Cellest Lancastar

「最近、なんだか街がにぎやかですよね」
夕食を食べている時に唐突にそんな話を切り出してきたのは、しばらく前から同居している従姉妹のチェレスタだった。
背中まで伸ばした黒髪に空色の瞳。従姉妹を超えて兄妹とよく間違えられるほど、セレストとよく似ている。
切り分けた肉をフォークに刺したまま、チェレスタは窓の外を見やった。
「綺麗な飾りつけも増えて。ヴィーダはいつもにぎやかですけど、ここしばらくで急に人が増えたような…
中央公園の方にも何か建てているみたいですし。…新年祭にはまだ早いですよね?何かお祭りでもやるんですか?」
「………チェレ、君ねえ…」
この従姉妹にはもともと天然なところがあったが、と半眼になるセレスト。
「一体ヴィーダに出てきて何年になるんだい?」
「ええっと…2、3年くらいでしたっけ?」
素で答えるチェレスタ。
セレストははぁ、とため息をついた。
「そんなにいるのに、洸蝶祭のことを知らないなんて……今年になってはじめて気になったの?」
「えっ、洸蝶祭なんですか?」
チェレスタは目を丸くした。
「そういえばそんな季節ですね……田舎じゃあこんなに人でにぎわうようなお祭りにはなりませんから、洸蝶祭とは結びつきませんでした」
「でも、フラワーランプが飾ってあるだろう?」
「それは…どこの家も飾るじゃないですか。それとは別物のお祭りだと思ったんです」
「なるほどね……大叔母様の家にいた頃も、家にランプは飾ってたけどお祭りには気づかなかった、と」
呆れたようなセレストの物言いに、チェレスタは拗ねたように言い訳をした。
「だって、大叔母様のお家にいた頃は、家事とかうちの子の世話とか…大叔母さまのお見合い攻撃とかで何だかんだ忙しかったんですもの」
「あー……まあ、あの方なら無理もないけどね……」
チェレスタの言う「大叔母様」とは、当然セレストの大叔母でもある。上京してきたチェレスタが身を寄せていたのだが、とにかく迫力のある女性で、しかもお見合いの斡旋が大好きな、いわゆる「くっつけババア」である。適齢期であるチェレスタももれなく被害に遭っていて、いよいよ本格的な適齢期になってきたチェレスタにさらにお見合い攻撃が激しくなってきたため、同じヴィーダでも少し離れたところに暮らしているセレストのところに転がり込んできた、というわけだ。
ちなみに「うちの子」とは当時飼っていたペットのことである。
チェレスタは疲れたようにため息をついた。
「仕事も忙しかったし、家に帰ったら帰ったでアレでしたから、この時期にこんなお祭りがあったなんて知らなかっ………ちょっと、何ですかそのひとりでお留守番してる子供を見るような目は。やめてください、私はかわいそうなんかじゃないですよ!」
「ははは、ごめんごめん」
本格的に拗ねモードに入ってきたチェレスタに、セレストは軽く笑って水を口にした。
「それじゃあ、チェレ。明日のご予定は?」
「え?」
突然の言葉にきょとんとするチェレスタ。
「明日ですか?空いてますよ」
「洸蝶祭、本番は明日だからね。よければ、一緒に行くかい?」
「え、一緒に行ってくれるんですか?」
「僕でよければ、だけど」
「わ、嬉しいです」
チェレスタはにこりと微笑んだ。
ふむ、と唸るセレスト。
「今日の明日じゃあ仮装の衣装を用意するのは無理だな…」
「仮装?」
「魔物の仮装をするだろう?」
「えっ、仮装って子供がするものでしょう?」
驚いた様子のチェレスタに、セレストは苦笑を返した。
「こっちでは大人もみんなやるんだよ。チェレ、本当に祭りに行ったことないんだね…」
「えっ、じゃあ、大人の人もみんな仮装して歩くんですか?」
「うん。チェレもしてみたいだろう?」
「はい、ぜひ」
また嬉しそうに微笑むチェレスタ。
セレストも笑顔で頷いた。
「当日でもコスチュームを売っている店はあるだろうから、明日は早めに出て服を選ぼうね」
「わかりました。ふふ、楽しみですね」
うきうきした様子で言って、チェレスタはフォークの肉をぱくりと口に入れた。

洸蝶祭当日は、さすがに昼から人通りが多かった。
