問題提起

ひとは何をもって「死」を迎えたと断ぜられるのでしょうか。


呼吸の停止?


心臓の停止?


体が動かなくなること?


こころが自由でなくなること?


何もわからなくなること?




誰の記憶からも、消えてしまう、こと?

依頼内容

「あーっ!あの、ねえねえ!」

素っ頓狂な声と共に衣服の裾をくいと引っ張られ、ユキは思わず足を止めた。
振り返るも、誰もいない。
「?」
「こっち、こっち!」
下から響く声に視線を下げると、背の低い彼女よりももっと背の低い…有り体に言えば幼女が自分の服の裾を引いている。
「どうしたの?僕に何か用?」
ヴィーダ最大の酒場であるここ「風花亭」にはかなり不似合いなその姿に、ユキは首をかしげてしゃがみこみ、幼女と視線を合わせた。
その様子を特に気にすることもなく、幼女はにっこりと微笑んで親しげに話しかける。
「あなた、前にマジカル・ウォークラリーに参加してた人でしょ?」
「え。そう、だけど……」
きょとんとして頷くと、幼女は嬉しそうに手を合わせた。
「やっぱり!あのね、あの時ミアも参加してたの。どこかで見た顔だなーって」
「ああ、魔道学校の生徒さん?」
ようやく思い当たり笑顔を返すと、ミア、と名乗った少女は眉を寄せた。
「うーん、そうだけど、そうじゃないの。ミア、あの時は冒険者さんとして参加してたから!」
「え?」
驚くユキをさして気に止める様子もなく、ミアはきょろきょろと辺りを見回した。
「学費稼ぎのアルバイトにー、と思って、初めて来てみたけど……強そうな冒険者さんがいっぱいだね」
「そ、そうだね…えと、ミア、ちゃん?」
「うん?」
「アルバイトって、君、が?」
「そうだよ?」
「えっと……」
何の疑いもなく自分もここにいる冒険者たちと同等だと信じきって疑っていないミアの様子に、ユキは言いにくそうに眉を寄せる。
「あの……ここって、冒険者さんたちが依頼を探すところだから……」
「うん、知ってる!ミア、すごく危険そうな依頼ってまだ受けたことが無かったんだけど、ちょっとどきどきしてるんだ!」
「えっと……」
どう言おうかと頭を巡らせていると。
「なんだ、ユキじゃないか」
別のところから声をかけられ、ユキはそちらを振り返る。
「あっ、グレンさん!」
「久しぶり…でもないか。お前も依頼を受けに来たのか?」
「うん。これ……受けようかなって」
手にとった依頼票を見せると、グレンと呼んだ彼も頷いて自分の手の中の紙を見せる。
「奇遇だな。俺もだ。まあ、またよろしくな」
「うん、よろしく」
「で、その子供は?」
「えっと……」
「あっ!あなたも、マジカル・ウォークラリーに出てたよね!」
さらに表情を輝かせるミアに、首を捻るグレン。
「あ?ああ…なんだ、魔道学校の生徒か。学校の使いか何かで来てるのか?」
「ううん、学費稼ぎのアルバイトだよ。あ、ねえ、せっかくだから一緒の依頼受けていい?」
「はっ?」
思いもよらぬことを言われた、という様子で問い返すグレン。
ミアは気にした様子もなく、屈託のない笑顔を返す。
「知ってる人がいれば心強いし。さ、早く行こう!」
「あ、おい!」
先程までのユキと同じ微妙な表情をしながら、止める隙すらなくミアに手を引っ張られていくグレン。
ユキも同じ表情でそのあとをついていった。
依頼票に書かれた、依頼人との待ち合わせのテーブルへと。

