Yukilate Chronoire

「アルさーん!」

がちゃ、と勢いよくドアを開けて入ってきた少女に、青年は微笑を向けた。
「ユキじゃないか、よく来たな。またずいぶん可愛らしい格好で」
「えへへ、どうかな、似合う?」
ユキと呼ばれた少女は嬉しそうにくるりと回ってみせる。
エメラルドグリーンのワンピースがそれに合わせてひらりと空に踊り、散りばめられたスパンコールがキラキラと光を反射した。背中にしつらえられた大きな蝶の羽(もちろん作り物だが)も実によく出来ていて、羽の間でふわりと舞う長い茶色の髪と綺麗なコントラストを作り上げていた。
あどけない微笑みも幼げな顔立ちも、そしてついでに着ている服も、どう見ても十代後半の少女にしか見えないのだが。実は25歳の立派な成人女性なのだと誰が信じるだろうか。
そんな思いを僅かな苦笑に込めて、アルと呼ばれた青年はゆっくりと頷いた。
「ああ、よく似合ってるよ」
彼のほうはといえば、これまた纏っている雰囲気とは裏腹にずいぶん若い見かけをしている。20代半ばといったところだろうか、ざっくりとした鮮やかな金髪に、切れ長の青い瞳、落ち着いた容貌は文句無しの美男子で、身に着けている服ともあいまってワイルドな雰囲気を醸し出していた。
「洸蝶祭の仮装か?」
「うん、そう。自分で作ったわけじゃないんだけどね、売ってたの見て可愛いって思ってさ」
「ああ、確かに可愛いな。よく似合ってるよ」
「へへ、ありがと」
アルがもう一度言うと、ユキは照れたように笑った。
「1人で行くのか?祭」
「うん、せっかくだしねー。楽しいことは楽しまなくちゃさ」
アルの問いに、笑顔でそう答えて。
それから、僅かにその表情が翳る。
「……リグさんと一緒に行けたら、それが一番いいんだけど、さ」
「ユキ……」
アルも僅かに眉を寄せ、ぽつりと呟いた。
「ねえ、アルさん。リグさんの情報…何か入ってきてない?」
「……ああ。悪いな、役に立てなくて」
すがるような表情のユキに、言いづらそうに答えるアル。

リグ。
幼いユキを拾い、育て上げた。ユキが「師匠」と慕う人物で、アルの弟だ。
ユキの前から突如姿を消したリグを、ユキは旅をしながらずっと探している。情報屋の元で護衛の仕事をしているアルを頼りにしたりもしているのだが、その行方は杳として知れなかった。

「そっか……」
ユキは少し落胆した様子で俯いたが、すぐに笑顔に戻り、アルのほうを向く。
「洸蝶祭にはね、1回だけ、リグさんと一緒に来たことがあるんだよ。あの時は普通の格好だったけど」
「ああ、あいつから聞いたことがあるよ」
アルは笑顔に戻ったユキに微笑を投げかけた。
「確か、迷子になって知らない奴についていきそうになったんだよな」
「え、そ、そんなことまで聞いてたの?!」
真っ赤になって慌てるユキ。
アルは可笑しそうにくつくつと笑った。
「子供じゃないんだから、迷子になって知らないおじさんについてくとかないだろ、ってぼやいてたぜ」
「だ、だってどこにいるか知ってるって言うから……!」
「ああ、子供って『お母さんの知り合いです』って言われると信じるよな。だけど、お母さんの知り合いって名乗ってる人攫いの可能性も十分にあるんだから、気をつけるんだぞー?」
なおもからかい口調で続けるアルに、ユキは真っ赤になって口を尖らせた。
「もうっ!さすがに今はもうそれくらいわかってるよ!まったく、いつまでも子ども扱いして…!」
「……まあ」
ふ、と笑みを優しくするアル。
「お前にとって、リグは親みたいなものだからな。気持ちは、わからなくもないよ」
「……うん」
ユキは一瞬きょとんとして、それから神妙な様子で頷いた。
「リグさんは、孤児だった僕を拾って育ててくれて……僕に、リグさんの技術の全てを教えてくれた。
僕の本当の親はわからないけど……もし、僕にとっての親が誰かって聞かれたら、リグさんしかいないと思う」
「……そういえば」
アルはふと思い出したように、ユキに問うた。
「聞いてなかったな。リグがどういう経緯で、お前を拾ったのか」
「…そうなの?」
不思議そうに首をかしげるユキ。
アルは苦笑した。
「あいつ、あんまりそういういこと話さない奴だから」
「迷子のことは話すくせに…」
ユキはまだ根に持っているようで小さく呟くと、視線をすいと上にあげて記憶を辿った。
「んーとね……」

