プロローグ-マジュール-

マターネルスの月に入ると、気が早い店はいっせいに新年祭向けのディスプレイに変わる。
町並みが冬の装いに変わり、人々の歩く速さも何となく早くなって。
そんなところから、人々は新年際への期待を膨らませていくのだ。
マジュールも漏れなく、あと1ヶ月に迫った新年祭に心躍らせていた。
「今年はキャティを誘って王宮のイベントに行ってみようか…」
頭の中は愛しの彼女とのラブラブデート計画で一杯である。
「そうと決まれば、早速キャティにニューイヤーカードがてら知らせを……」
と、いそいそとカードを買いにドアへと足を運んだ時だった。
がちゃ。
「っとぉ!びっくりした…」
「あ、す、すみません……」
ドアノブを持つ寸前で突如ドアが開き、開けた人物はマジュールとぶつかりそうになって声を上げた。ノックもなく勝手にドアを開けたのは向こうなのに、何故か謝るマジュール。まあ、滞在している宿の主人なのだから無理もないが。
「メグナディーンさん。手紙が届いてますよ」
「手紙?」
きょとんとして、主人が差し出した封筒を受け取るマジュール。
「じゃ、渡したからね」
「あ、ありがとうございます」
マジュールは頭を下げて主人を見送ると、封筒を裏返して差出人の名前を見た。
「うっ………!!」
とたんに顔を引きつらせるマジュール。
「ち……父上…」
差出人として書かれていた名前は、まぎれもなくマジュールの父親のもの。
あの無骨で筆まめとは程遠い父が手紙をよこすとは、何か緊急事態なのだろうか。
マジュールは開けたくない気持ちをこらえて、手紙の封を切った。

『グーディオよ。
 ジェナム=ウールノーの捜索が進んでいないようだな。
 長老も遂に痺れを切らしたようだ。
 我々で話し合った結果、今年中に何かしらの成果が得られなくば、直ちにお前を呼び戻すことに決めた。
 その際、ジェナムの捜索は他の者に任せる。
 直ちにジェナムを捕獲し、我らが至宝・黒炎玉を奪還せよ。
 そして、その手柄を手に、お前は一族最高の戦士として』

がさ。
そこまで読んで、マジュールは耐え切れないというように手紙を折りたたんだ。
「だから…戦士にはなりたくないと、あれほど…!」
普段温厚な彼が、珍しく怒りを露にして吐き出している。
「長老様には、『使命を引き受けるなら料理人修行を並行してよい』と確約を貰っていたのに…おおかた、長老様にごり押しでもしたのだろう。
まったく、まだ諦めていなかったのか…!」
手紙を握りつぶさんばかりの勢いで拳を握り締め、マジュールは顔を背けた。
「このままでは、料理人の修行も、愛する女性とのラブラブニューイヤーイベントも、遂行できないではないか!」
どちらかというと後半部分への憤りの方が大きそうな様子だ。
「…このままおめおめと村に連れ戻されるわけには行かない…どうにかして、ジュナムさんの情報を集めなくては……」
マジュールは頭を振って怒りを振り払うと、父からの手紙をテーブルの上に置いた。残念そうに、ため息。
「仕方が無い…キャティには、この仕事が解決して予定が立つまで、連絡はしないでおこう…」

それから1ヶ月間。
マジュールは必死になって、ジュナムの消息を調べた。
知人や友人を頼り、情報を集めてもらった。自分も必死になってあちこちに聞きまわった。
相手は自分と同じ白虎獣人。ただでさえ獣人は目立つのに、普通の虎でなく白い虎ならなおさら目立つはずだ。
そう思って捜索に乗り出したが……しかし、現実はそう甘くはなかった。砂漠の中で一粒の光る砂を見つけるようなその作業は、マジュールを少しずつ絶望へと導いていった。
年が明けるまでに彼を見つけなければ、自分の旅は終わってしまう。
料理人になる夢も、愛しい恋人も、全てを諦めて、父の言うなりにならなければならない。
刻一刻と迫るその日に、マジュールの焦りは募るばかりだった。

