Jill Laymie

「……………嘘…………」

めちゃくちゃに散らかった部屋の中央で、ジルは呆然と呟いた。
短い茶色の髪から大きな獣の耳が覗く、ボーイッシュな獅子獣人の少女である。表情のない幼い顔は、今は少しだけ焦りの色を見せていた。
散らかった部屋は、彼女の滞在する定宿の彼女の部屋。いつもは綺麗にしているし、特に泥棒が入ったというわけではない。取り乱した彼女自身の手によって、部屋中がひっくり返されてしまったのだ。
「無い………なんで……」
なおも呆然と呟いて、部屋を見渡すジル。
昨日まではあった。
寝る時に、いつものようにサイドテーブルに置いたのを覚えている。
なのに、目が覚めたら消えていた。

彼女がいつも肌身離さず身につけている愛剣――アルフィニクが。

「おや、おはよう、ジルちゃん。今朝はずいぶんゆっくり……なんだい、どうしたんだい?」
階下に降りていくと、宿の女将が笑顔で挨拶し、それからジルのげっそりとした表情を見て驚く。
「とりあえず、何かお食べよ。サンドイッチでいいかい?」
ジルはこくりと頷いて、いつも座るテーブルに腰をかけた。
女将がサンドイッチとミルクを持ってくる。ジルは黙ってそれを口にした。
「なんだい、元気がないねえ。今日はお祭りだってのに」
女将が仕方がなさそうにため息をつく。
「今朝の子は、友達なんだろう?一緒に行かないのかい?」
「………友達……?」
女将の意味不明な言葉に、眉を寄せて顔を上げるジル。
女将は大げさな手振りで答えた。
「ああ。今朝、見慣れない子が上から降りてきて、そのまま出ていっちまったんだけどさ。あんたくらいの年の子。友達なんだろ?」
「……いや……心当たりはないけど…」
首を傾げて。
それから、浮かんできた疑問をそのまま口にする。
「…何で、私の友達だと思ったの?」
「だって、あんた」
女将は当然という様子で答えた。
「あんたがいつも持ってる、あの綺麗な銀の剣。あれを持ってたからさ。あんたの友達だと思ったんだよ」
「……っ」
がた。
ジルは即座に立ち上がり、身を乗り出した。
「……その人、どっちに行った?」
「な、なんだいいきなり……大通りの方に、行ったみたいだったけど…」
「…ありがとう」
がたん。
ジルは言うなり、食べかけのサンドイッチを放り出して駆け出した。
「あ、ちょっとジルちゃん?!」
女将の呼び止める声も無視して。

そういえば、夜中。夢うつつに人の気配を感じたような気がした。
人の気配。上から降りてきた見知らぬ少女。無くなっていた剣。その剣を持っていたという少女。
導き出される結論はひとつしかない。
(……盗まれた……)
ジルは必死で大通りに向かって走っていった。

大通りは、夕方から始まる祭りの準備がもう始まっていて、人でごった返していた。
ジルはきょろきょろと辺りを見回してから、あちこちを駆け回り、屋台の準備をしている者達に聞き込みをしたりしてみたが、成果は上がらず。
「……女将さんに、特徴だけでも訊いておけばよかったな……」
手がかりがジルの持っていた剣だけではどうにもならない。目を引く剣だが、短剣を少し大きくした程度で、目にしたことがなければ注意を引かれることはないかもしれない。
「……どうしよう……」
ジルは俯いて眉を寄せた。
あの剣は、彼女にとって無くすことの出来ない大事なもの。
ジルの意志に呼応して、見えない衝撃で相手を切り裂く、不思議な剣。戦う技術のないジルにとって、唯一の戦闘手段だ。
しかし、それ以上に。
「……なんて言ってる場合じゃない……探さなくちゃ」
あの剣は、ジルにとって大切な意味を持っていた。
返ってくる可能性は低いかもしれない。けれど、諦めるわけにはいかない。
「…武器屋に売られてたり…質に出されてるかもしれない……」
ジルは踵を返すと、商店街の方へと足を向けた。

「…………」
だが、結局どの店にもアルフィニクは売られている様子はなかった。
肩を落とし、とぼとぼと通りを歩くジル。気づけば、もうかなり日は傾いていた。
魔物の仮装をした子供らが楽しそうに駆けていく。通りを歩く人もかなり増えていて。
もう、祭りは始まっているようだ。
「こういうのって……どう表現するんだっけ」
それを見やりながら、ジルはぽつりと言った。
「……ああ、そうだ。私だけが、世界から取り残されたような気分……」
そうして、もう一度俯く。
大通りに向かう、楽しそうな人の群れ。その浮かれた雰囲気の中で、自分だけが場違いな気がした。
なんとなく絶望的な気持ちになって、自然と歩みが遅くなる。
と。
どん。
「おっと」
「あ……ごめん」
通りを行く人とぶつかり、慌てて顔を上げるジル。
すると。
「……あれ、ファン……だっけ?」
その顔には、見覚えがあった。
髪の毛一筋も漏らさずにきっちりと巻かれたバンダナが印象的な少年。以前、依頼を共にしたことがある。
ファンは名を呼んだジルを見やり、不思議そうに首を傾げた。
「あなたは……ええと……特徴的な猫耳なので顔は覚えているんですが」
「猫じゃない……」
憮然としてジルが言うと、ファンはにこりと笑った。
「ああ、そうでした。猫じゃないのがジルさんでしたね」
「……絶対わざとだ……」
この少年は物腰は柔らかいが、たまにこういうところがあったのだった。
半眼のジルに、ファンはまたにこりと微笑んだ。
「ジルさんは、お祭りを楽しんでいらっしゃるのですか?」
「いや、私は……」
視線を逸らし、言葉を濁すジル。
ファンはさらに続けた。
「しかし、いくらお祭りとはいえ、こんな時間にお1人で?」
「……探し物をしているんだ」
「探し物?」
きょとんとするファンに、言いにくそうに答えるジル。
「……剣、を」
「剣ですか?」
「…私が持っていた剣。起きたらなくなってて…どうやら盗まれたみたいなんだ」
「盗まれた、とは穏やかではありませんね」
ファンは身を乗り出した。
「その剣というのは、どういうものなんですか?」
「これくらいの大きさで、銀色の…凝った装飾があって、これくらいの大きな金色の宝石がついてるんだ」
手振りを交えて説明するジル。
ファンは僅かに眉を寄せた。
「それは……先ほどの方が持っていた……」
「……見たの?」
ジルは驚いて、身を乗り出す。
しかし、ファンは浮かない表情のまま答えた。
「いえ、しかし……差し出がましいとも思いますが、あの人は人のものを盗むような人では無いと感じました。お二人の間に何かあったのですか?」
ファンの言葉に、ジルは僅かにむっとした。
自分の大切な件を盗んでいった者にかける情けなどない。
「……さあ?持ち去ったのは事実」
淡々と言う。気分を害したのが伝わっただろうか。
「どんな理由があろうと、私はその人に会ってその理由を聞くだけ……」
「そう……ですか……」
やはり浮かない表情のファン。しかし、ジルは構わず質問を続けた。
「……それで……その人はどこに?」
「あちらの…クレープの屋台が出ているところの路地を入っていったところに」
ファンは今歩いてきた道を振り返って、道を指し示す。
ジルはそちらを確認してから、ファンに浅く礼をした。
「ありがとう…………それじゃあ」
「はい、お気をつけて」
ファンの挨拶もそこそこに、指差した方向に駆け出すジル。
なんにしろ、情報を得られたのは有難かった。

