Innocent Battle

「ぃやあっ!」
一触即発の空気を破ったのは、意外なところから上がった甲高い声だった。
驚いて振り向いた先から、大きな光の鳥が一直線に飛んでくる。
「うわっ!」
鳥の軌道上にいた仲間達がとっさに避け、その軌道の先を振り返る。
今まさに術発動の印を切ろうとしていた、セイカの方を。
「……っ!」
セイカは僅かに眉を寄せると、手を振り払って身体をひねった。
ごう。
音にならない音を立てて光の鳥は彼女の肩を掠め、その後ろにあった木に直撃する。
枝葉が砕かれ塵になり、光の鳥も同様に雨の空に溶けて消えた。
「なっ……」
冒険者達は絶句して、大きな光の鳥を召喚した小さな主を振り返った。
「何をするんです、コンドル!」
暮葉がその名を呼ぶ。
コンドルは肩で息をしながら、今にも泣きそうな表情でセイカの方を見つめている。
「だっ……だっ、て、だって」
もう一度、両手を広げて印を切り、手のひらをセイカに向ける。
「ゆ、ゆるせな……お、おとうさんっ、お父さんを、殺しただなんてっ……!」
コンドルの周りに、通常ではありえない速度で魔道の構成が巻き起こる。
詠唱を必要とせずに術を発動する、彼の秘技。
「………」
セイカは緋色の瞳で冷静にそれを見届け、彼が二度目の発動をする前から組み上げていた魔道の構成を解き放った。
「ゆるせないぃっ!」
「月狐の爪!」
ぱきん、というような音がして、コンドルが巻きおこした光の鳥があっという間に霧散する。
「ふわっ」
自分の魔道の構成を散らされたショックでか、ふらりとよろめくコンドル。
それを支える…というよりは、肩を乱暴に掴むように、リウジェが詰め寄った。
「馬鹿野郎!なにしてンだてめェ!」
あまりの剣幕に、目を見開くコンドル。
しかし、まだ落ち着いてはいないようで、荒く息をつきながら反論する。
「だっ、て、お、お、お父さんを、自分のお父さんを、こ、殺した、って!ぎ、義理でも、お、お父さんはお父さんです!こ、殺すなんて、そんなの、許せないです……!」
「ちっ」
目で見えない分、コンドルの尋常でない様子は痛いほどに伝わってきた。
客観的に考えて、セイカの言動には違和感がある。それに、今までの捜査で、セイカが魔物だという証拠はおろか、彼女が父を殺したという証拠さえも全く挙がっていない。
だが、彼女の言動にはそれらを全て頭の中から消してしまえるほどの威力が…少なくともコンドルに対しては、あった、ということだろう。冷静な判断が下せる状態ではない。
…つまり、何を言っても無駄、ということだ。
「何だか知らねェが……面倒だ、少し眠ってろ」
「……ぇ」
とす。
コンドルの返事を待たずに、リウジェはその鳩尾に正確に手刀を叩き込む。
かく、とコンドルの身体がくずおれ、暮葉が驚いて足を踏み出した。
「シェ……っ、コンドル!」
「安心しろ、気絶させただけだ」
リウジェは立ち上がって、コンドルの小さな身体を抱き上げた。
「ちっと、脇よけとけ。危なくなりそうだ」
「……はい。ありがとうございます」
暮葉が神妙な面持ちでその身柄を預かると、リウジェは再びセイカに向かって身構えた。
慎重にセイカの方に注意を向けながら、ムツブに言う。
「おい、おっさん。おめェも今挑発に乗って魔法使おうとしてただろ。何考えてンだ、こんな街中でギルド長と幹部が魔法戦おっぱじめたらどうなるかわかンだろうがよ」
むっとしてそちらを向くムツブ。
「しかし……」
「まさかあれっぽちの揺さ振りでセイカが観念したとかは思ってねェよな?あのガキがあの程度で屈服するようなタマか?
ちったァ落ち着け、適当な理由つけてあんたを殺っときたいだけかもしれねェぜ?今はてめぇの身を守ることだけ考えろ、あいつは俺達が何とかする」
「む………」
渋い顔をするムツブ。
が。
「ずいぶんと余裕なことだ」
セイカはあくまで淡々と言って、す、と手のひらをこちらに向けた。
「ならばその言葉、身を持って示せ」
完成した魔道の構成が、一言で解き放たれる。
「朱雀の爪!」
ごう、と、雨すら霧散するほどの炎の槍が空に現れ、間髪いれずにムツブへと向かっていく。
「くっ……!」
ムツブは一歩退くと、その槍に向かって左手をかざした。
「豊葦原の大いなる護り!」
ごっ。
ムツブとリウジェを中心に生まれた結界が炎の槍を受け止める。炎は二人を包むように燃え上がると、ふっと消えた。
「くっ……そ!」
リウジェは魔道の気配を感じた方向に足を踏み出し…
「はあっ!」
後ろから鋭い気配が同じ方向に向かっていったのを感じた。
「…っ……!」
音もなく。
セイカが差し伸べていた腕が切り裂かれ、鮮血を滲ませる。
「……マシュウか?!」
リウジェは見えぬ目で、セイカに切りつけた人物の名を言い当てた。
すばやく相手の懐に潜り込み、抜刀と同時に斬りつけてから再びすばやく距離をとって納刀する、居合道。すでにセイカと充分な距離を取っているマシュウは、刀を静かに納め、油断のない構えのまま静かに言った。
「……儂の依頼主はムツブ殿ゆえ、ムツブ殿に害意を及ぼすというのであれば、斬る。
お主がどういうつもりかは判らぬ。己の魔道に絶対的な自信を持っており一気に我らの殲滅を図りに来たか、誰かがセイカ殿になりすましたか、はたまた戦いに敗れ己の命消えるを望んだか」
マシュウの言葉に、セイカの眉が僅かに寄る。
マシュウは続けた。
「どちらにしろ、斬るしかあるまい」
「……っ」
誰かがマシュウを止めようと手を上げるが、マシュウは刀に手をかけたまま再び深く身を沈めた。
「…参る!」
再び、マシュウが地を蹴ってセイカとの距離を……
「ЖЁЙКЩЛЯ――――…‥」
と、どこからか耳慣れない言葉が辺りに響く。
がぎっ!
マシュウの踏み込みは、突如セイカの前に現れた氷の壁に阻まれた。
「ぬっ……」
マシュウは後ろに退き、再び油断のない構えを取る。
セイカに呪を唱えた様子はなかった。
ならば。
「まったく…レディに手を上げるなんざ愚の愚だな。彼女に罪があると決まったわけじゃねェだろうが」
いつの間にか、マシュウとセイカの間に立ちはだかっていた、ヴォルガ。
自らの作り出した氷の壁でセイカを護り、自身もまた彼女を守るようにして立ちふさがっている。
「フミタカが本当にセイカちゃんに殺されたというなら…全てを知る必要があるだろう!
フミタカが何故殺されなければならなかったのか、どの様に殺されたか…フミタカの無念を晴らしたけりゃ真実を明かすべきなんじゃねェのか!?」
「そうだよ、マシュウ」
マシュウを挟んでヴォルガとは反対側に立っていたクルムも、身を乗り出して言い募る。
「オレ達はまだ、セイカが魔物だっていう証拠を得られたわけじゃない。
もしかしたら、それだけ上手く隠して騙し通している、ということかもしれないけど…でも、それならなおさら、どうして彼女はここで、わざわざ目立つような行動を取るんだ」
クルム自身は抜刀していない。戦うつもりはないようで。
「ムツブさんの行動に気づいていて、彼が邪魔ならなおさら、評議長として呼び出して首を切ればいい。直接こんな街中で、挑発的な事を言って、しかも彼に雇われた冒険者が一緒に居る時に戦いを挑むなんて…そんな、まるで排斥されることを自ら望んでいるみたいなこと、するはずがないだろ?!」
「………」
答えないマシュウに、クルムは辛そうな表情で訴えかけた。
「セイカの目的は何なのか、何故こんな行動を取るのか、オレはセイカにその理由を聞きたい…!
彼女の話を聞かせてくれ!」
「………」
マシュウは油断なく構えたまま、言葉を返した。
「……如何にも、拙者とて合点が行かぬ。
しかし、今セイカ殿がムツブ殿を滅さんとしているのは事実。
消えるを望んだのであればなおのこと……」
す、と身を低くして。
「事情を問わず、楽に逝かせてやるが人情ではあるまいか」
ヴォルガの表情が険しくなる。
「ンな乱暴な考え……頷くわけにはいかねェな!」
ぱき。ぱき、ぱき。
ヴォルガの声とともに、奇妙な音が鳴り響く。
「こ……これは」
ミケが驚愕とも感嘆ともつかない呻きを漏らした。
「雨が……凍っている」
彼と氷の壁を中心に、今なお降り続く雨が次々と凍り付いていく。
無論、地面を濡らしている水も、次々と。
「…っ!」
ヴォルガの近くにいた者達の足が、凍りついた水に取られるような形になった。急激に下がった外気温と共に、動きと体力を削り取られていく。
「セイカちゃん、キミもキミだ!」
ヴォルガは振り返ると、セイカに言った。
「何考えてやがる!相手はキミを魔物だと思い込んでる奴にソイツに雇われた冒険者だぞ!
最悪全員キミに襲い掛かってきてもおかしくねェだろうが!なんでお義父さんを殺したなんて!?」
氷の壁越しに、無表情のセイカに怒鳴りつけるように。
「…まさか、ムツブに自分を討たせて全て解決なんてことは考えてねェだろうな?」
「…………」
セイカは表情を動かさず、ヴォルガに目線をやる。
ヴォルガは眉を寄せ、たたみかけた。
「バカな事考えるな!両親が死んだとき、何も話せなくなるほどショックだったんだろ!
大事な人が死んだときってのはスッゲェ悲しい…そんな思いを他の奴にさせる気か!?」
セイカの瞳が、す、と細くなる。
「……何のつもりか知らぬが……邪魔だ」
ばっ、と血に染まった腕を振り上げて。
「朱雀の舞!」
ぼうっ!
呪文と共に、セイカを中心に炎が燃え上がった。
「うわっ!」
慌てて目をかばうヴォルガ。巻き起こった炎は、彼女を守っていた氷の壁も、そして凍りついた地面もあっという間に溶かしてしまう。
「……っ!」
ヴォルガは手を振り払うと、セイカに怒鳴りつけた。
「何考えてる!全て一人で抱えてこうなんて思ってんのか!?
思い上がるな!!一人で抱えられる重さなんざたかが知れてるんだよ!!」
「………」
セイカの表情は動かない。
ヴォルガはじれたように、言葉を叩きつけた。
「キミには心の底から信頼できる奴の一人もいねェのか!?
一人で意地はってんじゃねェ!ちょっとは他人を頼りやがれ!!」
さああ、と、凍らせるものを失った雨が地面を叩く。
セイカはゆっくりとまばたきをし、それから息をついた。
「……信頼など、できぬ」
「……なんだって?」
意味を量りかね、眉を寄せるヴォルガ。
セイカはすっと血の滲む右腕を上げ、淡々と言った。
「丹羽野に雇われたぬしらとて同じこと。気の毒だが、犠牲になってもらおう」
「………っ!」
「…玄武の爪!」
セイカの呪文と共に、地面が大きな錐に姿を変えてヴォルガを襲う。
「……セイカちゃん!」
間一髪で避けたヴォルガは、じれったそうに彼女の名を呼んだ。