「あっ……えっと、千秋さん、だっけ?」
グレンとミアと3人で訪れた席には、既に2名の人物が座っていた。
そのうち一人の男性を見て、ユキが声をかける。
千秋と呼ばれた男性は、おお、と顔をそちらに向けた。
「ユキ、だったか。マルの依頼ぶりだな。健勝そうでなによりだ」
「うん、千秋さんも。この依頼、受けるんだ?」
「ああ。こちらが依頼人だ」
千秋が促すと、向かい側に座っていた女性が静かに会釈をした。
「チェル・ハイナです。どうぞ、おかけください」
落ち着いた声音で促され、ユキたちも会釈して椅子にかける。
すると、チェルと名乗った依頼人は最後に椅子に腰掛けたミアを見て首を傾げた。
「どちらかの妹さんですか?申し訳ないのですが、おうちでお留守番していていただきたいんですが…」
「ミアは妹じゃないです!ちゃんと、依頼を受けに来たんだよ!」
「えっ……」
ぎょっとしたチェルに、ユキとグレンが先ほどと同じ微妙な表情をする。
チェルは眉を寄せ、諭すようにミアに言った。
「お父さんやお母さんには、ここに来てお仕事をすることは言ったの?」
「ミア、お父さんやお母さんはいないよ。魔道学校で暮らしてるの」
「でも…これはもしかしたら命を落とすかもしれない依頼なの。あなたにはまだ早いのじゃないかしら」
「それは…わからないけど、わからないうちからやめちゃうのは嫌だな」
「でも……」
「いいんじゃないか?」
軽く言ったのは、千秋。
「天涯孤独の身のようだ。冒険者が受けるような依頼をこなさなければ生活していけないこともあるのだろう。
魔道学校で暮らしているということは、少なからず魔法も使えるのだろうし、全く役に立たないということもないんじゃないか」
「そうだな、とりあえず一緒にやってみて、きついようなら帰したらいい。もちろん、その時は依頼料なしってことで」
ドライな様子でそのあとに続くグレン。
チェルは少し戸惑った様子で、しかし仕方なさそうに頷いた。
「そうですか…わかりました。皆さんがそれでいいとおっしゃるなら」
気を取り直して、という様子で姿勢を正し、改めて小さく礼をする。
「では、改めて…チェル・ハイナと申します。今回は、私の依頼を受けてくださってありがとうございます」
丁寧な言葉遣いできっちりと礼をするその様子は、冒険者の集まるこの宿にはあまり似つかわしくない育ちの良さを感じる。
年の頃は20代半ばほどだろうか。手入れの行き届いた長い黒髪。ぱっと目を引く美しい容貌ではないが、丁寧に施されたナチュラルメイク。黒い瞳は意志の強さの中に僅かな不安をたたえている。服装も華美ではないが仕立ての良い、全体的に品の良さを感じさせる女性だった。
「では、順にお名前を伺ってよろしいですか?」
チェルに促され、まずは千秋が会釈をした。
「一日千秋という。千秋でいい」
年の頃は二十前後、どこから見てもナノクニ人ですという風体の青年である。高く結われた黒髪に、意志の強そうな黒い瞳。ナノクニ独特の装束に、大ぶりのカタナを2本差している。
「洸蝶祭のためにナノクニに戻ろうかと思っていたが、ウェルドで乗ろうとしていた船が故障して港を出られなくなってな。
しばらくはここに居るので、その間に何かと思いこの依頼を受けた。やるからにはきっちりとこなすつもりだ。よろしく頼む」
「えっと…ユキレート・クロノイアです。ユキって呼んでください」
続いて、ぺこりと丁寧にお辞儀をするユキ。
見たところ二十前後といったところだろうか。襟足の長い鮮やかな茶髪と、大きな漆黒の瞳。少女とも見まごうほどに可愛らしくあどけない顔立ちと、全身黒ずくめの装束がやけにアンバランスな印象を与える。
「依頼の内容が気になって…受けることにしました。がんばります、よろしくお願いします」
「グレン・カラックだ。グレンでいい」
続いて、グレンが軽く会釈をした。
千秋と同年代ほどの青年である。短い銀髪に碧の瞳、茶系統でまとめた旅装束に大ぶりの剣という、どこから見ても冒険者ですという出で立ちで、おそらく彼が一番、この酒場に合っていると言えた。
「俺は…まあ、普通に路銀の足しで依頼を受けた。これで食ってるから、役には立てると思う。よろしく」
「えっと、ミアです!」
先ほど危うく受注自体を断られそうになったことなどなかったかのように、元気に手を上げるミア。
本人の言う通り、魔法使いの学校の制服です、という格好をした、10歳ほどの少女だった。まあ、フェアルーフ王立魔道士養成学校には制服はないが。赤毛を大きなリボンでくくり、幼さが有り余るほどに残ったあどけない顔立ちをしている。
「こんなに、冒険!って感じのお仕事するのは初めてだから、ちょっとどきどきしてるんだ。がんばるから、よろしくね!」
周りの心配をよそに緊張感のないコメントをするミア。一同は半ば諦めたような表情で、ひとまず話を進めることにした。
「それで、早速依頼の内容だが……」
「行方がわからなくなった男性を探してる、っていうことだけど…」
千秋とユキが言うと、チェルは目を伏せて頷いた。
「はい。名前はクルカ・イッツァ。冒険者です。モンスター退治の依頼を受け、出発したまま、行方がわからなくなりました」
「冒険者か……」
渋い顔をするグレン。
彼も、そして千秋もユキも、今ここにこうして生きているが、冒険者として依頼を受け、その先で命を落とす例など数多くある。依頼人を前に口に出すことなどないが、有り体に言えば「よくある話」だ。
チェルは続けた。
「お願いしたいのは、依頼票に書いた通りです。
彼の生死を確かめ、生きているのなら連れ帰ってください。そして、死んでいるのならその証を持ってきてください」
「あかし……」
ミアがつぶやき、チェルがもうひとつ頷く。
「何でも構いません。彼の持ち物…あるいは、髪や、骨…彼のものだとわかるものであれば」
「持ち物を見れば、彼のものだとわかる、ということか」
「はい、だいたいは」
「冒険者だということだが、装備品などはわかるのだろうか」
「僕も。その時、どんな装備をしていたか、知ってる?」
千秋に続き、ユキも頷いて訊く。
チェルは淡々と頷いた。
「ヴィーダで揃えた量産品の剣と盾を使っていました。鎧はつい最近買い換えた、魔法を組み込んだ鎖帷子だと言っていました。
魔法は簡単な回復程度しか使えないので、薬や食料といった旅用の道具はひととおり持っていると思います」
「彼の姿や特徴――絵なんかがあれば有難いんだが」
グレンが言うと、そちらに向かって頷く。
「似顔絵は…残念ながら。背はちょうどグレンさんと同じくらいだと思います。癖のあるブラウンの髪をショートにしていて、目はグレーです。年は私と同じくらいですが、少し老けて見えるのを気にしていました」
「ねえねえ、その人って、一人で依頼を受けて出発したのかな?
一人で行ったなら、すごく強い人だったのかな~?どんな人だったの?」
ミアが聞くと、さらに千秋も同調した。
「そうだな、そこは確認したい。モンスター退治の依頼を受けたということはそれなりの腕を持つ冒険者なんだと思うが、ダンジョンには1人で入ったのか?」
「それは…どうでしょうか。わかりません」
「わからない?」
「彼が、おそらく目的地へ向かう前に出した手紙しか、情報はないのです」
かさ。
チェルはそう言いながら、テーブルの上に手紙を広げる。
そこには、今いる場所、依頼を受けたこと、これから向かう場所のことなどが書かれていた。
「神の洞窟にモンスターが住み着いて困っているので、退治して欲しい…か」
書かれていることを読み上げるグレン。
「これだけではどんなモンスターがいるのかはわからないな」
「はい。おそらくは、その洞窟の近隣にある村で出されていた依頼を受けたのだと思いますが、仲間のことは記載がありません。
彼は皆さんと同じく、フリーランスの冒険者です。決まったパーティーは組んでいないので、その時依頼で一緒になった冒険者と行動を共にします。
ただ、皆さんもそうだと思いますが、自分で仕事を受けたと報告する時に、一緒に仕事をする、見知らぬ冒険者の話はしません」
「それはまあ……確かにな」
妙に納得して頷く千秋。
「俺も、帰ってから土産話として事件の詳細を親しい奴に話すことはあるが、生存確認として出す手紙に、そいつと特に関係のない仕事仲間の情報は書かないな」
「はい。ですから、彼が一人で依頼を受けたか、それとも皆さんのように、同じ依頼を受けた方が複数いるのかはわからないんです」
「そっか……」
若干しょんぼりとするミア。
「依頼の内容も…これだけじゃ、詳しくはわからないね…」
残念そうにそう言って、目を通した手紙をテーブルに戻すユキ。
さらにグレンも続く。
「ああ…モンスターの情報や、あるいは洞窟の情報が事前にあればと思ったが…無いものを嘆いても仕方がないな。実際に行けばわかることだ」
「そうだね……」
「ところで…」
最後に、千秋が神妙な表情でチェルに聞く。
「失礼を承知で聞くが、その男との関係は……ただの冒険者なら、半年も経ってわざわざ捜索の依頼を出しには来ないと思うのだが」
予測していた質問なのか、チェルは特に不快な表情も見せず、薄く笑ってみせた。
「…将来の約束をしていました」
かさ、と、テーブルの上の手紙に指先を触れさせて。
「依頼を受けて、お金を貯めて…もうすぐ、目標に到達するというところでした。
そうしたら、冒険者を辞めて、町で道場を開き、落ち着いた暮らしをしたいと…私と、一緒に」
「チェルさん……」
切なげな表情でチェルを見やるユキ。
千秋は更に言いにくそうに、チェルに言った。
「その…最悪の場合は遺品だけ見つかることになるかも知れないが…」
「承知の上です」
やや硬い声音には、決意と、そして僅かな不安が滲んでいる。
「冒険者という仕事をしている以上、いつ亡くなってもおかしくない。だからこそ、彼はこうして、仕事を始める前に所在を明らかにして、消息を追えるようにしているんです。
もちろん、彼が戻ってくるのならばそれが一番ですが……私は、単に決着をつけたいのだと思います」
「決着……?」
不思議そうに首をかしげるミア。
チェルは苦笑した。
「私は、待ち続ければいいのか、待つのをやめて新しい道を踏み出したらいいのか……その道しるべと、きっかけが欲しい。
来るかわからないものを待つのは、思ったよりも消耗するものです。来ないなら来ないと…その事実を知りたい」
「………」
返す言葉を見つけられずに黙り込む一同。
チェルの言葉からは、諦めにも似た響きと、それでも諦められない葛藤が感じられる。結果の分からない状態が続くのが、辛い。それがたとえ辛いものであったとしても、結果が知りたい……そう決意するまでに、半年かかってしまった。要は、そういうことなのだろう。
チェルは取り乱す様子も見せずに手紙をしまうと、手紙を入れた封筒をついと差し出した。
「先程もお見せしましたが、この中に、彼が最後に依頼を受けた村の情報があります。
ここに向かい、彼の消息を追ってください」
「承知した」
千秋が代表で受け取り、手紙を懐にしまう。
チェルはそれを確認すると、もう一度、丁寧に冒険者たちに礼をした。

