Innocent Conscience

「………二人は先に行ってて」
言うが早いか、ジルはくるりとセイカ宅に背を向けて歩き出そうとした。
「おおっと。ドコに行く気だ?」
その襟に指を引っ掛けて引き止めるヴォルガ。
ジルは静かに振り向くと、襟にヴォルガの指を引っ掛けたまま淡々と答えた。
「私は何か手掛かりが得られるまで、もう一度調査してくる」
「はァ?」
盛大に眉をひそめるヴォルガ。
その後ろで暮葉も無言で眉を寄せる。
「オイオイ、そんなことしてみろ…ムツブがどう思うか想像つくだろ」
「……っ」
ヴォルガの言葉に息を詰まらせるジル。
「ましてやオマエは、自分の働きを見て判断してくれってムツブにタンカきったんだよな?
そのオマエが失敗したからって尻尾巻いて逃げ出した……さあ、とばっちり食うのは誰だ?」
「!………」
ジルは目を見開いて、それから俯いた。
「……クルムと……コンドル」
「だろ?わかってんじゃねェか」
ジルはふいと顔を逸らしてから、なおも言った。
「でも……っ、逃げるわけじゃない……大した手がかりも得られてないのに、戻るわけには……っ!」
「ばーか。手がかりがねえってのが立派な手がかりだろうがよ」
肩を竦めて、ヴォルガ。
「もしかして……失敗気にしてんのか?」
続けての言葉に、ジルの表情がぴくりと動いた。
確かに、ヴォルガが開錠の術を使った後に、ためらいもなく最初に入ったのはジルだった。自分があの時もっと慎重になっていれば…おそらくはそんなことを考えているのだろう。
ヴォルガははぁ、とため息をついて、ジルの額をこつん、と打った。
「ガキが失敗なんぞ気にしてんじゃねェ~よ!
あの失敗はオレがセイカちゃんを甘く見ちまった結果で、オレの責任だ…オマエのせいじゃねェさ♪」
「そんなことは……!」
ジルは顔を上げて講義するが、ヴォルガが左手でそれを制する。
「じゃあ訊くが、あの時点で慎重になって周りを伺ったとして、オレらが罠にかからないためにはどうすればよかった?それがあの時点で判断できたか?」
「………っ」
再び俯くジル。
「わかってんだろ?オレらが罠にかからないようにするには、『あの家自体に入らないでいる』必要があった。それがちょっとばかしの慎重な捜査でわかったか?無理だろ?
しいて言うなら、セイカちゃんの家を調べるのに『こっそり侵入する』っつー泥棒まがいの手段を取ったこと自体が間違いだった、か?」
「でも…ではどうやって調べると?」
暮葉が言い、肩を竦めるヴォルガ。
「それこそ、伝記の編纂でもなんでもいい、そのために取材させてくれとかなんとか言って、堂々と中に入る、って手もある。断られたかもしれねェがな。その手段で入れば、少なくともオレらは『不法侵入者』じゃねェ。罠が作動することもなかっただろうさ」
「あっ……なるほど……最初に侵入すると言われたので、もうそれしか選択肢がありませんでした…」
口に手を当てて、暮葉が感心する。
ヴォルガはもう一度嘆息した。
「ま、仮にも魔道士の、しかも評議長クラスの魔道士の家に侵入して、普通のトラップしかねェだろうとタカを括ってたオレの責任さね。ジルがそう思いたいなら、みんなの責任だっつーことにしてもいいがな?」
「………」
暮葉も表情を暗くして俯く。
ヴォルガも開錠の術が使え、自分も多少の術は使えるが、それは『手段』を知っているだけで魔道の知識に造詣が深いかと言われればそうではない。自転車に乗ることは出来ても、なぜ自転車が動いているのかは知らないのと同じだ。現にフミタカの書庫にはまったく手が出なかった。罠があるかないかだけに気を取られていた自分とは、まったく別の次元でセイカは動いていたのだ。
「ま、失敗の反省も良いが…次に自分に出来ることを考えな!前向きにいこうぜェ~ウジウジしたってしょうがねェだろ♪」
ぽん、とジルの頭に手を置いて、ヴォルガはけらけらと笑った。
ジルは無言のまま、さらに俯く。
彼の言う通りだ、と思った。それに、ここで自分が単独行動をしても、有力な手がかりが得られるどころか調査の障害になりかねない。落ち着いて、下手な行動はとらないようにしなければ。
…今度こそ。
ジルは悔しそうに歯噛みして、自分の経験のなさを呪った。
「さ、余計なこと気にしてないで、とっとと行くぞー。宿に戻って報告会、ってね」
ヴォルガが歩き出し、暮葉も控えめにその後についていく。
ジルはしばらく無言でその場に立っていたが、やがてヴォルガの後について歩き出した。

Innocent Report

「………と、そういうわけです」
ミケがそうしめて、冒険者たちの報告は終了した。
調査から帰ってきて、明日のムツブの報告を前にひとまずは仲間内で報告をし合おうというものだ。
孤児院の報告は主にマシュウが、教会の様子はファンが、テオドールとの話はクルムが、セイカの家の状況は主にヴォルガが、魔術師ギルドの報告はミケとコンドルが共同で行った。
「現段階では、何とも言えない感じですね」
ミケは嘆息して、そう続ける。
「確かに、セイカさんを引き取った際のフミタカさんの様子はおかしかったようですし、引き取った割に愛情をもって接していたというよりは扱いが厳しかったという話もありました。でもその割には遺言を残しているわけですし、確かにおかしいといえばおかしいんでしょうけど、それが一足飛びにセイカさんが魔物であるという結論に至れるかどうかは…やはり、詳細不明で何とも言えない感じです」
「そうよのぉ」
マシュウも腕を組んでそれに続く。
「フミタカ殿はセイカ殿を引き取る以前から、セイカ殿とその秘めた魔力を知っていた節がある。しかも、孤児院では目立つ存在ではなかったことを考えると、フミタカ殿はセイカ殿を、ご両親健在のころから見知っておることになる。しかもギルド内での古参であるムツブ殿や良き隣人である神官長殿にさえ知らせず、引取りの際にも続き柄を明らかにしなかった…」
「引き取った時点でセイカさんは普通の子どもだったんじゃないかな、という気がしたんですよ。そこでセイカさんを指名したフミタカ氏の方が、おかしいと感じました。それは、誰から見てもちょっと不自然には感じているようですし」
ミケが言い、マシュウは頷いて続けた。
「そこから察するに、フミタカ殿とセイカ殿は負の因縁にて結ばれておる気がする」
「負の…因縁?」
暮葉が繰り返し、マシュウは再び頷いた。
「負の因縁、フミタカ殿の負い目と言ってもよいのだが、それがどのようなものかはわからぬ。その因縁は、これからの調査に委ねるしかないであろう。そして4年前のあの日、セイカ殿がその因縁を知っているということをなんだかの手段でフミタカ殿は知ってしまったのだろう。自責の念に駆られての衝動自殺、あるいは、正気を失っての過失転落。ムツブ殿には気の毒に思うが、これがフミタカ殿の死に関する儂の推論じゃ」
「そ……そこまで結論付けてしまうのは、まだ早いんじゃ…」
コンドルがおずおずと言った。
「そうですね、先入観を持って捜査をしてしまうのはあまり好ましいことではないと思いますよ」
ファンも続くが、マシュウはそちらを見て浅く頷いた。
「無論のことじゃ。しかし、そうであるという可能性もまた、否定できまい?」
「そ、そうですけど……」
「負の因縁がどのようなものか…ここからは想像するしかないが…フミタカ殿の顔に火傷があったことを考えると……」
「火傷………と、火事、だね……」
ジルがぼそりと言い、マシュウはまたそちらに向かって頷いた。
「うむ。フミタカ殿の火傷を火事と結びつけるは易いことじゃが、合点がいかぬ。もし、火事場からセイカ殿を助け出したのなら、なぜ名乗らぬ?なぜ両親も助けぬのか?
そもそも、なぜセイカ殿を助ける理由がある?
そのあたりが、悪しき因縁なのであろうがな。
悪しき因縁を考えるならば、両親をフミタカ殿が殺めた、とも考えられるが、人が人を殺めるには相当の理由と覚悟が必要。今までの調査では、それらしきものも見つかってはおらぬしな」
「それはいくらなんでも、先走りすぎじゃないのかな…」
クルムが眉をひそめる。
「それじゃあ、セイカを魔物と決めつけてるムツブさんとあまり変わらない気がするよ」
「おっと、そうじゃな。いま少しの捜査が必要であろう」
マシュウは言って、また考え込んだ。
クルムは少し眉を寄せて嘆息する。
「ムツブさんと古参メンバーは、尊敬してやまないフミタカさんが残した遺言を信じられず、彼が養子に望み育て評議長の後継に指名したセイカに不信感を募らせ、彼女が魔物であるという証拠を探すようオレ達を雇った…」
首を傾げて、仲間たちの方を向いて。
「彼らがフミタカさんを本当に尊敬しているのなら、セイカのことを魔物だなんて決め付けないと思う。
不信感からイコール魔物になってしまう……その極端な思考には、まだ話していない理由があるんじゃないかと思うんだ」
「んー、この事件自体、古株5人がセイカちゃんを失脚させるための嘘っぱちだったりしてな…」
ヴォルガの発した一言に、沈黙が落ちる。
「……そう決めつけるのも、まだ早いと思うけど…」
困ったようにクルムが言い、へらっと笑うヴォルガ。
「可能性が無いとは言い切れんしねェ~。ま、セイカちゃんが100%魔物でないっていう証拠もないんだけどな?」
「わたしは……見逃してもらったからというわけではありませんが、やはり聖華さまは睦さまがおっしゃったような類の妖魔ではないと思っています…」
控えめに言う暮葉。
「魔物であるにしろないにしろ、今のところそれを決定付けるだけの証拠は足りていない、といったところですね」
ミケが用心深くそれに続いた。
「セイカさん本人については、なんとも言い難いというのが正直なところです。下の評判は悪くない。カムフラージュだとしても仕事は完璧にこなしている。前代よりも良いという評判もある。実際に会った感じも、何かある訳じゃないですし。聞いたことに対しては裏付けが取れる範囲で変なごまかしもない。言いよどんだりした部分がありますが、それがない方が逆に怖い気がしていました。
能力的には驚異的かも知れません。でも、それだけでは判断しきれません。英才教育も、馬鹿にならないとも思いますし。才能があれば……魔道に関して言えば、経験も必要な部分はありますが、なくても一気に伸びるものだと思います。天性の勘とかセンスとか、ね」
微妙に悔しそうな表情で、肩を竦めて。
「ムツブさんのいう『セイカさんが魔物である証拠を掴む』というのは、かなり大変ですね。何を持ってして、魔物であって、邪悪であって、という証拠にしたらいいのか、今の僕には、正直分かりませんから。
とにかく調べて、怪しいと思うことをひたすら集めていくしか、無いかな……」
手を口に当てて、少し考え込んで。
それから顔を上げて、ヴォルガの方を向く。
「ヴォルガさん、先ほどの似顔絵、もう一度見せていただけますか?」
「ん?あァ、いいぜ」
ヴォルガは懐から先ほどの似顔絵を取り出すと、ミケの方に差し出した。
かなり写実的に描かれた男性と女性。とはいえ、きちんとしたキャンバスに描かれた肖像画というわけではない。稀に縁日などで見かける、短時間で似顔絵を描いてもらった、というような雰囲気だ。
男性の方は二十代後半といったところだろうか。短い黒髪に切れ長の黒い瞳。表情は穏やかだがエネルギッシュな雰囲気のある青年だ。
女性の方は男性よりやや年下に見えた。赤茶色の長い髪を後ろで纏め、薄く微笑を浮かべている。少し冷たそうな美人、といった印象だ。
「この絵の人は…どなたなんでしょうね」
「ふむ。言葉の意味はわからぬが、日記に大事にしまうというは奥方に間違いあるまい」
マシュウが言い、クルムが横からその写真を覗きこむ。
「さっきミケが幻影魔法で見せてくれただけだけど……この女の人、少しセイカに似てないか?」
「そう言われれば………」
冷たい美しさという点だけでなく、目元や輪郭など、少しセイカを思わせる。
「空似であろう。奥方が亡くなられてからセイカ殿が生まれるまで2年近いはず。忘れ形見とは思えぬ」
マシュウが言い、クルムはそちらを向いて眉を顰めた。
「いや、似てる=子供っていうことじゃないけどさ。そもそも、この人が奥さんかどうかもはっきりしてないわけだし」
「ムツブに訊けば、わかるんじゃないのかな…」
ジルが言うと、ヴォルガは笑って首を振った。
「まァ、ムツブにわざわざ訊かなくても、オレが秘密ルートで調べてきてやるさね」
「秘密ルート?」
ミケが眉を顰めて問うと、そちらの方にウインクを返して。
「あァ、秘密だからちっと教えられんねェ。ま、そっちに情報があるとも限らんがね…」
「……何だか判りませんが、あるかどうか不確実なものに頼るよりムツブさんに訊いた方が早くありませんか?ムツブさんに訊かない理由を伺っていいですか?」
「理由……理由ねェ……なんとなく?」
「なんとなくって……」
半眼で、ミケ。
クルムが眉を寄せてそれに続く。
「ミナザキさんは仲の良い友人にさえ、自分のプライベートなことをあまり話さなかったそうだ。
その彼の私的な情報が、公になっている可能性はとても少ないとオレは思うんだ。
それにその似顔絵はセイカの所から無断で持ってきた物だし、おおっぴらに見せて回って調査するわけには行かないよな。
となると、ミナザキさんと古くから付き合いのあるムツブさんに聞かない手は無いんじゃないか?」
「うっ……確かにな…」
二人からたたみかけられ、気まずそうに眉を寄せるヴォルガ。
「OK、んじゃムツブにも訊いてみることにしよう。忠告ありがとよ!」
「うん、判ってくれたならいいんだ」
笑顔で答えるクルム。
ミケは微妙な表情で嘆息してから、再び似顔絵に視線を落とした。
「この写真がフミタカさんだと仮定して……穏やかな表情ですよね。
奥様のように、心を許している方の横ではこういう表情をされる方なんですよ。
そうなると、いくら養子として引き取ったからとはいえ、娘に対する愛情表現の方が何だか不自然な気がするんです。そういう親子である、という可能性もないわけではないですけど…」
腑に落ちない、といったように、眉を寄せて首を傾げて。
「親しい人への接し方も、ちょっと詳しく聞いてみないと分かりませんけれど。もっと笑ったり親切だったりしたんじゃないかなと思うんですよ。テオドールさんはとてもフミタカさんに感謝しているようですし。でも娘には下っ端と同様の態度を取っていたんですよね。そこが…どうも、判らないんです」
「魔道を教えていた、教師であったという立場から厳しく接しているのではないか?あるいは、部下の手前、娘を溺愛する姿を見せるのがはばかられたとか…」
千秋が言い、ミケは眉を寄せつつも頷いた。
「その可能性もあります。いずれにしろ、フミタカさんの人間像というものがまだはっきりしないんです、僕の中で。これは、いっそ本当に伝記を編纂したい気分ですよ」
苦笑交じりに言うと、クルムが真面目な表情で身を乗り出した。
「ミケ。その、フミタカさんの伝記を纏める作業、オレにも手伝わせてくれないか」
「えっ……どうしたんですか、クルムさん」
驚いて問い返すミケ。
「纏めたものを、テオドールさんにも見せてあげたいんだ。
テオドールさんはフミタカさんと本当に親しい友人だったそうで、伝記が発行されるのを、心から喜んでいるようだった。
彼の笑顔を見ていたら、嘘をついて話を聞いていることに胸が痛くなってきてね…」
「ああ…なるほど」
「もういっそ、自費で伝記を作ってしまおうか。安い印刷所をミルカに教えて貰って…」
「…印刷所をなんでミルカさんがご存知なんですか」
「えっ、何かそんな話をしてたって、テアが」
微妙な話に脱線したところで、マシュウが横から口を挟む。
「案外、ムツブ殿が出してくれるやもしれぬぞ」
クルムは眉を寄せてそちらの方を向いた。
「うん…どうだろう。編集内容によるんじゃないかな…
テオドールさんとムツブさんのフミタカさんに対する親愛はオレは違うものだと思う…」
「ふむ、しかし言ってみる価値はあろう」
「……そうだね」
伝記の話が一段落したところで、再びミケは似顔絵に視線を戻した。
「…火傷の跡は、ないようですね」
「ふむ、この絵を見る限りではそうじゃな」
マシュウも重々しく頷く。
「髪でうまく隠していた、とタカミ殿は仰っていたが、この絵の人物は髪が短い。頬の後ろの火傷の跡を隠すことは出来そうも無いじゃろうな」
「この時点では少なくとも火傷はなかった、と。いつごろなんでしょうね、そんなに目立つ火傷の跡が出来たのは」
「火傷のことについても、ムツブさんに訊いてみる必要があるだろうね」
クルムが言うと、マシュウは険しい表情で彼のほうを向いた。
「いや、儂はこの事、ムツブ殿には黙っているつもりじゃ。無論、皆が訊くと言うのであれば止めはせぬが…」
クルムはきょとんとして、マシュウに問い返した。
「なぜ?ムツブさんなら何か知っていると思うけど…秘密にする理由を訊いていいかな?」
「上手くは言えぬが、ムツブ殿はフミタカ殿に心酔しておるように見受ける故、要らぬ心配はかけとうない」
「要らぬ心配…?」
意味を汲み取れずに眉を顰めるクルム。
「うーん…似顔絵と同じで、フミタカさんと付き合いの長いムツブさんは、火傷の事も知っているんじゃないかと思うんだけど…」
「知っておられるかもしれぬが、フミタカ殿の暗部との関連を邪推しても気の毒であろう。
もちろん、真相が明らかになった際は、全てを告げるが誠意であろうがな」
「暗部との関連……?…あまりよくわからないけど…じゃあムツブさんに訊くのはよして、フミタカさんと親しかったディーシュ教会の神官長さんに、傷のことを聞いてみるよ」
「うむ。先ほども申したが、皆が訊くと言うのであれば、誰に対してでも止めはせん。儂はとぼけさせてもらうかもしれぬがな」
マシュウは重々しく頷いた。
「ヴォルガさん、ありがとうございました」
ミケが似顔絵を返し、ヴォルガがそれを受け取る。
「……あと気になるといえば…2年前の事件、だな」
千秋が言い、クルムが頷く。
「ギルドと教会のトラブル…何があったのか、だね」
「セイカの態度が硬化しているのは、2年前にあった事件とやらがいまだに続いているのが原因ではないかとも思う。
……未だ完全には解決していないのではないかとも思える」
「かもしれないね…そのことも神官長さんには訊いてみようと思う。あまり話したくなさそうだったから心が痛むけど……」
クルムは頷いて、さらに続けた。
「それに…ギルド内部のことで、もう一つ腑に落ちないことがあるんだ」
「というと?」
ミケが促し、そちらの方を向いて。
「…『今は事情があっていない』っていう、『もう一人の古株』のことだよ」
「…そういえば、皆崎氏に仕えていたのは睦を含む6人だと言っていたな。しかし、今回の依頼人は5人だと」
千秋が頷く。
「その『事情』について、ムツブさんは一切触れなかった。触れられたくなくて通り一遍の説明をしたようにも感じたよ。その人のことも……気になるな。ムツブさんに訊いてみようと思う」
クルムの言葉に、ミケも頷いた。
「ギルドの方々にも訊いてみますよ。今日は末端の方々にお話を聞きましたが、依頼人でもあるという古株の5人にもお話を聞かなくてはなりませんしね」
「せ、セイカさんにも……き、訊いてみようと、思います……」
コンドルがおずおずとそれに続く。
「あ、あの、それに、日記のことも……見せてもらえたらなって……」
「無理じゃねえの~?相当ガード固かったぜ?」
ヴォルガが眉を顰めて言う。
「空間系の術をかけてあるっつってたな。っつーことは、空間に作用する術じゃねェとそれは解けねェってこった。コンドル、んな術使えるか?」
「あ、あの、空間系の術は……使えないですけど……」
コンドルは困ったように眉を寄せた。
「で、でも……あの、セイカさんは、ヴォルガさんに対して、日記を見せないって、言ったんですよね……?え、えっと、こっそり入ってきて勝手に家中を調べてる泥棒さんには、だ、誰だって、日記は見せたくないと、お、思うんです……」
ヴォルガは僅かに目を見開いて、それから苦い顔をして頭を掻いた。
「……言うねェ」
「こ、こっそり入って、日記を取ってこようっていうのが、そ、そもそも大変だったんです……な、なら、また伝記の編纂っていうことで、ど、堂々と見せてもらえば……も、もっと言うなら、家の中も……」
「……なるほどね。忍び込むのがダメなら、正面から、っていうわけか…」
ジルがぼそりと言い、頷くコンドル。
「そうか。んじゃあ、そのセイカとの交渉、俺も行かせてもらうぜ」
リウジェが言い、コンドルは驚いてそちらを見た。
「り、リウジェさんもですか…?」
「ンだよ、悪ィのか?この目じゃあ編纂の手伝いって言うのもマズいだろ、まァその辺はなんか考えとく。ギルドで合流するから、他人のフリしとけよ」
「は、はい、わかりました……」
コンドルは少し怯えた様子で肩を縮めた。
「では、俺はミケのサポートをしよう。…まあ、隣にいるだけになるとは思うが」
千秋が言い、ミケが微笑んだ。
「わかりました。よろしくお願いします、千秋さん」
「ふむ。では儂は、セイカ殿の生家に見舞われた火事について調べようぞ」
マシュウが腕を組んで重々しく言う。
「10年以上前のことじゃ、記録や人々の記憶に残っているかも定かではないが……まずは自警団の記録、それから生家周辺の住民の聞き込み、といったところじゃな」
「あ……マシュウ、じゃあ、私も一緒に行っても……いいかな」
ジルが言い、マシュウはそちらを向いた。
「む。ジル殿も火事のことを?」
「あ…ううん、私は……ミナザキ氏の転落事故の記録を…と思って。
それから……現場の魔術師ギルド近くの崖にも行ってみようと思う」
「では、わたしもそれにお供いたします」
暮葉がそれに続く。ジルはそちらを向いて頷いた。
「オレはさっき言った、秘密ルートで調べ物をしてくるぜェ♪」
ヴォルガがひらひらと手を振り、ファンがそれを一瞥してから仲間達に視線を戻す。
「では、私はフミタカ氏の残した遺言状の記録を見てきます。
それと……ミケさんとコンドルさんにお願いがあるのですが」
「はい、何ですか?」
ミケが言い、ファンはそちらを向いた。
「ギルドの方々に聞き込みをされる時に、あるものを持って行っていただきたいのです」
「あ、あるもの……?」
コンドルが言うと、ファンは頷いてテーブルの上に手のひらを広げた。
米粒ほどの小さな丸い粒が6個、転がっている。
「………これは?」
ミケが訊くと、ファンは簡潔に答えた。
「羽虫の卵です」
「む、むし……?!」
微妙に引くコンドル。
ファンは頷いた。
「はい。先ほど報告の時に、私がムツブさんを監視していた、と申し上げましたが…実は、これを使っていたのです。
これに魔力を与え、孵化させた虫は、私の……私の意志とリンクしていて、自由に操ったり情報を収集したりできるんです」
「……ちょっと違うけど…ポチみたいなものですかね」
肩に乗っている使い魔をちらりと見て、ミケ。
「り、リュートくんとテイルちゃんは……だ、だいぶ違いますね」
同じく肩に乗っている不思議な生物を見て、コンドル。それはだいぶ違うと思います。
「与える魔力は僕のものとかで構わないんですか」
「はい、それは構いません。孵化に必要なだけですので」
「じゃ、じゃあ、ボクのじゃなくて、リュートくんの魔力の方がいいかな……リュートくんにくっつければ、えと、不自然じゃないですし……」
「そうですね、それはお任せします」
頷くファン。
「セイカさんと、古株の5人の方々を同じように監視するということですね」
ミケが訊き、ファンは再び頷いた。
「はい。遺書の閲覧はすぐ済むでしょうし、じっくりと監視することが出来ると思います」
「わかりました。明日の方針も決まったところで、ひとまず今日はここでお開き、でしょうかね」
「うむ。明日はムツブ殿に報告をし、それからそれぞれの調査場所へ赴くのじゃな」
ミケの言葉にマシュウが続き、冒険者達は表情を引き締めて頷き合った。

