Nixe Clements

そういえば、無理やり結婚させられそうになって家出てきたんだったな、なんて、
いまさら人ごとのように思い出す。

結婚、なんて。ただただ面倒で、何のメリットもなくて、オレの人生を食いつぶすだけのもの。
そんなものに食いつぶされるくらいなら、何もかもを捨てて、自分の力だけで得たもので生きていきたい。

本当に、そう思ってたんだ。


つい、このあいだまでは。

愛しのあの子に似合うものは

「へぇ、なかなか賑わってるな」

ニクスは楽しげにあたりを見回しながらひとりごちた。
継承祭に賑わうバザール。新年祭と間違うほどの、いやそれ以上の賑わいだ。
ここ最近はフェアルーフを離れて、諸外国でトレジャーハンターの仕事を多くこなしてきた。久しぶりに立ち寄ったウェルドの港で、継承祭なるものが開催されていると聞き、骨休めついでにヴィーダに来たというわけだ。
「ここまで賑やかになってるとはなぁ。ここの通りは何度も通ってきたはずなんだが、まるで雰囲気が違うなこいつは」
さすがに世界随一の大国、そしてその首都というべきか。その王位継承の祭りともなれば、賑やかさはほかの国の比ではない。
いつもは商店街として賑わうこの界隈は、そこにさらに国内各地の地域からの出店があふれ、さらに賑わいを見せていた。
「せっかくだからな、その辺の出店でも眺めてあかりに土産でも買っていってやるか」
言いながら頬を緩めるニクス。
あかり、とは、彼の想い人の名だ。親元を離れ、今もこの街に暮らしているはずだ。
すぐ近くに彼女がいる、と思うだけで、心がはやる気がした。

「はーい見てってくれよー!フォラ・モントの金細工だよ!金の質も細工の質も一級品、継承祭を祝っての特別価格だ!今見ないと損するよ!」

買い手の心をくすぐるおなじみの呼び込みに、ニクスは足を止めてそちらを見た。
立ち並ぶ出店の一角に、金細工を並べている店がある。商品の奥では、ヴィーダで見るにしては少しやぼったい服装の青年が、威勢よく呼び込みを行っていた。
彼の前に並ぶ金細工に目を引かれ、そちらに足を進めていく。
「ちょっと、見てってもいいか?」
「もちろん!見てってくれよ、どれも一級品だぜ!」
「へぇ……」
店頭に並ぶ金細工をしげしげと見つめるニクス。
「ああ、そういやシェリダンじゃ下町にもこういう露天商が商売してたなぁ…」
「兄さん、シェリダンから来たのか?」
「ああ、まあ、来たというか…シェリダンの出ではあるな。今は世界を回ってる。トレジャーハンターというか…まあ、冒険者みたいなもんだな」
「そうなのか!かっこいいな!」
屈託なく笑う青年。ニクスは少し照れ臭げに苦笑した。
「そうでもないが…まあ、誉め言葉として受け取っとくよ」
「俺もちょっと前に、冒険者さんにはたくさん世話になったしな。世界を冒険して、強い敵をやっつけるって、やっぱかっこいいと思うぜ」
「そうか?こんなに綺麗な金細工を作ることも、かっこいいと思うぞ?」
並べられた金細工の一つを手に取り、しげしげと眺めるニクス。
「シェリダンの露天商で売ってたのより、かなりしっかりした細工モンだ。フォラ・モントといったか、ヴィーダの近くにある都市か?」
「いや、すげー田舎だよ。ここから馬車で三日くらいかかる山奥の村だ」
「そんなに遠くから来たのか。これだけの金細工なら、買い手もそこそこいるだろう?」
「昔はな」
青年は苦笑してひらひらと手を振った。
「昔は、ウチの金はすげー値が付いたんだ。それこそ、ヴィーダの金持ち連中はこぞってウチの金を欲しがった。その頃は、ウチの金はなんつーか…ヤバいくらい綺麗でさ。細工もそうだが、まずその金そのものに付加価値がついてたんだよ」
「へえ…昔は、ってことは、今は違うのか?」
不思議そうに尋ねるニクスに、青年は神妙な表情で頷いた。
「ああ。ヤバいくらい綺麗だった金は、やっぱりヤバいものだったんだよ。冒険者さんに世話んなったってのは、その辺の事件を解決してもらった、ってことでさ。だから冒険者さんには感謝してるし、かっこいいと思ってるんだ」
「なるほどな…しかし、この金の質も、細工の腕も、アンタが言うように一級品だと思うぜ?」
「だろ?」
へへっ、と、青年は得意げに笑む。
「前のがヤバかっただけで、オレらの作るもんはフツーにすげえんだって、胸張って言えるよ。だから、金持ち連中でなくたって、オレらの作るもんをわかってくれる人はぜってーいる。そんで、わかってもらうためには、こっちから行かなきゃダメなんだって思ったんだ。それで、ヴィーダまで来たんだよ」
「そうか……」
ニクスは眩しげに青年を見た。
「わかってもらうためには、こっちから行かなきゃダメ…か。やっぱりオマエ、かっこいいよ」
「へへ、ありがとな。さ、気に入ったもんがあったら見てってくれよ。あんま負けられねーけどな!」
「いや、そういう事情なら定価でいただくさ。…そうだな、黒髪に金細工は映えるな…女性用のイヤリングで良い奴はないか?」
「女性用のイヤリングか…」
「丸顔だから、尖ったのじゃなくて果物をあしらったようなだな」
「いやに具体的だな。兄さんの恋人か?」
「ん、まあ、そんなところ、か…?」
少し照れたように頬を掻くニクス。
青年はにまりと笑みを浮かべて、それから店頭の商品を一つ一つ吟味した。
「果物か…可愛い感じなら、この辺の桃か…チェリーなんかもかわいいな。イチゴもいいだろ」
「なるほど…どれも甲乙つけがたいな……」
むむむ、とうなるニクス。
と、そこに。

