宿場街 -ライラの刻-

アルディアの朝は早い。
ライラの刻どころかマティーノの刻から起き出してくることもあるほどだ。ここまで早いと、もはやそれは徹夜ではないかという感じだが、きちんと眠ってはいるので本人は朝早くに起きている程度の認識である。
だから、ライラの半刻を過ぎた頃に起き出してきても、彼女にとっては少し遅めの目覚めといったところだった。
簡単に朝食を取り、今日納品のはずの調合の仕上げに入る。
この分なら今日中には仕上がるだろう。期限もまだたっぷり余裕がある。今年は思っていた通り、ゆったりとした新年を迎えられそうだ。
と、そんなことを考えながら薬を量り取っている時だった。
こんこん。
こんな時間にはめったにノックされない扉から聞こえた音に、アルディアは手をとめてそちらを見た。ほどなく、扉の向こうから声がする。
「おはようございます、アルディアさん。いらっしゃいますか?」
聞き慣れた声に、アルディアは僅かに微笑んだ。
「なんだ、オルーカか。開いているぞ、入ってくれ」
「はい、失礼します」
がちゃ。
ドアが開いて、オルーカが中に入ってきた。

「えへへ、ちょっと早く起きすぎちゃったかな…」
宿場街にある宿の一つ、「白銀のイルカ亭」。
リィナはその玄関口で、そわそわと何かを待っていた。
表情には期待の色。ずっと待ちわびていたものがいよいよ到着する、といった様子で。
「でもでも、これが光ってるから、来てるって事だよね…あーっ、早く来ないかなぁ!」
言って、胸に下げられたペンダントを手に取る。
リィナの兄――血の繋がっていない兄だが――ショウが力を込めたこのペンダントは、異世界にいる彼がこの世界を訪れた時、それを知らせるように淡く光るのだ。
それをいとおしげに見ているリィナの頭上から、明るい声が降ってきた。
「いや~そこのお嬢さん、お出迎えご苦労様!」
「へ?」
きょとんとしてそちらを向くリィナ。
そして、その表情がパッと明るくなった。
「あっ、お兄ちゃん!」
屋根の上からリィナを見下ろしていたのは、まさにショウその人。
「よっと」
ショウは軽々と屋根から飛び降りて、再びリィナに向き直った。
「お兄ちゃ~ん」
リィナは喜色満面でショウに駆け寄り、その胴に飛びつく。
「……うわーっ、凄い大袈裟だな」
言いながらまんざらでもなさそうなショウ。
「いいじゃん、嬉しいんだし」
満面の笑みを向けるリィナ。
それにつられるように、ショウも満面の笑顔を返す。
「まぁ、いいや……今日は新年祭なんだろ?」
「そーだよー、リィナとの約束守ってくれたんだね……」
「そういうことになるわけだな、遊びに来るって言っときながら、そんなに来れないわけだから……これぐらいはな」
「うん!すっごく嬉しいよ~今日はいっぱい遊ぼうね」
リィナのテンションは絶好調だ。
早速、ショウの手を引いて歩き出す。
「さぁ!いざ出発!」
「はいはい、かしこまりました」
少し強引な妹に、ショウは苦笑しながらも…苦労して休みを取った甲斐があったな、と思っていた。
…まあ、別に大した苦労はしていないわけだが。