Innocent Trouble

「……以上が昨日の報告と、今日の活動方針です」
ミケがそう締めくくり、ムツブは重く頷いた。
「…了解した。まだ決定的な証拠は挙がっていないようだな。続けて頼む」
そして、ファンの方を向き、続ける。
「フミタカ様の残した文書は、町役場にある。遺書に限らず、誓約書や借用書…揉め事を未然に防ぐために、当事者同士だけでなく公が介入した文書を作るという部署があるのだ。
私が紹介状を書こう。公文書は何があろうと向こう30年は保管されている。フミタカ様の遺書はまだ残っているはずだ。確認してきて頂きたい」
「判りました。ご助力感謝します」
軽く礼をするファン。
「それから、自警団だが。そちらの方にもつてがある。記録を見せていただけるよう取り計らおう」
「かたじけない」
マシュウが頷き、ジルが軽く頭を下げる。
「ギルドの傍の崖は特に誰も入れぬようにしてあるというわけではない。自由に調べるといい。
…4年前に散々調べたがな…」
「……ありがとうございます」
ジルが言うと、ムツブは少し眉を寄せて彼女を見た。
「貴殿らはセイカに顔を見られているのだろう。ギルドの者に気づかれぬよう、慎重に事を運んでいただきたい」
「重々承知しています。申し訳ありません」
暮葉が言って頭を下げる。ジルは俯いて黙り込んだ。
「それから、他の古株の者達への繋ぎもつけておこう。ただし、昨日言った通り……」
「ギルド内ではこの依頼のことは口にしない、ですね」
ムツブの言葉の続きをミケが言い、ムツブは頷いた。
「ご理解頂けているのなら良い。宜しくお願いする」
「それで、ムツブさん」
クルムが言い、ムツブはそちらの方を向いた。
「オレは今日もディーシュ教会の神官長さんのところに行くつもりなんですけど…その前に伺いたいことがあるんです」
「私で答えられることならば答えよう」
ムツブの答えに、クルムは表情を引き締めた。
「先ほどの報告に少しあった…2年前の、ギルドと教会のトラブルについて、です」
ぴく、とムツブの表情が動く。
クルムは続けた。
「そのことについて、神官長さんは『お互いに不穏な分子を抱えていたために事が大きくなった…というだけのこと』と仰っていました。
そのトラブルを解決したのは、当時評議長であったセイカであるとも伺っています。
神官長さんはその一件から、セイカのことは信頼の置ける優秀な人物だとは思っているけれど、彼女とはミナザキさんとのような付き合いは出来ないと思っているそうです」
淡々と報告をし、それから身を乗り出して。
「神官長さんが言っていたトラブル…。
教会とギルドの間に、いったい何があったんですか?」
ムツブは苦い表情で黙り込んだ。
たっぷりの沈黙の後に、重い口を開いて。
「……それは、今回の調査に必要なことなのか?終わったことであり、セイカが魔物であるという証拠を探すのに必要だとは思えぬ」
「それは、聞いてみなくてはわかりません」
クルムは静かに、しかし揺るがぬ口調で言った。
「それに、昨日仰っていた、古株の6人……一人、訳があって今はいない、と仰っていましたね。
その方も、ムツブさんと同じ考えなんですか?今回の依頼には関係されてないんですか?」
「む……」
さらに眉を寄せるムツブ。
クルムは続けた。
「今回の依頼人である5人の方は紹介していただきました。でもその最後のお一人も、ギルド設立当初から苦楽を共にしてきた仲間であるはずですよね。なぜ今ここにいらっしゃらないんですか?
その方はどういう方で、今何をされているんですか?」
ふたたび、ムツブは苦い表情で黙り込んだ。
固唾を飲んで彼の言葉を待つ冒険者達。
やがて、ムツブは再び口を開いた。
「………佐中小路頼親………サナコウジ・ヨリチカという」
口にするのも苦々しい、といった様子で。
「2年前……その、ディーシュ教会との一件で、我がギルドを出た。
不正を働いたと…聞いている。それ以上の事は判らぬ」
「不正……?ディーシュ教会とのトラブルに関する不正ということですか?」
「…そうであったと聞いている。
…当時、ヨリチカは今カナデが受け持っている倫理協議部門の長であった」
「りんりきょうぎぶもん……」
耳慣れない響きを繰り返すジル。
ムツブは頷いた。
「道に外れた魔道士、またはその疑いがある者を調査し、場合によっては捕縛・制裁を行う部門だ。
この街のディーシュ教会は、ミナザキ様とディーシュ教会の神官長テオドール殿の縁もあり、ギルドから魔道技術の提供を受けていた」
「魔道技術の提供?」
ミケが問うと、ムツブはそちらを見た。
「回復や解毒、或いは裁きのための簡単な攻撃魔法の理論と技術を、当ギルドから教会が『買っていた』形になる。教会として支持を集めるためには、目に見える『奇跡』が必要で…そういったことは、他の地方でもよくあることだ。この事も内密に願いたいが」
「けっ、胸糞悪ィ」
リウジェが毒づき、マシュウが頷く。
「…成る程、教会にあった魔道書は、そういう故であったか」
「しかし、2年前……ディーシュ教会が、突然その技術提供を打ち切ってきた。別の提供先から技術を買うと言ってな」
ムツブは嘆息して、続けた。
「その様子が不審であったため、当時すでにギルド長であったセイカがヨリチカに調査を命じた。
そしてヨリチカが報告した調査結果は…『ディーシュ教会は暗黒魔法を研究する邪法師の集団よりの技術供与を受けており、その動向を監視する必要がある』とのものだった」
「暗黒魔法…!」
驚いてミケが声をあげる。
「…それは、一体?」
ファンが言い、ミケはそちらを向いた。
「力の源を、地水火風陽月の6大元素ではなく、魔族や邪神の持つエネルギーとするものです。
その力は強大で、難しい理論も必要としませんが…行使するには、魔族や邪神と契約することが必要なのです」
「なるほど……教会とは名ばかりの邪法の集団であったわけですね」
「そんな…!そんなわけないよ。あのテオドールさんが、そんなことをするはずがない」
クルムが眉を寄せてかぶりを振る。ファンは驚いて訂正した。
「これは失礼しました。ヨリチカさんが、そういった調査結果を出した、ということですね」
「じゃあ、その調査結果は…」
「……結論から言えば、間違いであった。ディーシュ教会の副神官長一人の暴走であり、ディーシュ教会及び神官長のテオドール殿は無実であったのだ。
ヨリチカはその責を問われ、官を剥奪され、魔術師ギルド総本部で査問にかけられた……今はどうなっているか、私にも判らぬ」
「そうだったのか……親しくしていたフミタカさんの魔術師ギルドとそんなトラブルになってしまったら、テオドールさんがギルドに対して遺恨を抱えているのも判るな……」
いたましげに、クルム。千秋も顎に手を当てて考え込んでいる。
ムツブはまた嘆息した。
「…私が知っているのはそのくらいだ。当時の事に関しては、もしかしたらカナデが知っているかもしれん」
「カナデさんが?」
問い返すミケに頷きかけて。
「カナデは当時、倫理協議部門でヨリチカの仕事を手伝っていた。そして、ヨリチカとも私的な付き合いがあったようだ」
「つまり……恋人だった、と?」
「…そうだ。私は職場でそういった関係になるのは好ましくないと思うのだが…まあ制限できるものでもないからな。
カナデはヨリチカの仕事を引き継ぐ形で今の部署にいる。興味があるなら訊いてみるといい」
「わかりました」
頷くミケ。続いて、クルムも礼をする。
「答えにくいことを訊いてしまってすみませんでした」
「……構わん。調査の充実が図れればな」
「頑張ります」
「他に何か、私に聞きたいことはあるだろうか?」
冒険者達を見回すムツブ。
「おお、んじゃオレも一つ訊きたいねェ」
ヴォルガが相変わらずの調子で言い、ムツブはそちらを向いた。
「何だろうか?」
「コイツを見てくれ」
ヴォルガは懐から例の似顔絵を出すと、ムツブに差し出した。
ムツブの表情が、ぱっと明るくなる。
「おお、フミタカ様とレイナ様だな。懐かしい…だいぶお若いな。私が出会った頃くらいだろうか……」
「レイナ?」
ヴォルガが問うと、ムツブは先ほどまでの渋面が嘘のように穏やかな表情で答えた。
「フミタカ様の奥方様だ。フミタカ様も、この頃は髪が短かったな。懐かしいものだ」
「そういえば、奥様のことは詳しくお聞きしていませんでしたね」
身を乗り出して、ミケ。
「髪の毛の色とか…ナノクニの方は皆さん黒髪・黒目ですよね?名前の響きもナノクニっぽいようなそうでもないような気もするんですが…」
「レイナ様は、マヒンダの出身なのだそうだ」
「マヒンダの?」
多少驚いた様子で、ミケ。ムツブは頷いて答えた。
「フミタカ様はここダザイフの出身だが、魔道を勉強するためにマヒンダへ留学なされた。古参の何人かは、その頃に知り合ったのだそうだ。
そして、マヒンダでレイナ様に出会われ、ご結婚されてダザイフに戻り、ギルド招聘を行われた、というものだ」
「なるほど」
ミケは頷いて、さらに問うた。
「あなたから見て、お二人の様子はどのような感じでしたか?」
「ふむ、お二人とも落ち着いて穏やかではあったな。最近の若い者らのように四六時中触れ合っていなければ気が済まぬという風ではなかった。レイナ様はナノクニの出ではないが、それが信じられぬほど、何と言うか、ナノクニの古風な女性という風であったな」
「古風な女性……というと?」
「控えめで、夫の三歩後をついて歩き、有事の時には毅然と夫を支える、それがナノクニの妻としての美徳であるのだ。フミタカ様も亭主関白な様子で、我々の前でことさらレイナ様を褒めたり慈しんだりという様子は見えなかった」
「そう……なんですか?」
きょとんとして、ミケ。
「では、フミタカさんは親しい人に対しても、そっけないというか、厳しい態度を取られる方だということですか?セイカさんに対してもそうだったようですし」
「む……」
ムツブの眉が寄る。
「いや……言い訳をするのではないが、セイカに対する態度と、レイナ様に対するそれは違うものであったと…私は思う。亭主関白は、妻を、家族を愛しているという大前提の下に、家族の秩序を保つために行われるもの。フミタカ様のレイナ様に対する態度は、厳しい中にも愛が満ちていた」
「はぁ…そんなもんですかね」
判ったような判らないような様子で、相槌を打つミケ。心のうちに抱えている印象で、見方などどうにでもなるものだ。
「レイナ様のことが、セイカに関係があるのか?」
僅かに眉を顰めて、ムツブ。ミケはにこりと笑った。
「さあ、あるかもしれませんし、と思って。クルムさんも言ってましたけど、何がどう関係しているか判らないものですよ?ましてや一度はあなた方がお調べになった案件ですし」
「そう……か。そうかもしれぬな。わかった、今日の調査もよろしく頼む」
ムツブは言って、再び礼をした。