そして、マターネルスの第39日。
たいした手がかりも無いまま、残りあと1日となってしまった。
「なんということだ……もう、あと1日しか……」
新年祭ムードで盛り上がる街中を歩くマジュールの足取りは重い。
「このままでは…私は本当に、村へ………っ?!」
一瞬。
目の端に映った影に、マジュールは猛然と振り返った。
「あれは……っ?!」
確かに、見た。
自分と同じ特徴的な獣人の耳。白く大きな耳に走る、黒い虎の模様。
しかし、同時に。
自分と同じ黒いはずの髪は、ふわふわとした金髪に。しかも、まるで道化のような派手な格好をしていて…自分の知る『ジュナム』とはあまりに違いすぎた。
「ジュナムさ……!」
振り返って呼びかけようとした時には、すでにその姿はなく。
(一瞬だったが、ジェナムさんには間違いない。
…しかし、何故こんな目立つ服装で歩いているのだろうか?
逆に派手にし過ぎることで、我々の警戒を欺いていたのだろうか…?)
疑問は尽きない。
だが。
「…ともかく。明日もこのあたりにいる可能性は高い。
明日……何としてでも、ジュナムさんの行方を掴んでやる……!」
硬く拳を握り締め、マジュールはそう誓った。

プロローグ-暮葉-

「え?お前が接客業?」
久しぶりに顔を合わせた友人は、埋もれた本の隙間から顔を出すと、信じられないという様子でそんなことを言ってきた。
「その反応は…どういう意味と取ったら良いのかな」
複雑そうな表情で、暮葉は首を傾げる。
友人は呆れたような怒ったような表情になった。
「どういう意味もこういう意味も。自分の性格わかってないのか?接客ってお前」
はっ、と鼻で笑う友人。
「やめとけ、店員にも客にも迷惑かけて凹むのが落ちだ。誰も得をせん」
全く歯に衣を着せる気が無い発言に、暮葉は苦笑した。
「心配しなくても大丈夫ですよ、レオン」
レオン、と呼ばれた友人は、暮葉に比べるとやや幼い少年の姿をしていた。
しかし、その表情には年齢にはそぐわぬ落ち着きが見て取れる。
暮葉はレオンを安心させるように、努めて落ち着いた様子で続けた。
「これでも少しずつ人馴れしているんですから。昔ほど暗い少女ではないつもりよ」
「人馴れ、ねえ……」
複雑な表情で言葉を繰り返すレオン。
しかし、安心させるように微笑む姿は、それでも僅かな外での生活が彼女の何かを変えたと判断させるには充分なものだった。
「んーでも、突発的な事態が起こったらどうしよう。対応できるかなぁ。…心配だ」
「おい…」
先ほど自分で安心させるようなことを言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに不安材料を口にする。こんな情緒不安定なところは、やはり変わっていない。
レオンはふう、と息をつくと、話の矛先を変えた。
「…あいつも変わったのかな」
口にしにくい話題なのか、本に目を向けたまま、呟くように言う。
「シェリーのことですか?」
暮葉はすぐに誰のことを言っているのか理解したようだった。レオンの沈黙から自分の予想が正しいことを察すると、疲れたようにくったりと机に顔を伏せた。
「一度出会えましたが残念ながらあまり変わってはいませんでした。未だにあわあわほよほよキャラでしたよ」
「会えたのか?」
これにはレオンの方が驚いたようだった。本の隙間から再び暮葉のほうを覗う。
「なぜ連れ戻さなかった?」
「どうしてもやりたいことがある、んだそうですよ」
咎めるような色を含んだ言葉に、暮葉は嘆息して答えた。
「一人旅でもしたくなる年頃なのでしょうから少し放任して様子を見ようと思いまして」
「そうか……」
レオンは少し落胆したようだった。興味ないように見せていても、年の近い従兄弟のことはやはり心配なのだろうか。もうこのツンデレさんめ、と、微妙に染まってしまった感想を心の中でそっと漏らしながら、暮葉は意味ありげな笑いでレオンを見やった。
「…なんだよ」
「やはり心配ですか?シェリーが。今度レオンがとっても心配してたってお伝えしておきますね」
レオンは憮然としたが、否定はしなかった。
「…今はお前が接客で人に迷惑をかけないかが心配だ」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
暮葉はそれはそれはいい笑顔を返して、そう言った。

