問題提起

生きている、とは何か。
死んでいる、とは何か。


つまるところは。


そのようなことを定義することに、なんら意味は無い、ということです。


我は生きている。

それを定義し、証明しうる唯一無二の存在は、結局「我」でしかないのですから。

意思決定

「とりあえず、ルカさんに質問したいんですが」

沈黙の中、最初に手をあげたのはミケだった。
「あなたは、ここから出ようとしましたか?
チェルさんのところへ帰ろうとしましたか?」
とがめるような響きはなく、淡々と問うミケに、ルカは僅かに眉を寄せて首を振った。
「あるかないかと言えば、答えは、ない、だ」
ふ、と嘆息して、ちらりとイシュを見る。
「イシュが嘘をつくやつじゃないことはよく知ってる。どちらかというと悪い意味でな。
つまり、イシュが『出たら死体に戻る』と言ったら本当に死体に戻るんだ」
一度口にしたことはたがえない。一切の例外を認めない。情に流されるようなことも無い。
『嘘をつくやつじゃない』とはつまり、そういう意味合いだ。
あんたなら、この先に行ったら確実に死ぬとわかっていて、足を踏み出すか?
勇気とかの話じゃない。一歩踏み出したら確実に剣が胸を貫くとわかっている場所で、あんたは一歩踏み出すのか?
俺なら、出来ないな。人並みに恐怖心はある。それは、村に住む他のやつらも同じだろう」
「まあ、僕なら自分がゾンビになってたら真っ先に村を出て土に還りますけどね」
アンデッドなんて死ねばいい、という主張の通り、これ以上無い真剣な目で返すミケ。
「僕のことはどうでもいいです。では、僕らの話を聞く前も、チェルさんのこと、考えていましたか?」
「もちろんだ」
即答するルカ。
「あんたたちがこうして来てくれたのなら、俺のことは忘れて新しい道を歩めと伝えてもらうのが一番いいのはわかっているんだがな……」
言葉を濁し、俯く。
沈黙が落ちた。
「ミアね……」
始めに口を開いたのは、ミア。
「チェルにはほんとの事を伝えたほうが良いんじゃないかな?って思うよ。
ミアなら嘘つかれたり隠されたりするよりは本当のこと教えてもらったほうが良いと思うし……」
「しかしな……」
グレンが渋い顔をする。
「事実があまりにも酷すぎるだろう。真実を教えて欲しいというのは俺も同意だが、不安要素が多すぎる」
「不安要素って?」
ユキが訊くと、グレンはルカに目をやった。
「幸せに過ごせる可能性もあるだろうが、それ以上に悪い状況が何通りも浮かんでくるんだ。
例えば、ルカがチェルに拒否されるかもしれない。
一緒に過ごせたとしても今まで通りには戻れないし、その後も幸せが続くとは限らない。
そもそもチェルを呼び寄せたとしてもルカが実験体だという事実は変わらないんだろ?
恋人の影に別の女性がいるという状況にチェルがずっと耐えられるのかも不明だ。
他に真実を知ったチェルが復讐を企てたり、イシュがチェルを素材にしてしまったりする可能性もないとは言えない」
「これは不本意な」
さして不本意そうでもなく、イシュは首をかしげた。
「ルカ様にも太鼓判を押していただいた通り、イシュは嘘はつきません。
すなわち、『自分で材料を作り出すことはしない』。
ルカ様を屠る命令を下したのは、ルカ様が、せっかくイシュが術をかけて作り上げたものを壊そうとなさったからです。ルカ様を材料にするため、ではございません。結果としてそうなったというだけです」
「どっちでも大して変わらん気がするがな」
グレンは眉を寄せて嘆息し、続けた。
「チェルがルカを連れて帰ろうとすればその条件は当てはまる。
こんな風に不安要素が色々とあるから、2人共に綺麗な思い出として終わらせた方が楽だと俺は思うぞ。
ルカの遺品となるものを持って帰って、死んだと報告するのがいいんじゃないのか」
ルカの方を見て。
「あんたに、こんな状況に陥った時に乗り越える覚悟があるのか、チェルを守りきる自信はあるのか。断言できないなら後悔する前に止めておけ。あんたの為にも、恋人の為にも」
「…………」
黙り込むルカ。
そこに、ミアが不服そうに言った。
「んー、でも、ルカの魂が蝶となって恋人の元に訪れることは無いんだよね?それじゃ洸蝶祭の時にばれちゃうんじゃないかな?
ミアの幻術で光る蝶を見せてもいいけど……あんまり気は進まないなあ」
その言葉に苦笑するミケ。
「ミアさんは、洸蝶祭の時に光る蝶を見たことがあるんですか?」
「え?えっと………ないよ?ミアには蝶になって会いに来てくれる人がいないから」
きょとんとして答えるミアに、今度は千秋が言う。
「ミアに会いにきているかいないかはともかく、そもそも、普通の人間には蝶は見えんぞ。霊を見る能力などがあるなら、話は別だが」
「ええっ?!そうなの?!ミア、みんなはちょうちょ見てるんだと思ってたよ…」
初めて知る事実に呆然とするミア。
千秋は続けた。
「蝶が訪れないということからバレる心配は無いが、しかし悩ましいところだな。
俺は個人的には、本人に自身の滅びを忌避する意思があるなら、肉体としては死んでるのかも知れんがまだ生きてるって言っていいと思うんだが、残念だが村から出られない以上社会的にも死んでしまうのか」
嘆息して、ルカを見て。
「俺は大切に思っていた人間の死に目に遭えず腐っていた時期があって、それでも幸運にも死後一度だけ話をする機会を得て踏ん切りがついたという経験があるから、できるならルカとチェルを一度だけでも話をさせてやりたい、と思うところがある。
グレンの言うような、不安要素があるのも事実だし、どちらに転ぶかはわからんがな」
