Innocent Confession

はい、僕はあの方を信頼しています。
あの方はそのようなことをなさる方ではありません。
あの方が、そのようなあらぬ疑いをかけられ、傷つくことを放ってはおけません。
ですからこうして、皆さんにお願いしているのです。

………え、なぜそこまで信頼するのか、ですか?

……どこからお話したらいいものか…
2年ほど前でしょうか。
あの方と共に、とある事件…とある陰謀を、暴く、というようなことをしたんです。
ええと…正確には僕と2人ではなかったんですが。
あの方とは、そこで初めて知り合いました。

僕はディーシュ教会でもまだ見習いの身で、教会がギルドと懇意にしていることは知っていましたが、まさかギルド長があのようにお若い方だとは思いませんでした。
あの方は常に目を閉じ――心眼、と言うのでしたね。冷静で、簡潔に、かつ的確に物事を把握し、執り行っていました。その、一切の感情を挟まないやり方に、僕は当初反発しました。
…冷たい方だと思いました。ひとの触れられたくないことにも、目的のためならば土足で踏み入る、情の無い方だと。
その後、事実として、事件は解決しました。その解決に、あの方の方法で得た情報が必要であったことも事実でした。しかし、僕は納得がいきませんでした。
その件で、僕はすっかりあの方への橋渡しというお役目を与えられてしまったようです。それからも、僕は何度か、あの方と関わる機会がありました。
けれど、あの方は変わらない様子でした。その言葉にも行為にも、一切の感情を挟まない…的確で、寸分も狂い無く…しかし、冷たい。ギルド長という役職を務め、少なくない部下を持っていながら、あの方は常に一人で何もかもを決め、そして指示を与え、実行していました。
そのことで、あの方のことをよく思っていない方がギルドにも何人かいらっしゃるのも僕は知っていました。あの方のお義父上であられるフミタカ氏が、ギルドの方たちに慕われていたのも存じています。そこまで部下に慕われるお義父上に育てられながら、なぜあそこまで人との関わりを断つのか…それは、僕自身も疑問でした。
ですから…訊いてみたことがあるんです。
なぜあなたは、そのように人と関わろうとしないのか。
なぜ、一人で何でもやろうとしてしまうのか。
なぜ……人を信じようとしないのか。

あの方は、僕の問いに黙り込んでしまわれました。
長い沈黙の後…ぽつり、と仰ったんです。
「……そうでなくてはならないからだ」と。
僕は問い返しました。ですからなぜ、と。納得の行く答えではないでしょう?
あの方はまた、黙り込まれて…そして、短く、仰いました。
「私は、彼らに頼れない。頼ってはならない」と。

…僕はそれ以上、あの方に問いを重ねることが出来ませんでした。
あの方はいつものように、目を閉じ、静かな表情をしていましたが…その時、僕にはとても、あの方が悲しそうに見えたんです。
そして僕は、先ほど申し上げた事件のことを思い出していました。
あの事件の折…僕は一度だけ、あの方が目を開いたのを見たことがあります。
心眼を会得していらっしゃる方は、目を閉じていてもどこに何があるのか判るといいます。しかしそれは、心が凪いでいる時だけ…怒りや悲しみ、喜びや幸せなどで心が波打ってしまうと、たちどころにものは「見えなくなって」しまうのだそうです。
あの時もそうでした。僕の申し上げたことに、あの方はお怒りになられ、目を開かれました。
あの方の髪の色と同じ、燃えるような緋色の瞳でした。

炎のように…激しく、強く、そして……綺麗でした。
…あの方の本来のお姿は、きっとあの通りなのです。
本当は、炎のように激しく、情熱的で、それゆえに心を何よりも重んじ、それでもなおゆるぎない己を持っている方なのです。
何かが、あの方に大きくのしかかり、本来のお姿を隠してしまっているのです。
それが何なのか…僕にはわかりません。知りたいのは事実ですが、今はその時ではないと思っています。
ですが、僕は出来るなら、あの方を解放したい。
あの方を閉じ込め、苦しめているものを取り除きたい。
そう…思っているんです。

ですから、あの方が、謂れの無い罪で貶められるのはとても心が痛みます。
一度も人に心を開くことのないまま、人に貶められ、その生を終えるなど……あの方の人生は、そのような形で幕を閉じていいはずがありません。
本当ならば、僕がそれを止めなければならない…けれど、今の僕にはその力はありません。
ですから…どうか、お願いいたします。僕の代わりに、あの方を………

……えっ。

……あの方が本当に魔物だったら…?
そんなことは…!

…………はい。その可能性は皆無とは言えません。
けれど、あの事件の折のあの方に、仰るような魔性は、僕には感じられませんでした。
…はい、もちろんその後に魔物に入れ替わられた、という可能性もあります。
しかし、あの事件が起こったのは、あの方がギルド長に就任した後ですし、それは考えにくいかと……

…ええ、確かにどんな可能性も無視できないとは思います。
しかし……いえ、もし、のお話ですね。
もし本当にそうならば…そして、本当に「今の」あの方が悪意をもってギルドを我が物にしようとしているのであれば……それは、罰されるべきだとは…思います。
その際には…僕で役に立てることがあるならば…尽力したいと思っています。
これで…よろしいですか?

……はい。よろしくお願いします。

どうか……どなたにも罪のふりかかることの無いよう……
我が神ディーシュに、お祈りしております…

Innocent Adventurer

「シェリー?シェリーじゃない?久しぶり」
この地方独特のスライド式のドアを開けようと手を伸ばした少年は、後ろから急に声をかけられてびくりとその手を引いた。
慌てて振り返れば、そこには見慣れぬ少女。年のころは16、7ほどだろうか。肩ほどまでのまっすぐな黒髪に、穏やかそうな黒い瞳。ナノクニ独特の民族衣装を纏ったその姿はエキゾチックな美しさをかもし出していたが、一向に見覚えの無い姿だった。
対する少年はといえば、やっと少年に手が届いたか、というくらいの幼い子供だった。エメラルドグリーンの長い髪に、大きな青い瞳。かろうじて旅の魔道士か、と思えなくもないだぼだぼのローブに大きな杖、背中には大きな剣を背負い、両肩には羽の生えた不思議な生き物が止まっている。
少年は慌てた様子で、自分に声をかけてきた少女に言った。
「あ、あの、ご、ごめんなさい、えぇと……その、だ、誰ですか?」
少年の問いに、少女はきょとんとした。
「何を言うの、シェリー。わたしよ、暮葉」
「く、暮葉ちゃん?!」
少年は紅い瞳を大きく見開いた。
「ほ、ホントに暮葉ちゃんなの…?」
放心したようにしげしげと見つめる少年に、暮葉と名乗った少女は穏やかにくすりと笑った。
「わたしを騙って得をする人間がいるとは思えないな。久しぶり、シェリー。相変わらず可愛いね」
「暮葉ちゃんはすごく大きくなったね…ボク、ホントにわからなかったよ」
先ほどまでのおどおどした口調は消え、リラックスした様子で微笑む少年。
「え、わたしそんなに大きくなった?…そうだね、シェリーの家を出てから、もうそんなに経つんだ…」
「あ……暮葉ちゃん」
少年は困ったように眉を寄せた。
「今のボクはコンドルっていうんだ。だから…ごめんね?これからボクのこと、コンドルって呼んでね」
「コンドル?」
暮葉は驚いたように眉を広げる。
「…そうなの?よく判らないけど、じゃあこれからはコンドルと呼べばいいんだね」
「うん、ごめんね…あ、でも、ボクたちだけの時とか、お仕事じゃない時は、シェリーでいいから…」
申し訳なさそうに言うコンドルに、暮葉は再び微笑んだ。
「わかった。じゃあ、コンドル。ひょっとして、潜入捜査の依頼を受けにきた?」
「えっ…じゃあ、暮葉ちゃんも?」
問い返すコンドルに、笑みを深くして。
「そう。じゃあ、一緒に入ろうか」
「うん。暮葉ちゃんとお仕事が出来るなんて、嬉しいな」
コンドルも微笑み返すと、今度こそドアを開けて中へと入っていった。

「………あれ、コンドル」
宿場「オータニ」の主人に案内された部屋には、すでに先客がいた。
コンドルの顔を見とがめそう言った先客に、コンドルは再び目を見開いた。
「じ、ジルさん、でしたよね?お、お久しぶりです。じ、ジルさんも、ナノクニに来てたんですか?」
「……そう。観光しようと思って…」
ジルと呼ばれた少女は、言ってから少しだけ表情をゆがめた。
短くそろえた赤茶色の髪から、大きな猫のような耳がつき出ている。猫と言うよりは、獅子の獣人なのだろう。およそ表情の見えない、髪と同じような色の瞳。冒険者と言うには少し軽装な、ボーイッシュな印象の服に身を包んでいる。
「……でも、なんかよくわかんないうちに…財布、すられちゃって。お金、稼がないといけないから…」
淡々とそう言うジルに、コンドルは気の毒そうに眉を寄せた。
「そ、それは大変でしたね…」
「コンドルさん、お知り合いですか?」
後ろから暮葉が訊ね、コンドルはそちらを振り返る。
「うん、前にヴィーダで一緒に探し物をしたことがあって…」
「……ジル=レィミエ。……よろしく」
ジルが淡々と言って小さく礼をし、暮葉は柔らかく微笑んで丁寧に礼をした。
「菊咲暮葉と申します。暮葉とお呼び下さいませ。どうぞよろしくお願いいたします」
ジルは不思議そうにコンドルと暮葉とを見比べ…何やら納得したのか、頷いて再び椅子に座った。

「あれ、コンドルさんですか?お久しぶりです」
次いで部屋に入ってきた人物の言葉に、コンドルは再び振り返る。
「あ、み、ミケさん!お久しぶりです」
ミケと呼ばれた男性は、コンドルの言葉に穏やかな微笑を返した。
男性といっても、声からするとそうなのだろう、という程度であった。それほどまでに、彼の長い栗色の髪も、愛らしい青い瞳も、まるで少女のような可愛らしい容貌も、全体に漂う穏やかな雰囲気も、何一つとして彼に男性らしさを連想させるものはない。魔術師なのだろう、黒のローブを身に纏い、肩には黒い猫を乗せている。
ミケは部屋の中を見渡し、再び見知った顔を見つけて微笑む。
「ジルさんも、お久しぶりです。みなさん、ナノクニにいらしてるんですね」
「……うん。ミケも、観光?」
「あ、いえ僕は…その、お使いを頼まれて。帰りはどうやら実費らしいので、路銀を稼ごうと思いまして」
「……じゃあ、私と似てるね。…っていうか、帰り実費って、どんだけ無茶なの…」
「ははは…あの人に文句を言っても始まりません……」
何故か非常に大きなものを諦めたような表情で、ミケは乾いた笑いを浮かべた。
「あ、あの、ミケさん、ボクのお友達で、菊崎暮葉ちゃんです」
コンドルが暮葉を紹介すると、ミケはそちらに向かって微笑んだ。
「初めまして。ミーケン・デ=ピースと申します。ミケと呼んでくださいね」
「菊咲暮葉です。よろしくお願いいたします」

「ミケにコンドルじゃないか。こんなところで会うとは思わなかったな」
「千秋さん。お久しぶりです」
次いで入ってきたのは、暮葉に負けず劣らずどこからどう見てもナノクニ人といった風体の男だった。
年のころは20歳そこそこといったところだろうか。黒髪、黒目。ナノクニ独特の装束を身に纏い、腰と背中にカタナと呼ばれるナノクニ特有の剣を差している。
「そうか、千秋さんはナノクニの出身なのでしたね」
「ああ、久しぶりに帰ったし、何かひとつ仕事をこなしてみるのも悪くないと思ってな」
ミケの言葉に答え、千秋はぐるりと室内を見渡した。
「そっちは初めてだな。一日千秋という。千秋と呼んでくれ」
挨拶を受けたジルと暮葉が礼を返す。
「…ジル=レィミエ。よろしく」
「菊咲暮葉と申します。同郷でいらっしゃるようですね」
「ああ、そのようだな。よろしく頼む」

「何だか顔見知りがたくさんいるね。ナノクニまで来て、嬉しい誤算かな」
カラカラと音を立てて戸をあけたのは、まだあどけなさの残る14歳ほどの少年だった。
短くきっちりと刈りそろえた栗色の髪に、優しげな光を宿す緑色の瞳。動きやすそうな旅装束に身を包み、腰には剣を下げている。まだあどけなさの残る容貌に反し、表情から滲み出る雰囲気はすっかり大人のそれで。彼が人間的に成長していることを思わせた。
彼の顔を見て、冒険者達の何名かが嬉しげに表情を崩す。
「クルムさん。こちらに来ていらっしゃったんですか」
「うん、下宿先のお使いでね。ミケは観光?」
「いえ、僕も同じようなものです。あ、クルムさんはご存知でしたね、先日の幻術世界の中で現れた、僕の師匠に…」
「ああ…!そうか、それじゃあその後、ちゃんと連絡できたんだね」
「はい、おかげさまで。連絡が取れたことがよかったのか悪かったのか…」
また乾いた笑いを浮かべるミケ。
クルムは千秋の方を向いた。
「千秋はナノクニの生まれだったね。このあたりの出身なの?」
「いや、そうではないのだが」
「…そういえば、千秋も幻術世界の中に上司が出てきたんだったよね。柘榴さん、だっけ?ダザイフには来ていないの?」
「しっ!」
千秋が慌てて人差し指を口に当て、辺りをきょろきょろと窺う。
「……不用意に奴の名を出すな。どこで見聞きしているかわからんからな…」
「…う、うん」
きょとんとしたまま、それでも気おされた様子で頷くクルム。
「…ジルとコンドルは、新年祭以来だね。そちらは友達?」
「あ、は、はい。あの、ぼ、ボクの昔の友達で、菊咲暮葉ちゃんです」
「クルム・ウィーグだよ。よろしく」
「よろしくお願いいたします」
クルムが微笑みかけると、暮葉は丁寧に礼をした。

「失礼する」
次いでドアを開けて入ってきたのは、かなり年の行った男性だった。
彼を見止め、コンドルが驚きの声を上げる。
「ま、マシュウさん!」
「む。おぬしは…確か、コンドルと言ったな」
マシュウと呼ばれた男性は、生真面目そうな顔をコンドルに向けた。
40…ともすれば50がらみほどの年配の男である。頭を綺麗に剃りあげ、顎には白い髭が蓄えられている。乳白色の、これもまたナノクニの装束を身にまとい、腰には剣を下げている。が、大きな鷲鼻といい、全体的に彫りの浅いナノクニの人間とは異なる顔立ちをしていた。
「こ、この間はどうもありがとうございました……ま、マシュウさんも、この依頼を?」
「然り。おぬしもか」
「は、はい……」
「そうか。またよろしく頼む。こちらの面々も、同様に依頼を受ける者たちのようだな」
マシュウは室内にいる他の面々に向き直ると、丁寧に礼をした。
「拙者、摩周=山冥と申す。故あってナノクニに流れ着いた身だが、良しなに願いたい」
「マシュウ…さん」
ミケがきょとんとして首を傾げる。
「あの…どこかでお会いしませんでしたか?」
「あ、ミケもそう思った?」
クルムもミケの方を見て言う。
「あ、はい……どこでお会いしたどなたかは思い出せないんですが…」
「オレも。何か、どこかで見たような印象、くらいなんだけど…」
「ふむ」
マシュウは腕組みをして唸った。
「実は拙者、ナノクニに流れ着く以前のことを全く覚えておらぬ。もしおぬしらと会ったとするならば、それ以前のことである可能性はある」
「そうなんですか……」
ミケが心配そうに眉尻を下げると、マシュウはさらに唸った。
「不思議なものよの。つい先日に受けた依頼でも、拙者のことを斯様に話す者がいた。シアンという名だったが」
「シアンさんに、会ったんですか?」
驚くミケ。クルムと顔を見合わせて、考え込む。
「僕…と、クルムさんと、シアンさん……ということは」
「……ロッテの依頼、の時か…?」
考え込む2人をよそに、マシュウは他の面々とも挨拶を交わしていった。

