住宅街 -ライラの刻-

大通りから少し外れたところには、閑静な住宅街が広がっている。
大通りほどに派手ではないが、地域の住民が困らない程度の商店街と…そして、人々の心の拠り所である教会が建ち並んでいた。
教会の僧侶たちは、早朝に起床して朝の掃除だのお祈りだの修行だのを行うのが常だが、今日はそのうえ新年祭なのである。朝から慌しく僧侶たちが行き交っていた。
もっとも、ここガルダス僧院が慌しいのは、新年祭だけのせいではないようだが…

「うはw完全に遅刻ですなぁ!ちょヤベ!」
もはや何語だかわからない言葉を呟きながら大聖堂を駆け抜けているのは、他でもないガルダス僧院の司祭と呼ばれる役職の男。
「司祭様、大聖堂の中を走らないでくださいと何度も…」
オルーカはうんざりした様子で司祭に注意をしようとしたが、彼は全く介する様子も無く、オルーカを見つけるなり喜色満面で駆け寄ってきた。
「おおオルーカ!持っている分ありったけの小銭を両替してください!用意してたのに見つからない系で困った系っつーか私系にしては初歩的系のミス系でマジ系にやばい系で」
「分かりました分かりました。司祭様、今夜は私も遅くなりますので、鍵を持って出てくださいね」
「心配ご無用!私なんか朝帰りどころの話じゃありませんから!うふ!」
「そのまま一生帰ってこなくていいです」
半眼で睨むも、やはり司祭には全く堪える様子はない。心ここにあらずといった感じで、文字通りふわふわとした足取りで教会を出て行った。
「まったく……肝心の司祭が年始のイベントほったらかしって、頭おかしいんじゃないですかね……いや、おかしいのか」
一通り感想を漏らすと、それはもはや諦めているのか、オルーカは嘆息して机の上のチラシの束を手にとった。
「さ、早いうちに配ってしまいましょうね…明日、少しでもたくさんの方々に来てもらえるように」
そのチラシには、妙に可愛らしい少女の絵と、仰々しい飾り文字でこんなことが書いてあった。

「ガルダス僧院にて 餅つき大会を開催します!
ナノクニの伝統文化を体験して、エキゾチックな味をご堪能ください」

「…はい、はい。ええ、明日僧院で。どなたでも参加できますので、ぜひいらしてくださいね。はい。ありがとうございます。
では、今年も1年お世話になりました。来年もよろしくお願い致しますね。
良いお年をお迎えください」
在家の信者を1軒1軒回りながら、年末の挨拶とチラシ配りをしていくオルーカ。
愛想のいい笑顔で礼をして、丁寧に玄関を辞する。
「ふぅ…あと10軒ですね……っと」
再び通りに出たオルーカは、向こうに見える教会に目をやった。
「あれは…ディーシュ教会ですね。あちらでも何かやるんでしょうか…」
ディーシュ教会も何やら慌しげだ。
何人かの僧侶が、忙しそうに出たり入ったりしているのが見える。
オルーカはチラシを持ったままそちらに歩いていくと、教会の前で掃除をしている比較的暇そうな少年に声をかけた。
「おはようございます。お忙しそうですね」
少年はオルーカに気づくと、愛想のいい笑みを返した。
「おはようございます。今日からバザーが始まるんですよ。皆さんその準備に大忙しです」
「へえ、バザーですか」
「僕はこの教会の所属ではないんですが、昨日からこちらで宿として滞在させて頂いていて。お礼にもなりませんが、忙しい皆さんに代わって普段のお仕事をやらせて頂いているんです」
「そうなんですか。え、でも着ていらっしゃるのはディーシュ教会のローブですよね?」
「はい。いつもはナノクニにあるディーシュ教会に寄せさせていただいているんです。昨日から所用がありまして、こちらに」
「へえ、ナノクニからはるばる!それは、お疲れ様です」
オルーカはにこりと笑って、持っていたチラシを差し出した。
「ナノクニからいらしたなら、かえって面白みはないかもしれませんけど。うちの僧院で明日、ナノクニのモチを作るイベントをやるんですよ。よかったらぜひ」
「餅つきですか!こんなに遠くに来てナノクニの文化に触れるとは思いませんでした。明日はこれといって用事もありませんし、暇を見てお伺いいたしますよ」
「そう言っていただけると嬉しいです。お待ちしていますね」
オルーカはもう一度礼をすると、ディーシュ教会の前を通り過ぎていった。
少年はその姿を見送って、箒を持ったままポツリと呟いた。
「餅つき大会ですか…セイカさんも誘ってみましょうか」

信仰する神が違うとはいえ、神を信ずるもの同士いい出会いがあったと、オルーカは機嫌よく通りを歩いていた。
が。
どんっ。
「きゃっ」
「…っと失礼」
通りを曲がったところで、出会い頭に誰かとぶつかってしまった。
オルーカは慌てて身を引き、頭を下げる。
「す、すみません、大丈夫ですか?」
「……って…何だ、女か」
相手は声からすると男性のようだった。オルーカを見るなり、とたんに嫌そうな顔をする。
長い黒髪にいかにも魔道士然とした黒いローブ。女性かと見まごう程の端整な顔立ちは、今は渋面にゆがんでいる。
オルーカはきょとんとして彼を見た。
嫌そうな顔のまま、彼はオルーカに向かってまくし立てる。
「道を歩く時に前を見ることも出来ないのか。これだから女は……ああ、年の瀬に女とぶつかってしまうなぞ、暗澹たる新年を暗示するに違いない」
「え?え??」
訳のわからない因縁をつけられているオルーカはひたすらうろたえるばかり。
男性と、それからあたりをきょろきょろと交互に見て、遠慮がちに声をかける。
「あの、前方不注意ですみませんでした。お怪我がないようでしたら…急いでいますので、失礼します」
ぺこりと頭を下げると、男性の横をすり抜けてその場を後にする。大人の対応だ。
男性はまだ何か言いたそうであったが、やがて嘆息すると歩き始め……
「…ん?何だ?」
…ようとして、足元に何か光るものを見つける。
屈んで拾い上げると、それはカギのようだった。
「…あの女が落としたのか?…おい、カギを落とし……」
再びオルーカに声をかけようと振り返るが、君子危うきに近寄らずの精神で足早にその場を去っていた為、すでに男性の視界内にはおらず。
「まったく、世話の焼ける…!これだから女は……」
ぶつぶつと言いながら、男性はカギを返す為にオルーカを探すことにした。
これがツンデレというものですか、そうですね。