「い、一体、何がどうなって……」
早朝とはいえ、よりにもよって街中で始まった戦いに、ミケは戸惑った様子で声を漏らした。
「自分が殺したって…真実を知った僕たちを消すって…何をどう考えても不自然、ですよ」
幸いにもというか、他の仲間が応戦しているため彼が参戦するような事態にはなっていない。
「真相に近づいたから始末するというのなら、こんな街中で仕掛けるのは明らかに…おかしい。ギルド長を襲ったならず者、と見せかけるにしたって、この人数差は無謀としか言いようがありません」
「確かに……」
隣で、ふぅ、と息をつくファン。
「…あの言葉は戦闘を誘発させる為の、挑発、でしょう……ひとまずはそう割り切ります」
こみ上げる感情を押さえつけているように息を整えながら。
「しかし、このまま戦えば音などで人が来るかもしれません。そうなると関係の無い方々や建物にまで被害が出るかもしれません。せめて場所を変えていただければ…」
「この場所で戦い、人を呼ぶのがセイカの目的なのだろうな」
後ろから、冷静な声で遮る千秋。
「人を呼ぶのが目的…?」
「ああ、その理由まではわからんが、あれだけの頭脳と魔道の才を持ち、今までギルドを問題なく切り盛りをしてきた人物が、ここにきてこんな事をするのは…気が触れたのでないのなら、それ相応の目的があってのことだろう」
「なるほど……しかし、周りに被害が出る前に戦いをやめさせなければ」
「それは同感だ。それに、セイカの言っていることが真実なのか虚偽なのか、それを確かめたい。何とか接近して、捕縛を試みる」
ざ、と足を踏み出す千秋。
ファンも頷いた。
「では、私はムツブさんの説得を」
「頼む」
頷き合って、それぞれに歩き出す二人。
ミケはまだ困惑の表情のまま、それでもあたりをきょろきょろと見回した。
「早朝とはいえ……これだけの音がすれば、じきに人が来る…そっちを、どうにかしなくては…」
仲間達が戦っている方を見れば、相当派手な魔法の応酬が見える。
「流れ弾の始末もしなくちゃいけませんね…まかり間違ってどこかに当たったら、火事どころの騒ぎじゃ……っ?!」
言っている側から、セイカの放った炎の槍が、街道沿いの建物の屋根に向かって飛んでいく。
「……っ、風よ、猛きものの……」
しかし。
しゅっ。
ミケが防護の呪文を唱え終える前に、突如空に溶けてしまう炎。
「……!?」
ミケは驚いて、セイカを振り返った。
ヴォルガの展開させた氷の壁を、広範囲の炎の魔法で破壊するのが目に入る。
しかし、あれだけの威力の炎にもかかわらず…辺りの建物や、植えてある木々、無造作に置かれた看板の一つに至るまで、燃えることはおろか、焦げ目すらついていない。
(魔道の威力を…調整している…?まさか、そんな)
そのつもりがあったとて、並の実力で出来る芸当ではない。
しかし、偶然と片付けてしまうにはあまりに奇怪な現象だった。派手な音を立て、騒ぎを起こしてはいるが…その実、周りに一つとして被害は出ていない。
ミケはしばし呆然とその様子を見…それから、表情を引き締めて駆け出した。

「くっ……戦いを辞める気はない、ということか……やはり、私も…」
「待ってください、ムツブさん」
印を結ぼうとしたムツブを、背後から駆け寄って止めるファン。
「…ファン殿」
「このまま戦えば関係の無い方々や建物にまで被害が出てしまうかもしれません。
それを無視してまで戦うつもりでいるのでしょうか」
「しかし、戦いを仕掛けてきたのは向こうだ。それに、フミタカ様を殺したという言葉、到底捨て置けん」
眉を吊り上げて反論するムツブ。
ファンはムツブを落ち着かせるように、冷静な口調で続けた。
「よく考えてください。セイカさんをかばっている者もいるようですが…一人の少女を取り囲む大勢の冒険者達…という構図が、周りの方々にどのように映るでしょうか?それも相手は、あなたがどう思っているかはともかくとして、れっきとした社会的地位のある人物です。ともすれば、こちらが悪者だと思われても仕方のない構図です」
「む……」
ファンの言葉にひるむムツブ。
しかし、ファンは言葉を紡いでいくことで抑えていた激情がこみ上げてきたのだろう。表情に苦悩の色を滲ませて、続けた。
「ですがそれ以前に、ここはあなた方の街でしょう…
自分達の街に被害が出るかもしれないこの状況で移動を拒むセイカ氏の思惑などは俺には分かりませんし、分からなくてもいいです!
とにかく、戦闘をやめて頂きたいのです!」
次第に語気が荒くなっていく。
言葉を叩きつけるようにして訴えて。
「無駄な血が流れる悲しさを分からないわけではないでしょう!?
流れた血が呼ぶ悲しさを、貴方は全て拭いきれますか!?
拭えないから人は思い出すのでしょう!?
悲しかったことも、楽しかった事も、嬉しかった事も、思い出したくないような事も全て!
完全に拭いきるなどできないから!
完全に忘れ去れないから!
このようなわけの分からない戦いを悲しみとして人々の心に残すようなことになるかもしれないのに、そうまでして戦わねばならないのですか!?」
「ファン殿……」
ファンに気おされるようにして、ムツブは身体の力を抜いた。
穏やかな彼をここまで激昂させる何があるのかは判らない。彼が言っていることもまた事実だった。
…しかし。
「ならなばおさら、このような暴挙に出るセイカは止めなくてはなるまい」
「ムツブさん!」
改めて表情を引き締めたムツブを、悲壮な表情で止めようとするファン。
ムツブは顔だけ彼を振り返り、にべもなく言った。
「誤解しないで頂こう。戦いを仕掛けてきたのはセイカだ。ここで私が戦うのを辞めれば、あやつはこの暴挙を止めるのか?そのような保証はどこにもない。
フミタカ様のことを言われ、激昂していたのは認めよう。それを止めてくれたことも感謝する。しかし、私に戦いを辞める理由はない」
「ムツブさん…!」
ファンはそれ以上かける言葉を失って、雨の中がくりとうなだれた。

Innocent Entreaty

「朱雀の爪!」
セイカの呪文と共に、先ほどより小ぶりの炎の矢が、十数本現れる。
そして間髪入れずに冒険者達に向かって飛んだ。
「くっ…!」
かろうじてそれをかわし、体制を整える暮葉。
他の仲間達も止めに入っているようで、様子を見ていたが…セイカに戦いを辞める気配はない。このままでは、無用の被害が出てしまうだろう。
(一気に…片をつけなくては)
暮葉は身を低く構え、拳に魔道の力を込めた。
セイカが次の印を結ぶ前に。すばやく地を蹴って、彼女の死角に回る。
「はぁっ!」
気合と共に繰り出された拳が、セイカの脇腹にめり込んだ。
「………っ」
ぐぎ、と嫌な音がする。充分すぎるほどの手ごたえだ。あばらが折れたかもしれない。
「…?!」
自分の拳が命中したことに驚いて、暮葉は後ろに退いた。
(なぜ……当たるの?)
一昨日、ヴォルガやジルと共にセイカの家に忍び込んだことを思い出す。
セイカの仕掛けた空間に作用する術中にはまり、攻撃を仕掛けたが同じ術によってはじき返されてしまった。
『賊と対峙するのに、何の手立ても講じぬと思うのか?』
彼女は確かに、そう言っていた。考えてみればマシュウの攻撃が当たったのも奇妙だ。あの時と同じように備えをしていれば、物理攻撃など当たるはずがないのに。
(まさか……)
ぐ、と、彼女にめり込ませた拳を握り締める。
(……殺して欲しい、ということ…?)

けほ、と乾いた咳をして、セイカは腹部を押さえた。
口の端から血が滲んでいる。先ほどの暮葉の一撃で内臓が傷ついたのかもしれない。
しかし、彼女はそれを回復させようとはせず、再び厳しい眼差しを冒険者達に向けた。
先ほどマシュウに斬りつけられたままの血の滲む腕を振り上げ、印を切る。
「はっ!」
瞬間、死角から斬りつけられ、セイカは術を発動できずに身を翻した。
かわしきれずに、腕に新たな血が滲む。
「………」
セイカは攻撃の主と距離を取って、静かにそちらを見やった。
牽制のつもりで繰り出した一撃が当たったことに内心驚きながら、千秋は剣先を下げる。
「フミタカ氏を殺したという言葉、偽りはないな?」
「………然り」
静かに答えるセイカ。
千秋は片眉を顰めた。
「例え4年前の事件であったとしても、お前のその言葉の真偽を確かめる方法はある。
俺がお前の髪に触れる。それで終わりだ」
セイカの表情が動く。
ややあって。
「……髪読みの呪、か。まだ使い手がいたとはな」
「さすがに博識だな」
油断なく告げる千秋。
彼の言った通り、千秋は髪に触れることでその髪の持ち主が得てきた経験をたどることが出来る。ナノクニではもう途絶えて久しいと思われていた術だった。
その術でならば、セイカの経験してきたことを知ることが出来る。ハッタリではなく、事実だ。
千秋の瞳の色からそれを察したのか、セイカの表情が険しくなる。
千秋は油断なく構えて、淡々と告げた。
「罪を自白したなら、それを吟味する。それが今の俺の仕事だ。
俺の口から真相を語らせるか、それとも自分から全て話すか、選べ。
どちらも嫌なら、俺がお前の髪に触れるのを防ぐんだな!」
言って、駆け出す千秋。
セイカは表情を厳しくすると、構えていた印をそのまま突き出した。
「白虎!」
ごお、と雨交じりの風が唸り、千秋の体勢が揺らぐ。
「……くっ…」
たたらを踏んで体勢を立て直す千秋。
と。
風に舞い上がった自分の髪を、セイカはぐっと掴み上げた。
「な……」
何を、と言う間もなく。
「爪を!」
ざっ。
セイカの呪文と共に、大きな風の刃が生まれ…あっさりと、彼女の長い髪を切り落とした。
「!………」
驚きに声を失う冒険者達。
セイカは髪を掴んでいた手を前に差し出し、再び高らかに呪を唱える。
「朱雀!」
ぼおっ。
彼女の手に握られていた緋色の髪の毛は、あっという間に炎に焼かれて跡形もなく消え失せた。
「なん……だと…」
ぎり、と歯噛みする千秋。
短くなってしまったセイカの髪の毛。あんなにもためらいなく実行に移すとは想像だにしなかった。
逆に言えば……是が非でも読み取られたくはなかった、ということだ。
それがすなわち、彼女の言葉が偽りであるとは決め付けられないだろうが、その可能性は高い。
「………」
千秋は刀の柄を握り締め構えたまま、その場に足を止めた。

「ちっ……さすがに人が集まり始めたか」
遠くから、ここに居る者でない人間の声と足音が聞こえ、リウジェは舌打ちした。
「気ィ失わせて、無理矢理にでも終わらせるっきゃねェか……出来ればの話、だが」
先ほどから機会を伺ってはいるが、他の仲間達の攻撃もあり、タイミングを逸し続けている。
仲間達の攻撃は当たっている…ようだが。セイカがダメージを受けているのも気配でわかる。
しかし、確証はないが…意図的に攻撃を受けているような気がした。それも、死なず、気を失わず、できるだけ自分を痛めつけるように。
(何考えてやがんのか、さっぱりわからねえ…ちっ、いちかばちか、やってみるか)
リウジェは内心舌打ちして、足を踏み出した。
成功するかどうかはわからないが、懐に潜り込んで、急所を打ち、気を失わせる。
そこで別の場所に連れて行き、目が覚めたら話を聞かせてもらえばいい。
彼の目は、セイカのように物事を感じることは出来ないが…あれだけ魔道の気を放っていれば、それこそ目で見るように彼女の位置を把握するのは簡単だった。術を放った直後に隙ができる。それを狙えば…
「……っ…」
ぱしゃ、と自分の足が立てた水音が響く。
セイカに向かって駆け出したリウジェは……しかし、思わぬ力でそれを止められた。
「ごめん、リウジェ!」
横に立っていたクルムの思いがけない気配に足を止めるリウジェ。クルムは済まなそうな表情を向けると、そのまま彼に代わってセイカの方に駆け出した。
「……!」
思わぬ方向から現れたクルムの姿に、驚いて身体をひねるセイカ。
しかし、遅かった。
「ごめん、セイカ!」
クルムは彼女の血に濡れた腕を取ると、身を翻してそれをひねり上げた。
「ぅぐうっ!」
押し殺した悲鳴をあげるセイカ。が、ひねり上げられたままそれでも口を動かす。
「白虎の――」
「おっと!」
セイカの両腕を器用に片手で拘束したクルムが、もう片方の手で口を塞ぐ。
18歳のセイカと14歳のクルム、体格にそう差はないとは言え、クルムは戦士であり冒険者だ。魔道士のセイカが力で敵うはずもない。
「………っ!」
セイカは身を硬くして、その手から逃れようともがいた。しかし、クルムの力の前にびくともしない。
仲間達も安心した様子で息をつき、その様子を見守っている。
クルムは後ろから覗き込むようにして、セイカに語りかけた。
「どうして自分の身を危険にさらすような事をするんだ。
君が傷つくことで、君よりも胸を痛める人が、君を想っている人が居る事を知ってるだろう?」
「……っ」
セイカの動きが止まる。
クルムは続けた。
「君が誤解されたままギルドを、このダザイフを去る事になれば、その人が心底悲しむ事も知ってるだろう?
こうしなければいけない理由って、一体何なんだ?」
言っているクルムが辛そうな表情で。
「こうまでして、たとえ誤解されることになっても……守りたいのか、あのことを」
「あのこと…?」
繰り返し呟くリウジェ。
セイカは僅かに目を見開いてクルムのほうを見た。
が、クルムの口からその続きは語られない。
「…………」
しばし、事態が膠着したままただ雨の音だけが響く。
やがて。
「…………」
口を塞がれたまま、セイカがふっと身体の力を抜いた。
「セイカ……」
腕の力を緩め、口を塞いでいた手を離すクルム。
が。