「でも、ルカはここを出たら死んじゃうんでしょ?」
ミアのストレートな質問に、むう、と唸って。
「問題はそこなんだが……」
それから、イシュの方を向いて、問う。
「折衷案として『ルカを年に1日だけ村の外のそう遠くないところまで出られるようにしてもらう』というのはどうだろうか。
例えば祭の時期に神の洞窟までは行けるようにするとか」
「残念ながら」
イシュは考える風もなくあっさりと首を横に振った。
「イシュが村の外に出る方々を動作不能にしている理由をご理解いただきたいのでございます。
『人の目に触れては、面倒なことになるから』。
千秋様が仰いますのは、それに真っ向から対立しておりますけれども、その条件を飲むことで、イシュに何のメリットがあるでしょう?
メリットがなければひとは動きません。それは千秋様も同じでは?」
「そうか……今後うっかり村人が迷い込まないように、村のある方角には魔物がたくさんいるようなので近づかないようにと言い含めておくと約束する、というのはどうだ」
「交換条件としては、いささか弱いかと」
やはりあっさりと言ったイシュに、嘆息する。
「だよな……」
「ルカさんが行くことが出来ないとなると、チェルさんに来てもらうことになるわけですが…」
ミケが言い、眉を顰める。
「村の位置とかが人に知られるのがまずいというのがイシュさんの意見だから、連れてくるなら目隠しするなりしないとまずいとは思うし」
「まずいと申しますか、面倒なのでございます」
ミケの言葉を微妙に訂正するイシュ。
「イシュの作った村が人の知れるところになり、そこから偉い方に話が行き、教会と騎士団を引き連れて殴りこみをかけてこようものなら、イシュはせっかく作成した実験体に攻撃の命令を出し、足りなければイシュが先頭に立ち、なぎはらえ!とやらなければなりません。力の加減というものは案外難しいもので、ついうっかり周辺の森を村ごと焼き払ってしまうかもしれませんが。加減をしなければならない理由もございませんし」
つるりと吐き出された不穏当な発言に凍りつく一同。
イシュは続けた。
「せっかくここまで続けた実験を、そのようなことでふいにし、また一からやり直しというのはとても面倒なのでございます。イシュは滞ることなく、静かに研究をしていたいだけ。そのために、出来うる限りのリスクヘッジを講じている、のでございます」
「……うん、可能な限り僕もこのことは口外しない方がいいと思います」
若干青ざめて、ミケは発言を続けた。
「目隠しか、口止めをするか…まあ僕達も実際に見てしまっているわけですし、口外しない方向にはなるんでしょうけど」
「口外したら大変な目に遭うな…第三者が」
「それは絶対に避けたいね……」
つられるように青ざめながら口々に言う冒険者達。
千秋は嘆息した。
「まあ、グレンの言うように、リスクを避けて、ルカは死んだと伝えるのもひとつの手だとは思う。
冒険者内としての妥協点は、ダイイングメッセージよろしく木片に血とかで遺言をしたためてもらってチェルに渡す、というのなら単に遺品を渡すよりはお互い踏ん切りが付くんじゃないかな。
負傷して死にかけてる冒険者がわざわざ紙とペンで遺言状を書くのもおかしな話ではあるし、現実味があるレベルでやってもらうしかないが」
「うーん……」
ユキが難しい顔で唸った。
「グレンさんや千秋さんの言うこともわかるし、本当のことを教えて欲しいっていうミアちゃんの気持ちもよくわかるんだ。
だから…僕は、ある程度詳細を伏せて、ルカさんのことを話す、のがいいと思う」
「ある程度?」
ミケの言葉に、頷いて続ける。
「あのね、イシュさんがルカさんをどうこうした、とかは話さないで、
あくまでルカさんが死んでること、でも死体でも生きてること。でもルカさんはまだチェルさんを想ってること。
ある程度ルカさんの今の姿を説明した上で、会うかどうか決めてもらうのはどうかな」
「チェルに話すのか?」
グレンが問うと、そちらに頷いて。
「勿論、ルカさんに会う覚悟があるなら、この村まで連れて行くし、もし会う勇気がないなら、ルカさんにその旨を伝える、かな」
「そうか……」
ユキの意見に考え込むグレン。
「僕も、ユキさんの意見には賛成です」
そこに、ミケが口を開いた。
「ただし、僕は、グレンさんの言うように、ルカさんの遺品を用意して、ルカさんのメッセージを用意して、その上で、ルカさんはアンデッドになってしまったので、新しい人生を歩んでくれるよう、説得するのがいいと思っています」
「ミケさん……」
ユキと目的が正反対の意見に、ユキのみならず、一同は驚いてミケのほうを見やった。
「僕は生者よりの発言ですが。
恋人さんが望んだり、自分から死体になりに来たりするのも、できたら止めたい。生きている以上、ここから先は前を向いて生きていって欲しい、というのが僕の意見です。そのために、遺品は欲しい。
話を全部聞いて、その依頼人さんが復讐したい、ルカさんに会いたい、死体でいいから仲睦まじく過ごしたいと思って行動しても、そのときには僕には止めようもないんですが。
まぁ、僕も依頼人の立場だったらごまかされるのは嫌だと思うんですけどね」
肩を竦めて。
「全部聞いたうえで、復讐を誓うか前を向いて忘れて生きていくのかは変わりますが、その際に相手からの言葉や遺品があるのかどうかで変わると思うんですよね。
遺品を持って、彼女に元へ戻って、事情を説明して、当人にお任せする、がいいとは思うけれど、その際、諦めて前を向いて生きていってくれという方向でのメッセージを欲しい。