「依頼を受ける冒険者ってのは、ここでいいのか」
乱暴な口調と共に入ってきたのは、こちらも一風変わった装束を着た男だった。
羽織っているのはここナノクニの民族衣装であったが、中に着ているものはリュウアン独特の襟の形をしている。紫と黒の衣装には金糸で蝶の刺繍が散りばめられており、かなり派手だ。
しかし、何より目を引くのは、紫色の布で蔽い隠された彼の瞳だろう。短く揃えられた黒髪にも気を使うことなく、ぐるぐると長い布が無造作に巻かれ、後ろから垂らされている。
彼のその見掛けに驚いた冒険者達が絶句した雰囲気を、彼は敏感に察したらしかった。
とたんに眉を顰めると、大きな声で言い募る。
「んだよ、じろじろ見てんじゃねえよ。ここでいいのかって聞いてんだろうが」
「然り。おぬしも依頼を受けに来たのか」
マシュウが答えると、彼はそちらを向いた。
「ああ、悪ぃか?」
「何をそのように尖っておる。拙者らは何も言ってはおらぬ、落ち着け」
淡々と言うマシュウに、ちっ、と舌打ちして顔をそらす男。
マシュウは構わず続けた。
「拙者は摩周=山冥と申す。良しなに願いたい」
「……奉流戒だ。リウジェでいい」
「リウジェ殿だな。拙者のことはマシュウとお呼び願おう」
「マシュウだな、わかった」
マシュウの落ち着いた様子に感化されたのか、リウジェは落ち着いて他の面々とも挨拶を交わした。

「オ、オマエは…我が同志!おっぱい星人リウヤン!ひっさしぶりじゃねェ~の♪」
勢いよくドアが開き、同時に聞こえた軽薄な声に、冒険者達は驚いてそちらを向いた。
「お前、ヴォルガか?!何やってんだこんなところで!」
リウジェが驚いた様子で男性に歩み寄る。
入ってきたのは、長い銀髪に白いロングコートが印象的な男性だった。年は二十歳そこそこ、というところだろう。バンダナの下に覗く切れ長の赤い瞳、コートの下は割と軽装で、全体的に声と同じ軽薄な印象を与える。肩には彼と同じ銀の翼に赤い瞳の鷹が乗っているが、室内では少し窮屈そうだ。
「いんやぁ~、ナノクニに来たはよかったんだが、芸者サンと遊んだりヤマトナデシコと遊んだりしてたらスッカラカンになっちまってなぁ。ちぃ~っとばかり路銀稼ぎしねェとならなくなったわけよ」
「何だと?!てめぇ、一人で美味しい思いしやがって!俺にも芸者紹介しろ!」
「ふっふっふ、紹介料で金貨三枚だァ!」
「高ぇ!負けやがれこの野郎!」
何だかよく判らないが盛り上がっている2人。
「あ、あの…リウジェさん、お知り合いですか?」
ミケが恐る恐る訊ねると、リウジェはそちらを振り向いた。
「ああ、前の依頼でな。こんなだが腕は確かだぜ」
「こんなだがは余計だっつーの」
リウジェに毒づいてから、彼はミケの方を向いた。
「いよっ、カワイコちゃん。と思ったが声からして野郎かァ?お前、モテるだろ?それもドロッドロの三角関係と見たね!オレの鼻は誤魔化せねえぜェ~?」
「なんのことでしょうかさっぱりきおくにございません」
棒読み。
彼はクッと喉の奥で笑うと、他の面々を見渡して言った。
「オレはヴォルガ=D=クロフォードだ。まァ~気軽にヴォルガってよんでくれェ♪」

「おや、これはまたずいぶんたくさん集まったものですね」
次いで入ってきたのは、頭にきっちりとバンダナを巻いた青年だった。
年は16、7といったところだろうか。几帳面に巻かれたバンダナのおかげで髪の色は見て取れない。バンダナからはみ出して後ろに長く垂れている髪の毛にも几帳面にリボンが巻いてあり、決して髪の毛を見せたくない様子がうかがえた。薄い青の瞳は鋭さを思わせる形をしているが、漂う雰囲気は割と穏やかで、きちっとした服装からもその性質が感じられる。
この青年には、どうやら誰も顔見知りはいないらしかった。ぐるりと室内を見渡すと、共に依頼を受けることになる冒険者達に向かって穏やかな微笑を見せる。
「私はファンブニル・アレイシスと申します。長い名前ですので、ファンとお呼び下さい」
「ファンか。拙者は摩周=山冥。まだ若いように見えるが、貴殿もこの依頼を?」
マシュウが言うと、ファンはそちらに向かって微笑んだ。
「ええ。普段は薬商として糧を得ているのですが、それだけではままならない部分もありまして」
「薬師か。オレの知り合いにも薬師がいるし、ヴィーダで下宿しているところは薬の卸売りをしているんだ」
クルムの言葉に、嬉しそうな顔をそちらに向けて。
「本当ですか。時間が空いた時にでもお話を伺いたいですね」
「ああ、是非」
と、そんな会話を交わしている時だった。

がらり。

無造作に開いたドアから、のそり、と大柄な男が入ってくる。
その男の様子に、冒険者達は表情に緊張を走らせた。
「………」
じろり、と室内を見渡す。
年のころは三十代半ば、といったところだろうか。きっちりと撫で付けた黒髪を頭の上で結わえ、黒い瞳を厳しい表情で油断なく光らせている。臙脂色のキモノに黒のハカマ、白いハオリを纏ったその姿は、千秋や暮葉同様、どこからどう見てもナノクニ人そのもの、といった風情だった。
男は一通り室内を見渡すと、不機嫌そうに眉根を寄せた。
「……ここは子供の遊び場ではないのだがな。仕事の依頼をする場になぜ子供がいる」
低く怒りの篭った声で言われ、びくりと身体を震わせるコンドル。
その心当たりの通り、彼の視線はどう見ても就学児童である年齢の者…コンドル、ジル、クルムに注がれているらしかった。
「あ、あの、あの……」
動揺のあまり上手く言葉が紡げないコンドル。
その隣にいたジルが、僅かに眉根を寄せる。
「私自身、自分が実力のある冒険者だとは思っていません。ですが、年齢のみで判断されるというのは納得がいきません」
いつものジルとは違うその口調に、コンドルが目を丸くする。
ジルは続けた。
「試用ということで、一度雇ってみていただけませんか?その上で役に立たないと判断されたのならば、解雇していただいて構いません。報酬も、働きに見合った分だけで結構です」
「………」
男は無言でさらに眉根を寄せる。
すると、クルムが落ち着いた表情で口を開いた。
「今まで何度か依頼を受けて、報酬を貰っています。潜入捜査と似た仕事を、以前受けたこともあります」
「ほう?」
片眉を上げてそちらを向く男。
クルムが続ける前に、ミケがそれに続いた。
「この方の仰っていることは本当です。とても頼りになる冒険者ですよ」
ミケの言葉に礼を言うように微笑みかけてから、クルムは再び男に向き直る。
「ヴィーダの冒険者ギルドに、冒険者として登録しています。ここに登録章もありますし、お疑いならギルドのダザイフ支部に問い合わせていただいて構いません」
「その必要はない」
男は少しだけ不本意そうに、だが息を吐いた。
「貴殿は信用が置けるようだ。そちらの娘御も……多少不安ではあるが、人手は欲しいのでな。そこまで言うなら雇おう。…だが」
再びじろり、とコンドルの方を睨んで。
コンドルは泣きそうな表情で眉根を寄せて、一生懸命言葉を紡ごうとする。
「あ、あの、あの……」
「コンドルさんも、一緒に仕事をしたことがありますよ」
見かねたように、ミケが助け舟を入れた。
「とても大きな魔法を扱われる、実力のある方です」
「ええ、その通りです」
後押しをするように、暮葉がそれに続く。
「それに、コンドルさんはこう見えても、ど……」
「暮葉ちゃん!」
暮葉の言葉を強い調子で遮るコンドル。
驚いて暮葉がそちらを見ると、コンドルは瞳に強い光をたたえて彼女を見、首を振った。
「…ありがとう。でも、ボクがやらなくちゃ」
「………わかりました」
暮葉が小さく頷くと、コンドルは頷き返して再び男の方を向いた。
「……あ、あの、い、依頼って潜入調査なんですよね?」
「……その通りだ」
尊大に答える男。
コンドルはぎゅっと拳を握り締めて、続けた。
「だ、だったら、ボクみたいな子供の方が立ち回りやすい事もありますよね?な、なにを調べるのかは分かりませんけど、こ、子供なら歩き回ってても、叱られたりはするでしょうけど、だ、誰かの回し者だって考える人は少ないと思うんです。」
「………ふむ」
男の表情が、少し和らぐ。
「…そ、それに、当然ですけど、依頼を請ける以上は全力で仕事をします!
……え、えっと、そ、それでも雇ってもらえないんでしょうか?」
妙に自信満々に言ったあとに、急に心細そうに訊ねるコンドル。
男はしばらく黙ったままコンドルを見つめ……そして、目を閉じて嘆息した。
「……よかろう。貴殿にも仕事をお願いしたい」
とたんに、ぱっとコンドルの表情が明るくなる。
「よかったね、コンドル」
ジルが後ろから声をかけ、コンドルはそちらを振り返って力いっぱい頷いた。
「は、はい!」

Innocent Request

「私の名は丹羽野睦……ニワノ・ムツブという。魔術師ギルドダザイフ支部に勤める者だ。以後、見知り置き願いたい」
難解なナノクニの発音をゆっくりともう一度繰り返し、男は丁寧に礼をした。
仕事を頼むことになった10人の冒険者が広いテーブルを囲むようにして座っている。ナノクニには椅子に座る習慣はあまりない。同郷出身であろう2人以外は、皆窮屈そうに四角いクッションの上に足を折っていた。
「依頼というのは、他でもない。我が魔術師ギルドダザイフ支部を、救っていただきたいのだ」
「また大きく出たな」
ムツブの言葉に、千秋が嘆息して言う。
「詳しく話してくれ」
ムツブは小さく頷いて、話し始めた。
「4年前のことだ。それまで、我が魔術師ギルドダザイフ支部の支部評議長であったのは、皆崎文隆……ミナザキ・フミタカという人物だった。
ミナザキ様は魔術師ギルドのなかったここダザイフにギルドを招聘し、設立・運営をすることに生涯を捧げた方であった。人徳も篤く、私を始めとする協力者達も、あの方のためなら多少の無理をも厭わないと心から思っていた」
語るムツブはどこかしら嬉しそうで。
そのフミタカという人物を、心から慕っていることが窺える。
「……が、4年前。ミナザキ様は突然謎の死を遂げた」
痛ましげに眉を寄せるムツブ。
冒険者達の表情が引き締まる。
「ミナザキ様のご遺言により、その後を継ぎ、評議長の座に収まったのは……当時まだ14歳の、娘の聖華……ミナザキ・セイカだった」
「14歳?」
眉を顰めて、ミケ。
「またずいぶんお若いですね」
「無論、ギルド内にも異を唱えるものは多かった」
ムツブはそちらの方に向かって頷いた。
「しかし、セイカは14とは思えぬ膨大な知識と卓越した魔道の力を身につけていた。知識においても、魔道の腕においても、ギルドに在籍する我ら大の大人がまるで敵わぬ……」
「でも、知識や魔力だけではギルド長は務められないでしょう」
「それが、それだけではなかったのだ」
ムツブは悔しげに歯を鳴らした。
「セイカはミナザキ様よりギルドを取り纏める全てを教え込まれていたと言うのだ。事実、セイカは突然の長の死に動揺するギルドをつつがなく取り纏め、今も、評議長としてその席に居座っている」
「ふむ……よほど天分に恵まれた少女であったのだろうな」
マシュウが呟くと、ムツブは真剣な目をそちらに向けた。