「いない……こっちかな」
ファンの教えてくれた路地に、すでに問題の少女の姿はなかった。
ジルはその路地を抜け、さらに足を進めた。ファンの来た方にはやってきていないのだから、反対側に行ったのだろう。
焦る気持ちを抑えて足を進めると、大通りに出た。
「うわ……」
日はもうすっかり落ちている。祭りは先ほどよりもさらに盛り上がっているようだった。
人ごみでごった返す大通りにかなり気後れするジル。
「……でも、探さなきゃ…」
そんなことは言っていられない。ジルは意を決して、人ごみの中へと足を踏み出した。
「すみません…通してください……すみません」
人ごみを掻き分けながら、その中の1人1人を確認する。アルフィニクを持っていないか。自分と同じ年頃の少女はいないか。
が、案の定。
どん。
「おっと、すみません」
「…っ」
この人ごみの中でそんな歩き方をしていれば、当然人にぶつかる。
ジルは慌てて、ぶつかった人物を見上げた。
「……あれ」
「……あれ、ミケ」
「ジルさん。お久しぶりです」
見上げた人物は、またも知り合いだった。茶色の長い髪を三つ編みにした魔道士。先ほどのファンと同じ依頼を受けた、ミケだった。
少女のような可愛らしい容姿をした彼は、申し訳なさそうに苦笑した。
「すみません、前方不注意で」
「……いや……私もよそ見しながら歩いてたから……」
見知った顔との出会いに、しかしそれどころではなく気もそぞろな返事をするジル。
ミケは眉を寄せた。
「危ないですよ、こんな時間に。さっきも同じくらいの子が1人でいましたけど……暗いし、人も多いし、あまり1人で行動しないほうが」
いきなり説教くさいことを言われ、ジルはすまなそうにミケを見上げる。
「……ごめん……でも、どうしても探さなくちゃいけないんだ…」
「…探す?何か、なくされたんですか?」
きょとんとしてジルに問うミケ。
ジルは僅かにためらって、言った。
「……大事な、物を。どうやら、盗まれたらしい……」
「盗まれた?大変じゃないですか」
ミケの表情が険しくなった。
「大事なものって、一体何なんですか?」
「……短剣」
ジルは言って、ミケをまっすぐに見返す。
「銀色の、凝った細工の…大きな金の宝石がついてる、鞘で…これくらいの大きさの」
これくらい、と手で示して。
「ねえ、それってさっきの子が持っていたものじゃない?」
すると、ミケの後ろに立っていた、やたらと綺麗なエルフの女性が口を挟む。
連れだったのか、と思ってそちらを見やると、ミケもああと頷いた。
「そういえば…そうでしたね。どこかで見た剣だと思いましたけど、そうだ、ジルさんが持っていた剣だったんですね」
「持ってた……?」
2人の言葉に身を乗り出すジル。
ミケは頷いた。
「ええ。こう…長い灰色の髪で、快活そうな感じの女の子です。ちょうど、ジルさんと同じくらいの年でしたよ。
盗みをするような悪い人には見えませんでしたけど……親友が世話になっているから、と親切にしてくれて。
心当たり、ありません?」
ミケの言葉に、ジルは一瞬息を飲んだ。
長い灰色の髪。
快活そうな少女。
………親友。
そのイメージは、彼女の記憶の大事な部分に眠る人物を思い起こさせる。
…だが。
「……さあ。そんな知り合い、今はいないはずだけど」
…そう。彼女はもういない。いるはずがない。
淡々と答えるジルに、ミケは首を傾げた。
「そうですか?それならいいんですけれど。人も多いし、暗いし。行くのなら、お気を付けて。同じ事を、彼女を捕まえたら言っておいてください。……親切にしていただきましたから」
ミケの言葉に、ゆっくりと頷くジル。
「わかった……それで、その人はどっちに行ったの?」
「あちらの方に行かれましたよ」
「……ありがとう。それじゃ」
ジルは短く言って、ミケの指差した方向に駆けていった。