だから、僕が仮にチェルさんの依頼を受けた冒険者であったとするなら、ルカさんにお願いしたいのは、『チェルさんのことを諦め、遺品と前向きになれるメッセージをください』ということになります」
「………」
ルカはミケの話を黙って聞いている。
ミケは続けた。
「どうして、と言われると大変答えにくいのですが。僕は、ルカさんを、『死んでいる』と認識しています。まぁ、自己申告というかイシュさん申告というか、アンデットということなので。
アンデットは、死んでいるものだと、思っています。死んでいて……死んでいることに近い制約があって、恋人の元に帰ることができない。
なら、ルカさんには諦めてほしい」
「おい、ミケ……」
歯に衣着せないミケの発言に千秋が眉を顰めるが、ミケは構わず続けた。
「グレンさんが言っていた、不安要素のこともそうなんですけど。
逆に、ルカさんは彼女と一緒にいられるようになったとして、彼女に何ができるのでしょうか?
もしもどんどん腐敗が進んだりした場合、彼女にそれを見せ続ける覚悟はあるのでしょうか?
そんな自分を見られることを、あなたはどう思うのでしょうか?
あなたが、彼女を恋しく思って、大事に思っていることは分かりました。
あなたは彼女をどうしたいんでしょう?
殺して仲間にしたいのか、生きたまま死者の自分の傍に置きたいのか。あなたが悪い意味で信用するイシュさんの傍に恋人さんも置きたいと願うのでしょうか」
「ミケさん……」
ルカを責めるようにエスカレートするミケの発言に、ユキもはらはらした様子でミケとルカとを交互に見る。
ルカは表情をなくしたまま、じっとミケの言葉を聞いていた。
ミケはさらに続ける。
「僕は、何もできない、もしくは自分が害になると判断するのなら、手を離す方がいいと思っている。
だから、あなたが元のあなたではないし、彼女の元に帰ることができないという事で、こっちで第2の人生を謳歌してもらえばいいと思うので。
チェルさんには、彼女に新しい道を選んでもらうための証をください」
「新しい道……」
「そうです。チェルさんの意思を確認したいとは思いますが、それでも、一度ルカさんは手を離すべきだと思う。
証を持って戻って、ルカさんの状況を説明して、その上でチェルさんがルカさんと住みたいというならそれで……個人的にはあまりよくないですが、本人がそう言うのであればいいと思いますし、チェルさんが嫌だというなら、ルカさんにそれは伝えます。それは、ユキさんと同じです。
でも僕は、チェルさんには新しい道を選んで欲しいという想いを込めて、説明するべきだと思っています」
「………」
再び、沈黙が落ちる。
ミアは居心地が悪そうにきょろきょろと辺りを見て、それから一度も発言していないアフィアの方を向いた。
「アフィアは何も言わないけど……どう思う?」
「興味ない、です」
淡々と答えるアフィア。
「うち、依頼、受けてません。何も言う、資格、ない。興味もない、です」
「アフィアさんらしいですね」
苦笑するミケ。
「では、仮にアフィアさん自身が、チェルさんか、あるいはルカさんの立場だったらどうですか。想像してみてください。
大切な人が、あるいはお仲間が、同じ状況になったとするなら。あるいは自分がアンデッドになったとするなら」
「………」
アフィアは少し考えてから、やはり淡々と言った。
「死者、死者らしい、するべき、思います」
「なるほど」
「でも、大切な人、繋ぐため、代わりの悪党、調達する、かも、しれません」
「……そうですか……」
複雑そうな表情のミケ。
「今回については、誰もそれを言いませんが……その方向は、なしと言うことでいいんですよね?」
「却下だな」
即答するグレン。
「僕も、それはちょっと…」
「ゾンビにされちゃう人が可哀想だよ…」
「ルカも、それは望むところでは無いだろう?」
「もちろんだ。人の命を犠牲にしてまで、自分の望みをかなえようとは思わないよ」
千秋の問いに、ルカも迷いなく答える。
千秋は頷いて言った。
「だとするならば…意見をまとめるとこんなところか。
グレンは、遺品を渡し、ルカは死んだと伝える。
ミアは、チェルには隠さず全てを伝える。
ユキは、ルカの状態など差しさわりの無い部分だけを伝え、チェルの判断を仰ぐ。
ミケは、チェルには隠さず伝え、ルカの遺品を渡し、諦めるよう説得する。
俺は…まあ、さっきも言った通りだ。一度会わせることが出来れば、と思っている」
「重なってるようで、見事に分かれたね……」
困ったように眉を寄せるミケ。
ミアが残念そうな表情で言う。
「ミアは、ちゃんと本当のこと話して欲しいって思うけど、冒険者として先輩のみんなが決めたことなら、それがいいと思うよ?」
「僕も、さっきも言った通り、チェルさんの依頼を受けたわけではないですからね。最終的には、依頼を受けた皆さんが決めることだと思います」
続いてミケも言うが、残る3人は微妙な表情だ。
「僕も…他のみんなの意見に合わせようと思ってたけど…」
「ミケの言うことにも一理あるしな」
「妥協点を見出すのも難しい状況か……」
「なら」
それまで興味なさそうに沈黙していたアフィアが、さらりと言った。
「方針、決める、依頼人、違いますか」
仕事を請けたものとして、至極まっとうな意見。
仲間達はうーんと唸った。
「しかし、ここにはチェルがいないし…いたとしても、チェルに本当のことを話すかどうかを本人に聞くわけにも行くまい」
「本人、話したら、どうなる、思いますか」
「そりゃあ、本当のことを教えて欲しいって……」
そこまで言って、口を噤むグレン。