プロローグ-リィナ-

ところは、ミドルヴァースの手をすり抜けた遥か遥か彼方。
ここではないどこかに、その青年はいた。
「えっと、これとこれと……これか、これはどう書けばいいの?」
何やら机に向かって、山と詰まれている書類と格闘しているようだった。
たくさんの書類を処理しなければならぬ立場の割には軽い様子で、傍らに控えている厳しい表情の女性に問い掛ける。
女性は僅かに眉を顰め、しかし時間は惜しいと思ったのか、別の書類を差し出す。
「この書面と同じだから、こことこの箇所にサインを頼む」
「ん、オッケー」
青年はなおも軽い調子で、指示された通りに書類に目を通し、サインをしていく。
時折女性に指示を仰ぎながら、しかし青年は手早く山ほどの書類を処理していった。
「これで……終わり……っと」
さらさら、さら。
最期の書類にサインをし終え、青年は大きく伸びをする。
女性はその書類を確認し、トントンと整理をして、用意された封筒に入れた。
青年は女性に向かって、さわやかに笑顔を向ける。
「お疲れ~いやー、大変だったね」
「誰のせいだと思っている」
しかし、女性の表情は氷点下だった。
「日頃からこれだけやっていれば、仕事が溜まってギリギリになって泡を食うことも無かろう」
青年は子供のように膨れて見せた。
「俺は、こういうデスクワークは好きじゃないんだよ」
「お前の大好きな平和な時はこういう仕事しかないわけだが」
「平和な時はいいじゃ~ん、仕事なんてしないでもさぁ~」
「……はぁ……お前の底はどうしてこうも浅いのか」
心底呆れた様子の女性に、青年はへらりと笑った。
「そりゃ、溜まった仕事が終わっても、真面目に仕事の話をされたら、こういう冗談も言いたくなるさ」
さてと、と、立ち上がって。
「お仕事も終わったしがっつりお休みを取らせてもらうよ~ん」
「……はいはい、どこへでも行ってこい」
もはや諦めた様子の女性。
青年は嬉しそうに笑顔を作った。
「んじゃ、3日ぐらいは戻らないと思うから、後の事はよろしくね~ん!」
ひらひらと手を振って、いそいそと部屋を出る青年。
ぱたん。
ドアが完全に閉まってから、女性はもう一度ため息をついた。
「…………この、シスコン」

「ふっふっふ。今度は仕事放棄して遊びに行くわけじゃないからね。
邪魔者無しで、たっぷり楽しませてもらうさ。
待ってろよ~、リィナ~!」
すでに心ここにあらずといった様子で、青年は愛しい愛しい義妹の名を呼んだ。

プロローグ-アルディア-

「ふむ…こんなものか」
煎じ終えた薬草を傍らに置き、アルディアはこきこきと肩を鳴らした。
毎年この時期になると、皆新年祭の準備で忙しいのか、調合の依頼はぐっと減る。
昨年は思わぬハプニングがあり、新年祭でにぎわう街中をばたばたしてしまったが…今年は依頼も少なく、調合も順調に進んでいる。
この分なら少なくとも大晦日の朝までには全ての調合が終わり、ゆったりとした年越しを迎えることが出来るだろう。
「そうなってくれるといいのだがな」
昨年のことを思い出し、薄く笑う。
「さて、次は……」
そして、ゆったりとした年越しを迎えるべく、アルディアは早速次の作業に取り掛かった。