『お前には俺の弟子になれる資格がある』
いつのことだったか。
暗く狭い路地裏で、食べるものも着るものも満足になく、感情すら失ってただ座り込んでいたユキを見下ろして、その人は言った。
『どんなに苦しく暗い道でも、生き延びたいならついてこい』
淡々と、それだけ言って。
彼はユキの返事も待たずに、さっさと踵を返して歩き出した。

どうしてかはわからない。
今、冷静に考えれば。路地裏に座り込んでいた身も知らぬ子供にいきなり弟子だの資格だの、さぞかし異様な状況だっただろう。
何故、あそこにいたのか。
何故、自分だったのか。
疑問は尽きないし、それはきっととても重要なことなのだろうが。
だが、ユキにとってはどうでもいいことだった。
淡々とした冷たいこの背中が、今ここから自分を救い出してくれる。
それがユキにとってのすべてだった。
だから、ついていった。

その人――リグに。

「ああ……まあ、なんというか、あいつらしいと言ったらあいつらしいな」
アルの表情は、多分に呆れを含んでいて。
それから、複雑そうな表情になる。
「弟子……ねえ。あいつが弟子を取るってことが信じられなかったよ。
しかも、こんなに可愛い女の子を」
「あはは、可愛いかどうかはわかんないけど」
苦笑して首を振るユキ。
「でも、あそこにいた時は…食べ物も着るものもなくて、ガリガリで。きっと酷い見た目だったと思うよ。
だから、もしアルさんが僕のこと可愛いって言ってくれるなら、それはきっとリグさんのおかげだな」
「……」
ユキの言い草に、さらに複雑そうな表情になるアル。
「……だが……」
言いかけて言葉を止め、それからさらに首を振って、言葉を続ける。
「…今まで、ちゃんと確認したことはなかったが。
あいつが、お前に教え込んだ技術………それは……」
「わかってるよ」
ユキはあっさりとした様子で、よどみなく答えた。

「暗殺術……でしょ。子供じゃないって言ったじゃない。わかってるよ、自分のしていることくらい」

その表情には自責も、かといって露悪さも顕れていない。ただ淡々と、そこにある事実を述べるような表情で。
アルの表情は依然複雑そうだった。
すい、と視線を動かして、また記憶を辿るユキ。
「子供の頃は、本当にそれしか知らなかったから。
何でこんなこと、とか、思わなかったな。…リグさんに、捨てられたくなくて必死だったのかも。
リグさんがいなくなって…旅に出て、リグさんと二人の生活以外の世界を知って。
やっと、これが普通じゃないってことがわかったんだ」