「白虎の針!」

ぱしいっ。
セイカの呪と共に、クルムの身体を強烈な電気が貫いた。
「うあぁっ!」
苦悶の悲鳴を上げ、よろよろとたたらを踏むクルム。
彼の手から逃れ、距離を置いて再び身構えるセイカ。
「クルム殿」
よろめきながら何とか体勢を立て直したクルムに、後ろからムツブか駆け寄る。
「お判りだろう、あの女にもはや人の言葉は通じぬ。これ以上被害を出さぬためにも、ここで成敗するしかない」
「ムツブさん…!」
なじるようにムツブのほうを向くクルム。
ムツブはそれには構わず、右腕をすっと上げてセイカに手のひらを向けた。
「やめて下さい、ムツブさん!」
クルムの制止の声も空しく。
ムツブは、すう、と息を吸うと、組み上げた構成を解き放とうと声を上げた。
「高天原の――」
その時だった。

「セイカさん!」

雨の中突如響いた声に、幾人かの冒険者達と……そして誰よりセイカ自身が、ぎくりと身をこわばらせて振り返った。
ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ。
雨に濡れた地面に構うことなく、息を切らせて駆け寄ってくる少年。
年のころは16歳ほど。土色のローブに身を包み、短い黒髪に大きな黒い瞳、そばかすの浮く頬を隠すように大きな眼鏡をかけている。
その眼鏡もローブもびしょびしょに濡らして、少年は悲痛な表情で叫んだ。
「やめて、やめて下さい、セイカさん!」
「………っ」
これまで見せたどんな表情よりも動揺した表情で少年を見るセイカ。
「…アス………!」
息を吐き出すようなかすかな響きが、僅かに開いた口から漏れる。
アスと呼ばれた少年は、足を止めてぜえぜえと息を整えながら、冒険者達の方に叫んだ。
「…クルムさん!」
名を呼ばれて、驚愕の表情をアスに向けるクルム。
アスは続けて名を呼んだ。
「ヴォルガさん、リウジェさん!」
「……っ」
「!……」
互いに驚愕の表情を見合わせるヴォルガとリウジェ。
アスは悲痛な表情で、叫んだ。

「セイカさんを助けてください……!!」

Innocent Wager

「……っ」
互いに、驚いている場合ではなかった。3人の表情が引き締まる。
アスに名を呼ばれた者以外の冒険者達は、ムツブも含め、事態が理解できずに困惑の表情を見せる。
「……っち!」
リウジェは舌打ちをすると、踏み出しかけていた足を再度踏み出した。
ムツブに向かって。
「…うおぉっ?!」
背後からリウジェに腕を取られ、ひねり上げられて悲鳴を上げるムツブ。
リウジェは苦い表情で、そのままムツブの動きを封じた。
「すまねェな。依頼人の要望なんでね」
「い……依頼人…?!」
訳がわからず腕の痛みに顔をしかめるムツブ。
「つまり…ムツブ殿に害をなす存在、ということじゃな」
事態は理解していないが、状況は理解した、といった様子で構えなおすマシュウ。
「だからどうしてそうアンタは短絡なんだよオッサン!」
ムツブの腕を取ったままマシュウに怒鳴るリウジェ。
「オレの依頼人はアスだ、アスがセイカを守れっつったからセイカを殺ろうとしてるムツブを止めた!
ムツブに危害を加える気なんかねェよ!」
「しかし、セイカ殿はムツブ殿も含め、我らを殲滅するのが目的。そのセイカ殿を守るということは、すなわちムツブ殿の命を奪うということじゃろう」
油断なく構えたまま言うマシュウ。
リウジェはイライラした様子で怒鳴り返した。
「だァから!それが短絡だっつってんだよ!」
「待って、リウジェ」
横から割って入るクルム。
「マシュウの言うことももっともだ。セイカの目的は…何故だかわからないけど、ムツブさんとオレたちを殲滅することにある……」
表情に苦悩の色を滲ませて。
「オレだって助けたいさ……けどセイカちゃんは聞く耳持たねェんだよ!」
同様に、ヴォルガ。
「助けようとしたって、セイカちゃんはオレらまで攻撃してくる!どうすりゃいいってんだよ、アス!」
「セイカさん……!」
アスはセイカに悲痛な表情を向ける。
二人の視線がぶつかって、セイカは一瞬表情をひき歪ませたが…すぐに、ふい、と顔を逸らした。
心眼という様子でなく、ぎゅっと目をつぶって、苦しげに言葉を吐く。
「……死にたくなければ…退がっていろ」
「セイカさん!」
アスの叫びを振り切るようにして身構えるセイカ。
目をぎゅっと閉じたまま、魔道の構成をするために意識を集中させる。
ふわ、と、雨に濡れて重いはずのキモノの袖が宙に浮いた。
「セイカさ……!」
アスはそれを止めようと、足を一歩踏み出し……
「…………ごめん」
ぼそり、と言う呟きと共に、突如思わぬ力で腕を引かれた。
「?!………」
事態を把握する暇もなく、アスは後ろに引っ張られて体制を崩し――

「止まって!」

思わぬ方向から響いた声に、冒険者達ははっとしてそちらを見た。
同様に、そちらに目を向けたセイカの身体もびくりとこわばって動きを止める。
先ほどクルムがセイカにしたのと同じように、後ろ手に羽交い絞められ、喉元にナイフを突きつけられている、アス。
彼を拘束している主は……
「………ジル?!」
顔を蒼白にして少女の名を呼ぶクルム。
アスより小柄ながら、ジルは的確に腕を取って動きを封じている。
表情はいつものように乏しく、内面は伺えない。
皆が動きを止め、セイカが呪文の詠唱をやめたことを確認して、ジルは静かに言った。
「……戦闘をやめて」
言われるまでもなく、皆が動きを止めたことで戦闘そのものは止まっている。しかし、ジルが言っていることはそんなことでないだろうことは知れた。
「ジル、お前何を……」
「動かないで!」
足を踏み出しかけたヴォルガを、強い口調で止める。
ヴォルガはびくりと身体を震わせて、それでもアスの喉元に突きつけられた短剣の前に動きを止めた。
「…戦闘をやめないのなら……その分だけ、彼に苦しんでもらうことになる」
ジルの言葉に、セイカの眉が寄る。
ジルはそちらに油断なく視線を向けた。
彼女の動きを牽制するように視線を動かしながら、静かに言葉を続ける。
「命を張って守ってくれたあなたの実の両親の思いも、フミタカ氏があなたのためにしたことも…ここの彼があなたを思う気持ちさえ裏切って、自分ひとりで、何を解決しようって言うの?」
そこまで言って、僅かに眉根に力を込めて。
「……いや、違うか。あなたは、既にたくさんの人に迷惑をかけている。これじゃあ、一人で解決なんてとても言えないよね」
「………」
セイカからの言葉はない。
ジルの言葉に、というよりは、彼女に拘束されているアスの方が気になっている様子で。
ジルは続けて、ちらりとムツブに目をやった。
「ムツブさんも。頭に血を上らせる前に、することがあるでしょ。仮に、セイカさんの言っていることが真実だったとしても…セイカさんは、フミタカ氏を殺したくて殺したなんて、一言も言ってないじゃない」
「………」
リウジェはすでにムツブの手を離していたが、ムツブはそれ以上何もしようとはしなかった。
やはり、ジルの言葉にというよりはアスの事が気になっている様子で。
見も知らぬ少年とはいえ、自分の不用意な発言で傷つける結果になってしまうのは忍びない、ということなのだろう。それは、ジルの言葉に説得されたのとは程遠い。
ジルが動こうとしない限り、誰も一言も発せられない。痛い沈黙が落ちる。
それを了承と取ったのか、ジルはムツブに向かって言葉を続けた。
「……戦闘を、辞めてくれるんだね」
「………」
ムツブは、しぶしぶといった様子で構えを解いた。
ほ、と息をつき、ジルは剣先を僅かに下げ…
そこで、セイカがすっと手を上げた。
「白虎の――」
「やめてって言ったでしょ?!」
セイカの呪を遮るように怒鳴るジル。
ぴぴっ。
同時に、セイカの上げた腕に、まるでカマイタチでも襲ったかのような亀裂が数条走る。
「?!……」
正体の見えぬ攻撃にセイカは驚いて手を引いた。
ジルの言葉と共に起こった現象だ。彼女による攻撃と見ていいだろう。しかし、いまだ彼女の持った短剣はアスに突きつけられたままだ。彼女の持つ能力か、それとも……
「……じゃあ」
めぐらせた思考は、やはりジルの冷たい言葉によって遮られた。
「……約束だから」
す、とアスの首にあてられていた短剣の剣先が下がり……
とす。
そのまま、ジルはアスの脇腹に剣を突き立てた。
「!!」
息を飲み硬直する冒険者達。
そのままジルはすっと剣先を上げ、先についた血のりが雨に洗い流されて落ちる。
「………次は、どこがいい?」
ぐ、と拳を握り締めるセイカ。
再び、痛いほどの沈黙が場を支配した。
さああ、という雨の音だけが辺りに響く。
……と。
「我が母は仰られた」
ジルに拘束されていたアスが、拘束されたまま目を閉じて言葉を紡いだ。
「……?!」
彼の様子に慌てて彼に視線を移すジル。
アスは構わず続けた。
「御身が手を須く数多の大地に触れ癒し賜わんと」
「……っ……!」
言葉と共に彼の周りに展開される魔道のオーラ。聖書の文句のようなこれが、彼にとっての呪文なのだろう。
ジルの表情に動揺が浮かぶ。当然だろう。剣を突きつけている当の本人が、それを全く意にも介さずに呪文を唱えているのだから。
アスの呪文は続く。
「哀れなる罪人、刻まれし咎人、天の恵みは左右されども、皆等しく大地の上に立つものなり。母なる御手に包まれ、安息の息吹を得よ」
ふわ、と辺りを優しいオーラが包み込む。アスとジルだけでなく、冒険者やムツブも…そして、当然セイカも。
「母なる御手よ、地上の子等に安らかなる癒しを与え給え」
ふ、と。
冒険者達が受けていた傷の痛みが軽くなる。
「………」
無表情のまま、それでもアスに剣先を向け続けるジル。
アスは目を閉じたまま、自分の腕を拘束する少女に語りかけた。
「ジルさん、とおっしゃるのですか」
「………」
「どうか、剣を下げてください。あなたはとてもお優しい方です。
僕の代わりに、ご自分の身を傷つけるようなことは、どうかおやめ下さい」
「えっ……」
アスの言葉に声をあげるクルム。
アスはそちらに向かって微笑みかけた。
「この方は、僕を傷つけてはいませんよ。僕を刺すと見せかけて、ご自分を刺して見せただけです。
このような無茶をして…この方のほうが倒れてしまう。ですから、僭越ながら手助けをさせていただきました」
「そう……だったのか」
アスの唐突な回復魔法は、他ならぬジルの傷を癒すためのもの。
ほ、とクルムは肩で息をついた。
ジルは肩を落とすと、剣先を下げ、アスを拘束していた手を離した。
「………ありがとうございます」
アスはジルを振り返り、笑顔を向ける。
そして。
「……セイカさん」
セイカの方を向くと、穏やかに語りかけた。
セイカは気が抜けた様子で立ち尽くしている。
アスは痛ましげに彼女を見やり……そして、首を振った。
「……もう、やめましょう、セイカさん。
あなたの決意は固い……それは、僕にも充分理解できます。
……でも」
悲しげな瞳が、セイカの緋色の瞳を捕らえる。