「うわぁ、やっぱり人が多いですね」
「そうだね、でも祭りの本番は夜からだから、夜にはもっと増えるよ」
「えっ、そうなんですか?」
目を丸くするチェレスタ。
「だって、まだ魔物の格好をしている人はいないだろう?亡くなった人の魂も、魔物たちも、やってくるのは夜だからね」
「そういえば……」
改めて辺りをきょろきょろ見回してみるが、行きかう人々の多くは普通の格好で、屋台も多く出ているがまだ準備中、その準備のために奔走しているという様子だった。
「ここからまだ人が増えるなんて…本当に大規模なお祭りなんですね」
「そうだね、ここでやるものは特に派手だから、毎年他の街から観光客も来たりするらしいよ」
「そうなんですか……あ、兄さん、ありましたよ」
チェレスタが嬉しそうにセレストの肩を叩いて前方を指差す。
その先にあったのはブティックだった。セールの看板が掲げられ、店の外に仮装用の衣装がたくさん展示されている。
「行ってみましょう兄さん!可愛いのあるかな~」
うきうきした様子でブティックへ駆けていくチェレスタを、セレストは微笑ましげに見つめながらゆったりと追った。

「うーん……これか……でもこれも可愛いし……」
チェレスタは難しい顔をして悩んでいるようだった。
棚の上には動物系の仮装衣装。手に取っている狼男の耳と尻尾セットと、棚の上の山猫フードつきマントセットを真剣な表情で交互に眺めている。
セレストは苦笑しながらその様子を見ていた。
「まあ、女性の買い物は長いよね」
それを見越して早めに出てきたのだし、彼女の気の済むまで悩ませてやろう。
そう思い、自分も適当に棚のものに視線を移す。
「あら、先生!こんにちは!」
そこに声をかけられ、振り向くと子連れの女性。
セレストが経営している魔法塾の生徒だ。
魔法塾とはいっても、彼はもっぱら生活に密着した小規模なお役立ち魔法を安い受講料で教えており、生徒も魔法学校に入るような子供ではなく成人女性や主婦層がメインとなる。もともとの家事好きも手伝って、半ば料理教室のようになっているとかいないとか。
彼は笑顔で女性に挨拶をした。
「こんにちは。偶然ですね」
「先生も洸蝶祭、行かれるんですか?」
「ええまあ、たまには、と思いまして」
「そうなんですか~。ウチも毎日なんだかんだで忙しくて、服の準備とか何にもしてなかったんですよー。それで今日、娘にどうしてもってせがまれて。もう当日だしいい服なんて残ってないわよーって言ったんですけどね、お友達と夜店回るから絶対欲しいって聞かなくて。しょうがないからランチがてら見に来てみたんですけど、まだまだ結構売ってるんですねえ」
「そうですね、お祭りだからお店のほうもたくさん揃えてるんでしょうね」
「本当に!もうちょっと早く買いに来てたら、もっといいのも残ってたかもしれませんよねえ。まったくウチの人ったら、たまの休みにも家でゴロゴロしてばっかりでこういうところ全然連れてきてくれないんですよぉ」
「はは、そうですか……」
女性の買い物は長いが、主婦の世間話はそれ以上に長い。
喋りだした母を放っておいてさっさと自分の衣装の物色を始めた娘を横目で見ながら、セレストは苦笑いで相槌を打つのだった。

「うーん…どうしましょう…」
最終的に狼セットに絞ることにしたチェレスタは、今度は黒にするか茶色にするかで悩んでいた。
「兄さんのイメージから言ったら茶色だけど……」
「いや、僕はこっちのほうがいいと思いますよー?」
横から唐突に声をかけられ、きょとんとして振り向くチェレスタ。
店のロゴ入りのエプロンをつけた男性が、笑顔で立っている。
「おや店長さん」
「お客さんは赤の魔女でしょ?二人のバランスからいっても連れのお兄さんはこっち」
別に取っておいた魔女の服にちらりと目をやって言う店長。
チェレスタはへらりと笑った。
「あ、わかりました?」
「そりゃあプロですから」
「じゃあ、これとこれ、お会計お願いします」
「はーい。ちょっと待っててねー」
チェレスタが差し出した赤の魔女の衣装と黒の狼セットを手に取って、店長は上機嫌で奥に向かった。
チェレスタもそのあとを追い、会計を済ませて。