「…いない……こっちの方かな……」
ミケの指差した方向にしばらく走って、ジルは足を止めた。
きょろきょろと辺りを見回してみるが、問題の少女は見当たらない。
ジルは落胆した様子で、ふ、とため息をついた。
すると。
「ジル、ジルじゃないか?」
後ろから名を呼ばれ、ジルは振り返った。
その先には、優しい笑みを浮かべた青年が立っていた。
「やっぱり。久しぶりだね。俺のこと、覚えてる?」
にこりと微笑むその姿に、浮かんできた名をそのまま口にする。
「………セレスト」
以前、雪国で関わった事件。そこで出会った青年だった。
黒髪に空色の瞳。確か塾の講師だと言っていた。優しげな物腰は職業柄だろうか。
セレストは笑みを浮かべたまま、ジルの方に歩いてきた。
「君もこのお祭りに来てたんだ。でも、どうしたの、何かあった?」
「……っ」
心配そうなセレストに、ジルは少しためらって、しかし事情を話すことにした。
「実は……とても、大事なものを…盗まれちゃったんだ」
「大事なもの?」
「………うん」
「それって、どんなもの?」
「ええと……」
どう言ったものか、ジルが言葉を探していると。
「あっ……ねえ、もしかして、短剣を探してる?」
セレストが先に言い、ジルは驚いてそちらを見た。
「えっ……」
そのジルの様子に、自分の予想が正しいことを確認したのだろう。セレストは微笑して続けた。
「確か、カンプ・ノウで…君、腰に剣を下げていたよね?それが、今はない。
大事なものって、その剣だ…違う?」
「そう……でも、なんで……」
あの時は剣のことに触れる機会もなかったし、ジルにとって大切な剣だということを彼が知るはずもない。
なのに何故、ジルが剣を持っていないというだけで、ジルが剣を探しているという結論にたどり着くのか。
不思議に思って訊くと、セレストは笑顔で頷いた。
「心当たりがあるんだ」
「……心当たり…?」
「うん。今言われるまで思い出せなかったんだけど、今やっと思い出した。君が持っていたのと同じ短剣を持った女の子を、さっき見かけたんだよ」
「…女の子……どんな人だった……?」
身を乗り出すジル。
セレストは少し眉を寄せて記憶を辿った。
「ええと…14歳くらいの女の子で、さらさらした長髪。色白で髪の毛も目も灰色だった。ちょっとおとなしそうな感じだけど、行動力はありそうだよ。
あっちで親とはぐれてた子供に声をかけて、一緒に屋台の方まで行ってたけど――それから先はわからない」
「14歳くらい…灰色の髪……」
また、だ。
いや、ミケと同じ少女を見ているのだから当然なのだろうが、また同じ特徴。
きっと、もう一度ファンに訊けば同じ答えが返ってくるのだろう。
記憶の中の、大切な少女と同じ。
…しかし、存在するはずのない少女。
セレストはジルの様子を不思議に思ったようだったが、それには触れずにまた微笑んだ。
「また見かけたら、引きとめておこうか?」
「……お願い、できるかな」
遠慮がちに答えるジル。
セレストは微笑んだまま頷いた。
「わかった。見つかるといいね」
「……ありがとう。それじゃ」
ジルは小さく礼をすると、先ほどセレストが指差した屋台の方へと駆けていった。

「…やっぱり……いない……」
セレストが教えてくれた辺りをひとしきり探したが、やはり問題の少女は見つからない。
これだけ目撃情報があるのだから、そろそろ遭遇してもいいのではなかろうかと思うのだが。
ジルは疲れたように嘆息した。
「……どういう……ことだろう…」
ジルの剣を盗んでいった少女。
何故、どうやって。ジルの剣を盗んだというのか。
そして、その少女の外見は……
「……」
ジルは浮かんできた考えを振り切るようにして首を振った。
そんなこと、あるはずがない。
言い聞かせるようにそう考えて、ジルは足を踏み出し…
「……あれ」
そして、人ごみの中に見慣れた姿をつけて足を止める。
背の低いジルよりさらに小さいその姿は、洸蝶祭の人ごみに揉まれまくってよたよたと流されていた。
「よいしょっ……と、わ、あぁっ」
案の定、足がもつれて転びそうになる。ジルは思わず身を乗り出して、それを支えた。
「おっ……と」
「わ」
ジルに支えられて転ぶのを免れた彼は、安心した様子で息をつく。
「……大丈夫?」
「は、はい、あの、ありがとうござい……あれ」
ジルが声をかけると、彼は真っ赤な顔でジルを見上げ、そしてきょとんとした。
「じ、ジルさん」
「………コンドル」
エメラルドグリーンの長い髪。愛らしい大きな紅い瞳。青いローブを纏ってはいるが、その表情も体躯もどう見ても10歳そこそこの子供。
幾度か依頼を共にしたことがある少年…コンドルだった。
「お、お久しぶりです。お元気にして…ま……」
コンドルはジルの顔を見て嬉しそうに破顔し…そして、すぐ心配そうに眉を寄せる。
「ど、どうしたんですか?ジルさん…か、顔色が良くないみたいですけれど……」
自分はそんなに暗い表情をしていたのだろうか。ジルは気まずげに視線を逸らした。
「それが……」
「と、とにかく、あの、こ、ここは人が多いんで」
コンドルは慌ててジルの袖を引っ張り、進行方向に促した。
「ま、真昼に行きましょう。あ、あそこなら、ゆっくり、お話できますから。ジルさん、あの、ご、ご飯は食べましたか?」
コンドルに言われ、腹を押さえるジル。
「……そういえば…朝食べたきりだ……」
「そ、それはダメですよ!さ、は、早く行きましょう!」
「………」
ジルはまだ浮かない表情で、それでもコンドルに引っ張られるまま、大通りの人ごみを抜け出すのだった。