「久しぶりだな、オルーカ。どうしたんだ、こんな朝早くに」
アルディアに招き入れられたオルーカは、にこりと微笑んで答えた。
「あ、はい、ちょっとこちらの方に用事があったものですから、ついでに…アルディアさんがいらっしゃったら、ご挨拶をと思って」
「挨拶?何のだ」
「え、年末の挨拶ですよ。今年も1年お世話になりました、って」
「何だそんな事か。わざわざ済まないな。私は世間一般のことには疎くてな」
「いいええ、私がご挨拶したくて勝手に来たんですから。気にしないでください。
それより、明日うちの僧院で餅つき大会をするんですよ。よかったらどうですか?」
「餅か?懐かしいな……だが、信仰の無い私が行って問題は無いのか?」
「信者の方以外でも大歓迎ですよ。宗教行事というより、ご近所さんと親交を深めるイベントですから」
オルーカは笑顔で応えて、アルディアに持っていたチラシを渡す。
それから、調合用具が広がっている部屋の中をものめずらしそうに眺めだした。
「相変わらず、すごいお部屋ですね。今は何を作っていらっしゃるんですか?」
「うむ、年明けに納品する予定のものでな。効能は少し口では説明しづらいのだが…」
「難しいお薬を作っていらっしゃるんですね。あ、これが完成品ですか?」
オルーカは、言って机の上にある瓶を手に取った。
深い緑というのか、おどろおどろしい色合いの薬である。
アルディアは僅かに眉を顰め、オルーカに声をかけた。
「ああ、その薬は取扱いに注意してくれ。外気に触れてしまったら…」
「え、なんですか?……きゃっ」
つる。
注意しろと言われていたそばから、瓶を取り落としてしまうオルーカ。
「え、きゃあっ!」
慌てて下に手を回すが、間に合わず。
がしゃん!
薄いガラスで出来ていた瓶は、派手な音を立てて無残に壊れてしまった。
「あ、あああっ!す、すみませんアルディアさん!どど、どうしましょ……」
慌てるオルーカの眼前で、緑色の液体はしゅうしゅうと音を立てながらどんどん揮発した。
「えええ?!これ、なっ……けほ、けほけほ!」
「その薬は揮発性が高くてな」
「ラヴェンダーの香りが…!」
「古いぞ、オルーカ」
「知ってるアルディアさんも相当だと思います!」
「最近リメイクというか続編があっただろう」
「じゃあ何で古いなんて言ったんですかー!」
そんなことを言っている間に、煙はどんどん部屋に充満していく。
「いかん、窓を…!」
アルディアは急いで窓に向かったが、遅かった。
ばた、ばた。
瞬く間に煙の充満した部屋で、2人は気を失ってその場に倒れ伏した。

「………う……」
オルーカが意識を取り戻すのに、さほど時間はかからなかった。
「いたた…なんか、頭が、ぐらぐら…」
視界が揺れる。
煙は晴れているようだが、気分は最悪だ。まるで、自分の体で無いような違和感。
何とか手をついて体を起こし、あたりを見回す。
「うぅ…アルディアさん、大丈夫で………え?」
そこに倒れ伏している人物を見て、オルーカの意識が一気に覚醒した。
「え?!わ、私?!」
癖のない藍色の髪、赤紫色の修道服。少なくともアルディアでないことだけは確かだ。だとすると。
オルーカは急いで立ち上がり、部屋の奥にあった鏡を見た。
「うそ……」
そこで驚いた表情をしていたのは、紛れもなくアルディアその人。もっとも、アルディアの驚いた顔などついぞ見たことがなかったが。
「私が…アルディアさんに?え、ってことは、私の中には……」
オルーカは慌てて、倒れ伏している自分の体に駆け寄った。
「あ、アルディアさん!アルディアさんですよね?!ていうか起きて下さいー!!」

