー」
「そ、そうですか…?でも今のって、叩くというより叩きつける…」
「あー、ミケでーす。もしもーし」
スタッフを無視して、ミケは通信に再チャレンジした。

「ううっ、酷いですチャーリー!なんでロザンナのこと捨てるんですかぁ!こんなにあなたのことが好きなのに…!」
「お、オルーカさーん?どうしたんですかー?」
インカムから聞こえるオルーカの涙声に、動揺するミケの声が聞こえる。
「こちら舞台袖、レイサークです。ミケさん、応答願います。ミューたん」
「も……もえもえ」
恥ずかしそうなミケの応答の後に、レイサークは冷静な声で告げる。
「オルーカさんはどこからかの音声を傍受して感情移入しておられるようです。私が代わりに」
「そ、そうですか…こちらは、今のところ特に異常はありません。そちらはどうですか?」
「こちらはリハーサルが始まったところです。今のところ特に異常もなく、順調に進んでおります」
「そうですか。また何かあったら連絡を下さい」
「了解。お疲れ様です」
「あら…ヴォルガさんったらまた女の人に声かけて……ああ、また振られちゃってますね…懲りない人ですねえ…」
レイサークの横では、また別のどこかの音声を傍受したらしいオルーカがため息をついていた。

「あっ、おかえりなさぁい☆どうしたんですかぁ?そのほっぺ」
楽屋に入ってきたヴォルガに、ミューは目を丸くして声をかけた。
今はマネージャーのフリとして、スーツ姿に伊達メガネ、髪は後ろで一つに括っているが、その頬には隠しきれない赤い跡があった。
「いや、ちょっとな…リハは始まったのか?」
「はい☆今は次の曲の音響調整でぇ、ちょっと休憩なんですぅ」
「そうか…しかしアンタのプロデューサーは人使い荒いなァ、新聞の売込みから弁当の発注までやらされたぜ。
確かにマネージャーの代理をやるとはいったが、本来はミューの護衛だってのによ~。
っつーかこんだけ忙しいってのに、これまでマネージャーを雇ってなかったってのが信じられねェな」
「うふふ、プロデューサーらしいですねぇ」
くすくす笑うミュー。
「そういや、ミュー。オマエが良く身につけてる物とか貸してくれねェか?ハンカチとかよ…」
「えぇっ?どうしてですかぁ?……まさかヴォルガさん~…」
じろりと上目遣いで見るミューに、半眼を返すヴォルガ。
「…何だその目は?保険だっての!ほ・け・ん!」
「ほけん~?」
首を傾げるミュー。
「あんな。奴さんはオマエを誘拐するつってんだろ?
手掛りになるもの何一つ残さずに攫わねェとはかぎらねェからな。
もしもオレ達がポカしてオマエを連れ去られちまったとき…匂いで追える」
「あぁ、なるほどぉ…ってぇ、ミューがさらわれちゃうの前提なんですかぁ?」
眉を吊り上げるミューに、ヴォルガはけらけら笑って言った。
「あくまで保険だ…オマエのことはしっかり守ってやるさ♪」
「そんなこと言ってぇ、ホントはミューのもの欲しいだけなんじゃないんですかぁ?」
悪戯っぽく笑って見せるミューに、ヴォルガは苦笑した。
「ストーカーと一緒にすんなよなァ。第一、オレは18歳未満はお断りなんだよ。
それに……」
身をかがめて、ミューの瞳を覗き込んで。
「オマエ、やっぱ男いんじゃねぇのか?」
「えぇ~?いないって言ったじゃないですかぁ」
ぷう、と頬を膨らませるミュー。
ヴォルガは意趣返しのように、にやりと笑った。
「勘だけどな、結構色恋には鼻が効くんだぜェ~オレって。
他人の女にゃ~手ェ出さねェようにしてんのよ…。
ま~超ウルトラ級の美人じゃ声位はかけるかもしれんがな」
「声をかけてもビンタされちゃうんですねぇ☆」
「うっせ!」
「うふふ、それにぃ、ミューにだって選ぶ権利がありますぅ☆
ヴォルガさんみたいに、誠実じゃない人はお断りですぅ☆」
「う、そこつかれると痛ェな……」
「うふふふ☆じゃあ、ミューそろそろリハに戻りますねぇ☆」
「おう、いってらっさい。オレはまたイプシロンとこ戻っとくが、コンサートが始まったら舞台の方行くからな」
「わかりましたぁ☆」
ヴォルガに軽く手を振って、笑顔で楽屋を出て行くミュー。
軽やかな足取りでしばらく舞台の方へと歩いていたが、人気がなくなったのを見計らって足を止める。
楽屋の方を軽くふり返って、眉を寄せて。
吐き捨てるように、言った。
「……ったく……しつこい男。だからナンパも失敗すんのよ」

「おい、雑誌社の売り込みと、初日終了後の会見会場のセッティング、それに冒険者たちの弁当の手配も終わったぞ……」
やや疲れた表情で言ってきたヴォルガに、イプシロンは他スタッフと打ち合わせをしながら答えた。
「では、ここにあるグッズを会場前の特設売り場に持って行ってくれたまえ。そろそろ品切れが起きる頃だ。ついでに売り子の手伝いもしてきたまえ」
「ぅおいっ!オレがミューの護衛だってこと忘れてるんじゃねェだろうな?」
ヴォルガが声を荒げると、イプシロンは面倒げにそちらに視線をやった。
「もちろん覚えているよ?だがミューは今リハーサルだ。舞台袖にはレイサークくんもオルーカくんもいる。マネージャーが必要だと言ったのは君だろう?きりきり働きたまえよ」
「マネージャーっつーか、こりゃただのパシリだろうが!」
「それで、この曲からの照明の段取りだが……」
ヴォルガをガン無視して打ち合わせに戻るイプシロンに、ヴォルガの中で何かがふつりと切れた。
「おい!毎度毎度…話を聞けつってんだろうが!」
ごっ。
手元に何故か合った灰皿をイプシロンに投げつけ、昏倒するイプシロン。
「ああっ、プロデューサー!」
「……かふっ……ふっ…心配ない……美しい私には…美しい血がよく似合う……」
今回も何故か頭に灰皿を喰らっておきながら喀血しているイプシロン。
ヴォルガはイプシロンに示された段ボール箱を担ぐと、踵を返した。
「今は手伝ってやるが!コンサートが始まったらミューの護衛にぴったりつかせてもらうからな!」
そして、なんだかんだ言いつつそのダンボールを特設売り場に持っていくのだった…