「……あれ、もしかしてニクス?」

突然名を呼ばれ、腰を上げて振り返るニクス。
そこには。

「ミルカじゃないか。久しぶりだな」

まさに、くだんの想い人と知り合った事件で行動を共にした少女がそこに立っていた。
彼女は嬉しそうに破顔してこちらに駆け寄ってくる。
「お久しぶり!今はヴィーダにいるの?」
「ああ、つい最近ウェルドに来てな、継承祭ってのやってるっていうからヴィーダにも来てみたんだ。賑わってるな」
「そうね、ここ最近で一番のお祭り騒ぎよ」
と、彼女の後ろにいた連れらしき人物がひょいとのぞき込んできた。
「ミルカ、知り合い?」
ショートカットにした赤髪のボーイッシュな少女だ。青い髪のミルカといろいろな意味で対照的な感じがする。
「あ、うん。前にほら、ナノクニに行った時に一緒だった冒険者の…」
「ニクスだ。ミルカの友達か?」
ミルカの紹介に合わせるように挨拶をすると、少女は屈託なく微笑んだ。
「そう。カイだよ。よろしくね」
「よろしく」
軽く握手を交わしたところで、カイの表情がくわっと驚きに変わる。
「ニクス……ってああ!あかりの彼氏だっけ?!繋がったわ」
とつぜん想い人の名が飛び出し、こちらも驚くニクス。
「あかりを知ってるのか?」
「わたしたち、クラスメイトだもの」
その問いにミルカが答えると、ニクスはああ、と思い出したように頷いた。
「そういえば、魔法学校に通ってるって言ってたな……」
「その『そういえば』はわたしにかかるのかしら、あかりにかかるのかしら」
ニヤニヤと冷やかすような笑みを向けるミルカ。
ニクスはふっと表情を崩して、彼女に問うた。
「あかりは元気か?……こはくも」
「こはくのついで感」
「い、いやそんなことは」
「元気にやってるわよ。毎日楽しく勉強してるわ。ニクスにも会いたいって言ってたわよ?」
「そうか……」
少しくすぐったそうに微笑むニクス。
で、と、ミルカは彼の後ろの金細工露店に目をやった。
「何見てたの?アクセサリー?」
「あ、ああ、金細工だそうだ」
なんとなくどぎまぎしてそちらに目をやるニクス。
それに便乗するように、露店の店主がにこやかに声をかけた。
「お嬢さんもどう?可愛いアクセサリーもあるよ!」
「金かー、きれいだけどちょっと貧乏学生には手が出ないかなー。あっ、でもそこそこお金持ちの友達ならいるから、お店の宣伝しておくわね!」
「そりゃーありがたい。じゃあ、この兄さんのアクセサリー選びも手伝ってやってくれよ」
「あっおい」
再度慌てるニクス。
ミルカはまたにこりと微笑みかけた。
「あかりは桃が好きらしいわよ」
「うぇっ?!」
ぎょっとするニクスに、にこにこしながらさらに続けるミルカ。
「今ね、お祭りだからみんなであちこち回ってるの。あかりとこはくも別のところ回ってるけど、後で合流する予定なのよね」
「ほ、ほう…?」
「…ニクスは?」
「…もう少しこのあたりを見て回ったら、少し休憩しようかと思ってたところだが…」
「ご休憩」
「ごは余計だ」
「喫茶店とかで?」
「ああ…そういえば、前にうまいハーブティーを入れてくれたところがあったな…確か、ハーフムーン、だったかな」
「ハーフムーンね。カイ、知ってる?」
「ああ、オルーカと行ったことあるよ」
「オルーカとも知り合いなのか?」
世間の狭さに驚くニクス。
「うん、オルーカも学校のイベントごとに参加したことがあってさ。それで」
「なるほどな…」
納得したところで、ミルカはしゅたっと元気よく右手を上げた。
「じゃあ、あとでハーフムーンでね!」
「待て、どうしてそうなった」
「えっ、あかりを連れてきてほしくない?」
「連れてきてほしいですすみません」
意外に素直に謝ったニクスを微笑ましげに見てから、ミルカは改めてニクスに手を振った。
「あとで絶対、あかりとこはくを連れてくるからね!またねー!」
「ああ、またな」
ミルカの姿が見えなくなるまで見送ってから、ニクスは嘆息して店主を振り返る。
「………桃のやつ、ひとつ」
「まいど。しかし、女ってやつは怖えなぁ」
「ああ、まったくだ」
金と品物の受け渡しをしながら、店主と頷きあうニクス。