「……そう認めざるを得まい……あの娘が、本当に人間であったならばな」

含みのあるムツブの言葉に、冒険者達の表情が変わる。
「…セイカさんが、人間ではない、と?」
用心深く問うたファンに、ムツブはゆっくりと頷いた。
「そうとしか考えられぬ。あのような若輩の小娘に、あれだけの魔法が使いこなせるわけがない」
「けれど、セイカさんはフミタカさんの娘なのでしょう?」
「あのような者、ミナザキ様の娘であるものか!」
突如激昂したムツブに、絶句する冒険者達。
ムツブは我に返って、かぶりを振った。
「……すまぬ。しかし、セイカがミナザキ様の実の娘でないことは、確かだ。
あの小娘は、ミナザキ様が孤児院からお引取りになられた、養女なのだ」
「孤児院………」
ぽつりと呟くジル。
ムツブは続けた。
「若くして奥様に先立たれ、以後妻も子も作らずギルドのために身を尽くしてきたあの方が突然養女を取られたときには驚いたが……
しかし、そう考えると、いくつもの疑問が生まれてくるのだ」
虚空を見つめ、うつろな表情で。
「そもそも、なぜ養女をお取りになられたのか?
そして彼奴が養女となってから5年と経たずにミナザキ様が亡くなられたのは本当に偶然か?
ご自分の血を分けた娘でもない者に、ギルド長を継がせるなど…果たしてそこまでするものだろうか?
たかだか十四、五の小娘が、あのように巧みに魔道を操り、組織の長として雑事を全て取り仕切るなどできるものなのか?」
場が静まり返る。
ムツブの言葉とその様子は、鬼気迫るものがあり……考えにくいことであると同時に、全くの妄想とも言い切れない何かをはらんでいた。
「実際あの小娘は、私たちに何一つ話さぬ。何もかもを自分一人の手で済ませ、私はおろか、古くからあの方に仕えてきたギルドの重鎮達にすら、何も話さず、全てを一人で決め、実行し、まるで私たちを自分の目的を達するための道具とでも思っているようだ。否、事実そう思っているのだろう。まだ年端も行かぬ少女のくせをして、心眼だか知らぬが、いつも瞳を閉じ相手の目を見ようともせぬ」
悔しげに、ぎり、ともう一度歯噛みして。
「はっきり言おう」
ムツブは改めて冒険者達に強い瞳を向けた。
「私は、あの娘は魔性の存在なのではないかと思っている。
魔性の力でミナザキ様に取り入り、養女となり、魔術師ギルドを乗っ取るためにあの方を殺したのだ」
神妙な表情になる冒険者達。
ムツブは続けた。
「だが、証拠がない…私は今もあの小娘の下で働いている身。表立って動くことも出来ない。
だから、貴殿らにお頼み申したいのだ。
あの小娘の正体を暴き、ミナザキ様の無念を晴らし…
そして、魔性のものの手に落ちようとしている我がギルドを救ってくれ…!」
テーブルにほとんど突っ伏すようにして頭を下げるムツブ。
冒険者達は、しばし沈黙してお互いに顔を見合わせた。表情はまちまちだ。
「つーかよ」
最初に口を開いたのは、リウジェ。
「そのフミタカってのは何で死んだんだ?殺されたのか、自然に死んだのか?」
「お、そりゃオレも聞きたいねぇ」
ヴォルガも興味深げに身を乗り出す。
「殺害方法とかは分からなかったのか?そのセイカちゃんとやらが疑われるとか、なかった訳?」
ムツブは居住まいを正してそちらを向いた。
「ミナザキ様は……転落死されたのだ」
「転落死?」
いぶかしげな表情で、暮葉。
「左様。ギルドの裏手は、建物にすれば3階程度の崖になっている。
ミナザキ様は……その崖の上から落ちたのだ。我らの、目の前で」
「それは……お気の毒です」
暮葉は痛ましげに眉を顰めた。
「では、聖華さんは……」
「……我らと共にミナザキ様が転落されるのを目撃していた。あの場所にいて疑いがかけられるなら、我ら全てに疑いがかかるだろう。
魔道を使った形跡もなかった。ミナザキ様は、事故死ということで片付けられた」
「なるほどなァ……」
ふむ、と唸るヴォルガ。
対してリウジェは、再び不機嫌そうに眉を顰めた。
「それなら何でそのセイカとやらに疑いをかけてんだよ。あんた、ちょっと先走りすぎなんじゃねぇ?後釜に行けなかったとか、そういうしょうもねー妬み、混ざってたりしねェのかよ?」
「何だと?」
ぎ、とそちらを睨むムツブ。
リウジェはそれをものともせずに続けた。
「ギルド長にする遺言にしたってよ。『果たしてそこまでするか?』ーって、案外そういう奴は多いぜ?血を越えた絆ーなんて薄ら寒い事言いながら、だけどな。まあ変わってるのは確かだが、そりゃそんだけそいつが優秀だったからなんじゃねえの?」
肩を竦めて、続ける。
「大体なー、乗っ取るって。4年も経ってるけど何やってンだ?ちゃんと仕事してんならいいじゃねェか、別に」
「私の言うことが間違っていると言うのか?」
湧き上がる怒りを必死に抑えたように、ムツブは低く言った。
再び肩を竦めるリウジェ。
「そりゃそうだろ、簡単には信じられることじゃねェ。どーでもいい事を証拠だって騒いでわめいて『違いました』じゃあんたやってられねぇだろ?確認の意味を込めてって感じだな」
「……確かに…それは私も聞きたいな」
淡々と、ジルが続ける。
「ミナザキ・セイカは、ギルドを乗っ取ろうとしているように見えると見えざるとに関わらず、ギルド内において何か変わった動きを見せているんですか?」
「……今は、まだ。彼奴はこれ以上なく円滑に、ギルドを纏めている。それは認めよう。
だが、この先もそうであるとは限らん。ミナザキ様の腹心であった我らが老いて引退するのを待っている、来るべき企みのために力を蓄えている……そうでないとどうして言い切れる?」
「けっ。考えすぎって可能性も頭に入れとけよ」
面白くなさそうに、リウジェ。
「依頼主だからって、へいへいとそう何でも頭から鵜呑みに出来るかってんだ。俺は、何も金目当てってだけじゃねェ。あんたさっき、面白いこと言ってたじゃねェか。心眼、だって?」
リウジェの、布に覆い隠されて見えない瞳が、ぎろりと睨んだような気配がした。
「見えてねェのか、そいつの目は?
俺の目玉はもう死んでるから、今更見えるようになるのは無理なンだけどな。心眼ってのが身についたら楽じゃねェか、いろいろ。そんな事を訊いちゃあ、そっちのほうが気になるんでね」
「心眼、については、私もよくは知らぬ」
ムツブは憮然として言った。
「だが、目が生きておらぬわけではないらしい。あの小娘曰く、目で見る必要が無いから閉じているのだそうだ。そんなに気になるのなら、本人に直接訊くがいい。だが…」
ムツブの厳しい視線に、リウジェは面倒気に手を振った。
「あー、わーったわーった、安心しろって。報酬分は働くからよ。あ、ついでに、音紡のエサ代ぐらいは持ってくれよ。ナノクニの魚は美味いんだろ?」
「いんふぁん?」
「俺の相棒だ、動物は入店お断りとか言われて外で待ってるがな」
「ああ……入り口にいた黒い犬のことか。……何故貴殿の飼い犬の世話までせねばならぬ」
「あいつだって働いてンだよ!いいじゃねェかケチケチすんな!」
「ま、まあまあ、リウジェさん。先にお仕事の話をしましょう」
ミケがリウジェをなだめつつ、軌道修正をする。
「現段階で、で構いません。ムツブさんが、そのセイカさんを魔物だと思う根拠をお聞かせ願いたいんですが」
ムツブは目に見えて不機嫌な表情になった。
「充分ではないか。14歳にしてあれだけの魔道を使い、ひとつの組織を難なく動かすほどの統率力を見せる…そして、養女になってまもなく養父が謎の死を遂げた。疑いをかける根拠としては申し分ないと思うがな」
「うーん……そう、ですね」
肩眉を寄せ、納得しきっていない表情のミケ。
「あ、あの……ム、ムツブさん以外のギルドの人も、セ、セイカさんが魔物だと考えている人ってどれくらいいるんですか?」
コンドルが訊ねると、ムツブはそちらの方を向いた。
「ミナザキ様がこの地に魔術師ギルドを招聘するに当たって、当初よりご協力申し上げたメンバーは私を含む6人。一人は故あって、今はナノクニにはいない。が、残りの5人全てが、セイカに対し何らかの疑いを持っている。今回、貴殿らに依頼をするにあたっての費用は全て私を含むそのメンバーの自己負担だ。」
「そ、その5人の方たちは、ま、まだギルドに…」
「無論だ。それぞれ要職に就いてはいるが、先ほども言った通り、ギルドの運営はほぼセイカが取り仕切っている。我々でなくとも構わぬ、名ばかりのお飾りと言うわけだな。
ギルドにはまだたくさんの者達が勤めているが、初期からいるメンバーはその5人。他はミナザキ様とも関わりがそれほどなく、セイカに引き継がれてから雇われた者もいる。そういった者達がどう思っているのかは、私の与り知るところではない」
「そ、そう、ですか……」
「その5名の方は、現在どういった役職についているのでしょうか?ムツブさんも含め、お教えいただけますか?」
ミケが言い、ムツブは不本意そうに眉を顰めた。
「あまり自慢できる役職でもないがな。
まず私は、今は魔術師の登録と管理の部門を取り仕切っている。その部門では長と言われる身だ」
ムツブは視線を逸らし、思い出しながら仲間のことを語っていく。
「久保宏泰…クボ・ヒロヤスは、禁書を含む魔道書・古書の管理部門の長だ。
藁科秀…ワラシナ・シュウは、魔道士に職や依頼を斡旋する、人事部門の長。
青柳大夢…アオヤギ・ヒロムは、他ギルド支部との遠隔通信魔法機器を管理している。
赤城奏……アカギ・カナデは、唯一の女性だ。ギルド所属の魔道士がその魔道を利用して犯罪などを犯していないかどうか調査し、場合によっては捕縛・処罰する、倫理協議部門の長だ」
「なるほど…わかりました。では、その方々はあなたが冒険者を雇ったことをご存知なんですね」
「無論。冒険者の選定・契約その他は私が仕切っているが、他4人にも報告をするつもりだ」
ミケは頷いて、さらに問いを重ねた。
「では、前ギルド長について、もう少しお伺いしてよろしいですか」
ジルが頷いて続く。
「ミナザキ氏はどんな方だったんですか?」
ムツブの瞳の色が、少し穏やかになったようだった。
「立派な方だった。公明正大で、誰に対しても分け隔てなく、優しくかつ厳しい、そして完璧な方だった。
ナノクニでは魔道士の地位はまだ低い。ギルドのある街も少ない。魔道というものに対して理解を得られず、生計を立てるのに苦労する者も多かった。
ミナザキ様はそれを憂い、魔道士が安心して研究に、己の技を磨くことに専念できるよう、マヒンダの総本山に働きかけ、ここダザイフにギルドを設立されたのだ」
「……立派な志を持った方だったのですね」
ファンが言うと、ムツブは嬉しそうに頷いた。
「魔道の理解のない場所に魔術師ギルドを設立するということは、口で言うほど生易しいことではなかった。私などは後からご協力申し上げた方なのだが、当初は経済的にも精神的にも、相当の苦労を強いられたようだ。私がミナザキ様に出会ったのはミナザキ様がまだ28の時だったが、それから間もなく度重なる心労で奥様を亡くされた。奥様を心から愛しておられたミナザキ様の憔悴ぶりは痛々しいほどだった…」
まるで自分のことのように辛そうに眉を顰めるムツブ。
「しかし、ミナザキ様はその悲しみも糧にしたかのように、精力的に仕事に励まれた。おかげで我がダザイフ支部は磐石の基礎を築き上げた。
ミナザキ様は評議長の地位に胡坐をかくことなく、我らにも慰労の言葉をかけてくださった。我らはミナザキ様の下、このダザイフ支部を発展させていくはずだったのだ…」
「……そこに、聖華が現れた、と」
千秋が言うと、ムツブは苦々しげに頷いた。
「ある日突然、ミナザキ様はこの子を引き取り育てると、セイカを連れてきた…ミナザキ様が…そう、41の時だ。我らは驚いた。今まで亡くなった奥様を心の底から愛し、再婚をすることもなかったあの方が、突如孤児院から子供を引き取られたのだ」
「……セイカは、どんな人ですか」
ジルが質問を重ねると、ムツブはさらに眉根を寄せた。
「人形のような女だ。必要最低限の事しか口にせず、笑いもしなければ泣きも怒りもしない。腹の中で何を考えているかわかったものではない。心眼だか何だか知らんが、いつも目を閉じて人の目を見ようともせぬ。冷たく、情のない女よ」
「生前、文隆様と聖華様の仲はどうだったのでしょうか?」
暮葉が僅かに首をかしげて言った。
「今の聖華様の振る舞いは文隆様に対しても同じだったのですか?」
「ふむ。ミナザキ様は教育と称し、よくギルドにもセイカを連れて来られていたが…少なくとも私は、あの親子が仲睦まじく話している姿を見たことはない」
ムツブは腕を組んで、過去の記憶をたどっているようだった。
「教育をされているのだから、教師と生徒のような態度であったと、その時は思ったが…孤児であるゆえ、引き取り親であるミナザキ様に遠慮をしているのか、とも思った。話す言葉も敬語であったし、やはり必要以上のことは喋らなかった。その頃は心眼も身につけてはおらなかった…ミナザキ様が教え込まれたのだろう。
ミナザキ様も我らの前だからであろうか、ことさらセイカを可愛がるようなそぶりはお見せにならなかった。傍目から見ても淡白な親子であった。だから余計に、ミナザキ様がセイカにギルドを継がせると遺言したことを妙に思ったものだ。我らには、ミナザキ様がそれほどまでにセイカを愛していたようには見えなかったからな」
「なるほど…」
暮葉は頷いて口を閉じた。
「あなたはもしセイカ氏が無実だという証拠が出てきたらどうするおつもりでしょうか?」
ファンが言うと、ムツブはそちらに視線を向けた。
「それでもなおセイカ氏を疑うおつもりでしょうか?」
ぎろり。
ムツブの視線が険しくなる。
ファンは堪えた様子もなく、ムツブの答を待った。
ややあって、ムツブは嘆息した。
「……その証拠にも寄る。疑いが消えるかどうかはわからんが、少なくとも無実であるというはっきりした証拠が出揃えば、何がしかの行動に出ることはあるまいと思う。
もちろん、その場合も調査に対する報酬は払おう。前金で半分渡しておく」
「そうですか」
ファンは言って頷いた。
「ではもし、調査の結果、セイカ殿が魔物と判明した場合、おぬしは如何するお積もりかな」
マシュウが言い、ムツブはそちらを向いた。
「問答無用に即成敗されるのか、まずは同志を募る、警戒しながら様子見をする、いろいろ考えられるが、どうであろうか。
拙者らは調べるだけでよいのか?セイカ殿が人・魔物にかかわらず悪だった時…悪の判断は人により異なろうが…たとえば我が身に危険が及ぶと感じた場合、斬り捨ててもよいか?」
「願ってもない」
ムツブは身を乗り出した。
「彼奴が真に魔物だったとするならば、おのが目的のためにミナザキ様を殺し、魔術師ギルドを乗っ取ろうと企む不埒な輩は即成敗すべきであると思っている。貴殿らに手を貸して頂けるのなら有難い」
「斬り捨てた場合、当然の庇護はあるであろうな」
「魔物ならば、切り捨てたところで罪にはなるまい」
当然というように頷くムツブ。
「……報酬は、調査に対して出るんだろうな?その後手を貸さなかったからといって、残りの報酬を払わないというようなことはないな?」
千秋が憮然として言い、ムツブは意外そうにそちらを見た。
「魔物を成敗するのに、手を貸しては頂けぬと?」
さも当然のことのように言うムツブに、千秋は肩を竦めた。
「潜入捜査の依頼、ということだったはずだ。依頼としては、対象が魔物である証拠を集める。そこまでだろう。その後、それを発表して引き摺り下ろすことまでは手を貸さんし、その結果どうなろうと俺は知らんぞ?」
「……貴殿がそのようなお考えであるならば、無理強いはせぬ。他の冒険者殿に対しても同様だ」
ムツブはまだ理解できないというような表情だったが、不承不承に頷く。
千秋は頷くと、仲間達の方を向いた。
「ならいい。さて、どう調べるか、だが……」
「調査に際し、ご留意いただきたいことがある」
千秋の言葉に続く形で、ムツブが続ける。
「先ほども申し上げたとおり、セイカは現時点で魔術師ギルドの支部長であり、私の上司にあたる存在だ。
そのセイカを、私が冒険者を雇って、魔物であるかどうかの調査をさせたなど、本人はもちろん、他に知られることは防ぎたい」
「あ、そ、そうですね……で、ですから、潜入捜査、って……」
コンドルが言い、ムツブはそちらに向かって頷いた。
「この捜査のことを知っているのは、先ほど話した私を含む5人の者達だけだ。その者たちにも硬く口止めをしてある。
先ほども申し上げたとおり、セイカは卓越した魔道の使い手であり、魔術師ギルドを纏め上げ運営するほどの知識と知恵の持ち主だ。どこにどう手を回しているかわからぬ。たとえその者たちが相手であっても、この捜査のことを決して口には出さぬよう、徹底していただきたい」
「バレてクビになっちゃ~困るってこったな。オッケェ、任せときな」
ヴォルガが親指を立てて言う。他の冒険者達の表情からも同意した旨が伺い知れた。
ムツブは頷くと、再び冒険者達を見渡した。
「具体的な捜査方法だが…ある程度は貴殿らにお任せするとしても、何がしかの指針は必要だろう。
捜査をするのに有効と思われる場所に、二、三心当たりがある」
言って、懐から何かを取り出す。
テーブルの上に広げた、それは地図のようだった。
「一つは、言うまでもなく我が魔術師ギルドダザイフ支部だ。
セイカは昼間はここに居て、職務をこなしている。
二つ目は、ここ」
ムツブは、ギルドの建物からやや離れた場所を指差した。
「セイカの自宅だ。無論、故ミナザキ様のお屋敷でもある。今は一人で住んでいるようだ。ストゥルーの刻には職務を終えて帰宅する。
三つ目は、ここだ」
それから、指を滑らせてギルドを挟んで反対側の建物を指差す。
「ディーシュ教会。ミナザキ様は生前からよくこのディーシュ教会に足を運ばれていた。セイカが一緒だったことも多かったように思う。私は詳しいことはよく判らぬが、おそらくミナザキ様が懇意にしている人物が居るのだろう。何か話を聞けるかも知れぬ。
最後に、ここだ」
ダザイフの入り口近くにある建物に指を滑らせて。
「小白川……コシラカワ孤児院。ミナザキ様が、セイカを引き取られた孤児院だ」
冒険者達の表情に緊張が走る。
ムツブは息をつくと、再び冒険者達を見渡した。
「それぞれに散らばり、情報を集めて欲しい。ただし、先ほど申し上げたとおり、おおっぴらにセイカが魔物であるかどうかの調査など出来ぬ。何がしかの理由をつけ、聞き込みや調査を行っていただきたい」
「はいは~い、オレセイカちゃんの自宅ね!」
ヴォルガが真っ先に手を上げた。なんとなく目的を察した幾人かの冒険者達が微妙な表情になる。
「……じゃあ、私も」
ジルが手を上げると、
「では、わたしもお供いたします」
暮葉がそれに続く。ジルはきょとんとして暮葉を見、暮葉はそれににこりと微笑み返した。
「おいおい、オレぁガキのお守り役かぁ?ま、足手まといにならないようにしろよ?」
からかうように言うヴォルガ。
2人とも特に怒った様子もなく、ジルは淡々と、暮葉は丁寧に返事をする。
「……がんばるよ。よろしく」
「よろしくお願いいたします、ヴォルガさん」
セイカの自宅に行く面々はまとまったようだ。
「ええと。僕は…前ギルド長、ミナザキ・フミタカさんの伝記を製作するためにムツブさんが雇った人間として、ギルドの内部を取材する、というようにしたいと思うんですが」
ミケが言うと、ムツブは驚いて眉を上げた。
「成る程、それはいい考えだ。ミナザキ様の正式な伝記を作るという話は今まで出なかったゆえ、そういうことならセイカも疑うまい。判った、手を回そう」
「あ、あの、じゃ、じゃあ、ボクも、ギルドの方に…い、行きたいんですけど……え、えと、ミケさんの助手、みたいな感じで……」
「わかりました、よろしくお願いしますね、コンドルさん」
ミケが微笑みかけると、コンドルは安心したように微笑んだ。
「では、拙者もその話に一口乗らせていただこう」
マシュウがずい、と身を乗り出す。
「そのコシラカワ孤児院が気になるのでな。そうさの、フミタカ殿とセイカ殿の出会いを伝えるため、詳しく話を聞きたいと。そのような名目で訪れようと思う」
「孤児院なら俺も気になるな」
それにはリウジェが続いた。
「しかし、俺のこの目で伝記の編纂もねえだろ。俺は別に伝があるから、そっちから孤児院に行かせてもらうぜ」
「承知。出会うこともあろうが、他人ということでよいのだな」
「ああ、こっちも了解だ」
「となれば、この刀は不釣り合いじゃな。預かっておいてはくれぬだろうか」
マシュウが携帯していた刀を差し出すと、ムツブは頷いて受け取った。
「承知した。宜しく頼む」
孤児院に行くグループもまとまったようだった。
「じゃあ、オレもその伝記の話に乗らせてもらうよ」
クルムが軽く手を挙げる。
「オレはディーシュ教会に行こうと思う。その、ミナザキさんと親しかった人と話が出来たらいいと思うんだけど」
「そうか……では、俺は観光に来た旅行者ということでアプローチをしてみよう」
それには、千秋が続いた。
「クルムが聞き込みをしてくれるなら任せても安心だろう。別のアプローチも必要だろうからな」
「では、私もそういたしましょう」
ファンがにこりと微笑んで、続く。
「私も別のアプローチが出来ると思いますが…教会内部の様子も気になりますしね。お供いたしますよ」
「そうか。まあ、あまり連れにも見えんしな…別々に行ったほうがいいかもしれん。大体の時間を合わせて、別々に観光目的で来た、としようか」
「判りました。よろしくお願いします」
教会に行く段取りも決まったようだ。
ムツブはゆっくりと頷いた。
「よし。では、調査の方、くれぐれもよろしく願う。
明日、同じ時間にこの場所で報告を聞こう」
「わかりました」
ミケが返事をし、冒険者達も同様に頷いた。