「では……よろしくお願いいたします」

「なるほど……神を祀る洞穴に、モンスターが…」
ふむ、と頷いて、彼は神妙な表情を作った。
長い栗色の髪を三つ編みにし、黒いローブをまとって黒猫を連れた、どこからどう見ても魔道士ですという風体の青年である。青い大きな瞳はどちらかというと可愛らしい印象を与え、落ち着いた雰囲気とのアンバランスさを醸し出している。
名を、ミーケン・デ=ピースといった。
「それで、冒険者を雇って討伐をお願いしたんですね?」
「はい。いやあの、神を祀るといっても…年に一度、祭りの時に儀礼的に祈りを捧げに行っているだけなんですよ。普段から何かに使っているとか、そういうんじゃないんですね。むしろそれ以外で行く用事はないし、だからびっくりしてしまったんですよ、いきなりあんな大きな獣がいて」
ミケとテーブルをはさんで向かい側に座っているのが、この村の村長のようだった。おどおどした様子で要領を得ない説明をしている。
「だからですね、まあその、祭がなければあの洞穴に行く用事もないわけで。しかしその、毎年のことなので、みんな楽しみにしているんですよ。洞穴に祈りを捧げに行く巫女役の娘は、その年の村一番の器量よしと影で囁かれておりまして…まあその、水面下で熾烈な争奪戦が繰り広げられるといいますか」
「そ、そのあたりの情報はあまり要りませんが…要は、皆さん楽しみにしている祭りなので、中止にしたくはないと。そして、洞穴に祈りを捧げに行く儀礼も、できればやめたくないということなんですね?」
「はあ、まあ、そういうことなんですよ」
「それで…そのモンスターを退治に、冒険者が向かったと」
「はい…半年ほど前のことですが……依頼を受けた冒険者さんたちが洞穴に向かってくれたんですが、そのまま帰ってはこず……その、私たちも、なんだか怖くなってしまいまして……」
ぶるっと肩を震わせて、村長。
「なにぶん、こんな田舎なんで…冒険者さんたちもあんまり来ないでしょう。わざわざヴィーダの方に出向いて、都会の冒険者さんたちを雇って…っていうほど、予算があるわけでもなくてですね…」
「なるほど、お話はわかりました」
長くなりそうな村長の話を遮って、ミケは続けた。
「冒険者さんたち、ということは、複数の方が洞穴に向かわれたということでいいですか?」
「複数というか…お二人、ですね。剣士の方と、魔法を使われる方と。なにぶん田舎なもので、冒険者さんたちもなかなか集まらず……」
「二人ですか…実力のほどはわかりませんが、少なくとも二人では太刀打ちできない相手である可能性があるということですね…」
「ですよね……」
しょんぼりと肩を落とす村長。
ミケは苦笑してから、元気づけるように身を乗り出した。
「まあ、前金だけもらって逃げた可能性も、ないわけではないですし」
「それはそれで嫌なものがありますが…」
「とりあえずは、様子を見てきてみます。場合によってはその場で倒すよりも、応援の冒険者を連れてこないといけないかもしれません。……僕も一人ではなかなか大物に戦いを挑むのは無理ですので」
「あの、あまり無理をしないでくださいね。その、本当に、どうしても倒さないと生活が成り立たないっていうわけでもないんで…」
なおも心配そうな村長をなだめてから、軽く報酬の交渉をし、逃げないという保証として後払いで受け取る旨を約束する。
「それじゃあ、支度をして、行ってきます。地図はこれでいいんですよね?」
あまり複雑そうでもない、村から洞穴までの地図を手に立ち上がるミケ。
すると、そこに。
「あなた、冒険者の方がいらしてるわよ」
ノックとともにドアが開き、村長の妻が顔を出す。
村長はきょとんとした顔で首をひねった。
「冒険者?ミケさん以外の方にこの話をした覚えはないが……」
通せ、と言う前に夫人がドアを大きく開け、そばにいたであろう冒険者たちを中に通した。
「失礼。半年ほど前にここで依頼を受けたという冒険者のことについて、少し話を聞きたいのだが……」
要件を告げながら入ってきた冒険者たちに、ミケは目を丸くした。