Innocent Thief

「さぁて、手っ取り早くやっちまうかねェ」
宿屋を出て解散し、仲間達と反対方向へ歩いてきたヴォルガは、コキコキと首を鳴らしながら意気込んだ。
「……まぁ、っつってもダザイフには詳しくねェからな…しゃーねェ、訊くとすっか」
ヴォルガは言って、懐からごそごそと何かを取り出した。
鎖のついた銀の懐中時計。高々と掲げて、言う。
「たらたたったたー!魔術時計~♪」
自分で効果音までつけて。
ひゅう、と寒い空気が流れたのは、何も彼が氷人だからではなかろう。
「ママー、あのおじちゃんヘンなこと言ってるよー」
「しっ、見ちゃいけません」
道行く親子連れが目を合わせないようにして小走りに去っていく。
「…フッ、天下の色男もガキにかかっちゃおじちゃんかねェ…ま、あともう少しすればオレの魅力が判るようになるさね」
ポイントはそこですか。
ヴォルガはあたりを見回してひとけのない路地に入ると、懐中時計を開いて覗き込んだ。
本体部分は少し入り組んではいるものの、普通の時計のようだ。しかし、蓋の裏側は黒水晶のような物質で出来ている。
ヴォルガはその裏側に向かって陽気に声をかけた。
「愛しの白猫ちゃーん、応答願う♪」
ややあって、小さな黒い面にぼんやりと女性の顔が映し出される。
ぼんやりとした顔は次第に鮮明になっていき、金髪の勝気そうな女性が映し出された。
そして、懐中時計から彼女のものと思われる声が響く。
『はい、こちら白猫………ってアンタ!』
白猫と名乗った女性は、こちらを見るなりかっと金の瞳を見開いた。
『一体何やってんのよ連絡もなしに!今どこにいんの!』
ヴォルガは意味ありげににやにやと笑いながら、画面の中の女性に答える。
「今ナノクニで別のお仕事してるトコ♪」
『別のお仕事ですってぇ?!』
しかし、その答えは彼女の怒りを増幅しただけのようだった。
『いっつもアンタはそうやって勝手なことばっかやらかして!コッチに山ほど仕事があるんだから、とっとと帰ってきなさい!!』
その声を聞きつけて誰かがやってくるのではないかという位の大音量が路地裏に響き渡り、左手の懐中時計を出来るだけ遠ざけつつ右手で耳を塞ぐ。
「っつー……いや、そうは言ってもね……分かるだろ?オレが一度請けた依頼は最後まで受け持つってさ♪」
ウィンクをしてみせるヴォルガ。
白猫は呆れたようにため息をついた。
『ったく…で?わざわざ通信使うんだから何か用があるんでしょ?』
「うん、実は“紅い夜”が見れる場所が無いか探してるんだけどさ♪」
『はいはい。ちょっと待ってなさい…』
白猫はしばらく画面から姿を消し、ややあって再び画面に戻ってきた。
『一度しか言わないわよ?』
と言い、何やら奇妙な言葉を呟く。暗号のようだ。
ヴォルガはそれで得心が行ったのか、頷いてもう一度ウィンクをした。
「サンキュー♪んじゃ、とっとと片付けて戻るとするわ」
『全くだわ。さっさと帰ってきなさいよ。帰ってきたら…わかってるわね?』
「うっひゃー、お手柔らかに頼むぜェ」
ヴォルガは苦笑して、懐中時計を閉じた。
「さぁて、行くかねェ」

そして、半刻後。
昼なお陽がささぬ裏通りの一角に、ヴォルガの姿はあった。
「…ここだな」
ドアの中心に小さく「紅夜亭」と書かれた建物。
ヴォルガはふぅ、と息を吐くと、扉に手をかけた。
からん。
軽いベルの音がして扉が開く。
中は一見して、普通の酒場のようだった。裏通りに面する建物よろしく、窓のない薄暗い建物で、申し訳程度のランプが揺れている。昼間だからだろうか、客の姿は全くといっていいほどない。
カウンターの奥にいる中年の男が、グラスを磨きながらちらりと彼を一瞥する。
ヴォルガは陽気に手などあげて、カウンターに近づいた。
「よう、景気はどうだい?」
「ぼちぼちってとこだな」
男はぼそりと言い、またじろりとヴォルガを見た。
「…何が欲しい」
にやり、と笑うヴォルガ。
「魔術師ギルド前評議長、ミナザキ・フミタカとその妻レイナ、そして養子のセイカとの関係。
それから、魔術師ギルドダザイフ支部の古株5名の経歴。どういった奴等なのか過去なんかも分かればいいんだが」
「…………」
男は無言で眉を寄せた。
「何だ?」
「…いや……そいつらは何をやったんだ?」
男の問いに、きょとんとするヴォルガ。
「何って、ナニ?」
「裏社会に情報が流れるような何かをしているのか、と聞いてるんだ」
イライラしたように、男。
ヴォルガはへらっと笑った。
「いんや?そんな裏があるなら是非調べてもらいたいねェ」
「お前………アホか?」
男は呆れたように嘆息した。
「裏で名が挙がっているわけでもない、表の世界でまっとうに生活してるやつの経歴を、何でここにわざわざ聞きに来る?探偵でも雇って調べろよ」
「まァそりゃそうだが」
ヴォルガは力なく苦笑した。
「使えるモンは使っといた方がいいだろォ?わかんねぇなら今から調べてくれよ」
はぁ、と沈鬱そうにため息をつく男。
「大体、何だ、最初の質問は。前評議長とその妻とその養子との関係だぁ?妻と養子に決まってるだろうが、頭湧いてんのか?」
確かにそうだ。
「あ、いやー……そういうコトじゃなくてな。セイカは5歳の時にフミタカに引き取られて、その7年ほど前に妻のレイナが亡くなってる。フミタカとレイナはマヒンダで知り合ったそうだが、フミタカとセイカの間に過去にどっか繋がりがあったのかも知りてェな」
「……お前の方が詳しいんじゃねえか」
半眼で、男。
「…ま、探偵と同じようなことをさせたいなら、時間が必要だな」
「そうか、どれくらいかかる?」
「そうだな………3週間くらいか」
「3週間ン?!」
「うっせえな!裏ルートの情報ならともかく、表の情報なんざストックがあるわけねぇだろ!こちとらお前のためにだけ動いてる便利屋じゃねえんだぞコラ!幹部だからって無茶言って許されると思ってんなドアホウが!」
相手が幹部だとは全く思っていない様子で、男は怒鳴りつけた。
ヴォルガは頭を掻いて舌打ちした。
「ちっ……使えねェな」
「んだとコラ!文句があるならテメエで探偵雇って調べろよ!同じくらいかかると思うがな!」
「あーもうわかったわかった!それでいいから調べてくれよ!」
半ばやけくそ気味に返すヴォルガ。
男は憮然としてグラスを置くと、カウンターから奥の扉へと引っ込んでいった。
ヴォルガは盛大にため息をついて、カウンターの椅子の一つに腰掛ける。
「ちっ………無駄足だったかねェ」

Innnocent Archives

「丹羽野さんのご紹介の方ですね。こちらへどうぞ」
自警団に立ち寄って名乗ると、奥から30手前ほどの若い男性が現れた。
彼の案内するままに足を進めると、小部屋へと通される。
多くの書棚が所狭しと並べられている、資料室のような場所らしかった。
「こちらに過去の事件の記録が収められています」
男性は言って、マシュウのほうを向いた。
「片っ端から調べるわけにも行きませんし、何を知りたいのか言ってくれたら、僕が資料を持ってきますよ」
「かたじけない。では儂は、13年前に起きた火事の記録を見たいのじゃが」
「13年前の火事……ですね。調べてきます、少々お待ち下さい」
「私は、4年前に魔術師ギルド長が転落して亡くなった事故を」
「あっ……はい、じゃあそちらも」
3人の中で最年少と思われるジルが記録を要求したことに少し驚いたようだったが、男性は笑顔で頷くと本棚の中へと姿を消した。
ジルはそのままマシュウのほうを向く。
「……手分けして調べた方が効率がいいよね」
「然り。転落事故のほうはジル殿と暮葉殿にお任せする」
「ありがとうございます。がんばりますね」
ほどなくして、男性がいくつかの書類束を抱えて戻ってきた。
「転落事故の方はこちらで間違いないと思います。どうぞ」
「……ありがとう」
男性に書類を渡され、早速ぺらりとめくるジル。
男性は残りの書類の束を抱えてマシュウのほうを向いた。
「13年前の火事が、1年で10件ほどあったらしくて…一応全部持ってきたんですけど」
「おお、かたじけない。特定は儂の方でしよう。
お手を煩わせて申し訳ないが、当時に火事に関わった御仁とお話が出来ぬものか?
子供が一人、救出されていたはずじゃが…救出された当時の様子などをお聞きしたいのじゃが」
「えー、13年前でしょう」
男性は困ったように眉を寄せた。
「まだここにいるかどうかもわかりませんし…それに13年のうちに何度もいろんな事件に遭遇してるでしょうからね。覚えてるかどうかも怪しいんじゃないかな」
「ふむ、成る程のう」
「記録に書いてあるんじゃないかな。それ以上の事は判らないと思いますよ」
「承知した。まずは記録に目を通すことにしよう」
マシュウは頷いて、書類の束に目をやった。

「慶遥34年、ディーシュの第27日……レプスの刻…天気は………小雨。朝から降り続いていた…と」
ジルは転落事故の調査報告書を読みながら、気になったところをポツリポツリと呟いた。
暮葉が横からそれを覗き込んでいる。口には出さないが読んでいる様子だ。
「通報があったのは転落から半刻後…魔術師ギルドの下部構成員が自警団本部に直接来た。
現場には、被害者・皆崎文隆の遺体のほか、目撃者がその周りを取り囲む形で立っていた。全員、事故当時からその場を動いていないことは証言から判っている」
淡々と読み上げていくジル。
「目撃者は以下の通り。
皆崎聖華…被害者の養女
丹羽野睦…ギルド幹部構成員
久保宏泰…同上
藁科秀…同上
青柳大夢…同上
赤城奏…同上
佐中小路頼親…同上
姿の見えないギルド長を探し外に出たところで、娘の聖華が崖の上に人がいると言い、皆がそちらを見たところで被害者が崖から転落した。
崖の上は木々が生い茂り、他に民家などもないことから普段からあまり人が寄り付かない場所だった。
被害者がなぜそこにいたかは不明。小雨で足跡などは流れた可能性がある。魔道などで激しく争った形跡はなし」
「なるほど」
頷く暮葉。
「魔術師ギルド内で被害者と関わりのあった人物に聴取を行ったが、勤務時間であったため所在がはっきりしており、全員にアリバイが成立。他に被害者と親しくしていた人物らも念のため聴取を行ったが、決定的な証拠には至らず。被害者の過失による転落事故と断定」
「……死因は転落によるものなんでしょうか?」
暮葉が言い、ジルははらりと書類をめくった。
「……検死の結果、他に外傷もなく、魔道の反応などもなかったことから、転落による脳挫傷と断定」
「…なるほど……」
「……?事故と直接の関係は無いと思われるが、被害者の側頭部に火傷の痕があり」
「あ……やっぱり火傷があったんですね」
うんうんと頷く暮葉。
ジルはその続きを読み上げた。
「魔道検死医の見解では、魔道の炎によって焼かれた傷を魔道によって治癒したが、快癒しきれずに残った痕の可能性が高い、とのこと」
「魔道の炎…?」
眉を顰める暮葉。
「フミタカさんの火傷は…火事によるものじゃなかったってこと……?」
ジルは報告書を食い入るように見つめながら、呟いた。

「おお、これじゃな」
目当ての火事はあっさりと見つかった。
慶遥25年、フルーの第2日、マティーノの刻。生存者一名。5歳の女児。
他に該当する事件もない。これで間違いないだろう。
「世帯主の名は……む?レン・クレイガー…32歳。………ナノクニの御仁ではないのか」
少し目を見張るマシュウ。
「妻、愛美。29歳。……娘、聖華。5歳。奥方はナノクニの方であったのだな。
出火時刻はマティーノの四半刻…ほぼ真夜中じゃな。出火場所は居間。畳の炭化が激しいため、煙草の不始末などの線が濃厚…不審火の疑いはなし、と。
…夜にもかかわらず結構な野次馬もおったようじゃな……近隣住民が辺りに燃え移るのを防ぐために消火活動をした、と。まあほとんどは野次馬だったのであろうが…」
はらり、と書類をめくって。
「焼け跡から、レン夫婦の遺体が見つかった。娘の聖華は奇跡的にほとんど怪我も無く救出されたが、失語障害が見られる。ふむ、ショックで言葉を失っておったと、タカミ殿も仰っていたな」
頷いて、続きを読む。
「失語障害の治療もかね、魔法医の元に滞在。言葉を話さない他にはいたって普通で、医師の言葉も解し、素直に言うことも聞く子供であった。後、言語障害が快癒しないままコシラカワ孤児院へ。……ふむ。報告書はここで終了じゃな」
マシュウは報告書の最初のページに戻ると、先ほどの男性を呼んだ。
「済まぬが、この火事のあった現場に行きたい。地図を拝借願えぬか」
「はい、いいですよ。ちょっと待っててくださいね」
男性は笑顔で頷いて、地図を取りに部屋の外へと出て行った。

Innocent Will

「おや、あなたは……」
ファンが町役場に向かっていると、彼の周りをパタパタと飛び回る奇妙な物体が目に付いた。
桃色の毛並みの、羽のついた猫のような奇妙な生物。それには見覚えがあった。
「確かコンドルさんの…ええと、テイルちゃん、でしたか?」
コンドルの肩にいつも止まっている奇妙な生き物のうちの1匹。コンドルから離れて彼の元に飛んできたのだろうか。
「どうしました、こんなところで。コンドルさんとはぐれてしまったんですか?」
言語が通じるのかどうかも怪しいが、とりあえずファンは優しく微笑んで、テイルに話しかけた。
と。
「…ベツにあのコがスきにしてていいってイったから、なんとなくメにハイったアナタについてキただけよ?」
テイルが口を開いたかと思うと、甲高い声でそう言ったので、ファンは目を丸くした。
「……言葉を喋れるのですね。驚きました」
「そう?ま、あのコのマエでもシャベらないから、あのコもアタシがシャベれるってことはシらないとオモうわ?」
「そうなんですか……宜しければ役所に向かいがてら、少しお話をしましょうか」
ファンが微笑みかけると、テイルは少しの沈黙の後答えた。
「まあ、イいわ。タイクツだからおシャベりしてあげる」
「ありがとうございます」
ファンは微笑を返し、また歩き出した。
それについていく形で、テイルもファンの傍を低速で飛んでいく。
「いつもコンドルさんとどのようなことを話しているのですか?」
「アナタ、アタシがさっきイってたコトキいてた?あのコもアタシがシャベれるってことはシらないの。だからあのコとおハナししたことなんてないわ」
「…っと、そうでしたね……」
「ま、あのコがイッポウテキにシャベってくるコトなら…マホウのコトと、サイキンではシゴトのナカマのコトをワりとハナすかな」
「なるほど」
ファンは頷いて、さらに質問した。
「いつもコンドルさんと一緒にいる様ですがどのような経緯でお知り合いになったのか聞いてもいいですか?」
テイルはしばらく沈黙して、それから答えた。
「…………どうだったかな。オボえてないわ」
「そうですか」
ファンは特に突っ込んで聞くこともなく、歩みを進めていく。
「…あれが町役場のようですね。テイルさんもご一緒に行かれますか?」
「……アタシはいいわ。あのコのトコロにカエるわね。それじゃ」
「はい、お気をつけて」
ファンはテイルを見送ると、役場へと足を踏み入れた。