→ルヒティンの刻・宿場街へ
→ルヒティンの刻・喫茶マトリカリアへ

宿場街 -ルヒティンの刻-

「い、入れ替わりの薬、ですか?」
まだ信じられない、といった様子で、アルディア――中身はオルーカだが――は言った。
「ああ。貴女が落としたそれは、まさに落として空気に触れさせ、今のような効果を起こさせるための薬だ。調合には成功したということだな。まあ、薬は無くなってしまったが」
オルーカ――中身はアルディア――は、いつものように淡々と答える。
記述が面倒で混乱するので、中の人の名前で呼ぶことにする。
「成功って、いや、大変じゃないですか!」
オルーカは慌てた様子でアルディアに言った。
「げ、解毒剤とかはないんですか?」
「そうだな、解毒薬は作っていないな。まあ心配ない、しばらくすれば元に戻る」
「そ、そうなんですか…」
少しほっとした様子のオルーカ。
アルディアはオルーカの様子をよそに、今しがた作っていたもう一つの薬の方に目をやった。
「ふむ。其方の調合は間違っていなかったならば問題ないだろう。
あとは此方の薬の効果を確かめればいいが…すまない、オルーカ。この薬を飲んで貰えないだろうか?」
「え、ええっ?」
今しがた薬でひどい目にあったばかりだというのに、まだ薬を飲めというのだろうか。アルディアの持っている薬がまた、例えようのないどどめ色をしているのがためらいに拍車をかける。
「ち…ちなみにその薬は何なんですか?」
「さっき完成したばかりの、別の新薬だよ」
「…へえ」
「私は納品する前に、薬の効力を自分で確かめているのだが」
「…はあ」
アルディアが何を言い出すのか、オルーカとしては戦々恐々だ。
「オルーカ、済まないが試してみて貰えないだろうか。其の体は薬に耐性が有る」
「……ど、毒とかじゃないですよね?」
「毒でもある程度は耐えられるが…」
「苦しいじゃないですか!」
「まあ、この薬は毒では無い。…調合が成功していれば」
「していれば……」
「いや、言葉のあやだ。そう難しい調合では無いし、まず心配はないよ」
「ちなみに、どんな薬なんですか?」
「背中にミッキーマ○ス型の人面瘡ができる薬だ。テーマソングも歌う」
「ぶっ!い、いやですよ!いくらアルディアさんの体だって言ったって…」
「材料に毒素の有る物は使って居ないぞ。ネズミの生き血を使っている。最近はナチュラル志向がブームだからな」
「ミッ○ーはネズミじゃありません!」
「なに?私は世間のことに疎いからな。言われるままに作っただけなのだが…此れはネズミではないのか。なら何だ?」
「ミッ○ーはミッ○ーという生き物なんです!」
「なんと。そうなのか…」
そうなんです。
「まあともかく、貴女が嫌ならば仕方があるまい。
此処は自分で試すとしよう」
アルディアは気を取り直して、持っていた瓶の蓋を開け…
「そ、それも止めて下さい!今のアルディアさん、私の体じゃないですか!」
慌てて止めに入るオルーカ。
その時だった。

こんこん。

聞こえてきたノックの音に、二人は動きを止めてドアのほうを見た。
「誰か来たようだね」
「え。だ、大丈夫でしょうか…?」
「ああ、ちょっと応対してくるよ」
「ええ、お願いします」
と、そこまで言って、応対しようとドアに近づいたのが自分の体だということに気づいたオルーカがまた慌てて止めた。
「ってアルディアさん!私の姿で出ちゃダメです!」
が、時既に遅し。
アルディアは軽々とドアを開けた。
がちゃ。
ドアの向こうにいたのは、二十歳そこそこほどの青年だった。おそらくは人間種族だろう。日焼けした肌にツンツンと逆立った金髪、彫りの深い顔立ちにこちらを睨むような目つきは、服が普通でなければその筋の人と思われてもおかしくない風貌だった。
彼は、ドアを開けたのがこの部屋の主・アルディアでないことに少なからず動揺したようだった。
が、当のアルディアの方は見知った顔に気軽に声をかける。
「ササか。どうした?」
「ど、どうしたって…あんた誰だ?先生の知り合いか?」
バリバリに警戒する青年――ササ、と呼ばれていただろうか。
アルディアは眉を顰めた。
「何?知り合い?」
「ええ、そうです!知り合いです!」
アルディアが下手なことを言う前に、と、オルーカが慌てて2人の間に割って入る。
「えーと、あなたは…そうだ、お薬を引き取りに来た方ですね?」
「は、はぁ?いや、今日は薬の引き取りなんかじゃなくて、」
「えっ、そうでしたか…じゃあ、依頼…それかもしかして、回覧板を届けにきてくださったのでしょうか」
「せ、先生?どうしたんだ、今日はおかしいぜ?」
ササはあわあわと言葉を紡ぐオルーカ(彼にとってはアルディア)を心配そうに覗き込んだ。
「どっか具合が悪いんじゃ…口調も変だぞ」
「え、そんな。あ、うむ!ぐ、具合など、悪いわけがなかろうもん!」
「なかろうもん!?」
「あああ、えーと……、ええい、ないと言っておる!!」
無理にアルディアの口調を真似ようとして余計に珍妙になっているオルーカ。
「先生…」
ササは心配そうなのを通り越して哀れむような目つきでオルーカを見た。
と。
「ササ、私は此方だよ」
アルディアがそう言い、ササはそちらに視線を移した。
「あんた、先生の……」
「だから、私がアルディアだ。私は今この人と入れ替わって居るんだよ」