「ま…まだ開場一刻前だよな……何でこんなに人が…」
会場の前の広場に集まった人々を見て、クルムは絶句した。
開場までには、彼の言う通りあと一刻以上はある。だが、すでに多くの人々が前に集まり、ひとかたならぬ盛り上がりを見せていた。
入り口横にテントを使って設置されているグッズ売り場はすでに押すな押すなの大混雑。
一足先にグッズを買ったらしい集団も(特製デザインの紙袋を持っているのですぐわかる)会場前の広場ですでに盛り上がっている様子で。
すでに興奮状態で、萌えー!ミューたん萌えー!と叫ぶ者。
彼女の歌を熱唱しつつ、寸分狂わないタイミングでダンスする団体。
彼女の舞台衣装と揃いの服を自作し、女装している者。
「…でも足が……残念なことになって…あっ、あっちの人はちゃんと処理してる……」
いろいろな人がいるものだと感心するクルム。
「……い、いや、そんなこと言ってる場合じゃなかった。警備だ、警備。
なるほど、イプシロンが言っていた通り、ミューのファンは、特異な人が多い。…怪しい人…だらけだなぁ…」

『ファンは…圧倒的に10代から20代の男性が多いね。それも、いわゆる「おおきなおともだち」の系統だ。このようなストーカーに転じやすい客層だとも言えるね』

『おおきなおともだち』の意味がよく判らなかったが、この団体を見てなんとなくその意味を察した。
「これは…どこかで見た事があるな……ああ、そう…確か、新年祭の時に迷い込んだ大きな会場で…」
「ああぁぁぁぁっ!」
クルムが思いを巡らせていると、突然前方から大きな声がした。
「正統派勇者萌えのおにーさんだ!ね!そうでしょ!ね!」
「えっ、え、え……?」
そう、その声は確かに、新年祭の時に迷い込んだ奇妙な会場で、テンション高く話しかけてきた少年のものだった。
「あっ……君は」
年のころは12歳ほど。短く揃えた黒髪に、ディセスなのだろうか、尖った大きな耳と褐色の肌をしている。特徴的な大きなメガネ。あの時とは違う、桃色の法被に身を包み、桃色の鰭を模したカチューシャをつけている。
彼はミューのイラストが施されたうちわでパタパタと扇ぎながら、ニコニコして言った。
「おにーさんもミューたんのファンだったの?奇遇だねぇ」
「えっ…あ、う、うん、そうなんだ」
オルーカの言う通り、ここではミューのファンのフリをしながら警備をしなければならない。クルムは慌てて話を合わせた。
「おにーさんてばあの時、僕がスケッチ道具取って戻ったら居なくなってるしさー。
名前も聞きそびれちゃったぁ。改めて、おにーさんのお名前、なんてーの?」
ニコニコと無邪気な笑みで聞いてくる少年。クルムは苦笑した。
「オレはクルム・ウィーグ。クルムでいいよ」
「うんっ、じゃあ、クルムおにーさんだね!」
「ええと、君の名前は……」
と、クルムが問おうとすると、先ほど少年と一緒にかたまって盛り上がっていた桃色の法被の団体が押し寄せてくる。
「かるろ氏、かるろ氏!そちらの御仁は、かるろ氏のお知り合いでありますか?」
少年よりだいぶ体格のいい男性が、興奮した様子で聞いてくる。
おそらく、かるろし……いや、かるろ、というのが、この少年の名前なのだろう。
かるろはニコニコ笑って彼に答えた。
「うん、そうー。マジ正統派勇者萌えのクルムおにーさんだよ」
「ええと、君は、かるろ、っていうんだね。よろしく」
改めてクルムがあいさつすると、かるろはまた彼の方に笑顔を向けた。
「うん、えすたる亭のかるろだよー♪ていうか、ねね、その猫耳、フェアルーフ限定のグッズでしょ。かわいーじゃーん。僕きっと超絶似合うよねー。あとで買おーっと。
で何、今日は勇者様、あえてミューたんグッズに猫耳を装備するギャップ萌えってやつ?」
かるろの発する意味不明な言葉に混乱しながら、クルムは答えた。
「もえ?いや、そういうのじゃないんだけど?…そ、その、君たちが着てるお揃いの法被、すごいな」
かるろたちが着ている桃色の法被…裾には『ミューたんを死ぬまで愛する会』と書いてあり、背中には大きな文字で『愛羅武美悠』と書いてある…を見ながら、半ば唖然としたように言うクルム。
「あ、これ?手作りだよ。今回のツアー用に徹夜でみんなで作ったんだー。ナノクニ文字なんだよ、すごいっしょ♪
みんなは、ミューたんファンの仲間―」
かるろが仲間たちを紹介するように手で指し示すと、仲間たちは勢いよく喋りだした。
「アイドル雑誌の交流コーナーから付き合いが始まったんでござる」
「はじめの頃は文通だったねー。でも最近は、もっぱらクリスタルの通信で話してるよね」
「かるろ氏のおかげで、メンバーが同時に話せるようになって非常に便利であります。
感謝の思いで一杯であります!」
「ええっ、ここに居るメンバーが、クリスタルで同時に?」
驚くクルム。
「クリスタル通信って、普通は二箇所のクリスタルしか、繋げられないよな。
それってすごい技術なんじゃ…!」
「やー別に、やろうと思えばまだまだ繋げられるけど、さすがに何十人もいっぺんに話したら会話し辛いっしょー。この人数が会話の成り立つ限界だね」
さらりと言うかるろ。
この少年は、見かけによらずすごい技術の持ち主なのかもしれない…と、クルムはなんとなくそう思った。
まあ、途方もない技術の無駄遣いだが。
「クルムおにーさんは、ミューたんのコンサート、これで何回目?」
かるろに聞かれ、クルムは苦笑した。
「いや…今日が初めてなんだけどさ。いろんな人が居て、驚いたよ…」
「初めてなのかー、そらびっくりしたでしょ。
ミューたんファンは、大きなおともだち系の濃ゆーい人ばっかだからねえ。
興奮しすぎて声がおっきくなる人なんてザラだし、コスプレも当たり前。何ここ、萌えフェス会場か!?って、本気で錯覚しちゃうよねー。
だから居心地がいいって言うのもあるけどー。
まあでも、萌えフェスだったらスタッフから退場させられそうなイッちゃってる怪しい人もここにはいるから。気をつけてねー」
「怪しい人?」
そこまできて、ようやくクルムは護衛の任務を思い出した。
「怪しい人って、どういう人なの?」
かるろはうーんと唸りながら、辺りを見回した。
「ミューたんを『オレの嫁』って言って、彼女の歌もメッセージも、全部自分だけに向けられてると本気で思ってる。
想いが重―い手紙とか、プレゼントなんかを贈ったりしてるって噂を聞くよ。
他のファンとは、絶対つるまないんだ。
彼から見たら他のファンは、自分の嫁にちょっかいを出すうざい連中なんだろうねー。
いつも噛みつきそうな血走った目をしてるし、会ったら、下手に近付かないほうがいいね」
ああいうのがいるから、普通のファンも誤解されるんだよねー、と、渋い顔のかるろ。
クルムは重ねて訊いた。
「その人、今日は会場に来てるの?」
「ん?来てるよ。ほら、あそこに」
「えっ」
彼の指差した方向を見ると、人を寄せ付けないオーラを発し、虚空を見つめ、一人ブツブツとつぶやいている異様な人物が。
「…あの人が?」
「やー?ああ、あっちにも」
「えっ?」
「あっちとか、あっちとかあっちにも」
「えええっ???」
かるろの指差す通り、似たような人物があちらこちらにいる。
「……ほ…本当に怪しいファンが多いんだな…。が、頑張ろう…」
なんとなく絶望的な気分になって呟くクルム。
そんなクルムの様子を察しているのかいないのか、かるろは明るい調子でまた話しかけてきた。
「良かったらクルムおにーさんも、僕らのオフ会に飛び入り参加しない?
いっしょに、年末の萌えフェスで本を出そー?新たな扉を開いてみようよー」
「い、いや、それは遠慮するよ……オレには無理そうだし」
苦笑して断ってから。
「な、ミューって、どんなところが魅力的だと思う?」
突然問われて、かるろはきょとんとした。
それから、うーん、と上のほうに視線をやる。
「そぉだなぁ、なんっつっても可愛いよね。愛嬌もあるし、ファンをすごく大事にしてくれてる。
その辺のアイドルと違って、結構歌上手いんだよ。そこはポイント大きいねえ」
「そうなんだ」
「うん。だからわざわざ、あんなコトしなくたって、十分に人気出ると思うんだけどねぇ」
「……あんなこと?」
かるろのもったいぶった言い方に、僅かに眉を寄せるクルム。
かるろはにっこりと笑って、背伸びをして手を上げた。
そして、屈んでいたクルムのカチューシャに触れる。
「クルムおにーさんは、このインカムがあるから、大丈夫だろーね。
がんばって、ミューたんを守ってあげてね♪」
「っちょっ……」
「そんじゃ、クルムおにーさん、またねー♪」
何をどこまで知っているのか問いただそうとする前に、かるろはするりとクルムの手を抜けて走り去っていった。
クルムは呆然とそれを見送りながら、ポツリと呟いた。