→ライラの刻・宿場街へ

住宅街 -ルヒティンの刻-

「ガルダス僧院……確か、此方だった筈だ」
オルーカの姿をしたアルディアは、オルーカに言われた用事を果たす為に、住宅街のガルダス僧院を目指していた。
すると。
「おい、そこの女」
不機嫌そうな男性の声がして、自分のことだろうかと振り向く。
そこには、長い黒髪に黒いローブを着た、不機嫌そうな男性が立っていた。
「……?」
オルーカの知り合いだろうか、と首を傾げる。ならば、下手なことを言うのは不味いが…まあ、知り合いをそこの女呼ばわりはしないだろう。
そんなことを考えているうちに、男性は不機嫌そうにこちらにずんずんと歩いてきて、ずい、と手を差し出した。
「鍵だ。お前のものだろう」
「……え?」
さらに首を傾げるアルディア。もとより、その鍵がオルーカのものであるかどうかなど彼女にわかるはずがない。
しかし、男性には鍵がオルーカのものであるという確信があるようだった。
無理やり彼女の手を取ると、持っていた鍵を手のひらに押し付け、パッと手を離す。
「人にぶつかってきただけならまだしも、自分の持ち物の管理もしっかり出来ないのか。これだから女は…」
心底嫌そうな様子で、ネチネチと説教をしてくる男性。
アルディアはそれをボーっと聞きながら、ああ、オルーカが鍵を落としたのを拾ってくれたのだな、と考えていた。
が。
「人に迷惑をかける、自己管理が出来ない、生産性が無い。そこに存在しているだけでも害悪に近いのだから、せめて人に迷惑をかけない程度に道の端でも歩いていたらどうなんだ。正直、女が視界に入ってくるだけで不快指数が跳ね上がる。ずっと家に閉じこもっていればいいものを」
女であるというだけでどうしてここまで言われなければならないのか、というほどにつらつらと出てくる女性蔑視の文句。
顔立ちにかすかに残る面影。
アルディアは思い浮かんだ名前を、そのまま口にした。

「……貴方、もしかして…エルブラン…?」

ぎょ、とする男性。
「…?…何故、私の名を知っている」
男性の言葉に、アルディアは懐かしそうに頬を緩めた。
「ああ、やはりか。久しいな…8年ぶり、だものな」
「ま、待て、貴様、何を言っている、誰だ貴様」
男性は異様に動揺しているらしかった。
「…?分からないか?」
そこでようやく、アルディアは今オルーカの体なのだという事を思い出した。
「…ああ、そうか、今、身体が入れ替わっていてね」
「…入れ替わる……?」
「ああ。おそらくは、貴方が今朝ぶつかったであろう、この体の持ち主の女性とね。だから、この体は私のものではないが…」
アルディアは再び、懐かしげに微笑んだ。
「……私だ、アルディアだよ、エルブラン」
男性――エルブランは、驚きと…今度は怒りに顔を染めた。
「……!?……ばっ、馬鹿を言うな!誰がそんな事を信じるものか!
見た目が違うのは今の話で納得してやってもいいが、口調も性格もまるで違うではないか!性質の悪い冗談を…!」
「口調…まぁ、口調は確かに変わったな。
…性格は…そんなに変わっただろうか?自分では良く分からないのだが」
僅かに首を傾げて。
感情を込めず淡々と言うアルディアに、エルブランは今度こそ返す言葉を失う。
「それで、ロゼとラーナは一緒ではないのか?」
かつての冒険仲間の名前を挙げられ、エルブランは信じざるを得ないと納得すると共に、気まずげな表情で目をそらした。
「……。…あの二人は、冒険者を止め…ましたよ」
「………。……そうか」
僅かに寂しげな表情になるアルディア。
エルブランはためらいがちに、アルディアに視線を戻した。
「…アルディアさん、なんですか?本当に?」
アルディアは柔らかく微笑して、答える。
「明日には身体が元に戻る。昔話を沢山して…そしたら信じて貰えるかな」
「………。…こんな所で何をしているんです」
「薬の材料を集めに…いや、その前に僧院へ…」
「そうじゃなくて」
アルディアの言葉を遮るように、エルブランは強く言った。
「……何故、クガに居ないんです」
懐かしい村の名前に、アルディアの表情が固まる。
エルブランは、ためらいがちに続けた。
「バジルさんは…」
「……あの人は、もういないよ」
淡々と。
悲しみも何も見えないのがかえって痛々しい無表情で、アルディアは告げた。
エルブランの表情に落胆の色がにじむ。
「………。…やはり、そうでしたか」
「知っていたのか?」
「ずっと前…貴女がクガを出た後に、一度、訪ねた事があるんですよ。
…全部、ただの嫌な噂だと…思ってました」
「………」
黙り込むアルディア。
エルブランは物言いたげな表情で、言葉を続けた。
「…アルディアさ…」
「ああ、すまない、エルブラン。今、少し急いでいるのだ」
本当に急いでいるのか、それとも話題を逸らしたかったのか。
アルディアは意図の読めない無表情で、その言葉を遮った。
「話したい事は沢山有るのだが…まだ、暫くはこの街に居るのだろう?
また後日にでも話そう」
「……っえ」
「ではな」
少し寂しそうな表情でそう言い置いて、くるりときびすを返すアルディア。
よどみの無い足取りで歩き出すアルディアを、エルブランは一瞬躊躇ってから追いかけた。
「…っ、待ってください」
「?」
振り返るアルディア。
エルブランは少しばつの悪そうな顔をして、それでもアルディアに告げた。
「……付き合いますよ、どうせ暇ですから」
「………。有難う」
アルディアはまた、薄く笑った。