「…そういうわけだったのか……」
アルディアから一通り事情を聞いたササは、まだ信じられないような表情をしていたが、納得した様子だった。
「じゃあ先生と、この、えー、」
「…オルーカと申します…」
「ああ、オルーカ。先生と体が入れ替わってるってことなのか?」
「うむ」
「恥ずかしながら、そうなりますね」
同時に頷く2人。
「そうなのか……元に戻る方法は…」
「時間がたてば、元に戻るそうです」
「そうか、なら安心だな」
「入れ替わりの方は、それで問題は無いのだがな」
安心したササを遮るように、アルディアが腕組みをした。
「割れて使ってしまった格好のこの薬、実は年明けに納品しなければならないんだよ」
「ええっ?」
「…もう時間がないじゃないですか!?」
アルディアの言葉に驚くオルーカとササ。
アルディアは頷いた。
「ああ。調合自体は大した時間はかからないが、材料がなくてね」
「た…大変じゃないですか!そんな大切な薬を私……すみません!」
オルーカは再び申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、悪気が有ってやった訳ではない。気にするな」
「いえ、でも………そうだ!私、その材料、集めてきます!」
「オルーカ?」
意気込んで立ち上がったオルーカを、アルディアは不思議そうに見上げた。
「材料があれば、すぐ調合できるんですよね?私、材料を集めてきますから。あ、もちろんかかるお金は私が負担しますし!」
「いや、気持ちは有り難いが…」
「やらせてください、お願いします!」
アルディアは真剣に訴えるオルーカの目を見返して、やがて苦笑した。
「……判った、そう言ってもらえるのならお言葉に甘えるとしよう」
「先生、オレも手伝うよ」
「ササ?」
身を乗り出したササを、アルディアはきょとんとして見やる。
「どうせ、ソイツじゃあ材料の種類の見分けなんてつかないだろ?
まだ学生だけど、それでもソイツよりは薬に詳しいし。素人が一人でうろつくよりは効率がいいだろ」
「あ……ありがとうございます!」
オルーカは嬉しそうにササにも頭を下げた。

「ダッラーラの卵…レナトの花…モドシダケ…の3つですね」
渡されたメモをオルーカが復唱すると、アルディアはゆっくり頷いた。
「ああ。その3つなら、比較的手に入れやすいものだと思う。……合法だしな」
「今ぼそっと何て言いました?」
「いや。残りの物は普通の店にはなかなか置いていないものなんだ。其方は私の伝を辿って購入するから心配要らないよ」
「そちらの代金も私が持ちますよ」
「いいのか?ちょっとした値段だぞ」
「……どれくらいするんですか?」
恐る恐るオルーカが訊ねると、アルディアは黙って指を数本立てた。
「……銀貨で?」
「もちろん金貨だが?」
「そそそ、そんなにするんですか?!私の月収の半分くらいじゃないですか!」
「希少なものはそれだけ高いのだよ。だから気にするな。どうせ払うのはクライアントだ、私では無い」
倍額払わされることになったクライアントに同情は禁じえないが、無い袖は振れない。オルーカは軽くうなだれて、アルディアの言葉に甘えることにした。
「ああ、其れとだ」
「はい?」
「私達が入れ替わって居る事だが、出来るだけ伏せて置くのが良いと思う」
「どうしてですか?」
アルディアの言葉にきょとんとして問い返すオルーカ。
アルディアは少しだけ渋い顔をした。
「普通に考えてもかなり危険な物だ。あれば犯罪にも悪用されやすい。
私自身は仕事だと割り切って居るし、仕事を選んだりもしない。そんな所を買われて時々こういう依頼が有るのだが、やはり素人がこの薬の存在を知って居る…という事が依頼主の耳に入るのは不味いかもしれん」
「なるほど…そうですね、今日一日のことですし、余計な混乱を招きたくないですし。わかりました。私も出来るだけアルディアさんとして振舞いますね」
「済まないが、宜しく頼む」
「あっ。では、私からも一つ、お願いをしていいですか?」
「何だ」
「あの、私、明日の餅つきの準備を手伝う手はずになってたんです。ですが、用事が出来てしまって早退する、と、僧院の方に伝えていただきたいんです」
「そうか、判った。確かに伝えておこう」
「よろしくお願いします」
「では、昼頃に一旦状況報告をしたいのだが、待ち合わせ場所を決めて置かないか?」
「あっ、そうですね……こういうのは、かえって人が多い場所の方がいいですよね。木は森の中に隠せっていうし…今日は、大通りに出店が出てるはずです。中央公園に面した場所にカフェが出店してるって聞きましたから、そちらで待ち合わせというのはどうでしょうか?」
「大通りのカフェだな。判った。では、ミドルの半刻あたりにそこで落ち合うとしよう」
「じゃあ、よろしくお願いします」
「此方こそ。道中気をつけてな。
ササ、オルーカをよろしく頼む」
「まかしとけよ、先生」
オルーカの言葉に、胸をたたいて頷くササ。