「ち、千秋さん?!」
「む、ミケ?」
「えっ、ミケさん?」
「なに、ミケがいるって?」
「えーえー、なになに?」

あまり広くはない村長宅の応接室は、あっという間に賑やかになった。

洞穴探索

「へぇ、じゃあ、ルカさんが受けた依頼を、もう一度ミケさんが受けたっていう感じなんだね」

さくさくと山道を歩きながら、ユキは感心したようにミケに言った。
「ルカさん、とおっしゃるんですね。その、行方不明になった冒険者さんは」
「クルカ・イッツァ。依頼人はルカと呼んでいたようだ」
千秋が補足すると、ミケは気の毒そうに眉尻を下げた。
「そうなんですね。恋人の帰りを待ち続けて、生死は問わないから消息を知りたいと……なんだか、切ないですね」
「まあ……死んだと決まったわけじゃないだろうが、十中八九…な」
仕方ない、というように嘆息するグレン。
「まあ、ミケが依頼の続きを引き受けてくれて、手間が省けた。依頼の内容もわかったし、洞窟までの地図も手に入ったしな」
「僕も、皆さんが手伝ってくださるならとても助かります。ひとまず様子を見て、手こずるようなら増援をと思っていましたから、こちらも手間が省けました」
「それで、ルカはくだんの洞窟に一人で向かったのか?」
千秋の質問に、そちらを向く。
「いえ、魔道士の方とお二人でパーティーを組んでいたようです。このあたりはあまり冒険者の立ち寄りそうな場所じゃないですからね、依頼にはそれくらいしか集まらなかったようで。もうおひと方とはお知り合いだったんですかね?」
「いや、俺たちと同じ、特定のパーティーは組んでいない、フリーランスの冒険者だったようだ。たまたま居合わせて、同じ依頼を受けたんだろう」
「そうなんですね。先ほど頂いた資料の中に、依頼を受けたおふたりの名前がありましたから、もしかしたらもうおひと方も、ご家族の方が探していらっしゃるかもしれませんね。ええと…クルカ・イッツァさんと、もうお一人…」
がさがさと道具袋を漁るミケ。
「あれ、えーと……ないな。置いてきちゃったかな…あまり、この依頼自体には関係なかったからなー」
「まあ、帰ればわかるだろう。ひとまずは、先を急ごう」
「そうですね」

「ああーーーーーっ!」

突如あがった素っ頓狂な声に、一同がぎょっとしてそちらを見る。
と、ミアが目を丸くしてミケを指差しているところだった。
「どうしたの、ミアさん?」
ユキが訊くと、ミアは驚きの表情から一変、嬉しそうに表情を輝かせた。
「どこかで見たことあるなーって思って、ずっと考えてたの!思い出した!」
「え?」
「あなた、ナイトメア・ホテルで一緒だった人ね!」
「え」
「え」
ミアの言葉に、ミケと、そしてユキも驚いてそちらを見る。
「ミアのこと、覚えてる?ナイトメア・ホテルで、一緒にお食事したでしょ?」
「ああ……そういえば」
思い当たった様子で、ミケも相貌を崩す。
「そんなこともありましたね。確か、魔道学校の生徒さん、でしたか?」
「うん!で、今思い出したけど、その時にユキも一緒だったよね!ウォークラリーのことしか覚えてなかったな、ごめんね」
「あ、いや、それは謝ることじゃないけど…僕も覚えてなかったし」
ミアの言葉に苦笑するユキ。まあ、一晩限りの宿で食事を共にしただけの人物はあまり覚えてはいないものだ。
「ナイトメア・ホテル?」
「なんだ、それ?」
3人の会話についていけない千秋とグレンが問うと、ミケは考え込むように視線を動かした。
「ええと……以前泊まったホテルの名前です。ちょっと古めかしいけど、豪華なホテルで…なのに、お値段の交渉も聞いてくれるいいところでしたよ」
「そのホテルに泊まると、会いたい人の夢を見られるんだって。僕も泊まったけど……そうだね、夢の中に、会いたい人が出てきたよ」
「ミアも!」
「会いたい人の夢を見る宿か……」
千秋が呟き、何故かグレンも一緒に微妙な表情を作る。
「泊まってみたいような、みたくないような…微妙な感じだな」
「要望が多ければもう一度出現するかもしれないですよ?」
「なに?」
「本当か?」
「メタ発言はともかく、それじゃあ、ここにいるメンバーは、全員何がしかの知り合いということですね」
「世間は狭いな」
「まったくだ」
微妙な会話をしながら、山道を奥へと歩いていく一行。
出発した時には真上にあった太陽は、そろそろ茜色にその姿を変えようとしていた。