「あっ、オルーカ様!おかえりなさいませ!」
ガルダス僧院に到着したアルディアに、熊のワービーストがちょこちょこと駆け寄ってくる。
「ずいぶん遅かったですね!準備は順調に進んでいますよ」
「そ、そうか……いや、そう、です、か」
頑張ってオルーカの口調を真似しようとするアルディア。
しかし、目の前のワーベアが可愛らしすぎて、そちらばかりが気になってしまう。エルブランもアルディアの後ろで、微妙に頬を緩めている。
(参ったな…僧院にこんなに可愛い熊が居るならば……いや、僧院に居る者の名前位は聞いて置くべきだったか…)
オルーカのふりをするならばこの熊の名前が呼べないのは不自然だっていうか君名前なんていうのハアハアな勢いでそんなことを考えているアルディアをよそに、ワーベアはポケットをごそごそとあさりだした。
「帰って来て早々申し訳ないのですが、わたくし、オルーカ様にお願いが……あ、ありました」
ワーベアは懐から、なにやらジャラジャラと音のする缶ケースを取り出した。
「あの、司祭様が、これをお忘れになっていったようなのです」
「これは…?」
差し出されたものを手に取れば、ずしりと重い。
開けてみると、整然と整えられた小銭と、「整理番号01番」と書かれた紙の札、他には輪ゴムやクリップなどが入っている。
ワーベアは心配そうな表情で、言った。
「わたくしには分からないのですが、とても大切なものらしいのです。
留守番を言い付かってますので、オルーカ様、代わりに届けていただけないでしょうか?司祭様、忘れてしまってとっても困っていると思うんです」
「そうなのか…いや、ですか……だが、どこへ届ければいい……の、ですか?」
しどろもどろのアルディアは特に気にならないらしく、ワーベアは困った顔のまま小首をかしげた。
「確か、今日は一日ラージサイトヴィーダにいらっしゃると言ってましたが…」
「ラージサイトヴィーダ、だと?」
後ろから嫌そうなエルブランの声がして、アルディアはそちらを振り向いた。
「知っているのか?」
「あ、ええ、まぁ…妙な奴らが集まる一種の祭り、ですよ」
「そうなのか。まあ、場所がわかっているのなら届けても良いな。わかった、引き受けよ……引き受け、ましょう」
「そうですか、ありがとうございます!」
ニコニコと礼を言うワーベアにまた気が緩みそうになったが、アルディアはそこまできてようやく自分の本来の目的を思い出した。
「……っと、そうだ。此れを届けるのは構わな…構いません、が、実は私は、この後用事が出来てしまってな。早退をさせて貰えないだろうか、ということを言いに来たのだ…来たのです」
やはりしどろもどろのアルディアだが、ワーベアはそこは気にならないのか、きょとんとして答えた。
「えっ?そうなのですか…わかりました、僧院のお留守番はわたくしにお任せくださいね!」
「あ、ああ、よろしくたの……お願い、します」
早退報告も完了し、ふう、とアルディアが息をついたときだった。
「ネイトさま~!!」
道の向こうの方から、子供が2人、こちらに向かって駆けてきた。
10歳にも満たないほどだろうか。やんちゃそうな男の子が今にも泣きそうな女の子を引っ張って連れてきた、という様相で。
「ネイトさま、ジェシカが怪我しちゃったんだよぅ!血がいっぱいでてるの、どうしよおぉぉ!」
男の子の方も半泣きになりながら、ワーベアに訴えている。アルディアは膝こぞうから血を流した少女に少し驚きつつも、そうかこの熊はネイトという名前なのだなと思っていた。
ネイトは泣きそうな二人の子供を前に少し慌てた様子だ。
「わわわ。た、大変なのです!でもわたくしはまだ見習いで回復魔法が使えません…あの、オルーカ様、わたくしの代わりに、この子達を治していただけませんか?」
「む?」
自分に矛先が回ってきて、アルディアは僅かに眉を顰めた。
「よし、待っていろ」
言うが早いか、オルーカの姿になっても持ってきていた調合用具一式を取り出すと、あっという間に少女の傷を治す薬を調合し、慣れた手付きで少女の傷の消毒、薬の塗布を終え、てきぱきと包帯を巻いた。
ネイトは感心するのと慌てるのが半々のようだった。
「す、すごいですオルーカ様!いつの間にそんな応急手当の技術を…?!
で、でも、回復魔法はどうなされたのですか?わたくし、いつものようにガルダス神の奇跡を拝見させていただけると思っていたのですが…」
「神、だと……」
すう、と。
アルディアの瞳が細くなった。
「いいか、神など信仰しても意味が無い。神は肝心な時こそ助けてはくれないんだぞ」
「え、ええええ?!」
敬虔な僧侶であるはずのオルーカの口から飛び出た神全否定発言に、驚くネイト。
後ろでエルブランも固まっている。
だが、アルディアの勢いは止まらなかった。
「そんな事する暇が有るならいつ死んでも良い様に日々を充実させるべきだ。
いいか、健全な肉体にこそ健全な精神は宿る!怪我を治すのに神の奇跡を頼るのではなく、怪我なぞしない丈夫な体を作る事が先決だろうが!
大事なのは健康と予防だーっ!」
何かが心の琴線に触れてしまったのだろうか。
もはやオルーカの姿をしていることなど頭から抜け落ちた様子のアルディアは、仁王立ちになって声を張り上げんばかりに力説していた。
さすがに止めに入るエルブラン。
「ちょ、アルディアさん!」
「何だエルブラン!私はこの不届き者達に日々の健康を守り体を鍛える事がどんなに大切な事かをだな…」
「オルーカ様…すごいです!」
「えええいいのかお前それで?!」
何やら妙に感動しているネイトにツッコミをくれて、エルブランはアルディアの手を強引に引いた。
「ほらっ!時間無いんでしょう、行きますよ!」
まだ演説したそうなアルディアを強引に引っ張って、エルブランはどうにかガルダス僧院を後にした。

→ルヒティンの刻・萌えフェス会場へ

住宅街 -ミドルの刻-

「このあたりは……住宅街になるんでしょうか。さすがに、賑やかですね…」
年の瀬で慌しいのと、新年祭に向けた地域密着のイベントなどでそこはかとなく熱気に包まれた佇まいを、ミケは微笑ましげに見回しながら歩いていた。
「このあたりには、さすがにいないかもしれませんが……あれ」
チャカとその配下達を探すともなく見回しながら、ふと見知った姿に視線を止める。
「……はい、こちらになります。どうぞお入りください。
そちらの方も、いかがですか?新年祭恒例のチャリティーバザーです。どうぞ見て行って下さい」
道行く人々に声をかけ、教会らしき建物の中に誘導している少年は。
「アスさん!」
ミケは嬉しそうに、その少年の名を呼んだ。
呼ばれた少年も、声のした方を振り向くと嬉しそうに相貌を崩す。
「ミケさん。こんにちは、お久しぶりです」
「こんにちは。どうしたんですか、ナノクニの方がこんなところに」
「フェアルーフに所要がありまして。僕は、こちらの方にお世話になっているんですよ」
「所要?この教会のお手伝いですか?」
「あ、いえ……」
アスは一瞬どう説明しようか迷って、それから嬉しそうに微笑んだ。
「セイカさんが、こちらの魔術師ギルドに御用が。
僕は、それについてきたんです」
「へえ、セイカさんもこちらに来てるんですね」
つられてミケも、嬉しそうに微笑む。
「はい。今はギルドの方にいらっしゃるので、僕はこちらの方のお手伝いをさせていただいているんですよ」
「チャリティーバザーですか?教会主催の」
「はい。よろしければ、ミケさんもいかがですか?収益は孤児院などに寄付されます」
「そうなんですか。じゃあ、少し見せてもらおうかな」
「ありがとうございます。ご案内します、こちらです」
アスは傍らにいた僧侶に案内の交代を頼むと、そのままミケを連れてディーシュ教会の中へと入った。
「セイカさんはお元気ですか?あれから後遺症とかもなく、過ごされてますか?」
中を見回りながら、話を続けるミケ。アスは嬉しそうに頷いた。
「はい。マヒンダに行かれて、かけられていた精神支配の術も無事に解いていただきました。帰ってきてからは、孤児院の息のかかった施設が一斉に摘発されましたので、収容されていた子供達や、孤児院から売られていった子供たちの精神支配を解いていらっしゃいました。かなりの数に上って…今考えても恐ろしいことです」
「そうですね……事件が解決して、本当に良かったですね」
「はい。セイカさんの心にずっと重くのしかかっていた枷が解き放たれて、本当に良かったです」
「ギルドの方々とはその後、どうですか?」
「はい、僕は詳しいことはよく判らないのですが、セイカさんは疑いを持たれていた古参の方々に全てを話し、完全に打ち解けるとまでは行かなくても、疑いを晴らし、互いに協力して上手くお仕事が運ぶまでにはなったようですよ」
「そうですか……それならよかったです」
ミケも嬉しそうに微笑んで頷く。
アスはそれがさらに嬉しかったのか、満面の笑みで話を続けた。
「今回のフェアルーフ行きも、セイカさんは一人で行くと仰ったのですが…ムツブさんが、心配だからと僕に同行を頼まれたんです」
「ムツブさんが?」
意外そうな表情のミケ。
アスは笑顔で頷いた。
「はい。あの方は、本当にいい方ですね。セイカさんの誤解が解けてからは、お仕事の上でも本当にセイカさんのよき片腕となって助けてくださっているようですし……今回のように、セイカさんご本人のことも気にかけて、あれこれと気を配ってくださるんです」
「そうですか…考えてみれば、あの一件でセイカさんを調べようとしたのも、フミタカさんを本当に慕って、その無念を晴らしたいという一途な思いからでしたからね。本当は、心根の優しい人なんでしょう」
「はい。あのような方が傍にいてくださるなら、セイカさんは人と信頼し合い、いい関係を築いていくことの素晴らしさを知ることが出来ると思います。
今まで、人を拒絶してたった一人で頑張ってこられた分、セイカさんには幸せになって頂きたいですから…安心しました」
「そうですね……」
「セイカさんも、最近はお仕事一辺倒なだけではなく、暖かい場所で本を読んだり、綺麗に咲くお花に目を留めたり、お休みの日などには普段はあまり着ない綺麗なキモノを着たりするようになったんですよ」
「……そうなんですか」
「はい。あの方は本当に聡明で、お優しくて、お綺麗なのですから…着飾られたらもっとずっと魅力的になると思うのですよ。純粋なナノクニの人間でない、赤の混じった御髪なのを気にされているようですが…そんなに明るい赤でもないですし、普段着ている橙のミチユキにもとてもお似合いだと思うんです」
「………」
「先日は、亡きお母様の…ああ、レイナさんの形見であるという、マヒンダ製のローブを着て見せてくださったんですよ。山吹色の落ち着いたデザインのローブで、こちらも本当に良くお似合いでした。ナノクニのものも、マヒンダのものも良くお似合いなのですから、むしろそれは誇りにされるべきですよね」
「………」
これは。
いくら鈍いミケでも判る。
(もしかして……惚気られてるんでしょうか……)
途中から、ミケが聞いていようといまいとどちらでも良いようだった。
見るからに幸せそうな表情で、口を開けばセイカの事ばかりを語っている。
恋愛についての話を振るまでもない。
アスは全身で、セイカのことが大好きだと語っていた。
「あ、あの、アスさん!」
このまま放っておいたら際限なく惚気話を聞かされそうで、ミケはどうにか話に口を挟んだ。
ちょうど歩いていたブースに展示されていた髪飾りを慌てて手に取ると、アスに差し出す。
「す、すみません、これいただきたいんですがっ!」
アスはきょとんとして話を止め、それからにこりと微笑んで髪飾りを受け取った。
「こちらですね」
「ええ、チャリティに協力させてください」
どうにか話を逸らせたことにほっとしながら、ミケは微笑んで言った。
「ありがとうございます。ええと…銅貨5枚ですね」
「あ、安いんですね」
「一応バザーですから…在家のみなさんの不要なものを集めて売っていますから、元手がかかっていないんですよ」
「ああ、そうですよね。でもこの髪飾り、結構良いものだと思いますよ…」
ミケは銅貨を渡して髪飾りを受け取ると、しげしげと眺めた。
おそらくは銀製だろう。打ち寄せる波を表現した細かい細工に、真珠や瑠璃、ダイヤ…ではさすがにないだろうからジルコニアあたりだろうか、そんな宝石が雫のように散りばめられている。これで銅貨5枚はどう考えても破格だろう。
プレゼントするような相手がいるわけでなし、これはこのまま質にでも回した方が、というよからぬ考えが頭をよぎる。貧乏は怖い。
「じゃあ、僕ちょっと探し物の最中なんで、これで失礼しますね」
「そうだったんですか、お引止めしてすみません、お気をつけて」
申し訳なさそうに頭を下げるアスに笑顔で礼を言って、ミケはディーシュ教会を後にした。