かくして、薬の材料集めが始まった。

→ルヒティンの刻・住宅街へ
→ルヒティンの刻・中央公園へ

宿場街 -ストゥルーの刻-

「すっかり遅くなってしまったな…」
あの後、もう一度方々の薬屋を回って、どうにか3度目の材料をゲットし。
結局、アルディアが自分の宿に戻ってきた頃には日もすっかり暮れ、ストゥルーの刻を大幅に回ってしまっていた。
「あとは、オルーカ達が首尾よく材料を手に入れてくれれば良いのだが…」
テーブルの上に手に入れてきた材料を広げ、そんなことを言っていると。
がちゃ。
「アルディアさん、只今戻りました!」
「先生、材料、集まりました」
ちょうどドアをあけてオルーカとササが入ってくる。
アルディアはそちらに薄い笑みを向けた。
「おお、オルーカ、ササ。お帰り、お疲れ様だったな」
「材料、すべて集まりました。こちらです」
こと。
オルーカは持っていた材料を、アルディアの前にある机に並べていく。
「レナトの花、モドシダケ、ダッラーラの卵……今度は孵化しないやつです」
「うむ、ありがとう。すまなかったな」
「いいえ、そもそも私がお薬を落としちゃったのが原因なんですから…」
「しかし、これでまた薬を調合しなおす事が出来るよ」
アルディアが言うと、ササが前に進み出た。
「先生、オレ調合手伝うよ」
「ササ…」
アルディアはきょとんとしてそちらを見やり、それから苦笑した。
「いや、気持ちは嬉しいが、構わないよ。私ひとりで出来るし…エルブランもいるからな」
「……っ」
ササはエルブランの名を出され、複雑そうな表情で彼を見た。
エルブランもまた、ばつの悪そうな顔でササを見返す。
「……ササさん」
オルーカに促され、ササはしぶしぶ頭を下げた。
「…昼間は、言い過ぎました」
エルブランは少し驚いたような顔をして、しかしすぐさま自分も頭を下げる。
「いや、私の方が悪かった、すまない」
そして、今度はオルーカの方を向いて。
一瞬沈黙したが、やがてゆっくりと頭を下げた。
「……。…すまなかったな」
「エルブランさん……」
オルーカは驚きに目を見開いて…しかし、すぐににこりと微笑んだ。
「気にしないで下さい。2人が仲直りできて、嬉しいです」
エルブランがオルーカに謝ったことで、ササもわだかまりが取れたようだった。
「…先生の手伝い、よろしく頼みます」
笑顔でそう言うと、エルブランもくすぐったそうに苦笑した。
「まいった、息子を嫁にやるような気持ちだ…」
そう呟くエルブランになんでやねんと思いつつも。
アルディアは身体だけテーブルに向き直ると、ササとオルーカに言った。
「では、私は調合に取り掛かるが…薬の効力が切れるまで、ササはオルーカと散歩でも行ってきたらどうだ」
「え」
きょとんとするオルーカ。
「もうすぐ効力は切れると思うのだが…私の体のままで帰っても仕方があるまい?
かといって、此処に居ても退屈だろうからな。夜も遅いし、ササ、オルーカと其の辺りをうろうろして来てくれ」
「あ…ああ、まかせといてくれよ」
ササもきょとんとしつつ、頷く。
「じゃあオルーカ、行こうぜ」
「はい。じゃあアルディアさん、調合頑張って下さいね」
「ああ、有難う。ではな」
オルーカ達は軽く礼をすると、アルディアの宿を後にした。
「さて……取り掛かるか。エルブラン、そちらの乳鉢を取ってくれないか」
「は…はい」
そして、アルディアはテーブルに向き直ると、淡々と調合を開始した。