プロローグ-ケイト-

「ふぃー……すっかり寒くなったねえ」
出掛けから帰ってきたケイトは、靴を脱ぐのももどかしいと言った様子でいそいそとテーブルに敷かれた布団の中に足を入れた。
コタツと呼ばれるこのテーブルはナノクニ独特の暖房器具だ。テーブルの下は床より一段低く掘り下げられており、中には火傷しないように覆いがかけられた火桶が入っている。
ここはナノクニ南部の漁村。温暖な気候で知られるが、さすがにマターネルスの月も後半に差し掛かると冷え込んでくる。
肌を刺す寒風も、寂しげな海鳥の声も、根無し草の一人身には少しばかり辛かった。
「魚も米酒も文句無しに美味かったから、ついつい長居しちゃったけどねぇ…」
そろそろ、ここに留まるのも潮時かもしれない。
「さーて、次はどこに行こうか…」
言って、ケイトは今までの旅に思いを巡らせた。
どの場所にも、それぞれにいい思い出も悪い思い出もある。
しかし、年の瀬と言えば、やはり。
「ヴィーダの新年祭、だねえ。いやー、去年は楽しかったよー」
街じゅうがお祭りムードににぎわう中、知り合いが主催したニューイヤーパーティーで、ケイトも料理担当として存分に腕を振るったのだった。
「よっしゃ、今年もいっちょ行くとするかね!」
ケイトは言って立ち上が……
「……でももうちょっとあったまってからにするか」
…再び温かいコタツに腕を入れた。

「いや~、やっぱりヴィーダは人が多いねえ!」
所変わって、ウェルドの港。
格安の高速船に乗ってきたケイトは、出てくる人の波の多さに感嘆を漏らした。
自分が乗ってきた船の他にも、世界各地からの高速船が続々と入港しているようだった。ぞろぞろと出てくる人の波を見やれば、大きなリュックサックを背負った恰幅のいい男性の割合が妙に多い気がするのが不思議だが、その意味はケイトにはわからない。
「いたたたたっ……さすがに長距離夜行は腰に来るよ……やっぱ歳なのかねぇ?」
体を伸ばせば腰に走る鈍痛に顔をしかめる。狭い船室に大人数をぎゅうぎゅうと押し込められれば、酒をくらって寝ることもはばかられた。
そんな状態の中、不自然な体勢で長時間いたのがたたったのだろう。体のあちこちがバキバキと音が鳴りそうなほどに固まっている気がする。やはり交通費を浮かす為に格安チケットを利用したのがまずかったか。自分もいつまでも若くはない。
「ま、いいさ!た~んと土産も持ってこれたし、とりあえず朝市で時間を潰してから真昼の月亭にチェックインだよ」
海産物と米酒を山ほど持って、アカネさんは米酒が好きかねえ、などと言いながら歩き出す。いえいえ、未成年ですよ。一応プロフィール上は。
「……っ……?!」
と、すれ違ったたくさんの人の中に見知った顔を見かけた気がして、ケイトははじかれたように振り向いた。
「まさか今のは…」
ディセス特有の褐色の肌にとがった耳。肌とは対照的な、白いリュウアン風の服。
ゆるいウェーブのかかった髪。何の色も映さない琥珀の瞳。
「セレさ……いや、まさかね…たぶん他人の空似ってやつさ」
名前を出しかけて、自分の考えを頭を振って否定する。
彼女は魔族の主人に付き従って、今は魔界にいるはずだ。こんなところにいるわけがない。
「なんか思い出しちまったねぇ…春になったら、サリナさんの墓参りにでも行くとするか…」
遠い目で空を見上げ、ケイトはひとりごちた。

「ええ~っ、今年はやらないのかい?」
真昼の月亭に到着したケイトは、アカネから受けた知らせに残念そうな声を上げた。
「そうなんですよー。ミケさんも今年は何か乗り気じゃないらしくって。
ほら、ああいうのって音頭取ってくれる人がいないとなかなか集まらないじゃないですか」
「確かにねぇ…そうかぁ、今年はやらないんだねぇ…残念だよ」
あからさまに落胆するケイトを、アカネは困ったように見やって…それから、ふといいことを思いついたというように指を立てた。
「そうだ、ケイトさん。いいアルバイトがあるんですけど、どうですか?」
「アルバイト?」
ケイトは顔をあげてアカネのほうを見た。
「そうそう。うちにも募集がきてたんですよ…確か、まだ定員は埋まってなかったはず……っと、これだわ」
ぴっ、と、掲示板にピンで留められていたメモ書きを取って、アカネはケイトに差し出した。
「厨房の方の募集です。ケイトさんにぴったりなんじゃないですか?」
「本当かい?どれどれ……」
ケイトは興味津々の様子でそのメモを取ると、店の名前を読み上げた。
「…喫茶マトリカリア、出張店……?」