「……あんなことって……なんだ?」

恋のバカーズ

「……と、これだけ格好良くなったんだから」
「……なったか……?」
自称『修行』を終え、少し満足したような無表情のジルに、ゼータが控えめにつっこんでみる。
ジルは無視して続けた。
「格好良くなったんだから、この勢いで好きな人に告白させるべきだと思う」
「………え………」
ベータが軽く声を上げる。
「えー、もうそこまで行っちゃうの?」
渋い表情のリュー。
ジルはそちらに向かって言った。
「この機を逃せば、気持ちが後退しないとも限らないし…何より、彼は外見を変えるだけで、まだ見た目のセンスを身につけたわけじゃない」
「まあ、そりゃそうだけど……」
「…ということで」
ジルはベータに向き直った。
「……予行演習。まず、手本を見せるから、それを参考に自分なりの表現でやってみて」
「手本?」
レティシアが繰り返すと、ジルはひとつ深呼吸をした。
そして。
す、と顔を上げたとき、先ほどまでの無表情に少しだけ感情が灯る。
「………っ」
何かを言いかけて、言う事が出来なかったというように目を少しだけ逸らして。
「……いきなり、こんなこと言うのも…変な話かもしれないけど」
淡々とした口調から一変、熱のこもった口調で語る。
さ、と視線を元に戻して。
「実は俺、ずっと前からお前のことが好きだったんだ」
熱い瞳で、訴えかけるように。
「おまえの気持が聞きたい。どんな返事でも、俺は受け入れる覚悟があるから……!」
沈黙。
言われているベータはもちろん、回りの面々も、唖然とした様子でそれを見ている。
と、ジルは何の前触れもなくもとの無表情に戻った。
「……大体こんな感じで。次はゼータ、やってみて」
「お、俺?!」
「格好よくなりたいんでしょ?」
「んなこと急に言われてもなぁ……」
頭をぽりぽり掻きながら、しぶしぶ前に出るゼータ。
「……あー……」
地面を見て、しばし何かを考えて。
それから顔を上げて、ベータの方を見る。
「……今更なんだって、笑うよな。でもいい。聞いてくれ」
妙に真剣な表情で。
口調は少しおどけているが、瞳は真剣そのもの。
ごくり、と固唾を飲んで見守るギャラリー。
「…今でも、好きだ。諦めるなんてできねぇ。
俺のものになってくれ、なんて虫のいいことは言わねぇさ。ただ、好きでいるのだけは……」
「カット」
するどくジルの言葉が遮る。
勢いを失ってつんのめるゼータ。
「なんで?!なにが悪い?!」
「全体的に」
「やっぱ?」
ふぅ、とため息をついて、ジルは再びベータに顔を向けた。
「…ゼータはあまり参考にならなかったと思うけど」
「無理矢理やらせといてそれはないだろ!」
ゼータの叫びも無視して。
「……やってみて。気持ちが高まってる今がチャンスだよ」
「………え、っと……」
ベータは困ったように首をかしげて、しかしジルの視線が逸れないことを察すると諦めたようだった。
「……………」
す、と足をそろえて。猫背ながらも体制を直す。
「……好き、です。あなたの、すべてが。
その気持ちだけでもう、僕は、何も要りません」
ゆっくりと、しかしはっきりと。
いつもより少しだけ熱のこもった声が、ベータの口から紡がれる。
「………」
沈黙。
唖然としてベータを見つめる一同に、ベータは困った様子で肩を落とした。
「………あ、あの、まずかった、でしょうか」
「う…ううん、いいんじゃない?!なんかびっくりしちゃったわ!」
レティシアが我に返った様子で手を叩く。
「そうだねー、無理してない、ベータさんらしい自然な感じで。でも気持ちはすごい伝わってくるよ!」
リューも嬉しそうに頷く。
「………あ……ありがとうございます……」
ベータは照れた様子で俯いた。

「……あの……彼女に告白した時も、こんな感じだったものですから……」

沈黙。
今度こそ正真正銘、固まってしまった4人を前に、ベータはまだ照れた様子で言葉を続ける。
「……その、そうしたら彼女、僕が要らなくても、自分が欲しいんだって言って……て、手を……取ってくれて……それで、その、お付き合い……させてもらえることに……」
「……ちょ」
やっとのことで声を出したのは、レティシアだった。
「ちょっと待って?!その、彼女って、え?!も、もう、付き合ってるの?!」
「……え」
ベータは今更なことを聞かれたようにきょとんとしてから、また照れて俯いた。
「……ええ、あの、一応……」