湖に突き落とされたこと。
谷底に置き去りにされ、自力で登らざるを得なかったこと。
ライオンの檻の中にナイフ一本だけで放り込まれたこともあった。
飢えたライオン相手に必死で抵抗したが、自分の倍ほどもある肉食獣に敵うわけもなく、あっという間に傷だらけにされた。
「もう無理だよ~!」
涙目でリグに訴えるユキ。
「まだ向こうはやる気みたいだが?」
檻の外でその様子を見つめるリグはいつもの通り淡々とした無表情だったが、唇の端がわずかに楽しそうに歪んでいたのを覚えている。
「くっ…あぁっ!」
ぱきん。
必死で応戦するも、あえなくライオンの爪にナイフをはじかれる。
硬い音を立てて檻の外にはじき出されるナイフ。
「あっ…!」
飛んでいくナイフを絶望的な表情で見やるユキに隙が生じた。
ごおぅ!
唸り声を上げて飛び掛ってくるライオン。
「ひっ……!」
檻に背中を打ち付けて、ユキは喉笛が食いちぎられることを覚悟した。
が。
「………え……?」
いつまでたっても衝撃がないことに、恐る恐る片目を開ける。
ぐるるる、と苦しそうに息をするライオンの首元には、紐のようなものが巻きついていた。
「……っ」
驚いてその紐の先を目で辿ると、リグがやはり無表情で、手にした鞭を引いている。
助けてくれたのだ、と気づくのに数秒。その間に、首を絞められたライオンは意識を失ってどうと倒れた。
「………」
ぺたん、と座り込むユキ。
かちゃりと鍵が開いて、檻の入り口が開く。
「何してる。だらしがないぞ」
「ごっ……ごめ…なさ……っ」
ライオンに食い殺されそうになった恐怖と、そして何より、こんな弱い弟子に失望して見限られるのではないかという恐怖から、ユキは嗚咽交じりにぽろぽろと涙をこぼした。
ふわり。
「……っ」
優しく、頭を撫でられる感触。
まるで魔法でもかけられたかのように、ぴたりと涙が止まる。
「そろそろ帰るか。また明日も修行だ」
座り込んでいたユキの腰に手を回し、ひょいと抱き上げて。
その無表情を、ユキはまじまじと見た。
明日も修行。
明日も修行が出来る。
このひとに見捨てられずに、修行を続けられる。
「……うん……!」
ユキは満面の笑顔で、彼の首にかじりつくのだった。

「あ、あいつ……女の子になんてことを……」
ユキの思い出話に、頭を抱えるアル。
ユキはのほほんとした様子で答えた。
「えーでも結局役に立ったし。リグさん優しかったよ」
「優しい奴はライオンの檻に女の子をつっこまないと思うぞ」
もっともなツッコミを返すアル。
あはは、と笑って流し、ユキは視線を遠くにやった。
「…だから……リグさんがいなくなっちゃった時は、ホントに目の前が真っ暗になったんだ……」
苦笑と、自嘲と。悲しみが入り混じった複雑な表情で。
「お仕事の報酬を代わりに受け取ってこいって言われて……よくあることだったから、何の疑問もなく取りに行って…
……帰ってきたら、リグさんはいなくなってた。
『その金はお前が使え』っていうメモだけを残して」
「………」
ユキを見つめるアルの表情が引き締まる。
ユキは俯いた。
「ああ、捨てられちゃったんだ……って。僕が弱くてダメなやつだから、リグさんはとうとう僕を見捨ててどこかに行っちゃったんだって思った。
お金なんて、欲しくなかったよ…リグさんのいない生活に意味なんてない。ずーっと泣いてたなぁ……このまま涙と一緒に全部溶けて消えちゃいたいと思った」
「ユキ………」
「でもね!」
唐突に、ユキの表情が輝いた。
「リグさんは、僕を見捨てたんじゃなかったんだよ!
メモの裏にはちゃんと、『俺を探してみろ』っていうメッセージが残ってたんだ。
泣いてばっかりいたから、それに気がついたのは3日も後になっちゃったけどさ」
「あいつは……本当に…」
アルの表情は、リグに対する呆れと、ユキに対する気の毒さが入り混じっている。
ユキは苦笑した。
「結構一緒にいたから、なんとなくリグさんの言いたいこともわかったんだよね。あんまり口にも態度にも出さないからわかりにくいんだけど……これは、リグさんが僕に出した試練なんだよ。
リグさんを探して、見つけ出せるかっていうテスト。
僕、絶対リグさんを探し出して見せるよ!」
意気揚々と言ってから、ユキはうっとりとした表情でため息をついた。
「リグさん……頑張って見つけたら、またずっと傍にいてくれるかなぁ……」
「………」
アルは依然複雑そうな表情でユキを見やっていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「…なら、何か…揃いで持つようなものを用意してみたらどうだ?」
「え?」
アルの言葉の意味を量れず、首をかしげるユキ。
「服でも、アクセサリーでも何でもいい。同じものや対になったデザインのものを用意して、再会したときに片方をあいつにやればいい。
同じものを持っているというだけで、たとえ離れたとしても支えにはなるだろう?」
「支え……」
ユキは呆然と言って、それから満面の笑みを浮かべた。
「……アルさん、すごい!いいね、それ!」
「今日の祭りには屋台もたくさん出る。そういうものを売っているところもたくさんあるだろう」
もちろん、カップル向けなのだが。
アルはあえてそれには触れず、ユキに言った。
「たくさん見て、いいものを選んでくるといい」
「うん!そうするよ」
「知らないおじさんについていくなよ?」
「もうっ!しつこいよ!」
からかい半分のアルの言葉に、ユキはぷうとふくれて、それからもう一度笑顔になった。
「それじゃ、行ってくるね、アルさん!ありがと!」
「ああ、行っておいで」
ユキは楽しそうに言って踵を返し、アルの部屋を後にした。
「………まったく……」
アルはため息をついて、閉じたドアをじっと見つめるのだった。