プロローグ-ジル-

喫茶「マトリカリア」は、ヴィーダの大通りから少し外れたところにある、こぢんまりとした店である。
人通りのあまり多くない場所だけに、大量の客で埋め尽くされるようなことは無かったが、内装やメニューは手作りの温かみがあり、オーナーの人柄をうかがえた。
年の瀬も押し迫った、小春日和の昼下がり。ランチの時間を終えて客もまばらになった「マトリカリア」のテーブルに、ジルは一人の女性と向かい合って座っていた。
「……アルバイトしようと思う」
いつものように淡々と告げるジル。
向かいに座った女性は、唐突な言葉にきょとんとした表情をした。
「アルバイト、ですか?」
可愛らしく小首を傾げる彼女の名は、フィルニィ。
年のころは二十歳そこそこかまだ成人していないかといったところだろうか。ゆるいウェーブのかかった豊かな銀髪を腰まで伸ばした、おっとりとした感じの女性だ。
ひょんなことで知り合って、それから何となく付き合いが続いている。
彼女の母親が経営するこの「マトリカリア」に、ランチを食べに来てすっかり居着いてダベるほどには。
「ジルさんって、冒険者みたいなことやってお金稼いでませんでしたか?」
フィルニィの言葉に、ジルは目を閉じて肯定と否定の意を同時に示した。
「…違う。今回は、学生とかもやるような仕事がしたい」
「あら、そうなんですか」
明らかにジルのほうが年下なのに、フィルニィだけが敬語を使っているのが奇妙な感じだ。
フィルニィはうーんと考えた。
「そうですねぇ…職種はどんなものを?」
「……可愛い服を着て、人前に出る仕事」
「え、アイドルですか?」
「違う。それはもうやった」
「や、やったんですか?!」
驚くフィルニィ。
ジルは淡々と頷いた。
「弱肉強食のアイドルの世界は、私にはちょっと厳しすぎるみたいだから…
…別の仕事が、したい」
「うーん……そうですねえ……」
悩むフィルニィの横から、彼女に良く似た女性が笑顔で話し掛けてきた。
「喫茶店のウェイトレス、なんてどうかしら?」
「お母さん」
フィルニィは女性に向かってそう呼びかけた。
フィルニィより少し背の低い彼女は、若々しい見た目のせいもあってか全く母には見えなかった。並ぶとまるで姉妹のようである。それも、フィルニィの方が姉に見える。
「片付けの方はもういいの?」
「ええ、あらかた済んだわ。
それよりジルちゃん、ウェイトレス、どう?」
母はフィルニィには構わず、ジルに向かってにこりと微笑みかけた。
「………この店で?」
確かにマトリカリアは内装は可愛らしいが、店員…母の格好は普通の服に簡素なエプロンをしたもので、可愛らしいというほどのものでもない。
淡々と問うジルに、母は笑みを深くした。
「そうじゃないのよ。もうすぐ新年祭でしょ?
お祭りの間は、大通りにずらっと出店が回るじゃない?」
「……うん、そうだね」
「あれ、毎年出店先を抽選で決めてるんだけど。
今年、なんと!わが喫茶・マトリカリアが、中央公園に面した一等地に見事当選したのです!」
「おー……」
ぱちぱちぱち。
盛り上がる母に、いまいち盛り上がりに欠ける拍手をするジル。
「というわけで、新年祭は、大通りに『喫茶マトリカリア・出張店』が出ることになったのよ」
「えっと、お母さん?それ、初耳なんだけど……」
不満そうなフィルニィに、母はこともなげに頷いた。
「そうねえ、初めて言ったし」
「そういうことじゃなくてぇ…」
「まあ、フィルニィにはウェイトレスになってもらうとして」
「決定?!」
「ジルちゃん、どうかしら?年末だしお客さん多いだろうからお給金もはずむし…ジルちゃんのためならお母さんはりきって可愛いユニフォーム作っちゃうわー」
「え、今から作るの?」
「そうよ。せっかく人通りが多い所にお店を構えるんだから、着飾ったほうがいいでしょ。
それに、ジルちゃんがせっかく着飾りたいって言ってるんだから」
「いや、私は別に……」
ジルのささやかな反論は空気に流れて溶けて消えた。
「もう、お母さんったらいつも唐突なんだから」
言いながらも、どこか楽しそうなフィルニィ。
「そうと決まれば、さっそく採寸しないとね!」
すでにやる気満々の母。
「私、フリルがいっぱいついた可愛いのがいいなー」
「さあジルちゃん、向こうに行って早速作戦会議よ!」
ずるずるずる。
「……あーれー……」
ジルの首根っこを掴む勢いで奥へと連れて行く母に、ジルは相も変わらぬ無表情でそっと呟いた。
「……私、まだやるって返事したわけじゃ………まあ、いいけど……」