「毎度どうも。更衣室あっちですよ」
「え、着てっていいんですか」
「皆さんそうされてます。どうぞどうぞ」
「ありがとうございます、じゃ」
チェレスタはにこりと笑ってフィッティングルームに入っていった。

「兄さん、お待たせしました」
着替えたチェレスタがセレストのところに戻ってくると、セレストはまだ先ほどの生徒に捕まっているところだった。
セレストは少しほっとした表情でチェレスタのほうを向き、女性はチェレスタを見て表情を輝かせる。
「まあああ、妹先生!かっわいいぃぃ!」
ハイテンションで駆け寄ってくる女性。チェレスタはセレスト不在の間に事務を担当したりしているので、生徒たちにも顔は知られており、「妹先生」と呼ばれている。妹ではないのだが。
「あっ、こ、こんにちは。いらしてたんですか」
女性のテンションに面食らいつつ、愛想笑いをするチェレスタ。
「はい、娘の服を見に。いやぁ、妹先生、よくお似合いだわぁ。ご自分でお選びになったの?」
「え、ええ、まあ…」
赤を基調とした魔女のローブに黒いハット、杖を持った彼女の姿は、いつもの清楚な雰囲気とは違う新鮮な印象を与えている。べた褒めの女性に、チェレスタは困ったような愛想笑いを返した。
すると。
「ママ、これにする」
先ほどから衣装を物色していた娘が下からくいくいと女性のスカートの裾を引っ張る。
「あ、うん、わかったわ。それじゃあ先生、妹先生、私はこれで」
少し名残惜しそうに2人に挨拶すると、女性は娘と一緒にカウンターへと歩いていった。
セレストは嘆息すると、改めてチェレスタのほうを向いた。
「…ふう。助かったよ、チェレ」
「私は何もしてませんけど…あの人も相変わらずですねえ」
「はは、うちに来る人は大体あんなもんだよ。というか、チェレ」
「はい?」
「狼男は?」
先ほど真剣な表情で選んでいた狼の装束をつけていないことに首をかしげるセレスト。
チェレスタはああと頷いた。
「もちろん買いましたよ、はい」
もそ。
持っていた狼グッズを笑顔で差し出す。
「はい?」
「兄さんの分です」
「えぇ?これ、俺のなの?」
セレストの反応に、チェレスタは不思議そうな顔をした。
「もちろんですよ。兄さんも仮装するんでしょう?あ、ひょっとしてもう用意してあって今から着替えるとか?」
「いやいや、仮装ならもうしてるでしょ」
「は?」
眉を顰めるチェレスタ。
セレストの服は普段着ているローブ。とても仮装には見えない。
と、セレストは持っていたフラワーランプに魔法で火を灯した。
「……ほら。これで、ジャックランタン」
「えー」
半眼で不満をあらわにするチェレスタ。
「……それ仮装じゃないですよ、ただのランプ持った兄さんじゃないですか」
「いや、これでローブでごまかすと意外に何とかなるんだよ?本当だって」
「だいたい、ジャックランタンってカボチャのお化けでしょ?雪だるまとセットなんですよね」
「どこのメガテニストだい、チェレ」
「とにかく!せっかく買ったんですから、兄さんもこれ、つけてください。耳と尻尾だけなんですから、その服の上からでも楽につけられますよ」
「えー…どうしてもつけなくちゃダメかい?」
「ダメです」
「はぁ……まあ、チェレが楽しいならいいんだけど」
セレストは諦めて、黒い狼の耳と尻尾を装着するのだった。

「うわ、さすがに人が多くなってきましたね…」
「そうだね、ストゥルーの刻になったらもっと多くなるよ」
「え、まだ多くなるんですか?」
チェレスタは人通りの多さにひたすら驚いているようだった。
レプスの刻も終わりに近づき、日もだいぶ傾いて、看板を出し明かりをつける屋台も増えてくる。行きかう人々も魔物の仮装をする者が増え、だんだんと祭りのボルテージが上がってきているようだった。
と。
どん。
「きゃ」
「うわ」
突如腰に衝撃を受けて、セレストは驚いて振り返った。
「あたたた……」
見れば、見知らぬ少女が尻餅をついている。
長い灰色の髪に、同じ色の瞳。年は14歳ほどだろうか。彼女は慌てて立ち上がると、スカートの裾を払いながらセレストを見上げた。