「……真実は、いずれ明かされるものなんです」

「!………」
セイカの瞳が見開かれる。
アスはさらに続けた。
「あなたは…ご自分の身を犠牲にして、嘘を完璧な嘘に仕立てあげようとした。
でも……真実は、隠し通せないからこそ真実なのです。
今、ジルさんが僕にしたことのように」
ちらりとジルに視線をやって、すぐにまたセイカに視線を向ける。
「今はそれで凌げたとしても……いずれ明らかになります。
ひとは、僕たちが思っているよりもずっと強い。
真実を探し出す強さも……そして、真実を受け入れる強さも持っています。
それがどんなに辛いことであっても……嘘で包むのは、新たに悲しみを生むだけですよ」
「…………」
セイカは黙ったまま、身体の力を抜いた。
だらりと腕が垂れ下がり、膝がかくんと折れる。
セイカは地面に膝を突き、がくりと手をついてうなだれた。
ぱしゃ、と水音が響く。
彼女から戦う意志が消えたのは、明らかだった。
ほ、と息をつくと共に、奇妙な沈黙が場を支配する。
誰も一言も発せぬまま、雨の音だけがさああとあたりに響いた。
と。
「皆さーん、雨もひどくなってきましたし、このへんで撤収しましょうよ。
ほら、ギャラリーも増えてきましたし、サービスとはいえあんまり皆さんにお見せしたら、本番つまらないじゃないですか?」
驚くほど場にそぐわない明るい声でミケが言い、皆ぎょっとしてそちらを向く。
今まで戦闘に夢中で気がつかなかったが、気づけばあたりには近隣住民が10メートルほど距離を置いて人垣を作っていた。
ミケは何故か再び傘をさし、明るい表情で冒険者達の方に歩み寄る。
「ほら、皆さんには僕の方から説明して、離れて見物していただくようにしましたけど。
このままヒートアップしちゃったら、あっちにケガ人が出ちゃうかもしれないですよ?皆さんもお疲れでしょうし、この辺で休憩して、場所移しましょう?そろそろ、街も動き出す時間帯ですし…これ以上、舞台演習のためにこの場所借りるわけにも行きませんよ?」
「ぶ、舞台演習?」
事態が飲み込めず、奇妙な表情をするヴォルガ。
ミケはニコニコと微笑みながら冒険者達の方へ歩み寄り…そして、うなだれているセイカの側で足を止めた。
「さ、このゴーレムももう術を解いても良いですよね」
す、とセイカの頭の上に手をやると、セイカの姿があっという間に人型をした土人形に変わる。
「?!」
冒険者達の表情が驚愕の色に染まったが、それ以上にギャラリーから、おお、とどよめきの声が上がった。
「すごい!じゃあやっぱりあれって人形だったのね!」
「本物の人間かと思ったよ……よく出来てるなあ」
感心したような声がギャラリーの中から聞こえる。
ミケはそちらをくるりと振り返り、笑顔で答えた。
「はい、なんといっても魔術師ギルドと技術提携をしましたから。
まだこちらは試作段階で、ちょっと粗も多いんですけど…試作なんで、許可いただいてギルド長の姿をお借りしたんですよ。本番は違うものになりますから」
ギャラリーと話を弾ませるミケだが、冒険者達は展開についていけずあっけに取られた顔をするばかり。
それは気にならないのか気にしていないのか、ミケは営業スマイルでさらに続けた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした!以降は場所を移して練習しますので、皆さんはどうぞお戻り下さい!あ、無いとは思いますが、もし魔法が飛び火して何らかの被害がありましたら、魔術師ギルドの方までお申し出下さい、補填をさせていただきますので!」
「本番はいつやるの?」
「そうねえ、こんなに本格的で迫力のあるお芝居なら、是非見に行きたいわあ」
ギャラリーの中から再びそんな声が上がり、そちらに営業スマイルを向けるミケ。
「まだ肝心のゴーレムが未完成ですので、いつとは申し上げられませんが…日程が決まり次第、役所の方にお願いして宣伝をしていただく予定です」
「そうか、楽しみにしてるよ」
「がんばってね、応援してるわ」
「ありがとうございます」
ギャラリーは納得した様子でようやくそれぞれに散らばり始めた。何人かは残ってあの役者さんの名前はだの、マネージャーさんが素敵だのと騒いでいたが、ほどなくして彼らもその場を去っていった。
ふう、と息をついて、ふたたび振り返るミケ。
「…さ、場所を移しましょうか」
やや苦笑気味に言ったところで、ようやく冒険者達は我に返った。
「なっ……ミケ、何を」
「幻術、か……さすがだな、ミケ」
事態を問おうとしたヴォルガを遮るように、クルムがほっとした様子で言った。
「げ、幻術?」
「はい。といっても僕のは、対象物にかぶせて視覚をごまかすだけの代物ですけど」
ミケは苦笑して解説し、セイカに歩み寄った。
「とりあえずこれで、ギャラリーはこれがセイカさんでない、お芝居の練習を屋外で行ったものだと納得してくださったようです。これ以上大きな騒ぎにはならないでしょう」
「なるほどなァ……ナイスだミケ!」
ぐ、と親指を突き出すヴォルガ。
「うん、あの状況でギャラリーのことまで気を回して、騒ぎが大きくならないように誤魔化せるなんてすごい機転だ。やっぱりミケはすごいな」
クルムも手放しで褒めちぎる。
ミケはさらに苦笑した。
「僕は戦闘には参加しませんでしたし、これくらいのことは…と思って。
僕には、セイカさんが魔物だという証拠がない以上、無条件に戦うのは嫌だったんですよ。
せめて、セイカさんがフミタカさんを殺したというのが本当だとしても、何故、どうやって?わからないことが多すぎます。そんな状態で、自白だけで断じることは出来ません」
ミケは言って、ムツブのほうを見た。
「…場所を、変えましょう。お話を聞きたいし…ムツブさんも、そう思うでしょう?」
自分に矛先が向き、ムツブは複雑そうな表情で曖昧に頷いた。
「……ふむ。……では、オータニで……」
「待て」
ムツブの声を遮ったのは、セイカ。
うなだれたままのゴーレムの幻影からぬっと突き出るように、セイカは立ち上がった。
「…これだけの騒ぎの後だ。オータニでも問題がある」
その瞳はまだ緋色の輝きを外に晒している。
が、やがてふっと瞳を閉じると、くるりと踵を返した。