「…あの、そ、それで、何が…あったんですか?」
真昼の月亭。
大通りから少し外れたところにあるだけあって、祭りの最中でもここは静かなものだ。看板娘のアカネに適当に出してもらってから、コンドルは改めてジルに向き直った。
「あ、あの、も、もちろん、あの、話したくなければ…その」
「…………剣が」
「えっ」
コンドルの言葉を遮って、ジルはぽつりと言った。
「………剣が、なくなった」
「剣……って……」
「……アルフィニク。以前、新年祭の時に…取り返すのに協力してもらった…」
「えっ、あ、あの時の剣なんですか?」
「………ん、そう」
以前、新年祭で。
ごろつきに奪われたアルフィニクを、コンドルと一緒に取り返すため街中を奔走したことがあった。
ジルは俯いて、続ける。
「朝……起きたら、無くなってて。状況からして…盗まれたみたい、なんだ」
「そう……なんですか……」
「一日中…探して……何人か、見た人はいたんだけど……結局、足取りはつかめなくて…」
ふ、と疲れたようにため息をつくジル。
コンドルも心配そうに、ジルの顔を覗き込んだ。
「あの、剣……すごく大事だって、言ってましたよね……」
「……うん」
「なにか……その、いわれのある、剣なんですか……?」
「いわれ……っていうか……」
ジルは僅かに顔を上げ、どこか遠くを見るような目をした。
「大切な……親友から、もらったもの…なんだ」
「親友……」
コンドルが繰り返す。
ジルはしばし考えて、そしてゆっくりと話し出した。
「私……物心ついたときには、孤児院にいたんだ」
「えっ……そ、そうなんですか」
コンドルは少し驚いたようだった。
ジルは頷いて続けた。
「何でかは…わからない。捨てられていたのかもしれないし…両親が亡くなって引き取られたのかも…それは、どうでもよかったんだ。
でも……今も、あまり変わらないけど……私、人と付き合うのが、あまり得意じゃなくて…1人で本ばっかり読んでた。
そんな私を気遣ってくれて…外に引っ張り出してくれて……私に、居場所を与えてくれた……
…それが、エレーナ、だったんだ」
「エレーナ……さん……」
ぽつりと名前を繰り返すコンドル。
ジルは再び遠い目をした。
「アルフィニクは、エレーナが私にくれたもの……高価かどうか、武器として強いかどうかは、関係ない……
……私にとって、とても大事なもの…だから、どうしても……取り戻したいんだ……」
「ジルさん……」
痛ましげにジルを見やるコンドル。
「あ、あの、エレーナさんとは……今でも会ったりしてるんですか?」
少しでも明るい話題を、と思い、精一杯の笑顔で水を向けてみるが、ジルはまた俯いて首を振った。
「エレーナは……もう、この世にはいないんだ」
「えっ……」
「病気で……あっけないものだった。
私はエレーナが死んでから、孤児院を出て……それから、一度も戻ってない」
「そ……そうだったんですか……」
さらに暗い話題に沈んでしまい、しゅんとうなだれるコンドル。
ジルは続けた。
「アルフィニクは…エレーナが、死ぬ前に私にくれた……形見、なんだ…」
「そう……なんですね……」
コンドルは暗い表情で呟いてから、また精一杯笑顔を作った。
「あの、エレーナさんって…ど、どんな人だったんですか?」
「そうだな……」
ジルは、すいと視線を滑らせて記憶を辿った。
「見た目は、本当に儚げで…かき消えてしまいそうな感じだったんだ。
でも、明るくて、行動的で…孤児院にいた他の子の面倒も良く見てた。
病気がちなくせに動き回るのが大好きで……いつも、勝手に抜け出して、動き回って…体調を崩して……」
懐かしげな表情で、親友の思い出を語るジル。
エレーナとの綺麗な思い出が、今も鮮明に思い出される。
交わした言葉。繋いだ手のぬくもり。屈託のない笑顔。
コンドルも、微笑ましげに表情を緩めた。
「ジルさんと…お、同い年くらい、だったんですか…?」
「年は教えてくれなかったけど、私よりちょっとだけ年上みたいだった。
さらさらの灰色の長髪で、それにあこがれて私も髪を伸ばしていたこともあったな…」
言いながら、自分の短い毛先を弄ぶジル。
そうしてから、ふ、とまたため息をつく。
「あの剣が……私とエレーナを繋ぐ、唯一のものだったんだ」
穏やかな表情は、また僅かに辛そうな無表情に変わって。
「あれがなくなったら……私とエレーナの繋がりが…消えてしまう……
エレーナは、幻だったんじゃないかって……私は、本当はずっと一人ぼっちだったんじゃないかって……そんな風に、思えて……」
ことん。
ジルは涙をこらえるように、両手で額を覆って、肘をついた。
エレーナが亡くなってから、いつも共にあった剣だった。エレーナの代わりのように思っていたのだと思う。
それが存在しないということがもたらす空虚な感覚に、愕然とする。
自分が自分でなくなってしまったかのようだった。
「……あ、あの、ジルさん……」
コンドルはおずおずと、ジルに話しかけた。
肘をついたまま無言のジル。
コンドルは構わず話し続けた。
「あの……あの、えっと……ぼ、ボクにも……あの、父さまと母さま、いないんです…」
「……え?」
コンドルの言葉に、顔を上げるジル。
コンドルは苦笑した。
「ボクがちっちゃい時に……えと、2人とも…亡くなって。
ボク、すごく……すごくすごく悲しくて、ずっと何も考えられなかったことがあったんです」
コンドルも、何かを思い出すように視線を彷徨わせて。
「母さまのいない世界なんて、生きててもしょうがないって…思ってて。
ずっと…誰も、誰とも話しませんでした。暮葉ちゃんと会った頃には…もう、だいぶ良くなってたんですけど」
「……そう」
ジルも知る、コンドルの友人である少女の名前。ちくりと胸に痛みが走った気がしたが、ジルは淡々と相槌を打った。
コンドルは続けた。
「ぼ、ボク……実は、今日、帰ってきたところなんです。
あの……お墓参り、から」
「…お墓参り?」
「は、はい。ここから…えっと、馬車で1週間くらいのところなんですけど。
お墓って言っても……あの、木が…2本、寄り添って立ってるだけなんです。
昔……ボクたち家族が、住んでた場所に」
「……コンドルの、家……?」
ジルの問いに、こくりと頷くコンドル。
「どこで生まれたのかまではわかりませんけど、ボクの記憶はあの場所から始まってるんです。
……今はもう、その家はありませんけれど」
「そう……」
コンドルは、はは、と照れたように笑った。
「実は…ボクも、初めてだったんです。父さまと母さまが亡くなってから…あの場所に、行くのが。
だから、父さまと母さまのお墓の側に、誰かがちょっと泊まれるようにって小屋を建ててくれてることとか…知らなくて。
お墓にも、果物とか、弓とか…いっぱい、お供えしてあって……ボクの他にも、父さまや母さまを大事に思ってくれてる人がいるんだって…嬉しくなりました」
「そうだね……」
「ボク、お墓参りなんて初めてで……ちょっと、手間取っちゃいましたけど。
一生懸命、お掃除して…お祈りしてきました。父さまと母さまの魂が、安らかに眠れるように…」
「……そう」
ジルの相槌が、少し寂しげな響きを帯びる。
「そ、そ、それでですね!」
それを打ち消そうとでもいうように、コンドルは身を乗り出した。
「と、父さまと母さまのお墓には、生前、父さまが使っていた剣と、母さまがいつもしていたペンダントが飾ってありました。
もう、ボロボロに錆びちゃってましたけど……それに触った時、なんだか、懐かしい気持ちがしたんです」
「………」
コンドルは少しだけ嬉しそうに、胸の辺りでぎゅっと手を握りしめた。
「なんだか、父さまと母さまが側にいてくれるみたいな……不思議な、気持ちでした。
ボク、なんでずっとお墓参りに行かなかったんだろう……母さまがいなくなったの、認めたくなくて…ずっと、行ってなかったけど……こんなに、母さまを近くに感じられるなら、もっと早く…来ていれば良かったって。そう思いました」
「コンドル……」
「で、でも、ジルさん」
そこで、再び表情を引き締めて、ジルの方を向くコンドル。
「でも、きっと、父さまと母さまは、い、いつでも……そばに、いるんだと思います」
「…いつでも……?」
「はい」
ゆっくり頷いて。
「す、姿は…見えなくても……声は、聞こえなくても……幻みたいでも、きっと……いつでも、そばにいてくれるんです。
エレーナさんも……き、きっと。ジルさんの、すぐ、そばに」
「コンドル……」
「父さまと母さまの形見は……2人をすぐ近くに感じるための、き、きっかけ…?だと、思うんです。
それは…ジルさんの、アルフィニクも……きっと」
「………」
「…ジルさん、これ」
コンドルは言って、いつも持っている宝石のあしらわれた杖を手に取った。
「これ……母さまの、形見なんです」
「………」
黙って杖を見下ろすジル。
コンドルは大事そうにその杖を両手で包み込んだ。
「今日は……フルーさまが、あの世とこの世を繋ぐ川を作ってくれる、んだそうですね。
ぼ、ボク……この杖を、持ってれば……なんだか、母さまに会えるような……気が、するんです」
「コンドル……」
ジルは杖からコンドルに視線を動かした。
にこ、と笑うコンドル。
「だ、だから……きっと、ジルさんも……エレーナさんに、会えますよ。
諦めちゃ……だ、ダメです。
エレーナさんに、会うために……必ず、剣…取り返しましょう」
ね。
にこり、と励ますように微笑むコンドルに。
ジルの表情も、ふ、と僅かに柔らかくなった。
「………わかった。ありがとう……コンドル」
「が、が、がんばりましょう!」
ぎこちないながらも張り切っている様子で、立ち上がるコンドル。
ジルはきょとんとしてコンドルを見た。
「……何でコンドルが頑張るの?」
「えっ」
コンドルもきょとんとし、それから真っ赤になって慌てた。
「そっ、それはその…えと、1人よりは2人の方が、そ、その……いいですから」
「それは……そうだけど。でも、いいの?……今日は、お祭りなのに」
「だ、大丈夫です。ジルさんの剣の方が、大事ですから」
真剣な表情で言うコンドルに、今度はジルの方が面食らった表情をする。
しかし、すぐにふっと表情を和らげた。
「…そう。……ありがとう」
「い、い、いえっ。と、当然のことですっ」
再び慌てた様子のコンドル。こほ、と咳をして、気を取り直して。
「えっと、その、アルフィニク…って、どういう剣…でしたっけ?」
改めて問われ、ジルは頷いて説明した。
「ええと…大きさは、このくらいで…銀色の鞘で、複雑な模様が入ってて…真ん中に、これくらいの大きさの金色の宝石が……」
「えっ……」
目を丸くするコンドル。
「…そ、その剣……き、今日、ボク、見ました…!」
「えっ」
ジルは驚いて身を乗り出した。
「ジルさんに会う、少し前に…ぼ、ボク、モンスターに襲われて……それで、その剣を持った人が助けてくれたんです」
「そう……」
ジルは僅かに俯いて、コンドルの話を反芻した。
ファンも、ミケも。その少女に助けてもらったのだと言っていた。
セレストは、迷子の少女の世話をしていたのだと言う。
自分の大切な剣を盗んだ少女が、次々と人助けをしている、という矛盾。
だが、次第にそれが、矛盾だと感じられなくなっている自分がいた。
おそらく、それは、きっと。
自分に都合の良すぎる予想だとは思うけれど。
ジルはコンドルに向き直り、真剣な表情で問うた。
「…その人……どこに?」
「あ、案内します!」
コンドルが駆け出すと共に、ジルも立ち上がって足を踏み出す。
慌しくカウンターに会計を置いていくと、2人は夜の街に再び駆け出していくのだった。