『私は、待ち続ければいいのか、待つのをやめて新しい道を踏み出したらいいのか……その道しるべと、きっかけが欲しい。
来るかわからないものを待つのは、思ったよりも消耗するものです。来ないなら来ないと…その事実を知りたい』

寂しそうに微笑んで言った、チェルの言葉を思い出す。
彼女は、ルカが『生きている』ことや『安らかな死』を望んでいたわけではなかった。
ルカの生死は問わず、自分の道しるべとなる『真実』を知りたがっていたのではなかったか。
アフィアは、そう言っているのだ。
「うち、依頼、受けてない。依頼人、どんな気持ち、知らない。
けど、どうする、決める、依頼人、違いますか」
「……そうだったな……」
グレンは深く息を吐いて、それからルカの方を見た。
「ミケたちが言うように、真実を話すことが依頼人のためになるなら、雇われならそれを全力でバックアップするのが筋だ。
色々障害はあるだろうが、チェルには本当のことを話そうと思う。それでいいか?」
「……ああ、構わない」
真摯な表情で頷くルカ。
「チェルは俺のように冒険者じゃない、普通の暮らしをする女性だが…あいつの芯の強さに俺は惚れた。
真実を話しても受け止める強さを、あいつは持っていると思う。
辛いことを話させるが……よろしく頼む」
「では、何かルカさんの遺品となるものをいただけますか」
ミケが言うと、ルカは頷いて首の後ろに手を回した。
さらり。
細い鎖の音がして、服の下から瑠璃をあしらったネックレスが現れる。
見るからに女性向けのデザインをしたそれは、見るからに男らしいルカには酷く不似合いだった。
「チェルがお守りとしてくれたものだ。これを、返してくれ」
「…何か、伝えたいことはありますか」
ネックレスを受け取りながら、ミケはルカに言った。
ルカはしばらく考えて……それから、一言だけ返す。

「……ありがとう。幸せになってくれ、と」

細い管を苦労して通したような、苦しげな響きをもって放たれた言葉は。
暗く静かな屋敷に響き渡った後、重い重い沈黙をもたらすのだった。

愛別離苦

「……………」

ところは変わって、ヴィーダ。
チェルの暮らす簡素なアパートにやってきた冒険者たちは、ルカの言葉とともに、彼女にネックレスを渡した。
チェルは無言のまま、長い間ネックレスを見つめている。
「チェルさん……」
心配そうにチェルを見やるユキに、チェルは温度の感じられない瞳を向けた。
「ルカは……アンデッド…要は、ゾンビとなって今も動いている、と仰いましたね」
「う、うん」
「行動範囲が制限されているため、ここには連れてこられない、と」
「そうだ」
チェルの言葉を、グレンも肯定する。
「ならば」
チェルは決意を秘めた瞳を、冒険者達に向けた。

「ルカに、会いに行きます。その場所へ、連れて行ってください」

「チェルさん……」
半分予想していた反応に、冒険者達の表情がいたましげに歪む。
「それが、チェルさんの決めたことなら……でも……」
「失礼ですが、行って何をされるつもりですか」
ユキの言葉を遮って、ミケが表情の無い声音で問う。
「あなたの依頼を受けてもいないのに、失礼を承知で言います。
ルカさんの元に行って、ルカさんと一緒に暮らすつもりですか」
「いいえ」
返事は、驚くほどあっさりと返ってきた。
「私は、動く死体というものを見たことはありません。しかし、私の想像を遥かに超えるほど、おぞましい存在であることでしょう。
そして、それを作り出し、実験対象として観察をしているという、得体の知れない存在もいる。
私のような普通の人間が、正常な神経で傍にいられるような世界でないことは、わかります」
「ならば、なぜ」
咎めるような響きをはらんだミケの言葉に、少し沈黙して。

ふ、と。
チェルは、綺麗に笑って見せた。

「……お別れを、言いに」

「!………」
その言葉に、冒険者達は絶句した。
今にも透けて消えてしまいそうなほど、悲しく綺麗な微笑を浮かべながら、チェルは落ち着いた声音で言った。
「ルカが生きていれば、連れて帰ってきて欲しかった。
死んでいれば、死んだ証が欲しかった。
でも、そのどちらでもなかった。
それは、幸運だと思っているんです」
「幸運……?」
ミアが首を傾げると、そちらに向かってにこりと微笑む。
「半年も帰って来ないのだから、死を覚悟していました。お別れを言えないまま、永遠に会えないのだと。
でも、私はルカに、もう一度会って、笑顔でお別れを言うことが出来る。
それは、とても幸運なことだと思います」
「チェルさん……」
はかなげな彼女の微笑みの後ろに、しっかりとした芯の強さが見える。
グレンは感心したように息を吐いた。
「……ルカは、あんたのそう言うところに惚れたんだろうな」
ふふ、と嬉しそうに微笑むチェル。
「そうだと嬉しいです」

そうして。
一行は再び、チェルとともにあの村を訪れることになったのだった。

「お待ちしておりました」

到着した一行を、イシュは恭しく礼をして迎えた。
ご丁寧に罠まで解除しているところを見ると、ここに来る予測はある程度ついていたということだろう。
「ルカ様がお待ちです。こちらへ」
長い袖を部屋の奥へと向け、一行を部屋の中へと促す。
相変わらず暗い室内の中央に、ぼんやりとした人影が見える。
冒険者達に守られるようにして真ん中を歩いていたチェルは、それを見て目を見張った。

「ルカ……」

彼女の声に、部屋の中央にいた影もこちらを振り返る。
数日前とたがわぬ姿をしたルカが、そこにはいた。

「チェル……!」

いてもたってもいられぬ様子で足を踏み出し、そして立ち止まる。
冒険者達はそっと、チェルの傍を離れていた。

半年以上ぶりの、愛しい人との再会であるにもかかわらず、見えない壁でもあるかのように、2人はそれ以上足を踏み出せないようだった。
ともに訪れていた冒険者達が、固唾を飲んでその様子を見守る。
やがて。

「ルカ」

足を踏み出したのは、チェルだった。
2メートルほどの距離をゆっくりと歩き、ルカの眼前に立つ。
頭ひとつ高い彼を見上げるようにして、チェルはルカのにごった瞳をじっと見た。

「……私こそ、ありがとう。
生まれてきてくれて。私と出会ってくれて、幸せな時間を過ごしてくれて」
「チェル……」

呆然と、彼女の言葉を聞いているルカ。
チェルは、涙のにじむ瞳で精一杯微笑んだ。

「最後に、お別れを言えて、とても良かった。
ありがとう。あなたがいて、幸せでした。
………私も、幸せになります」
「チェル…」

くしゃ、とルカの表情が歪む。
悲痛さにではなく、チェルと同じような、泣き笑いの表情で。

「俺も……俺も、幸せだった。
辛い時も、死にそうになった時も…お前のこと思い出せば、頑張れた」
「うん……」
「約束……果たせなくて、ごめんな」
「気にしないで。約束は、あなたと私を縛り付けるものじゃない。
忘れないけど、引きずらない。だから、安心して」
「うん…うん」

