予告

懺悔室に入ってきた男は、顔こそ見えないものの、声からそれなりに年を経た壮年であることが判った。
とはいえ、彼…アスははまだ司祭の位を得ていない見習い修道士。告白を聞き、説法をすることは許されていない。
司祭である兄弟子の後ろで、同様に告白を聞き、兄弟子がどう説法をするのかを聞いて自らの糧とするのみだ。
「ディーシュはいつも、私達のことをご覧になっておられます。
あなたの胸のうちにあるものを、告白なさい」
優しい声音で言う兄弟子。
兄弟子と男とを遮る黒い網の向こうで、男が何やらためらっているのが気配でわかる。
兄弟子は彼を促すことはせずに、辛抱強く無言で男の言葉を待った。
やがて、ためらいがちな男の声がする。
「……今まで…そうではないかと思っていながらも、自らの保身のために、真実の追究から目を逸らしてきた……それが罪であることを知りながら、波風を立て、内部に動揺が走ることを恐れた。
あれほどの恩を受けておきながら……あの方が殺されたかもしれぬ、そしてあの方を殺した者が、あの方の後釜となってのうのうと生き永らえ、あの方が積み上げてきたものを我が物としているかもしれぬというのに……
それだけでも、私の罪は、深い」
「……殺された、と?」
眉を顰めて兄弟子が問う。
男は声音に怒りを潜め、答えた。
「…証拠はないが……間違いはない。あの魔性の少女が、あの方を誑かし、殺して、彼の地位を我が物としたのだ」
「お待ちなさい。確たる証拠もなしに、人を疑ってはいけません」
兄弟子は優しく、しかしきっぱりと男を否定した。
「まずは、お話しなさい。あなたが疑う少女と。互いに話し合えば、きっと誤解は解け、共存の道は開けてくるはずです」
「あの小娘が、やすやすと話すものか」
吐き捨てるように、男は言った。
「今でさえ、あの小娘は私たちに何一つ話さぬ。何もかもを自分一人の手で済ませ、私はおろか、古くからあの方に仕えてきたギルドの重鎮達にすら、何も話さず、全てを一人で決め、実行し、まるで私たちを自分の目的を達するための道具とでも思っているようだ。否、事実そう思っているのだろう。まだ年端も行かぬ少女のくせをして、心眼だか知らぬが、いつも瞳を閉じ相手の目を見ようともせぬ」
「えっ………」
男の言葉に、アスは小さく声を上げた。
(ギルド……少女…心眼……?)
その言葉に思い当たる人物がある。
が、懺悔室でそれを問い詰めるのはタブーだ。ましてや彼は今男の相談を聞いている立場ですらない。
男は喋っているうちに怒りがよみがえってきたのだろう。さらに激昂した様子で喋り続けた。
「だいたい、十八、九の小娘が、あそこまでの魔道の使い手だというのも納得がいかぬ。それこそ、何やら魔性の力でも借りているのではあるまいか。……否、そうに違いない。あの方は魔性に魅入られて殺され、その地位を、財を、全て魔性に奪われたのだ。
…ああ、そうと判ればこうしてはいられぬ。我が魔術師ギルドが、魔性の手に落ちてしまう前に、取り急ぎ人を雇って、あの小娘の正体を暴かねば」
男はもはや兄弟子がそこにいることも失念しているようだった。息をまいて立ち上がる。
「ギルド支部評議長があの小娘である以上、ギルドとして表立って動く訳には行かぬ。同志を募り、金を使って冒険者でも雇えば……」
「ああ、お待ちなさい」
「では、失礼する」
兄弟子の言葉も全く聞こえていない様子で、男は意気揚々とその場を後にした。
ふぅ、とため息をつく兄弟子に、アスは言い出しづらそうに口を開く。
「あの、今の方は…」
「ええ、おそらくは魔術師ギルドの…」
憂い顔で頷く兄弟子。
「では、あの方の仰っていた少女というのは……」
「アス」
兄弟子は静かに、なだめるようにアスに言った。
「懺悔をされる方に立ち入ることは、私達の役目ではありません。私達は懺悔をお聞きし、必要ならば助言をし、その方のお心を少しでも軽くしてさし上げるのが役目。
あなたの気持ちはわかりますが…懺悔で聞いたことを、自分の目的のために利用するのは、決してあってはならないことなのですよ」
「………はい………」
アスはうなだれて口を閉ざした。

「私の名はニワノ・ムツブという。魔術師ギルドダザイフ支部に勤める者だ。以後、見知り置き願いたい」

年のころは34、5といったところだろうか。
黒い髪をきっちり撫で付けて後頭部で結わえ、草の地模様が綺麗な臙脂色のキモノに黒のハカマ、白いハオリを纏った、どこからどう見てもナノクニ人、といった風体の男である。
黒い瞳はきりりとつりあがり、その表情や纏っている雰囲気からも、ひかえめに見て感情的になりやすい、平たく言えばきつい性格であることがうかがえる。
彼はしばし瞑目し、そして再び冒険者達を見渡した。