「うわぁ、これ素敵だなぁ」
何軒めかの屋台で、ユキは表情を輝かせてそのネックレスを手に取った。
小さな楕円に白い羽根と黒い羽根があしらわれていて、その楕円が中央の複雑な切れ込みで分かれるようになっている。分かれたそれぞれにチェーンがついていて、一見してペアのネックレスだとわかった。
「白い羽根と黒い羽根が、僕とリグさんの翼の色みたい」
手のひらに載せたペンダントを嬉しそうに眺めて。
普段は仕舞っているのでわからないが、ユキもリグも、もちろんアルも翼人種族だった。ユキは普通の白い羽根だが、リグとアルは黒い羽根を持っている。黒い羽根は一部の翼人文化では忌まれる風習があるが、それはユキには関係のないことだった。
「よし、これにしよう!おじさん、これひとつください!」
「あいよ、銀貨1枚ね」
屋台の店主に銀貨を1枚渡し、ユキは大事そうにそれをポケットにしまった。

どん。
「気をつけろ!」
「あ、ご、ごめんなさい」
洸蝶祭は、日が落ちてますます人の出が激しくなってきた。
本日何度目かですれ違いざまにぶつかり、慌てて謝るユキ。
「うわー…やっぱりこんなに混むんだなぁ…久しぶりだから忘れてたよ…」
以前連れて行ってもらったあの日も、こんなに混んでいたからはぐれたのだと思い出す。
それでももう身体も大きくなっていたから、人の波に押し流されるようなことはないだろうが、さすがに普段経験することはあまりない人ごみに揉まれていると疲弊する。
「ううっ……ちょっと休もう……」
ユキはどうにか人を掻き分けて、大通りの両脇にしつらえられたベンチに腰をかけた。
「ふー……ヴィーダって人がたくさんいると思ってたけど、思ったよりずっとたくさんいるんだな…どこから沸いてくるんだろ」
もっともな感想を言って、息をつく。
「おそろいのもの買うために出たんだし…もう帰ろうかな……」
そして、先ほどポケットに仕舞ったネックレスを取り出そうと、手を入れると。
「……えっ?!」
ない。
先ほどポケットに入れたはずのネックレスがなくなっている。
「うそっ……?!」
ユキは立ち上がってベンチのそばを探し、それから辺りをくまなく探した。
しかし、やはり見つからない。
「どうしよう……」
先ほど揉まれた人ごみの方を、絶望的な表情で見やりながら呟くユキ。
この人ごみの中に入っていって、あのネックレスを探し出すことなど出来るだろうか。
せっかくリグとお揃いで買ったものなのに、こんなに早くなくしてしまうなんて。
ユキは泣きそうな気分で俯いた。
と。