「丹羽野さんからのご紹介ですね、伺っています」
町役場で出迎えたのは、中年の女性だった。
「皆崎文隆さんの意向を示した文書ですね。ご用意いたしております、こちらへ」
女性の案内で、町役場の奥の一室へと通される。
他のナノクニの家屋と同じくタタミ張りの部屋の中央にあるテーブルに、言った通り封筒と共に一枚の紙が広げられている。
ファンは中に入って座ると、その紙を広げた。
ファンの右向かいに座る女性が、その様子を見守っている。
「……私、皆崎文隆は、その原因に関わらず、身体・精神に何らかの事態が起こり、魔術師ギルド長の職を続けられなくなった場合、娘である聖華にその任を委譲し、以後一切の権限を聖華の判断に委ねる事を宣言するものとする。
また、私個人の所有する土地・家屋・資産の全てを聖華に相続させるものとする。
…皆崎文隆。慶遥34年、ディーシュの第20日」
淡々と文を読み上げて、ファンは女性のほうを向いた。
「ここではこういったものを預かる際にどのような事を通して受け取っているのでしょうか?」
「どのようなことを通して、というと?」
「そうですね…この文書はどのような手段でここに持ち込まれたのですか?」
「ああ、そういう意味ですか」
女性は穏やかに微笑んだ。
「皆崎さんがご自分で役所にお持ちになられましたよ」
「このような遺書を預かる際に真偽の確認はどのようにしているのでしょうか?」
「真偽の確認?」
女性は眉を顰めた。
「皆崎さんがご自分でお持ちになられたのですから、本物なのでしょう?」
「しかし、その証明は出来ませんよね」
押すファン。
「持ってきたのも変身していた別人だという可能性もゼロではないですから。この遺書がフミタカ氏本人が書いたものであるというある程度の証明をお願いできますか?」
女性は眉を顰めたまま困ったように首をかしげた。
「ごめんなさいね、あなたが何を仰っているのかよく判らないのですけれど」
どう言えば伝わるのかと、言葉を探しながら。
「…そうですねぇ…さしあたって、役場の方でそれを証明する義務があるのでしょうか?」
「えっ……」
きょとん、とするファン。
「この文書が皆崎さんご本人の書かれたものであろうとなかろうと、この文書を持っていらしたのが皆崎さんご本人であろうと無かろうと、役場にとってはどちらでもいいこと、なんですよ?」
「何故ですか?遺書が偽物だとしたら問題なのでは?」
「あなたは何か誤解をされているようですね」
女性は苦笑した。
「私たちはこのダザイフの市民一人一人の戸籍を管理し、生活をお助けするのが仕事ですが、市民の皆さんの個人的なことに介入することはおろか、市民の皆さん一人一人の顔と名前を記憶しているわけですらありません。皆崎文隆さんと仰る方がダザイフで生活していることは存じ上げていますが、皆崎さんのお顔も知らなければ、個人的に付き合いがあるわけでもありません。もちろん、そこにいる方が皆崎さんかそうでないか、私たちに見分けることなど出来ないんですよ」
「しかし、それでは遺書の真偽に問題が生じるのでは?」
「その問題は、市民の皆さんが解決するべきもので、私たちが責任を負うものではありませんよ?」
当然のことを優しく諭すように、女性は言った。
「私たちがこういった文書をお預かりして管理する目的は、ひとえに市民の皆様方の間で生じるトラブルを円満に解決するために、私たちが『立会人』になるためです」
「立会人?」
「ええ。例えば、甲さんから乙さんがお金を借りたとしますよね?返済の期限になっても、乙さんからお金が返ってこない。甲さんが乙さんにお金を返せ、と言って、乙さんが金なんて借りてない、と言ったら、甲さんが乙さんにお金を貸したという証明はどうやってするんでしょう?」
「それは…本人達の良心に頼るしかありませんね」
「そういったトラブルを未然に防ぐために、『事実の確認』に『立ち会った』という証明をするのが、私たちのお預かりする文書なんです。
ですから、私たちの仕事は『皆崎文隆さんと名乗る方が自分の要望をつづった文書を公的にお預かりし保管すること』までで、皆崎さんが本物かどうか、皆崎さんの作成した文書が本物かどうかは感知しません。それは皆崎さんが作成した文書に関わる方々が証明するべきものではありませんか?」
「……少し、話が難しくなってきましたね」
眉を顰めて、ファン。
女性はにこりと笑った。
「皆崎さんは娘の聖華さんにギルドの全権とご自分の資産を譲渡するという旨を示した文書をここにお残しになりました。では、それは何のためでしょうか?」
「……自分にもしものことがあった場合、ギルド全体が混乱し、争いが起きると予測されていた…からですか?」
「私もそう思います。だから、ご当人の聖華さんでも、当事者であるギルドの方でもない、『公に影響力のある第三者』にご自分の希望を宣言しておく必要があった。
混乱が起こらないようにとそうされた皆崎さんが、果たして『この文書が本物であるのかどうか』ということにまで頭が回らない方でしょうか?」
「……なるほど。遺書自体に、皆崎さんご本人でしかつけられないような『しるし』をつけた…と」
「そう考えるのが妥当ではないかと思います」
「…と仰いますと?」
女性のはっきりとしない物言いに、ファンが問う。
「それが何であったのか、私にも判りません。ただ、私たちは皆崎さんがこの書類をお預けになった時に仰ったとおり、彼が亡くなられた時にこの文書を魔術師ギルドにお届けしました。
そして、ギルドの方々はこの文書を『皆崎さんの書かれたものだ』と判断し、聖華さんが今評議長になっている、ということですよね?」
「つまり…自分達に不利な遺言であるにもかかわらず、ギルドの方々が『間違いなくミナザキさんの書いた物である』と認められるだけの何かが、この文書にあった、ということですね?」
「はい。ここから先は想像でしかありませんが、魔術師ギルドの評議長様のことであれば、おそらく魔道的な何かを施したのでは…と」
「なるほど……」
魔道には詳しくないが、魔道の波形は人によって異なり、魔力感知をすればそれが誰の魔力であるのかがわかると聞いたことがある。
「……判りました。不躾に色々訊いてしまい、申し訳ありませんでした」
言って礼をするファン。女性は穏やかに笑った。
「判っていただければいいですよ。また何かありましたらおいで下さい」
「ありがとうございます」
ファンはもう一度礼をすると、町役場を後にした。

「ふう……ここはこんなところでしょう」
町役場を出てから、息をついてそう言って。
(……ヴァル)
(何だ)
自分の中の「何か」に声をかける。
(ギルドの方はどうなっていますか)
(もう卵は孵化しているようだ)
(今日はもうすることも無いですし、監視に専念できそうです。見せてください)
(判った。目を閉じろ)
ヴァルの言うままに、ファンは目を閉じた………

Innocent Interview

「ご協力ありがとうございます」
「………いや」
クボ・ヒロヤスと名乗った男は、ミケの言葉に短く答えただけだった。
ムツブ曰く、フミタカと最も付き合いの長い、一番の古株だという。無口で慎重な発言をする人物だと言っていたが、これは無口と言うより陰気なのでは、とミケはこっそり思った。
「ええと。フミタカ氏は、あなたにとってどんな人でしたか?」
ヒロヤスはたっぷり沈黙してから、ぼそりと答えた。
「…偉大な方だ。魔道の才能も理論も、私にはとても敵わない。
そして、人を惹きつける力を持っていた。ことさらに話術が巧みであるとか、社交的であると言ったことはないが…」
言葉を切って、少し考えて。
「……文隆様のなさることには、言動も行動も、一つとして無駄が無い、としか言いようが無い。人を使うことに関しても、ことさら優しげにする様子は見られぬが、何というか、人にかける言葉のツボを心得ていたのだろう。飴と鞭、とでも言うのか。睦は優しい方だと心酔しているだろうが、何の関わりもない者から見れば厳しく無愛想と映るかも知れないと、私は思う」
「なるほど……カリスマ性のある方だったんですね。けれど、どちらかと言うと温和というよりは厳しい人であったようですね。ただし、ただ厳しいだけでなく、要所要所で優しい言葉をかけるそのポイントを熟知していたと」
ヒロヤスは無言で頷いた。
ミケはインタビューを続けた。
「あなたがこのギルドで一番の古株だそうですが、フミタカさんとはどこで知り合われたんですか?」
「……マヒンダの魔道学校だ。私の先輩にあたる」
「フミタカ氏は、奥様ともそこで?」
話の矛先が変わり、ヒロヤスは少し沈黙した。
「……そうだ。レイナ殿も文隆様の後輩に当たる方だった」
「その頃からお二人にはお付き合いがあって…そして、ご結婚されてダザイフに戻られたそうですね?」
「…そうだ」
「傍目にはそれほど仲睦まじくは見えなかったと、ムツブさんも仰っていましたが…しかし、強固な心の繋がりのあるご夫婦だったようですね?」
「……そうだと思う。レイナ殿は文隆様をとても信頼しておられた。夫婦間のことまでは、私には判らないが……」
「では、では、奥方が亡くなられた時はショックだっただろうな」
千秋が言うと、ヒロヤスはいたましげに眉を寄せた。
「……懸命に気を張っておられたのが、かえって気の毒なほどだった…もともとあまり身なりに気を使う方ではなかったが、髪もざんばらに伸ばし、着物の破れも繕わぬ…まあ、レイナ殿が生前やっていたことなのだろうが…」
「では、奥様が亡くなられて以降のフミタカ氏は、髪を伸ばしておられたんですか?」
「伸ばしていたというか…手入れをしていなかったな。常に肩より長く、伸びすぎたら刃物でばさりと切る、という様子だった」
「では、例えば頬の後ろ辺りに何かがあったとしても……見えない、ですかね」
「?」
ヒロヤスは眉を寄せた。
「……頬の後ろがどうかしたのか?」
「いえ。例えば僕みたいな髪の量だったんですか?隠れたところは見えない、みたいな」
ミケの栗色の髪はとても長く、そしてだいぶ下のほうで三つ編みにされているので、例えば首の後ろなどは全く見えない。
ヒロヤスは頷いた。
「……そうだったと思う」
「わかりました。あっと、それと、フミタカ氏の得意だった魔法とか…聞いてもいいですかね。できればセイカさんも」
「得意魔法……全般的に優れていたが…しいて言うなら、火の魔法だろうか」
「火の魔法。エレメントが火だったんですか?」
「……そうだ。聖華も確か火だったと思う」
「そうですか、ちなみにあなたの得意魔法は?」
「…私か?」
ヒロヤスはまた眉を顰めた。
「……エレメントは土だ。回復や支援の魔法を得意とする」
「あっ、そうなんですか?何か実は僕もなんですよー」
本当ですか。
「エレメントは風なんですけどね。僕には誰かを攻撃するとか、そんなこと自体向いてない気がするな」
微妙に棒読みで、乾いた笑いを浮かべるミケ。
無反応のヒロヤスに、こほん、と咳ばらいをすると、表情を引き締める。
「ええと。フミタカ氏は転落事故でお亡くなりになったそうですが…」
ヒロヤスの表情が、僅かに動いた。
「彼があなた方の前で飛び降りた際、何かおかしなことや気がついたことはありませんでしたか?
例えば、事故でない…という可能性を考えた時に」
ムツブが「ギルド内でも依頼の話は出すな」と言っていたので、慎重に言葉を選ぶミケ。
「誰かが…本意でない死を選ばせるように思考を操作するのは難しいことだと思うんです。
何かスイッチがあって、それに反応させるとか…まあ、手段は限られてくると思うんですが。できる限りその直前の会話やフミタカ氏、他の人の行動なんかも、覚えていたら教えてください。その頃のフミタカ氏の様子とかも」
「………」
ヒロヤスは長い時間沈黙していた。
「………あの日は、文隆様は朝ギルドに顔を見せてから、どこかに行っておられたようだった。次にお見かけしたのが、あの事故の時だった」
「なるほど。そのとき、何か変わった様子はなかったですか?」
「……思い当たらない。文隆様はいつもあまり必要以上の事を口にされぬ」
「では、あまりいつもと変わった様子はなかったと…」
「…そう思う。自警団の方にもそうお話しした」
「……そうですか……」
ミケは俯いて黙り込んだ。

「あれは事故だった、と?とてもそのようなこと、信じる気にはなれんな」
アオヤギ・ヒロムという名の男は、苛立ちを隠そうともせずにそう言った。
ムツブによれば、ヒロヤスの次に加入した、5人の中でも古参の人間であるそうだ。フミタカに対する忠義心にも篤く、情熱的な男だと言っていたが、確かにそんな感じですね、とミケは思った。
ヒロムは続けた。
「あの日より何日か以前から、文隆様の様子はおかしかった。憔悴されていたというか……文隆様は内面をめったに面に出されぬ方だが、長年お仕えしていた私には判る。文隆様は何かに取り付かれていたのだ。魔性の力を持ったあのこむす……っ」
そこまで言って、ヒロムは急に口をつぐんでそわそわと辺りをうかがった。
なるほど、忠義心に篤いのは結構だが、そのために周りが見えなくなってしまうタイプの人間であるらしい。
「…ともかく。文隆様に何かがあったことは間違いない。でなければ、あのような素晴らしい方が、あのようにお若くしてお亡くなりになるなど…!」
気を取り直してなお詰め寄られ、ミケは多少引き気味で次の質問に移った。
「そ、そうですね……では、その辺りについてお聞かせ下さい。フミタカ氏は、どんな人でしたか?」
「素晴らしい方だったぞ。常に的確な判断で私たちを導いてくださった」
ヒロムの表情がぱっと明るくなる。
「若い者達の中には、厳しいと不平を漏らす者もいたようだがな。あやつらは、文隆様を始め我らがどのような苦労をしてこの地に魔術師ギルドを招聘したのか判っておらんのだから無理もない。甘いことをやっていたのでは目的は達せられぬのだ」
「ではやはり、厳しい方だったのだな」
千秋が言うと、ヒロムは盛大に眉を寄せて詰め寄った。
「厳しい、という一言で片付けられるのはあの方にとって侮辱だ。あの方は厳しいだけではない。厳しく我々を導き、その目的が達せられる喜びを我々に教えてくださっていたのだ。困難に打ち勝ち目的を達成した時などは、素晴らしいお褒めの言葉を頂いたものだ」
少し陶酔するように語るヒロム。
なるほど、飴と鞭を心得ていた、というヒロヤスの言葉は的を得ていたようだ。ミケはこっそり思いながら、質問の矛先を変えてみた。
「フミタカ氏は急に聖華さんを引き取られたとのことですが…その頃のフミタカ氏の様子はどうでしたか?
憔悴していたとか、何か……つけ込まれそうだったとか全然何でもない感じだったとか、何か変化があったならおねがいします」
「ううむ………」
ヒロムは腕を組んで唸った。
「……私も養女をお取りになられたという知らせを聞いて驚いたものだ。しかし、奥様を亡くされて以来、何かが乗り移ったかのように仕事に打ち込まれていた文隆様を見ていたゆえ、少しでも安らぎの時間を得られるのならそれが文隆様にとっても良いと…その時は思ったものだった……それが……くっ」
悔しげに言葉を詰まらせるヒロム。セイカのことを言っているのだろう。
「今思えば…奥様を亡くされて抜け殻のようになった文隆様に、何か悪しき力が働いたのかもしれん」
「悪しき力……そんな様子があった、ということですか?」
「憔悴されていたし、何より急にセイカを引き取るという行動自体が不自然なものだ。そうは思わんか?」
「うーん………」
ミケはそれには答えずに、眉を寄せて唸った。