Innocent Orphan

「コシラカワ孤児院てのは、ここでいいのか」
ドアを開けるなり、リウジェはぶっきらぼうにそう言った。
ドアの近くにいた少女が、目を丸くして彼を見ている。その様子を感じ取ったリウジェは、そちらの方に首を向けた。
「おい、聞いてんのか。ここはコシラカワ孤児院かって聞いてんだろ」
けんか腰のその言葉に、少女は一瞬びくりと体を震わせて…それから、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「うん、そうだよー。おじちゃん、だれ?」
「おじっ……!あ、あのな?ここに、歌いに来るようにディーシュ教会のやつに言われて来た。院長とかそんな奴はいるか?」
「いんちょーせんせ?うん、いるよー。いまはー、おきゃくさんがきててー、みんなといっしょにおゆうぎしつにいるのー」
「そうか。俺はお前らに歌を聞かせるために来たんだ。そンならそこでいい、案内してくれよ」
「うん、わかったー。こっちー」
言って、少女はリウジェの手を取って引いた。
「お、おい。引っ張るな」
「え、おじちゃん、おめめみえないんじゃないのー?」
きょとんとした少女の質問に、リウジェは困ったような表情になる。今まで目の事を無遠慮に聞いたり馬鹿にしたような奴らには残らず自分の愚行を思い知らせてやったものだが、この少女の無垢な質問には毒気を抜かれてしまう。
「あ、ああ、見えねェが、別に普通に歩けるンだよ」
「そうなのー?そっちのくろいワンちゃんもおいでー、みんなであそぼ!」
少女はリウジェの傍らのインファンに抱きつき、ひとしきり撫でてからたっと駆け出した。
「おゆうぎしつ、こっちだよー。おいで、おじちゃん」
「だからおじちゃんじゃねェっつってんだろ!」
リウジェは少女に向かって怒鳴り、チッと舌打ちしてからその後に続いた。

「ああ、あなたがディーシュ教会がご紹介くださった方ですか」
遊戯室とやらに入ると、穏やかな男の声が迎えた。
きゃいきゃいと騒ぐ子供たちの声と共に、大人がこちらに近づいてくる気配がする。
リウジェはこの男が「いんちょーせんせ」なのだろうとあたりをつけ、そちらを向いた。
彼の目には残念ながら見ることは叶わなかったが、濃紺のキモノに同色のハオリを重ねて着た、年のころにすれば四、五十がらみの穏やかな男である。黒髪を長く伸ばし、後ろでゆるくまとめている。穏やかそうな黒い瞳に、形よく揃えられた口髭が上品さをかもし出している。
「子供たちのために、リュウアンの歌を聞かせてくださるとか。お待ちしておりました、こちらへどうぞ」
「奉流戒だ。リウジェと呼んでくれ」
「私は小白川鷹深……コシラカワ・タカミと申します。この孤児院の院長をしております」
タカミと名乗ったその男性は、言って穏やかに微笑むと、くるりときびすを返して子供たちに声をかけた。
「さあ、歌のお兄さんが来ましたよ。みんな、集まって」
穏やかな、しかしよく通る声でタカミが言うと、子供たちはきゃいきゃい言いながら部屋の中央に集まった。
そして、それを確認してから部屋の奥にいる人物をふり返る。
「申し訳ありません、摩周さん。そういうわけですので……」
「なに、構わぬ。拙者も是非拝聴させていただきたい」
部屋の奥手に座っていたマシュウが、頷いて一礼する。
リウジェは示し合わせていた通り、マシュウと面識がないふりをしてふいと顔を逸らし、子供たちの前にどかりと腰をおろした。
そして、背負っていた蝶の模様のついた箱を開け、中から楽器を取り出す。
小さな土台に2本だけ弦を張った、弦楽器のようだった。弓は弦をくぐるようにしてついており、楽器本体と切り離せないようになっている。
リウジェはその楽器をひざの上に乗せ、すっと慣れた様子で指を這わせた。
「おじちゃん、これなにー?」
「だからおじちゃんはよせってんだ!…コレぁ、二胡ってんだ」
「にこ?」
「ああ、リュウアンの楽器だ。コレを動かして音を出す」
「わぁい、やってやってぇ~!」
「ちっと待ってろよ…」
リウジェは言いながら、楽器上部の突起を動かして音を調節していく。
「何の歌がいい。っつっても、リュウアンの歌は知らねェか?」
「わかんなーいー」
「そうだな、俺の知らねェ歌でもちぃっと諳んじてくれりゃあこっちで上手くやるがどうだ?」
リウジェが子供たちに言うと、後ろでマシュウと並んで座っていたタカミが声をかけた。
「子供たちにはリュウアンの歌を、ということで言ってありますので、是非リュウアンの歌を聞かせて頂きたいです」
「そうか。わかった、んじゃ聞いてろよ」
リウジェは言って、すぅ、と深呼吸をした。
慣れた手つきで弓を動かすと、小さなその楽器から繊細な音が流れ出す。
子供たちの声がふっと消えた。
ナノクニのものでない、リュウアン独特の美しくも物悲しいメロディが、あまり広くはない遊戯室に響き渡る。
リウジェの傍らに座ったインファンも、心なしかうっとりしたように聞き入っている。
やがて、物悲しい旋律が終わり、その余韻が部屋の中から消えると、わぁっと歓声と共に拍手が巻き起こった。
「おじちゃん、すごいすごぉい!」
「きれいなおと~!なんていうおうたなの?」
「もっともっとぉ~!もっとひいてー!」
リウジェの周りに子供たちが駆け寄って、次々に言葉をかけていく。
リウジェはくすぐったそうな微妙な表情で、子供たちの言葉に答えている。
マシュウとタカミは微笑ましそうにその光景を見守っていた。

「ご苦労様でした、リウジェさん。ありがとうございます」
「なァに、こんなんでも慰みになりゃそれでいいさ」
一通り演奏を終えたリウジェは、子供たちにインファンを生贄として捧…もとい、インファンに子供たちを任せ、自らはタカミとマシュウの正面にどかりと座り込んだ。
「んで、このおっさんは?」
「ああ、ええと…魔術師ギルドの方で、前ギルド長の伝記を編纂するということで…取材をされるそうなのですよ」
「摩周=山冥と申す。宜しく頼む」
「リウジェだ」
簡単に挨拶を交わし、リウジェはタカミに向き直った。
「魔術師ギルド長の伝記たぁねェ。そういや、今のギルド長はここの出なんだってな?」
リウジェの言葉に、タカミは意外そうに眉を上げた。
「よくご存知ですね。あまり知られていない事実だと思っていましたが…」
「……あー、いや。ディーシュ教会に知り合いがいてよ。そいつから聞いたンだ」
「そうですか。あそこは皆崎様ともご懇意にされていらっしゃいましたしね」
タカミはにこりと笑みを返し、リウジェはこっそり胸をなでおろす。
マシュウがそれに続く形で言った。
「ミナザキ殿はここからセイカ殿を引き取られ、魔術師ギルドとして申し分ないほどの存在に育て上げたという。ミナザキ殿の生涯を語るのに、セイカ殿のことは欠かせぬものであろう。
少々立ち入った話もするが、お答えいただければ有難い」
「聖華ですか……はい、よく覚えています」
タカミは穏やかに微笑んだ。
「この孤児院から巣立っていった子が、そのように活躍しているのはこの上ない喜びです。
私で出来ることでしたら、お手伝いさせてください」
「うむ。では、セイカ殿はそもそもなぜ、この孤児院に預けられたのだろうか?誰に連れてこられたのだ?」
マシュウの質問に、タカミは痛ましげに眉を寄せた。
「…あの子は、5歳の時に家が火事に見舞われ…ご両親をそれで亡くしまして…身よりもおらず、一時的に預かっていた自警団の方が当孤児院に連れてこられました」
「ほう、そのようなめぐり合わせであったとは…痛ましいことじゃ」
「はい。当時は火事とご両親を亡くしたショックで、言葉を全く話しませんでした。5歳であれば、ある程度の言葉は話せるはずですが…家事でほとんどのものが焼かれてしまい、彼女がここに持ち入れた物は、当時着ていた単のみでした」
「ヒトエ…ってのはなンだ?」
リウジェが訊ねると、タカミはそちらを向いた。
「眠る時に着る、薄い着物のことです。あの子の家が火事に見舞われたのは、真夜中のことであったそうです」
「そうか……ひでェ目にあったんだな……」
やりきれないように、リウジェ。
「そのヒトエは、まだ残っているのか?」
マシュウが重ねて問い、タカミはきょとんとした。
「え?いえ……さすがにもう、残ってはいないと思いますが…」
「そうか、妙なことを聞いて済まぬ。
では、セイカ殿は当時から、ろくに口を利かぬ、他者を寄せ付けぬ子供であったと?」
「あ、いえ……この孤児院で多くの仲間に触れ、徐々にあの子も心を開いていきました。
仲の良い子もおりましたし、多少無口ではありましたが、優しいいい子でしたよ」
「一人を好む子供だったのか?」
「そうですね、あの子達のような元気な子に比べると、多少内向的であったとは思います。外でみんなで遊ぶよりも、部屋の中で本を読んでいるのが好きな子でした」
「仲の良い子供もあったと言われたな。その子は今どこに?」
「聖華と同年代でしたから、もうこの孤児院を離れています。引き取られていった子もいますし、独立して自分で生計を立てている子もいます。どちらにしろ、もうダザイフにはいませんし、聖華と連絡を取り合うこともないと思いますよ」
「そうか……」
「仲のよかった奴、に限定しねぇでも、いねェのか?この孤児院に、セイカを知ってる奴ってのは」
リウジェが言い、タカミはそちらを向いた。
「そうですね…聖華が皆崎様に引き取られたのは彼女が10歳の時…もう8年も前になりますから…彼女のことを記憶に留めている子はいないと思います」
「あァ?もうそンなに経つのか…」
「……リウジェさんも、聖華に興味が?」
突っ込んで訊かれ、リウジェは再びいやな汗をかいた。
「あン?いや、そのさっきの教会のやつから聞いたンだけどよ、そのセイカって奴ァ、心眼とやらを持ってるそうじゃねェか」
「心眼?」
眉を寄せるタカミ。リウジェも訝しげな表情を作った。
「あン?知らねェのか?目を閉じててもモノが見えるって聞いたんだが…ここにいた頃はそうじゃなかったのか?」
「ええ、初耳です……あの子は火事に見舞われましたが、目にも耳にも特に障害はなく、身体も酷い火傷はない綺麗な状態でした…きっと、ご両親が命がけで彼女を助けたのでしょう。ショックによる言語消失も一時的なものでしたし、身体的に特に障害はありませんでしたよ」
「そう…なのか。じゃあ、やっぱり引き取られてから身につけたンだな……」
ぶつぶつと自分の考えに篭ったリウジェをよそに、マシュウは質問を続けた。
「セイカ殿が魔力らしきものを発現したのはいつ頃か?」
「それが、私も驚いたのですよ」
タカミはわずかに首を傾けた。
「この孤児院で、聖華が魔道やそれに準ずる力を発現させたことはないのです。ですから、ギルド長になったと聞いて、あの子にはそれほどの魔力があったのだと驚きました」
「では、魔力がある故の迫害なども…」
「ええ、ありませんでした。皆の人気者というわけではありませんでしたが、特に誰かから激しく嫌われたり憎まれたり、そういうトラブルとは無縁の子でしたね」
「そうか…では、フミタカ殿がセイカ殿を引き取られた折の話を伺おう」
マシュウは言って居住まいを正した。
「まず、そもそもフミタカ殿はなぜ、この孤児院に赴かれたのだろうか?ディーシュ教会同様、おぬしもフミタカ殿と旧知の間柄であると?」
「いえ、皆崎様とは聖華を引き取られてからはお会いしていませんし、それ以前も同様です。私も驚いたのですよ。突然当孤児院に来られて、聖華を指し示し、あの子のことを聞きたいと……それからは、かなりとんとん拍子にお話がまとまって、一月もしないうちに聖華は皆崎様のところへ引き取られていきました。喜ばしいことでしたが…少々変わった状況であったのは、確かですね」
「そのミナヅキってェのは……」
「リウジェ殿、ミナザキ殿じゃ」
「あ?あァ、悪ィ。そのミナザキってェのは、セイカの何をそんなに気に入ったんだ?だって、ここで魔法とか使ってなかったンだろ?」
リウジェが言い、タカミはそちらを向いて首を捻った。
「さあ……実は、私もそのあたりは判らないのです。あるいは、皆崎様は、聖華の持つ潜在的な魔力をお見通しになり、自らの後継者とするために引き取られたのかもしれませんが…」
「フミタカ殿は、セイカ殿を引き取られる折に何かを仰ってはいなかったか?引き取られた理由などについてでなくても良いのだが…」
「さあ…淡々と事務的な手続きを取られていた印象でしたね。…あぁ、もしかしたら」
「うむ?」
タカミはふと何かを思い出したように、言葉を続けた。
「皆崎様は、右頬の後ろあたりに大きな火傷の跡のようなものがございました。もしかしたら、ご自分の体験と聖華の境遇を重ねられたのかもしれません」
「フミタカ殿も、火事に見舞われたと?」
「いえ、そのあたりを詳しくお聞きしたわけではありませんが…その火傷も、髪で上手く隠しておられましたし…あまり立ち入ったことをお聞きするのも憚られまして」
「そうか……フミタカ殿とセイカ殿が何か話しているというようなことはなかったか?」
マシュウが質問を重ね、タカミは再び首を捻った。
「さぁ…お2人とも、無口な方でしたので…何か話していれば印象に残るとは思うのですが…ちょっと、記憶にありませんね。8年前のことですし、曖昧になっているのかもしれません」
「ふむ……なるほど、参考になった。ご協力感謝する」
マシュウは言って、深々と頭を下げた。
タカミはにこりと微笑んで、それに答える。
「いえ、このようなことでよろしければ。皆崎様の伝記の編纂、頑張って下さいね」