「私の家に来い」

Innocent Guess

セイカの家の居間は、13人入るには少し手狭だった。廊下を挟んで向かいにある寝室の方も使い、冒険者達はひとまず身体を拭いて服を乾かした。
そして、一息ついたところで…ムツブが、厳しい視線を向ける。
「それで……そこの神官服の少年は、一体どういうことなのだろうか」
視線の先には、もちろんアスがいた。
しばらくセイカを気遣うように側に立っていたが、ムツブの言葉にそちらを向き、真剣な表情を作る。
「……弁明はありません」
が、言葉を紡いだのはクルムだった。
「あなたの目的と反する情報を手に入れるため、依頼の募集に応じました。あなたを騙していました。申し訳ありませんでした」
「すみません、どういうことなんでしょうか?もう少し詳しく話してもらえませんか?」
僅かに眉を顰めて、ミケ。
「そもそも、その方は一体……?」
「申し遅れました」
アスは居住まいを正し、軽く礼をした。
「僕はアスティール・ヴィグランと申します。ディーシュ教会で神官見習いをさせていただいています」
「一昨日、案内をしてもらったな」
千秋が言い、そちらに向かって微笑む。
「はい、覚えております。千秋さまと、ファンブニルさまでしたね」
「その節は、どうも」
軽く挨拶を交わすファンと千秋。
アスはそちらに会釈を返すと、再び表情を引き締める。
「僕は、ニワノさんが冒険者を雇い、セイカさんが魔物だという証拠を集めると知り……止めなくては、と思いました。
僕も、冒険者さんに依頼を出したのです。ニワノさんの依頼に紛れ込み、セイカさんが無実だという証拠を探してくれ、と……」
「なんと」
驚きの声を上げるマシュウ。
傍らにいたセイカが、無言で瞳を開き、静かにアスを見つめる。なじるような、悲しげな表情。
アスは目を閉じて苦笑した。
「ろくに依頼料も出ないこの依頼を……クルムさん、ヴォルガさん、リウジェさんが受けてくださいました。リウジェさんは、僕の弟弟子の紹介だったんですが…皆さん別々に依頼をしましたので、さっき僕が来るまでお互いが同じ依頼を受けたとは知らなかったと思います」
「まったくだぜェ。こっちはリウやんと戦わなきゃなんねェかとヒヤヒヤしたってのによォ、まさかリウやんも同じ依頼受けてたとはなァ」
けらけらと笑って、ヴォルガ。
「こっちこそ驚きだ、お前が金にもならねェ依頼受けるとはな」
言い返すリウジェに、ヴォルガは盛大に肩を竦めた。
「おいおい、オレはレディを陥れなきゃならんほど金には困ってねェぜ?マトモに依頼受けたとしても断ったさ」
そして、アスのほうを見てにやりと笑う。
「まァ、いきなり戦いに乱入してきたアスの方が驚きだったがねェ?セイカちゃんのために態々危険をかえりみずやってくるた~、愛の力は偉大だな~アス~♪」
「ヴォルガさん……!」
困ったように頬を染めるアス。
が、ほのぼのムードを厳しい表情のムツブが引き戻した。
「では、その3名は、最初から全く違う目的を持って私の依頼を受けたということなのだな」
それには、クルムが真剣な表情で反論した。
「確かに、依頼を受けた目的は別のものでした。ですが、そのために証拠の捏造をしたり、上がった証拠を隠したりはしていません。この命にかけて誓えます」
「それは、僕も保証できます。クルムさんはそんなことする人じゃないですよ」
真面目な表情で頷くミケ。
「ヴォルガやリウジェも…」
「ったりめェだろォ?このオレがんなことするわけねェっての」
「以下同文だな。俺は調べた上でセイカが黒だって証拠が挙がったらそのまま報告するつもりだったしな」
怒り半分の表情で言う二人。
クルムは頷いて、再びムツブのほうを向いた。
「オレも同じです。オレがこの依頼を受けたのは、セイカの罪を暴くためじゃない。
真実を知るためです。
幸いというか、昨日、一昨日の調査で、セイカの罪を示す証拠は出てこなかった。
だから、アスがセイカを信じてる限り、オレもセイカを信じています」
「クルムさん…」
ほっとしたような表情でクルムの方を見るアス。
クルムは続けた。
「だから……厚かましいのを承知の上で、言わせてください。
この数日、セイカの事を調べて…彼女はあなた方が思っているような者ではないと、オレは思いました」
「………」
なおも厳しい表情で、クルムを見つめるムツブ。
クルムはふい、と廊下の向こうに視線をやった。
「ここから、見えるでしょう。フミタカさんが使っていたという書斎です。
罠に嵌め、地位と命を奪ってしまった人の部屋を、その罠に嵌めた張本人が、綺麗に維持しておくものでしょうか。
オレはその行為は、彼女のフミタカさんに対する思い、敬愛と哀悼の表れだと思います」
そして、再びムツブに向き直り、続ける。
「ムツブさんは、フミタカさんがセイカを愛していたようには見えなかった、と仰いましたね。
でも、愛の形も、優しさの形も、人それぞれです。現に、ディーシュ協会神官長のテオドールさんは、フミタカさんのことを『言葉ではなく行動で愛情を示す』『相手に実質的な利益をもたらす事が優しさだと思っている』人だと言っていました。
フミタカさんの、表面から分かりにくい愛情を…厳しい魔道の指導を、ギルドを統括していくための厳しい教育を、セイカはきちんと受け止めて才能を開花し、ギルドを運営している。
それは、セイカがフミタカさんの愛情をきちんと受け止めていたことだと、オレは思うんです」
「………」
なおも無言のムツブ。
クルムは真剣な表情で、続けた。
「彼女が今日、何故あんなことをしたのか、あんなことを言ったのか、正直言ってオレには分かりません。彼女に話してもらうしかない。
でも、セイカはあなた方古参のメンバーをないがしろにしてたわけじゃない。彼女にあなた方の印象を聞くと、その評価は捻じ曲がったものではなく、長所も挙げていました。
彼女が多くを語らず、全て自分で決断するのは…あなた方を頼らないのは、本当は何を意味しているのか。義に篤いムツブさんだからこそ、分かって欲しい」
そこまで言って、深々とナノクニ式の礼をする。
「どうぞセイカに対する疑念を、一時思考の中から外して、オレ達が集めてきた情報と、そしてセイカから直接話しを聞いて、彼女に対する認識を、もう一度を考えてみてください」
「儂からもお頼申そう」
刀を抱えて座っていたマシュウも、続けて言う。
「セイカ殿が話している間、貴殿は沈黙しておいていただきたい。口を挟みたくなるような話をするやもしれぬが、最後まで話を聞いてやってはくれぬか。
この場に及び、セイカ殿が虚偽を述べるわけもない。真実を受け止める勇気を発揮してこその漢ぞ。器の大きさを見せていただきたい」
「………」
ムツブは憮然として黙り込んだ。
しかし、反論をしてこないということは、了承したということなのだろう。
クルムはほ、と息をついて、セイカのほうを向いた。
「セイカ、ムツブさんもわかってくれたみたいだ。
聞かせてくれないか。何故、あんなことをしたのかを」
「そ、そうです」
暮葉に介抱されて意識を取り戻していたコンドルが、涙目で割って入る。
「ふ、フミタカさんを、こ、殺したって……な、なんでですか?!どうしてそんなことを……!」
「コンドル、落ち着いて」
隣で肩を抑え、なだめる暮葉。
まだセイカの言葉を真に受けている様子のコンドルに、仲間たちも複雑な表情になる。
暮葉は僅かにためらって、そしてセイカのほうを向いた。
「でも、わたしもお訊きしたいです。何故?どうやって?本当に殺したのなら、教えて欲しい…わからないことが多すぎます」
「それは、私も同感です」
ファンも同意して頷く。
「真実を教えていただきたいです。フミタカ氏の死に関する、真実を」
「事件の時、君にはアリバイがある。それは、ここにいるムツブさんが他でもない証人だったね。
父を殺したのは自分だって、どういうことなんだ…?」
クルムも重ねて問うた。
「…………」
セイカは目を伏せたまま、口を開こうとはしない。
思い沈黙が落ちた。
と。
「やったにしろやってねェにしろ、確かな事が一つだけあるぜ」
リウジェがイライラした様子で、沈黙を破る。
仲間たちの視線がそちらに集まった。
「お前はアスの信頼を裏切った」
リウジェは鋭い視線をセイカに向けて、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
顔を背けたまま、セイカの瞳が開いた。
「いいか、お前が本当に魔物で、何年か前から入れ替わってたって言うならそりゃもうしょうがねェ。見破れなかった周りの連中がぼんくらだったってだけだ。魔物に説教しても何も始まらねェよ。
だけどな、お前がちゃんと人間で、フミタカを殺ったっていうなら話が変わってくんだよ。
あんまりアスが否定しやがるから、聞いたんだよ。そこまで信頼する理由は何だって。
ちゃーんと言ってくれたぜ、ある意味ウゼェぐらいにな」
肩を竦めて。
それから、再びきつい表情でセイカを睨んだ。
「お前はあいつに何も見せてないな。
あいつはお前の事を知りたいと思いながらも我慢してたんだよ。
そんな状況で、セイカが疑い掛けられてるから晴らしてくれとよ。
肝心の事は何もわからねェ、信頼されてるのかされてないのかも正直よくわからねェ、そんな訳のわからねェ固まりみたいなお前を助けてくれってな。
健気な話じゃねェか、そこまで信頼できるってのは羨ましい限りだぜ」
「………」
セイカは再び目を閉じ、なおも黙っている。
リウジェはさらにイライラした様子で言いつのった。
「それを、お前は裏切ったンだよ。『殺したのは私だ』が嘘か本当かは大した問題じゃねェ。本当に殺ったなら言うまでもねえが、嘘でもたちが悪ィ。何のためにンな嘘ついたのかわからねェが、頭のいいお前のこった、何か訳があるんだろ?かく乱とかな。それっぽちの事でアスの信頼叩き壊したって事になる」
だん、とテーブルを叩いて。
「とりあえずだ!今更逃げるとか女々しい……女か……とにかく!潔く謝れ。まずはそこからだ。お前が信頼を裏切ったアスに謝れよ、死んでる奴より生きてる奴優先なのは当たり前だろ!」
「リウジェさん、やめてください」
それを、当のアス本人が止めた。
「なぜセイカさんが謝らなくてはならないのです。僕が勝手に、僕の思い込みだけでセイカさんを決め付け、信頼という綺麗な言葉で包んで縛った…セイカさんにそれに応える義務はありません」
「よい、アス」
セイカが静かにそれを止める。
「ぬしには済まない事をした。それは詫びよう。申し訳ない」
目を閉じたまま、淡々と。
「セイカさん……」
複雑そうにセイカを見るアス。
「………ちっ……」
納得行かぬ様子で黙り込むリウジェ。
「まあ、そう熱くなるな。そのような喧嘩腰では、話せる事も上手く話せまい」
マシュウが立ち上がり、セイカの側に歩み寄る。
そして、魔道で無造作に切られた、さんばらの赤い髪を優しく撫でた。
「辛かったであろう。苦しかったであろう。無理する必要は何も無い、楽にすればよい。大人びているとはいえ、そなたはまだまだ子供なのじゃからな…」
「………」
セイカはなおも目を閉じたまま黙っている。
「ちっ、悪かったな、ガラが悪くてよ」
リウジェは面白くなさそうに舌打ちして、それから再び身を乗り出した。
「あー、こんだけ言っといて何だけどな。お前、直接は殺ってねェだろ?」
「えっ……」
拍子抜けしたように声をあげるコンドル。
リウジェはそちらをちらりと一瞥して、続けた。
「ほら、お前が読んだっつーフミタカの日記だ。最後の記述がディーシュの第19日。死んだのが27日。ほぼ一週間後だ」
そして、セイカに再び視線を戻す。
「……自殺じゃねェのか。これ。お前が殺ったって言い張ってるのは、自殺に感づいてたか知ってたかしてたのにほっといたって所じゃねェの?遺書も20日だしな。タイミングが良すぎるだろ」
「日記に『罪を償う』と記されていたのが19日。遺書を提出したのが20日。亡くなったのが27日。流れとしては不自然ではありませんね」
ミケが言い、ムツブも面白くなさそうに頷いた。
「自警団の者も、そう言っていた。自殺で間違いないと。だが、私たちがフミタカ様が自殺などするはずがないと強固に主張したのだ。最終的に事故という形で処理された」
「罪……って、何のことなんだろう?」
ポツリと呟くクルム。
「責任感の強い人だったようだから、もしかして…
ダザイフにギルドを招聘するという自分の夢の実現のために、多くの人を巻き込んだと…そんな風に考えて…それを罪だったと…思ったのかな。
心労が原因で亡くなった奥さんのことも、自分のせいだと言っていたというし…。
うーん……」
いまいち考えを絞りきれず、呻く。
「アレじゃねえのか?」
リウジェはそちらに目をやって、言った。
「……レン・クレイガー。こいつの実の父親だ」
出された名前に、セイカの表情が僅かに動く。
リウジェは続けた。
「つっても、俺にはレンがフミタカを探して動いていて、フミタカはレンの死に関わってンのか?程度の事しか分かってねェけどよ」
「ふむ、確かに、セイカ殿のご両親とフミタカ殿は、なにかしらの因縁がマヒンダにてあったらしいのぉ」
再び座ったマシュウが頷く。
「奥方絡みのような気もするが、色恋事は苦手じゃな。奥方同士が姉妹なのか?略奪があったのか?」
「いや、それは違うだろ」
口を挟んだのは、ヴォルガ。
「レイナはマヒンダの生まれだったそうだ。それに対して、レンの妻の愛美はナノクニ人。コレが姉妹ってのはおかしいだろ?」
肩を竦めて。
「兄弟だったのは……愛美じゃなくて、レンの方だ」
「えっ……」
暮葉が声をあげる。
「ムツブ、レイナが亡くなったのは何歳の時だ?」
突如矛先を向けられて、ムツブは驚いてそちらを向いた。
「む………確か、24歳であられたと思うが……」
「逆算してみよう」
ヴォルガは再び冒険者達の方を向いた。
「フミタカがムツブに出会ったのと同時期に、レイナが亡くなっているそうだ。
フミタカが28歳、レイナが24歳。
そして、セイカちゃんの家が火事になったのが13年前。計算すると、フミタカは36歳。レイナは生きていれば32歳。
そして、火事の調書にある死亡者の欄には、レン・クレイガー、32歳とあった。
二人は、同い年なんだ」
そして、懐からくだんの似顔絵を取り出す。
「これが、若い時のフミタカとレイナの似顔絵だ。誰かも言ってたし、オレも思うんだが…レイナは、セイカちゃんにちょっと似てねェか?」
「む………」
それを見て唸るムツブ。
「フミタカとレイナの間に子供はいない。だから、レイナの子供じゃねェ。似ているのも偶然だと言える。
しかし、遺伝子的に繋がりがあれば話は別だ。
レンとレイナは兄妹…それも、双子の兄妹だった。双子の兄妹の子供なら、似ていても道理だ。違うか?」
「………」
セイカは答えない。
ヴォルガは続けた。
「マシュウが聞き込みした話じゃクレイガー夫妻は親の仇の話でもしてるかのように憎らしげに誰かを追っていたという。
だとすりゃークレイガー夫妻は親の仇ではなく、姉の仇を追っていたこととなるんじゃねェか?」
「それは……おかしいんじゃ?だって、レイナさんが亡くなったのはダザイフに来てからでしょう?
仇として追うなら、レイナさんはマヒンダで亡くなっているはずでは?」
ミケが言い、眉を顰めるヴォルガ。
「そっか……それもそうだな…」
「…レンさんが、レイナさんとフミタカさんの結婚に反対していたんだったら…
フミタカさんを追ってナノクニに?」
クルムが言い、そちらの方に向かっても首をかしげるミケ。
「それでも、仇のような態度を取るのは不自然じゃないですか?それだけ妹さんを愛していらしたにしても…ナノクニに来てから知り合われた奥さんまでが憎らしげに話されるのは…考えにくいと」
「そうか……」
「まー何が原因でもいいだろ。レンはフミタカを恨んでいて、追っていた。
フミタカはレンを殺したのかどうなのかわかんねェが、少なくともその死に関わってはいた。だから責任を感じて、自殺した。セイカはそれを止められなかったから、フミタカは自分が殺したんだと思ってる、ってこった」
リウジェが面倒げに纏める。
ムツブが反論したげにそちらを見たが、無視して再びセイカの方を向いた。
「……お前みてェに頭のいい奴の考えてる事なんて俺にはわかんねェよ。だが、ここにきていきなりプッツンしたのはどういうわけだ?
お前に魔法の才能があるっつっても、こっち何人いると思ってんだ。10人だぞ?ムツブ含めれば11人だ。おまけにわざわざ全員揃ってるところに意味ありげに出やがって。いきなりありえねェところから音来るからびびったじゃねェか。いやンな事は別にいいんだよ!」
一人で脱線しかけて無理矢理戻すリウジェ。
「お前、街中で本気で派手にやり合うつもりだったのかよ?俺たち11人を綺麗さっぱり消すつもりなら、でかい魔法一つ撃てばいいよな?ついでに思いっきりお前の姿を見た町の連中はどうなる?お前はそいつらも消すつもりだったのか?これは俺の勝手な勘だが、お前が、関係ない街の人間巻き込む真似する奴だとは俺には思えねェ」
「僕もそう思います」
横で頷くミケ。
「というか、セイカさんは極力周りを巻き込まないように戦っていました。威力の高い炎の魔法も、広範囲で燃やし尽くすように見えてギリギリのところで魔法そのものが霧散していました」
「なんですって」
驚きの声をあげるファン。
ミケはそちらに頷いて、続けた。
「最初から、セイカさんは街の人も、建物も、一切傷つけない戦い方をしていたんです。何なら今から確かめに行ってもいい。あの戦いで被害が出たのは、コンドルさんが壊した街路樹だけです」
「あ、あうぅ……」
青くなって縮こまるコンドル。
「もちろん、僕たちも、ムツブさんも傷つけるつもりはなかったでしょう。挑発して、自分と戦うように仕向けるためにある程度の傷は負わせないといけなかった。でも決して、命に関わるようなダメージは負っていないはずです」
「………確かに」
暮葉が真面目な表情で頷く。
「それに、わたしたちがセイカさんの家に忍び込んできた時に、セイカさんが使っていた対物理攻撃用の空間魔法…それも、使っていませんでした。物理攻撃を防ぐ手段は持っていたのに、使わずにあえて攻撃を受けていたんです」
「はあァ?ったく、一体何考えてンだお前?!」
リウジェは盛大に眉を顰めて怒鳴った。
「俺たちが束になってマジでかかれば、どうなると思う?!お前、下手したら本当に魔物扱いされるところだったんだぞ!
それに、街の連中はお前を見てる。ギルドの古株連中にはお前を疑ってる奴もいるみてェだ。ギルド長の独断です、で乗り切れるレベルじゃねぇぞ。ただで済むはずがねェ。
お前が父親から受け継いだ、ギルド長の座とか、今までせっせと回してきたギルドとか、教えてもらった魔法とか、アスや他のギルドの連中の信頼とか……そういうものを全て犠牲にするつもりで、俺らに向かってきた理由は何だ?」
テーブルに肘をついて、声を低めて。
「なあ、セイカ……いいか、違ってても笑うんじゃねェぞ……
…………死ぬ気だったのか?」
誰もが思っていても口に出さなかった言葉に、複雑な表情で黙り込む冒険者達。
リウジェは苦い顔をして目を逸らし、頭を掻いた。
「……ほら、アレだ。ナノクニってそういうの好きだろうが」
「偏見だな」
「偏見ですね」
同時に千秋と暮葉からつっこみが入り、そちらを半眼で見る。
「うっせ!まあ……違ってたならいいんだけどな。
だが、もしそうだったら……泣かすからな」
再び、セイカをぎっと睨んで。
「どれだけクソみてェな人生だろうが、バカみてェに幸せだろうが関係ねェ、俺はそういうの、最悪の逃げだと思ってるからな。逃げる方は最高に楽な話だろうけどな」
沈黙が落ちる。
セイカは目を閉じたまま、何も答えない。
全員が、固唾を飲んで彼女の言葉を待った。
が。