「ここですか……」
洞穴にたどり着いた時には、すでにあたりは薄暗くなっていた。
山あいの崖地にぽっかり空いたような穴は、建物ほど整えられてはいないが、天然そのままというほど歩きにくくはなさそうだ。
「ある程度、歩くのに不自由はしなさそうだな」
「年に1回は祈りを捧げに行く人々がいるわけですからね」
一同は思い思いに中の様子を探っていたが、不意にグレンが思いついたように言った。
「そう言えば。
ルカの鎧は魔法を編みこんだものだと言っていたな。魔力探知で居所が分かるんじゃないか?」
「え、そうなんですか?」
チェルの依頼を受けていないミケが言うと、一同が頷き返す。
「うん、確かチェルさんがそう言ってたね」
「試してみる価値はありそうですね」
「せっかくだからミケ、やり方を教えてくれよ」
「え」
思いもよらぬことを言われ、驚くミケ。
グレンはポリポリと頭を掻いた。
「いや、こないだの依頼の時、魔力感知がかなり役に立っただろ?今後のためにも使えておいたほうがいいと思うし」
「グレンさんは、魔法を……ああ、そういえば、剣にエンチャントしてましたね」
前回の依頼でのグレンの戦いぶりを思い出したミケは、快く頷いた。
「いいですよ。そんなに難しくはないですし。いいですか……」
ミケの多分に観念的な説明を熱心に聞き、グレンは早速魔力感知を行ってみることにした。
「………」
目を閉じ、意識を集中する。
しばしの沈黙が落ちた。
「……ダメだな」
息をついて、なぜか自分の剣を見下ろすグレン。
「何か、俺の剣――いや、その装飾から僅かな魔力を感じるんだが……」
「魔力剣ですか?」
「…いや……あー……もしかして……師匠の手紙はこれのせい……よし、とりあえず次に会ったら問い詰めよう」
何やら妙に納得するグレンにそれ以上追求する雰囲気でもなく、ミケは嘆息して洞穴の奥に目をやった。
「せっかくですから、僕もやってみましょうか」
グレンと同じように目を閉じ、意識を集中するミケ。
ややあって、その表情がぴくりと動いた。
「これは……誰かがいるようですね」
「え?!」
驚く一同。
ミケは続けた。
「この洞窟の中を……歩いています。魔力は…とりあえずはあまり感じられませんが…」
「ルカさんかもしれないね!」
嬉しそうに言うユキに、ミアも嬉しそうに頷き返す。
「きっとそうだよ!ね、早く行こう!」
「あ、待ってください!モンスターがいるんですから、うかつに入っては危険です!」
早速駆け出そうとするミアを慌てて止めるミケ。
その後ろで、千秋が嘆息した。
「まったく…どんな危険が待っているかわからないんだ。魔道士は後ろからついて来い」
言いながら、すっと先頭に立つ。
「そうだよ、ミアさん。危ないから、後ろに下がっていてね」
ユキもそれに続き、前へ。
「止めてくれる仲間に感謝しろよ。世の中、こんな優しい奴ばかりじゃないからな」
更にその隣に立つグレンにまでたしなめられ、ミアはしゅんと肩を落とした。
「はぁーい……」
「しんがりは僕がつとめますから、ミアさんは僕の前にいてくださいね」
ミケに優しく諭され、ミアは仲間たちに囲まれるような形となる。
「じゃあ、ミアは…明かりの魔法を使うね」
言って、手を上にかざし、火の魔法を使う。
ミアが手のひらを上に向けている間は、炎は松明のように安定してうずを巻き、あたりを明るく照らしていた。
「人がいるのはわかったが、モンスターの気配はどうだ?」
「それが……」
珍しく言葉を濁すミケに、眉を寄せるグレン。
「どうした?」
「……いえ。言霊はホントにあるんで、口にしないようにします」
「?変な奴だな……」
煮え切らないミケの様子に首をかしげながらも、一同は中へと足を踏み入れた。
「一人なら、風魔法で匂いと音を消して歩いたんですけどね。残念です」
「残念なのか」
「ボツになったアクションでもアピールだけはしておかないと」
「また高次元プロンプター持ち出されるぞ」
「負けません…!ポチに魔法をチャージして匂いを消しつつ、僕は音を消す魔法をキープ……」
「はいはいプロンプタープロンプター」
長い付き合いからの軽口を叩き合いながら進むミケと千秋。
ユキは黙ったままあたりを警戒しつつ歩いている。中途半端に人の手の入った洞穴は、思ったよりも歩きやすく、何かが潜んでいそうな物陰もあまり見えなかった。
「しかし…人がいたとして、ルカかどうかはあまり希望を持たないほうがいいんじゃないのか」
グレンが言い、ミアがきょとんとしてそちらを見る。
「どうして?」
「行方不明になったのは半年程前だろう?
生きていたら良いとは思うが……モンスターの住むダンジョン内部で半年も生きられるんだろうか」
「それは……そうだね」
眉尻を下げて、ユキ。
グレンは続けた。
「いや、食糧や水を確保できるなら可能性は残っているか。
水場近辺、薪跡・動物の骨など“人の痕跡”が残る場所、野草が自生している場所――がここにあるかどうかだな」
言いながら、あたりを見回す。
「んー……あまり、ないみたいだな。水場も植物も見当たらない」
「そうだね……」
しょんぼりするユキ。
すると。
「しっ……」
立ち止まった千秋が、指を口元に当てて沈黙を促す。
ぴちゃ。
一同が口をつぐむと、雫の落ちる音だけがあたりに響いた。
そのまま、小声で囁く千秋。
「……誰か、来るぞ」
言葉の通り。
僅かではあるが、足音がこちらに近づいてくるのがわかった。
ごくり。
固唾を飲んで、洞窟の奥から人が近づいてくるのを待ち構える一同。
やがて、奥からほんのりとした明かりが近づき、徐々にその姿を現した。
松明の明かりに照らされた、青みがかった白髪と金の瞳。旅装束をまとってはいるが、その姿はどう見ても年端も行かぬ少年で。
ただ、妙に落ち着き払った雰囲気だけが、見た目の幼さとのアンバランスさを醸し出している。