「皆崎さんの転落事故の話ですか……うーん、正直あまり覚えてないんですよね」
ワラシナ・シュウという名の男は、言って苦笑して見せた。
ムツブと同時期に加入した男だという。人当たりはいいが狡猾なところがある、とムツブは言っていたが、確かに世渡りの上手そうなタイプだと思う。
「フミタカ氏は朝出勤されてからしばらく姿を見なかったということですが…」
「そうですね、いないっていうんでみんなで探してたんですよ。聖華さんがお義父さんに用があるがいないって言ってきてね」
「セイカさんが?」
「そうです、当時は皆崎さんについてギルドに来て何かしら手伝いみたいなことをしてて、業務のことでお義父さんを探してるんだけどどこにもいないっていって。
そういえば朝礼のあと姿を見てないねって話になって、僕らで探しに行こうっていうことになったんですよ。あのときはそんなに急ぎの仕事もなかったし。
そうしたら、みんなで表に出たところで聖華さんが『義父上!』って叫んで、みんなでそっち見たら皆崎さんが落ちてきて…って感じで。いやー、今思い出しても気分のいい光景じゃなかったですね。頭半分つぶれてて。人間の身体ってここんなになっちゃうんだーって」
苦笑しながら、それでもあっけらかんと喋るシュウ。ミケはそれに薄ら寒いものを感じながらも、質問を続けた。
「その前後で、何かフミタカ氏に変わった様子とかはなかったんですか?」
「特に感じなかったなあ。あの人もともと無口な人だったし。奥さんが亡くなってからああなったって聞きましたけど、僕は奥さんが亡くなってから加入したから、奥さんと一緒にいた時の皆崎さんを知らないんですよ。だから、例えば何かがあって落ち込んでたとしても、僕にはわからないと思います」
「そうなんですね。じゃあ、奥様が亡くなられた後の話で…フミタカ氏が、火事に遭ったらしいという話を聞いたのですが、何か知っていますか?……36歳頃のことだそうですが」
「火事?」
シュウは眉を顰めた。
「いや……そんなことがあったら流石に僕でも知ってると思うんですけど。聞いたことないなあ」
「火傷があったと伺ってるんですが…ご存じないですか?」
「火傷って、どこに?」
「この…頬の後ろから首にかけて。割と大きな火傷だったみたいですけど」
「本当に?ああ、でもそのあたりだと、皆崎さんいつも髪長かったから、隠れて見えなかったかもしれないですね。あるいは…それを隠すために髪を伸ばしてたとか」
「なるほど……」
確かに、孤児院の院長も髪で隠していたようだと言っていた。
「ところで、本来ギルド長になるなら、一番の古株であるクボ氏が適任かなーと思ったのですが、あなたはどう思います?まぁ、編纂にも関係ないお話になってしまいますけれど。純粋に、セイカさんがいなかったら誰になっただろうかなと思いまして」
「唐突ですね。そうだなあ」
シュウはうーんと考えた。
「久保さんは評議長って感じじゃないんじゃないかな。僕が言うのもアレですけど。って、僕が言ったって言わないで下さいよ?あの人意外に執念深いんだから。
かといって、青柳さんって感じでもないでしょ。あの人視野左右30度だし。仕事は出来ると思いますけど、人を引っ張っていけるかって言われたら、僕はあの人にはついていく気はないですね」
おそらくは彼が一番の新参なのだろうが、ずばずばと言っていくシュウ。
「かといって赤城さんもね……まだ彼女のところには行かれてないですか?」
「え、ええ、まあ」
「なんていうか、女性!っていう感じの人なんですよ。こういうこと言うとまた女性蔑視だって顔真っ赤にして怒ると思いますけど……なんていうか、私情を挟まずに物が言えないんですよね。そうなるとどうしても見方が偏るし。あの人が評議長になったら総本山から首挿げ替えられるんじゃないのかな」
そしてまた、こんなこと僕が言ったって内緒にしてくださいよ、と苦笑する。
「では……その、あなたがふさわしい、と?」
ミケが問うと、シュウは大げさに身を引いた。
「僕が?冗談よしてくださいよ。僕こそトップの器じゃないですよ。
というか、皆崎さんの仕事ぶりをその目で見ちゃったらね…自分の小ささを思い知らされますよ。この人の代わりなんて誰も出来ないんだろうなっていう。
僕なりに皆崎さんのことは尊敬してるんですよ。判断力も実行力も、カリスマ性もある。こんな田舎にギルドを招聘したのだって、彼じゃなきゃ出来なかったと思いますね。僕はせいぜい状況判断をして良い方につくくらいの事しか出来ない。それは自分でもよくわかってるつもりですよ。僕に何かを成す才はありません」
諦めたような表情で肩を竦めて。
「あえて僕たちの中から誰かを選ぶと言われたら、丹羽野さんなんじゃないのかな。行動力はある人ですよ。ちょっと思い込み激しいところもあるけど、違うよって言えば下っ端の意見でも割と見直してくれるんですよ。それが青柳さんとは違うところかな。あの人はプライド優先だから。丹羽野さんは頭もいいし、魔道の腕もそこそこだし、下を纏める力もある」
…今回、僕たちを纏めて依頼を出したようにね、と言外に言う。
「…まあでも多分、聖華さんの方が上手く纏めると思いますよ。ここだけの話」
「……ほう?」
千秋は意外そうに目を見開いた。その隣でミケも同じ表情をしている。
再び苦笑するシュウ。
「丹羽野さんには、内緒にしておいて下さいね。そもそも僕は、聖華さんが評議長をやっていることに別に不満はないんです。青柳さんや赤城さんが顔真っ赤にして愚痴るもんだからそれにつきあってるだけで。だって、よくやってるじゃないですか。あんな状態でいきなり評議長っていう立場に放り出されて、これだけやってるってすごいことですよ?下の評判も悪くないし。ただ若いってことだけがネックなだけでしょ?それは時が経てば解決することだし、僕はそんなに騒ぎ立てる必要はないんじゃないかなって思うんです」
暗に、依頼のことも無理矢理つき合わされている、ということを匂わせる。
「…もう一人、古株がいたのだろう?そいつという可能性はないのか?」
千秋がわざと言い、ミケがそちらをちらりと見やる。
シュウは苦笑を崩さない。
「佐中小路さんね。あの人はもうダメでしょ。ここには戻ってこないと思いますよ」
「何があったんですか?知ってることでいいんで聞かせてくれませんか」
「僕が聞いてるのは、倫理協議部門として誤った裁定をしたから総本山に送られて審議をすることになった、っていうことまでですね」
言って、肩を竦める。
「…でも2年前の話でしょ。正直な話、それだけでこれだけの期間、総本山で審議って…ないと思うんですよね。評議長…ああ、聖華さんのことですよ。評議長はさっきみたいに言ってたけど、僕は正直、あの人もっと重大なことやらかしたんじゃないかって思ってますよ」
「重大なこと、とは?」
千秋が訊くが、同じように白けた表情で首をかしげる。
「さあ?でもあの人、青柳さんや丹羽野さんよりずっと、聖華さんのこと嫌ってましたしね。それこそ、多少のことをしてでも排斥したいくらいに、って言っても差し支えないくらいには、尋常じゃなかったですよ。その手段を間違えちゃったんじゃないかな、と僕は思ってますけどね」
「なるほど、ね……」
シュウはまた苦笑した。
「勇気があるなら赤城さんにその辺のこと訊いて……いや、正直僕はあまりお勧めしないんですけど……絶対ろくなことにならないと思うし……」
「…お、おどかさないでくださいよ……」

「頼親は陥れられたのよ!そうに決まってるじゃない!」
甲高い声でそう叩きつけられ、ミケと千秋は彼女にこの話題を振ったことを早速後悔していた。
アカギ・カナデ。ムツブの話では、ヒロムの次に加入した唯一の女性。三十路真っ盛りといった様子の、パワフル……というより、ヒステリックな女性だ。
「お、落ち着いてください、アカギさん。陥れられたとは…一体誰に?」
「聖華とかいう魔物に決まってるわ!ああ、名前を口にするのもおぞましい!」
本当にぶるぶると震えて、カナデは言った。
「ま、魔物って…カナデさん、そんなことをここで言ったら…」
「あの小娘に聞かれたって構うもんですか!本当にこの部屋を盗聴してるとしたら、自分に何かやましいことがあるから盗み聞きしてるんでしょうからね!」
(あちゃー……)
これは、ヒロム以上に周りが見えなくなるタイプであるらしい。
あまり内部に入り込まず冷静に自分のポジションを判断していたシュウとは対照的だ。
「そ、それはともかく……サナコウジ氏の事件はどのようなものだったんでしょう?
当時、彼がこの倫理協議部門の長で、アカギさんはその下で働いていらしたんですよね?」
「そうよ。あたしたちはうまくやってたわ。でもあの一件以来、あたしは頼親に会うことも許されなくなったの…あの忌々しい小娘のせいで!」
再び怒りに身を震わせるカナデ。
「で、ですから。サナコウジ氏は、何を調べていらしたんでしょう?アカギさんも、一緒に調べていらしたんですか?」
「あたしは、頼親が持ってきたものを分析して書類に纏めていたわ。頼親は万が一のことがあったら危険だって、自分で率先して調査に当たってたの。当然よね、暗黒魔法を扱っているんだもの」
「まあ……そうですねえ」
「頼親は事件の核心部分に迫っていたと思うの。あたしに、もしかしたらこれは大事件になるかもしれない、決定的な証拠を掴むまでは話せない、けれどこれが明るみになったらこのギルドは大変なことになる…って」
「サナコウジ氏はアカギさんに重大な事件であることを告げていたんですね」
「ええ。でも、これでもしかしたら、文隆様の仇を取れるかもしれない…そうも言ってたわ」
「フミタカ氏の……仇?」
千秋が眉を顰める。
カナデはそちらの方に鋭い視線を向けた。
「決まってるわ。文隆様を篭絡して殺した、あの女狐のことよ!」
だん、とテーブルを叩いて。
「この暗黒魔法の件も、ディーシュ教会の副神官長と聖華が結託してやったことだったんだわ!
頼親は、その証拠を掴もうとしていたのよ!だからあたしにあんなことを言ったの!
なのに……!」
ぎり、と歯噛みをして。
「取調べを受け、査問にかけられたのは頼親のほうだった…!あの女狐は、自分のしたことの全てを頼親になすりつけて総本山に報告したんだわ!」
「そ、そこまでは……」
「いいえそうよ!絶対そうに違いないわ!」
ぎろり、とカナデは血走った目を二人に向けた。
「ねえお願い!あの女が諸悪の根源に違いないんだから、何とかそれを暴いて、あの悪魔を滅ぼしてちょうだい!文隆様と頼親の仇をとって!ねえ!」
肩をわしっと捕まれ、がくがくとゆすぶられて。
何故だか遠くなっていく気のする意識の中で、これはまともなインタビューは出来そうもないな、と、ミケはなんとなく絶望的な気持ちになっていた。

Innocent Neighbors

「もし、そこのご婦人方。少々よろしいか」
目当ての場所の近くで井戸端会議をしていた50がらみの女性たちに、マシュウは声をかけた。
「はいはい、何かしら?」
見知らぬ人物であるマシュウにも不審がる様子もなく、笑顔で答える女性。
マシュウは一礼すると、女性達に向かって話し始めた。
「拙者、自警団に記録係として短期の仕事を頼まれた身。このあたりに長く住む方々に少々お伺いしたき儀があるのじゃが、ご婦人方はこのあたりに暮らして長いのだろうか?」
「ああ、そうねえ、あたしは嫁いで来て20年になるかねえ」
「私は婿取ったから生まれたときからこの辺よ?」
「おお、ではちょうど良かった。実は自警団の記録で、古い記録を新しい台帳に移行する際、転記ミス等により部分的に失われた記録が在る事がわかったのじゃ。その記録の確認と補填をするために雇われておる」
「まぁ、そうなの。大変ねえ」
「私たちで出来る事があったら協力するわ」
「かたじけない」
マシュウはもう一度丁寧に礼をすると、早速質問を始めた。
「13年くらい前にこのあたりで発生した火事で、両親は死亡したが子供が焼け出された火事があるが、その詳細が知りたい」
「13年前?!」
「また昔ねえ」
「わたし最近物覚えがちょっとねえ。アラあれどこにしまったかしらなんてザラなのよあっははは」
「13年って長いわよねえ。細井さんところのお嬢さん、あの子確か13歳じゃなかった?」
「あら、あの子もうそんなに大きくなるの?!いやあねぇトシだわぁ」
「でもひとんちの子って大きくなるの早いわよぉ」
「そうなのよぉ、うちの子はいつまで経っても手がかかるのにさぁ、向こう隣の藤田さんのお嬢さん、こないだおしめ換えてたと思ったらもうお嫁に行くんだもの!びっくりだわよ!」
「えぇ?!藤田さんのお嬢さんご結婚なの?!ちょっと、相手はどなた?」
どんどんずれていく話題。
マシュウは慌てて止めに入った。
「す、済まないが、火事についてどなたかご記憶の方はいらっしゃらぬか」
「ああそうね、火事ね、火事だったわね、ええと」
話を中断されて少し不満げにしながらも、女性達はうーんと考えた。
「細井さんのお嬢さんが生まれた年でしょお…?火事なんかあったかしらねえ……」
「ご両親が亡くなって、お子さんが助かった火事…?」
思い当たらない様子で首をひねる女性達。
マシュウはふむ、と口を開いた。
「レン・クレイガーという御仁のお宅であったのだが……」
「くれいがー……あらっ?!聞き覚えがあるわ!」
「私も私も!クレイガーさん……ああっ、ここまで出てきてるんだけど!」
もどかしそうに身悶える女性達。
「………あー、思い出したわ!マヒンダから来た異人さんよ!来て1ヶ月くらいで火事になって、奥様と一緒に亡くなられたんだったわぁ」
「ああ!あの異人さんね!結構かっこよかったのに火事で死んじゃって、悲しかったわぁ」
思い出したら思い出したで、身悶える女性達。
「あらでも妻子もちでしょ?」
「何言ってんのよアンタはすぐそっちのほうに話を持ってって!奥さんと子供がいようが、いい男はいい男なの!愛でてもいいのよ!」
「そうよそうよ!奥さんも気立てがよくていい人でねぇ、旦那さんが異人さんだっていうんで、新しく越してきたこの土地と少しでも上手くやっていこうっていろいろやってたのよ。惜しい人を亡くしたわぁ」
「ふむ。当時の様子はどのようであったのか?出火場所や火の手の勢いなどは?」
マシュウが重ねて質問すると、女性達はまたうーんと唸った。
「あの時、確か夜だったのよねえ。旦那が火事だーっていうんで飛び起きてさ、見に行ったらもうすごい燃えてるの!お隣さんに燃え移らないようにするので精一杯よ!」
「あれは気の毒だったわよねー」
「出火場所って…あたしら自警団でも放火魔でもないんだから出火場所なんか知らないわよ、やぁねえ」
けらけらと笑いながらマシュウをどつく女性。
「そ、そうじゃな。…む、その火事は放火であったのか?」
「さあ?あたしたちは知らないわねえ。自警団じゃないし」
「そうか、そうじゃな。では、その家族のことについてお聞きしたい…奥方とお子の名前や年齢はご存知か?」
「奥さんの名前…名前ねえ…」
「……あーっ、ここまで出てきてるんだけど!」
「最近ホント物忘れが酷くてねえ。こないだも二階まで上がってきて、アラ私なんで二階に来たんだっけ?なんていってもう!」
「あー、それあるある!買い物から帰ってきて、ああこれも買うつもりだったんだって思い出すのよー!」
「そうそう!年は取りたくないわよねえ」
また盛大に脱線していく話。
マシュウは眉間に皺を寄せつつ、また話に割って入る。
「失礼。奥方とお子は、アイミ殿とセイカ殿という名ではなかっただろうか?」
「あっ!そうよそうそう、愛美さんと聖華ちゃん!」
「やぁねえあんたも知ってるんなら何でわざわざ訊くのよもう!」
再びばしばしとマシュウを叩く女性。
「い、いや、記録の欠損が酷くてな、不確定なものが多いのじゃ」
マシュウは困ったような表情で何とか言いつくろう。
しかし、考えてみれば13年も前の、それほど親しくもなかった家族の名前や年齢など、うろ覚えでも仕方があるまい。話を聞くに、異国の人間であってもそれほど排斥されていた様子はないようだったが。片方がナノクニ人だったからだろうか。
「先ほどの話では、引っ越されてひと月ほどで火事に見舞われたとのことじゃったが。
そもそも、どちらよりの引越しであったのだろうか?」
「旦那さんはマヒンダの人だって言ってたから、マヒンダなんじゃないの?」
「あら、でも奥さんはナノクニの人でしょ?」
「あたし知ってるわ!旦那さんがナノクニに来て奥さんと結婚して、それでダザイフに移り住んだんですってよ!」
「あらよく知ってるわね」
「そんな話をしたのをちょっと思い出したのよ。ほら、ウチの旦那もよそから来たからさ?よそっつっても、マヒンダほどよそじゃないけどぉ?」
「あらでもアンタんとこはゴショ育ちの出世頭じゃないの!」
「嫌ねえ、ゴショからダザイフに飛ばされた時点でもう出世の道からは外されてるってことなのよ」
「ずいぶん引越しを繰り返されているようじゃが!」
また脱線していく話を無理矢理戻すマシュウ。
「そもそもクレイガー殿は、何故マヒンダからナノクニに来たのじゃろうか?そして、奥方とお子を設けられてもなお、ダザイフに引っ越して来られている。ひとつところに落ち着けぬご職業なのだろうか?」
「ご主人は、何て言ったかしら?職人さんみたいな話を聞いたけど、よく覚えてないわぁ。でも、奥さんの話だと、ナノクニに来てからもいくつか町を移り住んだみたいよ?」
「ほほう?」
興味深げにマシュウが促すと、女性はうーんと考えながら続けた。
「詳しくは言ってなかったけど……誰かを、探してた、とか言ってたかなぁ…」
「……誰かを探していた……?」
「うん、ホントに詳しくは訊いてないのよ?でも、何かその話し方が、なに?親の仇のことでも話してるのかってくらい、なんかちょっと……憎らしそうだったの。奥さんがそんな風になっちゃうんだから、旦那さんは相当なんじゃないかって思ったわぁ。なんせ、奥さん子供つれて何回も引っ越すくらい、ずーっと追いかけてるわけでしょ?それを奥さんも理解してたってことは、やっぱ親の仇とかだったんじゃないかしらねぇ…と思って、あたしも詳しくは訊かなかったんだけどさ?」
「なるほど。転居してこられたのであれば、あまり来客などもなかったのだろうか?」
「そうねえ、奥さんはさっきも言ったとおり、なつっこい人でねえ。よくあたしたちとも話してくれてたけど、旦那さんは出かけてばっかりで、町で見かけないお客が来たとかいうこともなかったわねえ」
「っていうかさあ、そんなことまで自警団の記録に書くの?」
別の女性が、胡乱そうにマシュウのほうを見る。
「いやいや、記録には家族のことと、火事のことのみを書くが。純粋に好奇心でな。
おお、それから、その跡地が今どうなっているのかも確認するのじゃった」
慌てて言いつくろうマシュウ。
女性は片眉を寄せながら、それでも答えた。
「どれどれ、ちょっと番地を見せてごらん……ああ、そうそう、ここだったわね。今は別の家が建ってるけど、空き家のはずよ。やっぱりどこからか、火事で夫婦が死んだなんていう話は漏れるものなのかしらねぇ…」
「そういえば、5丁目の田中さん!今度新しいお家を買うなんて話してたのよぉ!」
そしてまた盛大にずれていく話を尻目に、マシュウはふむ、と考え込んだ。