いつの世も、恋する乙女の強さと勢いには、誰も敵わないものだ。

愛しのあの子との将来は

さらにバザールを進んでいくと、露店だけではなく様々な店が軒を並べていた。
斜め後ろくらいから漂ってくる釜飯のいい匂いと、どこかで聞き覚えがあるような野太い女性口調が非常に気になったが、必死に聞こえなかったふりをして足早に通り過ぎる。
そして釜飯の匂いがしなくなったころに、ふと目に留まった看板があった。

「占いの館…?」

紫色の布に黄色い星の模様がちりばめられた小さなテントに、申し訳程度の看板が飾られている。
ニクスのつぶやきに、テントの傍らにいた獣人の青年がにこりと微笑みかける。
「占い、ご希望ですか?」
「ん、ああ…ちょっと気になってな。アンタがやるのか?」
「いや、俺は護衛と手伝いです。占い師は中にいますよ。今は空いてますから、すぐ見られます」
言って、ぺろりと入り口の布をめくる。
「お客さんなのー?」
妙にのんびりとした、かわいらしい声。それに違わず、中からひょこりと顔を出したのは可愛らしい少女だった。
二つに結われた、ふわふわの白い髪。対照的な、ウサギを連想させる紅い瞳。顔の両側からはふさふさの耳がのぞいていて、護衛と名乗った青年と同じく獣人か、少なくとも人間以外の種族であることがうかがえる。
ニクスは意外そうに眉を上げた。
「おっと、今までオレの見てきた占い師となると、怪しげな雰囲気やら年季の入ってそうなバーサンが大抵だったが、これはなかなか可愛いお嬢さんだな。ひとつ頼んでみるか」
「はーい、どうぞなのー」
少女はニコニコしながら入り口の布を上げ、ニクスに中に入るよう促す。
テントは人が二人入れば狭いと感じるほどの大きさだったが、中は神秘的な空気に包まれていた。
「そこに座ってねー」
促され、中央の椅子に座る。
正面のテーブルの向こうに占い師が座り、改めてにこりと笑いかけた。
「何か、道に迷ってるのー?」
「え、いや、特に迷ってるわけじゃないんだが……」
気まずそうに頬を掻くニクス。
占い師はニコニコしたまま首を傾げた。
「じゃあ、何を見てほしいのねー?」
「そうだなぁ……」
うーん、と考えて。先ほど買ったアクセサリーのことが頭をよぎる。
「…まだ相手の年が足りんから大分先の話だが、オレが無事に結婚できるのか占ってくれ」
「けっこん?」
きょとんとして繰り返してから、占い師はまたにこりと微笑んだ。
「わかったのねー。ちょっと待ってるのー」
す。
テーブルの中央に置かれたカードの束に占い師が手をかざすと、それに呼応するようにカードがふわりと浮き上がり、中から数枚のカードがひとりでにすっと飛び出てテーブルの上に着地した。
「うおっ、すごいな……」
感心したようにつぶやくニクス。
パフィは端に並べられた3枚のカードから順にめくり始めた。
「これは過去のカードなのねー。ファルスの逆位置…トートの正位置…ガルダスの正位置……強い抑圧とそこからの脱却……結婚のことを占ってこのカードが出るなら……意に染まない相手との結婚を強いられ…そこから脱出してきた……」
「すごい、当たってる」
ニクスはさらに驚いたように眉を上げた。
「オレはシェリダンの出でな。テーベィではそこそこ名のある商家の三男坊でさ。兄貴が継ぐことになってたし、オレは好き勝手やってたわけよ。そしたら、落ち着きがないからさっさと身を固めろとかで、見も知らねえ女との縁談を組まれてさ。だから家を出てきた」
「そうだったのねー」