→マティーノの刻・住宅街へ
→マティーノの刻・宿場街へ

宿場街 -マティーノの刻-

ササとオルーカが散歩に出た後。
アルディアとエルブランはしばし無言で薬の調合に精を出していた。
ごりごり、ざりざり、ぶくぶくという奇妙な音だけが部屋の中にこだまする。
「………」
エルブランは何か言いたげにアルディアを見…アルディアが調合に没頭しているのを見て自分も作業に戻り…ということを繰り返していたが、やがて意を決して口を開いた。
「……アルディアさん」
「うん?」
アルディアは手を止めぬまま、視線だけをエルブランにやった。
エルブランはアルディアから目を逸らしたまま、言葉を探しながら紡いでいく。
「…私には、今…一人、弟子がいます」
「そうか」
「今の所、このヴィーダをベースに二人で色々な場所を回っています」
「うむ」
淡々と反応を返すアルディア。
エルブランはその様子に、焦ったように口ごもった。
「………あー……その、旅は……良いですね」
「ああ、そうだな。…ふふ、何だ、いきなり」
エルブランの妙な言い草に、笑いを漏らすアルディア。
エルブランは困ったように頬を掻いた。
「あ、いや…。……その……」
「…?」
首を捻るアルディア。
エルブランは目を逸らしたまま、手を止めて言葉を続けた。
「…………む…昔を……思い出します…。…勿論、昔とは全く違いますけど。
2人っきりだから、あの頃みたいに賑やかさの欠片も無いですし…」
「そうだろうな」
頷くアルディア。
エルブランは少し沈黙して、それから搾り出すように言った。
「……。……私は、その……女は嫌いです」
「うむ、知っている」
「あ、いや、そうじゃなくて、あの…でも……アルディアさんは、ちょっと、別です。
…バジルさんの………あの人の、奥さん…ですから」
「…そうか。…ロゼとラーナは違うのか?」
「う、あ、あの二人は良いんです!…そりゃ、嫌いじゃないですよ、別に。…恨みは積もる程有りますけど」
ぷっ。
さすがに噴出すアルディア。
エルブランは慌ててふよふよと手を動かした。
「つ、つまりですね、私が言いたいのは…」
「言いたいのは…?」
「……………」
黙り込むエルブラン。
アルディアは首をかしげた。
「エルブラン?」
名を呼ぶと、エルブランはそこでやっと、アルディアを正面から見る。
「……アルディアさんは……昔を、思い出したりしませんか?
…私は、本当の事を言えば……あの頃が…一番楽しかったです。
貴方は……そうは思いませんか?」
「………」
アルディアの表情から笑顔が消える。
「アルディアさんは、今…寂しくは…ないんですか?」
「……」
アルディアは手にビーカーを持ったまま、俯いた。
虚ろな瞳で調合材料を見るともなしに見ながら、黙って考える。
エルブランは、アルディアの答えを辛抱強く待った。