Innocent Priest

「何度もすみません、テオドールさん」
「いえいえ、わたくしでお役に立てることでしたら何なりと」
ディーシュ教会の神官長は、再び現れたクルムに向かって優しく微笑みかけた。
「昨日はフミタカさんのお話をお聞かせいただいてとても助かりました。
これは、昨日お聞きしたことと、編纂スタッフの仲間が他で取材してきた記事をまとめたものです」
言って、昨日ミケと共に纏めたレポートを差し出す。
「そうですか、ご苦労様です。本当にフミタカさんが御本になるのですね、嬉しい限りです」
ニコニコとそれを見るテオドール。
クルムは苦笑して、続けた。
「それで、集まった記事に目を通していましたら、テオドールさんにお聞きしたい項目が出てきました。またいくつか、質問させていただいて良いでしょうか」
「ええ、どうぞ、何なりと」
笑顔のまま頷くテオドール。
クルムは別のレポート用紙に目をやると、纏めておいた質問事項を順に話し始めた。
「ミナザキさん…ええとフミタカさんには若くして亡くなられた奥さんがいらしたそうですね。
奥さんはどんな方でしたか?」
「レイナさんですね、覚えています」
頷きながら、テオドールは言った。
「マヒンダの方であったようですね。フミタカさんがマヒンダへ留学した際に知り合われて、向こうで結婚されてこちらへ戻ってきたとか。おっとりとしていましたが芯の強い、素敵な女性でしたよ」
「奥さんを亡くされた時、フミタカさんはギルド創設のために奮闘し忙しくされていたと聞きました。
さぞお嘆きになったことでしょうね…当時のフミタカさんの様子は…覚えていらっしゃいますか?」
「いたましいことです」
テオドールは悲しそうに目を伏せた。
「フミタカさんは真面目な方でしたし…彼を慕って多くの人々がギルド招聘のために動いていましたから、ここで自分が弱さを見せては皆の士気に関わる、と思われたのでしょうね。表面上は平静を装っていらして、痛々しいほどでした。きちんと整えておられた髪もぼさぼさに伸ばされて…まさに鬼気迫る、といった様子でした。それでも、レイナさんの死を良い方向に変えたフミタカさんはとても心のお強い人であったと思いますよ」
「そうですね……魔術士ギルドでのフミタカさんは、仕事に対し厳格で、業務に私事を持ち込まず、めったに笑顔を見せることは無い方だったそうですが、テオドールさんとお会いしている時は、どんな感じでしたか?」
「あの方は、不器用な方なのですよ」
テオドールは苦笑した。
「本当はお優しいのに、それを表面に出されるのが苦手なのでしょう。それでも、優しさは言葉や笑顔だけで伝わるものではありませんからね。わたくしやレイナさんは、彼の本当の優しさを理解していたと思いますよ」
「では、テオドールさんの前でも、あまり笑顔を見せたりするようなことは…」
「わたくしのように四六時中笑顔でいるタイプの方ではなかったのは確かですよ。笑顔は確かに見せてくださることはありましたが。彼は、相手に実質的な利益をもたらすことが優しさだと思っていたのではないでしょうか。ですから、わたくしもそれが彼の優しさだと受け取っていましたよ」
「実質的な利益……」
「誰かが泣いていたとしたら、話をお聞きしてお慰めするのがわたくしの優しさ…だとするならば、その泣いている原因を突き止めて取り除く、のが彼の信条とする優しさなのです。わたくしはそれをよくわかっておりましたし、それは素晴らしいことであると思っていますよ」
「なるほど……」
「レイナさんが亡くなられた時も、フミタカさんはとても自分を責めておられました。めったに飲まれないお酒をお召しになり、彼女が死んだのは私のせいだ、と何度も繰り返されていました。わたくしはそのようなことはないとお慰めしたのですが…」
「責任感の強い、優しい方だったんですね」
「はい。本当に良い方だったんですよ…」
少し瞳を潤ませて、テオドール。
クルムは再びレポートに目をやった。
「…そういえば、フミタカさんには、右頬の後ろ辺りに大きな火傷の跡のようなものがあったとのことですが、その火傷について、テオドールさんは何かご存知ですか?」
「火傷?」
テオドールはきょとんとした。
「さあ……覚えがありませんね?右頬の後ろ…ですか?」
「はい。このあたりだと思うんですけど…」
自分で右耳の下あたりをさすって示して見せるクルム。
テオドールはうーんと唸った。
「いや……覚えがないですねえ。そのようなところに火傷の跡があったらわかると思うのですが…わたくしと出会った頃は、フミタカさんは髪を短く整えておられましたし」
「では、その後におった火傷なのでしょうか?」
「そうかもしれませんね。その後、先ほども申し上げましたようにフミタカさんは髪を伸ばされていたので、もしそのあたりに何かあったとしても目立たなかったと思います。とりあえず、わたくしに覚えはありません、申し訳ありません」
「い、いえ、そんな謝るような事じゃ」
クルムは慌てて首を振った。
そうして、レポート用紙にもう質問事項がないことを確認すると、言いにくそうに切り出す。
「あの……これは、伝記の取材ではないんですが…昨日、お話を伺って気になったもので…少しお聞きして良いですか?」
「はい、なんでしょうか?」
笑顔で答えるテオドール。
クルムはなおも言いにくそうに、続けた。
「昨日…ギルドと教会の間でトラブルがあった、と仰っていましたね。
差し支えなければ…お聞かせ願えないでしょうか?」
テオドールの表情が硬くなる。
クルムは構わず続けた。
「他に取材に行く時に余計な事を聞いたり、言ってしまわないように、知っておければ、と思いまして…もちろん、テオドールさんがお辛いようでしたら、無理にとは言いませんが…」
「そうですね……この伝記を編纂されるのは、魔術師ギルドの方々ですからね」
テオドールは苦笑した。
「ことの起こりは、魔術師ギルドが技術供与を打ち切ることにした、という報告があったことなんですよ」
「技術供与……」
ムツブから聞いてはいるのだが、初めて聞いたというように繰り返してみせる。
テオドールは頷いた。
「これも、ここだけのお話にしておいて下さいね。
現在もそうなのですが…教会と魔術師ギルドは、表面上はそうでなくても深い繋がりがあります。回復や解毒、そして軽い攻撃などの魔道の技術を、教会がギルドから買っている形になるんですね。教会としてはわかりやすい『奇跡』を起こせる魔道の技術は欲しい。魔術師ギルドにとってはいいお客様です。ですが、そのようなことはあまりおおっぴらにして良いことでもないでしょう」
「まあ…そうですよね」
神官には高潔であって欲しいものだ。考えてみれば当たり前の話なのだが、『奇跡』を金で買ったなどという話は暗黙の約束にしておきたいのだろう。
「フミタカさんのご縁もあって、当教会もギルドから技術の供与を受けていました。しかし、その供与が突然打ち切られるということになってしまったのです。
わたくしたちは何度もギルドに説明を求めましたが、ギルドの対応はけんもほろろといった様子でした。しかし、調査の結果、その事実は全くの偽りであることがわかったのです」
「偽り…?」
テオドールは沈鬱な表情で頷いた。
「…ギルドの調査では、当教会が邪悪な暗黒魔法を用いて運営をしているという結論が出た、ということでした。しかし、わたくしに報告した者は、それを隠してわたくしに伝えたのです。
そして、その者こそが、暗黒魔法の技術を得、当教会を邪悪な術で染めようとした張本人であったのです」
「暗黒魔法だなんて……何故そんなことを」
「その者は、当時この教会の副神官長を務めておりました。ギルドの調査がわたくしに及び…わたくしの首が飛ぶことを、望んだのだと思います」
「そんな………」
「その後、わたくしたちにかけられていた疑いは晴れ、教会は元の通り、ギルドから技術供与を受けられるようになりました。
ギルドの方でもこの件でどなたかが処罰を受けたと聞き及んでいます。
わたくしは……他ならぬフミタカさんの娘さんであるセイカさんに、このようなご迷惑をかけてしまって…本当に申し訳ないと思っております。わたくしどもの身内から出た不祥事にギルドを巻き込んだ形になってしまい……セイカさんには、合わせる顔がありません」
「そんな……」
クルムは申し訳なさそうにしながらも、テオドールが昨日言っていた言葉の意味をようやく理解していた。
「そう…だったんですか。そんな事件があったのですか…
セイカさんとはフミタカさんと同じような付き合いは出来ない、とテオドールさんがおっしゃったのは、セイカさんに問題があるからということではなく、その件で責任を感じられて…セイカさんに悪いと思われてのことだったのですね」
「セイカさんに問題があるなどと、とんでもない。この件を再調査し、解決に導いてくださったのは他ならぬセイカさんなのです。ありがたいと思いこそすれ、悪く思うなどもってのほかです」
「そうですか…」
クルムは少し安心したように微笑んだ。
それから、再び申し訳なさそうに頭を下げる。
「お辛いことを無理やりお聞きしてしまいました。本当に申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お気になさらず。雇われの身では、色々と気を使わなければならないこともありましょう。フミタカさんの伝記、楽しみにしていますよ」
「はい、ありがとうございます、頑張ります」
クルムは笑顔でテオドールと握手をすると、教会を後にした。

Innocent Precipice

「ここが…その崖ですね」
一方、暮葉とジルは転落事故の現場である魔術師ギルド側の崖まで足を運んでいた。
「結構……高いね」
「そうですね…下から見るとそうでもなさそうに見えますが…結構高く見えますね」
「落ちたら…これは、死にそうだけど……別に防護柵みたいなのはないんだね」
「ここ自体、あまり人の来ない場所であるようですしね。ここまで来るのに結構山道を登りましたし」
「そうだね…わざわざこんなところに来る人はいない、か……」
ジルはもう一度、崖の側から魔術師ギルドを見下ろした。
「目撃者の位置っていうのは…魔術師ギルドの入り口付近ってことだよね」
「そう書いてありましたね。ここからもよく見えるということは、向こうからもここがよく見えそうです」
「でも……ちょっとこっちに寄っちゃったら、何をしてるかまではわからなそう、だよね……」
崖自体はかなり切り立った危険な形をしていて、下から見上げたら落ちる瞬間しか見えないのではないかと思えた。
「目撃者の位置に立ってみたいけど…」
「流石にギルドに近づくのは辞めたほうが良いかもしれませんね。睦さまからもそのようにお達しがありましたし」
「……そうだね……」
ジルは自警団で見てきた調査結果の写しに目をやった。
「当時と…そんなには変わってないみたいだね。地形も…」
「あまり人の手は入っていないようですね」
暮葉が言い、ぐるりとあたりを見渡す。
崖周辺は草もあまり生えておらず、地面がむき出しになっている。しかし、5歩も手前に歩けば草が茂り、さらに後方には森が広がっている。見通しは悪く、当時雨だったことも考えると、目撃地点からこのあたりの様子を見るのはほぼ不可能に近いのではないかと思われた。
「ふぅ……当時もあまり手がかりは見つからなかったみたいだし、まして4年も経ってるんじゃ手がかりは見つけられそうもないね……」
「そうですね……」
暮葉は同意して、ジルのほうをちらりと見た。
「あの、聞きたいことがあるんですけど…いいですか?」
「?」
唐突な暮葉の言葉に、眉を寄せるジル。
「………何?」
「コンドルとはどうやって知り合ったんですか?」
「……コンドル?」
ここにはいない仲間の名が唐突に出て、眉を顰めるジル。
「……少し前、ちょっとしたトラブルに巻き込まれたときに偶然居合わせて、助けてもらった。……それが、どうかした?」
「そう…なんですか」
暮葉は安心したように微笑んで、それから苦笑した。
「突然ごめんなさい、あの子あまり活発な子じゃないでしょ?ジルさんみたいな頼り甲斐のあるお姉さんとよく知り合えたなぁと思って」
「……ほんの偶然。それに私は、決して頼れるお姉さんなんかじゃない。お姉さんとしても人としても、私なんかより暮葉の方がずっと立派だよ」
自嘲気味に眉を寄せるジル。まだ昨日の失敗のことを気にしているのだろうか。
暮葉は話の矛先を変えようと、別のことを訊ねた。
「あの…コンドルから家族の話を聞いたことはありませんか?」
「…家族?」
また唐突な単語に首をひねるジル。
「……お兄さんがいるって。それだけ」
「そう…なんですか」
暮葉は複雑な表情を作って、それからにこりと微笑んだ。
「シェ……コンドルは、小さいのにがんばりすぎちゃうので…危なっかしくなったら手を差し延べてあげてください」
「……コンドルのこと、大切に思ってるんだね」
「えっ……」
ジルは相変わらずの無表情で、淡々と続けた。
「コンドル、人と打ち解けるのは苦手みたいだから……だから、暮葉はコンドルのこと、大事にしてあげて」
「………」
沈黙する暮葉。
じっと暮葉を見上げるジル。
やがて、暮葉がふっと微笑む。
「そう……ですね。ありがとうございます、ジルさん」
そして、また唐突に両手を合わせて、違う質問をする。
「あと一つ、失礼なこと聞いちゃうんですけど…」
「……何?」
「ジルさんって、小猫ですか?小犬ですか?」
やはり唐突な質問。
ジルは少し沈黙して、ぼそりと答えた。
「………ライオン」
「えっ」
「……見たままだよ」
「まあ……可愛らしい獣王さんですね」
再びにこりと微笑む暮葉。
ジルは無言のまま、ふい、と顔を逸らした。
照れているのだろうか。
「………あ、あの、ジルさ」
「あれ」
「えっ」
ジルが顔を逸らした視線の先には、魔術師ギルドの入り口が見えた。
「あそこで騒いでるの……リウジェじゃない?」
「えっ………あら、本当ですね」
二人はその様子を少しでもよく見ようと、目を凝らした……