「「「んなにいいぃぃぃぃぃぃ?!」」」

ジルを除く3人の声がハモる。
「な、なに?!どゆこと?!好きな彼女のためにカッコよくなるって言ったじゃん!」
「………は、はい、その通りですが……」
「え?!彼女を振り向かせるためにカッコよくなるんじゃないの?!」
「……え……あの、僕はそんなことは一言も……」
「…付き合ってねえ、告白してねえ、とは、確かに言ってないよな……」
「でもー!!普通彼女のためにカッコよくなりたいって言ったら、告白するためにって思うじゃない!」
「……そ、そうなんですか……?」
「ま、勝手にそう思い込んだのは俺らのほうだ、ってコトだ」
「…………死ねばいいのに」
ぼそ、と呟いたジルの低い声に、全員がびくう、とそちらを向く。
「じ…ジルちゃん、怒ってる?」
「……別に、怒ってない」
あからさまな怒りオーラを発してはいるがとりあえずそう言うジル。
リューは気を取り直して言った。
「え、じゃ、じゃあ、なんで?もう付き合ってるなら、なんでカッコよくなろうなんて思うの?
いいじゃん、彼女はベータさんのこと、好きなんでしょ?」
「…………」
ベータは少し困ったように沈黙して、俯いた。
「……彼女は、本当に素敵なんです……皆が、彼女のことを好きで…彼女に夢中で……
……そんな様子を見ていたら……僕が彼女の隣にいて、本当に良いのかって……そう思えてきて……」
「あ~そかそか、つれぇよなぁ、身の丈に合わない女好きになるとなぁ」
ゼータが妙に同情した様子で肩をポンと叩く。
「まー、アンタは付き合ってるだけ俺より一歩前にいるが……何か自分で言っててヘコんできたぞ…」
がっくりと肩を落とすゼータを見ながら、ベータは続けた。
「……なら……彼女の隣にいるために…僕が、変わらなくちゃって……そう、思ったんです……」
「うわぁ……」
レティシアが感心したように声を上げた。
「最初はネガティブで心配しちゃったけど、なんだ、ちゃんと前向きなんじゃない!
うんうん、その気持ち、きっと彼女にも伝わるよ!」
「……そ……そうですか……あ、ありがとうございます……」
ベータはまた照れたように俯いて、それから顔を上げて改めて一同を見渡した。
「……あ、あの……よかったら…皆さんのお話も……伺えませんか…?」
「私たちの…って、私たちの恋愛の話、っていうこと?」
「……はい……何か…参考になれば……と思って……」
「恋の話?そーだねー……」
リューが楽しそうに答えた。
「レパートリーでいえば、最近流行りのツンデレ系で『レモンorピーチ?』とか、
昔ながらの恋愛悲劇『カブ・レ・ティー家とモンキー家』とかがあるよ。
それから最近入ったイチオシは、
ロマンスホラー『愛の横笛』だね♪」
しばしの沈黙。
ややあって、ゼータが半眼で訊いた。
「…アンタそれ、人形劇の話か?」
「そうだけど?」
けろりとして答えるリューに、ゼータは手をぶらぶらと振った。
「あーはいはい、お子様はだぁっとれ」
「どういう意味よそれー!」
「言った通りの意味だが?」
ケンカを始めるゼータとリューを尻目に、レティシアが話し始めた。
「恋かぁ……私の恋なら……」
そこで、ぽ、と頬を赤らめる。
「あのね、ミケっていってね、すごく可愛くって、すごく優しくってね、ミケと一緒にいると、とっても幸せなの。
気持ちがね、こう、ほわっとあったかくなるっていうのかなぁ…
あっ!!もちろんドキドキもするの。
まったく気づいてもらえてないのが、泣けるっていうかもう笑うしかないっていう感じなんだけどね」
はぁ、とため息。
「………気付いて…もらえないんですか……?」
おそるおそるベータが訊くと、レティシアは微妙に潤んだ瞳を彼に向けた。
「そうなの!
私の恋は絶賛片思い中なのよぉぉぉーーー!!!!」
胸の前で手を組んで、訴えかけるように絶叫。
「レティシア……アンタ、まだやってたんだな…しかも、まだ進展してなかったんだな……」
それを見て、ゼータが乾いた笑いで言う。
以前依頼で会った時、レティシアとくだんのミケという人物とも一緒だったわけだが、レティシアの熱烈アピールにもかかわらずミケは自分に向けられる好意には酷く鈍感で、暖簾に腕押し状態だったのを覚えている。
レティシアは涙を拭う仕草をして(実際に涙は出ていないわけだが)言った。
「いいの。
いつかは気づいてもらえるかもしれないって、淡い期待を胸に抱いて頑張ってるんだから。
そしていつかは、伝説の木の下で告白して、ウエディングベルを二人で鳴らすの。
そして、白い家を建てて、庭先にブランコを置いて、ミケに似た可愛い子供たちとお庭で遊ぶの~」
「真っ赤なバラと白いパンジーか?」
「それ、多分誰もわかんないと思うよ」
手を組んだまま夢の世界へ旅立っているレティシアを遠い目で見ながら、ゼータとリューが呟く。
「………恋……か………」
そして、別のことを呟いたのは、同じくその様子をじっと見ていたジルだった。
「なんだ、ジルも誰か好きなヤツいんのか?話、聞かせろよ」
ゼータの問いに、ジルはぶっきらぼうに目を逸らした。
「………別に…話すことなんか、ない。
恋なんて……したこと、ないから」
その言葉に、夢の中をさまよっていたレティシアも我に返ってジルを見る。
ジルは目を閉じて首を振った。
「…いや、しちゃいけないんだ。
私は人を不幸にする。私が人を想ったって、迷惑にしかならないんだ。
だから、私には……恋する資格なんてない」