「こ、この辺りだったはずなんですが……」
コンドルの案内で、彼が謎の少女に助けられたという路地裏にやってきていた。
しかしさすがに、辺りには誰もいない。もう夜も更け、皆洸蝶祭に出ているからか、路地はほとんど真っ暗だ。
「…その人は、どっちに?」
「あ、あっちの方に行ったと思います…」
来たのとは反対の方向を指差して、コンドル。
「…わかった」
言うが早いか足を踏み出そうとしたジルを。
「ま、待ってください、ジルさん」
コンドルが呼び止め、ジルは足を止めて彼を振り返る。
「そ、そっちには、リュートくんとテイルちゃんに行って探してもらいましょう。
て、手分けを、したほうが……」
リュートとテイル、というのは、先ほどからコンドルの上を飛び回っている2匹の動物だ。
必死に言うコンドルに、ジルはすぐに頷いた。
「…わかった。お願いできるかな…?」
「は、はい。それじゃあ、リュートくん、テイルちゃん、お願い」
ぎゃー、という返事を残し、コンドルの命令通りに飛び去って行く2匹。
「…じゃあ、私達は……どうしようか」
とはいえ、手分けをするにしてもあてがあるわけでもなく。
すると、コンドルがぽんと手を叩いた。
「あ、そ、そうです!パフィさんの占いを頼ってみたらどうでしょうか?」
「……パフィの?」
「は、はい!し、新年祭のときもお世話になりましたし…こ、今回も……」
「そう……だね…」
パフィとは、新年祭のときもジルの剣を探す手がかりをくれた占い師だ。その腕前はよく知っている。
「…じゃあ、探してみよう…パフィの、占い館…」
「は、はい!」
2人は、再びその場から駆け出した。