プロローグ-クルム-

「おかえりなさい、クルム」
下宿先のドアを開けて最初に聞こえた声が予想と違ったことに、クルムはきょとんとした。
この時期、彼女がここにいるはずが無いのだが。
しかし、その驚きはすぐに喜びに変わる。クルムはふわりと表情を崩すと、出迎えてくれた少女に返事を返した。
「ただいま、テア」
彼女の名前は、システィア・フォルナート。
クルムの下宿先、「ネルソン商会」に同じように下宿している少女だ。
「今年は里帰りしないの?去年はこのくらいの時期にはもう帰ってた記憶が…」
旅の荷物を机の上に置きながら、クルムは自分の予想をそのままに口にした。
苦笑して、テアが答える。
「実はね、私のところの新年祭はひと月ずれているの。こことは違った暦を使っていて…でも、せっかく家族水入らずの新年祭に、私がお邪魔するわけには行かないかなと思って、去年はこの時期に帰っていたのよ」
「そうだったのか」
クルムは少し驚いて、テアに言った。
「でも、ここの人たちはテアのことを邪魔だなんて思ったりしないんじゃないかな。
むしろ、テアがそんな風に思ってるのを知ったら、悲しむと思うよ」
「ええ、アリシアにもそう言われたわ」
テアは苦笑したまま、肩を竦める。
「だから、今年はここで新年祭をお祝いして、故郷の新年祭の時には故郷でお祝いすることにしたの」
「そうなんだ。そうするといいよ」
クルムはにこりと笑って、次の言葉を…
「オレも…っ」
言いかけて、止める。

(オレも、嬉しいし)

「クルム?」
急に言葉を止めたことを不審に思ったのか、テアがきょとんとしてクルムの顔を覗き込む。
「お…オレも、去年みたいに年が明けてから里帰りするんだ」
「そうなの」
慌てて繕ったクルムの言葉を、すんなり飲み込んでテアは微笑んだ。
は、と息を吐くクルム。
彼女への想いを自覚してからというもの、それまでは当たり前に言えていた言葉が急に喉に詰まるような感覚になる事がしばしばあって、甘い棘が刺さったようにクルムをくすぐったい気持ちにさせていた。
人を好きになるっていうのは、こういうことなのかな。
初めての気持ちに戸惑いは隠せないけれど、それ以上に胸を暖かくさせてくれる。
クルムは胸のつかえをおろすようにもう一度ふうと息をつくと、荷物の中からごそごそと何かを取り出した。
「それよりテア、はい。お土産」
「えっ?」
差し出したのは、華奢な鳥をかたどった銀細工の髪飾り。
テアは表情を輝かせた。
「わあ、可愛い。今度の依頼は、どこに行ってきたの?」
「リストフだよ。荷馬車の護衛で、そんなに難しい仕事じゃなかった。
でも、さすがに貿易都市だけあって、色んなものが揃ってるな。
みんなにもお土産を買ってきたんだけど、これは、テアに。」
「そうなのね…ありがとう、わざわざ。
早速つけてみるわね」
テアは言って、右耳の上あたりにその髪飾りをつけた。
「……どうかしら?似合ってる?」
「うん、すごくよく似合うよ」
嬉しそうに微笑むテアに、自然とクルムの表情もやわらぐ。