「………待って下さい」

沈黙を破ったのは、アスだった。

Innocent Reasoning

「……アス?」
リウジェが眉を顰めて名を呼ぶと、アスはそちらに視線を向けた。
「逃げ、ですか?セイカさんが、死ぬことで何から逃げていると?」
責める口調ではなく、無表情に、淡々と問うアス。
リウジェはかえってその様子に気後れしたように、言葉を濁した。
「そりゃあおめェ…セイカは、自分がフミタカを殺したと思ってンだろ?死んで償う、ってヤツじゃねェのか?死んだって、何も償えやしねェけどよ」
「そうですね」
アスは無表情のまま、ゆっくりと頷いた。
「死んでも何も償えはしません」
「だろ?お前もそう思うよな!」
「ええ、だから」
もう一度頷いて。
「セイカさんが、そんな意味のないことをするはずがない、と言っているんです」
「………っ」
言葉に詰まるリウジェ。
アスは瞳に確信の色を浮かべて、断言した。
「セイカさんが死ぬつもりだったのは同意します。
でも、それは罪の意識からとか、償うためにとか、そんな理由からではないでしょう。
セイカさんは良くも悪くも、情に流されない方です。奇しくも、養い親であるフミタカさんによく似ている。あるいは、フミタカさんの気質を受け継いだと言えるかもしれません。
フミタカさんは情に流されず、優しい言葉よりも実利を重んじる方だった。
同じように、セイカさんも、情に流され、利にもならない死を選ぶようなことはしません。
彼女が死ぬことで達成される目的があった…死ぬ必要があったからこそ、死のうとしたんです」
「死ぬ必要って、何だよそりゃ!」
再び激昂するリウジェ。
アスはあくまでも冷静に、首を振った。
「もちろん、セイカさんは死ぬ必要なんてありません。
セイカさんがそう思っていた、ということですよ」
「魔物と思わせて、成敗される…その目撃者を作ることが、そもそもの目的だった、ということか」
千秋が言う。
「どういうことだよ?」
リウジェが言うと、千秋は肩を竦めた。
「下手したら本当に魔物扱いされる、と言ったな。それが目的だった、ということだ」
「ギルドを乗っ取ろうとしていた魔物を成敗した…ギルド内のトラブルを解決した、という評価をムツブさんに与えて、周囲から不満が出ないような形でギルド長を引き継がせたい……といったところでしょうか」
ミケがそれに続く。千秋は呆れたような、難しい顔をした。
「まあ、俺には理解できんがな。
有力貴族にでも、目的を明かして助力を請えばよかったろう。俺たちの苦労も減る」
言外に、昨日の柘榴との一件を匂わせて。
「そもそも、セイカが魔物だというなら、フミタカ氏の伝記の最後のページには魔物にたぶらかされたたわけ者と記されることになりかねんというのにだな、わざわざ自分を悪者にする必要があったのかどうか…」
「そうですね。ですがそう記されるのなら、少なくともフミタカさんは『被害者』という体裁を保てる」
アスの言葉に一瞬きょとんとして…それから、千秋は眉を顰めた。
「……どういうことだ?」
アスはそちらを向いて、落ち着いた声で言った。
「まずは先ほど皆さんが仰ったことから、順を追ってたどってみましょう。
クルムさんから、皆さんがお調べ下さったことのご報告はある程度伺っています」
冒険者達を見渡して。
「フミタカさんがセイカさんの実のお父上…レン・クレイガーさんの死に関わっていたかどうか。
…セイカさん、フミタカさんの日記はありますか」
セイカを見ると、セイカは少し押し黙り、やがて口を開いた。
「……義父上の書斎の文机の上だ」
「ありがとうございます」
アスは笑顔で言い、立ち上がってフミタカの書斎に向かった。
ややあって、持ってきた本をパラパラとめくりながら、戻ってくる。
「……これですね。
『ガルダスの第31日
もはや宿命としか思えない。追って追ってたどり着いた先でこのような最期を遂げるとは。私に出来ることは、生きることなのか、それとも死ぬことなのか。冥福をお祈りする。』」
それから、顔を上げて再びセイカの方を見た。
「ガルダスの第31日……セイカさん、この日に覚えはありますか?」
アスの問いかけに、セイカはやはり少し黙って…やがて、ゆっくりと言った。
「……義父上が、孤児院に初めて訪れた日だ」
「!………」
冒険者達が言葉もなく驚きの表情を浮かべる。
アスは頷いて、彼らの方を向いた。
「セイカさんの家が火事で焼け…セイカさんが孤児院に預けられ。月日が経って、フミタカさんがたまたま訪れた孤児院で彼女を見つけた。
それはさぞかし驚かれたことでしょう。奥様によく似た少女がいたのですから。
そうして、孤児院の院長にセイカさんの経歴を聞き…フミタカさんは、初めて、レン・クレイガーさんの末路を知ったのです」
アスは真剣な表情で、言葉を続ける。
「この記述をレンさんの死に関わったことに関する慙愧の気持ちとするには、少し他人行儀すぎます。宿命だとか、冥福を祈るだとか。自分で殺したのなら、もっと違う書き方をしていると思いませんか?自責の念で自殺をするならなおさら、です」
「確かに……」
呆然と呟くヴォルガ。
「レンさんがフミタカさんを追っていたのはかなり高い確率でそうだろうと、僕も思います。しかし肝心のフミタカさんはどうでしょう?追われているという自覚があるのなら、暢気に生まれ故郷でギルドの招聘などしているでしょうか?」
「そう…ですよね。結婚して家を構えて…逃げているというには、ちょっと不自然です」
ミケが同意し、アスはそちらに向かってゆっくりと頷く。
「同様に。もしこの記述で、レンさんの死に関わったことを罪としたのなら…この時点で自殺しているのが自然です」
「それは、そうですね」
暮葉も同様に頷く。
「つまり…フミタカさんはレンさんに追われていたと思っておらず、また彼が死んだこと自体も、セイカさんに出会ったときに初めて知った、ということになります。そして、レンさんが何のためにダザイフに来たのかというのも、フミタカさんは理解した。自分をこれほどに許していなかったのか、これほどに憎まれていたのかと。その上でこんな最期を迎えることになったこと、娘のセイカさんを残していったことを嘆いた。だからこその『宿命』という言葉であり、『冥福を祈る』という言葉であるのだと思います」
「でも、レンはフミタカを憎んでたんだろ?ナノクニのあちこちを点々として探し回るくらいだ…結婚して子供を持ってもなお、だぜ?」
眉を顰めてヴォルガが言う。
が、アスは目を閉じて首を振った。
「レンさんが罪だと思っていることが、フミタカさんにとって罪ではない、それだけのことでしょう。
フミタカさんが罪でないと思っているということは、法に照らし合わせても罪とはされていないこと、だと考えるのが妥当です。常識的に、道徳的に考えてどうかというのはさておいて」
「でも、それっていったい……?」
困惑した表情で、クルム。
アスはそちらに向き直り、続けた。
「それは、想像の域を出ないのでここではさて置くとしましょう。
セイカさんの目的、ですね」
しばし、目を閉じて。
「先ほども申し上げたとおり、セイカさんの目的は、目立つ場で戦闘をして衆目を集め、『ムツブさんに自分が討たれた』という事実を知らしめることであった、と僕も考えます。
しかし、それは決して、ムツブさんにギルド長の座を継がせるため、ではないと思います」
「そうですか?」
納得いかない、というように、ミケ。
アスは頷いた。
「ただムツブさんに継がせたいだけなら、わざわざこんな手段を用いなくても、穏便に引継ぎをする手段はいくらでもあるでしょう?セイカさんがムツブさんを最もギルド長にふさわしいと思うのなら、それを素直に告げてその座を譲ればいい。古参の仲間内で揉めそうだと思うのなら、ギルド内で選挙を行ってもいいでしょう。
それにそもそも、セイカさんに、命をかけてまでムツブさんに肩入れをする理由がない。どんなに優秀でも、養い親の部下だというだけの関係です。特別に関わりあったことはないし、そもそもセイカさんは古参と関わりあうことを意識的に避けていた。他にいくらでも穏便な手段はあるのに、なぜそんな、自分の命を賭けるような行動に出たのでしょう?」
「……嘘を、完璧な嘘に仕立て上げようとした……」
ぼそり、とジルが言った。
仲間たちがそちらを見ると、ジルは顔を上げてアスの方を見る。
「……そう、言ってたね。
あなたには…わかってるの?セイカが、何故こんなことをしたか……」
「さあ、僕の言うことも推論に過ぎませんが……」
アスは苦笑してジルに言い、そしてセイカの方を向いた。
「……セイカさん」
セイカはまだ顔を背けたまま、目を閉じて俯いている。
「2年前のことを……ギルドの方に詳しい公表はしていないのですね」
「………」
セイカの表情が僅かに動く。
「2年前……?」
暮葉が首を傾げると、アスはそちらの方を向いた。
「はい。皆さんの調査の話題にも上ったのではないでしょうか?
クルムさんが神官長様にお訊き下さったそうですから」
「あっ……ギルドと教会のトラブル、のことか…」
思い当たってはっとするクルム。
アスは思い出を探るように目を閉じた。
「2年前。ディーシュ教会に暗黒魔法を信奉しているという情報が流され、ギルドから教会への技術供与が打ち切られた事件がありました。
その時、僕は初めてセイカさんにお会いしました。そしてセイカさんと、偶然お会いした数名の方々に手伝っていただいて、その事件は解決しました。
犯人は……当時ディーシュ教会の副神官長を勤めていたセリゼルという男と、もう一人」
「…もう一人?」
ムツブが眉を顰めて口を挟む。
千秋が慌てて腰を浮かせた。
「アス、その話は…」
「構わないでしょう。僕が知っている話です。神官長様も知っています。魔術師ギルドの総本山に問い合わせれば簡単に詳細を知る事が出来る。もちろんダザイフ支部の方々は、セイカさんが情報規制を敷いていたようですが…」
落ち着いて言うアスに、クルムも困った様子で口を挟んだ。
「でも…!セイカはその事実を隠すためにこんなことをしたんじゃ…!」
クルムの言葉に、アスはきょとんとした。
そして、苦笑を返す。
「そうではありませんよ。セイカさんのついた嘘とは、このことではありません」
「えっ……」
今度はクルムがきょとんとして言葉を詰まらせた。
「待て、もう一人とはどういうことだ。あの事件は、教会の副神官長一人の暴走ではなかったのか?」
こらえきれぬ様子で言うムツブ。
アスはそちらの方を向いた。
「はい。副神官長がどんなに巧妙に事実を偽装したとしても、真剣に事象を調査しようとしているギルドの調査員を騙し通せるものでしょうか?
副神官長は、若い頃マヒンダで神聖魔法を学んでいたそうです。そして同時期に、同じ研究室で学んでいた男性がいました。
名前を、サナコウジ・ヨリチカといいます」
「なんだと?!」
声を荒げ、腰を浮かせるムツブ。
アスはそちらに厳しい視線を向けた。
「あの事件は、神官長テオドール様を引き摺り下ろしたかったセリゼルと、評議長であるセイカさんを引き摺り下ろしたかったサナコウジが、共謀して工作したものだったんです。
僕とセイカさんとでその証拠を割り出し、問い詰め、真実が明らかになりました」
「馬鹿な…!ヨリチカが、なぜ…!そんな話は聞いていないぞ!」
「だから、セイカさんはあなたがたに対して情報規制を敷いていた、と言ったでしょう?」
「どういうことだ、セイカ殿!事と次第によっては…!」
ムツブの怒りの矛先がセイカに向いたところで、アスは鋭く言いとめる。
「あなた方を、傷つけたくなかったのでしょう」
「なっ……」
再びアスを振り返るムツブ。
アスは痛ましげに眉を顰めた。