「どうかされましたか、可愛らしいお嬢さん」

後ろから声をかけられて、ユキはそちらを振り向いた。
見れば、髑髏の仮面を被って黒いマントを羽織った背の高い男が、恭しく礼をしている。
「えっ……」
「大層お困りのようですが、何かお力になれることがございますか?」
優しげな声音は、口元まで覆う髑髏の仮面のせいだろうか、少しくぐもって聞こえる。
「えっ……と……」
突然声をかけられたことに、ユキが戸惑って返事が出来ずにいると。
「おお、これは私としたことが、失礼をいたしました」
男は大仰に驚いた仕草をし、それからもう一度丁寧に礼をした。
「私の名は……あ、いや」
そうして、一瞬何かを考えるように口元に手を当て、それからくすりと笑う。
「このようなお祭りでうつし世の名前など、無粋ですな。
私のことは、ノエル、とでもお呼び下さい」
「ノエル……」
ユキが呆然と呟くと、ノエルと名乗った男は顔をあげた。
「可愛らしいお嬢さん、貴女のお名前もお教え願えますか?」
「えっと……ユキ」
相手が名前しか名乗らなかったので(まあそれも偽名かもしれないが)ユキも愛称のみを答えておく。
ノエルが仮面の向こうで微笑んだ気配がした。
「では、改めて。ユキ、せっかくのお祭りにそのような悲しげな顔をして、どうされたのですか?」
「えっとね…さっき買ったネックレス、どこかに落としちゃったみたいなんだ」
初対面の名前しか知らない男性だが、ユキは素直に事情を告げる。
何故だかわからないが、この男性は安心できるような気がして。
「この辺りにはないし、この人ごみの中に落としちゃったらもう見つからないかなって……」
「それは、大変ですね」
ノエルはまた、少し大仰な仕草で驚いた。
「しかし、諦めるのは早いですよ。そのネックレスを買ったお店からここまでの道のりを、逆に辿ってみましょう」
「えっ……」
「お祭りで買ったのなら、今日訪れた場所以外に落としようがないでしょう?大丈夫、必ず見つかりますよ」
「で、でも……」
「私もお手伝いいたします。この人ごみを、物を探しながら歩くのは大変でしょう」
「えっ」
ノエルの申し出に、ユキはきょとんとして彼を見上げた。
「でもそんな…悪いよ」
「なに、気になさいますな。可愛らしいお嬢さんの憂い顔を笑顔に変えることが出来るのなら、私の労力などちっぽけなものですよ」
ノエルは言ってまた恭しく礼をする。
ユキはその芝居がかった様子に思わず苦笑した。
「ありがとう……じゃあ、お願いできるかな」
「喜んで」
ノエルは頷くと、ユキの手を取って歩き出した。
「さて、こちらに来る前はどちらに?」
「えっとねー…」
ユキは記憶を辿りながら、ノエルと共に人ごみの中に入っていく。