重い沈黙が落ちる。
ややあって。
こつん。
「…ばーか。恋なんて資格があるからするもんじゃねえんだよ。
ガキのくせに何もかもわかったようなコト言いやがって。中二病真っ盛りだな」
ゼータが苦笑して、ジルの頭を小突いた。
ジルは小突かれたところを手で押さえて、ゼータを見上げる。
「恋したいから人を好きになるのか?違うだろ。
人を好きになることを恋って言うんだ。それは誰もが経験する自然なもので、資格もへったくれもねえんだよ。
アンタにもいんだろ?ちょっと気になるヤツとかさ」
「……気になってる人…」
ジルは頭を手で押さえたまま、俯いた。
「……それなら、一人だけ」
「うんうん、どんなヤツだ?」
ジルは手を下ろして、俯いたままどこか遠くを見るような目をした。
「…いつもおどおどしてて、全然頼りないんだけど…でも、一生懸命頑張ろうとするんだ。
それが、ちょっと危なっかしくて。…なんだか放っておけない。
今どこで、何してるんだろう…?」
「いいねぇ、青春だねえ」
ゼータはおっさんくさい口調で言って、近くのベンチに腰掛けた。
「俺がジルくらいの時だっけかなぁ?一番最初は……
その時は『自分を護ってくれる人』に惹かれた。
何で『俺』だったのか…今でも理由は解らないし…今更聞けないけど。
俺にとっては、強くて優しくて格好良い――全部が憧れだったなぁ…。
でも、恋――じゃあなかったかな。今思えば……
当時はこれが『好き』ってことなんだ、『恋』なんだって……もう夢中だったけど――」
「………」
少しだけ心当たりのあるレティシアが、微妙な笑いを浮かべる。
ゼータは皮肉げに笑った。
「――で。恋か……そうだな…」
ベンチの背にもたれかかり、頭の後ろで手を組んで。
晴れ渡る空へ、遠い目を向ける。
「――強く見えるんだけど…何か無理してるな? って思えたんだ」
それを語る表情は、穏やかで…だが少しだけ寂しそうだった。
「でも、それは無理じゃなくて。その子にとっては、当たり前の事で。
誰かに言って、何かをして貰うとか…そんなのは全く考えない子なんだな、と思った。
『強いな』って。それが全部だった」
そして、体制を直して、ベータに向き直る。
「んで、その『無理でも何でも無い事』を少しでも肩代わり出来たら――喜んで貰えるんじゃないかって。笑って貰えるんじゃないかな…って思ったんだ。
俺が、その子を笑わせる事が出来るんだぜ? そうなったら最高だな、って」
嬉しそうな顔で言うゼータに、思わずベータの表情も緩む。
が。
「――頑張ったんだけど――その時は届かなかった。その子には想い人がいたんだ」
嬉しそうな表情を少しだけゆがめて、ゼータは言った。
「ゼータ……」
やはり事情を知っているレティシアが、痛ましげに名を呼ぶ。
一同の表情も、とたんに沈んで。
ゼータは続けた。
「でもそれは俺には関係なくて…やっぱまだ好きだし、あの時の想いは捨てられねぇ。
何で届かなかったか、今でも考えてる。
…その時の俺には色んなものが足りなかったんだよな、多分。
…今でも全然、足りない。
だから、少しでも…欲しいんだよなぁ…色んなものが。
彼女が『格好良い俺』を必要としてるとは、思ってないんだけど」
眉を寄せて、頭を掻いて。
「……つか、彼女が俺に何か期待してるか…何か求めてるかって…考えると…。
解んないんだよ。
多分…何も期待されて、無いと――そう思う。
だから。まだまだ、何にも手に入れて無ぇ俺だけど…
いつかは何かを期待される男になりたいって、俺はそう考えてる」
俯いて、視線を逸らして。
それでもその表情は、力を秘めたものであるように見えた。
「そしたらもう一度、彼女に伝えたい。
『フラレて、結構辛い時間を過ごしてるけど。――それでもやっぱり、好きで――この想いは捨てれそうに無い――』ってな」
顔を上げて、に、と笑う。
沈んだ表情をしていた一同が、ふっと笑顔になった。
ゼータは再び、ベンチにもたれて頭の後ろで手を組んだ。
「…『格好良い男』って、何だろうなぁ…。
俺にとっての『格好良い』と、彼女の『格好良い』ってのは全然違うのか…それとも、『格好良い』ってのは事は。最後は同じトコに辿り着くのか――」
ふぅ、と大きなため息をついて。
「彼女にとっての『格好良い』の先に、彼女の想い人がいる……のかっつったら、そりゃちょっと違うような気はすんだよな。だからって俺がいるのかって言われりゃ、ちょっとどころの騒ぎじゃないんだが。
――別に、格好良いと思われたい訳じゃないけど…なんか凹んできたなぁ…
なんせ、彼女がソイツと一緒にいるのが一番自然だって思う俺がいるんでなぁ…」
苦笑するゼータに、つられて苦笑するレティシア。
「まぁ、まずは、この負け犬な感じを何とかしないと、だな。
ベータの言う通りだよ。隣にいたいなら、俺が変わらなくちゃなんねーんだ」
「……ゼータさん………」
ベータはまた少し照れたように、呟いた。
「よっしゃ!んじゃ、一息ついたところで、続きをやるかぁ?!」
ゼータは勢いをつけて立ち上がり、他の面々も表情にやる気をみなぎらせる。
「じゃあ、さっきも言ったように髪を整えてヘアメイクね!美容院にレッツゴー!
ついでに私お得意のスキンケアもやってあげるからね!ふふふ、覚悟しなさいよ~」
レティシアがウキウキした様子でベータの背中を押した。それに続く残る3人。
「……あ……お、お手柔らかにお願いします………」