「あの事件で…セリゼルは、自らに暗黒魔法をもたらした魔族に取り込まれ、魔物へと変貌を遂げ……僕たちがそれを退治しました。
同じように……罪を暴かれ、魔術師ギルドの総本山へ査問にかけられるために護送中に、サナコウジも抵抗を試み、魔族に取り込まれて魔物となり、ギルド総本山の調査員に退治されたそうです」
「な……んだと……」
わなわなと拳をふるわせるムツブ。
「あなた方がここにギルドを招聘するために、フミタカ氏の指導の元、どれだけ苦楽を共にし、お互いを大切に思っていらっしゃったのか…セイカさんはよくご存知だったんですよ。
だからこそ、自らに敵意を向けていた人物であっても、気の迷いで道を踏み外した仲間の哀れな最期を知らせるのは気がとがめた。そもそも自分がいなければ、サナコウジは道を踏み外すこともなかったと…そう考えたのではないでしょうか」
「………」
セイカはなおも黙っている。
ムツブは呆然とした様子で、かくんと再び腰を下ろした。
アスはふうと息をつくと、改めて続けた。
「ですが、これは先ほどクルムさんにも申し上げた通り、セイカさんが嘘をついて、またその嘘を通すために命を賭けてまで隠したかったことではありません。
僕があえて、わざわざこのことを口にしたのは……セイカさんが、そういう気性の方であるということを分かっていただきたかったからです」
「そういう……気性?」
ミケが繰り返すと、アスは頷いた。
「情に流されず、利を重んじる…先ほど、僕はセイカさんをそのように言いました。
ですが、本当は何よりも、情を重んじる方である、ということです。情に流されないことと、情を重んじないことは、似ているようで違う。
本当は……とてもお優しい方なんです」
言葉とは裏腹に、とても辛そうな表情で目を閉じて。
「真実を告げ、古参の方々が心を痛められるのを恐れて、サナコウジさんに関する真実を隠し続けた。
誰も悲しい思いをすることのないように、手を打ち、実行する事が、セイカさんの優しさだったんです」
「………」
冒険者たちは固唾を飲んで、アスの言葉の続きを待った。
「セイカさんの優しいお気持ちが、結果としては裏目に出ました。サナコウジさんに関する事実を隠したことで、古参の方々のセイカさんに対する不信が増してしまったのです。
そして、ムツブさんはセイカさんのことを調べるために冒険者まで雇ってしまった。このまま調査が進めば、いずれ真実が明らかになってしまう。セイカさんはそれを何より恐れたんです」
「真実……?」
ファンが繰り返し、アスは頷いた。
「そして、セイカさんはサナコウジさんの一件で、事実を隠しているだけでは疑念は無くならないことを学んでいます。
ならば……彼らが望んだとおりの事実を提示して納得させ、彼らが望んだとおりの結末…魔物だったセイカさんがムツブさんに退治される、という結末に仕立て上げることで、事実を永遠に封印しようとした。
今朝の出来事は、そういうことだったのではないでしょうか」
「だから、その隠したい真実ってのは何なんだよ!」
イライラした様子で、リウジェ。
アスは辛そうに眉を寄せて、俯いた。
「…セイカさん自身に関することではないでしょう。サナコウジさんの一件にしても、公表すれば自分の疑いは晴れ、信頼が回復するというのに、セイカさんはそれをしなかった…ご自分が傷つく事に関しては、本当に哀しいくらいに無頓着な方なんです。
セイカさんがそれを隠したのは、とりもなおさず、その真実が明るみになることで傷つくのが、他ならぬムツブさんを始め古参の方々であった、ということではないでしょうか」
「なっ……」
呆然としていたムツブが、再び声を上げる。
アスはそちらに、真剣なまなざしを向けた。
「真実が明るみになることで、ムツブさんたちが傷つくのは、一体誰に関する事実なのか。
セイカさんの実のお父上、レン・クレイガーさんが、執拗にフミタカさんを追っていたのは?
フミタカさんをして『罪』と思わしめ、死に至らせたのは一体何なのか?
本当に謎だらけです。……もし」
そこでいったん言葉を切って、ゆっくりと続ける。
「……もし、フミタカさんが本当に何の罪も咎もない清廉潔白な人物であったとしたなら」
「!………」
言葉もなく目を見開くムツブ。
アスはそのまま続けた。
「フミタカさんは、たとえ法律上は罪とされることでないとしても、常識的・道徳的に致命的な欠陥となり、そのためにレンさんに憎しみを抱かれ、執拗に追われるような…心の闇を持っていた。
それは、クルムさんが仰っていたような、自分のために多くの人間が巻き込まれて、というような、道徳的なものでは決してない。そんな理由で、兄弟のためとはいえ、結婚して子供を作ったのに家族を巻き込んでまで一人の人物を執拗に追うはずがない。
レンさんは、双子の妹であるレイナさんが、フミタカさんの犠牲になり、殺されると思ったからこそ…ずっとずっとフミタカさんを追っていたんです」
「馬鹿な!フミタカ様とレイナ様は本当に愛し合っておられた!そんなことはありえん!」
再び激昂して声を荒げるムツブ。
アスは静かに頷いた。
「先ほども申し上げました。フミタカさんとレイナさんにとってはそうだったということも、レンさんにとってはそうでなかった。レイナさんがフミタカさんを愛しておられ、フミタカさんについてきたからこそ、フミタカさんはそれを罪とは認識していなかったのでしょう。しかし、レンさんにとって明らかにそれは罪だった。たとえレイナさんが承知の上でのことであったとしても、許せないことだったんです」
ふ、と息をついて。
「ミナザキ・フミタカ氏は、罪にこそならないものの、表沙汰になったら明らかに彼が悪人、ないしは狂人と指差されるような致命的な心の闇を持っていた。そしてそれによって、彼自身を死に至らしめた。
そんなことが公になったらどうなります?
残る5人の古参の方々は深く傷つき、フミタカさんに対する信頼も尊敬の念も潰え、裏切られたという思いだけが彼らを支配することになるでしょう。ことによっては、彼が苦労の末に招聘した魔術師ギルドダザイフ支部の信頼そのものすら揺らぎかねない。最悪取り潰しになるかもしれません。
セイカさんは、何よりその事を恐れたんです」
「馬鹿な……フミタカ様が……そんな……」
呆然と呟くムツブに、マシュウが淡々と言葉をかける。
「お主らがどう思っているかは知らぬが、フミタカ殿は決して聖人などではなく一介の男であった。
それだけのことじゃろう」
「………」
口を噤むムツブ。
アスはそちらをちらりと一瞥してから、冒険者達に視線を戻した。
「このまま冒険者達の調査が進めば、遅かれ早かれ真実が明るみになる。
しかし、セイカさんは真実が明るみに出ることをこそ恐れていた。古参は言うに及ばず、他の誰にだって、真実を明かして助力を請うことなど出来なかったんです。
辛い真実を一人で背負って魔物として退治されることで、秘密を永遠に封印してしまわなければならなかった……」
「アス」
アスの言葉を遮ったのは、セイカだった。
冒険者達の視線がそちらを向く。
今までずっと顔を背け目を閉じていたセイカは、初めて目を開いてアスの方を向いた。
「……もう辞めてくれ」
悲しそうな、訴えかけるような表情。
アスは……厳しい視線でそれに応えた。
「いいえ、辞めません」
「ぬしに私の邪魔をされる謂われはない」
「ならばセイカさんにも、僕の邪魔をする権利はありません」
半ば睨みつけるようにして、セイカにぴしゃりと言うアス。
それに引き寄せられるように、セイカの瞳にも剣呑な色が浮かんだ。
「魔術師ギルドのことだ、ぬしに関係はなかろう」
「あなたの命がかかっているんです、関係がないわけじゃない」
アスは座ったまま身を乗り出した。
「あなたにとって、ギルドが、フミタカさんが大切で、そのために自分の命を投げ出すと言うのなら、僕はそれと同じくらい、いいえ、その何倍もあなたのことが大切です。あなたが死ぬなんて耐えられない、だから僕はあなたの邪魔をする!どんな理由があろうと、僕はあなたに生きていて欲しいんです!」
「義父上の名を汚してまで、生き恥を晒していたくなどない!」
「何を言うんです!フミタカさんが心の闇を背負っていたのは決して根拠のない中傷などでなく事実だ!あなたがその汚名を着て死ぬ必要がどこにあるって言うんですか!」
「それ以上の義父上に対する暴言、ぬしといえども許さぬ!!」
だん!
驚くほど大きな声で言って、セイカはテーブルを叩いた。
「丹羽野!」
そしてそのまま、呆然としていたムツブを振り返る。
ムツブははっと我に返ると、セイカの方を向いた。
セイカは緋色の瞳に強い光をたたえ、腰を浮かせて膝立ちになると、懐から小さな刀を抜いた。
「!……」
一瞬浮き足立つ冒険者達。
が、セイカは抜いた小刀の切っ先を自分の方に向けると、持ち手をムツブに差し出した。
「……私を殺せ」
「!……」
今度はムツブの表情が驚愕に染まる。
セイカは静かに続けた。
「今アスが言ったのは根拠の無い戯言。
私はぬしの言う通り、義父上を誑かし、殺した上で魔術師ギルドを乗っ取った化け物だ。
ぬしはそれを成敗する……それで、全ての片がつく」
「セイカさん……!」
アスが悲しげに名を呼ぶ。
ここにいた全員が判っていた。
セイカの言葉は、本心ではない。嘘をつきとおすためでもない。
それならば、もとより自宅などに全員を連れてきたりはしない。アスの推理ももっと早くに止めていただろう。
おそらく、アスの語ったことも限りなく真実に近い。
そのことを全て、わかった上で。
…自分の企てた芝居に乗れ、と言っているのだ。
信頼し尊敬していた評議長の、知らなかった、知りたくもなかった一面を見せられ、幻滅して絶望感を味わうよりは、耳を塞ぎ目を閉じた方がずっと楽だ。何も、好き好んで辛いことを知る必要はない。
だから、セイカを殺し、セイカを魔物に仕立て上げて報告した上で、秘密を永遠に封印して欲しい。
……他ならぬ、フミタカの名誉を守るために。
セイカは無言のうちに、ムツブにそう告げていた。
ムツブは目を見開いて、その小刀を見つめた。
怒っているような、驚いているような、悲しんでいるような…複雑な表情で。
冒険者たちは、息を止めてムツブの言葉を待った。
やがて。

ぱし。

ムツブがセイカの手を叩き、その手から小刀が離れて落ちる。
「……見くびらないで頂こう」
きり、と。
先ほど激昂したセイカにも劣らぬほどの、厳しい視線をセイカに向け。
「私がああまで言われ、それでも罪の無い娘御を殺して真実から目を背ける小心者と思われるか。
大概にしていただきたい」
「丹羽野」
「何故、告げて下さらなかった」
セイカをきつく睨む瞳には、悲しみの表情も混じっていた。
「ヨリチカのことも…我らに真実を知らせぬことで、我らが喜ぶと思われるか?
我らとて、フミタカ様が選んだ娘御ならば、歓迎したかった。フミタカ様の後を継いでギルドを動かすのならば、全力でお助け申し上げたかった。だが、貴殿は我らと関わり合おうとはせず、ただ一人で全てを成そうとした」
ぐ、と拳を握り締めて。
「ヨリチカが貴殿を陥れる画策をしていたのを気付いていたのならば!フミタカ様の秘密を一人抱えて苦しんでいたのならば!何故我らにそれを伝えては下さらぬ?!我らはそれほどに信用が無いと仰られるか?!」
「そうだよ、セイカ」
クルムも悲しげに身を乗り出す。
「どうしてなんでも一人で解決しようとするんだ?
…どうして、『人に頼ってはならない』なんて思うんだ?」
アスから聞いていた言葉の意味を、セイカに問うて。
「私は……」
セイカは、手袋をした手でぎゅっと袖を握り締めた。
緋色の瞳が、今にも泣きそうにひき歪む。
「私には……誰かに頼る権利など、ない」
「だから、どうして」
重ねて問うクルムに、俯いて目を閉じて。