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住宅街 -レプスの刻-

「ほらリィナ、大丈夫か?」
「もう、ヤダ……あの店はもうヤダ……」
リィナを連れて何とかドラセナから脱出したショウは、大通りから離れ、それでもまだ人気の少ない住宅街へと入っていた。
真冬にしては暖かい、うららかな日差しが優しくあたりを照らしている。住民はほとんど新年祭へと出かけてしまったのか、人通りはあまりなかった。
「ほらほら、リィナ。元気出して」
街道脇のベンチにぐったりと腰掛けているリィナの横で、ショウが困ったように背中をさすっている。
「うー……」
「気分良くなったか?」
「……だいたい、お兄ちゃんが…」
「え、俺?!」
「リィナがこんなに怖い思いしてるのに、ウェイトレスさんとデレデレしちゃってさ…!」
「いや、だってあれは……」
一気に矛先が自分に向いて、ショウは気まずげに目を逸らした。
と。
「あれぇ?」
恨みのこもったまなざしでショウを睨んでいたリィナが、ふいにきょとんとした表情になる。
「あっ、オルーカさんだ!」
「え?」
リィナに釣られるように、ショウもその視線の先へと目をやる。
すると、そのベンチから見える橋の上に、確かにオルーカらしき女性が、男性と一緒に立って話していた。
「ああ、本当だ」
「……ん、誰だろうあの人」
だが、オルーカの隣に見知らぬ男性がいるのを見て、眉を顰めた。
「へ?リィナの知り合いじゃないの?」
「ううん、あの人は見たことないよ」
「……何か、あるな」
ふむ、と厳しい表情になるショウ。
いや、そもそもオルーカとリィナがプライベートの知り合いまで全て暴露しまくっているほど仲が良いわけでもないのに、リィナの知らない男性が一人いたというだけで何があるというのか。
その辺りは謎に包まれたまま、2人は物陰に隠れてオルーカたちの様子を伺うことにした。

もちろん、リィナたちが目撃しているオルーカは、中身がアルディアと入れ替わっている。以下、中の人の名前で呼ぶことにする。
「…良かったですね。どうにか材料を売ってくれて」
アルディアの隣に立つ男性…エルブランが言うと、アルディアは薄く微笑んだ。
「随分渋られたがな。其れより、済まないな、立て替えて貰って。まさか材料が駄目に成るとは思わなかったから、1回分の金しか持って居なかったんだ」
「気にしないでください。職業柄、魔法薬やマジックアイテムは欠かせなくて…金は常に持ち歩くようにしてるんです」
ぎこちなく微笑み返すエルブラン。
「…そうか。帰ったら返すから、其れまで貸しにして置いてくれ」
「…ええ」
途切れる会話。
エルブランは所在無げに視線を泳がせ、橋の上から河を見下ろした。
「………そう言えば……思い出します…」
「うん?」
「……あの人と…バジルさんと出会ったのも、こんな場所でした…。
今日程ではないですけど、かなり肌寒い日で…」
川を見下ろして懐かしげに話すエルブランに、アルディアも橋の上から川を覗き込む。
「こんな橋の上から荷物を落としてしまったんです。
辺りは寒いし、水は汚くて底も見えないし、ただ茫然としていた所にあの人がやって来て。
見知らぬ私の為に、寒い中を川に入って…もう良いって言っているのに、全部、拾ってくれて」
「……うん」
優しい表情で、ただ相槌を打つアルディア。
エルブランは、苦笑しながら続けた。
「…正直、こいつは馬鹿なんだなって思いましたよ。
その時私は、彼等を放って家に帰ったんですけどね、後日、わざわざ私を探しに来て、
あの時の子だよね、これで全部かな?…って笑顔で聞いてくるんです。
見れば、顔は真っ赤で鼻水垂らしてて、ああ、風邪ひいたんだなって。
馬鹿じゃないんですか、って言っても相変わらず笑ってるだけで」
「ふふ、あの人らしい」
アルディアも自然と笑みがこぼれる。
エルブランはそんなアルディアを見て、遠くを見るようにして微笑んだ。
「……私は…それが嬉しかったんです。とても。
苛められる程弱くは無かったですけど…人付き合いが、下手でしたから」
「………」
「だから、とても、嬉しかったんですよ」
同じ言葉を繰り返して、どうにか自分の思いを伝えようとするエルブラン。
すると。
「…ああ」
ふと何かを思い出したように、アルディアの視線が泳いだ。
きょとんとするエルブランに、再び懐かしそうに微笑みかけて。
「…私も思い出した、貴方達と別れてからだが…。
あの人と、貴方の話をした事がある」
「えっ」
「貴方が冒険者の仲間になった時の話でな、あの人は貴方の事を…」
「な、何ですか!?…バ、バジルさん、何か言っていたんですか!?」
がし。
荷物を持ったまま、アルディアの肩を掴むエルブラン。
だが、アルディアは泳いだ視線をさらに横に逸らした。
「…ん…いや、矢張りやめておこう」
「アルディアさん!」
必死の形相で詰め寄るエルブランの姿が面白いらしく、楽しそうにはぐらかすアルディア。
「なんですか、気になるじゃないですか!バジルさん、何を……」
エルブランは、しまいにはアルディアの肩を掴んでがくがくと揺さぶり始めた。
それすらも面白そうに、アルディアはくすくす笑っていたのだが。