あなたの服を数えましょう

「あ、もうリハーサルは終わったんですか?」
楽屋に入ってきた暮葉を、ミューは笑顔で迎えた。
「はいっ☆暮葉さんも、見回りは順調ですかぁ?」
「ええ。コンサートが始まったら、この楽屋を重点的に見張らせていただこうと思って、ここに」
「そうなんですかぁ……あれぇ、暮葉さんは、ナノクニの服のまんまなんですねぇ」
他の者達はそれなりに服を着替えているが、暮葉だけは元の服のままだった。
暮葉は恥ずかしげに苦笑した。
「あ、はい。私は外には出ませんし、舞台の方にも行かないので…特に着替える必要はないかと思って」
「あ、そうですよねぇ」
ミューは話しながら、鏡に向かってスキンケアをしているようだった。
暮葉は改めて、楽屋全体を見渡した。
「それにしても…たくさんのお花ですね…」
関係者から送られてきたものなのだろう。狭い室内に色とりどりの花が飾られている。
「はいっ☆ミューのために、たくさん贈ってくれるんですよぉ☆」
「それが前回は、全部切り裂かれてしまったのですよね?」
「はいぃ…ミュー、とっても悲しかったですぅ」
「楽屋には…窓がひとつ、ですね」
暮葉は言って、窓に歩み寄った。きっちりと締められたカーテンの隙間から、施錠を確認する。
「入り口の鍵は、結局どうなったんですか?」
暮葉が訊くと、ミューはケアを一時中断して彼女のほうを向いた。
「それなんですけどぉ、やっぱりこういうところって、内鍵はあっても外からかける鍵のある部屋って限られてるんですよぉ。今日鍵つけてって言って、すぐにつけられるものじゃないじゃないですかぁ」
「まあ……そうですね」
「だから、プロデューサーが施錠の魔法を教えてくれたんですぅ。ミューの魔力でドアを固定しちゃえば、ミューの魔力に反応してしかドアは開かないようになりますぅ☆」
「あ、そうなんですか……それならば安心ですね」
暮葉はにこりと笑った。
「では念のため、私はこの楽屋の中で見張らせてもらいます。万が一ということもありますし」
「わかりましたぁ☆よろしくお願いしますねぇ☆」
ミューはにこりと笑って、またスキンケアに戻った。
暮葉は再び、楽屋のあちこちを見て回る。
「それにしても……すごい数の衣装ですね…これ、今日全部着るんですか?」
空いたクローゼットに納められている十数着の衣装を見ながら、暮葉は感心したようにため息をついた。
ミューはスキンケアを終えた様子で、立ち上がって彼女のほうを見た。
「そうですねぇ、いくつかは舞台袖に持っていってそこで着替えるんですけどぉ、最初とか、大きな休憩の時はここに戻ってきて着替えるんですぅ。曲によって決まってる衣装とかもあるんですよぉ☆」
「へぇ……すごく…フリフリですね……」
暮葉は必要以上にフリルのついたその衣装を、恐る恐る手にとってみる。
「ほんとに着るのこれ……?」
独り言のように呟く。
そしてミューの方を見て、それから自分の体を見て、また服を見て。
「…………」
じぃっと、食い入るようにそのピンク色の衣装を見つめる。
ミューは楽しそうに、とととっ、と暮葉に近寄った。
「着てみたいですかぁ?」
「えぇっ?!」
ミューの言葉に、内面を見透かされたような気がして思わず大声を上げる。
ミューはニコニコしながら言った。
「ミューと暮葉さん、服のサイズそんなに違わないと思いますしぃ、まだ本番まで時間がありますからぁ、暮葉さんも、是非着てみましょうよぉ☆」
「えっ……あの、でも、これはミューさんの商売道具ですし、勝手に扱うのは…」
「ミューがいいって言ってるんだもん、勝手じゃないですよぉ☆暮葉さんに、きっと似合いますぅ、さぁさぁ、着てみて下さいよぉ☆」
「え、ええっと……じゃ、じゃあ、少しだけ…」
少し照れて暮葉が言うと、ミューはにこりと微笑んだ。