「ご、ごめんなさい!あの、大丈夫ですか?」
スカートの裾を払う仕草で、腰に下げられた短剣の飾り石がちらちらと光を反射する。
それになぜか既視感を覚えながら、セレストはにこりと彼女に微笑みかけた。
「うん、こっちは大丈夫。むしろ君の方が大変じゃないかな」
「そうそう、このお兄さんは見かけより頑丈だから気にしないで」
横から笑顔でチェレスタもフォローする。
少女はなおも心配そうにセレストを上から下まで見回し、なんともないことにようやく安心したらしく、にこりと笑った。
「よかった、それじゃあ!」
言って、くるりと踵を返し、再び人ごみの中へと駆け出す。
あれではまたぶつかってしまうのではないかと気になってその姿を見送っていたが、彼女は少し離れたところにいた小さな子供のところで足を止めた。
「お母さん、あっちの方に行ったみたいだよ。一緒にいこ!」
子供は不安そうに少女を見上げ、少女が安心させるようににこりと笑うと、小さく頷いてその手を取った。
手を繋いで人ごみに消えていく二人をほほえましげに見やるセレスト。
「……親とはぐれちゃった子を見つけて、放っておけなかったんですかね」
同様にそれを見ていたチェレスタも微笑みながら言い、セレストは視線を外さずに頷いた。
「みたいだね」
それから、先ほどから感じていた僅かな引っかかりに首をかしげる。
「それにしても…どこかで見たような……気のせいかな?」
銀色の、凝った紋様の短剣。柄に嵌められた大きな金色の宝石。
「どうしたんですか、兄さん。行きましょうよ」
「あ、うん。ごめん」
チェレスタの声で我に返ったセレストは、その引っ掛かりの正体をつかめないまま再び歩き出した。

「あ、人形焼ですって兄さん。美味しそう」
チェレスタが指差した先には、人形焼の看板が掲げられた屋台。甘いいい匂いがこちらまで漂ってくる。
嬉しそうな従姉妹に、セレストはにこりと微笑みかけた。
「買っておいでよ、チェレ。俺はあっちのベンチにいるからさ」
「えっ。あ、はい。じゃあちょっと、行ってきますね」
チェレスタは微笑み返して屋台の方へ駆けていく。ちょっとした列が出来ていて、戻ってくるのに少々時間がかかりそうだった。
セレストは嘆息して、先ほど自分で示したベンチの方へと歩いていった。
と。
「……あれ」
そのベンチの周辺で、困ったように辺りをきょろきょろと見回している少女。
彼女の姿には、覚えがあった。
「あれは、確か……」
セレストは小走りに駆けていって、少女に声をかけた。
「ジル、ジルじゃないか?」
少女――ジルは名前を呼ばれてはっとセレストを振り返った。
その反応に破顔するセレスト。
「やっぱり。久しぶりだね。俺のこと、覚えてる?」
「………セレスト」
ジルは無表情のまま、彼の名を呼んだ。
その様子が、彼女と出会ったあの雪国の小さな村のことを思い起こさせ、セレストは微笑する。
ショートカットの赤茶けた髪の間から、大きな耳が覗く。獅子獣人である彼女は、年は確か14だと言っていた。相変わらずの無表情には、今は少しだけ困惑と焦りの表情が滲んで見える。
「君もこのお祭りに来てたんだ。でも、どうしたの、何かあった?」
「……っ」
ジルは戸惑ったように表情を動かし、それからぽつぽつと話し始めた。
「実は……とても、大事なものを…盗まれちゃったんだ」
「大事なもの?」
「………うん」
「それって、どんなもの?」
「ええと……」
ジルはどう言おうか迷うように視線を動かした。
そこで、セレストは唐突にあることに思い至る。
「あっ……ねえ、もしかして、短剣を探してる?」
「えっ……」
ジルは驚いた様子でセレストの顔を見た。その表情が、彼の言葉が正しいことを物語っている。
セレストは続けた。
「確か、カンプ・ノウで…君、腰に剣を下げていたよね?それが、今はない。
大事なものって、その剣だ…違う?」
「そう……でも、なんで……」
「心当たりがあるんだ」
にこりと笑うセレストに、ジルの表情が少しだけ真剣さを増す。
「……心当たり…?」
「うん。今言われるまで思い出せなかったんだけど、今やっと思い出した。君が持っていたのと同じ短剣を持った女の子を、さっき見かけたんだよ」