ルカは目元を擦る仕草をしたが、涙腺が壊死しているのか、涙は出ないようだった。
つ、と、チェルの目元には涙が光る。

「ありがとう」

あの時の言葉を、ルカがもう一度繰り返す。

「私も、ありがとう」

チェルも繰り返し、一歩後ろに下がった。

「幸せに…なってくれ」
「うん、幸せになります」

もう一度、あの時の言葉をお互いに繰り返し。

合わせ鏡のように、ゆっくりと相手に手を振った。

「……さよなら」

「……ああ、さよなら」

その言葉が、まるで呪文になったかのように。

ぐらり、とルカの体が傾く。

ごと。

重い陶器が床に落ちたような音がした。
操り人形の糸が突然全て切られてしまったかのように、ルカの体がぐったりと床に倒れる。
「ルカさん!」
「ルカ!」
冒険者達が駆け寄り、その体を持ち上げる。
チェルは呆然と、ルカの体を見下ろしていた。
ぐったりと力の抜けた、土気色の体。目は閉じ、表情もなく、若干腐敗の始まっているその体は、誰がどこから見ても、死体以外の何者でもない。

「素晴らしい……!」

浮き立ったような声が部屋に響き、一同は驚いてそちらを振り返った。
見れば、入り口に立っていたイシュが足早にこちらに駆け寄ってくる。

「やはり、イシュの立てた仮説に誤りはございませんでした」
「仮説…?」

彼女の言葉に眉を寄せて問い返すと、イシュは興奮した無表情でゆっくりと頷いた。

「ええ。何がアンデッドの原動力となっているのか。それは魂のエネルギーであるとイシュは仮定しておりました。
しかし、それならばルカ様の持続性が優れていることに理由が付けられない。
イシュが得た素材と、ルカ様との間に魂の違いはございません。同じ人間という生き物なのですから。
ですが、決定的に異なることがございました」

袖をルカのほうに伸ばし、歌うように続けるイシュ。

「身寄りのない死体に無く、ルカ様には存在するもの。
それは、愛するものの存在です。
愛するものがあれば、人はそれにより執着する。生きていたいと思うでしょう。
それが、ルカ様の身をながらえた何よりの動力源であったのです」

相変わらずの無表情であったが、声だけが浮き立っているのがなんともアンバランスで、恐ろしささえ感じられる。

「それが、今の言葉で、ルカ様は生への執着を失った。
ゆえに、ルカ様の動力源となっていたエネルギーは途絶え、動作を停止したのです」

「……つまり」

ミケが、少しだけ怒りをはらんだ声音でイシュに問う。

「チェルさんが、ルカさんにとどめを刺した、とでも言いたいんですか」
「滅相もない」

イシュは無表情のまま、大仰に袖を振って見せた。

「チェル様の愛が、死してなお現世に縛り付けられていたルカ様の魂を解き放った……とでも表現すればよろしいのでは。
言葉というものは、ひとを慰めるために存在するのでございますから」
「……っ」
「どちらにせよ」

イシュは袖を揃えると、口元を隠すように持ち上げた。

「イシュの仮説は証明されました。大変有意義な時間でございました。
皆様には、感謝感激雨あられの満員御礼でございます」

にこり。

今まで欠片も表情を見せなかったイシュの瞳が、嬉しそうに歪む。
口元を隠されてのその表情は、笑みを示すものであるにもかかわらず、酷く不気味に映った。

「ひとつ、訊いて良いか」

千秋が言い、イシュは元の無表情に戻るとそちらを向いた。

「何でございましょう」
「まさか、このためにあんな無体な条件を出したのか」
「無体な、とは」
「ルカを村の外には出せない、出すのならば代わりの死体をよこせ、と言ったことだ。
俺たちがそんな条件を飲めないことを見越して、チェルをここに連れてくるためにそんな条件を出したのか?」
「それは、穿ちすぎというものでございます」

イシュはまた、袖で口元を隠した。

「チェル様が来ない可能性もございました。それならば、イシュはここでルカ様の経過観察を続けるのみ。
チェル様がいらして、ルカ様を連れ帰ろうとする可能性もございました。であるならば、チェル様はイシュの邪魔をする存在として、排除せねばならなかったでしょう。仮にそうなれば、やはり、ルカ様の生きる糧はなくなります。同様の結果が得られたでしょう」

にこり、とまた笑みを見せるイシュ。

「どちらに転んだとしても、損にはならないように組み上げる。
交渉というものは、そういうものではございませんか?」
「…………」

千秋は嘆息して口をつぐんだ。

「チェルさん……」

心配そうにチェルを見上げるユキ。
チェルはゆっくりと足を踏み出し、ルカの傍に跪いた。

「……イシュさん、と仰いましたね」
「はい、何でございましょう?」

落ち着いた声音で言うチェルに、イシュは再び表情を消してそちらを向く。
チェルは閉じたルカのまぶたをゆっくりと撫でながら、イシュにちらりと視線をやった。

「あなたの実験が終わったのであれば、ルカの遺体は、私が引き取って問題ないでしょうか?」
「ご随意に」
「ありがとう」

淡々と言って、チェルは冒険者達ひとりひとりの顔を見回した。

「私一人では運べないので、手伝っていただけますか?
遺体を室内で焼くわけにも行きませんから…」
「あっ、は、はい!」
「わかった、手伝う」

ユキとグレンが率先して手伝い、続いて残りの冒険者達も不安定な部分を支えてルカの遺体を外に運び出していく。

イシュはそれを、興味深げな無表情で見送るのだった。

帰還祝祭

「おや、お帰りになったのではなかったのですか」

ゾンビ村、教会。
扉を開けて入ってきた千秋を、ジョンソン神父は意外そうな表情で出迎えた。
「船はそろそろ動けるらしいが、洸蝶祭の最中に海に漕ぎ出すのは縁起でもないということで結局ヴィーダで足止めを食らうようだ。
ナノクニで待ってる奴には連絡しておかないとだな。文句を言われそう…帰ったらまた噛まれそうだが。
ならば、貴殿と話をする時間くらいはあってもいいと思ったのでな」
「イシュとお話、でございますか」
「ああ。個人的には境遇に同情しているが、実際のところどうなのかと思ってな」
「同情、と申されますと」
「本来なら死んでいるところを、イシュに生きながらえさせられている、ということだ。トートの信徒ならば、死するということは神の御許へ行くということではないのか」
「千秋様はそう捉えておられるのですねブッポウソウ」