「……そこに、誰かいる、ですか」

どこかで聞いたことのある、たどたどしい口調。
一同の中の何名かが、目を丸くして彼の名を呼んだ。

「あ、アフィアさん?!」

「うち、人、探してた。こっちの方、行った、噂、聞きました」
アフィアと合流した一同は、事情を話して彼に同行を頼んだ。特に断ることもなく行動を共にしたアフィアは、淡々と自らの事情を話し始める。
「人探しって……ひょっとして、ルカさんのこと?」
ユキが訊くと、アフィアは首を傾げた。
「うち、探してる、ルカ、いう人、違います。たぶん、みんな、知らない人」
「あ、そ、そうなんだ……」
若干恥ずかしそうに口をつぐむユキ。
「それで…探している方はいらっしゃったんですか?」
続いてミケが尋ねると、アフィアは無表情のまま首を振った。
「いない、みたい、です。洞穴、まだ、奥、ある、けど、そこまで、行った、可能性、低い。人、気配、なかった。うち、引き返した」
「なるほど……」
「モンスターがいるようだが、遭遇しなかったか?」
千秋が尋ねると、アフィアは僅かに眉を寄せた。
「いやな、気配、ありました。うち、一人。危険、近づく、理由、ない」
「ま、そりゃそうだな」
嘆息して、グレン。
「しかし、もしかしたら死ぬようなモンスターかもしれないわけだよな…気を引き締めていかなきゃな」
そんな彼の言葉を、ミアは不思議なものを見るように見上げる。
「ちょっと前に結構深く切られちゃったこともあったけど、その時はたぶん大丈夫って思ってたから、ミアはまだ、死んじゃうって思うほどの冒険ってしたことないな……ここにいるみんなは、あるの?」
混じりけのない純粋な質問に、一同はうーんと唸る。
「……え、ええと……常に?」
「おい」
おそるおそる言ってみたミケにテンポよく突っ込む千秋。
ミケは苦笑した。
「元々、僕は魔導士なので、単独行動は比較的死にそうというか。
普通の人間としては、分不相応な魔物と対峙することが多かった気はするんですよね、何故か」
「へぇ……ミケ、すごいんだね!いっぱい冒険してきたんだ」
キラキラと顔を輝かせるミアに、何故か表情を沈ませるミケ。
「……あれ、よく考えると修業時代も死にそうな感じで、常にぎりぎりで魔法の習得していた気がする……先生酷い。
子どもの頃も、姉に格闘技とかかけられて怪我していた気がする……。
最近、依頼でも何でもなく、たまに天災のように魚類が来て、攻撃魔法で死にそうな気も……」
「愛の交換か」
「違います」
すかさず突っ込む千秋にテンポよく返してから、ミケはさらに肩を落とした。
「あれ、なんか、涙が出てきた……。
僕、基本的に憶病でへたれなので、死にたくないって思ってるつもりだったのに……いつの間にか『いつ死んでもおかしくないし、それ故に常に悔いの残らない人生を送ってる』ような気がしてきた……」
「心配、ない」
「アフィアさん……」
「気がする、違います。誰の目にも、そう見えてる」
「ううう……」
上げて落とされて沈黙したミケを尻目に、千秋が話の続きに乗る。
「あー……そうだな、今までで一番死を覚悟したのは、鬼……魔族に近い生き物に襲われて、はらわたをぶちまけられた時だな……あれは本当に死んだかと思った。
何とか治療が間に合って助かったが、今でもぞっとする。
今までの旅でも危ない目に遭ってきたが、走馬灯を見たのはあの時だけだったな……」
「愛の交換ですね」
「違う」
すかさずツッコミ返しをするミケにテンポよく返す千秋。
「なんか…だんだん愛の定義がわからなくなってきたな……」
「だから、愛ではないとゆーに」
訂正しようとする千秋を軽くスルーして、グレンは眉を寄せた。
「死を覚悟したエピソード、か……あまり期待に応えられるような話はないな。今すぐ思い浮かぶのは――あぁ、冒険者時代ではなく修行時代の話で1つ」
ぴ、と指を一本立てて、続ける。
「あれは、師匠の元に身を寄せて少し経った頃だったか。
倒れるまで稽古させられて、疲労と空腹で動けない時に出てきた食事が黒い炭というか。
あのオッサン、“剣の腕以外”は全く駄目な人種なんだよ」
「メシマズ、というやつですね」
「ミケ、それは何か違うぞ」
「炭を食うならその辺の野草を食べていた方がマシだろ。
そう思って手近の草を食べたら、眩暈・腹痛・吐き気等々……毒草だったらしいな。
あの時は死ぬかと思った」
「それは……大変だったね……」
気の毒そうに見上げるミアに、げっそりとした様子でグレンは続けた。
「師匠の知り合いが来てくれたから何とかなったが、野草に関する知識は徹底的に覚える事にした」
「体で覚えていくことって、ありますよね……わかります……」
妙に共感した様子で同意するミケ。
すると、それにユキが続いた。
「僕も、修行時代の話だけど…まだ師匠と一緒にいた時なんだけどね。
師匠を狙った人たちに捕まって、殺されそうになったんだ」
「ユキさんが、ですか?なんでまた」
「師匠って仕事柄そうなのもあるけど、徹底的に冷たい人で、でもかっこいいから、男の人からも女の人からも恨みを買いやすくって……」
微妙にのろけの入った発言に、一同が微妙な表情になるが、ユキはそんな様子に気付くことなく続けた。
「それで、あんまり戦う力がなかった弟子の僕を腹いせに、ね。
怪我はしなかったけど、相手が本気なのはわかったし……」
そのときのことを思い出したのか、僅かに眉を寄せて遠い目をするユキ。
「死ぬ覚悟はできてたけど、恐怖よりも師匠に迷惑をかけちゃったことが悲しくて、ついつい泣いちゃった」
恥ずかしそうに頬を染めて苦笑し、それからすぐにぱっと明るい表情になる。
「でも師匠がすぐに僕を助けてくれたんだ。
目を瞑って耳を塞いでろって言ったから言う通りにしてたら、相手はいなくなってたよ」
あえて多く語らない言葉の中に、怖いニュアンスが凝縮されている。
コメントを返せない一同に、ユキは嬉しそうに微笑んで見せた。
「でもね、悪い思い出ってわけじゃないんだ。
師匠に初めて優しくしてもらって、優しい声もかけてもらったから、嬉しかった。
死の覚悟はしたけど、それと同じくらい嬉しい記憶でもあるから」
「最初から最後まで惚気だったな……」
「しっ。千秋さん、刺されますよ」
小声でツッコミ合戦をする千秋とミケをよそに、ミアは感心したように息をついた。
「みんな、たくさん冒険してるんだね…ミアもいつか、立派な魔道士になって、たくさん冒険したいなあ」
「一番、主旨、沿った、話、それでも、ミケ、思います」
あまり多くを語らないアフィアがそうしめたところで、一同が足を止める。
「どうしたの?」
つられて立ち止まったミアが辺りを見回す。
「…いるな」
「ああ」
先頭に立っていた千秋とグレンが低く言って頷き合った。
ふわり。
空気が動いて、洞穴の奥の空気を運んでくる。
とたんに、ミアが眉を寄せた。
「……変なにおい」
「ああ……とりあえず、訂正します」
ミケはうんざりした様子で、懺悔するように胸に手を当てた。
「言霊はあると思います。けれど、口にしようとしなかろうと、真実は厳然とそこにある」
「回りくどい言い方はいい、直球で頼む」
千秋が言うと、ミケは仕方なさそうに言った。
「魔力感知をしたときのこの気配、出来れば思い出したくなかったんですけどね」

ちゃっ。

堅い爪が、岩の床を鳴らす音がする。
ぐるるるふるるる。
獣の唸り声のような音は、どこか空気が抜けたような響きを伴った。
ふわり、と漂う匂いは、もはや誰の鼻にもはっきりとした悪臭として感じられる。