「世界を回って、自分の稼いだ金で暮らして、いろんな奴らも見てきてさ。今考えてみりゃ、親がやったこともちっとは理解できなくもないが……ま、それだけだな。
親のやることはわかるが、オレがそれに従う道理もない。憎くはないが、懐かしくも恋しくもない。完全に別の道を歩いてる、別々の人間だからな」
「それに迷いがないなら、その道は正解だったと思うのー」
「はは、ありがとよ。それで、次は?」
ニクスに促され、さらに次の3枚のカードをめくる占い師
「これは現在のカードなのねー。ディーシュの正位置…ムウラの正位置……ルヒテスの正位置。安定した愛情、大きな波風もなく、ゆっくりと、でも確実に愛を大きく育んでいける…離れて暮らしていても揺らぐ心配は無用…真心のこもった贈り物と、心通わすひとときは大事にするといい……」
「ん、じゃあプレゼント買ったのは正解ってことだな」
またも今の状況を言い当てられた気がして、内心舌を巻きつつも、安心したように息をつくニクス。
「んで?そっちが未来のカード、ってことか」
「そうなのー。んーと……エミリアスの正位置…?」
「うぉっ」
ひらりと占い師がめくったカードは、大きな斧を持った勇壮な女神がそれを振るわんとしている図だった。
「一瞬、持っている武器があかりの親父さんのマサカリに見えたような…いやそんなまさか、なぁ…ははは」
あかりの父親は大層彼女を大事にしていて、彼女に付く虫候補であるニクスをかなり警戒している。今は遠く離れた、しかも厳重な結界の向こうにいるはずだが、あかりに近づこうとすると妙な気配がする気がしていて、あかりの年齢うんぬん以前に近づくことに気力が必要だった。
乾いた笑いを浮かべるニクスに、占い師はくすっと笑って続きのカードを引いた。
「ストゥラミアの逆位置、ミドルヴァースの正位置………んむー、望む未来の前には大きな障壁があるのねー」
「障壁……か」
「さっき言ってた、大きな武器を持つ大きなもの、かなー?」
「やはりそうか……」
がくりと肩を落とすニクス。
未来のことだが、この占い師の腕は確かなようで、預言にも欠片の疑いも持たない。
占い師は続けた。
「その障壁を打ち壊すことができれば、望む未来が待ってる……っていうことなのねー」
「打ち壊すったってなぁ……」
あかりの父の力が大きいことはもちろんだが、何より想い人の父だ。まかり間違って大きな怪我を負わせたりするようなことは避けたい。
眉を寄せて唸るニクスに、占い師はさらに続けた。
「打ち壊すっていうのは、なにも力づくで破壊することだけじゃないのねー。誠心誠意向き合って、心の壁を崩すことも、そのひとつだと思うのー」
「心の壁を崩す…か」
「過去、自分を縛ろうとする親から、自由を勝ち取るためにそこを去ったけど……本当は、別の道もあったかもしれないのねー。強制された伴侶でも、会ってみたら意外といい人だったのかもしれないのー。それとか、親ととことん話し合って、説得して、自分の生きたい道へ進むために、正式に婚約を断ることだってできたかもしれないのー」
「……いや、そんなことをして聞くやつらとは……」
「責めてるわけじゃないのー。その時に逃げる判断をしたなら、それが運命で、今迷いがないなら、それは正しい道だったのねー。さっきも言ったのー。
でもねー、未来に立ちはだかる障壁は、その向こうにしか望む未来がないものなのー。望む未来が大切で、かけがえのないものなら、わかってもらうまでこっちから向き合うことがとっても大事なのー」
「わかってもらうまで、こっちから向き合う……か」