Innocent Church

「ふふふ。千秋君、また何か妙な事に首を突っ込んでいるらしいじゃないか……」
突如背後から聞こえた聞き覚えのある声に、千秋はざわりと悪寒が走るのを感じた。
「……五月蝿い。それよりも外を出歩いていいのか。お忍びなんだろう?」
内心の動揺を気取られないように平静を装って、訊ねる。
背後の人物がにやり、と笑うのを気配で感じた。
「何。ローブを頭からかぶっているからね。誰も私だとは気づかないよ」
そう言われ、初めてふり返る。
2メートル以上はあろうかという体躯。以前に見たのと違う、高価そうな布地を使った水干に身を包み、上からこれも高価そうな絹の被り物をしている。ゆったりとした衣であったので、大柄な男性のように見える。
「……角も、隠しているようだな」
半眼で千秋が言うと、その人物はにやりと笑った。
「ふふふ。君に言われたからね…」
「普通、言われないでも隠すものだがな」
なおも憮然として言う千秋。
その人物……彼女は、くすくすと笑いながら千秋の隣に腰をかけた。
彼女は自称『柘榴の君』。ナノクニに古くから蔓延る、二本の角と強い力を持った一族…『鬼族』の女性で、千秋の雇い主…のようなものだ。
「……で? ギルドにはもう行ってきたのか?」
千秋が訊ねると、柘榴はニヤニヤと笑ったまま答えた。
「いいや?」
「何だと?」
眉を潜める千秋。
柘榴はなおも面白そうにニヤニヤ笑いながら、答える。
「君が妙なことに首を突っ込んでいるようだからね……しばらくはおとなしく見物をさせてもらおうかと思ってね」
「……おい」
千秋が半眼で訴えると、柘榴は楽しそうに声を上げて笑った。
「はっはっは。いいじゃないか、たまには。いつもいつも働かされて、話が聞けるのはいつも終わったあとだろう?」
「む……」
柘榴はその鬼の力で、表立ってではないもののナノクニではそれなりの力を持っている。その力を千秋のために使うこともままあり、千秋はその礼として、表に出て派手な行動の出来ない柘榴の代わりに活躍をし、その土産話を持ち帰る、という微妙なギブアンドテイクが成立している。
ゆえに柘榴の言うことももっともで、しかしどこか釈然としない気持ちを抱えて千秋が黙り込むと、柘榴はさらに言った。
「折角私のいるところで何かが起きているんだ。たまにはじっくりと見物をさせてもらいたいものだね」
「……」
千秋が憮然としていると、柘榴は微笑んで立ち上がった。
「必要になったら言うといい。私を楽しませて欲しいものだね……ふふふ」
それだけを言い残し、ふ、と大きな気配が離れていく。
千秋は嘆息した。
「……行ったか。ん?」
ふと手元を見れば、なにやら紙切れが残されている。
「何だこの伝票は……支払いは俺かっ!?」

「ここですね……」
ファンはディーシュ教会の入り口の前で、おそらく聖堂に繋がるだろう大きな扉を見上げていた。
「千秋さんは……まだのようですね。丁度いい」
ファンは言って、辺りをきょろきょろと見回した。
教会の横手に細い路地。そちらに歩いていって、奥に人気のないことを確認すると、そちらへと足を運んでいく。
「ヴァル、卵をお願いします」
独り言のように、ぽつりと言う。
と、ファンの心の中に彼のものでない言葉が響いた。
『…何に使う』
ファンは穏やかな表情のまま、心の声でそれに答える。
(人では見えない場所…案内されない場所に侵入し調査をするためです。小さな羽虫のタイプのものを20個…地中に潜れるものを、そうですね、5個ほど)
『御免だ』
(ヴァル?)
頭に響いた拒否の意思に、片眉を顰めるファン。
彼がヴァルと呼ぶ『何か』は、呆れたような思念波を彼に送ってきた。
『お前程度の魔力で20個今すぐここで作れだと?物理的に無理だ』
(では、魔力増強の薬を今処方しますから…)
『勘違いするな』
ファンの思いを遮るように、ヴァルは『言った』。
『我は貴様の意のままに動く僕ではない。取るに足らぬ力しか持たぬ貴様のために動くかどうか、決めるのは我だ』
ぐ、と返答に詰まるファン。
(……わかりました。作れるだけで構いません、お願いします)
『…6個。それが限度だ』
(……ありがとうございます)
『地中のものが一つと、後は全部羽虫だ。どう使うかは追って指示しろ』
(わかりました)
ファンが答えると、それっきりヴァルの『声』は聞こえなくなった。
ファンは嘆息して、路地裏を後にした。

「観光で来られたのですか?ようこそ、ダザイフへお越しくださいました」
出迎えたのは、17歳ほどの少年だった。
黒髪を短く揃え、穏やかなブラウンの瞳をレンズの大きなメガネで遮っている。頬に散るそばかすも含めて、彼に人懐こい印象を与えた。身に纏っているのはディーシュ教会のものらしい土色のローブ。
「こんなところにディーシュ教会があるとは思わなくてな。ディーシュを信仰しているわけじゃないが、建築物としても、その歴史にも興味がある。中を見て、できれば案内して歴史などを聞かせて貰って構わないだろうか」
「はい、もちろんです」
少年は嬉しそうに笑みを作った。
「そちらの方は、お連れですか?」
ファンの方を見て言う少年に、ファンはにこりと笑みを返した。
「いいえ。こちらの方が教会を見上げておられるので、私も気になりまして。よろしければ、私も一緒に回らせていただいて構いませんか?」
「はい、それでは中へどうぞ」
「かたじけない。俺は一日千秋という」
「ナノクニの方ですか?」
「ああ、ダザイフには初めて来るがな」
「私はファンブニル・アレイシスと申します」
ファンも簡単に自己紹介をすると、少年はにこりと微笑んだ。
「アスティール・ヴィグランと申します。アスとお呼びください」

大きな扉をくぐると、果たしてそこは予想通りの聖堂だった。
大聖堂、というほど高さも奥行きもないが、ディーシュをかたどったステンドグラスが大変美しく、正面に安置されているディーシュの像も小さくはあったが清らかな雰囲気を漂わせていた。
「では、このディーシュ教会が設立されたのはごく最近のことだと?」
「はい。先ほど千秋さんが仰ったように、この国は外から来たものを受け入れづらい性質があるようで、外来の神をなかなか受け入れてくださらなかったのですよ。
この教会自体が出来たのは、20年ほど前のことだったそうです」
「なるほど、そういう性質があるのは俺も感じている。ナノクニくんだりまで来てさぞ大変だろう。自分で言うのもなんだが、ナノクニはナノクニで独自の宗教を持ってるからな。大本は同じなんだろうが、形態が違えば受け入れがたいのはなんとなく理解できる」
「そのようです。実際、神官長様がここに教会を設立されるには、相当のご苦労があったようでした」
「外来のものはなかなか根付きにくい……もっとも、それは宗教には限らんが。根が閉鎖的なんだろう。……そういえば」
ふと思い出したように、千秋はアスに向き直った。
「この街にある……魔術師ギルドか?あれも確か外来の組織だろうに」
「魔術師ギルド……ですか?」
急に話しの矛先が変わり、アスはきょとんとした。
千秋は頷いて、続ける。
「排他的な土地に建てるとなれば、よほど苦労したに違いない。一度、どれほどの根性の持ち主か会ってみたいものだ」
少しこじつけだろうか、と内心思う千秋。
が、アスは特に疑問を持つことも無く、視線を動かした。
「僕は直接お会いしたことはないのですが……この地にギルドを作った評議長様と、当教会の神官長様は、旧知の間柄であったようです」
「ほう?」
千秋が興味を持ったように促すと、アスは苦笑した。
「僕も詳しいことはあまりお聞きしていないのですが。どちらも外来のものをこの地に持ち込むということでお互いに苦労を分かち合ってきたようです。神官長様が時折懐かしそうに語っておられました」
「そうか。そのような人物であるならば、評判も良かっただろうな」
「評議長様のことですか?そうですね、僕はあまりよく存じ上げませんが、神官長様のお話を聞く限りではとても人望のある方であったようです」
「………で、あった、とは?」
知っているのだが、あえて聞く千秋。
アスは眉根を寄せた。
「あの、お亡くなりになられているのです。4年ほど前に」
「……そうだったのか。では、現在の評議長は……」
千秋の質問に、アスは一瞬躊躇して、それから視線を逸らして、答えた。
「……娘の、セイカさんです」
その表情には気付かなかった振りをして、千秋は質問を重ねた。
「娘か。女性ながらにギルドをまとめているならば、その評議長も父上に似て人望の厚い娘なのだろうな」
「………」
アスは困ったような顔をした。
「…どうした?何かおかしな事を言ったか?」
何食わぬ顔をして押す千秋。
アスは戸惑ったように視線を泳がせ、やっと言葉を搾り出した。
「……いえ。とても……優秀な方、のようですよ。つつがなくギルドを取り仕切っていらっしゃるようです」
「そうか。ま、観光がてらギルドのほうを覗いてみることにしよう。見れれば、だがな」
これ以上の追求は不審がられるかも知れない。
千秋はあっさり引くと、別の話題を振った。
「立派な聖堂だな。ディーシュ像も芸術的だ。他に見られるような場所はあるのか?」
「そうですね、見学にいらした方には、この他に宝物室や書庫などをお見せしています」
「宝物室?そんなものがあるのか」
やや驚いて、千秋。
アスは笑顔で頷いた。
「はい。信者の方に寄進していただいた宗教関係の芸術品などを安置しております」
「それは興味があるな……いや、腐れ縁の知人に、コレクターがいてな。今まで散々困らされてきたから、体が勝手に反応してしまうんだ」
その発言だけ聞くととてつもなくいかがわしい。
「ふふ、ではこちらへどうぞ。アレイシスさんも行かれますか?」
千秋からは離れて隅のほうを見学していたファンにアスが声をかけると、ファンは振り返って微笑んだ。
「はい、是非お願いします」

聖堂から宝物室へは、細い廊下を通らねばならないようだった。
小さな窓から、庭の風景が見える。
ファンはそれを何とはなしに眺めながら、再び心の声を送った。
(……どうですか、ヴァル)
やや間を置いて、再びヴァルの『声』が頭に響く。
『…妙な空気の流れを感じる場所はない。隠し扉や部屋も見つからなかった』
(そうですか……庭から調べた地下は?)
『送った虫が一つであったゆえ、詳細な調査は出来ていないが、まず何も無いと見て間違いはないだろう』
(ふむ。聖堂と、これから行く宝物室や書庫意外に、部屋は?)
『懺悔室、神官長室、それに僧侶達が生活をするスペースだ』
(そちらの方にも調査をお願いします)
『……まあいい。待っていろ』
ヴァルの『声』は、そこで再び途絶えた。
「こちらが宝物室です。どうぞ」
そこで、アスの声がする。
ファンはにこりと微笑むと、そちらに足を向けた。
「では、失礼します」