「依頼というのは、他でもない。我が魔術師ギルドダザイフ支部を、救っていただきたいのだ」

その表情は、真剣そのもので。
彼が追い詰められ、切羽詰っていることを伺わせる。

「4年前。ダザイフ支部の評議長は、ミナザキ・フミタカという人物であった。
しかし、ミナザキ様は突如謎の死を遂げ、あの方の遺言ということで、当時まだ14であった娘のセイカが評議長に就任することとなった。
当然異を唱える者があったが、セイカは14とは思えぬ膨大な知識と卓越した魔道の力を身につけており、ギルドのほかの誰も適う者がいなかった。そして、ミナザキ様よりギルドを取り纏める全てを教え込まれていたと言う。事実、セイカは突然の長の死に動揺するギルドをつつがなく取り纏め、今も、評議長としてその席に居座っている」

ムツブは、ぎり、と悔しそうに歯を鳴らした。

「納得が行かずとも、それがミナザキ様のご遺言であるならば…従う他なかろう。
しかし、私はずっと疑惑を持ち続けてきた。ミナザキ様が……ご自分の血を分けた娘でもない者に、果たしてそこまでするのだろうか?
…セイカは、ミナザキ様が孤児院から引き取られた養女なのだ。
若くして奥様に先立たれ、以後妻も子も作らずギルドのために身を尽くしてきたあの方が突然養女を取られたときには驚いたが……そもそも、なぜ養女をお取りになられたのか?
そして彼奴が養女となってから5年と経たずにミナザキ様が亡くなられたのは本当に偶然か?
たかだか十四、五の小娘が、あのように巧みに魔道を操り、組織の長として雑事を全て取り仕切るなどできるものなのか?」

悔しげに視線を逸らしてから、真剣な表情で冒険者達に向き直る。

「はっきり言おう。私は、あの娘は魔性の存在なのではないかと思っている。
魔性の力でミナザキ様に取り入り、養女となり、魔術師ギルドを乗っ取るためにあの方を殺したのだ」

だん、と机を叩く音。

「だが、証拠がない…私は今もあの小娘の下で働いている身。表立って動くことも出来ない。
だから、貴殿らにお頼み申したいのだ。
あの小娘の正体を暴き、ミナザキ様の無念を晴らし…
そして、魔性のものの手に落ちようとしている我がギルドを救ってくれ…!」

「……あの方は、そのようなことをする方ではありません」

まだ幼さの残る顔に憂いをくっきりと浮かばせて、少年は言った。
年のころは16歳ほど。短くそろえた黒い髪、優しげなブラウンの瞳。大きな黒ぶちの眼鏡にそばかすという素朴で可愛らしい風貌を、ディーシュ教会の証であるこげ茶色のローブに包んでいる。
アスティール・ヴィグランと名乗ったその少年は、近くにあるディーシュ教会に属する見習い修道士なのだと言った。

「確かに…あの方は、常に瞳を閉ざし、冷静で、必要最低限のことしか言わず…人との関わりを意識的に断っているように思えます。
けれど……あの方は本当は心根の優しい方です。強く、気高い志を持ち…孤高を貫いている方です。
その態度が誤解を招くことはあの方もご承知で……あえてその態度を取っておられるように思えますが……けれど、養父を殺し、組織を乗っ取ろうとしているなど…そのような誤解に晒され、言われもなく貶められるようなことを、あの方がしているとは思えません」

組み合わせた手にぎゅっと力を込めて、辛そうに目を閉じて。

「あの方を疑っておられる魔術師ギルドの方は、冒険者を集め、依頼を出すと仰っていました。
しかし、あの方を魔性と信じて疑わない方が冒険者の方にそのように説明すれば、冒険者の方は『あの方が魔性だ』という証拠をお探しになるでしょう。
偏った捜査が行われ…最悪、さしたる証拠もなしに、あの方に危害を加えないとも限りません。
そのようなことになったら、僕は……」

その言葉の先は続けず、再び冒険者達に向き直る。

「…身勝手なお願いだとは、承知しております。
僕はまだ見習いの修道士で、皆様に充分なお礼を出来る身ではありません。
このようなことをお願いして、最悪、向こう様の意に沿わないとして…解雇され、報酬を得られないという事態になることも、承知しております。
けれど、それでも、お願いしたいのです」

真剣な、そして追い詰められた瞳。

「あの依頼に潜り込んで…あの方は…セイカさんは無実だと、その証を探してください」

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