「うわあ?!」

突如会話に割って入ってきたイシュに、千秋が驚いて悲鳴をあげる。
「なんだいきなり!」
「千秋様がやけに拘っておいでのようでしたので、呼ばれた気がして飛び出てジャジャジャジャーン」
「わけわからん」
「イシュ様!これは、むさくるしいあずま屋へようこそお越し下さいました。ささ、どうぞおかけくださいませ」
「うむ、くるしゅうない」
ジョンソンが差し出した椅子に鷹揚な態度で座るイシュ。
「…だが、せっかく出てきてくれたのならじっくり訊こうじゃないか」
千秋は体勢を整え、改めてイシュに問うた。
「お前はトートの信者ではないということだが」
「はい、そう申し上げました」
「世の中の全ての死霊術者が全員トートの信徒であるとは思わんが、種族の由来として何かしらの邪神の軍門に下っているはずの魔族が、他の邪神の領域を侵して普通タダで済むか?
今回は特に、トートの信者の魂を使っちゃってる訳だし、他のヤクザのシノギを荒らしてるようなものだと思うんだが……」
「千秋様が仰りたいのは」
いつものようにあっさりと返すイシュ。
「無認可で人の魂を使用しているのでトート神より制裁が下る、という主旨のことでよろしゅうございますか?」
「まあ、そうなる」
「いやいや。いやいやいや」
無表情のまま、イシュは長い袖をぶんぶんと振った。
「一日に何百何千と失われる命がある中、イシュがつまみ食いしたいくつかに目くじらを立てるでしょうか。
かの神もそこまで暇ではないのでは」
「あきらかに普通じゃない死霊術を使っているのに、神の領域を侵そうとしてるんじゃないかと神経を使わないでいられるのが信じられん、と言っているだけだ。
生前から半分アンデッドになるほど熱心なトート神官に普通じゃない死霊術をかけて実験体にするっていうのは魔族からしても異常事態だと思うんだが……第一熱心な信徒に対して正しく神の権能が与えられず、死後も御許に魂が届けられない事態を放置するのは神として沽券に関わる話なのに、『私一人がちょっとつまみ食いしたところで』と開き直っても許されるものじゃないだろうに」
「ああ、その勘違い、よくされるんですよねー」
「……勘違い、だと?」
眉を顰める千秋。
ジョンソンは頷いた。
「わが神は『死』そのものをつかさどるのであって、死霊の管理をしているわけではないのですよ」
「……どういうことだ?」
「そのままです。間もなく訪れる洸蝶祭では、水の女神フルーが死後の世界の扉を開き、あちらの世界にいる魂は蝶となってこの世に戻ってくる、と言われておりますでしょう」
「そうだな」
「つまり、死霊の管理をしているのは水の女神を始めとするあちらがわの神々です。わが神は、体と魂を切り離す『死』という現象をのみ司っている。イシュ様によって再び命を与えられることで、わたくしはわが神がもたらす安息への導きを2度体験することが出来るのです」
「……よくわからんというか、理解したくないが……そういうことなのか」
「そういうことなのですね…」
「なぜイシュが感心するんだ」
「イシュはトート信者ではないと申し上げたではございませんか。神の権能にもその領域にも、とーんと興味はございません。トートなだけに」
「まったく…いつかかの神が正しく力を奮われることをジョンソン神父のために祈ろうと思っていたが、その話とその様子では要らん世話のようだな」
「イシュは神の権能にも領域にも興味はございませんが、千秋様がご自分の認識と常識だけで物事を語っておいでなのはよく理解できました」
「やかましい」
「イシュの術が『普通じゃない死霊術』というのも、千秋様の目からごらんになれば普通ではない、神の領域を侵しかねないものなのでしょうけれども、存外、神から見れば大した違いはないという可能性も」
「ああ、ああ、わかったわかった。俺の心配が過ぎただけ……」
「イシュはそれよりも、千秋様が何故そこまで拘っておいでなのかの方に興味がございます」
「……なんだと?」
イシュの言葉に、千秋が眉を寄せて彼女を見る。
イシュは長い袖で口元を隠し、千秋をじっと見た。

「普通ではない術で。
本来ならば死んでいるはずの体を永らえて。失礼、永らえさせられて、でございましたか。
かの神の権能を侵していることを、千秋様が本当に心配なさっているのは、イシュとジョンソン様のことですか?
それとも」
「…お前……っ」

さっと表情が変わる千秋に、イシュが口元を隠したままにこりと微笑む。

「死霊の術を研究しているイシュが、千秋様のお体のことに気付かぬとお思いであるのならば、認識が浅いと申し上げる他はございません。
皆様の前で触れなかったことを感謝くださいませ。イシュは意外と空気の読める女でございますから」
「……ああ、感謝しておこうか」
苦い表情で言う千秋。
イシュはふっと表情を消すと、袖口をおろして首をかしげた。
「千秋様がそれほどに心配なさっておいででしたら、ウェルドからの定期便を待たずとも、今すぐにナノクニに送って差し上げますが?」
「結構だ」
千秋はそう言うとくるりと踵を返し、足早と出口に向かう。
「千秋様にも、わが神の祝福が早く訪れることをお祈りしております」
「残念だがその祈りは不要だ」
ジョンソンの言葉にも振り向きもせずにそう返し、千秋は早々に教会を後にするのだった。