「いらっしゃいませーなのー」
パフィの占いテントが、新年祭のときほど混雑していなかったのは幸いだった。
そう順番を待たずにテントの中に入ることが出来、笑顔で迎えたパフィにコンドルもやはり笑顔を返す。
「あの、こ、こんばんは、パフィさん」
「あー、コンドルー。お久しぶりなのー」
嬉しそうに笑みを深めるパフィ。
「そっちのコはー、ジル、だったのねー?お久しぶりなのー」
「……覚えてて、くれたんだ……久しぶり」
ジルも無表情のまま僅かに礼をする。パフィが関わる依頼を受けたコンドルと違い、ジルは新年祭のときに一度会ったきりだ。たくさんいた客のうちの一人だったし、覚えていないものと思っていたが…覚えられていたことが、少し嬉しかった。
「今日はどうしたのー?また、探し物ー?」
「……実は、そうなんだ」
ジルはうなずいて言い、パフィのテーブルの正面にある椅子に座った。
「前に、探してもらった、あの剣……また、無くなってしまったんだ。
どこにあるのか……探して欲しい」
「わかったのねー」
真剣な表情のジルに、パフィは笑顔で頷いて、目を閉じた。
白い手袋をはめた手が、テーブルの上にそろえて詰まれたカードの上にかざされる。
ふわり。
カードが浮き上がり、その中の何枚かが抜き出てテーブルの上にゆっくりと着地する。
パフィは神妙な表情で、そのカードを1枚1枚めくりながら、言葉を紡いでいった。
「……フルーの力を受けて……動く。大切な人……姿は見えないけれど、いつも共に在り、支えてくれている人……」
「………」
パフィの言葉に、目を見開くジル。
まさか、とは思っていた。
自分の都合のいい期待が、思考を誘導しているのだ。そんなことがあるはずがない、と。
けれど、そうあると良い、そうであってほしいと思っていた。
パフィの言葉は、その期待を裏付けるもののように聞こえた。
「今夜は、特別な夜。会いたい人のことを強く想えば……つかの間の奇跡を見ることが出来る……」
「……」
会いたい人。
つかの間の、奇跡。
ジルは心の中で、ゆっくりとパフィの言葉を反芻した。
ジルに視線を戻すパフィ。
「ジルの剣、動いてるみたいなのねー。でもそれは、悪意があってのことじゃないのー。
ジルが、会いたいって強く想えば…」
にこり。
パフィが優しく微笑みかける。

「…きっと、ジルにはわかるはずなのねー。『彼女』が、どこにいるか……」

「……っ」
がた。
ジルは勢いよく立ち上がった。
「じ、ジルさん?」
驚くコンドルには構うことなく、テーブルに手をついて立ち上がった姿勢のまま、目を閉じる。

会いたい。
ずっと、会いたかった。
会って、もう一度話したかった。
失って、心に大きな穴が開いたようで、それに耐えられなくて、旅に出た。

『彼女』が行きたがっていた場所。
『彼女』が見たがっていた景色。
『彼女』がしたがっていたこと。
『彼女』の代わりに、全部自分が体験するのだと。
そうすることで、心に空いた穴を埋められると思った。
そんなことをしても、空虚さはぬぐえなかったけれど。

だが、本当は気づいていた。
気づいていたはずだった。

そんなことを、しなくても。
『彼女』が。
ずっと、自分の側にいてくれたことに。

アルフィニクに触れ、命ずる。
ジルの意思に呼応して、目に見えぬ攻撃を繰り出す不思議な剣。
あの感覚を思い出す。
そして、辿る。

目には見えなくても、自分たちは繋がっているのだから。

「……この、近くにいる」
「そうなのー」
ゆっくりと言ったジルに、パフィは笑顔のまま答えた。
目を開けて、パフィを見る。
「……ありがとう。これ、お代」
ちゃり。
ジルは財布からあわただしく銀貨を出すと、くるりと踵を返した。
「あ、じ、ジルさん!ま、待ってください!」
そのままテントの外へ駆け出すジルを、慌てて追うコンドル。
「がんばるのねー」
パフィの呑気な声が、その背にかけられていた。

「ふぅぅぅぅぅはははははははぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁ!!!とおぉぉきぃはぁぁぁぁああぁぁあぁ!!みぃぃいちたぁぁぁぁああぁ!!!!」
街中ではあるが、誰も寄り付かないような場所に、その廃墟はあった。
何かの工場だったのだろうか、広いスペースはあるが、がらんとしていてもう使われていないようだ。
その中央に、大きな魔法陣が描かれている。複雑な魔術文字で彩られたそれは、一見して判る禍々しさを放っていた。
その魔方陣の正面に、小汚い白衣を着た男が両手を広げて立っていた。頭はぼさぼさで、病的なまでに痩せたその男も、一目でドン引きするほど異様な雰囲気を放っている。
たっ。
その男の後ろに、もうひとつの影が降り立った。
「……やっと、見つけた……!」
凛とした声が響く。
「年に一度、黄泉とこの世が繋がる日…その力を利用して、魔物を喚び出してるのは、あなたね?!」
さらさらと流れる、長い灰色の髪。
穏やかそうな相貌に、強い意思をたたえた同色の瞳。
街娘のような軽装に不釣合いな、銀色の剣が腰から下がっている。
綺麗な装飾の中央に、金色の宝石があしらわれた剣――アルフィニク。
「だぁぁれだぁぁ?さっきから、うぉれのじゃまするやつうぅぅ」
ゆらり。
不気味な男は、ゆっくりと少女を振り返った。
き、と少女の瞳に力がこもる。
「お祭りで楽しむ人たちを困らせるなんて、許さない!
今すぐ、こんなことやめなさい!」
「ふうぅうはははぁぁ」
不気味な哄笑を上げる男。
「おぉろかなことをおぉ。うぉまえ、たおしたやつぅ、召喚にしっぱいしたぁ、こものこものこものぉぉぉ!」
「ええっ?!」
男の言葉にたじろぐ少女。
男はカカカカと不気味に笑った。
「こんどこそぉ、だぁいせいこおぉぉぉ!
ぎぃぃぃぃしぃぃぃきぃぃぃぃぃはぁぁぁぁぁ!!すぅぅぅぅぅでぇぇにぃぃいぃぃ!!!おぉぉぉぉわぁっっっ!たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
かっ。
男が手を振り上げると同時に、魔方陣から強烈な光が放たれる。
「……っ?!」
手をかざして目を覆う少女。
ず。
ずず。ず。ずももも。
おぞましい音と共に、魔方陣から何かが這い出してくる。
ずしん。
ずしん。
大きな手足が、廃工場の粗末な床を踏み割らんばかりに振り下ろされて。
ぐおおおおおおぉぉ。
獣のような咆哮をあげたそれは、軽く3メートル以上はある、巨大な人型の魔物だった。
異様に盛り上がった筋肉、覆面のように頭を覆う布地。
しゅううう、という息遣いが見る者の恐怖を誘う。
「何て禍々しい……これが親玉だね」
少女はぞっとした様子で魔物を見上げた。
くかかかか、と再びけたたましい笑い声を上げる男。
「さぁぁあぁぁぁぁぁ!!やぁぁぁぁぁつぅをぉぉ!!ふぅぅぅきぃぃいいいとぉぉおぉぉぉばぁぁぁぁぁへぶっ」
べし。
胸を張って魔物を指差した男が、まず吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。
「あららら……」
少女は微妙な表情でそれを見やってから、改めて魔物に向き直った。
しゃき。
腰のアルフィニクを抜き放ち、構えて。
ゆら。
魔物は身体の向きを変えると、破れた窓に向かって足を踏み出した。
ぐしゃ。
壊れかけていた窓が簡単に踏み壊され、魔物が外へと出て行く。
「いけない!止めないと、お祭りが…」
少女は焦りの表情を浮かべて、それを追った。
「待ちなさいっ!でやあっ!」
魔物に向かってアルフィニクを繰り出す少女。
きん。
しかし、一見人間の筋肉のように見えたその肌は、金属のような音を立てて簡単にそれをはじく。
「硬っ!」
少女の驚きの声と共に、魔物がゆらり、と少女の方を向いた。
ぐお。
少女の存在に気づき、大きな腕を振り上げる。
「っととと!」
たっ。
少女が後ろに跳んだ瞬間に、ずしん、とこぶしが振り下ろされる。
「っ、これで、どうっ!」
がきん。
隙が生まれたところで、魔物の首に向かってアルフィニクを繰り出すが、やはりそれも弾き飛ばされてしまって。
「……駄目か。困ったなぁ」
少女はまた後ろに跳んで距離を取ると、眉を顰めた。
自分の攻撃は一切効かない。さて、どうしたものか。
困ったようにそう呟いた。

その時だった。

「……エレーナ……!!」

自分を呼ぶ声に、驚いて振り返る。

「…ジル?!」

「エレーナ!」
突然現れたジルに、灰色の髪の少女……エレーナは驚いた様子だった。
「なんでここに……っきゃ!」
ごす。
魔物が大振りのモーションでエレーナに拳を繰り出す。
驚いたものの、大雑把な動きにあっさりかわすエレーナ。
「ふぅ、あぶないあぶない。動きが鈍いのが救いだね」
レスラーから距離を取って、剣を構えなおすエレーナ。
ジルはその場に立ったまま、エレーナに問うた。
「……これは……?!」
「なんか、魔物の親玉!あっちでのびてる白衣の変な人が呼び出したみたいなの!」
「ああ……」
ジルは建物の中でのびている白衣の人物にちらりと目をやった。
またこいつか、と。
だがそれきり興味を失って、エレーナに視線を戻す。
エレーナは油断なく魔物と対峙しながら、続けた。
「今日はフルー様が道を作ってくださる日だから、そういうの喚び出しやすいんだ。つられて小さな魔物もあっちこっちに出てくるし」
「ああ……それで……」
エレーナの言葉に、納得して頷くコンドル。
ジルも無言で納得していた。ファンやコンドルが遭遇した、魔物と戦うエレーナ。彼女はアルフィニクを使って、現れた魔物を倒して回っていたのだ。
エレーナは苦笑した。
「さっすが親玉だけあって、かったくてさー!あの胸の宝石が核だと思うから、あれをどうにかすればいいと思うんだけど…っと!」
ごすん。
また大振りのモーションで拳を繰り出す巨大レスラー。
今度は余裕の表情で、エレーナはひらりとそれをかわした。
エレーナはアルフィニクを持っている。が、ジルのようにそれを使って見えない攻撃を繰り出すことは出来ないらしい。
ジルも、あの剣に触れていなければあの攻撃は使えない。
ぎり、とジルは歯噛みした。
「私も……っ」
決然と言って、一歩踏み出す。
「じ、ジルさん?!」
慌てて止めるコンドル。
「ぶ、武器もないのにどうやって戦うんですか!?」
「…これでも投げれば、注意くらいは引ける」
言って、足元の石を拾うジル。
コンドルは驚いて首を振った。
「む、無茶ですよ!って、じ、ジルさん!?」
コンドルの静止も聞かず、ジルは大きく振りかぶって手の平ほどの大きさの石を思い切り投げつけた。
びし。
石は魔物の腕に命中し、のそり、とその首がジルのほうを向く。
「ジル?!」
「ジルさん!」
コンドルも、エレーナも驚いてジルを振り返る。
ジルは真剣な表情で、エレーナに向かって言った。
「……私、逃げないから」
「わかってる」
にこり、と微笑むエレーナ。
「…でもこのままじゃ勝てないよ。私の……って、ジル、危ない!」
ゆら。
ジルの方を向いていた魔物が、やはり大振りのモーションでジルに向かって拳を振り下ろした。