早速「知らないおじさんについていった」わけだが、彼女がそれに気づくことはなかった。

「ふぅ…なかなか見つからないね……」
また人ごみから外れて、公園の噴水に座りながら、ユキは残念そうに呟いた。
「これだけの人ごみとなりますと、なかなか難しいでしょう。夜も更けてまいりましたし」
ふむ、と唸るノエル。
ユキは俯いて、残念そうに言った。
「あーあ……せっかく、師匠とお揃いで買ったのになぁ……」
ノエルはそちらをちらり、と見て。
「…お師匠様、ですか?」
ユキはそちらに苦笑を向けた。
「うん、そう。僕の…師匠にあげようと思って買ったんだ。お揃いで」
「それは…微笑ましいことです」
ノエルが仮面の向こうで微笑するのがわかる。
「お師匠様を、慕っておられるのですね」
「へへ、師匠はね、すごくかっこいいんだよ!」
ユキはノエルに満面の笑みを浮かべて言った。
「すっごく強くて、すっごく頭がよくて、何でもできるすごい人なんだ!」
「それは、それは」
ノエルは僅かに頷きながら、ユキの話を聞いている。
ユキははしゃいだ様子で続けた。
「普段はちょっと冷たいようにも見えるんだけど、本当はすっごく優しい人なんだよ。いつも僕のことを助けてくれるんだ。
不器用で……ちょっとわかりにくいんだけど、本当は寂しがり屋で…そんなところは、ちょっと可愛いんだよ」
屋台の色とりどりの明かりが、ユキの表情を照らしている。
うっとりとしたその様子は、どこからどう見ても恋する乙女の表情で。
それから、ぱっとノエルを見上げ、無邪気ににこりと微笑む。
「僕の、憧れの人なんだよ!」
「憧れ…」
マスク越しのノエルの呟きに感情はみられない。
一瞬の沈黙の後、優しい声音が続く。
「…では、何としてでもネックレスを探し出し、お師匠様に差し上げなければなりませんね」
ノエルの言葉に、ユキははっとして目的を思い出した。
「あっ、そうだったぁ……でも、見つかるのかなぁ…こんなに暗くなっちゃったし……」
しゅんとして俯くユキ。
ノエルはその頭を優しく撫でた。
「諦めてはいけませんよ。ひとまずは、買った屋台まで道を辿って戻ってみましょう。
もし見つからなくても、元の屋台にもしかしたら同じものが売っているかもしれませんし」
「そ、そうかな……」
あの屋台はあからさまにハンドメイドものばかりが並んでいて、同じものは2つとしてないような店構えだったが…
「…うん、でも、諦めちゃだめだよね」
ユキは決意のこもった表情で頷いて、立ち上がった。
「行こう、ノエルさん」
「はい、お供しますよ」
そうして、2人は再び人ごみの中へと足を踏み入れるのだった。

「ああ、お嬢ちゃん!よかった、戻ってきてくれて」
ネックレスを購入した屋台まで戻ってくると、店主は何故か笑顔でユキを迎えた。
「えっ……僕のこと?」
きょとんとするユキに、笑顔のまま頷く店主。
「ああ。お嬢ちゃん、さっき白羽と黒羽のネックレス買ってった子だろ?」
「ええっ、よく覚えてるね」
驚いて問うユキ。
店主は陽気に笑った。
「はは、長いこと迷ってたからね、印象に残ってたんだよ。
でもよかった、戻ってきてくれて」
「どうか、したの?」
「お嬢ちゃん、あのネックレス落とさなかったか?」
「ええっ?!」
驚きに目を丸くするユキ。
「そうなんだ!ここまで逆に辿ってきたんだけど、やっぱりなくて……でも、なんで?」
「はは、ほら」
店主はエプロンのポケットからネックレスを取り出すと、ユキに差し出した。
「これ……!」
「このすぐ近くでな、俺の連れが拾ったんだよ。俺が作ったもんだろって。
あんたに売っちまったモンだから、また店に並べるわけにもいかねえだろ。どうしたもんかと思ってたんだが…また来てくれてよかったよ。ほら、もう無くすんじゃねえぞ」
「ありがとう……!」
ネックレスを受け取り、満面の笑みを浮かべるユキ。
店主はまた陽気に笑った。
「はは、こんだけ欲しがってもらえるなら、ネックレスも嬉しいだろ。大事にするんだぞ、そのかたっぽを渡すヤローと一緒にな」
「うん!僕、もう絶対落とさないよ!ありがとう!」
ユキはもう一度礼を言うと、少し離れたところで待っているノエルの元へ駆け足で戻った。
「ノエルさん!あったよ、あった!」
嬉しそうにノエルに差し出してみせるユキ。
ノエルはゆっくりと頷いた。
「ようございましたね」
「ノエルさんのおかげだよ!」
「私は何もしておりませんよ。貴女が最後まで諦めなかった結果です」
「ううん、ノエルさんがいなかったら、僕きっと諦めてた。だから、ノエルさんのおかげだよ」
にっこりと微笑んで、ユキ。
ノエルは仮面の向こうで、ふっと微笑んだ。
「……綺麗な、ネックレスですね」
「うん。この羽根がね、僕と師匠の羽根みたいで…それで、買ったんだ」
「貴女と…お師匠様の?」
問うノエルに、ユキはペンダントを見つめながら続けた。
「うん。僕たち、翼人種族なんだ。僕は白い翼で、師匠は黒い翼……」
「………」
「黒い翼は不吉だっていうひと達もいるけど、僕にはそんなの関係ないし…僕は、師匠の黒い羽根は、すっごく綺麗だと思う」
「……そう……ですか」
「うん」
ユキは目を閉じて、ゆっくりと頷いて。
それから、手にしたネックレスを真ん中でぱきっと分けた。
白い羽根と黒い羽根に分たれた楕円のペンダントトップ。
下げられた細い鎖をしゃらりと鳴らして、ユキはその黒い羽根の方をノエルに差し出した。
「これ。ノエルさんに、片方あげる」
「えっ……」
ノエルは仮面の向こうで、少なからず驚いたようだった。
「これが見つかったのは、ノエルさんのおかげだし……ノエルさん、黒い服着てて、黒い羽根が似合いそうだなって」
「……しかし……」
ノエルの声音にはかすかに戸惑いの色が見て取れる。
「これは…貴女がお師匠様に差し上げるものだったのでは?」
「あ、うん……そうなんだけど」
ユキは曖昧な表情で言って、首をかしげた。
「なんでかな……ノエルさんに渡さなくちゃいけないって思ったんだ。師匠じゃないけど……渡さなくちゃって」
「………」
「だから、受け取って?」
にこり。
極上の笑顔と共に差し出される、黒い羽根があしらわれたネックレス。
ノエルは僅かに躊躇して、それからゆっくりと指先を伸ばし、恐る恐るそれを手に取った。
嬉しそうに笑みを深めるユキ。
「大事にしてね。屋台のおじさんとの約束だから」
「………ええ」
低く答えるノエルの声には、感情は窺い知れない。
しかしそれは気にならなかったのか、ユキは残ったネックレスのチェーンを手に取り、自らの首にかけた。
「へへ、今度こそ無くさないようにしなくちゃね」
「……そう、ですね」
ノエルも低く言って、ゆっくりとした仕草で、ユキにもらったネックレスを首にかける。
しゃらり、と、ノエルの羽織った黒いマントの上をペンダントトップが滑った。
「ふふ、やっぱりよく似合う」
嬉しそうに微笑むユキに、無言のノエル。
「さ、お祭りはこれからだよ!楽しもう!」
ユキはノエルの手を取ると、駆け出した。