奇しくも、先ほどの露天商も同じことを言っていた。
かつて、ニクスは将来を強要してくる家族を嫌い、家を出た。それは、その時には必要なことだったし…もっと言えば、向き合って説得するほど、彼にとって家族とは執着のあるものではなかったのだ。
子供の頃から、後継ぎとなる長男ばかりに構い、ほとんど放っておかれた自分。それなのに、放蕩息子が家名を汚す前にさっさと片付けてしまえとばかりに、一方的な縁談を押し付けてきて…正直言えば、うんざりだった。説得の通じる相手ではないと思ったし、説得して自分をわかってもらおうとするほどの価値も自分にとってはなかった。思えば、家を出るより昔から、ニクスにとって家族は『完全に別の道を歩いてる、別々の人間』だったのだろう。

しかし、占い師が言う『望む未来』は、そうではない。
初めて、自分から得たいと思った。想いを通わせ、同じ未来を歩き、新しい「家族」になりたいと願った、大切な存在。
その未来を勝ち取るためには、やはりその「大きな障壁」に対し、誠心誠意、わかってもらうまで向き合うしかない。
たとえそれが、どれだけ大きな障壁だったとしても、だ。

「…ありがとな。改めて、頑張ろうって思ったよ」
ニクスは妙にすっきりとした表情で、占い師に微笑んだ。
「よかったのー」
占い師も、嬉しそうに微笑みを返す。
「この後、待ち人に会えるって出てるのねー。予定通りに行動するといいのー」
「そんなことまでわかるのか……わかった、そうするよ。お代、ここに置くな」
「ありがとなのー」
ひらひらと手を振る占い師に見送られ、テントの外に出る。

テントの中が暗かったこともあるが、外に出ると眩しい光が目を焼いた。
片腕でそれを遮るようにして空を見上げれば、祭りにふさわしい雲一つない空が広がっている。
ニクスはそのまま腕を上げて伸びをすると、軽い足取りでその場から歩き出した。

喫茶ハーフムーンに向かって。

愛しのあの子と紡ぐ未来

「いらっしゃーい」

からん。
涼しげなドアベルを鳴らして中に入ると、マスターが陽気に彼を出迎えた。
「おっ、お客さん久しぶりじゃーん」
「…覚えてるのか」
「一度来たお客さんは忘れないよー。ささ、どーぞ座って」
カウンターを示され、素直にそこに座る。カウンターの中には以前来た時と同じ、マスターともう一人、執事然とした男性が皿を磨いていた。
カウンターの端には客が一人。あまりこの店の雰囲気に似合わなそうな、長い金髪の美人だった。そして、カウンターの出口のそば、言ってみれば店の隅っこに一人、何故か子供がちょこんと座っている。テーブル席でもない、丸椅子にちょこんと腰かけて、体のサイズ相応の小ぶりな弦楽器を持っていた。
「…なんで子供がここに…」
「ぼく、ミニウムってゆいます!ぎんゆーしじん、です!」
「ぎ、吟遊詩人?」
「ミニたんねえ、僕の友達なんだ。時々こうして遊びに来てくれるんだよ」
「そ、そうなのか……」
子供が吟遊詩人、しかもマスターの友達、と、つっこみたいことはたくさんあったが、とりあえず飲み込んでマスターの方を向く。
「何か色々疲れたから、オススメの甘い飲みものと軽食で頼む」
「かしこまりー」
「ああ、後であのハーブティーももらおうか」
「承知いたしました」
マスターと執事が交互に頷いて作業を始める。
やがて、マスターがカウンターの向こうからトレーを差し出し、ニクスの前に置いた。
「お待たせー、キャラメルラテとサンドイッチね」
「おお、美味そうだな」
トレーの上にはキャラメルソースが網目状に施されたラテと、卵とハムのオーソドックスなサンドイッチが並んでいる。
「いただきま……ん?」
ふと視線を感じてそちらを見ると、ミニウムが近寄ってきてこちらをじっと見ている。
ニクスはふっと表情を崩した。
「なんだ、えらく物欲しそうな顔してるな」
「カーくんのキャラメルラテ、ちょーおいしいんですん!カーくんのすいーつ、てんかいっぴん!」
「やだなー照れるぅ」
マスターが慣れた様子で手を振る。どうやら「カーくん」というのはマスターのことらしい。カのつく名前なのだろうか。
「ぐっぐぐー!とか言うオレンジ色の生き物じゃないからね?」
「心を読むなというに。あと微妙に古いぞ」
「えー、今も現役だよー」
「それはまあともかく…どうだ坊主、クッキーおごってやろうか?」
「くっきー!」
ミニウムの表情がパッと明るくなる。ニクスはおかしそうに目を細めた。
「お礼は何か心が安らぐ一曲でも演奏してくれればいいからな」
「やすらぐいっきょく……わかりましたん!」
ミニウムはしゅたっと手を上げて、先ほど座っていた椅子にとてとてと戻っていく。