かつては生きて存在していた肉が腐り果てた、強烈な腐臭として。

「獣のようなモンスターとは聞いていましたけどね……獣型の、ゾンビだとは、さすがに予想外でしたよ」
ゾンビなら匂いを消す意味は無かったですね、とどうでもいいことを思いながら、乾いた笑いを浮かべるミケ。
ミアが驚いた拍子に、明かり代わりの火魔法がぐっと大きくなり、洞穴の奥のその姿を照らす。

そこにいたのは、大型の狼のような……獣型の、アンデッドモンスターだった。

難敵撃破

「ゾンビかぁ…まいったな」

油断無く構えたユキは、困ったように眉を寄せた。
物理攻撃しか手段のない彼女にとっては、正直言えばあまり戦いたくない相手ではある。
「そうだな…俺の攻撃も効きが鈍い可能性が高い」
渋い表情で、こちらも剣を構える千秋。
「だが、俺たちが受けた依頼はモンスターの駆除ではなく先に潜った男の行方を捜す事だ、弱ってきたモンスターが逃げるような事があれば、後を追跡して棲家を確認する手もあるんじゃないのか」
「そうだね、僕もそう思う」
千秋の言葉に同意して頷くユキ。
「人探しの依頼なんだから、無理に戦闘しなくても…って、見つかってる時点で戦うしかないんだけど」
「いえまあ、そうなんですけどね。一応、僕の依頼はモンスターを倒すことなんで」
困ったようにミケが言うと、千秋が今思い出したように言った。
「そういえばそうだったな」
「まあ、相性が悪いなら無理にとは言いませんが」
「では、俺は動きを封じてフォローに回るとしよう」
「そうだね、僕も」
千秋とユキは、言うが早いか地を蹴ってゾンビ狼に斬りかかる。
ぞぶ。
鈍い手ごたえと共に2人の武器がゾンビ狼の足に食い込むが、当然ながら特に悲鳴をあげる様子も、痛みに暴れまわる様子もない。
「ちっ…勝手が違うな」
「もうちょっと足先を…狙えば!」
勢いをつけてゾンビ狼の足にナイフを突き立てるユキ。
ナイフは足先を縫いとめるように、腐肉ごと地面に突き刺さった。
「なるほど…なっ!」
それに倣い、千秋も刀を大きく振りかぶって、もう片方の足を切断する勢いで刃を食い込ませる。
がくん。
肉を削がれ、バランスを失ったゾンビ狼は大きく体勢を崩した。
「千秋さん、ユキさん、避けて下さい!」
そこにミケの声が鋭く飛び、千秋とユキは振り返ることも無くさっと両脇に跳んだ。

「ファイアーボール!」
「ファイアーボール!」

ミケとミアの魔法がダブルで放たれ、洞窟の中だからか幾分小さめの火の玉が次々と襲い掛かった。
ごうっ。
火の玉はひとつも外れること無く全弾命中し、ゾンビ狼は炎を上げて燃え始めた。
だが。

ごわっ。

炎を上げながらも、まるでそんなことは無かったかのように平然と吼えるゾンビ狼。
足を縫いとめていたユキの剣を振り切るように足を上げると、剣は足先を縫いとめたまま、足首がもげて持ち上がった。
「うわっ」
炎を上げたゾンビ狼を避けるように千秋とユキが後ろに下がる。
ごっ、ごっ、ごっ。
意外な速さで走るゾンビ狼は、まっすぐにミケたちの方へ駆けていく。
「被害を広げただけでしたね…」
「どどど、どうしよ…」
焦りの色を見せてにじり下がる二人の前に、アフィアが立ちはだかった。
すう、と息を吸い。

ばりばりばりっ!

放たれたサンダーブレスは、ゾンビ狼の足を止め、纏っていた炎を吹き飛ばす。
そして、そこに。

「でやあああぁぁぁっ!」

剣に火の魔法を纏わせたグレンが、軽く跳んで上段から叩き切るように剣を振り下ろした。
ごが。
妙に鈍い音がして、火で焼かれた腐肉がぼろぼろとくずれていく。
しばらくうごめいていたそれは、やがて動力が切れたように動かなくなった。
「ふぅ……危なかったな」
「ありがとうございます、アフィアさん」
「ありがと、アフィア!」
ミケとミアが礼を言うと、アフィアはどうということはないというように軽く頭を動かし、ゾンビ狼のなきがらを見下ろした。
「うち、最近、ゾンビ、見ました。ゾンビ、死霊術で、操られてた。操る時、魔力、発生する。でも、魔力、感じなかった」
「そうですね。命令を持って何かをする場合は魔力の発生はありませんが、命令する時には魔力が発生するようになっているようです」
ミケが頷いて言うと、ふむ、と千秋が唸る。
「つまり、ここには、このゾンビ狼に命令をしているヤツはいなかった、ということだな」
「あれから少し勉強したんですが、要は、ゴーレムを生成するようなものなんですね。材料が、死体と死者の魂だと言うだけで」
ミケが言うと、ミアはぞっとしたように体を震わせた。
「なんか、怖いね…」
「まあ、材料のことを深く考えると鬱になりますが、要はそういうことです。命令をすれば、死霊は次の命令が来るまで、あるいは物理的に動けなくなるか、動力となる魂の力を散らされるまでその命令を実行し続ける。魔力を発するのは命令するその瞬間だけです。
命令がなんだったのかは、推測するしかありませんが…まあおそらくは、ここに来るものに攻撃するとかその類のものでしょう。
なぜこの場所で、そんな命令をしたゾンビを置いたのかは謎ですが」
「じゃ、じゃあ、ルカさんは……」
心配そうにユキが言うと、グレンが辺りを見回して首を振る。
「いや、ここがこの洞穴のどんづまりのようだが…人の死体や骨らしきものは見当たらない。ここに来るまでも無かったし、少ない分岐の先にも見当たらなかった。つまり、死体がここに放置された可能性は低い」
「ゾンビ狼が食べちゃったとか…?!」
ミアが言うと、千秋が嘆息した。
「ゾンビが人を食うとは思えんな。そもそも栄養素を必要としない。加えて言えば、食べろと命令されない限りは食べないだろう」
「そ、そっか……」
「うーん……じゃあ、ルカさんは一体、どこに行ったんだろう……?」
ユキの言葉は、疑問に答える声も無く、空中に溶けて消えた。