「…………」

大通りにはたくさんのフェアリーランプが飾られ、洸蝶祭をにぎやかに彩っている。
死霊や魔物の仮装をした人々が楽しげに行き来するのを、ユキは宿屋の窓辺からぼんやりと眺めていた。
(死、かぁ……)
ユキは声には出さずに、今回のことを反芻していた。
(冒険者だから、リグの弟子だから、いつ命を落としても仕方がないよね。
それは覚悟してる。でも……)
ふ、と寂しげにため息をつく。
(リグが死んじゃうのはやだなぁ……)
あまりにもありえなくて、ひとかけらも考えたことのなかった可能性。
愛しい人が、死ぬ。
目の前からいなくなる。会えなくなってしまう。
愛しい人はあまりにも強くて優秀で、死から最も遠い存在であった。
だが、この世にありえないことなど何一つないのだ。
(会えても洸蝶祭だけなんて、きっと耐えられないよ……)
きゅう、と眉が寄る。
そのことを考えただけで、胸が潰れてしまいそうだった。
もっとも、その「死」の可能性の中に、自分の死は含まれていない。
こちらはありえないと言うよりは、あってもなんとも思わないだけだが。

「早く見つけないとなぁ……」

ユキの物憂げなため息は、洸蝶祭の喧騒に溶けて消えていくのだった。

「はぁ~死霊術でちゅか。さすがのあたちも、そっち方面は詳しくないでちゅねえ」

ところ変わって、喫茶ハーフムーン。
魔道学校にいる友達、ミディカを誘い出したアフィアは、守秘義務の範囲外のことを当たり障りなく話していた。
「死霊術、興味ない、嘘、なります。けど、少しで、理解できる、無理」
「まー、通常の術や魔法とは違うエネルギーを使いまちゅからねえ。あたちもすぐに理解は難しいでちゅね。
もっとも、そっち方面に手を出す気は今のところありまちぇんが」
「なーにー、怖い話してるね?」
皿を拭きながら、マスターが陽気に話に割って入る。
「ゾンビ作っちゃうの?僕としてはやっぱ、お肌はつるつるでぷりんぷりんな方がいいなー。腐ってるのはちょっとねー」
「マスター、微妙にセクハラでちゅ」
「あははは、ミディカちゃんは割りと僕の好みな年齢層だから嫌われるのは遠慮したいなー」
「マスター、ロリ、ですか」
「アフィアくんがそんな単語使うなんて…!お母さんそんな子に育てた覚えはありませんよっ!」
「育てられて、ない、です」
「ははは、マジレス。で、その死霊術使いの子は、どんな子だったの?」
「……一言、言う、変な人、でした」
「あははは。まあ死霊術使おうなんて人はどっかしら変なのかもねー」
マスターが笑いながら言って、拭いた皿を棚にしまったところで。

ばたん!

「マスター!ちょっと、助けてください!ゾンビが!!」
急に駆け込んできたミケを驚いて見やる一同。
「どーしたのミケくん」
「ミケ、うるさい、です」
「あれ、アフィアさんもいたんですね。ていうかそうじゃなくて、ゾンビが!」

「うぼあああぁぁぁあああ!」
「ぎゃああああああぁ!」

駆け込んできたミケの後ろから小柄なゾンビが転がり込んできて、ミケはまたしても悲鳴をあげた。
「アンデッドなんか死ねば良いのにー!!」
「あははははは!ミケ落ち着いて、ミアだよ!」
「へ?」
甲高い笑い声に振り向くと、小柄なゾンビは確かに、特殊メイクを施したミアだった。
「イシュのお屋敷でやったゾンビメイクが気に入っちゃって、ちょっとやってみたんだ!へへ、結構うまいでしょ!」
「なんだもう……脅かさないでくださいよ……」
あからさまにほっとするミケに、マスターが水を持ってくる。
「お疲れー。はい水」
「ありがとうございます……」
「で、ミケくんは洸蝶祭になんで一人でゾンビに追っかけられてたわけ?」
「洸蝶祭で騒ぐ人とかを見張るパトロールの仕事をしてたんですが……」
「ものの見事に役に立ってないね」
「うう……」
「気にすることないよミケ、ゾンビが怖いんだからしょうがないよね?」
「ゾンビが怖い僕をゾンビの格好して追い掛け回した人のセリフですか!」
「てへぺろ☆」
ははは、と店内が和やかな笑いに包まれる。
「ところでミケくん」
空のコップをミケから受け取ってから、マスターはにこりとミケに微笑みかけた。
「なんですか?」
「そっちの、ミアちゃん?は確かに生きてるみたいだけど、こっち側にいる誰かはなんか生きてないみたいだけど……」
「………え」
マスターの指差した方をぎぎぎぎ、と見るミケ。
そこには当然、何もいない。いないが。

「アンデットなんて死ねばいいのにー!」

ミケは力の限り叫ぶと、ダッシュでハーフムーンを後にするのだった。

「マスター、幽霊、見える、ですか」
「やだなー洸蝶祭のときのあるあるジョークでしょ。こうかは てきめんだ!」
ミケが去った後のハーフムーンでそんな会話が展開されていたことは、当然ミケの知る由もない。

「ふー……祭りは嫌いじゃないが、いささか疲れたな……」

喧騒を避けて路地に入ったグレンは、誰にともなしにそう呟いていた。
ルカの件で気が滅入っていて、気晴らしになればと街を出歩いてみたが、どうにも気が晴れない。
休憩しようと人通りの少ない道を選んでいたら、いつの間にか廃墟のような場所に出ていた。
「…ん、どこだここは?こんなところあったか……?」
かつては工場として使われていたのだろうか。古びた配管などがむき出しになっている。
グレンは不思議そうな表情で辺りを見回しながら足を踏み入れた。
と。