宝物室と書庫は二部屋が一続きになっている構造のようで、中には所狭しと色々な美術品や本棚が並んでいた。
「ほう……これは、ちょっとしたものだな」
宗教画や神像、宗教関係に限らずとも目を奪われる見事な芸術品が並んでいる。
千秋は素直に感嘆の声を上げた。
「魔力の込められたものなどもあるのだろうか」
「さあ…僕も多少は魔道を扱いますが、それほど精通しているわけではありませんので…でも、美しいものばかりで、僕もよくこの部屋を訪れるのですよ」
嬉しそうに言うアス。
ファンは2人の会話をよそに、隣の書庫へと足を運んだ。
並んでいるのは主に宗教書…やはりディーシュ関連のものが多い。ディーシュ信仰の聖書はもちろん、各神々の信仰体系などについて纏めた宗教学の書物などもある。
「…おや……これは、魔道書、のようですね」
その中の一つに目を留めて言うと、宝物室の方からアスが歩いてきた。
「はい、先ほどの魔術師ギルドの前評議長様のものではないでしょうか」
「ああ……この教会を設立された方ですね」
「えっ?」
アスはきょとんとした。
「…いえ、違いますよ?こちらに教会を招聘されたのは、当教会の神官長様です。前評議長様は神官長さまと懇意でいらした、とは先ほどご説明いたしましたが…」
「あ……ああ、そうでしたか。何か聞き違いをしていたようです」
やはりどこかに気を移しつつ説明を聞き流していたのでは情報の伝達に問題が生じるようだ。
ファンは自分の記憶を修正すると、ふたたび魔道書の方を見た。
「では、その前評議長がこの書物をこちらに寄贈された、と」
「はい、そのようです。あまり開かれることは無いようですが…この教会にいるのは魔道士ではありませんからね」
「ふふ、その通りですね」
ファンは再び魔道書を見上げるが……
「……しかし、魔道の知識のない者が見てもどのような魔道書であるのかは見当もつきませんね」
「そうですね…ですが、当教会に預けられた…ということは、それほど必要としていない書物なのかもしれませんね」
「…千秋さんは魔道書のほうはわかりそうですか?」
千秋に話をふると、彼は肩を竦めて首を振った。
「いいや、皆目見当もつかん。宗教書の方も然りだ」
「そうですか……私も宗教書の方に造詣が深いわけではありませんからね……」
一通り書物を見ても、特におかしなところも見当たらない。書物のタイトルもごく普通のもので、何冊か手に取ってみたが特におかしいことは書いていない。ごくありきたりのものだ。
フミタカが設立した教会であるのならば、教会の誰も知らない隠し部屋などがあるかもしれなかったし、残した書物からセイカを引き取った理由が推察できるかと考えた。
しかし、魔道も宗教も専門でない上に、フミタカが設立したということ自体自分の聞き違いであったらしい。
ファンは嘆息した。
(…ヴァル、そちらはどうですか)
問いかければ、ヴァルは呆れたような思念波で答える。
『そう急くな。生活スペースはこちらもごく普通のものだった。何人かの僧侶が普通に生活を送っている。怪しい箇所も、隠し部屋も見つからない。懺悔室も然りだ』
(……ムツブ氏の方は?)
『そちらも特に変わりはない。ギルドに行って仕事をしているようだ』
(……そうですか。神官長室は?)
『神官長室は、今は来客があるようだな。あれは、お前が共に依頼を受けた少年ではないか?』
(……クルムさんですね。様子を見せてもらえますか)
『人使いの荒い奴だ。少し目を閉じろ』
ヴァルの言ったとおりファンが目を閉じると、目の前に部屋の風景が映し出された。

「神官長のテオドール・カペレと申します」
神官長室に通されてすぐに、穏やかな声がクルムを迎えた。
もう50、下手すると60がらみにはなるだろうか。どちらかというと痩せ型で、上品な感じのする男性だ。幾分か薄めの白髪、丁寧に切りそろえられた髭。穏やかそうな薄紫色の瞳は丸く小さな眼鏡で遮られている。ディーシュ教会の神官が着るブラウンのローブに、さらにもう一枚白いローブを羽織り、帽子をかぶっている。
クルムは穏やかに微笑むと、礼をした。
「クルム・ウィーグです。お忙しいところをすみません」
「フミタカさんの伝記を編纂されるそうですね。お越しいただいて嬉しいです、何でも聞いてください」
テオドールは本当に嬉しそうに微笑んで、クルムに椅子を促した。
クルムは一礼して座ると、早速話を切り出す。
「ギルドの人から連絡が行っていると思いますが…前ギルド長、ミナザキさんの伝記を作るにあたり、魔術師ギルドに雇われて、取材をしています。
伝記には、ダザイフに魔術師ギルドを設立した功労者である、ミナザキさんの事績を後世に伝えるために、彼の生涯の叙述と、併せてダザイフ魔術師ギルドについても詳しく紹介する項目を設けています」
「そうなのですか。それはまた、大掛かりなものですね」
テオドールは感心したように言った。
「質問が、ミナザキさんの事以外に、魔術師ギルドに関する事にも及びますが、ご存知のことをお話出来る範囲で良いので、教えていただけると助かります」
「はい、もちろんです。なんでもお訊き下さいね」
にこりと微笑むテオドールに、安心した様子で微笑んで。
クルムは早速質問を開始した。
「ミナザキさんは、この教会と懇意にしていたと聞きましたが、どなたか仲の良い方が教会にいらっしゃったのでしょうか」
「ええ、大変親しくさせていただきました。どなたかと言われれば、わたくしが、ということになりますね」
「神官長さんが?」
「はい。お互いによく行き来をしていましたよ」
「ミナザキさんとの交流は、どういったきっかけでいつ頃から始まったんですか?」
「わたくしとフミタカさんは、同時期にこのダザイフにお互いの施設を建設しようという志を持って来たのです。新しいものを受け入れにくいナノクニの土地柄で、わたくしたちは大変苦労をしました。お互いに慰めあい、励ましあいながら、わたくしたちはギルドと教会を建設していったのですよ」
「そうだったんですか……」
クルムは感心したように息を吐いた。
「ミナザキさんがギルドをこの地に設立しようと思われた動機や当時その心境を、ミナザキさんからお聞きしたことはありますか」
「そうですね…」
テオドールは遠い目をして記憶を探った。
「フミタカさんはこの街の出身なのだそうですよ。マヒンダで学び、魔道をこの街に持ち帰って、みんなに魔道のすばらしさを知ってもらいたい、もっと魔道を人々の役に立てたい、と思っていたのだそうです。しかし、ナノクニでは魔道はあまりポピュラーなものではなく、外来のものを嫌う国民性から、魔道士は敬遠される事が多かった。
そんな魔道士たちに、不自由な思いをさせずに魔道の勉強をさせ、そしてもっと人々に魔道のすばらしさを広めたい。フミタカさんはそういう志を持って、魔術師ギルドをこの地に招聘したのです」
「そうですか…立派な方だったんですね」
クルムが言うと、テオドールは自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
「はい。フミタカさんはよそ者であるわたくしにも何くれと無く親切にしてくださり、共に施設を建設するための手続きや役所への届出、近隣の皆様へのご挨拶や根回しなどをしてくださったのですよ。
本当に、この教会があるのはフミタカさんのおかげだと言っても良いくらいです」
「ミナザキさんはこの教会に埋葬されているのですか?」
「いいえ、彼には彼が信仰している教えがありましたから、彼の先祖代々のお墓に埋葬されていますよ」
特に気にした風もなく、穏やかに微笑むテオドール。
クルムは続けた。
「そうですか…ミナザキさんは突然亡くなったということですが、ギルドの将来を案じ、亡くなる直前、ご自分の養子で、幼い頃より聡明だったセイカさんを、後継の評議長として指名したそうですね」
「ええ…そう伺っております」
テオドールは変わらぬ様子で相槌を打った。
「ミナザキさんは当時、セイカさんのすぐれた才覚、資質を認めていても、まだ年若いセイカさんに、ご自分が統べてきたギルドの全権を託すことを、ずいぶん悩んだのでは、と思うんです。
ミナザキさんが亡くなったのは本当に突然のことで、ギルドの関係者の中に、ミナザキさんが自分の後継にセイカさんを推薦した経緯、心情を、直接聞いたものはいないそうです。
もしそのことについて、当時ミナザキさんから相談を受けたり、心境を聞かれていらしたら、お聞かせいただきたいのですが」
「セイカちゃんがギルド長を継がれたと聞いて、わたくしも驚きました。セイカちゃんをギルド長に、というお話は、わたくしも聞いていなかったものですから」
「そうなんですか?」
驚いて、クルム。
テオドールは僅かに眉を曇らせた。
「しかし、わたくしの口を出すことではありませんし…セイカちゃんとは2、3度顔を合わせただけであまり親しくも無かったものですから…その後、ギルドの方とも少しギクシャクする事がありまして…今ではもっぱら、見習いを使いに出している状況です」
「そうなのですか…」
やや表情を曇らせるテオドール。クルムは続けた。
「でも、ミナザキさんは慧眼の持ち主でしたね。
現評議長セイカさんは、就任してから現在まで、立派にギルドを統轄しています」
「ええ、そのようですね」
テオドールは再び穏やかに微笑んだ。
「ミナザキさんは生前、彼女についてどう思っていたか……たとえば、養女に引き取った理由や、彼女の印象などどんなふうに言っていましたか?」
「先ほども申し上げましたが、セイカちゃんを、フミタカさんはめったにここに連れては来なかったんですよ。引き取った時も本当に突然で…ある日セイカちゃんを連れてきて養子にした、という感じでした。フミタカさんの口からセイカちゃんの事を聞いたことも、あまりありませんでしたね…」
「そう……なんですか?」
クルムはきょとんとした。
テオドールは苦笑して言った。
「はい。親しくお付き合いさせていただいていたと思っていたので、わたくしとしてもそれなりにショックでしたよ。ですけれど、セイカさんのこと以外では以前のように親しくお付き合いさせていただいておりましたし、もしかしたらわたくしが立ち入ってはいけない何かがお二人の間にあるのかと思い、それ以上の詮索はするまいと思ったのです」
「なるほど……テオドールさんは、セイカさんの事をどう思っていらっしゃいますか?」
クルムの質問に、テオドールは一瞬微妙に表情を揺らした。
「…先ほど少し申し上げましたが…セイカさんが評議長になってから、ギルドと教会の間で少しトラブルがあったのですよ。そういったこともあり、わたくしとしてはセイカさんとはフミタカさんのようなお付き合いは出来ないと判断しております」
「トラブル…ですか?」
「ええ。いえ、何のことはありません、単なる気持ちの行き違いと、お互いに不穏な分子を抱えていたために事が大きくなった…というだけのことです。結局それを解決したのもセイカさんでしたしね。
信頼のおける、優秀な方だとは思っていますよ」
「そうですか……」
クルムは聞いた事を簡単にメモにまとめると、メモ帳を閉じて微笑んだ。
「ありがとうございました。大変参考になりました」
テオドールは再び嬉しそうに微笑んだ。
「お役に立てて光栄です。また何かご協力できる事がありましたら、いつでも仰って下さいね」

Innocent Chairman

「前ギルド長の伝記を作る?」
何か書類の整理をしていたらしき男性は、ミケの言葉に手を止めてそちらを見た。
ミケはにこりと微笑んで頷く。
「はい。登録管理部門のニワノさんに雇われました。ミーケン・デ=ピースといいます」
「じょ、助手のコンドルです……」
コンドルもその後ろでおずおずと名乗った。
男性な興味なさそうに肩を竦める。
「ふぅん……で、オレにも話を聞きたいって?」
「はい、ギルドに勤めていらっしゃる方のお話も聞きたいと思いまして」
「んー、オレらみたいな下っ端に話せることなんてそうないよ?仕事でここに来てるだけだし、ギルド長とも仕事での関わりしかないしなー」
困ったように眉を寄せる男性。
「では、ギルド長としてのミナザキさんはどんな方であったのか、お聞かせ頂いてよろしいですか?」
押すミケ。
男性は困ったような表情のまま、うーんと上を見て記憶をたぐった。
「もう4年前のことだからなあ。バリバリ仕事をこなす人だったよ。魔道の腕もすごかったみたいだし、人望もあったみたいだね。最初から皆崎さんについてきてた人はそれこそ宗教の教祖か神様みたいに皆崎さんを信奉してたよ。オレらはちょっとついていけないとこあったなあ」
「なるほど……」
「オレなんかはここ来たの6年前くらいだから、もうその頃には今のギルドの形が固まってて、与えられた仕事こなすだけだけどさ、今も。聞いた話だと、このギルド作ったのあの人なんだろ?その行動力と統率力は相当なもんだろうな、とは思うよ。素直に。そんな人と一緒に仕事してたら、まあ崇拝もするよな、みたいな?」
「せ、性格とか……ギルドの人たちへの接し方とかは、ど、どうだったんですか?」
コンドルが質問をすると、男性はそちらを向いた。
「んー、仕事に関しては厳しい人だったよ。でもそれだけの仕事をちゃんとやる人だったかな。仕事にはあまりプライベートを持ち込まなかったし、笑ったりしてるところをオレらはあまり見たことなかったけど。プライベートではどうだったんだろうね」
ミケはメモを取りながら、さらに質問を続けた。
「もっと情報が欲しいのですが、ミナザキさんが懇意にしていた方に心当たりはありますか?」
「さー……ちょっとわからないなあ」
「あ、あの、み、ミナザキさんが好む場所とかは……」
コンドルがさらに質問すると、男性は眉を顰めた。
「さっきも言ったけど、プライベートでの関わりは全然ないからね。社長と平社員に接点はないでしょ?」
「まあ、そうですね……」
ふむ、と唸るミケ。
「では、現評議長のセイカさんですが」
「え、評議長の話も聞くの?」
男性は意外そうに眉を上げた。が、すぐに自分で完結する。
「あ、そっか。娘だもんね」
「セイカさんはどんな方ですか?」
「うーんそうだなあ、若いのに大変だよね。でもあんだけ若いのに、オレより頭いいし、魔道の腕もすごいんだよ?多少ツンツンしたっつーか、そっけないとこはあると思うけど、かーわいいしさー。中にはあのそっけなさがたまんねーなんつー歪んだファンもいるよ?オレもあともうちょっと若かったらなー」
「そ、そうなんですか……」
微妙なコメントにちょっと引くミケ。
「ぎ、ギルドの人たちへの接し方とかは…」
先ほどと同じ質問をするコンドル。
「んーそうだなあ、やっぱり直接命令もらったりすることはめったにないけどさ、たまに話しても必要なことしか言わないし、ミスに対しても厳しいねえ。あれはお父さん譲りだろうねえ。あ、でもあんまし顔は似てないよね?なんだろね」
話を聞いて、この男性はセイカが孤児院から養子として引き取られたことを知らないのだろうか、とミケは思う。確かに、あまりおおっぴらに話すようなことでもない。
「さあ、それは……でも、14歳で評議長になったんですよね?それって結構すごいことじゃないですか?」
「あー、そうだねー。でも、評議長にはそんだけの力があったってことでしょ?」
「前ギルド長が指名なさったということですが…」
「え、そうなの?ふーん、なるほどねぇ…」
「ご存じなかったんですか?」
「え?いや、急に亡くなったでしょ、事故で。その後処理やら、滞った仕事の整理やらで、オレら下っ端には次の評議長がどうとか考えるヒマすらなかったんだよね。14の女の子が評議長になったときは驚いたけどさ、それからびっくりするくらい仕事の効率がよくなったんだよ。命令も簡潔でわかりやすいしさ。これで仕事ぜんぜん出来ないでギルドがたがた、ってなったらそりゃ考え物だけど、評議長はホントよくやってるでしょ。オレは全然不満はないなあ。昔っからいるひとはさ、そりゃブチブチ言ってたみたいだけど」
「昔からいる人、とは?」
「っと、アンタに言ったら不味かったかな?んーその、内緒にしといてよ?丹羽野さんとか、赤城さんとか、そのへんがさ。やっぱ、自分らが継ぐと思ってたみたいだし、そーとー色々あるんじゃないの?」
「…なるほど。大丈夫ですよ、他言はいたしません」
「サンキュー、助かるよ。オレ口軽いってみんなに言われててさー」
まったくその通りですね、という言葉を飲み込むミケ。
「あ、あなたは、その、現ギルド長のセイカさんのことを、ど、どう思いますか?す、素晴らしい人だとか、気に食わないだとか…そういうのでも何でもいいので」
コンドルが訊くと、男性は不思議そうに彼を見た。
「え、何でそんなこと訊くの?これって、前ギルド長の伝記なんでしょ?」
とたんにわたわたするコンドル。
「え、えと、そっ、それは、で、伝記を残すにあたって、こ、細かくても多くの情報が必要なんだす……うぐ」
最後は噛んでしまう。
男性はなおも不思議そうに首をひねって、それでも答えた。
「そんなもん?まあいいや、別にどうも?って感じかな?何度も言ったけど、よくやってるし、有能だと思うよ。スキとかキライとか言うほど深く関わってるわけじゃないしね」
「そ、そうですか……」
「晩年のフミタカ氏に、何か変わった様子はありましたか?」
ミケが重ねて問うと、男性は再び首をひねった。
「えー。オレは何にも感じなかったけど。変な噂も聞かないし、今時びっくりするくらい浮いた噂のない人だったよねー。まだ働き盛りだったし、下世話な話だけど奥さんいなくてイロイロ溜まることもあっただろうに、そーゆー話一切聞かなかったもんね。実はそーゆー人に限って裏でイロイロやってんのかもしんないけどね、ははっ」
陽気に笑い声を上げる男性に、ははは、と乾いた笑いを返すミケ。
「……質問はそのくらいでしょうか。お仕事中申し訳ありませんでした、ありがとうございました」
「え、もういいの?あっそ、んじゃがんばってねー」
男性はひらひらと手を振ると、また仕事に戻っていった。