「駄目ぇ!」

どん。
突如物陰から飛び出したリィナが、エルブランを勢いよく突き飛ばした。
「うわっ!」
ばしゃん。
エルブランはバランスを崩し、その拍子に持っていた荷物が派手な音を立てて川に落ちてしまう。
「あ……」
「ああああ!!」
絶望的な表情でそれを見やるエルブラン。
リィナはそれには構わずに、エルブランから庇うようにアルディアの前に立った。
「大丈夫?オルーカさん……」
「おや、リィナ」
と、アルディアは普通に名を呼んだのだが。
リィナが彼女のことを『オルーカ』だと認識しているという事実に気づくより先に、怒り心頭のエルブランがリィナにくってかかっていた。
「ふざけるなー!何が『駄目ぇ!』だ!!…何が『大丈夫?』だーーっ!!」
「へ?な、なに?」
エルブランのぶち切れ具合に大混乱のリィナ。
「おいおい、大丈夫なのか……これは」
ショウも、後から心配そうに姿を現す。
だが、エルブランはせっかく調達した薬を駄目にしてしまった『女』しか目に入っていないようで。
ひたすらリィナに向かって怒鳴り散らす。
「貴様、何ということをしてくれたんだ!まったく見も知らぬ人間を突き飛ばすなど、どこか頭のネジが飛んでるとしか思えん!今川に落ちた荷物がいくらしたと思っている!!」
そこで、リィナもようやく反論する気力が戻ってきたらしく、アルディアを庇うようにして手を広げた。
「えっ……だ、だって、別れ話の末にオルーカさんを川に突き落とそうとしたんでしょ?!ひどいよ!
そりゃあ突き飛ばしたのは悪かったと思うけど…リィナはオルーカさんを守ったんだよ!」
「はあぁぁぁぁ?!」
盛大に眉を顰めるエルブラン。
アルディアも少し困惑している様子で。
「…いや……別れるも何も……私達は…」
「ふん!想像力の俗っぽい女の考えそうなことだ!それで脳髄反射でまったく罪のない人間を突き飛ばしてあげくに守っただと?!馬鹿も休み休み言え!」
「ま、まあまあ…落ち着け……て下さい」
リィナがオルーカの名を呼んでいることでようやくオルーカの身体に入っていたことを思い出したのか、地味にオルーカのフリをするアルディア。
「何で誤解させたのかはわからん…ないですけど、別に私達はそういう関係ではない…んですよ。
ちょっと、昔話に花を咲かせて…興奮したというか。…ねぇ?」
「…ああ…まあ、そうだ。それを勝手に勘違いして、これだから女は…!」
「エルブラン。……まあ、そういうわけなのだ…ですよ。気持ちは嬉しいが…ですが」
「あの中身は、ア……オルーカさんにとって大事なものなんだ。それがお前のせいで台無しになったのだぞ、どうしてくれるんだ」
「ええっ」
アルディアの言葉で自分がまったくの勘違いをしていたことがわかり、さらに自分のせいでオルーカの大事な荷物が川に落ちてしまったと判ったリィナは、顔を蒼白にした。
「ど、どどど、どうしよう!ごめんなさい、オルーカさん!」
慌ててぺこりと頭を下げる。
「まあ、過ぎてしまったものは仕方があるま……ないですね。
リィナ…さんも悪気があってしたことではないのだし、貴方もそろそろ機嫌を直せ…てください」
「貴方は甘すぎるんだ!こんな頭が空っぽな女は、自分のしでかしたことがどれだけ周囲に迷惑をかけるのかということをきっちり判らせるべきで……」
「まあ、その辺にしておいて貰えませんか」
ショウが苦笑しながら割って入り、エルブランは初めて彼の存在に気づいたようだった。
「申し訳ない、この子はこういうところがありまして……彼女も悪気があってこんな風になってしまったわけではないんですよ」
理性的に諭すショウに、エルブランは仕方がなさそうに嘆息した。
「う…。…いや、まぁ……勘違いは誰にでもあるものだ。
…私も、もう少ししっかり荷物を抱えて置くべきだったからな」
その、リィナの時とは180度違う手のひらの返し方に、リィナが至極不満そうにぼそりと呟く。
「…なにそれ…お兄ちゃんだと随分態度違うなぁ……もしかして、そっち系の人?」
ぴき。
そのリィナの呟きはばっちり聞こえていたらしい。
再び青筋立てて怒りの形相になったエルブランが、リィナに怒鳴りつけた。
「…ふっ、ふ、ふふ、ふざけるなーーーっ!!
だだ、誰が!!…誰が、そっち系の人かーっ!!
女みたいな事を言うな!この馬鹿者がーーっ!!」
…女にホモと言われた過去でもあるのだろうか。
「いや、リィナは女だから別に良いんじゃないか。…しら。……うん」
なにやら見当外れのことを言っているアルディア。
「そういう問題じゃない!!汚らわしい!腐った女子の考え方程、手に負えないものはない…!」
「…いや、リィナは別に腐った女子では…」
「そういう問題じゃない!!」
「ああ、はいはい、まぁまぁ落ち着いて」