洸蝶祭は夜が更けるにつれ更なる賑わいを見せた。
子供は寝る時間になり姿を消したが、本格的な魔物の仮装をした大人たちが、見ず知らずのお互いを気にもせずに酒を酌み交わし、屋台の料理を分け合って食べる。
街のそこかしこで楽団が奏でる音楽に合わせ、皆が手を取り合って歌い、踊った。
その様子はとても楽しげで、目には見えない蝶の姿をした魂も、きっと一緒になって歌い、踊っているのだと思わせる。

「ねえねえ、今度はあっちに行こうよ、ノエ……」
すか。
向こうに動物の曲芸団を見つけ、ユキは笑顔でノエルの手を引こうとし……そして、空ぶる。
「…あれ?」
きょとんとしてユキが振り返ると、そこには誰もいない。
「……ノエルさん?」
きょろきょろと辺りを見回しながら名を呼んでみるが、楽しそうな人々が行きかうのみで。
「はぐれちゃったのかなぁ……」
ユキは眉を顰めて、それからしばらく探し回ったが、やはりノエルは見つからなかった。
「んー…帰っちゃったのかなぁ?残念……お別れの挨拶くらいはしたかったな」
残念そうに言って、ため息をついて。
「……でも、またきっと会えるよね……」
それから、口元にうっすらと笑みをたたえて、胸元の白い羽根にそっと触れるのだった。

こつ。
こつ。
大通りの喧騒が遠く聞こえる、薄暗い裏通り。
人一人通らぬその暗い石畳を、髑髏の仮面をつけた男はゆっくりと歩いていた。
その胸元には、黒い翼をあしらったネックレスが下がっている。
かつ。
別の足音がして、足を止めた。