ぽろん。

慣れた様子で奏でる弦楽器からは、本当に心が安らぐようなゆったりとしたメロディが紡ぎだされた。
「へぇ……結構上手いんだな」
サンドイッチを食べながら耳を傾けるニクス。
「ミニたんはこう見えて結構上手な詩人さんなんだよー、歌も上手いよ」
「そうなんだな。こりゃ、クッキー一つでいいモン聴かせてもらった気分だな」
しばし、サンドイッチを食べながら綺麗な旋律を楽しむ。
やがて、メロディがエンディングを迎えたころに、サンドイッチを食べ終わったちょうどいいタイミングで、執事がハーブティーを差し出した。
「どうぞ」
「おお、ありがとう」
ティーカップを持ち上げ、独特の香りを楽しむ。
こくり、と飲み下すのを、執事とマスターと、そして何故かカウンターに座っていた女性もじっと見ていた。
「相変わらず、ここで出すものは安いわりに美味いな」
「そう?そう言ってくれると嬉しいなー」
「ん……歩き回ったせいか…?またちょっと…眠く……」
眠たそうに眼をこするニクスに、マスターはははっと笑いかけた。
「ミニたんの曲で眠くなっちゃったのかなー」
「カーくん、それ、ほめてる?」
「褒めてるよー!安らかな曲で眠くなるって大成功じゃん?」
「むぅ」
そんな二人のやり取りも、だんだんと遠くなっていくのを感じる。
マスターの横にいた執事が、にこりとニクスに微笑みかけた。
「眠いようでしたら、少しお休みいただいてもかまいませんよ?今は幸い、あまり他にお客様もいらっしゃいませんし」
「アルヴんそれ決して幸いじゃないよね?」
「ふっ……それじゃあ、まあ……お言葉に…甘えて」

かくん。
ひときわ大きく首が傾くと同時に、ニクスはカウンター席に突っ伏して安らかな寝息を立て始めた。

それを周りから見守る一同。
カウンター席の女性が、呆れたように嘆息した。
「こんなことして餌を探してるの?呆れた…」
「まあ、そうおっしゃらず。ミリー様も如何ですか、おひとつ」
「いただくわと言うと思うの?」
「あははは」
3人の陽気?な会話も届くことなく、ニクスは滾々と眠りに落ちていく。
その眠りをさらに深くへと導くように、ミニウムがぽろんと楽器を奏でた。

どん。どん。

薄暗い建物の中に、低い太鼓の音が響いている。

(ここは……見たことがある。確か……ナノクニの……あかりの……村…)

ぼんやりとした頭であたりを見渡せば、狸だけでなく狐たちの姿も見える。皆行儀よく列をなして座り、こちらに向けて頭を下げている。
自分の姿に目を落としてみれば、いつもの服ではなく、ナノクニの民族衣装。知識だけでしか知らないが、黒を基調とした正式な礼装のはずだ。確か、モンツキハカマ、とかいう……

「ニクス」

呼ばれて視線を上げれば、少し成長したあかりの姿。
彼女は対照的な白い衣装を身にまとっている。頭をすっぽりと覆うような頭巾をかぶった…これも知識だけで知っている、シロムクというものだ。