その後、エルブランの容態が落ち着くまで、四半刻はかかった。

「そうだったんだね…ごめんなさい、失礼なことしちゃって」
しゅんとして頭を下げるリィナ。
エルブランもようやく落ち着いたらしく、ふん、とひとつ鼻を鳴らして黙り込む。
「そっちの男の人が初めて見る人だったから、変な誤解しちゃったんだよ。
オルーカさんのお友達?」
リィナに問われ、アルディアはどうということもなく頷いて…
「ああ、彼は………」
と、エルブランと顔を見合わせる。
沈黙が落ちて。
「ちょっとすま…すみません」
アルディアはリィナとショウに会釈して、エルブランの手を引き、少しはなれたところでひそひそと話しだした。
「この場合、古い友人で良いのだろうか」
「……その身体で『古い』は無いと思いますけど。…ただの友人で良いのでは?」
「ふむ、…で、どういう友人だ」
「………」
「………」
「初対面で」
「そうだな、『さっき会ったばかりの初対面』が無難だな」
うむ。
2人で頷きあって、リィナたちの元に戻る。
「…初対面です」
「さっき出会ったばかりの、な」
何事もなかったかのように、しれっと答えて。
リィナは首をかしげた。
「あれ?でもさっき昔話って…」
「あ、ああ、うん、そう、昔話…と言うか、思い出をね、聞いていたんだ…ですよ。私の」
「そう、この人の。………いや、違う、私のだ、私の。…私の思い出話を話していたのだ」
「あ、ああ、そうだった、この人の昔話をな…です」
もはやわけがわからないほどグダグダになっている。
が、リィナは傾げた首を元に戻して、頷いた。
「…そっか、通りすがりの人なんだね」
信じんのかよ!
という表情で、リィナを見下ろすショウ。が、とりあえず黙っておく。
リィナはエルブランの素性については既にもうどうでもよくなったのか、先ほど荷物を落とした川を見下ろして、言った。
「そう言えば、川に落としてたのはなんだったのかな?オルーカさんの大事なもの…だったんでしょ?」
まだ少し申し訳なさそうな表情で。
すると、それにはエルブランが答えた。
「ああ、薬…」
とん。
言いかけたエルブランを、今度はアルディアが小突いて制する。
「お薬?」
再び首を傾げるリィナに、アルディアがきっぱりと言った。
「食材だ」
「そう、それだ。まさにそれだ」
何から何までグダグダだったが、リィナは信じたようだった。
「あっ、そうなんだ、大丈夫?リィナ達もまた集めるの手伝おうか?」
リィナの申し出に、アルディアは少し気まずげに視線を泳がせる。
「いや……あ、いえ……あの、大丈夫だ、ですよ。そんなに手間のかかるものでもないですし」
「そう?ホントにゴメンね、オルーカさん」
まだ心配そうなリィナの表情に、別に悪いことをしたわけではないのに気まずくなるアルディア。
それを払拭するように、エルブランにリィナのことを紹介した。
「ええと、紹介がまだだった…でしたね。
此方はリィナさんで、私の………お友達です」
「リィナ=ルーファです。改めて、よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をするリィナ。
アルディアはこちらのことについては出来るだけ触れないようにと、リィナの傍らに居たショウの方を見る。
「そちらの方は恋人、ですか?」
「えっ?」
唐突な質問に、しかしやはり恋人という言葉が嬉しかったのか、照れたように微笑むリィナ。
「……あっ、その……うん」
「ショウです。よろしくお願いします」
「…よろしく」
リィナの時とは違い、ショウには挨拶を返すエルブラン。
ショウはそのまま、アルディアのほうを向いた。
「そういえば、オルーカさんとは……以前、お会いしましたよね?」
そう、リィナは忘れているようだが、ショウは去年の新年祭でオルーカと顔を合わせているのだ。
「え…」
アルディアはきょとんとして、ショウの記憶を手繰った。
そして、以前リィナと共に受けた依頼で見た、幻術世界の中のショウのことを思い出す。
「ああ、あの…」
水着着せて写真撮りまくってた変態署長。
という言葉は上手く飲み込んで、アルディアは呟いた。
「…ごめんなさい、少しだったもので、よく覚えてなくて」
「ははは、そうですよね。でもこんなお綺麗な人となら、何度でもお知り合いになりたいぃっ!」
セリフの途中でリィナにつねられ、沈黙するショウ。
と、アルディアがそれを微笑ましげに見つめた。
「……貴方達は仲が良いな……あ、いや、良いですね。
見てる方は眩しくて……心が温まります。
…来年も、二人仲良く一緒に過ごせると良いですね」
「オルーカさん…へへ、ありがとう…」
再び照れたように笑うリィナ。
「あ、そういえば、オルーカさんは知ってる?新年のジンクスって」
「ジンクス?」
「このヴィーダでは、新年に初めて話した人とは、その一年幸せに過ごせるってジンクスがあるんですよ」
リィナのセリフに続く形でショウが言う。
「…へえ……」
アルディアの目が、僅かに見開かれた。
ショウは微笑んで、続けた。
「オルーカさん、あなたも大切な人と、新年を過ごせるといいですね、お祈りしておきます」
「……」
アルディアの瞳が、一瞬、空を見つめるような…それでいて、どこも見ていないような、そんな空虚な輝きを帯びる。
「………」
それをじっと見つめるエルブラン。
アルディアはややあって、うつろに微笑んだ。
「……そう、ですね。……有難う」
そこが、限界だった。
エルブランは、耐えられないといった様子でアルディアの手を引いた。
「さっさと材料を集めに戻りましょう」
そこで、アルディアの瞳に正気が戻った。
「…ああ、そうだな……じゃあ、私達はこれで…」
歩き出そうとするアルディアに、リィナがもう一度頭を下げる。
「オルーカさん、ごめんね!お荷物……」
「ああ…もう気にしなくて良い…ですよ!
リィナ…さんも、その方と楽しく新年祭を過ごして…下さい」
エルブランに手を引かれながら、アルディアはどうにか身体をひねって、リィナに手を振るのだった。