「…アルディアさん……」

「へぇ……いつも外でばっかり会ってたから、リィナの部屋ってのは初めてだな」
マトリカリアの騒動が落ち着いて。
ショウとリィナは、リィナの滞在する白銀のイルカ亭にやってきていた。
「ん、どうかな……リィナの部屋」
「昔の部屋とまったく変わってない、リィナの部屋って感じだな」
「えへへ……そうだね、そう言ってくれると思った」
リィナは嬉しそうに、両手に持ったマグカップの片方をショウに差し出した。
中身はホットココアのようだ。
ショウがマグカップを受け取ると、リィナははしゃいだ様子で、ちん、とカップを合わせた。
「かんぱ~い」
「ココアで乾杯ってのもなぁ……」
「いいの、気分なんだから」
くすくす笑いながらココアを口につけるリィナに、ショウも破願してココアを飲む。
「今日は楽しかったねぇ……」
「ああっ、そうだな、久し振りに楽しい1日だったよ」
ショウが言いながらリィナのベッドに腰掛けると、リィナもそれに寄り添うように隣に座った。
「ジルちゃんのお店でお手伝いしたり、他のお店に偵察に行ったり」
「流石に怪物騒ぎにはびっくりしたけどな」
「だよねぇ~でも、みんな凄いや、みんながんばって倒してた、リィナも頑張らないとね」
「リィナも頑張ったじゃないか、ちゃんと避難の先導も出てきてたし、成長してるって感じたよ」
ショウは言って、リィナの頭を優しく撫でた。
「お兄ちゃんに褒められると、嬉しいな♪」
リィナは嬉しそうな表情で、ショウの肩に頬を摺り寄せる。
「……そーいえば」
「ん?なんだリィナ?」
「ジンクス……やっぱり、叶っちゃった♪」
笑顔で見上げるリィナに、ショウは今年の初めに聞いた新年のジンクスのことを思い出し、笑顔を作った。
「確かにそうだな、流石にいつも一緒ってわけにはいかなかったけど」
「お兄ちゃんとまた会えたし、それ以外にもこの一年はすっごく幸せだったよ」
「まぁ、俺も悪くはなかったかな」
「ぶーっ、お兄ちゃん、素直じゃない」
ぴん。
くすくす笑いながら、ショウの額を軽く指先で小突くリィナ。
ショウもくすくす笑ってそれを受ける。
と。

かーん……かーん……

「あっ、鐘の音……」
「本当だ……」
遠く、新年の鐘の音を聞いた2人は、改めて向かい合った。
「あけましておめでとうございます、お兄ちゃん」
「おめでとうございます、リィナ」
笑顔であいさつをして。
それから、リィナの表情が急に区シャリと崩れる。
「リィナ?」
ショウが名を呼ぶと、リィナはぎゅうとショウの胴に抱きついた。
「ねぇ……今日ももう帰っちゃうの……」
ショウの胸から聞こえる涙声。
ショウは苦笑してリィナの頭を撫で、優しく上を向かせると…その涙を拭いとるようにしてキスをした。
「仕事は終わらせてきたからな、このまま3日ほど滞在できると思う……安心した?」
「え……」
リィナの表情が、みるみるうちに笑顔に変わった。
「……お兄ちゃん大好きっ!」
リィナはショウの首にかじりつくと、今度は自分からキスをする。
「今日はずっと……いっしょだよ」
「ああっ……もちろんさ」
鐘が鳴り終えても、恋人達の時間はまだまだ続くようだった。

かーん……かーん……
遠く、鐘の音が聞こえる。
アルディアは俯いたまま、虚ろな表情で黙っていた。
「……アルディアさん…?」
エルブランが、さすがに心配になって話しかける。
と。
「……ササさん……」
ぽつり、と呟くアルディア。
ん?とエルブランが眉を寄せた時には。