「やはり、末端の方々からは大したお話は聞けませんね…」
部屋を出てからミケが嘆息すると、コンドルが苦笑した。
「そ、そうですね…あ、あまり、どちらとも仕事でしか関わってない感じでしたしね…」
「…ムツブさんの仰っていた、初期の5人にお話を聞いたほうがいいんでしょうか…」
「ど、どうでしょう…そ、その人たちは、ぼ、ボクたちのこと、し、知ってるんですよね?む、ムツブさんと同じような話しか、き、聞けないと思うんですけど……」
「そうかもしれませんね……」
2人が思案していると。
「おお、ここにいたか」
向こうの廊下から、当のムツブが姿を現した。
「ムツブさん。お疲れ様です」
ムツブは足早にこちらに駆け寄ると、性急な様子で告げた。
「許可が出たぞ。お会いになるそうだ」
「え、本当ですか。ありがとうございます」
軽く頭を下げるミケに、踵を返して促す。
「では、評議長室に案内しよう。ついてくるといい」

「魔術師ギルドダザイフ支部評議長、ミナザキ・セイカだ」
少女にしてはハスキーな声で淡々とそう告げたのは、緋色、という印象のする少女だった。
まっすぐな緋色の髪を後ろでまとめて垂らし、聞いていた通りしっかりと目を閉じてこちらに向けた相貌は、まさに人形のような、という言葉がふさわしい。まるで作り物のように表情がなく、そして作り物のように綺麗だった。橙色のナノクニ風の装束に臙脂色のハカマを履いている。評議長の机の前に立ち、目を閉じたままこちらに顔を向けていた。
「ミーケン・デ=ピースといいます。よろしくお願いします」
「あ、え、えと、コンドルです……」
簡単に自己紹介をすれば、僅かに頷いてそれに答える。
ミケは感嘆の表情と共に、思わず呟いた。
「……話には聞いていましたが、本当にお若いんですね」
セイカは僅かな沈黙の後、感情のこもらない声で言った。
「……ぬしらに言われる筋合いはないと思うが」
「はは、確かに」
見た目15歳のミケと見た目10歳以下のコンドルに、若いと言われるのも複雑な気分だ。
セイカは続けて口を開いた。
「義父上の伝記を編纂するそうだな。丹羽野より協力の要請があった」
「はい、お答えいただけますか?」
「私が答えぬ訳にもいくまい。出来る限りのことは答えよう。座るといい」
床…といっても、草が編まれたタタミというものらしいが、その上に敷かれた四角いクッションを指し示され、二人はその上に座った。セイカも同じように向かいのクッションに座る。
「では、早速ですが。漠然とした質問で申し訳ありませんが、お父上のフミタカさんがどんな方であったのか、お聞かせ願えますか」
「ご自分にも他人にも厳しい方であった。しかし、寛容で公正であった。知恵と行動力とを併せ持ち、抜群の統率力でギルドを率いていた。部下達の信頼も厚く、総合的に極めて優秀な方であったと思う」
「あ、あの、ミ、ミナザキさんはセイカさんにとって…お、親にあたる方ですよね。え、と…ミナザキさんはセイカさんにとってどんな…どんな親だったんですか?」
コンドルが訊ねると、セイカは少し沈黙した。
「……厳しい方であったと思う。魔道の経験のない私に、1から魔道を教えるのは…知識の面でも、実践の面でも、並大抵のことではない。教える方も、教えられる方も、だ」
「そうですね…よくわかります」
なんとなく同情して、ミケ。
「義父上は根気よく私に教えてくださったと思う。私も魔道を勉強し、実践するのは嫌いではなかったし、よく出来た時に義父上に認められるのも嬉しかった。義父上が私に厳しく接したことは苦ではなかったし、それはあの方の愛情であったのだと思う」
「そ、そうですか……え、えっと、魔道の勉強以外の時は、ど、どうだったんですか?」
コンドルが再び問うと、セイカはまた一瞬沈黙した。
「……不器用な方であったと思う。私も人のことは言えないのだが…義父上は言葉よりも行動で愛情を示される方であった。世間一般の親子がするような会話や触れ合いは、私たちの間では無縁だった。その代わり、義父上は私に何不自由ない生活と、魔道の知識と技能を与えてくださったのだし、それに……」
そこで、口を噤む。
「………?」
コンドルが首をかしげると、セイカは再び話し出した。
「…いや。なんでもない。一般的な愛情の示し方については不器用な方であったが、私はそれも義父上の愛情であったと理解している」
「そ、そう、ですか……」
「フミタカ氏個人のことについて、もう少し教えていただいていいですか」
コンドルの質問が終わったのを察し、ミケが続ける。
「フミタカ氏が懇意にしていた方はどなたかいらっしゃいますか?」
「覚えがあるのは、ディーシュ教会の神官長、テオドール・カペレ氏だ」
「なるほど……」
ディーシュ教会によく行っていたのは、神官長と仲がいいからなのだと心中で納得するミケ。
「立ち入ったことをお聞きします。セイカさんは、フミタカ氏が孤児院から引き取られた養女であるとうかがったのですが」
「その通りだ」
セイカはよどみなく答えた。
「フミタカ氏は、奥様を亡くされてからずっと、40を過ぎるまで独身を貫き通した方だったとうかがいました。そのフミタカ氏が、どうして突然あなたを引き取られたのでしょうか?何かフミタカ氏から聞いていませんか?」
「私を引き取った理由について、義父上が私に話したことはない」
セイカの答えは淡々としていて、そこには何の感情も見られない。
「私の内に潜む魔道の力を見抜かれてのことなのかと考えているが、義父上の真意はわからぬ。
…あるいは……」
「……あるいは?」
言いよどんだのをミケが押すと、セイカは小さく頭を振った。
「いや、私の勝手な憶測で義父上の真意を汚すことは出来ぬ。聞かなかった事にしておいて頂きたい」
「そうですか、わかりました」
聞いてみたいのは山々だったが、ここで押して不振がられてもまずい。
「フミタカ氏は、自分にもしものことがあった時はあなたを評議長に、と指名されたようですが」
「その通りだ」
「失礼ですが、普通に考えて、14歳の女性が指名されるというのは異例のことだと思うのですが。フミタカ氏はどんな意図であなたを指名したのでしょうか?」
「義父上がそれを私に話したことはない。義父上が公的機関に預けた文書により判明したことだが、私は義父上がそのようなものを作成していることすら知らなかった」
「あなた自身は、どう思われますか?」
「義父上が私を後継者にと指名されたのなら、義父上はギルドに所属する者の中で私が一番評議長にふさわしいとお考えになったのであろう。私にそれ以上の事は語れぬ」
「そうですか……」
ミケはふむ、と唸り、続けた。
「先ほど、公的機関に文書を預けていた、と仰いましたね?それは、フミタカ氏はご自分の死を予感していらしたということですか?」
セイカが僅かに眉を寄せた。
「万一何かあったときのために、と預けられたものであったようだ。義父上の死は事故であったと結論が出ている。適当な憶測を伝記として記すのは感心できない」
「そうですね、申し訳ありませんでした」
ミケはあっさりとひいて、にこりと微笑んだ。
「大変参考になりました。また具体的に編纂していく課程で、何かをお伺いすることがあるかもしれません。その時はまたよろしくお願いいたします」
「承知した」
セイカは言って小さく頷いた。

ミケとコンドルが去った後、セイカは立ち上がって踵を返すと、窓辺へと歩いた。
窓から差し込む日の光は、彼女の瞳に届くことはない。ただ暖かな光の圧力だけが、彼女のまぶたを押している。
「私を評議長にした理由、か………」
セイカは小さな声でポツリと呟いた。
「………罪滅ぼしのつもりだろうな………」
呟きは、誰にも聴かれることのないまま風に流れて溶ける。
ややあって、セイカの眉がぴくり、と動いた。
少しうつむいて、これもぼそりと口に出す。
「………侵入者か………」

Innocent House

「ここかァ、そのセイカちゃんの自宅ってのは」
ナノクニ独特の様式で建てられた家の前で、ヴォルガは意味も無く胸を張った。
ギルドからは少し離れた郊外にある1階建ての建物である。通りから少し獣道を入った先にあり、隣り合った家もなく、森の側にぽつんと寂しそうに建っている。
建物自体もそれほど大きくなく、4部屋あれば良い方だろう、といったところだ。屋根はたしかカワラといったか、魚のうろこのようなつくりになっている。
「思ってたほど大きかねえなあ。ギルド長っつーからもーちっと豪華な屋敷にでも住んでんのかと思ったが」
肩を竦めてヴォルガが言う。
「……誰もいないみたいだね」
しんと静まり返った家の様子に、ぽつりと言うジル。
「…これは、不法侵入するしかないね。中に入らなきゃ始まらないし」
ヴォルガは肩を竦めてそれに答えた。
「じゃあ、オレが鍵を開ける間に誰か来ないか見張ってろ…バレたらオレは気にしねェでとっとと逃げな、鍵を開けたら合図すっから入ってきな」
「……了解」
ジルが頷くと、ヴォルガは早足で入り口へと駆けていった。
ジルの隣に立っていた暮葉が、心配そうにきょろきょろと辺りを見回す。
「大丈夫でしょうか…ヴォルガさん」
「…心得があるみたいだし、大丈夫じゃないかな。とりあえず、私達は見張ってよう」
「そうですね……」
距離がありよく見えないが、ヴォルガは屈んで家の鍵を開けているようだ。何か工具を取り出し……また仕舞う。それから扉にすっと手をかざし、何事かを唱えたようだった。
そして、ドアに手をかけてからからと横に引く。
それを確かめてから、ヴォルガは右手で招くようなジェスチャーをした。
頷いて、ヴォルガのほうに駆けていくジルと暮葉。
「さすが魔術師ギルド長の家だな、鍵穴なんてモンなくて魔法でドア閉まってたぜ。オレが解除魔法持ってて助かったなァ~?」
「そうだね。じゃあ早速行こう」
淡白に言って、どんどん中に入るジル。それに続く暮葉。
「お、おいぃ?!なにその淡白な反応?!もちっとほら、なァ?……って置いてくな~!」
ヴォルガは慌ててその後を追った。

「案外……普通の家……ですね」
きょろきょろと見回しながら、暮葉は言った。
「気をつけて。魔道の罠があるかもしれないから」
ジルが淡々と言い、暮葉はそちらを向いて無言で頷く。
「魔術師ギルドの評議長の家だし…何があるか分からねェ。
ドアを空けた瞬間火炎魔法が発動したり…地面が流砂になったり…オレ程度の解除魔法で大丈夫か?
ん~…それはそれでスリリングだよな♪」
「お、脅かさないで下さい、ヴォルガさん」
陽気に言うヴォルガに、暮葉がとがめるような視線を送る。
「火炎魔法とか流砂とか…自分で生活するのにも困るような罠はないと思うよ」
ジルの冷静な声と言葉に、半眼を返して。
「っせーな、わかってるよ。…で、さァどこを調べるか……ざっと見たところ…水周り以外は、居間、寝室、書庫、…っとここはなんだ?妙に野郎くさい私室みたいだが…」
廊下から家全体を見回しながらヴォルガが言うと、暮葉が首を傾げる。
「ひょっとして……フミタカさんの私室ではないでしょうか?」
「フミタカの?そうかァ?だって4年前に死んでるんだろ?」
ヴォルガは盛大に眉を寄せた。
暮葉は私室の方に目をやると、頷く。
「はい。けれど、この家には聖華さんお一人しか住んでいらっしゃらないのでしょう?ここはあまりにも、人の生活の匂いがなさ過ぎます…整然として…むしろ整然としすぎています。本当に人が暮らしているなら、どこかに何かを使った、あるいは使いかけの印象があるはずでしょう?現に他の部屋には、人のぬくもりがあるのに…」
と、別の部屋にも目をやって。
言われれば、座布団が1枚だけ敷いてある居間、一輪挿しが飾られている寝室、読みかけの本が机に置かれている書庫…ここには生活の匂いがするのに、この私室だけが、無機質な空間であるかのように感じられる。
「4年もずっと、死んだ時のままにしてあるってことかァ…?」
「それだけじゃないよ」
ぼやいたヴォルガに、ジルが横槍を入れる。
「この部屋…埃一つない。きっとまめに掃除してるんだ」
「なんだ、結構おとっつぁんのこと大事にしてるんじゃねェか」
ヴォルガは言って、にっと笑った。
「んじゃ、帰ってこねェうちにとっとと調べちまうか。
とりあえずレディーの部屋はオレが調べたら問題ありだろ。ジルか暮葉に頼むぜェ。オレはこの私室を調べるとするさ」
ヴォルガの言葉に、ジルは目を丸くして彼のほうを見た。
「………ただのコソ泥かと思ってたけど、意外と紳士的なところもあるんだね」
「んなっ……コ、コソ泥だと!?…このオレが……コソ泥…」
ヴォルガはいたくショックを受けたらしく、オーバーアクションでその場にしゃがみこむ。
が、しばらくして何とか立ち上がると、半眼でジルに告げた。
「あのなァ…オレにも、ある程度はモラルってもんがあるんだぜェ~」
「……褒めたつもりだったんだけどな……」
まあ『意外と紳士的なところもあるけどただのコソ泥だよね』よりは褒め言葉だと思います。
「では、私は書斎を…」
「じゃあ、私は寝室の方を見るね」
言って、ジルは寝室を、暮葉は書斎を、ヴォルガはフミタカの私室へと足を踏み入れた。