…確か、結婚式のときに着る、という……

「おら、うれしいだ。やっとニクスと、めおとになれるだなあ」

嬉しそうに言うあかりは、本当に綺麗で。
ニクスはぼんやりと、ここは結婚式を執り行う場なのだと理解した。
ナノクニの言葉では、シュウゲン、というのだったか。

「さぁ、三々九度だべ」

正面を示すあかり。そこには、やはり少し成長したこはくが、巫女の姿で立っていた。
その前には、大・中・小と3つ重ねられた盃。

こはくは恭しく礼をし、一番上の盃に酒を3度に分けて注ぐ。

「この盃は、過去、現在、未来を表すのじゃ。過去の盃は、二人を巡り合わせてくださった先祖に対する感謝。現在の盃は、二人力を合わせて末永く生きていく誓い。未来の盃は、両家親族の安泰、子孫の繁栄を意味する」

注いだ小さな杯を、ニクスに差し出して。

「まずは、新郎が3つに分けて飲む。その次に、新婦が。再度新郎が。これを3つの杯で繰り返すゆえ、三々九度と呼ばれておる」

ニクスは受け取った盃に口をつけ、く、く、く、と3度に分けてそれを飲む。
こはくは空になった盃に再度酒を注ぎ、今度はあかりのもとへ。

ニクスは盃からあかりへと視線を移し…

「うえっ?!な、なんで?!」

視線の先にいたのは、あかりではなくあかりの父だった。
ニクスより二回りは大きそうな体躯を、のっそりとこちらに向ける。
渡された盃は、いつの間にか大きなまさかりに姿を変えていた。

「うちの……娘を……」

ゆらり、とまさかりを振りかぶって。

「やれるかあああぁぁぁぁぁぁ!!!」

「うっぎゃぁぁぁぁぁ!!!」

「うわ?!」
「んにゃあぁぁぁっ?!」
「ちょっと?!」
「なんと」

どんがらがっしゃーん!!

古典的な破壊音が店に響き渡り、突如飛び起きて風の魔法剣を放ったニクスの周り一帯が無残に薙ぎ払われ、カウンターの一部がえぐれたように破壊された。
カウンターの内側にいたマスターと執事は器用に避けたものの、すぐそばにあったオリーブオイル瓶が割れてあたりが悲惨なことになっている。
ニクスのちょうど後ろ側にいたミニウムは無事だったが、驚いて弦が一本切れてしまった。
カウンターの対角線上にいた女性は全くの無事だが、飛び散った茶やコーヒーが彼女の周りだけきれいに途切れているのを見るととっさに何かやったようだ。

「はー、はー、え、あれ……?」

ようやく本当に覚醒したニクスが、驚いてあたりを見回す。

「な、なんだこれ?!何があった、誰がやったんだ?!」
「お客さんだよ」
「ですよね!」
自分の力の波動が理解できないはずもないニクスは、予想通りの展開に青ざめて頭を下げる。
「す、すまん!何か、ものすごい悪夢を見て……」
「あー……そうだよねー……うん」
本来ニクスをとがめる立場のマスターは、何故か非常に複雑そうな顔をしていて。
と、そこに。

からん。

「今なんかものすごい音がしたけど、何?」

ドアが開いて入ってきたのは、けげんな顔をしたカイと、その後ろから顔を覗かせたミルカ。
中の惨状に、ミルカが素っ頓狂な声を上げる。
「えっ、どうしたの、強盗?!」
「いや違うんだ、これは」
「え、ニクスが強盗?!」
「だから違う!これはその……」
「えっ、ニクスがいるだか?!」
ミルカのさらに後ろから、ひょいと顔を出す幼女。
「あかり?!また最悪のタイミングで…!」
さらにテンパるニクス。
店内の惨状と、その中心にいるニクスと、混乱するカイとミルカに、幼女……あかりも何が何だかわからずにおろおろとあたりを見回すばかりで。

すると。

「はい、そこまで!」

ぱん!