初めての気持ちに、戸惑うことも多いけれど。
こんなに優しい気持ちになれるのは素晴らしいことだと、クルムは思った。

プロローグ-オルーカ-

オルーカへ

お久しぶり。元気にしてる?
新年は、やっぱり教会で過ごすの?
今年はパパと一緒にパパヤビーチでバカンスです。
この手紙もパパヤビーチから出してるのよ。
地元の男の子達と仲良くなったんだけど、パパったら白目向いて怒るの。
子供よねぇ。うふふ。
オルーカにもお土産買っていくね!また一緒に遊ぼうね。

レオナ

「……ふふ、パパヤビーチでバカンスなんて、いいですねぇ」
今は遠方でバカンス中の、小さな友達からの手紙。
オルーカは楽しさいっぱいという様子のその手紙をほほえましげに眺めてから、ふと前方を見てため息をついた。
「のおぉぉぉっ!もう締め切りを3日も過ぎているのですよ!5割増特急料金を払っても刷ってもらえるかどうかわからないんですわかったらさっさと消しゴムをかけてしまいなさいネイトおぉぉぉぉ!」
「はいっ司祭様!!」
大聖堂の長机に、なにやら大量の紙を広げて一心不乱に何かを書いている司祭と、わけがわからぬままそれを手伝わされているワーベアのネイト。
「同じ年末だというのに……どうしてこうも違うんでしょうか……」
オルーカはぽそりと呟いて、天井のステンドグラスを仰ぎ見た。
ステンドグラスに精巧に描かれたガルダス神が、呆れているように、見えた。

プロローグ-ヴィアロ-

あちらへこちらへとせわしなく動く人々を見ていると、年の終わりが近づいてきたことを実感する。
ヴィアロは忙しそうに駆け回る人々を見ながら、その中で自分の時だけが止まってしまったような錯覚にとらわれていた。
絶え間なく流れ行く時の中で、自分だけが取り残されたように止まっている。
無論、それがただの錯覚なのはわかっていた。
この1年、色々なことがあった。良い事も、悪い事も。
中でも記憶に新しいのは、ザフィルスでの事件とハニスの谷での依頼。
変幻自在に顔を変えて盗みを働き、顔を奪った者を殺してしまう残虐な盗賊――ザフィルスでは、黒く濁ったビーズを買った。
希少な宝石を産出する谷に現れ、宝石を食い荒らしていた巨大な蜘蛛――ハニスで分けてもらったのは、青い宝石スカイラテで特別に作られたビーズだった。
ヴィアロの髪につけられたビーズは、ヴィアロが色々なことを経験した証だ。そのビーズを見るたびに、ビーズを手に入れた場所でのことを思い出す。その場所に、自分が確かにあったことの証。自分の記憶が、確かなものであることの証だった。
この二つだけではない。マヒンダでの女王失踪事件。讃地祭での料理対決。砂漠の古都での冒険。皆それぞれに、それぞれの色をしたビーズが、記憶の証としてヴィアロの髪に光っている。
だが。
(本当に欲しい『記憶』は……手がかりすら、見つからなかった……)
ヴィアロは僅かにうつむいて、思いの中に沈んだ。
(…俺の記憶を奪った、『名取り』……奪われる前の記憶…家族……)
それらを探すための旅であったはずなのに。
残念ながら、その手がかりすら全く見つからない。
ヴィアロはこっそり嘆息した。
(……冒険者、だから。……冒険するのは当然、なんだけど)
生活に追われて夢を見失ったサラリーマンのようである。
(まあ、最初の頃よりは、知り合いも増えたし……力も、ついたと思う。……だから、あせらず、ゆっくりと…それで、いいよね……)
自分に言い聞かせるようにそう思って、ヴィアロは再び、慌しく流れる街中へ、ゆったりと足を踏み出した。