「陽よ、劫火を纏いし鳥となり捉えし全てを焼き尽くせ!!」

ごう。
コンドルの呪文と共に、巨大な鳥の形をした炎が魔物に向かって飛んでいく。
ぐおおお。どすん。
炎が身体を掠めていき、魔物は苦しみもがいて倒れこんだ。
「コンドル……!」
ジルとエレーナがコンドルを振り返る。
コンドルは肩で息をしながら、真剣な表情でジルに言った。
「…ぼ、ボクもお手伝いします!!」
しばしの沈黙の後、ふ、とジルの表情が和らぐ。
「……ありがとう」
「今だよ、ジル!」
ジルの元に、エレーナが駆け寄った。
「今から私の言うとおりにして!事情は後から説明するから!」
エレーナの言葉に、表情を引き締めるジル。
「……勝算は?」
「ジル次第かな?」
エレーナはおどけた風に笑って、両手でアルフィニクを構えた。
「一緒にこれを握って。後は、強く念じるだけでいい。あの魔物を倒したいって」
「……わかった」
エレーナの手を包み込むように、手を重ねるジル。
「準備はいい?」
「……いつでも」
ふ、と目を閉じる。

そう、この感覚だった。
アルフィニクに命じ、見えない攻撃を繰り出す、この感覚。
心が研ぎ澄まされ、見えているとき以上の感覚が流れ込んでくる。

ジルを包む、優しい力。
何故、気づかなかったのだろう。
この力は、いつもジルと共にあったというのに。

「大いなる自然よ、広大なる世界よ、小さき勇者に僅かばかりの力を貸し与えたまえ!」
エレーナの澄んだ声が響き渡り。
「一撃…突貫……!」
ジルの気合がほとばしる。

『ユニコーンインパルス!!』

二人の声が同時に響き、アルフィニクから強大な力が放たれるのを感じる。
目を閉じたジルの脳裏に、しなやかな体躯の、真っ白な白い馬が見えた。
聖なる乙女をしか寄せ付けぬ、神聖な一角獣。その大きく鋭い角が、魔物に向かって一直線に駆けていく。
ざす。
地に伏した魔物の鋼の筋を貫き、胸の宝石に深々と食い込んで。
ぱきん…!
鋭い音を立てて宝石が砕けると共に、ぐわ、という鈍い音がして、魔物の身体は砕け散った。

はあ、はあ。
散って消えていく爆音に、ジルの息遣いだけが残されていく。
アルフィニクを構えたままのジルの頭に、いつの間にか手を離していたエレーナが、ぽん、と手を乗せて。
「がんばったね」
「エレーナ……」
ジルは呆然とした様子で、彼女の名前を呼んだ。
ジルと向かい合わせに立って、微笑むエレーナ。
いつの間にか、コンドルはいなくなっていた。
「エレー……」
くしゃ。
ジルの表情が、泣きそうに歪む。
懸命に涙をこらえている様子のジルに、エレーナは苦笑して、その頬に触れた。
「ジルはさ、もっと泣いたり笑ったりしてもいいと思うな」
「エレーナ……!」
ジルはエレーナの首に抱きつき、ボロボロと涙をこぼした。
「ジル……がんばったね。偉いよ。それでこそ、私の親友だね」
ジルの背に腕を回し、ポンポンと優しく撫でるエレーナ。
「エレーナ……あ、あい、たかっ……た…」
「うん、私もずっとジルとお話したかったよ。
今日はね、さっきも言ったみたいに、フルー様が道を作ってくださる日だから、大きな力がいっぱい動くの。
その力の影響で、私もこうして動くことが出来たんだ」
「そう……なん、だ」
嗚咽交じりにエレーナの話を聞くジル。
その背をもう一度優しく撫でると、エレーナは身体を離した。
「…だけど、もうそろそろ……時間みたい」
寂しそうな笑み。
ジルは呆然とそれを見やり、それから袖で涙をぬぐった。
「……最後にもう一度だけ、笑顔を見せて」
いつもの無表情で。
しかし、その瞳には切実な光が宿っている。
「そしたらまた、頑張れるから……」
ジルの言葉に、エレーナは満面の笑みを浮かべた。
ジルの記憶に残る、屈託のない笑み。
「大丈夫だよ」
エレーナの言葉と共に、彼女の体がまばゆい光に包まれる。
「…っ……」
あまりの眩しさに、思わず目を閉じるジル。
その耳に、エレーナの優しい声が囁きかけた。

「ジルが頑張ってるところ、ちゃんと見てるから」

ふわり、と。
先ほど共に剣を取ったときのような感覚がジルの身を包み、そしてふっと消える。
「………」
恐る恐る目を開くと、もう光は消えていて。
真っ暗な空き地に、遠くから祭りの喧騒が僅かに届く。
「………エレー……ナ……」
ジルはいつの間にか、その腕にアルフィニクを抱きしめていた。

「……私……頑張るよ、エレーナ。
だから……見ていて……ずっと」

ぎゅ。
ジルは呟くと、もう一度しっかりとアルフィニクを抱きしめる。

『大丈夫、ジルが頑張ってるところ、ちゃんと見てるから』

遠くから、もう一度エレーナの声が響いたような気がした。