大きな音を立てて手を叩いたカウンターの女性に一同の視線が集まった。
「え、ミリー先生?!」
「校長先生!」
「校長先生もおっただか!」
驚いて彼女の名を呼ぶ少女3人。
ミリー、と呼ばれた女性は、立ち上がるとニクスの方を向いた。
「あなた。ここはもういいからお代払って出なさい」
「えっ。いや、しかし」
「いいから。この惨状は、ある意味ここの店主の自業自得よ。あなたに罪がないとは言わないけど、この人たちの罪の方が30倍重いわ」
「そんなに?」
ミルカがけげんな表情で問うも、ミリーが気にかける様子はない。
「飲食の正当な報酬だけ払って、犬にかまれたとでも思ってもう行きなさい。ほら、うちの生徒が待ち人なんでしょ?」
「いや、しかし…マスター」
「ははっ、ミリーちゃんの言う通りだよ。お客さん、気にしないでカノジョとデート行ってきな?」
「そ……そうか?じゃあ…ごちそうさま」
なおもばつが悪そうに、しかしきっちりと代金を払ってから、ニクスは入り口に立つあかりのもとへ歩いていく。
「あかり!」
「ニクス!」
待ちきれないとばかりにニクスに駆け寄るあかり。
「久しぶりだな」
「うん!おら、ずっとニクスに会いたかっただ!」
「ああ、オレもだ」
あかりの頭をひとつ撫でてから、ニクスはミルカの方を見た。
「ありがとな」
「どういたしまして。いってらっしゃい、あかり」
「うん、行ってくるだ!」
「門限までには帰ってくるんだよー」
「わかっただー!姫ちゃんによろしくな!」
「はーい」
笑顔でニクスとあかりを見送り、カイとミルカは改めて店内の惨状を見やる。
「えっと……」
「で、なんなんですか、これ」
「言ったでしょう?この人たちの自業自得よ」
状況を把握できずに問うミルカたちに、先ほどと同じよくわからない答えを返して。
ミリーは半眼で、カウンターの中のマスターと執事を見やる。
「こういう痛い目を見たりもするんだから、ほどほどにしときなさいよ?」
「はぁーい」
「いえまあ、しかし、なかなかの珍味でございました。正統派の悪夢もたまには悪くありませんね」
「反省してないわね…」
妙に嬉しそうな執事に頭を抱えるミリー。
ミルカとカイはよくわからない様子で肩をすくめ、お互いを見るのだった。

「にしても、ほんっとに久しぶりだな、ニクス!」
「ああ、しばらくフェアルーフを離れてたからな。あんま会いに来れなくて、悪い」
「ううん、また会えただけで嬉しいべ。いーっぱい土産話聞かせてくれな!」
「ああ。…っと、土産といえば。ちょっと待っててくれ」
足を止めたニクスを、やはり足を止めてきょとんと見上げるあかり。
ニクスはごそごそと荷を漁り、やがて一対のイヤリングを取り出した。
「土産っつーか、さっきそこのバザールで買ったんだけどな。金細工だ。オマエに似合うと思って」
「お、おらにか?」
あかりはイヤリング以上にキラキラした瞳で、ニクスが見せた金細工のイヤリングをじっと見つめる。
「おら、こんな綺麗なモンもらうの初めてだ!それに、おら、桃大好きだべ!ありがとな!」
「喜んでもらえたならよかった。……つけていいか?」
「もちろんだ!」
あかりは嬉しそうに背伸びをする。ニクスはしゃがみ込んで、彼女の両耳にイヤリングをそっとはめた。
「できたぞ」
「ひゃー!ど、どうだ?似合ってるか?」
「ああ、もちろんだ。オレの見立て通りだな」
「へへ……おら、すっげぇ嬉しいべ」
照れたようにはにかんで言うあかり。
それを見下ろせば、胸の内に幸せが広がっていく。

手を取って歩き出せば、ちょこちょこと嬉しそうに彼の歩みに合わせてついてきて。
その姿が、シロムクをまとった夢の中のあかりに重なる。

「望む未来を掴むために……か」
「ん?なんか言ったか?」
「いいや。それ、あかりが大きくなっても、きっと似合うと思ってさ」
「そ、そっか?おら、これ、ずっと大事にするだ」

嬉しそうな微笑みを、この先ずっと見ていたいと願った。

たとえそれが、どんなに大きな障壁の先にある未来だとしても。

結婚、なんて。ただただ面倒で、何のメリットもなくて、オレの人生を食いつぶすだけのもの。
本当に、そう思ってた。

けど、今は違う。

コイツと共に歩く未来のために。
どんなに分厚い壁だって、乗り越えてやるさ。

それだけの価値のあるオタカラ、だからな。

一生かけたって、必ず手に入れてやる。

“Last Ceremony of Nixe Clements” 2021.1.1.Nagi Kirikawa