「あ…あの…どうでしょうか……」
暮葉はやや照れながら、くるりと回って見せた。
ピンク色のフリルのついたスカートが、ふわりと広がる。
「うわぁ、かわいいですぅ、暮葉さん☆」
パチパチと手を叩いて喜ぶミュー。
「そ、そうですか……ありがとうございます……」
「暮葉さん、さっき着てたみたいなナノクニの…えっと、キモノ?もすっごく似合いますけどぉ、そういうフリフリの服もチョー可愛いですよぉ☆
そういうの着たりしないんですかぁ?」
「あ……ええ、あの、おじいさまのお屋敷にいた頃は、むしろこちらで着るような服を着ている事が多かったのですけど。旅に出るようになってからは、ずっとこの服に」
「冒険者さんなんですよねぇ。そういう服って、動きにくくないんですかぁ?」
「皆さんそう仰いますけど、実はそうでもないんですよ。私はこう見えて、体術を得意としておりまして…まあ、その体術が、こういった服を着ていても邪魔にならない無駄のない動きであるということもあるのでしょうが…」
「体術ってぇ、格闘技みたいなやつのことですよねぇ?」
「え、ええ、分類としてはそうなりますね」
「うわぁ、すっごぉい☆かっこいいですねぇ☆ミュー憧れちゃうなぁ」
「そ……そうですか?」
暮葉は少し照れたようだった。
「でも、ミューさんも…アイドルをしていて、たくさんの人を虜にしているのですから…それは、すごいことだと思いますよ」
暮葉が言うと、ミューは少し苦笑した。
「そうですかぁ?でも、ミュー……たくさんの人に好かれるよりも、たった一人、一番好きな人に、一番好きでいてもらいたいなぁ……」
「……ミューさん?」
少し暗い表情になったミューに、心配そうに声をかける暮葉。
と、ミューは急に明るい表情になった。
「なぁんてねっ☆ミューのことだぁいすきなファンのみんなは、ミューもだぁいすきなの☆
今日もみんなのために、ミュー、一生懸命歌うんだぁ☆」
「ミューさん……」
暮葉が何と声をかけようか戸惑っていると、こんこん、とノックの音が聞こえた。
「ミューちゃーん。そろそろメイクして本番に備えてくださーい」
「あっ、はぁい☆」
ミューはそちらに声を返して、また暮葉のほうを向いた。
「じゃあ、そろそろスタイリストさんが来ちゃうからぁ、暮葉さん、急いで着替えてねぇ☆」
「あっ……は、はい…」
暮葉は慌てて服を脱ぎ始めた。

「じゃあ、暮葉さん、行ってきますねぇ☆鍵魔法かけちゃいますけど、平気ですかぁ?」
スタイリストにきっちりとメイクをしてもらったミューは、先ほどにましてきらびやかで、可愛らしく見えた。
暮葉は笑顔で頷く。
「はい。私はずっとここで待機していますから、ミューさんはがんばってきてくださいね」
「はいっ☆それじゃあ、行ってきまぁす☆」
ミューは言って部屋を出ると、扉を閉める。
ややあって、扉が魔力に包まれた気配がした。
「これで…入り口の鍵は問題ないな」
ミュー自身の魔力でしか開かないというのなら、鍵が外部に漏れる心配もないだろう。
窓も先ほど自分がきっちり施錠の確認をした。少なくとも、この部屋に物理的な侵入は不可能だ。
「でも…念には念を入れなければ」
言って、暮葉は再びあたりを見渡した。
「……さっきも思ったけど…このクローゼットの裏とかがいいだろうな」
言って、クローゼットの中の衣装を上手に外に移し、その代わりに自分の身を隠した。
あとは、この扉を閉めれば…自分の姿は完全に見えないはずだ。
ぱたん。
暮葉は中から器用に扉を閉め、息を潜めて気配を消した。
物理的には進入不可能なこの部屋に何者かの気配がしたら……それが、ストーカーだということだ。
相手は一人とは限らない。先ほどの話でそんな意見も出たはずだ。
気合を入れてかからなければならなかった。

遠くの方から、明るい音楽が聞こえてくる。
コンサートが始まったのだろう。
聞いてみたい気もしたが、今は護衛の任務の方が優先だった。
気配を顰め、外の気配を探り続ける。
と。

と。ととっ。

複数の人数の足音がして、彼女はかすかに身を震わせた。
「…………」
くぐもっているので何を言っているのかは判らないが、明らかに人の声。
それも、複数。
この部屋に入った…すなわち、ストーカー。
ひゅう。
暮葉は息を吸い込み、そして勢いよくドアを蹴った。

ばたん!