「………いつまで、こんなことを続けるつもりだ」

髑髏の正面に現れたのは、彼よりさらに長身の青年。
鮮やかな金髪に、切れ長の青い瞳――アルだ。
「…こんなこと、とは?」
髑髏の仮面の男が発した声音は、先ほどの優しく穏やかなものではなく……暗く、低く囁くようなもので。
言葉と共に、男はゆっくりと仮面を外した。
肩の辺りまでの銀髪に、暗い輝きを宿した黒い瞳。
髪の色も瞳の色も全く違うが、面差しはどこか、アルに似通っていて。
冷たいその表情に、アルの表情がさらに険しくなる。
「とぼけるな。そうやって、あいつの前から姿を隠したようなそぶりを見せながら、その実すぐそばであいつを見張っている…いつまで、そんなことを続けるつもりだと聞いている」
「さすが、兄上殿のスポンサーの情報網……放浪する弟の居場所まできっちり把握しているとはね」
皮肉げな口調で肩を竦める、男――言うまでもない。アルの弟であり、ユキの師匠である、リグその人だった。
「誤魔化すな」
アルの口調はにべもない。
「いい加減捕まってやれ。あいつを見ていて可哀想だ」
「……可哀想?」
ゆら、と。
冷たい表情で、淡々と問い返すリグ。
その様子に、アルの眼光の鋭さが増した。
「あいつがどれだけお前を慕ってるか、お前を必要としているか、わからないはずないだろう?」
「関係ない」
語気の荒いアルの言葉に、リグは淡々と返した。
「これは試練だ」
「試練、だと?」
「ああ。あいつが一人前になる為の、重要な。だから俺はずっと隠れ続ける」
「嘘をつくなっ!!」
かっ。
アルの放ったナイフが、リグの頬をかすめて後ろの壁に刺さる。
顔色ひとつ変えずに己を見返す弟に、アルは怒気をあらわにして怒鳴りつけた。
「お前は、そうやってあいつから逃げてるだけだ!
試練を口実にしてなんになる、あいつはまたお前と一緒に暮らせると信じて探してるんだ!」
静かな路地裏に、アルの怒鳴り声がびりびりと響く。
それでも、リグは表情を動かさない。
アルは怒気を収め、俯いて片腕で顔を覆った。
「俺は……お前の代理にはなれないんだ。あいつの心の中には、お前しかいない。お前があいつに捕まらない限り、あいつはずっと苦しみながらお前を探すだろうよ」
「……だろうな」
リグの答えは、やはり淡々としたものだった。
「だが……それが、俺があいつに課した……試練だ。
あいつもそれに納得している……違うか?」
「っ………」
リグの言葉に、アルは返す言葉を失って黙り込んだ。
「…あいつが世話をかけていることには、感謝している……俺の居場所を知りながら、あいつに告げないこともな。
お前も判っているのだろうが…必要以上の手助けは、あいつの成長を阻むことになる。気をつけろ」
「それが、お前の大義名分か」
言葉に静かな怒りをこめて、アルは言った。
「お前は、俺があいつの手助けをして、あいつがお前のところにたどり着くのを恐れているだけだろう。
いい加減に、認めたらどうだ。お前のエゴで、あいつを振り回しているだけだということを」
「……何のことか判らんな」
やはり淡々としたリグの答えに、アルは一瞬鋭い視線を向け……そして、無駄だというようにため息をついた。
「……まあ、いい。どれだけ嫌われていても、あいつの中にお前しかいなくても……あいつがいれば、あいつが笑ってくれればいい……それが、お前以外の俺たち兄弟の答えだ」
踵を返し、視線だけをリグに向けて、低く告げる。
「あいつの笑顔を奪ったら…………その時は、覚悟しろよ」
リグの答えを待たずに、アルは足を踏み出した。
かつ、かつ。
路地の闇に足音が飲み込まれていく。
ふ、とため息をつくと、胸元の黒い羽根を手の平の上に乗せて。
きゅ、とそれを握りしめ、僅かに眉を寄せる。

ユ、キ。

声にならない唇の動きだけが、暗い路地に溶けて、消えた。