『グレン、また何か嫌なことでもあった?』

聞こえてきた声に、耳を疑った。
驚愕に目を見開いて、慌てて振り返る。
そこには。

「……ね、姉さん……?!」

ゆるいウェーブのかかった銀髪が、風もないのにふわりと揺れている。
白いワンピースを着て、愛らしい顔立ちに微笑を浮かべた10歳ほどの少女。
見間違えるはずもない。グレンの姉の姿だった。
……もうずいぶん前に、彼の目の前で、亡くなった。

「な、んで……」
『だって、グレンは嫌なことがあった時はいつも薄暗い所に隠れていたもの』
「いや、そうじゃなくて……っ」
的外れな答えに焦れて首を振る。
「なんで…洸蝶祭だからって、今まで、一度も」
『それ』
姉が指差したのは、グレンがチェーンに通して下げているネームタグだった。
「Adelaide」と刻まれた、姉の形見。
『それがね、私の魔力を持ってるから、ヨリシロになったの』
「よりしろ…」
『せっかくグレンが私のこと思いだしてくれたから、お話がしたくて。女神様に、お願いしたのよ』
「そう……なのか……」
気が抜けたように呟いてから、グレンは姉にずっと言いたかったことを思い出した。
「何というか、その……ごめん」
『え?』
「あの時、俺が孤児院を抜け出して変な場所に隠れなければ姉さんが死ぬこともなかった。
しかも、それをつい最近まで忘れていたんだからな。
唯一の身内だったのに薄情にも程があるだろ……」
『どうして?』
「どうして、って……」
『グレンは悪くないよ。だって、グレンは私の弟で、弟を守るのはお姉ちゃんの役目だもん』
「いや、でも」
『私のこと忘れてたのだってそうだよ。ひとはとっても辛いことがあると、自分を守るために忘れちゃうんだって、女神様が言ってたの。私はグレンがずーっと辛いよりは、忘れててくれたほうが嬉しいよ』
「姉さん……」
辛そうに眉を寄せるグレンに、姉は優しく微笑みかけた。
『グレンが元気なら私に後悔はないの。だから、グレンも後悔しちゃ駄目だよ』
「…………」
言葉もなく姉を見つめ返すグレン。
喉の奥に何かが詰まったように言葉が出てこない。
口をぱくぱくさせながら、言葉を考えあぐねていると。

「誰だ?!そこで何をしている!」

通りの方から声がして、グレンは驚いてそちらを見た。
数人の男が廃墟の中に駆け込んでくる。手に警備棒を持っているところからすると、このあたり一体の警備員か、自警団か。
「こんな廃墟に何の用だ?」
「何の用、って、別に……」
「お前まさか、こないだの一味の仲間じゃないだろうな」
「こないだの一味?」
「ここに魔物を召喚した、イカレた魔道研究者だよ。ったく、こんなところで大暴れしやがって。ちょっと来い!」
「あ、おい、ちょっと!」
グレンの弁解も聞かずに腕を引っ張ろうとする男達に、抗議をしようとしたその時。

『グレンを苛めちゃ駄目っ!ファイアーボール!』

ごう。
姉が放った火の玉が男達に降りかかり、男達は慌ててグレンと距離を取る。
「うわあっ?!」
「な、なんだこいつ!」
「ね、姉さん、何を……」
驚く男達と同様に、グレンも困惑した様子で姉を見た。
だが、今の術でだんだんと記憶が蘇ってくる。
(そういえば……)
生前の姉も、グレンが近所の子供達に苛められていたら魔法で報復するという、とんでもないブラコンであった、ような…うっすらとした記憶。
(この場でこれはまずすぎる…!)
一瞬でそう判断したグレンは、ネームタグを手に取り、なおも魔法を放とうとする姉を勢いよく抱えあげた。
『ちょっと、グレン!何するの、グレンを苛める人、やっつけられないじゃない!』
「いいから、いくぞ!」
炎に男達がひるんでいるうちに、ダッシュで廃墟を抜け出すグレン。
(さっきの中に知り合いなんていないだろうな…!)
青ざめた顔でそう思いながら、姉を抱えて走る。
『もーっ、グレン、はなして!』
「姉さん、もう、いいから!」
祭が終わり、姉の姿が光の中に溶けて消えるまで、グレンは姉を抱えながら、街中を走り回る羽目になったのだが。
言いようのないピンチに青ざめながらも、グレンの表情は先程より幾分か晴れ晴れとしたものになっていた。
それは、胸の中でずっとわだかまっていた思いが、ゆっくり溶けていくのを感じていたから。

『グレンが元気なら私に後悔はないの。だから、グレンも後悔しちゃ駄目だよ』

回答提示

「…………」

チェルは安らかな表情で、窓から大通りを見下ろしていた。
窓辺には、ルカの遺骨が納められた小さな壷。
壷の首には、瑠璃があしらわれたネックレスがかけられている。

「ルカ……」

彼の名を呼んで、ネックレスをなぞる。
それに応える声は、もう届きはしないけれど。

今夜は洸蝶祭。

きらびやかなフェアリーランプと人々の熱気を見下ろしていると、
何か奇跡が起こってもおかしくない、そんな気がしていた。

「……なんて、私らしくないね……」

苦笑して、踵を返す。

寝室に向かうため、チェルはそのまま部屋を後にした。

ひらり。

金色に光る蝶が、骨壷にかけられたネックレスに舞い降りる。

ひらり。

蝶の姿は誰にも見咎められることのないまま、

洸蝶祭の熱気に溶けて、消えた。

何をもって「生きている」のか。

何をもって「死んでいる」のか。

答えなどない。

否、答えは星の数ほど存在する。

これを、ひとつの答えとするならば。

「生きていたい」と思うこと。

これがすなわち、「生きている」ということ。

奇跡は、起こらない。

あの人はもう、生きていない。

けれど。

私は、生きている。

私は、生きる。

私にしあわせを与えてくれた、あの人のために。

あの人が愛してくれた、私のために。

私は、生きる。

“The Miracle from shining butterlfy” 2016.2.29.Nagi Kirikawa