「丹羽野達から、義父上を……皆崎文隆を奪ったのは、他でもないこの私なのだから」

Innocent Truth

「もう一度問う」
フミタカの部屋の奥にある大きな姿見の前に立って、セイカはもう一度ムツブを振り返った。
緋色の瞳はいまだ開いたまま。
ムツブの後ろには、冒険者たちが控えている。
「……本当に見るのだな。
間違いなく、ぬしらにとっては愉快でない事実が待っている。
それでも、知りたいと言うのだな」
「くどい」
ムツブの眉が寄る。
セイカは目を閉じて嘆息し、鏡のほうを向いた。
「……ならば、いい」
「“鏡に愛するものの名を”か……」
ムツブの後ろにいたヴォルガが呟いた。
「さっきの絵姿の裏に書いてあった……勝手に見てすまねェな。
この言葉と、その姿見……フミタカが残したものなのか?」
「…私は父上の日記には手を触れておらぬ。姿見も、同様だ」
セイカはそちらの方には一瞥もくれずに、言った。
「愛するものの名……どういう、意味なんだろう」
クルムが呟く。
セイカは右手をすっと上げて、人差し指を鏡に向かって突き出した。
「………こういう意味だ」
す、とその先を鏡の表面につけて、つつ、と滑らせる。
その指がたどった跡が見えたわけではないが、何の文字が書かれたのかは見当がついた。
ナノクニ古来の文字ではない……公用文字で。

「レイナ・クレイガー」

その名が書かれた瞬間。
音もなく、鏡の表面が淡い光に包まれ、まるで水になったかのように虹色に波打ち始める。
「これは……!」
ミケが驚きの声を上げた。
セイカはムツブたちの方を見、淡々と言った。
「ついて来い」
「えっ……」
止める間すらなく。
セイカは足を踏み出すと、ためらいもなくその鏡の中に…入っていった。
「え、え、え……!」
おたおたと慌てるコンドル。
「これは……一体」
ムツブが鏡に歩み寄り、恐る恐る手を差し伸べる。
ふ。
何の抵抗も衝撃もなく、その手は虹色の鏡の表面に飲まれた。
「む……」
ムツブは一瞬眉を顰めたが、やがて意を決したように足を踏み出した。
「ま、待ってください」
冒険者たちも慌てて後に続く。
「………」
最後に残ったアスは、僅かに眉を顰めて……それでも、鏡の中へと姿を消した。

「ここ……は……」
暗闇の中に僅かに残る光がようやっと細い道を照らしている。
どうやら、きちんと整えられた建物の中のようだが…窓もなく、地下室のような印象を受けた。
後ろを見れば、入り口になっている鏡が虹色の光を放っている。
「父上が魔道で作り出した異空間だ」
「何ですと」
セイカの答えに、意外そうな声を上げるムツブ。
セイカは肩だけ振り返り、彼に言った。
「父上の専攻は移動術を始め、空間に作用する術であった。それも、魔道具を使って空間を固定し、永続するタイプのものだ。実用化は難しいため、普段は主に火属性の魔法を使っていたが。
私が最近覚えた空間に作用する術は、義父上の研究レポートを解読し、私が組みなおしたものだ」
「そう……なのか」
少し意外そうに、ムツブは言った。
「鏡にレイナさんの…それも、旧姓の方の名前を書くと作動する仕掛けになっているんですね」
ミケが言うと、セイカは頷いた。
「……結婚する前から使っていたらしいからな」
「使ってたって……ナニに?」
語尾に微妙な含みを持たせてヴォルガが言うと、セイカは一瞬押し黙った。
「……方向性としてはぬしの想像の通りだ」
「えっマジで?!」
微妙に浮き足立つヴォルガ。
周りの冒険者は暗闇に隠れて引いている。
「……もう少し奥だ」
セイカは再びくるりと踵を返すと、奥へと足を進めた。
やがて、薄明かりに何か部屋のような様子が照らされた空間にたどり着く。
「ここは……」
慣れぬ目でファンが辺りを見回す。
「…明かりをつけよう。…黄龍」
セイカの呪文と共に、室内が明るく照らされる。
「!!………」
照らされた室内の様子に、今度こそ冒険者たちは絶句した。

壁に取り付けられた、鎖付きの手枷、足枷。
暖炉に無造作につっこまれた焼き鏝。壁一面にまるで美術品のように飾られている、鞭や棒を始めとする様々な拷問器具。大掛かりなものから床に散らばっているものまで、口に出すのも憚られるような惨たらしい形状のものが所狭しと並んでいた。
「こ…こ、こ、こ、これって……」
今にも倒れそうな形相でカタカタと震えるコンドルに、暮葉が目隠しをして顔を背けさせる。
「これは……その……っ」
当の暮葉も、あまり見たくなさそうに視線を逸らす。
誰もが呆然と、あるいは嫌悪感を表情に出して、しかし言葉が出ない様子だった。
見えぬはずのリウジェも、周りの者たちの気配を察して黙り込む。
あまりに想像の範疇を超えたものが目の前に現れて、反応が出てこない。
「……見ての通りだ」
手枷の前で立ち止まったセイカは、また顔だけ冒険者を振り返って、言った。
「…義父上……皆崎文隆は、相手を痛めつけることで至上の快楽を得る…
……加虐性愛好者、だったのだ」
「………サディスト………」
ぽつり、と青ざめた顔で呟くミケ。
セイカは再びふい、と顔を背け、淡々と語った。
「後は想像がつこう。
義母上……いや、叔母上は義父上と出会い、愛を確かめ合った。
しかし、義父上の性癖はあまりに常識の範疇を越えていた…叔母上の同意の下であったとしても、私の実父…レン・クレイガーにとっては許せないものであったろう。
彼の反対にあい、二人は駆け落ち同然にマヒンダを出、ダザイフに移り住んだ。
そのまましばらくは順調に進んでいた…が、終わりは訪れた。叔母上が亡くなったのだ。
理由は……言うまでもあるまい」
心労、では決してない。
レイナの身体が限界を超えたのだ。
「レイナさんが自分のせいで死んだ……って……比喩なんかじゃ…なかったんだ……」
やはり青ざめた顔で呟くクルム。
「叔母上とて、義父上の性癖を理解した上で受け入れたのだ。義父上が直接手を下したのとはまた意味が違ってこよう。
…が、結局は私の実父の危惧した通りになった。
義父上は落ち込まれ……それ以上に、叔母上というパートナーを失って欲の捌け口を無くし、精神のバランスを欠いておられた。それでも仕事は気力を振り絞ってやっていたが、ストレスの発散が出来ぬ故日々の生活は荒んでいった。ギルドを統括していかなくてはならぬという思いが、かろうじて義父上と現世とを繋いでいた。
そんな時…義父上は私を見つけたのだ」
ふ、と息をついて。
「…私を叔母上の姪だと悟った義父上はすぐに私を引き取り…大切にしてくださった。
しかし、その時すでに義父上は限界だったのだ。
捌け口を失って数年、気力だけで繋ぎとめていたところに…叔母上によく似た私がやってきた。
どうなるか、予想はつこう」
「……ま……さか……」
ムツブが呆然と呟く。
セイカは彼の方を向くと、右手を差し上げ…いつもしていた手袋を、丁寧に脱いだ。
そしてそのまま、左手で右の袖を大きく捲り上げる。
「!………」
ムツブは目にしたものに絶句した。
セイカの手首にくっきりと残る、痛々しい手枷の跡。
手の甲から肘までにも、びっしりと傷跡が走っている。おそらくは、そのさらに奥にも。
セイカは袖を戻し、再びムツブに背を向けた。
そして、キモノの両襟に手をかけると、ぐい、とそれを左右に割り開く。
それをそのまま肘のあたりまで下ろし……セイカは、裸の素肌をそこに晒した。
「っ……!」
背中一面に余すところなくつけられた傷跡に、冒険者の何人かが堪えきれずに目を逸らす。
セイカはそのまま、顔だけを後ろに向けて、語った。
「義父上は驚くほど器用に…昼の顔と夜の顔を使い分けておられた。丹羽野を始め、古参の者たちが義父上の性癖を知らぬのも頷けよう。ことによれば、多重人格であったのかも知れぬ。
兎も角、昼間は本当に……厳しくも愛情を持って私に魔道を手ほどきする、『良い義父』であったのだ…」
セイカはキモノを元に戻し、ムツブに向き直った。
「私の魔道の腕が短期間で飛躍的に上達したのは、もちろん天性のものもあろうが…
…人は生命の危機を感じた時に、思いもよらぬ力を引き出すという。
毎夜のように痛めつけられていたからこそ、私はここまで魔道の才を引き出すことが出来たのだ」
「なんという……!」
ムツブは目をぎゅっと閉じて俯いた。それ以上の言葉が出ない様子だった。
セイカは目を閉じて、続けた。
「辛くなかったわけではない。だが、私はそれが義父上の望みならば受け入れようと思っていた。
叔母上が義父上にそうなさったように。
だが………」
眉を寄せ、目を開く。
俯いて床を見つめたまま。
「やはり私では、叔母上のようには出来なかった」
「……え………」
薄く声を漏らすジル。
セイカはしばし押し黙って、それから口を開いた。
「…何をされたかは、口にせずにおこう。
しかし、あまりのことに、私は……思わず、義父上に炎の魔法を放ってしまったのだ」
眉を寄せて、許されぬ罪を告白するように、声を震わせる。
「義父上は呆然としておられた…私もしばし、自分の所業が理解できなかった…が、すぐに自分で手枷を外し、義父上に癒しの魔法をかけた。力及ばず、義父上の頬の後ろに痕が出来てしまったが……」
「……火傷の跡、か………」
苦々しげに呟くリウジェ。
セイカは俯いたまま、再び目を閉じた。
「義父上はそれから、私に触れなくなった。
そして、その数日後……義父上は、私に財産とギルド長の名を継がせるという遺書を残し、崖から落ちて亡くなられた………」
眉をきつく寄せて、肩を震わせながら。
「罪を……償うとは……そういう意味だったか……」
複雑な表情で、千秋。
セイカが抵抗したことで、フミタカは初めてそれが『罪』であると理解した。
レイナに対しても、セイカに対しても、ぬぐいきれぬ罪を犯したと悟り……罪滅ぼしのためにセイカに全てを渡し、命を絶った。
「なんという……」
ムツブは先ほどと同じ言葉を、もう一度繰り返した。
セイカは目を閉じたまま、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「私があのようなことをしなければ、義父上は死を選ぼうとはしなかった。
丹羽野たちから……ギルドから義父上を奪ったのは、この私なのだ。
どうして、丹羽野たちに助力など請えよう。私は何者にも頼ることは出来ぬ。頼ってはならぬ。
それが、私が犯した罪に対する報いなのだ」
「セイカさん……」
誰も、セイカにかける言葉を持たなかった。
セイカは少し落ち着いたのか、顔を上げて目を開くと、ムツブのほうを向いた。
「私も…当初は誰にも頼らず、義父上から受け継いだものを守っていくのが私の使命であると感じていた。
だが、佐中小路の一件があり、私は…私では駄目だと、感じた。
ならば、私が義父上のために、義父上が残したギルドのために出来ることは何か。
…義父上の犯した罪を永遠に封印し、皆が愛し尊敬した義父上のままでいていただくこと……
そのためならば、どんなことでもする」
緋色の瞳に、再び力がこもる。
「私が生きている限り、私に疑惑を持ち、調べようとする者はいよう。それは、私がギルドから姿を消したとしても同じこと。義父上を殺して逃げたと、私の行方と共に調査の手が回る。
だが、私のことを調べれば、いずれは義父上の所業に行き当たる。
ならば。
私を魔物として討ち、その首を差し出せばよい。それで、私に疑いをかけていた者は納得する。納得したことをこれ以上調べようとはするまい。義父上は魔物に誑かされ、殺された『被害者』となるだけで済む」
す、と一歩前へ出て。
ムツブを睨み上げるようにして、強く言った。
「これしか、方法はないのだ」
ムツブの腕を、傷だらけの右手で、ぐ、と握り締めて。

「………私を殺せ」

Is she Sin or Innocent?

…or Innocent Sin?

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