Innocent Eyes

「アポ?んなもんねぇよ面倒臭ェ!いいから会わせろっつってんだ!こいつも会うんだろ?!丁度良いから目になってもらってんだよ!」
傍らのコンドルの頭をわしわしと掴んで、受付嬢に詰め寄っているリウジェ。
受付嬢はあからさまに慌てて対応している。
「で、ですからこの方は、前々からのお約束のある方で……それに、その犬は…あの、使い魔…ですか?」
「使い魔?!ンなわけわかんねェモンと音紡を一緒にすんな!」
「そ、そうは言いましてもここは魔術師ギルドですし…あの、使い魔でないのでしたら、ペットのお連れ込みはご遠慮いただいて…」
「いー加減にしろ音紡は意地でも入れるからな!」
「そ、そのようなことを仰られましても…」
「あ、あの、あの……」
二人を困ったように見比べながら何も言えずにいるコンドル。リウジェと知り合いであるということも口に出せず、これがリウジェの『何か考えた』結論なのかとなんとなく絶望的な気分になってみる。
「…何の騒ぎだ」
「評議長!」
騒ぎに集まっていたギルドの職員やその場に居合わせた魔道士たちが、受付嬢の言葉と共にざわりと動く。
さっと道を空けられたその奥からやってきたのは、セイカ本人だった。
「あの、この方が、インタビュアーの方と一緒にギルド長への面会を希望しておりまして……」
受付上が困ったようにリウジェを指し示す。
「面会?」
セイカはごく僅かに眉を寄せた。
相変わらず瞳を閉じたままの顔をまっすぐにリウジェのほうに向けて。
「……ぬしも伝記の編纂の手伝いか?」
「伝記?いや俺別に関係ねェし。こいつは何かちょうどいい感じだったから引っ張ってきただけだ。いちいち『心眼について聞きたいから会え』って言われるの面倒だろ?」
リウジェはコンドルを小突きながら言葉を返す。
「……心眼?」
「あァ。心眼について調べてる。見ての通りだ、他の感覚でフォローしちゃいるが、限界がある。普段はこいつがいなきゃちょっと危うい……って、見えてんのか?」
こいつ、とインファンを指差して言葉を紡ぎ、続きをセイカに投げる。
セイカは目を閉じたまま淡々と答えた。
「ぬしが目に布を巻きつけているのは判る」
「そうか。ま、本気出せば俺一人でも十分やってけるけどな!つまり、あったらいいよなーって事だ。あんた、心眼ってのを持ってるんだろ?そのことについて話を聞きたい」
「心眼はナノクニに伝統的に伝わる技術だ。文献や修行場は少し調べればあるが……」
ふい、と顔を逸らしてから、またリウジェのほうを向いて。
「…その目では調べにくかろう。それに、このようなところで無闇矢鱈に騒がれても迷惑だ。
コンドル殿の質問の後でいいなら、話を聞こう。一緒について来い」
言って、返事も待たずに踵を返し、もと来た奥へと歩いていく。
「あ、あの、評議長、犬は!」
「聞いたとおりだ。目の効かぬ者の目となっている犬を引き離すわけにも行くまい。盲導犬であるのならば、暴れたり粗相をすることもなかろう。私が許可する。入れ」
慌てた受付嬢の言葉に、足を止めて答え、再び歩き出す。
コンドルとリウジェは人垣の中を、その後について歩いていった。

「では、質問を聞こう」
昨日と同じ部屋に通され、コンドルは再びセイカの向かい側に座った。
今日は先導して質問してくれるミケはいない。コンドルは少し慌てた様子で、預かってきた紙を出した。
「えと、ギルドの設立初期から関わっている方は、こ、今回ボク達を雇ってくださったムツブさん、ヒロヤスさん、シュウさん、ヒロムさん、カナデさんの5人の他にもう一人いると聞いたのですが、そ、その今はいない方も含めた6人の方達はどういう方なのかを聞かせていただいてもいいでしょうか?」
セイカは黙って眉を寄せた。
「……ぬしたちを雇ったのは丹羽野一人だと聞いているが…他の者達も関わっているのか?」
「え、あ、え」
そういえばそういう設定になっていたのだった。コンドルは慌てて言い繕う。
「あ、ご、ごめんなさい、む、ムツブさんから聞いた話を、ご、誤解しちゃったみたいです……あ、あの、でも、設立に関わった方は、フミタカさんの他には6人、なんですよね?」
セイカの眉間の皺は取れない。
「……父上の伝記を編纂するのではないのか?何故その者達のことを訊く?」
「えっ……えっ……っと……」
コンドルは再びそわそわと、セイカと紙を交互に見た。
「あ、あの、えっと……あっ、そう、フミタカさんがギルドを設立するのに、影で支えた人たちのことにも、えっと、スポットをあてようと、お、思って……」
「……そうか」
「え、と、初期からいる6人の方達に対し、ギルド長としての見解と、セイカさん個人が6人をどう思っているかを教えていただいてもいいですか?」
さらにコンドルが言うと、セイカは首を振った。
「私個人が仕事以外のことで口を差し挟む権利などないと思っている。義父上の伝記に載せるべき事でもあるまい。それに答えるのは控えさせてもらおう」
「そ、そうですか……で、では、ギルド長としてだけでも…」
「……そうだな」
セイカは僅かに顔を逸らし、考えた。
「……久保宏泰。魔道書管理部門の長だ。義父上と最も古くからの付き合いであったと聞いている。勤勉実直で、仕事も速い。無駄口も叩かぬ。有能な男だと思う。
青柳大夢。遠隔通信機器部門の長だ。仕事に対する意欲はあるが、少し我が強いところがあり、部下に対しても横柄に振舞う。
赤城奏。倫理協議部門の長だ。感情的になることが多く、何がしかの制御を必要とする。
丹羽野睦。登録管理部門の長だ。人を使うということの才に長けている。感情を押さえる冷静さも持っている。
藁科秀。人事部門の長だ。状況を見定め、最良の選択が出来る。謙遜をしているようだが」
「な、なるほど……あ、えと、あと一人…い、いらっしゃるんですよね……?」
コンドルが言うと、セイカはまた僅かに眉を寄せた。
「その者は今はここにはいないが…義父上を支えたのは確かだな。
佐中小路頼親…かつて、倫理協議部門を任されていた男だった。仕事は有能だったが、感情的になりやすい面もあった」
「い、今はどちらにいらっしゃるのですか?その方のお話も、よ、よければ聞かせていただきたいです……」
「……それを義父上の伝記に記すのは不適当であろうと思う」
「そ、そうですか……」
しゅん、とうなだれるコンドル。
しかし、めげずにメモを見ると、さらに質問を続ける。
「え、と、過去に教会との間でトラブルがあったという話を耳にしたのですが、それについてお話を聞かせていただけないでしょうか?」
セイカはまた僅かに眉を寄せた。
「……教会とは、ディーシュ教会のことだろうか?」
「あ、は、はい、そうです」
「それは、義父上亡き後に起きたもの。義父上とはなんら関わりのないことだ。やはり伝記に記すのは不適当であろう」
「そ、そうなんですね……」
またもコンドルはしゅんと肩を落とした。
「先ほどから父上の伝記に関係のないことばかりを訊いているように思えるが…」
「あっ、あのっ、そ、そんなことは、ないとっ、えっと、そ、そうだ、あのっ」
あからさまに動揺するコンドル。
リウジェは助け舟を出すわけにもいかず、傍らでじっとそのやり取りを聞いている。
コンドルはやっとのことでセイカに言った。
「あ、あのっ、ふ、フミタカさんの、日記とかっ、えっと、あ、ありませんか?」
「……日記?義父上の?」
ようやく本来の目的にたどり着いたところで、ふぅ、と息を吐いて落ち着くコンドル。
「は、はい。……ギルドを運営していく上で悩みなどあったと思うんですけど、そ、それを日記などから知って、是非伝記を作る上で見せていただきたいのですが……」
「ふむ。それらしき物なら、家にある。取ってこさせよう」
「あ、あのっ」
手を上げて何かをしようとしたセイカを制し、コンドルは続けた。
「そ、それと、も、もうひとつ……フミタカさんの自宅の方にもお邪魔させて頂けませんか?や、やっぱり、伝記を作る上で中の様子なども見ておきたいですし……」
「構わぬ。もうすぐ勤務時間も終わる。ぬしが良ければ案内しよう」
「ほ、ホントですか。ありがとうございます」
コンドルはふわりと微笑んだ。
「では、話の続きがあれば家で聞くとして…」
セイカはすい、とリウジェのほうに視線を移した。
「ぬしの話を聞こう。心眼の事について調べていると言っていたな」
リウジェは頷いて口を開いた。
「あァ。だが、そっちのちっちゃいのがあんたの家に行くってんなら俺も行かせてもらうぜ。
あんたの家も見てみたい。話はそこでしよう。いいだろ?」
「……構わぬが……」
セイカは僅かに首をかしげた。
「…では、みなに今日は帰ると伝えよう。少し待っていろ」
言って立ち上がると、セイカは評議長室を後にした。

Innocent Diary

「…これが義父上の日記だ」
セイカの家の居間に通されたコンドルは、セイカが持ってきた本を受け取って、あ、ありがとうございますと頭を下げた。
本当は日記を探すことを口実にフミタカの部屋を調べたかったのだが…あとで中を見せてくれとでも言えばいいだろう。コンドルはひとまず、日記を開いた。
中は日記というか、日々のメモ書きのように思えた。不要なことは口にしない人物であったらしいが、日記に書いてあることもごくシンプルだ。仕事の経過などが淡々と書かれている。これは、本当に伝記を書くのならばいい資料になることだろう。
(………あ、ヴォルガさんの言ってたのはこれかな……)
セイカの魔道能力についての記述を見つける。ということは、これはセイカを引き取った後のものだということだ。
ほとんど一言の日記で、日付を見る限り毎日着けているという風でも無さそうだ。これならば、セイカを引き取った当時のものや、亡くなる前のものもこの1冊の中に納まっているかもしれない。
コンドルははらはらとページをめくった。ほとんどが仕事に関するものだ。
(……あれ)
その中で、他のものと雰囲気の違う文面を見つけた。何年のものかはわからない。が、先ほどのセイカの記述よりはかなりさかのぼっている。

『ガルダスの第31日
もはや宿命としか思えない。
追って追ってたどり着いた先でこのような最期を遂げるとは。
私に出来ることは、生きることなのか、それとも死ぬことなのか。
冥福をお祈りする。』

(……ほ、他にはないのかな……)
コンドルは今度は逆方向にページをめくっていった。先ほどのページも越え、時折現れるセイカの記述も超えて、日記が書かれている一番最後のページにたどり着く。

『ディーシュの第19日
ようやく目を逸らすことを辞める決意をした。
正面から見据え、罪を償う。
どのような罰が待っていようとも。』

(こ………これ………)
コンドルは静かに目を丸くした。

日記を調べているコンドルの横で、セイカはリウジェに話を聞いていた。
「……それで?心眼のことを調べていると言ったな?」
リウジェは頷いて答えた。
「あァ。あんたの事はある程度調べさせてもらった。あんたの眼はまだ生きてるんだろ?じゃあ何でその眼を閉じる?眼で見る必要がねェってことは、他で補ってるってことだよな?耳か?」
「あえて言うならば、心の目だ。そのままだな」
「心の目…?」
リウジェが眉を寄せて言い、セイカは頷いた。
「生きているものには、微弱だがその者特有の目に見えぬ波が存在する。オーラ、とでも言うのか。
同様に、生きていないものからもその存在を示す波が出ているのだ。
心眼とは、その波を感じ取る技術。ナノクニに古来より伝わる伝統的なものだ。
その波は目には見えぬ。目を開き、大きな刺激に慣れてしまうと見えぬものなのだ。ゆえに、視覚から刺激を得ることを断っている。それだけだ」
「……なンだかわかるようなわからねェような話だな……」
リウジェは頭をがしがしと掻いた。
「あんたは会った感じ……ああ、俺だってある程度分かるんだよ。あんたの髪の色まではわかんねェけどな。とにかく、会った感じ、人間だよな?獣人でも魔物でもないと思う。ぶっちゃけ、ただの人間が視覚を補うなんてのは相当の努力が要るはずだ。何か修行かしてたのか?」
「伝統的な技術ゆえ、専門の機関で相応の修行をする。私は素質があったのか、比較的短期間で身についたようだ」
「そうか、そういう場所があるんだな」
「ああ。必要ならば紹介もするが……正直に言えば、ぬしに身につけるのは無理だと思う」
「ンだと?」
リウジェの眉が上がる。
「なんだってそんなことが言い切れるんだ?
あんたのことは調べさせて貰ったって言ったよな?ぶっちゃけて言うが、あんたと俺は境遇が似てる。孤児だったのをいきなり拾われて、あれこれやらされて知らねェうちに才能?開花とかなんとか。そのあんたが心眼を身につけることが出来て、何故俺に出来ねえと思う?あんたにあって俺にないものは何だ?」
「簡単に言えば、落ち着き、だ」
「はァ?」
淡々としたセイカの答えに、眉を寄せるリウジェ。
「それだ。許しの得られていない場所に名乗りも上げずにずかずかと入り込み、相手の都合も考えずに、さりとて自分の都合を説明することすらせずに、ただ自分の欲求だけをぶつけ、受け入れられなければ暴れ騒ぎ立てる。そのような性根でいる限り、心眼を身につけるのは無理だと言っている」
「てめェ……」
ぎり、と歯噛みするリウジェ。
セイカはなおも続けた。
「心眼を身につけるとは、悟りを開くのと似ている。世界と己を同等に感じ、あるがままの世界を、あるがままの己を受け入れること。己も世界も受け入れられず、ただ当り散らしているだけのぬしには身につけることは出来ぬ。
なにより、心眼でものを見るには精神の安定を要する。そのように心が千々に乱れていては、たとえ技術を身につけたところで見えるものも見えるまい」
「っるせえ!さっきからわけわかんねえことぐだぐだ言いやがって!世界を受け入れろだァ?!ンなことが出来るお前の方がどうかしてるぜ!
いきなり見も知らねェおっさんがお前のこと引き取るとか言ってきたんだぞ?!違和感とか、不安とか、感じるのが当然じゃねえか!」
「…………義父上のことを言っているのか?」
「ほかにどう聞こえるってんだよ!聞きゃ、かなりあっさり話がまとまったらしいじゃねェか。結構異例だったはずだ。会ったことも話したこともねェおっさんに、いきなり指名されて引き取られることに、不安がなかったのかよ?」
「……判らぬ」
「はァ?」
セイカの答えに、リウジェは再び眉を寄せた。
「不安を感じるのならば、孤児院にいたときと大して変わらぬ。これから自分がどうなっていくのか、全く見えることのない生活は孤児院とて同じだ。何の差がある?私を選んでくださった義父上に感謝しこそすれ、怪しみ不安に思うなどもっての外だ」
「けっ、それが世界を受け入れるってことかよ。ご高説痛み入るねぇ」
リウジェは肩を竦めた。
「ていうか、よく『魔法やれ』って言われてすぐに順応したな?俺なんかもうガラス割るわ机ぶっ壊すわ……ああいや何でもねェ!疑問とかなかったのか?」
「魔道はかねてより興味を持っていた。私の引取り手が魔術師ギルドの評議長だと知った時に、魔道を教えて頂けたらと思っていた。義父上に申し出ると、喜んで教えてくださった。それだけのことだ」
「……けっ!あーもういい!ちっと家ン中見せろ!」
リウジェは荒々しく言うと、立ち上がった。
セイカが何かを言う前に、彼女を見下ろす。
「見えないだろとかそういう細かいツッコミするんじゃねェよ他に言いようがねェだろうが!
自慢だが俺ァ勘がいいンだ、何か感じるもんがあるかも知れねェ。あーついでだ、お前もついて来い!」
「えっ、え、え?」
傍らで日記をむさぼり読んでいたコンドルの首根っこを掴んで引っ張り上げて。
「俺は見えてねェが、お前なら何か見えるもんもあるかも知れねェだろ?隅から隅まで角のたたねェ程度に調べてみてくれよ。俺も出来る限りはやるからさ」
「あ、あの、あの……」
困ったようにセイカとリウジェを交互に見るコンドル。
セイカは嘆息した。
「……ぬしに家捜しをされる道理はないが…コンドル殿のついででいいと言うならば見るがいい。
どうせ何もない家だがな」
「あっ…あ、ありがとうございます……」
コンドルはリウジェに引っつかまれたままセイカに礼を言った。