「本当にすごい量の本ですね……」
暮葉は呆然と言って、書庫の本を眺めた。
図書館などには及ぶべくもないだろうが、個人として持つには相当な量の本である。
ざっと見て不審なタイトルは無いようだが、何せこの量だ。魔道の知識もない自分に専門用語などはわからないが、おそらくはほとんどが魔道書なのだろう。ミナザキ氏個人の所有物だろうか。
「本を1冊1冊調べていくのは効率が悪いですし、専門の知識がなければその内容の是非もわかりません…本以外の物を調べていった方がよさそうですね…」
言いながら、ちらちらとあたりを確かめる暮葉。
魔道の罠があるかどうかなど、ぱっと見ただけでは判らない。しかし避けられるようにしなければ。調査している間は誰もが無防備になるのだから、自分のことだけではなくジルとヴォルガにも気をかけなければならない。
もともと自分はこういった調査などは得意ではない。ならば出来るだけ罠にかからぬよう、周りに気を配らなければ。
「ええと……あっ、ここはどうでしょうか……でも罠があるかもしれないし…」
きょろきょろしながらの暮葉の調査は結局あまりはかどらず、書庫の中に本以外の発見をすることは出来なかったし、気をつけた割には罠が発動することもこの家の主が来襲することもなかった。

「整然としたところだね…でも、ここがセイカさんの生活スペース、みたいだ…」
寝室らしき場所を見渡して、ジルは呟いた。
暮葉によれば、タタミというのだそうだ。草で編まれた床地に、直に座るのだろうと思われる低い机。ナノクニの人々はベッドを用いず寝る時はクローゼットにしまったマットや毛布をいちいちひいて寝るのだそうで、ベッドにあたるものもない。しかし、整然と整えられた部屋には引き出し型のクローゼット(タンスと言うらしい)しかなく、広いこのタタミは上にマットを敷いて寝るのだろうと予測できた。
「あまり、気は進まないけど……」
ジルはそのタンスというクローゼットに歩み寄り、1段1段開けていく。中にはナノクニ独特の装束が丁寧にたたまれて収納されていた。一応ごそごそとあさってみるが、服以外のものは見つからない。
「メモや日記を探すなら、机……かな」
タンスからはひとまず離れ、窓際に置かれていた低い机の方に移動する。
1メートル四方もない小さな机だ。隅の方に置かれた小さな一輪挿しにはリンドウの花が飾られている。机の上には筆とインク差し。暮葉によればスズリと言うらしい。小ぢんまりした机に引き出しはひとつ。鍵はついていない。
す、と開けてみると、中にはノートが数冊。ぱらぱらとめくってみるが、何か勉強用のノートのようだ。きっと魔道の勉強をしているのだろう。自分には内容がよく判らない。ジルは嘆息してノートを閉じ、元通りにしまった。
日記やちょっとしたメモ書きなどがあればと思ったが、見当たらない。殺風景な部屋にこれ以上探すところは見つからず、居間の方にも足を運んでみる。が、こちらも食事用のテーブルと簡単な棚、暦以外は本当に物がなく、暦にもメモらしきものは一切されていない。
「……メモがなくても大丈夫、ってことかな……頭のいい人っていうのは本当なんだね…」
ジルは嘆息して、ヴォルガの方に足を運んだ。

「ホントに綺麗にしてあんだなァ…こりゃ、毎日掃除してんのかねェ」
フミタカの私室(であると思われる部屋)をしげしげと眺め、ヴォルガは呟いた。
「っと、感心してないでさっさとやっちまうか」
言って、まずは目の前にある机の引き出しを開ける。空の引き出しにノートが1冊と、筆とスズリ。ノートをぱらぱらとめくるが、何かの研究用のノートのようだ。おそらく魔道に関することだろう。魔道はいくつか身につけてはいるが、それは生きていくうえで実践的に身につけたもので、こういった学問のことはさっぱりわからない。嘆息してノートを閉じ、元通りにしまって引き出しを閉じる。
「…探って放り出しっぱなしじゃ、賊が入りましたっつってるようなモンだからなァ…」
それから、机のそばにある小さな本棚に目をやる。こちらは魔道書などではなさそうだった。おそらくそういったものは暮葉のほうにあるのだろう。図鑑や小説などが十数冊並んでいる。
「……お……?」
その一番右に、タイトルのない本が1冊収納されていた。
気になって手にとってみる。
ぱらり。ページをめくると、手書きだと思われる几帳面な字が並んでいた。

『ディーシュの第15日
聖華の魔道能力は素晴らしい。
磨きぬけば世界を代表する魔道士になることだろう。
将来が楽しみだ』

「こりゃあ……!」
ヴォルガは目を見開いて呟いた。
この内容は、フミタカの日記に違いない。
これは大きな手がかりになるはずだ。ヴォルガは色めきたった。
ぱらぱらとめくり、大雑把に目を通す。いずれも淡々とした、3行程度の日記だ。セイカを引き取った際のことが書いてあるだろうか……
「っと?」
ひらり。
めくったページの狭間から、小さな紙が零れ落ちる。ヴォルガは体制を崩してひょいとそれを拾い上げ、確かめた。
「……似顔絵、か……?」
精巧に、写実的に描かれた人物像だ。20代後半ほどの男性と、それより少し年下に見える女性。カップルだろうか、幸せそうに微笑んでいる。
「…フミタカとかいうおっさんのかねェ…?この隣の女の子は……セイカちゃん…か?いや、確か18とか言ってたな……」
呟きながら、何の気なしにへらりとめくってみる。
「…うん?」
裏には、日記と同じ筆跡で一言、こう書かれていた。

『鏡に愛する者の名を』

「鏡………?」
きょろきょろと辺りを見回すと、机の隣に大きな姿見がある。
「これのことかァ…?」
眉を寄せて、触れる。鏡の向こうの自分が手を伸ばしている。
「なんなんだ、こりゃ……」
「ヴォルガ」
そこでジルの呼びかける声がして、ヴォルガはそちらを向いた。
「何かあった?」
入り口で問うジルに、ヴォルガはウィンクを返す。
「おう、見ろコレ。フミタカの日記だ」
持っていた似顔絵をポケットにしまい、日記を差し出すヴォルガ。
ジルは僅かに目を見開いた。
「…本当?それなら、すごいね……」
「おう!この調子で、タタミの裏までひっぺがして調べ上げるぜェ~♪」
「…この部屋、板張りみたいだけど」
「……だから、そっちの部屋をだよ」
「ヴォルガ、タタミを裏返すって相当重労働だよ…机はともかく、タンスまで動かして裏返さなくちゃいけない。そこまでやってる時間もないし、そこまでやったらいくらなんでも気付くよ…」
「うっ」
ジルに正論を突きつけられ、言葉に詰まるヴォルガ。
「そうですね、聖華さんがいつ帰ってくるかわかりませんし、いくらなんでも畳を裏返すほどのことをして罠が作動しないとも限りません。何より、畳を裏返している最中にセイカさんが帰ってきたら逃げるものも逃げられません」
暮葉にもたたみかけられ、ヴォルガは自棄になったように手を振った。
「わーったわーった!大きいものは動かさずに、調べられる範囲だけを調べるさね!」
「じゃ、続けようか」
ジルは淡々と言って、また作業に戻った。

「結局…見つかったのはあのフミタカさんの日記だけでしたね…」
暮葉が憂い顔で言う。
「大した罠がなかったのは良かったですが…」
「意気込んで来た割に拍子抜けだったな…そんじゃ、とっとと引き上げるとするか」
日記を懐に入れ、ヴォルガはつまらなそうに嘆息した。
「あ、ヴォルガ」
それを止めるように、ジルが声をかける。
「…ちょっと、頼まれてくれる?」
「ん?なんだ?」
ヴォルガが振り向くと、ジルは相変わらずの淡々とした口調で言った。
「…セイカさんが帰ってきて、どういう風にここで生活するのか…どこかに隠れて、少し見てみたいんだ」
「なんだってェ?」
盛大に眉を顰めるヴォルガ。
「無茶だってわかってる。でも、見られるなら見てみたい。セイカさんの普段の顔を…」
無表情ながらも、真剣さが伺える表情。
「…見てきた感じだと、殺風景な部屋だし、隠れられるようなところはないと思う。クローゼットもマットがしまってあるみたいだし、寝るときに絶対開けるから無理そうだね。…天井裏、とかしかないと思うんだ。そこで、セイカさんがどんな風に生活するのか見てみたいんだよ」
ジルは言ってから、僅かに眉を寄せた。
「…脱出するとき、防犯用の罠がある中を私一人で抜けるのはちょっと厳しいと思うから、できればヴォルガにも一緒に隠れてもらえると有難いんだけど…」
ヴォルガはちっと舌打ちすると、頭を掻いた。
「しゃーねーなァ……防犯システムも大したもんはないみてェだが、お前みたいなちっこいのが牢屋に入れられんのもアレだしな。まァ怪我しねェよう一晩付きっ切りで守ってやるさ♪」
本当はムツブの動きも見たかったのだが、仕方があるまい。
ヴォルガがそう言うと、ジルは無表情のまま首をかしげた。
「…そういう台詞は、好きな人のために取っておくものだよ」
「ナハハ~確かにそうだな、しょっちゅう口説き文句言ってるもんだからクセになっちまったのかねェ~?」
けらけらと笑うヴォルガ。ホームズさんに捨てられますよ。
「んじゃ、オレらは天井裏に行くとして…暮葉はどうする?」
暮葉のほうを向くと、彼女は申し訳無さそうに眉を寄せた。
「わたしは…見つかってしまいそうな予感がするので、外で待たせていただきます。お2人とも、お気をつけて…」
「うん。何かあったらすぐに逃げてくるから。暮葉も気をつけて」
ジルが言い、暮葉はにこりと微笑んだ。
「それでは、わたしは失礼致します」
くるりと踵を返して、玄関の方へと歩いていく。
その姿を見送って、ジルはヴォルガのほうを向いた。
「じゃあ、ヴォルガ、天井裏に……」
「……ええっ?!」
と、玄関から暮葉の声が響く。
5人は見合わせた顔をそちらに向けた。
「じ、ジルさん、ヴォルガさん!」
慌てて駆けてくる暮葉の姿。
「どうしたの、暮葉」
ジルが問うと、暮葉は慌てた様子で息を整えた。
「お、おかしいんです、外に出られません」
「え……」
「戸が閉まってるってことか?」
眉を顰めてヴォルガが言うと、暮葉は首を振った。
「いえ、違うんです。外に足を踏み出したはずなのに、また玄関に戻されたんです。何度やっても同じです」
「ええ?」
さすがのジルも眉を顰める。
「どういうこった、そりゃ?!」
「まさか……これが、侵入者に対するトラップ…?」
ジルがそう呟いた時。
「その通りだ」
ふ、と。
3人のそばに何かが現れた。
「……っ?!」
驚いて飛びのく3人。
ふわ、と橙色のキモノがなびく。
そこには、18歳ほどの少女……おそらく、ミナザキ・セイカ張本人が立っていた。
聞いていたとおり、人形のような顔立ちだが、その目はしっかりと閉じられたままだ。
セイカはすっと体勢を整えると、無機質な声で告げた。
「最近、空間に作用する術を覚えてな。このように瞬間移動をすることもできるし、応用を利かせれば空間に作用し、閉じた空間を作り上げる事が出来る」
「なるほど……それが、侵入者に対する罠、ってワケね…」
じりじりと間合いを計りながら、ヴォルガが言う。
セイカは僅かに頷いた。
「私の出かけている間に侵入者があったなら?罠を仕掛け、物理的ダメージを与えるのは簡単だ。しかしそれでは侵入者の目的はわからぬ。ではどうすればいいか?」
そして、す、と指先を3人に向ける。
「答えは簡単だ、侵入者を外に出さねばよい。私の術でなく鍵が開いた場合、自動的にそうなるよう仕掛けを施しておいた」
「ご高説いたみいるねェ」
ヴォルガはセイカを睨みやったまま、ジルの腕を掴んだ。
「えっ……」
「ジル、逃げろ!!」
言うが早いか、ヴォルガはジルを引き寄せて抱え上げ、思い切り窓に向かって放り投げる。
「…っ……!」
ジルは声もない様子で目をつぶり、窓から外へ……

ばちん!

「あうっ!!」
窓に触れたジルの体は、まるで何かに弾き飛ばされたように宙を舞った。
どっ。ばたっ。
そのままタタミの上に叩きつけられるジル。
「……っ!」
ヴォルガは目を見開いた。
「言ったであろう。閉じられた空間だと。無駄なことは止めることだ」
淡々と言うセイカ。
「……っつぅ………」
「ジルさん!……っ!」
暮葉はジルの様子に驚き、ぎっとセイカを睨んだ。
そして、間髪いれずにセイカとの間をつめ、拳を……
ばちん!
「…つあぁっ!」
先ほどと同じような音がして、暮葉も体勢を崩す。
「賊と対峙するのに、何の手立ても講じぬと思うのか?空間に作用する術は、このようなことも出来る」
あっさりと言うセイカ。
ヴォルガはぎり、と歯噛みした。
「さて、そこの白いのはともかく、女2人は賊とも思えぬ。何が目的なのか、聞かせてもらおうか」
「……っ」
「………」
ジルと暮葉は眉を寄せて口をつぐんだ。
対するヴォルガは、セイカを睨んだままへっと口の端を上げて。
「14歳という若さで魔術師ギルドダザイフ支部の評議長となった美女に一目お会いしたくてねェ♪」
「………」
沈黙が落ちる。
ジルと暮葉も微妙な視線をヴォルガに向ける。
が、セイカはまた淡々と継げた。
「………ならば、その懐の義父上の日記は必要あるまい。置いていけ」
「……っ」
フミタカの日記を持っていることを悟られたヴォルガが、言葉に詰まる。
セイカは続けた。
「金目のものでもなく、義父上の日記を持ち出す目的が何か、ここで問うても良いが…喋る気はないようだしな。置いていけばそれ以上の追求も、自警団に突き出すことも止めておこう。悪い条件ではあるまい」
ヴォルガは再び歯噛みした。
ジルはあの状態で、暮葉の攻撃も通じない。自分も同様だろう。何より、セイカが術を解かない限り、自分達はここから出られない。
「………わぁったよ。ほら」
ヴォルガは懐に入れていた日記を取り出し、ばさりとタタミの上に放り投げた。
セイカはそれを丁寧に拾い上げると、す、と手を上げた。
橙色の大きな袖が僅かに下がり、手袋に覆われた手が見える。
「………なおれ」
セイカの声と共に、ふ、と、空間が動いたような感覚がした。
セイカは次に、ジルの傍らに膝をつく。
その背中に手を当てて。
「………青龍の息吹」
呪文と共に、ジルの背中がぴくりと動く。
「ジルさ……」
暮葉が声をかけようとすると。
「………」
ジルは無言のまま、むくりと起き上がった。
「……なんで、治してくれるの?」
セイカは僅かに沈黙し、淡々と答える。
「…自警団にわざわざ届け出るのも面倒だ。ぬしらのこの中での行動は大体把握している。私の不利益にならねばそれで良い」
「………」
「判ったら行け。名も知らぬ他人にいつまでも家にいられては迷惑だ」
冷たく言い放つセイカ。
「ジルさん、ヴォルガさん、行きましょう」
暮葉が言うと、ヴォルガも肩を竦める。
「ま、こういってくれてることだしねェ…お言葉に甘えるとしようか」
油断なくセイカの方を見ながらも、踵を返して。
「ほれジル、行くぞ~」
「………」
ジルは最後までセイカの方を見ながら、名残惜しそうに踵を返した。
パタパタと、3人の出て行く音がする。
そして、家の中に静寂が戻った。
「…………」
義父の日記の上に手を置いて、ふう、とため息をつくセイカ。

「………潮時………なのかもしれぬな………」

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