「…女の子……どんな人だった……?」
身を乗り出すジル。
セレストは少し眉を寄せて記憶を辿った。
「ええと…14歳くらいの女の子で、さらさらした長髪。色白で髪の毛も目も灰色だった。ちょっとおとなしそうな感じだけど、行動力はありそうだよ。
あっちで親とはぐれてた子供に声をかけて、一緒に屋台の方まで行ってたけど――それから先はわからない」
「14歳くらい…灰色の髪……」
ジルはうつろな瞳でぽつりと呟いた。心当たりがあるのだろうか。
セレストは首を傾げてジルに言った。
「また見かけたら、引きとめておこうか?」
「……お願い、できるかな」
遠慮がちに答えるジル。
セレストはにこりと微笑んだ。
「わかった。見つかるといいね」
「……ありがとう。それじゃ」
ジルは小さく礼をすると、先ほどセレストが指差した屋台の方へと駆けていった。
それを見送っていると、後ろから。
「兄さん」
人形焼を買ってきたチェレスタの声がして、そちらを振り向く。
「……チェレ。顔にやけてるよ?」
「え。なんですかにやけてませんよ失礼な」
半笑いのチェレスタをからかってみると、憮然として言い返される。自覚はないらしい。
「お知り合いですか?」
「うん、以前の仕事で、ちょっとね」
「いいですよねぇ…ケモ耳……」
まだ少し後姿が見えるジルをうっとりと見つめる。半笑いの正体はこれだ。
「ワーキャットさんなんでしょうか」
「ライオンだって言ってたよ」
「えっ、そうなんですか。珍しい。ああつやつや手触りよさそうな尻尾…」
「チェレ、目がイッてる」
「だからイッてませんって失礼な」
「自覚はないんだ…そんなにケモノ好きだったとはね」
「兄さんの尻尾も吟味に吟味を重ねた素敵な手触りなんですようふふ」
「…そうなんだ……」
若干引き気味のセレスト。
「それで、お話してたのってさっきぶつかってきた女の子のことですよね」
「なんだ、聞いていたの?」
「いえ、なんとなく割って入れなくて」
「なんだか、探してるみたいだったよ。あの子を」
剣を盗まれた云々のことは言わないことにして、セレストは言った。
「で、兄さんはそれを手伝おうとしてる、と。
まあこれだけ広い公園ですから、手分けした方が良さそうですよねー」
「ああ、まあ、手伝うというか。また見かけたら引き止めておくね、程度だけど」
嘆息して改めて辺りを見回すセレスト。
「この人ごみの中で、もう一度あの子に出会える可能性なんて、ほぼゼロに等しいだろうからね…運よく見かけたら、っていうところかな。
事情もよくわからないし、俺たちが祭りを楽しむ時間を潰してまで探しても、彼女も喜ばないだろうし」
「そうですね…じゃあ私も、気をつけて見ておきますね」
「そうだね。じゃあ、行こうか」
言って、2人は再び歩き出した。

その後、屋台で買い食いをしたり珍しいものを見て回ったり中央公園の特設ステージでの出し物を楽しんで回ったが、ジルが探している少女にも、ジル自身にも会えないまま、2人は帰途に着いた。
「結局、見つかりませんでしたね…」
「そうだね…見つかっているといいけど」
「ええ。早く見つかって、あのワーライオンさんもお祭りを楽しめているといいです」
先ほどまでの祭りの興奮を思い出したのか、チェレスタは楽しそうにそう言って笑った。
「ヴィーダの洸蝶祭が、こんなに楽しいものだなんて思いませんでした。連れて行ってくれてありがとう、兄さん」
「いえいえ、どういたしまして」
笑顔で言ってから、セレストは唐突に何かを思い出した様子でごそごそと懐をあさる。
「そういえば……」
取り出して差し出したそれは、綺麗にラッピングされたクッキーだった。
「食べる?生徒さんたちに渡したやつの余りだけど」
そういえば、洸蝶祭で出会った生徒たちに配っていたことを思い出す。配り歩くために持っていたのだろうか、マメな男だ、と思いながら見ていたのだが。
「ありがとう、いただきます」
チェレスタは嬉しそうにそれを受け取り、ラッピングを解いて袋を開けた。
中からふわりと香る、生姜の香り。
「わ、ジンジャークッキーですね」