「ほ、本当にシンプルなお部屋なんですね……」
「飾り立てるのはあまり好かぬ。義父上もそうであった」
きょろきょろとあたりを見回すコンドルに、入り口からセイカが答える。
コンドルは振り返ると、セイカに言った。
「あ、あの、ふ、フミタカさんが使っていた部屋は……」
「こちらだ」
セイカの先導で、隣の部屋へと足を踏み入れるコンドルとリウジェ。
おそらくこれがヴォルガの言っていた私室だろう。整然と整えられた部屋の奥には、言っていた姿見がある。
「こ、このお部屋は、今は……」
「誰も使っておらぬ。私の部屋は一つで充分なのでな。義父上の残した書庫は使わせていただいているが、この部屋は当時のままに保存している」
「…にしちゃあ、ずいぶん埃の匂いがしねェな?掃除してンのか?」
リウジェが言い、セイカは頷いた。
「毎日一通りの掃除はしている」
「部屋を使ってる奴がいねェのにか?」
「………そうなるな」
「ふぅん……」
リウジェは唸ると、再び私室の方を向いた。
きょろきょろと辺りをうかがっているコンドル。
「こ、ここで、お仕事とか…してたんですか」
文机と、その隣にある小さな本棚を見て、言う。
セイカは頷いた。
「そうだな。必要なものは持ち出したゆえ、棚にも机にもめぼしいものは残っていない。
出来るだけ長持ちをさせたい。無闇に触ったり開けたりしないで頂きたいのだが」
「わ、わかりました……」
コンドルはあたりを見回しながら、一応その様子をメモに取る。
そして。
(こ、これが……鏡、ですね)
部屋の奥の壁に埋め込まれるようにして居座っている大きな姿見の前に立つ。
(鏡に……愛するものの名を……)
口には出さずに呟きながら、コンドルはその鏡に指を……
はし。
「………何をなさっている」
指が鏡につく寸前に、セイカはコンドルの腕を掴んで止めた。
コンドルは腕を掴まれたまま、慌てて言う。
「あ、あ、あの、大きな鏡だな、と思って……」
セイカはたっぷりと沈黙して…そして、その手を離した。
「……古いものゆえ、あまり触れないで頂きたい」
「あ、は、はい、す、すみませんでした……」
小さくなって頭を下げるコンドル。
セイカは嘆息した。
「……そろそろ日も落ちる。今日はこれでお引取り願おう」
「はァ?」
リウジェが言うが、セイカはそちらの方を向こうともせずに続けた。
「…屋敷の持ち主が帰れと言っているのだ。従わぬのならたたき出しても構わぬが?
ぬしのその良い勘とやらで、何か心眼の手がかりになるものは見つかったか?」
「……けっ!しょうがねェ、帰ってやらあ!」
言って、くるりと踵を返すリウジェ。
「……コンドル殿も、お引取り願おう」
「は………はい、わかりました……」
しょんぼりと肩を落として、部屋を後にするコンドル。
と。
「コンドル殿」
背を向けたままセイカがコンドルを呼び止め、コンドルはそちらを振り向いた。
「………丹羽野に言っておけ」
すい、とこちらに向けた顔は、いつもの閉じたまぶたでなく…彼女の髪と同じ、緋色の瞳が露になっていた。
「……世の中には、知らぬほうが良いこともある……とな」
「………っえ………」
コンドルは目を見開いて息を漏らし……それから、小さく礼をすると急いでその場を後にした。
「………」
玄関の扉の音を聞き終えて、セイカは再び瞳を閉じた。

Innocent Nobles

それからしばらくして。
とんとん。
玄関扉を叩く音に、セイカは立ち上がってそちらへと向かった。
がらり。
扉を開けると、二人の人物。セイカは落ち着いた様子で、もちろん瞳も閉じて、見知らぬ来客に問うた。
「………何か?」
「魔術師ギルド長、皆崎聖華殿だな」
前のほうに立っていた男性が、落ち着いた声音で言う。
聖華は頷いた。
「……いかにも」
男性はごほんと咳払いをすると、傍らの大柄な……女性、と思われる人物の方をちらりと見やり、またセイカの方に視線を戻した。
「ギルド長に、内密に話がある。話を聞いてもらいたいのだが…」
「貴殿は?」
「俺は一日千秋という。今は…こいつの付き人、だな。そうは見えないだろうが、こんなでも貴族なんだ」
「何か不穏なことが聞こえたようだが」
「いや、何でもない」
大柄な女性がハスキーな声を出すと、千秋は視線を逸らした。
セイカは女性のほうを向き……そして、恭しく礼をした。
「お初にお目にかかる、辛山葵姫」
葵姫と呼ばれたことに、女性は少なからず驚いたようだった。
「私の名を知っているのだね。私も有名になったものだ」
セイカは顔を上げると、頷いた。
「貴殿のような複雑かつ強い力のある『気』を持った人間はいない。そして、ナノクニの貴族であることを考えれば、答えは一つだ」
「なるほどね。でも今は一応お忍びで来ているんだ。よかったら、柘榴、と呼んでくれたまえ」
「あいわかった。では柘榴殿、千秋殿、中へ」
「あ、ああ、かたじけない」
セイカと柘榴のやり取りを呆然と見守っていた千秋は、セイカの招きに応じて慌てて中へ入った。

「それで、話とは?ギルドには直接持ってくることの出来ない話であるのだろう?」
セイカが促すと、柘榴が答えた。
「簡単に言うと、魔術師ギルドのダザイフ支部に援助をしたい、と考えているのだよ」
「……援助を?」
柘榴は鷹揚に頷いて、続けた。
「私はこんななりだろう?あまり外を出歩くことも出来なくてね。この千秋君が持ってきてくれる冒険の土産話と、趣味のマジックアイテム収集が数少ない楽しみなんだよ。
ナノクニは閉鎖的だろう?君の、ダザイフ支部を設立するのだってずいぶんと苦労をされたそうじゃないか。マジックアイテムを国内に流通させるなんて、とんでもない話なのだよね」
ふう、と柘榴は肩を竦めて息を吐いた。
「このダザイフ支部が発展すれば、魔術師ギルドそのものがナノクニで大きな力を持つようになる。そうすれば、良質なアイテムが国内に入ってくるだろう?そう思って、君に話を持ちかけたんだ。
どうだろう、悪い話ではないんじゃないかな?」
「確かに、悪い話ではない」
セイカは頷いた。
「しかし、なぜギルドにでなく、私の所に直接来たのかが解せぬ。理由をお教え願えるか」
「理由…理由ねぇ。それは、君のほうが心当たりがあるのじゃないかな?」
思わせぶりな柘榴の言葉に、口を噤むセイカ。
「最近、少しごたごたしてるみたいな話を聞いたものでね?だから、おおっぴらでなく、こうして内密に話を持ってきたのだよ。
ギルドがごたついていては、発展するものもしないだろう?私は権力だけは無駄にあるからね、ごたごたを解決するために水面下での協力は惜しまないよ。
どうだい、話してみる気にはならないかい?」
「………」
セイカはたっぷりと沈黙して、それから口を開いた。
「……心当たりはない。協力も必要としてはおらぬ。援助はありがたい、ぜひお受けしたく思う」
「……本当か?」
そこで、千秋が割って入った。
「柘榴は魔術師ギルドへ支援することで、ナノクニ国内でのマジックアイテム流通量が増えて欲しいだけだ。
支援したギルドの長が私的な理由で動こうが、発展するならばやることに口はださないだろう。
やたらと話を聞きたがるのは悪い癖だが、な。
外見は……その、鬼だが。力にはなってくれるぞ」
「済まぬ、柘榴殿のことをどうこう言っているのではない」
セイカは首を振った。
「柘榴殿の仰るようなトラブルに心当たりはない。ゆえに、協力も必要としない。正式な援助は大変ありがたいので、後日ギルドの方から使いを…」
「2年前に、ディーシュ教会とトラブルがあったそうだな」
セイカの言葉を遮る形で、千秋は切り出した。
「表面上は解決したようだが…実はその事件、未だに全ては解決していないのではないか?」
「………今日はその事をよく訊ねられる日だ」
セイカは嘆息した。
「ディーシュ教会とのトラブルは解決している。
念のため事件の経緯をかいつまんで説明しよう。
ディーシュ教会が、当ギルドからの技術供与を断る旨を伝えてきた。
不審に思い、ギルドの倫理協議部門にその事を調査させた。
倫理協議部門が出した結論は、ディーシュ教会が暗黒魔法を信奉し、そのために技術供与を断ってきているとのものだった。
しかし、事実は違い、ディーシュ教会の副神官長一人の暴走だった。
倫理協議部門の長は裁定ミスを査問するために総本山に送られた。
……と、ギルドの者には話してある」
「……というと?」
そこまではムツブに聞いていたことだったが、続きがある様子に身を乗り出す千秋。
セイカは少し押し黙った。
「……ここから先はご内密に願いたい。
事件は、副神官長一人の暴走ではなかった。
暗黒魔法の技術を用い、協会とギルドを染めようとした張本人…その罪を、他の者に擦り付け失脚をさせようとした…副神官長と、もう一人、他ならぬその倫理協議部門の長の犯行であったのだ」
「……何と」
目を見開く千秋。
「総本山に送られたのは、形式上は査問のため。しかし、実際は暗黒魔法の技術を用いた罪でギルドでの地位を剥奪し、魔力を封印する処罰をするためだった」
「……なぜ、その事をギルドの者達に内密にする?」
「…苦楽を共にした仲間が魔性に手を染めたなどと…知らぬ方が良いだろう」
セイカは僅かに眉を寄せた。
「……このような小娘がギルド長などにならなければ、そのような考えも起きなかっただろうしな…」
「……………」
複雑な表情で口をつぐむ千秋。
セイカは再び顔を上げて彼を見た。
「……とにかく。その件は、そういったことで片がついている。くだんの副神官長は調査の段階でこちらの動きに気づき、手にした暗黒魔法でこちらを殲滅しようとして逆に魔法に取り込まれ、亡くなった。倫理協議部門の長も、今はここにはいない。二人に暗黒魔法という技術を提供した魔族……キルディヴァルジュ・ディ・エスタルティと名乗っていたが…その魔族もその後姿を見せてはいない」
「……エスタルティ……か」
ポツリと呟く千秋。
それには構わず、セイカはふ、とため息をついた。
「…言ったとおりだ。この事件は終わっている」
「その、倫理協議部門の長は、今はどこに?地位を剥奪され、魔力を封印されて、逆恨みでもしそうなものだが」
重ねて千秋が問うと、セイカは少しうつむいて黙った。
「……………総本山への護送中、抵抗を試みて、副神官長と同じように…術に取り込まれ、亡くなった」
「………そうか」
ふぅ、と息をつく千秋。
「では、ギルド内に不穏な動きはないのだな?」
「………まもなく、無くなる」
「まもなく?では、今はあるということか?」
「そうなる。しかし、柘榴殿のご助力を頂くほどではない」
セイカの袖の先から見える、手袋に包まれた両手が、僅かに握り締められる。
「……終わらせてみせる……必ず」
セイカはそれきり、口をつぐんだ。

Innocent Duel

夜半から降り続いた雨は、夜が明けてもずっとしとしとと降り続いていた。
神官見習いは兄弟子より早く起きて窓を開けたり礼拝堂や外の掃除をしなければならない。
アスは礼拝堂の扉を開けると、灰色の雲に覆われた空からしとしとと降り続く雨を見上げた。
今日は外の掃除をするのは無理かもしれない。
ならば、厨房の手伝いをして……
「…………あれ」
この後の作業に思いを馳せようとしたアスは、道の向こうから人影が歩いてくるのを目に留めた。
「こんな朝早くに…それに、こんな雨の中…配達人さんでしょうか…?」
にしては、歩いてくるペースが遅いようにも思える。
雨のせいで視界も悪く、誰なのかは一目ではわからない。
が。
「………!」
こちらに近づいてきた人影の正体に気づき、彼は目を丸くした。
「せ……セイカさん!」
そして、こちらに歩いてくるセイカのところへ、雨で濡れるのにも構わず走っていく。
ばしゃばしゃと水を蹴る音が響き、土色のローブの裾が泥水で汚れていくのも構わず、アスはセイカのところにたどり着くと、言った。
「な、何をしているのですか、こんな所で!それに…ああ、ずぶ濡れじゃないですか、傘はどうされたんですか?!」
彼の濡れたローブよりもさらに長時間雨ざらしになったと思われる、橙色の道行き。
彼女の緋色の髪も、真っ白な肌も、水の雫で濡れきっていて。
「とにかく、教会に行きましょう。まずは服を乾かさなくては。朝ごはんはお済みですか、よろしければご一緒に……」
「アス」
セイカの手を取って今にも歩き出さんとしていたアスを、落ち着いた声で留めるセイカ。
アスは彼女を振り返り、その緋色の瞳が開かれていることに目を丸くした。
「セイカ……さん……?」
「………手を」
「えっ……」
セイカは、自分の手を取っていたアスの手を逆に引き寄せた。
もう片方の手にも手を伸ばし、自分の方へと引き寄せる。
「セイカさん…?」
彼女の様子に、眉を顰めるアス。
彼女はそのまま、引き寄せた手の手のひらに、自分の頬を寄せた。
「セイカさ……!」
アスの頬がさっと朱に染まる。
セイカはそうしたまま、目を閉じた。
「……ぬしの手は……暖かいな」
「えっ……」
そうして、セイカは手を離し、再び目を開いた。
「……最後に、この手のぬくもりに触れておきたかった」
「え……っ最後……って……」
問い返そうとするアスに、セイカは……微笑みかけたように、見えた。
「……さらばだ」
ふっ。
その言葉を残して、セイカの姿はそこから忽然と消えた。
「セイカさん?!」
たった今までセイカがいた場所に大きく足を踏み出して、あたりを見回す。
しかし、辺りにはしとしとと雨が降り続くのみ。
「………っ!」
アスは踵を返すと、ふたたびばしゃばしゃと泥を撥ねさせながら、走り出した。

「おはようございます、ムツブさん。今日は早いんですね」
「うむ。何か嫌な予感がしてな」
宿場『オータニ』の入り口で、約束の時間より早く訪れたムツブに、ミケは笑顔で挨拶をした。
「皆、集まっているのか?」
「さあ、僕も今来たところなので」
「あ、お、おはようございます、ミケさん、ムツブさん」
次いで、コンドル、暮葉、ジルが現れる。
「あいにくの雨になってしまいましたね」
「そうですねえ。暮葉さんはその傘、よく似合いますね、さすがに」
暮葉はナノクニ独特の紙張りの傘をさしていて、それが彼女の着ている装束ととてもよく合っていた。
もちろんジルもコンドルも、ついでに言うならミケもその傘を借りてさしていたわけだが、やはりどこか違和感がある。
「やはりこういうものはこの国の方が持ってこそ、なのでしょうね」
別方向からした声に振り向くと、やはり同様に傘をさしたファン、マシュウ、千秋。
「ふむ。儂も装束は着ておるが、千秋殿ほどには板についてはおらぬの」
「…そんなものか?」
マシュウの言葉に首をひねる千秋。
「お~、何だもうみんな集まってんのか。いや~仕事熱心だねェ」
そして、脳天気な声が響いてそちらを向くと、ヴォルガ、リウジェ、クルムが連れ立って到着したところだった。
「この傘はすごいね、紙張りなのに全く雨を通さない。装束のほうも、一度着てみたいな」
感心したようにクルムが言い、リウジェはつまらなそうに肩を竦めた。
ムツブは全員を見渡して、一礼する。
「では、早速中で報告を聞こう。入って……」
と、傘を閉じかけた、その時だった。
ふ。
雨の音にまぎれて、そんな軽い音が響く。
ぱしゃ。
次に聞こえたのは、ゾウリが泥水を跳ねる音。
その音に振り向いた冒険者達は、驚きに身体をこわばらせた。
「!………」
まさに、忽然と。
何の前触れもなく、彼女はそこに現れた。
ムツブの顔が驚愕に染まる。
「せ………」

「………セイカ……さん……」

冒険者達の誰かが、彼女の名前を呟く。
傘の一つも差さずに。雨に打たれ、びしょ濡れになった彼女は、す、とムツブに向き直ると、ゆっくりと目を開いた。
彼女の髪の色と同じ。燃えるような緋色の瞳。
「……丹羽野」
セイカが名前を呼ぶと、ムツブはびくりと身体を震わせた。
セイカはそのまま淡々と、言葉を続ける。
「……私が魔物だという確証は見つかったか」
「!………」
冒険者達の表情も、驚愕の色を見せる。
セイカはゆっくりとそちらの方も見渡した。
「……幾人か、見知った顔もいるようだが…わざわざこれだけの数を雇って、ご苦労なことだ」
そうして、表情のない顔を再びムツブに向ける。
「…そんなに知りたければ、教えてやろう。
………義父上……皆崎文隆を殺したのは、私だ」
「!!」
ムツブと冒険者の表情が、さらに驚愕にわななく。
セイカはす、と右手を上げ、手のひらをムツブに向けた。
「……ぬしにこれ以上腹を探られる道理も無い。
これ以上知られる前に……ぬしらには、消えてもらう」
ざっ。
セイカは右手を上げたまま、左足を引いて構えを取った。
ぶわ。
彼女の周りに、魔道を実行するための紅いオーラが散る。
「くっ………!」
ムツブは傘を捨て、同じように魔道の印を結んだ。

しとしとと雨が降る中。
まだ全く先の見えないまま、戦いが始まろうとしていた……。

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