洞穴を出ると、いつの間にか夜が明けていた。
「結構長いこと潜っていたんだな」
「村に帰ると……昼過ぎくらいになりますかね。ちょっとしんどいですし、どこかで休憩していきますか?」
辺りをきょろきょろと見回すミケ。
「もしかしたら、ゾンビ狼から逃げたルカさんが、このあたりのどこかで休んだかもしれないし…ちょっと、何かないか探してみるね」
ユキはそう言うと、背中から翼を出して高く飛んだ。
「おぉ……ユキってフィーザだったんだな」
「たまに忘れそうになりますが、そうなんですよねー」
自分も魔法で飛べるくせに、空を翔るユキを他人事のように眺めるミケ。徹夜明けで少し頭がボーっとしているようだ。
ややあって、ユキは興奮した様子で地上へ降りてきた。
「ねえねえ!あっちの方、すぐ近くに、村があるみたいだよ!」
「えっ」
「本当?」
少し希望がわいた様子で、一同は早速ユキの示した方向へと足を運んだ。

「……ここ……ですよね?」
ユキが見つけた「村」には、本当にすぐにたどり着いた。昇り始めた太陽がまだ真上にも来ていない。時間にして八半刻ほどだろうか。
だが、たどり着いた村は、しんと静まり返っていて……およそ、人の気配というものが感じられない。
「人はいないようだが……」
千秋も困惑した様子で辺りを見回す。
言葉の通り、確かにひとけはないのだが……廃村、というようにもまた、見えない。
「人、住んでる、形跡、あります。家、ボロ、なってない。手入れ、メンテ、されてます」
アフィアの言う通り、人っ子一人いないこの村の建物は、誰かが住んでいると言って差し支えないほどに整えられていた。木のドアは腐ってはおらず、窓も割れていない。窓から覗くカーテンも破れている様子は無く、その奥に見える家具も壊れている様子はない。
「へんなの……」
ミアも眉を寄せながら、うかがうようにして辺りを歩き回る。
「あのーっ!だれか、いませんかー!」
大きな声で叫んでみるが、返事はない。
それに続くように、冒険者達はあちこちの家を覗いたり、驚くことにどの家も鍵が開いていたため、ドアを開けて中を覗いてみたりしたが、やはり人の姿は見つからなかった。
「なんなんだろ……ここ」
「おい、あれ、宿屋じゃないか?」
首を捻る一同に、グレンが奥の方の建物を指差す。
「INN」の看板が出ている、少し大きめの建物は、彼の言う通りどうやら宿屋であるようだった。
「旅人用の施設なら、誰かいるかも知れん。言ってみよう」
千秋の言葉に頷くと、一同は早速宿屋に向かった。

「ここも誰もいないな……」
宿屋に入ってはみたものの、やはり誰もいない。冒険者向けの宿屋よろしく、1階は酒場になっているようだが、やはり人の姿は見えなかった。
カウンターには宿帳と思われるものもあるが、真っ白で何も書かれていない。
「宿のご主人も、いないんですかね……」
「みんな、お祭りで出かけてるとかかな?」
「鍵もかけずに、か?」
憶測をめぐらせてみるが、答えは見つからない。
「うぅ……ご主人には申し訳ないんですが、受付の方もいらっしゃらないようですし、料金は後払いで失礼するとして、僕、少し休ませてもらいたいんですが……」
体力のないミケが真っ先に肩を落とすと、ミアも続くように大きくあくびをした。
「ミアも…ちょっと、眠いな……」
「疲れもたまっていることだし、何があるか判らない。休める時に休んでおいた方がいい」
「同感、です」
他の仲間も次々に賛成し、真っ白な宿帳に名前と、料金は後払いする旨のメッセージを書いていく。
そして、開いている個室にそれぞれ入ると、思い思いに休むのだった。

ほー。ほー。
ふくろうの声が、覚醒しかけていた意識を急速に現実に導いていく。
「んー……夜…?」
ミアは目をこすって体を起こすと、窓から外を見た。
いつの間にか、日はとっぷり暮れている。ずいぶんと眠りこけてしまったらしい。
「…えと……みんな、おきてるかな……」
掛け布をどかし、ベッドから降りて床に足をつけた、その時。

「うわあぁぁぁぁっっ?!」

ドアの外から素っ頓狂な悲鳴が響く。
ミアは慌てて駆け出すと、ドアを開けて酒場の方へと走った。
すると、そこには。

「いやー、ごめんなさいねえ、受付できなくて。いや、この体でしょう?ちょっと昼間は、動けなくなっちゃうんですよねぇ。
ああでも、安心して下さいねぇ。取って食ったりはしないんで。ほら、栄養になるような肉もないでしょ、あっはっは」

カウンター前で腰を抜かしているミケと、その周りで唖然としている仲間達に、身をかがめてにこやかに話しかけている男性の姿。
だが、あっけらかんと話すその姿には、口調が明るければ明るいほど、異様に映った。

痩せて顔色が悪いを通り越した、カリカリに乾いてどす黒い肌。落ち窪んだ目元には緑色の眼球がとってもキュート。
かろうじて黒い肌が張り付いていますと言った風情の立派な骨格。ガリガリの肋骨にかろうじて引っかかってた服だけが妙に新しい。

まあ、ありていに言えば。

「ミイラ………?」
「あ!お嬢ちゃん!それ言う?言っちゃう?やだもー、ハゲにハゲって言ったら傷つくでしょー?もー、俺のハートブレイクしちゃうよー?もう止まってるけど」
妙に明るいノリのミイラに、一同が絶句している。
と、そこに。

からんからん。

「おーいマスター、新しい酒入ってるー?」
「おで……チーズ……くいたい……」

ドアベルを鳴らして入ってきたのは、ミイラを通り越して骨だけが残されたスケルトンに、包帯を巻きつけたゾンビ。
マスターと呼ばれたミイラは、入ってきた客…らしきものにも、愛想よく挨拶をした。
「よー、マックにビート。酒とチーズ、もらってきたぜー。まあ座れよ、用意するからさぁ」
マスターに促され、テーブルへとつく客。まったくもって普通の光景だ。ミイラとゾンビとスケルトンでさえなければ。

冒険者達はもはや言葉も無く、当たり前のように繰り広げられる光景に呆然としている。

そう、この村は。

夜にだけその姿を見せる、死者たちの村、だったのだ。

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