→ストゥルーの刻・宿場街へ
→ストゥルーの刻・大通りへ

住宅街 -ストゥルーの刻-

気付けば日もすっかり落ち、新年祭に出かけていた家族連れも徐々に帰路に着き始めているようだった。
ミケはクルムと共に、クルムの下宿先でのニューイヤーパーティーに向かうべく、大通りから住宅街への道を歩いている。
「今日は色々ありましたね…」
「そうだな…チャカの部下のこともそうだし、あのダンジョンのことも」
「まさかジョンさんがまた現世界に来ているとは思いませんでしたよ」
「オレもだよ。まあ、今回は事情があったみたいだし、ミシェルもついてたから大丈夫だと思うけど…」
「そうそう、ミシェルさんとお知り合いだっていうのも驚きました。世間って狭いんですねー」
「ああ、ホントに」
今日あった出来事を楽しく語りながら、2人はのんびりと街道を歩いていた。
やがて、あたりに人影が絶えた頃…ミケは思い切って、クルムに訊いた。
「あの…もし迷惑でなければ、伺っていいですか?」
「ん?なんだ、改まって?」
きょとんとするクルム。
ミケは言いにくそうに、質問を切り出した。
「あの、テアさん……って、ええと…クルムさんの下宿先のお宅に、一緒に下宿していらっしゃるんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「ジョンさんの幻術の世界にも出てきた…あの方ですよね」
「うん、後で紹介するよ」
「ええと……」
笑顔で返すクルムに、ミケはさらに訊きづらそうに、言った。
「…あの時、テアさんの髪飾りを見つけて……クルムさん、取り乱してたじゃないですか。
取り乱したクルムさんってちょっと意外な気がして……」
「えっ…」
クルムはきょとんとして、それから少し頬を赤らめた。
どうやら、自分で取り乱した自覚はないようで。
ミケはにこりと微笑むと、クルムに言った。
「テアさんは、クルムさんにとってとても大切な方なんですね」
「……そう……だね、……うん」
言われたことを噛みしめるように頷くクルム。
ミケは一瞬ためらってから…それでも、質問を口にした。
「あの……クルムさんってテアさんのこと、その……好き……ですか?」
「え」
今度こそ直球を投げられて、頬を染めるクルム。
言いにくそうに口ごもって、しかし、それでも笑顔を作る。
「……うん。特別な人…だと思う…」
頬を染めながら、それでも…自分の気持ちに嘘はつかないその様子に。
ミケは何故か安心したように、ふうと息を吐いた。
「…実は、今……少し、悩んでいまして。正直、煮詰まってて…相談に乗っていただけたら嬉しいな…と思って」
「相談?ミケが、オレに?」
クルムは意外そうな表情をした。
複雑な顔で頷くミケ。
「ええ。実は、先日のミューさんの依頼の時にですね……」
ミケはそう言って、先日のレティシアとの一件を話した。
レティシアから言われたこと、別れの時の頬のキス、それに対して自分が言ったこと。
全部話してから、眉を寄せる。
「……というわけで、なんでああいう流れになったのかなって」
はあ、とため息をついて。
「レティシアさんのこと、好きです。
素直にあのとき、誤解されたくなかったし、素直に言ったつもりなんですけれど。
……最近、分からなくなったんです」
迷っている様子で、視線を泳がせて。
「嫌われていないとは、思うんです。親しい友人でもあります。
でも……親愛と恋愛は違うじゃないですか。
レティシアさんは、どっちなんだろう…どう思っているんだろうなって」
「ミケ……」
ずっと2人のことを傍で見ていたクルムには、当然レティシアのミケへの想いは判っていたし、それに対していつまでもミケが気付かないのにも気付いていた。
レティシアがどう思っているかと問われれば、それを口にするのは簡単だろうが…果たしてそれは、自分が言ってしまって良いものなのか。
クルムが逡巡していると、ミケはさらに続けた。
「僕は、ほら……あんまりこう、恋愛する対象としては……今ひとつだと思うし。
そういう対象じゃないんだろうと思うんですけど……」
「そ、それは…ないんじゃないかな」
この発言には、さすがに口を挟むクルム。
「オレが言うのもおかしいかもしれないけど、ミケは本当に魅力的な人だと思うよ。
ただ…そういう、自分に向けられてる好意に対して、疎い面は…うん、あるんじゃないのかな」
慎重に言葉を選びながら。
「今までも、誰かに思われていたのに、それに気付けなかったっていうこともあると思うよ。
……レティシアの気持ちみたいにさ」
暗にレティシアはミケに好意を寄せているのだと言っている。あくまで、クルムの見解、という範囲を出ないが。
そこまで言われて判らないほど、ミケも鈍くはなかった。
「……やっぱり、そう…思います?」
「そう…だね、オレは少なくとも、レティシアを見ていて、そう思ったけど」
とりあえず自分の見解は、という点を強調して、クルム。
しかし、ミケの表情は重くなるばかりだった。
「そう、思ったんですよ。さすがの僕でも。好かれてると思って良いのかな、って」
「……うん」
「でも…何ででしょうね、考えれば考えるほど、わからなくなって」
「…それは……何、が?」
クルムが押して問うと、ミケは自分でもよく判らないと行った様子で首を捻った。
「レティシアさんが、僕のことを好きだと思ってくださってるなら…僕は、レティシアさんのことを、どう思ってるのか……?
僕がレティシアさんに対して思っている『好き』と、レティシアさんが僕に対して思っている『好き』は、同じものなんでしょうか?
レティシアさんの『好き』が『恋愛』だとしたら…僕の『好き』は、何なんだろう……って」
ため息をついて、かぶりを振る。
「どんな気持ちをもって『恋愛』と言えばいいのか…それが判れば、僕のこの気持ちが何なのかも判るんじゃないかと思って。判らないままモヤモヤしているのは嫌なんですよ。
だから、答えを探して……色んな人に話を聞いて回ってるんですけれど」
「聞いて回ってるって…」
「愛ってどんな感情ですか、って。出会った人に…聞けるだけ、聞いてるんです。今日」
「そ、それは……」
クルムはミケの言葉にただ苦笑した。
ミケもつられるようにして苦笑する。
「答えにくい、ですよねー。判ってるんですけど。
でも…よかったら、教えてくれませんか、クルムさん。クルムさんは、観察力や判断力に優れているから……僕が
見えていない物を見えているのかもって、そう思って…」
「そ、そんなことはないよ。オレなんて…」
ミケの言葉に驚いて首を振るクルム。
ミケも慌てて手を振った。
「あ、あの!はっきりした答えが欲しいんじゃなくて!」
少し考えてから……しょんぼりと肩を落とす。
「…話を、聞いて欲しかったのかも知れません。……うう、本当にご迷惑を」
「い、いや、迷惑だなんてことは」
クルムはさらに慌てて口ごもり、それからうーんと視線を上げた。
「……オレの言葉で、参考になるなら……ええと、そうだなあ……」
クルムの言葉を、ミケは歩きながらじっと聞いた。
「…こんなこと、はじめてなんだ」
クルムの頬が、かすかに色づく。
「彼女の声を聞いたり、笑顔を見ると、なんだか体の中心があたたかくなる。
姿を見ていたいし、そばにいたいと思う。…でも、近くにいると少し落ち着かないんだ。
くすぐったくて、フワフワして…。こうして彼女のことを話している今も、ドキドキする。
なぜ彼女にだけ、特別にこんな気持になるか分からないけれど…多分これが…そういう事なのかなと思うんだ」
照れくさそうに、しかし真摯に語るクルム。
ミケはまた、何故か安心したように、ふっと微笑んだ。
「…ありがとう…ございます。
いいなあ……そういう気持ちは、素直に羨ましいと思いますよ」
クルムは頬を染めて、はは、と苦笑した。
「ミケは初めて恋愛についてじっくり考えることになって、混乱しているんだね。
オレも初心者だから、気持はわかるよ」
「そう……ですね。そうかもしれません…」
自分の心の中を探るように、視線を下げるミケ。
クルムはミケの横顔を見ながら、続けた。
「ミケはレティシアの気持に気付く事が出来た。それは一歩前進出来たんだと思うよ。
彼女が自分を思ってくれていることについてどう思うのか、彼女に対して自分はどうしたいのか。
自分の正直な気持ちが浮かんでくるまで…あせらず、ゆっくり考えたらいいんじゃないかな」
「クルムさん……」
ミケは視線を上げて、クルムを見返す。
そして、嬉しそうににこりと微笑んだ。
「…ありがとうございます。
そうですね…ゆっくり考えてみます。クルムさんの…そして、今日聞いた皆さんの言葉を。
レティシアさんのためにも」
ミケの出した結論に、クルムも嬉しそうに微笑む。
「さあ、急ごう。そろそろパーティーが始まる頃だ」
「あ、本当ですね…すっかり話し込んでしまって。すみません。急ぎましょう」
そうして、2人はクルムの下宿先…ネルソン商会への道を急ぐのだった。