「うん。毒見はしたから味は心配ないよ」
「そんな心配はしてませんよ。いただきます」
ひとつ摘まんで齧れば、スパイシーな生姜の香りが口いっぱいに広がる。
「美味しい。…そういえば、ジンジャークッキーはどこにも売ってなかったですね」
「え?」
チェレスタの言葉にきょとんとするセレスト。
「…確かに美味しいけど、屋台として店に出すにはちょっとインパクトに欠けないかな?」
「えっ。ジンジャークッキーって、洸蝶祭の必須アイテムじゃないんですか」
「え、なんで?」
きょとんとした表情を見合わせる2人。
「え、だって。毎年フラワーランプと一緒に大叔母様から貰ってましたよ。
兄さんだってこの前たくさん作ってたじゃないですか」
「ああ」
ようやく得心が行った様子で、セレストは苦笑した。
「あれは大叔母さんに送ろうと思って……亡くなった旦那さんの好物なんだって」
「えっ……」
思わぬ事実に言葉を詰まらせるチェレスタ。
セレストは複雑な表情で少し遠くを見た。
「……そうか。俺が送らなくても、大叔母さんは毎年作ってたんだね。
チェレが必須アイテムだと思うくらいに」
「毎年いつも、この日に合わせて準備してたってことですか?二十何年も前からずっと?」
「そうだね。きっと……蝶の姿になって帰ってきた大叔父さんに、食べてもらうためにね」
「………」
チェレスタはなんともいえない表情で口をつぐんだ。
懐かしげな表情で続けるセレスト。
「子供の目から見ても、とても仲がよかったから」
「そう…だったんですか……」
チェレスタは手にしたジンジャークッキーの袋を見下ろして、ぽつりと言った。
「お見合いを勧めてくるのは……だから、なんですかね」
「……そうかもね。チェレにも、幸せになってもらいたいんだよ。それは、わかっておあげ」
「………」
チェレスタは返す言葉を見つけられずに、視線をクッキーからセレストに移した。
自分と同じ、黒髪に空色の瞳。
兄妹だと間違えられるほどに自分によく似たその顔を、改めてじっと見やる。
「うん?」
「……兄さんも、食べますか。クッキー」
「そうだね、頂こうかな」
チェレスタが差し出したクッキーの袋に手を入れ、ひとつ口に入れるセレストを、微笑みながら見つめる。
と。
「――――あ」
唐突に足を止め、大きく口を開けたチェレスタを、セレストも足を止めて不思議そうに見やった。
「…どうかした?」
「兄さん…………どうしましょう。忘れてました」
半泣きの表情でセレストの袖を掴むチェレスタ。
「……何、どうしたの」
「大叔母様から手紙が来てたんです。『たまには顔をお見せなさい、でないとどうなるか分かるでしょうね?』って、日時の指定付きで」
「――いつ?」
「今日でした……!」
「ああ………」
こりゃあダメだ、という表情で息をつくセレスト。
チェレスタの表情がさらに歪む。
「私ピンチですよね?そりゃあもうピンチですよね?!だって『どうなるか分かるでしょうね?』とか言われてますし!」
「……まあ、頑張れ」
「助けてくれないんですか?」
「こういう時の大叔母さんは、俺もちょっと怖い」
げっそりと言って、セレストは視線を逸らした。
はう、とため息をつくチェレスタ。
「わかりました。明日謝りに行ってきます……。でも、すぐ戻ってきますからね!」
たとえどんなにお見合い写真を並べられようと。
決意のこもったチェレスタの表情に、セレストは微笑を投げかけた。
「じゃあ、帰ってきたら…頑張ったチェレにご褒美あげようか」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。何がいい?」
「えっと、そうですねー……」
先ほどまでの落ち込んだ表情はどこへやら、一転してうきうきと考えを巡らせるチェレスタ。
「じゃあ、食後のデザート付けてください。兄さん手作りで」
「はいはい」
「それから――」
「え、まだあるんだ?」
「当たり前です。こっちの方が重要ですよ」
チェレスタは子供に言い聞かせるように指をひとつ立てて言って。
それから、ふわりと微笑した。

「帰ってきたら、おかえりって言ってくださいね」