だば。

アルディアが手に持っていたビーカーの中身が、ものすごい勢いで下に注がれる。
「おわーーーーっ!?」
「え、あ、あれ?!こ、ここは?!」
アルディア…だった彼女は、エルブランの大声で急に我に返ったように辺りを見回した。
「え?え?エ、エルブランさん???」
ぱぱぱ、と自分の身体を確認するように触ってから。
「……元に戻れたみたいですね」
あは☆と笑う彼女……オルーカ。
エルブランは怒りに顔を染めると、早速怒鳴りつけた。
「貴様ーー!!この材料を集めるのに、一体私がどれだけ苦労したと思っているのだーーっ!!」
「す、すすすすみませんっ!」
慌てて頭を下げるオルーカ。
「先ほどは謝ったが、撤回だ!貴様なぞやはり頭を下げてやる価値もない!最低の屑だ!」
「まことに、面目次第も…」
「だいたい、何度同じ間違いをすれば気が済むんだ!薬は割る、ろくでもない材料を持ってくる、挙句にこの始末だ!これだから女という奴は…」
「………」
「役に立たない、迷惑をかける、存在する事が社会に対する害悪だとは思わないのか?!貴様のような鬱陶しい女は、俺の視界に入らない場所でおとなしくしていれば…」
「ええええええい薬がなんだっていうんですかぁぁああああああ!」
どんどんわき道に逸れるエルブランの罵詈雑言に、さすがに逆切れするオルーカ。
「こうなったのも元々エルブランさんが神の道に仕えないからですー!あなたもさっさと『クマっ娘アイドル☆オルーカルン(14歳)~若く美しいフェアリー道(ストリート)』に入りなさい!!」
「どこが神だ、どこがっっ!!」
「今なら妖精タペストリーもついてきます!初回サービスでスタンプカードに妖精マークを二個押しますよ!!!」
「いるかそんなもんっっ!!何が妖精だあつかましい!本物の妖精に謝れ!!」
そこから、不毛な罵詈雑言合戦が始まった。

はー、はー、ぜー、ぜー。
さすがに悪態をつき疲れた2人は、ようやっと落ち着いて息を整えた。
「はー……」
ため息のように息を吐いて、ふとオルーカは、エルブランの方を見た。
「そういえば…エルブランさんて、アルディアさんのお知り合いと聞きましたが…どういったお知り合いなんですか?」
「はっ、はぁ?!」
必要以上のリアクションを返すエルブラン。
先ほどの会話の内容が内容なだけに、かなり動揺しているようで。
誤魔化すように服の襟を正すと、ぶっきらぼうに言った。
「その……ふ、古くからの知り合いで…尊敬する人の奥様、だ」
そして、言ってみてから、複雑そうな顔をする。
「ええ!?」
しかし、オルーカはそんなエルブランの様子よりも、アルディアが結婚していたということのほうが衝撃のようだった。
「アルディアさん、結婚なさってたんですね~」
「ああ。……もっとも、その…ご主人は、すでに亡くなられているのだが」
「えっ……」
立て続けに襲い来るショッキングな話に、オルーカは神妙な表情になった。
「そうですか…いつか機会があれば、そしてお話してくだされば、直接ご本人に聞いてみます」
「ああ…そうしてくれ」
エルブランもこの話はしにくそうで、ついと顔を背ける。
「…そ、そう言えば、貴様、朝、鍵を落として行ったぞ」
「えっ?」
きょとんとするオルーカに、エルブランは再び視線を向けた。
「朝、ぶつかっただろう。あの時に鍵を落とした。鍵自体はもうアルディアさんに返したから…今、貴様が持っていると思うがな」
「あ…そ、そうだったんですか。すいません、気をつけます」
ぺこりと頭を下げるオルーカ。
と、そこで。
「……何か、変なにおいがしませんか?」
「ん?」
オルーカに言われ、匂いをかいでみるエルブラン。
2人で匂いの元を辿っていくと……
「……あー!!」
先ほどオルーカが大量投入したビーカーが、たとえようもない色に濁ってぶくぶくと泡を発しているところだった。
「た、たた、大変、早くどうにか……」
と、どうにかする暇もなく。

ちゅどーん。

宿場街の一角で、新年早々爆発事件が起こった。

「…連続爆発オチですか…」
ふ。
オルーカは瓦礫に埋もれながら、雪の舞う夜空をしみじみと眺めるのだった。

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