プロローグ-ミケ-

日一日と寒さが増し、冬の色が濃くなっていく。
同じように、日一日と街の雰囲気が浮かれていくようにも思えた。
もうすぐ新年祭。一年で最初の、そして一年で一番のお祭りに、人々の表情は目に見えて浮き立っている。

「はぁ……」

そんな人々を尻目に、ミケの表情は重かった。
去年は楽しかった新年祭。ニューイヤーパーティーの主催までやった。
しかし、今年はあまりそんな気分にはなれなくて。
それというのも。
先日の依頼が終わってから、彼の頭の中でとある疑問がぐるぐると渦を巻いていたのである。

「私、しばらくマヒンダに帰ろうと思うの」
「だから、しばらくさよならね」
「元気でね、ミケ!」

どこか悲しそうな、それでも精一杯元気を繕っているような表情の彼女が、最期に残した頬へのキス。
あれは、どういう意味だったのだろうか。
どんな気持ちで、自分にキスなどしたのだろうか。

まあ、どういう意味もこういう意味もない気がするのだが、生来の女運の悪さから多少女性恐怖症ぎみなミケにとって、微妙に揺れ動く乙女心を察せよというほうが難しいというものだ。
レティシアのことはとても素敵な少女だと思っている。明るく元気で、思いやりがあって、他人のことを我が事のように喜び、涙を流す優しさを持っている。
友人として、仲間として、とても信頼が置ける人物だと思っていた。
しかし、友人の頬にキスは、しないのではないだろうか。
レティシアは友人としてでなく、異性として自分を見ていたのでは?
では、自分がレティシアに抱いている「好意」と、レティシアが自分に抱いている「好意」は別のものなのか?何が違うのか?
そもそも、どういう気持ちをもって「恋愛感情」と呼べばいいのか?
考え始めたら止まらなくなってしまった。
答えの無い問いなのは判りきっているのに。
「はぁ……」
もう一度ため息をつくと、足元を歩いている黒猫が心配そうににゃあ、と鳴く。
「ああ、すみませんね、ポチ。大丈夫ですよ」
猫を安心させるように微笑みかけてから、視線を戻して。
「………あれ」
視線の先に、見知った人物の影。

そういえば、最近見ないと思っていた。
まあ、見るときといえばあまりこちらにとってはよろしくない状況であることが多いので、何か別の意味で「便りのないのは良い便り」といった感じではあるのだが。
だが、好きか嫌いかとだけ言われたら…判らない、というのが答えだった。
人間とは根本的に異質の存在である彼女が何故こんなところに、という疑問も、彼女の気質を考えれば疑問にもならない。
楽しそう、だから。
だから、こんなところにいるのだろう。
聞いてみたわけでもないのに、そんな答えで深く納得する自分がいる。

「………」
ふと。
どこから沸いてきたのか、自分でも不思議な考えが頭をよぎった。
やめておいた方がいい、理性はそう訴える。
そんなことは、彼自身も百も承知だった。
しかし、その気持ちとは裏腹に、彼は足を踏み出していた。

「こんにちは。お久しぶりです。珍しいですね、お一人なんですか?」

彼女に、声をかける。
彼女は、少し驚いたような顔をして、それからいつものように微笑んでみせた。
それを見て、また勝手に言葉が口をついて出る。
「お暇、ですか?だったら」
その言葉に、からかうような問いを投げてくる彼女。
慌てて手を振る。
「……あ、あ、ナンパじゃないですよ?」
どう見てもナンパだ。
あろうことか、この自分が。
よりによって、彼女を。
何でこんなことをするんだろう。全くもって理解不能だ。

もしかしたら、答えの出ない問いを考えすぎて、頭がどうかしてしまったのかもしれない。

なんにせよ、自分は声をかけてしまった。
からかわれてもなお、思いついたことを口にしようとしている。
そのことが、ありえなさ過ぎて、もういっそ可笑しかった。
だからだろうか。
とても嬉しそうな、満面の笑顔で、彼は彼女に言った。

「もし、お暇でしたら。僕と遊びませんか?チャカさん!」

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