→マティーノの刻・住宅街へ
→マティーノの刻・謎のダンジョンへ

住宅街 -マティーノの刻-

散歩に出たササとオルーカは、しかし取り立ててウロウロするような場所もなく、かといって賑やかなところに行って急にオルーカの身体が元に戻っても大変なので、すっかり夜も更けて静まった住宅街を2人で歩いていた。
「調合って、どのくらいで終わるんでしょうか」
「オレも作ったことないから分からないけど。先生なら、それほど時間もかからないはずだよ」
「そうですか……すごいですね、アルディアさんは…」
「……そーだな」
沈黙が落ちる。
2人とも、前を向いたまま。
「……今日は、一日色々あったよな」
「そうですね。あちこち走り回っちゃいましたね。私、去年の年末もこんなかんじだったんです」
「去年かぁ。去年はオレは…寮のやつらと新年祭の準備してたなぁ」
「寮の方、ですか」
「うん、ヤローばっかだったけど。それはそれで楽しいもんだぜ」
「今年はいいんですか?」
「今年は、…まあいいんだ」
「そうですか」
再び、沈黙。
ここで、ササが心配したようにオルーカの方を向いた。
「オルーカさぁ」
「なんでしょう」
「もしかして…落ち込んでる?」
「え?」
「いや、ちょっと元気ないっつーか…気のせいなら別にいいんだけど」
「……気のせいですよ」
「…そっか」
笑顔を見せるオルーカに、ササは何とも言えない表情で再び前を向いた。
また、沈黙が落ちる。
「…ササさん」
「ん?」
「ササさんこそ…なんか緊張してません?」
「オ…ルーカこそ」
「私は別に…」
「…オレだって別に…」
「そうですか……」
再び、奇妙な沈黙。
2人とも、どこか居心地が悪そうな、それでいてどこか離れがたいような、そんな表情でゆっくりと歩みを進めている。
「あの」
「あのさ」
同時に喋りだして、2人はお互いにきょとんとしてお互いを見た。
「え?」
「あ、ああ。何?」
「サ、ササさんこそ」
「いや、オルーカ先に…」
「あ…いえ、その大した事ではないんですけど。今年ももう終りですね、って」
「あ、うん、そうだな…あとホント少しだよな。今年も色々あったなぁ…」
「私も……本当に色々ありました。色んな人に会って、色んな出来事を経験して……」
「……」
再び、言葉が途切れる。
「…あのう」
「は?」
「いえ、先ほど。何か言いかけてらっしゃったので」
「え?あ、ああ!えーと、あのさ。去年の年末、雪降ったろ?確か」
「ああ、そういえば降りましたね。よく覚えています」
「今年も降ったらいいよなーなんてさ」
「そうですね。私、去年は、雪の中でヴィーダの夜景を見下ろしたんです。とっても素晴らしい眺めでした……ちょうど新年の鐘も鳴って…」
「え」
オルーカの言葉に、ササがぎょっとしてオルーカを見る。
「え?」
オルーカは意外な反応にきょとんとしたが、ササは構わず言い募った。
「いや…鐘聞いたって・・・誰と?」
プチ必死なササに驚きつつも、オルーカは笑って答えた。
「友達です。レオナという女の子で、貴族の娘さんなんですが、依頼のこととか色々あって、それから仲良くしてるんです」
「あ……そう。女の子、女の子ね……」
何故か安心したように肩の力を抜くササ。
と、そこで。

かーん……かーん……

新年の鐘が鳴り、それに合わせるようにちらちらと粉雪が降ってきた。
「お……」
「…また、雪が……綺麗ですね……」
「……ああ」
空を見上げ、うっとりと呟く2人。
「ササさん、知ってます?新年の鐘を一緒に聞いた人物とは、その一年ずっと一緒にいられるらしいですよ」
「ああ、知ってる。去年は寮のやつらと聞いた。でも今年はオルーカ、アンタとだな」
「ええ、ササさん。今年はあなたとです」
微笑み合う2人。
雪が降って冷たいはずの空気が、何故か暖かく感じられる。
「……オルーカ」
ササはオルーカに向き直って、その名前を呼んだ。
2人の間に、ただ粉雪だけが静かに舞い落ちる。

「……オルーカ……」

かーん……かーん……

「テア、こんなところにいたのか」
夜も更け、少しダメな大人が出始めているパーティー会場を抜けたクルムは、いつの間にか姿を消していたテアがベランダに出ているのを見つけた。
「クルム、見て、雪よ」
テアは楽しそうに、ベランダの外で舞い落ちる雪を指差す。
その様子に、クルムは目を細めた。
鐘が鳴り、粉雪が舞い、目の前にはテアがいて。
去年も、こんな光景を目にしていた気がする。
今年も、また新年の鐘を、彼女と共に聞く事ができたのだ。
新年の鐘を聞いて最初に話した人とは、その年1年、幸せに過ごせるというジンクス。
去年は、彼女への想いを確認する年となった。
今年は……
「クルムもこっちへいらっしゃいよ。とても綺麗よ、ほら」
言って、楽しそうにクルムに手を伸ばすテア。
しかし、その拍子に足を滑らせ、バランスを崩す。
「きゃ」
「テア、危ない!」
クルムは慌てて彼女に駆け寄り、その身体を支えた。
とすん。
思ったより軽い身体が、クルムの肩口にもたれかかる姿勢になる。
「……っ」
どきん。
鼓動がひとつ、大きく鳴るのが聞こえた。
「ご……ごめんなさい、クルム。ついはしゃいじゃって…」
「あ…ああ、大丈夫だよ。怪我はなかった?」
「ええ、ありがとう」
クルムに支えられたまま、テアがにこりと微笑む。
テアに触れたところが、不思議と暖かく感じるのは、彼女のうちに潜むという膨大な魔力のせいだろうか。
それとも……自分の彼女への想いが、そうさせているのだろうか。
そんなことを思いながら、クルムは支えたテアの身体を元通りに立たせる。
そして、テアの言う通り、クルム自身もベランダへと出た。
「ほんとだ…綺麗だな」
「ね。すごく綺麗ね」
ベランダから雪を、そしてまだ灯る街の明かりを見やって、2人は言った。
クルムがテアの方を向くと、テアもそれに気付いてクルムのほうを向く。
今年もまたこうして、彼女と新年を迎えられることの喜びに。
クルムは満面の笑みを浮かべて、テアに言うのだった。

「……新年おめでとう、テア」

「……オルーカ?」
呼びかけたまま反応のないオルーカを、ササは訝しげに覗きこむ。
「………」
ふ、と。
オルーカの瞳に光が戻った気がした。
「オ、オルーカ?どした?」
心配そうにオルーカの肩を揺らすササ。
すると、彼女は泳いでいた視線をササに戻した。
「……ああ…ササか。また会ったな」
「えっ」
きょとんとするササ。
その口調は、明らかに先ほどまでのオルーカのものではなくて。
「どうやら薬の効力が切れて、元に戻れたようだね」
彼女……アルディアは、自分の身体を確かめるように触れながら、そう言った。
「……へっ!?」
愕然とするササ。
よりによって、このタイミングで。
体中の力が抜ける。
が、それはアルディアの前にいることだし、どうにか体勢を立て直した。
「そ、そうですか。よ、よ、よ、良かったですねぇ……」
「なにやら恨めしそうなのが気になるところだが良かったな」
「はぁ……」
何故かアルディアの笑みが意地悪いような気がするのだが、それはさておいて。
「あ、そうだ先生。入れ代わり薬は完成したのか?」
「あと少しで完成するところだったはずだが…よく覚えてないな。工房に戻ってみるか」
「はい……」
「ササ」
「はい?」
唐突に名を呼ばれ、顔を上げるササ。
「新年の鐘の言い伝えは知っているか?」
「し……知ってますけど。それがなんです?」
うろたえるササに、今度こそ正真正銘、意地悪な笑みを浮かべて、アルディアは言った。
「邪魔したかな?」
「じゃっ……」
ササは言葉を詰まらせて…それから、考え込んだ。
「いや、別に今日会ったばっかでどうとか、そういうつもりじゃ……オレは……」
「そうか」
アルディアはまぶしそうに目を細めて、それからゆっくりと、言った。
「しかし、後悔しないように頑張りなさい。…私から言えるのはそれだけだ」
「先生……」
アルディアから直接はっきりとした言葉を聞いたことはないが、何となくアルディアが大切な人を亡くしたことを知っているササは、神妙な面持ちで頷いた。
「…はい、先生。ありがとうございます」
「では、行くか。向こうではオルーカが私の代わりに調合台に立っているだろうからな」
「そうですね、急がなくちゃ」

そうして、ササとアルディアは再び帰途へとついたのだった。

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