「何者です!!」
向かい合ったストーカーたちは、5人という大人数だった。
一番前に立っている、そばかす顔の身奇麗な青年が、大きく目を見開いて彼女のほうを向いている。
暮葉はきっ、と彼らを睨み、そして鋭い声で、言った。
「…あなた達が、ミューさんを付け狙うストーカーですね?
こうして現場を抑えた以上、言い逃れは出来ません。覚悟なさい!」
「……ス……っ」

「ストーカー?!」

ストーカーたちの頓狂な声が、楽屋にこだました……

決戦は安息日

「……ど……どう……でしょうか……」
スッキリと梳かれ、額を出してふわっと散らされた髪。
特徴的なそばかすは、やや垂れ気味の愛らしい緑の瞳をそこはかとなく引き立てていて。
薄緑のチェック模様のシャツは、ボタンをすべて開けて下に着ている濃緑のアンダーウェアを見せている。
僅かに覗く鎖骨の辺りに、細い銀の鎖が絡んでいて。
モスグリーンのやや大きめのパンツに、白いスニーカー。可愛らしい少年の魅力を前面に出したコーディネイトだ。
「うんうん、いい感じ。まだちょっとだけ猫背なのが気になるけど…だいぶ良くなったよ!」
「いいんじゃねえの?初め会ったときと同一人物にゃ見えねえな~」
「………いいんじゃないかな」
「あとはもう、アタックあるのみだね!」
4人の絶賛を次々に受けて、戸惑った様子のベータ。
「……そ、そうですね……ありがとうございます……」
「じゃあ、早速、生まれ変わったベータを彼女に見てもらわなきゃ!
彼女はどこにいるの?」
レティシアの質問に、ベータはええと、と空を見た。
もうすっかり日も傾き、そろそろストゥルーの刻になろうかという頃。
「……今は…仕事をしてると思います。
……控え室があると思うので……そこで待たせてもらえたらと……」
「控え室?なんか大掛かりな研究でもしてるの?それも、わざわざヴィーダで」
「……あー……それは、説明すると長くなってしまうので……いずれ……」
「そう。じゃあ、早速行こうか」
「…あ、ちょ、ちょっと待って下さい……」
やる気満々のレティシアを、ベータは慌てて止めた。
「?どうしたの?」
「…ええと……その、研究……してる場所、というのは…ちょっと、特殊な場所で……
……あの……みなさんも、行かれる……んですよね?」
「………そうだねえ、行きたいな、せっかくだし。成果を見たいよね」
リューが当然のことのように頷く。
ベータは困ったように視線を泳がせた。
「…あの……要するに、一般の方は立ち入り禁止……になっているんですよ。
…その……いろいろ、事情がありまして……」
「そうなんだー。でも見てみたいなー、ベータの彼女」
「ここまで協力したんだ、最後お預けってのはナシにしようぜ?」
「控え室でおとなしく待ってるからさー。お願い、ベータさんの顔パスで入れてよ?」
食い下がる協力者達。
ベータはふう、と息をついた。
「……わかりました。……あの、今一番忙しい時で、手続きとか取っている余裕がないと思うんです。
……ですから、皆さんに内緒で、行きます。……絶対、控え室から出ずにおとなしくしていてくださいね……?」
「………わかった」
ジルが淡々と頷き、ベータは不安そうな表情で、別に取っておいた道具袋からなにやら手のひら大のバッジのようなものを出した。
「…なんだ、それ?」
「……僕と彼女が持っています、簡易転送装置です。一方を使うと、もう一方のある場所まで瞬時に移動できます」
「なるほど、彼女はそれを控え室に置いてるはずだから、それを使えば一気に控え室に行けるっていうワケね」
レティシアが言うと、ベータは頷いた。
「……では、出来るだけ僕の側に寄って下さい……」
ベータの言葉に、4人は彼の側に歩み寄った。
「………行きます………」
ベータは言って目を閉じると、先ほどのバッジのようなものに手を当てて、小さく呪文を唱える。
瞬間、5人の姿はそこから掻き消えた。

ふっ。
とと、とすとす。
瞬く間に周りの景色が変わり、5人は軽い音を立てて床に降り立つ。
「な……なにここ?トイレ……?じゃないか……」
あたりを見渡せば、まず目に飛び込んでくるのは何枚もの鏡。壁に沿っていくつも並んでいる。鏡というか、化粧台なのだろう。すぐ前の机にはいくつもの化粧が並び、急いで化粧をしていきましたといった風情で使いかけのものが放置されている。
そして、ハンガーに吊るされて並んでいる、きらびやかな衣装。あちこちに飾ってある豪華な花々。
「………ひょっとして……ここ……楽屋?」
と、レティシアが言った、その瞬間。

ばたん!

クローゼットのドアが大きな音と共に開き、中から何者かが飛び出る。
「何者です!!」
部屋の中に響いたのは、女性の声だった。
肩口で切りそろえられた黒髪、落ち着いているようだが鋭い光を放つ瞳。
そして、何よりも目を引く、鮮やかな模様で彩られたナノクニの服。
「?!……暮葉……!」
ジルが驚いて小さく声を上げた。
暮葉と呼ばれた少女は、油断のない視線を彼らに向け、静かに言った。
「…あなた達が、ミューさんを付け狙うストーカーですね?
こうして現場を抑えた以上、言い逃れは出来ません。覚悟なさい!」
「……ス……っ」

「ストーカー?!」

5人の声が、綺麗にハモってこだました………

「~次回予告~
……苦難の末『男としての十七の武器』を手に入れたベータ。
しかし、更なる試練がベータに降りかかる。
襲いかかる刺客。巻き起こるハプニング。足を引っ張る仲間…
時を同じくして、彼の想い人にも未曽有の危機が訪れようとしていた…
ベータはすべてに立ち向かうことができるのか?
そもそも、彼はちゃんと変われているのか?
次回『愛と平和の天秤』
今、愛の拳が壁を砕くとき…!」
「おいっ、誰に向かって喋ってんだ、ジル?!」
「………読者」

…To be continued…

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